人間だものヽ(´ー`)ノ

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人間観





2004/03/14
誰に聞いたか、どこで読んだかわすれたが、物事を好きか好きじゃないか、で考えると楽で、その理由なんかいらないって。
この映画は好き。とか。
この音楽は好きじゃない。とか。



2004/02/25
この間ふと思ったのだけれど、人間は日々変化するものっていうのがわかってなくて、僕は昔から自分の世界を固めていたんだな。
そうやって作ってきた自分は陶器みたいなもので、衝撃で簡単に割れてしまうんだな。きっと本当は粘土みたいに、日々形を変えながら生きていく方がいいんだな。

陶器は割れてしまったから、また粘土をこねるか。粘土をこねて、もし焼き上げて陶器にしてしまったら、また割れるだろう。けど、そのときはまた粘土をこねればいいや。



優しいことは罪だろうか。
優しさとは甘さなのだろうか。
人が人に優しくする、そういう社会は甘い社会なのだろうか。
人に優しくすることは偽善なのだろうか。
優しすぎてはいけないのだろうか。
自己犠牲をしてはいけないのだろうか。
本当に勝ち負けを決めなければならないのか。

むなしい。



2004/02/06
僕は地図の読めない男だ。

地図は好きだ。高校時代の地図帳を今でも手元に置いているぐらいだ。けど、かなりの確率で道に迷う。
どっちか迷って、選んだ道は、たいてい間違っている。
たいてい間違うから、自分の読みの裏を書いて逆に進んでみると、それもまた間違っている。

あらかじめ、大体の地図を把握して進んでも、違った目印で曲がってしまったり、通り過ぎてしまったりする。

地図を捨てよう。

あてずっぽうに進んでも、着くときは着くし、迷うときは迷うだろう。だから地図を捨てよう。

そう思っても、それがなかなか難しい。



2003/10/23
僕にとっての海は、ただ海であること。

江ノ島の海は、遠くから見ると、にぎやかで波が寄せては返して、とても気持ちが良い。でも近づくと、わかめや木くずが浮いていて、花火のゴミが落ちていて、深入りすると、危険な海で。

沖縄の海は、遠くから見ても綺麗。だけど変な緑色に見えるところもある。でも近づくと、ものすごく透明で、まるで水道水のようだけど、なめらかで。

だからといって、どちらの海にも優劣はなくて、ただ海であることだけで、僕は幸せで。

江ノ島の海は、手が届きやすくて、遠くから見ればそれなりに美しいし、泳ぐのに支障もない。
沖縄の海は、なかなか手が届かなくて、遠くから見るより近づいた方が美しい。

それは感じる側の視点で、海は、ただ海で居るだけ。
海は、強制も、支配も、抑圧も、排泄も、押しつけも、誘惑も、しない。
誘惑はされるかな、けど、それは僕が誘惑されると感じるだけだ。海が誘惑しているわけじゃない。

たとえばネット上の僕という存在は、江ノ島の海であって、手軽にアクセスできて、ぼんやり見ている分にはよく見えるかもしれない。でも近づくと汚く見えるかもしれない。

出来れば僕は、海のように居たいけれど、そこまで達観できなくて、つい口出しをしてしまう。できることなら、強制も、支配も、抑圧も、排泄も、押しつけも、誘惑も、しない存在でありたい。

少なくとも、ネット上では。



2003/10/17
今日は、まっすぐ歩ける。速度も速い。いいことだ。
駅を出たら、空は青くて、その中に真っ白な月が見えた。
半月に近い月。

この月を、今、他の誰かも見つめていて、その誰かと月を通じて僕は繋がることが出来るかもしれない。そんなことを思ったら、目を離したくなくて、ゆっくり歩きながら、月を眺めた。

そして気づいた、僕の視界には、睫毛が入っているんだ。近すぎて気づかないフィルタ。
もっともわかり易く、もっとも信頼してしまう、視覚というもの。それにすら、睫毛というフィルターが通されているのだ。

まして、よくわからない心にフィルタがかかっていないことなんてありえるのだろうか。そのフィルタを理解した上で、物事をきちんと捉えること、僕たちにはそれが必要で、でも僕たちは、そのフィルタがあることを、自発的に気づかなければ、認識することすら出来ないのだ。



2003/10/12
人は、それぞれ違うのだから、出来事に対して、全く同じ感情なんてない。だからたまには嫌な出来事がある。だけど、それはその出来事がいやなだけで、その出来事に関わった人の人格すべてが嫌なわけじゃない。
嫌な出来事があると、そればっかり見ちゃって、その人の良いところが見えなくなって、「あいつは嫌な奴だ」って思って。
人間って本当にバカな生き物だと思う。
でも、バカだからこそ、人生、やりがいがあるんだ。

まあ、嫌な出来事が特定の人と度々続くと、だんだん距離が自然に遠くなっていく、それは自然なことで、そうやって人類は生き残ってきたんだし。



2003/10/09
僕は僕の中のいくつもの僕がデモクラシー状態で今の僕を造っていて。でも時々暗し。でも暗し。なんて寒いギャグを飛ばしちゃう、四捨五入したら30歳だけど気持ちは19歳。
だけど援助交際してるおっさんたちより自分なりのイデオロギー持って真面目に一生懸命必死こいて生きてます。でもなんか一皮むけちゃって大人になって、あんまり苦じゃないのよね。必死な自分が。

だからもう天然バカ丸出しでゴー!みたいな日記になりつつあるけど、気に入ったら書き込みしてくれてもいいし、通りすがってくれてもいいです。

みんなに元気をもらって生きていて、僕も元気を配って歩きたい、ジグソーパズルみたいに、歯車みたいに、みんな出っ張ってるところと凹んだとこがあって、お互いに補っていければいくない?一人で真四角になったり、まん丸になる必要なくない?
と思う今日この頃。

季節の変わり目だけど、明日も元気が出ますように。
みんなも一つでも幸せを感じられますように。

支離滅裂結構、どんとこい!むしろ万歳!
であります。



2003/09/29
『あなたが世界を変える日』セヴァン・カリス=スズキ
を読んだ。
12歳の少女がこんな素敵な言葉の残せるなんて。
子供の豊かさとすばらしさに感動。子供だからこそ、本当の本質が見えたんだろう。いや、本当は誰でも持っているんだろうな。是非読んで欲しい。

--引用 『あなたが世界を変える日』セヴァン・カリス=スズキ

オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。

どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。

-- 引用終わり



2003/09/17
なんか妙にやる気が出てしまって、居残り。
自習用の作業だったから、楽しくできた。
今やってる作業自体趣味の延長みたいなものだ。
けど、本来の労働とはそうあるべきだと思う。
創造の喜び、仮説と検証の喜び、実験の喜び、完全性の追求。
そういった、自己から発する意欲を伴う仕事こそ、労働と呼びたい。



2003/09/14
『ワンダフルライフ』を見て思ったこと。
「あなたは死にました。あの世へ持っていけるのはたった1つの思い出だけです。あなたの人生の中で、あの世へ持っていきたい思い出を一つだけ選んでください」

皆さん、何を選びますか?



2003/9/4
「自分は自分、変わらない」と思いがち。だけど、人は変わるもの。
変わることはあたりまえで悪いことではない。
それはアイデンティティを失うこととは違う。
以前の自分に戻る必要などない。
人は変わるのがあたりまえだから。



2003/09/02
市川拓司さんのHPの掲示板に書き込まれた小話。

アメリカの白人と、ある南の島の男との会話。
「もっと真面目に働いた方が良いよ」
「働いたらどうなるの?」
「お金持ちになれるよ」
「お金持ちになってどうするの?」
「お金をかせいだら引退すればいい」
「引退してどうするの?」
「ヤシの木の下でのんびりすればいいさ」
「今そうしてるんだけど」




2003/08/29

最近思っていることがある。
大学の頃、Webサイト(今考えれば、とてもチープなものだ)に日記を書いていた。
自分の思いを書き記すために。
ある時ドッペルゲンガーの話を書いた。
僕はよく、あちこちで目撃される。でもその日その場所へ言った覚えはない。
自分のドッペルゲンガーが何体もいて、奴らがブラブラ歩いていて、
いつか僕と合体するのだ。
そう書いた。

過去と環境を元に、僕は僕という自我を自分の中で勝手に作り、本能と争う。
本能は負ける。
自我:超自我:本能のバランスがとれていない人間。
そういう気質なのだろう。少なくとも今までは。

僕は僕というペルソナをかぶり、自分の中のシャドウを追い出す。
そのシャドウがドッペルゲンガーになる。
僕は細切れにシャドウ追い出し、そして失うたびに、
コンプレックスと欠如感に支配される。
ペルソナはシャドウを追い出すことで、自分の地位を固めようとするが、
それは本来の自分を削り、傷つけているだけなのだ。
そして今、ペルソナの危機にシャドウが呼応し、合体したのだ。

ドッペルゲンガーを見ると死ぬのではない。
ドッペルゲンガーを見ると、シャドウが現れるとペルソナが破壊される。
自我の崩壊だ。
それがドッペルゲンガーの話教訓なのではないだろうか。
でも、自我の崩壊は、肉体的な死ではない。一時的なペルソナの死であるだけだ。
それでもペルソナはまだ自分を守ろうとして自傷や自殺をするのだ。
「自我の死=肉体的な死」という概念を守ろうとするがために。

なーんて、オカルトな考えをしてみたりする。

今はオカルトなんて言っているが、物質社会はここ数百年のことであって、
それ以前は精神社会だったのだ。
そして未来も精神と物質の融合がなされるだろう。
近現代は物質と精神が分離し、物質が優位に立っているという、希有な時代なのだ。
大陸は常に動き続けているけど、人間は変化を感じることができないために、
地球とはこういう地形ですと、ある時点の断片をとって、固定化しようとする。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
物事は移り変わり、盤石の体制を敷いたつもりでも、いつか崩壊する。
人だって同じように変化するものであって、一時的に固定された
アイデンティティなど幻想に過ぎない。

などと、本の受け売りだが納得する。

明日からは、なるべく多くのことに感謝していこう。
今もしてるけど、もっともっと感謝。

類は友を呼ぶ。プラス思考はプラスの集団的無意識を、
マイナス思考はマイナスの無意識を呼び、共鳴しあうのだ。
だからプラスの声に共鳴するようにしよう。

良い出来事・運は自分で呼び寄せることができるのだ。きっと。
数年前想像したドッペルゲンガーとの合体を、僕は果たしたのだから。

なんて書くと、サイコ野郎だと思われるであろう。

常に何かを考えていて、認知が歪んでいて、妄想している状態。
これって、テストの結果そのものだ。
ロールシャッハすごい。それを分析しちゃうカウンセラの先生はすごい。
感謝。

でも僕は平和だよ。
「いま考えてる」って意識して考えているよ。



2003/07/31
昨日は大学の友人が上司とそりが合わないから、会社を辞めたいと相談してきた。泣いていた。僕は自分の思ったことをいった。
価値観の合わない人間とは、いくら話し合いを重ねても平行線をたどるしかないのだ、だから、そう思っておけば気楽になる。
「あなたと私は価値観が違うようです。話し合っても平行線です。どちらが正しいとは言えないし、私が正しいとは言えないが、私はその件に関してはそう考えます。」と言えばいい。
そして会社を辞めることを勧めた。

戦時中の人たちは、食うことが精一杯で働いた。
働かなくても食える世界を目指した。
今は働かなくても食えないことはない。
ホームレスが増え続けるのは、働かなくても食えることの象徴だ。
それでも人間は経済成長を止めようとしない。
現時点での経済成長とは、資源を食いつぶすことだ。
今は転換期にある。
資源を食いつぶすのではなく、今ある資源を使い回すことが、我々にとっての最重要課題だ。それはみんなわかっている。わかっていても見ないふりをする。
それでいいのだろうか。




2003/07/30

僕は今まで愛を感じることで自分を支えてきたような気になってきた。感化されてる?
両親、祖母、近所のじいさんばあさん、友人、彼女、いまは誰に愛されているのだろう。誰にも愛されていないのだろうか。
僕は同じ臭いを感じるとすぐ人を好きになる。愛を与えたくなる。
だれにも愛されないことはとても辛いことだ。
僕は愛に渇望している。きっとそう思う。
僕が発病したあの場所には愛はなかった。あるのはビジネスだけだ。しかも下手なビジネスだ。愛や信頼関係のない職場は嫌だ。もう2度とあんな目に遭うのはごめんだ。
人生の貴重な時間をそんなものの犠牲になるのはごめんだ。

こんな当たり前のことに、気づかずに生きてきたのだ。
そして多くの人は気づいていないのかもしれない。


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