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前日朝市場にでかけた時のバス停の目の前に、ハワイでも有名なパンケーキ屋さん「エッグスンシングズ」がありましたので、朝7時開店の前に出かけて並びました。先頭で入れました。結構ボリュームもあって味も美味しかったです。こういうのは毎日はだめですが、1週間に一度くらいならいいかも。おっと忘れてましたが、LDL悪玉コレステロールが高い私はやっぱり月一がせいぜいかも。ビーチリゾートには似合ってる朝食でした。この後近くのプライベートリゾートにオプショナルツアーで出かけました。ーーーー実は今年の成人病検診でとうとうLDLが170近くあるとのことで、再検査になってしまいました。ここ数年高いという指摘はあっても、140近辺だったので再検査まではいたらなかったのですが・・・。押し麦が良いとか、粉寒天がよいとか、それらを実生活に組みこんで4カ月。再検査に臨んだ結果、139とギリギリでパス。服薬まではいかずに済みました。でもまた来年も同じ話となると思います。体質なのでしょうね。
2016年11月20日
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大変長らくサボっていました。グアムの続きです。白亜の美しい曲面の建物が老舗ホテル日航グアムです。日航グアムの最上階よりタモン湾をながめています。少し前には夕暮れの色彩の変化が実にきれいでした。太平洋のうねりがリーフの内側に届いて規則的な波を作っています。この左側がホテルが立ち並んでいるグアムの繁華街です。中華レストランです。冷房がちょっときつかったです。コースなのでたくさん料理がでてきましたが、個人的にはこの蟹爪君が一番おいしかったです♪写真を撮る前に食べてしまいました。
2016年11月14日
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ホテルの裏にある「ターザウオーターパーク」に行きました。ここもopを事前予約しておきました。ホテルの裏が坂になっていて、その坂を利用したつくりになっています。遠くにはグアムの海も見えます。この池は一周できるプールのようです。相棒はさっそく水の中へ。私はカメラマン。それではつまらないので、浮き輪を借りて、自分も若いころに戻って、バタバタキックで進みました。水中で浮いている感覚が実に気持ち良くて、癒されます。近くのアウトリガーホテルの看板が、朝見たときには、先頭の「O」が外れているように見えたのですが、ここからみると、ついていました。きっと工事中だったのですね。いろいろ楽しんだ後、本物のビーチに向かいました。泳ぎに?いえ昼寝のためです♪
2016年03月13日
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グアムに行きました。ホテルはグアムプラザ、立地はとっても良いホテルです。成田を夜9時ごろ立ち、夜中にグアムに到着、ホテルに送ってもらい、仮眠をして、朝早くホテルを出て、デデドの朝市に向かうシャトルバスのバス停に向かいました。外はまだ暗いです。バスが待っていましたが、満員になり、私達の手前でおしまい。次のバスになってしまいました。中はこんな感じです。マイクロネシアモ-ルを越えてさらに内陸に向かいます。この朝市は地元の方々の方が多いといいます。週末にだけ開催されています。食べ物の他に、衣料品や日用品などいろいろあります。私達はあらかじめネットで調べておいたお粥をいただいました。チキンの出汁がよく効いていて、とてもやさしくておいしい味。大正解でした。他の日本人にも美味しいですと、話したら、それまで私達以外誰も食べていなかったお粥が、急にどんどん売れはじめました。ほかにもケーキとお餅の中間のようなデザートを食べたり、ミニダコの燻製のようなものをいただいたり、すがすがしい朝市のひとときを楽しみました。街に戻って、ひとつ手前のバス停でおりました。5★のホテルウエスチンに入って、そのビーチからホテル日光グアムを眺めました。このホテルは毎回行きます。カッコイイのです。ここのビーチで少しお休み。ビーチリゾートはやっぱりいいです。歩いてグアムプラザホテルに戻り、その後ホテルの裏にある「ターザウォーターパーク」に向かいました。グアムはもう3回目なので、そこそこ勝手もわかっていて気が楽です。暖かいので、萎縮していた冬の体もほぐれてきます♪去年のノルウエー以降、いろいろあって旅行に行けなかったので、ストレスもたまっていて、それが次第にすーと消えていく心地よさを味わいました。
2016年03月13日
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父死去に伴い、相続や名義変更などで、父の出生から死亡までの戸籍謄本が必要と言われ、2通入手することになりました。父の現住所の市役所に行くと、2通あり、それで終わりかと思ったら、出生から結婚までと、結婚から当地移住までのものがここではとれないから、別に郵送で依頼するように言われました。郵送での依頼には1通 750¥の定額小為替が必要とのことで、それを2種x2通分=3000¥にさらに手数料で100¥x4が必要でした。いまどき、戸籍のデータが、つながって芋づる式にPC検索できずに、いちいち郵便局経由で郵送依頼するしかないんだって、しかも1週間かかります。本籍はさらに転籍などで、増える可能性もあり、その場合、送ってもらってから、それが判明して、再度1週間以上かかるわけで、21世紀のお役所仕事は、相変わらずお役所仕事、20世紀と何も変わっていません。マイナンバーが聞いてあきれます。実際、郵送した市役所から、電話ではこれで過不足ないような電話連絡があり、安心していたところ、同封した返信用封筒にはいっていたのは怪しいメモ。よく聞いてみると、まだ足りないことが分かりました。いい加減にしてくれと怒りがこみ上げました。再度別の市役所に郵送です。もう時間がないので、返信は速達として、その分の切手をはりつけ、先方の市役所にも連絡しました。すると、定額小為替が不足すると、発送できないから、余分に定額為替を入れることをお勧めしますとのこと。余分に買うと、その分余分に手数料もかかることは、彼らには関係ないことなのでしょう。上から目線の、やってあげる的な対応に腹が立ちます。本来行政サービスは公僕たる行政機関が国民のために誠心誠意の対応すべきではないでしょうか。今回の戸籍謄本では手数料なしでも最低7500¥がかかる計算です。たかが紙のコピーでです。マイナンバーを導入する以前の問題として、このような戸籍入手の前近代的なひどいサービスの姿を改善していただきたいものだと思います。そもそも戸籍を本人のルーツ認証に採用しているのは、韓国、台湾、日本だけだそうですが、このような家を基準とした方式は、核家族化した日本では弊害の方が多いような気がします。まあ、それはさておいても、もっと全国の戸籍データをネットワークにすれば、どこの市役所からでもワンストップサービスが可能になるのに、なぜしないのでしょうね。技術的には何も困難な点はないと思います。すごく不思議です。個人情報のバリヤーというのは理由になりえません。もっと別の理由がありますね。市役所の職員の仕事が減るからでしょうか。郵送なんて、郵便局とのグルだとしか思えません。それと司法書士が合理化に反対でもしているのでしょうか。今回市役所に、この件で電話するたびに、先方の窓口の人の答えに何度もむかっとして、ブチ切れそうになりました。マイナンバー、だからどうしたのと言いたいです。
2016年01月17日
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もうひとつ池袋で買ったもの、行くといつも立ち寄るお店でおいてあったもの。写真がこれ。まるでワニの背中のような模様ということでしょうか。ジャカレーではありません。どうしてこんな姿をしているのかさっぱりわかりません。自然の脅威、人知を超える自然のアートですね。なお、この石の名前ですが、海外サイトではアリゲータージャスパーという名前がありますが、別名クロコダイル・ジャスパーや、カンババ・ジャスパーとなっており、その写真を見る限り、この石とは別物に見えます。一種の風景石のようでもあり、アートの刺激を感じますね。
2015年12月31日
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建物の先にみえているのが大雪山連峰の最高峰、旭岳。父の入院している病室から12月中旬に撮ったものです。9月に入院してから、5回目の帰郷の時の写真です。ここからは旭川から高速バスで札幌に行く途中の風景です。2015年は雪が少ないと地元の方々はおっしゃっていました。最初は嵐山のスキージャンプ台ですね。雪や氷が川を流れているようです。雪景色が最高です。この翌週から大雪が降り、道は根雪になりました。いつもの旭川の冬になりました。葬儀の時にも葬送の雪がしんしんと降っていました。父の母の葬儀の時のようでした。
2015年12月20日
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池袋で買ったもうひとつのものは、やはりアメシスト。この写真をご覧下さい。表をみると普通のアメシスト。先端側だけ色づいていて、それほどきれいではありません。裏を見ると、内部がまるで解体したように見えて、少しづつ衣服を重ね着して大きくなったような、マツタケ水晶が先端だけではなくて全身に広がったような、面白い姿です。中心にある赤ちゃん水晶が段々ねじれながら成長し、ある段階でアメシストに変貌した様子がわかります。まるでロシアの入れ子になったこけしです。そうそうマトリョウシカ。どこの水晶か聞くのを忘れたのですが、相手は確かインド人。きっとインドのカルール周辺でしょう。変なアメシストは大抵カルールですし、私もその近辺のもの、たくさん持っていますので。こういう水晶に出会うと、ついつい時間を忘れてルーペでのぞきこんでしまいます。体ごと、頭ごと、水晶の中に入り込んでいるかのような時間です。日常の煩わしい出来事から切り離された時間です。今年も石が私を救ってくれそうです。
2015年12月20日
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朝7:00ごろ0Fのレストランに行くと、すでに朝食は始まっており、さっそくいただきました。ここも生野菜が充実。さっそくパプリカ含めゲット。デンマークだけあってデニッシュブレッドもあり甘くておいしいのです。このボソボソ感も日本で食べるデニッシュと同じです。満腹後、スーツケースを預けて出かけました。町には自転車ロードが整備され、多くの人が乗っています。昨夜も歩いたニューハウンまでのコースを、朝の光で写真がよく撮れることを期待して行きました。まずホテルの隣にあるスーパーマーケットに入ってお土産を探しました。一つみつけたので、後で買うことにして先に進みました。相棒は日本製の土産で済ませるとのことですが一応私は現地調達。毎度これが面倒くさいので今後は省略したいですね。朝食ではついついジュースやコーヒーなどを多く飲んでしまうので、トイレにすぐに行きたくなります。まず市庁舎に入りトイレを済ませました。ここはイタリアのシエナの市庁舎をモデルにしたようです。確かに赤レンガで似た色と形をしています。中に入ると絵画展示がされていて、結婚式もできるそうです。ストロイエに入り、お土産店で人魚姫やトロールなど眺めながら、昨日見たセブンイレブンも過ぎました。途中右手に曲がり、クリスチャンスボー城の隣の教会があったので入ろうとすると、鍵がかかっていて、どうしようかなと思っていたら、係の人が来て、今から開館しますと言って鍵を開けてくれました。ここはよく見ると前世期末にドーム部分が焼失しており、再建されたものとのことです。道理で新しい。ここでもトイレを無事すませて隣のクリスチャンスボー城へ。ここでは中国人しかいなくて写真が撮れませんでした。中国人は英語が通じないか、通じても写真を撮ってくれないひとが多いのです。しょうがないので、互いに撮り合ってから先に進みました。途中、赤ちゃんをベビーカーで押しながら歩く男性にニューハウンまでの道を聞いてすすみました。こちら北欧ではこのように男性がベビーカーを押すのが常識のようです。あちこちで見かけます。さすがは男女同権の国です。この水上バスに乗りたかったのですが、時間がなく断念。なんせ12時には駅に行かないと飛行機に間に合わなくなります。ニューハウンについてきれいな光の中でまた写真三昧。この写真のきれいな赤い家に、かつてアンデルセンが住んで童話を書いたということです。ここで、10:30.そろそろいい時間になってきたので戻ろうと思ったら、相棒がもっと先のアマリエンボー宮殿まで行ってみたいといいます。時間が気になったのですが、せっかくだからと行くだけ行ってみることにしました。こんな道を進みました。歩くこと15分程度でなんとか到着。敷地は結構広いのです。ここでもトイレに行きたくなりさがして済ませました。結構トイレさがせば、というか聞けばあるものです。それも無料のです。なんせ相棒は有料のトイレが嫌いです。ここでは、衛兵と一緒に写真を撮ったり。なかなか立派な現役の宮殿です。衛兵の交代式は12:00なので、その時間までここにいると残念ながら飛行機に乗れなくなります。早々に引き上げて宮殿の向かいにある丸い屋根のフレデリック教会にも立ち寄りました。入場は無料、大理石でできていて美しい。どことなくイタリア風建築。ドームの天井画には12等分された中に、聖12使徒が描かれているように見えました。ここを見て、速足でストロイエに戻り、途中、ギネス博物館では世界一の男性の人形の脇で写真撮影。アマー広場のちかくにはロイヤルコペンハーゲン本店や、カフェヨーロッパなどもあるのですが目もくれず歩きました。相棒が早すぎる、足が痛いと文句を言いますが、本当に時間ギリギリです。相棒の要望でこうなったのですからしかたがありませんよね。その後、ホテルの隣で土産をゲット。なんとか予定より少し遅れでホテルに戻りました。この土産の値段が税金が分からず、不安でしたが、精算してみると、72DKKが空港までの列車の費用に対して73.5DKKの残金。時間もお金もギリギリセーフです。こんなギリギリしていて大丈夫でしょうか。危ないですよね。ホテルでスーツケースを受け取り、そこでもトイレをすませ、中央駅まで石畳みの道をスーツケースを転がしました。なんせヨーロッパでは、トイレのあるところですませないと、したくなってもどうしようもないのです。相棒が足が痛いというので、特大のスーツケース2個とも私が両手にもって押しました。大汗です。列車の切符をまた自動券売機でなんとかゲットして12:40発の列車に乗り込み、空港に到着。空港では混んでいて、また自動チェックイン機でチェックインです。ここからは日本、つまりシェンゲン協定国外にでるので、パスポートもスキャンします。私のものはスムーズにできたのですが、相棒のものがなかなかできず、往生、それでも最後になんとかできました。セキュリテイを通過してから、2階でサンドイッチをいただきました。飛行機はほぼ定刻に離陸。食事は貧弱なものが一回、あとは成田到着1時間半前ごろに朝食もどきだけでした。フライトマップは帰国便では見ることができたのですが、あいにく旧式のもの、古いという印象が残ります。SASはとにかくサービスはLCC並みとわかり、機体はLCCより悪いので、次はないでしょう。これがSASの機体です。色が印象的です。古い期待をまだ使っていて、LCCとの競争が厳しいのがわかります。無事21日の朝に成田空港に到着しました。今回はトラブルもあったり、けちけち旅行方針にしたり、旅行会社のでたらめ情報に振り回されたりと、色々ありましたが、まあなんとかひどいことにはならずに帰ってこれました。半分は添乗員モードの部分もあり、結構疲れましたが、やっぱり旅行は楽しいです。失敗もトラブルも振り返ると全て良い思い出となります。ここ最近身の回りが色々あって、ブログ更新もあまり進まず、次回の旅行がいつかも不透明な状況ですが、それにパリテロなどヨーロッパ自体が不穏な状況ですが、なんとかまた次の旅行を目指したいと思います。皆さん来年もどうぞよろしくお願い致します。
2015年11月29日
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朝5:30に目覚め、6:45に朝食。早めにバスターミナルに行くために8時過ぎにチェックアウト完了。チケットはバスドライバーから購入しました。100KN/人。所要時間25分。9:10前に空港に着きました。バスを降りたところで石が目につきました。工事用の砕石ですが、ついつい最後のチャンスだと思い一個ゲット。しましまの片麻岩。記念品です。石趣味の心がむくむくっと、。誰かが見ていたら、「あのあやしい日本人はなぜ石なんか拾ってるんだ?」と言われそうです。空港では自動チェックイン機と格闘。BOOKING REFFERENCEがクリアできません。係員に聞くとIA/6PB150のうち後ろの6PB150ということ。これでようやくクリアできました。タグはそのまま持ってチェックインカウンターに向かいました。そんなこんなでなんとかバゲージドロップも完了、ゲート23Aに行きます。その前にセキュリテイを通るのですが、ここで私の手持ちバッグが何度もチェックされました。やっとわかったのが、日焼け止めを小さなバッグのポケットに入れていたのをすっかり忘れていたもの。センサーの感度がよいというか、誰かに変なものを入れられたのではないかとか、ちょっと心配になりました。フリーだといつどこでどんな落とし穴に落ちるかわかりません、まあこれが旅のだいご味でもあります。^^^^^^ようやく待合室の奥の席に座ってひと休み、コペンハーゲン行きの表示に雨マークがと言っているうちにいつの間に行き先表示がアムステルダムに切り替わっていました。あれれと出発ゲートを別のディスプレイで確認すると26Aになっています。あわてて移動です。これだからフリーで海外の空港は気を抜けません。もっと年をとると、こういうことに対応できなくなって、落とし穴に落ちるんだろうなと心配になります。^^^^搭乗は10分遅れでしたが、コペンハーゲンのカストラップ空港に無事到着。天気は曇り。スーツケースを受け取ってから、NOKからDKKに両替えをすませて。地下の鉄道駅に向かいました。チケットは自動券売機でなんとかゲットできました。どこでも自動機が多いです。乗ると、3つ目で中央駅に到着。隣に乗った人が話しかけてきて、すこしお話しました。車内はこんな感じ。中央駅に到着して出口すら分からず、人に聞くと親切に案内してくれました。赤レンガの大きくて威厳のある駅!その後ホテルの方向もわからずまた聞いたら、これまた親切に教えてくれました。ホテルがまたまたわからず聞いて、また親切におしえてくれました、なんと同じホテル滞在の人でした。小さなホテルですがまあ感じは悪くありません。ついてチェックインするときにコーヒーサービス(自分で入れる)があり、一息つくことができました。国と国の間を移動するときには、フリーでは心配ごとがたくさんあります。でも、それを乗り越えて、次に進むって旅は人生そのものですね。部屋の大きさはまあまあ。少し休んでから、せっかくなので外に出ることにしました。中央駅をすぎ、そこで写真をたのんだら、なんと地元の方と思うが日本語で返事。たまにこういうことがあります。駅を過ぎて少し行くと、有名なチボリ公園の門が見えてきました。入口で写真を撮ってから、入るのはやめて先に進みました。近くのスーパーものぞきました。のぞくだけです。歩いて市庁舎の広場をすぎると、ストロイエという世界最初の歩行者天国に入ります。私の故郷旭川も日本で最初の歩行者天国ができた町、なんだかうれしいことです。とてもにぎやかで、通りの両側のお店も素敵で、いかにも観光地で、感じがよいのです。イルムスボーリフスやロイヤルコペンハーゲン、7-11もあります。レゴショップも各国のブランドショップもあります。この人形、レゴブロックでできています。私子供のころ、遊びました。レモンの形をしたジュースショップ、お土産店、カフェ、などのぞきたくなるお店ばかりです。歴史ある塔ものぞいて見えます。美しい街です。ストロイエを歩くのが最高です。まずは歩いて先に進み、ニューハウンまで行きました。ここも予想を裏切らずとてもきれいで写真三昧。ニューハウンは「新しい港」という意味で、現在はおしゃれな観光スポットになっています。ベルゲンのブリッケンもそういう感じのスポットでしたが、雨で残念な印象でした。そのリベンジのようです。かつてハンス・クリスチャン・アンデルセンが住んでいた紅い屋根の家もあります。なおここのレストランはどこも高いので有名。しかも屋外テラス席は寒いのです。デンマーク料理もこれといったものはなく、デニッシュパンくらいしか思いつきません。ノルウエーがスモークサーモンやエビくらいなものと同じです。だからここも高級レストランには行きません。そのかわり、近郊のあらかじめ調べていたパキスタン人経営のカレーレストランに行きました。場所はなんとかわかり、中に入って定番のバターチキンカレーと海老カレーを注文。それにまたまたビール。味はとても美味しいのです。結構こんでいました。シンガポールで食べたインドカレーと似ていて味に深みがある、また食べたい味でした。カレーはお店によってピンキリなのですが、当たってよかったです。コペンハーゲンでは安い方だし、地元の人たちに人気があるようです。カップルや家族連れが多かったです。明日の出国のために持ってきたお金で電車代だけ残してはらうことに。とはいっても足りないはずなので、不足分だけカード支払いを交渉したらok。支払いをすませて、クリスチャンスボー城を脇目で見ながらホテルに戻りました。少し雨が降って来ました。夜の市役所です。夜のチボリ公園入り口です。どこも歴史の重みがあり、重厚で洗練された絵になっています。外が暗くなるまでいたので、夜少し遅くなったのですが、片づけをして就寝。コペンハーゲンはオスロより大きいし、世界一美しい町の一つと言われるだけあると思います。相当昔の話ですが、スイスに来る途中で、アンカレッジ以外で最初に降りた所が、ここコペンハーゲンでした。その時には空港の外にはでられず、出てみたかった気持ちを、今回ようやく、長い時を経て、かなえることができました。やっぱり美しい町でした。ヨーロッパ、本当に素敵です。
2015年08月30日
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行ってきました。最近、色々ストレスがあって、その解放を兼ねて、久しぶりに魅惑の石達に会いに行ってきました。そこでいくつかのユニークな石達と出会い、お金を払って連れてきました。そのうちのひとつ。イリデッセンス・クォーツ。噂では聞いておりましたが、お目にかかるまでには6年の月日が・・・。お店のインド人はレインボー・クォーツと言っていました。サイズは小さくて、お値段も安くて500¥。2個買いました。インドのデカン高原でとれるそうです。産地名はアウランガバードと言っていました。姿を見ると、短い、ほとんど錐面だけの形も、裏についたアゲートも、いかにもアメシストではないかと思わせます。ですが、紫ではありません。気になるのは、茶色い鉱物が付着していることです。これってひょっとしてアメシストを焼いたの?写真がこれ。あまりうまく撮れません。写真ではよく見えないでしょうが、たくさんイリデッセンスが出ています。レインボーガーネットに似ています。錐面を見ると薄層が重なっていて、ラメラ構造なのでしょう。錐面の根元側にはまだ層ができていない部分を残して、先端が成長するのは、エレスチャル的です。錐面のどの層にも反射面があるのではなく、ある深さに限定されているようです。だから表面ではなく少し内部にイリデッセンスが出ているのが面白いです。さらにr面ではなく、z面にだけ出ているようです。ブラジル双晶との関連が少し気になりますが、z面はブリュースター干渉縞は出ていない側ですし、この干渉縞は偏光板を通さないと見えないものです。それにr面では右水晶と左水晶が表面で入り組んでいるので、きれいな層にはならないでしょうね。逆にz面はきれいな層ができやすいと思います。それにz面はr面より成長が早いから層間が浮きやすいとか、これはありうるかもしれません。エレスチャルでは浮いている錐面がよくあります。成因については、まだまだどうなるかわかりません。実はモロッコやウルグアイのアメシストにも一部にイリデッセンスを示すものがあるそうです。特にモロッコのジオードタイプに比較的多くみられるとか。あとで自分が持っているものも見てみよう。さてどこにおいたやら。水晶の中まで虹が見えるものにアイリスアゲートがあります。これはアゲートのバンドの間隔が狭いタイプで、かつ光を透過するものの中に、たまに出現するものです。そこを通過する光が回折するためといわれますが、これもまたきれいです。色々妄想を育んでくれるこの水晶、実に楽しいです。だから石はやめられませんね。ストレスが少し和らぎました。
2015年08月30日
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朝4:30にめざめ。外は雨が音をたてて降っていました。天気は昨日が最高で今日は最低。朝シャワーのあと、朝食レストランへ向かいました。オスロほどではないですがまあまあの朝食。本日の天気は曇りのち雨、気温は12℃から14℃。さすがはベルゲンです。夏とは思えません。寒くないように服をアレンジして出かけました。出るとすぐにまた雨が降り出し、結局このあとやまず。風もどんどん強くなり、まるで小さな台風が来ているかのような散々な天気でした。ここが有名な世界遺産のブリッケンです。のこぎり屋根のつながった家ですね。何百年も前からこのような建物があるそうです。まず魚市場の近くのインフォメーションオフィスでベルゲンカードを200KNで購入。博物館巡りをしようと思っていたのですが、一番期待していたハンザ博物館は対象外。ホーコン王の館から出てくる人に聞くと、「ただの古い建物よ、つまんない」というようなご意見なので入るのをやめました。次にブリッケン博物館を探しましたが、わからないままで行きすぎ、途中には変成岩露頭もあって自分では楽しい道でした。ようやく運送会社の人に聞いて博物館をみつけ、入りました。ブリッケンのとんがり屋根の家がいつからあるとか、火災の証拠が地層に残っているとか、古いバイキングのころの船のキールの再現がありました。古代のチェスのようなゲーム盤もありました。これがチェスだそうです。いわれてみれば。両側にいかめしい男が腕を組んで「王手」とか言っていたのかと思うと、親近感がわいてきます。これは船のキールですよね。基本は今と変わりありません。東京五輪の国立競技場の設計にも使われたというと、かえって訳わからない話になりそうですので、それはやめて・・・・2階には紙のきり絵の作品が並んでいました。細密で線が美しくて、しばし雨を忘れて楽しみました。ここを出てから近くの聖マリア教会に行きましたが、ドアが閉まっていて入れず。他にも別の博物館に立ち寄ってみましたが、ベルゲンカードは対象外との返事。役に立たないカードにがっかり。雨の中濡れるので本物のブリッケン家の中の通りの小さな店に入りました。ここで、サンドイッチをランチ代わりにして、その後カフェによってカプチーノで一息つきました。それにしても町や家はカラフルできれいなのですが、雨で大なしです。この後、外は寒いし、せっかくのベルゲンカードを使いたいので、ART MUSEUM KODE に向かいました。途中デパートの前でいくつかの音楽演奏が行われていました。皆さんうまくて聞き惚れてしまいました。アコースティックギターのスリーフィンガーの軽快なリズムが雨のうっとおしさを打ち消してくれました。ヨーロッパの町はこれがあるので良いです。また町の人に聞いてようやく場所がわかりました。KODEは3つの建物があります。中で傘は置いて見学です。ノルウエー絵画の父と呼ばれる、ダールの作品を中心に油彩を見ました。ムンクの絵もありました。独特だからすぐにわかりますよね。写真のかわりに19世紀の風景画が当時の人々の生活を教えてくれます。フィヨルドの風景も秀逸です。まるで写真です。ジュネーブの博物館もそういえば同じでした。雲が必ず描いてあるのは当時も雲がちだったのでしょう。一日歩いたので足の底が痛くなり、休憩でいったんホテルに戻りました。自分は明日の空港へ行くバスと列車の乗り場を確認するために、一人で外に出て調べてみました。ベルゲン駅からはどうも乗っていく列車があるように見えません。駅の係員は時間外のため不在で聞けません。駅からバス乗り場へ行くルートがありその道を進んでみました。複雑ですがなんとかバス乗り場は分かりました。そこで何人かに聞いた結果、どうやら列車はなさそうというのが結論。旅行会社の情報はまた間違っていました。バスの時刻は乗り場に書いてありました。これでなんとか明朝バスにのれそうなことがわかりました。フリーはこれが面倒です。19:20頃再びホテルを出て。魚市場に向かう。再びインフォメーションにて、ベルゲン空港まで行く列車があるか聞くと、やはりライトレールも含め「ない」との回答。また、交通機関ではベルゲンカードは使えないとのこと。がっかり。旅行会社の誤情報が多すぎでむっと来ます。夕食はフィッシュマーケット内にあるFISH MEというお店に決めました。幸い日本人スタッフがいて、いろいろ事情など聞いてみました。20代後半に見える女性で、丁寧な応対。聞くと、ピアノの学校に通っていて、アルバイトでこの店に来ているとのこと。志を持っていてたいしたものです。ノルウエーの物価については、ノルウエー人自身が苦慮しているとのことでした。タラバガニのガーリックバター焼きと海老の串焼き+チリソースマリネ、パン、サラダつきにビールを頼みました。ワインは目玉が飛び出る値段で手が出ず。これでも量が多いので満腹になりました。これでも日本円では約12000¥。だから高級レストランには入りたくても入れません。しかもノルウエー料理ですからね。味は普通に美味しかった。でも日本ならこの半額でもっとおいしいけれど・・・。外に出ると10℃を下回る気温。足早にホテルに戻りました。写真の時間は10時過ぎていますが、雨でもこんなに明るいのです。終日雨はきつかったのですが、フィヨルドが天候よかったので、我慢です。その後スーツケースを片づけて、1時過ぎに就寝。旅はまだまだ続きます。何が起こるかわかりません。ーーーーーーー話は変わりますが、先日のパリアタック。ひどいですね。パリフリーって、いつも候補に挙がる旅行です。自由に地下鉄を使ってめぐるパリ、最高ですよね。今回も実はパリにしとけばよかったかなという思いもありました。でも、こんな事件があって、厳戒態勢となり、当分ヨーロッパには行けそうにありません。アメリカにも攻撃予告がでているようで、困った話です。過激思想を持っているヨーロッパの若者を洗脳してジハード思想を吹き込み、自分のヨーロッパを壊すようにしむけるイスラム国は最悪のテロ集団です。国連がだめなら有志連合でもなんでもよいから、早くなんとかしてほしいと思います。それにしても国連、最近ますます役立たずですね。このところ親の病気などで旅行にでかけられなくて、それが少し落ち着いたと思ったら、今度はテロ、ストレスたまり気味です。
2015年08月30日
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グドバンゲンからバスでVOSSまで走り、そこから再びベルゲン鉄道に乗ります。最初は海はないけれどフィヨルドのままですね。まずバスはスタルハイムの峠まで登ります。このあたりも石灰岩の山があります。沢に石灰岩が転がっています。おりて眺めてみたくなります。スタルハイムの峠からは絶景が広がります。バスドライバーはなぜかろれつの回らないような変な口調で、「シートベルトをしてください。これから急な坂を下ります、途中で写真撮影のために止まります」とアナウンス。見ると、すごい急な狭い坂をバスがゆっくりブレーキをかけながら、下りていきます。前にはバス1台が曲がれそうもないように見える、せまいヘアピンカーブの連続。道路の外側は絶壁です。谷側は道が見えません。平地でヘアピンカーブを曲がったバスのタイヤ軌跡を後から道路にしたような、そんな狭隘限界の道路です。だからドライバーはまるで空中に飛び出たような位置で見えない道路を想像しながらブレーキを踏み、ハンドルを目いっぱい回しているという、まさに恐怖の下り坂です。私達の命は、この若いドライバーの腕と足底にゆだねているんだと誰かが話していて、まさにそうだと思うと、急に外を見るのが恐ろしくなりました。ロープウエイでも上りより下りの方が、道程が全部みえるだけおそろしいのです。これも全く同じ。恐怖の切り返し、途中停車を何度か繰り返し、ようやく谷底に降りてきて安堵のため息。あのドライバーは、いつもこの道を通っているのかと思うと、とても自分にはできないと思います。ひょっとしてあのろれつの回らない理由は、精神安定剤の服用のせいかもと、つい想像してしまいました。下に降りてすぐに対向車があり、バスのドライバーは何か対向車と話をしていました。きっと上に上がるなと言っていたのでは?、なぜって、もし5分遅れていたら、あの急な坂ですれ違いできない状態になり、車はもどるしかなくなるから。あんなところで、バックで!想像するだけで恐ろしいです。ここを無事過ぎて、その後は絶景を楽しむ安心コース、17:10ごろにVOSSに到着。VOSSの駅では10KNの有料トイレをただで済ませ、花の長いトロールにぶら下がって記念写真。乗るホームを確認し、今度は私達が先に並んで座席を確保。その前に線路を見たら、美味しそうな独特の縞模様が美しい片麻岩がごろごろしていました。すごく拾いたかったのですが、拾うと誰かに注意されるとまずいのであきらめ、写真を撮りました。列車に乗って間もなく、若いアルバイトのような女性車掌が検察に来ました。これでチケットチェック全完です。列車は朝とは違ってローカル列車で窓も汚れがあり、写真は撮れそうにありません。といってももう十分撮りました。空は白く曇ってきましたが、肝心のフィヨルドが良い天気だったので、文句はありません。ベルゲンには9:00ごろ無事到着。なんと雨のベルゲンになっていました。ベルゲン駅で写真を撮っているうちにあの夫婦を見失ってしまったがいろいろ助かりました。傘をさしてホテルグランドテルミナスをさがして向かいました。駅のすぐ右側です。チェックインして部屋に着くと、旅行会社が言っていたポットがありません。しかたなくレセプションに行き、ポットを貸してくれというと、ウオーターボイラーではなく、暑い湯を入れたポットを持ってきて、これを使ってくれとのこと。なくなって追加がほしいなら自分でルームサービスの部屋に言ってもらってくれとのそっけない対応。(後で旅行会社に言うと、ポットありは誤情報とのこと)部屋はせまく、バスタブもなし。古い部屋。でもヨーロッパの三ツ星であり古けりゃまあこんなもんでしょう。スーツケースは無事に到着していて安心しました。道はいたるところ石畳み。この石がまたみな片麻岩です。なんだかそれが雨にぬれて縞模様が強調されていてうれしくなってしまいます。こんな事に喜ぶのは地質学者以外ほとんどいないでしょうね。否地質学者でも喜ばないでしょう。夜はでかけるのもめんどうで、ホテルのレストランもいっぱいだったので、日本から準備してきたヤキソバとさば缶でごまかしました。一日列車船、バス列車の旅で結構疲れがあり、熟睡しました。
2015年08月30日
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フロム駅ではまずどの船にのるのか、別のクラツーらしき添乗員に確認しました。3隻ほど並んでます。間違えたら一大事です。日本の旅行会社の添乗員がいれば、わからないことはなんでも聞けますので、一番良いですね。その後、船乗り場にならびました。だいぶ後ろに並ぶ人が増えたと思って見ていたら、フロムからいっしょだった日本人夫婦が後ろに見えたので、こちらに呼びました。これでおあいこ。旅祭ではお互い助け合いが大事です。船に乗り込む途中で鼻血を出していた老婦人を見ました。のぼせたのでしょうか。旅行中は何かと体調が狂うもの、他人事ではありません。こちらは外が暖かいので、最上部のデッキに椅子を持ってきて座席確保。隣の人に少し話しかけると、スコットランドから来たおばさんでした。スコットランド独立の話、日本でも沖縄が独立するかも、なんて話をしました。まあ話をしたと言っても、単語並べに毛の生えたようなもんですが。イギリスからでは近いので、関東から沖縄のような感覚なんでしょう。実は地質的にも近くて、太古には同じ山脈だったところですが、そんなこと知るよしもないでしょうね。定刻になっても出発しないと思っていたらアナウンスで、スモールアクシデントにより出港が20分ほど遅延するとのこと。ひょっとしてあの老婦人の関係かなと気になりました。30分ほど遅れていよいよ出港。日差しが想定外に強いので日焼け止めを塗りました。雨も降られるだろう、雲ってるだけなら良しとしようと言い聞かせていただけにうれしい誤算です。振り返ると、滝や滝の跡が全部で10ケ近くあり、大昔は分厚い氷河がここに流れていたのかと想像して、その絶景を空想して心打たれました。船の一番高いところに座ったので、岸辺の赤い駅舎が眼下に見えます。この周囲は標高1300-1700の山々があり、その間を氷河が侵食してフィヨルドが形成されています。このフィヨルドクルーズがこのツアーの最大の見どころ。この旅行の一番の見どころでもあります。フロムから世界最大級のソグネフィヨルドの支流になる、アウルランフィヨルドに入り、左に折れ曲がって、ネーロイフィヨルドに入り、その一番奥にあるグドバンゲンまで約2時間のクルーズ。ネーロイは世界遺産です。途中発電所のあるというアウルランの町に立ち寄り、と言って降りるわけではありません。ちいさくてきれいな村ですが、住むのは不便ではないかと想像してしまいます。スイスのルツェルン湖のクルーズを思い出しました。フロムから私達を追いかけてきたのはカモメたち。残りのサンドイッチを食べて、そのパンの耳がかたいので、餌に空中にほおり投げると、見事に口でキャッチしてくれます。ついついその光景を写真に何枚も撮ってしまいます。なんだかちょっと前に沼津でやったことと同じ気がします。フィヨルドの両岸は1000m近くあるところもあり、すごいのひとことです。氷河の力は偉大です。他にも小さな村(ウンドレダール)があり、教会も見えました。こんな不便なところによく住んでいるものです。それでも日本の田舎のような、自然に同化したような風景ではなくて、あくまでカラフルで美しく、小さくてもりっぱなヨーロッパの町です。海の一部とはいっても波はほとんどなくおだやかというか鏡のような海面が続きます。山の一部は他とまるで違う色をしている山もありました。石灰岩かドロマイトの山ではないかと思います。とにかく景色が美しいです。雪をいただいた景色もあり、まさに海のアルプスです。一部の滝の後の沢には白い岩がたくさん転がっているところもあり、これはきっと太古の石灰岩なのでしょう。山の上の方から滝が、沢が、あちこちで流れ下っており、本当に美しい眺めです。降りて沢の近くに行ってみたくなります。見たこともない石がころがっているのではないかと、ついつい空想が膨張してしまいます。船内の様子を写真に撮りました。グドバンゲンに着くころにはうす曇り。次のバスに乗るために出口に並びました。船の先端はもう口をあけて車も出せるようにして接岸です。遅延は短縮されて、到着は10分遅れになっていました。今度は例の夫婦がバスの座席を確保してくれました。旅先の親切がありがたいです。フロムの晴天は曇りになっていましたが、それでも、よく天気がここまで持ってくれたと、何よりもそれが有り難いです。こんなにずっとよい天気なことは少ないということでした。ようやくオスロの迷子の貸しを返してもらったような気分です。でも、このくだり坂の天気、気になりますよね。旅はまだまだ続くのですから・・・・。ーーーーーーーーー9月に入って、実家の健康問題があり、急遽北海道に2回飛びました。そのために、シルバーウイークも潰れてしまいました。現在自分も疲れもあり、風邪もひいてしまいました。帰りの飛行機で成田に降りるときに、耳が圧力差でつまったような感じが残ったのですが、その後も耳が詰まっているような感じで少し耳のきこえが悪くなったので、金曜に耳鼻咽喉科に行ってきました。中耳炎ではないだろう、風邪の影響ではないかという見立てで、とりあえず少し安心しました。鼻水と痰がたくさん出てきて、まだなかなかとれません。久しぶりにここにきて書いてます。ほっと一息です。
2015年08月30日
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ミュルダールでベルゲン鉄道を降りるときに、後ろの座席にいた日本人夫婦と情報交換。聞くと、コペン滞在後にノルウエーに来たとのこと。opツアーでの迷子事件を話したら大笑いで打ち解けました。そういう彼らも乗り継ぎに不安ありとのことでした。ちょうど日本人添乗員(クラツーだったか)がいたので、聞いて乗り換え場所を確認しました。添乗員はとても信頼できるので一番ありがたいです。ここでもうカメラの電池交換。たくさん撮りすぎです。待つ間も、日本人夫婦と互いに写真を撮りっこしたり、私達はいつものように外人にも撮ってもらいました。次に乗るフロム鉄道は指定席ではないので、早く並んで座れるようにしないといけません。15分ほどで乗りこみ、先に乗り込んだ彼らに座席を確保していただきました。左右どちらの席が良いか想像しましたが、結局どちらもおなじ程度だったようです。列車はフロム峡谷約20kmを1時間かけて降りて行きます。ブレーキをきしませながらゆっくり進みます。途中、大水量、落差93mのショース大滝が右手に現れました。ここで写真撮影のためにサービスで停車。皆さん降りて写真を撮りました。怒涛のしぶきがかかります。大地のパワーを感じます。地球温暖化を感じます。線路のすぐ近くで岩が露出してる、見ると広域変成岩のようです。千枚岩も見えました。スイスのアルプスハイキングの時に見た千枚岩露頭をふと思い出しました。(写真は千枚岩ではありません、それは撮り損ねました^^;;;)手を出すと触れる様な近さに迫ってきます。こういう地域は過去にプレート境界だったところであり、近くには低圧高温変成岩つまり片麻岩の露頭もあるはずです。実際オスロの町の石畳や石壁の材質も片麻岩だらけでした。一方広域変成岩の千枚岩は石材には不適です。先カンブリア紀の分厚い地質構造を氷河が削ったU字谷、そのすざましい力の痕跡を今、目にしていると思うと、わくわくしてきます。黒い岩を見てわくわくしているのはひょっとして私だけかもしれませんが^^;;・・・。他にもあちこちに落差の大きな滝がいくつも見えました。北海道の流星の滝や銀河の滝などまるで子供のようです。那智の滝クラスがタンデムに連なって流れ落ちています。そういえば家族で来ているお隣の様子です。どこの国の子供も可愛いですよね。こんな写真ばかりとってと、毎度言われます。車窓に見とれているうちに終点フロムに到着。フィヨルドの山頂から降りてきたわけです。ここは海なので、標高0m。いよいよ海が現れてフィヨルドの出発点です。
2015年08月30日
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朝4時過ぎには空は白々、夜は11時から5時間足らずの短さ、ノルウェーで暮らすのは大変です。5時過ぎにベッドから出て、5時半にはポータルサービスのバウチャーとともにスーツケースをレセプションに出しました。すぐわかってくれました。これで次に泊まるベルゲンにスーツケースを運んでいただくわけです。スイスの時には駅から駅でしたが、ここではホテルからホテルなのでこちらの方が楽です。朝食までは時間があるので、屋上の展望階に上がり、眺めを楽しみました。大きな都市ではありませんが、古い建物がそこかしこに見えます。ヨーロッパの街は歴史が折り重なって見えます。個の街の最初はバイキング王の時代からはじまり、千年の歴史があるそうです。またオリンピックの名残もありました。リレハンメルの記念プレートです。オスロから北に行ったところにあります。確か荻原兄弟が活躍した時代ではなかったでしょうか。かれこれ20年以上前ですね。オスロの長い歴史から言えば直近の出来事です。そのあとで中庭のレストランに朝食のために降りました。ここはきれいで種類も多くて、とてもよかったです。今回もランチは列車の中なので、朝食から作ってもらいました。また中身のリッチなおいしいサンドイッチができました。7:40分に朝食を切り上げ、部屋に戻り、7:50にチェックアウト。中央駅で昨夜調べた通り3#ホームに入線です。ホームにはもう沢山の人が来ていました。いよいよベルゲン鉄道に乗ります。スイス鉄道とならぶ有名な絶景列車です。ベルゲン鉄道は最初にベルゲンからボスまでを狭軌で結ばれたのが今からちょうど110年前の1905年。その後1909年に広軌となってオスロまでつながりました。100年以上の歴史があります。1日3,5本しかなく、いまも単線です。絶景列車として世界的に有名です。私達はこれに乗りにわざわざノルウェーまで来たわけです。「ノルウェーインナナットシェル」という鉄道パスでベルゲン鉄道にのり、ミュルダールまで行きます。ここでフロム鉄道に乗り換えて、フィヨルドの最深部にあるフロムに向かいます。ここから船でグドバンゲンまでクルーズ。そこから今度はバスでボスまで行きます。ボスから再びベルゲン鉄道に乗り終着ベルゲンに向かいます。つまりベルゲン鉄道の途中でフィヨルドに寄り道をするというコースになります。これには、他のコースもとれるのですが、私達の旅程ではオスロからベルゲンなので、このコースになるわけです。もともとはこの逆でした。朝8時25分から夜9時過ぎまで約12時間かかります。列車は8:5分ごろ入線。パスに記載されている4#列車に乗車。ここからミュルダルまでは指定席、4#列車はファミリー=グループ用で、トイレ付。後続車には食堂車もありますが、なんせ物価の高いノルウェー、朝食サンドイッチが今日も役に立ちます。ミュルダルまで12次50分、つまり約4.5時間の長旅です。景色が良いので時間も苦にならないでしょう。車窓には白樺のきれいな森、山が走っていきます。まさに深い「ノルウェーの森」です。気温は16℃、ちょっと寒いですね。といっても小説の「ノルウェーの森」は、実はここの森とは何の関係もないのですが・・・。本物のノルウェーの森は大変美しい。牧草もあちこちで見られ、まるでスイスの車窓と同じ。快晴の空の下、最高のフィヨルドの旅が始まりました。点在する家は頑丈そうに見え、過去にデンマークや北ドイツからの移民が大自然と格闘しながら切り開いたのだろうと想像します。ノルウェーはスカンジナビア山脈そのものだから、平野が少なく、特に冬期の開墾は大変だったことでしょう。列車はますます川の流れに沿ってスカンジナビアの山の間を縫うようにゆっくり走ります。どこか北海道の景色とも似ています。氷河でけずられたためか山はスイスに比較して緩やかですが、時々見える断崖がスイスと似ています。このあたりは大半が変成岩でできているのでしょう、それが氷河によって鋭く削られた跡をみているのです。列車の窓が汚れていないので、写真撮影が窓ガラスの内側からできます。途中川が途切れて、今度は右側に堰止湖のような湖が見えていました。列車は細長い湖に沿って走ります。湖面が陽光を反射して絶景。そうこうしているうちにhonefossヘネフォス駅に9:50分到着。ノルウェーの家は屋根が瓦ぶき。雪が落ちるのかと心配になります。多くの家が白壁に黒瓦ぶきです。濃い赤レンガの煙突つき。針葉樹の森の中で調和しています。ベルゲン鉄道の架線による電化であり、冬の降雪の影響はないのかと気になります。まあノルウエー沿いのノルウェー海流はメキシコ湾流の支流で暖流であり、高緯度な割には冬の気温はオスロ近辺なら北海道よりも低くないほど。何とかなっているのでしょう。10:30ごろ、また氷河湖を左手にみながら列車は走っていきます。相変わらず空は快晴。おそらく低いがU字谷に水がたまったもので、この溝がフィヨルドにつながっているのだと思います。山肌の一部がここでも時々露出していて、光に反射して広く光っていて美しい。まるで断層面のように見えます。もうフィヨルド観光は始まっているということでしょう。山肌を彩っているのは日本の春先のような淡い木の芽のふいた色、それが粗い点描のグラデーションになっています。やさしい風景です。11:05NESBYENネスビエン駅に到着。もう少ししたらハリングダルで左に曲がるはずです。車窓から見える褶曲した崖の岩肌は、日本のジュラ紀のチャートのメランジュのようにも見えます。こちらでは広域変成岩の露頭なのではないかと思います。黒い岩肌の奥に悠久の時が流れています・・・。・・・・先カンブリア紀の変成岩が多いスカンジナビア山脈、日本とは大いに違う地質です。この山脈は古生代のカレドニア造山運動によってできました。当時スカンジナビア山脈は、スコットランドの山地や、北米のアパラチア山脈とつながった大山脈だったそうです。バルチカ(北欧)地塊と北米地塊とが衝突した結果だそうです。それがパンゲア分裂により今の配置になったという大地球ロマンの舞台です。初期には標高もヒマラヤクラスだったのが、今では年をとった低い山脈になってしまいました・・・。・・・・・HSTAUに12:15到着。20℃ 標高990M。残雪が湖とともにまだらに見えて、空の青さ、残雪の白さ、岩の黒さが絶景を作り出しています。この日のために最高の陽光を準備してくれた、そんな感謝の気持ちになります。昨日のトラブルの事などすっかり忘れていました。ここでもうカメラの電池交換。11時過ぎに持ってきたサンドイッチを1個食べました、大きいので十分満腹。残りはクルーズ中にとっておきました。なんだかこの節約サンドイッチも楽しいです。FINSEに12:37分に到着。標高1222M、ベルゲン鉄道中の最高標高駅です。残雪がたくさん残っていて、まるで標高2000Mのスイスにいるかのような絶景!湖は凍結していました。このあたりの左側をハダンゲル氷河というようです。トンネル内で最高標高1237mを越して、12時57分ごろようやくミュルダールに到着。周囲はまだ残雪が見事です。ここで一旦ベルゲン鉄道から降ります。次はフロム鉄道に乗り換えます。
2015年08月30日
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五輪エンブレムの問題です。どうなるのかとみていましたが・・・、まさかの白紙撤回という結末。個人的な意見ですが、あれはパクリではないでしょう。ネットでの批評は行きすぎだと思います。ベルギーの人も無理を言っていると思います。色んな方々が盗作だとか主張されていますが、個人に対する誹謗中傷も含めて度を越しています。名誉棄損に値すると思います。たとえばTの字のデザインはこれまでに世界中でたくさん作られたでしょう。誰かが独創的なTの字をデザインすると言っても、Tの字に全く似ていなければTの字のデザインとは言えません。だから、これまでに作られたどれかのTの字と似てしまうのはある意味仕方がないのです。その中で、登録商標に酷似している場合には、残念ながら排除されるということです。もちろん酷似の判別は簡単ではありません。・・・では、これがふさわしいと思うかというと、残念ながらそうではありません。気になるのは黒い柱です。パラの方は2本もあり、真っ黒です。まるでモノリスや墓標のようなイメージです。どうしてこのような暗い表象が選ばれたのか、正直驚きました。これは私だけではなく、私の周りの人も結構同じ印象を抱いています。図柄は和風で、洗練されたデザインです。でも、明るくないので・・・、五輪エンブレムとしては好きにはなれませんでした。ほかになかったのでしょうか?最初の招致の方が桜のリースで素敵です。ということで次に期待したいです。もし私が作るなら北斎からのデフォルメかな?こういうときに岡本太郎がいてくれたらと思います。別件ですが、このデザインの登録商標調査費用などがニュースで約5000万円前後かかっているとか。次の選考でも、またほぼ同額がかかる見込みだとか。これって、誰の責任なのでしょうか?本当にそんなに高い費用がかかるのでしょうか?内容を開示して頂きたいです。こちらの方がむしろ問題だと思います。競技場もエンブレムも、五輪が食い物にされている姿が情けない限りです。
2015年08月30日
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最初ザハ・デザインの8万人収容で予算1300億円が、今度は6万8千人収容、奇抜なデザインなしで、キールアーチなしで、可動屋根なしで、冷暖房なしで、つまりないものづくしで上限1550億円に。ちょっと待ってください。1000憶円を超えるのは高すぎではないでしょうか。他国ではこんなに高くなっていません。ネット情報によれば、横浜の7.2万人収容の日産スタジアムで603億円。観客席のみに屋根で冷房なしは新国立とほぼ同等。耐震設計でも国内建築ですから同等です。トラックよりサッカー場の方がせまい分は安いでしょうが倍以上というのはちょっと高すぎです。4万人収容の大阪ガンバのスタジアムは140億円。免震構造の最新耐震設計だそうです。これらからも、やっぱり高すぎでは・・・。やっぱりと思うのは。私だけではないでしょう。このお値段はゼネコンへのご機嫌伺いの匂いがします。短納期の無理をお願いする都合もあるというわけです。私達の血税です。国際競合をしてでも適正価格にしてほしいと思います。現在の日本は借金大国、将来の日本は人口減少。巨大な箱物にお金を浪費するなんて慎むべきです。東日本大震災からの復興を示したいのなら、福島にこそ投資するべきです。本来は1984年のロス五輪のように、もとの国立競技場を手直しして使えばよかったのです。暑い時期に実施するなら冷房は追設して。観客席8万人なんて不要です。でも壊したあとなのでいまさらどうにもなりません。日本の誇る「もったいない精神」を、世界に訴える絶好の機会を壊してしまいました。開会式をもっと華々しくというなら、結構多くの人たちが主張しているように、横浜の日産スタジアムを使う手もありました。そんなこと主催者はわかっていたはずです。湯水のごとくお金を浪費しなくても、一貫した思想があれば、多くの日本人も、そして世界も納得するのではないでしょうか。そしてこれこそが今の日本に足りないのです。どうして足りないのでしょうか。イスタンブールの「イスラム世界で最初の五輪」、前回の東京大会の「戦後の復興を世界に示す」このような情熱のある開催理由がないからです。東日本大震災や原発災害からの復興を示したいなら東京に原発震災博物館でも作ったらいかがでしょうか。世界で一番高齢化社会に急速になっていく日本なら、高齢者に優しい街づくりを示すことが大事でしょう。そうなら7,8月開催なんてしなかったはずですしね。思想があいまいな開催が成功するはずはありません。一体どうするつもりなんでしょうか。
2015年08月28日
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地図をみるとホテルの裏側にオペラハウスがあるので、行ってみました。姿かたちはまるでスキー場のジャンプ台のような形です。なんと歩いてオペラハウスの上に登ることができるのです。行けばすぐにわかるだろうと思っていたのですが、地図のそのあたりで探してもさっぱり見当たらず。通りがかった地元の人に聞いてみると、なんと場所が違うというのです。結論は旅行会社から配布された地図が間違いでした。今日は踏んだり蹴ったりです。場所はまるで違っていて、中央駅の反対側だそうです。足が痛くなってきたのでいったんホテルに戻って休憩。その後オペラハウスに行ってみました。ここで私は青いジャケット、相棒はオレンジ色のカーデガンを着てみました。白い大きな建物です。白は純白の石灰岩でできています。費用がかさみ一時建設中止になったとか。でも、建てた甲斐はあったようです。たくさんの人がやってきていました。モデルの人も撮影で来ていました。私達も派手な色の服だったので、様々なポーズで写真を撮って、なかなか楽しかったです。この建物の背後にも近代的な建物が並んでいました。その後再度王宮方面に歩いて行き、カフェで休憩、ビールを飲みました。ビールはコーヒーと同額です。すずしいのですが、外で飲むのもいいものです。旅は明日がベルゲン鉄道の本番です。
2015年08月23日
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オスロはバイキングの王様が作った1000年以上の歴史がある古い都です。その昔はクリスチャニアと呼ばれていました。スキーをやった事のある人なら、パラレルクリスチャニアって知ってますよね。これは昔デンマークに占領されていたなごりだそうです。当時のデンマーク王の名前なのだとか。人口は現在60万弱。やはり小さい町です。でも有名です。ホテルの名前ロイヤルクリスチャニアはこれから来てるみたいです。時差ボケ症候群で睡眠は約3時間程度。朝ぼちぼち起きて、朝食レストランに行きました。場所はホテルの中庭、とても感じが良いすっきりした大きいレストランです。エレベーターが壁に沿って上下に動き、その窓から丸見えです。中身もなかなかです。さすがはノルウェーで、スモークサーモンがたくさん。私の大好きなパプリカも肉厚で大きいものがあり、サラダがリッチになりました。ここで、昼食用にサンドイッチを作り、こっそり持って行きました。本当はいけないのでしょうが、なんせお高いランチの節約ということで。こうでもしないとランチ代が半端ではありません。しかも、ここなら材料が豊富で、美味しいサンドイッチが作れます。結局この後も毎日の日課になりました。OPツアーが午前10時なので、8時過ぎにホテルを出発して、昨夜でかけた王宮まで歩きます。ここは散歩コースとして最高。朝は天気も良いです。天気が変わりやすく、いつまでもつかです。写真には写っていませんが、空に浮かぶ雲の下側が黒いのが気になります。ここは画家ムンクの故郷でもあります。例の叫びのムンクです。個人的にはあまり好きではありません。国立美術館で見れますが、残念ながらまだ空いていません。朝の写真は朝の光が降り注ぎ、昨夜よりも良く撮れました。ここがつきあたりの王宮です。ノルウェー王国です、日本で言えば皇居ですね。集合場所のオスロ市庁舎まで、地図をみながら歩き、まだ時間があるので中に入ってみました。ここでノーベル賞の平和賞の受賞式が開催されるそうです。ノーベルはノルウェー人ですからね。平和賞以外はスウェーデンのストックホルムです。中にはヨーロッパ一大きいといわれるプロレタリア風壁画が4面にあり、歴史と迫力を感じました。それにしても、よく知られた話ですが、ダイナマイトの発明者が平和賞とは歴史の皮肉ですよね。正確な集合場所がよくわからないことにここに来て気がつき、外に立っていた職員の方に観光バス集合場所を聞いてみると、親切に案内してくれました。とにかくいちいち聞かないと安心できません。これがフリーの難点です。時間前にガイドの方も見えて、バス停にはOPツアー名称も書かれていて、ようやく安心。なんせ英語ツアーなので、ボケッとしていると置いて行かれます。無事2階建てバスの2階に乗り込み、最初はオスロ市内の車窓観光です。結構古い都市の歴史やら歴史的建物の説明がありました。車窓からの説明は車内で英語のイヤホンから聞けます。でも聞きにくくて、半分くらいわかる程度です。その後郊外に進み、最初の降りて見学となるヴィーゲラン彫刻公園に着きました。裸の彫像が並んでいます。人生を表現しているのだそうです。ここで一番有名なのが、「怒りの子供」の像です。特徴的ですよね。webで事前に見て知っていました。他の彫像もみんな裸の象です。でも、なかなか素敵な像です。この後小高い丘のところで一旦集合、7分間フリーということで、(そのように解釈して)写真を勝手に撮ってましたが、7分後にまわりを見るとガイドの姿が見えなくなっていました。あわてて入口に戻ってみましたが、見当たりませんでした。集合して、周りの彫像の説明が英語とドイツ語であり、その後、次の集合について説明がありました。その時相棒が私に話しかけてきたので、何を言ってるのかわからなくなり、あれっと思ったのですが、ガイドの方が私の穂を向いて7分と行ったので、ここで7分くれるんだなとうっかり思ってしまったわけです。バスを降りるときにガイドが私の持っている傘を目印についてくれば問題ないという話だったので、まあ大丈夫と思っていました。どうやら、7分後に次のバス出発場所に行くという話だったようです。でもその部分は全く聞こえていませんでした。右側の出口?にも行ってみたのですが、私達のバスはいませんでした。いたのは韓国のバスツアー。どうやら取り残された事がわかりました。こういうことは初めてです。日本なら普通点呼を撮ると思うのですが・・・。しかたなく、バス駐車場に再度もどり、有料トイレに行きました。なんと10クローネ=200¥です。海外の有料トイレの中でも一番高いレベルです。踏んだり蹴ったりですよね。このころ雨もポツポツふってきて、ちょっとorzな気分です。でもここで私がめげるわけにはいきません。こちらの携帯電話からではツアーの催行会社にうまくつながらなかったので、周囲の聞いてくれそうな人にお願いして、携帯電話をかけてもらい、その携帯をお借りして催行会社に状況を直接話しましたが、英語力不足もあり、集合場所にいかなかったのが悪いという話でらちが明かず。しかたがないから、まず今いる場所がどこかもわからないので、中央駅に戻る方法を聞くと、タクシーで行けというのです。ノルウェーのタクシーは高いはずで、とても乗る気はしないから、トラムやバスはないかと聞くとトラムがあるといいます。降りる駅名と料金を聞いてから、携帯をかしてくれた方にお礼をいい、トラムの乗り方とチケットの買い方など教わって、なんとかトラムにのって駅に向かいました。携帯を親切に貸してくれた方に感謝です。捨てる神あれば、拾う神ありですね。こういうときに親切な人にであいます。そういえば昔プラハで迷子になって、トラムに乗って帰ってきたことがありました。あのときはチケット売り場を散々探したのですが、今回は乗ってから、トラムの運転手から買えました。昔からあまり進歩してないなあと、気がついた次第です。オスロ市内まで100NOK、2000¥もします。それでもこれが一番安い交通機関です。トラムはオスロ市庁舎方面に向かっていったので、途中合流のことも少し考えてオスロ市庁舎の近くで下車。オスロノルウエーの首都で、私達も名前だけはよく知っている街ですが、思っていたよりずっと小さな街でした。その近くにあるバイキング博物館のあるビグドイ島へ向かうボートのでている港に行きました。でも考えてみると、バスでバイキング博物館に行き、帰りにボートで戻るというコースの可能性もかなりあるので、合流は難しいと思いました。向こうから来るボートに乗っていないか見ましたがやはり乗っていませんでした。時間も来たので、アーケルブリッゲショッピングセンターに入り無料トイレも済ませてから、港のすぐ近くのベンチに座り、ランチのサンドイッチもいただきました。なかなか美味しいです。鳥がたくさんいて、パンを投げると寄ってきて食べます。パンの耳が硬いのでちょうどいいです。アーケルブリッゲです。結局その後の工程のスキージャンプ台、バイキング博物館などには行けませんでした。そのスキージャンプ台には、日本の誇る高梨サラ選手のサインがどこかにあるそうで、是非見て見たかったのですが、残念です。日本ではちょっと考えられませんが、まあこんな事もあるんだと、おいてけぼりになった情けないオプショナルツアーでした。私の英語力不足でこんなことになってしまいましたが、今ではいい思い出です。実は帰国後にダメモトで催行会社に事情を説明してみたら、お得意さんだからもあったのでしょうか。半額戻ってきました。今回二人で放置なので、なんとかなりましたが、これが相棒だけ放置だったらと思うと、とても心配です。そろそろスマホというか国際電話のかけられる携帯に切り替えようかなと、今回思いました。
2015年08月23日
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実施期間は7月下旬から8月中旬ごろまでだそうです。一年で一番蒸し暑い期間となります。普通に考えて無謀だと思います。長距離アスリートや観客の中に熱中症が発生する危険をどう回避するのでしょうか?開催期間の理由を詠みましたが、選手の事など少しも考慮していません。日本の技術や設備で対応できるという人もいるようですが、トンネルのような人工空調空間にするわけにはいきません。日陰を作ったり散水やミスト程度しか手がないと思います。もっとぎっしり街路樹を植えて、路面も特殊な舗装をのせ、コケをビルの壁面に張り付けるとでもいうのでしょうか?熱帯夜に走るのは、観客の問題もありますが、選手の体調が狂ってしまいます。もし、熱中症が出た場合、誰がどう責任を取るのでしょうか?いまさら期間を変更するのは、放送権など様々な理由から無理なのかもしれませんが、そうならば開催場所を北海道にするとか、抜本的な対策をしないと危険ですよね。新国立競技場のケースもそうですが、オリンピックを政治利用することしか考えていないから、こんな無責任な話がまかり通ってしまうのです。この無責任体制をなんとかしないと、また日本の恥が世界に広がってしまいます。
2015年08月23日
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オスロ行きはオスロ空港の周辺が豪雨との機長アナウンスにより10分ほど遅延して離陸。雲がやや多かったのですが思ったほど揺れずに1時間ほどでオスロAPに到着しました。コペンハーゲンのカストラップ空港を飛び立った時の眺めです。コペンハーゲンの世界一美しいともいわれる街の眺めは後日・・・。実は当初の旅程では成田⇒コペンハーゲン(CH)⇒ベルゲン⇒フィヨルド⇒オスロ⇒CH⇒成田だったのですが、オスロからCHまでのフライトが朝早く朝食もとれない時間なので、ちょっときついと話すと、じゃあ逆順にしましょうということで、成田⇒CH⇒オスロ⇒フィヨルド⇒ベルゲン⇒CH⇒成田となりました。そのためにオスロには早く着けることになりましたが、乗り換え時間が短くなったわけです。オスロ空港の床も天井のアーチも木製です。日本やスイスに似て木の文化が息づいている印象です。無事スーツケースをゲットして空港の下にある駅のホームに向かいました。ーーーー空港内のコンビニです。寿司パックです。¥との換算は約20¥/nokとして3000¥なり。ウソみたいに高いです。ーーーーこの2写真は前回載せましたが、コペンの空港ではなく、オスロ空港の写真を間違えて掲載してしまいました。なんだか両方の空港の雰囲気が似ていて、頭の中で勘違いが発生。訂正させていただきます。まあ早い話がどちらの国もお高いわけです(^^;;;。空港係員がオスロ中央駅に向かう列車の発券ガイドをしていたので、やってもらおうとしたら、FLYTOGET(特急)専用の発券機だということで断念。FLYTOGETの半額の列車に乗りたいというと、それならパブリックトレインだから、向かいの発券機で自分でやってくれと、そっけないご返事。実は事前調査したネット情報によれば、FLYTOGETに乗らなくてもパブリックトレインでもほとんど変わらない時間でオスロ中央駅に着くことができ、しかも半値なのです。何も高いお金を出す必要はありません。ということで今回の旅行の一つのテーマは節約となりそうです。相棒の得意のテーマです。まあ、フィヨルドが今回のメインで他はつけたしですから。なんとかチケットをゲットできて、下に降りたら、ホームで多くの人が待っていました。下に降りるエスカレータに相棒のスーツケースと自分のスーツケース両方を持って乗ったら、結構しんどかったです。相棒が腰痛になってしまい、なんとか薬と湿布で直前に回復はしたのですが、まだ完全じゃないので、危ない部分は自分がサポートするしかないわけです。自分も5月連休は腰痛になってしまったので再発が心配です。そうこうしているうちに列車が来たので、すぐ乗ろうとしたのですが、念のために聞いてみたら、「これはオスロ中央駅には行かない。それは19:10の列車だ」とのこと。どうやら韓国人の若者。助かりました。カムサムニダ!旅行客はお互いに助け合います。何国人だとか関係ありません。難を逃れ、乗り込んで、約23分で中央駅に無事着きました。中央駅の出口もわからず、ここでも現地の人に聞いて、案内してもらいすぐにわかりました。ついでに出たところで写真も撮ってもらいました。ここが中央駅です。それほど大きな駅ではありません。ホテルは駅を出て右側にすぐ見えます。「クラリオンホテル、ロイヤルクリスチャニア」入口は回転ドアで煩わしいのですが、レセプションの感じも良く、ホテルバウチャーを見せてすぐにokとなり、クレジットカードも不要で、ルームキーを渡されました。朝食レストランの場所と開始時間を聞いて部屋に向かうと、部屋も大きくて、内装もきれい。バスタブも大きい。水まわりに問題もなく、文句なしでした。実は最初の旅程ではオスロのホテルは★★★でしたが、ルートが逆順になった結果、このホテルが満室でどれなくなり、旅行社が提案した代替ホテルがこの★★★★ホテルです。最初のホテルより駅のすぐ近くでもあり、ラッキーでした。それにしても人が少ないです。私の街の駅よりも少ないくらい。これ本当にオスロなの?そんな感じです。古い建物が並んでいる、歴史ある街オスロにたどり着きました。すずしい、地方都市という感じです。もう夜9時になりますが、外はまだ明るいです。さすがは準白夜で、暗くなるのは11時ごろです。そして朝は4時にはもう明るくなってきます。ただでさえ時差で眠れないヨーロッパ第一夜が白夜ですから大変です。カールヨハン通りという王宮へ向かうメインストリートにもちょっと行ってきましたが、涼しいのと、眠いので、1時間程度の散策で早々に引き返してきました。こんなところです。夜の10時過ぎています。ここが王宮です。日本で言えば皇居でしょうか。眠いのと、節約両方で、夕食は持参したインスタントデイナーです。初日から節約モード全開です^^。
2015年08月14日
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今回も成田APでは階上のカード専用ラウンジでビールとコーヒーをいただきました。海外旅行は何かと出費がかさむもの。ここでただビールをいただけるのがありがたく。特に今回行くのが北欧、ノルウエーとデンマークです。両者特にオスロは世界で物価の高い都市のランキング1位なんだとか。2位はスイスのチューリッヒ。 確かに駅の有料トイレも高かった。 スイス全体が物価が高かったのですが、 これは国内産業を保護するスイスの政策と聞きました。3位はニューヨーク、 ここは行ったことがないのでわかりませんがきっと高いでしょう。4位はタヒチのボラボラ島、 確かに宿泊費と食費が高かったです。タヒチ島より格段に高いのです。5位はシドニー。 シドニーは分かりませんがケアンズの経験では食費が高いです。6位がようやく東京となります。10位に初めて東南アジアのシンガポールが入ります。東南アジアではシンガポールはダントツに高い印象はあります。 デンマークもノルウエーと似たりよったりです。旅行会社からの情報でこの事実を知りました。そういうわけで、対策を講じないと旅費が膨らんでしまいます。もともとボンビー生活に慣れている私達は、無駄な出費に対して強い心理的抵抗があります。早い話がケチなわけです。それなら海外旅行など行かなければよいのにと突っ込まれますが、行きたい衝動があるのでこれは仕方がありません。これまで北欧は旅費自体が高い印象で断念してきましたが、最初カナダの絶景が見たいという相棒の希望でいろいろ調べた結果、カナダのロッキー山脈は標高が高くて気乗りがしないため、他に似た風景があるところはということで白羽の矢を勝手に立てたのがフィヨルド=ノルウエーでした。7日で行けるフリーツアーがあったからです。その時には、まさかこんなに物価の高いところだとはつゆ知らず。そうはいってももう申し込みもしてしまったし、いまさら仕方がありません。まあ、いつも下調べなしで現地に行って驚くのがパターンです。帰ってからネットで調べたりします。今回は先に分かっただけましかも。さて、成田空港を11:40定刻離陸したSK984は、A340-300(座席レイアウト2-4-2)4発ジェットの老朽機体。座席前のモニターはあるものの、フライトマップがみれないというお粗末。長距離飛行で見れないって?しかもCAに聞かないと説明すらなし。これです。塗装がくすんでいます。朝食も大したことない内容、その後パン1ケの軽食、サラダというお粗末な内容は、格安航空並み。まあ、他の格安航空との熾烈な競争にさらされているのでしょう。これならフィンエアーのツアーにするんだったと後悔先に立たず。コペンハーゲンへは追い風にもあり、順調な飛行で、定刻より約40分早く到着しました。機内で、飲み物だけ頼む場合、アルコール飲料は有料という格安航空のようなルールと言われましたが、食事のときにたのんだ飲み物ならば、アルコール飲料であってもただということもわかりました。そこでその時に1ケだけでなく3個頼んで、これを次の乗り継ぎに持っていける、しめしめと思っていたのですが・・・、シェンゲン協定国といっても、デンマークからノルウエーは国際線ということで、飲み物は安全対策で没収という例のルールが厳密に適用されるとのアナウンス。アルコール飲料の馬鹿高いノルウエー、うまい手だと思ったのもつかの間でした。しかたなく、缶ビールのカールスバーグを飲み干し、ワインミニボトルは機内においてきました。コペンのトイレではミネラルウオーターも4本捨ててきました。あーもったいない!セキュリテイでは案の定、空のペットボトルまでしっかりチェックされたので、捨てて正解でした。これがコペンハーゲン空港で見た格安航空の機体です。垂直尾翼に王像の上半身が描かれているという、ちょっと異様なデザイン。こういう航空会社とSASスカンジナビア航空は競争しているわけですね。多少のサービス低下はしかたがないのかも。この空港の床面が全面木製フローリングなのに驚きました。おそらく針葉樹林の豊かな森からの供給なのでしょう。ピカピカに磨いた石の床も良いのですが、この木の床も良いです。これはカートです。ステンレス製の溶接構造であり、古いものですが、さすがは北欧、デザインが良いです。時間があるので売店を見てあるきました。コペンハーゲンも北欧だけあって高い!日本の2-3倍します。イオンモールのカルデイアで売っていたデンマーク製クッキー缶を、ご当地で発見。なんだか嬉しくなりました。これはマックです。マックダブル、日本なら190¥ですよね。2倍です。他の売店を眺めてもやはり皆高いです。消費税が高いのも物価高の理由ですが、その税金のおかげで、老後の福祉政策が充実していて、日本のように老後の不安からお金をためるということはないとのこと。北欧の政治の勝利だと思います。通貨もユーロではなく時刻のクローネを守っています。物価高は悪いだけではないようです。この時点で自分の土産は買うのをやめました。旅はまだまだ始まったばかりです。こりゃ先が思いやられます。
2015年08月13日
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みんな「安」がつくのでまとめてポン。これも夏の風物詩のひとつかもしれません。日米安保条約が集団的自衛卷によるものだとわかっていて、最高裁は判断保留。実は日米安保条約も憲法違反でしょう。でも、憲法違反だからと、立憲主義により日米安保条約を破棄したとしたら、日本の国防は大丈夫なのでしょうか。いささか不安になってしまいます。じゃあ安保法制も認めるべきかというと、法律で規定されている日本の存立危機状態とかいう内容が、多数を持つ為政者の恣意的な判断にゆだねられるので賛成できません。もっとしっかりした法律に見直して出直しが必要だと思います。それにこれまで集団的自衛権を否定してきた自民党政権が、今回その解釈だけ変えるって姑息で安易で問題ありです。法的安定性ってそういうことだと思うんですが。これはアメリカの圧力で動いているのかもしれませんが、あまりお利口な進め方ではありません。強引すぎます。実は日本の憲法が不完全なのが一番問題ではあります。誰が読んだって、9条は軍備保有を禁じています。でも自衛権がない国家なんて、そんな馬鹿な!です。だからこそ個別だの集団だのを勝手に解釈する前に憲法をもっと明快なものに改定することが本来です。ただし、問題は周辺国への影響です。集団的自衛権も個別的自衛権も持ち、国防軍隊を持つと明記すると、国内外から反発が起きるでしょう。触らぬ神にたたりなしかも知れませんね。戦後70年の首相談話、通称安倍談話が発表されるそうですが、これが右寄りになるのではないかと危惧されています。誰がどう弁解しても、日本のアジア侵略やハワイ奇襲は事実です。ハルノートなど様々な日本いじめがあったのも事実ですが、だからアジア侵略が許されるかというと、そうではないでしょう。現実に日本侵略による被害者がいます。日韓条約やサンフランシスコ講和条約などで被害補償は結着済みだとしても、侵略戦争の被害者に対して日本政府がお詫びの心を忘れたらおしまいです。それを明快に表明した村山談話に付け加える事は特にないので、安倍談話を出す必要性はないと思います。藪蛇になるだけです。
2015年08月02日
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地殻が相対運動をする両側にブリッジとなった水晶の成長が産んだとされるファーデンクォーツ。でも、この話本当かなと、今でも疑問があります。これ先月のミネラルフェアで見つけたもの。パキスタン業者から購入しました。有名なワジリスタン産、標高の高い産地ですね。厚さ2ミリないほどです。完全に近い平板タイプのタビュラークォーツです。斜めに入っている白い筋、これがファーデンの由来です。この糸が地殻変動を表しているというのですが、本当なんでしょうかね?何度見ても、なぞ解きをしてみたくなる魔法の結晶です。ところで、話は変わりますが、あの東京オリンピックの新国立競技場、本当にあのお値段で作るつもりなんでしょうか?そうならば、ずっと先まで愚かな決定を語られるだけですよね。予算オーバーで作れないことが判明したから不採用という結論で十分だと思うのですが。借金まみれなのに、金満日本という誤った情報が世界に伝播するだけでもやめるべきでしょう。おっと、例の強制労働を認めたという世界遺産も、辞退してほしいと思っているのは私だけではないでしょう。最近の日本政府、ちょっとどうかしていますね。
2015年07月02日
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久しぶりに日帰りバスで沼津方面へ。バスからおりて遊覧船へ。食事がなんだかなということで、皆さん不評でした。海では大漁祭りが! これもツアーのために少しだけやってくれているものです。ロープウエイで山に登ります。ここが山の頂上です。富士さんが見える予定だったのですが・・・。代わりにこの富士山で。
2015年06月27日
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ギリシャがとうとう財政破たん、デフォルトの気配が濃厚になってきました。アリのドイツに比較して、キリギリスのようなギリシャ。キリギリシャと揶揄されてもしかたがありません。さすがにいまさら国民投票でと言われたら、誰だっておこりますよね。もはや自業自得でしょう。それより為替レートの変動がどうなるのか心配です。来月海外の予定なので、円高に振れてほしいです。既に円安が限界を超えていますから、その是正のためにも。でも大体市場は既に織り込み済みという話もあって、実際にはその逆になりそうな、嫌な予感もあります。それとも最後には中国に助けを求めたりして。鎌倉の大仏さんは、今の世の中をどう見ているんでしょうね。
2015年06月20日
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3年ぶりかな?もっとかな?いつものように西新宿、東京都庁の目の前にあるハイアットリ-ジェンシーで開催されました。いつも今ごろ、6月初旬に開催されます。今回は私がよく行っていた頃よりは来場者が少ない印象です。今年の目玉は、きれいな石の写真で有名な、山田英春氏のコレクションが直接見られることですね。アゲートファン必見です。会場の様子はこちらです。コレクションはこれです。主催者側が写真撮影可と言っていましたので、掲載問題はないと判断しています。様々な美石群です。いずれも見事な逸品です。私も美石ファンの一人です。水色がクリソコーラです。珪孔雀石ともいわれます。通常は多孔質の状態で発見されるため、加工する場合は樹脂を浸透させます。自然界で石英が浸透したものは、ジェムシリカと呼ばれて貴重です。普通は切断しないのですが、この石は 切断面も母岩との模様が秀逸ですね。私もひとつ持っていますが小さなものです。鮮やかな水色が特徴です。ロイヤルインペリアルジャスパーです。この〇の積み重なった模様が実に不可思議です。私も2ケ持っています。ひとつはこれと同じ不透明タイプ。もうひとつは半透明タイプ。ピクチャーストーン、風景石です。みごとです。まるで飛行機の機内からそろそろ着陸する頃に見える外の風景に見えてしまいます。そういえば、台湾のタイペイの近くの地質公園に行ったときにそこの踏み石がこの風景石でした。帰りに東京駅のホームでふと見ると、全面ガラスの高層ビルが見えました。地震国日本の首都、後何年かに大地震が来るかもと言われているのに、こんなガラス張りの塔をたててよいものか?頭の中が?マークでぐるぐると・・・・。写真は既に横倒しになっていますがそのまま掲載します。石の世界の美しさに見とれた夢のひと時から、人間の作り出した虚飾の世界に引き戻されてしまった気がしました。
2015年06月14日
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つくば市にあるハワイアンレストランで夕食+フラダンスを鑑賞しました。お店は以前別のお店だったのを居抜きで改造したようです。混むというので、前日に予約。食事はハワイ風、味は可もなく不可もなくという感じ。量は多いというので、シェアすることに。相棒はロコモコ、私はハンバーグセット。サラダをどうしようかなと思いましたが、結果ついていたのでたのまず。十分満腹になりました。ハワイアンダンスは地元の人たち(サークル)のお披露目のような感じです。私達のテーブルが一番前の真ん中と絶好の位置。タヒチアンダンスですね。動きが速くてダイナミックです。福島のスパリゾートハワイアンズのようです。子供のダンスです。中央の二人はとても上手でした。こちらの方がおそらく先生なのではないでしょうか。優雅な踊りにみとれました。店内風景です。次回来る時はハワイアンミュージックの演奏があるときにと思っています。またハワイに行きたくなりました。此のお店の名前でもある、ハナウマ湾、過去には世界で一番のビーチになったこともあります。行きたいですね!
2015年06月14日
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あついので、お寺を早々に出て、タクシーで中華街へ向かいました。45バーツで到着です。中華街でフルーツ店やランチを探しました。通りから奥に入ったところには多くのローカル店が立ち並び、活気がありました。お茶彩、魚彩、肉や、雑貨や、なんでもあり。ここで安価なドリアンクッキー1ケ10バーツを3ケ購入。こんなに安い土産も初めてです。なんせ会社に買って帰る土産は安いものに限定です。しかも食べ物で日持ちのするもの、そう考えると、クッキーが一番手ごろでどこでも売っているのです。しかも味がまずいクッキーはほとんどありません。重くもありません。相手の心に負担もありません。それにしてもこんなに安いのは記録的です。帰りにドリアンの路上売りを見つけて、1KG120バーツを半分だからと60バーツで購入、その場で食べました。相棒はこれが大好物です。さすがにホテルにはもってかえれませんよね。でもこれは匂いがほとんどなく、味はまったりの一級ドリアン味。その後先に見つけていたランチの安いお店をさがし、ようやく見つけて中に入りました。冷房が利いて快適。チャーハンとヌードルをいただく。ヌードルは出されたのがなんとつゆなし。確かにメニューの写真をみるとありません。つゆを入れてくれとたのんで入れてもらいました。味は普通においしかったです。その後、ファランボーンのMRT駅に向かって歩くがかなりある。ようやくたどり着いて、シーロムに向かいました。ここファランボーンは実はタイ国鉄のバンコク駅になっています。つまりここがバンコクの顔でもあるのです。そして昔のバンコクの中心が実は中華街の付近だそうです。アジアのどこでも古来から中国の影響は絶大だと、いまさらながら感じます。そして今のバンコクの繁栄の中心はシーロムです。シーロムから歩いてBTSサラデーン付近でモールに入りました。日本の新宿などと何も変わりません。ここで洋服などみながら時間をつぶし、夕食はイタリアンでいただきました。予算が限られているので、周りの人たちより質素に、ラザニア、ピザとビール。すべてシェア。ラザニアは私の大好物です。最近海外でいつも食べてます。まだ足りないのでパスタを追加注文。味は良かったです。そして時間が来たのでホテルにむかいました。ホテルでスーツケースを受け取り、送迎車を待ちました。渋滞にそれほど合わずに空港へ到着、空港で着換えて、残金で抹茶キットカットをかってから乗り込み。空港に展示されていたアンコールワットの、レリーフのモチーフの立体版「乳海撹拌」です。超壮大な物語です。またアンコールワットに行きたくなりました。b787で快適に成田に戻ってきました。317朝予定通りに到着。次の旅行はどこでしょう?旅はいつでも楽しいです。
2015年04月29日
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朝7:30に朝食、いつもとおなじ味です。チェックアウトをすませてバッグをあずかってもらいました。ホテルを出て、BTSでは行きづらい場所なので、タクシーで「黄金の丘」に向かう。英語でなんて言うかわからずにゴールデンヒルと言ったら通じたのですが本当はゴールデンマウントということだそうです。ホテルでは100バーツあれば行くとのことでしたが、実際に着いたのは71バーツですみました。けっこうタイってタクシーが安い。メータータクシーなら問題ないです。着いたところはあまり観光客が来ないような感じのところ。どこからはいるのか最初わからず、近くの人に聞きました。ここから20バーツの入場料を払って登ります。GOLDENN MOUNTは小高い丘の上にあるので、眺めがよいです。上がっていくと黄金の塔が現れ、その中に入ることができます。中には金箔で覆われた仏像が安置してあります。周囲の景色とともに、写真を撮りまくる。バンコクが一望できる眺めだそうです。ここをおりてその隣のお寺にも立ち寄る。そこのお寺にもなかなか良い壁画が部屋の中にあり、立派なお寺のようです。絵もまた素敵です。どれも美しい絵です。歴史はあまり感じませんが、タイの方は信仰心が篤いのでしょうか。良いお寺がたくさんあるように思います。入場料をとられるお寺は一握りで、ほとんどはただで中に入れるようです。こういう所をめぐるのも良いですね。旅はまだまだ続きます。
2015年04月29日
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マーズ=中東呼吸器感染症。ドバイの時にやや気になっていましたが、ついに隣国の韓国に上陸。かなりの勢いで拡散しているようです。それほど人ー人感染が急激ではないと言われますが、既に死者まで出ています。このままではソウルから、いや韓国から観光客が逃げてしまうでしょう。韓国自体がどうなってしまうのかと心配になってしまいます。ソウルで広がれば日本に上陸も時間の問題。対岸の火事では済まされません。私は呼吸器が人よりも弱いので、なおさら心配です。10年以上も前のサーズ騒ぎの時を思い出してしまいます。同種の感染症だということで、ちょっと前の豚インフルよりも危険性がずっと高くて、強毒性の鳥インフル並です。とにかく早く収斂してほしいです。このまま韓国で拡散つづけたら、中国にも広がり、やがて全世界へ。おそろしや~^^;;;海外旅行にはこういう難しい感染症への感染リスクがどうしても国内よりも高まるので、旅行への意欲も減退してしまいます。今予定している渡航先はアジアではないので、とりあえず大丈夫かなとは思っていますが、飛行機の隣の座席に感染者がいたらと思うと、心配性の私の心配は尽きません。それでも旅はまだまだ続きます。
2015年04月29日
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部屋に4時に戻り、1時間休憩後、アジアティークへ向かう。アジアティークは2012年にできた巨大なオープンモールのような場所です。アジアティークの場所はサパーンタクシン駅から無料のシャトルボートがでているので、みなそれを待って行列していました。水面の景色は風情がありますね。約30分ほど待って乗船、ちょうど落日の時間帯で川面に映る夕陽が美しい。なんとここの待っている場所の近くでドローンを操縦している若者がいました。世界中で流行しているんですね。ドローンって英語では普通オスバチの事ですが、ヘリタイプのもののうなり音からの命名なんでしょう。チャオプラヤ川、なかなかの名河川です。船着き場に到着です。中の一場面です。結構広いのです。服や小物を探したり、食事場所を探したりで時間を要し、7時40分ごろようやく日本食ヤヨイで夕食。ポークハンバーグセット169バーツ、かつ丼せっと149バーツをいただきました。安くておいしいので大繁盛です。個人的にはタイ料理は口に合わないので、和食が一番です。その後ようやくマッサージ店を見つけて入りました。私は30分の足裏マッサージ、相棒は60分のタイ古式マッサージ。なんとそこで、我が家にあるクッションカバーを見かけました。そういえば我が家のは、前回バンコク近郊の水上マーケットに行ったときに買ったものでした。値段です。安いです。右足の親指先端を押されるといたい。右側に外反母趾があるためだとおもわれます。30分でもしっかりやってくれるので、とても足が軽くなりました。こういうお魚エステもやっていました。結局雑貨などもそれほど購買欲がないので、とくに何も買わず、9時ごろアジアティークを後にしてホテルに戻りました。夜11時40分ごろ、明日のフライトのために座席のオンラインチェックインをしようとホテルフロントでホテルのPCをいじりました。なんとかタイ航空サイトに入り、入力を完了したのですが、シートの印刷が必要になり、フロントスタッフにたのみました。OKということだったが、印刷2枚で20バーツだと・・・。さすがはスタンダードなホテルです。旅はまだまだ続きます。
2015年04月29日
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朝食はやや遅く7:30から。おかずが昨日の野菜炒めからタイ風焼きそばに変わっていました。あとは同じです。さすがスタンダードです。スタンダードの反動でしょうか、朝から近場の有名ホテルに行こうということになり、9:00ごろホテルを出て歩いてホテルシャングリラに向かいました。途中こういうお祈りの場所があるのは、さすが仏教国です。こういう果物屋さんがあちこちにあります。暑い中、交通量の多い中、なんとか30分ほどでホテルに到着。シャングリラはとっても良いホテルです。プールはチャオプラヤー川に面していて、とても気持ちいい。シートに寄りかかってついつい転寝。まるでホテル宿泊客です。ホテルから舟に乗れます。さすがですね。スタンダードじゃありえません。次にその隣、といってもなかなかたどりつけなかったのですが、タイ一番の高級ホテルマンダリンオリエンタルに到着。ここでもプールで休憩です。ここはよく見ると「夜は短パンだめ」というドレスコードがあり、さすがはマンダリンと思いました。ちょっと敷居が高いですね。個人的にはシャングリラの方を選びたいです。まあ勝手に選んだだけですけど。ホテルをでて、BTSサイアムに行くのにタクシーにしようかと、道に止まっている人の勧誘で話を聞くと、最初は200バーツ、断ると、100バーツ+ガソリン券とかなんとか。それも断り通りに出てタクシーを捕まえようとしていたら、中国人という人が話しかけてきて、どこから来たというから日本からだというと、サイアムに行くなら、BTSに戻って、行くのが一番利口だ、BTSまでかかるのではというと歩いて5分だという。日本と中国は隣人だとその人はおっしゃっていました。とにかく助かりました。旅行に行くと良くこういうことがあります。よほど困った顔をしているのかわかりませんが、みなさん親切です。日本人よりよほど親切だといつも思います。ところがBTSサパーンタクシンから乗る方向を間違えてしまい、チャオプラヤ川を渡っているのでおかしいと気が付き、1駅目で降りて折り返しました。無事サイアムに到着。サイアムパラゴンという巨大なモールに入りランチを探しました。フードコートでタイ料理の貝の卵フライ、トムヤムヌードルをいただく。トムヤムヌードルはぬるくてココナツミルクが口に合わず、口直しにジャラートをいただきました。やはりタイ料理はどうも生理的に合いません。二人ともにこの点では意見が合います。このサイアムパラゴンの中にある水族館に行きたかったのですが、入場料がばか高くて入口で断念しました。マッサージ店をさがすも、これも高くてパス。歩き疲れたのでホテルに戻りました。まあ無計画な行動は大体こういう感じです。ここのスタンダードホテル前に出ている貧乏な感じの屋台でやさしそうなおばさんから、言葉が通じないのですが、マリーンプラムというフルーツを、なんとか身振り手振りで売っている量の半分を半額で購入して、部屋で食べました。これはマンゴーを小さくしたようなもので、ちょっと渋みがある部分もあるが、甘くておいしいのです。初めて見る果物です。琵琶にも一見似ていますが、小さなマンゴーの一種のようです。南国では珍しい果物、せっかくですから食べたいですよね。旅はまだまだ続きます。
2015年04月29日
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ウイークエンドマーケットから戻ってきて、暑いので1時間以上ホテルで休憩。着換えて、デイナークルーズを待ちました。18:20ごろ迎えのガイドが来ていて、雨が降るかもしれないといわれ、あわててレインコートを撮りに戻り、車に乗りました。乗船所のリバーシテイはBTSサトーン線のやや北に位置しています。多くの方が乗船を待って混雑していました。乗船場は大きなビルの中、なんだか派手な女性がいらっしゃいます。この方たちも乗船場のスタッフのようですが、ちょっと場違いですね。少し待って、一番大きなグランドパールという船に乗り込み、7:30に出港しました。たしかに他の船よりずっと大きいです。しかも昨年の新造船とか。ガイドさんが自慢していました。大きすぎて全体が写りません。席は2階席の先頭、最初は飲み物を依頼、ビールを2本としました。これが結構したのです。そういえばネット情報で飲み物に気をつけよと書かれていたのにうっかりしてしまいました。次にビュッヘデイナー、これがまた大したことがなく、コースデイナーとなっている一番高いホテル主催のクルーズにしておけばよかったかなと少し後悔。辛いものが多く、肉もさほど美味しくなく、がっかりでした。おまけにガイドはチップをだしてくれとか、一番良い船だとか、雨が降るとか、なんだかな~のガイドでした。場所も最初はベストかなと思っていましたが、窓のガラスが湾曲していて外の景色がよく見えず、結局外に出て写真撮影することに。チップも、請求書を見ると10%サービス料込なので、不用でした。まあ贅沢を言っていたらきりがありません。今回はけちけち旅行なんでこれで充分です。外にも座席があり、こちらはキャンドルでテーブルを照らしてのムードある座席、こっちの方が良かったです。でも別に写真を撮るだけなら、外に出ても文句を言われるわけではありません。デッキにでてたくさん写真を撮りました。行き交う船も岸辺のライトアップされた建物も、なかなか風情があって美しいです。バンコクに行ったら一度はナイトクルーズも良いです。食事はないものでもよいですが。暁の寺ですね。橋をくぐります。これは王宮でしょう。昼間とは違うバンコクの歴史地区の表情が右に左に流れます。乗船した方の多くはそれなりにドレスコードを気にされた良い服装でしたが、一部の田舎の中国人があいかわらず短パンTシャツでした。船の中のバンドは世界の音楽を奏でていました。日本の曲ではテレサテンの「つぐない」をやっていました。なかなか歌唱力もあって良かったです。踊りもやっていました。ネットの説明では各座席に生伴奏が来て、リクエストを受け付けるということだったのですが、そういうのはなかったので、ガイドに聞いたら、新造船後にはなくなったとか。ちょっとおかしいです。9:15分ごろリバーシテイに到着。乗船時間2時間弱です。ここからホテルまで15分。ホテルに戻ると朝閉まっていたセキュリテイボックスは空いていました。でももうこれに入れる気も起きません。まあスタンダードだからしかたないかと。タイではスタンダードはお勧めしません。電話は相変わらずこわれたままでしたが。今日の予定が盛り沢山だったので、風呂に入ったのが12時過ぎ。1時にバタンキュー。タイでは夜間外出禁止令は既にとかれています。まだ軍政による戒厳令は続いているはずですが、そんな雰囲気はどこにもみあたりません。でも軍政のままであり、いつになったら民政にもどるのか、まだ先は見えていませんね。観光客にとては大差ないかもですが。旅はまだまだ続きます。
2015年04月29日
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ウイークエンドマーケットはとても広く、屋台のお店が無数に並んでいます。雑貨、食料、食堂、服飾など様々です。活気があふれていて、アジアのマーケットですね。週末だけというのがもったいないくらいです。問題は暑さです。クーラーがほとんどないので、テントの中も暑いです。場所はバンコクの北です。MRTでかなり乗ります。ランチをさがして歩いた揚句、タイ料理の屋台で、ブロッコリーと海老のいためもの、揚げ春巻き、鶏肉入りチャーハンをそれぞれ150,50,200バーツでいただきました。どれもおいしかったです。しかも会計でなぜか280バーツになっていました。NO SPICYといったので、タイ料理ースパイシー=中華料理という感じでしょうか。私達はタイ料理より中華の方が好きなので、ちょうど良かったです。次にフルーツを探して先にすすみ、マンゴーの試食をいただいたのですが、ここのマンゴーは完熟じゃなくて、甘味料を付けて食べるようです。はっきり言うとイメージとずれていて、あまり美味しくないです。その代わりに試食したウオーターアップルが美味!マレーシア以来です。30バーツで1袋ゲット、歩きながらいただきました。味はリンゴやナシの食感です。さっぱりとした甘さです。リンゴやナシよりもみずみずしくて美味しいです。ナシの幸水と比較するといい勝負です。この写真の右上の赤い果物がウオーターアップルです。これですね。これはなんだったかな?とにかく粉物です。普通においしいですよ。人がたくさんいます。世界中からきているようです。日本にはこういう市場が少ないですね。東京でいえば築地くらいでしょうか。観光客はこういう場所が好きなんですよね。その後衣料品、雑貨など見て回りましたが、それらにはあまり興味がわかないし、とにかく暑いので、戻ることに。MRTに乗り、バンコクの中心繁華街であるシーロムでおりたら、なんとちょうどそこが、前回泊まった5★ホテルのデュシタニでした。なつかしいので、中に入り、写真撮影もしてきました。ここですね。ここはとにかく良い印象でした。これは前回の情報ですが、なんといってもロイヤルファミリーが利用すると聞きました。写真もありました。今回見てもやはり良いです。今回けちってスタンダードになりましたが、デュシタニだったら、ツアー送迎も悩まなくて良かったのにです。バンコクのオプショナルツアーの大半は、ホテルによっては送迎の来ないホテルがあります。スタンダード以下、小さなホテルなどは来ません。天と地の違いですね。バンコクは★4以上にすべきですね。その後歩いてBTSのサラデーンからスラサックに戻り、ホテルに到着。隣がファミリーマートなので、アイスを買って部屋に戻りました。旅はまだまだ続きます。
2015年04月29日
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王宮をでて、花のきれいな公園を通り過ぎ、次にワットアルン、つまり暁の寺に向かいます。ツクツクが待機していますね。これって値段交渉だし、タクシーよりも高いです。チャオプラヤ川を渡し船で渡りました。これも懐かしいです。乗ったら向かいに香港人カップルがいて、すこしお話をして写真も撮ってもらいました。こちらも撮ってあげました。ワットアルンでは修復工事の最中ということで、プレハブ足場が組まれていて、ちょっと残念でしたが、一部はきれいな姿を見せてくれました。同行者のうち若い女性2人組と計3名がレンタル衣装で写真撮影をするということになり、相棒は大喜びでやりました。このなかから選びました。前回もっ写真を撮ったところで再びできて感慨無量ですね。写真撮影後あわててワットアルンにのぼり、ここでも写真撮影です。陶器のかけらが模様を作っている不思議な光景です。そして大変に美しいです。ここをでて、また渡し船にのりました。今度は自転車で旅行中のような若者がいたので写真を撮ってあげました。対岸にはワットポーつまり涅槃寺があります。ここもたくさんの人がいて、たくさん写真を撮りました。撮ってもらい撮ってあげました。こうしたことで旅行者同士の心の触れ合いも少しできますね。いまは自撮り棒を持っている人が多いのですが、危ないし、お互いに撮りっこした方が良いなあと思います。ここ涅槃寺のブッダは長さ46メートルもあります。金色に輝いています。顔がひょうきんなのがタイ仏像の特徴ですね。ここ涅槃寺は実はタイ古式マッサージの総本山としても有名です。ということは寝ているのは実は私達ということにもなるのでしょうか。一応橋から端まで臨場感が出るように撮影してみました。これって前回来た時も同じように撮影したなっていうか、誰でもそうしてしまいますよね。足裏には螺鈿細工のようなマンダラ模様がありました。ここでもインド人達と撮りっこしましたよ。涅槃寺を出るときに、相棒が靴底に張ってあったパットがないとおおさわぎ。これってマンダラパワーでしょうか。散々クツカバーの返却箱の中さがしたあげく、なんとかみつかりましたが時間がかかって、他の客をまたせたかと思いきや、最後ではなかったのでほっとしました。団体行動をしているときには時間に遅れるのが一番気になります。だからフリーで勝手にしたくなるんですよね。当初の予定ではここからホテルに送迎でしたが、その後にウイークエンドマーケットに行く予定なので、先ほどレンタク衣装の二人組とともに、ファランボーンのMRT駅まで送ってもらい、そこからMRTでマーケットへ向かいました。 旅はまだまだ続きます。
2015年04月29日
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朝4時に目が覚めてしまいました。2時間の時差の影響です。セキュリテイボックスの扉があかず、貴重品を入れられない、電話もこわれているので、フロントスタッフに直接クレーム。朝食は狭い場所で、大したものもなく、さすがはスタンダードという感じです。お粥は美味しかったのですが、あとは特に書くことがありません・・・。市内見学(3大寺院)のオプショナルツアーの迎えが8時にきて、乗り込みました。王宮、エメラルド寺院では写真三昧。何となく前回来たことを覚えていました。どこを見ても絵になる美しい眺めで、ついついシャッターを押してしまいます。前回も暑かったことを記憶していますが、今回も同じく暑いです。バンコクの歴史は浅く、寺院もたかだか200年程度しかたっていませんが、ヴィジュアルが優れていますよね。なんせキンピカです。実はこのバンコク、正式名称ではなく、外国人の使っていた通称だそうです。本当は、クルンテープだそうです。といっても、本当の本当は、クルンテープの後にまだまだ長い長い文字が続くのだそうです。クルンクルンテープが絡まってしまいそうな名前だそうです。エメラルド寺院は王宮の隣です。エメラルド寺院はエメラルド色の石でできた仏像があるのでそうよばれているのです。でもエメラルドの仏像は、実際に写真を見るとエメラルドではなく、ほぼネフライトか、緑色岩のようなものですね。ご存じでしょうが、エメラルドはベリルの仲間の宝石です。アクアマリンはかなり巨大なものもあったことが記録にありますが、エメラルドはそれほど大きなものは採れていません。人間サイズなんてとても無理です。タイの季節は3つ、雨季、乾季、暑季です。今の時期は暑期です。暑いわけですね。この変わり目に王様自身がこの仏像の着替えをするのだそうです。旅は始まったばかりです。
2015年04月29日
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東日本大震災から早4年が経過しましたが、まだその余震と思われるような太平洋側の地震が時々地面をゆさぶっています。その影響と思われるのが、最近の火山の動向です。桜島、阿蘇山、御嶽山、蔵王、西ノ島新島、そして箱根山でも火山性地震が頻繁に起きています。東日本は大震災前には太平洋プレートによって地殻が水平方向に押されて圧縮されていましたが、大震災によって圧縮ストレスが解放されてしまいました。東北の太平世沿岸の地盤沈下はそのためです。地殻が逆に引張になっているようです。だからこれまであまり地震と縁がなかった地域で、正断層タイプの地震が時々出現しています。でも地震だけではなくて、火山のマグマ上昇にも圧縮場の解放は大きく影響しています。圧縮力がなくなると、マグマの部屋の内圧が減少するので、マグマに溶け込んでいたガス成分が気化するために、マグマの浮力が増加するからです。周囲の隙間に拡散するので、再び内圧が減少する、浮力が増加するという連鎖が生じます。これが地表近辺でマグマの量が大量ならすぐに大噴火なのですが、そうでなければ、噴火には時間が必要ですので、大地震後数年で火山の噴火があると言われるのです。最近の九州の火山の活性化をみたり、西ノ島新島のマグマ供給や小笠原付近の地震を見ると、前者はフィリピン海プレートのユーラシアプレートへの沈み込む領域、後者は太平洋プレートがフィリピン海プレートへ沈む領域が怪しくなっているように解釈できます。東日本の太平洋プレートの圧縮が解放されたために、残る太平洋プレートとフィリピンプレートとの間が、なおさらきつくなっているのが一つの要因のように見えるのは私だけでしょうか。太平洋プレートとフィリピン海プレートは別物だから、関係ないという専門家が大半ではありますが、フィリピン海プレートは現在は海嶺を持たない特殊なプレートなので、いずれはユーラシアプレートに合体するか、その下に沈み込む運命のような気がします。だから太平洋プレートと連動するような印象があります。そういう意味であちこちの火山の活性化が気になるわけです。そういえば最近、伊豆小笠原近傍の地震を予測していた方がいましたが、そのすぐ後に、伊豆小笠原地震が起きました。的中した感じです。当分の間、きな臭い雰囲気がぬけそうになく、それだけ、私でなくても誰でも自己流の予知をしてしまいそうですね。何といってもい子食べたら7年の寿命増加といわれる黒卵が、当分口にできなくなったのですからショックが日本列島に拡散します。そういう私は火山の前に私の腰がギックリ噴火してしまいました。数年前にもなり、最近少しあやしい兆候があったのですが、ついに噴火というわけです。最初は腰を前に曲げることができず、靴下をはくことも厳しい状態でした。連休直前に医者に診てもらい、ロキソニンと筋弛緩剤とシップをいただき、連休中はほとんどどこにもいかずに休養していました。ようやく昨日からだいぶ体が動くようになりました。連休はどこも旅行予約ができなかったのが不幸中の幸いでした。
2015年04月29日
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先が白いムスカリです。我が家の庭に咲いてます。ムスカリの花は主に青系ですが、黄色や白もありますね。我が家にもそういう変種も咲いています。この花は先端が白い、きれいな品種です。ブドウの房のように咲くのでグレープヒヤシンスという別名もあります。球根で増えますが種が飛んで、いろんなところに出てきます。小さい花なのに香りが強いというのも特徴で、ムスク=「じゃ香」がムスカリの名前のルーツだそうです。春を青で彩る貴重な花です。この花があるから、他の黄色、白、ピンクの花も一層鮮やかに見えるというものです。小さいながら春の花壇の名脇役ですね。こちらはアズライト(群青)。マラカイト(岩緑青)のような緑の鉱物もついていて、アズロマラカイトかもしれません。銅イオンの色を反映して美しい青色です。何も関係ありませんが、色つながりということで載せてみました。アズライトは遷移金属である銅のまわりに炭酸基と水酸基が配置された結晶構造を持っています。すると炭酸基や水酸基によって構成された結晶場(配位子場)の作用で金属の内殻の不対電子が励起して、光子が吸収されます。通常は紫外線域の波長ですが、可視波長域の吸収が起きる場合があります。この場合に着色されるわけです。これが「遷移金属を含む化合物の配位子場の吸収帯による発色」です。それはマラカイトも同じなのですが、銅ひとつに対する炭酸基と水酸基と数が違っています。従って両者は結晶構造が少し異なります。これがアズライトは青色なのにマラカイトは濃緑である理由というわけですが、これだけ書いてもおそらくさっぱりだと思います。銅はそうして赤い色なの?これと同じレベルのお話です。ムスカリだって、どうして青い色なの?これに答えられる人はほとんどいないと思います。「青い色素をもっているから」は、この場合質問の側であり、答えとは言えませんから。深く知るためには深く勉強することが必要です。アズライトの炭酸基が少し抜けて、水酸基つまり水分が加わるとマラカイトに変質するようです。昔の絵師が群青で青く書いた絵が、いまでは緑に変化しているものがあるのは、実はマラカイトに変質したためだと説明されます。でもこの石の場合には、マラカイトとアズライトは、どちらも銅鉱床つまり硫化銅から、炭酸イオンを含む熱水にさらされてできるということでは兄弟のような関係。生成条件がかわると緑になったり青になったり、そんなことかもしれません。それにマラカイトの緑とは色調がやや異なる気もしています。とにかくこの青と緑の混じった美しさ、まるで地球の美しさの体現です。掌に地球という鉱物の魅力そのものですね。
2015年04月29日
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成田空港のカードラウンジに行きました。通常のチェックインのフロアの一つ上にあります。クレジットカードを見せると入れます。中で缶ビールが無料で頂けます。ありがたいスペースです。一度使ってみたかったのですが、初めてです。今後早めに来た時にはまた使おうと思います。タイ航空の747-400は成田空港をやや遅れて離陸、一路バンコクへむかいました。そういうわけで、久しぶりに、7年ぶりに、タイ王国の首都バンコクに飛びます。当初の予定は全く違ったのですが、消去法で最後に残ったのがここバンコクでした。747は久しぶりです。やっぱり安定感があって安心できる機体ですね。会社のpcからこそこそとオンラインチェックインしたので、主翼のやや前方、トイレの前で、通路を含む2座席。良い場所が確保できました。帰りの座席はホテルで採れるかどうかわかりませんが、挑戦しようと思います。シンガポールの時もなんとかできましたので、ホテルに使えるpcがあればなんとかなると思います。これも旅の醍醐味ですよね。タイ航空のcaの衣装はタイシルク、なかなか評判も良いようです。機内食ではグリンカレーが出ました。前回来た時にはこれが苦手でたべられませんでしたが、再挑戦です。これはそれほどまずくはなかったです。でもやっぱり辛いです。相棒はこれを選択しませんでした。降りる少し前にでてきたもの。ピザトーストのような。美味しかったです。スワンナピーチ空港に15:30ごろ到着。暑いです。大きいです。前回来た時にはできたてほやほやの空港でした。まずは空港内で5万¥を両替。1バーツ約4円ちょっと。レートが悪いですね、空港のせいもあるのでしょうが、円安の影響も大です。節約しようと思います。だから今回もケチケチ旅行かな。人が多いです。ホテル送迎は私達と後一人の3名で。距離は約40kmですが渋滞のために2時間弱もかかりました。バンコクの渋滞は世界のランキングで10位以内とがんばっています。これから夜の屋台に出勤のようです。ホテルはBTSの近くのスタンダードホテルです。部屋は広いがダブルベッド、設備はいまいちで老朽化しています。まあ前回の5星の反動で安くなってしまいました。着替えをしてから夕食を食べに、BTSチットロム駅にBTSに乗って向かう。BTSに直結なのがこのホテルの唯一の利点です。BTSは別名スカイトレイン、地下鉄が地下を走るのに対して高架橋上を主に走る鉄道です。バンコクをあちこち廻っています。これを活用しない手はありません。タクシーもありですが、渋滞が心配です。チットロムにあるホテル「ホリデイイン」において、ランチと同額でデイナーがビュッヘスタイルでいただけるというフレコミを相棒が調べていたので、それに乗りました。なんせタイ料理は基本的には苦手です。辛いのやアマから酸っぱいのや、ココナッツミルク味が苦手です。どうしてタイ料理が世界三大料理になるのか不思議です。入ると確かに同じ、でもこれってホテルの朝のバイキングを出しているのでは?という感じもありました。さらに最初に飲み物の注文が来たので無難なビールにしたら、それが飲み放題金額で299バーツも追加となり、値段的にもうまみがなくなってしまいました。ホテルの方が一枚上手だったということになります。一応並べてみました。タイ料理は前回食べて以来苦手なのですが、今回機内食でいただいて、それほどでもないかなと思ったのでまた食べてみました。このグリーンカレーはまずいわけではないがやっぱり辛い。だってこのグリーンは青唐辛子の色なんですからね。辛くないグリンカレーって論理矛盾になりますね。鶏肉など他の料理はなかなか美味しかったです。おしまいの9時まで粘り満腹でチェック。BTSの乗り方もわかって、ホテルに戻ってから、周りにマッサージ店がないか歩いてみましたが何にもなくて、しかたなく寝ることにしました。とにかく今回もまた出たとこ勝負というか、無計画で来てしまいました。準備の時間が足りなかったです。前回来た時にはパック旅行でしたが、今回は飛行機と宿だけのフリーツアー。どうなることやら。旅はまだまだこれからです。
2015年04月29日
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3月になり、千葉県銚子に行ってきました。お魚ランチが食べたくて、行ってきました。隣の県ですが遠くて遠くて、やっぱり千葉県は広いです。事前にネットで調べて、鈴女(スズメ)というお店で食べました。見た目は派手さのない海鮮丼ですが、15種類位のネタがのっかっています。、しかもどれも新鮮で、回転寿司のネタとは月とスッポンの差がある、極上ネタ。長い距離を走って行っただけのことはあるそんな美味しいランチでした。海鮮丼を拡大すると、これで充分満腹になりました。幸せな気持ちになれました。前回行った時には、舟で水揚げされた鰯を、船から直接、発泡スチロール箱に入れてただでもらったので、今回もひょっとしたらという淡い期待もあったのですが、もう荷揚げはとっくに終わった様子。二匹目のドジョウ、否イワシはいませんでした。
2015年04月20日
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去年の暮、近くの公園で撮影しました。寒い中でしたが、色とりどりのイルミネーションが、きらきら、夜の空気をおしゃれに彩っていました。10月には、この風車の上から、花火を見ました。元旦には、この風車のわきから、登る初日の出を眺めたこともあります。そろそろ、この風車の周りに、チューリップの花が一面に咲きます。赤、黄、白、色の波がきれいです。今年の写真ではありませんが、ごらんください。。
2015年03月26日
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船を下りてメトロに乗り、4つ戻ってモールオブジエミレーツに到着です。直結したモールは巨大です。ドバイモールができる前は世界一でしたから当然ですね。お腹が減っていたので、ランチをフードコートでタイ料理で済ませました。ノースパイシーと言って頼んだので、なんとか食べられました。タイも悪くはないなと思いました。メトロの中です。新しいです。モールの中です。巨大です。同じものが積んであります。迷子になりそうです。その後あるいていたら屋内スキー場を見つけました。これがここのウリです。ガラスの向こうには、雪の降りつもる別世界が広がっています。滑りたかったのですが、転んでけがをしたりすると心配でやめました。すごいですね。その近くの喫茶サンモリッツでカプチーノをいただいて休憩。周りにはアバヤを来てコーヒーを飲むドバイ人たちがいます。とにかくスキー場はさすが世界一ドバイの一言です。暑い国では、雪はあこがれの対象ですからね。ここでもスーパーをさがし、お土産のデーツ入りクッキーを買いました。この後足もいたくなったので、警備の人に聞いてようやく出口に戻り、メトロに乗り込みました。車窓から見る景色は、まだまだドバイがいたるところ工事中、未完成の都市であることがわかります。これから町全体が世界一の大都市になっていくのか、はたまた第2のドバイショックに見舞われて、砂上の楼閣と消えていくのか、未来は砂漠の砂嵐にかすんでいます。ドバイモールに戻り、噴水を何度か見てから、フードコートの中華で夕食を済ませました。この手の噴水では世界一の高さだそうです。そして最後の噴水を見て、写真や動画もとってから、ホテルにもどり、スーツケースを受けとって、タクシーを呼んでもらい、空港へ向かいました。空港内で着換えて、残りの60aedで絵を買って、深夜に機内に乗り込みました。帰りは偏西風の影響で2時間近く早く、定刻に成田に無事到着しました。世界一のたくさんある、砂漠の中の近未来都市ドバイでした。
2015年03月26日
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朝食を今日は外でいただく。今日もこの朝食はとても美味しい。こういう朝食ブッフェに慣れている私達ですが、ここはとてもおいしくてリッチです。5000¥もするから当然ですが、良かったです。夕食はホテル外でがまんで、そのかわり、朝食だけはせっかく5星なので、と、無理して入れました。できることならあるだけ全部食べたいですが、小食のためそれもままなりません。その後チェックアウトもすませて、スーツケースをあずけてから、少し予定より遅れてドバイモールへ。モールからドバイメトロへ歩く歩道を使ってもかなり歩きました。駅で駅員からキップを買ってメトロに乗り、9駅乗ってジュメイラレイクスタワーズで降車。私達が泊まったダウンタウン地区以外では、こちらの方も観光やホテルのもうひとつの中心になっています。ダウンタウンと言いますが、下町ではありません。ドバイの街の中心です。もうひとつの場所は横浜のような感じかな。当初予定では11:00のフェリーに乗る予定でしたがまにあわず、途中で日本人などに道を来ながら進みました。その日本人の若い女性はドバイにきて1カ月という方で、近くに住んでいるとのこと。いろいろ聞きました、うらやましいです。切符売り場ではインド人が日本語でどうしましたかと聞いてくれて、いろいろ聞きました、とても親切な方で、売り場の方にアラビア語で聞いてくれて、それによれば今日は波が強くて全部、ブルジュアルアラブまでいってから戻る短いルートだとのこと。日本語がとても上手で驚きます。そういえばシンガポールでもそういう親切なインド人がいました。インド人、頭がとってもいいんだと思います。羨ましいです。自分はもともとそのコースで考えていたので問題なし、13:00に出る船に乗ることにしました。ちかくのスーパーカルフールで相棒は土産を買いました。もう少し先のドバイマリーナモールにも行きました。このあたりは世界一高層ビルが多いといわれます。とにかく世界一が多い街です。そのうちに時間もたち、切符を買って船に乗り込みました。韓国人の年配おばちゃんグループがおおさわぎ。船の中でも写真を撮るのに大はしゃぎでまわりから反感を買っていました。さすがは世界の嫌われ者、韓国です。出港すると、周りの高層ビル群がよく見えてきて、あの有名なねじれたビルも見えてきました。驚きの姿です。ヘリカルというよりもスパイラルとか、スクリューとかツイステイドという方が良いかも。建設する方は大変でしょうね。一時TVのCMでも見たことがあります。ちゃんとこのビルを背景に記念写真を撮りました。さらに先にすすみ、人工島のパームジュメイラを過ぎると、奥にホテルアトランテイスが見えてきました。巨大なホテルです。人工島へ向かう日立製のMRTですね。拡大しすぎて、ボケボケです。ハリボテみたいに見えるのは私だけでしょうか。その後速度を上げて外海に出て、ブルジュアルアラブの近くまで来て旋回、元に戻りました。風が強かったのですが、良い写真が撮れました。最初の日の市内観光ではこのちょうど逆方向から撮影したのですね。このあと、ドバイモールができるまでは世界一だった、モールオブズィエミレーツへ向かいます。旅はまだまだ続きます。
2015年03月26日
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夕方、ホテルの前にようやく送迎が来ました。パキスタン人ドライバーで、客は私達だけです。これから砂漠の中に行きます。何といっても本来は砂漠の国ですからね。広い道路、なんと片側6車線です。ドライバーさんによれば、ドバイはプロフェッショナルや投資家(お金持ち)には良い町だが、そうでない人にとっては給料も安くて住みにくい町だと言っていました。すべてはお金が支配しているようです。一つの資本主義の典型ですね。つまり香港やシンガポールとよく似た商業の町のようです。ドバイのものはほとん輸入で、フルーツの多くはパキスタンからもはいっているとのこと。特に香りの良いパキスタンマンゴーはおすすめだそうです。キャンプに近づくと、道からそれて砂漠に入り、デザートサファリの触りをやってくれました。彼もやりたそうな様子です。実はこの砂漠の砂の中を車で走るサファアリというのも、このオプショナルツアーの売りの一つなのですが、私は首を手術したので、あまり首に強い力がかかるとよろしくないことから、色々さがして、サファリ無しのツアーを選択した経緯がありました。すこしなら問題なさそうですが、これを30分もやられると、やはり首や腰に無理がかかりそうで、このツアーにしてよかったと思いました。さて落日前に到着し、まず、ラクダに乗りました。以前バリ島で経験済みですが、やはり、乗るときと降りるときにがくんと強い衝撃、危うく落ちそうになりました。前回バリ島で経験していなかったら、落ちていたと思います。でもなかなか楽しいです。私達が一番のり、ラクダ君も待っていてくれています。ラクダの上から写真撮影。でも後で知ったことですが、マーズというコロナウィルスによる感染症が、まだくすぶっています。以前サーズという呼吸器感染症で中国や台湾などでも大騒ぎになったことがありましたが、それとよく似た病気です。それがラクダを媒介にしているかもしれないというのです。ラクダの生ミルクも飲まない方が良いということでした。あれ、朝食でのんだような。生かどうかはわからないけれど・・・。ラクダにものってしまったし・・・。でももう潜伏期間が過ぎたのでokでしょう。その後、相棒の楽しみにしていた民族衣装試着体験。女性の服、黒いアバヤで眼だけ出すのは独特です。一方カンドーラは男性の衣装で白が基調です。帽子もかぶせてもらい、写真三昧。そういえば街中でも、この全身kろづくめのアバヤ、よく見ました。女性はお気の毒に思います。それでも、アバヤを着ながら、ブランド店で服を選んでいる人たちもいて、家の中ではその分着飾っているのかもしれません。なんせお金はあるのでしょうから。そういえば家でも何人かのお手伝いを雇っているのが普通だそうです。そのお手伝いがフィリピン、パキスタン、ミャンマーなどの出稼ぎ女性なのですね。写真を撮ってくれたのが隣の店でサンドアートをやっている彼だったので、2人の名前を入れて作ってもらいました。65aedだったのですが、同じようにとたのんだ方がラクダ2匹に対して、制作したほうは1匹だったのでネゴ、60aedで妥協しました。まあ写真も撮ってもらいましたので・・・。そのほかは水たばこはやりたくないし・・・、で楽しみはほぼおわり。ただのコーヒー、紅茶をのんで時間をつぶし。暗くなってから、ダンスを待ちました。実は、この砂漠の中で探したのが、蛇紋岩、橄欖岩などの緑色岩。足元をさがすと、これがありました。蛇紋岩のようです。どうしてかというと、この隣の国、オマーンにはオマーンオフィオライトといわれる巨大なマントルのなれの果てが地上にめくれあがっている場所があります。ドバイはその近くなので、ひょっとしたら砂漠の中にも緑色岩=オフィオライトがあるだろうと思っていたのです。実は日本にも似た地域があります。北海道の日高山脈です。ここも、実はめくれあがっているところです。本来なら地底20kmほど中にある部分が地上に出ています。それより規模の大きい地域がオマーンなのです。地質学者が通う地域なんですね。だって地球にドリルを開けなくても地底の世界がわかるわけですから。20kmなんて深さを掘ることはほとんど無理です。砂漠で緑の石をさがして喜んでいるような人は、地質学者以外では私くらいかもしれません。でも、この文章を読むと、少しは私の気持ちがわかるでしょうか。少なくても私の相棒には、なんでそれが地球のロマンなの?といわれます。多分それが大多数なんだろうなとも思っています。ベリーダンスとスカートダンスがありました。中でもスカートダンスの最後が圧巻で、なかなかおもしろかったです。ずっとくるくる回っているのに、よく目が回らないなと感心してしまいます。スカートが分離して、上下で色彩が回るのが魅惑的です。エジプトのナイル川クルーズの時に一度みましたが、また見ても、独特で面白いです。ベリーダンスとともにイスラム圏で育ったダンスなんでしょうか。夕食は男女別れて並んでプレートに盛る仕組みで、あまり美味しくなかったです。男女別れてというのがイスラム的ですよね。暖かいカレーなどをおかわりしておなかをなんとか満たしました。パーカーの上からダウンを着て大正解、それでも下半身は寒かったです。帰りに250aedをドライバーに渡してホテルまで送ってもらいました。砂漠の民の厳しい生活の一部を垣間見た気がしました。私達の住んでいる日本のような、水と緑があふれている恵まれた世界とはまるで異質な世界です。だからこそ、そこで生きていく厳しさが、イスラムの文化の底辺に流れているものなんだなと、気づかされたようにも思います。ホテルについてからまた噴水を少し見て夢の中へ。旅はまだまだ続きます。
2015年03月26日
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朝7時に1階レストラン EAANに朝食に向かう。人数はまばら。でも中身は素晴らしいものでした。種類もとても多くて、いずれも美味しいのです。見た目は大したことないと思われるかもしれませんが、これがおいしいのです。そういえばオムレツを焼いてくれたコックさん、ミャンマー出身だとか。色んな国からドバイに来ています。というかドバイではドバイ人よりも、他の国から出稼ぎに来ている人達の方がずっと多いのだそうです。外で食べたかったのですが、あいにく珍しい雨、中で我慢でした。私達のように食材を山積みにしているゲストはいません。贅沢ですね。ついつい昼分もカバンに詰めました。おいおい。食べているうちに次第に雨も上がり、外に出て写真も撮りました。その後9時過ぎにホテルをでて、ドバイモールのなかにあるAT THE TOPに行き、チケットを無事ただで入手し(実際には支払いずみだったのですが)、エレベータでわずか1分で124階に到着しました。これは模型です。断面は三角形というか三菱の形に似てますね。幾何学的に優れた形です。エレベータはOTIS製、耳がつーンと鳴ります。中国の上海ヒルズよりはやや低いが、それでも450m以上。なかなかの眺望です。上海ヒルスの展望台最上部も見たので、これで世界1,2と見たということかな?ここは床がガラス張りだとか、狭いスペースではなかったので、上海ヒルズに比較すると、ずっと気が楽でした。まあ慣れもあるのかもしれません。外に出ると、ガラスの隙間があり、そこからきれいな写真も撮れました。多くの人に写真を撮っても、もらいました。下をながめるとホテルも見えます。贅沢の限りですね。周囲は高層ビルが林立していますが、少し先を見ると、砂漠が広がっています。緑はみえません、ひたすら砂と土の色です。どうしてこんなところに超近代都市が出現したんだろう、夢や幻のような、不思議な感覚で、狐につままれたような気がしてきます。私達の泊まったホテルが眼下の対岸に見えます。人工池の中にある〇などの形が噴水の出る位置です。人工池にかかる橋から見ると、噴水ショーがよく見えるので皆さん橋に集中します。私達が見た屋上のS席も見えます。右側にある大きな面積の建物がドバイモールですね。展望台から上を見た写真です。まだまだ上があります。というか、ここ展望台はビルの大体半分くらいの高さなんですよね。此の上のホテルのまだから見たらもっとすごいでしょうね。そういえばトムクルーズは、このビルの外側でスタント撮影したんですから、恐怖ですね!彼はそういう恐怖感が麻痺しているようです。まさにミッションインポッシブル!遠くにうっすら七つ星ホテル(ブルジュ・アル・アラブ)が見えます。砂交じりの風なので、どうしても遠望がききません。たくさんの人が展望台にいますよね。世界中からきています。中には車いすの方もいました。12時前に降りてホテルにもどり、朝食の残りを部屋の外でいただきました。その後対岸の背の高いthe adressなどのホテル周囲を散策し、着換えて、15:30から16:00の砂漠ツアー送迎を待ちました。とにかく凄い人工の異空間です。ドバイは高層ビルの密集している事でも世界一だとか。しかもドバイのビルはどれも曲線を多く使っているように見えます。普通は曲線を使うと工期と費用がかさむので嫌われますが、虚栄心が強いドバイ人は自慢のために、曲線や曲面を要求するのだと聞きました。・・・こんなお金の無駄遣いをしていて、おごれるものは久しからずと言いますが・・・。それこそ「砂上の楼閣」にならなければよいけれど・・・。だったらねじれたビルもあるのかな?これが実はあるんです。それは後日。旅はまだまだ続きます。
2015年03月26日
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ドバイ水族館などをみながら時間をつぶして、18:00の噴水を待ちました。昼のブルジュカリファです。夕方のブルジュカリファです。噴水ショーの始まりです。夜のブルジュカリファです。まさに主役ですよね。エマールって柔軟剤ではありません。このビルを建設したゼネコンです。この噴水ショーがなかなかすごいのです。まるで噴水が生きているようです。ノリの良い音楽にあわせて踊っているようにも見えます。その後、スークアルバハールをみながらホテルに歩いて戻り、着換えてまた外に出る。また噴水を眺める。何度見てもあきません、毎回違う音楽です。基本的にポピュラー音楽で私達もよく知っている音楽です。そしてドバイモールの外にあるカリフォルニアキッチンでイタリアンの夕食をとりました。宿泊したホテルのタイ料理レストランや、アルゼンチンステーキレストランは有名ですが、¥がいくらあっても足りなくなりそうなので我慢です。アボカドバナナスムージーがなかなかいけます。その後ホテルに戻り、スタッフに噴水のビュ-イングデッキに上がりたいと言ったら、スタッフの一人が案内しますと言って、4階まで来てくれて鍵を開けて屋上にでて,いすまで用意してくれました。待つこと5分、素晴らしい噴水ショーを、私達二人でS席を独占して見ることができました。WEB情報通り素晴らしいものでした。ザパレスダウンタウンと背景のブルジュカリファです。まさに絶景ですね。ホテル屋上のS席からの眺めです。また噴水ショーが始まりました。下では人がたくさんいて、すごい状態ですが、ここでは貸切状態です。ネットでこの場所を知って・・・、本当に見れました。感動です。この後再び外に出て見学、何度見ても素晴らしいショーでした。たしかラスベガスでも同じような噴水ショーが有名ですが、そこの設計者がここも設計したそうです。N個のノズルの傾斜角、旋回角、傾斜速度、旋回速度、水量、噴出速度もしくはノズル開度を同時制御しているんですね。是非動画も見てほしいです。私達の撮影ではありませんがユーチューブから見たものを選びました。このユーチューブをご覧ください。私達の泊まったホテルも見えています。
2015年03月26日
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場所はこんなかんじです。アラビア半島の東端ですね。飛行機の先端の位置がドバイ=DUBAIです。このuaeの隣の国オマーン(図では下側)は、実は世界の地質学者が通う場所でもあります。さて、アーリーチェックインできたので、ホテルの部屋でくつろいでから、市内観光ツアー用に着換えて、ホテルの周りを散策して写真撮影。ホテルのすぐ近くにブルジュ・カリファが見上げる高さで立っています。そうこうしているうちに9:15に市内観光の送迎が来て乗り込みました。ガイドは日本人女性。最初は南下してジュメイラビーチまで行き、7★ホテルのブルジュ・アル・アラブを眺めました。写真を撮っていたら、現地のアラブ人がやって来てなぜか一緒に写真撮影。泥棒じゃないかとちょっと心配しました。霧が出ていてややかすんだ7★でした。ここはたしか、宿泊客でないとホテル内に入れないはずです。一泊かなりのお値段で、私達が泊まれるホテルではありません。元に北上し、ジュメイラモスクへ行く。砂色だがフォルムが美しい。ジュメイラって美しいというような意味だそうです。本来、本日は入場できるはずですが、時間がかかるということで外観のみ。なんだかちょっとさわりだけの観光というか、ガイドさんも後でじっくり観光してくださいだって。次にはドバイクリーク近くのドバイ博物館に立ち寄りました。クリークって入江とか水路っていう意味です。ここではどちらもあてはまっています。博物館の中では昔のドバイ人が漁業や交易で暮らしていた様子が蝋人形などで再現されていました。この交易が今のドバイの繁栄の元にあるようです。ドバイを含むUAE(ユナイテッド・アラブ・エミレーツ)は、石油で儲けている国ではないのです。交易、つまり商売で儲けた国なんですね。だからシンガポールや香港などと同類っていうわけです。見学後に近くのパスタキヤ地区の、昔のドバイの再現された家屋を歩いて見学。ついでにドバイ・クリークを散策していたら、バトードバイの船が停泊していました。高級デイナークルーズの船です。パリのセーヌ川のデイナークルーズ、バトームッシュを思い出しました。このあとドバイクリークをアブラ船で渡りました。5-10分程度ですが、なかなか旅情がある舟です。その後対岸にあるスパイス・スークで15分の散策、さらにちょっと離れたゴールド・スークで15分の散策。スークってマーケットの意味です。どちらも購入意欲はわきません。スパイスだって埃をかぶっているようにみますしね。ゴールドはそんなもの買うお金がありません。でも人がたくさん来ていて、面白いです。トルコのイスタンブールのバザールを思い出しました。写真スポットとしては結構楽しいです。案内するガイドさんも、なんと「買わないほうが賢明、下見のつもりで見てください」とのこと。最後に世界一の大きさのドバイモールに到着して解散。解散前にガイドさんにカフェの場所や、明日の展望台チケット交換場所(AT THE TOP)を聞いておきました。なんと本日でも24時間以内なら交換できるとのことで、さっそくその場所に向かいました。並んでバウチャーを見せると、チケットをくれて、お金を払おうとすると、不要。これで完了という。なんだかかんちがいしているようだったが、そのまま、結局これで見ることができた。大儲け。当日券は1万円もする、今回の事前予約でも250AED/2人かかる。(と大喜びでしたが、実は帰宅後にちゃんとクレジット決済されていることが分かり、ぬかよろこびでした)このモールは世界一の広さですが、その中にある水族館も世界一です。沖縄のちゅら海水族館も一時世界一の水槽で有名でしたが、ここの水槽はそれより大きくて世界一。とにかく世界一が大好きな国民性なんでしょうか。13:00のドバイファウンテンショーは見ることができず、空腹になったので、カフェ「マジリス」でアフタヌーンテイーもどきを注文しました。アフタヌーンテイセット1つにチャイ1つ。前者にコーヒーが付いていると思っていたら、ついていなく、どちらも半分にわけていただいた。これで58AEDは高い。まあドバイ、お金持ちに都合がよい国ですから、お金がない人にとってはつらい国のようです。スケートリンクまであります。かのシンガポールのマリーナベイサンズにもありましたが、それより少し大きいような。とにかく広くて疲れます。全体の2割ほどしか見れませんでした。でも、旅はまだまだ続きます。
2015年03月26日
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今年の1月に家を18時ごろ出て、USAパーキングに19:30過ぎに到着。エミレーツ航空チェックインカウンターで確認すると、JALのJMBマイレージチャージが効くとのこと。JALカンターで聞くと事後入力可能とのことで後で入力することにしました。定刻22:00に出発、途中座席で横になれて、少し睡眠もとれました。早朝5:00ごろ到着です。約10時間、ヨーロッパに行くのと大差ないですね。機内から出るときにCAが写真撮影用に帽子を貸してくれて、相棒がCAの帽子をかぶった姿で写真が撮れました。相棒大喜びでした。機内から出る間際でも、なんとCAとパイロットの間に2人並んで写真をとっていただきました。それから降りる前に持って行ってくれと、ブルガリの小物が入ったバッグを渡されました。最初からすごくラッキーでした。ケアンズの時にLCCジェットスターの機内で、缶ビールをごちゃごちゃ文句いわれたのと対照的です。ターミナルはすごく広い。それもそのはず、なんと世界一だそうです。でもスーツケースが出てくるのはとても速くてスムーズ。とりあえず3万をデイルハムに換金しました。840AEDでした。1AED=35¥と高い。空港内のトイレで着換えて、メータータクシーを捕まえてホテルに向かいました。初乗り25AEDがやや高く、ホテルまでで60AED。朝早く、まだ夜明け前といった感じです。宿泊ホテルは今回は大奮発して、「ザパレスダウンタウン」、なんと★★★★★であり、アラブ風の高級なホテルです。その場所は、かの世界一ノッポビル、「ブルジュ・カリファ」の目の前です。つまりこの街の今の中心でもあります。横のレイアウトではノッポビルの上部は入りません。フロントスタッフの対応も良く、最初はバゲージだけ預かってもらって、市内観光後にチェックインのつもりでいましたが、部屋の掃除を済ませてもらい、40分ほど待ってチェックインすることができました。このとき、日本語を話せるフィリピン人スタッフが部屋に案内してくれて、対応がとてもよくてさすがは5★だと感心しました。もうお分かりですね。そうです。UAEアラブ首長国連邦のドバイです。イスラム圏と聞いて怖いという方もいるでしょうが、とても治安のよい国です。まあ、お金持ちの国は基本的に治安も良いですね。世界一があちこちにある国です。旅はまだまだこれからです。
2015年03月26日
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