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今回は、8年ぶりに断食合宿に出向きました。前回と同じ日程?日付で、12月30日から1月3日の朝まで。行っただけの満足感で終わってはいけないですよね。前回は食べ過ぎ食べ過ぎの毎日で、一回それこそ体を浄化しようって思い付きで申し込み。厳格なタイプではないので、耐えられた。気合いも入ってて。したら、最終日の2日の夜、ずっと布団に入ってても眠気が来ない。眠くない。そしたらそのまんま朝になってしまい。「食べないっていうのは、これだけ身体の負担を軽減するものなのか」と驚いた記憶があります。有名人でいうと、京本政樹さん、彼も年齢を聞いたら驚くくらいの若々しさでありますが、彼の言うとおり、普段が「1日1食」であるのなら納得。内臓を疲労させる頻度が、ふつうの人の3分の1なわけだから、老化も進まないなあ。納得。ってことで「少食はいいことだ」と考えるようになりました。あと、思ったのが、人間が生命、生活を維持するための食事ってのは、この現代になっても、そんなに必要ではない、ってか、一般の社会生活で摂取する食事ってのが、身体にとっての必要量を常に常に上回ってる、過剰であるという認識ですよね。豪華な食事っても、バーミヤンの火鍋がせいぜい、寿司だって、回ってるところで数をこなすのがせいぜい。目利き?ってもね、自分で自信があるのは牛丼くらいです。→牛丼は、器を変えたり、味噌汁を付ける付けないでアレンジされても、「これは吉野家」「これは松屋」「これはすきや」「これはなか卯」って識別できます。でもそれくらいだし、この辺が鍛えられる?見込みもない。何しろ、一回変えてみようっていう目論みでした。ただ、前回の2010年のときは、帰京してから失敗し、っていうか、「俺ってこんなに糖質中毒だった?」って感じで、確か、帰京してコンビニでおにぎり買ったら、歩いてる途中、コンビニを見つける度に入り込んで購入。もう、本当に食べたくてしょうがない。そのまんま牛丼に流れて、1か月で松屋の牛丼を30回食ってました。(食券の枚数で確かめられた)このあたりまで常時80キロ台であった体重は、合宿後瞬間風速で75.9キロだったんですが、80キロ台に回復?するのに3日とかからなかった、、。そういう経験があったんで、今回は「点」を「線」にして取り組もうって感じでした。具体的にはノートの記入。参加を決めた11月末からノートを作り、食べたものとか、体重とかを記録。経過観察を続けました。端的な体重の推移で言えば、12月30日の13時で67.5キロ。1月3日の14時で、64.5キロ。なので、3キロのマイナス。ただ今回は最終日の夜、しっかり寝てたんで、これは、2009年当時に比して、食事量が全体に減ってるから、同じ合宿でも、食事量の減衰の度合が少なかったからかなって捉えてます。ひとつチャレンジしたいのが時間調整。これは、夕飯を摂るのを19時までにして、あとは腹が減ってても、メラトニンを飲んで無理やり眠るっていうこと。昨日してみましたが、やはりメラトニンを飲んでも空腹で少しつらい。でも、我慢して寝ました。横になってたって方が正確ですがね。その意味で、昼寝も徹夜もない1年を送りたいですよね。以前書いたかも、ですが、本当に飲み食いが、いかに疲労をもたらすかですから、より少ない睡眠、少ない食事量で常に体が軽い状態であることが必要ですよね。食べ放題が好きな私ですが、短期間で親の仇みたいに、呼吸もしないで食う。そして、食べ終えたら「疲れていないと」満足しないっていう傾向がありますのでその辺は変化させていけるかなと。合宿先の変わり様は、後日記述しますが、今日は取り急ぎここまで。いつまでも、おんなじことして「ああ、ダメだった、まあいいや」ってなら、そもそもそんな企てなぞ、する必要はないわけでして。その意味で、2019年の正月はワンチャンスでものにして、あたらしい習慣を軌道に乗せたいですね。また、我慢って意味では、大人になって、ずいぶん我慢をしなくなったと。カレンダーをみたら、今年って、85年と同じ曜日サイクルなんですね。3月2日、TAP進学教室の新中3生の新学期がスタートしました。土曜日です。因みに、この1985年の3月2日の土曜日ってのは、「Ζガンダム」が放映開始をした日です。一度も見れなかったけど。あの当時から、あったもの、今もあるもの、そして今はなくなっているもの。自分はどうでもいいことに、頭を突っ込んでないだろうか。当時14歳、誕生日を迎えて15歳になるわけですが、このときのほうが、分別があり、自分にたいして、厳しくできていたような気がします。ウィキで1984年を検索してみる。そうか、阪急ブレーブスのブーマーが、3冠王を取った年。翌年1985年は、日航機でしたね。今より、自分にとっての娯楽は格段に少なかったけど、もっとしっかりと堅実に生きていた気がします。こっそりと、ヤフオクでは、「高校への数学」を落札し続けてるのですが、いちおう、83年から92年までで、コンプリートするまでには、あと2冊となってます。ふと、そうやって入札、落札をする、ってのは、その当時へのノスタルジー?なにかあんだろうな。って感じです。身長もそんなに伸びてないけど、まあ、体重は56キロとか、57.6キロとかそれくらい?二浪時には67.6キロまでいって、それ以上は身体のほうが「もう、抱えられません」って感じ。大学生になって、必死に食べないってことしたけど、それでも、学生の間は、落として64.5キロでした。昨日は、その体重で喜んでるわけだから。ねえ。あとで続きを書きます。
2019年01月04日
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