ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog
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新国立劇場 14:00〜 4階正面 アイゼンシュタイン:ジョナサン・マクガヴァン ロザリンデ:エレオノーレ・マルグエッレ フランク:畠山茂 オルロフスキー公爵:タマラ・グーラ アルフレード:伊藤達人 アデーレ:シェシュティン・アデモ ファルケ博士:トーマス・タツル ブリント博士:青地英幸 フロッシュ:ホルスト・ラムネク イーダ:伊藤晴 新国立劇場合唱団 東京シティ・バレエ団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:パトリック・ハーン 演出:ハインツ・ツェドニク まぁこうもりだし、あまり野暮なこと言うものではないという考え方もあるのですが、それ言い出すとキリがないのでね.......もうどんどんダメ出ししていこうと思います。 まずそもそもの話。こうもりは3幕ものですが、この公演休憩は1幕の後だけ。2幕と3幕は続けて上演されます。1幕が50分くらい、2幕と3幕が100分くらい。これがね、もうね、無粋極まりないと思うのですよ。この公演を象徴するような話。後で演出の話と絡めて書きますが、以前新国立劇場でも2回休憩で上演した筈です。で、どういうつもりでわざわざ休憩省いたのか知らないですが、少なくとも2幕終わってから場面転換して3幕始めるまで5分弱は掛かってました。つまり、どのみちそのくらいは無為に過ごすことになる。ついでに御丁寧にオケはチューニングし直してました。まぁそうでしょう。休憩は入れるべきでした。元々演出だって休憩省く想定じゃないんだし。 その演出ですが、結論から言うと出来が悪かった。原演出がダメなのではないのです。原演出は2006年に出したハインツ・ツェドニクのもの。ツェドニクはその後フォルクスオーパーでもほぼ同様の演出を出していて、最近見てないですが、フォルクスは今もツェドニク演出の筈です。その程度には評価出来る演出であるし、新国立劇場でももう7回目。決して悪い演出ではない筈。要するに、再演演出で腐ってしまったと言うやつでしょう。何がダメか?要するに、これまた無粋なのです。無粋というより、こうもりというオペラを理解していないというか、お客として劇場で観たことないんじゃないか、と思ってしまうような、そういう演出。 こうもりの舞台はウィーンです。上演されるのはドイツ語圏が主ですが、中でも必ず上演するのはやはりウィーンの国立歌劇場、シュターツオーパーとフォルクスオーパー。ではいつでも観られるか?というと、実は、シュターツオーパーでは上演されるのは12月31日と1月1日。その前後に数公演あったりしますが、基本的に年末年始だけ。実はフォルクスでも年末年始以外ではあまりやらない。その理由は、このオペラの舞台が「大晦日」だ、ということになっているから。原典のト書にそう書いてあったかどうかは、手元に楽譜もないし、ちょっと確認できないのですが、ウィーンで上演する場合は「舞台は大晦日」と決まっている。第3幕ではお約束のくすぐりの一つに、フロッシュが12/31のカレンダーを捲ると32日になっている、というのがあるくらい。なので年末年始にやるのですが、シュターツオーパーで年末年始に「しか」やらないのには理由がある。それは、こうもりは「オペレッタ」だから、というのが定説。 ウィーンの常設歌劇場はシュターツ、これを一般には国立歌劇場と呼びますが、それとフォルクスの2館になります。で、一般に、オペレッタはフォルクスではやるけれどシュターツの方ではやらない。コウモリだけでなく、たとえばレハールの「メリー・ウィドウ」なんかもやらない。オッフェンバッハの「ホフマン物語」はやるし、或いは「天国と地獄」くらいはやってるかも知れないけれど、基本やらない。それは格式の問題とも言われてました。音楽的な意味での格式なんじゃないかとは思いますけれどもね。 一方のフォルクスの方の演目を考えると分かる気もします。フォルクスはこじんまりした劇場で、演目もオペレッタ系が多い。それだけでなくミュージカルも結構やる。オペラも、ポピュラーなもの、喜劇ものはそこそこやります。フィガロくらいはやる。逆に、フォルクスで殆ど掛からないだろうというのは、大掛かりとかいう以前に悲劇もの。ワーグナーはまずやらないでしょうね。ヴェルディも、椿姫くらいはやってるかもだけど、運命の力とかドン・カルロはまぁやらないでしょう。個人的にも記憶にあるのは、こうもり以外では、メリー・ウィドウとかマルタとかヴェネツィアの一夜とか、フィガロもあったな、と、まぁそんなところ。そういうのは基本役割分担ができている。シュターツでオペレッタは、やらない。 でも、正月くらい、リングの大劇場にやってくるお客も、お気楽な喜劇を観たいわけです。お祭りみたいなものですね。日本だと正月くらい寄席にでも行こうか、というような。いやあれは本来は三河萬歳の門付けみたいなものがそもそもなのか。でもその感覚の方がかえって近いかもですね。話をウィーンに戻せば、お祭りなので、大晦日のこうもりではガラコンサートが付いてくる。昔ウィーンで大晦日に観た時は、確かアンナ・ネトレプコが2幕の宴会の場で出てきましたし、ウィーンと並んでほぼ毎年やってる筈のバイエルンでは、マルセロ・アルバレスともう一人誰かが歌ってました。もう30年以上前ですが今でも映像に残る、メトのリンカーンセンターの25周年だかのガラでは、こうもりの2幕だけ持ってきて、そのガラ・コンサートがもうなんというか.....知らない人はDVD探して下さい。まぁ要するにお祭り。 長々と書きましたが、こうもりというのはそういうものなのです。日本とウィーンは違う?でも、これはそもそもそういうオペラというかオペレッタだし、ツェドニクの演出もそういうものとしてあるのです。 で、無粋というのは、そういう演し物としての性格が死んでしまっているのですね。一番がっかりしたのは、合唱というか群衆というか、の演出。2幕冒頭、紗幕が上がる前の時点から、とにかく動かないのですよ。東海林太郎か鶴田浩二か、って言って今の人分かるのか知りませんが、このお二方は歌われる際に直立不動で歌っておられたのです。それと一緒。棒立ちで歌うが如く、夜会の客としての動きがない。それで全編行ってしまうので、踊っていて然るべきシーンでも踊らないし、あからさまに踊れと演出付けられたので踊るような動きしてみました、という感じ。興醒めです。新国の合唱団ってこんな大根だったっけ?もうちょっと芝居出来るんじゃないのか?.....いや、まぁ、出来ないのかもだけど。でも、こうなってしまうと、「これはウィーンの豪奢な邸宅で行われているオルロフスキー公爵の夜会」という見立てのマジックが効かないのですよ。実はこの幕で一番大事なのはそこなのです。それがうまくいかないと全て悪循環。 合唱で言うと、この幕の中で、ロザリンデのチャールダーシュの後に、確か「ハンガリー万歳」という表題だったと思うのだけど、ポルカ・シュネルだかが演奏されて、バレエが付いているのですね。それはいいのだけれど、合唱の一人がやたらでかい音で口笛を鳴らすのです。執拗に。まぁはっきり言って下品な感じで。勿論本人が勝手にやってる訳はなく、演出が指示しているのだと思います。いや、やらせたいならそれでもいいですよ?でもさぁ、あんなに鳴らさせるのなら、この人 - この場合は合唱団の一員、って意味ではなくて、この夜会の客の一人、という意味 - はその前のより扇情的な筈のチャールダーシュで黙りこくってたのかね?アイディアは間違いとは言わない。そこだけとらまえてみればおかしくなさそうに見える。でも、オペラというのは、舞台というのは、一続きの「虚構」としてお客に見せるものだから、その一続きとしての「自然さ」、「騙されやすさ」というのは結構大事なのです。お客が醒めちゃダメなんですよ。ここのバレエも含めて、バレエダンサーはよかったんですけれどもね。それだけに、他とのギャップが悲しいという。 演出の問題としてもう一つは、主要人物達の芝居が出来ていない事。それは個々の歌手の問題では?と思われるかも知れないですが、これも演出の問題だと思います。 1幕、アイゼンシュタインが喜び勇んで刑務所に行く為に正装の準備をしているところ。アイゼンシュタインが「私の靴は?」と舞台裏から訊くのに、舞台にいるロザリンデとアデーレが「私のベッドの下!」と同時に答える場面。まぁ、このやりとり、いろいろ問題はあるのですが、要するにこれ二人とも「アイゼンシュタインは私のベッドの下に靴を蹴り込むわよね」と自然に思っているということ。即ちアデーレとアイゼンシュタインは「寝てる」訳です。だからこの場面はくすぐりとして機能する。なので、ただぺろっとそれを言っただけでは勿体無くて、この二人がどういう表情、どういう芝居をするかでニュアンスの濃淡が出てくる訳ですが、まぁ、正直、淡白というか、芝居はあってなかったようなもの。 3幕のフロッシュとアルフレードのやり取りもそう。アルフレードがタバコの火をくれと言って賄賂、まぁチップみたいなものでしょうが、を渡す。それがあまりに少ないものだから、フロッシュが「職業はなんだ?」「オペラ歌手だ」「何処と契約してる?」「新国立劇場!」で、フロッシュが悲しげに同情してチップを返して肩を抱き.....というくすぐり。これ、フォルクスなら当然契約先は「フォルクスオーパーだ!」となるわけで、定番のくすぐりですが、確か原作にはなかったんじゃないか。いや、あってもなくてもいいんだけれど、これはくすぐりなので、このおかしみが出ないとつまらないんですが、この芝居が弱くて、フロッシュが憐れんでいる感じが出ないんですよね。 似たような話は幾つもあって、結局芝居が付いてないので、やることはやってるけれど、見立てのメッキが剥がれちゃうんですよね。それではこうもりはつまらない。自然な演技を目指した?そうかも知れないけれど、正直こんな話自然を目指してもしょうがないのでしてね。 第2幕と3幕の間の休憩を飛ばしたのは誰のどういう判断か知らないですが、あれは省いちゃいけない。幕間のバールの売り上げが変わるから。いや実際第2幕はシャンパン飲んで大騒ぎ、の回なので、その後の休憩では確かに売れ行き良さそうなんですよ。そういうこともあるけれど、この第2幕と第3幕って、言ってみれば飲めや歌えや大騒ぎと、その後の二日酔いの頭を抱えての苦い喜劇、なのです。つまり、性格が根本的に違うし、笑いの質も変わってくる。ウィーンやミュンヘンでは、特に大晦日のソワレでは、第3幕ではフロッシュが時事ネタを交えて結構際どい笑いを取っている。今年なんかどうするんだろうな。とてもじゃないけど笑うに笑えないネタが二つも - ウクライナとパレスチナ - あるし、どこまでやるのかわからないけれど、第3幕はそういうものも包含するような幕であり、そういう笑いです。第2幕とは質的に違う。だから、ここは休憩を入れて分けた方がいいと思うのです。 原典がどうとか言う割には、オペラの幕割は結構軽視されてる気がしますが、当然書いている方は上演することを前提にして書いているので、休憩入れるなりしてはっきり割った方がいいケースはやっぱりあるのです。ここはそういうケースでしょう。 元のツェドニクの演出はいい演出だと思いますよ。それを舞台に再現する時に、注意深く丁寧に考えてやらないといけないのだと思います。 歌唱は...........まぁ、そうねぇ.......ロザリンデは、比較的歌えていたけれど、ムラはあったね.........オルロフスキーは、あれは、明らかに不調だったのだろうと思います。アルフレードは、声はでかいね............. 最近、昔のエントリーとか読み返してると、前は真面目に歌手がどうだとか書いてたなぁ、とか思うんですけれどもね。最近そういうふうに書かないのはもちろん理由があって、まぁ、お察しくださいというか.....その辺の話は今度ちゃんと書こうと思います。 音楽的には、オケが一番良かったかなぁと。粋ではなかったけれど、無粋ではなかったな。この日唯一の救いといえば救いであったかな。そういう意味では決して楽しまずに帰ってきたわけではないのだけれどもね。でも、無粋だよなぁ、という思いは拭えなかったのでした。
2023年12月10日
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