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December 18, 2006
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テーマ: Jazz(2024)
カテゴリ: Album
自己の音楽を確立したピアニスト、ビル・エヴァンス

音楽人生の始まり

ビル・エヴァンス(Bill Evans)は、本名をウイリアム・ジョン・エヴァンス(William John Evans)といい、
1929年8月16日に、
アメリカのニュージャージー州プレインフィールドというさほど大きくない町で生まれました。
家庭は典型的なアメリカの中産階級で、父親は英国のウェールズの出身、
母親はアメリカ生まれですが、ロシア移民の娘でした。

両親が共に音楽が好きだったこともあって、
ジョン(ビル)は2歳年上の兄、ハリー・エヴァンスと共に早くから音楽教育を受けました。


ピアノの稽古を始めたのは兄が最初で、彼を真似して遊んだことがきっかけで自分も弾くようになった。
僕はいつだって兄をいわば崇拝していた。
スポーツでも、いつも兄に差をつけられまいとしていた。
兄は二つ年上で、スポーツもピアノも得意だった。」
この兄は1979年に自殺しますが、そのときのジョン(ビル)のショックは計り知れません。

ジョン(ビル)は6歳のときからピアノを習い始めますが、家族が第二の楽器を持たせたいということで、
翌年からヴァイオリンも習いますが、これは12歳のときにやめました。
ピアノのほうが上達が速く、10歳のころにはすでにモーツァルトのソナタを弾くまでになったといいます。
また、そのころには、地元ニュージャージー州のダンス・バンドでピアニストを務めたりしていたそうです。

ビル・エヴァンスは幾度か公(おおやけ)の場で、
ジャズ・プレイヤーの自由さを初めて知ったときの喜びの瞬間について話しています。

バンドは「タキシード・ジャンクション」を演奏していました。
この曲は、もともとアースキン・ホーキンスによって即興的に演奏されたものですが、
その後、その他のスウィング・バンドに採用されて演奏されるようになると、
各パートは単純化され、譜面によって封じ込められてしまっていました。

「何とはなく、ひらめいてブルース・コードをちょこっとはさんでみたんだね。

「Dフラット」、「D」、「F」をバーンとね。(注:Dフラットがブルーノートになります)
右手で。
何とも言えないスリルだった。
しっくりきてね、いい感じなんだ。
書かれてあったんじゃなく、自分でそうしたんだけれども。
誰も考えつかなかった何かを音楽でやるっていう発想自体が、自分に全く新しい世界を開いてくれたんだ。」

とエヴァンスは語っています。

1940年代後半に、当時のアメリカでも最高の音楽教育施設とも言われたという、
ニューオリンズのサウス・イースタン・インディアナ・カレッジに入学します。
ここでは、クラシックが中心のカリキュラムだったのでしょうが、
このときすでにジャズの虜になっていたビルは、周辺のクラブへ出かけて行っては、
ジャズのセッションに参加していたそうです。

カレッジ卒業後の1950年初め、プロとしてバンドのピアニストになりますが、
10カ月ほどで徴兵にとられ1951年から兵役につきます。
1954年、25歳のときに軍を除隊して両親の家に戻ってきました。
このころには、
エヴァンスの代表曲の「ワルツ・フォー・デビイ」が作曲されていたと言います。

この年、1954年のジャズ・シーンは、アート・ブレイキーが「ハードバップの誕生」と言われる
ジャズ史上最重要アルバムの一つである、『バードランドの夜』というライヴ盤が録音され、
マイルス・デイヴィスのハードバップ宣言とも言われるアルバム『ウォーキン』が発表されたりと、
ジャズはスウィング期から、チャーリー・パーカーらによるビバッブ期を経て、
いよいよハードバップ期という、モダン・ジャズの真っただ中へと入ろうとしつつあるころでした。

そんな1954年に、エヴァンスはニューヨークに出てきます。
最初の演奏場所はダンスのできるクラブかホールで、ジャズとはほど遠いものでしたが、
しだいに優秀なジャズ・ピアニストとして知られるようになり、
1956年に入ってからは、ジョージ・ラッセルなど大物のレコーディングに参加するようになります。

そして、その年1956年に、
エヴァンスにとって初のリーダー・アルバム『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』が録音されました。
エヴァンス27歳です。
このアルバムには、ビルが20歳のころに作曲したという「ワルツ・フォー・デビイ」や、
生涯に渡って演奏されたロジャース&ハートの名曲「マイ・ロマンス」という重要なナンバーが収録されています。

ビル・エヴァンスはリーダー・アルバムをリリースしたものの、当時は一部の批評家には支持されただけで、
ほとんど売れませんでした。
そのせいか、エヴァンス自身も、この初リーダー・アルバム『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』には
自信を持てなかったと言っています。

しかし、マイルス・デイヴィスは彼に注目し、自分のグループに誘いました。
当時としては黒人のマイルス・グループに白人であるエヴァンスが入ることに対して、
抵抗を示すメンバーもいたと言いますが、
マイルスは「肌の色がなんだろうと自分は優れたミュージシャンと一緒にプレイしたい」と言い、
1958年からビル・エヴァンスはマイルス・デイヴィス・グループに参加することになりました。
その結果、ジャズ史上に大きな影響を与えた1959年のマイルスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」
という素晴らしい作品が生まれたのでした。

1958年には、ダウンビート誌の批評家による投票で、ビル・エヴァンスは新人賞を受賞しました。

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Last updated  December 18, 2006 09:35:20 AM
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Re:ジャズ・ピアニスト=ビル・エヴァンス【その1】(12/18)  
aobasho さん
敏夫先生!

コピ-して大切に保存させて頂きました。。

続編を期待していますよ^^



(December 19, 2006 06:09:48 AM)

Re[1]:ジャズ・ピアニスト=ビル・エヴァンス【その1】(12/18)  
aobashoさんへ

ありがとうございます。
続編もよろしくお願いします (December 20, 2006 04:23:10 AM)

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