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先日、自分の実家近くの町会掲示板に小学校1・2年の時のクラスメートのお父さんの訃報が載っていました。小学校1・2年の時(50年以上前)、クラスメートの家にはおじいさんおばあさんの他に彼の上下に兄弟姉妹がいる家族構成で11人家族と言っていて担任含めクラス全員驚いていました。彼の家は今も商売をしている関係からか、家族葬でなくセレモニーホールで執り行いを。
2024年05月31日
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職場近くのコインバーキングでひるまでんきとドア横に明記してあった車が停まっているのを見かけました。街の電器屋さんか電気工事店の車かと思います。ひるまは漢字にすると比留間・肥留間・蛭間・晝間・昼馬・晝馬・飛留間・日間・比晋間など多くの漢字があてられています。比留間や比留間は読めても晝馬とか日間はなかなか読めないですね。車に書かれていた社名(屋号)がどの漢字に当てはまるかは分かりませんが、ひらがな表記だと配慮されていて分かりやすくありがたいですね。ちなみにプロ野球 埼玉西武ライオンズには蛭間選手(外野手)がいるので、ご存知の方いるのではないかと。
2024年05月30日
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昨朝の事です。電車に乗った自分の前に影ができたような感じになったので見たら後から乗ってきた方てした。横顔かちらっと見えて30代ぐらいの外国人男性でメガネをかけていました。その男性は自分に背を向けて立っていて、自分の目の位置は男性の肩甲骨の下あたりでしたから2メートルぐらいあったかと思います。そのためか電車の天井間際だったので、少しかがみ気味でした。自分が小学生の時、下記の事を父が教えてくれた事をその男性を見て思い出しました。昭和30年代初頭、プロ野球巨人の多摩川グランドで投げていた選手を見て父は「まるで2階から投げているようだった」と感じたそうです。投げていたのは後にプロレスラーに転じた馬場正平投手(ジャイアント馬場さん)だったとの事。*馬場正平投手は2m9cmで現在、日本人のプロ野球選手で2mあるのは巨人の秋広優人選手です*なので2mある方が目の前に立たれると圧倒されますね。ちなみに自分は1m70cmです。
2024年05月29日
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母が亡くなり父の時と同様に手続きがあるため、週明けから19日まで休んでいました。*職場は土日休みなので実質17日まで*手続きのなかに年金事務所に行く件があり、父が亡くなった時は年金事務所でもらってきた書類に母が名前や金融機関名を書くだけで済みましたが、今回は親子関係を示す戸籍謄本・除籍証明書・医者もしくは第三者に書いてもらう書類などを提出しないといけなく全て用意してから年金事務所に。年金事務所に行く途中、信号待ちをしていたらを見かけました。年金事務所はJR上野駅から歩いて10分ほどの不忍池(しのばずのいけ)の向かい側にあります。宝くじ販売車は不忍池のほとりに停まっていました。宝くじのCMで見た事ありますが、実物の宝くじ販売車を見たのは初めてでした。信号待ちをしていた際に撮っただけで宝くじの購入はしていません。
2024年05月28日
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次男夫婦は東京都内にある2階建てアバートの1階に住んでいます。先日、真上の部屋の方が冷蔵庫処分するのにお金かけたくなくて自身で解体を。その際に飛んだ破片だが埃が布団干しをしていた次男のところに降り注ぎ掛け布団・敷布団・サマー毛布が汚れてしまったそうです。次男の奥さんが買い物に出かけている最中の出来事で帰宅して気が付き。それだけでなく1階の各部屋のベランダには水道栓がついているのですが、真下という事もあってか次男の部屋の水道栓を勝手に使ったそうです。たぶん飛んだ破片や埃など1階に落ちた分を洗い流したのでしょう。外出から戻ってきたら2階の住民が水道栓を使っておきながら、事後承諾の一言もなかったのではいい顔しませんよね。2階の住民(50代後半ぐらいの男性)は以前から問題のある方らしく、警察に話に行ったら民事不介入なので弁護士か管理会社のほうにと言われたとの事。次男の奥さんは心の病気を患って仕事が手につかず、生活保護を受けていて区役所が仲介して管理会社を通じて今のアバートに転居してきました。そういう経緯もあってか管理会社はそれぐらいの事で引越しをしたいというのはおかしい税金の無駄遣いだと被害者である次男夫婦に寄り添うのでなく、加害者側に立つような発言をしたそうです。上の住民は謝らないだけでなく布団の洗濯代・水道代を出す気はないとも言ってきたので普段温厚な次男は怒り心頭に。引越し費用も✕。報復というか逆恨みがあると嫌なので、早く引越しをしたいのに管理会社がそのような姿勢なので次男は仕事が休みの日に奥さんが生活保護を受けた区役所の福祉課に話に行くようです。別な物件を探す気がない管理会社の横柄な対応、よろしくないですね。
2024年05月27日
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母が亡くなったのは面会に行く前日でした。対応してくれた看護師さんによると母は夜7時までは普通に過ごしていて、紙おむつの介助に8時に病室に行ったら心臓が止まっていたとの事。それを聞いて下記のことか脳裏に浮かびました。母は父と結婚する前、愛知県の岡崎市に住んでいました。岡崎市と言っても歩いて10分ほどすれば隣の西尾市になるという岡崎市でも端のほうでした。高校生の時に数人と近所のおばあさんと話をしていて「夕食を終えたらまた来るね」と言って一旦夕食をとりに家に戻り、同じように夕食を済ませた数人とおばあさんのところに行ったらおばあさんは亡くなっていたというのを母から40年以上前に聞かされていました。その時のおばあさんのように穏やかに召されたんだなと思いました。母は33年前銭湯で倒れ搬送され翌日に別の病院に移送し再検査した結果、くも膜下出血を患っていて8時間におよぶ手術をしました。手術後、1週間集中治療室に入ってから一般病棟に移りリハビリを。本来ならリハビリに病院で半年以上かかるのですが、担当医が驚くほどの回復力で3ヶ月で退院しました。18年前、少し風邪気味でかかりつけ医に行き念のためレントゲンを撮ったら肺が真っ白で肺炎と言われくも膜下出血手術をした大学病院に紹介状を書いてもらい母は父と一緒に大学病院に行ったら満床で大学病院が提携している大学病院近くの病院に手配しそのまま入院。入院中に検査をしたら肺炎を患っていて、面会に来ていた父と共に専門病院に搬送入院。専門病院は東京西部にある市に位置していて、面会に行くのに電車を乗り継いで1時間半かかりました。1ヶ月半ほど専門病院で治療を受けて、元の病院に戻って肺炎の治療を半月して退院しました。5年前の暮に心臓が悪いからとかかりつけ医に言われて年明けに心臓系に強い病院に入院する手配をかかりつけ医がしてくれて、七草に救急車が迎えに来てくれて入院を。心臓系に強い病院で検査したところ、WPW症候群で場合によっては危ないかもしれませんと言われ約5ヶ月入院しました。(最後の1ヶ月あまりは別の病院に転院)その後は心臓系に強い病院に定期的に通院。WPW症候群で入院した以降は寝たきりではないのですが、酸素チューブを鼻に入れての生活のため訪問看護の方が週3回(1回はリハビリ体操)来てもらい自分が自宅に泊まり朝晩、母の面倒をみていました。車椅子を使っての通院でした。昨年10月に自宅で転倒し、左肩と左大腿部を骨折。搬送先の病院で翌日、4時間の手術をし骨折した箇所にボルトを入れました。3週間後にそこの病院から転院。母は大病を繰り返してきたのですが年齢的なものもありかなり体力が落ちていて、担当医が今度家族から面会に来たら話をしましょうと段取りをしていた矢先だったそうです。「またすぐに来るからね」と4月27日に面会した際に言ったばかりでしたから驚きました。父が亡くなって約11ヶ月で享年88歳でした。火葬した後に母の遺骨と一緒に手術した箇所のボルトが出てきたのですが、かなり大きなボルトでした。今日、頼んだ位牌を受け取りに行きます。母の兄弟姉妹は愛知県に住んでいて健在です。備忘録なので手短にと考えていたのですが、長文になった点お許しください。最後になりましたがお休みの間、温かい言葉をいただきありがとうございます。
2024年05月26日
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昨夜、母が亡くなったしばらくお休みします。
2024年05月04日
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東京メトロ丸ノ内線本郷三丁目駅から徒歩3分ほどのところにある和菓子店 本郷三原堂さんのショーウィンドウに飾られている五月人形です。交差点角に位置しているためショーウィンドウに反映して交差点の様子が写りこんでいる点、ご了承ください。
2024年05月03日
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GWと言っても自分の働いている職場はカレンダー通りなので、合間の平日三日間は仕事です。昨夕、仕事帰りの電車内で途中から乗ってきた30代前半ぐらいの女性がを履いていました。東京は昨朝10時過ぎから雨が降っていたので、クロックスのサンダルでは足元が濡れてよりすべりやすい状況下で厳しいのではないかな?と思いました。*素足でなく靴下を*画像はネットから借用しました。
2024年05月02日
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5月1日、今日はメーデー。40年近く前の事です。当時、友だちが勤めていた会社の組合から「メーデーに参加すると参加費として5000円支給する」と言われ半ば強制的にメーデーに参加して下の画像のように集会した後に新宿から池袋まで行進したと後日、自分を含め友だち数人に話をしてきました。画像はネットから借用しましたので、イメージとして捉えてください。
2024年05月01日
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