不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2006/01/30
XML
カテゴリ: 日本旅行記
◇ 旧足守藩侍屋敷 から少し歩いたところに『旧木下権之助屋敷表門』や『足守藩屋形構跡』があります。
看板はありますが、どれがと、よくわかりません。

その少し先に 木下利玄生家 があります。
土壁の蔵に囲まれた門がある家でした。
門〈玄関〉の戸は開いていませんので中は見えませんでした。
開いてないのに、門の中には看板があるんですね。
生家で残っているのは珍しいですね。



■足守藩主木下家
足守藩主木下家は、平氏の出身で杉原と称し織田信長の家臣であった杉原家定の妹の「ねね」が、木下藤吉郎〈後に羽柴秀吉・豊臣秀吉)に嫁ぎ、秀吉の天下人に伴って「北の政所」となりました。このため「ねね」の実家が秀吉一族として木下姓を名乗ることを許され、さらに豊臣の称号も与えられました。関ヶ原合戦に際して、2万5千石を領有して姫路城主であった木下家定は、北の政所を守護し中立を保ち、合戦後の1601年3月27日に、同じ石高で備中国足守に所領替となりました。
ここに足守藩主木下家が始まり、一時中断があったものの、家定の子孫が明治維新まで13代にわたって藩主として、足守陣屋町の整備に尽力しました。

徳川家の怒りに触れずによく生き残ったと思いますね。

■木下利玄生家
明治19年に生まれた木下家14代目当主利玄(としはる)は、5歳で上京。
学習院等で勉学に励むかたわら、歌の道へも精進を続け、のちに武者小路実篇や志賀直哉らとともに雑誌「白樺」を発行。明治・大正の文学史に大きな足跡を残しました。
粗壁の長屋門風の建物は、藩政期から続く木下家の財政整備のために大正時代に建てられたものです。



つづく・・・。
岡足守601a503





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006/01/30 08:54:06 PM
コメント(0) | コメントを書く
[日本旅行記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: