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久々に放置状態のこのブログの管理ページを覗いて驚いた。突如としてアクセス数が増えている。なんで???と思ったら、昨夜の加藤くんのWBS出演だ。で、また驚いたのが。Google日本のサイトで『加藤嘉一』と入れるとこのブログが先日の日経新聞に続いてヒットする。…どういうことだ???われわれ北京に住んでいる人間にとって、加藤くんの中国メディアでの露出はかなり有名な話なので、こんな地味なブログが日本のサーチエンジンの検索結果で上位に来るのは、あまりに彼に対しての日本での注目度が低すぎたのではないかのような感じで、別の意味で大きな驚きである。むしろ加藤くんについて調べるのであれば、中国の検索サイトから『加藤嘉一』(日本語でも中国語と同じ表記)で調べれば、溢れるように情報が流れている。中国最大の検索サイトは百度(バイドゥー)だが、日本で『百度』を検索すると百度日本に飛んでしまうので、以下を利用のこと。百度中国(Baidu-China) http://www.baidu.com/谷歌香港(Google-Hongkong)http://www.google.com.hk/昨夜加藤くんが話していたことで、改めて腑に落ちるところがいくつもあった。例えば「中国が若者の国」であること。旧態然とした部分は多分にあるものの、社会に向かって若い人がモノが言いやすいことは事実な気がする。(ただしこれを“=言論の自由”と混同しないでもらいたい)例えば日本で、たった26歳の人間がメディアで連日のように語り、その方面の関係者や社会に影響を与えることはあり得るだろうか?そしてそれも外国人だ。加藤くんは以前、マルチな才能を発揮する中国の人気若手作家でオピニオンリーダ・韓寒に例えられることについて「日本では韓寒は出てこない」と話している。※韓寒 http://ja.wikipedia.org/wiki/韓寒年功序列型の日本社会では、若者が社会の核として用いられることがないと話す一方、中国では若者が社会に物申して注目され、珍重され、影響を与えることが可能だと断言する。これまでの彼の中国での活躍を見れば然りで、同時にほぼ今まで日本に彼と同等のポジションの若者が見当たらないのである。たとえ過去に若い才能を開花させた作家たちがいたとしてもやはり加藤くんや韓寒とは立ち位置が異なっているような気がする。背景には、急激な変化の中で新しい知識や価値観を柔軟に受け入れられる若者でなければ流れについていけない今の中国があるのかもしれない。そして外国人への寛容さも日本と大きく違う。実は昨夜のWBS放送前、ツイッター上で「中国で最も有名な日本人とは誰か?」という会話がなされた。そこで中国をよく知る日本人の間で出てきたのは、加藤くんより俳優の矢野浩二さんだった。敵役の日本軍の将校役として中国デビューした矢野さんだったが、今では高視聴率番組のレギュラーを務めるほどの人気と知名度を誇る日本人俳優である。そのほかにも中国の芸能界で活躍する日本人は多く、友人の松峰莉璃ちゃんや武藤美幸ちゃんはドラマの主役を張るくらいの扱われ方である。昨夜の加藤くんのコメントに抵抗を感じた視聴者がいらっしゃるかもしれない。日本の社会や文化に対して深い洞察がないと感じた方もいたかもしれない。ただ彼の話は、別の角度から見た場合はそのようにも受け止められる事実を語っていると私は思う。そして、中国は日本人が思う以上に日本人を受け入れ、学ぶべき日本が失ってしまった点もあるのだということを、一人の中国在住日本人として思うのである。
2010.08.19
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JR高岡-JR氷見間をハットリくん列車が走っている。始発・JR高岡駅から乗車。車体外観を写真に収めるのを忘れた・・・。ということで、いきなり車内の写真。発車して間もなくハットリくんの声でアナウンスが。そして二人の藤子不二雄先生が卒業した小学校の脇を通過。その案内も、ハットリくんの声が紹介。団体旅行のコースにもこの電車の乗車が含まれているみたいで、途中の越中国分駅から関西からと思しきのツアー客がどっと乗ってくる。終点・氷見駅到着。待合室にもハットリくんとその仲間たち。詳しいことはまたこっちの動画にて。http://v.youku.com/v_show/id_XMTg1OTUxODEy.html
2010.06.26
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7月最後の日になって、これを越すと当日の日付でのエントリーができなくなるので、せっかく撮った写真をアップすることに。梅雨とは思えぬ快晴の日に母と氷見方面へ。氷見あいやまガーデン。44,000平方メートルの敷地に四季折々の花が咲く。高台から海と対岸の立山連峰が臨める絶景のロケーション。空が抜けるように青く、草花とのコントラストが美しい。入場料は入園料大人800円と高めだけど、観光バスが次から次へと入ってくる。思わず、一日いくらくらいの収益なのか計算してしまう。(団体料金は、大人700円)昼のランチに氷見に行く団体客ではなかろうかと。隣接する石川県からの来客が多いよう。※氷見あいやまガーデンhttp://www.himiaiyama.jp/14.html氷見市役所裏の光禅寺へ。ここ、藤子不二雄A(安孫子素雄)先生の生家です。そして出迎えるのが、左から忍者ハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿、笑うせえるすまんの喪黒福造。お宅の中には、A先生直筆の達磨の衝立のほか、手塚冶虫先生が来られたとき使った机などがあるとのこと。この風景を動画で撮影・編集しました。http://v.youku.com/v_show/id_XMTg1NTU5NTA4.htmlちなみに、A先生がこのお宅にいたのは小学生までで、実父が亡くなられ、母方の叔父さんを頼って、高岡へ引っ越し。そこの小学校で藤子不二雄F(藤本弘)先生とめぐり合う…のです。
2010.06.24
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6月半ば過ぎから下旬にかけ一時帰国した。ビザの問題とか仕事の関係とかでぎりぎりまで日程も、果たして東京から入るのか、関空から入るのかも決められなかった。ようやく東京経由で6月17日と決めたその日のこと。雨交じりの空模様の下、自宅を出発したのが6時半。 7時に北京空港に着き、何の問題もなくチェックイン。 スタバでコーヒー飲んで、土台しか作ってなかった顔をメイクして、 ちょっと遅れ気味にゲートへ向かうと、どうやら他の皆さんはすでに搭乗しており、 なんだ、私、最後かもしれないくらいの雰囲気。 ところが、席についてからなかなか離陸の準備に入らない。 前に座っていた中国人団体旅行客は最初は記念撮影で盛り上がってたのに、 なんの連絡もないからだんだんだれてきた。 そしたら、機内アナウンス。 「天候不順のため、離陸が遅れる見込み。あと1時間くらいで改めて案内する」と。 それだけでも、え~~~って感じなのに、その1時間後のアナウンスで愕然。 「今朝からの雷の影響で、発着に影響が出ています。 現在、われわれの飛行機の前に20機が待機中。 これからその順番待ちになります」とね。 う・・・・。この2,3年、夏の北京は妙に雷が多い。この数日前からも雷雨が続いていた。国際航空法によって、一回ドアが閉まってしまうともうゲートへは戻れない。 いつ出発できるかわからないまま機内で缶詰めに。 後ろで、スーツを着た中国人の女の子二人組みが日本語の練習をしている。 思い切って声をかけてみた。 二人は河南省からきた李さんと冷さんで、 これから名古屋にある会社に3年間研修に行くという。 今日まで4ヶ月間地元で日本語を勉強し、初の海外脱出とのこと。 それにしても4ヶ月でねー、すごいなー。 通路で立ち話をしていると、散歩をしている人やトイレに行く人の邪魔になるので、 ちょっとコミュニケーションして退散。 しかし、ひまである。 不覚にもPCのバッテリーがないからそれは使えない。 twitterできないし、北京の友達に電話と短信しまくり。 外部から2回サンドイッチが運ばれてきた。 12時過ぎたぞ。 この辺でようやく機体が動き出す気配が。 しかし、まだ5機前にいるとか。 そんな早朝から飛んでないんだったら、なぜ我々を機体に乗せちゃったんだろうね。 初めての海外とおぼしき前の中国人団体客はもうダレダレ。 すごくその気持ち、わかる。 中国人のおばあちゃんがもう何回もぐるぐる通路を歩き回っている。老人には酷だ。なんだかんだで結局テイクオフしたのは、午後1時前。 4時間半の缶詰めであった。 そして飛行機は飛ぶ。しかし、4時間の遅れは取り戻せるわけがない。日本の国土が眼下に広がると、中国人のみなさんはいっせいに窓に顔を寄せてわーわー声を上げている。初の海外で、こんなに飛行機に缶詰めにされたら、日本は極楽浄土のようであろう。成田着。李さんと冷さんは私に手を振って日本での第一歩を踏み出していった。おかげさまで、東京で午後アポをいれていたSさんとの面会はチャラに。 Sさん、貴重なお時間を無駄にさせ、すいませんでした。 ともかく、飛行機乗るときは何があるかわからないから、 時間つぶす準備は忘れないようにしておこうと。この教訓により、私は東京でバッテリーが長持ちするPCを新たに購入した。
2010.06.17
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このエントリーのタイトルは間違っている。正確にはアフレコしようとしたけど、しなかった、である。莉璃ちゃんのドラマのアフレコから2日目のこと。夕方近く、中国人の友人(日本語がとっても流暢)から突然電話がかかってきた。内容は「今からドラマのアフレコに行ける?」だった。どうも彼女の所に日本語のアフレコができないかと彼女のご主人の友達から連絡があったのだけれど、彼女は用があっていけないので、私なら大丈夫か?という話だった。本当に「今すぐ」というのだが、当日私は6時まで仕事で、それ以降じゃないと対応できないと答えたら、向こうは相当急いでいるみたいなので、それでもいいから行ってくれ、ついては向こうの担当者と連絡をとってスタジオに向かってほしいと言う。他でもない友人の頼みなので、話を受けることにした。担当者に電話すると、スタジオの最寄り駅まで迎えをよこすので来てほしいとなり、7時前にその建物に着いた。事務室のようなところに通されて、事務の責任者のようなおばちゃんと挨拶を交わし、担当者が来るのを待った。しばらくすると一人女性がやってきて、軽く挨拶して私に台本を渡した。ところが。台本に日本語の台詞が一言もない。そこにある台詞はすべて中国語。その女性に「これ、日本語のアフレコでしょう? どうして日本語が書いてないの?」と尋ねたら、「だってドラマの中では役者は中国語で話してるから」。・・・って、それ答えになっとらんだろう? だから、日本語のアフレコするのに来たんだから、日本語の翻訳を準備してないとだめでしょ? すると彼女、「それは主任と直接話し合ってもらわないと」って。いや、主任と話し合う以前に、これじゃあすぐ録音できないって考えたら分かるんじゃないの? さらに呆れたのが、日本語を話す女性が3人出てくるのだが、これを全員私ひとりでやれと言う。それも同じ場面で会話している3人。・・・冗談でしょ? 加えて、私以外日本語のわかる人間がいない。そしたらその3人の会話中台詞が漏れて正確に映像にかぶらなかったら、誰が録り直しの判断するの? とどめに、さっき私と連絡を取ったTという主任が外出してスタジオにいない。そんなんでうまくいくわけないでしょう? 事務のおばちゃんは「そりゃそうよ、これじゃアフレコなんて無理じゃない!」と私に加勢してくれる。 だから私は言い放つ。「このアフレコはあなたたちが考えているほど2、3時間で終わる簡単なもんじゃない!」とりあえずということでドラマの映像を見たら、私が手渡された日本語の台詞のあるシーンが指定された回の指定のタイムのところにない・・・。もう、これ絶対あかんわ。ぐだぐだやん。話にならないので帰宅することにした。なんかむなしい。前回の莉璃ちゃんのところのような、しっかり準備して迎えてくれるチームもある一方、何にも考えてないところというのもあって、この落差が大きすぎ。それが中国の現状だなとまた実感したよ。翌日T主任から「日本語の台詞を訳した。時間があるか」とSNSが来たけど断った。もともとその日と次の日はすでに予定が入っていたし。蛇足だけれど、このドラマ、中国国内の産婦人科を舞台にした現代ドラマで、私がアフレコさせられそうになっていたのは、その病院にやってくる教授である日本人女医とその通訳二人の役。それでその日本人医師の名前というのが代子っていう。中国語の台詞では「Daizi教授」って呼んでるんだけど、日本語だとどうする?「よこ?」ありえんよねえ、この名前。これが変だと中国人に説明するのももうめんどくさいし。その後だれにアフレコさせたんだろうね。
2010.04.27
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中国で活躍する女優で友人の松峰莉璃ちゃんが、中国のドラマで主役を張ることになった。中国のドラマですよ。普通日本じゃガイジンが主役やってるドラマなんかほとんど見られませんよ。それもそこの国の言葉で演技するんですよ。ちょっとハンパない。松峰莉璃ブログhttp://liliematsumine.com/ドラマのタイトルは『鋼鉄年代』。日中戦争後の中国が舞台で、彼女が演じるのは、家族と離れ離れになり、中国に残った日本人女性。そして彼女の相手役というのが中国を代表するいぶし銀俳優・陳宝国。陳国宝:http://data.ent.sina.com.cn/star/604.htmlこの二人を軸に数奇な運命が展開するというドラマらしい。ある日、莉璃ちゃん本人から主人公のお母さん(設定上は日本人)の日本語吹き替えを依頼され、引き受けることにした。お母さんを演じている役者さんは中国人で、実際には中国語で演じているのだけれど、その上から私の声をかぶせていくということだ。台本には中国語と一緒に大まかな日本語の台詞がすでに書いてあって、私はスタジオで画面を見ながら合っていないところは台詞の長さやスピードを調整しながら合わせて行く。一方調整室には莉璃ちゃんがいてくれて、担当の技術者さんに指示を出してくれる。おかげで日本語のアフレコは意外とスムーズ。ところが、実はこのドラマの監督さん(中国人)、結構こだわり屋で、お母さん役の女優さんが中国語で演じている音声も私に上からかぶせてくれと言う。ひ? ちゅ、中国語でやるんですか? 当初びっくりしたのだが台本を事前にいただき、暇さえあれば声に出して読み続けていた。だいぶ読み込んだので、ほぼつっかえることなく読める程度になった。で、なんとかなるだろうと思った。ら、それは甘かった。そのシーンというのは、お母さんが娘を日本に連れ戻しにやってきて、既に娘と恋仲であった陳宝国演じる鉄工所の工場長に、どうか娘をあきらめてくれと涙ながらに懇願するというシーンである。はじめは冷静にゆっくり話をしているのだけれど、後半にいくにつれお母さんの口調は激情的になり、最後はひざまずいて涙涙涙~!よって私の中国語のせりふは前半はどうにかなるのだけれど、後半は激情に駆られたお母さんの、いきなり早口になったかと思ったらいきなり止まって、おまけにここで息継ぎできないの?ってくらいのリズムで、最初に映像見せられたときには、「ちょっと、ちょっとこれ、やれるの、私!?」と絶句してしまった。はじめてみたら、役者さんの口に台詞を合わせるので精一杯。後半泣き崩れているのを見て、監督から「お母さん、泣いちゃってますからお願い」と要望が出るのだけれど、「もう泣いてる場合じゃないって~」って言うしかない。向こうの部屋で莉璃ちゃんのわざわざ丁寧に「無法哭(泣いてる場合じゃない)」と訳する声が。でも、別の意味で心が泣きそうなのよ~。・・・とはいえ、私の技術があれで限界と判断されたのか、口と台詞があったところでOKが出た。ひ~、よれよれよ~。監督が「すばらしかったよ~」と褒めてくれるのであるが、すっごい敗北感に打ちひしがれちゃった感じ。外国人が外国語でアフレコするって難しすぎる。このドラマ『鋼鉄年代』は来年オンエアの予定。ついでに、私と陳宝国の声だけの共演もオンエア予定。そう、今のところ予定。
2010.04.25
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この間バスに乗っていたら、車内にこんな広告が。広告主は、金鳳成祥という中国のパン・ケーキのチェーン店。ここの商品はお世辞にもおいしいとは言えない。「金年?蛋? 日本大??石?忠雄?情制造」。(バウムクーヘン 日本の名人・石沢忠雄が心をこめて作りました)この石沢忠雄さんって、何者?たしかにその広告には石沢さんと思しき人がバウムクーヘンを前に作業している写真があるが、日本人として石沢さんが妙に気になる。中国最大の検索エンジン・百度を使っても、Googleを使ってもそれらしい人物はヒットしない。ともかく百聞は一見にしかず。断食明けに、金鳳成祥に行って自信作のバウムクーヘンを購入。カットタイプ。1個4.5元。そのほかにホールタイプ(小)28元、(大)48元あり。ちゃんとバウムクーヘンです。食べました。結果。普通に食べられます。金鳳は大分進歩した!ただ個人的にバウムクーヘンはもっちり歯ごたえがあるほうが好きなので、やややわらかいかなと。同じお手ごろケーキでも、まだ味多美(同じく中国のパン・ケーキチェーン)のブラウニーには及ばないな。
2010.04.17
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10日の日経新聞の一面を飾った、加藤嘉一さん。日経新聞http://www.nikkei.com/個人的には“さん”じゃなくて、留学初期の友人の一人として習慣的に「加藤くん」と呼びたい気持ちではあるけれど、この彼へのインタビュー記事への反響がtwitter上でも大きくて、こうして海外に暮らす日本人の一人として、「よく言ってくれた!」と同時に、彼に表現の場を与えてくれた日経新聞に感謝したいと思う。総じて日本人は内省的で、状況が悪くなると思考も行動も一層じっと留まりがちになる。その中で徐々に外への関心が薄れがちになり、世界のつながりの中の一部である存在としての日本を意識しなくなる。それが先日の「日本を降りない若者」の増殖につながる。これまで先人が世界に示してくれた日本の貢献や礼儀正しさは、彼の言うように日本人への信頼感や尊敬に通じていて、海を渡る中国人に比べてはるかに安いリスクを背負っているにすぎないことを気づいてもらいたいと思う。加藤くんは自身のことを「出る釘」と例えているけれど、彼の場合、出ているというより、打つ場所の面積に比較し釘自身が大きすぎるのだと私は表現したい。だから普通の新卒者のように日本の企業に就職する必要もないし、彼の言うよう、適齢になるまで海外を見聞して器を磨き、大きい視点から日本にアプローチできる人材に育ってもらいたいと願うのである。その一方で彼が日本に戻るまでに、多様な価値観や人材を受け入れる土壌を日本が醸成していることも願いたい。加藤くんが掲載されている記事を読んで思ったのは、人にはそれぞれに役割があり、与えられた役割をより高い次元で発揮できるようそれぞれ人生に課題が用意されているのだということ。多分、彼はサラリーマンには不向きだろうし、いわゆる世間のお父さんお母さんにとっての「理想的な息子」にも該当しないだろう。(多分彼のご両親は彼を誇らしく感じているでしょうけれど。この息子にして度量の狭いご両親はありえないから)ただし彼にしかできないことがあり、その役割を素直に担おうとしているだけに見える。こんなことを言うのは、私自身、北京に来てから、日本では接触できなかったような人間的にも度量の大きい人たちに出会うことができたと同時に、ある感情との折り合いが充分つけられなかった経験があるからだ。私がついていない状態のときに、彼ら彼女らは軽々とステップアップしていき、それと比較して自分の無能さを嘆いたり焦ったりを繰り返していた。理想と現実のギャップが苦しかった。でも今になり、例えば加藤くんがやってきたことと同じことができるのか、とか、彼と同じように興味を持ってやり続けてこられたのかと問われるとそれは完全にNO!だ。彼に役割があると同時に、私には別の役割があるのだから。確かに彼ほど遮二無二やってきたかというとそれははずかしい限りだけれど、自分の役割のことを考えることが先決で、比較して焦るのは反応としてムダだろうと時間が経って徐々に気がついた。そうなっていくと、肩の荷が下りたかのようにすっきりしてしまった。加藤くんのインタビューを読んで、いろんな考えが頭を過ぎった。これを一旦文書として整理させてくれた加藤くん、そしてまた日経新聞にも感謝だな。
2010.04.11
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実は、プチ断食中。考えてみたら4年ぶりか?断食するというと「やせなくてもいいのに」と言われるのだけれど、やせたいのではなくて、お疲れ気味の胃腸へのいたわりと、体に蓄積されたと思われる歓迎できない物質の排出が目的である。前回同様、流動食の暮らしを3日間続ける。断食が明けると、なぜか気分はすっきり。頭痛や肩こりの痛みも軽くなる気がする。しかし。この断食の間はある意味面倒で。外に出かけてもコーヒーさえ飲めない。食事なんてのはとんでもない!自宅に篭っていてもしょうがないし、いらいらするので散歩に出た。朝陽公園へ桜の花見にでも。日中友好30周年を記念して植樹されたらしい桜花谷というところがあるので行ってみるが。・・・まだ咲いていないぞ。丘の上に数本ソメイヨシノと見られる木が満開。なんだ、これ最近植えたのか?日本の桜に比べてゴージャス感や幽玄さはないが、それはまた楚々とかわいらしく。華北に春を告げる迎春花。こんなところでセグウェイに乗れるなんて。ちなみに中国語でセグウェイは「思維」というらしい。結婚写真の撮影も気候が暖かくなって、穏やかに進んでいるような。北京にも春が来た。多分、来週あたり、半そで着てるかもしれないな。
2010.04.07
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「中国では観光地に行ってもほとんど当地の名産のお菓子を買うことはない」という話をアップした。そしたら、その翌日に別の中国人のYさんが出張で出かけた江西省からお菓子のおみやげを買って帰ってきた。このYさんというのは、日本在住経験十数年、日本人以上にまめで気遣いができる人なので、この人を一般的な中国人という尺度で考えるのは適当でない。その彼女が買ってきたのが龍須酥(ロンシイスゥ)というお菓子。中国ではよく知られたお菓子の一つで、小麦粉と白砂糖を極細の糸のように加工し固めたお菓子である。あえて例えるなら、細い繊維状の粉粉した落雁という感じ。開封するとこんな感じで。なんか、あふれんばかりに、こぼれそうなほど入っている。何分脆いので、指でつまむと砕け散る。スプーンですくうのが賢明か。Yさんに言わせると、「せっかく出張に行ったので何か買ってきてあげたかったんですけど、やっぱりあんまり人にあげるには適当とは思えないから、親しい人ならもらってもらえるかと思って、xiaomiさんに」とのこと。確かに、これを贈られると若干厄介。それから2週間経過。ちょいと食べてみるかと覗いてみたら・・・あのあふれんばかりの粉粉のお菓子がこんなに縮んでました・・・。
2010.03.29
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北京が、今年最大の黄砂に襲われたのはおとといのこと。日本への被害も相当のものだったようだけれど。また今日も黄砂。それも、視界性の悪さでは、おととい以上か・・・。みごとなこの霞っぷり。マンションの噴水池は黄色い砂がたまり。近所の高校にかかる五星旗。黄色い空気の向こうで、強い風にたなびく。午後から出かけないといけない。憂鬱だ~。
2010.03.22
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私の中国人の友人でZさんという人がいる。Zさんは比較的長い日本に留学と就業の経験があって、彼女の話す日本語はそりゃもう自然だわ、日本の偉い人とも大勢知り合いだわの知日派のすごい女性なのであるが、ちょこっとしたところで、中国人であることが見え隠れする。この春節のお休み、Zさんはボーイフレンド(中国人)と一緒に日本を旅行した。京都とその近辺を観光し、さらに北海道でスキーという、日本人からしても贅沢なコースだった。昨日彼女に会ったので、「日本の旅行は楽しかったですか?」と聞いたら、「日本はどこに行ってもきれいだし、何食べてもおいしいし、サービスもよくて、ほんとうによかった!」とZさんにしては当たり前な返事をする。「彼も一緒に居酒屋に行ったんだけど、路上で配ってたクーポン使ったら、一人たったの1500円くらいでね、あんまり安くてびっくりした! 安いけど、ほんとちゃんとしたものが出てくるのよ~」なんて言うので、初めて日本に行った中国人みたいじゃんと私が逆にびっくりした。たまたま昨日は私が実家に戻ったときに買った地元のお菓子をあげたのだけれど、それを見て彼女、「そうよねー、日本って観光地に行くとすごい種類のおみやげ用のお菓子売ってるじゃない?で、あれもどこでもだいたいおいしいんだけど、考えてみたら中国ってあんまりないよね、旅行に行ったからって、たくさんおみやげにお菓子買うのって」って言う。でも地方の空港とかホテルとかに地元名産のお菓子やスナックが販売されてるけど? と思っていたら、「あるはあるけど、だいたいお菓子がおいしくないから、あげてもあんまり喜ばれないし」と続ける。日本人の視点から見ても、確かに「北京特産」として売られている「果脯(果物の砂糖漬け)」なんてものはあるが、あれをもらったところでそれほどみんなが喜んで食べるとは想像しがたい。なので、あの観光地の販売店にお菓子がずらーっと並んでいるのを見ると、中国と違うなあと思うらしい。さて、その一方、中国、正確に言えば中国の北方のほうがいいと思ったこともあった。京都滞在の際、彼女らはホテルに泊まらず、知人の別荘に厄介になることにした。その別荘は普段誰も使っておらず、彼女らが泊まるまで何ヶ月も放置された状態だったのだが、冬の京都のそんな人気のない木造建築の中はしんしんと底冷えが伝わる。お布団を床に敷いて寝たけれど、夜中に目が醒めるくらい寒い・・・。すると彼が、「ねえ、寝るときって暖房つけないの? これじゃあ寒くて寝られないじゃない」と。中国の長江以北は冬になると建物ごと暖める暖気(ヌアンチ=セントラルヒートシステム)があるから、夜寒くて寝られないということはない。トイレに行きたくて目が醒めたとしても、寒くて布団から出られずにうだうだすることはまずない。我々からしてみたら、寝るとき暖房つけるのは安全面でも心配だし、寝ているときに暖房付けるなんてのは電気代やガス代のムダという発想しかないけど、それが疑問とは驚いた。ちなみに彼女ら、その翌日タクシーに乗ったときに、運転手さんに尋ねたらしい。「あなたのおうちも寝るとき、暖房は消しますか?」って。運転手さんは、それ聞いて笑ったらしい。ま、そんな質問、普通はされたことないだろうから。
2010.03.16
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日本に帰国するとき、直接地元に帰ることはまったくない。一晩でもいいから東京(前々回は関西から入国)で過ごして、頭の中を中国→日本、都会→地方という段階的な切り替えを経てから実家に戻るようにしている。いや、笑い事じゃないんだって。そういうのしないと、エネルギーが違いすぎて、順応できないのよ。今回の東京滞在中に、受講者としてセミナーや研修に参加していて、いろんな人に引き合わせてもらったり、刺激をもらったりしたので、「まだ日本は行ける!」と思ったんだけど、地元に戻ると不景気が一層深刻なせいか、「無理」「だめ」「ムダ」「そんな甘いもんじゃない」という否定的な発言が多く、テンションが上がり気味の私とはベクトルの方向が違っていて、どう歩調を合わせていいものだか・・・という気がしていた。でも決してすべての人が元気をなくしているわけでもない。春節の一時帰国前、地元の県の団体からある人を経由して、北京の県人会に打診があった。地元の30代の若手経営者8名が、投資環境の視察のために北京を訪問、その際に北京在住者と交流したいという内容。県の団体のFセンター長と大連にある事務所の所長も同行されるという。これまでも地元放送局のアナウンサーを招いての交流会はあったけれど、まさか自治体からこうした理由でコンタクトがあるとは思ってもみなかった。ということで、宮廷料理を味わえる人気店・那家小館をリザーブ。みなさん、スーツ姿です。センター長は1960年代から中国と関わる専門家。中国人のメンタリティや社会、日中関係など興味深い話を拝聴する。インターネットの普及によって、最近はネットで情報を収集して、「行ったつもり」「やったつもり」になってしまう人間が多くなったと先日の読書会で言われていたけれど、実際海外に赴いて体験から何かを得ようとするのは大切なこと。それも決まりきった視察コースではなくて、自分たちが行きたいところをチョイスして見たいものを見るって、大事だなと。北京にいることは、日本にいる人から見ると都落ちのように映るのかもしれないけれど、北京だから出会えた日本在住の日本人がこれまでに大勢いた。北京にいても日本にいても、私が北京に住んでいるから会ってくれる。今回のみなさんだって、私が地元にいたらむしろ会うチャンスなんてない可能性が高い。こういうご縁が生まれると、今私が北京にいるから地元に対してできることがあるんじゃないかと思う。多分、これは東京に住んでいただけだったら、芽生えなかった発想かもしれない。
2010.03.11
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「肉食系ですか?」と問われて、自分を肉食と思うことはあんまりない。もうちょいアグレッシブにいけたら、もうちょい違った人生があったかもなあと思う。一方で、たとえばグループの中に押しの強い人物がいたら、その人に押しを担当させて、一歩引いたところから全体を俯瞰するちょっと大人な部分を自分自身結構気に入っていたりする。なので、多分「肉食じゃないです」と返事しそうな気がする。とはいえ、純粋に「草食系ですか?」と問われて、「はい、草食です」と答えられるほど、穏やかで波風立てない人間でもない。強いて言うなら「雑食」。時に肉も食べたい。でも肉を食べたら、しばらく野菜で食べた肉の脂身をデトックスしたい。ちなみに、私は肉より魚のほうが好きだけど。余談が長くなった。主宰Sさんの帰任に伴い、茶旅読書会がファイナルを迎えることになった。管理者が変わって、茶旅という文言が抜けるらしい。毎回、書籍の作者や訳者などを迎えて開催していたこの読書会の今回のゲストは、下川裕治さん。世界各国を旅する日本のバックパッカーたちにとっては神様的な存在の旅行ライターである。今回の意見交換のテーマは、「日本から降りない若者たち」。以前から報道にあったけれど、今、日本の若者が海外に行きたがらない。異文化の土地に行き、未知の体験をすることを心よしとしない傾向が強くなっている。98年に25万人弱いた海外渡航者は年々減少、昨年は約8万人減って、17万人程度にまで落ち込んでいる。そのうち10万人は仕事などで日本と海外を往復する人で、純粋な旅行者は7万人程度と推測されるとのことである。特に海外旅行からの遠のく若者の増加が顕著とも。おまけに、大学が公費留学の学生を募っても定員に満たないばかりか、事前の視察旅行も定員割れ、中国への視察に関しては、日本人より中国人留学生の参加希望者が多いという信じられない事態が発生しているという声まで聞かれる。冒険心や好奇心より、ルーティンをこなすこととわずかでもリスクを感じることに近寄らないでおきたい保守化傾向が強くなっている。この辺は、ろば子さんのブログが詳しい。http://xrover.blog91.fc2.com/blog-entry-131.htmlあまりの草食化に学生に「もっと人生を棒に振れ」とメッセージを送っているが、人生棒に振る意味が理解してもらえるのであろうか?棒に振るだけの心理的ゆとりが彼らにない。そういうことなら私なんか、この年齢にして人生棒に振って、6年経ったことになるるかも。海外に暮らしているとこういう日本のローテンションな状態というのが理解しづらい。前のめり気味の人間だらけの社会だと、ある程度テンション上げてないと巨大なエネルギーの流れに押し流されてしまうから、自ずとテンション高くならざるを得ないし、テンション高い人しか周りにいない。かわいいいたいけな羊ちゃんだと、いつ狼に襲われるかわからないのだから、こっちも多少なりとも肉食化せねばならない。なんだか日本の中のエネルギーが、取り巻く世界とどんどん離れていっている気がする。こうなるとそのジリ貧を打開する手段が必要になる。多分中から自浄作用は働きにくい。違う世界から刺激するもの。外からの労働力、外からの景気刺激。・・・となると、やっぱり中国人か?そうした思考や行動パターンが違う人間が入ってきたときに、草食化した彼らに変化は起こるのだろうか?だからこそ今、日本を離れて見る手段が必要なのになあ。そういえばまだ東京にいた頃、デスクに「2050年になったら労働力が不足して、おまけに海外の情勢も変わって、日本の人口の何割かは中国人になっているはずだぞ」と言われ、頭がくらくらしたのを思い出したなあ。あのときぼんやり「隣の住人は王さんって世の中になったら・・・今のうち中国語勉強しておこう」と思ったなあ。実はそれが、今私が中国にいるきっかけの一つであったのだけれど。P・ドラッカーの「ドラッカーの遺産」(講談社)の中の一文、「日本の若い世代の人たちは、20代から30代前半のうちに、少なくとも2~3年は日本を離れて、他国で働く経験を積むことをお勧めしたい」が一瞬思い出された。兵役がない代わりに、強制的に数年海外暮らし・・・というのは乱暴だけど、国の将来を考えたらそのぐらいの荒療治が必要なのかも。なかなか参加できなかったSさんの読書会だけど、最終回にものすごく考えるチャンスを与えてくれたような気がした。帰国後は東京でも読書会を開催の予定。その日に合わせて帰国するのが、今からすごく楽しみになってきた。海外に行ったきり日本に戻らない若者をテーマにした著作。今回の読書会のテーマとは逆の存在。下川裕治著「日本を降りる若者たち」(講談社現代新書)“知の巨人”・ドラッカーが死の4ヶ月前のインタビューをまとめた。ピーター・F・ドラッカー、窪田恭子訳「ドラッカーの遺言」(講談社Biz)
2010.03.07
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春節で帰国して、夜着の飛行機で北京に戻り。その12時間後にBe-Bloggers13.0の会場にいた。会場は建外SOHO1号楼にある「!DX Cafe Bar」。今回とっくに開催されることは知っていたのに、全然反応しないでいたら、みどり会長から直々お誘いメールが来て、開催の翌日にもまた周到なお誘いがあった。すいません、最近頭が悪くなって、すっかり反応した気分でいた。。。持ち回りの幹事は、ろば子さんが今回の担当に。元新聞記者だけあって、ちゃきちゃき、仕切りが早い。流れるようである。思わず、きたむーが会長兼幹事だったころの、めちゃめちゃスムーズでない仕切りが思い出されて、懐かしかった。会の詳細に関しては、参加のみなさまのブログで。★Ricoさん:BLOG《Ricoのあしあと in 北京》 http://ricoinbeijing.blog63.fc2.com/★老龍さん:BLOG《身辺的北京故事和大道理 》http://blog.sina.com.cn/flowerplanet★任さん:BLOG《ren_zp的博客》http://blog.sina.com.cn/u/1405515243★みどりさん:BLOG《みどりの果敢な北京生活》http://blogs.yahoo.co.jp/yorinotorimidori★アゲマシオさん:BLOG《アゲマシオの??のブログ》http://ameblo.jp/agmso/★ひろちゃいなさん:BLOG《●北京の足音● 北京に住んで、見たまま感じたまま》http://blogs.yahoo.co.jp/hirochina55 ★多田さん:BLOG《北京・胡同逍遥》http://dongxiang24.spaces.live.com/default.aspx★ネコバカさん:BLOG《ネコバカ北京日記》http://nekobaka3.blog56.fc2.com/★beixiaojie5さん:BLOG《北小街5号院》http://beixiaojie5.blog85.fc2.com/★そうこさん:BLOG《中国さんさんぽ》http://blogs.yahoo.co.jp/souko_otokozawa/ ★けいこたん:BLOG《恵子たんの北京生活》http://blogs.yahoo.co.jp/keikootokozawa★Tammyさん:BLOG《DIARY IN BEIJING》http://blogs.yahoo.co.jp/tamami122013★ふぉんしゅぅさん:BLOG《理科が好き。》http://fengshu.blog12.fc2.com/ ★ガア子さん:BLOG《北京ガア子の朝陽区な日々》http://plaza.rakuten.co.jp/chinadego/ ★Rachelさん:BLOG《北京ほんわか電視台》http://road2beijing.blog94.fc2.com/★KOMAさん:BLOG《Emmy Broad"Band"Cast》http://koma.cocolog-nifty.com/★Xiongmaoさん:BLOG《北京いつも上天気》http://plaza.rakuten.co.jp/beijingxiongmao★うーでぃーさん:BLOG《ぺきんのほほん日記》http://ameblo.jp/gogochounv/★なんべんさん:BLOG《北京の格安ゲストハウス/日本人安宿/ユースホステルはこちら。》http://blogs.yahoo.co.jp/discovery_yh★もち子さん:BLOG《もちずむ(仮)》http://blog.goo.ne.jp/mochism★がじゅまるさん:BLOG《北緯40度中国ノート》http://blogs.yahoo.co.jp/gajyu_malさて、何ゆえ私のブログの更新がこんなに滞っているのかであるが。考えてみたら、理由は二つあった。1. ブログ以外のツールに頼るようになった。ブログを書こうと思うと、まとまった時間が必要になる。一方でmixi日記は感じたことを友人たちだけに吐露するので、さくさく書いてしまう。おまけに思ったことはその場で言いたいので、Twitterやそれもどきで吐いてしまう。そしたらブログまで気が回らない・・・となる。2. 日常に妥協できるようになってしまった。このたび2月11日に北京生活6周年になった。これだけの時間こっちにいると、以前は鮮烈で衝撃的だった出来事もフツーの日常になってしまい、書き綴りたいという気分になってこない。いまだに腹の立つことは日常茶飯事に起こっているけれど、感情の妥協点を見つけられるようになってしまって、ブログにぶつけるまで気持ちが持たない、という状態になってしまった。むしろ日本に行って感動することのほうが多くて、下手すると「中国生活に慣れた日本人の日本日記」になってしまいそうな雰囲気である。「なんで私、今ブログ書いているのかな?」と時に思うこのごろ。それにしても時間が経つのは速いわ~。
2010.02.27
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一時帰国中にひょんなきかけで、にわか神社マニアになった。どうも天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)という天の岩戸を開けた神様とご縁があるらしいとわかり、調べたところ、なんと地元の有名な神社がこの神様をお祀りしているのが判明。たまたまその通り道に友人が住んでいるので、彼女に会いに行くついでに参拝に行く。雄山神社中宮祈願殿。隣にある立山博物館には何度となく来たことがあったけれど(展示の曼荼羅絵がすばらしい)、この神社に来たのは初めて。雪が深い。参拝の際、参道左端を歩くのがよい(中央は神様が通る)とされるが、雪が深くて、端は歩けないよ・・・。風が雪の積もった杉木立を揺らし、舞い散った雪が日差しを反射しながら降り落ちる。その様子が何時間でも座って眺めていたいくらい清冽で美しく、自分でもびっくりするくらいの安堵感でいっぱいになった。雄山神社は、天手力男神(あめのたじからおのかみ)以外に伊耶那岐命(いざなぎのみこと)が併祀されていて、後からどうもこの神様も私とご縁があるのがわかって、行くべきして行った気がしてきた。中国にいるとこういう精神的に無防備になれる静寂というのがない。久々雍和宮あたりに行ってみるか?でもなんか違う気がするが。
2010.02.21
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ちょっと宣伝。 友人の勤務する会社が、自由が丘に上海生煎の店をオープンさせました。その名も「大山生煎店」。 「生煎」っていうのは、「焼き小龍包」のこと。 日本でもいわゆる「小吃」(小腹を満たすおやつ)と呼ばれる類のものはぼちぼち出てきたけれど、 生煎はほとんど見たことなかった。 同僚が上海の生煎の店に弟子入りして修行してきたのだとか。 3個で380円。 昼間なので、黒ウーロンとともに。 れんげにのっけて、スープをこぼさないようにいただく。 お味はかなりgood! 「似たような店が池袋にもオープンしたようだけど、うちのほうがおいしい」と友人。 大鍋で豪快に一気に焼く。 ↑ペンチでつかんでいるのに注目。 椅子のない、立ち食いスタイルだけど、 小腹の空いたときには適当かと。 それにしてもここの従業員さんたちがよく働く。中国人もいれば台湾人もいるのだけれど、当日、雨の降る寒空だったにもかかわらず、外に立って道行く人に声掛け。見てるこっちが寒くなりそう。日本人の私が見習わないと。
2010.02.15
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新年明けて早々、寒波と大雪に見舞われた北京。4日の朝、カーテンを開けたら「マジですか?」の風景が。自宅マンションの中庭は雪に埋もれ、おじさんが雪かきしてるけど、この雪深さですよ。おかげでこの日予定されていた研修の仕事は延期になった。交通がマヒして、遅くなると受講者が帰れなくなる恐れがあるので。そしてここ1週間の最高気温がずっと氷点下。最高気温が-4℃で「今日はなんだか暖かいね」と言っている自分たちがすごい。夜になるとますます気温は下がって、-15℃程度に。野外で呼吸をすると鼻孔の奥で水蒸気が凍って、パチパチ静電気みたいな感じがする。こんな晩に岩盤浴なんか行ったら、中と外の気温差は60度だ。ちなみに下は、北京市中心部から高速道路を1時間ほど北に走った密雲という地区。地域のおじちゃん、おばちゃんが必死で雪かき。椰子の木のある雪景色がシュール~。
2010.01.10
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また今年もクリスマスが来て。もう4年位前の12月、北京10年選手の友人とタクシーで東三環路を走っていたら、イルミネーションらしきものが通り沿いに飾り付けられるのを見て、「北京まで電気が漏れずに送られてくるようになったのねー」と友人が言うので、そういうもんなのか、と感慨深かったのだが。それからさらに時間は流れ。電気が漏れるどころか、きらきら、場所によってはギラギラ。外資系ホテルだけじゃなくて、屋外にも立派なツリーが立つようになった。ケンピンスキー・ホテル太平洋百貨前ソフィテルワンダー・ホテルグランドミレニアム・ホテルティディベアは1体280元で販売。売り上げは、チャリティに。世貿天階(THE PLACE)世貿天階前のPOPな緑のツリーハイネケンの瓶でした。LG双子座ビル前のファイバーツリー白と青に色が変わる。近くで見ると、こんな感じ。ウエスティン・ホテル逆さ富士ならぬ「逆さツリー」。床がぴかぴかだからなせる業。クリスマスが北京の生活に浸透しているかどうかは別だけど、確実に年中行事として意識されてる感じ。商業的な意図はひしひし感じるけど。これから春節まで北京のイルミネーションはぎらぎらになる模様。
2009.12.25
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入国後、即リムジンバスに乗り、神戸・三宮へ。 考えてみたら、神戸は学生時代以来か? 神戸に到着後、銀行でお金おろして、トランク引っ張って、 27日まで公開の「This Is It」を観に映画館へ。 中国でDVDで見てもいいけど、やっぱり日本の映画館で観たかったし。 リハーサル映像と音楽だけなのに、なぜかエンディングで涙が出そうになる。 不思議な映画だ。 マイケルはやっぱしKing of POP。 エンドロールまで観て、そのあとのおまけも観て。 やっぱり帰国して観てよかったわん。 日も暮れて、姫路のゆりママ宅へ。 駅まで迎えに来てもらい茶園ちゃんも合流して、 お好み焼き、正確に言うと姫路名物・どろ焼きで歓待していただく。 そしてこれまた地元の味・油かす焼きそば。 そして翌日。 ママに連れられ朝ごはん食べに、これまた姫路名物・喫茶店文化を堪能しに行く。 モーニングセットはコーヒーにトーストにサラダに卵にパスタまで付いて、がっつり。 おかげで昼抜きでも戦えるそんな感じ。 そして、朝から駐車場はいっぱいで、 店内は「みんなこんな時間何してんの?」というくらいの混み具合。 まだまだ日本も知らないことがいっぱいだね。
2009.11.25
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国慶節の際、帰国できなかった私。そして国慶節を過ぎたら突如忙しくなり、途中でキレそうだった私。ひたすら希望は次の一時帰国であった。そしてようやくスケジュールを調整し、その隙間に一時帰国。今回は日本滞在もそんなに長くできないし、関西から入国してみることにした。考えてみれば。大阪は10年ぶり。関西空港は、以前ポルトガルに旅行したとき、国内線から国際線の乗り換えに使って以来。神戸に関しては、学生のとき以来か?日本でありながら、ほぼ未知の場所への旅立ちである。・・・というか、ほとんど旅行気分。中国出国の日の天候は濃霧。フライト予定時刻になっても何のアナウンスもナシ。目の前に掛けてた中国人の若い女の子二人組は手持ち無沙汰ならぬ足持ち無沙汰で、カートを足でいらう。あまりにはしたないので撮影する。(…っていうか?)結局1時間半遅れて搭乗開始。そして予定時刻より送れて、関西国際空港到着。ネットでチェックしたら雨だったのに、着いてみたらものすごいいい天気で、びっくり。なんかしばらくぶりにあんなに広い海を見たなあ。その後、神戸までリムジンバスで移動する。しかし、日本というのは、どっから入国しても安堵感がある。それがたとえ知らない街でも。金さえあればどうにでもなるだろうというあの感覚。たとえ途中でリムジンバスがまったく違う目的地行きだったとしても、どうにかなるであろうと。海外にいる時間が長いと、日本では肝が据わるようである。実際、神戸に行ってすぐデパートに駆け込んで案内係のお姉さんに尋ねれば、ほしい情報をすぐ教えてもらえるし、たとえ迷っても、その辺りのお店の人に聞けば間違いなく到着する。そう、この辺が日本。そして、エレベータもトイレもきちんと整列して待ち、映画館の上映中、勝手に立つ人もいないのであった。今回関西に足を踏み入れて、「あ~、関西だ~」って思うのかなと思ったら、実は全然そんなのがない。確かに周囲から耳に飛び込む会話はほぼ関西弁だけれど、関西弁と認識する以前に「あ、日本語だ」と思う程度で、むしろ日本にいる現状を認識しようと頭が一生懸命で、その折り合いが着くまでは私の意識は「よく知らない日本のどこか」でしかないようである。関西は確かに現在の私には縁の薄い場所だけど、交差点の横断歩道を縦と横に2回渡るとはいえ、やっぱり一度歩道に乗らずにショートカットするのは問題があるし、ファーストフードで食事したら、トレーは片付けなきゃいけない場所だし、食事の清算はレジまでいかなきゃいけないルールである。本当に三宮の交差点で歩道をショートカットしたら、「そんなのタヌキでも歩道歩きますよ」と関西人のCちゃんに指摘された。・・・ともかく、日本に入って多少時間が経つまでは、「ここは日本です」と言い聞かせるので精一杯です。
2009.11.25
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私が北京に住み始めてすぐ、 中国語もできないのに一人で中国銀行の本店に乗り込んで、 すったもんだの末に作った最初の銀行口座。 この口座は、貯金用に使おうと思っているので、 手元には通帳だけ置いておいて、 カードは実家に置いている。 よって円安になったときに実家の母に「今お金引き出しといて」と言って、郵便局のATMでお金を引き出させると、アナログであるが、FXができる。ま、それは置いておき。ある会社からいただく報酬が中国銀行じゃないと手続きが面倒らしいので、 そこの口座に振り込んでもらうことにしたら、 なんと。 通帳でお金が引き出せないじゃないですか!!! 通帳を窓口に渡して、暗証番号押しているのに、 「暗証番号が間違っています」と! もう何回も押したよ~。 窓口のお姉さんは「ほかに6桁で数字の記憶はないんですか?」っていうけど、 手元にカードあったときは、この番号で出し入れしてたよ! 日本の郵便局でもこれで下せました! 私の来月の生活はどうなるんだ~。 「では口座を開いたこのお店に直接問い合わせてください」と窓口の姉さん。 口座を開いたお店といえば、中国銀行の本店。西単にある。以前も、あそこでカードの磁気がおかしくなって、手続きに行ったな。 カードを渡したら目の前で即、はさみで切られたな。 再発行されるまで2週間、お金引き出せなかったな。 また行くのかぁ、あの銀行に。。。そして、銀行口座をめぐるすったもんだは、また続くのであった。
2009.10.22
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いや~、人生って、本当に不思議。 それはそればずいぶん以前のこと。このブログに、日本と北京を往復して暮らしているとある日本人のおばあちゃまの話を載せた。するとだいぶ経ってから、 日本にお住まいの方からこんな書き込みがあった。 「知人で同姓同名の人がいて、 40年くらい前に欧州で交流があったのですが、その人でしょうか?」と。 で、その後書き込みを下さった方とメールでやり取りを。どうやらご本人と、おっしゃっている人物は同一人物との可能性が高くなった。 しかし、おばあちゃまはご高齢で、ネットは使わないし、携帯も持たないし、日本の詳しい連絡先も分からないし、 今度いつまた北京に来られるかも分からない。 どうやったらこの話を伝えられるのであろう?と思っていたら、前回一緒に彼女にお目にかかった中国人の友人Wさんから 突然の動員。「北京にいらっしゃるので、今晩、集合」とのこと。私も、相手の方の連絡先をメモして、忘れないよう指定の店に向かった。 店内では、すでにWさんと後輩のHちゃんが周りを取り囲み、事情聴取を行っている。前回話の密度が濃すぎた上に、情報が多すぎたので、彼女の過去をひとつひとつ整理している。私にいきなり呼びつけられた友人S氏は遅れてお店にやってきたのだが、様子を見るなり、そこにいるおばあちゃまが実は只者ではないと分かった様子。ひとしきり話し終え。このまま話を聞いていると忘れてしまいそうなので、私はメモを取り出し、おばあちゃまに聞いてみる。 「この方って、ご存知ですか?」 すると、 「え~!!! 何でこの人のこと知っているの!?」顔がびっくりマーク。 どうやら、二人は確かに知り合いであった。それもかなり親しい。 その様子を見て、Wさんが すかさず、「じゃあ、今すぐ電話かけましょ!」と、携帯を取り出し、 メモの日本の電話番号にいきなり電話。 そしてすごいのは、電話に相手が出るや否や、彼女、何の説明もなく、 「私、北京に住んでるWと言います。 となりに○○さんがいらっしゃるので、今代わりますね~!」 おいおいおい。 文法に間違いのない正しい日本語。しかし、そんな掛け方する日本人は今まで見たことがない。Wさんはやっぱり中国人だ。いきなり電話かけられた相手がどのくらい戸惑ったかは想像に難くない。 「なんだか落ち着いた雰囲気の男性だわ」とWさんは言うが、そりゃ、考える間も与えられず畳み掛けられたら、言葉も出ないでしょぉ。おばあちゃまが「日本に帰ったら、電話するからね」と言って、 35年ぶりの電話が次につながる事になった。 おばあちゃまはものすごくうれしそう、表情に花が咲くとはこのこと。受話器を置いてから、 「彼は私の青春だったのよ~」 「もう私、北京には戻ってこないかもしれない」と言い出すおばあちゃま。 ・・・この人、ほんとに「元彼」だったんですね。。。そして老いてもなお、彼女は「女」だったのですね。 私は単に媒体になったにすぎないけど、 なんだかすごいいいことした気分になり、人生ってつくづくつながってるんだなと感慨ひとしお。このブログ、人の役に立ってるんだ。おかげでひらめの活き造、ごちそうになっちゃいました。ありがとうございます。
2009.10.06
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チャイナ・オープン・テニスの会場、国家テニスセンターの最寄の地下鉄オリンピック森林公園駅。まるで、のれんか、はたまた仙台七夕祭りか?というくらい五星旗が吊り下げられた駅周辺。日本国内で、これだけ日の丸をぜいたくに飾った光景には絶対お目にかかれないであろう。やっぱりこの国は物量で圧倒か?テニスセンター内はスポンサーのブースも出て、結構楽しめる。こういうパレードも。巨大なテニスボールは一体???ATMでした。テニスセンターの入り口では厳重な荷物チェック、スタジアム入り口でも検査があり、ペットボトルなど容器に入った液体は持ち込み禁止のはずなのだが。となりに座ったじいちゃんの手元にはペット入りの水。そして、この菊花茶はどこからどうやって入ったの???相変わらず“ザル”なところがおもしろい。
2009.10.05
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前日友人宅でテレビを見ていたら、チャイナ・オープン・テニスが中継されていた。まだ2回戦というのもあったんだろうけど、センターコートの客席ががらんがらんである。ふと昨年のパラリンピックの車椅子テニスがほんとうに面白くて、「これからはテニスを観に行かねばならない!」と確か思ったけな、と思い出し、翌日早速、おにぎり持参で国家テニスセンターへ。センターコートでの第二試合に、男子世界ランキング4位のジョコビッチ(ユーゴスラビア)が登場。ハネスク(ルーマニア)に6-3、7―5でストレート勝ち。彼のプレーには華がありますね。第三試合では、V・ウィリアムズが18歳のロシアの選手と対戦。パワーはさすがに男子並み。センターコートにこだまするヴィーナスの雄叫び。ファーストサーブの速度が209キロってね・・・。ところで、この日の観戦チケット、Cチケットという一番手ごろな金額のチケットを買ったんですが、世界のトッププレーヤーの試合がちゃんと観られて、たったの・・・60元(約780円)でした!!ちなみに現在東京で開催中の楽天ジャパン・オープン・テニス、一般自由席の一番安いので3000円です。こーゆーのが中国の侮れんところよね。
2009.10.05
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10月1日。新中国建国60周年の記念日。北京市内は市民生活に支障が出まくり・・・との予想のため、ほとんどの北京市民はヒッキーを決め込む。そしてテレビで軍事パレードを見る。そして見事なほど人がいない。うちのマンションの中庭も、この天気、この時刻だったら、犬の散歩だの、赤ちゃんの日向ぼっこだのとにぎやかなのに、ほとんど誰もいなやしない。ガイジン以外。静か過ぎ。喧騒から逃れられない中国で、こんな光景は初めてだ。マンションの上空を軍事パレードに参加した戦闘機の編隊がそのまま飛んでいく。戦車だの装甲車だの戦闘機だの、ほんとに存在するもんだ。午後、ヨーカドーに行ったら普段以上に激混み。なんか午前との対比がおもしろかった。
2009.10.01
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今の大家はケチだ。普通中国のマンションって言ったら、家具も家電もみんな付いているのが相場なのだけれど、「電子レンジは使いまわすと不潔だ」とか、「給水機も水垢が溜まるからよくない」とかいろいろ理由を付け、備え付けの家具と家電が本当に少ない。よって、本棚もなし。引っ越して半年間その状態が続き、 本は、箱詰めもしくはテーブルに積み置き状態。 しかし本棚がないとどうも乱雑で探すのも大変なことから、 ついに本棚購入を決心!IKEAで買うのは当たり前すぎるから、中国最大級のネットショップ・淘宝網で購入しようと物色していたら、 なかなかよいのが見つかった。 しかし、淘宝網で買い物する場合は・・・ 口座のある銀行にネットショッピングのための手続きに行かないといけない。 おまけに外国人がパスポートナンバーで購入しても 順調に購入できないことがときどき発生するらしく、 中国人の友人に頼んで代わりに購入手続きしてもらうことに。 ネット上で紹介されている家具の色が部屋の雰囲気になんとなく合わないので、化粧板の色を別の色に変えてもらえるよう指定しておく。すると、こんな感じで家具は私のうちにやってきた。 ばらばらな状態で2人のお兄さんによって運び込まれ。。。 玄関のところでその場で組み立て。 置きたいところまで運んでもらい。 ほーら、こんな感じで完成。 折り曲げて使えるタイプなので、角のところに置けば、収納できる本の量が増えた。 ま、確かに塗装の粗い所があるにはあるけど、この値段なら十分。IKEAなら市内配送60元が、淘宝網だと配送料はたったの30元。おまけに組み立てのサービスつき。前日には、配送時間の確認電話も入る。残りの雑誌類も整理したいので、また近いうち本棚買うな。
2009.09.19
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第11回北京ブロガー交流会『Be-Bloggers 11.0』 が開かれます。今回の幹事はKOMAさんです。==================================================================【趣旨】北京でブログを書いている人たちがリアルの世界で 一堂に会し顔と顔をつき合わせて交流する機会を創る。 【日時】2009年9月12日(土)午前11時45分受付開始 12時~14時 【会場】「炭火屋」 朝陽区建国門外大街16号 東方瑞景C座W-3号 Tel:010-65691661 【会費】大人50元/子ども25元(ランチ&ソフトドリンク・ビール) 【申込み先】 9月8日までにbeblogbj@gmail.comへメールにてお願いします。 当日参加者一覧を配布する都合、申込みの際は名前(ハンドルネーム) ブログの名前&ブログのURLの記載をお願いいたします。 ================================================================残念ながら、ワタクシ、今回仕事のためお休みですが、みんなで盛り上がって楽しんでいってください。ともかくこの料金で対応してくださる、毎回の会場の方々に深く深く感謝。
2009.08.23
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中国人の友人で、雑誌社に勤務しているZさんから招待されて、彼女の会社と某大手日系企業の組合が主催する『日企員工聯誼会(日系企業の社員ユニオンのパーティー)』に出かけた。もともとはとある4つ星ホテルの屋上でガーデンパーティだったのだが、このところ続く夕方からの雨で、屋内に移動。ダンスのパフォーマンスありの。参加者の歌ありの。周りも案外ノリノリ。ゲームありの。これは、チーム対抗のクイズで、正解しないと足元に敷かれた布が一枚ずつ減っていき、メンバーがその布からはみ出るとoutっていうゲーム。最終的に布の上により多くのメンバーが立ってたら勝ち。続いて、最近中国人のパーティーで出くわすゲーム。1チームを男性と女性で構成し、それぞれをお金に見立てて、司会者から言われた金額分の人数を会場から調達するというルール。このときは「男性=1元、女性=5角」という設定なのだが…。例えば「3元5角!」とか言われたら、このとおり。女性をだっこすると3角になる。会場はすごい素直に盛り上がっておりました。
2009.07.30
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先ごろ日本で出版された、中国の才媛、ティエン・ユエンの『双生水奔』の日本語版・『水の彼方』を翻訳家の泉京鹿さんからじきじきに頂戴した。『水の彼方』(著:田原、訳:泉京鹿)ティエン・ユエンがどのくらいに才能あふれるアーティストなのかは、すでに周囲のみなさんのブログでご紹介済みなので、そちらを参照くださいませ。■じゃんすさん■しゃおりんさん■みどりさんタイトルにあるように“水”というのがふさわしく、文体は瑞々しく透明なガラス細工の結合体のような小説で、その緻密でリリカルな表現が1冊の小説の最後まで貫き通されていたのに感服したし、同時に彼女の育った川の街・武漢の湿度や水辺のにおいが容易に想像できる表現力もみごとだった。主人公が描く想像の世界と現実の間を行ったり来たりし、どちらがどちらか区別がつかないストーリーは得てして退廃とか不健全とかそんなにおいがするはずなのに、彼女の文章にはなぜかそれがなくて、ただただ無垢で純粋な雰囲気が漂うのがかなり不思議な感覚だ。ただ、正直言うと、読み始めてしばらくその文体に慣れるまでは収まりの悪い自分と向き合う時間が必要だったような。まだ私が彼女と同じくらいの年齢だったら、諸手を挙げて彼女の才能に拍手したのだろうけれど、すでにこの年齢になって余りに緻密で壊れやすいものを手にすると、その扱いに躊躇してしまうようである。どうも体の中はすでに水草が生えるに澄んだ水ではなく、泥で濁っているのかも。なぜかふと、スイスの生チョコレートの味わい深さを分かっていない人に、いきなりスナック菓子のようにそのチョコレートを食べられてしまった過去の記憶が蘇りました。。。
2009.07.28
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7月1日から一時帰国。4か月分の中国で纏わりついた澱を落とすため、母とともに地元の山へ。マイナスイオンだとかフィトンチットとかいっぱい浴びておかないと。落差日本一の称名滝。滝の近くは、しぶきでずぶ濡れ。滝のライブカメラなんていうのもあります。スキー場の高台はニッコウキスゲの群生地。デトックスですわー。どうしたってねー、北京にいると澱が溜まるしねー。
2009.07.07
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耳の上の付け根のところを押して痛いと、発脾気なのだそうで。 マッサージで教えてもらったんだけど、 自分では「発脾気」のつもりじゃないと思ってたら、 やっぱりそうかも知れん。 派出所で2回マジ腹立った。 パスポートを受け取って、1日で派出所→労働局→公安局を巡って、 一挙にパスポート変更とビザ延長手続きしようと思ってたら。 パスポートをもらった足で、 労働局に行くための押印と営業執照副本コピーをもらいに会社に行ったら、 社長が出張から昨日深夜戻ってきたためにまだ出社していない。。。 しょうがないので、先に派出所に行くことにした。 4月に引っ越したとき最寄の酒仙橋派出所に行ったことがあったので、 迷いなくたどり着いて、臨時居住登録証をカウンターの公安に渡したら、 「あ、あなたの小区ね、担当が蒋台派出所に変わったから」 え、え、え、えーーーー!!! いづのばにぞんなごどに~~~~。 どうして、うちの小区が車で10分も行った、何もない更地のど真ん中の、タクシードライバーさえ所在の知らないそんな辺鄙でマンションから離れた派出所の管轄になるの~! ↓ちなみにどのくらい辺鄙かというと、このぐらい辺鄙。↓ともかく少なくても今日中に派出所と労働局の手続きはしておかないと、 公安局にビザを受け取りに行く日がずれて、7月頭に一時帰国できない。 時間がないから、タクシーでそのまま蒋台派出所へ。 相変わらず、辺鄙な場所。 道をふさぐトタンこそなくなったものの、なぜか土管で新しい道を依然として塞いだまま。 すごくはるばるたどり着いた感じのする派出所に着いて、 新しいパスポートとコピーを提出。 そしたら。 公:「大家の身分証とマンションの契約書出して」 私:「でも、それ以前酒仙橋のとき登録してるからいらないでしょ?」 公:「(臨時住宿登録書の左隅を指差して) この“9”って数字、何? 普通こんなの書かないでしょ。これだと登録したことにならない」 私:「ちょっと待って。9が何かって私が知るわけないでしょ? 酒仙橋じゃそんなの必要ないってそれで終わったのに、 どうしてここでそんなこと言うの?」 公:「ここはね、蒋台派出所なのよ」 ああああー、すっごいむかついたーーーー。 あんな辺鄙なところにわざわざタクシー使って行って、それでまた戻って。 そういうことはね、お互いの派出所同士で話し合っておいてくれないかね。 その後、労働局に行ったら、間違った申請用紙に記入してはんこも押してしまったら、 「こっちにはんこあるから、こっちに必要項目記入してくれるだけでいいし」 とか言って、おねえさんが融通利かせてくれた。 酒仙橋派出所と蒋台派出所、あんたら私にタクシー代払え。
2009.06.17
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いやあ、だいぶ中国人が分かっていたつもりだったんだけど、 こうして切り口を変えて接してみると、 まだまだまだ「あ、そーなんだ!」という発見がある。 秘書技能検定講座7日目。 この日のテーマは「来客応対」「電話応対」「会議の知識」だったのだが。 さてさて、ここで秘書検定問題を一問。 Q.次は秘書A子が先輩秘書から、受付で来客から名刺を受け取る際の留意点として 教えられたことである。中から不適当と思われるものを選べ。 1.名刺の肩書きが書かれていても、確認する場合は、肩書きを言わず 会社名と氏名で確認する。 2.名刺を受け取ったら表面だけでなく、裏面にも何かかかれていないか、 その場で確認する。 3.会社名や氏名の読み方が分からなかった場合には、その場で読み方を確認する。 4.予約客で名前が分かっていても名刺の名前と氏名を確認する。 5.名刺は両手で受け取り、会社名や氏名の上に指がかからないようにする。 さ、答えはどれ~? 一橋出版の問題集によれば、 正解は2。 しかーし、これに質問魔のMくんはまたまた反応。 M:「え、1はなぜだめなんですか? 肩書き聞かないんですか? それって失礼でしょう?」 私:「名刺をもらってまず確認するのは、会社名と名前。 肩書きってそんなに強調する必要はないですよ」 M:「えー、そんなのありえない! じゃあ、日本人は自分の肩書きが気にならないんですか?」 私:「部長か平社員かより、会社名が大事だよね。 それに偉いかどうかより、具体的に何ができるかのほうが重要だし。 別に地位の低い人でも、お互いに信頼関係があったり、 能力があったら気にならなくなるし」 M:「えー、だってみんな『どんな偉い人が会いに来た』っていうから価値があるんだし、 中国ではみんなどれだけ偉いかを見てほしいんですよ。 それはここにいるみんなそうですよ!」確かに中国の名刺の肩書きちゅうのは大事だってわかってたけど、 わざわざそこを見てほしいってのは気がつかなかったような。。。 ・・・ということで、この問題、中国的には却下…のようです。
2009.06.02
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日本の検定で、「秘書技能検定」というのがある。秘書を志す人のみならず、女子大学生が就職活動前に受験する最もポピュラーの資格の一つで、“社会人としての常識を備えているか否かのお墨付き”的要素もある。実はこの検定の2級・3級が6月21日から中国の北京・上海で受験できるようになり、私は北京のその3級対策講座を担当することになった。ターゲットは、日本語ができる中国人。ウイークポイントや発想が日本人とは違うので、彼らに合わせたカリキュラムと教材を作成している。もう3月からずっとこの準備と実施で、かなり忙しい。さて、その講座、ふたを開けてみたら、やっぱり日本人に教えるのとは違う反応が返ってきた。4月から始まったコースの受講者は5人。1人は現役の日系企業の社長秘書。1人は日本での就業経験がある。2人は日本留学経験者で、もう1人は、日本語を勉強中だ。秘書技能検定には、中国国内にいたらほとんど無用な知識も出題される。「マナー・接遇」にある「慶弔のマナー」、「技能」の「郵便の知識」「文書の取り扱い」なんていうのは、日本で仕事しない限り、ほぼ役に立たない。その項目を一日でまとめて学習することにした。中にMくんというのがいる。日本に留学経験がある、質問魔である。中国で置時計は「鐘(zhong)」と書き、「終」と発音が同じで不吉なので、贈り物にするのは忌み嫌う。彼は、どんな慶事でどんなものを贈ったりお返しすればいいのかのリストに、「時計」があるのに食いついた。M:「日本で時計贈るのは大丈夫なんですか?」私:「日本ではよく置時計とか掛け時計とか贈りますよ。 金色の社名の入った時計は、よく社屋落成記念とかで贈りますね」M:「そしたら、中国で時計をもらってもいいんですか?」私:「くれるんだったら、私はもらっておきます」M:「中国人から贈られてもですか?」私:「中国人みたいに気にしないかもしれません」金文字の入った掛け時計は、かなり彼にとって衝撃であったらしい。さらに、弔事の身だしなみについて説明していると。M:「お葬式には黒い格好していかなければならないんだったら、 金髪はどうなるんですか?染めないといけませんか?」私:「人が亡くなるのは突然のことなので、金髪でもしょうがないのかも。 ただ黒く染め直したいというなら染めてもかまいませんけど」M:「じゃあ、時間がなくて染め直せなかったら葬式に行かないほうがいいんですか? 失礼になりませんか?」私:「もしかしたら失礼だと思う人がいるかもしれませんね。 でも葬式は故人との最後のお別れですから、 金髪でもしょうがないのかもしれません」なかなか意表を突いた攻撃。。。この質問魔Mくんの容赦ない質問は、その後も続く。それは今後シリーズ化するということで。
2009.06.01
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先日、どういうわけか仲良くしてもらっている某企業のCEOと私の友人二人と食事をした。いい季節になったので、友人が三里屯の夜風の心地いいテラスのあるお店を指定してくれた。【Element fresh 新元素】朝陽区三里屯路19号 三里屯village8号楼S8-31単元TEL:6417-1318牛肉がおいしい。付け合せのポテトもおいしい。客の多くは欧米人だ。そこだけ見てたらとても中国とは思えない。みんな大満足。北京に来て「ありえんな」と思うことは多い。それは中国人とか中国の社会に対してもだけれど、日本人同士の間でも「ありえんな」はいくらも存在する。その「ありえんな」の一つに、中国でもネームバリューのある日系企業のえらい人たちと簡単に友達になれる事実がある。普通の友人と同じように「ごはんでもしましょう」というメールが来て、普通にお店のテーブルにかけて、普通に日常会話をしている。考えてみたらね、中国で何十億元の売り上げを出す企業のトップと、来月の家賃が払えるかハラハラしながら暮らしてる私が一緒にご飯食べてるんだよ。格差ありすぎ。日本ならありえんでしょ。そこで、日ごろ思っていることをこのCEOに言ってみた。「こうして●さんと一緒に食事をしているのは、日本だと通常ありえないことだと思うんです。北京だからかなあと」。すると向こうは、「えー、僕なんてたいしたことないでしょ。でも実はね、僕もこっちにいると『これ、ありえんなあ』というのがあるんだよ。たとえばね」と答える。そして続けて言う。「自社製品の発表記者会見やるじゃない?そしたら自分のとなりにイメージキャラクターの超有名スターが立ってたりするわけでしょ。『わー、○○だ!』ってこっちは結構ドキドキしてるわけ。で、向こうも気さくだから、気がついたら結構仲良くなってるの。これも日本じゃありえないねー」。ふんふん。おー、そーかー、そういうありえないもあるのだね。以前この人と別のメンバーで食事をしていたとき、いきなり別の自社製品のキャラクターになっている香港の有名俳優と携帯で会話を始め、その場にいた中国人の女の子に「せっかくだから、あなたも話しなさい!」と言って、携帯渡していたことがあった。彼女は「あの~、△△△さんですか? ほんとに△△△さんですか? あ、はじめまして…」の状態。彼女にとっても「ありえんな」である。よくない意味の「ありえんな」は歓迎したくないけれど、こういう「ありえんな」というのは、ときどきあってほしい。そして、わかった。上には上の「ありえんな」があると。
2009.04.30
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友人の中国人女性Wさんから、知り合いの日本人のIさんが中国に出張されているので、一緒に食事しないかと誘われた。さらには、たぶん北京では一番知名度のある日本料理店と思われる「松子」の松子さんもご一緒だという。北京にお住まいの皆様。日本料理店「松子」は単に思いつきでつけた名前ではありません。松子さんという実在する日本人女性が経営に関わっていて、名前が「松子」なのです。しかしまだお目にかかったことのない私にとって、「松子」の松子さんとは、実在しながらもなんとなくレジェンドのような感覚がある。俗っぽい北京の日本人とはどーもちがう存在感を帯でいるというイメージがある。そう、まるで映画の主人公のような、現実感がない感じ。松子さんに会うのだから、場所は当然「松子」だ。今回は朝陽北路の3号店に伺う。集合時間を決めてあったのに、例のとおり全員遅刻になり、10分遅刻した私が一番乗り。店の女の子に「松子さんは?」と訪ねたら、カウンターの前に腰掛けた小柄な和服の女性の前まで案内された。松子さん。本名・直塚松子さん。御年89歳。婦人科の医師にして、医学的見地から手相を研究している。日本ではすでにこうした本を出版。『実証 手相でわかるガンと成病』http://books.livedoor.com/item/614840この本は中国語訳されて、最近中国でも出版されている。※中国語タイトル『従手相看病~及早発現癌症与常見病』お店ではずっと松子さんとおしゃべりしていたのだが、松子さんの人生がすごい。いや、すごいなんてもんじゃない。戦前から戦後にかけ、ゲキドー。偶然「嫌われ松子の一生」という小説&映画があったけど、予想外の展開の数々とそのスピード感は、あの映画に匹敵すると言ってもいい。本物の松子さんの場合は、中国、ヨーロッパ、日本を舞台にしているので、むしろスケール感はこっちのほうがはるかにでっかい。どのくらいすごいかを話すととんでもないことになりそうなので、やめておくけど、すでに年末を目指して自伝の執筆に入っているとのことなので、そのすごさはそのご本で。さて、手相の鑑定でも有名な松子さんだが、あんまりみんなが手相を見てもらいたいと押しかけてくるので、最近はほとんど断っているのだそうな。ところがどういうわけかこの日はご機嫌がよかったのか、私と友人、そしてそのお知り合い全員が見てもらえることに。Wさんが松子さんに見てもらっているところ。Iさんは、すでに長年の勤務先を退職して別の係わりで中国にこられたのだが、松子さんに「60過ぎてからが仕事や社会的によくなる珍しい相」と言われた。Wさんは「貧血だね」と言われた。二人ともあながち外れていない様子。そして私は、「晩婚だね。それで結婚して○○○○するよ」。え~、え~、えええええええ~~~~!!!!そんなことほんとにあるのぉ!?ほかの二人も騒然の驚愕の結果でした。とにもかくにも、松子さんは確かにレジェンド級だったけど、その存在感は圧倒的。いやあ、もうすっかりファンです。
2009.04.25
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しばらく出入りすることになった国営企業に行ったら、こんなものをもらった。卵。生卵。野原で野放しになって育ったニワトリの卵。なかなか高いシロモノらしい。スーパーで“柴鳥蛋”と書かれたものは、40個入りで80元くらいしている。腕に抱えて帰ったが、意外と重い。開けてみたら、クッションのシートもなく中にぎっしり。80個くらいある。いくら中国の卵が長持ち(信じられないかもしれないけれど、中国じゃ生卵が常温で2ヶ月くらい持つ。(理由はこちらで)とはいえ、一人で食べたらどのくらいかかるの?そもそも最近、私は週に1,2回しか卵は食べない。夜に40人くらい参加の集まりに出たので、参加者の人たちにいくらか持って帰ったのに、まだ半分以上残ってる。いいただきものってありがたいけど、基本的に周囲に配るってことが前提の贈り物なのか?
2009.04.20
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しばらく出入りすることになった国営企業の部署のピクニックについていくことになった。行き先は、北京郊外の大興。観光バスに揺られて朝8時半に出発する。ピクニックというから、野を駆け、山を駆け・・・と思っていたら、「○○狩り」づくめというのが適当な一日のスケジュール。そうそう、お寿司の食べ放題のない、「春の房総・イチゴ狩りと花畑ポピー摘み放題」みたいなかんじ。最初に行ったのが、蘭の栽培ハウス。ハウスの中は延々蘭の花だらけ。台湾人が経営しているらしい。華北地区と韓国などの輸出用ということだけれど、ゴージャスな雰囲気の大振りの花が多い。中国人が蘭を買う。なぜか蘭のハウスの隣にこんなシュールな小便小僧。もともと隣にスイカ博物館があって、こういうスイカを抱えた小僧の一群がいるわけだが、このセンスはさすが中国だよ。つづいて、梨の花と桃の花の畑に。樹齢500年近いと伝えられる梨の老木。桃の花がきれいで、みんながさかんにシャッターを切っていた。そしてイチゴ狩り行く。1斤(500g)20元と意外に高い。包装ケースの金額を巡り、そこの管理のおばちゃんと中国人女性がもめる。なぜかイチゴ狩りより、観光バスの後ろに止まっていた農家のトラックの野菜を買うのでみんな盛り上がる。「自分で料理しないのにねえ」と言いながら、ばかばか買う人々。おいおい、そしたらそんな山のような野菜、どうするのよ。イチゴ狩りのあとに、きゅうり狩り。半地下に掘られたハウスに延々ときゅうりが植わっている。それをおのおの自由にもいで持って帰る。きゅうりの花はこんなにキュート。あらためて中国の郊外へのお出かけとかってこういうもんだね、と実感した春の一日であった。
2009.04.17
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タイトルの通り、引越しした。もう北京に来て6回目の引越し。1年に1回以上引っ越ししていることになる。一つのところに根付くのを躊躇しがちな性格だけれど、さすがに北京での引越しは気も体力も使うので、前回引越しした後は、「今度引っ越すときは帰国するか、嫁に行くか」だと思っていた。なのに、またそうでない引越しを余儀なくされた。ああ、当分引っ越したくない、と思う一方で、契約しちゃったからにはまだ日本に戻れないのかという気持ちが相まって、なんとも複雑で、その複雑さが気味悪くて、契約書書いてから、突如どどどど・・・と気が滅入ってしまった。それにしても、中国の引越しは面倒だ。特に運び出し。中国は家具・家電を備え付けのところがほとんどなので、事前に大家が部屋をチェックし、その結果、マンションの管理会社が荷物の運び出しを許可する。前々回の引越しは泣いたな(半分ウソ泣きだけど)。前回は綱渡りだったな(あれは奇跡だ)。新居は、旧宅の3分の一ほどの面積になってしまったけれど、シンプルな上に部屋の間取りが日本人好み。むしろ狭さが心地よい。管理会社に聞くと、日本人はかなり少なく、タクシーの運転手に名前を言ってもピンとこないような知名度だけれど、立地も購買ターゲットも決して悪くないと思う。ま、住めば都なのでね。気がかりなのは大家の存在。すごい細かそうで、また退去の時が気がかりだ。
2009.04.08
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どうもです。すっかり更新が滞っております。いろんなことが起こっているので、その辺はまたまとめてお話することにして。ずいぶん以前に告知が始まっていましたが、実施委員会になっているにもかかわらず、今回何のお役にも立てていないので、ささやかながら告知です。==================================第10回北京ブロガー交流会(Be-BloggersVol.10.0)を以下の日程にて行います。 ■【趣旨】北京でブログを書いている人たちがリアルの世界で一堂に会し顔と顔をつき合わせて交流する機会を創る。 (mixi日記を書いている方、またブロガーに会って話をしたい方の参加も歓迎いたします。) ■【日時】2009年4月11日(土)午前11時45分受付開始 12時~14時 ■【会場】「雲飛象?li食屋」 朝陽区東三環中路39号 建外SOHO1号楼3F303室 Tel:5900-2795 ■【会費】大人50元/子ども25元(ランチ&ソフトドリンク飲み放題) ■【ミニセミナー】特別企画として、在中国日本国大使館の方より、新型インフルエンザに関するミニセミナーを行っていただきます。 新型インフルエンザに対する日常的な対処方法等、具体的な説明を行っていただく予定です。(15分~20分程度を予定) 尚、ミニセミナーのみの参加は不可となっておりますので、ご了承ください。 ■【申込み先】 4月8日までにbeblogbj@gmail.comへメールにてエントリーお願いします。 当日参加者一覧を配布する都合、申込みの際、以下について記載をお願いいたします。 ・ブログの場合→ハンドルネーム、ブログ名、ブログのURL。 ・mixiの場合→ハンドルネーム。 また、ご自分の著作、芸術作品等がある方は是非お持ちください。 みなさんの前で展示&紹介させていただきます。 ==================================今回の幹事は、「週間中国的生活」のともこさんです。http://weeklychinalife.blog103.fc2.com/blog-entry-394.html日本大使館とコラボというのも、海外のブロガー会ならではの試みですね。私も参加します。楽しみです。
2009.04.05
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人間、長生きすると、偶然に偶然が重なるとか、過去に経験したことが伏線になり、思いもよらぬ出来事が今になって起こるとか、そういうのが比較的増えてくる。こういうものは次々に「呼ぶ」ものらしく、それも公にするともっと「呼ぶ」ようなので、ブログに書いてみることにした。それは、エイプリルフール、1日前の出来事。とある中国人向けフリーペーパーが今月で創刊2周年だったので、 そこの責任者の中国人の友人Mさんから、 御祝メッセージ100字程度(中国語で)を書いて寄せてほしいと頼まれたのが先月の半ば過ぎ。 そして先日、「今月号ができたので、ランチでもしながらお渡しします」と連絡が来て、指定場所の近所のレストランに行った。 いただいた雑誌の前半に、 たまにご飯をご一緒させてもらう某日系企業の総経理のインタビューコーナーがある。 もともとこの方は年末の忘年会で私が彼女に紹介したので、それがご縁でインタビューが実現した。 まあ、これはよくあるお話し。 でもね、次に。私のメッセージの掲載されたページを開くと。 隣のページに私と同じようにメッセージを寄せている別の中国人の友人Sさんが。 Sさんの会社は私のクライアントだ。それがご縁で中国人のコミュニティを作って、月に1回程度一緒に食事をしている。先月一緒に食事したときに、偶然お互い御祝メッセージの依頼を受けていることを知って、「なんだー、Mさんと知り合いだったんですねー!」と世間の狭さに笑っていた。それをMさんに言ったら、案の定、「え~、知り合いだったんですか~!」まあ、びっくりするわな。さらに次に。しばらくするといきなりMさんがが、 「え~、信じられない~、なんでぇぇ~!?」とまたまたびっくりしている。 同じレストランの斜め前方向にMさんの知り合いの方が、部下の男性と腰掛けている。 それも、その雑誌の私と同じページにメッセージを掲載している人。 !?初めてお目にかかる方だったので、Mさんに紹介してもらって名刺交換。 向こうも「今雑誌の話ししてたところだったから、びっくりしました」って。 雑誌1冊の、それもほんの数ページの中に、人間関係が凝縮されていた。
2009.03.31
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夏に一度金沢の21世紀美術館に行ったものの、それ以外ほとんど足を向けていなかったので、久々に金沢へ。親戚が住んでいるので幼いころからよく遊びに来ていたし、以前住んでいたこともあったのに、いわゆる観光地らしきところにはほとんど行ったことがない。ということで、金沢らしい雰囲気のスポットに行くことにした。ちなみに天気は雪のちくもり。最高気温2度、最低気温-1度。最初に行ったのが近江町市場。市場、それも海産物が人気の場所なので、暖房なんてあるわけない。寒い~、凍える~。そんな状態でお店の人たちは水を使っている。長らく中国にいて、苛酷な労働条件の職場は日本人の働くところじゃないという観念が定着してしまっていたのか、こういう場所で働けそうかと問うたとき頷けそうにもない自分の根性がたるみきっているのを感じた。もう寒いところじゃ働けないわ。。。それにしてもここには人がいる。こんな雪の日の、平日だというのに、買い物客も観光客もいる。不景気でも人は旅行するもんだ。そしてこっちは東茶屋町。こういう細やかで洒落た心遣いが日本らしい。室内の光の取り入れ方も中国にはないディテール。 建物の中に入ると、格子戸の効果がよくわかる。十数年ぶりに葛きりを食べた。金沢名産・金箔入り。気がつくとサイフの紐が緩む。やはり侮れないぞ、金沢。
2009.02.17
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今回の一時帰国の目的の一つに、「地元のドラえもんに会いに行く」というのがあった。そう、うちの地元にはドラえもんがいる。それも等身大だ。石景山遊楽園にいた、キモカワのなんちゃってドラえもんじゃない。ちゃんと藤子プロのお墨付きだ。なんたって、作者・藤子不二雄両氏は、うちの街の出身だ。(正確に言うと、A氏はお隣の市の生まれ。ただしその後地元の小学校に転入している。)うちの姪っ子たちはしょっちゅう行っているのだが、ワタクシ、地元を離れて10年以上。4年前にドラえもんの広場ができたのだけれど、用もないので行ったことがなかった。ドラえもんがいるのは、高岡市おとぎの森公園。ほれ、この通り!ドラえもんがいる。のび太も。しずかちゃん、ジャイアン、スネオ、ドラミちゃんまで。そして土管もある。ドラえもんたちは子供がぶつかっても怪我しない素材で作られているらしいが。このようなご無体なことを。。。「みんなやっているから」とはいえ、看板に書いてあることは守りましょう。はい、アナタ、ちゃんと日本人ですからね。それもヤマトナデシコですからね。近くの施設にグッズ販売の案内が。しかし。これ、商売っ気なさ過ぎでしょう・・・。ちなみにこちらの施設、藤子プロから許可を得て、今年中に記念館になるらしい。そして隣接するジャポニカの倉庫。この辺に、役所と民間のアピール力の差を感じる。ドラえもんといえば、こういうのもあった。路面電車の1日フリーキップ。ようやく地元でドラえもんが評価され始めたみたいで、ちょっとうれしい。
2009.02.11
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ずいぶん以前にCCTVで放送された、日中によるスタジオ討論会で、司会者が「日本で行くべき場所」の一つとして、地元の「松村謙三記念会館」の名前を挙げていた。正確に言うと字幕が間違っていて、松村謙三の記念館は富士山にあると表示され、うちの地元がいかに中国人に知名度がないかを思い知った気がした。中央電視台「青春照亮未来」http://v.youku.com/v_show/id_XMjUwNjMyNzI=.htmlま、それは置いておき。これだけ日本と中国の間を往復していながらも、そして同じ県民であるにもかかわらず、一度もこの「松村謙三記念会館」という場所に行ったことがなかった。ちなみに松村謙三氏はこういう人物。http://ja.wikipedia.org/wiki/松村謙三中国で友好条約に調印したのは田中角栄だけど、実際道を引いた政治家はこの人だ。自宅から車で30分あまり。山裾野の福光町(現・南砺市)というところにそれはある。県が作成した観光マップを頼りに車を走らせるが。地図がざっくりしすぎて分からない。しょうがないので、近くにあると思われる棟方志巧記念館の駐車場に車を止めて、その辺の人に聞いて歩いて行ってみることにした。てくてく。歩くこと3分。記念会館というから一つの建物かと思ったら、町立福祉会館だったかの一部らしい。中に入ったら、事務所があってそこのおじさんが奥へ誘導してくれた。町の偉人はおじさんの誇りなのだろう、日本の片田舎の人というより、自信満々の中国人みたいに説明する。あんまり大きなスペースではないけれど。周恩来首相と。そしてここには李鵬氏も来たことがある。この福光というところは、紹興と友好都市だ。それにしても場所がホントにわかりにくい。中国の国営放送の電波で「日本で必ず行くべき場所」と言われていたのにこんなに慎ましやかだーなんて、もっとどうにかしようがありそうな気がしなくもない。
2009.02.10
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ようやくたどりついた地壇の入り口のチケット売り場で入場券を買う。混雑しているけど、押し合いへし合いという感じではない。意外とみんな行儀よく列を作って購入している。入り口近くで牛がお出迎え。地壇の祭壇まで、沿道に縁日のような露天が続く。ところでここで売っているものが、おかしい。「そのセンス、一体どうよ!?」って感じがおかしい。Q.なぜここで羽飾りのついたチープな仮面や被り物、売ってるのですか?それつけて、今からどこへお出かけ???Q.なぜ「ロシア商品」と書かれた店の前で、人の流れが詰まってしまうほど人垣ができるのですか?ほんまに「ロシア商品」としか看板にない。人垣をかき分けてシャッターを切ったら。こういうエルミタージュ風なグッズを売ってた。さらに。Q.なぜうん●を売っているのですか?空気を入れる大サイズから、ピンクの小型のサイズまで。なんで買うねん、うん●。そして被り物しながら、それを嬉々として持って歩いている。。。笑える。そんな人波に押され流されて、ようやく祭場へ到着。こんなに人出が多いのに、メインの祭壇に続く入り口はこんなに狭い。まるで天の恵みが地に振り注いでいるかのようにみごとな青空。そこで、地の神に向かって祈りを捧げる。が、しかぁし。祭壇の周囲は、賑々しくかつ商業的アトラクションに取り囲まれ。そして極め付きは、これ。↓祈りを捧げる祭壇のまさに隣で、やっているんですわ、素人カラオケ大会!!それも、次々出てくる素人の歌が、マジでド下手。。。。でも、熱唱。あれだけ下手でも臆することなく、地の神に自分の歌を捧げる神経が素晴らしい!!後ろが祭壇でマジメにお祈りしているだけに、笑えた。すっごい笑えた。さんざん「つまらない」といわれた廟会だったけど、行ってよかったわ。
2009.01.26
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新年快楽!中国の正月が空けた。最高気温-7℃という数日前の寒さも和らぎ、空は青空。中国版初詣“廟会”に行ってみようとなる。実は、ワタクシ、旧正月のたびに日本に一時帰国していて、春節を過ごしたことがない。廟会にも行ったことがない。であればぜひ行ってみたい!!・・・と思っていたのだが、mixiにそのことを書き込んだら、「つまらない」「1回行ったら充分」という書き込みだらけ。確かに人も多いだろうし、特に何があるわけじゃないんだろうけど、始めっから期待していないと、意外と面白いものかもしれない。ということで、奇特にも「行ってみたい」とおっしゃるひろちゃいなさんを道連れに、廟会のスタンダードオブスタンダード・地壇へ地下鉄で向かう。5号線に乗り、雍和宮駅で2号線に乗り換え、地壇の最寄り駅・安定門まで行こうと思っていたら。いきなり地下鉄が雍和宮駅をスキップ。一つ南の北新橋駅で下りざるを得なくなる。北新橋駅で下りると、今度は北側の出口が通行禁止。駅員も南側出口を使用するよう促す。何事かと思って地上に出たら、あらびっくり!!なんという行列ですかっ!!どうやら雍和宮の参拝を規制しているらしい。しょうがないので、そのまま西に歩いて、地壇を目指すことにした。雍和宮の規制は厳しくて、国子監の通りの西側も交通規制。住んでる人たちにとっちゃ、大迷惑だな。そしてようやく安定門に到着。地壇廟会の案内標識が見えて、もうすぐだ~!!このところの寒さで、すっかり川は凍結。身の安全を省みず次々乗っかってくるところが、中国人らしい。雍和宮みたいな規制はないものの、地壇に近づくほどに人が増える。歩道橋、重みで落ちないのか?ちなみに、手前の男性の髪型が変だ(笑)。そしてようやく、地壇の門までたどりついた。これからまた先が長いのよ~~。つづく。
2009.01.26
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昨年末にみどりさんが、じゃんすさんときたむーの帰国によって休止状態だった北京ブロガーの会「Be-Bloggers」を復活させたいとブログに書いた。ちょうど年末の幹事ラッシュの状態だったので、そのまま幹事モードでともこさんと一緒にお手伝いすることにした。気が付けば、第一回のBe-Bloggersを知っている人間で北京にいる人は、もう片手以下の数しか思いつかない。なので、どうしてブロガー会なのか?を伝えておくと同時に、今回からはせっかく立ち上がってくれたみどりさんのカラーを出したいなあという考えがあった。実行グループミーティング、受付専用メルアドの開設、参加者が楽しめるイベントの作成、景品の募集などをそれぞれで担当して当日に。みどりさんの鶴の一声から1ヶ月足らず、フリーペーパーでの告知一切なし、おまけに春節前にもかかわらず、34人ものブロガー+mixiユーザー+交流したい人が現代城の和飲輪飲に集まった。事前にBe-Bloggers発足の立役者、だーれんさん、じゃんすさん、きたむー、cmookに連絡して過去のBe-Bloggersの写真を頂戴したので、それをPCで披露するというのもしてみた。ブロガー会なので比較的打ち解けやすいものの、やはり過去の会を振り返ってみると、周りと打ち解けられなくて、結局次回は顔を出してくれない人もいたので、いろいろな人とコミュニケーションしやすいようにグループ対抗北京ブロガークイズ、○×クイズなんてのも用意してみた。ちなみに、おもしろいんですよ、○×クイズ。例えば。“Googleで「北京 ブログ」と入力して検索すると、トップに出てくるのはダーシーさんの「北京のダーシーって誰よ!ブログ」である。○か×か?”とか。“Yahooで「北京 ブログ」と入力して検索すると、トップに出てくるのはじゃんすさんの「じゃんす的北京好日子」である。○か×か?”とか。あ、MSNも同じ風に検索したら、予想外の解答だっのよね。上記の問題の答えが知りたい方は、今すぐ検索!!自分で作ってなんなんだけど、こういうのってかなり面白い。会が終了して返り際に、リピート参加の方から「今回はすごく楽しかった!ほんとありがとう!」と言ってもらった時に、よかったなあと。初参加の方たちもかなり話が弾んだみたいで、なかなか解散にならなくて、これもまたいい機会を提供できたなと。これで北京のブロガー同士の交流がもっと活発になるだろうと、確信しました。名乗りを上げてくれたみどりさん、ありがとうございます。ともこさん、ふぉんしゅうさん、お手伝いありがとうございます。お越しいただいた方たち、ありがとうございました。私も楽しかったです。過去のエントリー:第一回Be-Bloggers(2005.6.11)
2009.01.11
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お世話になっているMさんのお友達に、小野リサのコンサートチケットを買ってもらった。場所は、奥林匹克体育中心。鳥の巣の南側にある。地下鉄8号線を使って地上に上がったら会場の入り口がわからなくて、こりゃあスタートに間に合わないとたったの1分の場所にタクシーまで使ったのに、開演は結局、予定より20分遅れ。何か問題あったのか、それとももうちょっと客を入れてからと思ったのか、中国らしい。コンサートの選曲は、ごくごくスタンダード。「イパネマの娘」「Summer Sanba」などボサノバのナンバーのほか、「バラ色の人生」のシャンソン、「ジャンバラヤ」のようなカントリーなど、おなじみの曲を彼女らしいアレンジで披露。いやいや、本当に彼女のは歌声澄み通っているのにやわらかく、α波出ますね。座席に腰掛けて、心地よく癒されていく感じ。しかし問題は。あの奥体という会場が小野リサに合わない。ステージが東の端に設置され、ステージがスタンド席から妙に遠い。さらにアリーナの座席が少なくて空間だらけ。ああしたジャンルのコンサートをやる空間ではない。おまけに、どこかの人がチケットを買い占めてそれを贈答用に配るというケースが中国ではままあることから、かなりの座席が複数のブロックごと空いている。開演間近、もうそこに誰も来そうもないとわかると、後方の席に座ってた客が一挙大移動。みるみる前方の席が埋まっていく。↓中国では多くのファンに指示されていて、チケットも入手が困難と言われていた小野リサだったけど、チカチカ点滅する蛍光ライトを持っていたり、頭にその類の角をつけてたりで、明らかに彼女の音楽を知らなさそうなファンが結構いたりして、まだまだ中国のコンサートは謎なのである。
2009.01.10
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日本の大晦日は、静かだ。家族で紅白を見て、実家だと10時半くらいに年越しそばを食べ始める。年を跨いだら、即自宅の神棚と仏壇に手を合わせ、床に就く。北京の大晦日は、外は静かだ。でも日本人がいる場所は意外に騒々しい。当然家族だけでひっそりすごすお宅も多いのだろうけれど、それなりに自由が効けば複数人が集合して、年越しパーティーをする。多分日本国内と北京を比較した場合、日本人が年越しパーティーをしている確率は北京のほうが高いと思う。また2008年もおかげさまでMさん宅で十数人で年越し。お手製の料理+ケータリング、持ち寄りですこぶるテーブルの上はにぎやか。紅白が終わったら、まず日本の新年を祝う。シャンパンで乾杯する。そして1時間後に中国の新年の到来を祝う。またシャンパンで乾杯。一夜に2度祝杯があげられる。ちなみに、かつて私は北京の年越しをこのように感じていた。カウントダウン2006カウントダウン2007元旦は、日本から遊びに来ている元北京特派員・F女史と毎度のメンバーで飲茶。中国で重要なのは春節だけど、元旦もお休みになっているので、店内も休日の賑わい。全員日本人、それも一人を除き女性なのに、お店に対しての要求が一番うるさくて細かい。翌日、目が覚めてテレビをつけたら、箱根駅伝の生中継中だった。実は我が家はルームメイトが設置してくれたインターネットロケーションシステムのおかげで、日本のメイン局の放送が全部見られる。おかげで、今年は紅白を見ていても、大体どんな歌手か予測がついた。翌日も午前中は、箱根駅伝。自分でおせちをつくるのはめんどうだったので、せめてもと思って作ったぜんざいをすすりながら観戦。北京って、どんなに不自由な場所かと思われているみたいなんだけど、いつのまにやら日本と同じようにおせちも販売されているし、絶対数は少ないけどここなら間違いがないというケーキ屋もあるし、おまけに年末年始のテレビなんか見られたら、何の問題もない。こんな正月三が日を過ごしながら、すごい時代になったもんだと感心した。
2009.01.03
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今月、4回幹事をすることになっていた。ある方面の人にとって私は「絶対幹事なんかしないタイプ」とだろうけれど、一方では「いつも幹事する人」である。で、前者と後者の違いが何かというと、前者は、 「私がだまっていても幹事をやってくれる人がいるので 私がする必要がないから」。 後者は、 1.「どう考えても私がやらないと誰も動きそうにないから」。 2.「自分で企画して、 なぜかその後のことを私に振る人がいるから」。 3.「これまでにない顔ぶれの組み合わせの集まりだから」。 で、今年最後の幹事のお役目がやってきた。この幹事の理由は、上記の3番だ。とある超有名企業のトップと忘年会。 で、とある有名企業のトップは、友達である別のとある超有名企業のトップを連れてくる。 ・・・なんで私がそんな会の幹事をするの??? 真っ向勝負をしても玉砕してしまうかもしれないので、ここは変化球で勝負。 選んだ料理は「ポルトガル料理」、 場所は「レジェンダルホテル」という、ほぼ世界的知名度のないホテルの中の、 「Comoes」(カモンエス)というお店。 全館アールデコ調のロビー。吹き抜けが壮観。Comoesの店内。ポルトガルの建築に使われる青いタイル「アズレージョ」が張り巡らされている。お店のワインは全部ポルトガル産なので これまた世界的にはマイナーだけど、どれもおいしくて、 特にドウロ産の赤ワインは、最初素直なのに途中きゅっとひねりが効く感じ。 「ポルトガルの家庭料理に干し鱈は欠かせない」とか、 「スープの青いのは、青汁の素のケールっていう野菜」とか言っていたら、 「ポルトガル料理でうんちく語る人は初めてですよ」と言われた。 あはは・・・。 これが、ポルトガルの家庭の味・ケールが入ったスープ「カルド・ヴェルデ」。鴨肉の炊き込みご飯もなかなか香ばしい。ポルトガルのデザートといえば、エッグタルト。半分食べてしまいました。ポルトガルの詩人・カモンエスの顔の入ったカップ。ホテルも店もすっごくきれいなんだけど、 空調から外気が逆流するものだから、 まるで冷房のエアコンかかってるみたいにゴウゴウ風が上から吹いてきて、 途中、となりのフレンチレストランに移動するという中国ならではの展開も。 厨房にはちゃんとしたポルトガル人のシェフが入っている。 途中顔を出して挨拶しにきたので、某社長が 「中国には慣れました?」って質問したら、 「う~ん・・・」だって。 ま、彼も苦労してるってことだ。 お値段はそれなりだけれど、でも目玉が飛び出るほどでもない。 ホテルも店もすっごく趣向をこらしたつくりになっているので、 できるだけ、ポルトガル人のシェフが帰らないうちに行ったほうがいいかも。お店の従業員は、ポルトガルの民族衣装で迎えてくれる。励駿酒店(Legendal Hotel Wangfujing Beijing)東城区金宝街90-92号Tel:8511-3388
2008.12.30
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