XFROMJAPAN+VIOLET UK

XFROMJAPAN+VIOLET UK

YOSHIKI-LONG INTERVIEW

YOSHIKI
XJAPAN(82年結成、97年解散)のリーダーにしてドラマー、ピアニスト。
バンドでのCDの総売り上げは2100万枚以上。
その楽曲のほとんどが彼の作詞作曲によるものである。99年11月、天皇陛下在位10年記念式典における奉祝曲『Anniversary』でのパフォーマンスを契機に活動を本格的に再開。
03年にはコロムビアミュージックエンタテインメントと契約。世界的な活動を視野に入れた、新プロジェクト“VIOLET UK”の制作にとりかかる。構想10年以上という“VIOLET UK”は近々、本格的に始動する。また、携帯電話公式サイト「YOSHIKI mobile」に、新コンテンツ「着ボイス」「着ピアノ」が登場 ! 
このためだけに録音されたボイスやピアノの音色に注目だ。その他、貴重なオフショットや、本人のメッセージも配信中である。


YOSHIKI
ひとことでいうと、人生ですね”――
栄光と挫折、光と影がつねに同居する
伝説のロックバンド X JAPANでの活動を、こう総括した。
日本の音楽業界に数々の偉業を残し、彼らは風のように時代を駆け抜けていった。
そして男は今やアーティストとしてだけではなく、
音楽プロデューサー、レコード会社社長としての顔も持っている。
かつて手にした栄光にすがることなく、世界を視野に入れて、新たな人生を走りだした。


23歳の春、YOSHIKIにある大きな転機が訪れた。89年4月21日、CBSソニー(現・ソニーミュージック)からアルバム『BLUE BLOOD』で、自身がリーダーを務めるXがメジャーデビューを果たしたのだ。デビューアルバムからセールスは100万枚を突破、年末には日本有線大賞『最優秀新人賞』、全日本有線放送大賞『最優秀新人賞』などを受賞した。

YOSHIKI
「インディーズ時代はね、“エクスタシー・レコード”っていう自分のレーベルを設立して、活動してたんだけど、意外に成功しちゃったんで、ビジネス面が忙しくなっちゃったんですよ。プロモーション活動とかいろいろ面倒くさくなっちゃった。それでメジャーに行けば、こういうことをやらなくていいんだろうなと思い始めたんですね」


自ら退路を断つ破滅型
既存のものを壊したかった。

XJAPANは82年、YOSHIKIとTOSHIが中心になり、まず、Xとして誕生した。2人が高校生のときである。実はYOSHIKIは当時、音楽大学への進学も考えていたが、それをやめてしまう。


YOSHIKI
「いろいろ音大を受けるつもりはあったんですけど、結局、逃げ道を作るのがイヤだったんですよ。バンドがダメだったら、もう人生なんかどうなっちゃってもいい、とまさにそういう心境だった。“退路を断つ”みたいなのが自分の性には合ってるんです」


高校卒業の段階で自分の将来をひとつの方向に定めるということはよほどの勇気がないとできないことである。いや、それ以前にこの年代では“まだ、自分が将来何をやりたいのか”すら見つからないだろう。
そう考えると、この男の人生のスピードは異常に早い。


YOSHIKI
「ひょっとすると物心ついたころからそうなのかもしれないけど、もうこれはね、昔から僕、破滅型なんです(笑)。あまり先のことは考えないっていうのは今もあるかもしれない」


何のツテもない状態ながら、上京から1年後にはバンドとしての体裁を整えた2人。85年6月にはインディーズながら初のシングルをリリースした。


YOSHIKI
「とにかくあのころは、自分の作ったものを聴いてもらいたいっていう、それだけ。逆に評論家筋には認められたいとは思わなかった。CD出したときに雑誌とかに評論書かれたんですけど、けっこうひどい内容だった。でも、それはそれで良かったような気はする」


この出来事が、自分の表現したい音楽をひたすら追求するのみ、という姿勢につながっていく。


YOSHIKI
「お手本とか教科書みたいなもの―『ロックはこう弾くべきだ』みたいなものがあるじゃないですか。
それを言われるだけで頭にきていた時期だった。好きにやればいいじゃないのって。要するに心が通じればいいというか、音楽に酔って誰かを刺激できればいいと思っていたので、方法論とかいわれるといつもムカついてました。既存のものなんて、ぶち壊しちゃえって」


“敵が多ければ多いほど燃える”“ひとりで1000人に向かっていくような性格をしている”…YOSHIKIの自己分析だ。
ライブハウスを壊すなどの暴走は当たり前で出入り禁止をくらう、なんていう伝説が生まれたのも恐らくこの気性による賜物だろう。その危うさがXの魅力のひとつでもあった。
当時としては珍しい、プロモビデオの配布など、自身のプロモーション活動を積極的に行ったこともあり、その知名度は一気に全国に広がった。
88年4月にリリースしたアルバム『Vanishing Vision』はメジャー・チャートにランクインする記録的アルバムとなったほどだ。そして、その年の8月、待望のメジャーレーベルと契約を果たすことになる。


メンバーとの出会いは、
まるで婚姻届のない結婚

91年にはNHKの紅白歌合戦に初出場、92年には日本人アーティストとしては初となる東京ドームライブ3DAYSを敢行し、計15万人以上を動員した。93年にはワーナーミュージックのAtlanticレーベルへ移籍、全世界契約を結び、バンド名をXJAPANに改名した。彼らは、日本の音楽史に確実にその名を刻んでいった。だが、XJAPANの活動を振り返るとき、メジャーデビューは音楽活動の一環にすぎず、多少の転機になった程度のことだと、YOSHIKIは語る。


YOSHIKI
「むしろ、大切だったのはメンバーとの出会いですよ。あのメンバーだったから続けられた面もあると思う。一番大きいのは幼少時代のTOSHIとの出会い。たまたま近所に住んでたっていうことなんですけど、不思議なことですよね。HIDEにしたって、もともと他のバンドのリーダーだった。
それを僕が引き抜きにいったんだけど、そのときは自分のバンドがあるからって、断られた。ただ、そのバンドが解散しちゃいまして、彼は音楽を辞めようとしていた。実はそのとき相談されたんですけど、“じゃあ辞めちゃえばいいじゃん”って突き放したんですよ。
どうも誘われると思っていたフシがあって、ショック受けてたようなんですけど、それでかえって冷静になったみたいで、そのあと“Xに入りたい”って彼からいってきたんです。そういう不思議な出会いですよね」


これにギターのPATAとベースのTAIJIを加え、メジャーデビュー時のXのメンバーが揃った。実はアマチュア・インディーズ時代にはメンバーが流動的で、入れ替わり立ち代わりで元Xの肩書を持つミュージシャンは20人は下らないという。

YOSHIKI
「このメンバーで固定されたのはね、音楽性の方向が同じだったっていうか、“そのとき良かった”みたいな。それだけですよ。だから雰囲気的にいうと婚姻届のない結婚みたいなもの。でも、彼らとの出会いがあったからこそ、間違いなく今の自分がある」


何をどうしたら達成なのか、
実はいまだにわかってない

YOSHIKIの活動は次第にグループの枠を越えたものになっていく。93年には幼少時代に育んだクラシックの才能を発揮し、ロンドンフィルハーモニー交響楽団とコラボレートしたアルバムを発表。30万枚を売り上げる。94年にはQUEENのドラマー、ロジャー・テイラーとの共演も果たす。
97年、XJAPANは解散、98年には公私ともにかけがえのない友人、HIDEを亡くしたが、彼の走りは止まらなかった。今年は愛知万博の公式イメージソング『I・ll be Your Love』をプロデュース、開会式では自らタクトを振った。
そして近々、長年温めてきたプロジェクト“VIOLET UK”がついに始動する。常に立ち止まらず全力疾走…その姿は生き急いでいるようにも見える。何が彼をそこまで駆り立てているのだろうか。


YOSHIKI
「やっぱりそれは…音楽が好きだからじゃないですかね。でも、たまに疲れますけど(笑)。そうはいっても、僕にはオフはないですよ。“オフ=死”みたいに思ってるくらいですから。それはね、達成の尺度がわからないせいでもあります。たとえば100億稼いだら達成なのか、それとも結婚して子供を作ることがゴールなのか。それがまだわからないんですよ、全然」


だからこそ、YOSHIKIは全力疾走しているのだろう。そして、今後もそれは続いていく。

YOSHIKI
「だからね、いまだに手探り状態ですよ。100万枚売れば達成だと思ったら“別にだから”と思っちゃいましたし、東京ドーム公演も10回以上はやってるけど“うん、それで”ぐらいに思っちゃって。フェラーリを3台買ったら気持ちいいのかと思ったら、別になんてことない。何をすれば達成したのか、みたいなものはまだわかってない。ひょっとするとゴールは自分の理想とする楽曲ができたときなのかもしれない。だから多分、曲を延々と作り続けてるんでしょうね」


“昔も今も、好きな音楽のことをただひたすら考えてただけだ”とYOSHIKI。そして走り続けて今や“世界の”という冠がつく存在になった。だからこそ目標を、将来を見失っている世代にYOSHIKIは言う。“不可能なことってないと思うんですよ”と。

YOSHIKI
「昔はいろんな制限があったと思うんですけど、○○になりたいとか、今は自分のなりたいものにはなんでもなれるじゃないですか。それができないっていっても多分、それは言い訳ですよ。目前のイヤなことから逃げてるだけ。自分の心の思うままに従って、ただ、ひたすら好きなこと、やりたいことに情熱を傾けていれば、自然と道は開けていくんじゃないかな」

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