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2020.03.02
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カテゴリ: 宇宙意識など


〇アラハト・アテルザータの言葉〈アラハト・アテルザータ(サンスクリット語)=「時を観照する優れた者」 受信者「ビリー」エドゥアルト・アルベルト・マイヤー(1975年5月15日から8月11日まで)〉
君は自分の内部に私の想念を捉えたことをいぶかしがっている。だが、まもなくいぶかしがる必要がないことを理解するでしょう。私は、君たちの古い言語でアラハト・アテルザータと呼ばれる霊形態である。
物質的形態における私の生存は大昔に終末を迎え、それ以来君たちよりはるかに上位にあって君たちの知らない境域の実存在にいる。私の実存在の時間は、極めて長い時を経て実在となった。それは創造に関する法則を遵守して、知識と英知に、力と威力になった。無限の時間が経つうちに、霊は肉体から解放され、転生を消え去る過去へと押しのけた。それは創造に近づき、力と威力に溢れ、完全性の成就を目指し努力している。
私の想念が君の内部に押し入り、インスピレーションによってある書物を伝えるので、それを書き留めよ。
私は時を観照する者として、物事の真理をそれらの起源と結末において認識した。これからその真理を、君を通して君たち人間に理解できる言葉で開示しよう。だから私の想念を追い、それを不変の正しく読みやすい文字で書き留めよ。
君の水準と私の水準との間の境界には、長い時間の隔たりがある。その境界は、君の時間計算では何十億年も離れていて、霊的次元の障壁を形成している。私はこの自分の形態において、空間と時間を超えて交信し、過去と未来を現在にもたらすことができる。それゆえ私は現在、自分がいる真理の遠い霊的未来から、この現在において君の霊的水準のある過去に到達して、君たちの形態にとって重要な意味を持つ事柄を君に伝えよう。
君との交信は、霊的・インスピレーション的な特性に基づいているため、君は自分からは送信できない受信機の役割を果たすだけである。その理由は、私の霊的本質が、高次の霊形態にしか立ち入りを許さない高次水準に入っているためである。現在の地球人に例外なく該当する低次の霊形態は、我々のもとに到達できないばかりか、交信によって我々とコンタクトを取ることすらできない。
他方、我々は自分たちの形態において、あらゆる霊水準に入り込み、低い水準のあらゆる実在する者に自分たちの言うことを理解させることができる。我々自身にとって限界は上方にのみ、創造の水準に向かって課せられている。我々もまた霊的に努力して、この水準に上昇しなければならない。以上述べたことは、君たちも我々も犯すことも避けることもできない創造の法則である。
私の本質の霊形態が、君たちの現在の時間に現れ、君の水準の知性とインスピレーションによってコンタクトを取ることは例外と見なされる。こうしたことは、すでに過ぎ去った過去にも大きな例外として見なされてきたが、来るべき未来においてもそうでしょう。説明のために言っておくと、このような交信で最後のものは、君たちの時間計算で約2000年前に我々によって行われた。それ以後は、これを再び行う必要性もなければ掟もなかった。
それゆえ君は、君たちの世界で、我々が2000年来再びコンタクトを取る最初の低次の霊形態である。その理由は君が、しばらく前から、君たちより高次の生命形態と情報コンタクトを取っていることにある。
前回2000年前に、我々に伝えられたところによれば、君に関する情報は非常に驚嘆に値するものだった。君の霊の発達は、君の時代よりはるかに進んでおり、君はあまたの住民の中で稀な例外と見なされる。君は予言者の水準にまで発達し、予言者として自分の使命を果たすでしょう。
機運が熟していなかった2000年前には、我々によってインスピレーションを与えられた者は我々の教えを有意義に広めることができなかった。それゆえ君は、この使命を今この新しい時代において果たす。だがそれは、かつて我々の教えから誤った邪悪なカルトが生まれて、あらゆる虚偽が隅々にまで紛れ込み、地球人を現代に至るまでとんでもない意識の奴隷にしてしまった当時のようであってはならない。
君たちの現在と未来の時代の 言者として、私が伝えることを広め保つために、前回2000年前に我々によってインスピレーションを与えられた者より多くのもっと優れた可能性が君にはある。それゆえこれらの手段を活用したまえ。ためらうことはない。
君の声を山々に轟かせ、偽りの予言者の邪説を滅ぼすのだ。なぜなら彼らは、意識を劫罰に追いやり、あらゆる認識を妨げるからである。彼らは、我々や他の水準からインスピレーションを受けたと主張するが、それは真実とは遠く掛け離れている。彼らの大仰な著作は、いかなる論理や真理とも無縁な溢れる空想の産物にすぎない。
多くの者は妄想と虚偽が募り、インスピレーションによって霊形態を捉えたとか、捉えるだろうと思い込んでいる。彼らは霊とその諸形態を知ることなく、自分自身の想念や願望や着想を書き言葉に表しては、自分をも同胞をも欺いている。我々がこの2000年間あらゆる交信を控えてきたのに、どうして彼らが我々や他の高い水準からインスピレーションを受けることがあり得ようか。
それにもかかわらず、多くの地球人は厚かましくも、我々や他の高次の水準とコンタクトを取っていると主張する。だが真実は、そうではない。彼らはその根本要素からして霊形態を捉えることができないのに、そんな連中にどうして我々が知識と英知を与えることができようか。だから私は、過去2000年間にわたり、我々の水準からも、他の高次の水準からも交信が行われなかったと繰り返し説明している。
この種の交信と称するものはすべて、交信の事実を主張し、またこれからも、し続けるであろう当の地球人の欺瞞と自己欺瞞に帰する。さあ、君の意識の力を高め、私が伝えることを書き留めよ。その準備をしたまえ。君の使命は多くの時間を必要とするだろうし、君の感性を受信可能な状態にしておかねばならないから。
地球の人類は、巨大な宇宙の変革を目撃する段階に入った。この新しい時代は思考する人間の見る目には、ますます鮮やかにはっきり写る。それにもかかわらず人類の大部分は、無知と意識の奴隷化の奈落にいる。そのためこの衰退の原因を究明し、それを君たちにメッセージで示すことが必要となった。
しかしまた、霊を理解し、意識的および霊的調和のある未来への新しい道を示すことも同じ起因から必要である。それゆえ地球人は、その目と耳を開け。その奴隷化した想念を、あらゆる邪説や虚偽を、あらゆる邪悪から引き離せ。意識の感性を、真理の認識に向けて開くのだ。
無窮の宇宙を仰ぎ見るがよい。そこには久遠の星々が湛えつつ荘厳な静寂と崇高を支配している。星々は創造の秩序の中で、普遍妥当な創造の法則の調和に包まれて、従うべき掟を守りながら、数千年、数百万年にわたりその軌道を描いている。これらすべての星々の上には創造の法則と掟、永遠の摂理と生成、そして果てしない発生における時を超越した存在と消滅が支配している。
そして人類よ、地球を見下ろすがよい。そこでも同じ創造の法則と掟が冷厳な秩序のもとで貫かれている。人間も、地球およびそのあらゆる多様な生命形態も、創造による創出の連鎖のちっぽけな、しかし重要な環としてこの法則と掟に組み込まれている。自然が創造によって与えられた法則と掟の中で生き、人間の手に触れられることなくその生存を成就するところでは、美と尊厳、そして力と偉大さが支配している。
しかし、人間の介入や、不自然で非論理的な秩序と修正の跡が見えるところでは、一切の美と尊厳、力と偉大さ、そして秩序は消滅する。
こうして自然は、巧まずして人間の理性と悟性の欠如の証となる。それなのに人間は自らを万物の霊長と呼びたがる。人間はそのような妄想に生きており、自分の頭に冠を載せているだけだということを自覚しない。しかもその冠たるや、人間には大きすぎて支えきれず、その重みに人間は今にも押し潰されそうなのである。
事実、地球人は現代までに素晴らしく大きく発達した。そして憎悪、悪徳、欲望、快楽、困苦、そして流血を引き起こした最もたちの悪い邪説とカルトに駆られ、自ら深い奈落の縁に、妄想という野獣の罠の前に進み出た。そして地球人、すなわち世界を支配し、水と空気と火を征服した万物の霊長である人間は、真の人間であることを、そして霊形態に従って生きることをもうずっと昔に忘れてしまった。
それによって人間は、共同体において価値ある人間として人間の間で生きるということもすっかり忘れた。すべての人間は純然たる物質的な事物を追い求め、霊的なものにかかわる一切の事柄をひどくないがしろにしている。人間は考えられる限りの太古から、ひたすら権力を獲得しようとした。そして手に入れたらそれを、ひたすら奴隷化と隷属化のために利用した。戦いは鬨の声であり、勝利は地獄の示現であった。
人間は意識を奴隷化する愚劣な邪説によって、強制と偽善を生み出し、それらを通して名誉と自由について語ったが、その意図は意識の奴隷化、あらゆる点での利用と搾取、そして絶対的な従属にほかならなかった。
地球人は、素顔を見せることをとうに忘れてしまった。というのも地球人は、カルト的な邪説の始まりとともに、素顔を自分自身の内に埋葬して失ってしまったから。今では地球人は、色鮮やかな仮面を被って見せびらかしているにすぎない。だが、それらの仮面はなんとも無味単調、無関心・冷淡で画一的な印象を与える。多くの地球人は野獣か、あるいはカルト的邪説の才気のないロボットになってしまった。
英知に関して才気のない彼らは、最小限の霊的な真理も知らず、ひたすら権力、欲望、物質主義、そして同胞と自分自身に対する憎しみにすべての努力を注ぎ、地上の日々を、そして年月を邪悪で不誠実に送っている。地球人はこの世の一切の事物を、その悟性と理性によって分類し整理した。そうすることによって地球人は、一切を自分に服従させた。そしてこの服従こそ、地球人があらゆる努力を払って手に入れようとするものなのである。
地球人にとって仮象は、実存在の真理以上に重要であった。
霊と創造の永遠の真理が地球人の根本要素において失われてしまい、地球人はすでに早い時期に宗教の非現実的な教えにしがみついた。宗教の奴隷化する邪説は、自己欺瞞に陥っている地球人にとって、真理と英知において創造のあらゆる法則と掟よりも身近で価値が高い。地球人はその極めて希薄な宗教的で錯誤した人生観ゆえに、真の創造の法則と掟に反して人間の法的規定を作成することによって、非現実的な宗教との調和によって人類を改善でき、あるいは今よりも良く生きられる明るい未来へ導けると信じた。地球人は自分の中で、創造の本質に関する知識を失ったので、物質的な手段と宗教の邪説によって、人間を無理やり生かそうとした。
その理由で地球人は、宗教の邪説と関連した偽りの約束や、やはり偽りの理想と偶像によって多くの人類を魅了した。この道はやがて最悪の規模の奴隷化、意識の束縛、搾取、そして憎悪、欲望、悪徳へと導いた。まだわずかでも信頼が残っていたところでは、それは即座にとどまるところを知らず、邪悪な不信と激しい憎悪に姿を変えた。こうして地球人はますます真の生命から、創造の起源の霊的な定めから遠ざかっていった。人類は、最も古い真理と英知に関する知識を失った。つまり人間は万物の尺度であり、またそれ自体、創造による固有の完壁なる被造物であるという知識である。

しかし時代が変遷し新しい宇宙時代に入った今、地球人がその感性と思考を方向転換し、霊的生命の本来の価値である創造と霊の真理に、再び取り組むことが強く求められている。これまでは人間の生命形態が地球の領域だけでなく、無限に広がるこの宇宙の至るところに住んでいるということを知っていたり、推測したりしていたのは、地球人のごくわずかな一部にすぎなかった。
自分たちの霊が、物質的感性では知覚できない創造的なものの境域に突入していることを知っているのも、これら人間のうちごくわずかな一部である。しかし創造自体は、すべての霊形態の本来の故郷である。霊的な拡張と深化を目指して努力し、達成して、それまでの人生観を改めるのは、個々の人間のためになることである。
その人生観は、純然と物質主義的で非現実的信仰という軌道をたどり、それによって霊の真理をひどい劫罰に追いやった。しかし方向転換は、容易ではあるまい。その道は蔓や茨が生い茂っているから。
このうえなく明確な真理において、しばしばまさにこれとは正反対の道を歩まねばならない。人間は自分の創造的な霊が実在することを通して、永久に不滅の部分を持っていることを学ばなければならないからである。創造的なものと共に作用し、宗教に見られるように卑屈な役割を果たすことのない霊である。
自分の霊が創造的な機能を発揮して、創造自体において完全であることを保証するために、霊そのものが完成しなければならないということを、各人が自分で証明しなければならない。しかしこの認識を獲得したすべての人間には、そこから自分自身の物質的な生命を背後に押しやって、その霊的な生存を、絶えず変転しながらも永遠に持続する創造の偉大な観点に導くという、避けることのできない義務が生まれるのである。

真理の人間は偏見がない。偏見を抱いていると、探索と発見と誠実さが妨げられるからだ。真理の人間は、すべての真理と英知が時間を超えて永遠に続く流れの中にあり、したがって先入観は、実在する権利を持たないということを非常に正確に知っている。
英知の事実たり得るのは真理の事実のみであり、その他のいかなるものもそれに組み入れられない。生存するものはすべて円を描いて完結しなければならず、これはあらゆる出来事の大いなる進行を貫いている法則である。原因と結果は法則と掟に従って秩序づけられているとき、あらゆる領域で妥当性を持つ。先入観はそれ自体の内に、懐疑と虚偽のあらゆる非論理を宿している。
だからある人間が歩み寄り、この伝達を受け入れるならば、人間の甚だしい弱さをはっきりと認識するでしょう。つまり、先入観に基づく懐疑と批判の状態を超越しているか、それともなおも偏見が彼を支配し続けるかということ。
しかし依然として先入観にとらわれているならば、彼はこのメッセージを脇へのけて、偏見を持たずに真理を探索できる者に委ねた方がよい。

宇宙あまねく多様な生命形態が姿を現わし、それらはすべて然るべき法則を根底としている。解き明かすことのできない秘密である無限の持続と無限の変転をもたらすのは、創造による目に見えない偉大な作用である。この宇宙において生命の息吹のあるもの一切が、解き明かすことのできない神秘に満ちた法則によって、空間的および時間的に拘束されている。
同じ法則のもとで存続する霊形態だけは、時間にも空間にも屈服しない。しかし、霊形態は創造を起源とし、創造的であるから移ろい行くものの法則が、その実存在を損なうことはない。君たちの地球に生きているものも、ことごとく時間的なものと空間的なものの支配下にあり、同じく時間的、空間的な存立の法則に制約されている。それは、物質的な空間状況と時間状況が結合したものである。物質的な空間状況と時間状況は、その存立において冷厳な秩序の規則性、すなわち物質的形態における空間と時間の変転、粗大質料物質の発生と消滅を表している。
地球人に関して過去に経過したすべての事実を認識すると、次の事実を学ぶことができる。すなわち、地球人がまだ創造の法則と掟を遵守し、それらと調和して生きていた最も古い過去において、地球人の霊的局面と思考形態は完全に所与の自然法則と一致しており、それにより冷厳な秩序には幸福、知識、英知、平和、自由および愛、そして平穏と満足が属していた。
しかし、宗教に変節する邪説を通じて創造の真理から、そしてまた創造の法則と掟から自己疎外することにより、悪質な事柄、たとえば憎悪、不和、奴隷、流血、嫉妬、欲望、エゴイズム、争い、その他霊にふさわしくない多くの現象が培われ育まれた。これに関連して人間に定着している陰性的に変節した、根本となる破壊的な力を分析して明るみに出し、人間を意識の荒廃から連れ出してくれる真理と自由と英知の道を開示することが重要である。
しかしこの道が示され得るのは、同時に人生の根源的な意味、およそ人間はなぜ現にある形態で生きているのか、ということの本来の意味が解き明かされる場合に限られる。過去数万年もの間、非常に多くの偉大な霊的人間が地球上に生き、この大きな問いに対し、どのように、どこで、そしてなぜという答を見出そうと努めた。しかし彼らの努力は無駄に終わり、現代まで伝えられているその思想は、これまでとまったく同じように踏み付けにされて不毛のままである。
これらの教説や教示の多くは、知ってか知らずか改竄され、非現実的な宗教的ドグマに流用されて見分けがつかぬまでに変えられた。不滅の真理がこのように無視されたり、改竄されたりしたのは、それらを遵守することが人間にとって決して楽ではなかったからだが、そのために人間は現代に至るまで悪い結果を甘受せねばならなかった。
しかし、真理を告げ、真理のために闘う者、すなわち真の 言者は踏み付けられ、追放され、命を奪われ、辱められた。そうしたことが起きる時代は、君たちの地球ではいまだに過ぎ去っていない。多くの新時代の賢者や真理の告知者も、同様に類似の迫害を受け、耐えねばなるまい。なぜなら宗教に惑わされた多くの地球人は、彼らに悪意を込めて自分たちの狂信の報復をするだろうから。
しかし、時代の変転とあらゆる真理が出現する新しい宇宙時代は、彼らの戦いを助け、彼らに勝利をもたらすだろう。
現代の地球人は、甚だしい物質的な快楽と享楽の内に生きている。彼らが言う心配のない生活とは、ひとえに物質的世界に依拠したものである。そこでは上等な衣服、瀟洒な住宅、贅沢な食事と飲み物、金銭的な成功と利益、そして快楽や悪習を満たすことが最も決定的な役割を果たす。人間は、これをその誤った非霊的な思考形態において満足した現世の生活と呼んでいるが、そこに真理に対する知識が欠如していることは言うまでもない。
大多数の人類の現世における人間の努力は例外なく、できるだけ早く労せずに、多くの場合計り知れないほどの物質的な富を手に入れ、他人に対する権力を獲得することである。物質的な富のレベルと、この世界における社会的地位や職位が人間の価値を決定する。だが本当は、唯一の価値である霊的価値は完全に無視、嘲笑され、踏みにじられて愚にもつかないものと呼ばれる。
現代では人間の名望は、金銭的な資産や地位と肩書きによってしか評価されない。これらの人間にとって、平穏で心配のない晩年を送ることが、最後の望みを果たすことであり、彼らはなおも自分たちが到達した文化の高さを誇りに思っている。到達した文化の高さに対する地球人の誇りは、物質的な成果という最小の価値に立脚しているが、霊的発達が考慮されていなければ、どんな文化的価値も認められない。高貴な人間性を削ぎ落とされた生活も、何らかの意味で文化と呼ぶ権利はまったくない。
極めてあからさまなエゴイズムこそ、人間の思考と行為と作用の最も強い原動力であるが、人間はあまりに臆病なのでこの事実を意識もしなければ、自分自身に対して密かに認めることさえしない。
地球人には真理に対する勇気が欠けており、また腐敗した偽善において無思慮にのうのうと生きているので、君たちのもとには理解というものが存在しない。各々の人間は一人ひとり外界から隔離して生活し、自分自身を欺き、呪い、隣人が呼吸をするのを許しながら生きている。
地球人がどれほど偉大な発明や発見をしようとも、それによって人生の真の意味がますます破壊され、根絶され、またかろうじて残っている最小限の霊的価値が最終的に失われるならば、何の役に立つだろうか。学界でどれほど探索や発見が行われようとも、意識が恐ろしく奴隷化され、また人間が物質的な発見や成果のために誇大妄想を抱いて、自分は創造自体であると思い込んで生き始めるならば、何の役に立つだろうか。
しかし太古において、地球人の先祖がそうであったように、大昔から地球では金持ちと学者は指導的な立場の人々であった。彼らの知識は膨大なものとなり、特殊な専門分野に分けなければならなくなった。だが、彼らの知識や探索、発明や発見は、どれも純然と世俗的かつ物質的な事柄に変節し、それによってすべての意識の発達が妨げられ、抑圧され、奴隷状態に追いやられた。
霊的な真理が忘れられて、文字どおり意識の呪いが育まれた。君たち地球の人類は現代に至るまで、さらに現代を超えてなおその影響を耐え忍ばなければならない。この底無しの奈落への落下はまだ停止に至っていない。というのも、落下のものすごい速度にブレーキを掛けるための決定的な措置は、ようやく今講じられようとしているからである。しかしこれらの試みは、いや応なく付きまとう新しい時代の過渡期の作用や影響によって繰り返し損なわれ、挫折を余儀なくされるでしょう。
途方に暮れるほど多くの新しい宗教的カルトは、新しい時代に真理が続々と出現するのを損なう。なぜなら昔から人間は、新しい時代や変転が始まる時には迷妄に影響されるから。宗教的な邪説によって生まれるこのような迷妄は、特にそのような時代に激しさを増す。宗教の邪説や、科学およびその他の世界の学者による知識は、それ自体の内に言い知れぬ因子の形で、致命的で壊滅的な破壊の芽を宿している。そのことは学界にも、普通の地球人にも認識されなかった。
人間の生命における一切のものは、完全に非物質的な水準を持っていることを誰もが故意に、あるいは無意識に見逃した。その水準は物質的・科学的事実とも、宗教的ドグマとも相いれず、倫理的境域にその反響を見出すのみである。
悟性的科学も、宗教的ドグマや空想的解釈もその行為と行動によって、霊と意識の進化を保証する霊的・倫理的、意識的・倫理的な力を解き放つことはできない。まったく逆にそれらはこの憶測を受け入れる人間を、この質量に対する間違った信仰へと誘惑してこれに従属させる。
これら惑わされた人間が、物質的に思考する者となるのは避けがたい。彼らはもはや、どんなことがあっても迷妄から離れようとはせず、そのためにしばしば真理の告知者の命を奪う。しかしこれは、現代と未来の非常に悪い特徴であるのみならず、過去においてもそうであった。
地球人は数千年来、自分勝手に作り上げたドグマに従って生きており、まさに彼らの中でも常に最も悪質で権力欲の強い者が、民衆の指導者や宗教の指導者の地位、さらには秩序と道徳の番人の地位を手に入れたのも偶然ではない。
こうした連中のおかげで、昔も今も深い霊的認識、それと同時に倫理的道徳、そして意識的な認識と教示の獲得を目指す人々が、異端者として世離れした夢想家、革命家気取り、反逆者として片付けられて迫害され、無残に殺されたり殺戮されたりしている。
かつて人間が見つめ、そして現在見つめているところに見出すのは、ただ流血、憎悪、錯誤、隷従、欺瞞、不信と惑乱、非論理、虚偽、そして邪説のみである。開かれた目と開かれた意識・感性をもって物事をその真理において見、認識できる人々の前にも、至るところで同じ悪質な像が現れる。
不信と憎悪、エゴイズムと宗教的邪説が、数千年にわたって地球の民族を惑わし盲目にしてきた結果、全人類は自分の内で混乱して不和になり、今日ものすごい速さで自分自身の滅亡の淵に向かっている。現代、悪と堕落は限度に達し、見境のない破壊の暴威が人類をつかみ、地上の世界に死と滅亡と壊滅をもたらす。このための礎石は、すでに数百年も前に置かれたが、その発生の起源は数千年も前に遡る。
当時と変わらず今日も最大の破壊者や独裁者は、自分を英雄か空想上の神の右腕と思い込んでいる。神は彼らを復讐と規律を旨とする監督として、民族の上に据えたことになっている。そして彼らに従属する民族は、自分自身の意志からにせよ、あるいは自らの意志に反してであるにせよ、彼らを英雄として敬い、讃える。

統一が統一を保つことができるのは、分裂したり、分離が引き起こされたりしない間だけである。統一が分割されたら、それはもはや全体ではなくなり、相対的完全性の価値は失われる。これはあらゆる存立の法則であり、生命の法則である。この法則により、創造の冷厳な秩序から生まれるすべての発展と安全が保証される。
この法則は地球人にも妥当する。地球人の統一は、人類全体の共生においても、個々人の内部にも融和を形成する。
しかし人間が、この融和を失った結果、分裂が生命を貫いている。自分自身における分裂、思考形態における分裂、行動における分裂、隣人との分裂、そして周囲のすべての世界との分裂が。それだけではない。この人間の分裂は、自然と創造の法則を具現しているあらゆる事物に対して、つまり創造自体に対しても見られるようになった。実に、創造の輝く全能の前でさえ、地球人は分裂を止めようとはしない。分裂は不完全さの中でも、最悪のものの一つである。
不完全はあらゆる壊滅的なもの、致命的なものをもたらす。それゆえ人間は、不完全の呪縛に支配されている限り、不正、困苦と悲惨、病、喧嘩、争い、そして曽悪、死、腐敗という結果も全部引き受け耐えなければならない。というのはそれらは、一切を包含する分裂と統一との分離から生まれ、自ら作り出した必然的な結果として人間の生命に脈打ちながら流れているから。地球人の多くはこのことを知っているに違いない。なぜなら彼らは、すべてのことを自分自身の体で耐え忍ばねばならないからである。
だが彼らは、良い方向に転換する道を知らない。彼らは確かに、この破壊的な状態から抜け出ようとひたすら努力しているが、抜け出す方法は彼らには秘められたままである。彼らのより良い人生や、精神的な充足への願望と押さえがたい衝動は理解できる。しかし同時に、ここで不可解なことが始まる。
多くの真理の告知者が地球上に生き、創造の秩序の真理と英知を告げた。彼らは愛情を込めて語り、厳しい言葉で叱り、多くの言語を操り、地球のあらゆる民族に真理と知識と英知を告げた。しかし人間は彼らを無視し、迫害し、殺すことによって、創造の正義を嘲笑した。 言者は創造の真理と英知、その法則と掟、そしてすべてを包み込む創造の愛をもたらした。だが彼らは、人間に踏み付けられ、呪われた。
地球人は、すでに昔から囚われている宗教の非現実的教えから敢えて離れることなく、霊の教えの真理と英知を冒涜した。地球人にとっては、宗教の空疎な偽りの約束の方が、創造の真理よりも重要になってきた。それゆえ地球人は、創造の法則と掟、そして 言者を冒涜し、踏み付け、殺し、壊滅させ、いよいよもって、自分たちをすでに支配している宗教の邪説によって、欲しいままに意識を完全に奴隷化できるようにした。
地球人に真理と英知をもたらし、それによって創造に関する知識に根差した生活を示して、創造およびその法則と掟に至る道を示すべく、多くの試みが成されてきた。だが、いかなる試みも成果がないまま、真理の船は例外なく座礁して、地球人の無理解という底無しの深みへと沈んだ。
真理を探し求める人間は、悪の根元をつかんだことは一度もなく、したがって認識を見出すことは決してできなかった。悪の根元をつかめなかったのは、彼らの人生に対する解釈が表面的で誤っており、本来の使命を失ったためであった。それというのも彼らが、無限の実存在の渦巻く源泉を、非現実的な宗教的ドグマに置き換えて、狂気に終わらせてしまったからである。

時間を超えたものは永遠であり、この時間を超えた永遠の内に創造の力および全能の真理と英知が安らいでいる。人間がこの真理に近づき、それを目指して努力すればするほど、創造の秩序を生み出す法則と掟に従うことが容易になる。人間が、創造の真理およびその法則と掟を承認して遵守するならば、その人生において無限に持続する秩序が光り輝く。平穏、平和、そして愛が空間と時間を貫いて人生に伴い、創造の調和が完全であることを物語る。
地球上のあらゆる出来事の中心には、地球全体で最も発達した霊形態を持った人間がいる。彼は、地球のあらゆる自然法則の中に認めることのできる創造の秩序の唯一無二の法則に従って、世界のすべての事柄を秩序づけ、評価しなければならない。
個体として人間は、自分に課せられた様々な使命を持っている。第1に人間が義務づけられている使命は、発達の段階に応じて与えられた時間にわたって、自分の生命を維持すること。第2に義務を果たすように心がけ、霊的、意識的に可能な限り発達して、霊の進化を重要な真理として承認しなければならない。共同存在としては種を保存して、霊の教えに従って子孫を教化し、育てる使命がある。
さらに人間は、自然の共同秩序に順応し、適合する義務を負わされている。この共同秩序は自然が、生き方の模範を示しているように、あらゆる点で自然の進化を保証する。人間の種の保存は、地球の宗教の邪説が明言するように、単なる繁殖の公式で表されるものではない。種の保存とは、自然法則を遵守すること。それは神聖で、見通しが利き、統制的な遵守である。
しかし、単なる繁殖の公式は神聖ではなく、見通しも利かなければ統制的でもない。なぜなら繁殖は、あらゆる自然法則に反して意味なく大量に増やすからである。地球人が単なる繁殖の公式に従い、創造と自然のすべての法則をないがしろにしているということは、多少なりとも意識の発達の軌道を歩んでいる人間には明白である。
人類は節度も節制もなく増え続け、統制のない低俗な形で子孫を生み出している。君たちの地球は、5億の人間の生命形態を支え養うことができるが、地球人は35億(1975年現在)もの人間を生み、わずか数百年の間に、何百万という人間が正常でない死に方をしなければならないほど、ひどい人口過剰を招いた。
地球人の無思慮と宗教の邪説のために、人類は際限なく増え続け、それまでは少数の人間に限られていたので食い止めることができた諸々の問題が、言語に絶する規模に広がり統制不能となった。種の保存の法則を破りないがしろにしたため人類は、わずか数百年の間に大規模な人口過剰に陥り、それとともにありとあらゆる問題や困苦、そして退廃が増大するのは避けられなかった。
地球人が、その使命を正しい意味で果たしつつ生きるならば、彼は創造によって与えられた冷厳な秩序の内に生きることになる。しかし地球人が、秩序をないがしろにして逸脱するならば、その代償を払い、結末を引き受けることになる。
だが地球人は、この秩序を踏みにじり甚だしくないがしろにした。そして今地球人は、その結末を引き受けなければならない。地球人の物質的な生活領域の最も重要な使命の一つとして、人口過剰を極めて強硬な措置で食い止め、人間の数が正常な5億人基準の水準になるよう努めなければならない。現実は、地球人の生命形態をこの数しか許さないのであるから、再びこの数値を達成しなければならない。この道を進むことは単純でも簡単でもない。というのは、達成すべき目標を認識するには、最初に悟性と理性が勝利を得なければならないから。
この目標に至る道とは、次のようなものである。
地球の運命を司るすべての者、すなわち責任者たちは規則を公布し、いかなる家族も10年の間に配分して子供を3人以上生まないという成果を達成するよう心がけなければならない。男性の人間的生命形態は、30歳以下および40歳以上で子孫を作るべきではない。しかし何よりも緊要なのは、節度なく人口過剰になった国は、7年間にわたって出産停止のための絶対的な規則を公布して、自然に従って人口を減らすこと。
地球が支えきれる人口は、肥沃な土地の平方キロメートル数によって計算してよい。これは個々の国、個々の国家についても算出できる。生命を養い維持するための自然法則の真理によれば、肥沃な土地1平方キロメートル当たり12人の人間的生命形態を見積もることを許している。
1平方キロメートルの肥沃な土地は、12人の人間的生命形態以外に、野生の自然に生息しているすべての動物と、人間の必要を満たす動物を心配なく養うことができる。この場合整理するという無秩序感覚を持った人間が、秩序なるものを自然の野生動物や、本来の自然秩序に持ち込むには及ばない。
この法則を守り注意を払うならば、飢餓は完全に無くなり、多くの病気は芽のうちに摘み取られる。それによって、環境汚染や大気汚染の問題、そしてまたこれと関連する他の多くの問題も解決される。
戦争や、その他類似の逸脱行為も大幅に減少し、地球人は自分の隣の人間がまことに隣人であり、人間はお互いの間で相互に必要とし合っていることを再び学ぶ。再び愛と調和がその妥当性を獲得し、地球に平和が戻るでしょう。
それゆえ目下の急務は、人口を基準値に保ち、または基準値まで減らすこと。なぜなら最も解決が困難な問題は、地球における人間の生命形態の人口過剰に起因しているからである。目標に至る道は遠く険しい。そしてまず地球人の中で、理性が勝利を収めなければならない。
その道は実は、目標に続く唯一の道である。それというのも、第2の道や妥協の道は存在しないからである。それゆえ地球人は、上に述べた道を歩み、地球と同様、自分自身も自然の正常性に戻るよう努めなくてはならない。

地球人は、物質的であると霊的であるとを問わず、あらゆる生命領域で対立する力の作用と反作用に遭遇する。生命の働きはすべて、この陽と陰、善と悪、内面的なものと外面的なものの対立の法則において振動している。
君たち地球人は生活のあらゆる分野で、この巨大な相互作用に絶え間なく遭遇する。
君たちはそれを善と悪、陽と陰、内面的なものと外面的なものからだけでなく、喜びと苦しみ、死と生、昼と夜、夏と冬、熱さと冷たさ、愛と憎しみなどからも知っている。
君たちはまた、男性的なものと女性的なものにおいても知っている。それらはそれ自体では二つの対立する力であるが、合体することにより全体として統一されて超統一体として現れ、あらゆる生殖の行為、すなわちあらゆる生命の原理・原則を具現している。およそ2000年来、この知識は君たち地球人に忘れ去られていた。なぜならそれは、宗教と科学の邪説によって排除されたから。
この2000年間に、君たち人類の間で無知がまるで疫病のように蔓延し、真理を埋めてしまった。しかしすべては、時代の流れに従わなければならず、地球人もその例外ではない。
それゆえ現代において、新しく賢い 言者が生まれないわけにはいかなかった。彼は、真理の基礎壁を新たに築くのに十分偉大でしょう。彼は2000年来、初めて再び真理をその根本要素において認識した唯一の地球人であり、数十年にわたり非常な労力を払い真理を探究、探索し、そして見出した。
その際に、高次の霊形態によって導かれ、教示され、育成されたということはほとんどなかった。なぜなら彼自身すでに霊的、意識的に高い価値と、人生を真理に捧げるという善き意図を持って生まれついたから。彼のまことの知識は、君たちの時代と未来において最も膨大なものとなり、宇宙の多くの世界はいつか彼の教えに従って生きるでしょう。
彼は我々のこのメッセージの受信者であり、君たちの時代の偉大な 言者であり、自分自身の意識と霊の活動によって真理を見出した。彼はすでに、たびたびその巨大な知識の一部を書き留め、記録した。その知識は非常に偉大であり、本当の真理の枠内にあるが、それは我々の賞賛に値する。
彼のことを多く知っているので我々は、地球人の思考形態や人間の感情世界を解明するために、彼の言葉の正確な再現を使用するつもりである。したがって以下に掲げるものは、君たちの新しい 言者の思考形態に対応しているが、それは我々の知見とも非常に正確に一致している。
以下の文書は、彼の言葉を君たちに確実に理解できる形で、すなわち深遠な真理の形で忠実に再現したものである。君たち地球人は、その真理を認識し、遵守しなければならない。なぜならそれは自らを調和に導き、霊的思考形態に至る道をならす方法を示しているからである。
多くの地球人は奇跡を信じているが、それとともに自分自身が進化の歯車装置の中に巻き込まれる努力をすることなく、自動的に巻き込まれていると信じている。彼らは宗教的形態の迷信に囚われて、神は自分たちの全運命と、したがってまた進化を操ると思い込んでいる。そのため彼らは、謙虚にすべての運命を神の手に委ねさえすれば、霊と意識の進化は必ず起こるだろうという観念を抱いて生きている。
ここに至って、地球人はなんと馬鹿げた迷信に陥っていることだろうか。というのは、地球人の運命を自己の力で導いたり、操ったりできるような神はどこにも存在しないから。すべての努力、したがってまたあらゆる観点で進化を追求する努力も、地球人自身にかかっている。このことを地球人は、皆明確に知らなければならない。そして決していかなる奇跡にも頼ってはならない。それらは非現実的だからである。
しかし無限に続く時間の懐で、かつて奇跡が起きたためしはなく、これらかも絶対に起こるまい。奇跡とは何か説明できないものを意味するが、説明できないものは何も存在しない。なぜならそのような奇跡は、創造のすべての法則と掟に反することになり、それによって創造自体は、自らの実在を放棄することになるからである。創造の上、下あるいは中に説明できないような出来事が出現し得るとしたなら、どうして奇跡は、創造として実在することができようか。
だが、君たち地球人の目から見ても、奇跡は一度も起きたことはない。なぜなら君たちにあっても奇跡は、非現実的で創造の法則に反すると思われるから。地球人は、自分に説明できないものは何でも奇跡という名称で呼ぶ傾向がある。地球人は、宗教的な邪説に依存しているので、この名称に関する傾向はさらに神的なものに向かう。
まことの知識と英知が欠けているところでは、自然の説明が完全に欠如し、地球人は解決を仮想のもの、宗教、神、そして何らかの聖人や聖物に求める。だから地球人は、自分に説明できないものはなんでも奇跡という名称で呼ぶ。
しかし新時代の幕開けとともに、これらの奇跡に関する邪説はいよいよ過去のものとなる。なぜなら新時代は、真理と霊の本当の教えを求めるからである。非現実的なものはことごとく忘れ去られ、過去に押しやられる。それは、新時代における意識のまことの進化において、実在する権利を持たないから。
地球人にとって存在するのは、創造の法則と掟の永遠の支配のみである。これが霊の法則と掟である限り、地球人は自分の中に住まう霊の力によって、極めて意識的にこれらの法則と掟に従って生き、それによって自分を完成させることができる。それゆえ地球人が、この霊の法則と掟の冷厳な秩序に組み込まれ適合すればするほど、彼の中で意識的に知識、真理および英知が増え、彼の内で巨大な意識の力が成長して身につけた知識と能力により、その力を技能として応用できるようになる。
こうして地球人は、創造のすべての力に対して文字どおり心を開く。これらの力は無限に広がる宇宙から愛の生き生きとした流れとして彼の内に流入する。この道を進むとき、地球人は創造の秩序およびその法則と掟に適った生活を送るだけでなく、霊と意識の進化のまことの道、したがって完成の道を歩む。

愛の法則は、創造のあらゆる法則の原則である。そしてこの法則は、君たち地球人の原則も具現している。したがって、すべてに対して普遍的な愛から振る舞わない者は、秩序の掟と定めの法則に反する。
それゆえすべてに対して、あらゆる生命形態に対して、したがってまたすべての同胞に対して、無私の普遍的な愛から振る舞う者だけが、自分の内に真理と認識につながる決定的な力を呼び覚すことができる。この愛の法則に従うことによってのみ、認識、真理、知識および英知を集め、それによって新時代との結び付きを見出す可能性が保証される。
新時代、すなわち水瓶座の時代は、平和と愛、知識、真理と英知、そして進歩の時代である。それは最高度の霊と意識の進化の時代、久しく求められたすべての目標を達成する時代である。これは法則に適った発展であり、法則に適った真理の認識である。
それゆえ新時代に向かって心を開き、新時代の 言者の英知に耳を傾け、自分の内に受け入れる者は、創造の法則と掟の実在と作用を意識するようになった。
今や、真の愛を無私に実践することが、かつてないほど緊急に求められている。すべての思考と行為と行動は、真の愛によって高められなければならない。普遍的な意味における愛だけが、知識、英知および真理を獲得するのに必要な力を奮い起こすことを可能にする。それによって、陰性的に変節した世俗的な事柄や欲求を、すべて放棄することができる。
特に君たちの世界では、白色人種がこのような教示を必要とする。なぜなら彼らは大方が生半可な知識しか持っておらず、愚かな邪説にたきつけられた妄想によって、地球の全人類を劫罰の奈落に追いやるから。
温和な有色人種は数百年来、そして現代に至っても、白色人種に宣教され、キリスト教に隷従させられている。それはかつても今も、専制、野蛮、奴隷状態と結び付いており、その信仰は罪のない人々が流した血でしたためられている。
愛の隠れ蓑の下で殺人や殺害、奴隷化や搾取が行われ、人間は意識の発展を奪われている。
君たちの世界の有色人種が、今ほどひどく節度を失ったことはかつてない。自分たちを地球の支配人種と見なしている白色人種は昔から変節していたが、それはこれからも長く続くでしょう。
君たちは、自分たちの時代を啓蒙と人道主義、人間性の時代と呼んでいるが、それは嘘とペテンの空疎な言葉にすぎない。なぜなら実際は、現代こそ非人間性、非人道主義、幻惑が、かつてないほど甚だしい段階に入っているから。
真理は、殺人と殺戮によって押しのけられて、奴隷化する狂った宗教と政治支配が再び強化され、それらに新たに悪質な権力を保証する。それが今日、君たちの世界の状況である。昔もそうであったが、かつては今日ほど甚だしく邪悪ではなかった。
今日も昔と同様、真理の告知者が現れ、無知と搾取と奴隷状態の無気力から引きずり出そうとしたとき、宗教と政治に権力を維持させるために、最も恐るべき、最も非人間的な手段さえ用いられた。あらゆる手段を用いて権力の維持を図ろうとするのは、たとえその方法は変ったとしても、数千年来同じであった。
地球人はここで過去に起き、今も行われている拷問を思い出すがよい。そうした拷問は、節度を失った権力亡者とその手先が、過去も現在も、そしてこれからも使い続けるだろう。そしてこれらすべてのことが、過去も現在も政治家や宗教の代表者とそれらの追随者が説く、自由と愛の隠れ蓑の下で行われている。
こうしたぞっとするような全状況において、いったいどこに自由と愛があるのか、どこに理性と悟性があるのか、どこに知識と英知と真理があるのか。実際、どこにもない。
なぜなら無知、権力欲、幻惑、その他多くの陰性的に変節した力が幅を利かすところでは、愛や知識、真理や英知は存在せず、創造の法則と掟は決して承認されず、創造自体も承認されないからである。こうした状況が空想に満ち、現実離れした仮想の力に道を開ける。それは神々、天使、聖像などで幻惑する宗教の道であるが、決して真理の道ではない。
欺瞞的で、意識を奴隷化する宗教に従って生きる人間は、創造の凄まじい力とその無限の愛を理解したり、把握したりできない。いわんや、彼らはこの愛を使うことを理解したり、把握したりすることはできまい。彼らは創造の実在について何も知らない。なぜなら彼らの感性は、宗教の邪説によって、神々とそれらに帰せられた事柄に囚われているからである。
彼らは、非現実的な信仰の臆見の内に生き、まことの知識と英知を蔑んで退ける。まことの知識と英知は、山をも動かすことができる。これは言葉の最も真なる意味において、その過程を通して物質が変換され、移動され、そして再び変容されるということ。地球人の知識から、真理の理解と創造の実在が失われているので、地球人は物質変換の過程も理解できない。
君たち人類の大部分にとって、霊と意識の世界への眼差しはまだ暗く、それどころか多くは盲目である。なぜなら良心よりも、頭脳が強いから。そのため35億人の地球人(1975年現在)は、意識・霊生命および水瓶座時代の新しく始まる時代に続く道を見出せない。現代地球では、大方はまだ密かにではあるが、霊的態度の相違が見られる。
個々の小さい集団は真理のかけらを認識しているか、あるいは真理について何らかの示唆を受けている。いずれもまだ、信仰や宗教の非現実的な事柄に囚われているとしても、それらの極めてわずかな断片的知識を働かせることにより、真理は徐々に広がることができる。

境界科学者や精神科学者は、残念ながらまだあまりに非現実的な物事や信仰に囚われているが、今後数百年の間に、真理が地球人に到達する道を、見出すのに重要な役割を果たすでしょう。彼らは新時代の 言者と、それに続く真理の告知者によって教示され、その真理をさらに広めるでしょう。
今日なお数十億の地球人が、富とあらゆる物質的なものの側に立っているが、他方では次第に霊的なものの力、したがってまた真理の力が発展している。知識ある者の数は徐々に増え、それによって邪説が排除されるでしょう。
今日まだ宗教信者の数は、その頂点に向かってとどまることなく増えているが、それは短期間のうちに非常に急速に変わるでしょう。
幻惑する宗教も、権力欲に憑かれた政治家の統治と同様、衰退が避けられないでしょう。なぜなら、自然のすべての法則と掟の真価を再び発揮させる、霊的な指導者が登場するから。
したがって現代、本当に知識ある者の数はまだ極めて少ないが、それは見渡しきれないほど多数の集団に成長するでしょう。
時間の経過とともに、彼らは創造的な意味で発展し、彼らの子孫もその指針に従って教育するようになるでしょう。これらの子孫は、未来の人間すなわち愛と真理を求める水瓶座時代における地球の未来の担い手であり、形成者となるでしょう。
これら地球の未来を担う者たちは、彼らの先祖が真理を求めて数千年間にわたって戦った後に、再び目を輝かせ、喜ばしく屈託のない感性で人生を生きることのできる者たちである。

※水瓶座時代(Wassermannzeit):新しい時代。黄金時代。
 地球つまりゾル太陽系(我々の太陽系)が、銀河系中心太陽を公転する銀河系星座から直接影響を受ける領域内に位置している。水瓶座時代とは、霊的な時代、真の真理の時代、寛容と啓蒙と愛の時代、知識の時代、自由の時代、英知と調和の時代である。しかしこれらはすべて、苦しい闘いを通じて勝ち取らなければならない。水瓶座時代は、他の星座の時代と同じく、地球時間で2,155年間続く。したがって、次の水瓶座時代は、黄道十二宮をすべて通過した後、すなわち地球時間で25,860年後に再び訪れる。
 現在の水瓶座時代は、中部ヨーロッパ標準時の1844年2月3日11時20分に始まった。それ以前の地球は魚座時代にあったが、その時点を境に魚座時代から水瓶座時代への過渡期に入った。この過渡期は総じて185年間に及ぶ。そして1937年の初め、つまり中部ヨ一口ツパ標準時の1937年2月3日11時20分に魚座の最後の影響から解放されて過渡期後半に入り、急激な発展を始めた。2029年に過渡期が終わり、太陽系はその後の1970年間、水瓶座時代の金色に輝く宇宙光の中にいる(これが黄金時代と呼ばれるゆえんである)。したがって、次の時代へ移るのは、41世紀への変わり目である。すなわち、中部ヨーロッパ標準時の3999年2月3日水曜日、11時20分に、ゾル太陽系は山羊座時代に移行する。





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最終更新日  2023.04.11 15:34:46


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