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イッポリートは告白する。 「君たちが大事にしている自然や、パーヴロフスクの公園や、日の出と日の入り、コバルト色の空、充足しきった顔が、いったい何のために必要だというのだ。そもそもこのいつ終わるとも知れない饗宴は、ぼくひとりを余計者とみなすところからはじまったのではないか?そうしたもろもろの美しさが僕にとって何だというのだ?そもそも僕はいま、1分1秒ごとに思い知らされているのだ。太陽の光を浴びながら、僕のまわりをぶんぶん飛び回ってるこのちっぽけなハエでさえ、この饗宴と合唱の参加者であり、おのれの持ち場を知り、おのれの持ち場を愛し、幸せに感じているというのに、僕ひとりだけが死産児であり、自分がたんに臆病なために、これまでそれを理解しようとしなかったということを!」(新訳) しかし、まあイポリート・チェレンチェフよ。 シェイクして、ダンスして、ジベリッシュして、静かに座ってごらん。ムイシキン侯爵のごとく、美にくつろげるはずだから。かといって白痴になるわけではない。
2018.04.09
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ブラックパンサーの国ルワンダは、なぜ豊かか?というと、宇宙から落ちて来た驚異の物質ヴィブラニウムを独占利用しているから。 そのSF並みに発展してる文明は、シールドされて世界からは隠されていて、貧しい農業國と偽装している。 部族社会が発展して王国になってるけど、民草もアフリカ的に混沌としていて幸せそうだ。 しかしティチャラ(ブラックパンサー)の元カノは、近隣の貧しい国からの難民受け入れと福祉を提言し、新国王のティチャラと意見が合わないし、広い世界と関わりたい彼女は、それでか元カノの立場。 前国王には秘密があって、ヴィブラニムを解放して、世界中の黒人の抑圧と戦おうとした実の弟を殺害し、その子どもひとりアメリカのオークランド地区に残した。 監督は、警官による黒人射殺事件を描いて絶賛された。オークランドのゲットーで始まり、ゲットーで終わるこの映画は、かなり政治的なのだ。 「世界を見守るだけ」の一歩引いた姿勢から、「ラブインアクション」が世界を変える。 マーベルスーパーヒーローもので、まかさ泣かされるとは思ってなかった。 女戦士に囲まれて、新国王であるティチャラは、真のヒーロー ブラックパンサーとして、最後は国連で、自分たちの知恵とテクノロジーを分かち合うことを宣言する。 白人へのNOの戦いでもなく、豊かさに壁を作って守るのでもなく、世界に背を向けずに、分かち合う。 感動した。 感動の個人的意味は、以下である。 1990年、OSHO没後にすぐ、昔からの仲間であるミトラ、アミーンらと、Poonaにいた。瞑想しないミトラだが、ある時何を思ったのか、瞑想センターを申請したいと言う。 それより前に約10年以上、20代の青春をエンカウンタースクールという場作りに捧げた僕とアミーンは、反対した。 片桐ユズル氏や津村喬や向井孝、松井洋子など有名な大人を顧問としながら、全国から維持費を集めて、エンカウンターグループなど心理療法から、映画会、コンサート、シールさんによるOSHO瞑想会、反原発反戦集会、果ては、僕とアミンの始めた無農薬野菜の倉庫代わりまで、当時の関西のカウンターカルチャーの知る人ぞ知る拠点としてのフリースペースを何年間も運営していて、それも幕引きして、僕としては、反戦反原発死刑反対運動からも引退して、サニヤシンになって生まれ変わり、もう世界を変える夢は見ずに、自分を変えることに取り組んで、やっとひと息ついていた頃だ。 もう瞑想センターとか、そういう形でひとに関わるとかのめんどくさいことはやりたくない。 毎晩、ケンケンガクガクの議論をして結論は出ない。 ところがミトラが勝手に申請したら、あっけなく許可が降り、それを聞いた僕とアミンは、嬉しくて号泣した。 あれはなんだったんだろう。アシュラのゲートのところでのこと。 それでOSHOの媒体(ミディアム)というアナンドの署名で、アシュラムから貰ったメッセージには、驚いた。 「アミーン、ミトラ、ビジェイ あなた達は、革命家である。あなた達は、全世界を変えることで、自分を変えて行くだろう」 と書かれている。なぜか僕たちが、反原発運動から心理療法まで、命を革めることを模索してきたことを知ってるかのようだ。 僕なんか十代の頃から、革命とは何ぞやと、まるで禅の公案のごとく問い続けて来たか知ってるかのようだ。 そして、その旅の果てにサニヤシンになり、もはや世界を変えることよりも、自分が変わることに取り組もうとしていることを知っているかのようだ。 しかし、「あなたたちは、全世界を変えることで、自分が変わっていくだろう」とある。 これは普通(サニヤシンの普通)と逆のことじゃないか。 メッセージはこう続いていた。 「何百万人の人々が苦しんでいる。その人たちに背を向けるのは、絶対的に非人間的なことである。なんであれあなた達が得たものを、分かち合いなさい」 そして「苦しくなったら、またアシュラムにおいで」と結ばれていた。 後から、このメッセージは、アナンドがOSHOの講話から抜粋して選んだと知ったが、さすがOSHOからミディアムと指名されただけある。見事に、僕たちへのメッセージだった。 アナンドからは、他にもOSHOの靴下とハンカチも頂き、その後、細々とOSHOの回し者として、手足になって働いている。 瞑想センターは結局、建物は立たず、その後10年以上続く瞑想会からは、多くのサニヤシンが生まれ、みなそれぞれ独立し、しかし去年から古巣に戻った週に一度の瞑想会は、やはりマイトリー瞑想の会という名前で場所を借りている。 書き忘れたが、僕らの貰った名前は、OSHOマイトリー瞑想センターだった。 その後、出口王仁三郎の弥勒宣言とか、OSHOのマイトレーヤ(弥勒)宣言とか、ビレッシュの強調する友情とか、マイトリー(友愛、慈悲、友情)というのに縁がある。 革命家のひとりアミーンちゃんは、現在は天然酵母のパン屋さんとして、人当たりがいいから日々忙しいが、明け方前にひとりパンをこねて、孤独と向き合う詩人である。 革命家のひとりミトラは、現在入院中で連絡もつかないが、きっと内面を見つめているだろう。 革命家のひとりの僕はといえば、本日は瞑想会。気候のせいか参加者は少なく、場所代払うと赤字である。 苦しんでいる何百万人に背を向けて、詩について思索したり、パソコンいじったり、瞑想をひとりするのは容易い。 実は、3人とも内向きな人間だ。 ひとに関われば、波動の違うひとに関わることになり、イライラもするし、疲れもする。 もう長く瞑想してるから、Poonaに行かなくても至福は感じられるし、相手の目の高さに降りて、内側の何分の一かをオブラートに包んで分かち合うのも、まどろっこしい。 ひとは受け取るのが当たり前になると、慣れてくるから、感謝されることも少なくなる。 それどころか、非難されることもたまにある。出る杭は打たれなくても、ゴシップはされる。 だから疲れてしまう時もある。 それで、ブラックパンサーだ。 ヴィブラニムを独占して、自分達だけの王国で、幸せにするのは容易い。 なんたって、自然と科学と芸術が融合したようなユートピアだし、内面だって豊かだ。 世界に背を向けて、自分たちだけの幸せを大事にすればいい。それが先祖代々の教えだし、歴代の王の務めだ。 CGは新しいけれど、内容は古臭く、先祖を家族を大切にしようというディズニーの最新作「リメンバーミー」と違って、先祖伝来の条件付けに反逆して、新しい生き方に踏み出すブラックパンサーは新しい。 勇気をもらった。以上。
2018.04.03
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チャクラジベリッシュ瞑想のこと。長文です。第七チャクラは、スピリチュアリティ、存在とのつながり、一体感 という解説と宇宙的な音楽が鳴るので、ふにゃふにゃと宇宙語的なものを喋ることが多いが、このところキリスト教の異言の本を読んだので、ちょっとお祈りのようにむにゃむにゃと唱えている。何か困った時に、ショーケンみたいに「神様 お願い」とつぶやくよりも、ハートに手を当てるのが習慣にはなっているが、真剣に困った時は(そんなにないが)「神様助けて」とやってるような気がする。どこかに白い髭の神様なんてのがいるとは信じていないのに、自分の力ではどうしようもない時に、自分よりも大きなものにすがって、自分の願い(欲望)を押し通そうとする条件付けのたまものである。僕は祖父が出来た人で、子どもの頃に優しくしてもらったから、ちょっと困った時に「お爺ちゃん 助けて」とつぶやく癖がある。誰かに守護霊さんだと言われたから、それも影響している。OSHOはお願いを聞いてくれるとは思ってないから、OSHOには頼まないつもりだったが、昔にあるヒプノシスをしてもらって意識がクリアーになった時に、OSHOの顔写真が変化していったことを覚えている。OSHOにお爺ちゃんの顔を重ねていたのだ。無意識で。OSHOの顔が空っぽになったわけではないが、その上に重ねていたお爺ちゃんのイメージが流れていって、よりリアルなOSHOの顔になった経験がある。マインドは恐ろしいなあと思う。近所の氏神様や、神社に行けば、普通の人のように手を合わせお祈りする。たいてい何かをお願いする。頭下げて、合掌して、健康とか、周りのひとの幸せとか、何かそういう些細なお願いする。軽くやってるのだが、まあそんな感じ。サニヤシンだからこんなことやっちゃいけないというこだわりもなくなって、形とか儀式とか嫌悪するこだわりもなくなって、みんながやってるようにやる。僕も年取ったものだ。ばからしく感じる時はやらないし、気が向いたらやる。基本的に、困った時には、神社に行ったりはしない。ハートに手を当てるのだ。しかし、気分の良い時の散歩ついでだから興に乗って・・という感じで、神社にはお参りする。子どもの頃から、神社とかお寺とか、そういう処はほっとする。しかし、だいたい祈りというのもわからない。遠隔ヒーリングでお祈りしましょう・・みたいな呼びかけもたいてい無視する。といった不信心ものなんだけれど、OSHOがくれた名前の名字は「神聖」である。愛(プレム)とか至福(アナンド)とかよりも、神聖が大事なのである。それでインドのキルタンなんか聞くと、胸がわくわくする。ハリ・クリシュナとか、ハリ・ラーマとか歌うと陶酔する。しかし同時になんだかなあと思う。先祖帰りしてるみたいな気分になる。子どもの頃に異言の一家で育ち、夜中の三時に強制的に家族で異言を祈ってたという方が、精神世界の探求遍歴の末に、この間 サニヤシンになって、自分で見つけて来た名前の意味は「神聖な無神論者」という。かっこいいなあと思う。そのひとに借りた異言の本の影響で、チャクラジベリッシュの時に異言での祈りをやってみたのだけれど、昨日は真剣にやったので、よかった。それでよかった体験を自分だけにとどめず、ハート瞑想の時間は、もう一度、第七チャクラのジベリッシュをすることを提案した。参加者に、「困った時に、神様助けて」と思わないか?と聞くと、ひとりのひとを除いて、多かれ少なかれそれはあるという。だからそれを表現してみたらどうなるかと、実験に誘う。家族が創価学会だったAさんは、「自分の中に神様助けて」という気持ちがすごくある・・孤立して困ってる」という深い感情につながったようだ。泣きながらシェアしてくれた。いつも鋭い気づきのあるSさんは、「神様助けてとお願いすると、余計に孤独を感じた」と言う。鋭い意見だ。助けてとお願いする限り、そこに分離がある。孤立がある。元キリスト教徒のA君は、「神様助けてと言うと、自分が弱くなるような気がして、思わないようにしている」と瞑想会後の桜見物の時に話してくれた。確かに、第三チャクラ的には、そういうことが起こる。離婚した元旦那が、反宗教論の論客だったYさんは、瞑想後、なんか頭のてっぺんが開いてすかすかする。このままでいいのかしら?と不安げだが、そのまま第3の目の気づきのゲートを開けて、頭から入って来るエネルギーを下に降ろしたら、変容になると勇気づける。そうじゃない限り、いくらパワースポットに行って、上からのエネルギーを感じても、頭に少し入っただけで、変容にはならない。ただの観光旅行だ。遠くからハート瞑想を期待して参加してくれたMさんは、「その時を生きるヴイジェィがいい感じだったし・・」と、思いつきでの第七チャクラのジベリッシュに付き合ってくれた。頭が開いた感じはみんなしたのではないか?瞑想後の桜見物も、ふだんより楽しめたのではないだろうか?チャクラジベリッシュは、チャクラの本質的なエネルギーを制限しているメンタルなエネルギーを解放する素晴らしい方法だ。宇宙と、存在と、神とひとつである一体感を感じる第七チャクラを制限するメンタルなエネルギーとは、まさに一体なのに分離していると誤解して、「神様助けて」とお願いしたり、祈ったり、感謝の言葉を述べるのも、頭の上にメンタルな帽子を載せてるみたいなものだ。「神はいない」「神も仏もあるものか?」という帽子だってある。僕は悟りをくれない存在に対しての怒りが過去生以来何層もあるからと、プラサードに言われて、OSHOの写真に向かって、怒りをぶちまけろと言われて、毎朝鍵をもらって、OSHOアカデミーの瞑想ルームの扉を開けて、一週間怒鳴りまくったことがある。一週間たったらプラサードから伝言が来て、やめてもいいことになったが、あれはすごい一週間だった。自分の欲しいものをくれない存在に対しての怒り、憤り。なんでこのちっぽけな僕の面倒を存在は見てくれないのか?もちろん子どもの頃からの傷も浮上したけれど、多くは過去生から持って来ていたものだった。だからたぶん僕だけでなく、色々なメンタルなエネルギーを第七チャクラの上に被せている。それは第七チャクラだけのことではもちろんない。神様を信じるとか、信じないとか、第五チャクラの信念の問題もあるだろう。しかし第七を意識してのジベリッシュは面白かった。トルコ料理屋の二階で瞑想会していた時に、意識的にイスラム・スーフィズムにチューニングしていたことがある。音楽を聴き、図書館で本を大量に読み、イスラム風のお祈りや瞑想も少しやった。ある時に、チャクラジベリツシュの第七をやると、朗々とコーランのような節回しを歌ってた。二分半トータルにやったら、あっけなく僕のイスラム・ブームは去った。無意識に同一化していたエネルギーが解放されたのだろう。過去世かもしれないエネルギーに、無意識に乗っ取られかけてたのに気づいたら、パタリと落ちた。神はいない。神はフィクションだと我らがマスターがあれだけ言ってるのに、どこか無意識の深いところで、神様を恐れているのも感じる。昨日ジベリッシュをやっていて、失敗を恐れたりする罪の意識の根源は、神への恐れだと感じた。もう大人になって、誰も僕を叱ったり咎めるひとはいないのに、微妙に感じている罪悪感。神様のようなものに監視されているような緊張感は、ハート瞑想を続けてなくなったが、深~いところにある何かへの恐れ。それは日本人の集合無意識的には、神様というより世間様への恐れであるのだろうか?日本人は世間様と言う宗教カルトに洗脳されているといったのは、敬愛するセラピストのスッダで、日本でもプーナでもアシスタントした日本人の脱条件付けのグループでは、仏壇が部屋の中で我々を監視し、僕は警官のコスプレしたり、ヤショダ扮する老母を背負う孝行息子役で、グループ中に闖入したりもして、皆の無意識を刺激した。ホームセンターで買って来た神棚を、最期にキャンプファイアーしながら燃やしたのは懐かしい思い出。あれはすごいグループだった。しかし、こっちに行ってしまうと、第3チャクラの個人の確立のワークが強調されるが、A君が話してくれたように個(イエロー)が確立して、補色のヴァィオレット(第七チャクラ)もはっきりしてくるのだろうか?神戸の北野町には、日本で唯一のジャイナ教寺院があって、大理石ばりで、外国人信者たちの信仰によってか、前に訪ねた時は、確かに神聖な濃いエネルギーを感じた。ジャイナ教は別にヒンズー教ではないので、神さま仏様を拝むわけではないが、寺院には始祖たちの像と瞑想スペースがある。さらに北野町には、モスク(回教寺院)があって、見学もできる(これは未見)さらに少し脚を伸ばせば、大天使ミカエルの降臨しているかのようなエナジーの「神戸聖ミカエル教会」がある。ここは皆のお祈りでもやもやしているだけのエネルギーでない、暖かいエネルギーが確かにある。まず、僕の愛好しているロシア料理で、ボルシチとかの珍しいランチを食べて、ジャム付きのロシアンティーを飲みながら、神様について信じ込んでいる事柄をすべて紙に書き出す。信じていないことも、お願いも、すべて書き出す。そして、まずはジャイナ教寺院に行って、ジベリッシュでお祈りしてみる。どうせ寺院のひとたちには何を言ってるかわからない。小声でつぶやいてもジベリッシュは、咽やチャクラの表面にある制限されたメンタルエネルギーを一瞬のあいだ壊す。そして、帽子のように冠っていた古いエネルギーが解放されて、王冠のチャクラが輝きだす。回教寺院やミカエル教会でも、ジベリッシュでつぶやいてみよう。そして沈黙する。カトリック神戸中央教会(キリスト教)も生田神社もある。歩いて回れる距離なので、歩いてる時は、第一チャクラに呼吸して、上と下をつなげる。などの瞑想をしながら。マントラとかお祈りとか祝詞とか、型と音声で、大いなるものにつながる回路を開き、アンテナのようになる役割があるのだろうけれど、元々大いなるものとひとつである第七チャクラをカバーしているメンタルなエネルギーをジベリッシュで解放して、シンプルに第七を開いてみる。時間が許せば、後楽園の庭園に寄って、芝生の上でシェアリングとハート瞑想。四月はつつじが花盛りだ。大いなる自然と、事物との直接交流をして楽しむ。解散後は、カラオケでも行って、精進落とし。といったチャクラ研究会の課外体験学習。この実験を一緒にやりませんか? 研究者求む。四月中旬日曜日。詳細はまた。
2018.03.30
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今日、時代劇の稽古場のスタジオでワークをして、ビレッシュが忍者の格好で写真撮りに行ったの思い出しました。それでビレッシュのインタビューも思い出した。ちょうど初来日の年に、ガールフレンドと、69歳で生まれた息子と、別れてしまいました。インタビューでもグループでも正直に語ってました。次の年には京都の時代村に一緒に遊びに行って、自分がコスプレしたのと同じ忍者の衣装を買って、息子に送っていたことを思い出されます。しかしその忍者の写真がオランダのヒューマニバーシティーの公式パンフレットに1ページ大で載ってた時は、つくづく彼らのお茶目ぶりと複雑な心境を想ったもんです。今日のチャクラのワークショップで、その時方が参加してくれてたのと、主催してくれたアネーシャを中心に友情の輪があって、それがこのチャクラ瞑想をきっかけで深まっていきそうなので、記念に、記事を再掲載します。なんか場所といい、ひとの集まり具合といい、ただのチャクラ瞑想ワークでなく、ビレッシュがくれたヒューマニバーシティジャパン風のワークをやっていけそうな予感がするのです。写真は忍者姿のビレッシュ。このひとがOSHOからとても愛された、世界一のセラピストでした。●危機の中にいる時に、あなたは何ができますか?ただ人生で起こった事実を受け容れて、時が過ぎるにまかせるという部分もありますか?◎ビレッシュそうですね。危機のときに私がすることで、私の友達全員にもそうするように勧めることは、孤立して、引っ込んでしまわないことです。そうするのではなくて、その状況によって内側に生じる痛みをすべて解放することができるまで、何度も繰り返し分かち合うことです。それは孤立の反対です。私は、自分が大きな危機を経験している時には、それでも一人ぼっちではないのだ、ということを知っていたいと思います。●最近あなたはいつ大きな危機を経験しましたか?そして何が助けになりましたか?◎ビレッシュ私の以前のガールフレンドだったパヴィタと私の息子が、ブラジルへ行ってしまったときのことを思い出します。彼女は私と関係を続けたり、家族になったりしたくなかったのです。そのことは、私の夢、私の期待、私の希望、私の切望、私の欲望を完全に打ち砕いてしまいました。私は真っ暗なブラックホールへ落ち込んでしまいました。そして私を救ってくれたのは、周りに友達がいてくれたことと、何度も繰り返しシェアをし続けたことです。一人でいれば、頭の中で何度もこれを繰り返して、解決までに3年かかったかもしれません。けれど、私は3ヶ月で乗り越えることができました。私は自分が経験していることを友達と分かち合いました。決して友達が解決に至らせてくれることを期待したのではありません。実のところ、彼らのしてくれたことは、私に耳を傾け、思いやってくれたことでした。私はとても愛されていると感じさせてくれたことは、癒しになりました。悲しみと痛みを分かち合ったことは、魔法でした。耐え難い危機を経験している時、私が必要としていることはそれでした。私の友達が、私のためにそこにいてくれる、ということです。この時期、私にとってショックだったことは、ドラッグをやっていた頃の古い記憶がよみがえってきたことです。私は、それはもう消え去ったと思っていました。私の持つ姿勢全体が、まったくどうだったいい、何もかもどうでもいい、というものでした。そのフィーリングを再び経験したことに、ショックを受けました。そして、友達の助けを得て、這い戻ってきたのです。今では、パヴィタは私の友達になり、私は状況をあるがまま受け容れています。●他に何か話したいことはありますか?◎ビレッシュ何年も前に、私は責任ということについてこの概念を学びました。:私は自分が誰かということに責任がある。私の人生で自分が行うこと、私の人生で自分に起こることに、私は責任がある。それを受け容れるのは難しかったことを覚えています。不公平だ、そんな現実は最低だと思いました。今では、責任を取らなければいけないことが分かっています。もしあなたが危機の中にいるなら、ブラックホールに入って、そこにとどまり、外側の世界に不平を言い続けることを選ぶこともできるし、それを踏み台にして前に進んでいくこともできるのです。何年も前、ガンダが私の寝室に飛び込んできて、私を見て、ショック状態にあったことを思い出します。私はベッドからはね起きて、尋ねました。「何があった?」彼女は答えました。「Oshoが亡くなったの。」私は彼女を見て、言いました。「嘘だ。そんなはずはない。プーナに電話をして、問い合わせてくれ。」そして彼女は部屋を出て行きました。そのとき、Oshoが死んだというその考えが、私の胸をぐさりとつらぬきました・・・。私は凍り付いてしまいました。ショック状態でした。呼吸をすることもできず、息を切らしてあえぎました。落ち着くまでしばらくかかって、それから赤ちゃんのように泣き出しました。全世界が止まってしまったように感じました・・・。胸が裂け、心臓が飛び出したかのようでした・・・。私は、ただ、泣きました。周りに友達がいて、分かち合うことができたのはいいことでした。死んでしまいたいという気持ちを感じていました。私は本当に打ちのめされていたのです。私のマスターであり、友人が逝ってしまった・・・(ビレッシュはすすり泣く)そして・・・、今、私はOshoをすべての人の中に見ます。―彼は、私たち全員のハートの中にいます。そうです。永遠に。 ビレッシュ
2018.03.29
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ポカポカ陽気の小春日和の水曜日。アルビナのハート瞑想の記事がananに掲載された日に、大阪でハートチャクラを開くワークをしてきました。大人数ではなかったけれど、素敵な顔ぶれで、瞑想してきました。20年前にPoonaに行かれた方も、瞑想が初めての方も、みなさんとても満足されてました。来月もまた、4月25日の水曜日の昼間に、瞑想の花を咲かせましょう。となりました。来月は、ハートから、第3チャクラの前と後ろ(行動と休息)のバランスを探求します。ひさしぶりのオーガナイズに取り組んでいただいたアネーシャさん、ありがとうございます。会場は、侍パフォーマンス劇団の稽古場件スタジオで、侍カフェというのもされている興味深い場所。広くて大きな音で、エナジェティックに動ける場所で、今後が楽しみです。日本刀もたくさんあって殺陣や演技を学べる処で、忍者アクション、時代劇の出演者募集中ということなので、思わず応募要項を見ましたが、年齢制限がありました。20歳から34歳の男女。残念。時代村でのお仕事もされてれる方もいて、あの世界一のセラピストのビレッシュに請われて一緒に行って、ビレッシュが、忍者の扮装で写真撮ったの思い出します。ビレッシュが生きてたら連れてきてあげたかった笑その方の殺陣で学んだハラへの理解が、サトルボディヒーリグのハラについての理解と同じなので驚きました。いつか日本刀(模造刀)を使って、番外編でハラのワークをシェアしてもらいたくなりました。帰り道、記念に梅田でTシャツを買いました。黄色なんて初めての買ったんだけど、黒い薔薇がヒューマニバーシティ風なデザイン。これ、第3チャクラにちなんで、来月着ていきます。
2018.03.29
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ビハール州の二度とは行けない奥地の村で、世話になったゴパール・ジーが、「日本語ではドロボウとはなんて言うのか?」と聞いてきて、お互い片言の英語で、時間をかけてなんとか意味が通じ合い(というのは、回りは見事に、ヒンズー語しか喋れない人だし、外国人は僕が始めて来訪したというゴパール・ジーの奥さんの実家でのこと)僕が「ドロボウ」と言うというと、ゴパール・ジーはどうやら、僕のトラベラーズ・チェックを、ゴパール・ジーの息子の一人が盗んだらしい・・ということを僕に神妙になって、日本語を使って報告したかったみたいだが、ゴパール・ジーが「ドロボーイ」「ドロボーイ」と言うので、それがおかしくて、お互いに笑い転げてしまった。どうせ満天の星空と、羊の絞りたてのチャイとナンとダル・スープだけで、一日は過ぎてしまう日々だったし、お金なんてしばらく使ってなかったし、かなりの量がなくなったと思うのだが、そして父親のゴパール・ジーはその犯行に関係していたのかしていないのか、わからずじまいだけれど、植木等そっくりのゴパール・ジーは、美人の奥さんとたくさんの子供を僕に紹介するために、どこの馬の骨かもわからない僕の手を取って(実際に良く手をつないで歩いてくれた)長いバスでの旅を共にしてくれて、その上が僕が落ち込んだり心配してると見て取ると、すかさず、「ハレ・クリシュナ♪ハリ・ラーマ♪」なんて歌いだして、絶妙のユーモアのある正体不明のオジサンだったから、もう僕は、盗まれたトラベラーズ・チェックのことなんかより、「ドロボーイ」「ドロボーイ」と言って、笑い転げる風に、その時はスイッチが入っていた。
2018.03.25
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父は学徒出陣の海軍で、終戦間直に、駆潜艇というもの乗っていて、ある時、爆撃され、艇は沈没。三メートル程の板を持って、海に飛び込んだことがあるらしい。それについて、本人が書いた手記がある。「私が歴史にふれた時」というタイトルで、そのクライマックスとも言える一節をここに書き写す。「板の上に腹這いになり両手で水をかきながら、沈没時の渦に巻き込まれないよう、一刻も早く艇側から離れなければならなかった。 思ったより波が大きく、相当離れたところを泳いでいるらしい中尉や兵隊たちの声がかすかに聞こえる。艇は沈んでしまったらしく、姿が見えない。真黒い波が大きくうねってくる海面は、なぜか静けさもあって、七月の真夏でありながら無性に寒気を覚えた。波に漂いながら暗い夜空を見上げると白い丸い月が出ていた。その時、私は死もなく、生もなく、また家も国もなく、たった一人で、波間に浮かんで、なにひとつ考えることもなかった。」●結局、一時間後に救助されたのだが、戦争の思い出話は、聞けば語ってくれるが、このことについては話をしない。ただ、この手書きの手記を気に入った僕に、彼は「お前が持っていてくれ。」と、それを手渡してくれた。
2018.03.25
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>だからあんまり躊躇なく命が大事な方を選んだんではないかと思う。と書いたけれど、圧倒的に無言の圧力で、志願することを強制されるような雰囲気だったんだろうから、それに反抗するのは、そんなに簡単なことではなかったのではないか?大半の人は◯をつけたというし、その後のリンチといい、父は語らなかったがきっとあったであろう後ろめたさといい、どうやって彼は処理してきたのだろうか?つらくても感情に浸るのでなく、頭を振って忘れろと僕にアドバイスしてくれたことがあるタイプだから(まさに浸りきる僕とは正反対のタイプ)なんとかそうやって戦後を生き抜いたのか?(この頭を振るのは、まるでNLPの技法のように実際に数度振って見せてくれた)考えてみたら二十歳前後の一番青春の頃に、こんな選択をして、戦友たちは死んでいったわけだから、退職して暇になってから、猛烈に戦争文学を読んだり、歴史研究の会などに通っていたことの意味も、少しは推測できる。またエッセイ教室に通い、何点か戦争の思い出話も書いている。彼の引き出しの底には、古ぼけた戦友たちの写真が大量にあった。おもしろおかしくしか思い出話をしない人だったから、実際にはどんな気持ちだったかは、わからない。 この「出口のない海」は父が死んでからの作品で、彼は見ていないが、きっと見ていたら辛口の批評だったと思う。終戦後に田舎に帰り、大学が再開するまでの間、古本を集めて、古本屋を起業したという。「酔いどれ船」という名前をつけたという。アルチュール・ランボーの詩からとったという。この僕もまるで「出口のない海」に潜行しているような、あるいは漂えど、沈まずのような日々だから、何かわざわざビンタを受けた父に申し訳ないような気がする。と書きましたが、映画を見たときにかすかに感じた申し訳なさで、実際の父が死んでいった戦友に申し訳が立つほど生を謳歌していたかは、そんなんではないと思いますが、何かこういう発想を持つことが苦しいのだと思う。父も母もそんなに深刻な話ではないのですが、僕が聞きたがったので、たまに戦争の話はしてくれました。それがどんなふうに僕の無意識に影響しているのか、気づく価値はありますね。若いときに世話になったアナキストの向井孝さんは、徴兵検査の前に泥水を飲んで、わざと病気になって前線には行かなかったという。その話は何度も聞いて、それとか兵役拒否したキリスト者の話とかは調べたりしたこともあった 父は晩年の闘病生活で、すっかり痩せ細って余った皮をビョ~ン、ビョ~ンと自分で伸ばしながら、息子に話しかける姿が、キュートで壮絶でした。結局 特殊兵器に志願しなかった僕の父は、訓練が終わると左遷みたいな感じで、呉の軍港で機雷掃除の船に乗ってたそう。それでも一度爆撃されて船が沈没。海に浮かんでたことある話も何度も聞かされた。母は女学生で工場で働かされたと。疎開もいろんな思い出があるでしょうね。父は前線には行ってないからとにかく軍隊の話はたくさん聞いて、それがなによりも嫌で、学校の体育なんて本当に軍隊みたいでいやだったけど、そういう反発の方が原点ですね 僕は戦前から命をかけて戦争に抵抗してきたひとたちに何人もお世話になったりしたので、いまこんな時代になっていることがその人たちに申し訳ないです。
2018.03.25
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再録mixi 出口のない海と死霊 2008年08月01日僕の死んだ父は、大学生のとき学徒出陣というので、海軍に入った。訓練中にある時全員が呼び出されて、「今から特殊兵器の乗組員を募集する。志願するものは名前に◯を書いて、提出すること。一時間の間に考えること。お互いに相談しないこと。」と厳命されたという。名前に◯を書いた者は、その後、「人間魚雷回天」というのに乗り組んだそうだ。人ひとりがやっと入れる魚雷を改造した小型潜水艦で、敵艦に突っ込むのだ。この間、この人間魚雷回天を描いた小説「出口のない海」を読み、それを原作にした映画を見た。父と同じ学徒出陣の主人公は、父と同じくある日呼び出されて、同じ事を言われて、その過程が、父が何度か話してくれた思い出話とそっくりだったから驚いた。違っていたところは、主人公は名前の上に◯を書いたところ。彼は一時間の間、悩みに悩んでいたが、父は躊躇なく志願しないことを選んだらしい。戦局はもう不利になっていたし、特殊兵器とは不吉な気がしたと父は言う。父の父親(僕の祖父)は若い頃にアメリカに歯医者の修行に行って、父は子供の頃シアトルで過ごしたから、どこか日本人離れした合理的なマインドを持った人で、義理人情とか大和魂とかとは縁の薄い人だったと思う。だからあんまり躊躇なく命が大事な方を選んだんではないかと思う。小説と映画の主人公は、結局は事故で、回天の中に閉じ込められ窒息死してしまう。俳優の人がとても大学生とは思えなかったけれど、なかなか良い哀しい味の映画だった。その映画を見て、父から何度も聞いた話ではあったが、初めてその時、父がもし名前の上に◯を書いて、志願することを選んでいたのならば、僕は生まれていなかったのだなあと思った。それは僕にしては珍しい何か不思議な感覚だった。映画には描かれていなかったことであるが、紙切れを提出した後、◯をつけなかった者(志願しなかった者)は、呼び出されて、猛烈にビンタされたらしい。それはそれは猛烈なビンタだっと、父は顔をしかめて言ってた。この僕もまるで「出口のない海」に潜行しているような、あるいは漂えど、沈まずのような日々だから、何かわざわざビンタを受けた父に申し訳ないような気がする。ところで、チベット人のお坊さんが、死のハンガーストライキを決起中らしい。僕はなんとも複雑な気持ちで、親父のことを何故か思い出してしまった。関係ないけれど、晩年の親父とそっくの顔をしている。
2018.03.25
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はばからずもの言うさがも老いぬれば慎しむとなく寡黙となりぬなんて歌を読むと、お爺ちゃんも、はばからずもの言う人だったのかと、血脈を感じる。生涯を娶らず逝きし老友を思いて独り眠れずに居りなんて歌が今日は沁みてくる。依存する相手を探して、今日もRから電話があったが、瞑想ガイド中だったから取らなかった。孫くると電話の声に独り居の部屋ことごとく灯をともすなんて歌を読むと、お爺ちゃんとゆっくり話せばよかったなあと思う。死ぬまで現役の歯医者さんで、「独居老人の孤独」なんてタイトルで講演会もするお爺ちゃんだったから、たまに会う孫は緊張してた。もうひとりのお爺ちゃんは大好きで、よく家出しては黙って匿ってくれた。こっちは在家の修業してたらしく、円満な人格のひとだった。僕の母親に、僕が荒んでいた時、黙って掛け軸を渡したみたいで、母親は意味が分からず、押入れにしまっていたが、形見に僕の手元に来た。真っ黒な背景に金の観音さんが描かれていて、今でもリビングルームに飾っている。闇の中から仏さんが出現するのかとか、あれこれと、たまに思索している。最近は第1チャクラにつながってテルミーを毎日するからますます部屋は抹香臭い。
2018.03.25
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一月ぶりに加古川に。先月初めてハート瞑想を体験した人達だけど、皆なこのかんにハートに手を当て、ハートに気づくことをしてくれていた。ひとりひとりのシェアで、それぞれ生活にも変化があったようで、その後、ハートで聞く瞑想をした時に、部屋のエネルギーの素晴らしいこと。お天気で陽が差して、鳥の声が合間に聞こえる沈黙のスペース。黙っていてもやかましい感じが全然なく、本当の生き生きとした静けさ。ハート瞑想ってすごい!と改めて感じる。もうこれで十分、満足して、このまま帰りたくなったが、踏ん張って、そこから第3チャクラの瞑想に。幸い時間が足らず、パンドラの箱は開けずに済んで、よかった。第3チャクラは色々あるから、最初はさらりとした方が良いし、それでも皆んな満腹そうだった。最後には、チャクラの前と後ろの二元性を超えて、未知なる中心にくつろいで、不思議に落ちついた、とか、言葉にならない、等といった言葉になりにくい体験を皆がしたようだ。チャクラの前と後ろを感じると、結局は、真ん中も感じることになる。何か不思議なものに満たされているのは、顔を見たらわかる。来月の第2チャクラに来ますか?と主催者のSOMAが尋ねると、全員すぐハイと返事する。また一月、ハート瞑想と第3チャクラに呼吸して、来月にはどんなふうに変わってるか楽しみだ。見知らぬ処に呼ばれて行ったりすると、最初は、岩ゴロゴロと草ボーボーの山を眺めて、どこから登攀しようかと、思案にくれる時があるのだが、こうなるともう登りやすい。というか勝手に登ってくれる。意識を拡大する旅は、山あり谷あり、楽チンな道もあれば、道なき道もある。なるべく楽に登る秘訣は、旅する仲間たちがいることだ。お互いにハート瞑想してるなら、お互いをジャジメントしないから、楽でやさしい。侵入しないSOMAが良い感じで、仕切らずに、ゆるいつながりを作ってくれているところに、ゲストとして参加できるのがいい。彼女が耕している畑に、ハートとチャクラの種を蒔き行って、ひと月後に眺めに行ったら、花が一杯咲いてた感じ。クリップボードとクレパス持って、朝からコンビニでコピーした甲斐があった。ガラガラは重いが、助手を雇う甲斐性はないし、柄でもない。また巡業の旅にも出たくなってきた。
2018.03.25
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ものすごく期待していたジェシカ・ジョーンズのシーズン2。 全作品女性監督ということで、趣が違う印象。残虐シーンはすくなく、感性に訴える。 観賞後、なんとなく心に残り、幸薄いジェシカの幸せを願う。 ジェシカ以上に、スーパーパワーを持った母親が出てきて、物語は思いがけず、母娘の絆がテーマか? 虐待ママに育てられた幼馴染の親友パッツィーと、孤児だったジェシカの友情も試され、探偵事務所の相棒マイケルとの間にもヒビが入る。 パッツィーもマイケルも自分に持っていない(能)力を求めている。 から、第2チャクラの親密なつながりよりも、第3チャクラの野心を優先する。 母と娘のDNAのつながりは断ちがたく、自分で選んだわけではない偶然の環境から発生したつながりはあやうく、壊れやすい。 たまたま養育先で出会ったパッツィーや、たまたま隣近所だったマイケルとの関係は終わらせ、ためらいながらも、自ら父子家庭のボーイフレンドとの家族的つながりを選ぶかのようなラストシーンがほほえましい。 なんてったてハードボイルドなジェシカが、食卓を囲むシーンで終わるのだから。 彼だって元犯罪者だし、子持ちのメキシコ人だ。ハンサムだけど、そんなにパッとしてるわけではない。 ただ売れてないけれど、アーティストで、自分にあるささやかな才能につながって実現しようと努力している。 探偵の才能もないのに探偵になりたがるマイケルや、スーパーパワーを欲しがるパッツィーよりも、謙虚でくつろいでいる。 怪物母との血の絆を、どうしようもなく選択してしまうアダルトチルドレンの幼子のようなジェシカ。 母の怪力で殴られても、母を捨てられない顔が痛ましい。 赤く腫れている。 しかし、最後に母から認められ、見捨てられた傷は癒され再生したのかも。 普段なら孤独を選ぶジェシカが、自分からつながりを求めて、ボーイフレンドの家を訪ねる。 今日はどんな正義をふるったのかと聞かれて、 さっき酒屋で強盗に遭って、酒瓶を投げて気絶させたことを報告する。 その程度の怪力とジャンプ力しかないのだけれど、ひとと違うスーパーパワーの持ち主であることに折り合いをつけたかのようだ。
2018.03.22
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ビレッシュは、ニューヨークで生まれ育ち、14歳から28歳までヘロイン中毒者でした。28歳の時、彼はニューヨークのフェニックスハウスという、強烈なリハビリを行う、ドラッグ離脱ためのセラピー・コミューンに入ります。 以下は、ロンドンのOSHOマルチバーシティで1995年9月に行われた最初のグループでビレッシュによって語られた言葉からの抜粋です。 「ヴィクター・ビアンドという名前の男について話をさせてください。彼はフェニックスハウスというセラピーのためのコミューンの指導者でした。わたしの目には、彼はまったくすばらしく映りました。というのも、彼はわたしが知っていた中で唯一、人生を変化させ、ニューヨークでプログラムを行っている、かつてのドラッグ中毒者だったからです。彼はわたしのお手本でした。ビクターが言ったことならどんなことでも、わたしたち皆が言いました。ビクターは「われらの男」だったので、もしビクターが「飛べ!」と言ったら飛び、「進め!」と言ったら進みました。わたしたちは彼を愛していて、そこまでの関係を持っていたので、それこそがわたしを変化させたのです。わたしという人間、そしてわたしの関係性を。彼は、わたしにとって「あんな風になりたい」と言うことのできる人でした。わたしには最初、それが必要でした。なぜなら、自分が誰かということが分からなかったからです。わたしにとって「感じる」のは、いつも麻薬を打っているときでした。それだけが14年間のすべてで、それからこの人に出会い、彼はわたしの腕をつかんで、「私にできたんだから、君にもできる」と言ってくれたのです。わたしは彼が好きだったし、彼を信頼しました。そして、彼が言ったことは真実でした。彼は、わたしがそれを自分で見ることができる地点まで手助けしてくれたのです。 今、あなたたちはトレーニング・プログラムを始めようとしています。まだ問われていない質問に、答えさせてください。セックス、関係性…関係性とは何でしょう?お気に入りの人を引っつかんで、背中越しに放り投げ、洞穴に住んでいた野蛮人のように引きずっていくこともできます。それが関係性のある部分です。もう一つの部分は、これです。個人として、幸せでいる権利を持ち、自分がまさに望んでいることを人生で行い、自分にしかけられたネガティブなゲームは決して引き受けない-なぜって、どんなことであれ、あなたがすることは素晴らしく、あなたは一人の個人だからです。 あなたは関係性を持つ必要があります。関係は必要です。わたしたちはつながる必要があり、いつも人とつながって、たくさんハグし、たくさん語り合い、言葉を使って交流する必要があります。今日の関係は素晴らしくても、明日には不愉快かもしれません。けれども、それはそうあるべきなのです。だからこそ、わたしたちは関係の中に入っていくのです。 -そうすることで、自分がもつ嫉妬や所有のゲームに働きかけることができるのです。 わたしは関係性を必要としています。わたしは関係を構築します。自分には人が必要なのだということに気づいたので、わたしはいつも人とつながっています。今では、薬の代わりに人を注射しているのです!それがわたしを生き生きさせてくれるので、わたしはいつでも人とつながります。恋人や、愛する友人たちのおかげで、わたしは自分自身を知ることができます。自分が望んだものすべてを、この地上で持っているとしましょう。けれどももし、あなたがそれを分かち合えないのだとしたら、そこにどんな良いことがあるというのでしょう?もしあなたが洞窟の中で座っているのなら、そこから出てきなさい! 関係性における唯一の責任とは、愛することです。それが、あなたの与えなければならないもののすべてです。もし喜んで与える気持ちになれないなら、あなたの持っている否定性をどこか別の所で吐き出してください。木や、山や、神に向かって叫んでください!最後には、それは、本当に自分自身と関係を持つだけの量に達します。 人がグループに来て、トレーニングをする理由の一つは、自分が孤立していると感じるからです。孤立とは美しい言葉です。その響きには尊厳があるからです。孤立は、あまりにも痛みがありすぎて、扉を閉ざした時に起こります。呼吸することもしないし、動くことも、音を立てることもしません。それは、私たちが子どもの時にすることができた、唯一の防御でした。痛みを経験しな いですむ、たった一つの方法だったのです。だから人はこんなに大きな孤立を持って、グループに来ることになったのです。「あなたは愛に値する」と言っても、彼らは信じません。「あなたはブッダだ」と言っても、信じません。孤立を突破する一番の方法、それは人と関係することです。あなたが抱えている痛みの量は、あなたに必要な愛の量と同じです。もしそれがはっきりしなく ても、愛を過剰摂取してみてください。あなたは自分のマインドと、自分がが持つあらゆる否定性を清算しなければいけません。 あなたは生きるために、そして自分が愛に値するということを理解し始めるために、人々を必要としています。何十年も前、ヴィクター・ビアンドは、私の手をつかんで、私にもできると言ってくれました。私は瞬時の変化を支持します。自分の人生に危機を作り出してください。何かを待っていてはいけません。もし自分の仕事に疑いがあるなら、それを落としなさい。関係性に疑いがあるなら、それを落としなさい。もしあなたが本当に望んでいるなら、それを維持し、発展させるために戦いなさい。まったく関係性を持っていないなら、人々と出会いなさい。素敵な、愛にあふれた人たちと。トレーニングに参加して、同じボートで人々と出会ってください。沈むことも、泳ぐことも、共にしなさい。
2018.03.22
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一年前にフェスブックに書いた記事です。 土日にあったアルビナのグループを手伝いました。 愛、受容、慈悲というタイトルのもので、最期に慈悲につながる瞑想をしました。 その時、ちょうど「愛も受容も僕は何んにもわかってないなあ・・」といったマインドに襲われていたのですが、いつまでたっても愛も受容もわからない僕自身に、慈悲の気持ちをもってみようと瞑想してみました。それがすごくよかった。 アルビナの説明では、慈悲というのは、愛と共感のフィーリング。痛みがあっても、それに対して、何もできないという気持ち。 何もできないけれど、慈悲を感じれる。 まさにそんな感じで、自分自身に慈悲の気持ちを向けました。 金貸し婆さんを殺したわけでもないのに、金貸し婆さんを殺したのは僕なんだと、と叫びながら告白して大地に接吻したいような衝動が、雑踏のなかを歩いているとやって来るときがある。 同時に、金貸しどころか、自分自身を(押し)殺して、歩いて、生きてるんだけど、まるで死んでるように歩いている人々の群れ(人類)に、何もできない痛みを感じて、胸が張り裂けそうになることがある。 中学生の時に、寺の息子でもないのにフォークギターで節をつけて、衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成 と歌ってた。 地上にいるあらゆる生き物をすべて救済したいし、煩悩は無量だが、すべて断ちたいし、法門は無尽だが、すべて知りたいし、仏の道は無上だが、かならず成仏したいんだという気持ちを、たぶん生まれたときから強く持って来たような気がする。 しかし少年老いやすく、学成りがたく、もうそろそろ本当に成仏しそうな年になってきたのに、未だに、愛も受容もわかったようでわからないと感じる時がある。 自分にそういう強い気持ちがあることも忘れて、夜中まで、ウォーキング・デッドの新作を見てどきどきしたりしている。 最近はアイアン・フィストがお気に入り。 瞑想か、アイアン・フィストの続きを見るか、と選択すれば、続きを見てしまう。 そんな自分は受け容れているが、深~いところで、未だ悟っていない自分を責めている。 それだけでなく、悟りを開いて、衆生を救済していない自分を責めている。 ひとびとの苦しみを感じる。 ハートを開けば開くほど、ものの哀れを感じる。 生きとし生けるものは、救われず、煩悩は無尽で、原稿の締め切りも守れないのにアイアン・フィストを見てしまう僕。 そんな僕自身と、人類の苦しみが、ごっちゃになって、圧倒的にその瞬間迫って来て、涙があふれ、慈悲を感じた。 なにもできない。 慈悲。 すると頭の中はマジェンタカラーみたいな色になって、驚いた。 なんとなくぼんやり、としたイメージで、ただ黙って佇んでる仏像のような映像も浮かんだ。 それから、瞑想の中で、二十数人の人が、慈悲という本質につながっている場にいるのだと感じて、感動した。 グループの最中は、給湯室でお湯を沸かす時間が多くて、喋っていない参加者も多いのだが、慈悲という本質につながっているみんなとのつながりを感じた。 僕の慈悲とか、誰かの慈悲とかいうものでなく、慈悲という大きなものにみんながつながっているそのつながり。 僕もその大きなものに属している。 最期にアルビナが「慈悲を感じて、そして信頼につながります」と言った。 するとまた扉が開いた。もっと光りになって、目を開けたら、そこは地上天国ではなくて芦屋市民センターだが、美しかった。 帰り道、「未だエンライトメントしていない自分に慈悲を向けた」と喋ったら、アルビナが「good」と言ってた。 なんてたって、その僕のこだわりについての形而上学的手術のチームの担任の先生だ。 ひと言でわかってくれた。 ありがとうといってハグして別れた。 ありがとうアルビナ。
2018.03.21
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3.11からもうすぐ7年間もたつ。7年前ならば、では記念に「聖なる地球の瞑想」でもする集まりを開くか、などと考えただろうが、7年間もたったということは、僕も7年ぶん歳を取り、気楽に企画するフォトワークの軽さは失った。あるいは7年分の低線量被曝で、知らず知らずに元気を失くしてるのかもしれないが、ぶらぶら病は、昔からで、放射能のせいにはできない。だがウクライナ人も日本人も変わらない人間なのだから、弊害がないとは思えない。われわれは7年間も放射能の出ている国にいる。日本って特別な国だなあ。日本に必要なのは、『新しい人間』の誕生へと向けて人類を導くことができるよう、その創造性と反逆と意識を再び開花させることだ。OSHO
2018.03.11
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ケンタッキーの炭鉱から、カリフォルニアの太陽へボビーは私の心の秘密を分かち合ってくれたいろんな天気の中を走りぬけ、たくさんいろんな事をしてすごしたそう、ボビーが私を外の冷たい世界から守ってくれていたのよそしてサリナスの近くまで来た日、私は彼が去って行くままにした彼は故郷を求めていたし、私もそれが見つかればいいと思ったのでも、本当は、彼の体にぴったりくっついていられるんだったらそんなたったひとつの昨日を手に入れられるなら私の明日を全部売ってしまってもいいとまで思ったわ自由って、失うものが何もないってことねボビーが私に残してくれたのは自由、でも自由だけで何もなくなっちゃったでも、気分がよくなるのは簡単よ、ボビーがブルースを歌ってくれればそれで気分がよければ、私は、それで十分それでよかった、私と私のボビー・マギーには(ME AND BOBBY MCGEE (Janis Joplin) 僕のBOBBY MCGEE は、このたび遠くに行く。♪うらぶれた炭鉱から南の街へ 魂の秘密まで分け合って♪ いたけれど、大丈夫、電車でたったの二時間だ。
2018.03.10
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アチャンボーの家に残ってたお米をもらった。ちゃんと食べなさいというメッセージかな。ありがとう。今日は良い時間をPさんと過ごせた。
2018.03.09
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第一チャクラトレーニングについて、ユニティインスティテュートのメルマガに書きました。長文ですが面白くて一気に読めたと評判です。軍隊調の起立礼を強制される体育の授業は大嫌いだった。球を投げたり打ったり蹴ったりするのもまったく興味が持てず、野蛮なガキ共と遊ぶのも嫌で、家で本を読んだり、絵を描いていると、外で遊んで来なさいと母親から追い出されたことはトラウマになって、大人になってからサイコドラマをしてもらったことがある。そんな僕だが、逆立ちは得意で、三角倒立しながら漫画読んだりお菓子を食べてた。ガンジス河に行った時には、長時間ハタヨガをしているひとたちを見て、懐かしいような恥ずかしさを感じた。「それではどこにも辿り着かないよ」という強い思いが胸から湧いて来たから、ヨガ行者の過去生があるのかと思いきや、やはり子どもの頃は理由もなくくるくる回るのが好きで、倒れるまで回ってたから、スーフィー行者だっのかもしれない。かと思えば、押し入れに自らこもり暗闇のなかにいるのは大好きだったし、運動の苦手な僕が、潜水だけは得意で、あの耳の中がシーンとする感覚を求めて、お風呂のなかでもよく潜ってた。柔道や剣道もかじったが、黙祷というのは嫌いだったから、いわゆる目を瞑ってする瞑想というものに、うんざりしていた過去生が長いのかもしれない。リーラのグループで、自分で見た過去生は、やはりガンジス河のほとりに住む頑固そうな孤独な老人で、うず高く積まれた書籍の山のなかにいて、ホロスコープかなにかの研究をしているみたいだった。時々、窓から野良猿に餌をあげる。ガンジス河には野良猿がいる。その猿しか友だちのいない老人。今の暮らしも学者みたいなものだ。時々セッションで人がたずねてくる以外は、猫にご飯をあげながら、学者のように暮らしている。プラサードからは、何世も何世も探求して来たと言われる。特に禅のひとだったらしいが、今生では禅にまったく関心がない。古くさい感じがするのだ。それでプラサードから、中心だけを求めず、中心を生にもたらすことを、もうかれこれ20年以上も導かれ続け、まだもたもたしている。エッセンシャル・ライフ・コンサルティングは、内側と外側の統合のセッションだから、まさに自分のテーマにぴったりで、何年間も力を入れて、そのセッションばかりするようになったら、すっかりSkypeで座っていることが多くなって、気がついたら一日中家にいることも多い。自分のチャクラを感じるに、第一チャクラに気づきがなく、セッションが続いたらご飯を食べるのも忘れて、夜中になっていることもあるし、色んなビジョンはあるけれど、現実化するのは難しい。週に一回クンダリーニ瞑想をして、シェイクとダンスをすると元気になるし、暑いとか寒いとかあまりわからない僕が、電気を付けたり消したりして、瞑想の環境を整えることをするのも、修行みたいに苦手だ。ほんとうは瞑想なんてどこでもできると思ってる。それで、チャクラ・トレーニングの第一チャクラを再受講することにした。これ以上もっと上にのぼるには、第一チャクラの資源につながるしかないとつくづく感じていたからだ。チャクラ・イベントをやることで、自らも学び、去年は一年間サトルボディヒーリングの研究会も続けたし、リアルにそれを感じだしたのだろう。このままでは、猿の餌をあげてた観念的な老人の二の舞である。ほんの少し他の人よりは秘教的知識を持っているが、世間と交わらず、しかめっつらの頑固な老人・・・幸い、第二チャクラのリズムに気づき、長年の、ハート瞑想のおかげで、孤独ではないけれど、第一チャクラはだめだ。そうはいっても、ゾルバ・ザ・ブッダを提唱するOSHOの長年の弟子だし、ボディワークなどの素養もある。若い時は「心と身体の出会い」なんてワークショップにはずいぶん通った。恋愛もたくさんした。太鼓の音と共に脚をどんどこ踏みならすワークショップなんか何度も受けたし、自分でもしてた。しかし、人生体験と瞑想のお陰で、身体もマインドも自分ではないという境地は深めが年とともに大事にしていない身体はガタをきたしている。ここらでなんとかしないともうだめだと藁にもすがりつく思いで参加したが、アルヴィナの優しい語りり口と、トーショーの通訳に安心して、すっかりくつろいで、春の陽気にぽかぽかするようなトレーニングだった。ハートから第一チャクラ(身体の)エネルギーを感じることを手取り足取りガイドしてもらった。振り返ると、パーフェクトな進行だ。そして、このタイミングで、第一チャクラにやっとつながれたも、僕にとってはパーフェクトなタイミングだったのだろう。トレーニングの二日目、身体と対話して身体を無視してきたことを許しを請うエクササイズがあったのだが、僕の身体は、長年自分を無視してきた僕に対して、簡単には許してはくれず、怒りと言うよりも、恨みで石のように固まってた。その恨みを感じてたらお腹が膨らんで来たから、最近お腹が出ているのはそのせいかもしれない。恨みつらみこだわりしこりが、癌になったり腫瘍になったりするとは聞いたことがあるが、自分に対する身体を大事にしてくれない怨みが、病気を創るのかもしれないと思って驚愕した。考えたら当たり前の話だが・・そしてさらに驚いたのは、エクササイズで許してくれと言ってる僕が、ほんとうに心の底から「君を無視して悪かった」と言っていないことだ。まるで資本家が労働者を抑圧するように、この身体と言う下層階級の復権を否定ている。これでは身体の方も、許す気持ちにはならず、石のように固まるだけだ。その日はもんもんとして終わり、答えはハートにあるような気がして、次の日にアルヴィナにシェアした。たぶん僕のエネルギーについてはぼくよりわかってるアルヴィナにはみな言う必要もなく、「あなたの言うように、マインドと身体は出会えません。ハートだけがそのふたつの葛藤を包み込め、溶かしてくれるでしょう」と言ってくれた。僕は少し泣きながら、「長い間、こんなことをやってきたのに、できるかなあ?」と不安と弱気にるのだけど、「そうほんとうにあなたは何世紀も(やっぱりまた言われた!) その戦いをしてきたけれど、ハートには時間はないし、それにハートは忍耐強いことを知っているでしょ」と言われて、僕のシェアは終わった。「ハートがあなたの人生を変えて来たことをあなたは充分経験しているのだから、ハートがあれば、身体との関わり(第一チャクラ)を変え得ることを知っているでしょう」とも。その後も一歩一歩、ハートから第一チャクラにつながる瞑想が続き、第一チャクラの中心につながり、それを、第一チャクラの表層のエネルギーにもたらした。不思議なことに第一チャクラのエネルギーにつながると、実際的実務的な発想が浮かぶ。この有限な、時間という世界のなかに存在する、身体を使うには、時間も大切にしないといけない。まるでインド人のように永遠の時間感覚のなかに住んでいることが多い僕にとっては、電車が一本遅れようが、二本遅れようがノー・プロブレムなのだが、この身体は限定的なものだ。トーショーとお昼休みに寄った古本屋さんで、「自営業者の老後」という漫画を見つけて買った。「おひとりさまの老後」とかに当て込んだ漫画本だが、「フリーランスが死ぬまで幸せに生きるために今できること」と帯にあって、年金とか保険とかそういうことが解説されている。こんな本が目に入って来て、それを手に取り、買って帰ったなんて、僕を知っている人はひっくり返るくらい驚くはずだ。今までまったく縁がなかった世界だ。もしかしたら過去生からも。この原稿も締め切りの二日も前に書いている!! 書き終えたら、たまってる請求書を書こう。お腹もすいたから何か食べよう。肩が凝ったから体操しよう。そんな当たり前のことが僕には一番遠かったのだけれど、ハートを感じながらならできそうだ。ありがとう。アルヴィナ。ほんとうに感謝してます。辻本ビジェイ 記ハート瞑想ティチャーチャクラ・イベント・ティチャーhttps://mysticunion.wixsite.com/chakra開催予定のイベントhttps://mysticunion.wixsite.com/chakra/blank-9
2018.03.09
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中学生の時に、三浦久のフォークソングを聞いて、そのなかの一節の「衆生無辺誓願度 (しゅじょう むへん せいがんど)煩悩無尽誓願断 (ぼんのう むじん せいがんだん)法門無量誓願学 (ほうもん むりょう せいがんがく)仏道無上誓願成 (ぶつどう むじょう せいがんじょう) というのをギターでよく歌っていた。 ついでに白隠禅師の座禅和讃も何故かギターで節をつけて歌ってた。 これは後にヒッピーの間でも歌われてることを知った。 ちょうど神田川とか流行ってた頃で、せっかくギターを覚えたんだから、同棲の経験のない若い僕には神田川を歌ってもまだピンと来ない。 なぜだか、上記の自分で作った曲を歌うとピンと来た。 あと一曲、タゴールの詩に曲をつけたのはずっと後。18くらいの頃だろうか。 「もしあなたを見ることなく、生きながらえているのなら、忘れることなく悲しみを持て。眠っても夢見ていても。」といった詩で、たぶん石油備蓄基地反対の南の島のコミューン無我利道場のポンの本棚で見つけたか、部族新聞に載ってたんだろう。 これは三十歳でPoonaに行くまで、一番の僕の持ち歌だった。 3.11の後、ボブを招いてコンサートしたら、ボブもこれに曲をつけていてびっくりした。 ボブの歌詞にはないのが、僕のやつには「夜が光への願いを忘れられないように、嵐が平和を打つにもかかわらず、その心では平和を欲するように、あなたに逆らうけれど、私はあなたが欲しい」という絶唱がつく。 「この世の市場に多くの日々を過ごし、多くの富が手に積まれても、何も手に入れてないことが心に残れ。もし歩き疲れ道の上に座り込み、埃に骨折って、床を広げるなら、すべての道のりが残っていることが、心に残れ」とタゴールの詩は、神との合一が起こっていない、分離の悲しさが、スウィートだ。 OSHOタロットでは、46. 探すこと、求めること、探究すること で、タゴールのことが述べられているが、ある時、プラサードからこれこそあなたの一枚だ、と言われたことがある。 和尚の世界では、分離の悲しみにメロウに浸るより、愛と笑いが大切だから、あんまりこの歌は歌わなくなった。 しかし、この世の市場に多くの日々も過ごさず、多くの富も手にしてないのに、若い時からそんな感じだった。 タロットにあるように「私は何千もの生にわたって神を探していた」のかもしれない。 そのくせサガプリアからは、これがあなたの一枚だ、と言われて渡されたカードは、「瞑想」。 例の傘をどこに置いたのか忘れてる禅僧の話。 ワークショップの休憩時間に遊んでた時のことだ。 遊び時間にも彼女は一撃をくれた。 いまだに今日も、切符をどこのポケットに入れたのかわからずに、改札口で大慌てだった。 もうひとつだけあった僕の持ち歌は、ジャニスの「ミーアンドボギーマギー」の日本語版。「自由というは失うものが何にもないことさ」と何度歌ったことだろう。 で、今日もまた切符を失くした。それはまったく自由でないが、まあいいか、という自由もある。 神と合一と瞑想の弁証法的発展が、課題であるが、誠に仏道の請願は成り難し。 ハート瞑想とアクティブ瞑想の会日程 3月15日(木)時間 18時から21時30分会場 芦屋市民センター幼児室(最寄駅:阪急芦屋川駅、JR芦屋駅)講師名 VIJAY(辻本)連絡先 http://mysticunion.wixsite.com/devaハート瞑想と第二チャクラ研究会日程 3月18日(日)時間 10時から17時会場 大阪北浜駅すぐ講師名 VIJAY(辻本)連絡先 https://mysticunion.wixsite.com/chakra
2018.03.09
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「肉体の病気だったら、お医者さんが、どの内蔵が悪いのか、診断して、治療をする。サトルボディの病気なら、どのチャクラが問題なのか診断して、ヒーリングする。 あななたたちはチャクラの医者になりなさい。お薬は、瞑想。それを処方したらいい。」 というプラサードの言葉がはまった。 そういえばチャクラを診断するドクターみたいなひとだった・・と過去生リーディングされたことがある。 過去生の記憶はたくさんあり過ぎて、それもあるし、あれもあるし、いろいろあるのだが、祖父は歯医者で、100歳で亡くなる直前まで、応接間に歯医者の椅子を置いて、昔なじみの患者さんを治療してた。 妻に先立たれて、「独居老人の孤独」なんてテーマで講演をしたりする街の名士だった。 教育委員会の委員長をやってたり、怖いひとだったが、特に怒られたことはない。 父親も誰も歯医者は継がず、さみしい晩年だったが、短歌の本を何冊も出してた。 木村拓哉のドラマ(日曜夜)のA・LIFE というのを見ていて、暗黒舞踏の田中眠の演じる寿司職人が父親役で、息子のキムタクが外科医のドラマが、なかなか好きだ。 キムタクが格好いい天才外科医でなく、父親譲りの努力する職人型の外科医のところがいい。 診断して、治療法を研究して、ミーティングして、手術して、論文書いて、人間家関係があって、経営のこともあり、お医者さんってすごいなあと素直に思う。 十数年前にバイクの事故で骨折した時以来、お医者さんというものに行ったことがなく、それ以前も、子どもの時以来、お医者さんに行かなかった僕としては、お医者さんの現場も知らず、妙に感心する。 父親は「自分は努力したことがない」と公言していた天才型のひとだったが、手帳に「小咄集」なんかをメモしていたから、あのおもしろくないジョークは努力の賜物だったのだろうか? 田中眠や埴谷雄高に似ているハンサムだったが、頭が禿げててひょうきんだった。 丸顔で、団子鼻で、ちょび髭はやしてた祖父は、どっちの型だったんだろうか? 若い時に渡米して歯医者の技術を学んで、アメリカで長男の父を生み、船で帰って来た。 その父が大学生の時に、学徒出陣で戦争に行ったわけだから、歯医者の修行というのは、大正時代。明治生まれのひとだった。 受診待つ人多ければ歯科医我れ足もと軽く診療所に通う が昭和五十一年の歌で、この頃に歌の創作をはじめ 受診待つひとを思へど日の当たる朝の堤を遠回りして行く あとをつぐ子なきがままに荒れはてし我が診療所は残照に立つ 東京に総義歯学会の研修あり八十二歳われ申し込みを書く 学会に出でて思うかな我れより老いし人は稀なり 良き義歯を作らむとしてアメリカに学びたる日も遠くなりたり 白浜にインプラントの学会あり八十三歳若きらと学ぶ よく噛める義歯作ることそのことが聖職なりと近頃思う 休診日を冬陽さす縁にくつろげば明日にも職をやめたしと思う 後を継ぐ子のなきが故に寂しくも四十五年の歯科医院閉づ 職ひくと告げなば古き患者らは涙にうるむ目をあげ給う は昭和五十六年の歌。八十五歳の時。 その後、妻が先立ち、ひとり暮らしにこだわり、 病む妻を看取りて過ぎし八年は亡き今よりも幸せなりけり 生きていて独り酌む日もいつまでか仰ぐ夜空に天の川さゆ 語らふに人なき家の秋の夜は剥製のごと座りていたり といった歌が続き 独り居れば檻のなかなる熊のごと首うなだれて畳を歩く という歌はなかなかのものだと思う。 残る生(よ)をいのち新たなれひたむきに歌学びせむ道の遥けき と歌作りを学びに、和歌山から大阪に通って、だんだん歌がうまくなったし、エネルギーも湧いて来たようだ。 祖父の本には、歌人の前登志夫氏の序文を書いていて、 「ご本人はつつましく何も言われなかったが、若い日にアメリカで義歯の技術を学び、日本の草分け的な存在であったらしい。そのひとにして、「我が技(わざ)のいまだつたなきままにして恥多きかも職を去るいま」と謙虚に述懐される。」 とある。 「我が作りし義歯よく噛めるお礼にとうけたまわりし大根太くみずみずし」 という歌は、もっと習作を積んだ後のもので、診療所を閉めた後の孤独な独居老人は、応接間に歯医者の椅子を置いて、昔からの患者さんに請われての治療を亡くなるまでした。 診療所もなく、引っ越してからは特別なセッションルームもなくなった僕も、最近はリビングルームでセッションをしている。 渡印し、渡米して、草分け的に学んでも来たし、僕より若い人も多くなった研修にもいまだに通っているが、祖父のように町の名士ではもちろんない。 しかし、チャクラのお医者さんとして、瞑想という薬を処方することは、謙虚に、やり続けたいと思う。 お正月の挨拶が終わったら、近所に住んでいた南方熊楠について突然語りだし、粘菌の話を何時間も聞かして、孫をうんざりさせるような空気を読まない人だった祖父が、どこかで応援してくれているように思う。
2018.03.08
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ネットで格安ホテルを探して、ほんとに格安のを見つけた。どうせ東京のホテルはどんな処も狭いし、この間はカプセルホテルで6000円以上したから、その半額もしないでワン・ルームでベッド、エアコン、テレビ、wifi付きだから、ちょっと怖いがここに決めた。写真を見るとコンパクトだがきれいそうだ。ホテルでなく、ホステルというのが気になったが予約した。横浜のへんで中華街の側だから、まあトレーニング会場に距離も近い。行って見ると、それは寿町という当たりだった。ネットからの住所ではわからなかった。東京の三谷とか大阪の釜ヶ崎ほど有名でないが、日雇い労務者のひとたちが多く住む町。いわゆるドヤ街というが並んでいる。 つまりドヤ街のドヤに申し込んだのだ。しかし、若者も中国人も旅行者が多くいた。ただし、路上でワンカップを飲んでる労務者風のひとたちもちらほら。といってもお爺さんが多い。ビルの管理人室のような受付は閉まっていて、紙に書いた今日の宿泊者の名前の番号の部屋に勝手に行く。明日、早く立つなら封筒に鍵とお金を入れてポストに入れろとのこと。えらく自由だし、誰もいない。しかし、廊下も部屋もきれいで掃除は行き届いている。長く滞在するひとのための煮炊きの場所があるのがちょっとビジネスホテルとは違う。部屋は狭いが、もっと狭いビジネスホテルもある。布団がなんだか冷たいのは気になったし、夢で暴力団風の夢を見たけれど、これは僕の無意識がワークで揺すぶられたのだろう。しかし空気中の思考の雰囲気はやはりめでたくはないし、暗く、貧しい。寿(ことぶき)の感はない。三分間百円のシャワーは、最初冷たく、インドを思い出した。インドは初めて行った時は驚いたなあ。楽しんでいたつもりだけれど、感覚を遮断することをあそこで覚えたのかもしれない。僕の貧しい第一チャクラを表しているようなこの部屋で、布団は冷たいし、なんとなく緊張するから、感覚を閉ざして眠るようにした。そしたら暴力団の夢だ。窓を開けるとビルの隙間で、隣の中国人と目が合って挨拶してほっとする。きれいなんだけど、この狭さは刑務所みたいだと思う。それと同時に、ビレッシュが刑務所でも花を飾って部屋を綺麗して楽しんでた話を思い出す。だいたいオランダの豪邸から、日本の僕の狭い部屋に滞在したんだから、刑務所みたいに感じたかもしれない。それでも綺麗に部屋を飾って、庭まで色々と手入れしてくれて、帰った後は来た時よりも、部屋のエナジーが美しくなってた。 どこでもパラダイスにできると言ってた。それはビレッシュがいつでもパラダイスだからだけれど、それをどこでも創り出しなさいと言ってた。ということを思い出して、布団もたたみ、荷物も整理して、しかし、ますますこぎれいな刑務所みたいになってしまった。うちのお母さんはひどいひとで、道ばたで座ってる労務者風の人や乞食を見たら(僕の小さい頃の東京には乞食がいた)勉強しないとあんなひとになるわよ、とよく脅された。その通り勉強しなかったから、そんなひとになってしまった。たぶん中国人や若者旅行者からしたら、僕は本格的な住人に見えるだろう。次の日の朝に、受付のおばちゃんと気軽に話して(ホテルのフロントというやつ)そのおばちゃんが母親に似ていたから、ひさしぶりに母親を思い出した。この気楽さはいい。道ばたで座ってるお爺さんたちは、勉強していないから、頭は良さそうに見えないし、アルコールとかで鈍っていそうだけれど、かといって、第一チャクラにつながってるふうには見えない。身体とか、生存とか、お金とか、物質とかを大事にしないから、路上生活になって、どや街に住んでいるのだと推測する。年を取って身体が曲がり、重そうで、つらそうで、肉体労働も大変だろうし、仕事もなさそうだ。しかし、電車に乗ったら仮面をかぶって、重い身体を運んでるたくさんのひとたち。小さな画面を見て、耐えている。ハート瞑想で、第一チャクラにつながり、抱きしめようとしたら、町で出会った人々の姿が浮かび、まいったなあ。みんな愛が足りない状態で生きている。都会暮らしのボンボンの僕が、再処理工場計画を押し付けられた南の島での反対運動コミューン暮らしにあこがれて、漁師や百姓をしたのははるか昔。 ヒッピーのポンが、ヴィ・ナロード(人民の中へ)というロシア革命前期の合い言葉をスローガンに、若者たちをたぶらかした。たぶらかされた僕は、結局自分も正真正銘のナロードになって、60にしてドヤ暮らし。といってもたった二日間の宿だったが、色んなことを考えさせられた宿だった。ちょうど第一チャクラのトレーニングの再受講だったから、考えさせられた。とわいえ二日目の朝、階段の踊り場の喫煙所で、中国人旅行者と一緒に煙草の煙を噴かしていると、ふと、「住めば都」という言葉も浮かび、その気楽さから、今度東京に行く時にまた使ってもいいかなあと思ってしまった。へたにハートがあるとこれだからいけない。何しろトレーニング受けて、新幹線と、ホテル代だけで十数万以上は軽く飛ぶ。今回のトレーニングにはそんなにリッチそうなひとはいなくて、行きも帰りも高速バスを使っているひとたちが多かった。僕はといえばナロードニキとか言いながら、行きも帰りも新幹線を使い、しかし新幹線だって疲れ果てていぎたなく寝てるか、小さな画面を見入ってる壊れかけたロボットみたいなひとたちの群れで、つまり愛を知らないひとたちだった。グリーン車には愛があるのかなあ?アルビナのトレーニングは、内容は第一チャクラがテーマであったが、そのアプローチも雰囲気も、天国のようだった。まさに瞑想特急のグリーン車だ。かたやかっては「どっこい人間節 寿 自由労働者の街」なるドキュメンタリー映画まであって、様々なドラマのある街だったろうが(実は10代の時に見た覚えがある)いまは高齢者とバックパッカーの街になった宿から、自分の貧しく抑圧された下層労働者階級のような第1チャクラをありのままに、受け入れ、寿ぐ(ことほぐ)トレーニングにぴったりだった。我が肉体(第1チャクラ)への気づきのなさは、過去生以来の探求の結果としてある。中心の空(くう)の意識ばかりを追求してきたかららしい。禅の過去生がたくさんあるとプラサードは言っていた。そういえば、このシンプルでコンパクトなホステルの名前は、ZEN ホステル だった。ちょっと名前に惹かれて選んだところが恐ろしい。僕も含めみなマインドの牢獄の囚われ人だ。肉体はまさに肉体労働者だ。60年代のように肉体の復権とか言って、マインドの権力を奪取して、プロレタリア独裁を図っても、そんなのしんどいし、マインドは許さないだろう。ハートが鍵だろうが、それはについてはまた。
2018.03.07
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ユニティインスティテュートのメルマガに原稿書いてました。明日までにまた書かないといけない。この週末は、サトルボディヒーリングトレーニング改めチャクラ・トレーニング三日間に、再受講ということで東京に行ってきました。身体とハートが初めて出会った感じです。身体と心の出会いなんてのを30年前からあれこれ学んできましたが、いつの間にか身体も心も自分でない・・という方向に進み、やっとここに来てこのタイミングで身体とハートの出会いを少し知りました。正確に言えば、僕の場合は、ハートが身体とマインドの葛藤を包み込んだということかな・・何十年前の探求では、うまくいかなかったのは、マインドと身体の出会いだったからかしら。三十年というか、生まれてから六十年のさまよえるさまよいの呪いがやっとハートによって少し解けたように感じました。僕にはここまでの遍歴が必要だったのでしょう。普通の人と逆のプロセスかもしれないけれど、今のタイミングで身体につながるのが僕のタイミングだつたのでしょう。肉体を無視することを何世紀もしてきたそうなので、今生だけでも肉体という有限の時間のなかに存在するものを愛するには、もうあまり時間は残ってませんが、肉体の歩みのように一歩一歩ゆっくりやるしかありません。幸い無限の時間感覚の中にいることは得意な方なので、それも感じながらなら焦らずやっていけそうです。メタフィジカルサージェリーの時に、カウンセリングを毎日担当してくれたし、サトルボディヒーリング以来ずっとたくさんのことを教えてくれたアルビナのガイドだったので、僕のエネルギーについては、たぶん僕よりも知っていて、それでいてジャッジがないアルビナだから、安心して、呪いをゆっくり解いていくことができた三日間でした。お昼ごはんは、通訳のトーシューとアルビナと毎日三人で食べて、春の陽気を散歩しながら楽しみました。チャクラのイベントをやってること、やっていくこと、とっても喜んでくれて、励ましてくれました。アルビナのことを思うと、感謝で涙が出てきます。一緒に学んだ参加者の皆さん。サポートしてくれたユニティのラリート、そして今年はまた何か一緒にやる企画を考えようと帰りの新幹線で相談したトーショー ほんとうにありがとう。【UI】さまよえる幽霊船の呪いを解く by VIJAY☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━『UIニューズレター』第395号(2018年2月10日(土)配信)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆今日は、チャクラの中でも、特に第一チャクラの重要さについて、メタ・フィジカル・サージェリー(形而上学的手術・サトルボディヒーリングの前身)の体験もお持ちの、Vijayに書いていただきました。 ☆ ☆ ☆ もう何年も前の話ですが、アメリカのセドナのプサードの自宅に呼んで頂いて、個人的にお話をしてもらったことがあります。その時プラサードはメモ書きに、3つの丸をささっと描いて、こう僕に教えてくれました。「このひとつの丸は、アウェアネス(気づき)。もうひとつの丸は、スペース。そしてもうひとつの丸はエネルギーを表している。この3つの丸の重なっているところが、hear and now だし、意識のこと。」と説明してくれました。そして、「悟りとか、エンライトメントとか、抽象的な概念のことは忘れて、あなたのターゲットを、この3つの円の重なった所に向けなさい。」と彼は言いました。光明を得るなんて、わけのわからない抽象概念を求めて、遠くアジアの極東の島国から、はるばるやって来た僕に、リーラ、アルヴィナ、スボードや、その他のそうそうたるチームによる、メタ・フィジカル・サージェリー(形而上学的手術・サトルボディヒーリングの前身)を、施術してもらったときのことです。そのチームのメイン執刀医だったプラサードが、古いマインドセットの色々をひっぺがされてふらふらになってた僕に、手術後の面談として、語ってくれたことがこれでした。他には、「あなたは、ここセドナの私たちのワークに馴染みがあるようだから、ここに引っ越して来たらどうか?それから、そのためにも英語をもっと勉強しなさい。昔のひとが、お経を読むために、中国語を勉強して、海を渡ったように」と言われましたが、幸いなことにその後プラサードたちが日本に来てくれるようになり、僕は海を渡らずにすんで、おかけで英語も上達してません。それはさておき、その時に丸を書いて言ってくれたことは、「あなたの場合は、エネルギーの円が弱い。だから静かに座る瞑想などよりも、ダンスをしたり、身体を動かしたりしたらいい。タントラなんかもいいかもしれない。そうすればエネルギーがもっと動き出して、意識がもっと広がっていくだろう。」ということが強調ポイントでした。僕のゾルバ or ブッダ のゾルバの時期だけを知ってる方は、エネルギーが弱いなんて思わないかもしれませんが、瞑想ばかりしていた時には、キルリアン写真が映らなくて、問題になったことがあります。だからキルリアン写真を撮らなくても、僕のエネルギー領域が弱いことを見抜いたプラサードは、すごいと思いました。寝転んだ僕の頭のところに座り、第三の目や第五チャクラに何やら細かい作業をしていたプラサードだから、僕はエネルギーの部分が弱いことがわかったのでしょう。それは過去生で「空」をターゲットにして修行ばかりしていたからだ、と言われました。それで今生は、「空」+「エネルギー」+「気づき」=「意識」をあなたの的にしろと教えてくれたのです。これは僕にとってとても大切なガイダンスになりました。その時に書いてくれたメモは今でも大事に持ってます。それから、タントラにも行ってみたし、その後に出会ったヴィレッシュと彼のワークは、まさに僕のエネルギーを動かしてくれました。(タントラのラーダも、ヴィレッシュも、この3つのマルの重なっている部分の大きな人たちです)3つの丸については、ひとりひとりのいろんな事情で、アンバランスな偏りがあるでしょう。僕にこの図を解説してくれたプラサード自身、自分もエネルギーの部分が弱いから、「毎日、教室に通ってダンスをしている」と言ってました。ちょうど今の僕の年齢の頃かもしれない。今の僕には、毎日ダンス教室に通う元気さはありません。仕事に精出すこともエネルギーの領域ですが、座ってカウンセリングや、Skypeでのセッションが多くなって、気がついたら一日ずっと、家の中で座りっぱなしなんてこともあります。今年の冬は寒いので、家にこもりがちのひとも多いかもしれません。寒くて、本来流れているはずのフィーリングも、凍りがちかもしれません。こんな時は身体を動かして、生命エネルギーを燃やさないと、ますます冷え込んできます。エネルギーがないと、意識も冬の空のように、どんよりしてきます。お風呂にでも浸かって温まったら、何か良いアイデアをひらめくかもしれませんが、身体が軽く動かなかったら、それを現実化するパワーがありません。何もないのに転んだり、箪笥の角に身体をぶつけたりしたら要注意です。身体とのつながりが失われてきているのです。つまり第一チャクラの回転が鈍ってきたのです。木の根っこのような安定と強さはなくなり、歩いてても泳いでいるような感じになり、そうなると、お金とか食べ物とか、人生の基本的な物質的必要性が満たされなくなってきます。人生への実用的なアプローチが難しくなり、自分のことも他の人のことも実際的な面倒が見れなくなってくるのです。肉体の活力はなくなって、生活に安全や安心が失われてきます。まるでワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」のようになるのですが、物語は永遠の愛を受けるまで、この世と煉獄をさまよい続ける幽霊船のお話です。永遠の愛=ハートによって、呪いは解かれる必要があります。エネルギーを動かして、身体を活き活きとさせるワークはたくさんありますが、ハートからの気づきをを持って、それにアプローチするのは、ユニティ・インスティテュートのチャクラ・トレーニングと、彼らに教えられたティチャーによる、チャクラ・イベントだけでしょう。エネルギーの部分だけでなく、スペースも気づきも、つまり三つの丸のそれぞれが活き活きと広がり、意識が拡大し、土台のしっかりした船になって、大海原に船出できます。辻本ビジェイ 記ハート瞑想ティチャーチャクラ・イベント・ティチャー
2018.03.05
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3月の予定です。ハート瞑想とアクティブ瞑想の会日程 3月8日(木)時間 18時から21時30分会場 芦屋市民センター幼児室(最寄駅:阪急芦屋川駅、JR芦屋駅)講師名 VIJAY(辻本)�連絡先 http://mysticunion.wixsite.com/devaハート瞑想とアクティブ瞑想の会日程 3月15日(木)時間 18時から21時30分会場 芦屋市民センター幼児室(最寄駅:阪急芦屋川駅、JR芦屋駅)講師名 VIJAY(辻本)連絡先 http://mysticunion.wixsite.com/devaハート瞑想と第二チャクラ研究会日程 3月18日(日)時間 10時から17時会場 大阪北浜駅すぐ講師名 VIJAY(辻本)連絡先 https://mysticunion.wixsite.com/chakraハート瞑想とアクティブ瞑想の会日程 3月22日(木)時間 18時から21時30分会場 芦屋市民センター幼児室(最寄駅:阪急芦屋川駅、JR芦屋駅)講師名 VIJAY(辻本)連絡先 http://mysticunion.wixsite.com/devaハート瞑想と第二チャクラ研究会日程 3月24日(土)時間 13時から17時会場 兵庫県東加古川駅すぐ講師名 VIJAY(辻本)連絡先 mysticunion.wixsite.com/chakraハートチャクラ研究会日程 3月28日(水)時間 13時から17時�会場 大阪市内講師名 VIJAY(辻本)連絡先 mystic union.wixsite.com/chakraハート瞑想とアクティブ瞑想の会日程 3月29日(木)時間 18時から21時30分会場 芦屋市民センター幼児室(最寄駅:阪急芦屋川駅、JR芦屋駅)講師名 VIJAY(辻本)連絡先 http://mysticunion.wixsite.com/deva
2018.03.05
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あなたと肉体を、そして他のすべてのチャクラを大地に結びつける第1チャクラに気づきを向けていきます。チャクラについて初めて経験する方も参加してください。チャクラは理論上のことでなく、実際に感じて、それを人生に活かすことができるエネルギーの源です。チャクラというエネルギーの中心が変化していけば、思考が、感情が、行動が変わり、その反映として、人生が変わってゆきます。遠望の方や個人でじっくり学びたい方には、電話/Skype等での個人レッスンもお薦めです。https://mysticunion.wixsite.com/chakra第1チャクラとは、電気プラグのようなもので、あなたの二本の脚は、第1チャクラを大地に接続する差込口の役割をしています。第1チャクラが働いていると、あなたのエネルギーは肉体を通って下降し、あなたは「グランディング」しているという強い感覚を生み出します。あなたはこの物質界に根付いていて、現実の世界をやすやすと活動できるようになります。第1チャクラが働いてない時は、あなたはすぐに気が散ってしまって、具体的で実際的な物事に集中することも、それらを仕上げることも難しくなります。あわてていて、忙しく、いつも時間に追われています。良いアイデアをひらめいても、それを実現することはできません。あなたは、慢性的な虚弱感や健康の問題や、食べることに関する問題、金銭的な問題や性的な問題なども抱えることになります。第1チャクラは、大地にエネルギーを送るとともに、大地から滋養を受け取る働きがあります。エネルギーは、頭のてっぺんの第7チャクラから入ってあなたの身体を降りていきます。それから第1チャクラを通って、大地に引き寄せられ、エネルギーは生命としてはっきりと形を表します。そして同時にまたあなたは、大地からのエネルギーを天に導くことができます。足から両脚を通ってエネルギーは上昇し、第7チャクラへと登っていきます。あなた自身と大地の両方に栄養を与えるエネルギーの循環を感じます。生きることに意欲がありませんか?頭でっかちになってませんか?そんなひとには超お薦め。プログラム予定【イントロダクション】第1チャクラのシステムと、第1チャクラのエネルギーに気づきを持つことが、なぜあなたの人生をパワフルに変えていくことに役立つのかを紹介します。「チャクラのエネルギーに気づくとどうなるのか?」「チャクラの構造」「それぞれのチャクラの特性と強み」「それぞれのチャクラの前面と後面」「それぞれのチャクラがバランスを失っているときの徴候」など、A4 6ページの特別資料を、参加者にお渡しします。【アクティブ瞑想】呼吸を使ったアクティブな瞑想を簡単にすることで、チャクラを活性化させます。この瞑想は、第1チャクラにエネルギーを生み出します。もっと活き活きとすることで、あなたが経験することに、いつもより繊細に感じることができるようになります。【ハート瞑想ガイド】ハートを通して、聴く感覚、感じる感覚、見る感覚が繊細に開いていき、第1チャクラのエネルギーをあなたは知覚できるようになります。このハート瞑想は、ハートの愛のエネルギーが身体全体を満たし、身体が生き生きとすることを助けます。あなたは身体につながることで、滋養を受け取り、身体があることの祝福と感謝を感じます。第1チャクラのエネルギーは病気や怪我へのヒーリングになり、家の片付けや整理整頓をする能力も助けます。お金を稼いだり、実際的な能力、自然とつながることも簡単になります。※ハート瞑想ティチャーでもあるVIJAYが、ハートのエネルギーを伝達します。【第1チャクラを探求するガイド瞑想エクササイズ】第1チャクラのエネルギーを体感し、第1チャクラから大地へのエネルギーの流れも感じます。また大地からのエネルギーがどのように第1チャクラに滋養を与えるかも経験します。第1チャクラから大地への流れ、そして大地から第1チャクラへと戻るエネルギーの循環した流れを感じることで、あなたのグランディングは強まり、あなた自身が自然の一部であることを実感し、また命のすべてに結びついていると感じます。同時に、忙しかったり、緊張していたり、上がってしまっている状況の時に、第1チャクラはどうなってしまっているのか?に気づきます。そして、第1チャクラのエネルギーを開くための簡単な方法することで、第1チャクラから大地へ、大地から第1チャクラへとエネルギーが流れ、戻って来ることも経験します。また、グランディングを違った状況の中で経験します。あなたがもっとグランディングしている時に、あなたの活動はどのように変化するのかを経験します。あなたが苦手に思っていた状況でも、もっと落ち着いて、現実的に対処することができるようになります。チャクライベント(またセッション)の特徴の一つは、単に知識や情報としてこれらのことを学ぶのでなく、実際にあなたの体験から理解できるように構成されていることです。【第1チャクラのバランスのためのブリージング瞑想】シンプルなくつろいだ呼吸を使うことで、第1チャクラのエネルギーの流れと、あなたのグランディングの能力を強めることができます。またこの瞑想をすることで、第1チャクラの前と後ろのバランスが取れるようになります。第1チャクラの前の部分は、大地へと入っていく下向きのエネルギーの流れを開きます。そして、第1チャクラの後ろ側で、大地のエネルギーを受け取ると同時に、エネルギーは上昇して、他のチャクラへ流れていくのです。このエネルギーの自然な流れを、呼吸で取り戻します。※セション後も毎日この瞑想を続けることで、あなたの人生は確実に変化していきます。約5分から15分くらい静かにやさしく呼吸することで、エネルギーは流れ、バランスが取れていくので、それはすぐに、実際の生活に反映されていきます。【シェアリングと質疑応答】セラピストとして長い経験のあるVIJAYが、あなたの疑問に答え、今後に役立つアドバイスをします。日常でも続けて、第1チャクラを発達させるための秘訣をお伝えします。★★過去40年間に渡り、世界中でチャクラについて教え、トレーニングをしてきたユニティ・インスティテュートの講師たちが、デザインした構成に則って進行していきす。★★★ またこの日はスペシャル・プログラムとして、世界一のセラピスト「ビレッシュ」が創ったソーシャル・メディテーションのひとつ「聖なる地球の瞑想」を予定しています。ビレッシュからヒューマ二バーシティジャパンの名前をもらったビジェイのガイドで送るグランディングと地球を愛するための瞑想です。★★★★ さらにこの日は、会場の芦屋市民センター周辺は、桜でにぎわっているでしょう。芦屋山手にある穴場スポットで、終了後に希望者は、お花見ディナー。身体につながりハートが開いてのお花見は格別なことでしょう。定員15名4月8日(日)10時から17時ごろ研究会開始前と修了後にアクティブ瞑想をします(別途料金)追って詳細お知らせします。会場:芦屋市民センター別館地下和室(220)JR芦屋、阪急芦屋川、阪神芦屋駅下車いずれも7分〒659-0068 兵庫県芦屋市業平町8−24参加希望者は参加ボタンを押すか、メッセージをください。参加費:5000https://mysticunion.wixsite.com/chakra瞑想ガイド VIJAYつじもとサトルボディヒーリングハート瞑想ティチャーチャクラ・イベント・ティチャーhttp://vijay.p2.weblife.me/cn24/pg353.https://mysticunion.wixsite.com/deva
2018.02.26
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完全防音の部屋で思いっきり大声で、ストレスを解放します。アクティブ瞑想& ハート瞑想®毎週木曜日夜7時から9時30分・芦屋芦屋OSHO瞑想会ご予約・お問い合わせ参加申込みは必要ありません。動きやすい服装で、気楽にご参加ください。座布団等がないので床に敷物などご用意ください。場所:芦屋市民センター213幼児室(別館2F)次回は2018年3月1日(木)夜18時から21時30分 18時から毎回違うアクティブ瞑想をひとつやります。開場7時から(初めての方は少し早めに来てください)19時20分からOSHOクンダリーニ瞑想を開始します。その後、チャクラジベリッシュ瞑想とハート瞑想参加費 18時から2000、19時20分から 1500芦屋市民センター別館2F 213幼児室夙川から芦屋市民センターに変わりました。もっと広い部屋で、アクセスもしやすくなります。阪急神戸線芦屋川駅、JR神戸線芦屋駅、阪神芦屋駅下車いずれも徒歩7分〒659-0068 兵庫県 芦屋市業平町8−24チャクラジベリッシュ瞑想によって、感情的、心理的なエネルギーを解放されると、マインドからハートへと降りていくことが簡単になります。ハートを開くことによって、あなたはより大きな可能性と選択肢を持って、困難な状況にも創造的に応対できるようになります。感受性が増して、内側にある豊かさを感じます。チャクラジベリッシュ瞑想は感情的、心理的なエネルギーを解放し、自分の中で元気を回復し、安らぎを感じる助けになる強力で簡単な方法です。
2018.02.26
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チャクラについて初めて経験する方も参加してください。チャクラは理論上のことでなく、実際に感じて、それを人生に活かすことができるエネルギーの源です。チャクラというエネルギーの中心が変化していけば、思考が、感情が、行動が変わり、その反映として、人生が変わってゆきます。遠望の方や個人でじっくり学びたい方には、電話/Skype等での個人レッスンもお薦めです。https://mysticunion.wixsite.com/chakra今回の研究会では、第2チャクラの自然なリズムについて気づきをもたらします。このリズムは、人と関わることと、ひとりになる時間を持つことの間の動きです。ガイド瞑想の中で、あなたは自分にとって心地よい第2チャクラのリズムについて、理解を深めます。あなたは、人とともにいることで滋養を得ることと、ひとりになることによって滋養を得ることの両方の素晴らしさを認識するようになります。また、第2チャクラの中でこのふたつの間のバランスを取ることを学びます。あなたは、ひとりになるのが怖いですか?それとも。ひとと親密になるのが怖いですか?いつも誰かと一緒にいないと満足できない人、あるいはひきこもりがちなひとたちとって、とても有意義なヒーリングとなります。◯さらに感情を変容し、感情的知性につながれるように、感情に対する理解と、感情を変容する瞑想の秘密を分かち合います。プログラム予定★イントロダクション第2チャクラのシステムと、第2チャクラのエネルギーに気づきを持つことが、なぜあなたの人生をパワフルに変えていくことに役立つのかを紹介します。★アクティブ瞑想呼吸を使ったアクティブな瞑想を簡単にすることで、チャクラを活性化させます。そしてこの瞑想は、第2チャクラにエネルギーを生み出します。もっと活き活きとすることで、あなたが経験することにいつもより繊細に感じることができるようになります。また、チャクラのエネルギーを活性化し、バランスを取るのも助けます。★ハート瞑想ガイドハートを通して、聴く感覚、感じる感覚、見る感覚が繊細に開いていき、第2チャクラの微妙なエネルギーをあなたは知覚できるようになります。ハートと第2チャクラの間には、特別なつながりがあります。あなたの第2チャクラは、自分のハートからの愛によってはくぐまれるのです。それをこのハート瞑想では感じます。第2チャクラは、子供時代からの蓄積された感情の痛みのある場所です。第2チャクラが開いて、あなたは自分の感じていることを分かち合ったり、ひとが感じていることを受け取ったりすることができます。しかし多くの人にとって、感情は凍って固まりになって、流れにくくなっていて、感じる感性が鈍感になっています。ハートの愛のあるエネルギーで、凍っていた感情は癒され、第2チャクラが動き出します。ジャジメントと拒絶のないハートの愛をともなった気づきによって、エネルギーがアンバランスに偏ってしまってる第2チャクラのそのままを知覚し、それを受け容れることで、バランスを取り戻していきます。ハートが開くことによって、あなたは第2チャクラの特質や強みを体感することができます。※ハート瞑想ティチャーでもあるVIJAYが、ハートのエネルギーを伝達します。★第2チャクラを探求するガイド瞑想エクササイズ第2チャクラ(フィーリングチャクラ)の前のエネルギーは、人と関わる時に活性化され、他の人との間でエネルギーが流れ、そこから栄養を与えられます。第2チャクラの後ろは、ひとりを楽しみ、内側に循環するエネルギーです。第二チャクラがバランスを失いエネルギーが前に傾いてしまうと、あなたは過剰にひとに依存するようになり、ひとりになることを恐れてしまいます。また後ろ側に偏ってしうと、人に近づくことを恐れ、関係することを避けるようになるので、結果的にあなたは孤独を感じてしまいます。この瞑想エクササイズは、人と関わりたいと感じることと、ひとりでいたいと感じることの間のリズムに気づきをもたらします。ひとと過ごすことと、ひとりでいることの自然な、そしてあなた独自のリズムを見つけ出すことで、あなたは、そのどちらからも生きていくのに不可欠な大切な栄養を受け取れるようになります。★第2チャクラの前と後ろに価値を与えるガイド瞑想第2チャクラの前も後ろも開いていて、バランスが取れていると、あなたは友だちをつくったり、友情を育むとともに、ひとりを楽しみ、自分の内なるシグナルを感じます。ひとや自分が何を感じているのかわからないといったことはなくなって、自分自身とも他人とも親密に関われるようになるのです。人と関わることも、ひとりを感じることも、どちらも大切な価値あるものだということを、この瞑想で感じます。チャクライベント(またセッション)の特徴の一つは、単に知識や情報としてこれらのことを学ぶのでなく、実際にあなたの体験から理解できるように構成されていることです。★第2チャクラのバランスのためのブリージング瞑想シンプルな呼吸を使うことで、前と後ろのエネルギーのバランスを取り、同時に第2チャクラの前と後ろにある本質につながることができます。やさしい静かな呼吸をすることで、ひとといることから得られる滋養と、ひとりでいることから得られる滋養の両方を感じます。その両方が必要なものです。第2チャクラの前と後ろのバランスが取れて、あなたの生はもっと豊かなものになっていきます。※セション後も毎日この瞑想を続けることで、あなたの人生は確実に変化していきます。約5分から15分くらい静かにやさしく呼吸することで、エネルギーは流れ、バランスが取れていくので、それはすぐに、実際の生活に反映されていきます。スペシャル・プログラム★★世界一のセラピスト「ビレッシュ」からヒューに・バーシティ・ジャパンの名前をもらったVIJAYが、ハートと第2チャクラを開くソーシャル・メディテーションをガイドします。(ラブ瞑想を予定) 正しいハグの仕方も伝授します。★シェアリングと質疑応答セラピストとして長い経験のあるVIJAYが、あなたの疑問に答え、今後に役立つアドバイスをします。日常でも続けて、フィーリング・チャクラを発達させるための秘訣をお伝えします。★★★過去40年間に渡り、世界中でチャクラについて教え、トレーニングをしてきたユニティ・インスティテュートの講師たちが、デザインした構成に則って進行していきす。チャクラを知識としてでなく、そのエネルギーに気づいて、生活に活かしていく瞑想エクササイズを行います。★すべてのチャクラには、前面と後面があることは、あまり知られていません。一般的なチャクラの説明は、チャクラの前の方の機能だけを説明しています。ほとんどの人は知らないチャクラの前と後ろの特性と強み。そのエネルギーがアンバランスになったときの徴候などの資料を参加者は受け取ります。読み合わせもします。定員12名3月18日(日)10時から18時ごろ会場:大阪 北浜駅すぐ 大阪市中央区今橋1の8の5イトーピア北浜タワーマンションの21階です。参加者に部屋番号お教えします。参加希望者は参加ボタンを押すか、メッセージをください。参加費:5000https://mysticunion.wixsite.com/chakra再受講は半額です。何度もエクササイズを経験することで、体験的理解が生活に定着していきます。瞑想ガイド VIJAYつじもとサトルボディヒーリングハート瞑想ティチャーチャクラ・イベント・ティチャーhttp://vijay.p2.weblife.me/cn24/pg353.https://mysticunion.wixsite.com/deva
2018.02.26
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パソコンを整理していたら、映画「沈黙」を題材に、第五チャクラについて書いている文章が出て来た。フェイスブックら掲載した覚えもないし、ユニティインスティテュートのブログに掲載したのかと思って調べたが見当たらない。もしかしたら書きかけで、ほったらかしにしてたのかも。日付を観ると2017.2とあるからこの頃に書いたのだろう。約一年前に書いたものだがここに掲載する。結局僕はこの映画は未見であるし、忙しいコマラともずいぶん会ってない。近所に住む親友のコマラにひさしぶりに会った。近況報告とともに、話題の映画「沈黙」についての話で盛り上がった。深刻そうなので僕は未見なのだが、コマラはすごく良かったという。何が良かったのかというと、信仰でもない、信念でもない、スピリチュアリティーとは何か?というテーマの映画だと言う。「しかし結局は神は沈黙しているんだろう?」と僕が安易に言うと、さすがのコマラちゃんは「そこがいいんじゃない」と言う。なるほど、キリスト教宣教師が信念を手放して、理想を捨てて、生き甲斐もアイデンティティーも捨てて、転びバテレンになり、踏み絵を踏んで、それでも生きていく時に、「沈黙」が残ったということらしい。そう聞くと、これは第五チャクラについての話じゃないか。と、お互いにサトルボディヒーリングの一期生(笑)であるから話が合う。(第五チャクラの表層は、考えや信念、信じ込みでできていて、中心は「沈黙」である)それで、映画では、「沈黙」が残って、その後に、生それ自体の祝祭があったのか?と聞くと、そこまでは描かれていないという。例えば、ドストエフスキーの白痴の公爵が「すっかり途方にくれてしまった人でさえ、これは素晴らしいなと思うような美しいものが、至るところに転がっているではありませんか。赤ん坊をごらんなさい。神々しい朝焼けの色をごらんなさい。育ちゆく一本の草をごらんなさい。・・・」と叫んだような歓喜はなく、たぶん荒涼とした景色が続く。予告編から推測するにそんな感じだ。沈黙から、クリエイティブな新しい人生が生まれてきたわけでもなく、ただ沈黙と、宣教師でもないし、外国人でもない、何者でもない、ただのひとが残ったという。映画はそこまででしか描いていないとしたら、それがまた今の時代のわれわれには合っている。春はまだ遠く、暗雲たれこめた冬の季節を生きてるんだから、アセンションとか威勢のいいこと言うひとはどこかうさんくさい。沈黙から融通無碍な創造性がわいてくるはずなのだけれど、それはそのタイミングが来た時にわいてくるものなんだろう。今は、何かを信じたり、何かにこだわったりして苦しむことを手放した後の、空っぽなスペースに、淡々と生きているひとが多いんじゃないだろうか?それで、GAPのなかにくつろぐことを求めて、瞑想することに関心を持つひとが増えているのではないか?瞑想して、マインドフルになったら、Googleのように発展成功するからじゃなくて、実は、ひとびとの無意識は、何もない空間にくつろぐことを求めているのではないか?心臓をばくばくさせて、わくわくしたり、どきどきしたりすることに多くの人は疲れている。トランジッション(移行期)というのは、何もない空間に耐える強さが必要だ。忍耐があれば、春はやってくるはずだ。春になれば、今まで違う、もっと本質的な生が、その沈黙の移行期から生まれてくる。という期待や夢も捨てて、ただ沈黙にくつろぐ。その時、「まったくシンプルで,何の期待も抱かぬ一粒の砂になる。地につきさえすれ ば,夢を抱いたりつまらぬ衝動が起こる余地はなくなり,やっと修行が役に立ち始める。ちゃんとお茶をいれることを覚え,横道にそれずまっすぐ歩くことを知り始める。生活に対するアプローチはもっと単純で直接的なものになり,耳にする教えや読む本が自分のものになってくる。一粒の砂として,あるがままに,期待や夢を抱かずやってゆくための確信や励ましになってゆくのである。」と、チベット仏教の先生トゥルンパは言った。(チョギヤム・トウルンパ・リンポチェ「タントラー狂気の知恵」より)とわいえ、どんどんこだわるものがなくなって、転びバテレンのように生きるには、忍耐もいるし、勇気もいる。だから、時々は友だちに会って、見栄を張らずに、素のままでいれる関係も大切だ。瞑想会に行ったり、グループに参加するのも、そういう時間をもてる効果がある。コマラちゃんからは、ドクター・ストレンジについてのめちゃくちゃしぶい見解を聞いたけれど、それはまた今度。
2018.02.26
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一昨年の夏からずっと続けている「ハート瞑想とチャクラジベリッシュ瞑想の会」のおかげで、頭のなかに(?)空間があって、雑念なんてものは、そのほんの表面の髪の毛のあたりを蠅みたいに飛び回ってる電気信号のようなものだと感じることが多くなった。つまり中心の空(くう)を意識することが多くなった。思考と思考の間のギャプが多くなって、沈黙を意識することが多い。ばかになったのかと最初は心配になったが、前よりも思考が回るような気もする。例えば難しくて読めなかったような本が、前よりもすらすら読める。ジベリッシュは思考を一瞬、確かに壊す効果がある。例えば「ボクハバカデアル」という思考は、順序を入れ替えて、「ルアデカバハクボ」と言ったり、音程を高くしたり、低くすれば、その言葉は変化し壊れる。その時できた隙間から、もっと奥にある中心に気づきの光りが届く。ふつうは中心の空(くう)の上に、ごちゃごちゃした思考や感情が層になってカバーされてるから、その奥のものに気づけない。原発の建屋のカバーみたいなもので、福島ではそのカバーがふっとんで、えらいことになったが、ひとは時々カバーをふっとばして、自分の原始力につながる必要がある。中心からエネルギーが生まれて、生きることができたら、「生そのものがニルヴァーナになる」OSHO はずだ。もちろん、まだそこまでの境地ではない。だから涅槃が待っている。
2018.02.26
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ドストエフスキーの小説「罪と罰」は、チャクラとサトルボディ的に解釈すれば、第二チャクラの共同体志向(つながりとつながりから切り離された孤独)から、第三チャクラの個人の力に突出するところから生まれた悲劇とストレスと、さらに第二チャクラに回帰するのでなく、上に向かって上昇する回心以後の新しい暮らしがラストのエピソードだと解釈できる。そういうチャクラとかサトルボディとかいう枠組みにも収まりきらない魂の小説だが、無理矢理解釈すればそういうふうにも言えなくもない。なににしろ日本で言えば幕末の頃に書かれた古い小説なのだ。まだまだ家族とか共同体とかの絆が強かったそういう時代背景もある。それを現代日本に置き換えた漫画やドラマは、共依存的な関係(第二チャクラの病)からの脱出というテーマにしてしまったからか、スビドロガイノフ的な第三チャクラの突出した孤独が、単なる欲望肯定の強度みたいな話になって、そんなものより第二チャクラに回帰して、共依存でも何でもつながりはあった方が良いし、持った方が良いという結末になってしまった。これではノスタルジックな反近代だ。孤立もグローバル化もしんどいから、昔に帰って家族を大切にして、それ以外は排外しましょうというトランプさんへの道ともリンクしてる。感じたりつながったりする第二チャクラを切り捨てて、パワーの世界を生きてるひとほど、ときどきハワイに行って自然や身体とのつながりを取り戻したり、サーカーの応援とかして、共同体的なつながりを感じたいのだが、そうやって元気を養ってまた個人のバワーの世界に戻っても、意識の上昇はないし、ハートは開かない。それは退行してるだけだ。ドストエフスキーの結末はこうでなかった。では小林秀雄が書くように、ムイシュキン公爵は、シベリアから帰った(つまり意識が上昇した)ラスコーリニコフだとしたら、白無垢のおばかさんが、世間と関わるとどうなるのかを描いたのが白痴だとして、第四チャクラと第四身体の発達したひとが(つまりハートのひとが)が生きて行く受難はこちらに描かれてるから、罪と罰より白痴が僕は好きだ。と書いた昔の作文を前フリにして、パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」について書いてみたい。デビッド・リーンの映画「ドクトル・ジバゴ」についてももちろん書くし、未見だが轟悠氏の宝塚版「ドクトル・ジバゴ」評についても書いてみたい。詩人だから、第四チャクラ(精神体)の発達した主人公ジバゴと、作者パステルナークの受容的な(主体性の内容に思える)生き方と、第一チャクラも官能性の第二チャクラも豊かそうな恋人ラーラとの顛末を書いてみたい。しかし今日ではない。いつの日か。
2018.02.23
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約一年前のFB記事。この頃は語られる言葉が面白くメモまでとってたのに、今はまったく思い出せない。通り過ぎてしまった。ドストエフスキーを読みながら、高倉健の映画にはまった。ちょうど第三チャクラについて大量の文章を書くことを依頼された時で、書きながら、パソコンの端っこで小さな画面で見続けた。昭和残侠伝とかそういうやつ。緋牡丹博徒もよかったけれど、やっぱり健さんが良い。着目するところは色々あるけれど、語られる言葉が面白かった。まるで外国語みたいだ。面白すぎて、見ながらメモを取った。考えてみたらほとんど僕の人生に縁のない言葉だ。筋を通すとか、第三チャクラの言葉のようで興味深い。例えば、おとこがすたる男が廃る と書く。辞書によると「男としての面目がつぶれる」という意味らしい。それでまた面目という意味を調べると、世間の人に合わせる顔。体面。とある。今度は体面を調べると、世間に対する体裁(ていさい)とある。今度は体裁を調べたくなる。外から見える、物の形・様子。外見。とあって、やっと落ち着く。いずれにしろ、あまり縁のないことばたち。ほとんど使ったことがない。筋を通す なんて言葉も辞書の意味はなく、「物事の道理・ルールに沿って、行動する、あるいは結果を出す。」という意味になるでしょうが、とネットにあった。物事の道理・ルールというのがわからないし、だから締め切りとかも守れないのだと思って、反省のためメモを取ることにした。以下あしをあらう道理あっしすかんぴんあにきザコはすっこんでろごかんべんねがうじれってぇかんべんしておくなはいかんにんしてくらはいながれながれたくいつめものしんぼうするさしでかましいすじめをとおすおたっしゃでろくでなし てめえ むちゃはやめなさいよ おぼえてやがれ なにいつやがんでぇ きょうでぇ 以後お見知りおきをおとしまえ よせったらよせ さしでがましい 筋目の通ったあいさつ かんばんにきずがつくことばがずぎる顔を立てる 出過ぎたマネ とせいのぎりをかく親分さんにはなんの恨みもございません 渡世の義理により おれのいいつけがまもれねえのか とんでもねえ でぇじょうぶだ ですぎたまね わたしのいちぞんで しっかりようじょうしてくんな かおをつぶす とんでもねえしゃらくせぇわびをいれるじょうだんとふんどしは股にしてくれ等々山城新伍が「一生待つから俺を一生松とよんでくれえ」と女の人に言ってる言葉なんてのもメモしだしたら、なんのことだかわからなくなった。もっとある・・・
2018.02.23
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約一年前のFB記事一年以上のばしっ放しにしていた髪の毛を切った。肩より長くなって、もう後ろでくくるしかなく、それでも時たま鏡を見るとふと格好良いなあと思うときもあって、のばしていたが、あまりにもまわりに評判悪いし、自分でもどうしようもないと思って、意を決して切ることにした。ひさしぶりに東京に行くし、黒い羊だし、協調性はないけれど羊なので(動物占い)、学校スタイルのトレーニングにとけ込むため、あんまり目立つのはいやだというのもあった。旅の合間に読むために、ドストエフスキーの悪霊の新訳を買ったので、それを読んでると話しかけられずにさくさく切ってくれて、よかった。ただし、頭と肩のマッサージされて、エネルギー酔いしてしまったが、ハートがあるから大丈夫。そのうち消えて行くだろう。(バイブを拾う-サトルボディヒーリング第四章参照のこと)戦争反対とかそういうことは大声で言えるのに、こういうことは拒否できない。何度もこれで疲れる。それでも頭は軽くなって、帰りにコロッケ屋さんに寄ったが、閉まっていて、ついでにドストカフェの跡地(といってもトルコ料理屋は健在)にも寄った。サクルエブの二階で、ブックカフェなるものをやっているようだが、怪しさは変わらず、入ってみる勇気がなかった。裏手の階段が入り口らしく、あの頃みたいに犬はいない。髪切って、勇気も失ったのかなあ。それにしてもあんなに見るからに怪しい場所に、瞑想しに来てくれたひとたちがいたなんて、ありがたいなあ。あの頃は、階段のところにはよく吠える犬もいたし、あるときなんかウサギまでいた。トルコ人やらアフリカ人やらのやかましい厨房横を抜けなければ入れなかった。トルコ絨毯と沈黙時に響く電車の音が懐かしい。あれは神様とOSHOと酔っぱらいとトルコ人が共存した希有な場所であった(最期は共存できなくなったが)あの頃、せっかくスペース(お店)があったんだから、瞑想会ばかりせずに、もっとブックカフェとかすればよかった。瞑想会で、珈琲だしてたんだし。ものすごくマニアックな本も揃ったことだろう。霊界物語も全巻あった。しかし、髪の毛が肩まであって見るからに怪しいひとがやってる瞑想会は、場所を変えて夙川で健在。髪切ったから勇気と霊感は少し失ったが、怪しさは少し減ったので、明日あります。怖がらずに来てください。今は芦屋でやってます。
2018.02.23
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FBの約一年前の記事。実名を仮名に変えてます。サニヤス界のムイシュキン公爵とは、ハワイでのサトルボディヒーリング・トレーニング合宿で、友だちになろうとハグしたのを覚えてる。めったに会わないし、会ってもめったに話さないけれど、僕は彼が大好きだ。同室のTたちがいないすきにハグをした。Tたちは少しあつくるしいところがある(冗談)このたび帰り道にAと公爵と喫茶店に行って、やっぱりAがトイレに行ってるすきに、ハグはしなかったが、短く文学談義。さすが公爵はドストエフスキーを読み込んでるらしい。バルザックとかも好きだと言う。しぶい。村上春樹とか読みますか?と聞いたが、読まないという。それもしぶいなあ。潔いではないか。しかし、僕や公爵のようなタイプのひとこそ村上春樹の世界を生きていると思うが、本屋さんでずらずら並んでいるのを見ると、不思議な気持ちになる。決して僕や公爵のようなひとは多くないはずだ。繊細で無垢で孤独・・・僕はそうは見えないかもしれないが(笑)無垢というところが曲者で、百戦錬磨の純情を貫く強さとは違うかも。そういうひとはアウトサイダーの世界でも、活躍している。死んだら何百人も友だちが駆けつける。僕たちはあまり活躍していない。繊細で純粋で孤独な師匠のもとで再会して、チャクラ瞑想を学ぶ。もっと活躍できるように騎士団長(イデア)を殺して、教えてもらった呼吸法を電車のなかでしていたから、結局、買っていた「悪霊」の新刊は読めなかった。話題の新刊「騎士団長殺し」は行く前に読み終わった。七年前の長編「1Q84」より、僕は数倍好きだ。七年前に山梨にワークショップをしに行って、その行き帰りに読んだ覚えがある。ユニオミスティのトレーニングをやって知り合ったひとで、キャバクラのオーナーをやってて、同級生とか友人を集めて、キャバクラ従業員コミュニティーを創っていて、僕のワークに惚れて呼んでくれた。傷ついたインナーチャイルドのひとが多かった。生まれて初めてキャバクラというところに案内されて、昼間の営業していない時だったからか、楽屋裏はお化け屋敷のようだった。そこでダイナミック瞑想やったりして、なつかしい思い出。月が二つ出ているような気分の時だったから、1Q84の世界にもはまった。ちょうど山梨県が小説のなかにも出て来て、不思議なねこの町に迷い込んだみたいだった。オーナーは、姉御肌のかっこいい女性だったな。3.11の後、電話で安否を確かめて、それっきりになっている。電話もつながらなくなった。あのキャバクラで働いていたみなさんは、瞑想は続けてくれているかなあ。
2018.02.23
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約一年前のFB記事。この頃はドストエフスキーが来てた。今はパステルナークが来てる。一年に一回くらい、どうやら僕にはロシアが来るらしい。原作マンガを読んでラストで落胆したので、三話まで見たドラマは途中で止めようかと思ったが、最後まで見てみるとなかなかよかった。映像と現代に設定を変えてるおかげで、ドストエフスキーの原作とは離れた一作品として見ることができた。9のハートを持ってる(数秘学)ソーニャを逆DVのようなすぐ拳が出る女性に変え、さらに共依存症の設定にした。共依存でもなんでも独りで孤立して生きていくより、ひととつながりがあった方がいいという結末だけど、その上で主人公が自首するわけだから、一緒に生きていくと言ってもハートのつながりでしかなく、第三チャクラの意識から第二チャクラの意識に退行するわけではないのかもしれないところが、何故か漫画よりもドラマにはそこはかと感じられた。重苦しいドラマだけど、1866年に書かれたドストエフスキーを2007年頃に日本に移し替えた漫画「罪と罰 A Falsified Romance」が2012年にWOWOWの連続ドラマWで、高良健吾主演でテレビドラマ化され放送されたらしいが、ほのかに「君の名は」に感じたようなハートの香りがドラマにはあった。「君の名は」もほのかだが、ハートというのは時も空間も超えてひとつになるというスピリチュアルハートのスペースを感じれたのが2016年的だった。重苦しいドラマであり、やっぱりラストは消化不良だけれど、よく頑張っていると思う。最近のだと思ったが2012年のものだったのか。僕はアマゾンプライムビデオで見た。ネットを探せば無料動画がたくさんある。スヴィドリガイロフの須藤がいい。カラマーゾフのフョードル親父と混ぜ合わせたような役柄で、主人公は父殺しをせずに、「あんたは俺の父親でもないし、俺はあんたの母親でもない」と決別した所が良い。ほんとうはお母さんを殺したかった・・というところもいい。お母さんに飲み込まれ窒息してしまうことから逃れるタイプのひとは、必然的に大地や世界と触れ合えない。ジョン・レノンのプライマル・セラピー後の歌「マザー」のように泣き叫ぶラストがいい。ドストエフスキーの罪と罰をアダルトチルドレンの問題に矮小化した作品だが、そう思えばなかなかの作品だ。沈黙で話題のマーティン・スコッシぃの「タクシードライバー」も罪と罰しているが、あれはさすがにもう少し普遍的だった。我々は別に大地から生まれてきたわけではない。僕はドストエフスキーの登場人物たちの名前が好きで、スヴィドリガイロフなんて、なんてすばらしい響きだろう。今夜はあやかってストロガノフを食べようかしら。セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフのことを考えながら。あるいは、ポルフィーリー・ペトローヴィチか、ドミートリィ・プロコーフィチ・ウラズミーヒンのことか。いやいややっぱりアルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフのことかなあ。でもご飯がまずくなりそう。ロシアのDVD白痴 を見たいのだけれど、中古で21980円もする。誰かクリスマスプレゼントにでもくれないかなあ。460分ある超大作だからお正月は、レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキンやナスターシャ・フィリポヴナ・バラシュコーヴァやパルフョン・セミョーノヴィチ・ロゴージン漬けになるだろうけれど、冬までにこの熱病は収まってるかなあ。2017年2月24日
2018.02.23
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約一年前のFB記事漫画の罪と罰(落合尚之作)は、最後まで読んでみると肩すかしだった。共依存という苦しい関係に漫画化のテーマを絞ったのは、新しかったが、最後の結末の回心が、人間のつながりに回帰するとは。新しい生活がはじまるというのをそういうふうに解釈もできるが、それじゃあ皮相すぎる。最後の夢のシーンも、人間のエゴイズムの悪夢でなく、愛を信じれなくなる病と微妙に変わっていた。もちろん作者なりの創作の自由だが、そういう意味では古い手塚治虫の漫画の方が原作に忠実な余韻が残る。ドストエフスキーは圧倒的にラストで盛り上がってくるのだが、ラストとともに失速してしまった。もう続きを見るのはやめようかと思うが、ドラマはもっとひどい出来だろう。手塚治虫や黒澤明の作品(白痴)はそんなことはなかった。ドストエフスキーの原作は、チャクラとサトルボディ的に解釈すれば、第二チャクラの共同体志向(つながりとつながりから切り離された孤独)から、第三チャクラの個人の力に突出するところから生まれた悲劇とストレスと、さらに第二チャクラに回帰するのでなく、上に向かって上昇する回心以後の新しい暮らしがラストのエピソードだと解釈できる。そういうチャクラとかサトルボディとかいう枠組みにも収まりきらない魂の小説だが、無理矢理解釈すればそういうふうにも言えなくもない。なににしろ日本で言えば幕末の頃に書かれた古い小説なのだ。まだまだ家族とか共同体とかの絆が強かったそういう時代背景もある。それを現代日本に置き換えたから、共依存的な関係(第二チャクラの病)からの脱出というテーマにしてしまったからか、スビドロガイノフ的な第三チャクラの突出した孤独が、単なる欲望肯定の強度みたいな話になって、そんなものより第二チャクラに回帰して、共依存でも何でもつながりはあった方が良いし、持った方が良いという結末になってしまった。これではノスタルジックな反近代だ。孤立もグローバル化もしんどいから、昔に帰って家族を大切にして、それ以外は排外しましょうというトランプさんへの道ともリンクしてる。感じたりつながったりする第二チャクラを切り捨てて、パワーの世界を生きてるひとほど、ときどきハワイに行って自然や身体とのつながりを取り戻したり、サーカーの応援とかして、共同体的なつながりを感じたいのだが、そうやって元気を養ってまた個人のバワーの世界に戻っても、意識の上昇はないし、ハートは開かない。それは退行してるだけだ。ドストエフスキーの結末はこうでなかった。では小林秀雄が書くように、ムイシュキン公爵は、シベリアから帰った(つまり意識が上昇した)ラスコーリニコフだとしたら、白無垢のおばかさんが、世間と関わるとどうなるのかを描いたのが白痴だとして、第四チャクラと第四身体の発達したひとが(つまりハートのひとが)が生きて行く受難はこちらに描かれてるから、罪と罰より好きなのかなあ。いずれにしろ漫画読んで熱から冷めようと思ったのに、また小説を読み返したくなってしまった。やれやれ。http://fbk.is/book/comic/detail/Ai3zUU1Yww
2018.02.23
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約一年ほど前にFBに書いた。少し手直しして再録する。僕の人生には何度かドストエフスキーがやってくる。一度その波が来たらしばらく離れられなくなる。今回は罪と罰と白痴を読み直し、小林秀雄などの評伝や評論を大量に図書館で読み、ついでに手塚治虫の漫画と、大島弓子の漫画ラスコーリニコフを本箱から引っ張り出し、カラーマゾフの兄弟の三度目を読み返そうかと思案中。新訳が出て読みやすくなったとはいえ、気力がいる。ちょっと箸休めに黒沢明の白痴を初めて観て、かなりまいった。小説とは違うが白黒映像がインパクトある。ムイシュキン公爵の印象が変わってしまうことはない。映画は映画。小説は小説。それで最近話題らしいドラマ化された罪と罰を昨日三話まで見たらかなり面白い。ので、原作漫画を探したら無料で読めるサイトがあって、これもはまってしまった。まだ読了していないが、ペテルブルクを現代日本に置き換えて、金貸婆さんを援交をとりまとめるボスに、ソーニャを薄幸の◯◯女優に置き換えて、それでもかなりしっかりとドストエフスキーしてる。本作の独特のテーマは、ひきこもり観念青年がいかに世界に触れ合うか。触れ合ってみたところで、悲惨な現実しかないとしたら、触れ合う意味があるのか?さらに共依存されて骨抜きにされた側の自立の苦悩を描いてるとも解釈できる。第三チャクラが発達しつつある思春期の少年が読めばはまるだろうなあと思う。精神世界の住人でお腹が空くとか空かないとか忘れてしまうタイプのひとにはなかなかの漫画。もちろんドストエフスキーの原作とは比べようもないが、作者も本気で書いているのは伝わってくる。明後日は、村上春樹の新作が出る日だ。騎士団長殺しとはなかなかドストエフスキーを思わせるタイトル。僕は村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドが大好きで、ハードボイルドワンダーランドの方の主人公がこの世からいなくなるシーンを読み返すことも、人生で何度も巡ってくる。レンタカーで、ディランの激しい雨を聴きながら意識が途切れるシーンに至るプロセスが大好きだが、今回罪と罰を読み直して、スヴィドロガイノフが自殺するくだりがそっくりだと思った。一般には評判のよくないエピローグが好きで、ラスコーリニコフの影とも言えるスヴィドロガイノフの自殺シーンは前は感銘を受けなかったが、今回はガツンときた。ハードボイルドワンダーランドは、これを意識してるんじゃないかと思った。1Q84の牛川さんは、「俺はソーニャに出会わなかったラスコーリニコフだ」と言ってたし、タクシードライバーを見直したら、トラビスもソーニャのいないラスコーリニコフだった。僕は数々のソーニャに出会ったけど、いまだ救われないで昼夜逆転でドストエフスキーなんか読んでる。今回ドストエフスキーを読んでると、なぜだか昔の地方巡業で泊まったビジネスホテルとかの光景がページと別に頭に浮かぶ。たぶん陰惨な心理状態を思い出すんだろうけれど、不思議にどんな文章を読んでも、その日の夢は雪景色のように真っ白で、魂なんて言葉を思い出す。春日さんたちの音の輪の演奏聞いたあとみたいに魂が清められるのだ。そういえばナーヤさんはどこかロシア人ぽい。ドラマや漫画にはそこまでの力はないけれど、おすすめです。暗くて万人向きではないけれど。さて、村上春樹の新作が楽しみだ。このあいだテルミーのコオロギ先生と、ドストエフスキーで盛り上がった。漫画の無料リンクhttp://fbk.is/book/comic/search/%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0
2018.02.23
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中島敦「悟浄出世論」大阪教育大学近代文学ゼミナール【 序論 】 1、遍歴に出るまで 2、悟浄の変化について 3、悟浄はどのように救済された【 結論 】悟浄よ、諦らかに、我が言葉を聴いて、よくこれをきいて思念せよ。(略)まずふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打ち込め。身のほど知らぬ『何故』は向後一切捨てることじゃ。これをよそにして、爾の救いは無いぞ。さて、今年の秋、この流沙河を東から西へと横切る三人の僧があろう。西方金長老の転生、玄奘法師と、その二人の弟子どもじゃ。(略)悟浄よ、爾にふさわしく、疑わずして、ただ努めよ。
2018.02.21
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何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、おれは努めて人とのまじわりを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。中島敦 山月記 より青空文庫ユーチューブ朗読虎になる前に3月18日(日)第二チャクラ研究会に来てください。元博学才穎の李徴のように人食い虎になる前に、人間的な官能やひととのつながり、また独りある楽しみにつながってください。尊大な自尊心はエゴの病だから、すべてのサトルボディの歪みに起因するだろうけれど、孤立するのはよくない。孤立して第二チャクラの後ろ側にアンバランスに固まってしまうと、ますます第三チャクラのエゴが病んでくる。まず第二チャクラをほぐしましょう。再受講は半額。
2018.02.20
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ついでに中島敦の「名人伝」もユーチューブに朗読があった。これは楽しい。江守徹 の朗読がいい。なんともセラピスト稼業の我が身にも、味わい深い話である。
2018.02.20
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学校に行ってよかったなと思うことは、今思い出せることと言えば、中島敦の「山月記」を知ったことと、「人間万事塞翁」を習ったことぐらいだ。学校で習ったわけではないが、悟浄出世という中島敦の名作があって、これは頭でくよくよ悩むひとたちすべてのひとに送る必読文献だ。幸い青空文庫ですぐ読める。ホーリー・マウンテンのパルケノン神殿巡りのように、悩みの末に海底の賢者たち遍歴の末、ついには、観音様の夢のなかの「これよりのちは、一切の思念を棄て、ただただ身を働かすことによってみずからを救おうと心がけるがよい。」というお告げを頼りに再出発する姿は、ある種のひとにはたまらないだろう。観音は告げる。「身の程知らずの悟浄よ。いまだ得ざるを得たりといいいまだ証せざるを証せりと言うのをさえ、世尊はこれを増上慢とて難ぜられた。さすれば、証すべからざることを証せんと求めた爾のごときは、これを至極の増上慢といわずしてなんといおうぞ。」もうひとつ悟浄嘆意も青空文庫にあって、こちらはトータルにエネルギーを生きる孫悟空をくよくよ悩む沙悟浄が語る内容となっている。これもお薦め。 神秘をただ生きる孫悟空への憧れが描かれている。でも悟浄出世のほうがお薦めだ。この短編ふたつ合わせて、『わが西遊記』と総称されてる。『西遊記』を題材に、沙悟浄を主役とし、中島敦は「僕のファウストにする」という意気込みで書いた。wiki らしい。ユーチューブに朗読があります。本を読めないひとはこちらを。こちらは中島 敦・作「悟浄歎異-沙門悟浄の手記」(かたり・竹崎利信)以下OSHOこれが西洋全体、現代人のマインドが直面している基本的な問題のひとつなのだ。私達はすべてを理解しようとする……そして本来、生というのは神秘なのだ。それを生きることはできるが、理解することはできない。理解しなければいけないと言い張るならば、あなたはずっと表面的なままでいるだろう。知性は皮相的なものでしかなく、ある程度までしかいくことができず、それ以上深く入ってはいけないのだ。深さというのは知性の次元ではない。知性の次元は長さだ。だから、細部について知りたいのなら、知性はいくらでもどんどん与えてくれるが、それは深く入っていくことはできない。それは深さの次元にある事実を、垂直に掘り出すことはできないのだ。だから忘れてしまいなさい。理解する必要などないのだ。Osho, Above All, Don’t Wobble, #22より抜粋
2018.02.20
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「罪と罰」のエピローグで、ラスコーリニコフは魂の恢復をする直前に、病気になり悪夢を見る。「彼は病気の間にこんな夢を見たのである。全世界が、アジアの奥地からヨーロッパに広がっていくある恐ろしい、見たことも聞いたこともないような疫病の犠牲になる運命になった。ごく少数のある選ばれた人々を除いては、全部死ななければならなかった。それは人体に取り付く微生物で、新しい繊毛虫のようなものだった。しかもこれらの微生物は知恵と意思を与えられた魔性だった。これに取り付かれた人々は、たちまち凶暴な狂人になった。しかも感染すると、かつて人々が一度もけっして抱いたことがないほどの強烈な自信を持って、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思い込むようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。全村、全都市、全民族が感染して、狂人になった。全ての人々が不安におののき、互いに相手が理解できず、一人一人が自分だけの真理を知っていると考えて、他の人々を見ては苦しみ、自分の胸を殴りつけ、手をもみしだきながら泣いた。誰をどうさばいていいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善どうするか、意見が一致しなかった。誰を有罪とし、誰を無罪とするか、わからなかった。人々はつまらないうらみで互いに殺しあった。互いに軍隊を集めたが、軍隊は行軍の途中で、突然内輪もめが起こった。列は乱れ、兵士たちはお互いに躍りかかって、斬り合い殴り合いを始め、噛み付き、互いに相手の肉を食いあった。町々で警鐘を鳴らし、みんなを拾集したが、誰が何のために呼び集めたのか、それが誰にもわからず、みんな不安におののいていた。めいめいが勝手な考えや、改良策を持ち出して、意見がまとまらないので、ごくありふれた日常の手工業まで放棄されてしまって、農業だけが残った。そちこちに人々がかたまりあって、何かで意見を合わせて、分裂しないことを誓いあったが、たちまち何か今申し合わせたことと全く違うことが持ち上がり、罪のなすり合いを始めて、つかみあったり、斬りあったりするのだ。火事が起こり、飢饉が始まった。人も物も残らず亡びてしまった。疫病は成長し、ますます広がっていった。全世界でこの厄災を逃れることができたのは、わずか数人の人々だった。それは新しい人種と新しい生活を創り、地上を更新し浄化する使命を帯びた純粋な選ばれた人々だったが、誰もどこにもそれらの人々を見たことがなかったし、誰もそれらの人々の声や言葉を聞いたものはなかった。このばかばかしい夢がこれほど悲しく苦しく彼の思い出の中に後をひいていて、この熱病と悪夢の印象からいつまでも抜けきれないことが、ラスコーリニコフを苦しめた。」ドストエフスキー「罪と罰」より
2018.02.20
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サガプリアのようにややこしくなく、単純にインナーマン、インナーウーマンについて考えると、もし男性なら無意識は女性。もし女性なら無意識は男性であるという。これは実は、OSHOもこう言っていて、敬愛するスッダも言っていて、たぶんユングもそう言っている。愁嘆場になると、男の方が女々しく泣いたりひつこかったり、女がへんに論理的にさっぱりと別れたりするのは、無意識でばかになっているアニマ(女性性)とアニムス(男性生)のせいであると考える。どちらも無意識だから、未発達のエロスとロゴスが現れる。スッダのインナーマン・インナーウーマンのグループでは、男装したり女装したりした。部屋に男物の服と女物の服を山積みにして、そのなかかから、自分のインナーマンやインナーウーマンが身につけたい服を選んだ。スーツを選ぶか、ジーパンを選ぶか、フリルのスカートを選ぶか、タイトスカートを選ぶか。女性は男性になり、男性は女性になる。ふすまがあいたらご対面で、それぞれパートナーを見つけて、一緒に食事をする。僕はアシスタントをしていたから実際には体験していないが、それはそれは美しい光景だった。で、宝塚はご存知、男装の麗人たちがトップスターである。多くの女性は男役を憧れるが、これは内なる男性性(無意識)の投影ではないか? とは単純に思う。では、男性のファンは、娘役に惹かれるのか?というと、そう単純ではなさそうだ。たしかに「檀れい」とか娘役のスターもいて、人気もあるが、やはり多くの男も男役のファンではあるまいか?娘役というのは、第二チャクラのフィーリングの情感ありそうで、「檀れい」のようにちょっとふくよかなスタイルで、おなかもギリシア彫刻のように丸くふくらんでそうだ。それに比べて男役と言うのは、第3チャクラ的スタイルと言えようか。横尾忠則は、初めて宝塚を観た後に、1000枚ブロマイドを買ったという。ついには舞台監督やポスター制作も務めた彼も男役トップスター専科の「轟悠」のファンで対談もしている。僕も横尾さんと一緒で、誰が誰だかわからないけれど、「轟悠」は認識できる。このひと、ほんとうにほんとの男みたいでかっこいいのだ。第3チャクラのすっきりしたスタイルだけど、そこはそれハートの夢の国の宝塚スターだから、ギスギスした第3チャクラでは、もちろんない。夢に身を捧げる愛のパワーのお話が多い。かくめいとか、どくりつうんどうとか、そういう。「なぜインテリ男性が宝塚にハマるのか?女の花園に踏み込んだ「ヅカ男子」の生態」というダイヤモンド・オンライン編集部の記事によると、「秋山氏によると、ヅカ男子になる理由は主に3つあり、①特定の娘役が好き②女性ファンの多くと同じで男役スターが好き、そして③デトックス効果、が挙げられるという。 普段から社内で大きな役割を担っていたり、経営者としての責任の重さなどから、頭をフル稼働させて仕事をしているエリートビジネスパーソンたち。そんなヅカ男子たちが唯一、俗世間の揉め事や難題から解放されるのが宝塚の舞台なのではないだろうか。「一番の魅力は、カッコいい男性が描かれていること。酔っぱらって下ネタに興じているような品のない男は、宝塚の舞台上にはいないので、ホッとします」(会社員・52歳)という言葉が示すように、宝塚は第一線で闘う男たちが心からやすらげる貴重な場所なのかもしれない。(文/ダイヤモンド・オンライン編集部 林 恭子)」ということだ。この最期のところにあることから考察するに、男性は男性で、かっこい男性エネルギーを投影しているのである。これは男も女も、内側に男性エネルギーと女性エネルギーの両方を持っていて、さらにはネガティブな男性性とポジティブな男性性とネガテイブな女性性とポジテイブな女性性があり、このポジテイブな男性性というものがこの世の中ではなかなか表現しにくく、それを投影するのではないか?とつらつら考えた。僕にとってのポシティブな男性性の発露は、はんげんぱつうんどうやかくめいうんどうであったが、そういうのはついぞしてないから、グループをやると元気になる。それも毎日していないから、男役スターに目がいくのか?と考察する。
2018.02.19
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何を隠そう、姉が宝塚歌劇の雑誌「歌劇」の編集部に入っていたし、もちろんそれは宝塚だけでない芝居映画好きの母親の影響で、僕も子どもの頃はよく連れて行かれたし、お目当てのスターの楽屋入りをひと目観るために並ぶ花の道なんてのにも数回、母姉のお伴で冬空の下に並ばされた。ひさしぶりにふと宝塚に行きたくなって、手塚治虫記念館と温泉も含む宝塚散策。残念ながら立ち見席もいっぱいだったから観劇はできなかったが、大劇場前ロビーを歩くだけで満足した。第四身体の想念のレベルで、ふあふあした幸せの気が満ちていて、ディズニーランドや結婚式場のようにめでたい気が満ちている。夢の国には夢の空気が充満している。思考の粒が飛び交っていて、残念ながらユニバーサルスタジオにはそれほど感じないのは、震災がれき焼却で汚染されているからだろうか?宝塚はまさに第4身体レベルの、想念を吸い込み、想念を吐き出す、第四身体の呼吸レベルで、もやもやもや~とした気が充満していて、こここそまさに精神世界の表層の夢の世界を極めた場所だ。「次に第四番目の身体、メンタル体(精神体)がある。ここでは想念が入ってきて、想念が出てゆく。」OSHO
2018.02.19
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ヒューマンデザインという診断では、ほとんどのチャクラが白く空いているから、周りに影響されるのは、第2チャクラのせいだけではないのかもしれないが、空っぽの器になって自分より大きなものの乗り物になりやすいわけだし、OSHOが僕に「神聖 勝利(DEVA VIJAY)と名付けてくれたのは、きっとそういう意味だろう。と思うことにしている。 ヒューマンデザイン無料診断
2018.02.15
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ハートのスペースのなかを通り過ぎないエネルギーがあるとしたら、僕の中に似たような振動するエネルギーがあるからだろう。それは自分の無意識を知るチャンスに使える。昨年は暴力を内側に抱えたひとにセッションをよくやった。で、影響された僕は、深夜にヤクザ映画をたくさん見るようになった。高倉健とか、菅原文太とか、飽きるまで見た。自分のなかのヤクザに出会う良い経験になった。彼らの暴力性をキャッチして、共鳴し、振動するエネルギーを受け容れることにしたのだ。「知らん仏より、知ってる鬼の方がましじゃけんよう」と、広能のアニキは言っていた。 仁義なき戦い 代理戦争より
2018.02.15
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ものすごく大変なセッションをした後は、終わってお風呂でうとうとするし、一晩寝て起きたらトラックに轢かれたみたいでしんどくなる。 ハートでいるつもりだが、フィーリグもたくさん受け取ってしまうんだろう。霊媒体質だと言われたことがあるから、こうなるのもしかたがない。いつものことだ。霊かどうかはわからないが、そんな時の僕の第2チャクラのスポンジは、クライアントのフィーリグを吸い取って、水浸しだ。特に、相手の代わりに相手の感じてることを感じてあげるようなセションでは、どうしても第2チャクラの感性を使う。だから僕のフィーリング・チャクラはいっぱいになっているのだが、しかし抵抗して軋轢を生むと、さらにしんどくなるのはわかってる。これがわかるまでどれだけ苦労したことか。筆舌につくしがたい。と書くのは大げさだろうか。とにかく抵抗しないで、ハートと第2チャクラに手を置いて、つながりを感じてしばらくしたら、そのフィーリグは通過していく。急に身体が軽くなり、視界も明るくなる。フィーリングは、ハートのスペースのなかを通り過ぎて行ってくれるのだ。昔は、こんなことになると、一週間くらい倒れてたと思う。お守りグッズや大金かけて結界張ったり、大変だった。ある時セドナで、リーラにそのことを相談したら、「私は一切、自分を守ることはしない」と言った。「皮下脂肪が多いからじゃないか?」と内心突っ込みも入れながら、僕もその教えを守るようになって、ハート瞑想を精進するようになって、本当に楽になった。カウンセリングをしたら肩の荷が降りましたとクライアントは帰って行くが、僕の肩の荷はど〜んと重くなるのが常だったが、今はそれも数分から数時間で過ぎ去る。僕も皮下脂肪が増えてきたからかもしれないが、ハートのスペースのおかげだと本当に思う。スペースのなかを通り過ぎないエネルギーがあるとしたら、僕の中に似たような振動するエネルギーがあるからだろう。それは自分の無意識を知るチャンスに使える。と、さらりと書いたが、苦節何十年、あの手この手を探求して、やっとわかってきたことだ。サトルボディヒーリグのトレーニングで、相手か自分かわからなくなって、やはり困って訴えたら、プラサードが「そんなふうに感じるために何生も修行するひとがいるのだから、それは呪いでなく、祝福だ」と言われて、ふ〜んと思ったことがあるが、ハートと第2チャクラがつながるまでは、それは呪いだった。
2018.02.15
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子どもの頃からの侵入されたか、放置された親との関わりが原因となって、ひとから離れたり、関わったりするリズムが、依存になったり、孤独になったりするパターンを生んでいる。こんなこと何にもわからなかった時は、恋人が「ちょっとひとりになりたい」と言っただけで、パニックになったし、仲が良い関係性を持ちながら、時々自分がひとりになりたいのも何かおかしいように感じてた。今は、一日中留守番して寂しかった猫の必要性も認めて、邪険に扱わずに、抱きしめてあげれる。猫のレフアは捨て猫だったからか、さみしがりだ。時々 あんまりうるさいと向こうのソファに投げるけど、もちろんふんわりと投げる。よしよしされて満足したら、自分の必要を認めて、お風呂にでも入って、息を吐いて、ひとりを楽しむ。今日は一日、色んなひとと会って楽しかったなあ、と消化する。それでも足りないからひとりでソファに寝っ転がり、Netflixを見たりしてるのも、僕の大切なひとりの時間。早く寝ようよと、猫がうるさく迫ってくるが、それは子供の頃から母親に早く寝なさい、と言われてた記憶が蘇るのか腹が立つのだと、分析して納得する。写真は、僕の第2チャクラの後ろ側が固まった孤独な狼のパーツ(ボタンを押すとワオ〜ンと吠える)とじゃれる猫のレフア。
2018.02.15
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朝になって急に3人もキャンセルが出て、昨日は12人で、第2チャクラの体験研究会。大切な友達で、ぜひこの日の瞑想をしてもらいたかったふたりのひとは誘っても来れなかったけど、ひとりの友達は来てくれた。ずっとひとりで家にこもってるから心配していた。第2チャクラの後ろ側にバランスが崩れて、エネルギーが固まってしまってることに、自分で気づいて欲しかった。気づけば、不自然なことは落ちて、自然なものは育っていく。エネルギーはバランスよく流れてる方が自然だ。固くなった彼の感情を、代わりに感じてあげて、Fさんは泣いていた。彼は申し訳ないと言ってたが、共感するのはFさんの才能の責任であって、彼のせいではない。第2身体の大きなFさんは、きっと知らない人のお葬式に行けば悲しくなり、結婚式場に行けば、めでたく感じるだろう。第2身体はそんなふうに影響し合うものなのだ。やはりA君の固まった感情と、Fさんの共鳴した感情を感じて、Oさんは「第2チャクラをとても強く感じました。腹の辺りから激しく熱く込み上げてくる感覚、第2チャクラが感情、人との繋がりと関わっているのを感覚として感じ、気付くことができました」との感想を送ってくれた。「ハート瞑想なしで第2チャクラのことをやるとひどいことになる。これは私たちの40年間の経験から創り出したプログラで、いい加減に創ったものではない」とプラサードが言ってた。それを守って、昨日はたっぷりハート瞑想をやったからか、人間関係のふれあい、離れるリズムに気づくエクササイズもスムーズに進んだと思う。第二チャクラというパンドラの箱を少し開けてみたが、たぶん皆なしんどくならずに、感じることの楽しさが増したのではと思う。初めて参加した年配のMさんも「第二チャクラが安定している感じがしています。散歩に行き、ハートから第二チャクラへと瞑想してみました。第二チャクラの存在感を感じます」とのメールをくれた。また二回目参加のTさんは、「ひとりであることを楽しみながら帰りました」と言ってた。ひととのつながりにも、独りあることにも、溶けていくのが第二チャクラだ。結局、時間は延長させてもらってビレッシュのラブメディテーションを終わったのは19時になって、金沢から参加したTさんは、急いで帰ることになったが。そのTさんは、こんな嬉しい感想をくれた。「最後のハグの時、とても怖がっている自分がいました。人に拒絶されるの恐れて、ハグから避けていました。でも本当のハグを教わり、みなさんとハグをして本当に幸せな気持ちになり、体の奥底から温かくなり喜んでいる感覚です。力が湧いてきました。一人でホッとする時間も楽しみにしてます。」集合写真撮ったり、瞑想中の写真撮ったりするのは嫌いなので、部屋の写真をシェア。もっと広くてきれいな感じ。いつも部屋を準備してくれるPさんのお陰です。ありがたい話です。
2018.02.13
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今日 友だちのコメント欄に書いていて思い出したこと。 初めてPoonaに行った時、ブッタホールで夜に自主的にくるくる回ってるひとたちがいて、僕も見よう見まねで回りだした。 それが楽しく、毎晩のように回り続けた。 それがワーリング瞑想というのだというのも後から知った。 ただ景色が回り、自分の中心が回らないのが面白かった。 その頃はよくサガプリアに、あなたは生まれついてのスーフィーだと言われた。 が、その意味もあまりわかってなかった。 くるくる回るのは、子どもの頃もよく意味なくやってた。 しかし、子どもの頃は、三角倒立も大好きで、逆立ちしながらお菓子を食べたりしてたから、ヨガ行者の過去生もたくさんしたんだろうと思う。 トルコ料理のレストランの二階の異国風スペースで、瞑想会してたときは、イスラム文化やイスラム教にはまって、頭の中はそればっかりになった時がある。 調べれば、スーフィズムというのは禅みたいで面白い。 そのブームの流れで、ジベリッシュ ブームもやって来たが、ある時、チャクラ ジベリッシュの第七チャクラをしている時に、朗々とコーランのような節回しで歌いだし、2分半トータルに歌ったら、ぱたりと僕のイスラムブームは終わった。 過去生か何かわからないが、無意識で同一化していたエネルギーから、非同一化したのかもしれない。 恐るべしジベリッシュ。
2018.02.13
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「やりたいこと」「できること」「やらねばいけないこと」の三つの重なった部分をやる。と向井孝さんはよく言っていた。僕が少年から青年期に世話になり尊敬していたアナキスト詩人。ドラッカーの will can must について説明しているサイトにという言い方で、経営学者のドラッカーも言ってるらしい。向井さんがドラッカーから引用していたとは思えないので、えらいひとは皆同じことを考えるのだなあと、感心した。「エネルギー」と「スペース」と「気づき」の三つが重なったところが意識であるというお話を、プラサードから昔に教えてもらったという話を、ユニティ・インスティテュートのメルマガに書いた。三つの丸が、それぞれ固有の偏りがあって、例えばエネルギシュだけど、気づきのない人や、気づきが有るけれど、スペースのないひとがいたりする。それを絵にするとわかりやすいのだが、ドラッカーの will can must について説明しているサイトに色々なケースのカットがあって面白かった。will だけ大きい=やりたいだけ大きかったり、can =できること が小さかったり、must=やらねばいけないこと が大きすぎるのはしんどい。以下 mixi 日記より再録2012年08月08日やらねばいけないことで、やれることを、やりたいように、やる 「実行というのは、負けても負けても負けてしまわない・・それに至る永遠の過程。その時々にやらねばならないことで、自分がやりたいと思って、やれることを、自分の好きなやり方でやる。そしてやる時は、一生懸命やれるギリギリのことを追求する。それを自分の日常活動としてやる」 これは、尊敬するアナキスとの向井考さん言葉。 「非暴力直接行動とは、勝つことを目指さない。ただやられても、やられてしまわないということ。それが非戦ということ。その暴に非ざる力を取り戻す行為のなんでもかんでもの一瞬一瞬が私ら自身の表現であり、発散であり、解放になることをする。」 これはその向井さんのパートナーの風さんの言葉。 その時々にやらねばならないことで、自分がやりたいと思って、やれることを、自分の好きなやり方でやる。そしてやる時は、一生懸命やれるギリギリのことを追求する。というのは人生そのもののようにも思えるし、また運動に少し関わるとこの「やらねばならないこと」が次々と出てくる(というか知ってしまう)のが、しんどくなっていって、胃が痛くなったりする原因だと思う。 しかし、やはり運動だけでなく、人生とはそんなものかな? やらねばならないことなんて、なにひとつないという視点から、やれることを、自分の好きなやり方でやる。そしてやる時は、一生懸命やれるギリギリのことを追求する。では、運動にならないのかな?人生を遊びながら、上滑りしていくだけなのかな? 責任をとるということ。自分の応答できる能力を使っていくこと。発散・解放だけでなく、創造していくこと。 やらねばいけないことで、やれることを、やりたいように、やる やらねばいけないことはなにひとつないのだけれど、やれることを、やりたいようにやる。 この違いについて考えている。
2018.02.09
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あなたが私を愛したのなら、 私の肉体は消えてしまうだろうが、 私はあなたのために死んでしまうことはできない。 ・・・たとえ、私が去ったとしても、 あなたが私を探すことを私は知っている。 そうだ、あなたがあらゆる石と花のなかに、 あらゆる眼と星のなかに、 私を見つけ出そうとすることを、 私は信頼できる。私はあなたにこれだけは約束できる。 私を見つけ出そうとすれば、 あなたは私を見いだすだろう・・・ あらゆる星のなかに、 そしてあらゆる眼のなかに・・・ なぜなら、 あなたがほんとうに マスターを愛したとき、 あなたは彼とともに永遠のなかへ 足を踏み入れるからだ。その関係性は時には縛られず、 時を超越する。死はまったく 存在しないだろう。 私の肉体が消え、 あなたの肉体が消えるが、 それはいかなる違いももたらさない。 肉体の消滅がなんらかの 変化をもたらすものだとしたら、 それはただ、 愛が起こらなかったことを 示しているだけだ。愛は肉体を越えた何かだ。肉体は来ては去るが、 愛はとどまる。愛のなかには 永遠が、 時の超越が、 不死性がある。心配することはない。 私はあなたを置き去りにはしない。 もちろん、 あなたはいつでも自由だ。だが、どこへ行こうとも あなたは自分の内側に 私を見いだすだろう。いつであれ、 眼を閉じれば、 私を見いだすだろう。いつであれ、 眼を沈黙するなら、 私の声を聴くだろう。愛は幼稚な遊びではない。 それはハートに深く 入っていく。 それを捨てる方法はない。だから、 元気よく ありなさい。OSHO
2018.02.08
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