不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2010/12/20
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カテゴリ: 日本旅行記
月山富田城跡 の頂上まで来ました。
尼子氏は近江出身で、富田城主として確認されるのは出雲濃く守護代であった清貞からである。
晴久の時代になると八箇国の守護職に命ぜられました。
義久が富田城主になる頃には毛利氏の侵攻により1566年に富田城は開城し、尼子氏の支配は終焉した。
その後、毛利氏支配になり五男・富田(毛利)元秋と家臣の天野を置き二人体制で支配した。
1585年に元秋が亡くなり、翌年には元就の八男・末次(毛利)元康が入場した。
豊臣秀吉の意向により1591年に吉川元春の三男・広家が入場した。
1600年の関ヶ原の合戦で堀尾氏の親子(吉晴・忠氏)に出雲・隠岐両国が与えられ、富田城に入場した。
しかし、富田城が出雲国の東部に片寄っていることや、周辺の山々から見下ろされるなど政治上・軍事上近代的な領国支配の体制づくりに適さないと判断し、1607年より松江築城に取り掛かり、1608年に富田より松江に本拠地を移した。


本丸跡らしいが、面影は無いです。
平らになっていて、縦長くなっています。
別名・「甲(つめ)の丸」と呼ばれているそうです。
「山中鹿介幸盛記念碑」があります。
碑は碑でした(笑)。
島根安来c1鹿介記念碑

天守跡に「勝日高守神社」があります。
1156~1159頃に平家の武将・平景清が出雲に入り、月山に築城するにあたって御社があっては畏れ多いと里宮に移したのが富田八幡宮(矢立松の伝説)。
現在山頂の勝日高守神社は里宮に対して奥宮。
大国主命が祀ってある。(尼子時代は、代々城主内の守り神であった)
月山は、標高191mである。


周りは一周できますが、見所は無いですね(笑)。

途中にポツンと鳥居があったのは、此の神社のだったのかな?
島根安来c2神社

古い城跡ですが、整備は所々されています。
復元で石垣なども少し、整備されていました。
石垣だけなら三の丸か山中御殿あたりが、綺麗に整備されていました。
島根安来c3
島根安来旅行 で訪れた所


島根安来旅行は、まだ続きます





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Last updated  2010/12/20 08:49:58 PM
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