不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2010/10/09
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カテゴリ: 日本旅行記
◇の道沿いに 八代の大ケヤキ の看板があったので訪れました。
式内社足鹿神社の御神木とされる大欅は、大正12年に東京大学教授三好学博士によって樹齢千数百年と鑑定され、昭和二年度内務省より史蹟名勝天然記念物の指定を受けた。
樹高さ約30m、幹回約9.8m

道沿いに車を止め、歩いてすぐの所にありました。
大規模な保護増殖工事をしたみたいで、生茂っている感じではありませんでした。
これほど古い指定で、新たに調べたら年輪が変わるのではとも思いました。
但馬e1大楠

国道429号線から国道312号線へ戻ってきました。
道沿いにある 羽渕鋳鉄橋 に寄りました。
田踏川が円山川に合流する付近に架けられた。
神子畑鉱山と生野銀山とを結ぶ輸送道路の一部で、日本に2つしかない全鋳鉄橋の1つです。
「羽渕のめがね橋」の愛称がある二連アーチが美しい橋です。
しかし、洪水で流され現在の位置に移設されました。
橋長18.27m、幅長3.6m

看板があり駐車場も数台停めれるようになっていました。

橋の上には上がれないようにしていました。
アーチが綺麗と書いていますが、そう見えるように整備はされていません。
移設するのなら、もう少し見栄えを良くしてほしいですね。
但馬f1

国道の反対側に説明看板があったのでよって見ました。
山口護国神社にある 生野義拳志士殉難之地 に訪れました。
江戸時代の終わりに、幕府を倒して新時代を開くべく、生野代官所を占拠した事件を生野義拳という。
1863年に、大和義拳が不成功に終わるとともに生野義拳も失敗に終わった。
その時の隊長が長州藩出身の南八郎(21才)である。
戦に敗れた南八郎以下十三人は、この地の山伏岩に「今月今日討死」と血書して八人は切腹し、他は付近で討死した。
後に京都より送られてきた同志四人を加えて十七名の志士の碑を建てられている。
中央に建っている「殉節忠士の墓」の文字は明治新政府の首相「西園寺公望」の揮毫である。
「議論より実を行なへなまけ武士、国の大事をよそに見る馬鹿」の奉献額は南八郎が制札を削って書いた奉献歌の額であり、腹巻には「後れたは梅にも桜にも劣るらん魁けてこそ色も香もあれ」と書かれていた。

生野代官所跡に「生野義拳址」があったので、偶然ですが興味がありよりました。
碑も古くなって字も読みにくくなっていました。
説明看板が無ければ、まったくわからなかったでしょう。
大和義拳は有名ですが、他でもしていたんですね。
隊長が長州藩だったとは、それほど人材がいたんですね。

たぶん、時がたっているので、碑のみが当時を示すだけだと思います。
但馬g1山口護国神社
但馬旅行 で訪れた所


但馬旅行は、まだ続きます





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Last updated  2010/10/09 07:44:08 PM
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