All The Things You Are

January 5, 2006
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テーマ: Jazz(2023)
カテゴリ: カテゴリ未分類
『Strange Fruit』(ストレンジ・フルーツ)
【奇妙な果実】

この曲は、ルイス・アランが1939年に作詞、作曲したものです。

この曲はビリー・ホリデイの代表曲として知られているのですが、いろいろ異なった説明のされている曲です。

まず、作者のルイス・アラン(Lewis Allan)はルイス・アレンと書かれているものがありますが、
英語をカタカナで表記するのはむずかしいところで、どちらかというとアランのほうが正しいようです。

ルイス・アランというのはペンネームで、本名をエイベル・ミーロポルといい、白人ではありますが、ユダヤ人です。
彼は妻とともに共産党に入党していて、ルイス・アランというペンネームで「作家」「詩人」「作曲」などの仕事をして、
その収益を共産党に寄付していました。

その後、教師をやめ、おもに映画などの音楽を多く作っています。
ピアノも少し弾けたようで、この曲は作曲もしています。

ビリー・ホリデイがこの曲を歌うきっかけになったのは、
バーニー・ジョセフソンがニューヨークに開いた「カフェ・ソサエティ」というナイト・クラブで、
彼女が歌っているときのことでした。
「カフェ・ソサエティ」の常連客は知識人、作家、各界の有名人、進歩的な学生、芸術家といった人たちで、
黒人も自由に出入りできるという当時としては珍しく、進歩的で画期的な店でした。
「カフェ・ソサエティ」は、そんな店だったので、アランはこの曲を、この店に持ち込んだのでしょう。
1939年4月、バーニー・ジョセフソンと、このクラブのショーの担当のロバート・ゴードンが、この詩をビリーに見せ、
アランがピアノで弾いて歌って聴かせたと言います。

アランは人種問題にもともと関心を持っていて、ある日公民権運動の雑誌を見ていて大きな衝撃を受けました。

リンチをされて木にぶらさげられた黒人の無残な死体が写されていました。
南部では、白人による黒人へのリンチが日常茶飯事で行われていて、
女、子供までそれを楽しんだと言います。
まだまだこういうことがアメリカ国内で行われていることを知った彼は、そのことを詩にしたものが、
この曲のもとになったもので、「苦い(ひどい)果実(Bettet Fruits)」と名付けられたそうです。


ビリー・ホリデイの自伝では、この詩を初めて見た時に、すぐに感動し、自分と、アランと、
ビリーのピアニストをしていたソニー・ホワイトとの三人で三週間かけてこの曲を作ったと言っていますが、
実はそれは事実ではなく、ビリー・ホリデイもソニー・ホワイトもこの曲の作曲には携わっていないようです。
それは、この曲の楽譜のクレジットにルイス・アランの名前以外は記されていないことでもわかります。

ビリー・ホリデイの自伝は、かなりの点で事実とは異なり、あてにならないようです。
この自伝のおかげで、この曲は、さもビリー・ホリデイが作ったように誤解されていることが多く、
日本で発売されているレコードのライナーノーツにも、
彼女の自伝をもとにして、そのようなことが書かれているものがあるような始末です。

ビリーは非政治的で、この詩の意味も初めはよくわからなかったこともあり、
アランには歌うかどうか少し考えてみると答えたそうです。
また、彼女はエンターテイナーという点で、彼女の好きなルイ・アームストロングと似ていたので、
こういうものは客が嫌がるのではないかということを思ったとも言っています。
ビリーは「ある男がへんてこな曲を持ってきた」と言い、「私はこの曲を歌うことにしたわ」と言ったそうです。

カフェ・ソサエティのオーナーのバーニー・ジョセフソンは次のように語っています。

「最初ビリーは、この歌の意味が全然わかっていないようだった。
アランは僕のところへ持ってきて、それから彼女のために弾いて聴かせ、
彼女はこれを歌うと言ってバンドと一緒に練習した。
彼女の態度は“評判がよければ歌おうかしら”てなもんだった。
初めは彼女は何も感じていないようだった。
しかし、客が敏感に反応し、涙が頬をつたわり、その衝撃がすごかったから、
僕はビリーにもそれがわかったと思ったよ。
そしてこれは、彼女と切っても切れない得意中の得意の曲になったから、
自分で書いたと思い始めたんじゃないのかな。
彼女は自伝でそう言っているね。
でも、自分の曲だと思うくらいにこの曲に入れ込んだということさ。」

そのうちこの曲は評判になり、雑誌社が訪れてきました。
そのころまでアメリカで売られている雑誌には黒人の写真を載せていませんでした。
しかしビリーの歌う「Strange Fruit」が評判になってくると雑誌の「TIME」が写真を撮りにきて、
彼女の写真を載せ、この曲の歌詞まで載せました。
それから、ほかのところにも黒人の写真が現れ出すようになり、これがそのきっかけを作ったようなもので、
彼らに彼女の写真を載せさせたのは、まさにこの曲の力のおかげだったと言えるようです。

しかし、この曲に否定的な人もいて、ビリーを見い出してこれまでビリーのプロデュースをしてきたジョン・ハモンドは、
ビリーがこの曲を歌うことを嫌い、「彼女がこの曲を歌ったのは最大の間違いだ」と言ったそうです。
それは、この曲を歌ったことで彼女をクラブ歌手にしてしまい、彼女の歌から新鮮さが失われてしまったからだ
と言います。
また、この曲に気分を害して「これはエンターテイメントしゃないね」と言って帰っていく客もいたそうです。

ビリーは、当時レコード会社はコロンビアと契約していましたが、
コロンビアはこの曲に恐れをなしてレコーディングをする気が全くなく、
この曲のレコードを出したいと思っていたビリーは困りました。

そのころ、近くにレコード店を開いていたミルト・ゲイブラーはビリー・ホリデイの大ファンで、
ビリーがコロンビアでレコーディングをしていたときの伴奏をしていたテディー・ウイルソンが、
このゲイブラーの店に彼女をつれて来てから、ビリーとゲイブラーは大の仲良しになっていました。

このゲイブラーの店は「コモドア」と言い、彼は店と同じ名前の「コモドア」というレコードのレーベルを持っていて、
そこからジャズのレコードをちょくちょく出していました。
そこで、ビリーはゲイブラーのコモドア・レーベルで「Strange Fruit」を録音させてくれないかと
コロンビアに話をすると、なんとオーケーの返事がもらえたために、
「カフェ・ソサエティ」のバンドの伴奏で、1939年4月20日にコモドア・レーベルによるレコーディングが実現しました。

そして、この曲は発売され、ラジオ局はこの歌詞のために、放送しようとしなかったにもかかわらずヒットし、
ビリー・ホリデイの人気は高まりました。
ただし、正確には、このレコードのB面に収められた『Fine And Mellow(ファイン・アンド・メロウ)』
という曲のほうがヒットしたことによって、この曲も評判になったということのようで、
そのことはミルト・ゲイブラーも、そのように語っています。

このあと5月に、
ビリー・ホリデイは、この曲のレコーディングにも参加したピアニストのソニー・ホワイトと婚約をしますが、
結婚にまでは至らず、この年の末には破局しました。

*****

●ストレンジ・フルーツ
Strange Fruit
【奇妙な果実】

作詞:ルイス・アラン
作曲:ルイス・アラン
1939年


南部の木々は奇妙な果実をつける
葉には血が、そして、根にも血が
あちこちで黒いからだが南部の風にゆれている
ポプラの木にぶら下がった奇妙な果実
雄大な南部の牧歌的な風景
見開いた目に、もだえる口
甘く新鮮なモクレンの香り
すると突然の肉体を焦がす臭い
ここにカラスが突っつく果実がある
雨がしみこみ、風が吸い取る
太陽が腐らせ、樹木が倒れる
奇妙で、つらく、ひどい作物がここにある





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Last updated  January 5, 2006 09:54:06 AM
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