南米編

∽∽∽∽ アルゼンチン・ブラジル ∽∽∽∽


【グアラニーのイエズス会伝導施設群】   2004年3月3日  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

サンイグナシオの木

行き方   ブエノスアイレスの北、パラグアイとの国境の街PosadasからJardinAamericaやA.DelValle行きのバスで1時間少し。
(サンイグナシオ) SanIgnacioで降りる。4.10ペソ。バスを降りた所の教会を背にして3~4ブロック歩くと右側に見えてくる。

17~18世紀、ヨーロッパから入ってきたイエズス会がこの地域(パラナ川流域)にイエズス会を布教する為に築いた施設。
この名で世界遺産に指定されている物はアルゼンチンの北東部とその周辺のブラジルに点在してるけど、全体で見るとこの地域に築いた伝導施設はアルゼンチンに15個所(コリエンテス州4、ミシオネス州11)、ブラジルに7箇所、パラグアイに8箇所の全部で30もある。パラグアイ唯一の世界遺産「 パラナ川流域のイエズス会伝導施設 」も世界遺産的には別に登録されてるけどこの一つ。要は、パラナ川流域のグアラニー族に布教する為のイエズス会伝導施設だから一緒なんだけど。

私が行ったのはその中のミシオネス州にあるサンイグナシオだけ。
サンイグナシオは結構大きい。入ると博物館から始まる。そこを抜けると当時の伝導施設の遺跡が全てある。伝導施設と言ってもそれは教会だけでなく、住居や客室、監獄、教会、墓、アルマス広場なども含まれてる。遺跡の保存状態はかなり悪いけど、それがまた味になってる部分もある。遺跡に根を下ろした大きな木があったり、コケの生えた遺跡がラピュタみたいだったり。

最近、またユネスコの世界遺産のHPが更新されて、登録はサン・イグナシオ・ミニ、サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・マリア・マジョール(アルゼンチン)、サン・ミゲル・ダス・ミソオエス遺跡(ブラジル)とゆー事らしい。

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【イグアス国立公園】   2004年2月29日   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

iguazu

行き方   ブエノスアイレスやサンパウロよりバスで1晩。アスンシオンなどからも。
       アルゼンチン側=プエルト・イグアスよりバス。
       ブラジル側=フォス・ド・イグアスよりバス。

世界3大瀑布の一つ。(他ヴィクトリアの滝・ナイアガラの滝)
街の名前にもなってる『イグアス』は原住民グアラニー族の言葉で『壮大な水』って意味らしい。公園内には沢山の動物がいるらしく、餌をあげないでくださいって看板が立ってる。私は変なチョウチョを見たくらい。でもイグアスで会った旅人で、アナグマに手をかまれたって子がいたなぁ。
アルゼンチン側の国立公園は凄く広くて、中に無料のトラムが走ってる。それを使っても遊歩道をかなり歩く。全部見ようと思ったら急いでも4時間以上はかかる。
朝一に出れば1日でブラジル側、アルゼンチン側両方周る事は可能。

これは絶対ボートツアーがお勧め!
ボートで滝壷の近くに行ってくれる。水しぶきが凄い勢いなのでまるで洗車されているよう。「オートロッ、オートロッ!」(もう一度!)と船頭さんをのらせたら飽きる程やってくれた。もちろんずぶ濡れになるので水着で挑むと良い。私は水着で行かなかったけど、その日は良い天気で凄く暑かったので滝を見てるうちにGパンさえもすぐに乾いた。
アルゼンチン側の遊歩道を歩いているとボート乗り場がある。確か30ペソ(約US$10)

それと水着を持っていくと良いと言うのは、ボート乗り場の近くに岸があって、そこで泳げる。

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∽∽∽∽ ウルグアイ ∽∽∽∽


【コロニア・デル・サクラメントの歴史的街並み】   2004年3月6日   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

コロニアルのクラシックカー

行き方   私はブエノスアイレスからからフェリーで数時間。

始めはポルトガル人が創った港町。その後、この港町欲しさのスペインと激しい戦いがありスペイン領へ。その後も争奪戦は繰り返され、結局19世紀後半にブラジルや各国の干渉もあったがウルグアイへと独立した。
そんな背景からこの街はポルトガルやスペインの影響を受けてる。

街がすごくかわいい。街中かわいい家ばかり。とても小さい街なので歩いて周れる。本当に端から端まで歩いて行けるのに、こんなに小さな街を巡って争奪戦があったなんて。。でも要塞があったり、大砲があったり当時を物語ってる。
今はのんびりした田舎。いたる所にクラシックカーが止まってて、実際に走っているのもある。
売り家が目立についたけど、やっぱりアルゼンチンの経済崩壊につられた跡だろうな。

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∽∽∽∽ パラグアイ ∽∽∽∽


【ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群】  2004年3月2日   ~~~~~~~~~

パラグアイ
行き方   パラグアイ南部のアルゼンチンとの国境の街エンカルナシオンより、オエナウ又はオブリガード、ベジャビスタ、
       ピラポーなど行きのバスで1時間くらい。
       またはシウダーデルエスデ~エンカルナシオンのバス。
       前年度までは『パラナ川流域のイエズス会伝導施設』で登録。

グアラニーのイエズス会伝導施設 と同類の遺跡。奴隷狩りを逃れたグアラニー族が集まり20万人位集まるようになるとスペイン王国は警戒し、1767年にイエズス会を追放した。

ここはマニアック。他の観光客いないし。。
保存状態は良くないけど直す気はあるらしい。レリーフが独特で美しいし、昔はさぞかしゴージャスだったんだろうな。近くに宿が1件ある。でも遺跡は大きくないからすぐに見れるし、周りには何も無いのできっと泊まってもつまらないだろう。

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∽∽∽∽ ブラジル ∽∽∽∽


【サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区】   2004年12月29日  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



行き方 サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロ、ブラジリア他から飛行機・バスがある。

他の写真も見る。





∽∽∽∽ ペルー ∽∽∽∽


【アレキーパ市の歴史地区】   2004年1月17日  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

アレキパ
行き方    リマからバスで20時間くらい。ペルーの大きな街なので、いろいな所からバスが出てる。

インカ時代から続く標高2370mのペルー第二の都市。白い街並みが美しく街が世界遺産になってる。と言われるが期待しすぎるとがっかりする。良いと言う人もいたけど、メキシコやヨーロッパなどを見てきた人には普通だろう。

でもここのサンタカタリナ修道院は凄い!修道院の中に一つの街があるような感じ。各セクションで壁の色などが違い、赤いコーナーや青いコーナー、白いコーナーなど、それぞれ修道院とは思えない程の色鮮やかさ。広いから見るのに2~3時間はかかる。
写真はサンタカタリナ修道院。
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【クスコ市街】   2000年6月   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

クスコ  良い写真が無い。。

標高3400m。インカ時代の主都。でも後にスペインに侵略されて、人々の宗教を無理やり変えるかのようにインカの神殿や主要な建造物を壊し、残った土台の上に大聖堂や教会を作った。
街の高台にサント・ドミンゴ修道院聖堂がある。そこは昔は太陽の神殿だった。
そう言えばカンボジアのアンコールも似たような歴史があったなぁ。一つの建物に昔ながらの物と仏教の物があり。。まあ置いといて。

写真はインカ時代の石組みの通り。紙一枚通さないとゆう精密な石組み。インカの石組みは凄い。世界遺産にはなってないけど、ペルー・プーノの石組みで作った墓の遺跡に行ったら、インカ時代の物はかなり綺麗に残っていたけど、真似て作った同じような形の物は殆ど崩壊してた。

この街は居心地が良く、美味しい食べ物屋もあり沈没者続出。有名な日本人宿も2軒ある。



【ナスカとフマナ平原の地上絵】   2000年6月  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

行き方    私はリマからナスカへ飛んで、そこからセスナにて観覧。

飛行機が地上絵の上をぐるぐる周るので、飛行機酔いする人が多い。私もそれを心配してたら地元の人に「セスナから写真を撮ると酔う。写真なんて撮ったって絵葉書より綺麗になんて撮れないんだから、自分の目に焼き付けて来い。」と言われ、妙に納得した私は写真を撮らなかったので写真は無い。

有名なナスカの地上絵。これらの絵は地面の表層部分を取り除いてその下の白い土の層を露出させて描かれてる。大きいもので300mもあるので地上から地上絵は見えない。誰が何の為に作った物かは未だに謎。

ナスカの地上絵はまあTVとかで見た通りだけど、私が凄いと思ったのは地上絵に着くまでにたくさんあるナスカライン!絵の周りにはどこまで続いてるのかわからないけど無数の長~い線が引いてある。何の為に引かれた線なのかは未だにわかってないけど、私は宇宙人説が有力だと思う。ペルーに来てからは黄金博物館などの宇宙人の遺跡を見たりして、昔はよくペルーに宇宙人が来ていたんだと信じてしまう。。

どんどん風化して消えて行くので、早く見に行った方が良さそう。



【マチュ・ピチュの歴史保護区】   2000年6月   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

マチュピチュ

インカのほとんどの都市は金を探しに来たスペインに侵略されたけど、激しい山にかこまれたマチュピチュは見つからなかったらしい。インカ時代のそのままの形で残ってる。ここに来るのに拠点となる街は標高3400mのクスコ。クスコで高山病になる人が多い。パックツアーなどの短い期間で来る人の中にはクスコで高山病にやられてマチュピチュをあきらめてクスコで休んでる人もいるけど、でもマチュピチュは標高2400mだか2800m。実はこっちの方が標高が低いのでマチュピチュに来た方が楽になる。

昔から憧れてたマチュピチュ!もちろん遺跡も素晴らしかったけど、まわりの山がまた凄い迫力。圧倒される。次はインカトレッキングで挑む!



リマ歴史地区】   2000年6月   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

リマ

綺麗に直しすぎ!でもこれはこれで良いか。サンフランシスコ教会・修道院がおもしろい。地下墓地には人骨がいっぱい。


∽∽∽∽ ボリビア ∽∽∽∽


【サマイパタの砦】  2004年2月8日   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

サマイパタ
行き方   サマイパタの街からタクシー。サマイパタまではサンタクルスよりバス。
       コチャバンバやオルーロ行き、またはそっち経由のラパス行きのバスで下ろしてもらっても良い。
       サマイパタに行けば宿はたくさんある。やや高地だから少し寒い。

この遺跡は広い。遺跡自体がデカイんじゃなく、山の中に点在してる。
軽いトレッキングになる。
そして後から聞いた話だけど、ここの遺跡は遺跡自体が宇宙船だってゆう説がる。このあたりはUFO目撃話も多数。ぜひぜひ、地元の人の話を聞いてみて!

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ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地】  2004年1月26日   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


行き方   ラパスのセメンテリオからバス。
       ペルーからはデサグアデーロの方からも来れるが、ラパスからでも少し戻るような形になるけどそんなに苦じゃない。

チチカカ湖の南、標高3850mの所にあり、ここは昔強大な帝国の首都があったと言われてる。でもその民族のことは不明。まだ解明されてない。
保存状態は悪く、ピラミッドはただの山にしか見えない。広いけどガラーンとしてて思ったよりショボイ。

有名な一つの岩で作ったとゆう太陽の門。でも太陽の門は意外と小さい。
最初はペルーからデサグアデーロ経由で来てこの街に泊まろうと思ってたけど、ここに泊まらないで良かったと思った。遺跡以外何も無い。宿とレストランはあるけど、きっとつまらないだろう。

が、ここの遺跡はまだ3.5%ほどしか発掘されていなく、最近、ここがアトランティスだとゆう説もある。

ティワナク文化に関するインディヘナの言い伝えもある。
参考に モノリート達の意味

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