今ここが幸せ!

今ここが幸せ!

PR

カレンダー

プロフィール

さんたひかる

さんたひかる

コメント新着

けんけん@ Re:ニセモノお餅に気をつけて!(12/21) なかなか勉強になり興味深い話でした!\(…
背番号のないエース0829 @ Re:初夢~面白い夢(01/01) 今回こちらのtitleです。 もしよろしかっ…
するめ@ Re:妻が車をぶつけた!(02/09) 自分を守るためには有効でしょう。 相手の…
1016@ Re:キーのはめ方(09/20) キーボードの間にゴミが入ってしまったの…
wing-space @ Re[1]:クロスバイクを買いました(08/26) アヌビスさん >いつも楽しみに記事拝見し…

バックナンバー

Nov , 2025
Oct , 2025
Sep , 2025
Aug , 2025
Jul , 2025

キーワードサーチ

▼キーワード検索

May 3, 2013
XML
 釈尊は悟りに至る道筋として四聖諦と呼ぶ「四つの尊い真理」を説いた。
この真理を明らめる(明確に知る)ことで悟ることができるということだ。

 ではどんな真理を明確に知ればいいのだろう。

苦諦とは、苦しみの意味の真理であり
集諦とは、苦しみの原因について真理である。
滅諦とは、(その原因に基づき明らかにされた)苦しみを滅するメカニズムについての真理
道諦とは、苦しみを滅することを実現する方法について(の真理)だ。

 こうやっても苦を超えることで悟りを開くことができるのだ。

 まず苦の真理について語ろう。


サンスクリット語で「ドゥフカ(duhkha)」、
パーリ語で「ドゥッカ(dukkha)」であり、
『思うがままにならないこと』という意味がある。

 釈尊は四苦八苦といわれる八つの苦(思うがままにならないこと)をあげた。


苦しみのあるこの世に生まれたという苦しみ(生)
老いる苦しみ(老)
病気になる苦しみ(病)
いつか死ぬという苦しみ(死)

いつまでも一緒にいたい愛する者と別離する苦しみ (愛別離苦(あいべつりく))
会いたくない怨み憎んでいる者に会う苦しみ (怨憎会苦(おんぞうえく))
求める物が得られない苦しみ (求不得苦(ぐふとくく))


 最後の苦しみは、おそらく他の解釈とは違うだろうから、説明が必要だろう。

 五蘊(ごうん)の「蘊」(うん)とは「集まり」という意味だ。
五蘊(ごうん)の五つの集まりが、色、受、想、行、識である。


最初の「色」とは物質的存在のことだ。

残りの「受・想・行・識」は物質に対する「心」の世界、「脳の働き」を意味する。


「想」は、五感で受けたものを心の中で展開し、何事か想うことだ。
「行」は、その想いを基に意志を発動すること。
「識」は、それらを基に判断することだ。

 たとえば、
肉体があるから、蚊にも刺される(色)
すると、かゆみを覚える(受)
『かゆいなあ、たまらん』と想う(想)
『かゆみを緩和しよう』と決める。(行)
『とりあえず、掻こう』と判断する(識)

 肉体としての人間を分析すると、
このような働きの集まりによって創られていることがわかる。
この人間システムというメカニズムが苦しみを生み出しているということだ。
つまり、五蘊とは、人間であることそのものなのだ。

「五蘊盛苦」の元のパーリ語は、「パンチャ・ウパーダーナ・カンダ・ドゥッカ」であり、
「パンチャ」は「五つ」、
「ウパーダーナ」は「執着する、固執する」
「カンダ」は「要素(蘊)」
「ドゥッカ」は「苦」という意味なので、
「五つの要素に執着する苦しみ」というのが原文の意味だ。

人間であること、その人間メカニズムに捕われていることが苦を生み出しているだ。


 臨死体験をした人や退行催眠によって過去生での死を思い出した人が、
その死の瞬間を語るところによると、
たとえば、交通事故や火事などにあって死に至るとき、
痛みや熱さを感じ、人間メカニズムを発動させ苦しむのだ。

ところが、死の瞬間を迎えると、意識は肉体を離れ、
その瞬間、痛みや熱さは消え去るという。

 つまり、この人間を構成する五つの要素のどれかが欠けると、
苦しみが発生するメカニズムが壊れ、苦しみを感じなくなるのだ。

手術のとき、麻酔をすることで痛みをなくし、苦しみを感じないようにするもの同じことだ。


 さて、苦しみの真理を語ろう。

 四苦八苦にあげられる、あなたが苦しみだと思っていることがある。

苦しみのあるこの世に生まれたこと
老いること
病気になること
いつか死ぬということ
いつまでも一緒にいたい愛する者と別離すること
会いたくない怨み憎んでいる者に会う苦しみこと
求める物が得られない苦しみこと
苦しまざるを得ない人間(凡夫)であること

 だが、これらは、苦しみそのものではない。

たとえば、老いることや病気を苦しまない人もいる。
そうだとしたら、老いや病気そのものは、苦そのものでないということだ。

 では、苦の正体、苦しみの真理とは何か。

 だれかが何かを『思うがままにならないことだ』と思うとき、
それは、その人がその何かを思うがままにしようとしているということを意味している。

 もし、思うがままにしようとしていないなら、
それが思うがままになるとか、ならないとか思うことはないはずだからだ。

 人間メカニズムを発動し、
思うがままにならないことを思うがままにしようとするからこそ、
そこに苦しさを感じるのだ。

 そう、苦しみとは、
「思うがままにならないことを思うがままにしようとするときの抵抗感」
のことなのだ。

 これこそが、苦についての意味的な真理だ(苦諦)。

 老いることが苦なのではなく、
『いつまでも若いままでいたい、絶対に老いたくない』
と抵抗するから苦しいだけなのだ。

 病気になることが苦なのではなく、
『絶対に病気になりたくないない』
と抵抗するから苦しいだけなのだ。

 死ぬことが苦なのではなく、
『いつまでも生きていたい、絶対に死にたくない』
と抵抗するから苦しいだけなのだ。


良寛は、手紙の中にこう書いている。

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候」

 あるがままを受け容れること。

思い通りにならないことに対する抵抗を止め、
あるがままを受け容れたら、そこから苦しみは消え去る。

災難をあるがままに受け容れたら、そこから苦しみは消え去る。
老いを受け容れたら、そこから苦しみは消え去る。
病気を受け容れたら、そこから苦しみは消え去る。
死を受け容れたら、そこから苦しみは消え去る。

苦しみから離れるのではない。

苦しみそのものが消えしまったら、どうやって離れることができる?
無いものから離れることなどできはしない。

苦しみを超えるのだ。


                        さんた ひかる







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  May 3, 2013 05:23:21 PM
コメント(0) | コメントを書く
[【講話】ヒカリズム] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: