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世界人口過剰解消会議と新しいウイルスの生体への影響地球人類の運命回避のためになずべきこと無限であり、不変なものだけが、真理と知恵である毒素の存在しない未来に トランス脂肪酸は健康に有害な脂肪の形熱発電所で惑星の全エネルギー需要を賄えた倫理という「心理的な」発明公式だけの秩序 人類はチンパンジー起源ではない(さまざまな大陸でほぼ同時に進化)インナーバランス多くの樹木を植えることが急務気候変動と生息地の喪失が組み合わさった場合、昆虫類の減少がより深刻化している 人口過剰に関する驚くべき先見性と歴史的名言長所と短所を議論する必要がある 伐採はすでに犯罪行為水こそが、最も重要な基盤海底のメタンガスは気象に悪影響 直接民主主義1947年7月12日土曜日にヨーロッパの政府および公共メディアに宛てた公開書簡第2部 1947年7月12日 / Edi Meier10才の少年の広範囲な予言(未来を決定づけるもの) その3また、恐ろしいほどの過剰な人口を抱える人類は、気候変動によって増大する多くの自然災害に直面することになるが、これは人口過剰の策動の結果としてもたらされ、これらを実践する企業、法人、個人などが過剰な人口が要求する策略を実践し、実行しているため止めることができないでしょう。同様に、暴風雨や自然災害、森林火災の増加、火山の噴火、氷河と北極や南極の融解によって、海面の水位が上昇し、海に接する海岸や陸地の生活領域が飲み込まれてしまうことに対して、人類は何もできないでしょう。大惨事とは、北極・南極・氷河の融解である。このプロセス全体が気象現象の変化に多大な悪影響を及ぼし、地球が太陽の光をますます弱く反射するようになると、ある地域では雲の形成が損なわれ、他の地域では太陽が大地を乾燥させ不毛にする結果をもたらすでしょう。自然が引き起こす問題は、地球の人口過剰に悩まされるすべての人々にとって避けられないものとなり、狂気の必要性、欲求、欲望、贅沢な物欲よって、さらに拡大することになるでしょう。企業や法人そして個人は、自然や動植物、地球資源を枯渇させて破壊し、あらゆる属や種の生物を絶滅させ、有毒物質やガスで大気を汚染し気候を変化させていくことに対し、確かにその能力や効率の範囲ですべてを果たそうとするが、破壊し消滅したものを再生することや絶滅したものを生き返らせることは何も出来なくなってしまうでしょう。そして、自然の食物を育てるための土地が不足する。増え続ける過剰な人口の不合理によって、肥沃な土地をコンクリートで覆って、住宅、高層ビル、工場、道路、競技場などが建設され、必要な食糧を育てるための土壌がなくなってしまうからである。人類は、無責任で大気を汚染する森林の焼き払いや伐採から得られる土壌が急速に痩せた土地になってしまうため、最終的には、別の植物を植えるために土地の隅々まで奪い合うことになるでしょう。地球は内側と外側の奥深くまで、使えるものは最後の一粒まで略奪されるだけでなく、山でさえも、ついには海さえも、もはや免れることはないでしょう。これは何も魚介類が枯渇するだけでなく、あらゆる形態の生命が犠牲となる。それは、海底やその深層に何千もの異なる生物が存在し、人類が今日さえもまだ知られていない、有史以前から人間に発見されずに生き延びたものだけでなく、幸いにもまだ生存し実際にいまだに存在しているものでさえも。企業や法人、個人を満足させる過剰な人口とその策謀を通じて(ニーズや欲望、贅沢)、海は地表や地中、山々と同じように略奪され、破壊されて、残らず消滅しようとしている。そして、天然資源の不足は鉄や銅、レアアース、石油など様々な種類の採掘される残りの資源だけでなく、ハーブ類、その他の植物、動物、生物など、もはやその場に無くなるほど根絶されるまで、良心なしに搾取されている。こうして、海は最後の手段として、資源を奪われることになる(石油、ガス、レアアース、すべての鉱石)。何百万年も前から海底に分布し、海の重要な機能を果たしてきた生物と鉱物、化学元素が奪われてしまうでしょう。というのも、2030年には約100億人規模になる過剰な人口が恐ろしいほど増え続け、彼らの欲求や欲望、贅沢への衝動によって、他人を満足させるような仕組みを作り、それによって膨大なお金を手に入れ、地球を破滅させるような策略を生み出し、企業や法人、個人の強欲によって、すべての人が将来的に搾取されることになるだろうから。こうして、これらが実現し、地球の資源がすべて枯渇したとき、今度は月がさらなる搾取の舞台として使われ、すぐに次の犠牲地として指定されることになるでしょう。なぜなら、あと数十年で地球の資源が枯渇し始めるから。少し先のことを考える人は、すでに、その先の搾取を心配し、わずか20年後に本格的に問題が発生すると考えている。これは、1969年の11月末に最初の月面着陸が行われるときに起こるでしょう。これが、月から化学元素を抽出し、少なくとも一度は月の裏側で取り出そうとする執着の、本当の起源として明らかになるでしょう。しかしこれは、始まりに過ぎない。この点ではさらにアイデアを発展させ、小惑星や他の衛星、他の惑星の開発にまで踏み込んで行くことでしょう。人類は人口過密という状態で容赦なく増加し続け、時間の経過とともにすべての生命を成り立たせないために他に何ができるかというと、地球を終わらせることを同時に行うことである。これは、動物や野生動物、その他の生命など、大自然に生きるすべての生命がゆっくりと、しかし確実に根絶されることが生じる。やがて、昔の祖先の地域に戻ろうとするオオヤマネコ、オオカミ、熊、ノロ鹿、牡鹿など、また他の動物、生き物などの生命が、ハンターや密猟者、個人によって撃ち殺されたり駆除されたりすることが間もなく起こるからである。それは主に動物の所有者や、牛や羊、家禽、小動物、魚などの生き物を飼育している人たちが(大量に、状況によっては残酷な形で飼育されていることも少なくない)、再び元の場所に戻ろうとする野生動物たちを罵倒するような内容となるでしょう。野生の生き物はすべて駆除されるか、追い出される。植物に関しても、国外の植物はそこに成長する権利がないという妄想的な信念の下で生きるフリークの場合のように、外国産のものは許されない。もともと自生していない場所でも、新しい気候条件にもかかわらず順応して生育できる。自然に決められたプロセスであり、人間はそれに干渉すべきではなく、自然の働きに任せるべきもの。それは、自然だけがすべてを正しく行えるのに対し、人間はその干渉によって、すべてを台無しにしてしまうから。このようにして(植物、動物、生物など、どんな生き物であっても)、自然の過程の中のあらゆるものは、人間の非論理的な感覚によって乱され、変化し、生命を維持できなくなり、ゆっくりと、しかし確実に、すべての生命が消滅していくようになる。したがって、将来的には、固有動物、野生動物、その他の生物、あらゆる属・種の植物の保護者を装うフリークたちは、自然に対して良いことをするのではなく、馬鹿げた考えや行動様式などで自然を害することになる。そしてそれは、私が予言するすべてのこと、すなわち、人口過剰とその策略によって、現在すでに始まっており、将来的に人類の成果に多くの破壊をもたらすだろう気候変動を、時間の経過とともに必然的に引き起こすことになるでしょう。しかし、地球の死が本当に訪れる前に、まず気候変動による原始的な大変動を伴うその性質で示し、苦しめられていること、それゆえに自分自身を守り、いわば抵抗することになる。その一方で、それは起こり、地質学者があらゆる点で否定することになるでしょう。すなわち将来、そして第3千年紀になっても、ビルや道路、その他すべての建設的巨大物の画策による地殻への圧力に、もはや地球は耐えられなくなってしまう。次の千年紀の間に地球を破壊することになるでしょう。その結果、長期的には、地球はもはやすべてのものに耐えられなくなってしまうでしょう。 これはまさに、地球の表層にあるすべての鉱物が枯渇することで、地球が空洞化した結果、地球の内部とその外部の均衡が崩れてしまったためで、これらの鉱物は何十億年もの間にわたってバランスを保ってきたし、これからも保たれるべきものである。つまり一方では、あらゆる種類の鉱物の乱獲は、人類がますます多くの欲求を持ち、地球から奪い取らなければならないものを要求するため、すべてが手に負えなくなる要因となるでしょう。このように、今後も、企業、法人、個人のこれまで以上に露骨に増え続ける過剰な人口が、地球を破壊する策略を求め、それによって地球はあまりにも継続的に奪われ続けて、その自然なバランスが崩れ、決して回復できない状態に追い込まれることになるでしょう。その結果、地球はますます自転が速くなり、それに加え、中心星である太陽を回る軌道が徐々に狭くなっていくため、科学的なデータの計算よりもはるかに早く溶解し、燃え尽き、太陽に吸収されることになるでしょう。増え続ける人口を抱える地球の人類が、他の太陽系の惑星や地球の周りを回る月に移住して定住するという、今日でも馬鹿げていると思われる考えは、宇宙探検家が空想の中で想像していたものよりも、はるかに重大な問題を伴うことになるでしょう。本当の宇宙、つまり太陽系惑星以外の世界につながる宇宙は、太陽の最終的な引力が終わる太陽系領域のはるか外側から始まる。そこからが本当の宇宙の始まりで、惑星空間とは異なる、宇宙空間と呼ばれるものである。天の川銀河にある他の太陽系に到達するためには、最初に宇宙空間を克服しなければならない。地球上の人類の移住は、太陽系の惑星、月、火星、そして他の惑星の衛星に到達して居住するだけでは済まない(長きにわたって地球人類の夢物語としてあり続けるだろう)。というのは、宇宙旅行を担当する科学者が想像を超えた大きな問題が発生することが予想されるているからである。これらすべてに加えて、赤い流星の脅威や宇宙からの大きな危機に脅かされ、地球人類はそれに立ち向かわなければならないが、それを克服するためには、高度な技術だけでなく、さらに多くの知性と理性が必要とされるでしょう。一方で、将来的には、大量のビル、都市、町、コンクリートやアスファルトの道路などが建設されることで、地球の外層と内層がもはや耐えられないほどの莫大な圧力を地盤の内部にかけ、多くの異常な地中運動や変位が発生することになるでしょう。このことは、これに責任を負う科学者である地質学者たちの、一方では学者になるためにすべてをよく知ろうとし、他方では彼らの仮説だけでなく、原始的な装置や機器では全体を証明することができないため、なだめるような反対の計算や主張がなされているのである。しかし実際には、惑星内部の変動が発生し、それによってますます地震や海震、火山噴火を誘発して、時間の経過とともに悪化したり、強くなったりするだろう。また、何百年、何千年、何万年もの間、騒がなかった地震、山岳地震、海底地震が沈黙や静寂を保ってきたが、将来、以前よりもずっと活発な活動を引き起こすことになるでしょう。太古の昔から、これは人々を誘惑してきた(お金を泳がせるようになり、どのように使えば良いかわからなくなるので、この傾向が進むだろう)。自然が絶滅の危機に直面している地域に家を買ったり、建てたりするようになる。そのため、危険な山の斜面や火山の斜面、海水浴場や海に面した平地などの水害地域には、住宅や工場、運動場、旅客輸送リフトなど、あらゆる種類のものが建設され、地滑りや津波、火山噴火や溶岩流などで、必然的に破壊されることになる。これによって物質的な損害を受けた人の多くは、手を挙げて、存在しない神への狂信の中で、その神に向かってなぜだ?と尋ねるだろう。彼らは、どうしてこのような悲劇が自分の身に降りかかってくるのか、想像上の神に問うでしょう。だからこそ、なぜ彼ら自身が、災害は避けられなかったと考えなかったのか、自分たちを襲った損失は自ら責任があると考えないのか、そのような危険地帯で建物を建てるべきではなかったと、自分に問わないのでしょうか。このような出来事は絶対に予測可能であるために、すべてを想定して適切に判断しなければならず、危険性だけを問うものでもない。さらに、今一度繰り返されるべきこと、それは企業や法人、個人を満足させ、その過程で何十億もの利益を得るが、それによって自然とその動植物は殺され、破壊され、多くの場合一掃されてしまうことになる。大気は本当に損傷を受けており、気候は変化し続けている。その結果、あらゆる生態系がその根底から影響を受け、時間の経過とともに再生不可能になり、気候変動が起こっている状態になっている。そうして最終的には、ますます猛烈に増える過剰人口の策略によって、とりわけ海や水域は乱獲され、他のすべての水生生物は人間の食物として奪われ、万年氷が溶けた結果、多くの生物は生息地を奪われて絶滅することになるでしょう。また、同じように、造成された土地でも起こることだが、一方で森林は、策略や過剰な人口の必要性から、新しい生活空間や作付け地を造るために焼かれたり切り倒されたりする。それによって、例えば、焼かれた森林の土壌は、腐植層が非常に薄く、回転作物のために、元の森林土壌はすぐに枯渇し、2~3年で完全に肥沃でなくなってしまう。そして、自然破壊と動植物の生命の根絶は今後も続くでしょう。つまり、将来の過剰な人口の集団が、日常のあらゆる種類のゴミを戸外の自然や新鮮な水、川や海に捨て、草原や野原、牧草地、湿原、森林、沼地や山にゴミを散らかし、汚染したりしている。そして、あらゆる属・種の生き物がこのゴミを飲み込み、病気になり、悲惨な死を遂げている。しかし、それだけでは済まず、廃棄されたゴミの一部(主にプラスチック)は、無害に分解されるまでに何年も持ち堪えるが、それまでには致命的な被害を受けるでしょう。一つの事実は、地質学者によって第3千年紀まで論争を続けるだろうし(最新の適切な機器や装置によってすべてが証明されるまで、長い時間がかかる)、地球の地殻と内部への圧力は、人口過剰の策謀によって大きく変化し、地震や火山噴火などの増加といった自然災害が避けられなくなるでしょう。しかしながら、その間にも他の自然災害が増加し、多くの人命が犠牲になるでしょう。海の島々は、陸上の火山噴火によって大きくなる。これは、火山の噴出物が海に流れ込む時にマグマの流れによってより広範囲になり、多くの有毒ガスを発生し、それが空気中へ流入して多くの生物に深刻な呼吸障害を引き起こして、死をもたらす可能性もある。しかし、それはまた事実となるでしょう(海の潮汐力や地球の自然の動きによっても促進される)。地球は、たとえ1年間にわずか数センチメートルであっても、楕円軌道上で太陽に近づきつつあり、さらに、人間には依然として検知できないが、地球のローリング運動と自転の速度が速くなりつつあるという事実も、今後、明らかになっていくでしょう。このように、いつか地球は衛星として太陽に焼かれ、その後溶解されて微粒子や塵などとして太陽に吸い込まれるのである。ただし、全体は通常、広大な7つの全宇宙帯の空間で1日に何度も発生する自然な現象だが、地球の場合はそれに加えて、企業、法人、個人が利益のために良心の呵責もなく果たす人口過剰の策略によって、全体が早まってしまい、制御不能な結果を招いてしまっている。けれども、その結果、地球はバランスをますます崩し、極域や 氷河の融解によってさらに大きくなる潮流の影響から、人間の過ちによって地球を太陽に近づけている。もちろん、すでにゆっくりとではあるが、確実に太陽に引き寄せられている地球は、時間の経過とともに不自然なほどますます不安定になり、差し迫った終末が自然の流れよりも必然的に早く訪れることは避けられないでしょう。しかし、この事実を担当する科学者たちは否定するだろう。なぜなら、彼らは一方では自然そのものよりもすべてを良く知りたいと考えており、またもう一方では、遠い未来に機器の助けを借りて初めて、事実を真に判断し、認識することが可能になるからである。第3千年紀になると、世界の秩序がトランプカードのように崩壊し、これは、欲求、欲望、贅沢などの形で行われる人口過剰とその策略の結果、混沌が訪れるでしょう。これらを通じて、地球は自然とその動植物が一掃され、破壊され、絶滅するような形で、原材料などのために奪われ、搾取されるでしょう。人口過剰の策謀の実現者として。将来、この人口過剰が制御不能なほど増え続け、より多くの子孫をこの世に送り出して、彼らは新たな仕組みを考案し、新たな発明や高度な技術、その他の新たな成果や未来的な贅沢などに対して、新たな欲求や欲望を持つようになるでしょう。そうして、これらの子孫は、もう一度、この地球上に子孫を残すことになり、すべてをまた最初からやり直すが、開発には終わりがなく、以前よりもさらに悪い状況になるだろう。その結果、無数のニーズや欲望、贅沢への衝動の策略も高まっていく。必然的に、老舗と新興のお金と富に飢えた企業、法人、個人が、過剰な人口に必要なすべての策謀を果たすために再登場することになるでしょう。また、このような形でビッグバンが起きて、地球上の人類とその権力に固執する男女の支配者たちが、絶望的に増えすぎた人間や過剰な人口でも生き残れるために、もはや他に何をすべきかわからなくなるほど、すべてが退化するまで、この枠組みの中で続く。その頃には、人類が異世界に広がって、地球から逃げ出すことは幻となり、地球から他の惑星や他の星の衛星に人類を移住させる宇宙旅行幻想家の空想が実現することは、当面の間は不可能でしょう。しかし、通貨制度が存在する限り、それに加えて、地球から他の太陽系惑星とその衛星に至る空間を横断するのに必要な技術が十分に洗練されていない限り、すべてのことはまだ不可能である。資金がなければ、技術的な分野の発展は不可能なので、資金面だけでも全体の最大の障害となる。お金が世界を支配し、お金は世界中の金融機関によって、いわゆる普通の人には考えも及ばないような、想像もつかないようなあらゆる方法で取引され、移動され、悪用されている。どんな種類の開発でも資金調達が必要であり、資金調達は太古の昔から、常に重要な意味を持っている。そうしてまた、現在でも未来においても、お金、またお金、より多くのお金、事実上お金以外の何ものでもない。そして、お金は実質的に世界を支配しており、お金が存在する限りそうあり続け、犯罪や相続財産の窃取、殺人や傷害致死などを含む犯罪の理由にもなっている。人間の発明欲には際限がなく、特に未来的で便利なものが生まれる一方、不必要で馬鹿げたもの、例えば、見たものを記録する小型の録画装置付きサングラスなども登場することでしょう。しかし、特に殺人と殺害、中でも戦争目的と処刑のために、新しい武器と手段、そして戦争用機械と戦闘機が常に発明され、資金を調達することができるが、飢餓で死にかけている人、何らかの困窮で惨めに死ななければならない人、その中には助けを求めて、人道支援を願って虚しく待っている人たちが、至る所に何千人といる、その人々の苦難を和らげるためには、そのようにすることができない。これは、犯罪組織が何かをするということとは別の話である。また、世界中の犯罪者集団やテロリスト、個人が闇市場で容易に入手できる武器や手段を用いて殺人を行い、結果的にこれらの堕落した人々の血にまみれた手に渡ることになる。どれほど宗教的な妄想が深いものであろうと、どんなに社会的に堕落した生い立ちであっても、恋愛の苦悩や嫉妬などの異常な感情を抱いたとしても、それが臆病者や他の理解ある人々からは言い訳できるとされているのだが、彼らの血生臭い行動には何の弁解の余地もない。地球上に蔓延する過剰な人口は、彼らの策略によって多くの憎悪と不幸を世界中に広げ、軍事組織や犯罪組織によって、死と悲惨だけしか生み出さず、不必要な兵器の備蓄にお金を費やすことになる。それがどこであろうと、ヨーロッパ全体であろうと、米国であろうと、アジアや南米の国々であろうと、人々が明らかに毎日のように嫌がらせを受けたり、殺害されたりしている地域では、このための十分な資金が常にあるし、今後もそうでしょう。この地球上には、偽善的に礼拝所を参拝し、自分の支配する国を統治するのに賢くて有能であると思い込むその一方で、自分たちの意にそぐわない人々を苦しめる無数の無能な国家権力者がいる。彼らは、専門家に騙され、その言葉に従って無責任に行動し、誤った状況を作り出すことになる。これにより、人々は支配者の恐怖を煽る言葉に惑わされ、彼らの命令通りに実行することを強いられることになる。このことは、近い将来、王冠ウイルス病が世界中に蔓延し、ワクチンを接種した人がそれにもかかわらずに伝染病に感染し、おそらくそれで、死亡するときに証明されるでしょう。しかし、それは自分自身の考えではなく、神を信じる妄想的信者や各国政府の信者が支配者に束縛されたまま、一緒になってワクチン接種を受けていない仲間を悪者扱いし、王冠ウイルス病が継続している責任をなすりつけるでしょう。その真実は、王冠ウイルス病は二度と根絶することは出来ず、将来の手段によって大部分が封じ込められ、一時的に消滅することができたとしても、今後もずっと残り続けるでしょう。しかし当分の間、最初のうちはまだワクチンが合わないので、地上の人々や無能な支配者の一部は、偽りの幻想的な安心感の中で過ごすことになるでしょう。これは、ウイルスに対する抗体がしばらくすると再び溶解するので、ウイルスはワクチンを接種した人に再び感染させることが可能となるが、彼らは自分たちが病気に感染しなくなり免疫ができて、その結果、王冠ウイルス病に罹らないと錯覚することになる。だが、このことは国民には隠されてしまう。そして、自己中心的な無能な支配者たちも、真実と正反対のことを広めてそれで金儲けするような嘘つきたちを信じるでしょう。これでは、疑わしい予防接種を何度も何度も受け続けなければならないのは避けようがないが、一部の人にとっては役に立たず、厄介な病気、長期的な健康障害、あるいは命を落とすことさえ招く。だから、一定の間隔で予防接種を繰り返すことになり、予防接種を受けた人が、今後ずっと王冠ウイルス疾患から免れるという保証には至らない。本物の効果的なワクチンを接種した人は、ワクチン免疫が良好に反応するので、幸運にも、しばらくは感染せずに済むでしょう。しかし、この伝染病は変化し、新しい形態を生み出すという特徴を持っている。使用するワクチンが半分程度しか効かなかったり、無効であったりすることが判明するような新しい型が出現する。実際のところ、伝染病や感染症に対して本当に予防可能で安全なワクチンを開発するためには、非常に長い時間、あるいは何年も必要とする。これにより、ワクチン接種を通じて人間に(あるいは、動物や生物などにも)、可能な限り最善の予防を提供する。しかしながら、各国のワクチン製造会社が流行時に提供するものは、即効性のある薬剤であり、そのために王冠ウイルス病に対して期待できる内容のものではないでしょう。しかし、その時に行われることは、特に罹患率の高い王冠ウイルス病の予防接種に関しては、もっぱら利益を追求することになるでしょう。そしてこれは、地球上の全人類に対して、怪しげで、検証されていないワクチンを無料でテストし、治験する企業や会社によって行われるでしょう。それは恐怖心から人々がそれを要求することになり、無能な支配者によって十分に利用され、擁護されることになるでしょう。これは、自らを科学者と称するウイルス学者や無能な支配者、そして一般的に有能な医療機関の協力や提唱によって行われるだろうが、彼らは何が正しいことなのか分からない。すなわち何よりもまず、世界中のあらゆる地域への厳格な渡航禁止と、人と人との間に適切な距離を保ち、口と鼻にマスクを着用することが不可欠であるということになるでしょう。とはいえ、王冠ウイルス疾患を完全に終息させるためには、それだけ長い期間にわたって維持しなければならないが、この措置がとられることはないでしょう。これは、このウイルスが非常に巧妙に機能するため、次々と新しい突然変異が出現する結果、同じ種類の単一のワクチンでは長期的には適切に対抗できなくなるという事実から考えても明らかでしょう。時間の経過とともに、突然変異の性質に応じて、ウイルスそのものと、そこから生じるさまざまな症状、苦痛、疾患は、それらを抑制、緩和、治癒するために、異なる個別の治療法を必要とすることが明確になるでしょう。このことは、私が未来にそれを見て経験したので、必ずこれは私の予言するように判明するでしょう。すべての私の予言がそうであるように(未来に起こった多様で現実的に可視化されたものに基づいている)、それは絶対的な確実性を持って起こり、恐怖や悪い反応を防ぐために、この件に関して私が公言できる範囲よりもはるかに超えるものである。これから起こる出来事は地球という惑星だけでなく、世界、大気と気候、すべての生態系、その自然、動物その他すべてのよじ登る、飛ぶ、這う、走る生き物、植物の世界全体を変貌させ、何千という動植物の属や種が絶滅し、その総数は激減して、まだまばらに存在する自由な自然の中で散見されるだけとなるでしょう。自由な自然の営みから生まれるすべてのもの、すなわちあらゆる属・種の生き物の循環全体は、未来の地球人から完全に軽視され、その結果、自然やその動植物を守る人々から、ごくまれに敬意を示されるだけとなる。来るべき時代の近代化は、人間の人生に対する主体性を低下させ、すべては人間の高度に発達したはずの知性が、生きとし生けるもの、すべてに示す弱々しい共感と穏やかな配慮を前提とした誤った捉え方のままとなるでしょう。新しい第3千年紀の初頭から数十年の間に、近代から生まれた自然科学は、人間以外のあらゆる種類の生物、哺乳類、あらゆる動物、その他のあらゆる形態の生命、あらゆる属や種の植物は、感覚を持った知的な生き物であるという見識を得て、すべてが複雑な内面の働きを持っていることが証明されるでしょう。これは近代の進歩ではあるが、それでも一般の人々や科学的な教育を受けていない人の知識にはほとんど含まれていないため、これらの深遠な事実と折り合いをつけることができない。しかしそれは、内奥のインスピレーションと内なるステートメントの真実と本質が現実に対応し、例外なくすべての自己決定をする生命の形態が、その独自の特質のある心や感情を持っているという事実を確認すること、言い換えると、アニミズムへの輪が閉ざされていることになる。その結果、内的な生命を持つすべての存在は(多様な高等哺乳類の生命には部分的な意識の形として存在する)、その部分に意識だけでなく、結果として感情や心もあることが認められるでしょう。このことが、人間以外のすべての生命に対する人間の態度や考え方にどのような影響を及ぼすのか、自然科学者たちが理解できるようになるのは、まだ第3千年紀を待たねばならないでしょう。地球人類の急速な成長や人口過剰の蔓延により、あらゆる種類の開発が必然的に進み、未来的高度な技術開発、いわゆる宇宙技術にまで至る。当面は、個別のケースで地球の人々を地球の衛星軌道上に乗せ、月や赤い惑星である火星に連れて行くだろうが、太陽系惑星を横断する探査機を除けば、これは将来、この行動を起こす人たちの側に高い知性があることを必ずしも証明するものではなく、その結果、地球の位置を決して友好的とはいえない宇宙人に明らかにしてしまうことになる。こうしたあらゆる種類の開発は、あまりにも急速に進行し、地球人類は(巨大な人口過剰に)、まだ適切かつ正常に対処することができないので、人類にさまざまな依存症を引き起こすだけでなく、大きな問題をもたらすでしょう。将来的には、想像を絶する姦淫や組織的な性的児童虐待も起こるだろう。ところが、多くの場合、それは黙殺され、憎しみや金銭目的のために中傷されるでしょう。そして将来は、重大な犯罪にすら発展するような、さまざまな新しい犯罪行為が発生し、戦争の脅威、殺人、奴隷、戦争の始まりに至るまで、その継続性を見出すことになるでしょう。宣伝広告は最新の視聴者遠隔技術を用いた宣伝方法によって実施され、売買は通信販売と電子決済の形で行われることになるでしょう。人類の成長や人口過密によって、必然的に無責任に推し進められるあらゆる新しい発明は、あまりにも急激にすべてが開発されてしまうため、この革新技術を人々の日常生活の中で使いこなすことは出来ないだろう。その結果、人類、あるいは過剰な人口の大部分は、全く新しい技術的依存症の餌食となり、自分の生活、仕事、行動をそれに合わせ、さらには最も大切な資産であるお金さえも最新のテクノロジーによって管理され、詐欺にまで遭うほどまでに支配されることになるでしょう。地球上のあらゆる宗教の中で、キリスト教の救世主と存在しない神への信仰が再び強く広がり、過剰な人口の大多数に再び魔法をかけることになるでしょう。これからは、多くの異なる宗教と宗教的な他の宗派、一つの神の創造者への信仰など、あらゆる種類の信仰全体が、狂信的な信者によって、また学識ある聖職者によって、ラジオを通じて、さらに後にはテレビによって、地球全体に広められていくことでしょう。新開発の予言、テクノロジーの発明、宗教的嘘の発信など、その他の神の創作者である信仰に値しないものが人々に魔法をかけ、かつての時代のように完全に自由のない、依存させた状態にされてしまうだろう。そしてこれは、地球規模の形で起こるでしょう。それによって、正義と能力のある政府の人々は、非常に不当で無能な、役に立たない神を信じる統治者に道を譲らなければならない。彼らは助言者から助言された通りに実行し、無能な統治者に代わって、そして高額な報酬でそのような人たちから植え付けられている。このように、さらに人々は、訓練された動物や獣などのように信者によって支配され、嘘を信じるようになる。それは統治者が、政府に望んだり要求したりすることに忠実に従い実行するようになる。しかし、これは、権力を持つすべての支配者を無能な人と同じ袋に入れることはできない。というのも、政府の中には、自分の良心と能力の限りを尽くして正しくその職責を遂行し、将来もそうし続ける人々が確かに存在しているから。いずれにしても、政府の無能な要素を排除するためには、これらのすべてを控えるべきである。麻 薬は主に南米と近東で大量に生産され、犯罪者や犯罪者集団によって密輸され、小口の麻 薬販売者によって中毒者に売られ、世界の多くの人々が麻 薬に完全に依存するようになるでしょう。近い将来、あらゆる種類の化学毒物が麻 薬として騒がれようになるだろうし、来るべき未来のテクノロジーが依存症を引き起こすようになるでしょう。これは主に、長寿命バッテリーを搭載し、自由に簡単に持ち運んで使用することができる携帯型の無線電話という形の通信技術であり、このような長距離通信機器は、もはやこれなしでは人々は歩けなくなり、必要で依存的なものとなるでしょう。過剰な人口が横行する中で、孤独になったり、仲間から苦しめられたり、嫌がらせを受けたりして、精神的な苦痛に陥っているため、自殺を個人的な苦悩のすべてから逃れる最後のチャンスと考えるようになるでしょう。しかし、多くの人は命を軽視する傾向に追い込まれて、犯罪者になったり、路上で腐ったり、麻 薬に溺れたりして、完全に滅びてしまうでしょう。その他の多くの人は、自分の人間的な行動全体を変えて、自分でも気づかないうちに殺し、殺され、殺人的な生活をするほど害のある人生を送るでしょう。これは、米国はもちろん、特に南米やアフリカなどの国では、犯罪が盛んになったり、貧困が蔓延したりする。そこでは、新しい化学薬品や天然の薬物は、より多くのお金を得るために砂糖や他の物質と混ぜ合わされる粗悪品が出回ることになる。その結果、薬物の使用頻度が高くなると、特に不安定な人や精神状態の悪い人の間で中毒がますます増え、このため、より多くの中毒性物質が必要となり、そのためのお金が不足することになる。すると、それを目的に強盗や暴行が行われるようになって、それが殺人にまで発展し、結果として殺人事件が起こってしまう。だが、より多くの無秩序な予期せぬ突然の自殺や殺人が人々の間で起こるだろう。なぜなら、人々はもはや過剰な人口に逃げ場を見つけられず、パニック状態に陥ってしまうだろうから。異端、宗教的妄想、政治的妄想、また憎しみや嫉妬、宗派的妄想、劣等感、誤った理解や思い込みなどが生じ、それが殺人や故殺にもつながり、結果として人口過剰の未来はますます負担が重くなる。近い将来、気候変動はすでに強く、ますますネガティブな方向に変化し始め、そのために人類は、自然やその動植物に対する軽率で犯罪的な誤った行為だけでなく、地球そのものへの回復不可能な損害を通じて、主な責任を負うことになるでしょう。急速に、そして制御不能なまでに増え続ける過剰な人口の欲求や欲望、願望、贅沢品への衝動の結果、過剰な搾取によって地球自体に引き起こされる極めて深刻なダメージは、世界最高の意志をもったとしても、多額の資金やあらゆる可能な手段を用いたとしても修復することはできない。根絶やしにされたものは、永遠に失われたものでもあり、たとえ魔法があったとしても、元に戻すことはできない。急激に人口が過剰に増加するということは、地球に残された資源がこれまで以上に急速に、大量に、より徹底的に搾取され、環境全体が確実に破壊される。もはや、どんな野生生物にとっても生息できなくなることを意味する。野原、草原、河川敷だけでなく、森林、すべての海、重要な内水域、山、氷河に至るまで、あらゆる種類のゴミが散らばっている。未来は来るべき時に、多くの種類のゴミがすべてを汚染し、それによってすべての水域と陸地のすべての生命は負担を受け、病気に苦しみ、そして、人々の捨てたゴミを野生の生物が食べることで、その消化器官では処理しきれず、ひどく惨めに、事実上死ぬことになる。来るべき21世紀に入ってからも、このプラスチックごみは、自然界の生き物にとって最も有害で深刻な悪影響を引き起こす物質であり、地球環境全体にその害悪を及ぼし、多くの生物に死をもたらすと言わざるを得ない。しかしその一方で、野原、草地、牧草地、沖積平野、森林、庭園、大気中に放出され、実際に気候を破壊するガスに加えて、気象に悪影響を与えるさまざまな化学毒性ガスも発生するでしょう。農薬で食用作物を害虫から守るため、あるいは植物の成長を促進するための保護はさておき、その毒物のよく知られた有害性が、癌性腫瘍を含む深刻な苦痛や病気を人間に引き起こすという事実は、全く考慮されていない。それどころか、食品に含まれる最低限の毒素は公式に許可されているので、そのために、人々は病気になったり、死んだりしても、健康保険会社が巨額の治療費や入院費を負担するが、認められた最低限の毒素の摂取によって、病気になった人は苦しんで死ぬしかない。そうして、大型機械と環境に有害な排出ガスを伴わなければ生産できないような、極めて集約的で大規模な園芸や農業の企業が出現している。また、動物や家禽が大量に飼育されているため、十分な世話ができなくなる一方で、多くの場所で動物にとって残酷な状況が発生し、それを当局が黙認したり、対策があまりにも甘かったりすることになる。化学的に生産された人工肥料や毒物が園芸や農業に使用され、これまで庭や田畑、牧草地、ぶどう畑、森や林などのいたるところで害虫を食べていた多くの生き物が生きられなくなる事態が発生するでしょう。しかし、商業的な園芸や農業の強化は、例えば、次のような事実にまで及ぶだろう。もし、庭園や田畑や牧草が、あらゆる種類の人工肥料で高い生産性を追求し、草地が1年のうちに何度も刈り取られるようになれば、鳥類の生態は苦しみ、急激に減少し、場合によっては絶滅してしまうでしょう(鳴禽類であれ、猛禽類であれ)。また、動物の種類、生物種、爬虫類、トカゲ、カブトムシ、蝶などあらゆる種類の生き物や、生命力の強い昆虫や野生の蜜蜂などの種類も存在する。庭毛蜂(Garten Wollbiene)と一般的なヒメハナバチ(Zwerg-Blutbiene)、6月のヒゲナガバチ(Juni-Langhornbiene)、一般的な毛皮の蜜蜂(gemeine Pelzbiene)と大型のブルーベルシーザーバチ(Glockenblumen-Scherenbiene)、こぶのある絹のような蜂(Buckel-Seidenbiene)、ツツハナバチ(gehörnte Mauerbiene)、さびた赤いツツハナバチ(rostrote Mauerbiene)など、ヨーロッパ固有のもので、人間が田舎を歩くときに目と感覚を開いていれば、どこでも見つけられて観察できる(全滅しつつある)。将来、第3千年紀後半には、人々や過剰な人口の大多数が同じ運命をたどることになる。すなわち、これまでになく希少な生息地を奪うことによって、彼らが無制限に要求する商品は、その他の欲望への策謀、贅沢品への渇望、欲求という点で、もはや企業や法人、個人によっても満たすことができないほど無常に、非常に急速に増加するだろうから。なぜなら、策略を駆使して、地球上の過密の中で、ますます多くの肥沃で活力のある耕作地が破壊されている(食糧の自然栽培が緊急に必要となる中)。道路、無数の新しい住宅や職場の建物、スポーツ施設、スキー場、工場、遊歩道、入浴施設、鉄道路線などによって、必要な食糧を育てるための土地や、野生生物の生息地もどんどん狭くなってきている。また、多くの野生生物も一掃され、たくさんの水生生物も生息地を奪われ、海や内陸水域での乱獲が水生生物減少の主な原因だが、これで終わりというわけではなく、これを止めなければ、水生生物もやがて絶滅してしまうでしょう。その責任を負うのは、大量の人口と過剰な人口の策略である。というのは、彼らの食料需要は、海や内海をあらゆるもので完全に略奪することでしか満たせないから。探究者たちが海底で発見する新しい生命は、最終的にそれも乱獲され、消費され、その結果、全滅するまで、膨大な数の過剰な人口の食料として役割を果たさなければならない。多くの属や種の多くの鳥が、人口過剰の責任と策謀によって絶滅するでしょう。この人口過密状態は、わずか数十年の間に、まず鳥たちがその祖先の生息地域から追い出されるような形ではじまるでしょう。牧草地は農業によってより集中的に使用され、その草を年に数回刈り取るようになった結果、一部の野鳥の種類は伝統的な繁殖地や生息地を失うことになる。地上の人間は、それが鳴禽類であろうと猛禽類であろうと夜鳥類であろうと、他の種であるかどうかにかかわらず、全く気にも留めないものだから。そして、水辺の場合は、あらゆる種類の水生生物、両生類、昆虫、爬虫類、蝶、クモ、あらゆる種類の動物や生き物を追い払い、その命を永久に絶やしてしまうことにも気にかけない。自然のすべて、動植物、あるいは自然の循環そのものに無責任な人間が介入することによって(大気や気候も一部決定する)、人類の肥大化と人数の増加、さらにはそれ以降に進展する過剰な人口とその非論理的な策略によって、それはすでに延々と破壊されてしまうでしょう。だが、これですべてではない。自然や地球そのものへの無責任で破壊的な介入は、混沌とした混乱と気候の変化を引き起こし、ついには気象現象にも変動をもたらす。これにより、とてつもない原始的な嵐に変わり、膨大な量の雨と洪水が発生して、さらに多くの人命を奪い、計り知れない破壊をもたらす大きな熱波が生じるでしょう。また、権力欲の強い指導者が無謀な核実験を数多く行い、これによって、世界中の様々な国が核保有国となり、核爆弾の保有は他国からの攻撃や戦争の野心から自らを守るための手段として、核爆弾を保有するという無責任な策略が始まることになるでしょう。そうして、次は水素爆弾の研究と製造、その試験的な試みが行われるから。これは広島と長崎で、1945年に米国大統領ハリー・トルーマンの良心の呵責なき無責任な抹殺命令が出されて起きたことの千倍以上も上回るだろう。同じように、無謀で残酷な殺人者たちが何の議論もなしに実行し、ウラン時代に原爆を投下した。さて、地球の資源を無責任に搾取し、それが地球全体のテクトニクスに影響を与えていることは、多くの都市開発や空港、道路などが地球内部に深刻な圧力の不均衡を引き起こしていることと同じように、地質学者から異論が出てくるでしょう。それは非常に微弱な圧力振動が地殻に影響を与え、その効果は最大で数千キロメートルも離れたところにまで伝わり、最終的に地震や火山噴火につながることになる。このことは、私の経験豊かな友人であるスファートによれば、もちろん専門家を自任する地球人には全く受け入れられないだろうし、新しい第3千年紀を迎えるまで考慮されることもないでしょう。早ければ来年2月には、このわずかな圧力の振動は(世界の大都市から始まり、いくつかは過去10年間で最大1,000万人もの人口に成長する)、スファートが説明するように、新しい構造物を通して地球の地殻や地球の下層に、より大きな圧力を加えることになるが、地上の嘘つきなどはこのことを否定するだろう(モロッコで約13,000人の命を奪う地震が発生する。これは21世紀初めまでの間に起こる他の多くの地震の始まりにすぎない)。火山噴火は21世紀にもあり、その後数世紀にもわたって地球が静まるどころか、多くの地震や火山噴火が世界を苦しめ、変化させていくことがますます予想され、第4千年紀には地球の表面が、今とは違う形で衛星軌道上から知覚することができるようになるに違いない。しかしながら、7月7日の予言で述べたように、例えばフィリピンのカミギン島のヒボック・ヒボック火山も1951年に噴火し、パプアニューギニアのラミントン火山も6,000人以上の犠牲者を出すと見られている。だが、これからの時代、火山噴火は大幅に増加し、それも数万人単位の死者を出すこともあって、火山周辺の土地や地震発生地帯も大きく変化していくことでしょう。ところが、陸地に大きな被害をもたらす地震もある。例えば、第3千年紀の初めにインド洋で発生する海底地震は、2004年12月にインド洋周辺で津波として多くの小屋や家屋を破壊し、恐怖と死とホームレスをもたらすでしょう。この年の海底地震だけで、合計24万人以上の人命が失われ、その後も多くの負傷者が後に命を落とすことになる。自然界のあらゆるもの、動物植物、気候や気象条件などが、人間の所為によって劇的に変化してしまう。そして、一週間前の予言で述べたことを繰り返すが、自然や地球のあらゆるものが次第に立ち上がり、猛烈な暴風雨が現れて、景観や家屋などその他あらゆる建物、道路、山、鉄道、渓流、川、湖、さらにはすべての海の浜辺でも、計り知れない物質的損害をもたらすことになるでしょう。このような自然の力と気候による大変動は、第3千年紀以降も暴風雨や大規模な土砂崩れ、洪水、津波、山崩れなどを引き起こし、数十万人の死者と人類の業績の破壊、さらには戦争やテロによって数百万人の人命が失われることになるでしょう。人口過剰と人間の責任による気候の急激な変化は、もはや人類がコントロールできないほど、すべてを変えてしまうでしょう。それは今後数十年のうちに、すでに始まるでしょう。というのは、急速に進む地球温暖化と気候変動によって、とてつもない降雪、雹、ものすごい量の雨、嵐、台風、地震と津波、竜巻、ハリケーンなどの暴風雨や、想像を超える規模の干ばつ、雷雨、森林火災が世界中に広がり、それが南米や北米、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなどへも拡大し、ついには北極や南極でさえ荒天とした気候となってしまうでしょう。高波などで海水が陸地に入り込むと、甚大な被害が発生する。渓流は荒れ狂う川となり、河川は荒れ狂った激流となって、荒れた水はすべての岸を越え、とてつもない洪水を引き起こすでしょう。すべての大陸で、広大な森林が燃え上がり、景観全体が嵐によって荒廃し、多くの人類の功績と生活が破壊される。ヨーロッパでは、ハリケーンや竜巻の被害にますます襲われ、多くの人間の仕事が破壊される。それは、海岸や山の斜面、火山などの近くに建設されるため、氾濫原地域には、人間の住宅、工場や倉庫、スポーツ施設など、基本的にない方が良い。それは、荒涼とする傾向にあるので、何でも破壊される可能性がある。これは、荒れ狂う洪水が何もかも浸水させた場合、そのために必要な冠水スペースを確保しなければならないが、このことは超過人口の人々には考慮されず、彼らの不利益となってしまうから。すでに説明したように、早ければ来年には多くの死者を出す最初の大地震が発生し、その翌年には最初の激しい火山噴火も起こり、それに続いて途方もない規模の地震や海底地震が発生して、これらは第3千年紀にまで及び、ますます悪化しながら無数の人命が奪われることになるでしょう。将来、多くの苦しみ、苦痛、悲惨、死、破壊をもたらす全体の始まりは、まだ小さな規模で起こっているが、過剰な人口がさらに増えれば増えるほど、それに応じて自然の破壊は増加し、その動物や植物、そして大気や気候も、オーバーポピュレーションによる人類の過大な欲求と狂気の欲望の結果として、すべてが悪循環になっていく。 こうして、今後数十年の間に、地上の人類がもはや対処できないような災害が起こり、それに伴って、20世紀の終わりにかけて、すべてが非常に進み、新しい千年紀に持ち越され、その後すべてが完全に退廃し、あらゆる面で制御不能になるでしょう。しかし、これは恐怖の終わりを意味するものではない。新しい千年紀が到来すれば、自然は人口過剰による環境破壊の狂気に対して、さらに一層激しく立ち上がり、地球上は原始時代を思い起こさせるような大嵐に発展し、これは時速数百キロメートルにまで発達した暴風雨という観点からも当てはまることでしょう。けれども、地球上の人類の未来に混乱と大きな恐怖をもたらす害悪は他にもある。多くの戦争、暴動、血みどろの未曾有のテロリズムが地球上の人類の惨状となるのだから、このことに関しては、後に詳しく述べましょう。もし、近未来と遠い未来の到来を考え、分析するならば、つまり、第3千年紀の最初の数十年までであれば、たとえ病的に愚かで、無責任な知識人や科学者が反論したとしても、来たるべき災害と混沌、そしてすべての大災害の責任は 地球人類自身にあることが明らかになるでしょう。根本的に、人口過剰は諸悪の根源であることに疑いの余地はなく、彼らのすべての欲求や欲望が、自然やその動植物に対する途方もない破壊的な操作によって実行され、必然的に大気や気候にも影響を与え、それが地球温暖化や気候変動、そして世界規模の環境破壊につながる。また、公然とした売 春や犯罪、亡命者問題や新たなナチズムも広がり、大きな問題を引き起こすだろう。この新たなナチズムは米国内だけでなく、この先、再び取り上げられることになるでしょう。このような悪に対しても、他の諸悪全般に対しても、非常に厳しい、効果的で包括的な対策が今日すでに取られ、実行されなければならない。また、権力に執着した意欲的な人間と米国の諜報機関の操作によって世界中で戦争や革命、政治的動乱を扇動するだけでなく、外国を侵略して自国の軍隊で戦争をするような米国の世界支配中毒の策動に対しても、同様に対策が取られなければならない。これは、その国の人々の精神、宗教、政治を利用して、米国に対する抵抗を断ち切り、米国に敵対するすべての人々を駆逐させるため、彼らを混乱に陥れる。急速に増え続ける人口過剰のために、地球をますます頻繁に搾取し、環境、自然、その動植物を破壊せざるを得なくなり、これは、2000年の変わり目までに約70億人に達すると予測され、どうしようもなく増加する世界人口のあらゆる種類の欲求や欲望をすべて満たすために、地球をますます破壊しなければならなくなる。増え続ける人口過剰の欲求と欲望は、人類の数に対応して増加しており、それによって、地球という惑星とその自然、動物や植物の両方が減少している。そして土地、森林、野原、湿地、湖、小川、河川、海洋、大気と気候などの環境全体が、非常に悪い形でますます影響を受け、完全に破壊されようとしている。核爆発やその他の爆発が地球の地殻構造を破壊し、地震を誘発して、今後ますます多くの死者を出す大災害につながるため、地球そのものが苦しめられている。水域、自然、大気、地球近傍宇宙が汚染され、原生林が貪欲に破壊されて消滅し、地球資源が無責任に搾取されている。今日の秩序および未来の秩序は、地球上の人類の狂気全体、増え続ける人口過剰を抑制し、すでに始まっている数十年後に破壊的な結果をもたらすだろう気候変動に歯止めをかけることでしょう。しかし、この予言は、すべての破壊、荒廃、混乱、災害を止めることができないことを明らかにしている。それでもなお、私は、過剰な人口の狂気とその破壊的な策略をすべて食い止め、何も救われなくなる前に、非常に迅速に止めなければならないと訴え続けている。だから将来、いわゆる環境保護団体やそのようなすべての組織が、大口を叩いたところで、期待されるような成功は決して得られないでしょう。しかしながら、その後、環境汚染に対処するすべての人々は、すべての環境汚染、地球上のすべての生態系の破壊、気候変動の真の原因となるものを取り上げ、非難することはない。たとえ、都市の通りをデモや叫び声で駆け巡り、未来の政治家に選挙運動のために粉末と弾薬を提供するフリークたちであったとしても。すべての人は、気候変動をもたらすだろう有害な温室効果ガスの排出に固執するだろうが、企業や法人、個人がその過程で何十億もの利益を得るために実行する、恐ろしい過剰な人口という狂気の計略にある真実には目を向けないでしょう。そこで、人口過剰がすべての災害の原因になるとは考えず、叫ばれることもないだろう。だからこそ、世界的な出生禁止によってこれを劇的に減らされなければならず、その上で避妊具が導入されなければならない。これは、再び過剰な人口が二度と起こらないようにする工夫であり、そのためにも必要不可欠である。しかし、その活発な主に不必要な欲望と不必要な贅沢に対する無制限の欲求が、再び地球、その自然と動植物、そしてすべての生態系、さらには地球そのものに負担をかけるような策略を生み出す。二度と人類が、自己救済と世界救済のために再びチャンスを持つことは、本当に不可能でしょう。しかしそのためには、世界的な規模でコントロールされたバースストップを導入し、その後、効果的な避妊を行い、世界の人口を減らして、適正な水準に保つことが必要である。これだけで、地球人類の増大する欲求や欲望を抑制し、それに伴うあらゆる破壊を終わらせ、合理的なレベルにまで減らすことができる。実際、1947年の今日でも、化石燃料の各種エンジンや煙突などによる公害がすでに問題になっているという事実を見ても、その予言が確実に実現されてしまうように、多くの悪事が行われている。というのは、5年前と比べると、もはや空気は呼吸できる空気ではなくなっているからだと私は感じている。大気汚染はすでに気候に影響を与えていることに加え、それ以外にも自然界には他にも数え切れないほどの変化が現れており、水域は様変わりし、一般的な環境汚染は今やすっかり顕著になっているが、科学者たちはまだ気づいていないように見える。また、知識の巨人である彼らは、1947年の耕作地の破壊が、住宅、工場、道路、運動場など、あらゆる種類の人間の建設物によってますます露骨な形となり、植物だけでなく生物の属や種も姿を消して、どこにも見当たらないことに気づかない。これらは、これまで公表されてきた予言の一部であり、これから公開されるものである。また、次の詩とともに、第3千年紀に変わる前に地球上で起こる出来事を示している。人間性は啓発されるべきもの公的機関すべてはそれを行う責任があることをなにしろ彼らは国民の口利き役なのだからだからこそ、すべてを完全な形として公開されることが望ましい。Edi Meier*****************************もちろん、E・ツィマーマン牧師によってこの予言は、ヨーロッパおよび世界各国の政府、大小の新聞社やラジオ局、そして米国政府、ハリー・S・トルーマン米大統領個人宛など約3,000回にわたって送られたが、公的には一切反応がなく、私的にはこの書簡の受領確認などもなかったことは明らかであった。この予言では、もっと多くのことを述べ、説明する必要があった。非常に遠い未来に及ぶ、しかも人間の想像力を超えるような出来事、だからこそ、それらについては何も語らず、この予言はそれで十分でしょう。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤーアポフィス
2022.06.04

1947年7月12日土曜日にヨーロッパの政府および公共メディアに宛てた公開書簡第2部 1947年7月12日 / Edi Meier10才の少年の広範囲な予言(未来を決定づけるもの) その2自然な食糧の栽培は、ますます不安定になり、肥沃な土地はいっそう不足し、さらに土壌は枯渇するという結果をもたらすため、多くの弊害が生じるだろう。この状況に続いて、無数の新興企業や富裕な企業、そして農家や特殊農場もこの状況に参加し、一般的に最新の技術製品を利用するようになる。これらの特殊農業法人は、実際には農業部門に属するが、将来的には技術的・有機的な単位となり、基本的には農家が動植物生産を目的として経営することになるでしょう。その主な受益者は、化学会社や化学グループ企業であり、農業で使用する大量の化学肥料を流通させることで、実際の農業や私有農場によって、枯渇した土壌を再び肥沃にするために土壌に施されるが、人工肥料が中止された途端に、枯れ続け、荒れ果てることになる。人工肥料の時代があっという間にやってきて、かつての肥沃だった土壌が狂ったように肥やされることになるでしょう。そして、化学によって、それは続くでしょう。なぜなら、食品そのものがやがて化学的に生産され、実際に人類が抗議の声を上げることなく買い求め食べるようになるから。これに加えて、化学会社などが多くの毒物を生産し、それが草原や畑や田んぼや食用植物そのものに散布され、心臓までも毒されてしまう。それによって、これらの食べ物を食べると人々は病気になり、その結果多くの人が死ぬことになるでしょう。多くの種類の癌が発生し、多くの命が奪われるが、政府の関係者は毒物の使用を合法的に許可する。なぜなら、許可を与えることによって税金や賄賂の面で恩恵を受けることができるから。だから、食品を汚染している毒物は少量であれば健康に害はないと、彼らはその主張と許容をしている。食品を汚染する最小限の毒素は、人間の健康にとって安全でしょうか?という質問に対して、私の古くからの友人である経験豊富なスファートは、たとえ微量の毒素であっても人間の生体には非常に有害であると説明する。これは、重要な代謝や新陳代謝が適切に機能しているから。すなわち、物質が体内でスムーズに中間生成物と最終生成物に化学変換され、それを通じて生化学的な組成と分解が行われるようにするためである。人間が発明し、施した最小限の毒物でさえ、人間だけでなく、あらゆる動物や生物、その他のあらゆる生命、あらゆる植物にとって有害であり、生命を脅かすものであるということを、地球の人々は無理解と金銭欲の結果、教えを受けることを許さないのでしょう。将来的には、この種の有害物質については、徹底的に指導を受けた上で、ある一定量の最低量を公式に認めるようになるが、この承認によって、多くの人々や動物、その他の生物、植物が健康を失い、生命さえも犠牲にしてしまうでしょう。そして近未来、さらに遠い未来には、すべてが何度も繰り返され、交差することをもたらすでしょう。私はその時、その時点で、それに応じて選んだ予言がある程度、実現するような形で不特定に呼び出してみようと思っている。しかし、すべては間違いなく実現し、成就する。すべてのことは、私が見てきたように、経験してきたように、それらを呼び出したように実現する。なぜなら、私がこの目で見た現実の未来は、実現しないように曲げることはできず、したがって変更することはできないから。他の予言ですでに述べたように、現代の人間にはまだ想像もつかないような事柄や事実がある。これは例えば、将来、戦争や貧困、失業や政治的混乱の結果として、2億5千万人から3億5千万人規模の難民が発生し、主にヨーロッパや米国を中心とした世界に、問題を抱え、満足に解決できないという。そして、2050年には気候変動のために故郷を離れ、その後、まっとうな生活を求めて北部の国々に避難する難民が約2億5千万人になると推定されている。ところが、多くの人は本来の祖国に強制送還されることになる。また、難民の中には、犯罪者や反社会的な人間、強 姦や殺 人の前科者など、住民の安全やヨーロッパと米国の秩序にとって治安上の脅威となる者も多く残ることになるでしょう。これらの人たちは、ヨーロッパや米国の大陸を、自分たちの幸福を見つけたいと望む国と見なすでしょう。米国では早い時期にすでにマフィアなどが、また移民したヨーロッパ人が暴力と殺人で先住民を虐殺し、彼らの土地を奪ったように。特にアラビアや南部などの一族がヨーロッパに足掛かりを得ることに成功し、地方政府と治安部隊の愚かさの結果、彼らの犯罪行為によって自らの主張を確立することになるでしょう。だが、そうなると、米国とNATOの過失によって、占領下の惨めな敗北の結果、外国から犯罪者がヨーロッパや米国に連れてこられ、彼らは犯罪的に広がり、身代金の恐喝、酩酊薬物、殺人、暴力などで自分たちの身を立て、決してそれらをやめようとはしないでしょう。これらは実際、戦地や占領地からの避難者の中に持ち込まれ、そこで犯罪者や罪人が蔓延することになる。それはオーストラリアの場合も同様で、米国は、いつかこの大きな島国を吸収できるようにと、王冠ウイルスの流行時に特別な努力をして、悪巧みで拡張することでしょう。しかし、これらすべては、中国の指導者と手を組むことになる米国人の限りない憎悪によって、1970年代半ばから準備されてきたことが勃発することに比べれば、これらのことはまだ無害ででしょう。というのも、新しい千年紀と第3千年紀の20年代の終わりに、王冠ウイルス感染症が正式に広がり始め、その起源はコウモリにあると真実に反して主張されるとき、地球上の数百万人もの人々の死亡が判明するでしょう。ところが、真実は決してそうではない。早くも1970年代半ばに、米国から来た男と中国大陸の独裁者の憎悪によって、この疫病が研究所で作り出され、第3千年紀に遠くまで運ばれ、こうして世界中に多くの死の苦しみを広げることになる。そうして起こることは、まず老人と高齢者が王冠ウイルスの疾病で亡くなり、その後、若い人たちだけが亡くなることが起こる。つまり息切れから生じる王冠ウイルスの新しい突然変異に苦しむのは子供たちになるでしょう。だが最初のうちは、ウイルス学者たちは、これが疾病の別な突然変異であり、子供たちも呼吸保護マスクを着用していれば、その影響を回避することができることに気づかないでしょう。ところが、これは真実に反して、子供たちは自然に王冠ウイルスの病気とその影響からほとんど守られていると主張されるため、このことは敬遠されるでしょう。しかし、これは誤解と誤った評価に対応するものであり、この陰湿な疾病は予測不可能で、その危険性を矮小化してしまうから。しかしながら、長期的に見れば、権力者たちが混乱の中で間違った行動をとるようになったときに初めて明らかになる。それがやがて、世界中でデモが起こり、負傷者を出すことになるでしょう。とはいえ、この病気は約25年かけて5,000回変異し、新しい千年紀の変わり目に、確認できる形状で人々に認識される、つまり検出できるようになる。それでもなお、この人為的に作られた王冠ウイルス伝染病が世界中に危険な影響を及ぼし、2年以内に約3億人の感染者を出すが、同時に約600万人がこの病気で死亡するのは、第3千年紀の第20年目近くになってからのことでしょう。例えば、2021年末までにスイスでは約1万2千人、米国とブラジルではそれぞれ約80万人、ドイツでは10万人以上の伝染病の犠牲者が報告されているが、これはあくまで公式発表の数値に過ぎない。しかし、南米やインド、アジアの様々な国などで、高い死亡率を嘆かなければならない国も出てくるでしょう。けれども、特にオーストラリア、ニュージーランド、イスラエルは、アフリカやアラビアも同様に、その流行時期には大きな話題になるが、外の世界には多くを語らず、いわゆる文明国にはあまり関心を持たれないでしょう。まず高齢者、次に若年層がこの病気に罹患し、2021年末までに世界で600万人近くがこの病気のために死亡すると、そこで権力者たちは無知ゆえに急激に狂気し、ワクチン接種カードや、ワクチン接種者と非接種者の権利の差を要求し、義務付けることになるでしょう。支配者の無知と無能、そして罪悪感によって、支配者と人々が適切な行動を取らないために、人々の間で殺人や故殺、暴力や暴動が起こるでしょう。一方では、無能な支配者が、国民のために混乱を招くような独裁的な規制を制定するが、誰もがそれに従わないでしょう。なぜなら、すべての規定は無意味であり、暴力と反乱につながるのだから。しかしその一方で、無能な支配者たちが、これらの人々が異なるグループに分けられ、それに応じて彼らの知性や理性に従って、異なる方法で対処しなければならないことを全く理解できないでしょう。このように、来たるべき第3千年紀の20年代に地球上で王冠ウイルスの疾病が蔓延するとき、この病気に対するワクチン接種を拒否する3つのグループが存在することになる。しかし、これらのことは、無能で誤った判断をする支配者には理解されず、その結果、彼らは非論理的に、独裁的に、ワクチン接種を強制する規定を制定し、これが反発を引き起こし、同じように何も考えずに行動する人々によって、深く検討することもなく、単純に支持されている。スファートと私が、その時に学んだ21世紀の未来おいて、私が未来の存在との関連で名付けた3つのグループは、反対派や伝染病の否定派と呼ばれ、第3番目のグループについては、全く名付けられず、話題にも上らないでしょう。しかし、この2つの名前の付いたグループは、理性的で知的な啓発を受けていないグループであり、しかも無能な支配者の非論理的な決定に直面し、必然的に反乱と暴力を引き起こす人々でしょう。その結果、支配者の非常識なナンセンスに対する反対派や伝染病の否定派がデモ行動を起こすことになるが、これは自ら秩序を取り戻そうとする暴徒や反対派、伝染病の否定派だけでなく、個々の暴力的な治安部隊によっても、争いや殺人、殺戮を引き起こすでしょう。そして、このようなことは、いわゆる文明国と呼ばれるさまざまな国で起こっていることであり、時には血生臭い結果を招き、死者さえも出すことになる。第3のグループの人々についてもう少し述べるなら、彼らは暴動やデモの出現に関して受動的に振る舞い、黙っている。そのため、支配者たちは彼らのことを全く知らず、反対派や伝染病の否定派にだけ注意を払うので、気づかない。知性と理性に基づいてワクチン接種を拒否する静かなる者たちは、黙って歩んでいくのである。しかし、常識や理性からすれば、ワクチンが完全に開発されておらず、したがって十分な試験が行われていないため、現在または将来の深刻な健康被害や死亡につながる可能性があることを知っているので、あらゆることを控え、沈黙を守り、またワクチン接種を受けないでしょう。王冠ウイルス伝染病に関しても、見せかけの接種、蒸留水を使った接種、あるいは全く接種しないといった方法で、大規模な接種詐欺が行われ、それによって、接種済みとされる数が増え、それが時代の流れとなるでしょう。ワクチンのブレイクスルーも時間の経過とともに増加し、特に2021年半ば以降は、ブレイクスルー感染が発生し、その結果、病院の集中治療室で治療を受けなければならなくなる。しかし、この事実は、責任者が真実と向き合わざるを得なくなるまで、ほとんど隠蔽されることになるでしょう。しかし、だからといって責任者や、権力者の希望的観測や恐怖政治を誠実に受け入れる人たちに対して、無意味なワクチン接種の義務を課すことは止められず、常識的に考えてワクチン接種を受けない人々を、無責任で連帯感に乏しい人たちと呼ぶのでしょう(注2021:ワクチンのブレイクスルー感染症とは、ワクチン接種者に発生する症状性の感染症で、RT-PCR検査や励磁分離により診断されるものである。ワクチンのブレイクスルーには様々な原因がある。例えば、ワクチン接種を行って病原体が突然変異した結果、その病原体が免疫システムに認識されなくなったからで、プターによれば、王冠ウイルス病の未熟なワクチンの結果であり、そのため以前のワクチン接種や生き延びたウイルス感染には無意味で、すべてが新しい病気につながり、それが致命的になる可能性もあると言う)。このように、支配者の非合理性と、人々を心理的に評価する能力の欠如によって、人々に必要な処遇がなされず、適切な処置がされない結果、厳しい独裁的な2層社会が形成されていくことになる。しかし、これは部分的にしか成功しないでしょう。というのも、ワクチン未接種の反対派や伝染病の否定派の群衆全体が反撃に出て、抗議活動やデモだけでなく、殺人、故殺、喧嘩、暴動、襲撃にまで発展してしまうから。どの国の無能な政府も、国民の安全と健康のために正しいことを行うと妄想して、全く逆のことをし、独裁に頼って国民やワクチン接種を希望する人を脅して接種させようとする。これは、私がスファートと共に未来を見て経験したように、政府の無能者たちがそうすることであり、このような無能な国民の指導者たちは、その無知さゆえに、勤勉な労働者のうちの未接種者に嫌がらせして、ワクチン接種証明書がないと働けないとか、仕事ができなくなった場合には、法的に認められている賃金の継続的な支払いを拒否するのでしょう。これに対して、ワクチン接種者は、恐怖と臆病から、あるいは分離的思考から、あるいは不公平感から、無能な支配者の決断を支持し、独裁者の決定に従うことになる。彼らのように、個人および個人的な選択の自由を適用させないだけでなく、同様に、知性や理性などの理由でワクチン接種を望まない仲間を無視したり侮辱したりするなど、独裁的な姿勢を示すでしょう。そしてこれは、必ずそうなる。というのは、未来に起こることを、その時、私自身が目撃しているから。そして将来的には、ワクチン接種者の多くが、必然的に、実際の個人的な意思に反して接種されるだけの人になるでしょう。それは恐怖心から、あるいはワクチン接種支持者の説得によって、あるいは独裁的で不合理な政府の命令などによる悪意ある強制の結果として、あるいは雇用主の要求に従って、あるいはその他の訳の分からない理由で、臆病にもワクチン接種を受けたりすることになるから。多くの無能な支配者の無能力の結果、世界中の様々な国で人々のデモが至る所で行われ、その一部は政府の治安部隊によって残忍かつ暴力的に鎮圧されることになるでしょう。そして、犠牲者や死亡者さえ出ることもあるが、それは黙認されるでしょう。とはいえ、国民の一部は自由に行動できることを主張し、それに支配者が譲歩して、無責任にも安全対策なしの生活を許可することになる。したがって、娯楽だけでなく休暇の一般的な旅行も可能となり、人と人との安全な距離の不足も認められ、呼吸・唾液・咳・痰からの保護マスクの着用が廃止される。この試みは、人々が何も考えずに喜び勇んで実行し、疫病による何百万人もの死者をさらに引き起こすことになるでしょう。王冠ウイルス病は中国大陸で発生するが、その国の支配者や専門家は世界に対して真実を隠し、そのことに気づいてはいても、沈黙を守るでしょう。ところが、伝染病の存在を知っていながら、それが短期間にパンデミックとして世界中に広がり、数百万人もの犠牲者を出すという人類への警告を含んだ情報が、中国政府や科学界から外部に発信されることはない。そして、この王冠ウイルス病の真実は、最初はすべて否定されるでしょう。米国から来た男の憎悪とその国の独裁者の共犯によって研究所で発明されることになるでしょう。それは中国大陸で約25年の間に、研究所の専門家によって実験室で気づかないうちに繁殖し、新しい第3千年紀の近い時期に突然変異した疾病としての、あらゆるハードルを乗り越えていくでしょう。そして、研究室の勤務者の不注意により、この人が新しく開発したウイルスに感染し、他の人に感染させ、その人がウイルスを拡散して、すぐに世界的に流行し、パンデミックを引き起こし、さらに、それ以降の新型インフルエンザウイルスにも影響を与えることになるが、この外来からの突然変異に関する研究は、彼らの知識と能力をはるかに超えているのでウイルス学者も医学博士も証明することができない。その後、異なる形態が、急速に広がる新しいタイプのウイルスに変化し、それが認められて知られるようになると、さらに突然変異を起こし、絶えず変化して他の病原体となって瞬間に変質していく。新しい千年紀の19年目に、致命的な王冠ウイルス病が年の後半に中国で認識されるが、すべてが隠蔽されるから、まだ知られていない。ワクチン接種の影響に関して、どのような危険が起こり、その件数はどれくらいになるのか、権力者も、何十億ものお金を稼ぐワクチンの製造業者も、口を閉ざすことでしょう。全体として、ワクチン接種者と非接種者の2つの階層社会を作り出し、それぞれの階級の間に摩擦が起こり、その結果、政府による措置が行われるほどの政治的影響を与えるでしょう。王冠ウイルス病の影響は世界中に広がり、一部の哺乳動物もこの伝染病ウイルスのキャリアとなって、発病する。その過程で、統治能力のなさに頭を抱え、あるいは疫病対策が不十分で間違った対処をする支配者の多くは、正しいことをしていると誤解しているが、実際には間違ったことをすることになり、それが一部の人々には不快感と損害をもたらし、彼らはそれに憤り、結果として反乱を起こすことになるでしょう。その結果、支配者は自らを不人気者にし、独裁的に国民を政府に忠実な者と不忠実な者に分け、支配者を信じる者は、彼ら自身が誤った方向に導かれることによって、自分の知っていること以上にすべてを知りたがる医学者の信奉者となってしまう。そして、反対側では支配者が望むものや命令するものをわずかにも受け入れる人々が出てくるでしょう。しかしその時、支配者たちは、その時期(これは第3千年紀の21年目の半ば頃になる)に、権力欲の本心、つまり、人々の意思の支配者として命令し、独裁的に支配し、独裁的に行動し、独裁的な力を行使したいという感情を持ち出すことは明らかでしょう。出来事とは別に、例えば、王冠ウイルス病の流行がウイルス学の科学者と多くの支配者とその従属者たちによって誤判断されることは、彼らが人々を統治する能力がないことを証明している。したがって、無知な彼らには、疑わしいワクチンを使った予防接種を強制的かつ独裁的に国民に実施し、ワクチン接種を望まない人にその意思を持たせず、それによって、個人的な選択の自由を奪うだけでなく、独裁的に支配し、奴隷化しているということを理解できないでしょう。ワクチンは、一方では十分にテストされておらず、半分は役に立たず、時には部分的にしか役に立たない、あるいは致死的になる可能性があるが、恐怖と同様に無知から、権力や独裁への欲から、政府の誤解から、利益の欲などから、むやみに使用してはならない。十分なテストが行われず、単に金儲けのため、あるいは恐怖や独裁のために使用を許可し、これらの人々やそれらの人々の命を弄ぶようなワクチンは第3千年紀の未来においても、禁止されなければならない。というのは、いくつかの伝染病の流行が引き続き脅威となっており、そのうちのいくつかは、あまりにも多くの人々によって引き起こされ、世界中でひどく蔓延することになるだろうから。ワクチンについては、権力者が明確にし、国民に対する公正な基準に適合している必要がある。しかし、行われていることは全く逆で、独裁的な規定と行動様式に対応するものであり、政府の茶番劇に過ぎない。長期的には、第3千年紀の30年間で使用されるワクチンは、少なくとも当初は、本当の成果よりも実害をもたらす可能性があり、ワクチンが使用される前にさらに研究されなければならないもので、来るべき時代には本当にそうなるでしょう。しかし、これは利益目的のために、この点は考慮されず、多くのワクチン接種者の健康を損なうだけでなく、他にも命を奪われる人がいる。しかしその後、ワクチンの正確で有用な試験から時間の経過とともに何がもたらされるかは、まだ分からない。というのは、この点に関して、未来の出来事を予期すべきではないし、それを知ることは益よりも害をもたらすことが多いから。その時に、明らかになることすべて、伝染病が憎しみに堕ちた米国人による復讐行為であったという、事実上の真実を忘れさせるための、偽りの起源を創設することになるでしょう。1970年代、同じ志を持つ中国の独裁者と密かに結託し、復讐のために、新しい千年紀に王冠ウイルス病の流行をもたらすような研究室での実験を実現させた男。その結果、間違いなく感染病が鍛えられ、最終的には彼らの復讐という死の仕事を始め、米国だけでなく世界中にその死の仕事を広めることになるでしょう。しかし、主な被害者は米国の人々であり、彼の憎悪に対して、それ自体では全く何もできないが、その一部の責任者以外は、純粋に何もすることはできない。しかし、その結果は深刻で長期にわたって続き、米国から100万人以上の命が奪われることになるでしょう。世界の至る所でそうであるように、王冠ウイルス病は米国でも非常に困難になるでしょう。そこでは、恐怖と虚偽のプロパガンダによって、支配者たちは、不合理にもヨーロッパと同じように、王冠ウイルス病の予防接種を受けたことを証明でき、それに応じてIDカードを提示できる人にだけ、公共施設や建物の入場や使用を許可するという、本来ならば安全とされる重視事項を命じるでしょう。なぜなら、ワクチンはあまりに未検証で、生命にとって危険でさえあり、そのために人命を奪う可能性があるにもかかわらず、強制や誘導、報酬によってワクチン接種を実行するための無意味な試みが行われる。その物質は、ある人には部分的に全く効果がないものもあれば、他の人には中途半端であったり、良かったりするのが正直なところで、だからこそごまかしが生じ、結果として、人々が優れた試験済みのワクチンに期待する必要な安全性を、保証することはできない。さらに、ワクチンについてはテストが不十分で、効果があると見なされて初めて全般的に有効となるので、多くの嘘が出回るであろうが、特に、143万本という数の蒸留水だけで構成されたワクチンは不正が行われたもの。そしてこれは、疑わしいというよりも、予防接種を受けた人が騙されるだけの、詐欺的な金儲けのスキームに過ぎないでしょう。一方では、ワクチンの製造者は何百万人ものワクチン接種を受けた人々によって歓迎され賞賛され、他方では他の人々から呪われ、彼らは一生持ち歩くかもしれない病気にかかることになる。しかし、怪しげな強制的手段を実質的に命令し、それによって、国民を2つの陣営に分断するような、恐ろしく、無能で、非論理的に考え、間違って行動する支配者たちは、このことを考慮することはないでしょう。その無責任さゆえに、正しいことをする代わりに泥沼化させてしまうので、国民の健康にとっては逆効果になる。彼らは、統制の最初の最も重要な月に、休日の交通やビジネスの交通を合法的に禁止することはないでしょう。また、緊急事態に応じた交通規制や、人と人との適切な距離の取り方の厳密な指示や、呼吸・唾液・咳・痰に対する保護マスクの着用義務も同様で、当分の間、実施されることはない。そして廃止し、あまりにも早く、その結果、それは何の効果ももたらさないでしょう。それどころか、全く不十分な形で、非常に短い期間だけ行うだけで、その後は、この緊急に必要とされる規制を治安部隊によって綿密に厳しく管理し、実際に実施するのではなく、再び緩く、それもあまりにも早く終わらせて廃止し、結果的に何の効果も得られないでしょう。それは、政府の無能な者たちが、同様に未試験のワクチンの有効性についても嘘で固め、それによって、どんなワクチン接種も効果的に有効であるという誤った安心感を人々に抱かせることになるでしょう。そして、無能な支配者たちは国民に、自分たちは王冠ウイルス病に対して正しいことをすべて行っており、ワクチン接種に関しては国民一人一人の自由で個人的な意思に任せると嘘をつくでしょう。嘘をついて、なぜなら、すべてが有効でなく、遵守されなくなって、法律として罰金を科せられることになるため、市民の個人的な意思の権利は突然否定され、無効とされて、個人の意思に反する行動を強いられ、抵抗にもかかわらず、そのための証明書を受け取るために、ワクチン接種を強要される。そうして、ワクチン接種を受けて、将来的に感染の可能性がなくなるというのは、不誠実で嘘つきのウイルス学者だけでなく、金儲け主義のワクチンメーカーや無能で風変わりな支配者の一部が、公然と嘘偽りの情報を流して自分の名をあげたいがために主張し、残念ながらそれが今日の順序となるでしょう。そして、ワクチン接種証明書が大量に偽造され、ワクチン接種を受けた人の数が、真実よりもはるかに多い数百万人単位で発表されているという事実が、わかっていながら秘密にされることになる。やがて、第2千年紀の終わりを迎える前に、地球の人々の態度が否定的な方向に大きく変化し、良いアドバイスを受けても自分自身を助けることが出来ない時代がやって来るでしょう。多くの人は失敗して自分の人生を困難にし、最終的には自殺してしまうだろう。本来、人は自分の人生や存在意義を管理するものだが、数十年後にはそれを忘れ、ちょうど自分自身と自分の性格の善し悪しに対する自己責任を失ってしまう。同胞である人の誰かに自分のことを決定させ、信仰の嘘を通して神の力と強さを信じるように説得力を持ってだまし、人生のすべてを明瞭にすることができる宗教と宗派の誰かに任せる。それとも、自分自身を神とする宗派の奴隷となる〈(注2021:例:オペレーティング・セイタン(OT)、霊的存在としてのサイエントロジーは、基本的にそのような自己、または肉体や物理的な手段を使うことなく、あらゆることに対処できる存在であるとされている)、さらに、他の信仰の嘘で人々を惑わせ、それを通して自分は偉大で強くなり、他のすべての人の上に立つ存在であると信じるように誤解させる(注2021:サイエントロジー宗派のいずれかのメンバー(通常はオペレーティング・セイタン)、しかし、その課程で死亡し、その死を説明できないという事実は、この宗派にとっては普通のことのように思われる〉。まさしく、自分の隣人や仲間の人間の全般的な幸福や福祉を軽視しているように、それどころか太古の昔からこれを軽視してきたよりもはるかに多くの、自分の隣人や仲間の人間を無感覚に、無感情に死なせたり殺したりさえしている。自分の住む地域に無関心になりつつあるが、将来はこの点に関してさらに悪い形態をとるでしょう(デスヴァレーで、スファートと一緒に米国に滞在した後、枯れ果てて硬くなった平原を何センチもある重い石が風によって運ばれていく様子を見たとき、将来はこの点に関して、さらに悪い状況を作り出すだろうと思った)。地球上の人々は、その総人口の過剰な増加の結果として、個人的な隣人や同じ仲間の友人、自然やその動物相や植物相、地球やすべての生態系に対する策略の結果、まったく完全に堕落してしまうでしょう。このように、人間は地球上のすべてのものに完全に無関心になり、さまざまな種類の、さまざまな形の、あらゆる汚物を大自然の中、水、湖、川、小川、海に投げ捨て、その結果、水域は完全に汚染され、ゴミで汚され、水は病気になるような状態になり、最終的には崩壊し、水域は汽水となって、悪臭を放ち、腐ってしまう。水辺、陸地、湿地、沼地などのあらゆるゴミを通して、その表面、その中、あるいはその空中に生息する生き物の属や種は、食用のため、狩猟のため、または同情心などから人が捕まえて殺されない限り、病気になって生命力がなくなり、苦しみのうちに死んでいく。その他の廃棄物は、第3千年紀に向けてエネルギー生産のために建設され、使用された原子力発電所からの廃棄物として排出されることになる。その後の放射性廃棄物は、いわゆる最終処分場に地中深く埋められるか、海に沈められることになるが、それは自然やその動植物、大気や気候と同様に、地球の未来と未来の人類の子孫に危険な負担を押し付けることになる。なぜなら、放射性廃棄物の最終貯蔵施設は、その上の土壌や地盤が汚染されると、遅かれ早かれ放射性物質を外部に放出することになる。堆積物の上にある大地が浸食され、容器は水に浸かって崩壊し、その結果、保管庫から放射能が放出される。処分場の上にある大地や土壌において、どんなに遮蔽構造を作っても、侵食され、また洗い流され、風に運ばれ、地球の変化と共に姿を消して、露出し、放射能を自由に放つようになっていく。これは、1939年代の米国で起こったことと似ているでしょう。その時、枯渇した平原地帯から耕作放棄地を経て、風が巨大な砂塵雲として地球の表面を侵食し、それが砂嵐となって幅数百キロメートルも遠く離れた陸地まで吹き飛ばされた。これは、14年間人間が使用して耕した肥沃な土地が、太陽の熱で完全に枯渇して乾燥し不毛になった後、砂嵐の怪物として発達した砂嵐によって、全国に非常に広くそして遠くまで走り抜けた。そしてこのことが、遠い将来、ヨーロッパにある場所や将来建設されるだろう放射性廃棄物の貯蔵場を脅かしている。ところが、遠い将来において、自然が地震によってそれを引き裂き、放射能が放出される時が来れば、広大な地域が汚染されてしまうことになる。氷河や北極、南極が解けて海が膨らみ、近くの低地が水浸しになって、さらには侵入する大量の水の下に村や町が永遠に沈んでしまうというのは、かなり先のことではあるが、必然的に起こることでしょう。全く無責任に建設された放射性廃棄物処分場は、結局はただ埋められるだけで、遠い将来にはあらゆる種や属のすべての生命形態にとって放射線障害となり、致命的な巣窟と化すでしょう。また、使われなくなった、使えない、役に立たないなどの理由だけで、軍隊が湖や海に廃棄物として捨てられる武器、爆弾、弾薬(廃止された核爆弾を含む)と同じように、未来の一部となり、それらは淡水や塩水域を長い間汚染し続けることになるでしょう。しかし、それはいつの日か、人口過剰が過去に作り上げた近代的成果の、人類と生物界全体に対する致命的な遺産となるでしょう。これは、酸化作用によって発生した有毒物質ガスが上空を漂って大気中に入り、それを吸い込んだ生物が病気になったり、死んだりするためである。遙か未来に、地球上に多くの災厄をもたらす放射性廃棄物貯蔵庫に加え、原子力発電所と呼ばれるエネルギー生産の革新的な技術も、まもなく相次ぐ災害に見舞われることになるでしょう。そのうちのいくつかは、内部の管理ミスやエラーによる原因となるものが多い。核の爆発によって破壊され、実質的に永久に使い物にならなくなり、原子核を放射化する怪物と化す。私の友人のスファートによると、原子核の放射線や破壊された施設の放射能は、200年後には天然ウランと同程度の強さになるという。しかし、このような核汚染された地域で育つ食品は、少なくとも大量に食べてはならない。なぜなら、それは致命的であり、このように長い時間が経過すると、呼吸器にも当てはまり、危険にさらされることになる。放射線による毒性いわゆる放射性毒性は、約3万年後には通常の花崗岩の岩石とほぼ同じになるとのことである。一方、弱・中レベルの放射性廃棄物は、約500年で農業用肥料のリンと変わらない放射性物質になり、高レベルの放射性廃棄物は、天然ウランから得られるウラン鉱石の5〜6倍の強さの放射性物質に減弱するまでに約1000年かかると言われている。また、爆発物を収納する容器は、通常、酸化する種類のものであるため、時間が経つと腐敗する。これにより、爆薬の外側の素材が酸化によって還元され、有毒ガスの発生に加え、火薬の分解と水の浸透を引き起こして、化学反応が始まり、すべての生命にとって危険で健康に害を及ぼす物質が放出されることになる。地球の人々はこれからの時代、地球のために、自然とその動植物のために、大気と気候のために、ひいてはすべての生態系のために考え、行動することができなくなってしまうでしょう。その結果、安易な行動によって、自然の生命の過程を乱すだけでなく、実際にそれを破壊してしまい、自分の人間としての破滅をも招いてしまう。自己責任の感覚は、非常に邪悪な利己主義、過剰な人口、身体のこと、生命、隣人や世界の災いや不幸に対する無責任な無関心の高まりによって、将来の時代においては深く影響されることになるでしょう。そして、自分に関係するすべてのことや責任が、個人的な利益を深く損なうことになるので、もはや仲間の人間や動物、他の生き物や植物の命を守るため、あるいは、それらの命を救うために、ほんの小さなことでさえ、もはや思いを費やさなくなることが起こるでしょう。どんな種類や種の生命でも、その繁栄と苦難に関わることは何も考えず、無関心に、全く関係ないこととして無慈悲を受け入れている。これは、すべてが自分自身の生活のために、幸福、欲望、快楽、そしてあらゆる種類の個人的な事柄のために適用され、隣人、仲間、そして他の何に対してもまったく考慮することもなく、恐ろしいほどの恐怖心を伴って擁護され、行われるでしょう。そうなると、人間はさらに無関心になり、注意を怠り、過剰な人口全体が、自然やすべての動物相で何が変化しているのかを知覚できなくなるでしょう。だから、その後の気候変動が初期段階ですでに始まっていて、動物相が変化していることがすぐに明らかになっていることに気づかないのでしょう。来るべき未来には、老若男女を問わず、人生に耐えられず、自分の存在が耐え難い重荷になって自殺するために、ただ命を絶ち、終わらせる人たちがたくさんいるので、このような死亡率は、病死するすべての人数よりも高くなってしまうでしょう。これは、第3の千年紀に王冠ウイルスの病気がパンデミックとして世界に蔓延し、多くの人が不安や器質的な飽くなき苦痛から、もはや自分の痛みに対処できず、自殺という逃避に最後を求めるときにも言えることでしょう。そして、テロによる飛行機攻撃で3,000人以上の死者を出すニューヨークのように、20年後には独裁者に4年間、米国民は支配されることになる。これは、米国がベトナムや中東の他の国々を経て世界支配の敗北を喫し、何も達成せずに軍事的に撤退した後、イスラム支配による殺人や虐殺などの混乱が国外で起こり、女性の権利は脅迫や死によって制限されことになるでしょう。そして、第3千年紀では、多くの無能な女性や男性が、自分の地位を高めたいがために、他の女性や男性、政党を侮辱したり、嘘をついてそれらを無理強いしたりして、自分や自分の政党を実際よりも良く見せようとすることで、自分を支配者として偉く強くなろうとすることでしょう。それは、無能でその職にふさわしくない政府の男性たちと変わらない、そのような女性たちでしょう。そのため、女性の中で悪い人は、男性の中で悪い人と同じように考え、振る舞い、行動し、統治するに値しない、能力のない人になってしまうでしょう。今後、権力を目指す者たちは、これまでにはなかったような方法で、嘘や誹謗中傷、汚い侮辱を駆使して、相手の政党とそのメンバーを政治のぬかるみへと私的に踏みつけていくだろうし、それが政治の未来の秩序になるのでしょう。根本的に悪く、間違っていて、人々に損害を与えるものさえある多くの統治政党はすべて、外国の影響を受け、これまで以上に分裂し対立することになる。それによって、敵対関係と嘘偽りの疑惑が増え、少なくとも警察や警備の対策を講じなければならないほどに増加する。少なくとも、一部の政党は他方よりも優れていると考えているためだが、実際には同じ綱、すなわち権力にぶら下がっているのであり、権力は異なった形を持って、決して互いに協調し合うことはないでしょう。ペルシャ(現在:イラン)では皇帝が逃げ出し、宗教政権が権力を握ることになり、国民、特に女性に死と破壊をもたらすでしょう。アフガニスタンという国でもそうでしょう。世界支配に溺れた米国の占領が、新しい第3千年紀の第2の10年後に敗者として立ち去るとき、米国が極東ですでに何度もそうしなければならなかったように。将来も、米国が世界を征服し、その支配下に置く可能性はあまりないでしょう。それというのも、運命がこの国家に別のものを運命づけている。特に1989年以降は、世界に良い影響を与えるよりも悪い影響を与えるような米国の大統領が政府の舵取りをすることになるでしょう。また、極端な政治的攻撃も増加し、それは新しい第3千年紀をはるかに超えた未来にまで引き継ぐでしょう。それだけでなく、加害者が宗教的にも政治的にも誤った考え方を持っているため、多くの人命を奪うような私的な攻撃も行われるようになるでしょう。しかし、もはや明確に合理的に考えることができなくなり、気が狂ったようになって、殺人を犯したり、また予期せぬ大量殺戮や人々の虐殺を犯したり、世界中を襲うようになるでしょう。新たに自由を求める意志は、人々を反乱に駆り立てるだろうが、これはアラブの春の話題が浮上したときにアラビアで起こるように、政府の中の権力者によって鎮圧され、多くの命が奪われるでしょう。というのは、権力に傾倒する者はいずれも、悪質な力で国家の失政に舵を取ることになるでしょう。人々はますます女々しくなって、遠い未来には遺伝子操作によって特殊な性質を持つようになり、変化していくでしょう。このような超人は、多数ある分野で効果的に育成され、その専門分野に応じてエリートを形成し、その特別な分野においてますます迅速に働き、その結果、未来を形作り、また、未来を誤って形成することで、最終的には人類の滅亡またはその自由につながることになる。空間不足の状況がますます深刻になるにつれて、人々はお互いの足を踏みつけ合い、お互いに暴力を振るうようになる。まだ、救えるものを救おうとする自然保護活動家は、男女を問わず、世界のあらゆる場所で殺害されることになるでしょう。これは主に、いわゆる低開発国で起こることで、将来的には熱帯雨林の皆伐や焼き払いが行われ、特に南米やアジアでは木材の強奪や土地の収奪が日常的となるでしょう。すべての人間は自分の生息地を守り、そのために戦い、死ぬことを恐れずに行動するでしょう。しかし、あと3ヶ月でドイツは2つの国、すなわち米国の占領下にある西ドイツ連邦共和国になり、敗れたソビエト連邦の一部である東ドイツはドイツ民主共和国になるのだから、多くの人にとって何の役にも立たないでしょう。そして、古くから防護壁としての万里の長城と同じように、1961年の初秋には、ソ連の政治指導者によって、占領地である東ドイツにも壁を建設することが決定される。このように、ドイツ民主共和国と西ドイツの間では、国境によって国家を分断させるだけでなく、国民がドイツ民主共和国から脱出するのも防ぐという計画も立てられている。これにより、ドイツ民主共和国の国民は、いわば自国の囚人であり、また、命の危険を冒して西ドイツに逃げ込み、警察は、その後、良心の呵責もなく人を射殺する人々で構成されているため、必然的に死者も出ることになる。この国に実際に存在するだろう独裁政治から逃れるために、命令に従わず、機会があっても自ら逃げ出す人は、ごくわずかでしょう。この体制では、子供や若者でさえも脅されて国家に拘束され、人々が国家の敵として裏切られ、迫害され、殺害されるのと同じように、自分の親をスパイして裏切ることを強要されるでしょう。個人宅には秘密のマイクで盗聴され、女性や男性のスポーツ選手たちは国際大会や国内大会の両方で勝利を収めるためにはドーピングしなければならず、国家によって薬物を投与されることになる。拒否する者は、強制的に行われるか、単に殺害されることになるでしょう。これは、人々が西側に逃げることができ、そこで偶然によって命を落とした場合と同様に、事故として見せかけることになるでしょう。しかし、疑わしいと思われる司祭や教師なども国家保安委員会の実務担当者によって厳しく監視され、教会やその他の公共施設でも秘密のマイクで盗聴され、のちに国家の敵として告発して有罪にするための証拠を得るために、盗み撮りされる人も秘密のカメラで録画されることになるでしょう。そして、このドイツ民主共和国という国では、存在中に、危険な国家の敵として見なされる人、殺人犯などの重犯罪者、あるいはスパイ容疑者として、人々が秘密の地下室で密かに処刑されることになる。そしてすべては、国民の知らないところで行われることになる。死刑判決を受けた人々は秘密の地下室で銃殺されるかリンチされるが、それ以外の者はギロチンで処刑される。これは、私が予言したとおりになるでしょう。モスクワでは、頭に目で見てわかるような傷跡をつけた男が権力を握ることになり、その男がドイツ民主共和国のすべての非人道的行為に終止符を打ち、人々に自由を与え、その後、再び壁を壊すことになるでしょう。ドイツ民主共和国の国にあるもの、すなわち壁は、後の時代に世界中で真似されることになるが、そのほとんどは、難民の入国を防ぐために国境の周りに高い塀、さらには電気を帯びた鉄の柵を設置するという改変の形で行われる。南部およびアジアの貧しい国々からの難民の流入は(ドイツ連邦政府の指導者の歓迎する文化と、難民受け入れの呼びかけに刺激され)、最終的に2億5千万人から3億5千万人に達する世界的な難民の波を引き起こすことになるでしょう。これは、マフィアや他の昔からの犯罪組織に加え、米国や南米、オーストラリア、中東、アフリカ、アラビア、そして極東の奥地など、お金や富を求める多くの個人と同様に多数の犯罪活動が起こり、将来的にその存在を世界中に知られるようになるでしょう。多くの犯罪者は、殺人やその他の悪事を容赦なく行い、起訴されることはなく、そのために決して裁かれることもなく、仮に裁かれたとしても、馬鹿げた罰則と猶予を受けるだけである。同じことが、国家権力として行動する政治的犯罪活動だけでなく、様々な組織的犯罪活動でも起こるだろう。死刑、拷問、暴力などの大胆な方法を用いるが、彼らは恐ろしいほどの賄賂を受け取っていたり、犯罪組織に所属していたり、あるいは犯罪者を恐れているので、一般市民の自警団は何もしないでしょう。非常に多くの犯罪者、窃盗犯、拷問者、強 姦 者、殺人者、暗殺者が、神への信仰、神とその正義、法と秩序、愛情と人間性について語るが、すべての秩序、すべての法、すべての愛、すべての人間性を踏みにじり、殺人、強 姦、略奪を行うでしょう。そうすることで、権力者たちがそうであるように、神やそのようなものへの信仰を前面に押し出す。しかし彼らは、本当は人々の福祉には決して関心がなく、常に人々に対して行使できる自分の権力だけに関心があり、そのために法外な報酬を受けたり、自ら報酬を得たりしている。約40年か45年後に、世界を恐怖に陥れる犯罪組織が出現し(アルカイダと呼ばれるアラブ・アフガニスタンの犯罪ネットワークが世界を恐怖に陥れる)、それは世界中で多くの攻撃やテロリストによる民間人の大量殺戮を行い、アフリカの奥深くまで広がって、長期間にわたって一貫した活動を続けるでしょう。この殺人組織の創設者が米国人に殺害された後でも、この組織は第3千年紀にまで長く存在し続けるでしょう。これは数年後に、イスラム国と呼ばれる宗教テロ組織が、シリアやイラクに新たに出現し、極めて殺人的で悪質な殺人犯・犯罪組織が新たに存在感を示すとき、ヨーロッパを含む世界中で活動するようになった場合にも当てはまるでしょう。奇妙な宗教的イスラム教の見解を持つ彼らは、邪悪な宗派として殺人的組織を形成し、世界中から同じ考えを持つ多くの人々、女性や男性を集めて、殺人や虐殺を行い、血生臭い商売をするようになるでしょう。略してISと呼ばれることになるこのテロ組織のメンバーには、ヨーロッパから大勢の狂人や殺人鬼が加わり、世界各地、特にスイス、オーストリア、フランス、スペイン、ドイツなどから来た女性や男性も含めて、平気で殺人を行うことになるが、自国に戻っても司法制度が情けないことに機能せず、ほとんどの場合、罰せられることはない。犯罪者たちは、短い時間だけ自分たちのことを話し、それで終わりとなる。その結果、殺人、強 姦、虐殺、拷問などの責任を問われることはない。しかし、第3千年紀のはるかに先まで、イスラム国はその殺人的な悪事を続けるでしょう。ISのメンバーが多くの犯罪や、宗教的に卑劣な人間の生命を奪う攻撃を実行することでしょう。こうしてイスラム国は長期にわたって存在し続け、さらにはアフリカ南部や南米にまで進出し、犠牲者と被害者を出すでしょう。また、ヨーロッパ、米国、日本、そしてすべての国でそうであるように、地元の犯罪者や犯罪組織が悪さをするでしょう。これは、ソ連が解体された後の新しいロシアでも同じことが起こるでしょう。なぜなら、あらゆる伝染病がすべての国で蔓延し、パンデミックが世界中に広がるように、犯罪や犯行は一つの国家に留まらないから。太古の昔から、地球上の人間は殺人と故殺、流血、復讐と報復しか知らず、それは宇宙からの大きな危機が地球人を苦しめても、第3千年紀はこの状態を続けるでしょう。ドイツ民主共和国は、難民に対抗するために国境に壁を築くように、米国やその他の国家も侵略者を排除し、自国民が逃げ出すのを防ぐために同じことをするでしょう。ちょうど、他の国も、第3千年紀には、国外から大量にやってきてヨーロッパと米国の国家に殺到するだろう難民を阻止するために、国境に壁やフェンスを設置するでしょう。その結果、難民の流れに対処するためには、未だに壁やフェンスを築くことが唯一の解決策と考えている。
2022.04.30

1947年7月12日土曜日にヨーロッパの政府および公共メディアに宛てた公開書簡第2部 1947年7月12日 / Edi Meier10才の少年の広範囲な予言(未来を決定づけるもの) その1また、いわゆる環境保護も誕生するが、人口過剰の増大とその策略は背景に押しやられ、否定されることになる。そして、この2つの要因が、環境破壊、自然破壊、動植物形態の絶滅、地球の破壊の原因になっているにもかかわらず、このようなことが起こる。しかしこれは、他の人たちがそれによって大金を得られるよう、自分たちが公共の場で大きく取り上げられることに興味を持つ勢力によってコントロールされるでしょう。したがって、生態系すなわち自然、動物、生物、その他すべての生き物、人間、植物、地球そのものなど、考えうるすべての分野の本当の破壊の理由を隠し、拡大させるためにあらゆる手段を講じるでしょう。人口過剰と環境破壊が、切っても切れない関係にあるということは非常に長い間、隠され、多くの場合それでお金が儲けられるので、宣伝に熱心な人たちによって、本当のことはすべて隠蔽されることになる。すべては公共での評判のため、あらゆる陣営の人物が環境保護のために名乗りを上げ、その結果、人口過剰の策略と人口過剰そのもの、そしてその策略を実現する金儲け主義者たちが、影に隠れて沈黙を守ることになるでしょう。しかし、地球上のすべての生態系に加え、地球、大気、気候のあらゆる破壊の主な悪は、金銭の獲得や富の蓄積にあるでしょう。これは、純粋に商業的な理由による動物、家畜、家禽の飼育でも起こることで、過去には見られなかったような動物虐待がすでに世界中で展開され、公的な動物保護管理にもかかわらず、改善されないという結果を招くでしょう。特に人々の利己主義と無関心(行政制度を意のままにしか行使しない)の責任は大きいでしょう。人間の子孫については、一方ではすべてが、人口のために多子希望を無理に支持されるように表現されており、他方では、様々な女性の多数の妊娠が不注意な性 交に現れていること、これも問題の核心でしょう。しかし、人口過剰の弊害は、より多くの人口という妄想の中に生き、理不尽にも子孫を残す親に、後の子供の利益ではなく、新たに子供が生まれた場合には特別なプレミアムとして子孫繁栄金を夢中で支払うという、それらの様々な政府の責任と問題にもなるでしょう。また、そのような資金を自分たちのために流用し、自分たちのために民間の闇ルートで消滅させることによって、税金から自分たちを豊かにする無能で不誠実な支配者たちにも、特別なボーナスが与えられるでしょう。しかし、すべてのことを最初に言わせてもらうと、これは後でもう一度、繰り返さなければならない:なぜなら、政府の中には、自分の良心と能力の限りを尽くして正しくその職責を果たし、今後もそうし続ける人々がいるはずだから。いずれにせよ、無能な人間を政府から追放するためには、これらすべてを控えるべきである。今申し上げたことは、21世紀に入ってからも、一般に公開されるまでには長い時間が掛かるでしょう。そして、ようやく20年目に入ってから、無能で不誠実な支配者のこうした策略が偶然によって明らかになる。しかし、それでは短い数十年の間に起こることと、発覚の時までのことに過ぎない。一方で、1947年のこの時代でさえ、国民の税金をごちそうにしている、無能で不誠実な支配者たちの、以前のことが明るみに出ることはないでしょう。しかし、私の予言は、パンドラの箱が開いてしまったときに初めて、世界の約半数の国が、彼らの偽りの支配者たちが、何十億、何百億という税金を、すでにお金で溢ふれている自分のポートフォリオにかき集め、架空の住所などを使って世界中に隠し持っていることを知ることになるでしょう。しかし、彼らの秘密の財布は、第3千年紀にパンドラの箱が開かれ、その中身が明らかになったとき、破裂してしまうでしょう。すでに始まっていること、そして特にもっと遠い未来に何が起きても構わないという考えから生じる、地球上の人口過剰の結果として多くの変化が起こるでしょう。あらゆる点で、世界のキャパシティを超えている。これは、お金という意味での世界の富を意味するものではなく、当局からの税金泥棒、汚職だけでなく、金持ちや他の税金詐欺師、俳優、モデル事業者、スポーツスターなどあらゆる種類の偉人の富は、今後、税金を払わずに地球の隅々や場所に数百倍、数千倍という金額が移され、貯め込まれ、さらには隠されることになるが、それはある偶然によって約70年後に公に知られるようになる。しかし、この富とは、能力や熟練を意味するものであり、もはや人間の能力から失われ、消えてしまったもの。将来、地球に住む人が多ければ多いほど、より多くのことが起こるので、彼らの態度や行動はますます露骨に堕落するほど否定的に変化するだけでなく、そのネガティブが彼らの能力や健康の萎縮にも反映されるようになるでしょう。苦痛や病気が発生し、地上の医師が誤って評価して、患者の不利益となる。しかし、それは彼らにとっても未知のものであり、結果として彼らはその起源において間違った判断をすることになるが、それはほとんど非難されるべきものではなく、新しいものはすべて最初に必要な知識を必要とするためである。これはまた、人々の精神的な問題を非常に癒やし、または心を落ち着かせる効果を有する麻の植物からさまざまな良い薬を得ることができるという意味を持っている。しかし、麻という植物は誤って覚せい剤として禁止されたため 、このことは無視され、21世紀になって初めて、さまざまな病気などに優れた薬として本当の有効性が知られるようになる。それにもかかわらず、麻は今後も各国で中毒性のある薬物や依存性のある物質として禁止される一方で、時間の経過とともに許可する国も出てくるでしょう。ヘンプを禁止したのは、米国に住んでいたハリー・アンスリンガーというスイス人で、禁酒法時代にアルコール禁酒省に進み、そこで彼は麻薬省を設立し、アルコール禁止令が解除されたとき、失業した省庁の人たちが、アンスリンガーのアイデアで再び雇用を得ることができる。この現象としては、スイスは今後、他の国にはない時給や月給という形でおびただしい賃金が支払われる高価格帯の国となり、その結果、スイス国民の金銭感覚は大きく変化し、恐ろしいほどの借金を背負うことになって、それによって、各国の債務回収会社や民間の債務回収業者は、もはやその仕事にも支障をきたすようになるでしょう。住宅価格が高騰し、平均的な収入の人が購入できなくなり、何の快適さもない古いアパートに住まざるを得なくなる。このことから、多くの新しいマンションは賃貸されることもなく単に空のままとなり、無用なものとして取り壊されるので、建築用地が再び利用できるようになると、これは新しい高価なものよりも、安く再建することができると言われる。高価で賃貸できないマンションは未使用のままとなる。少なくとも、スファートと私はその場所で未来を探索し、すべてが予測されるとおりに見たときはそうであった。しかし、高価なマンションは買えなかったり、単に高い家賃を払えなかったりするのに、後日、自慢げに、あるいは誇らしげに、世界中のどこを旅したかを語れるように、高額な飛行機や船の旅などをして、気の遠くなるような場所に出かけるが、旅行ガイドが語ることや旅行パンフレットに書かれていること以外、何も見たり学んだり経験したりしていない。広大な空を飛行機で横断し、排気ガスで大気を汚染するなど、旅行好きは増え続けており、未来の生命的価値が破壊され続けることになるでしょう。しかし、これによって旅行会社はますます力をつけ、人類の大部分が旅行会社に依存し、旅行に夢中になってしまうため、将来的には極めて重要な観光の一分野となるでしょう。その結果、これからの時代、排気ガスと呼ばれる二酸化炭素(注 2021:CO2)を含む排出物が、主に人間の過ちにより、やがてあらゆるものを毒するようになり、地球上の無数の人々が病気になったり、死んだりしても不思議ではないでしょう。二酸化炭素は、もちろん過剰な人口や火山の噴火(21世紀以降は活発に)により生成されるすべての物質と同様に、地球上の土壌に蓄積され、地球温暖化によって永久凍土が解けるときに再び放出される。地球の大気は、気候変動が強制されるような方法で汚染され、これは数千年も早く果てしない急速に成長する人類とその策略の非合理性によって、もたらされるでしょう。地球の人口過剰は、地球や自然、その動物相や植物相、そして一般的なすべての生態系に悪い結果をもたらし、また、何千もの多様な生命を絶滅させ、その多くは二度と復活できない(自然、動植物の属や種を一掃してしまうでしょう)。しかし、すべてを環境汚染に転嫁するだけで、これが地球と気候変動への負担として非難され、本当の根本原因となるだろうこと、すなわち人口過剰、そのニーズ、欲望、贅沢などが絶えず増加し、より多くを要求することになるのは黙っているでしょう。自動車、航空機、船舶、作業機械など、あらゆる種類の関連の乗り物だけでも、ガソリンやデーゼルエンジンから大量の二酸化炭素を発生させることになる。そうして、これらすべては、際限なく成長し続ける人類の欲求、欲望、贅沢などを満たすために行われている。そして、利益とお金に貪欲な企業、会社、個人が働いて、地上の人間のすべてを満たし、その策略によって(今後発生する膨大な人口過剰に起因する)地球上のすべての生物、自然とその動植物を破壊し、消滅させ、多くの場合、絶滅させるでしょう。新興のあらゆる種類の環境保護団体は、排気ガスフリークが排気ガスにしか注目しないように、世界中のあらゆる場所で目に見える環境汚染にしか注目しないでしょう。一方で、本当の悪は、そこから地球と自然、そしてその動物相と植物相の全般的悪化のすべてが生じ、発展し、絶望的な人口過剰の策略によって蔓延するが、そのことを気にも留めないでしょう。地球上のごく少数の人々はこのことについて考えるだろうが、人口過剰に歯止めをかけるために、その知性と理性を働かせても無駄でしょう。人口過剰がすべてのものの衰退と、動植物の多くの生命形態の陥落の原因になるという、彼らの認識と知識とは全く正反対のためである。そのために、大きなスプーンで生活の知恵を食べ、行け、増やせと書かれている嘘の聖書に従って、自由に子孫を残すことが地上の人間の神聖な義務であると信じている人たちから、攻撃されている。人口過剰に大いに貢献する人たちは、愚かにも声高に叫んで世界を熱狂させ、環境保護に関するデモを行い、環境保護についてスローガンや言葉を大きく打ち出すでしょう。彼らは特に、すぐに多くの子孫を作り、同時に環境保護を宣言する人々であり、すべての子孫を残すたびに、ますます環境を汚染することになるとは考えもしない。なぜなら、彼らは生活必需品やニーズだけでなく、これとそのおかしな珍しい欲求、そして環境に有害で不必要な贅沢品に基づく彼らの策略を再び要求するので、環境にますます負担が掛かるでしょう。しかし、環境保護を叫び、デモを組織するようなフリークたちは、誰もこのことを顧みず、やがて権力者たちの間にも浸透し、権力欲のために政府の大物として見せかけるために、あるいは利益のために、自分の政党を前面に押し出すために、選挙の集会などでそれを叫び声として使うようになるでしょう。しかしながら、政府の権力の座を狙っている人、あるいは権力欲しさに政府のポストに応募する人は、原則として、民衆の指導者としての資質を全く持ち合わせていないし、ましてや人を導く能力や正しいことをする能力が全く鍛えられていないことも事実でしょう。さらに、権力に貪欲な者は、選出される機会を与えられれば、崇拝され、最高とみなされるのが、ルールとなるでしょう。しかし、彼らが敗者に属し、選挙に勝てないとすぐに、賛辞と支持は止まり、何らかの利益をもたらすこともないため、問題の候補者は蹴落とされることになる。そして、権力者に選ばれた人と知り合いになることによって、この人が利益をもたらすことを期待するのである。しかし、このようなことは地球上の人々の間では、ごく普通のことで、私生活でも同じように行われている。その結果、最初に尊敬されて賞賛されたすべての人は、一般的に会社や利害関係以外のことで間違いを犯したり、死ぬか倒れたりすると、すぐに不適格で、愚かで、無能で、馬鹿な者と見なされる。飛行機からの排気ガスだけでは足りず、1万人近くが乗れる浮遊都市のような巨大船や、大量のCO2を空に放出する重油エンジンを搭載した何千という巨大輸送船も、この病気の原因となる。そして、人々の休暇や旅行の愛好家のために活躍することになるでしょう。これと並行して、すべての鉄道だけでなく、無数の家庭、工場、企業、その他のビジネスや個人的な趣味に電気を必要とする。まだ、水力発電によって発電しているが、まもなく需要を満たすのに十分ではなくなり、そのため、将来的には水力発電所に加えて、石炭火力発電所、さらには原子力発電所もすぐに建設され、大気を汚染するだけでなく環境も汚染され、気候変動を促進するだけでなく、人々の健康も危険にさらすことになるでしょう。これは、さまざまな癌や他の多くの病気や疾患が人々を苦しめ、死に至らしめることになる。確かに、電気自動車や電気自動車と同様の他の電気エネルギーを備えた電気機械、電気で動作する器具など新しいトレンドが起こるときには、太陽光発電と風力発電利用も可能となる(注2021:=ソーラーパネル、風力発電機または風力タービン)。しかし。すべては不安定であり、電気の問題を解決するために何か新しい解決策が求められたときには、すべてが常にこのように設計されているため、全体としては一時的な解決策に過ぎないでしょう。太陽光発電と風力発電によるエネルギー全体は、曇りの日には太陽で発電されず、風車は風が強いときだけ回転して電気を作るというように、すべてが日照と風に依存するという問題が出てくる。そのため、ソーラーパネルは太陽が照っているときにしか発電せず、風力発電機は風が吹いているときしか発電できない。しかし、人口過剰が容赦なく増加しているので、電気エネルギーを必要とすればするほど、エネルギー調達はますます不安定化する。電気エネルギーがなければ何も動かないので、必要なときに使えるように蓄えておかなければならないが、研究者がその解決策を見つけるのは、第3千年紀になるでしょう。21世紀には、技術の進歩により、大量の電気エネルギーを実際に貯蔵できる大規模な高性能蓄電施設の創設を伴うことで、解決策が見出されるでしょう。そして、第3千年紀の第2の10年目に王冠ウイルスの流行の時期が来たときにも、問題は存在するだろうし、権力者は、いつものように、その場限りの解決策を求めるだけで、遠い将来のことは考えようとしない。人生や同様に企業だけでなく、人生は続けなければならない、ルーブルは転がり続けなければならない、これが一般的に言われている。そうして、この見解が間違っていて、すべてを変更しなければならないことが認識されるまでには50年はかかるでしょう。2000年以上前から存在している伝統的な奇跡の繊維の山上の亜麻のように、人間の健康に有害な材料はすべて使用から除外する必要がある(注2021:ギリシャ語の「Asbestos」=アスベスト〈石綿〉のこと)。将来的に大きな話題となるだろうが、その後、発がん性のあるブランドとして烙印を押され、特に、癌の危険性を疑わずに作業する人たちは、多くの人が死ぬでしょう。しかし、昆虫、害虫の保護剤、さらには肥料として販売される毒物も数え切れないほど出てくるでしょう。すべてが、人間の健康だけでなく、動物、脊椎動物、その他あらゆる生物の健康に対して、毒性以上に有害であるにもかかわらず、製造会社や企業は気にしないでしょう。なぜなら、彼らにとっての最大の関心事は、それで何百万、いや何十億というお金をかき集めることだから。また、何百万人もの人々が彼らの毒で病気になったり死んだりしても、彼らの良心には関係ないだろうし、同様に、使用者つまり農学者、農家、個人は何も気に掛けないでしょう。そして、人工的に生産した毒物で耕された土壌から、できるだけ多くの収穫を得て、毒を散布した植物で巨額のお金を稼ぐことができる。このことは別として、人間、動物、生物、その他の生き物は(畑や温室、庭で栽培されたか、工場や企業で人工的に生産されたかにかかわらず)、食べ物によって毒され、その結果、病気になったり、一生苦しんだり、死ぬこともあるという事実を別にすれば、これらはすべて事実である。しかし、このような処罰されない殺人という災害は、汚い金儲けのために法律で認められており、同様に無節操な子作りや子孫を産み、それによって人口過剰となり、世界や自然、動物相と植物相の破壊、大気の劣化、気候変動がますます一般的になる可能性がある。しかし、悪はそれだけでは十分ではなく、個人的な幸福の破壊も広く行き渡り、男女を問わず、深刻な人生の危機を経験することが多くなる。その結果、さまざまな種類の深いうつ病状態に陥って、しばしば自殺やパニック障害につながるでしょう。人類という種の一体感のある人間関係のシステムはどんどん失われ、物質的な価値観などで考えることの蔓延によって、全体がますます促進され破壊されていくでしょう。その結果、本当の意味での二人の愛の想い、真の一体感は、多くの人にとって事実上、必然的に薄れていくことになる。一体感とは、主に金銭や財産などの富を中心とした物質的価値のみならず、名声、威信、職業などによっても決定される。特に新しい千年紀においては、新しいテレビのような公的機関で自分自身を表現することが、このようなお金を稼ぐ源となるでしょう。しかし、それと同じように、同じ媒体を使った犯罪は、これから登場するサイバー犯罪と呼ばれるようになるだけでなく、増えていくでしょう。また、あらゆる種類のダイオキシンが自然界に蔓延し、人間、動物、生物、その他の自走する生命、さらには大木を含む植物までもが病気になり、場合によっては枯れたり、全滅したりすることになるでしょう。人類が将来作り出す強い排気ガスの流れは、生物圏に有害な悪影響を及ぼし、多くの生命体が絶滅してしまうでしょう(地球の人口層の上に、すべての生物の総体が存在する)。なぜなら、過剰な人口によるあらゆる負の作用で、必然的に気候変動は避けられず、自然やその動物相と植物相の構造を破壊することになるから。二酸化炭素は、将来的には正式に温室効果ガスおよびCO2とも呼ばれるようになり、地球の大気中に微量ガスとして自然に含まれているが、低濃度でしか存在しておらず、地球上の生命にとって多くの点で、元素的な重要性を持っていることも事実である。植物の世界だけが、光合成のプロセスを経て、重要な微量ガスを吸収し、同様に重要な酸素を放出している。これは、二酸化炭素が人間の呼吸(多くの生物の呼吸)、その他の多くの自然現象によって地球の大気中に放出し、このように解放される。有害なCO2や温室効果ガスとして、地球の気候に影響を与え、そうして温室効果をもたらす。このガスは水中などにも存在し(主に湖沼や海域に存在する)、その溶解度によってpH+値に影響を与える。この意味は(注2021:pH値。水素のポテンシャルの略語、ラテン語のポンダスハイドロジェンii〈水素の量〉またはポテンシアハイドロジェンii〈水素の力〉)、pH+値とは、水や液体の酸性度・塩基性度を示す尺度を表す。希釈水または水溶液のpH値が7未満のものを酸性と呼び、pH値が7より大きいものを塩基性またはアルカリ性と呼ぶ。地球の歴史の中で、二酸化炭素の大気中の値は大きく変動したので、しばしば気候の深刻な変化の原因であったとスファートは教えてくれる。このようなすべての排気ガスが引き起こす大気汚染だけでなく、さらに今後発生する自家用車や貨物輸送に関連したCO2を排出する自動車、作業関連の排気ガス発生車両、同じくCO2を発生する作業用機械、その他あらゆる目的や種類の機械などの使用により、人為的で非常に早すぎる気候変動を強いることになる。その結果、制御不能で悪化し続ける世界規模の自然大災害を次々と発生し、ますます大きく、より悪く、より破壊的になり、人間の命を奪い、人類の成果を破壊することになるでしょう。そして、すべては人口過剰の策略だけで、将来、あれもこれも中毒となり、ニーズや贅沢や欲望を提供し、多くの新興企業や法人がそれを満たし、地球人類の贅沢のために、地球を完全崩壊の瀬戸際まで強奪し、生態系全体を奪う。したがって、自然やその動植物を破壊して、多くの属や種を永遠に駆逐し、結果として種の多様性はますます小さくなっていくでしょう。最終的には、大気もそのような形で影響を受け、すでに始まっている非常に時期尚早の気候変動が完全な形でやってくるでしょう。それは、人口過剰とその策略の罪過によって、引き起こされる。しかし、気候の最終的な変動は21世紀に入ってから、ますますその勢いを増し、自然災害の増加という形で私たちに迫ってくるでしょう。それは、気象の変化、原始的な大雨や集中豪雨、森林火災、地震、そして第3千年紀にますます攻撃的になる火山噴火の増加だけでなく(カナリア諸島のクンブレビエハのように)、例えば、野生動物では耳のサイズが大きくなったり、手足が大きく強くなったりするなど、生物の形態やその行動にも多くの変化を通して見られるようになる。これからの時代、地球や自然、その動植物を保護するために立ち上がる人々は、特にアフリカや南米の各国はもちろん、アジアでも嘲笑され、侮辱を受けるだけでなく、殺害されることさえあるでしょう。ヨーロッパでは人々が環境保護活動を行い、ゴミのない環境にするために清掃をする。一方、愚かな人々は空虚で大言壮語し、温室効果ガスだけの大気汚染を非難するデモを組織するだけで、気候の負の変化の本当の原因である大きな過失、すなわちすべてのニーズ、欲望、贅沢を満たすために、それは世界のすべてを破壊する策略を要する過剰な人口に気付いていない。人口は際限なく増えていき、世界はビルに囲まれて過剰になり、自由な自然空間はどんどん狭くなっていくでしょう。高層ビルや多くの低層ビルが大量に建設され、道路や工場、役に立たない運動場、競馬場、あらゆる種類の登山鉄道、アミューズメント施設、あらゆる種類のデパート、その他多くのものが建設されるでしょう。その一部は保有として建設され、このような使い方でお金を失うにはあまりにも高価で、お金持ちはもはやすべてのお金をどのようにしたら良いか分からないのだから。また、数十億をため込んで、金策に奔走し、高額な旅行や快楽を手に入れる者もいる。その一方で、自分の家も寝床もなく、夏は暑さの中で、冬は厳しい寒さの中で、路上で、悲惨な生活をしたり衰弱したりしている人もいる。しかし、金持ちはみな、そして庶民も気に留めず、いわゆる疎外された人々が助けを必要としていることに良心の呵責を感じることもなく、疎外された人々のそばを素通りし、疎外され飢えた人々を放置することでしょう。これらのより良い人々の多くは、彼ら自身が考えるように、疎外された人々には一銭でも惜しいと思っている。将来的に、オートバイレース、サッカーの試合やテニスの試合、ボクシングの試合、その他の試合など、いわゆるスポーツイベントの高額な入場チケットにお金をつぎ込み、実際の生活に苦しんでいる仲間の苦悩や悲しみよりも、このことに熱狂的に関心を持ちたいと思うためである。未来は、お金だけが価値を持つ時代が来る。だからこそ、多様な企業が合併・統合してグループや大企業・大団体を形成し、金融の世界でもより大きな比重を占め、市場だけでなく人類を支配しようとする。全体としては、新しい決済方法や決済手段が登場し、多くの人がお金持ちや富裕になるなど、不思議な花を咲かせることになるでしょう。しかし、中国など国全体が抵抗し始め、国家によるこれらの決済手段を禁止する最初の国となる時が来るでしょう。人間と人間との間の真の愛、そして家族が共に生きる喜びと平和の中で暮らすことも、人々の間ではほとんど消えてしまうでしょう。なぜなら、地位、富、名声、肩書き、容姿、職業だけが重要視されるようになるから。家庭内での口論、虐待、喧嘩がより頻繁になり、女性や子供が主な犠牲者となるでしょう。それは新しい千年紀に、中東の北に位置する国で、特に過激な方法で起こるだろう。米国人は、世界支配の気風を捨て、結果を出さずに支配する国を手放さなければならなくなるでしょう。なぜなら、男たちの宗教的狂信は容赦も慈悲も知らず、世界が想像するよりもひどい非人道的行為を、女たちにすることになるから。主に町や村では、男は女らしく、女は強くなって、男がやっていたハードワークをするようになるでしょう。男性はますます心理的に貧しく、弱くなるだけでなく、第3千年紀の新しい世界で生き残るためには、心理学者や精神科医の助けを求めなければならないでしょう。女性は、何千年もの間、男性社会から受けてきた差別や抑圧を少しずつ克服し、そしてより強くなるって舵を取り、政府における発言権と権力を主張するようになるでしょう。そうして、女性が政治の世界で権威ある役割を果たし、行政における多くの古くからある事柄を変え、太古の昔から男性の世界で誤って処理されてきたあらゆる種類の事実を実現していくには、あと数十年しかかからないでしょう。残念ながら、それは太古の昔から男性の世界はそうであったように、政権を担ったり、選ばれたりした女性の多くは、その力を利用して間違ったことをするでしょう。したがって、政治に関しては多くの変化があり、また、政党間に異常に憎悪な攻撃が発生し、敵対心を生むでしょう。特に、様々な異なる意見が出てきて、当事者間で合意が得られないために、このようなことが起こる。そして、近い将来、自分の力を表現したい女性たちが政府の舵取りをするようになったとしても何も変わらない。なぜなら、将来政治に関与できる新しいことは、太古の昔から何も変わらないものだから。それでもなお、最初の数十年間で、女性の政治力が発揮されるような方法で変わっていくでしょう。とはいえ、人々が言うように、すべての始まりは困難であるという言葉があるが、同様に女性たちも、徐々に世界情勢の舵取りをし、政治を新しい形に変えていくでしょう。しかし、すべての始まりは本当に難しく、多くの失敗を伴うものだが、ゆっくりと女性が新しい役割に慣れ、習得したスキルを証明することで、男女の世界観が完全に変わっていくことでしょう。あと数十年もすれば、すでに説明したように、人間関係の表面的な付き合いが蔓延し、誠意や本当の誠実な愛、絶対に必要な人間同士の付き合いは、意味をなさなくなる時代が来るでしょう。復讐を鎮めるために、人前で誹謗中傷することが国民の習慣となると同時に、良いスピーチで大金を得ることができるようになる。復讐心や金銭欲に駆られて、特に女性がかつての恋人を強 姦や性的虐待で公然と告発する時代はそう遠くないうちにやって来るでしょう。憎しみや復讐心、金銭欲がどうしようもなく、確実に強くなっていくので、家庭の中でも同じようなことが起こる。そして、そのような告発は多くの場合、虚偽や捏造であるため、争いやさらなる敵意を招き、また、自分の親が虐待で冤罪になることもある。このことは、一般の人々や裁判所にも受け入れられ、深刻に受け止められているでしょう。同時に、いわゆる聖職者による実際の強 姦や性的虐待の事例が数多く公表され、世界中で知られるようになるでしょう。姦 淫がこれからの時代に増えるのは、第一に、売 春によってお金を稼ぐことが容易になり、税収源を政府に提供することを容易にする。その永続性によって(公式に許され、課税対象となる)、政府の財政を増大させるでしょう。様々な支配者、そのうちの何人かが、娼 婦や男 娼のサービスを利用することも少なくない。しかし、将来的に国家の財源を豊かにすることはなく、自らの欲望に溺れることになる。太古の昔からそうであったように、これからも世界のあらゆる国で同じことが起こるでしょう。したがって、様々なときに政府の領主や婦人は、娼 婦や男 娼のサービスを利用する。原則として、権力者は空約束をし、彼らに仕える人々はそれを信じるが、それは彼らがただ約束を守りたいと思っているから。しかし、そうなると、太古の昔から続いているように、つまりしもべたちは拒否し、あらゆる手段を使って抵抗するようになる。しかし、それは支配者の中でも、自分たちを崇拝させ、支配者として満足の対象を意図的に探し出し、彼らを従わせるために空の約束や保証で嘘をつくが、飽きたり、地面が彼らにとって熱くなったりしてきたときは、ただゴミのように捨てて、その辺りに放置するような者たちでしょう。これは、服従して満足する人には空約束をし、すべてを信じ込んで、そして恥ずかしくも彼らに騙される男女を等しく支配するでしょう。これは太古の昔からそうであったように、将来的にも起こることでしょう。まさに、実際に人々の運命を導くべき立場にある権力者が、その立場を利用してしまう。それは、人間も、女性も男性も、そして子供も、どんな存在であっても、単なるゴミとしてではなく、一人の人間として扱われるというルールを厳密に守らない要因となるでしょう。そして、これまで言われてきたことは、私と友人のスファートが21世紀に見て、経験し、目撃したように、未来の人口の中でますますそうなっていくでしょう。なぜなら、これからの時代、地球上の人々はお互いに無関心になり、人々の間に本当の愛や一体感はほとんど現れなくなり、緩い程度の偽りの一体感だけが残り、それが機会あるごとに、気まぐれや思いつきによって再び解消される。しばしば、新しい顔が現れ、それがまた新しい一体感を呼び起こすので、古いものが新しいものに入れ替わることも少なくないでしょう。真の人間関係から真の愛情への欠如という問題は、こうしてますます悪化し、最終的には、お見合いパーティーなどを企画して金銭的利益を得る賢い人たちによって改善されることが試みられ、女性と男性の仲を深め、おそらく結婚もし、それを通して人々は幸せになるという結果をもたらすでしょう。 しかし、全く見ず知らずの少女や女性を堕落的に強 姦し、殺害するような者さえ現れるでしょう。そして、来るべき未来には、工業的に女性や男性のための人工的な補助器具を作ることが可能になり、多くの人が自分の性の満足を得るために手にすることになるでしょう。これは、姦 淫に陥らないため、また、パートナーに要求しないためでもある。この業界では、この目的のために合成素材でほとんど本物そっくりの人形を作り、それを購入して一緒に生活し、人々が本物の人間のように使用することさえできるでしょう。犯罪的な要素は、今後数十年以降(堕落した男女)、第三世界の国々から女性や子供たちを嘘や強制によって買い、売 春に駆り立てる。親が自分の子供を売 春の対象として取引したり宣伝したりするのと同じように、誰もが公的にも私的にもアクセスできる新しいテクノロジーによって、そのようなことが可能となるでしょう。こうして、将来、愛情や強要から、パートナーを経済的に搾取するため、お金のために姦 淫に追い込まれるようになる。また、道徳的に完全に堕落した新興の人身売買組織が、多くの女性や少女、まれに少年も、貧しい国や発展途上国からヨーロッパや米国に連れてきて、姦 淫に強制するのでしょう。その後、それらすべてが経済的に搾取される。姦 淫は、かつてないほどのビジネスになり、それは第3千年紀になっても、それに伴って多くの苦しみ、殺人、病気、犯罪がもたらされるでしょう。
2022.03.21

1947年7月12日土曜日にヨーロッパの政府および公共メディアに宛てた公開書簡第2部 1947年7月12日 / Edi Meier7月7日の予言が絶対的な確実性で実現するので、将来のヨーロッパだけでなく全世界が1947年7月12日の今日から恐ろしい出来事を経験し、将来的にはすべてが、私が以下に呼び出すように、必然的に展開することを経験することになるでしょう。しかし、これらは絶対に確実な予言であり、その発生と実現化は避けられず、それらの実現を妨げることはできない。なぜなら、地上の人類はその止むことのない成長を通して、私の言葉がことごとく実現し、私の予言がデマとして私が悪意を持って誹謗中傷されるように、あらゆる手段を講じるからである。これに対して私の友人のスファートは、誹謗中傷は誠実な人を滅ぼすことはない、真実は必ず明らかになるのだからと言った。これらは、私が様々な形で何度か繰り返す予言だが、それは人々の行動次第で変更したり回避したりできる予言ではなく、私の友人のスファートの助けを借りて見ることを許された未来にそのように起こったため、必然的に正確な確信を持って成就する予言と同じである。なぜならこれらの予言は真実から引き出されているため、これらはこれから起こることを予見する見方のためのものではなく、事実上現実の未来へのタイムトラベルにおいて、見て、体験し、経験することに対応するものなので、すでに起こったことであり、これはすべてそうなるでしょう。そして、この未来が地球の人々にもたらすもの、これは実際に変わることなく、以下の通りである。私が即興で、したがって正確な年代順とはいかないが、知識と同じように再現され、今、すべてが私の頭に浮かぶように述べることにする。そして私はまた、人の憎しみが何を引き起こし、何百万人もの人々が犠牲になる疫病を作り出すのかも明らかにする。しかし、そのことについては、後で他の多くの事柄が発生し、多くの恐怖をもたらすことを述べたときにお話しする。私の友人であるスファートが、経験したさまざまな観点から私にさらに説明してくれたこと、研究を通して見つけたもの、地球上の人々と話して彼らから学んだこと、彼らの個人的な秘密など、世間に知られてはならないことやアイデア、最も遠い未来まで影響するアイデアや物事の秘密、必然的に避けられない多くの出来事を決定することなどを、私の予言を通じて地球の人々に知らされることになるが、それは私の友人の許可を得てのことである。そして私が、この予言の中で勝手ながら言及することを許すようなアイデアや事柄を私に説明してくれた。この予言は、非常に広範囲で未来を決定付けるものであり、単なる特別な種類の予言以上のものになるでしょうが、しかしながらこれは、私が考えたことや思ったことをあれこれと言うのは、私自身の見解を上回っているものである。そして、私はこの点に関して自分の考えを決して述べないように注意する。つまりこのように私は、自分の意見を表明することは決してないが、常に事実だけを述べ、それも私が記憶している形でそれらを暗唱する。したがって、私の個人的な意見として本当に理解されるべきことは、事実上、私の予言の内容に関連して、私は決していかなる場合でも、ある国や国家の国民全体に向かって発言することはなく、それは私がある国またはその政府について話すときも、決してそのような意味ではない。いつも取り上げられるのは、無能な統治者と今後の諜報機関だけが常に扱われ、真実を知らない統治者の無能さを認識していない人、だからこそ、彼らは統治者のあらゆる無能な行動を助け、彼らの無能さを擁護する。そのため、無能な統治者とその盲目の信奉者のことがいつも話題になる。同時に、同じ種族でありながらタイプや体の色が違うという理由で他人を憎み、暴徒化し、敬遠し、暴力を振るったり、殺害したりさえする差別主義者のことも話題になる。宗教的な信仰は人種差別の、特にキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、モルモン教、神道、ゾロアスター教への悪質な攻撃の対象となる。マズダー教、パールシー教など、世界中に存在する何千もの宗派があり、今後もその数は増え続けるでしょう。私たちは特定の国や特定の宗教について話すのであれば、それは決して人々全体について語っているわけではない。なぜなら、彼らは通常すべてを詳しく説明されると正しく理解し、また、政府の行うことすべてに従うわけでもないから。彼らの統治者が、少なくとも人々の必要な福祉や正義、国民と国家の正しいリーダーシップについて、不十分な知識しか持っていないという事実から見て、大衆観や政治観の正しい統治をできないのは、人々自身ではなく、統治者であるということになる。しかしもし、彼らが以前にそれを学んだことがなく、彼らの知性と理性が決定的な時期にこれを学ぶのに十分でないとしたら、どうすれば彼らは適切にそして人々の利益のために統治し、正しく行動することができるでしょうか。これらの政府のリベット(Regierungsnieten)は、国民自身によって選ばれるか、特別な政府機関によって選ばれるか、あるいは自分たちを権力の座に就かせるかのどちらかである。そしてこれは将来も、かつてないほどの他党の党内汚損と同様に自己賛辞と自党崇拝の奇妙な花を咲かせることになるでしょう。特に第3千年紀からは。第2千年紀には、政府への権力追求者の権力欲が非常に蔓延するので、嘘や誹謗中傷、虚偽の疑いで、他の人々や他の政党は非常に汚い嘘をつき、政府の権力を求める人々によって侮辱され、国民はもはや何が真実で、嘘や疑惑が何であるか分からなくなってしまうでしょう。政治に関しては、私の見解として、私は今日も私の人生でも、政治を扱うことはないでしょう。政治的なこと、あるいは行動様式や振る舞いなどに関することについて、私は政治に関与したことはない。今後の予言の中で取り上げられるであろう懸念、また、あること、別のことに関する記述で厳しいコメントを必要とするものがあれば、あらゆる状況においてこれらに言及するつもりである。しかし私は、政治的な活動をしたりすることは私の関心事ではない。なぜなら、政治はあまりにも狡猾で、私にとっては嫌悪感を抱かせるものであり、私はそれについて考えたくないから。これはまた、私が生涯を通じて選挙に積極的に参加することはなく、したがって投票用紙に真剣に記入することは決してしない理由でもある。これでは、ある問題に立ち向かえなくなるのも当然である。しかし個人的に、そして私が自分の意見で表現しなければならない場合、それがどのように行われるべきかということになると、私は物事の創造につながる仕事をするとき、私の人生では私がしたいかどうかにかかわらず、指示的に声を上げることにしている。私の友人であるスファートと共に、私は幼い頃から名誉あることにこのことを学び、必要な時には常に助言と行動ですべての人に寄り添い、また、そうでなければ常に説明的な方法で中立的な言葉を掲げ、必然的に言わなければならないことを言うようにしてきた。しかし、私は政治的な出来事に関しては控えめにしている。というのも、私は友人のスファートと一緒に未来を旅したときに、政府を担当する地球の人々は国民を導くという職責をほとんど果たせないということを早くから知っていた。しかし、彼らにとってこのことを言うのは無意味に等しく、権力における彼らの行動では自分の個人的な意見に反するものを何も認めようとしないから。そしてこのことは、人々の心理的リーダーシップとその幸福感に強く影響されるものであり、このことについて、無能な統治者は見当がつかないし、遠い未来まで知ることはないでしょう。人々を適切に導く能力を実際に発達させ、物事の構築など本当に必要な面を実装する統治者はごくわずかしかいないでしょう。 私はいかなる状況においても、必要な説明を差し控えることは決してせず、中立的な立場を保ち、説明し、言うべきこと、秘密で覆う必要のないことはすべて率直に述べることにしている。私は米国でも同じように考えていることであり、米国という国やその国民に対して、他の国やその国民とは異なる、あるいは劣っているといった考えや感情、価値観を持っているわけではない。しかし、もし米国は、その大統領、その共同支配者、軍隊、およびハリー・トルーマンが3ヶ月で設立した秘密機関中央情報局によるリーダーシップのためであるなら、しばしば特別な方法で行われる場合が良くある。その後、世界中で最も深刻な殺人犯罪など。ということであれば、実際の真実に対応することは、隠さずに、実際に何が起こるのかその名称で公然と言わなければならないと思う。このハリー・トルーマンという人物は、隠された計画を持った内面は、まったく正反対のものであり、彼が完璧な役者として外の世界で表し、こうして善人を演じている。スファートによると、この人物は異常に支配的で、比類にならないほど不当な試みが行われ、嘘と偽りによって米国の世界支配を達成しようとしており、その効果は彼の死後第3千年紀に至るまでそうし続けるという。そしてそれがどのようになるか、遠い未来まで私がスファートと一緒に見て経験してきたように。そしてこれは、人道に反する行為、無数の非人道的行為、拷問、殺人の観点から米軍の思惑と世界中の今後の米諜報機関が行うことについて、特に重要である。ドイツで行われる絨毯爆撃の経緯では、何千人もの一般市民と一緒に、女性、子供、戦争に無関係の男性も命を落とす。また、トルーマンが日本への原爆を投下するよう非良心的な命令を下し、長崎と広島で、それ以来示されているよりも、今後も認められるであろうより多くの死者を出している。このような恐怖を脳裏に描きそれを実行に移させ、その上ウラン時代の始まりは、世界中のすべての国がスパイを通して原爆のレシピを手に入れるように、原子爆弾を所有しようと誘惑し、さらに第3千年紀の未来に向けて様々な国家を誘惑する人間は、いかに良心的ではなく権力に執着しているという。このため新しい21世紀には成功し、戦争のような脅威と行動という新たな危険をもたらすでしょう。そして時折、狂ったように権力に執着する人々が原子爆弾に手を伸ばし、その疑わしい平和の中で世界を脅かすという事実に終わりはないでしょう。そして、米の軍と諜報機関の策略全体は、世界大戦でナチスが行うことに劣らないでしょう。そして、ナチス式の残虐行為と同じように、強 姦とそれに続く被害者の虐殺も行われ、他の人々も同様に狂犬のように惨殺されるが、もちろんこれらすべては国民から隠蔽されるでしょう。また、略奪的な貿易や古美術品の窃盗やその隠れた取引は、援助または賃金戦争を提供し、秩序を作り出すすべての国で、米軍やNATO軍が侵入するあらゆる場所で当たり前のように行われるでしょう。しかし、これについては鉄壁の黙認が続くでしょう。なぜなら、NATOの行動における参加者とその上司は聖なる牛のように扱われるので尊敬され、その結果、彼らに助けてくれるというイメージは保たれ、残虐行為から略奪した骨董品やその他の商品の盗難や売買に至るまで、すべてが隠蔽されることになる。未来にもたらされるものの多くは、残念ながら多くの米国人、特に軍や諜報機関には理解されないでしょう。また、無能な者や思考力のない無教養に分類される人たちにも、私を攻撃したり、侮辱したり、排除しようとするでしょう。これも起こるでしょうが、不当な方法で行われることでしょう。なぜなら、私は必要で完全に中立的な表現の論理と、この根底にある目的の正式な論理を厳密に守るためである。これは私が、自分の発言と証言とのつながりの関係を最初に検討しそれらを発表する前に、つまり言うか書く前に、それらの正しさを確認することも意味する。そして、理解できない人、無能な人、考えない人、教養のない人たちは、その理解力のなさや悪意に応じて私の発言の中から攻撃性を探すか、あるいは見つけることになると言っておきましょう。しかし発言は、常に抽象的な命題または通常使用される言語の文章で表現される用語。その際、発言の内容がどれほど具体的であるかは、ステートメントの論理において基本的に問題ではなく、重要なのはその発言に関する判断がその後正しいか間違っているのかだけだから。このことは必然的に、市民の犯罪行為や重罪行為またはその他の秩序や無秩序の中で、正義、法律、さらには虚偽や誹謗中傷でさえ、品位の、特に人間性において次の結果を導くことになる。反する市民の行為や行動の場合には、必然的にその価値や不当性に応じて判断されるか、適切に評価され、あるいは誤った判断または処罰の対象になるものであるということ。何かが正しいと判断されるか、間違っているかについて判決で述べられることは、法廷で特に関連している。というのも、裁判官の席ではその行為や動機によらない判決が下されることが珍しいことではなく、犯罪を行った人の印象が裁判官にどれだけ同情的、あるいは非同情的に映るかに応じて判決が下されることが少なくない。そのため、同じ犯罪でも裁判官の席ごとに異なる判決や正義が宣告される、つまり不公平が生じるのである。法律学全体は、政治的な面でも同様で国によっても異なり、その結果、民族間の争いや、内戦、国家間の戦争に発展することも少なくない。このようにして人々もまた、あらゆる理性と理解の限界を超えて、民族間に相違が生じ、民族間の戦争が起こる瞬間まで、衝突を繰り返す。そして、これだけでは十分ではないかのように、特に他の民族もこれに引き込まれると、すぐに世界大戦に発展するでしょう。実際にはそれとは何の関係のない人たちが干渉することによって、自らを守ることができない人たちを助けようとする。この事実は、NATOを通じて世界中の米国人の指導の下で特に顕著に現れ、臆病な恐怖と虚偽と誹謗中傷の結果として、ソ連を世界の敵とみなすことになるでしょう。これは、この国の独裁者が一級の臆病者であり、米国の前に屈服しているということは米国のハリー・トルーマンも知っている事実であるにもかかわらず、彼はそれでもNATOを設立するというこの手段に頼り、他のすべての国の指導者たちに軽率にも受け入れられて、4月に条約が採択されるのである。これはこれから米軍が、NATOの名の下に世界中の国々を侵略し、次の21世紀に向けて残虐行為を繰り広げる前哨戦に過ぎなかった。1939年から1945年までの第2次世界大戦でナチス政権が猛威を振るい、ユダヤ人の大量虐殺を実行できたことだけでは不十分であろうから。また将来も、ユダヤ人に対する憎しみは多くの災いをもたらすので、ユダヤ人の信者の殺害と、この点でこれらの人々に対する憎しみは終わりが見えないでしょう。そして、ユダヤ教とユダヤ教を信じる個人が迫害され、殺されるかあるいは呪われて、冒涜され続けるという事実は、前回の第一次世界大戦の実際のナチス体制から出現したネオナチだけでなく、主にキリスト教やイスラム教とは大きく異なる宗教的慣習の結果として証明されるでしょう。ユダヤ教全体が、他の宗教の非常に多くの信奉者や信者から拒絶されているのは、彼らがユダヤ人の信仰と、平和で穏やかに回避する方法を見つけることができないからである。また、ユダヤ人が金銭の適切かつ有益に取り扱う伝統的な能力は、それは常にその悪い花を咲かせ続け、事実上決して終わらないでしょう。これは憎しみの小競り合いが永遠に続き、決して終わらないことを意味する。その結果、ユダヤ教に対する反ユダヤ主義は永遠に残るでしょう。少なくとも、それは私の年配の友人であるスファートと私が、遠い未来にそれを発見した。そして、この憎しみは公然と行われるだけでなく、卑劣にも密かに行われる。だからこそ、表向きは友情を装い、内心では憎しみが限界を知らない。また、多くの国の諜報機関を通じて、世界中で数え切れないほどの人々が公然と、また隠れて殺害され続けるでしょう。特に、米国の将来の諜報機関は、ある日までに彼らは公開される。しかし、米国とNATOは全体としてこれに激しく反発し、すべてを否定するでしょう。これは古くから知られている慣習のように。それは米軍とともに様々な国で架空の事件を起こし、反政府勢力、外国の軍、権力者、テロリスト、国家の敵などによるものとされる。しかしその実態と真実では、米軍の秘密の策略に基づくものであり、そして最近ではハリー・トルーマンによって短期間で設立され、創立者自身と同じくらい狡猾になるであろう新しい米国諜報機関につながるでしょう。これは古くから多くのことが米軍そのものに起因していることに加えて、将来も同様に悪巧みを続けるという事実になるでしょう。これは将来も変わらず、そうなるでしょう。それによって、攻撃を正当化するための理由が常に見出され、そのような架空の暗殺や攻撃などが、反撃として正当化されることになるでしょう。これは、米軍やNATO軍、そして最近では、ハリー・トルーマンが数ヵ月後に必然的に設立する諜報機関、やがて続く他の諜報機関の昔からある手口になるでしょう。そしてこのハリー・トルーマンが死んだ後も、さらなる虚偽と偽装の口実によって、すべてが同じように実現していくことは、残念ながら将来的にもあり得ることである。ある界隈では、密室で原爆ハリーと軽蔑的に呼ばれるだけで、人気者にはなれないでしょう。しかしこのことは、世間から隠されたままである。というのも本当は、彼の中に燃え盛っている臆病さのために、彼は自分の考えを声高に聞かせないため殺人によって阻止することを可能にするのだが、従者たちは彼のために束縛されて、すでにそうしてきたし、これからもそうするでしょう。米国は21世紀に入っても、その軍事力だけでなく、政治的、技術的、経済的、そして宗教的な宗派的な狂信的な力によって世界の権力であり続けるでしょう。特別な宗派が、彼らは普通の人たちよりも優れていて賢い存在であると信じている人々を、支配するようになるでしょう。作家が発明して宗派を設立する彼らの混乱した誤った信仰は、その人たちを自分の奴隷にして、自分は普通の人たちよりも高尚な存在だと信じ込ませるでしょう。この作家の意味するところによれば、彼らの誤った信仰は、あなたの本質が「霊的」であるということだが、「霊」という言葉は、人間の生命本能と知性や理性を説明するために作られた名称に過ぎず、本来は「創造のエネルギー」という正しい用語で呼ばれるものである。これが空想された結果、誤って想像上の「霊」に割り当てられる、エネルギーと力を人間の中に提供し、それはすべてを網羅する効果を持って、まさに神性を持ち、生命を与えるものとされている。つまり、人間が考案したファンタジー形式の「霊」は、愚かで信仰哲学上の誤ったアイデアと想像力に過ぎず、したがって、特別な妄想すなわち信仰の妄想に相当するという事実にもかかわらず、このように考えられている。このような妄想は、理解と理性の欠如の結果として、すなわち人間が知性、注意力、認識力、本当の現実とその真実に対する認識力の不足のために、思考と考察を通して意識の中であらゆる種類の問題も論理的にあるいは合理的に処理し理解することができないときに生じるのである。その結果、何もやり遂げることも、理解も納得することもできない。あらゆる信仰は必然的に、すべての考えもおよばないような内容の文脈という意味で、人間が真実であるとして受け入れ、ただ信じている何かに対する想像上の盲信という基本的な態度を人間に要求している。そうして信仰のあらゆる状況から、あるいは必然的にそこから生じるすべての関連する宗教的信仰や、哲学的に教え込まれた国外の信仰から、真実にも現実にも対応していない何かへの妄信的な信仰が生じるのである。これは、政治的、軍事的、無神論的、イデオロギー的、科学的な方法に関しても、他の日常的な形でも同様に当てはまるもので、すなわち、そこからすべての現実を否定する妄想が生じるのである。神への信仰、軍への信仰、政治への信仰、科学への信仰、そして無神論への信仰や哲学への一般的な信仰、イデオロギーへの信仰、宗派への信仰などは、将来的に殺人や虐殺を引き起こし続けるでしょう。このことは、新しい米国の宗派の場合と同様に、作家の混乱した考えから来たるべき時代に発生し、広まって殺人を引き起こし、米国の政府機関だけでなく、多くの国の政治にその道を見つけることになるでしょう。米国の宗派の新しい異端者の「霊」(これは人間の想像の産物に過ぎず、私自身が人生の初期に経験して学んだように、知性と理性)は、決して霊的な性質ではなく、また脳も身体の一部分でしかない。いわゆる霊とは、実際には、人間が生き、考え、決定し、行動することができるという事実に責任を負うとされている、人間の想像上の上部的な力にほかならない。知性と理性は、人間の思考と学習を通して生じるものであり、人間は自分の人生や存在の過程で思考の記録を作り上げ保存している。そのためには、精神的な観察力と同じくらい精神的に成長させ、認識力を加えて、そこから得られた決定とその結果としてもたらされる行動、およびそれらの達成の過程が極めて重要なのである。人間には知性と理性がある(物質的な宇宙の中で正しい方法で人生に対処するために、生涯を通じて身につけ、使わなければならないもの)。そしてまた、身体とそれとともに脳も物質的対象の中心としては見るが、存在そのものとしては見ず、その知性と理性を駆使して、根本的に全体として存在と呼ばれるものを理解しなければならない。普段から身につけている明晰な知性と遠大な理性を持つ人間は、その思考作業や明確な決意、ポジティブな行動を通じて自分の人生の中で創造的にもたらすもののすべてが創造の起源となる。しかし、それがはっきりと意識されるようになるのは、そこから必要な知識の経験を得て、知性と理性は不滅であり、これまで想定されていたものをはるかに超える能力を備えていることを経験しているから。正しい考え方、決め方、行動の仕方を身につけることで、非論理的なもの、つまり間違っていたものはすべて、思考の世界から外に出されるか、取り除かれる。それにより、いかなる信仰からも遠く離れた現実的な目標が実現する。これは幻想、いわゆる精神的、神秘的な幻想に類似した信仰の側面は一切求めず、現実と真実のみを追求し、受け入れるということを意味する。これはまた、これまでに実際に達成されてきたこと、そして可能性が存在することを意識し、真の現実的な思考、認識、意思決定、行動のみが未来の人生や存在を決定することができる。人間を(何よりも自分自身を)、個々の人格を持つ独立した人間として受け入れることは、最も重要なこと。というのは、決して不滅の霊的存在と見なされることはないからである。人間である以上、誰もが自分の能力を持っており、この意識によって一人ひとりがこれに目覚め、これを高めていくことができる。このような向上は、太古の昔から、人間が単に神や神の創造主を信じること、つまり宗教やその他の宗派を信じることを前提とした、いかなる信仰の実践では達成されていない。真実は、正反対のもの、すなわち真実と現実が唯一の正しいことであり、それによって人生と物質的存在の限界を満たし、自由な人間として常に勝利を収め、すべての間違ったことに翻弄される落ちこぼれの人間としてではなく、宇宙のすべての弊害にさえ無力に翻弄されずにいられるようになることを目指して。例えば、未来の心理学の教えを調べてみると、残念ながらそれは行き詰まることが目に見えている。なぜなら、金儲けのための道具として悪用され、その結果、心理学者の誇大妄想が生まれ、彼らは人の心理を完全に認識し、その機能を本当に知っていると信じているが、実際には彼らは真実を何も理解せず、助けを求めている人を塩漬けにしてしまい、結果的に人々は最終的に自分自身を捨て、うつ病の結果として精神的に腐敗し、さらには自殺さえする。男女の心理学者は、自分たちの実践が退化していることを知らないために、生命の原動力となる因子の存在について全く考えも及ばないでしょう。 だから彼らもまた、自分たちの金儲けのためだけの無為無策であって、心理学者の知恵だけを使い、助けを求めるだけの、患者には関心がないことに気づかないのでしょう。一方、将来的に有名になるであろう米国のカルト教団は、数十年後には、いわゆる普通の市民以上の存在になりたいと願う多くの人々を魅了することでしょう。そしてこれは、人間の意識に直接働きかけるとされながら、「霊」という誤った用語で呼ばれることになる誤った教義を彼らに叩き込むことによって行われる。これによって、人々(この教義を叩き込まれた多くの信者たち)は、自分たちが「霊」として理解している自分の意識を、意識または「霊」にすることによって、そのエネルギーと能力を単純に増大させることができ、個人としてのあなたの霊的な自由、知性、能力を高め、人生のあらゆる側面を啓発することができると信じるようになるでしょう。ハリー・トルーマンによって間もなく設立される米国の諜報機関は、特にソ連、中国、スイス、フランス、ドイツ、さらにはイギリスやカナダなど、すべての国家・州の政府を監視するために特に世界的に、はるか未来にむけて長期にわたって活動することになるでしょう。さらに将来、米国は比類のない政治的迫害を実行し、今回はエクアドルの国も巻き込んでいくでしょう。これは米国が、原子爆弾の恐怖を世界中に広め続け、事実上世界を包み込む一方で、また、他の特別なケースでは、ソ連を他の場所に呼び込むでしょう。なぜならソ連の政府は活動を怠らず、核武装によってキューバを喜ばせるつもりだろうから。しかしこれは、今度は米国の政府を動員し、世界を再び世界大戦に近づけるが、それは米国からの脅威によって回避される。なぜならまさに大規模な脅威に従って、米国の核兵器が、ソ連は破壊されるという脅威とともに、不可避で避けがたい、まさに抑圧的な仲裁協議に持ち込まれるからである。1989年以降、米国の大統領は特にあからさまな犯罪、重罪を犯すようになるでしょう。彼らの使命は米国を維持し、再び偉大な国にすることであり、そのために世界中で多くの軍事・諜報活動や、占領、干渉、殺人、戦争が起こるでしょう。1955年に始まり20年間続くベトナム戦争をはじめ、米国が何十年にもわたって戦争やあらゆる種類の小競り合いを通じて様々な国の支配権を握ろうとするように、米国は特に東洋、中東、極東の国々を支配しようとする。しかし、韓国では次の十年以内に戦争が始まるでしょう。NATOの委任を受けた米国が、ハリー・トルーマンの腐敗した事前準備を経て、血塗られた技術と世界権力への追求を開始するでしょう。《注:2021年9月:私自身と、予言的に起こる全体に対する私の意見ついては、この予言を書いたときと同じように、今日も完全に中立の立場を保ち、過去、現在、未来のすべての出来事に対して中立的な立場でコメントを述べている。現在、世界で猛威を振るっている王冠の疫病、つまりコロナの流行の予測やその説明に関する限り、私がこの問題でどうするかというと、友人のスファートとの未来の旅を通して得た私の知識を率直に提示しているに過ぎないので、私にとって中立の方法しかない。彼の良きアドバイスに従って(言うべきことは、常にすべてをニュートラルな言葉に置き換え、地球、この世界の人々、惑星、生態系、自然とその動植物、そして人々の行動に対して未来に何をもたらすのか、どのようになるかを語ること)、私はこれを堅持する。というのは私が、個人的な立場からあれやこれやと意見を述べたり、それが何であろうと、何かの賛成または反対の言葉を述べたりすることはない。だから、私があれこれ何をすべきか、何をすべきでないかと尋ねられたとき、「はい」または「いいえ」の言葉はない。なぜなら、予測、他の人の行動方針、たとえば、すべきかどうか、見方や考え方などに関するものは私の個人的な意見なのだから。隣人の、あるいは仲間に、常にニュートラルであること。そして、すべての人にとって、すべての決断は純粋に個人的なものであり、そしてそれが何であれ、あらゆる点で個人的なものであり続けなければならない。純粋に個人的なものは、命令、法律、法令、規制、緊急事態、またはその他のいかなるものでさえも触れることはできないし、触れてはならない。したがって、純粋に個人的な意見および純粋に個人的な決定、ならびにそこから生じる個人的な行為や無為は、いかなる方法でも罰せられず、強制されたり要求されたりしてはならない(法律と秩序または一般に認められている法律に違反しない限りにおいて)》。米国の主導と北大西洋諸国の助けを借りて、ごく短期間のうちに外国における政策の変更と援助という嘘の下に、世界中で戦争行為が行われることになるでしょう。それは第3千年紀までうまく引きずり込まれる戦争行為だが、降雨の上に降雨をもたらし、米国人が望む本当の動機、すなわち世界制服を達成することはないでしょう。占領されるドイツは、数千個もの核兵器が保管され、核使用の恐怖が世界中でも維持され、それは第3千年紀まで続くでしょう。ドイツにおける米国の占領も第3千年紀まで維持されるでしょう。これは最終的には、ヨーロッパにおける平和の状態として、特に米国とソ連の間の冷戦を成立させ、それは約40年間永続性を持続させるという米国的な意味での目的を見出すことになるでしょう。これは実際には一方的に作成されるものである。すなわち、ハリー・S・トルーマン米大統領と戦勝国によって1947年3月12日、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンに対して、1946年にスターリン軍によって占領していたペルシャからソビエト連邦が撤退しなかった場合、米国が原子爆弾を使用すると、脅迫によって実際に開始されるものである。米国のドイツ占領の全体像は、米国は、本当は農民国家にしたいが、しかし、第3千年紀の20年以降の将来、ドイツでは当然のことながら疑問視されている。しかしながら、米国が太古の昔から常に行われてきたように、第3千年紀になっても世界支配を目指して密かに努力し続けることを止めることはできないでしょう。しかし、ドイツの愚かな人々、つまり思いもよらないことは、それでも占領軍には歓迎されうる権利を与えるでしょう。米国との協定を結ぼうとしている北大西洋諸国は、嘘にひっかかっている。米国人自身の指導者も同様で、嘘、ごまかし、権力欲、そして何よりも、ソビエト連邦の一人の人物に対する恐怖によって、未来を盲目にするでしょう。誤った政治的見解や発言を通じて権威ある人物は、ソ連に対する恐怖心や、米国が将来どのように世界の支配者になるかという特別な秘密の政策的設定を、巧妙に誤魔化しながら、自分の計画を押し通すことができるでしょう。彼は長い間、脅しによってソ連の独裁者の計画を阻止することができる。というのも、実は自分と同じ無類の臆病者だと知っているし、彼はまた、米国上院を自分の恐怖を煽ることで指に巻きつけ、彼の陰湿に満ちた計画に従ってそれを操縦できるのと同じである。近い将来、米国はドイツに勝利した結果としてヨーロッパに広がるだけでなく、誤解された北大西洋諸国の協力を得て、当分の間、米国が興味を持ち忍び込もうとする世界の他の国々にも広がるでしょう。そうすることで、ソ連や後のロシアおよびその指導者に対して、絶えず扇動することになる。後に、そして実に第3千年紀には、中国がこの点で彼らの注目の領域に入ることになり、米国の挑発を通して未来の宿命的な空にある、最終的には第4次世界大戦の危険性につながるでしょう。確かに、世界中の核兵器の貯蔵と使用は、理性によって公式に大きく制限されるだろう。しかし、実際には公式だけである。というのも将来、事実上の真実は少し異なって見えるでしょうが、それは隠されるだろうから。これからも、いや、遠い将来まで語り継がれることは、2030年までのわずか80年間で約100億人に達するという地球上の人類の止むことのない成長の結果として、大きな問題を引き起こすことになるでしょう。これから作成される世界人口カウント時計の偽りの間違った計算方法によって、世界の人口の出現数は間違った表示で、はるかに将来的に質量が控えめにされ、実際には誤りのままでしょう。自然とその動植物、および一般的なすべての生態系は、人口過剰とその策略、そしてすべての影響によって破壊され、その結果、少なくとも悪質な影響を大気に与え、最終的には異常な、あまりにも早すぎる人為的な気候の大変動を引き起こすことになるでしょう。これはすでに、第2千年紀と第3千年紀の影響によって引き起こされている。第二次世界大戦だけでなく、25億人の人口過剰はまだ始まったばかりで、もはや止めることはできない。これは、来たるべき人口過剰災害のすべてがすでに進行中であり、もはや食い止めることはできず、地球の人間は、将来のすべての子孫の数がすべての理性の尺度を超えないように、もはやそのような方法で人口密度の増加を抑制し、維持・拡大させない代わりに、増加する人口密度を押し上げ続けることを、理性と正気の言葉によって止めることはできないから。しかし、知性や理性に関するあらゆる警告は、役には立たないでしょう。なぜなら、地球上の人間は交尾や性的交配、つまり女性と男性の性的結合を妄想しており、それが無意識または意識的に受精し、結果として、子孫を残すことにつながる。世界的な避妊の欠如の結果として、人間の子孫の出生数は急速に上昇し、時間の経過とともに、それらを正常で健全かつ合理的な範囲内に維持することはますます不可能になることは必然的に起こるでしょう。やがて、子孫を残すことが一種の趣味として実践され、地球はますます人間で溢れかえるでしょう。王冠ウイルスの予防接種の結果として、不妊症になったり、月経不順に悩まされたり、出産に支障をきたす女性が時間の経過とともに出てきても、全体としては変わらない。しかし一般的には、男性と女性の長期的な後遺症障害は珍しいことではなく、すでにワクチン接種を受けた人の再発や、感染後に生命に危険を及ぼすような病気で、病院での集中治療が必要な場合もあるでしょう。再発や、いわゆるワクチンのブレイクスルーと呼ばれるワクチンが適さない、あるいは半分しか適さないということが時間の経過とともに発生する。しかし、医療専門家によって軽視され、そうでない場合でも正常であると偽りの主張をする。また、後遺症障害も通常とは異なり、一生続く可能性もある他、クリニックでの治療が必要な重度の、その後の接種の反応として起こり、その中には致命的な結果をもたらすものもあるでしょう。
2022.01.21

平和瞑想 預言世界人口過剰解消会議と新しいウイルスの生体への影響〇クウェッツァルの言葉1)地球人が持てる限りの愛と理性を傾けて、すべての攻撃や暴力行為や戦争を、あらゆる犯罪や憎しみを、すべての不和や不自由を、そしていっさいの復讐心や報復心に終止符を打つことを私たちは望んでいる。2)本当の正義と人間性そして、生命に対する真の畏敬で地球が満たされるように、世界中のあらゆる国で拷問と死刑が廃止され、すべての生命および肉体と心の不可侵権が尊重されて、法の保護下に置かれるような法律が制定されることを私たちは望んでいる。3)地球上で正常なレベルの人口と出産が追求され、そのために世界中で効果的な産児制限を実施することを私たちは望んでいる。なぜならば、そうすることによってのみ、過度な人口過剰を、そしてますます増える貧困や犯罪、隣人に対する憎悪、戦争、地球資源の徹底的な採掘、さらに新種の病気や伝染病、そして悲惨さを回避し、また阻止できるから。4)飢餓がなくなり、すべての人間が十分な栄養を摂取できるように、地球上のあらゆる人間が共に食糧生産を追求しその成果を配分すべきである。5)地球人は科学や農林業および利水などのあらゆる分野において、今後は破壊的であることをやめ、建設的、進歩的になってもらいたい。このことは大気の正常維持や、ますます脅威的となっている気候変動で人間の罪過によって生じている部分についても言える。6)地球人は意識的に愛と知識と本当の人間性という枠の中で発展を遂げ、創造によって与えられた進化を生命の最高の目標および意義として認識すべきである。7)地球人はあらゆる点において、実際に肯定的な進歩が生じるように科学を利用すべきである。8)地球人だけが全宇宙で唯一の人間の生命形態ではないこと、そして自分たちが宇宙全体の一部であるという認識と知識、経験と体験、そして知恵を地球人の内部で成熟させていくべきである。9)肌の色や人種や信仰に関わらず、地球上のあらゆる人間の間に、憎しみ、復讐、ねたみ、報復心、貧困、悲惨、殺人、虐殺、テロ、戦争がなくなり、最終的に真の平和、真の愛と自由で地球を満たすべきである。10)地球の国々が、それも最も貧しく発展の遅れた国までもが完全武装の軍隊を養い、それによって人間の本当の福利に使えるであろう、またそうすべきである何十億という金額を無意味に費消することをやめるべきである。世界の至る所で政治家や軍隊、そしてありとあらゆる組織が平和と自由、愛と人間性について語りながら、一方では途方もない財政的支出を正当化し、他方ではこれらの資金をますます多くの戦争やテロの目的のためにせしめ、さらに新しい兵器で新たなテロ行為や戦争を遂行できるよう兵器産業を煽り立てることをもうやめるべきである。11)地球上で考え方や信仰、肌の色や人種が異なる人間を憎み、迫害し、さらには拷問にかけたり、殺したりすることを最終的にやめなければならない。12)毎日何千トンもの食糧を利益上の理由から犯罪的にも廃棄したり、市場価格が低すぎるからと言ってあっさり川に流したり、家畜の飼料にしたり、腐るにまかせたりするのをやめなければならない。それらの食糧は数百万の人間、とりわけこの点では最大の受難者である女性と子供たちを餓死から守ってくれるのである。13)地球人が全員すべての大きな問題に対して、為す術もなく無力に向き合うのをやめなければならない。なぜならば、すべての強欲な者、無責任な者、良心のない者がその犯罪的な商売をやりたい放題やることができ、しかも全然責任が問われず、まだ公正で目的に適った国民管理の枠内で職務を遂行して、懸案を解決する能力がない政府の責任者もその責めを負うことはないからである。14)地球人は自分自身の責任を担い、この責任に基づき意識して進歩的に行動することを緊急に学ばなければならない。責任を安易に誰かに、あるいは何かに押し付けるということがこれ以上続いてはならない。なぜならば、個々の人間は自分自身の思考、感情、そして行為に対して責任を負っているからである。個々の人間は自分の責任を認識し、これを果たさなければならない。なぜならば、個々の人間が責任を認識し、これを果たすようになって初めて、隣人も同じようにしようと鼓舞されるからである。それによって他の人間もこれに同調して進み、最後には地球の全人類がこれに引き込まれるのである。15)個々の人間が世界もしくは人間を変えるために積極的に何かをしたいと思うならば、それは彼が隣人に模範となる限りにおいて実現可能である。だからすべての人間は、より善良な者、平和的な者、愛すべき者、自由な者、進歩的な者へと変わること、そして知識と英知に向かって変化することを自ら始めなければならない。すべての人間は自ら事を開始し、自己を発見し、そして自由で幸福な人生への道を発見しなければならない。すべての人間は最初に自分自身に対して楽観的な姿勢を獲得しなければならない。そこから初めて拡大という進歩が生まれ、それによって隣人が鼓舞されて共に歩むようになる。そして人間が意識的にこの方向で考えるならば、人間がすべてを自ら始めるときに、真の進歩のためのすべての手段と希望がそこにのみあるという驚くべき発見をする。16)人間は、自分の最も内面的な真の本質が何であるか、そしてそれが外面的な人格とどのような関係にあるかを、自己認識によって正確に認識し、経験し、体験しなければならない。17)残念なことに地球人は、政治的、経済的、科学的、軍事的、物質的、そして財政的な価値に最高のランクを与えてきた。しかし、それは価値のないことであり、それがもたらす恐るべき損害により生理的および心理的な安寧だけでなく、個々の人間の、さらには全人類の意識の発展も損なわれている。そのために真の賢者や哲学者が姿を消し、英知や哲学の知ったかぶりが幅を利かせている。彼らは世界とその人間を途方もなく無意味な戯れ言で溢れさせているが、それらは霊エネルギーと創造の現実性、正当性、そして法則性とは全く関係ない。これらすべての無価値なものを取り除いて、再び真の賢者にこの社会で相応しい位置を与えなければならない。現在地球にわずかしかいないそれらの賢者が、孤独な隠遁生活から抜け出て、人間に教示できるように準備しなければならない。しかしこの場合、無意味な宗派的な教説や原則を吹聴して、地球人を本当の真理から逸脱させて錯誤へと誘導する連中は、すべて背景に押しやらなければならない。18)地球人が学ぶべきは、生まれてから死ぬまで物質主義と金銭だけを追い回してはならないということである。つまり地球人は、政治的権力や軍事的権力を持っている者、あるいは巨万の富を貯め込んだ者だけに耳を傾けてはならない。これらを追い求めたり真似しようとしたりして、自分の時間や労働、努力や創意を、そして人生を棒に振ってはならない。それにもかかわらず人間がそうするならば、彼らは進化の可能性を失い、それによって自分たちの存在の意味を失う。もし直接的な形で命を失わないとしても、彼らは政治、独裁、軍事または財産の形態による権力者に従属し、彼らに賛同して歓呼の叫びをあげ、そして存在する者ではなく、見せかけだけの人間になるのである。19)地球人は政治、独裁、軍事、科学および信仰上の方向の違いから解放されなければならない。なぜならば、そうすることによってのみ、一方では創造の真理とその法則および掟の道を見いだし歩むことが、他方では個々の人間と人間社会全体が愛情に満ち、平和で、自由で、賢く、調和して機能することが保証されるから。誠に政治、軍事、経済、科学、哲学および信仰の形態のいかなる方向も他の方向に対して優位に立つことがあってはならない。もしそのような優位が与えられると、競争、憎悪、人種差別、信仰および政治の争い、不和、不自由、冷淡、無知、その他多くの無価値が生まれて、破壊、殺人や殺戮、そして戦争行為や誤謬を招くのである。20)地球人はその固有の理性と責任意識によって、善良で肯定的なものに変身しなければならず、それによって、自己の名誉を回復しなければならない。つまり地球人は独自の次元を切り開き、そのあらゆる不十分性および誤った希望や願望に卑しくも従属することから自らを解き放たなければならない。地球人は、創造の法則と掟に従いより高いものを追求する途上で、すなわち霊形態と総意識体の転生によって、しかもあらゆる論理的で、善良で、肯定的な形態で意識的に発展するという創造的な義務づけにおいて、多くの新しい人格を通して繰り返し新しい人生を生きるであろうということを想起せよ。しかしこれは各人が、固有の責任において自らその進歩に努める必要があり、社会もまたそれを可能にしなければならないということを意味する。当然ながらその場合、各々の人間は必要な仕事をするための努力を払い、それに対して報酬が支払われ、それによって何らかの形で自分の住居を手に入れることができ、また自己責任において食糧や衣料、教育や教養、および自分に発生するすべての必要を賄うことができるのである。21)地球人は、その真の最も内面的で創造的な本質を認識し、理解することを学ばなければならない。なぜならば、まさしくそれによってのみ、地球人は自分の肉体と、とりわけその物質的意識、その覚醒および発展と関わり合うことが可能になるからである。つまり地球人は、自己の最も内面的な本質およびまたその肉体と意識の固有の価値評価を体得し、この認識を自らに、もたらさなければならない。そうすると、物質的な意識の覚醒と肉体の現実的な知覚について、自分自身の最も内面的な本質の認識と意識的な覚醒が起こるのである。第215回会見 1987年というのは、戦争は、本当はそこから新たな戦争が、そしてもっと大きい争いが生まれるということを意味する。地球人類はこの真実を最終的に認識して、戦争、テロ、拷問、その他の邪悪な暴力によって人類と全世界を制圧し、その支配下に置こうとする権力者がもはや政権の座に着かないように図られなければならない。すなわち地球人類は一致団結して、罪のある恥知らずで犯罪的な国家権力者やテロリストたちから、強力な非暴力によって自らを解放し、それらを解任するか、または治安部隊によって逮捕して、確実に拘束しなければならない。そうした拘束は必ず終身追放の形でなされなければならない。しかもそれは確実に封鎖された執行場所、たとえば罪人が逃亡を企てることのできない、文明から隔離された孤島においてなされるべきである。このような措置は、罪人が何らかの人間や全国民に対して影響力やテロをもはや行使できないことを保証するためのものである。 エンヤーナ本当のところ、拷問や死刑のような極端で人間の品位を傷つける制裁によって、恐ろしい憎悪が培養され、そこからいよいよもって犯罪行為が増大するのである。誤った立法によって処刑されそれによって生命が奪われたすべての人間は、法的に命令された刑罰を与えられることによって殺害される。したがって、死刑を言い渡す者は殺人の罪を犯しているのであり、また死刑すなわち国家に命令された殺害を執行する者も同罪である。この際、何らかの方法でこの事柄に関係するものは、みな殺人幇助の罪を犯している。あらゆる死刑の執行によって単に復讐が行われているだけであり、これは人殺しの当事者になるだけ。そして、罪を犯した男や女を刑法で殺害することによって、問題は解決されない。このような問題のすべては、創造および自然の法則と勧告が引き合いに出され、これに関連してこの人間が徹底的に教導され、そしてこの教導を通して自分自身で非の打ち所のない法に誠実な市民になる、ということによってのみ解決されることが明らかになる。しかしながら地球上の人類は、政府当局の条令によって創造および自然の法則と勧告を習得し、それに従うことを勧められてはいない。それゆえ、すべては常に悪い結果に行き着く。更に、根本的に人口過剰が大きな役割を演じる。なぜなら人口過剰は犯罪と悪事をどうしょうもなく制動不能にますます増加させるから。そしてこのことは単純に次の事からのみ生じうる、すなわち全く間違って、そして創造および自然の法則と勧告に対して違法に振る舞われ、創造および自然の立法があるという真実が無視されているがゆえに。そうしてとどのつまり、すべてはなお一段とよりひどくなりいっそう悪化するのである。犯罪者も処刑されてはならず、したがって刑罰によって殺害されてはならず、そうではなく、処罰を与えながら教導がなされること、したがって釈明が求められ責任を問われるという形で許されているということを学ばなければならない。これは例えば次のような形である。すなわち男と女の犯罪者が別々に生涯人里離れた世の中から隔離された島に追放され、そこで彼らは自分たちの生活に必要なものはすべて、自分たちの手で自然から苦労して手に入れなければならない。そして時間があるときに自分たちの人生。自分たちの考えと行為ならびに自分たちの態度を、彼らに課された学習を通してより良いもの、善良なものに変革するのである。このことを通して彼らは真の人間になることが可能となり、そしてまた真の人間としていつか死ぬことができるのである。しかしながら、もし本当の現実を分からず、またそれに従わないならば創造および自然の法則に離反したまま留まり、そのことによってなお非常に多くの害を被ることになるでしょう。本当の平和というのは、理解力があり、分別のあるあらゆる人たちが、いよいよ暴力によらずに継続して平和を保ちながら、最終的な平和を生成するまで思慮深く意識的に歩み続けるために、最初の一歩を踏み出して初めて地球上において世界の人々のもとに生じるのである。愛とは、次のことに関する絶対的な確信である。すなわち、自分自身がすべてと共に生きるということ、共に存在しているということである。そう、存在するすべての中に:動物相や植物相の中に、同胞の中に、どのような種類のものであれ同じようにすべての物質と霊の生命形態の中に、そして全宇宙の存在の中に、さらにそれを超えた存在の中に。自由を尊重せよ。なぜなら、それはすべての人間とすべての生命形態の権利であり、財産だから。愛を尊重せよ。なぜなら、それは創造、人間、そして生命の本質だから。平和を尊重せよ。なぜなら、それはすべての良い発展と限りない進化を保障するものだから。調和を尊重せよ。なぜなら、そこには考え、感情、行動ならびにすべての物事の均衡が存在するから。日常の喧噪や苦労や慌ただしさに急き立てられることなく、いかなる境遇にあっても常に平静を維持せよ。平穏、平和、愛、そして自由、すなわち調和の中に見出される、すべての価値あるものを探し求めよ。毎日ある程度の時間、静寂を求めよ。なぜなら、それは君に休養と熟慮をもたらすから。地球人類の将来のあらゆる時点は、その過去と原始時代の起源に深く関わってきている。そこで理解を深めるために、歴史の初めのころの決定的な出来事について述べることにしよう。120億年前にヘーノクによって創造された一連の原始民族のうち、その一部が地球に渡来し、定住した。一方、彼らは地球で生まれた人間と混血し、初期の地球人が生まれた。そしてそれは今日に至るまでこの惑星上で、その地歩を守り抜きながら強烈な勢いで増加し、現在、様々な問題を世界中で引き起こし、世紀の変わり目において世界最大の問題となっている。この内容は、一部重複するところがある。しかしこれは、原始時代からのすべての出来事のよりよい概観を得るにあたって必要なことである。原始時代の概論に続く予言あるいは預言は、例外なく日時が明らかにされていない。また年代順も守られていない。その理由は、人々の恐怖やパニックを防ぐためである。予言や預言にまったく頼り、不安そうにそれに従って人生設計を行い、自分の決定能力をまったく使わない人が大勢いるのは遺憾なことである。このような人々は自己責任をまったく放棄し、すべての責任を他人、または運命に転嫁する。さらに預言は絶対的に的中しなければならず、変えることができないと信じているため、それに身も心も捧げるという人間が大勢いることは残念である。しかしこれは真実ではない。預言というものは、実現しなければならないのではなく、実現することもあるというものである。それは人間が預言に対してどのように反応するか、預言から何を得るかということにかかっている。予言と預言についてその違いを説明しよう。予言というのは一種の将来の予想であり、極めて広範にわたるカバラの計算によって得た非常に精確な結果に基づいて作成されるもの、あるいは形態による未来への旅を通じて未来を研究したものである。未来への旅は例えば技術的、または意識によるものがある。またあらゆる形態の未来のヴィジョンもその一つである。これによってもよく分かるように、予言は絶対確実に実現し、また避けることができないものであり、また変更や防止する可能性もないものである。それは未来をのぞき見ることによって、実際に、変更不能に、来たるべきときに起こることを見たものだからである。したがって予言はすでに存在する事実に、基づくものであり、その起源と発展過程を通じてある特定の結果が生じるはずであるというものである。それに反して通常、警告の機能を持つ預言は、その目的として、ある事実から何事かが起こるが、手遅れにならないうちに変化をもたらすように指摘することである。もし変化がもたらされなければ、預言は絶対確実に実現する予言となる。つまり考慮しなければならないのは、預言的発言や告知は常に変更可能であるということであり、それは人間の態度次第であるということである。したがって預言に行き着くまでの事実が進化的にみて好ましい形態に改善されれば、預言された出来事が将来実際に起こるということは確実ではない。この人間の思考と行動の進化的な過程は通常、来たるべきことについての詳しい知識を持たずに、生命の法則として、通常の発展過程によって行われなければならず、そのためある出来事の預言的告知は可能性の情報であると同時に警告でもある。すべての生命は自らを向上させ、感知、認識、経験、体験を通じて進化しなければならない。すなわち人間は努力によってはじめて成果が得られるのである。預言やその実現の時点が決してはっきりと提示されない理由の一つはそれであり、そうでなければある進化の段階を飛び越えることになり、それによって進化に隙間ができる。もう一つの理由は先に述べたように、預言の正確な日付や時間などは恐怖やパニックを引き起こしかねないから。さらに詳しく、はっきりした形で預言が行われるべきでない理由は、ある事実を知ることによって恐怖、憎しみ、妬みなどから膨大な破壊と破滅が引き起こされることもあるからである。そのため、ある預言的な数値は常に秘密にせざるを得ず、その結果すべてを真実に沿って理解し、耐えることができるごく限られた識者だけが完全に解き明かすことが出来るのである。プレヤール人のメッセージは本来彼らと我々人類の歴史と過去にその起源を有している。彼らは我々に助言を与え、助ける義務を感じているが、彼らの規則がそれを禁じているため、あからさまな援助を行うことはできないのである。地球人類の歴史と過去については、すでに詳しく記されているので、さらに説明する必要はない。また、宇宙からの深遠から新しく来た者たちが地球にもたらしたものは、残念ながら良いことや高度の進歩だけでなかった。惑い、争い、間違った生活様式、宗教としての誤った宗教哲学、イデオロギー、そして創造・自然の法則と掟からまったく背を向けることなど、多くの災禍をもたらしたということが知られている。残念なことに当時もまたこのような多くの弊害や悪などを、地球人類が好んで受け入れそれに従ったため、いち早く最悪の堕落に陥り、それを通じて邪宗や様々な退廃がますますはびこったのである。実際、すべての虚偽と破壊が意気揚々と、そして喜々として無責任に到来し、今日に至ってもそれはとどまるところを知らない。今日の地球人類もそこに端を発する、太古の祖先の直系子孫と自任するプレヤール人は、5万2000年このかた彼らの故郷の惑星でまったく平和に生活している。しかし彼らは、自分たちの太古の祖先との絆を強く感じることから、独裁的で無責任な祖先の行為が行われてから、すでに38万9000年たったにもかかわらず、当時の地球上で起こったことや、地球人類を誤った方向に導いたことに対して、連帯責任を感じている。この連帯責任感から、彼らは自発的に義務を果たすことを引き受け、私の仲介によって、以前のように地球人類が再び創造・自然の法則と掟に従って生活することを示すことにした。また、一人ひとりの人間が自分自身の生命だけでなく、隣人やすべての動植物を含め環境全体に大きな責任を担い、それを尊重し、遂行することを教えることもこの任務の一部である。プレヤール人の義務は彼らがノコデミオン・ヘーノク霊形態のミッションに協力することによって、彼らの末裔である民族を創造・自然の法則に戻すことを、霊水準アラハト・アテルザータの最高法院に約束したことに基づいている。そうすれば地球に住む彼らの末裔も、破壊にさらされているゾル太陽系の輝く宝石、美しく青い惑星で、再び平和と愛と調和のうちに生活することができるというものである。プレヤール人から地球人類へのメッセージは次のようなものである。1)地球人類に彼らの起源、歴史について一連の事実を伝達することによって、いかにしてすべての害悪が生じたのか、いかにして人間が神として同じ人間の上に立つようになったのか、いかにしてこれがイデオロギー宗教の虜に至ったのかということを、惑わされた者たちに説明する。言うまでもなく、偶像や聖者崇拝そして様々な宗教的カルトもそこから発生している。2)宗教が主張するような形の天国と地獄は存在しない。それは人間の内部の精神的・意識的状態である、ということを地球人類に教える。3)全宇宙を通じて唯一の創造があり、創造の神々などは存在しない、ということを教える。そして、この創造のみがすべての創造・被造物を創り出す力であり、それ以外の力は存在しない。創造自体は原初創造に進化するまでに8300京年の生命を有する。4)地球人類に霊の教えをもたらす。これは創造・自然の法則と掟、原則と思考の進化について多くの知るべきことを含んでいる。5)人間は600億ないし800億年の転生の周期に従って生きている。したがって繰り返し様々な順序で生まれ変わりながら進化し、いつの日か創造に入る、ということを地球人類に教える。6)人間としてのすべての生命形態は、一つの極めて小さな創造霊によって生命を与えられている。それは進化し、また物質的な意識と相まって生命を営む力でもある。7)地球に適合した人口について地球人類に教える(人口過剰を防ぎ、その他多くの人間や動植物の生命にかかわる事柄や環境、人間の態度や道徳について。それには、人間そのもの、生活さらに内外両面の自由、愛と調和、隣人愛、知識と英知、真理およびあらゆる責任も含まれている)。人間、家畜、人種、民族、国家は、それぞれ自ら得た運命に従って生きている。それによれば地球人類もまた他の助けを得ないで、自らの努力と責任のもとに、悟性と理性をもって自ら進化し、再び創造・自然の法則と掟に従った正しい道をたどらなければならない。その際、地球外知的生命は直接的な形での援助をすることはできない。というのも、インパルス・テレパシーによる計り知れないほどの助言や指針は間接的であり、それを受ける者たちには何らの自覚もない。そのため、それらの助言や指針が自らの発見物と勘違いするのである。もし、地球外知的生命が彼らの規定に縛られず、公然と援助するなら、第一に学習過程がないため地球人類は何も学ばず、遅かれ早かれ旧習に戻ることになる。次に地球外知的生命が再び神として敬われ、それを通じてまた新しい宗教やセクトなどが生まれることになるので、進化の意義に沿わなくなる。大昔から地球人類は、地球外知的生命を常に神と見なして崇拝してきた。これには挑発された地球外知的生命が自らを神格に祭りあげたこともあずかっているが、プレヤール人はこの件に関して、地球人類に一度徹底的に本当のことを知らせる責任を感じた。これはまた、地球人自身のことについても明らかにすることを意味し、それによって地球人類はついに自分自身を尊敬し、実際に自分が何者であるかということを知ることになる。つまり彼らは一個の生命体であり、あらゆる意味で独立しており、考えること、感じることそして行うことすべてに自分で責任を持つということである。そこにはマリオネットのように上に立って指揮し、操り、感情の向くままに褒めたり、罰したり、残虐に殺戮する神はいない。そして地球外知的生命は技術的面ではざっと8000年、意識面での発達は2000万から3000万年地球人より進歩しているにもかかわらず、彼らもまた地球人と同じようにありのままの姿で、つまり同じ創造・自然の法則と掟のもとにあって、同じように苦しみ、悲しみ、そして喜びや調和を知る、同じ創造によって生まれた人間として見るよう努めている。プレヤール人は地球人類を決して非難しないだけでなく、地球人に対して尊大な態度をとることもない。むしろ反対に彼らは情報提供などを通じて極めて協力的で、明らかに地球人類に対して友好的であることがわかる。さらに彼らはある程度の野蛮性は人間にとってまったく自然なことであり、軌道を逸しなければ必要であると容認さえするのである。しかしこれは常に進化段階に比例しており、進化が進むに従って徐々に薄れていくもの。1975年3月21日金曜日のコンタクト記録第9回が、これについて述べている。セミヤーゼ「大事なことをはっきりさせたいので、今日は残念だが私が一方的に話を進めなければならない。すでに数十年も前から、様々な地球人やグループが、私たちをどうしてもそれにふさわしくない領域に押し上げようとしている。私たちが望まない地位に。往々にして、ただ名誉欲と金銭欲のために、私たちを現実の価値より高い地位に祭り上げる。私たちも他のすべての人間的存在と同じようにただの人間にすぎない。あなたたちの観念からすれば、私たちは技術的に卓越し、また霊的、思考的にも大いに進歩したレベルにあるでしょうが、地球上の大多数の人間が勝手に考えるように思い上がってはいない。私たちは地球人類の保護者でもなければ、神の使いである天使のたぐいでもない。様々な利己主義者や彼らにたぶらかされた一連の人たちは、私たちのことを地球とその住民たちの保護者であり、彼らの運命を定めるものであると主張する。しかしこれは真実ではなく、私たちはただ自分たちで課した任務を行っているだけであって、地球人類の監視やその運命とは何の関係もない。だから、私たちを宇宙から使者とか監視者であるとするのは間違い。もし私たちが、地球人の主張するような意味での使者あるいは監視者であったなら、私たちは公然と着陸し、はっきりと識別できるように地球人の運命を導くことでしょう。霊的・思考的におよそ2500万年先行し、技術的には約3500年(現在では約8000年)地球人より進んではいるけれど、私たちは人が勝手に思い込んでいるような者ではない。私たちを神格化し祭り上げるのは、宗教的な信仰の虜になっている地球人の思うつぼというところでしょう。それによって彼らは自分自身を格下げし、同胞を下等な存在におとしめることになる。間違いだらけのコンタクト記録や、真実のかけらもない、まったく故意に捏造されたコンタクト記録は、地球人が常に過ちを犯し、真実とは縁遠い生活をしているという印象を与える。でも実際はそうでなく。地球人も進化の道をたどっている。もちろん地球人は粗暴で研究面において性急であり、往々にして無分別。しかしそれは自然の賜物であり、またそれによって初めて生命が保証されることから、多くの生命形態は粗暴性を具えている。それを私は自然の粗暴性と称しており、退化ではない。これは地球人よりもはるかに高度に進化した人類にも具わっており、霊的・意識的な完成度が高まり、必要とする霊的・意識的認識を身につけたとき初めてこの粗暴性から脱する。しかしそれは決して地球人がさげすまされ、また悪の申し子として格下げされなければならないということではない。地球人は粗暴な祖先の子孫であり、それなりの進化の道を歩まなければならない。しかし多くの困難、困窮、そして苦労を伴うこの道は認識と知識に通じる。さらにこれはある程度、野蛮性にもつながる不屈さを必要とし、これがなくては前進しようとする意欲、新しいものへの熱望も湧いてこない。ある程度の粗暴性があってこそ研究と開発が可能となる。なぜなら粗暴性の中にはそれに必要な厳しさがあり、それによって例えば進歩を妨げるだけでなく、その芽すら摘んでしまう凝り固まった狂信のような進歩を妨げる拘束を、無視することができる。人間というものは首尾一貫して宗教的信条を度外視し、埋もれた真理の処在を突き止めることによってのみ、実りある研究をすることができる。これは決して生命、まして創造に対する敬意を失うことではなく、むしろ反対に研究やそれによって得た認識を通じて創造や生命に対する敬意はさらに高まる。地球人に知ってもらいたいのは、病気の原因とそれに抗する薬を分析するために、実験によって生命を絶たなければ生命が病気から解放されないという事実である。生命を研究の目的のために犠牲にするということは粗暴性を必要とする。また、あらゆる進化が粗暴性を必要とするのは、それに不可欠な不屈さをもたらすのは粗暴性だけだから。そういうわけで、強度の妄信を持つ人は生命にとって建設的な進歩をもたらすことはできない。その理由は彼らがあまりにも偏った、過度に人道主義的な考えと行動をし、そのため一方的に軌道を逸しているからである。そこには多くの場合、科学者が自分の能力と知識を私欲のために悪用し、それによって進歩の遅れている同胞を隷属させ搾取するという、大きな危険が潜んでいる。破壊の目的だけに使われている技術的成果と並んで、これはぜひ阻止しなければならないことである。彼らがこれによってやがては神に昇進し、私たちの共通の祖先が犯した過ちを再び繰り返してはならない。ある程度の影響を及ぼすことによって、私たちはこれを防ぐつもりである。私たちはまた地球人に進むべき道を示すと共に、その認識を成熟させたいとも思っている。また、私たちがある事柄や要件に介入するのはひとえに私たちの祖先が犯し、地球人が害を被ったのと同じ間違いを犯さないようにするためである」。プレヤール人は、地球上の最も緊急な課題は、途方もない人口過剰であるということを指摘している(1996年半ばの人口は約68億人で、公式統計をはるかに上回っている)。地球外知的生命は今日、地球上に蔓延する弊害のほとんどは全部人口過剰が原因であると指摘し、そのため彼らのメッセージは、地球上の全人類は早急かつ徹底的に、国際的、世界的な産児制限によって人口を減らさなければならない、としている。さもなければ次に挙げるようなすべての悪弊はさらに広がり、手に負えなくなると述べている。・戦争。・いつ起こるかわからない第三次世界大戦の潜在的な危険。・世界的な環境破壊。例えば大気汚染、森林を焼き払う開墾、熱帯雨林や資源の搾取、放射能汚染や化学薬品による汚染等々による動植物の全滅。これは全人類の生活基盤を破壊することに等しい。・人間の肉体的、精神的および思考的弱体化。これによって生存能力が急激に低下。・男性生命形態の女性化。動物界においてもこの傾向が強くなってきている。・男女共に妊娠不能が急増(自然が突然変異などを通じて抵抗を示すことを余儀なくされ、その結果、男性の精子生産に影響を及ぼして減少していることはすでに学術的に証明されている。人類が人口過剰に対して早急に自ら対策をとらなければ疫病や不妊などによって自然が反応し、いずれ人類は生殖不能になり、ひいては自らを全滅に導く)。・竜巻、地震、干ばつ、洪水、火山噴火など、天災の世界的な増加。・世界的な飢饉の増加。一時消滅していた病気や疫病の再発生。根絶されたはずの病気や肉体的欠陥などの再発や、新しい今までに知られていない不治または致命的な病気、流行病などの発生。・オゾン層破壊の増加。現在もまだ無責任に行われている破壊ガスの放出は25年から50年後にその結果が現れる。・気候の温暖化と四季を通じての極端な気候変化。・空の色が汚れ、灰白色に変わる。・家庭内での反目、外国人憎悪、人種や民族間の反目、生命軽視、人権軽視。・テロリズム、暴政、専制政治、独裁、無政府主義、過激主義、原理主義など。・各種エネルギー不足。・過激なエゴイズムとその悪質な結果。・金銭欲、嫉妬、意見の相違などからくる殺傷事件や意図的殺人。・感情面での堕落。・精神的、意識的ならびに宗教的狂気による大量殺人。・犯罪、暴力、暴行、幼児虐待、幼児暴行、女性差別や民族差別。・キリスト教や悪魔主義を含むその他の宗教におけるセクトやセクト的堕落。・動物虐待。・人間虐待と搾取、奴隷、隷属化など。・性的な放縦とあらゆる堕落。・ますます増える、えせ人道主義その他。プレヤール人は、全世界を通じて徹底的な産児制限と出産停止をし、一定数のたくましく健康で、かつ健全な生存能力を具えた者、そして事実上の生活能力を持つ者たちによって、病弱な人類を再び立ち直らせる機会を与えなければ、地球人類が生き延び、存続することができない、ということを我々にこのメッセージで示し、驚かせた。そうしなければ将来の見通しはすべて暗く、えせ人道主義とごまかしによって、すでに存在する地球上の問題はさらに大きく、際限のないものになるでしょう。それゆえに人類は、腐敗して取り返しがつかなくなる前に、後戻りしなければならない。またこれはプレヤール人のメッセージだけでなく、すべての分別と責任感のある地球人が認識するところでもある。地球外知的生命のもう一つのメッセージは、地球上に複数の国家からなる平和戦闘部隊を創設しなければならないというものである。これは勢力の均衡が崩れた場合にすぐに介入し、革命的、戦闘的な紛争が起こりまたは起こりそうになったら大事に至らないうちに理に適った力で抑圧し、その後そのような紛争が再び起こらないように各セクションに駐屯するのである。この複数の国家からなる平和戦闘部隊は、国連部隊のようなのもではなく、すべての紛争を徹底的に終止させるために理に適った武力を行使し、介入する権利を持つ、平和戦闘部隊にふさわしいものでなければならない。間違った人道的考え方を持つプロや、その他の正気でない思想を持つ戦争反対者や武力反対者は、この際、まったく考慮されるべきではない。なぜなら夢想や空約束、その他のナンセンスでは戦争や革命などを片付け、解決することができないことは、湾岸戦争をみても、また旧ユーゴスラビアの好戦的、殺人的な策動でも明らかである。プレヤール人の意見では、現状の国連部隊はその方針に従って武装した平和の天使であり、無意味に命を落とさなければならず、そこでこの多国籍からなる平和戦闘部隊をヘーノックの方式で編成するべきである、ということであるが、よく考えればそれも適当ではない。地球外知的生命からのもう一つのメッセージによると、地球人類は「平和瞑想」を行うべきで、そうすれば人間はインパルスによって愛と平和に方向づけられるというものである。この平和瞑想は実際にこのような効果をもたらすものであるという。そういうわけで彼らは私たちに毎月週末に2度その平和瞑想を行うように教示した。政治的に見て多くの好転が80年代と90年代に見られたように、これが唯一の実際の効果ある方法である。平和瞑想はあるコードを含む言葉によって行われ、それは無数の人々の潜在意識の中に効果をもたらし、平和と隣人愛の方向へ日々の行動や思考に影響を及ぼすのである。私たちはすでに何年もの間、平和瞑想を35億人のプレヤール人とその同盟人たちと一緒に規則的にたゆまず行っている。地球の現状は緊迫したものである。それも人口過剰をはじめとして戦争行為や暴動、ありとあらゆる種類の有害物質や放射能による全世界の汚染、地球上あらゆる分野における乱脈、財政的搾取犯罪、それに権力政治、麻薬中毒、邪宗、化学物質や毒物の乱用、テロ、人権偏見、人身売買、売春、無政府主義、死者や亡霊、悪魔信仰など、多岐にわたるものである。その対策としてはまず、第一に人道的な形で、世界的な出産停止とそれに続く持続的な産児制限によって、地球人の人口を減らすことである。出産停止と産児制限によって、地球上の人口が耐えうる数に減少しなければ(正常な適正人口は5億2,900万人である)、問題は際限なく増大し、害悪が害悪を生むことになるであろう。なぜなら、人類は今後も増え続け、それと並行して諸問題もとどまることなく増大し、解決できなくなるからである。同時に個々の害をその原因と結果に応じて除去することが、緊急不可避の課題である。プレヤール人自身が、地球の破壊を阻止するために助言した重要な対策は、以下のとおりである。すなわち、数年間に及ぶ絶対的な出産停止と、それに続く持続的な産児制限、森林搾取や風土荒廃化などを含むあらゆる地球搾取を即時停止して、地球が耐えられ、処理できる規模に軽減すること、すべての核実験の停止、乱用される麻薬、自然や生命を破壊する化学物質や毒物の製造停止、現在あるすべての原子力発電所の解体のほか、あらゆる乱脈の防止。さらに自然と創造に反した既存の不充分な形態の悪政と邪宗の廃止。統一民主主義的な形態の全世界的統一政府の創設、戦争を想定して形成された軍事ブロックとすべての政治的・軍事的な諜報機関の解体、あらゆる戦争行為や動乱などの終結および阻止、拷問や死刑、その他地球と生命に負担をかけ、侵害するすべての害悪の除去と禁止、地球上に存在するすべての民族と人種からなる世界的な保安部隊の設置、創造の法則と掟を全世界に広め、これに基づいて創造に適った生活様式を習得し、順守すること、土壌、森林、原野、水、大気、植物、人間、動物、微生物などが受けたすべての被害の埋め合わせを世界的に促進し、実行することなどである。プレヤール人の生活、彼らの思考、感情、感覚そして行動などは、もっぱらすべての事物における創造の存在とその真理に関する知識に、そしてまた、創造の真の法則と掟およびその原則に従うことに向けられている。彼らのすべての努力は知識と愛、真理と英知の滑らかな軌道を進むことにあてられ、死骸や害悪や偽りの臭いのする、陰鬱で、隷属的な、霊の自由を奪う宗教的信仰の怪しげな道をたどりはしない。現在、地球人が理解しているような宗教は、彼らにとって異質のものである。創造の神、あるいは地球人が何と呼ぶにせよ、そのようなものはプレヤール人にとっては身の毛のよだつようなものであり、まったく非現実的である。今日に至るまでの多大の努力にもかかわらず、なぜ地球人が儀式宗教の束縛から解放されて、自分たちで自らの責任とイニシアチブにおいて、その種族の運命を創造のガイドラインに沿った建設的な自己努力によって自ら切り開き、とっくに昔に果たすべき義務、すなわち真の進化を開始し、創造の法則と掟に従ってこれらを満たすことができないのか、いぶかしく思っている。プレヤール人の生きる道は、彼らが自らの手で非常に苦心して築き上げた価値、創造のガイドラインに沿った霊的かつ技術的な知識を一直線に貫いている。彼らはそれを創造の真理、霊の力、あらゆる事物へ向けた純粋で創造に適った愛、および彼らのJHWH(イシュヴィッシュ)の力と賢明な助言によって築き上げたのである。彼らはまたそれにより、5万年以上も前から恒久的な平和を維持する術を心得ている。こうしてプレヤール人は、太古の昔から霊的あるいはスピリチャアルな生活を送り、地球人の崇拝意識を非論理的で創造に反するもの、また意識の謬った隷属化であるとして、断固退ける。彼らの哲学は、普遍的な創造の真理と創造的な生活に基づき、それはもっぱら真理と実在と存在、そして決して神性に置き換えることのできない創造の法則と掟に向けられている。創造は最高の力として、普遍的意識、霊の中の霊、あらゆる真理、英知、愛、すべての論理、法則と掟、生命と存在、そして永遠のエネルギーを具現している。普遍意識としての創造は、創造領域、つまりその宇宙におけるあらゆる創造物の生命の源である。しかしこの宇宙と時間において、最高の創造形態、すなわち絶対的完全性として、無限数に実在する(10の49乗)種類の宇宙のなかの一つにすぎない。人間のスピリチュアルな生活とは、平たく言えば、霊的な生活ということと、あるいは創造を認識し、創造の法則と掟を順守する生活を意味する。そしてこれのみが、プレヤール人が、人生哲学と創造に適った生き方をするにあたって、採用する唯一の正しい進路である。それはまた、地球人にとって最終的な目標でなければならない。人間の霊的な生活(まさしく人間のスピリチュアルな生活)、あるいは霊的なもののなかでの生活とは、ある生命がその思考、感情、行動、そして生命全体が、もっぱら霊の根本的真理、すなわち創造およびその法則と掟だけに合わせるということを意味する。創造は永遠であり、絶対不変の創造の法則と掟に基づいて形成された愛、生命、霊、真理、英知、理性そして悟性を意味する。創造と、そこから生まれた霊、そしてそれと結びついて創造の法則と掟についての真の知識を認識する生命だけが、創造の法則と掟を自分のものとして順守し、創造に沿って正しく生きるのである。このことは、この生命体が真理について真の知識を持ち、非論理的な信仰形態に対して、理性に反した誤った偽りの信仰を持つことなく生きることを意味する。地球人にもたらした間違った導き、誤った生活様式、虚偽の哲学、そして創造の法則と掟からの離反、地球人が自ら進んで無責任また無思慮に作り出したあらゆる分野にわたる害悪、弊害、邪宗、そしてすべての堕落から、創造の法則と掟、またガイドラインに沿った正しい生活様式に連れ戻すことである。家庭内、若者の間、そして多くの人間の間で総じて暴力と攻撃が急増していることであるが、これは脳構造の損傷とはほとんど関係がない。事実、すべての暴力および攻撃は、両親やその他の親権者による教育の欠如によって、あるいは社会的に誤導された同僚、友人、知人などとの付き合いによって習得されたもの。つまり攻撃や暴力はまさに、愛と共感、親切心と人間性と同じように、教え込まれ、習得され、受け継がれるものなのである。まことに人間は、自分の中に衝動や本能を備えてはいても、哺乳動物やその他の動物とは異なる。なぜなら人間は、基本的に自己を意識しており、自分の全行動と理念、思考、感情、そして全心性ブロックを意識的に活用および制御できるから。攻撃と暴力にかかわる行動の事柄が遺伝子によって、遺伝することはない。なぜなら遺伝子は脳がどのように行動すべきかを決定することはないからである。実際、遺伝子は単に可能性もしくは潜在性をあらかじめ規定するだけであり、これを人間自身が意識的に活用および形成しなければならないのである。それゆえ人間がどのように発展し、手本を通じて与えられる規範をどのように活用するかは、すべてその人間自身に掛かっている。悪、憎しみ、暴力、復讐、報復、殺しは、人間に生まれつき備わっているのものではない。人間はこれらの反価値を習得するのである。これと同じように、人間は衝動をコントロールすることを習得しなければならない。それゆえ人間が、どれほどの強さで愛に、そして攻撃、憎しみ、復讐を、または平和、自由、喜びおよび調和に発展させるか、そしてフラストレーションや失望を、または幸福や健在に処理するかは、ひとえに人間の手の中にある。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2021.08.21

〇セミヤーゼの言葉昔は、地球の人間に何らかの思考形態を伝えるためには、目に見える証拠が必要であった。でもこの目に見える証拠のために、人々は奇跡を信じ始め、またもや迷妄に踏み入った。現代の地球は目に見える証拠を超えたところを進んでおり、明晰で論理的な理性と同様にまた明晰で論理的な悟性の道をひたすら歩まなくてはならない。この価値のみが現代にふさわしく、それらは目に見える証拠よりも優れた証拠なのである。今日、進化の道を歩むことができるためには、意識の力、知識、英知そして愛が、極めて重要な意味を持っている。イマヌエルの時代は、そうではなかった。というのは、その当時の地球人の知識はまだあらゆる点で、目で見、耳で聞くことができる事物に非常に強く捕らわれていたから。そのため当時の人間は、目に見える証拠を見たり聞いたりすることで自分の思考力を自覚し、それによって進化の道を進むことが保証された。でも今日の地球人はその段階を乗り越えて、より大きい理性と悟性を獲得し、自分の思考力をはっきり意識するようになった。そのため地球人が進化するには、この力を獲得して有益に応用することが求められる。けれども、これは本当に大変な意識的努力を払うことによってのみ可能である。つまり地球人はいまや、目に見え聞こえる証拠を必要とすることはなく、意識的作業そのものによって、知識、真理、英知そして愛を形成すべき進化段階を生きている。しかしながらこの時代にあって、人間が目に見える証拠あるいは耳に聞こえる証拠を要求するならば、その人間は意識の点で、まだ完全に新しい時代の段階まで昇りつめていないこと、ある事柄においていまだに古い時代にとどまっているということが明らかである。水瓶座時代の地球において今日の証拠となるのは、人間の理性であり悟性であり、そして真理の無謬の論理である。でもこれを地球人は、その適応力に優れた思考形態により自ら認識しなければならない。先日の2021年4月3日pm5時(米中央時間帯)シューマン共振が記録破りの驚異的な数値を示す。地球の電界のデータは、1,500Hzまでとてつもなく上昇しこれ程の値は経験したことがない。通常は100Hzかそれ以下をキープしている。○何万年も昔から唱えられている言辞〇同様に固有の周波数を持つ その2〇子供たちの瞑想〇創造と霊と自然の至高へ物質的意識の力を発揮させること1.地球外生命体は存在するでしょうか?Genesis Saetze 211-240最初に創造されたのは、創造の自己進化に組み入れられた形態の生命を維持することが可能であるような、特別の形状と特別の価値を持った形態であり、自己意識のある自立した生命体として、また法則の履行という価値に有するものとして、オメダム(OMEDAM)と呼ばれるべきものであった。すなわち創造は、その自己進化に組み入れられるべき生命体オメダムの理念を生み出したのである。創造はこの理念から被造物の存在を、存在するために創造された植物相や動物相の、固有と進化の中に置かれた生命と同じ形態で創造した。つまり生命体オメダムは固相および固形において、全宇宙に7×7通りの形態と7×7通りの色合いで創造され、精神的なものと物質的なものという二重性において創り出された。生命体オメダムはその呼び声に相応しく自分自身と、彼らに先立ち存在するようになった他のあらゆる種類の生命体を、空に、海に、陸に、そして彼らの間で支配し、保護し、進化すべきものであり、万物の中で万物と共に、合体した統一体として内面的なものと外面的なものにおいて法則を履行・遵守しながら進化して、完成を履行し、いくつか完全なものとして創造自体に到着し、そして完成されたものとして創造と同じ方向に向いて、創造の統一における、かつ創造の統一と共に完成された自己統一として創造の自己進化に組み入れられる。Semjase-Block 11.Kontakt,Satz 19-21(Semjase)地球人は私たちのことを地球外生命とか異星人とか、好き勝手な名称で呼んでいる。地球人は私たちについて現実離れしたことをでっちあげているが、私たちのことを少しも知らない。実際のところ、私たちは地球人と同じように人間。ただ、私たちが知識や知恵の面で、また技術的な点においても地球人よりはるかに勝っているだけのこと。2.地球外人間はなぜ、どんな目的のために地球に来るのでしょうか?Semjase-Block 11.Kontakt,Satz 35-41(Semjase)彼らは用心しなければならない。彼らはしばしば自分たちの邪魔になるものは誰とでも戦い。何でも破壊する。惑星全体を消滅させたり、その全住民を奴隷にしたことも何度かあった。そこで、私たちの任務の一つは、このような野蛮人の存在を地球人に知らせ、警告すること。このことを地球人に知らせなさい。これらの堕落した人間どもとの衝突が避けられない時が次第に近づいているから。もう一つの任務は、教派や宗教およびそれと結び付いた人間の意識の発達不全を警告すること。すべてに勝り、あらゆる生き物の生と死を支配するものはただ一つしかない。それは万物について法則を定めた創造だけである。決して覆すことができない。永遠に有効な法則である。Semjase-Block 11.Kontakt,Satz 57-60(Semjase)宗教とは人間の誘導、抑圧および搾取を目的とする人間の拙劣な作り物にすぎず、それに溺れるのは意識の弱い生命だけ。この真実を白日のもとに晒し、人々に知らせなさい。これも私たちの任務。さもなければ、人類は徐々に自己崩壊し、完全な霊的な闇(意識の闇)に陥るでしょう。Semjase-Block 13.Kontakt,Satz 14-17(Semjase)私たちはこの宇宙にすでに存在し、発展を続けている人間を守るという義務を任務としているにすぎない。つまり秩序を維持し、特定の生命を見守るよう努めている。指令があれば、私たちはあちこちで様々な世界の住人に接近し、何人かを選び出して教示している。ただしこれを行うのは、ある人種がかなりの程度まで発達していて、徐々に思考し始めるようになってからのこと。自分たちがこの宇宙で唯一の思考する生き物ではないという考え方に徐々に慣れるよう彼らに準備させる。私たちはあちこちでテレパシーを使ってある種の認識を芽生えさせたり、時代が求める技術的な発明をさせたり手助けしている。3.彼らはなぜ公然と登場しないのでしょうか、またどうしてすべての人間が彼らとコンタクトを取れないのでしょうか?Semjase-Block 224.Kontakt,Satz 12(Semjase)最後にもう一度だけ、あなた以外の人物といかなるコンタクトを取ることは全く不可能であることについて説明する。それは以下に挙げる理由から。1)私たちがある地球人とコンタクトを取る場合、その地球人がそれまでの数十年間にわたりあらゆる分野で研鑽を積んでいることが条件となる。2)私たちは霊的意識的な面で必要な前提条件が満たされている場合しか、地球人とコンタクトを取ることができない。つまり意識的に良好なだけでは十分ではない。霊的な発達が何よりも重要だから。3)私たちはある地球人がその発展段階において非常に進んでいて、同胞の言うことや書物に書かれていることや宗教または教派の規範に惑わされることなく、独力で真理の中の根本的な真理を浮き彫りにして認識できる場合にのみ、その地球人とコンタクトを取ることができる。4)これらの前提が満たされることなく私たちがある地球人とコンタクトを取るとき、そのようなコンタクトは特定の目的のために一時的に企てるものにすぎない。その場合目的が達成された後、その人間の中にある私たちに関する記憶などは抹消される。例えば私たちがタルムードを発見させた人物のケースがこれに当たる。けれどもそのような人物には、公然と登場することを必要とするような何らかの使命を課すことはできない。なぜならば、これらの人物の記憶は末梢され続けるので、彼らの意識には相互の連携も正確な事実も存在しないから。しかし、そのような地球人もごく特定の知識分野で非常に発達していなくてはならない。タルムードの発見者がその一例で、言語に非常に精通していたが、私たちは彼に過度な期待をかけ過ぎたようである。5)私たちが地球人とコンタクトを取るときは、ある高次の指示に従い、必ず正確に指定された数の生命体だけを対象とする。その理由の一つは、重要な地位にあまり多くの人間が関与するとすべて台無しにしてしまうから。このように説明していて、あなた方が非常によく用いる、この場合にぴったりの諺を思い出す。料理人が多すぎて粥が台無しになるというもの。それは、創造の法則と掟に関する教えにおいてもその正しさが証明され、不動の位置を得ている事実なのである。創造のみが規定するものだから。6)私たちは、自分たちで責任を負えない限り地球人に姿を見せてはならない。このように用心するのは、特に私たちのシップやその他すべての事物を手に入れようとしている個人、軍隊および官庁の欲望が念頭にあるから。したがって多くの人とコンタクトを取ることは、波動の点でも有害であり、私たちにとって危険でもある。だから私たちがコンタクトを取れるのは、波動の点で私たちと調和でき、全幅の信頼を置くことができ、あらゆる点で熟知している地球人に限られる。このことは、まさに私たちがあなたやあなたのグループとともに遂行する特殊な使命にとって、広範囲におよぶ重要な意味を持っている。だから、必要な場合はおよそ考えられる限りの手段を用いて、会見者に悪い結果がおよぶのを防ぐことが、あらゆる点で確実にできなければならない。7)私たちが選別された極めて特定の地球人にしか自分たちの存在を知らせず、秘密の道や行きにくい場所でコンタクトを取ることには次のような理由もある。数え切れない人間がひたすら刺激と利己心を追及しているが、彼らはその理由だけで私たちとコンタクトを取りたいと思っている。しかしまた、私たちを目撃したらパニック状態に陥り、非常に危険な影響を招く恐れのある人間も無数にいる。4.夢は泡のようでしょうか?Der rosarote kristall 'Das unsichtbare Koenigreich'しかしそれでも人間にとって、これらの夢を正しく見て理解し、記憶に留めておくことは難しい。なぜなら、現実の悪い王が何度も自分の悪い手下を送り出しては、これらの夢とその記憶を壊してしまうから。悪い王は、人間がしばしば非常に醜く悪い現実の中で生きるよう望んでいる。でも本当は、現実はほかならぬ人間自身のせいで、これほど悪く醜くなっている。それというのも人間は人生において非常に多くの物事を誤り、自分勝手に生き、ひたすら富を求めながら、知識や英知、善や真理などの価値あるものはすべて斥け、美やすべての夢もないがしろにして踏みにじるから残念。そのようなわけで現実の悪い王は、地球のほとんどすべての人間を支配することもできる。5.私たちはなぜ生きているのでしょうか。私たちの人生にどんな意義と目的があるのでしょうか?GeisteslehreEinfuehrung,Sinn des Lebens人間は宇宙の中で一部として、不変の法則と特定の存在目的をもって生きている。これらの普遍的な法則と存在目的を認識し把握するものは、人生の意義をも認識し把握するし、その認識を常に自分の存在と関係づけるよう絶えず努力を続けるでしょう。そうすることにより人間は自分自身を認識し、自分自身に対する強力な主人となり、それによって周囲の世界に善い影響を与える。GenesisAuslegende Erklaerung,Satz 392-395この万物の中で万物と共に進化するというのは、植物相および動物相だけでなく、万物の中で万物と共に進化すべき人間の生命体にも該当する。これはまた、すべての生命体は進化の過程の統一的な履行において互いに共生し、内面的なものにおいても外面的なものにおいても、すなわち霊的なものにおいても物質的なものにおいても、七層の法則を履行しながら統一体として合体しなければならないことも意味している。それゆえ人間の生は、七層の法則の履行として、霊が完成に向かう進行の履行として生きられるべきであり、いつか完全なものとして、統一的な完全性として、創造自体の意識と心根に到着し、そして創造と同じ方向に向いて創造の中で、また創造と共に固有の完成として完全なものに向かう創造の自己進化を促し、それ自身は自己統一として創造の統一に組み入れられている。6.私たちの地球の人間はどこから来たのでしょうか?Leben und TodSeite 62さて、死後も魂(Seelre)は生き続けるというのは、カルト宗教に負った全くのナンセンスである。肉体と死と共に魂も死ぬ。なぜなら魂は肉体の純然たる半物理的因子であり、したがって肉体そのものと同様に移ろいゆくものだから。人間とその肉体の死後も生き続けて彼岸領域に入るものは、ただ創造の部分として霊(Geist)しかなく、これは物理的肉体がそもそも生き得るために必要なものである。この霊は不断の進化に組み入れられており、彼岸領域で生き続けて、ある時間の後に再び新しい物理的肉体に転生する。7.死後の生は存在するのでしょうか?Semjase-Block 331.Kontakt,Satz 603-608(Semjase)人間という生命形態は創造によって造られたものである。だから人間は、あなたがたの地球で悪意をもって主張されているように、サルなどの動物に由来するものではない。物理的な形態の発展を考えるなら、人間という生命形態の生成過程は非常に長いものである。人間は最初の原始的な生命体から、しかし人間となる定めをもって創り出され、すでに創造の力によって人間となるように賦活されていた。つまり最初に創られたときから、この被造物は人間的になり、最後には人間となるように定められていた。したがってこの生命形態は、そもそもの最初から根本的に固有の類なのである。OMKanon 8,Verse 78,79そして人間に至るまで生命体が創造された。人間は地球の原物質から、すなわちその物質結合的に働く生命から発達して、独自で固有の系統に忠実な高度に発達した創造的生命形態として造り出された。そして地球および既存の植物相と動物相の物質結合的に働く人間の生命が造られたが、植物相や動物相の生命形態とは直接同類ではない。8.伝授された者にとっての秘学(秘儀)は存在するのでしょうか。またそれはどうしてそのようにされているのでしょうか?Die PsycheSeiten 58 und 59思考の途方もない力は今日初めて発見されたものではないが、その正しい応用は今日の人間にもまだ目新しく、まるで7つの封印をした書のように不可解に映る。莫大な量のナンセンスと並び、あらゆる現実的なもの、本当のこと、真実、そして法則と掟に適ったものが厳しく禁止された知識として秘学に注ぎ込まれ、普通の第三者は絶対に近づくことができなかった。これは20世紀の今日でも、その真正さを否定することができない事実である。途方もなく長い歳月にわたって集められた人類の計り知れない知識の多くが、今日なお近づきがたい秘学の中に隠されており、法王や僧侶や秘学者が死ぬときまで守られ、人類から隠されたままにされる。だが、なぜか。理由は極めて単純である。人類の大多数が秘学の知識を発見したならば、それは彼らに人生を肯定する驚くべき利益と進歩と成果をもたらすだろうが、そのとき宗教と政治はごく短期間のうちに根こそぎにされるだろうからである。9.賢者はまだどこかに存在するのでしょうか?Arahat AthersataKapitel 3,Satz 99 und 123それゆえ君たちの時代に知識と真理と英知を厳しく言葉で告げ、計り知れない霊の教えを君たちの間に広める真理の告知者と賢者を敬いたまえ。たとえ地球の人類が、新時代の賢者や預言者を現代までわずか5本の指で数えることができるにせよ、これら少数の人間は人類全体より大きく強大である。OMKanon 30,Vers 36賢者は賢く、誤ることがないので、何らかの事柄について言葉少なに語るか、黙している。なぜなら賢者は、真理は言葉をわずかしか必要としないことを知っているからである。それゆえ賢者が言葉や助言を与えるために唇を開くことはめったにない。10.『OM』とは何を意味するのでしょうか?Stimme der Wassermannzeit Nr.50,OMOM(サンスクリット語:AUM)は地球では久しく忘れられた古代リラ語に由来する太古の言葉である。OMという言葉の本当の意味は、2つの文字の価値が十全に示されたとき、すなわちOとMはOMFALON MURADO の頭文字であり、この2つの言葉が説明されたとき初めて認識できる。しかしOMFALON MURADO という2つの言葉は、頭文字のOとMを組み合わせた略字において、2つの言葉を完全に発音したオムファロン・ムラードと同じか、さらにはもっと高い音調を生み出す。そのためこの略字が用いられるようになり、広くOMとして定着したのである。古代リラ人は彼らの真理の書(BUCH DER WAHRHEIT)をOM、OMFALON MURADO、すなわち「生命中心」または「生命の中心」と呼ぶ。このOM書は、創造に関するすべての教えを含んでいる。すなわち、その中には英知と生命に関するあらゆる教えが文字で書かれている。11.なぜ宗教が存在するのでしょうか。宗教は以前からずっと存在していたか。私たちには宗教が必要でしょうか?Ein offenes WortSeite 166,Satz 1215・・・このカルト宗教は根本的にエクナトンというファラオのもとで始まった。このエジプト人は宗教史では一神教、すなわち一神信仰を発明した最初の偉人として知られている。Semjase-Block 331.Kontakt,Satz 304-309(Ptaah)したがって地球人の宗教について語るとき、それは現在地球上に存在し、適用され、影響を及ぼしている形態の宗教が意味されている。この意味における宗教は地球上や地球にとって致命的な危険であるだけでなく、宇宙全体にとって致命的な危険を宿している。地球上に存在しているような意味での宗教は独自のもので、他に類を見ない。宗教は致命的な危険として地球人と惑星全体を支配し、数千年来君たちの世界を霊的な観点で萎縮させてきた。どんな霊的進歩もこれらの宗教によって妨害されて、それ以上進めない。霊の進化は君たちの地球を支配している宗教の邪説によって妨害されている。DeKalog2.Gebot,Satz 195-197創造の名を厳粛に扱い、乱用してはならない。地球の人間よ、君は他の生命形態よりも良くも悪くもないが、我々が知っているすべての生命形態よりもはるかにひどく誤導されている。これもまた、我々の知るどんな水準にも宇宙にも類を見ない、非現実的で理解しがたいカルト的宗教という馬鹿げたものに原因がある。だがそれは君の悪行や悪意のせいではない。なぜなら君は何らかの不当な理由で誤導されて、搾取と霊の貧困と奴隷状態に陥ったにすぎないから。12.知るまたは信じるとは?WissenswertesNr.2,Wissen und Glauben信じると知るとの間には根本的な違いが存在する。信じるとは、証明できないものを単に盲目的に真理として受け入れることを意味するが、知るとは証明できるものだけを受け入れることを意味している。しかし、証明は霊的な要件において、そしてこれこそが一番重要なのであるが、内面的な証明可能性によってしか認識できない。このことは集中的で意識的な思考作業のみが、何らかの事実に関する証明を生み出せることを意味する。これと反対に信じることは決して証明をもたらすことができない。なぜならば信仰は差し出されたものを単純に信じるという形での憶断として、真理として受け入れることに基づいているからである。このようなことは特に宗教で起こる。なぜならば、何らかの教えやドグマやカルト儀式が信者に差し出されると、信者はそれらを単純に抵抗することなく信じなければならず、それが正しいということの証明は決して与えられないからである。信仰とはすなわち思考の欠如と思考の怠惰に根ざしている。これに反して、知識は激しく休むことのない意識的な思考と作業を求めるのである。13.再生(転生)はあるのでしょうか?OMKanon 14,Verse 6,7 und 13-15地球の此岸には粗大な質料物質の生命と、それに伴う学習期間と進化がある。しかし彼岸領域では霊的なものの生命と、それに伴う霊形態の進化がある。つまり彼岸領域では、霊形態が新しい人間の肉体の中で再び生きるための準備が行われるのである。霊形態にとって彼岸領域では再び生きるための進化と準備が続き、そうして新たに物質的な人間の肉体に、屈託なく新鮮に、もう一度地球上で生まれる。人間は地球上の此岸で生き、死んで彼岸に赴く。こうして人間は絶えず再生し、進化する。つまり人間は生き、死に、新しい肉体に再生し、そしてこのような生成と消滅は、創造の微小な一部である人間の霊形態がさらに進化して物質的な人間の肉体をもはや必要としなくなる時が始まるまで繰り返される。14.動物も進化(発達)するでしょうか?Semjase-Block 454.Kontakt,Satz 55-57(Semjase und Billy)ビリー「よろしい、ではさらに動物の霊形態はどうなっているか話してくれないか。これらも霊の進化に組み入れられているのでしょうか」。セミヤーゼ「もちろん。でも動物の霊形態は純粋な自然進化の特定の秩序に限られている」。ビリー「つまり動物は、人間の場合に見られるような通常の意味の霊進化とは関わりないということかい」。セミヤーゼ「その通り。なぜなら動物の霊進化は霊の完成に寄与することはなく、与えられた秩序の中で自然進化に寄与するだけだから」。ビリー「つまり言い換えると、動物形態は霊的な形態においてある最小限の価値には発達するが、本来の完成を目指す進化ではなく、おそらく本能的知性などと呼べるような自然霊の発達に組み込まれているということだね」。セミヤーゼ「その言い方でほぼ当たっている」。15.瞑想とは本当は何でしょう?日常生活で何の役に立つのでしょうか?Einfuehrung in die MeditationSeite 127,Satz 1-4 und Seiten 228/229さて、死後も魂(Seele)は生き続けるというのは、カルト宗教に負った全くのナンセンスである。肉体の死と共に魂も死ぬ。なぜなら魂は肉体の純然たる半物理的因子であり、したがって肉体そのものと同様に移ろいゆくものだから。人間とその肉体の死後も生き続けて彼岸領域に入るものは、ただ創造の部分としての霊(Geist)しかなく、これは物理的肉体がそもそも生き得るために必要なものである。この霊は不断の進化に組み入れられており、彼岸領域で生き続けて、ある時間の後に再び新しい物理的肉体に転生する。16.なぜ地球は人口過剰なのでしょう?(地球人の数は1840年から1993年までに14億から59億に倍増した)Arahat AthersataKapitel 3,Satz 6-12人間の種の保存は、地球の宗教の邪説が明言するように、単なる繁殖の決まり文句で表されるものではない。種の保存とは、自然法則を遵守することである。つまりその遵守とは、神聖で、見通しがきき、統制的なものである。単なる繁殖の決まり文句は、神性ではなく、見通しもきかなければ統制的でもない。なぜならそれはあらゆる自然法則に反して無意味な規模の繁殖を生み出すからである。地球人が単なる繁殖の決まり文句に従い、創造と自然のすべての法則をないがしろにしているということは、少しでも霊的な発達の軌道を歩んでいる者ならば誰でも認識できる。人類は節度も節制もなく増え続け、統制不能の低俗な形で子孫を生み出している。君たちの地球は5億の人間の生命形態を支え養うことができるが、地球人は35億もの人間を生み、わずか数百年の間に、何百万という人間が正常でない死に方をしなければならないほどひどい人口過剰を招いていた。地球人の無分別と宗教の邪説のために人類は際限なく増え続け、それまでは少数の人間に限られ食い止めることのできた諸々の問題がとんでもない規模で広がって制御不能となった。種の保存の法則を破りないがしろにしたため、人類はわずか数百年の間に人口過剰に陥り、それとともに困苦や変節などあらゆる問題も増大するのが避けられなかった。17.神・悪魔・地獄は存在するでしょうか?PsycheSeiten 52/53神(Gott)という言葉は、異民族の言語のやはり非常に古い概念にすぎないが、この民族の存在も言語も1973~1994年に至るまで確実に証明することはできなかった。しかし絶対に確実なのは、神という言葉はこの太古の未知の言語に由来するものであり、創造とはいささかも関係ないということである。神という言葉はおよそ考えられる太古において、霊的そして意識的な力およびそこから生まれた能力により、王や皇帝にもかなわなかった物事を意のままにして成就できた人間を表す名称として用いられた。したがってこれらの人間はその能力のゆえに神または女神と呼ばれたが、それはほかならぬ(霊的そして意識的な面で)皇帝や王の上に立つ者を意味した。この目的のために知謀にたけた者たちは、古代ケルト人の歴史を利用した。彼らは太古にある一人の超人、すなわち神と呼ばれた者たちの一人を狩猟の神として崇拝した。なぜならば、彼はその驚くべき霊的そして意識的な力を民衆の狩りが成功することに用いたからである。太古の伝承などから立証されるように、頭蓋に二つの角状の突起を持っていたこの神はトイベルと呼ばれていた。数百年、数千年の間にトイベルという名前は数え切れないほど変わり、最後にそこからトイフェル(悪魔)という名前が生まれた。初期の宗教が取り上げたこの名前は、角の生えていない善と愛の神に対して悪の対抗物、すなわち第二の神として加えられたのである。こうして善と悪、すなわち天国と地獄が生まれた。Leben und TodSeite 1地球の人間よ。君がどこか天国や地獄に行くというようなことは決して可能ではなかったし、これからも絶対に不可能でしょう。君は人間として自分で天国や地獄を用意するのである。つまりもし君が天国に行きたいと欲するならば、自分自身で天国を用意しなければならない。18.イマヌエルは誰だったのでしょう。彼は生存していたのでしょうか?Semjase-Block 18.Kontakt,Satz 202-208(Semjase)イマヌエル自身はただの人間であり、他の人間とまったく変わるところはない。そのことは、私よりもよくご存じのはず。彼はただ膨大な知識を身につけていたにすぎない。象徴でも偶像でも他のどんなものでもない。彼は確かに教師であった。つまり霊と意識に関する知識や英知を人々に伝える預言者だった。でもそれ以上の何ものでもなかった。いかなる生命形態も決して偶像化したり、ましてや崇拝したりしてはならない。人間はそれをよくするけれど。私たちが二千年にわたって人目につかない場所に隠されてきたタルムード・イマヌエルを発見させた理由はただ一つ、真理の時が到来したから。イマヌエルの教えは彼自身の教えではなく、彼自身もまず学び、認識し、受け入れなければならなかった創造とその法則の教えなのである。19.なぜ救済者という呼び名は一部しか正しくないのでしょうか?Arahat AthersataKapitel 3,Satz 218-220当時イマヌエルと呼ばれた人間の生命形態は、創造の法則と掟に従って行動し、それらを冷厳な秩序において遵守した。彼はごく狭い範囲でだけ霊の教えを告げたが、彼の子孫たちはそれを同じ形で地球のあらゆる方角に広めて、人々に告げ知らせ、創造へと戻る道を示すべきだった。だが彼らは教えを誤って理解し、邪説と混乱を告げた。Talmud JmmanuelDas 4.Kapitel,Jmmanuels Arkanum,Vers 42-45イマヌエルよ、彼らは君をも神として、またその一人の子として罵倒し、そしてまた君を秘密に満ちた創造と同列に置くであろう。この誤った教えを意に介してはならない。人類の子孫が真理を認識できるようになるまで数千年かかるだろうから。君のために多くの人間の血が、すなわち君の血とともに数え切れない世代の血が流されるでしょう。そうしたことにも関わらず、君は英知の王としての、天孫ガブリエルの息子としてのミッションを果たすがいい。Das 35.Kapitel,Kulte um Jmmanuel,Vers 37-40異類のカルトを持った人間たちがやってきて、自分たちの間で私を神格化し、民衆の信仰心を一層掻き立て、それによって民衆を奴隷化し搾取しやすくするでしょう。私の名前で多くのカルトが作り出されるでしょう。そうする理由は、人間がその意識において奴隷化されて自由を奪われ、それによって民衆と国土と金銭を支配する強大な権力をカルトに与えるためにすぎない。君たちに言っておくが、いかなるカルトも正当ではなく、創造を最高のものと認識しないのみならず、創造の法則と掟に従って生きることもないでしょう。いかなるカルトも、真の教えや知識や真理を説くことはないでしょう。20.心とは何でしょう。それは何からできているのでしょうか?Leben und TodSeite 62地球人の間に、魂は死後も生き続けるなどという邪説が起こったが、これはいつの時代にもカルト宗教をかつぐ連中が、無責任にも真の事情を知らずに人間において感情中枢をなす因子、すなわち心(Psyche)を不死なるものと呼んだことに起因する。心は人間の感情中枢と思考世界から形成されている。実際、人間が心理の認識条件に関して無知、無教養であったならば、心を観察した時に、それが半有機的・物質的なものではなく、霊的なものであるかのような混乱した印象が生まれるが、これは完全に真実と相反している。つまり数千年前に人間を非常に不正確に観察した結果、その当時、そして今日もなお一部で誤った魂も心も不死で、純粋に霊的な本性のものであると言われた。しかし真実は、この魂(心)も肉体そのものと全く同じように死すべきものであり、肉体そのものが死によって生命から引き離されると、たちまち息絶えるのである。21.魔術は存在するでしょうか。魔術とは本当は何でしょうか?GeisteslehreLehrbrief Nr.36,Die Zahl 1515という数字は何よりも魔術の世界の価値を表している。この数字は優れて超自然的・超感性的な意味を持っているが、一般にはいわゆる高度な神秘学を担うものではない。15という数に属する人間は、しばしば目標を達成するために魔術を用いることができるが、この場合、魔術という言葉を正しく解釈しなければならない。すなわちそれは力を発揮することを意味している。15の特性の人間は、15という数を4または8と関連づけるときには非常に注意深くなければならない。なぜならば、それらはかなり悪いことの象徴となり得るから。15という数に属する人間は非常に速くその力を、いわゆる黒魔術に使うことができる。それは自分の持てるすべての力を否定的な形で作用させることを意味する。15の人間は、たいてい非常に弁がたち、音楽や演劇の才能があり、精力的で、芸術的でもあるので磁石のように引き付ける強い力を否定的な形で利用することなどわけはない。15の人間はまさにそのことを避けるように用心すべきである。WissensewrtesNr.3,Die sieben Rechte der Magie個々の領域について概略を述べる前に、魔術という概念の定義を試みよう。我々は意志的に意図した現象が空間と時間を度外視して起きるとき、魔術が行われたと言う。それゆえ、魔術を何かの物理的な意味での放射によって説明しようとしてもできない。なぜなら物理的現象はすべて我々が感性的に知覚できる世界と結びついており、この世界は空間と時間の中で表わされるから。さらに魔術の作用は何らかの意図、すなわち行為する知的存在を前提としており、自発的な自然現象とは比較できない。22.なぜ戦争は昔からずっとあるのでしょうか?Arahat AthersataKapitel 3,Satz 119-121数百年、数千年の昔から、地球の民族のあらゆる指導層には、認識と愛と真理に関する知識と英知が欠けている。そして現代において、これらの指導層にとって創造およびその法則と掟に関する知識と英知は、彼らが戦争や殺戮に駆り立てることによって罪もなく流された一人の人間の血ほどの値もしない。このような指導体制のもとで地球人に残されたものと言えば、死の奈落へと滑り落ちる道のみである。23.第三次世界大戦は避けられるか、避けられないでしょうか?OMKanon 36,Vers 64-70地球人は第三次世界大戦の虜になり、数多くの戦争や雄叫びが地球全体に響き渡る。民族同士、家族同士が互いに対立する。死の炎が地球上を駆け巡り、人間をまるで厄介な害虫のように皆殺しにする。こうして地球人がそれまでの狂気の沙汰にも挑んできた創造の法則と掟が履行される。民族の多くが自分の罪によって、偽善者と盲目の罪によって、坊主と偽の教師や指導者の罪によって、権力者や裁判官、執行者や創造からの離反者によって滅びるでしょう。人間の間にいる蛇蝎の輩は自分自身の罪によって滅ぼされるでしょう。地球上には死の太陽が照り輝き、狂気を止めることのできるものは何もない。こうして地球の人間は方向を転換して創造の道に向かわないならば、自分が犯したあらゆる人殺しの罪のために自らを罰し、滅びるという古い予言が的中する。ProphetienMittwoch,28.Januar 1976(Petale)人間が本当に円満な状態へ、純粋に霊的なもの、まことの誠実さと、より普遍的な愛、そして一切を包含する調和へ向かって歩まなければ、恐るべき予言が残酷にも的中し、それはいつまでも続くでしょう。1974年以降、核による地球の完全破壊は巨大で普遍的な力によって避けられているが、第三次世界大戦の危険は回避されない。それはすでに芽を出しており、侮蔑に満ちた平和な時代に突如として暴力的にやってくる。この地球の人間は夜安らぎに満ちて横になるが、平和の真っ只中で戦争の雄叫びによって眠りを破られる。だが人間は現在まだ善いことや、愛と平和と調和の中での霊の道を考えてはいない。Stimme der WassermannzeitNr.35,Der dritte Weltkrieg...現代の多くのいわゆる予知能力者や予言者は、第三次世界大戦はもはや起こらないと主張する。しかしこれらの主張は真理に基づくものではない。それらはそうした主張を掲げる者たち自身の際限のない不安に対する気休めにすぎない。第三次世界大戦が起こらないという主張の中には臆病さも相応に含まれている。なぜならば、そのような嘘を主張する者たちはまさしく臆病さから、与えられた事実と直面しようとしないから。ここではっきり言っておくが、第三次世界大戦は必ず来る。第三次世界大戦は、祈祷の後に坊主が必ずアーメンと言うくらい確実に訪れる。そしてこの第三次世界大戦はもはや防ぐことはできないが、これはカルト宗教が少なからぬ罪を負っている。24.個人は平和のために何ができるでしょうか?Die Uhr schlägt eben ZwölfSeite 127,Satz 1-4 und Seiten 228/229平和とは単なる言葉ではなく、計り知れない価値を持った概念である。しかし世界平和は小さなところから始まる。自分の家やごく身近な周辺で戦争をしていたら地球上に平和を生み出すことは決してできない。最初に身近な場所や自分自身の中で、それから友人、親戚、知人、そして仕事や余暇で日々出会う人々との間で平和を生み出していかなければならない。世界平和の努力は小さいところから始まり、そこから次第に拡大していく必要がある。このことは、世界情勢や低劣な出来事がどうであろうと、小さいところでの結び付きを求める。25.預言された破局を防ぐためには何ができるでしょうか?Stimme der WassermannzeitNr.52,Eine letze Chance...さて、善い意志のあるところには道もある。この道をビリーの地球外の友人は最近極めてはっきり明確に示した。解決の標語は非常に簡単な「平和瞑想」である。すべてが考えられる限り単純であり、金銭的な費用や、物質的な補助手段などを要することなく誰でも実行できる。必要なのは少しばかりの時間と善い意志だけである。プレヤール人の説明によれば、我々は直ちにいわゆる平和瞑想を始めることによって、第三次世界大戦の勃発を数年遅らせ、その残忍さを緩和できる可能性がある。26.時は切迫している!今日果たせることを明日に延ばすことなかれ。変化と改良のためにあなたの関与が必要である!Die Uhr schlägt eben Zwölf我々はすべての邪悪を直視し、あるがままの姿で認識しなければならない。そしてあらゆる邪悪の根をつかんで根こそぎにする。しかしながらこれは、自分たちの子孫のためにも公正で健全で自由な世界、正しく管理・統制された天国を作り出そうという、責任感のあるすべての人々の積極的な支援と協力なしにはできない。それゆえ、権力亡者や知ったかぶり屋、無責任者や物質主義者の狂気との戦いにおいて君と君のすべての力と援助が必要なのだ。彼らは自分たちの利潤欲と権力欲を満たすことしか眼中になく、世界や隣人の命などどうでもいいのである。あなたが生きるすべてのものに対していくばくかの義務感と責任を担おうとするなら、あなたも我々の仲間である。だからいつまでもためらわずに我々に合流し、我々と共にこの世界の狂気に対する戦いに赴き、存続のためのこの戦いであなたの能力も考え得る限り、実行し得る限り傾注する。あなたもまた必要とされており、この存続を賭けた戦いでなくてはならない存在なのである。27.愛とは何でしょうか?Gesetz der Liebe愛とは、自分が万物の中で、それゆえすべての存在者、すなわち動物相と植物相、人間、種類を問わずあらゆる物質的および霊的生命体の中で、全宇宙の存立において、さらにはそれを超えて共生・共存しているということの絶対的な確信である。それゆえ本来の定義における愛は、次のことを意味する。植物であるか、霊体であるか、動物であるか、惑星または星であるか、あるいは人間であるかは全く問わず、あらゆる存在の中で、他の存在は自分自身の存在の部分存在であることの絶対的な確信と感覚を抱きながら共存しているという絶対的な確信を感じること。愛とは、すべての生命は自分の生命の一部であることを絶対的に確信し、絶対的に知り、絶対的に感じ、そして絶対的に把握することである。なぜならば万物は一体となってあらゆる存在の絶対永遠の存在における全我々形態をなし、愛を知り感受することにおいてのみ全実在存在として存在できるから。それゆえ愛とは全宇宙、さらにはそれをも超えて存在するすべての生命体との全く固有の共同性において、そしてまた自分の存在は他のすべての存在する生命形態の部分存在であるとともに、他の生命形態の存在も自分自身の存在の部分であり、全宇宙のすべての生命形態は真実、そうであるがゆえに存在しているという絶対的な英知において、絶対的に知り感じること、絶対的に感じ共生することである。DekalogNachwort,Seite 135愛は人間の心情で鼓動でなければならない。なぜなら愛は平和、自由、知識そして英知への唯一の道だからである。しかし創造に対する愛、すべての生命形態に対する愛を感じるとは、畏敬の念を起こさせるすべてのものを敬い、これを承認しつつ義務を果たすことを意味する。28.聖書で正しいのはどの部分でしょう。昔の預言者の発言がないのはどうしてでしょうか?Ein offenes WortSeite 4,Satz 29-32 und Seite 219,Satz 1536-1538聖書には人類の極めて古い歴史の一つが断片的に保存されている。が、最も古く完全なものではなく、残念なことに多くの誤りや嘘や捏造が混入している。旧約聖書(バイブル)に書かれている幾つかの点は、非常に慎重に選別して濾過するならば、今日でも神の真実の教えと見なすことができる。聖書は幾多の改革や変革にもまれ、多くの邪説を含み、年代記編者、物書き、狂信者、権力亡者などによって捏造されたにも関わらず、極めて明瞭に認識できる根本的な教えを保ち続けた。それは唯一創造のみが万物の本当の創造であり、神はこの創造の人間的な被造物にすぎないというものである。新約聖書の幾つかの言葉や文は、本当にイマヌエルが説いた教えであり、妥当なものと見なすことができる。さて、キリスト教の聖書もユダヤ教のモーゼ五書も、その他多くのいわゆる聖なる書も、初期の頃はサンスクリットに由来する説話と類似の事柄を語るすべを心得ていた。これは聖書の場合、ローマの聖職の決定により当該編本が聖なる書から削除されるまで、例のごとく正確には地球人が再び真理の探求を開始した時点であった。こうして聖書の最も古く重要な編本、すなわちエノク書が削除され、異端として弾劾されたが、それにもかかわらず例のごとくバ チ カ ン 図書館に収蔵された。29.人間はなぜ苦しまなければならないのでしょうか?Einführung in die MeditationSeite 143,Satz 129-131 und 139-140世の中の大半の苦難の主たる原因は、無思慮、自制心のなさ、軽率さ、そして不注意である。つまり世の中の大半の苦難は、故意に行われた悪行から生じたものではない。ほんの一瞬熟考するだけでも、多くの場合、広範におよぶ一連の罪や大災害やその他の災禍を十分に防ぐことができる。純粋観察を通じて、与えられた状況における何らかの態度表明あるいは行動が賢明であるかどうか、あるいは必要であるかどうかを熟考するために必要な時間が得られる。それによって、宗教の誤った教えにより人間に植え付けられている、不必要で頼まれもしない介入や自己干渉にすぐさま飛び付いてしまうといった態度は、徐々に改まるでしょう。そこには、内的および外的な生活に多くの苦悩と非常に多くの不要な紛糾をもたらすもう一つの原因、悪質であるが回避可能な原因が潜んでいる。30.人間は地球上にすでにどのくらい長く存在しているのでしょうか。我々の惑星で最初の人間はアダムでしょうか?Semjase-Block 19.Kontakt,Satz 148-153(Semjase)すべての副指導者の最高統率者であるセミヤーサ(Semjasa)は、イブと交 接した。彼が見るところイブは人間に最も似た形態を維持した、かなり美しい雌であった。この交 接から生まれた子供は男性で、人間の容姿をもっていた。これは地球の人という意味である。この後の交接から一人の女子が生まれた。セミヤーサは後年これら二人の地球の人が交 接すべきことを定めた。その後も多くの子供が生まれ、それらはやがて集団となり、部族を形成するに至った。これがやがて今日の人類に発展するのだが、人類はそもそもの最初から人種ごとに別々の大陸に別れて住んでいた。31.占星術で正しいものは何でしょうか?Semjase-Block 566.Kontakt,Satz 26-32(Semjase und Billy)セミヤーゼ「シンボルは約12000年前に私たちの祖先によって形造られたが、時とともに何度も変更され、失われもした。それでも繰り返し発見されては、元の形に造り直された。それらは再び本来の原形に戻ったので、今日に至るまで保存された。個々のシンボルは、それぞれの星座に固有の極めて特殊な価値を持っている。これらの価値は波動によってすべての生命形態にも伝送されて、生命形態に合わせた性格と相応の特質を持つ。そしてこれらの特質が物理的なもの、心理的なもの、精神的なものにおいて表現される」。ビリー「ああ、それはもう占星術の観点だね」。セミヤーゼ「その通り。でもこれに関してはすべての星座が重要な意味を持っており、わけても時間は非常に支配的な役割を果たす。占星術の正確な規定値では、時間規定は1秒の単位まで極めて大きな意味を持っている。この要因は残念ながら地球の占星術師の間では重要視されていない。なぜなら彼らは自分たちの評価を分単位で計算することを好むから。そのため普通は、必然的なことだが、おおむね正しいという結果にしか至らない」。32.テレパシーとは何でしょうか?GeisteslehreLehrbrief Nr.17,Gedankenwellenある人間が何らかの想念を他の人間に伝えようとするとき、それが霊テレパシーでないとすれば、物質的意識と物質的潜在意識を通して行われる。さまざまな集団、組織や機関、教団などで誤った偽りの主張がなされているが、通常の簡単な想念伝達は霊的な領域からではなく、物質的意識と物質的潜在意識の純粋に物質的な領域から発せられる。つまり主張されているように、ある人間の内的な自己が別の人間の外面に想念を伝達するのではない。現在まだ地球上で行われ、地球人の間でこれまでに知られている通常のテレパシー形態は、物質的意識による単純な想念伝達である。33.エホバとは誰だったのでしょうか?Semjase-Block 339.Kontakt,Satz 66-72(Semjase und Billy)セミヤーゼ「あなたは事情をとてもよく知っている」。ビリー「君がそれについて知っているのは大いに結構!私が言っているのは昔の「愛するべき神」、私がイシュヴィシュ野蛮人と名付け、一般にエホバさんと呼ばれている神のこと」。セミヤーゼ「つまり古代もしくはモーゼの時代の神だね」。ビリー「さよう、あのスーパーヒーローのことだ。二重人格者で、一方で自分を創造であると宣言し、すべてを包み込む愛と慈悲と正義について偉そうな口をたたいたかと思うと、手のひらを返すように見境なく無実の人間の命を奪い、命令により何百万という地球人を虐殺させた」。セミヤーゼ「まったくその通り。彼の像については良く知っている。あなたがたは彼を聖書の神と呼んでいるが、私たちの間では不正で残忍な者と呼ばれている。ほぼ2150年前に死を迎えた。非常に邪悪で権力欲の強い生命体で、他の善良なイシュヴィシュと並んで実権を握り、無数の地球人を死と破壊に追いやった」。ビリー「その男に今日のキリスト教はなおもとんでもない敬意を払っている」。34.睡眠状態とは何でしょう。それは有益でしょうか、それとも危険なものでしょうか?GeisteslehreLehrbrief Nr.16,Hypnoseすべての睡眠状態の原点は強度の集中にある。集中は難しい方法でも簡単な方法でも、いろいろなやり方で習得できる。およそ最も基本的で価値のある方法は、瞑想を習練し、それによって最も価値の高い瞑想集中を生み出すことにある。催眠や自己催眠、暗示や自己暗示は、人間の生活において非常に貴重な基礎をなしている。それらは生活のあらゆる領域で応用したり活用したりできる。しかしここで催眠や自己催眠を絶対に否定的な目的のために利用してはならない、ということに厳重な注意を払わなければならない。35.アストラル移動というのはあるでしょうか?GeisteslehreLehrbrief Nr.26,Der Astralkörperいわゆるアストラル体についてもありとあらゆる邪説が流布され、人々を混乱させている。とりわけここでまたしても幅をきかせているのが超心理学で、真理について全く無知なるがゆえにこれらの邪説を作り出している。たとえば超心理学の邪説によると、アストラル体は人間の物理的肉体の外部に移動できる。だがそのようなことは実際には絶対あり得ない。そのような場合にアストラル体が物理的肉体を離れたなら、この肉体は数分以内に死に見舞われざるを得ないから。真実は、いわゆるアストラル体とは人間の中に宿る純粋な霊的生命体にほかならず、それゆえアストラル水準での、またそこから転生した自我のアストラル水準における道具だということである。つまり正しくはアストラル体は人間の中に宿り、人間を活かしている創造の部分、すなわち霊以外の何ものでもない。36.イマヌエルはどんな教えを広めたのでしょうか?Talmud JmmanuelDas 34.Kapitel,Die Schöpfungslehre,Vers 1-4しかしイマヌエルは力強く説いて言った。見るがいい、人間と神、そして万物の頭上には創造が君臨している。人間の悟性には創造は完全であるように見えるが、実はそうではない。創造が霊であり生きている限り、創造もまた無限に完成しなければならない。だが創造は、それ自体において一つであるから、固有の創造によって、すなわち新しい霊を生み出すことによって完成できる。霊は人間の中に宿り、人間を活かし、学習によって進歩しながら完全なものになっていくのである。Das 23.Kapitel,Das grosste Gebot,vers 39-43次のこともそうであり、初めのそれと同じである。すなわちあなたは、ただ創造のみを全能と呼ぶべきである。なぜなら、創造だけが万物において永遠に存続するからである。神や皇帝は移ろいゆくものであるが、創造は不変である。すべての掟と預言はこの2つの法則にかかっている。神や皇帝の法則は人間の法則であり、それゆえ人間の間で秩序と法を維持するものである。しかし創造の法則は生命と霊の法則であり、したがって変化することなく永遠に存続する。37.天使は存在するのでしょうか?OMKanon 20,Vers 139 und 142-144不正な者や無知な者たちは、欺瞞的にも創造に息子や娘、天使や聖人をでっちあげる。自分たちの神や偶像に、あるいは多くの神々や偶像などにするようにである。創造には性別がない。男性でもなければ女性でもなく、純潔でもなければ汚れてもいない。時間的でもなければ非時間的でもなく、空間的でもなければ非空間的でもない。なぜなら創造は、本当は霊、霊力、光であり、実のところ意識的形態における純粋な霊エネルギーだから。創造には男性であれ、女性であれ伴侶はいない。なぜなら創造はそれであり、真の意味で無性だからである。それゆえ創造はいかなる生命体ともすべてにおいて異なっている。こうして創造は、性別もなければ伴侶もなく、またそれは最も純粋な真の形態における霊エネルギーであり、従属的な絆はないのであるから、どうして創造が息子や娘を持ったり、それらに何らかの形で依拠したりすることがあろうか。またどうして創造が、粗大物質からなる生命形態の人間で暴君にすぎない神(Gott)であり得ようか。38.反ロゴスとは何を意味しているのでしょうか?Semjase-Block 445.Kontakt,Satz 142-144(Semjase)しかしここで注意しなければならないのは、地球人は自分の意志に反して666という数値に、すなわち反ロゴスに、嘘と偽りに到達したということ。これはやはり自分の意志に反して付けられた虚偽の名前により、狂信者、嘘つき、詐欺師により、そして宗教やいかさま師や権力亡者によりそうなった。つまり666という数字の価値は、とうにこの世を去ったこの地球人の人物そのものや彼の思考や行為に関わるものではなく、この男から作り上げられ、カルト宗教の権化として地球を支配する狂人に関係している。Stimme der WassermannzeitNr.51,WUV schlägt zu!したがってこのことから分かるのは、WUV666という獣もしくは怪物は、ある特定の人間の作用に、もしそう言いたければ額に666のシンボルを付けた20世紀の人間に関係しているということである。ProphetienDonnerstag,29.Januar 1976,Satz 1-14それは悪の子、破壊の子。そこにあるのは知識と英知と真理の敵対者、愛と平和、畏敬と調和の敵対者。それは多様な形の反ロゴス。それは悪の形象、すなわち666。そこにあるのは創造の真理に反し、霊の真理に反し、法則と掟の遵守に反する。それは彼、すなわち権力と無法状態、支配欲と残忍、そして反ロゴスと体現者。悪の権力は、虚妄の力と奇跡のシンボル、そしてありとあらゆる幻惑、欺瞞、嘘と偽りをもって、救済のために真理への愛を受け入れないゆえに反ロゴスの邪知に溺れた者たちの間に不正と邪説をもたらす。それは破壊の子、反ロゴス、邪悪なもの、混乱させるもの、忍び寄り、潜み、そして死を与えるもの。それは絶滅の子、真理の殺害者、666、反ロゴス。39.霊の真理とは何でしょう?OMKanon 46,Vers 51-66英知は、創造の代表的な特徴であり、創造はその一部が霊として人間の中に宿っている。それゆえ人間はその知識ある英知を増やすがいい。そうすれば、創造を認識するでしょう。いっそう真理を探求せよ。そうすれば、真理の力を知るでしょう。真理を認識すれば、あらゆる制限から解き放たれる。真理の認識は果てしない知識と英知をもたらす。英知は、創造の法則を知るための強力な手段である。愛に満たされた人間は英知も豊富であり、英知の豊富な人間は愛にも満ちている。しかし地球人は愛を知らないがゆえに自分自身を欺いている。所有欲に駆られた感情と情動を愛と取っているが、地球人にとって本当の愛は疎遠であり、理解できないままである。人間はたとえ創造という言葉を使わなくても、真理と知識と英知を認識して初めて人間である。なぜなら英知は最良の形態の愛だからである。こうして人間は、悟りと認識は知識であり、英知であり、そして愛でもあり、愛が支配するところ英知も支配することを常に見いだす。愛と英知は一体である。なぜなら、創造とその法則は、同時に愛と英知だからである。英知と知識のあるところには愛と認識があり、認識と愛のあるところには創造がある。愛と英知が育つと人間が創造を認識することを学ぶ。人間は最初に真理を学び、それによって自由と平和を獲得する。変わることのない平和、終わりなき力を。英知と愛は、創造的な本質と特質の活力に満ちた振動である。40.エジプトのクフ王のピラミッドにはどんな事情があるのでしょうか?Semjase-Block 2Auszug aus Askets Erklärungen vom 9.2.1953 Satz 1-7 und 27あなたはピラミッドの年齢についていぶかしく思っている。実はその歴史は少々混乱している。というのも、ピラミッドの起源はもっと早い時代にさかのぼる。ピラミッドの意味と発生史は、今あなたに語るにはあまりに遠大である。だからあなたが自分でイメージを抱けるよう、必要なデータだけ挙げることにする。クフ王のピラミッドも地球上にあるその他のピラミッドも全部、リラの星座(琴座:1975年9月4日説明)が蟹座に入った時に建設された。ここから2×36650年、つまり合計73300年という数字が出る。2×36650年の計算結果を聖遷の時代の前に置くと、正しい数字が得られる。もともとピラミッドとその建設は天孫、つまりこの世界の本来の住人である星間旅行者にまでさかのぼる。Semjase-Block 670.Kontakt,Satz 151 und 152(Semjase)けれども、アルセムは密かに地球に戻り、その軍勢とともにエジプトの地にある古い立方体の建造物に住み着いた。これらの構造物は7000年以上も利用されずにそこに放置されていた。アルセムたちはピラミッドの下方、地球深く定住した。彼らは今日見られるギザのピラミッドの深い地下にある建築物を、自分たちの邪悪な目的を遂行するための本部に仕立て上げ、そこから支配欲に満ちた計画を実現しようと企てた。でもこれまで見るべき成果を上げることは出来なかった。彼らの目標を達成する道は、欺瞞と嘘と陰謀の道であり、宗教的妄想の教義やカルト、その他いろいろな邪悪な策謀によって地球人を感化し、誤導するというものであった。41.インディアンからの質問:なぜ白人は宗教に関する本(バイブル、コーランなど)を必要とするのでしょうか?Stimme der Wassermannzeit Nr.50,Indianersprücheバイブルは途方に暮れた民族のために書かれた・・・。我々は自分たちがどこから来て、どこへ行くのか知っている。我々は指示を与える本を読む必要はない。この本はもしかしたらコロンブスのような人間のために書かれたのかもしれない。彼はここへやって来た時に途方に暮れていたから!フィリップ・デーレ(インディアン)42.同 性愛とは何でしょう。どのようにして同 性愛が生まれるのでしょうか?DirektivenAIDS-Herkunft und Schuld der Widernatürlichen同 性愛は自然で反自然的な性の変節である。自然で反自然的とは、この性的変節は自然の過程で生じるが、生 殖という自然性の法則には寄与し得ないということを意味する。それゆえにこの性的変節は反自然的、正確には自然で反自然的なのである。同 性愛は遺伝子に起因する変節であり、それゆえ自然なものと見なされるが、生 殖が不可能であるために反自然的と分類される。それゆえ同 性愛は自然で反自然的な性的変節と呼ばれる。エイズについて、セミヤーゼの会見記では次のように言われている。地球人にとってまだ治療不可能なこの伝染病は、ひどく変形、変容されたウイルスの産物。このウイルスは人体固有の予防システムを完全に麻痺させ、それどころか破壊する。その結果、ほんのちょっとした病気や怪我が原因で死ぬことが避けられない。この致命的な伝染病の責任を負うのは地球人自身、それも反自然的な地球人、でも不可解なことにその行為は多くの地球人によって黙認または容認され、それどころか肯定されている。ここで言うのは獣 姦に変節した同 性愛や両 性愛の男である。いずれも反自然的な法則違反にほかならず、いつか重大な結果を招いて、死に至ることが避けられない。なぜならば自然的なものは何千年もないがしろにされ、妨害され、避けて通られながら、いつの日か復讐しないということはあり得ないから。普通の同 性愛や普通の男性の両 性愛は自然で反自然的なものだが、嫌悪すべきものではなく、自然法則にも違反していない。女性生命体の間の両性関係や同性関係も正常であり法則に適っている。基本的にエイズは、男色にふける男たちの獣 姦に変節した反自然的な同 性愛または両 性愛によって生じたもの。特にこの伝染病は、サルの生命形態だけが宿している種々の作用物質の合流によって発生することが出来た。これらの作用物質は男たちの吐き気をもよおさせる獣 姦行為を通して人間と合体して出来た。こうして伝播した非常に古く危険な病気は、元来地球の医学で治療できたでしょう。しかし同 性愛者や両 性愛者の間で獣 姦者が性的に交わることによって、病原菌が変質して、絶対致命的な因子となった。そのため最初にこの病原菌に対する薬剤や予防薬を開発、製造しなければならない。でもこの場合懸念されるのは、これらの薬剤が作られたときには、もうこの伝染病が世界中に蔓延しているかもしれないということ。その結果、かつてペストが流行した時代に起きたのと同じ事態に至る恐れがある。当時もまた人間の罪によって非常に多くの犠牲者を出した。だから、この伝染病に対する責任を負うのは、自然の法則に反して変節した忌まわしい獣 姦行為をする同 性愛および両 性愛の男である。しかしこの伝染病は、獣 姦に変節した同 性愛や両 性愛および特殊な獣 姦行為を容認および肯定するすべての者たちにも共同責任がある。何と言ってもこの性的形態は絶対に反自然的で、それを犯す者は遅かれ早かれ死か、少なくとも生命に危険な結果を招くことを覚悟しなければならない。この場合、同類の多くの生命体も犠牲になるが、それは共同責任者や罪のない人々、つまり異 性愛者や正常愛者もやがてエイズに見舞われるからである。エイズは他のすべての危険な性 病と同じように直接の接触、特に性 行為や接 吻や開放創によって、さらには吐き出した唾液などの間接的な接触によっても伝染する。病原菌が特定の物質、たとえば便器やグラスやタオルなどに付着して比較的長時間生存し、その間に他の人間に感染するということはない。このことは、エイズ菌は意味においても他の性 病の病原菌と同じであることを示す。43.未来は何をもたらすでしょうか?ProphetienVorwort,Seite 8この世の人間よ聞くがいい。これはすでに数千年来何度も告げられたことである。君は預言をないがしろにし、冒涜してきた。だが君の今に注意するのだ。それは大いなる転換の時代であり、君にはまだ最後のチャンスが残っている。もし君がこのチャンスを活かさなかったならば、君の子孫は地球の計算で四千年紀を少々超えるまで君を呪うでしょう。この世の人間よ、君がなおも創造に背き、創造を罵るならば、二千年にわたって恐ろしい出来事が告げられる。その出来事は、君自身、君の邪説と知性のない誤った行為と行動によって責任がある。ProphetienDonnerstag,19.November 1981,17.28 Uhr(PETALE-Botschaft)ヨーロッパは灰と炎に沈み人間の血が砂に染み込み第三次世界大戦が荒れ狂い狂気の所産が邪悪な者たちによって賞賛される。何百万という死が蔓延し人間は容赦なくなぎ倒される。それは戦争、すなわち第三次世界大戦人間自身の手によって、宗教、カルト、欲望、憎しみ、そして権力によって呼び起こされた。なぜならば地球人は愛を嘲るばかりだから。Talmud JmmanuelDas 25.Kapital,Die Prophezeiung,Vers 34-35そのとき人類が50億人をはるかに超えたら、大部分は根こそぎにされて殺される。法則はそれを求めるのだ。なぜならば人間は法則に違反し、かつ遠い未来まで法則に違反し続けるだろうから。44.神秘とは何でしょうか?GeisterslehreLehrbrief Nr.12.Mystikすでにミノア語には神秘という名称が「Myein」という言葉で存在していた。それは目を閉じるという意味である。カルマという概念も神秘という言葉も、時の経過の中で、いわゆる秘教徒や教派主義者や宗教関係者によって変造され、別の意味を持たされた。実は神秘という概念は、内的な自己と創造的な意識が同調し合一して啓発と進化に向かうことを意味している。神秘的な体験を引き寄せるこの高貴な道は、中庸、黙想、瞑想の修練を積むことによって達成される。この場合、すべての外的な知覚は遮断しなければならない。45.なぜこんなに犯罪が多いのでしょう...死刑は是か非か?Folter,Todesstrafe und Überbevölkerung犯罪者は常に、惑わされた者、そそのかされた者、病人、泥棒、そしてまた殺人者あるいは自殺者として行動する。いかなる場合でも、犯罪的行為はひとえに錯誤した、そのため病的な思考過程に基づいているからだ。たとえ彼らが犯罪を事前に入念に計画しようとも。犯罪行為を働く人間の思考は異常で非論理的なので、たとえ犯罪の裏に非常に多くの悪知恵や知性が潜んでいようとも、そこには誤導、誘惑、あるいは病気を認めることができる。しかしながら、病気や誤導や誘惑は、それが犯罪という病気であったとしても癒やせるし、取り除くことができる。ある犯罪病が治る可能性の要点は、治癒と償いにある。償いとは、犯罪を行った人間が義務としなければならないことである。しかしながら、治癒と償いとは、処罰に値する罪を犯した人間が自分の行為の非論理性や犯罪性を自覚して、健全な思考過程に乗れるようになることを意味する。そのためには、当の人間に自分の行為や病的な思考の誤りを意識させ、場合によっては医学的措置を与える。罪を犯した人間は教示と学習によって自分の罪と誤った思考を認識し、真実で法則に適った生命体である人間へと転身しなければならない。このような作業において、罪を犯した人間を適当な期間、社会から隔離しなければならないのは当然である。過ちを犯していない人間に認められたすべての自由が、罪を犯した人間に保証されるとしたら、およそ償いというものは成り立たなくなるでしょう。死刑を要求し、擁護し、あるいは遂行する人間、彼らは心の奥底では臆病で、不満に満ち、そのうえ欲深い。彼らの思考は病的なほど無責任で非理性的である。そのために、自己の思考能力を超える出来事について思考しようとすると、彼らはたちまち怒りや不満、憤りや無力感に捕らわれてしまうのである。なぜなら、そういった出来事に責任意識をもって取り組むには、彼らの思考とその力はまだあまりにも原始的だから。拷問と死刑は断じて罪を償わせるものではなく、原始的で理性も責任もない人間の、最も原始的で犯罪的な復讐と自己満足以外の何ものでもない。彼らの知能指数と人間性は、破廉恥な所業のために拷問を受けて、生から死へと送られることになる犯罪人よりもはるかに劣る。拷問や死刑の擁護者や遂行者が、死刑執行人であろうと、あるいは裁判官や弁護士、主婦、単純労働者や乞食であろうとも、いかなる場合でも、拷問や死刑を擁護し要求しまたは遂行することは、際限のない原始性、愚かさ、強欲、教派主義、邪悪、残虐、無責任を、理性的および悟性的思考の無能力を、そして最も原始的で感情的な未熟を証明するものである。46.創造と創造主の間に区別はあるでしょうか?Ein offenes WortSeite 116,Satz 839 und Seite 136,Satz 1014-1018私は創造である。しかし主なる神ではない。誰かが真の形態における創造、その実効的な力に関する知識を持つならば、人間として自分が本来何と結び付いているか知りたい、少なくとも予感したいと思うのは自明のことであり、それは人間の本質に属しているからである。それゆえ彼は誤った啓示に惑わされることなく、真理について、したがってまた力そのものとしての創造について知る。なぜならば創造の実在が真理、したがって知識を証明するからである。それによってまた、ここにあるのはもはや信仰ではなく知識であることが明らかとなる。そしてこの正しい知識において創造自体が証明されるが、それは真に理解力があり、自然の論理に生きる人間に限られている。というのも人間がその実在を法則により法則の中に見出し、自らの内で霊的、意識的に成長するのであり、創造自体がその実在をまず、最初に特別に証明する必要はないというのが創造の原初の法則であり、原初から定められているからである。Seite 139,Satz 1036-1038人間は考える能力があるのに、どうして神や神・創造主を信じ、そして唯一創造のみが存在するという知識を認識するに至らないのか。およそ創造が神とわずかでも関係があるとすれば、どのような種類のものであれ神もまた創造の被造物に過ぎないという限りにおいてである。神自身が創造であったことはかつて一度もなく、これからも神の形態のままでしょう。創造の被造物である人間が創造自体と似るというようなことがどうしてあり得ようか。ただし、創造霊の小部分は別である。創造霊は本来の生命の基盤であり、不変であり、そこにおいて人間の移ろいゆく定めの物理的肉体がその実在を開示する。すべてのカルト宗教は言語道断なことに、自分たちの神を創造主と名付け、そうすることによって創造自体と呼んでいる。しかしそうした呼び名の神は人間以外の何物でもない。47.預言とは何でしょう、予告とは何でしょうか?ProphetienVorwort,Seite 5預言と予告について、なお次のことを説明する。予告とは一種の未来予想である。これは極めて豊富なカバラ計算により非常に正確な結果を導くか、あるいは種々の形態の未来旅行によって未来を探求することによってなされる。そのため予告が、いかなる変更や回避の可能性もなく、絶対に確実であり、不可避的に的中することは明らかでしょう。予告は確定した事実の首尾一貫性に基づいており、それらの起源と生成から極めて特定の作用が生じなければならない。預言はこれとは異なり、原則として警告的な機能しか持たず、適当な時期に変更を講じない場合に特定の要因から生じる帰結を示すのみである。つまり変更が講じられなければ、預言と予告となって否応無く実現する。それゆえ熟慮すべきは、預言の表明や告知は人間の行動の価値に応じて変わり得るものであるということである。つまり預言された出来事が正しい進化によって変更されたなら、それが将来的中することは確実ではない。48.十戒を造ったのは誰でしょうか?DekalogSeite 11,Satz 29-39人間よ、君には光と生命が与えられており、それらは君を徐々に真理の道へと導く。それゆえ君はこの光と生命の中にとどまり、自分が歩んできた道からそれてはならない。それは君をますます創造へと近づける道なのだ。君は創造の普遍的な愛にはるばる導かれて、創造を不変の光のもとで認識した。それはまた創造と大いなる時間を自分で見る段階へと君を導いた。このことは君の現在の悟性にとってまだ明確に把握できないとしても、いつか私が言った通りであることがわかるでしょう。それゆえ決して休むことなく、生命について日々開示されるものより遠く深く探求する。というのも、そうすることによってのみ日常が君にもたらすものに満足せずに、君は真理においてより深く発展できるから。より多く求め、常に探求および探索するならば、創造の愛と真理の輝きを持ち、知識と創造自体の力から生まれる要素を容易に獲得できる。それゆえ日々探求と探索に励み、創造の掟と法則を遵守するのだ。創造の掟と法則は、あらゆる方向で観察されねばならない。創造がその法則と掟を自然に与えたとき、自然は永遠に決定された。このときに与えられた法則と掟は永遠に妥当である。なぜならば、創造の宇宙の全範囲において法則と掟の中にすべての愛が開示されているからである。それゆえ君は君の全思考と探求、探索と認識、生き方のすべてを、与えられた創造の法則と掟に適合させることによって、創造の法則と掟を微細な点まで遵守する場合のみ正しい道にいる。49.なぜ創造は崇拝に値するのでしょうか?OMKanon 2,Vers 8-20イシュヴィシュは尊敬と崇拝に値しない。これらに値するのは創造のみだから。預言者は尊敬と崇拝に値しない。これらに値するのは創造のみだから。預言者の霊的指導者は尊敬と崇拝に値しない。これらに値するのは創造のみだから。人間はイシュヴィシュや預言者や預言者の霊的指導者を決して祈りを捧げてはならない。祈りに値するのは創造のみだから。人間はイシュヴィシュや預言者や預言者の霊的指導者を決して尊敬してはならない。尊敬に値するのは創造のみだから。尊敬と崇拝に値するのは創造のみである。なぜなら創造はその宇宙において最高のものであり、最も完全な完全性だから。しかしすべての生命を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。地球の人類のイシュヴィシュも、預言者も、預言者の霊的指導者も尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。すべての生命を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。イシュヴィシュも、預言者も、預言者の霊的指導者も尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。そこにいるのは三つの世界における地球人の王だから。預言者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。そこにいるのは真理と愛、英知と知識に包まれた地球人のための真の預言者だから。預言者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。そこにいるのは感化すべき地球人と真理の教えとの間の媒介者、告知者、知者、慈悲者、賢者だから。預言者の霊的指導者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。そこにいるのは知者であり、預言者の指図で無知な地球人を導く教師だからである。創造の法則と掟を遵守せよ。これらを遵守してのみ、まことの生命と存在への進化が保証されるから。Kanon 3,Verse 9,10 und 15-18創造のみがあらゆる創出、生命、そして存在の力である。創造のほかに尊敬と崇拝に値するものはない。創造は創造であり、その宇宙に存在しているすべての創造を生み出した。創造は創造であり、すべての創造を、したがって生命、存在、天と地、銀河系と蒼穹、そしてあらゆる被造物とあらゆる生命の群れを生み出した。創造は創造であり、その宇宙に創造のほかに創造はない、そして創造はOMである。
2021.08.01

英知は、創造の代表的な特徴であり、創造はその一部が霊として人間の中に宿っている。それゆえ人間はその知識ある英知を増やすがいい。そうすれば創造を認識するでしょう。いっそう真理を探求せよ。そうすれば真理の力を知るでしょう。真理を認識すれば、あらゆる制限から解き放たれる。真理の認識は果てしない知識を、英知をもたらす。英知は、創造の法則を知るために強力な手段である。愛に満たされた人間は英知も豊富であり、英知の豊かな人間は愛にも満ちている。しかし地球人は愛を知らないがゆえに自分自身を欺いている。所有欲に駆られた感情と情動を愛と取っているが、地球人にとって本当の愛は疎遠であり、理解できないままである。人間は、たとえ創造という言葉を使わなくても、真理と知識と英知を認識して初めて人間である。なぜなら英知は最良の形態の愛だからである。こうして人間は、悟りと認識は知識であり、英知であり、そして愛でもあり、愛が支配するところ英知も支配することを常に見いだす。愛と英知は一体である。なぜなら創造とその法則は、同時に愛と英知だからである。英知と知識のあるところには愛と認識があり、認識と愛のあるところには創造がある。愛と英知が育つと人間は創造を認識することを学ぶ。人間は最初に真理を学び、それによって自由と平和を獲得する。変わることのない平和、終わりなき力の英知と愛は、創造的な本質と特質の活力に満ちた振動である。創造とは、計り知れぬほどの高さに漂う、計り知れぬ神秘である。創造は普遍意識と同義である。普遍的意識は意識の存在を導き支配するものであり、卵型をなす二重螺旋は同時に膨張し続ける宇宙を形成している。二重螺旋の腕は、霊的エネルギーとして脈動しつつ生き、相対的に回転している。創造の内面的および外面的主体は宇宙である。創造全体の中では普遍的心情と普遍的意識、そしてそもそも存在そのものである生命力が脈打っている。創造はすべてに道、すべては創造に満ちている。つまり創造の内ではすべてとの融和が行われる。この融和の中ではあらゆる生命が生まれ、それぞれに認められた進化が行われる。すべての生命体と同じように、創造にも生成と進化の過程がある。しかしその時間値は非常に膨大な値に基づいている。創造自体は意識的、創造的状態で7つの劫にわたって生きる。その後、同じ期間にわたって眠りにつくが、創造はそこで7層倍に膨張する。そして7つの劫を経た後、7層倍になって目覚め創造する(1つの劫は311兆400億地球年、7つの劫は2,177兆2,800億地球年であり、これを永遠とも呼ぶ。7つの大いなる時の7倍は永劫である)。創造は創造であり、その宇宙では創造と並ぶ他の創造は存在しない。創造は存在するすべての被造物である宇宙、銀河系、天体と地球、空、光と闇、時間と空間やありとあらゆる種類の生命体のすべての大群を創造する。創造は、正義、愛、力、英知、知識、慈悲、自由、恩恵、法則、掟、絆、実現、進化、生命、援助、喜び、美、平和、不謬、調和、精神、永劫、一貫、生成、完全、満足、無尽蔵、全能、温和、無限、結束、感覚、聞き入れ、向上、ゾハール(光輝)、柔和、明晰、純粋、変化、生起、未来、威力、畏怖、総体、そして存在である。創造は生命の存在であり、また非存在でもある。それは宇宙における最も巨大な霊的エネルギーの塊である。創造は最も純粋な形態の霊であり、その真の英知と知識と愛と調和は計り知れない。創造は霊的活動的な存在であり、人間にとっては想像を絶するものである。創造は支配しているあらゆる純粋な霊的知的エネルギーより優位にあって、常に活動的かつ創造的で、止まることなく発達するすべてを包括する英知である。創造は真実、すべてを包括するもの、慰め、完全、教訓、平等、公正、認識、経験、戒め、陶冶、想起、啓示、称揚、完成、解明、教示である。創造は生命の道であり、自然である。それは光と火であり考察である。創造は意識であり、あまねく存在する。創造に栄光あれ。創造の法則が強調するのは、何よりもまず、すべての生命体に対する愛とすべての生命体との調和である。したがって、人間に対する愛、人間との調和である。その場合、どの人種、どの肌色、どの信仰に属しているとか、純粋なる創造の真理を志向するかどうかにはいっさい関係ない。愛、善、自由、平和、調和という、大いに価値あるものすべてを、とにかく人間は引き継ぎ、それに従って生きなければならない。つまり人間は、豊かな思考と感情を基盤として、非暴力と和解のうちに、全面的な共感をもって、すべての生命体と、したがって同胞と共存しなければならない。人間が幸福と安全。そして真の喜びと平和、自由と調和を勝ち得ようとするなら、そのために唯一の永続的な手段は愛である。真の愛はまた真の共感を生み、人間は言うに及ばず、動物も、植物や宇宙全体を含む全自然もその恩恵を受ける。愛は、創造の法則と生命とすべての生命体の支柱であり、差別なく広範に、全人類のすべての人種に当然与えられるべきものである。愛と生命はすべての実存を支える骨組みであり、それを傷つけること、ましてや破壊することはすべての存在の原則に矛盾する。それゆえに常軌を逸して生命を破壊したり、生き物に危害を加えたり破壊したりすることは、何としても回避しなければならない。しかもこれは、最高等のものから最下等のものまで、つまり人間から極めて小さい昆虫やバクテリアまで、すべての生き物に当てはまる。ただしこれには、常軌を逸しない範囲で、という条件が付与される。つまり絶対的必要に迫られた自己防衛であれば、創造の法則のもとに許され、食物調達の場合も同様である。それ以外の場合は、いかなる生物にも危害を加えてはならない。それらもあなたと同じように痛みを感じるのだから。特に愛する人間に出会った時、あなたは内に好意を感じるはずである。それとまったく同じように、すべての同胞と他のすべての生命体にあなたの心のこもった思いやりを差し伸べることは、あなたの人間としての人道的な義務である。宇宙は、ビッグバンによって誕生した。ビッグバンとは、ノミのように小さいけれど、ものすごい強さで圧縮された球状のエネルギーに由来する。このエネルギーは、最初は純粋に霊的な性質のもので、自分自身から生まれたが、再び原始宇宙のエネルギー概念に戻った。宇宙は創造または宇宙意識等とも呼ばれ、10の49乗の種類の創造形態がある。最も低次の創造形態は創造宇宙と呼び、その次の形態は原始創造または原始宇宙、さらに次の形態は中心創造または中心宇宙というように続く。最も高次の創造形態は10の49乗番目の創造形態で、絶対的絶対と呼ばれる。それは最も初めの創造形態であり、最初のビッグバンによってそれ自身は絶対的な無から生まれ、10の49乗の種類の主要な創造形態を経て進化し、絶対的絶対になろうとしている。絶対的絶対は最高の創造形態として非空間に漂い、無限に拡大しながら進化を続けている。しかもその進化はこの絶対的絶対に入っていくすべての創造の英知によってなされる。そしてこれらの創造も絶対的絶対へと向上しなければならない。どの一つの創造形態も絶対的に完全ではない。絶対的絶対も完全ではない。すべての創造形態は、およそすべての生命と同じく、またそれらの進化の過程で、それらの不断の生成と消滅そして再生の過程で、相対的な完全性に到達できるだけである。このことはすべての生命にも当てはまる。私たちが生きているのは創造宇宙の一つ、つまり物質的宇宙の一つである。これはおよそ最も低い創造形態もしくは宇宙形態である。したがってこの宇宙は、創造もしくは宇宙意識、その他なんと呼ぼうと、階梯を登っていかなければならない。宇宙は進化しなければならず、そうしていつか10の49乗の創造形態の変転を経て絶対的絶対と一つになることができるのである。しかしこの生成過程は人間の尺度で見ると、想像を絶するほど長く、私たちの創造、すなわち私たちの宇宙が次に高い創造形態、すなわち原始創造もしくは原始宇宙に変転するまででも、8500京年以上かかる。宇宙意識、つまり創造が原始宇宙もしくは原始創造の段階に達したら、それは原始宇宙意識として自分の中から一つの新しい単純創造、つまり私たちが知っている一つの物質的宇宙のための理念を生み出す。この理念は、極めて純粋な霊エネルギーからなる。この霊エネルギーは、その中に自己を創造するために自らに必要なものすべてを含んでいる。ノミのように小さいエネルギー球が自らの中に新しい巨大なエネルギーを生み出し、最後にものすごい爆発、すなわちビッグバンを起こすまで、そのエネルギーは光の速度の10の7,000乗倍で一瞬のうちに膨張して広がっていき、他の宇宙を押しのけて、既に存在している数えきれない宇宙もしくは無数の創造形態の間に自分自身の場所を占めようとする。そして、この過程で7つの創造帯もしくは宇宙帯が形成される。このうち1つが物質帯をなしている。これは目に見える物質宇宙で、ここでは粗大粒子物質、したがってガスや塵が生じる。これらから物質が集まって凝縮すると、隕石、太陽、彗星、惑星、星雲、星団等が形成される。私たちの地球もこうして生まれた。それゆえ、宇宙と惑星地球、未知の世界、天体や星団等の誕生は、創造・自然エネルギープロセスなのである。それは何らかの創造主、神とはいささかも関係なく、ひとえに霊的物理および物質的物理の法則とプロセスによるものなのである。こうした法則と展開はあらゆる点で物理的および化学的に基礎づけられており、これらによって説明することもできる。ビッグバンは神の力や権力によって生じたのではなく、ひとえに霊的そして物質的な物理と化学のプロセスによって生じた。この過程は若い宇宙意識もしくは創造によって引き起こされて制御された。神という概念は世界や宇宙、天体や星団の創出とも、いかなる意味でも全く関係ない。というのも、神という名称は人間の記憶とともに古く、何十億年も前から宇宙のいろいろな世界に存在しており、一人の人間を表す一つの称号にほかならない。この称号は、最初はイシュヴィッシュと言っていた。これを私たちの言葉に翻訳すると神を意味する。しかし、イシュヴィッシュもしくは神という概念は、英知の王以外の何も意味しない。それは全く人間の称号であり、非常に物知りで賢く、あらゆる点で優れた能力を備えていた人間に与えられた。しかし、この概念は地球で人間によってねじ曲げられ、その価値を変質させられた。とりわけ原始宗教と、それによって利益を得る術を心得ていた者たちによって。その結果として英知の王としての神は廃棄され、一人の神・創造主が作られて、それが地球と太陽等、万有を作り出したとされた。それどころか、例えばエホバやその他の多くの者は、自分が神・創造主であると主張した。そして彼らは自分たちを信じる者たちによって尊敬され、崇拝された。こうして次々といろいろな者が出現し、まもなく神の概念の起源となる意味は忘れられた。それによっていわゆる神・創造主が宗教や教派の王国で、人間の信仰の中で凱旋行進することができた。創造とは本来、宇宙全体、宇宙意識、人間に考えられる限りもっとも大きい力であり、エネルギーである。そしてまた、創造は全エネルギーであり、例外なくおよそ存在するすべての生命形態の意識である。創造は、その最も固有の形においては、最高に純粋な霊エネルギーだが、その外形は最も粗大粒子状の物質にまで至る、数限り無い種類のエネルギー形態を有している。このあらゆる水準と領域にわたる包括的なエネルギーは、霊的な実存在(SEIN)も、物質的な現存在も体現している。創造は宇宙として最高のエネルギー形態であり、考えられる限りの最高の、活発で進化可能な意識であり、その法則と掟は全宇宙のあらゆる現存在水準や霊水準等において無制限な妥当性を有し、決して誤ることがない。創造はこの創造宇宙の存在の最も強大な力、最も強大なエネルギーであり、人間でこれに比肩できるものはない。とりわけ人間の作った創造主・神とはいささかなりとも共通するところはない。そのようなものは創造と、その力、能力およびエネルギーと並べて見ると、絶対的な無として際限のない愚かしさの奈落に消え失せてしまう。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2021.05.14

もちろん、私もそれについては1つか2つお話しすることができるが、それはここでの議論には属していない。しかし、あなたの質問に沿って社会教育学を見てみると、それは私たちの地球上でどのように理解されて実施しているように、それは実際には若い人たちの教育や育成、つまり子供や若者に向けられたものでしかない。教育学とメンタリングが実際の主役であり、カウンセリングとサポート、そして実際には社会教育学がそうでなければならない、いわゆるソーシャルワークによって果たされる。私は今、スファートの全体と私が自分の人生で学んだことを理解しているので、この問題には何かもっと深いものがある。なぜなら、それは私が今、言ったことに関連するだけでなく、より奥深いものだから。社会教育学は、ある人がいわば職業として学ぶものに対応するだけでなく、その結論として、教育と育成のために他の人に教える形で伝えることだけに対応するものではない。これは社会教育学を学ぼうと決心した人が、何よりもまず自分自身を心理的に発達させ、教育しなければならないことを意味している。なぜならばこの点で、自分自身に必要な開発を行い、築き上げ、発達させ、鍛え上げたときに初めて社会教育学を学び、他の人々を指導し、教育するのに必要な能力と技術も身につくから。しかし、もしこのことが考慮されていないとしたら、残念ながらこの地球上で社会教育学に従事している人たちの大半は、私が生涯を通じて気づいたように、通常、教育学的な学習教材は単に隠蔽されるだけで、個人の精神的・社会的発展に関連した教育学に関しては何も行われないことになる。その結果、社会心理学のワーカーは、与えられた図式化された学習教材と学んだことに従ってしか実践できず、自分自身では学んでおらず達成していないため、自分の人間との関係においてもそうなってしまう。つまりこれらの人々は、何かを同胞に自分のものではないことを教えることを意味しているのだが、他人にはそうであるかのように装っている(社会教育学の学者のふりをしているのだから)。そして、彼ら自身は自分自身と個人的な行動の中ですべてを解決し、築き上げてきたはず。これは悲しいことだが、残念ながら事実である。これはそのような人が、性格の観点から分析されたときに何度も示される。ただその結果として、子供や若者への個別の支援は、本来あるべき姿が中途半端になってしまい、社会教育関係者が自分のことをすべて理解していないために、自分の個性を教えられる側に伝えることができなくなっている。社会教育学者の仕事を見ていると、少なくとも私が個人的に知っている人たちや、あちこちで仕事をしていて、これを耳にしたり読んだりしている人を見ていると、彼らが彼らの家庭教師、教師、そして教育者は彼らをクライアントとしてしか見ておらず、人間として見ていないのを見ると恐ろしさを感じる。例えるなら、何の関係もなく使っているだけの機械が、プログラムされたものを自動的に実行して動作する場合と同様に、操作者自身は機械の内部の仕組みについて何も学んでいない状態に似ていると思う。社会教育学は原則として、子供や若者の指導や育成だけに向けられるべきであると考えるのは誤りである。事実上、社会教育学は大人の人間の領域にも影響を及ぼし、実際には生涯を通じて、つまり各個人の到達可能な最高年齢にまで影響するから。なぜなら、社会的な知識と実践に基づく社会的行動は生涯を通じて常に学ばなければならず、一方では、人類の社会的行動が絶えず変化し、価値が高まったり下がったりするからである。これまで述べてきたように、その機能は大人のすべての年齢層にも必要であるため、社会教育学は、子供や若者だけに適用するだけでは十分ではない。これは、社会的知識とその結果として生じるすべての非常に多様な行動(対象に応じて、人々はさまざまな行動を持つため、その結果、特に均一な行動を示さない)と、それが示す必然的に関連する77の学習要素、つまり、人間が努力してやり遂げ、包括的な心理的人格形成のために不可欠なものを身につけなければならないものは、完全な社会教育学だけだから。社会教育学は、地球上での特別な仕事としてある程度、いわゆるソーシャルワークの中にも取り入れられているが、それも原則として、親の環境が悪くて良い育ち方を知らない子供や若者、あるいは街を徘徊していてその過程で犯罪者になってしまうかもしれない子供や若者に関してのみ有効である。社会教育学はまたソーシャルワーカーではなく、民間の支援者や宗教団体、または組織によって行われているが、路上に住む生活者のための特別な社会的事例において、枠組みの中で特定のケアの形で実施されている。あらゆる形態の社会教育学とその実践においては、優れたコミュニケーション能力と決定的な社会的能力の両方が非常に重要である。また、必要不可欠な共感能力、明確で中立的な心理学的性格の認識とその特殊性に関する評価能力も重要だが、このような知識があって初めて、関係者に役立つ義務を果たすために最善の方法で対処できるから。しかし、まさにこれらの重要な識別、判断、行動の必要性は、社会教育学に関して地球上では学習されておらず、その結果、明示的に使用されていない。社会教育学に関してここで言及する必要があるのは公共サービスだけでなく、教育機関、社会的機関、民間部門、教育機関、学校、その他様々な教育機関、介護施設、社会福祉事務所、カウンセリングセンター、青少年センター、家族相談、保健所、その他多くのさまざまな分野に関連して特定の重要な役割を果たしているが、あくまでも部分的な分野としてのみであり、私が説明したような効果的な社会教育学に対応する枠組みの中にはない。優れた分析的思考と、子供や若者、大人との直接的な個人的接触は、すべての社会教育的活動の非常に重要な部分に対応しており、絶対に欠かせないものである。さてあなたが実際に、根本的かつ明示的に尋ねた社会的知識に関連して説明すべきことは、人々は幼少期から単に物質的なものや価値観、条件などを必要としているわけではない。なぜなら、これらは人生や仕事を円滑にし、喜びや楽しみを生み出す外的な価値観や非価値観に対応しているだけであり、逆に怒りや害悪、迷惑などを生み出している。成長期の人が生まれてから幼少期、青年期、そして人生を通じて、本当に根本的に必要としているのは、何よりもまず保護されること、つまり、悲惨さや苦難、悪や災難からの思考や感情が保護されること。また、これには:1.保護者は、能力の目標とする開発を促進するために両親の義務による後援から、心理的に条件付けられた人格の基本的な開発とそれに関連するすべての要因を通じて認識され、そこから人は、より広く広がる人格を具体的に構築し、方向付けることができる。2.さらに人はまた、生まれた時から完全な成人および一般的な自立の日まで、脅威に対する保護と適切な措置を必要とし、それまでは通常、両親はこの保護の義務を負い、生活の理想的な支援と構成に関して責任を有する。3.社会教育学を通じて人に教えられるべきもう一つの重要な要素、それは基本的には生まれてから成人になるまでの両親の義務であるが、好かれたり、感謝されたり、真剣に受け止められるという思考や感情を知り学ぶこと。4.基本的に、両親から教育や育成として人に教えられるべき社会教育学は、人間社会での正しい交際も含まれており、それには善良で正しい友人や知人関係、有用な情報を得ることのできる繋がりなども含まれている。5.社会教育学は基本的に指導的であり、人々が精神的にも感情的にも役立つと感じるという意味で建設的なものでなければならない。6.社会教育学は人間が本質的な程度まで、自分の考え、意志、欲求、行動、自由に関する自分の意思決定力や、意味のある活動などをいつでも実現できるという事実を、指導的に描き出さなければならない。7.社会教育学は、人々に生命の長期的な活力を合理的に発展させることを根本的に教え、恐怖、犯罪、うつ病、敵意、薬物使用、アルコール依存症、絶望感、あらゆる依存症やその他の退廃に対する脆弱性から人間を保護するために決定的に不可欠である。原則として社会教育学の実践は、世話をする人や指導・教育を受ける人(子供、青年、成人)に教えるべき知識のあらゆる可能な社会的要因を、コンプライアンスに適した形で深く指摘・説明するような形で、広く啓発・指導するものでなければならない。社会教育学の実践において重要なのは、教えられ、世話をされ、教育される人の個性を認識し、それを理解することである。なぜならこのようにして初めて、正しい社会教育学的アプローチが認識され、実践することができるから。つまり、子供であれ、青年であれ、大人であれ、教育と育成を成功させるためには、それが通常の親的な形で行われるか、学習的な社会教育の形態で行われるかどうかに関係なく、すべての関係において、個々の人間がその人に合った方法で個別に進めなければならないということを意味する。また、社会教育的に対象となる各個人の一般的な状態が、健康面では健康か病気か、富裕層か中流層か貧困層か、高度な知識か通常の知識か、職業訓練および一般的な知識や一般的な教育についての良し悪しに関わらず良好であり整っていること、これらすべてにおいて考慮すべき特別な特徴がある。社会教育学の実践においては、社会における立場や認識、また対人関係や関係者の一般的な評価も重要である。これに加えて、医学的、社会的、経済的、宗教的信仰関連の状況も考慮に入れる必要がある。なぜなら、これらの要因すべてが、社会教育的指導をどの程度行われるべきか、行われることができるか、行われる可能性があるか。またこれらすべての要因は、それが親であるか、一般的に伝統的であるか、純粋に一般的な教育学的なものであるか、社会教育学的なものであるかに関係なく、あらゆる形態の指導と育成の成否を決定する。特に重要なのは、人と接する際の手順や心理的に正しい方法、そして社会的要因などで、これらは根本的にすべての人々が影響を受け、自発的かつ通常は無意識にネガティブまたはポジティブをコントロールすることができるものである。特に、ソーシャル・ペダゴジーを実施する上で知っておくべきこと、理解しておくべきことが重要である以下の要因は、優れた心理学的な知識とカウンセリング、サポートのスキルがあって初めて、有効な方法で満たすことができるものである。1.社会の中で社会的地位が低い人は、健康や福祉の面で苦しみや病気の影響を受けやすく、その結果、通常、社会的地位が高く健康で栄養状態の良い人に比べて平均寿命も短くなる。人の社会階層が低いほど、その人の社会的状況はより困難でネガティブなものとなり、それは健康状態、ひいては生活の質にも強い悪影響を及ぼし、また、社会的に高い地位にある人々との平等に関する教育、思考、感情、精神にも影響を与える。2.幼少期や青年期に両親から、あるいは成人してから家族や友人、知人との付き合いの中で、また国やその他の仲間から支援の面で無視された場合、一方では人格の発達がうまくいかず、他方では価値ある人格の発展と構築が損なわれ、本人に生涯にわたって悪い影響を及ぼし、場合によっては、より恵まれた環境にいるすべての人々への羨望や妬み、憎しみを抱かせるようになるかもしれない。3.もし人が、ストレスの多い状況下で生きていかなければならないとしたら、その人は、自分が存在できるかどうかについて常に不安と恐怖を感じながら生きていることになる。また一方では、自分の負担の大きい運命を変えることができない無力感に苛まれ、他方では、生活必需品を買うことさえできずに他人の善意に依存しているため、貧しくて多くのことをしなくてはならない状態で生きていることになる。それによって、健康上の必要性と不幸に応じて早死にしたり、仕事に支障をきたしたりすることになる。また、自己決定行為や人間としての権利は、多くの人間関係の中で損なわれるだけでなく、環境や仲間の人間によって、つまり社会から追放されることによって完全に妨げられることになる。4.社会から追放されたり、社会に受け入れられたりせず、社会の外で生活しなければならない人は、自分にとって有害な社会的排除の中で生活しており、そのため、秩序ある社会のすべての利点や利益も得られない。しかしこのことは、当事者に多くの困難をもたらし貧しさだけでなく、個人的な苦しさや落胆ももたらす。その結果、家族間の争いや家族の崩壊、家庭内暴力、社会的孤立、アルコール・薬物・麻薬への依存などが起こる。また、健康と幸福の見通しはますます暗くなり、衰退し、完全な崩壊の時点まで悪化し、それによって最終的には人生の見通しもますます暗くなり、おそらく最終的には必然的に自殺で終わる可能性もある。薬物依存症は、人生の展望の一部が崩れたり、劣悪な生い立ちの結果として完全に崩壊したり、誘惑されて無茶をしたり、また、欲求不満や全くの愚かさなどから生じることは珍しくない。また、社会構造の欠陥、欠落、崩壊が薬物乱用の原因となることも多く、喧嘩、失業、愛されていない、または人気がないなどの理由で、麻薬などの薬物、アルコール、酩酊ガス、タバコ、違法中毒薬、有毒植物の毒草などの中毒に陥り、薬物中毒になる人もいる。5.家族、友人や知人、職場、学校、軍隊など、どこかで何らかのストレスにさらされると、精神的に落ち着かなくなり、問題につながる。これらは心理的な面だけでなく、身体的にも悪影響を及ぼす。なぜなら、人の精神的な状態は、肉体的な状態にも影響を与え、免疫系を介した調節機能にも影響を与えるから。その結果、健康な精神状態は、健康システム全体を向上させ、良いバランスを保つことができるし、悪い精神状態の場合は、健康バランスが低下してアンバランスになり、病気のリスクが高まる。このことについては、もっと詳しく説明するために本が書けそうだが。人間関係において説明に必要なことはすべてそうだが、広範囲で事実に基づく説明は時間がかかりすぎるため、ここではこれ以上言うことはできない。6.地球上の人類の人口が増えれば増えるほど、健康に害を及ぼす側面が非常に多くなる。広範囲にわたる地球上の人間の愚かさの結果として、病気のリスクや人間の病気への罹りやすさに関するものを含め、あらゆる問題が絶えず増加しているということが原因(愚かさとは結局のところ、思考や理性の欠如に他ならず、意識の病気などとは関係がない)である。それだけではなく総合的に見て、食べ物、薬、交通手段など、そして数え切れないほどの近代的な状況を通して、身体や器官全体がますます病気に罹りやすくなるだけでなく、また必要なそして、自然に与えられた通常の身体運動がすべて省略されているために、フィットネス機器の使用やマッサージで補おうとしているのだが、これは無意味であり、フィットネス運営者に経済的な利益をもたらすだけである。確かに、プレヤーレンの専門家が研究したように、使用されているフィットネス機器によっては、特定の身体の部分や器官の物理的な動きの自由度は維持されるものの、必要な自然な動きは失われ、その結果、有機的にも健康的にも多くの部分が萎縮し、人間はそれによって病気に罹りやすくなる。健康を維持するための人間の身体とその器官全体は、フィットネス・トレーニングのために設計されているのではなく、身体器官システム全体を適切に機能させ続ける自然な運動活動のために設計されているのだと、全体を研究しているプレヤーレンの科学者から詳しく説明を受けた。そして彼らの説明は、実際には筋肉の機能や筋肉の動きなどを目的としたフィットネス・トレーニングとは相反するものだが、経済的な利益や知識不足のために全く間違った形で伝え広められ、医療関係者などの専門家であっても、表立って紹介されることはない。一方では、デジタル化されたテクノロジーの急速な進展によって、関係する人々にも健康に害を及ぼす非常に多くの側面が生じている(地球人の意識状態によると、あまりにも早く発生し、コントロールできない)。他方では、仕事がなくなり生活を維持するためにお金を稼ぐ可能性も失われ、人間が完全に無関心になった結果、困っている仲間に何の援助もしなくなっている。そしてこの事実は、健康システムに損害を与え、必然的に苦しみや病気につながる心配や問題につながる。これらはいずれも、それぞれのケースや社会教育的な実践やケアと同様に、すべての人に深遠な心理学的知識と共感を必要とする要因である。7.社会教育学的ケアにおいては、ポジティブな性質の要素が非常に特別に重要であり、したがってこの点において、ケアや指導、教育を必要としている人々を正しい方法で社会教育学の保護下に連れて行き助けるためには、適切な心理学的方法で、善良で価値のある共感を持って進めることが必要であると言える。そしてこれは、より裕福な界隈の人々にも必要なこと。なぜならこれらの界隈でも、健康を害し、社会的に堕落した薬物依存症などが蔓延しているから。人間の生活の中で、自分たちの間の価値あるつながりは、良好な人間関係の中でも特に重要なものである。これは何よりも必要な対人関係、友人関係、知人関係、そしてもちろん家族や近隣との関係にも当てはまる。これらの要素を総合すると、重要な社会的支援に相当し、それらが強力であるほど強力でつながりのある支援的なソーシャルネットワークを形成し、つながりの効果があるだけでなく、思考や感情の世界を前向きにサポートし、精神を蘇らせることができる。これはさらにまた、人間の健康システム全体、したがって何よりも免疫システムがそれから恩恵を受け続けることになる。このような社会的支援ネットワークはまた、社会の平和的な安全と平等を促進する。このことは、お互いを理解するという意味での社会的ネットワークだけでなく、義務を負い、尊敬され、感謝されることで、家族の輪、友人関係、知人や地域社会に溶け込んでいくことにもつながる。本人にとっては、自分が大切にされている、愛されているという思いや感情につながり、それが全体として一般的な幸福感として表現され、また、仲間との付き合いも容易になる。社会教育学の適用と目的は、厳密に言えば、さまざまな形態の社会の中で特別な状況や人生の局面を生き、困難に陥った人々を一方では支え、安定させるための厳格な心理的努力に対応するものであるが、他方では、場合によっては助言や指導を行うこともある。必要に応じて、心理学的に適応した教育を提供すること。しかしこれは、子供や青年だけでなく大人にも当てはまる。なぜなら、多くの人は高齢であっても、指導やカウンセリング、ある種の教育的要素が依然として必要であるため、年齢に関しては制限を設けることはできない。ただしこの点に関しては、教育方法は心理学的に異なる性質のものであり、子供や青年とは異なる方法で対処する必要がある。しかし、これを今、それについて説明し続けるには、議論する側面を個別に説明する必要があり、それは行き過ぎるので、おそらく行き過ぎた話になるでしょう。第766回会見 (ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2021.05.07

皆さんが聞きたいことや知りたいことについて話す前に、次のことを明確にしておきたいと思う。太古の昔から、文化的な出会いや経験をもたらしたとされるものは、それらは実際に起こったことがない。しかし、その前にこれだけ。残念ながら、私が約4000〜6000年前を意味する昔の初期には有効な宗教が出現していた。これは通常、多神教に関連したもので、それによって多数の神々の宗教的崇拝がそれぞれ行われていた。様々な神や異なる神、女神だけでなく、自然の精霊や神として崇拝されていた人々も、今日でも馬鹿げたやり方で行われている。古代世界の宗教は多神教であり、これらの信仰には神や女神のほか、自然の精霊や人を神として崇めるものがあり、馬鹿げたことにそれは現在でも行われている。古代の宗教のほとんどは、私の見聞きしたところによると、約6000年前にさかのぼると多神教であり、これらの信仰には神々の世界があり、元々生きていた人物の何世紀も前からの伝承に基づいた人物であることが多い。しかしながら、これらの伝承は時間の経過とともに、実際に起こったとおもわれるものでますます頻繁に装飾され、それに加えて幻想が生み出され、それに加えておとぎ話に絶えず新しいものが加えられて装飾され、さらには人が聖人のような人物に祭り上げられ、最終的には全体が完全な非現実的なものにしか対応しなくなった。これは記号の形でも起きており、石の碑文、石の像、彫刻、文章などでも起きている。これらは今日、科学者によって額面通りに受け止め、もはや疑問を抱かない。そのため、科学的に証明された主張であっても、実際の現実や真実とは一致しないことが少なくない。そのため、イマヌエルやモハメッドの疑惑のある、作られたことのない発言や教えに関する嘘、ごまかし、誹謗中傷など、本当の現実や真実とは一致しない科学的に証明された主張につながることがよくある。年代記などの文章で記録された純粋に歴史的な性質を持つ事実であっても、歴史家、宗教家、哲学者、その他のいわゆる学者や科学者のあらゆるジャンルの人たちによって、額面通りに受け止められその真偽が問われることはない。彼らに本当の真実について質問した。そのため現在まで存在する、石に彫られたり、動物の皮や樹皮、パピルスなどに記録されたりした、古い古代の文字、文章、彫刻、記述などはすべて考慮されていない。古代をはるかに超えて、人間によって作成された。これはすべてを自分の理解、評価、解釈に従って作り、その結果、自分たちのためだけに自分の個人的な視点から解釈し、理解し、想像し、修正した方法で物事や事実を記録して、地球人から生み出されたもの。このことは今日までも続いており、現在もそうであり、将来でもそうでしょう。今日ではあらゆる教科書、すべての新聞記事、すべてのテレビやラジオの放送、その他あらゆる場所で毎日見つけることができる。なぜなら、関係する地球人の個人的な感触はすべての人に不可欠に記録されており、これがその人だけにどのように当てはまるか認識される。これは、私の発言を理解するために必要と思われることを述べるが、これ以上説明する必要はない。さて、ここからは皆さんが知りたいことである。今日の仏教は、ゴータマ・シッダールタが教えや法として広めた教えが原型となっているが、ゴータマ・シッダールタの教えは、現在の仏教とは異なるものであった。原始の教えは、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教などに絶対的に反対していた。それは、有神論的宗教や有神論的宗派に対応しておらず、その結果、全能の神への崇拝を一元化するためのものでは決してない。しかしもし私が今、仏教について話さなければならないとしたら、全体がかなり広範であり、より正確な説明のために脱線が避けられないので、そのためにはより長い時間をかけて、しかも何度も説明と解説を繰り返さなければならない。しかし、これから言われること、説明されることすべてに耳を傾けて欲しい:原初の教えは、信仰でもなく、宗教でもなく、哲学でもなく、ましてや宗派でもなかった。なぜなら原初の教えは、多くの人々が自分自身を発見し、考えられるすべてのことで自分自身をコントロールし、自分自身を真の独立した人間にし、また自分自身を助け、人生の悪しき陣営から自分自身を解放し、そして自分自身を築き上げるための信頼できる方法を示した貴重なガイドであった。それは意欲を持った人々が、その教えに従えば、内と外の平和を見つけ、自らの努力で外的な悲惨さから解放し、真の人間になるための確実な方法を示した原初の教えであった。つまり、当時のゴータマ・シッダールタの教えについては、今日の「霊の教え」や「真実の教え」、「創造エネルギーの教え」、「生命の教え」のように、プレヤーレンであるクラデーナ・アイカリーナが11歳の時に「真実の静かなる革命」と呼んだものと同様に、人々の意識の発展を促進させて成熟し構築できるようにする自分自身と、自分自身の真の能力を使い、自分自身を助けることができるようにすることであった。これに基づいて、ゴータマ・シッダールタの教えがあり、その生涯の物語、教え、彼の仕事などがある。しかし彼の生存中に、敵対者、知ったかぶり、間違った解釈や宗派の創設者によってすでに完全に改ざんされ、彼の死後さらに歪められて、それによって本来の教えから分裂して仏教の宗派と呼ばれるようになった。というのも、ゴータマ・シッダールタの基本的なオリジナルの教えが、仲間や他の信仰を持つ人々への憎しみという点で徹底的に変えられ、改ざんされ、それが迫害、追放、殺人、虐殺、破壊、戦争をもたらした。その何よりの証拠は、今日のビルマに見つけることができる。そこでは、ミャンマーのアシン・ウィラトゥという僧侶のイスラム嫌いで過激なビルマ仏教の宗派が、国民の大部分を占めるイスラム教徒を圧迫し、軍によって国外に追い出し、それによって殺人や虐殺も日常的に行われている。一方で、他の堕落した仏教グループの他にも、チベットのラマ教や、モンゴルや満州・ツングース文化圏、さらにはブータン、シッキム、ラダックなどで広まっている仏教の形態についても言及する必要がある。チベットのラマ教の仏教宗派だけを見ても、それはミャンマーと同じくらい多くの悪さを現している。なぜなら、ラマ僧やパンチェン・ラマ僧がそこで行っていることは、ゴータマ・シッダールタの頭から帽子を吹き飛ばし、彼は嫌悪感、恥ずかしさ、痛みで墓の中で振り返るだろうから。 チベットのラマ教の残虐性だけを説明しようとすると、それについて何冊もの本を書かなければならないが、ゴータマ・シッダールタの本来の教えとはもう、全く関係のない、完全に間違った仏教の教えを実践している、仏教宗派がどうなっているのか、その一端を紹介する本をお勧めする。昨日と今日の仏教の宗派主義、特にラマ教とそのパンチェン・ラマ、そして同様に卑劣なダライ・ラマ・テンジン・ギャムツォについて、実に明確な洞察を得るために、ヴィクター&ヴィクトリア・トリモンディ,パトモス出版,デュッセルドルフの著書『ダライ・ラマの影』という本がお勧めである。ゴータマ・シッダールタの実際の人生と仕事は、完全に虚偽で、嘘や誹謗中傷に満ちた伝承によって今日知られているものとは事実上全く異なっていた。彼は瞑想が非常に重要な役割を果たし、それを通して常に平和と調和を得る人生を送っていたが、彼は彼らが偽造したものとは非常に異なって説明し語ったので、多くのことが伝えられていたものとは異なっていた。なぜなら彼は、非常に多くのことを彼の死の前後に存在する偽装された伝承が示すものとは、完全に異なる方法で非常にたくさんのことを説明し語ったために、多くのことが伝えられているものとは異なっていた。これは、イマヌエルやモハメッドの場合と全く同じで、彼らの教えや仕事などは、時間の経過とともに、すでに生涯、特に死後の長い間にわたって改ざんされており、彼らの口から出た言葉は否定され、空想され、帰属されて、どんなに努力しても超えることが出来ないほど、その内容は灰のような嘘と中傷でいっぱいの聖典に仕立て上げられている。ゴータマ・シッダールタは20世紀に流布した、ある疑惑の真の伝承を読み上げられて質問され、その多くは真実ではないと断言した。例えば、彼の人生、知恵、特別性は生まれた時から予言などされておらず、彼の一族は王族の地位にも就いていなかったという。彼の家系は王族ではなく、小さな貴族に過ぎず、父親は釈迦族地域の小さな摂政だったという。彼の家族は、下級貴族である妻のヤソダラーと息子のラーフラ、そしてハシタ(Hasita)、アバーヤ(Abhaya)、ジュナナ(Jnana)、ガウリマ(Gaurima)の4人の娘で構成されていたが、彼の時代には女の子や女性は劣った存在であり、実際には悪い価値のない品物としてしか扱われていなかったが、彼はその全員を愛し尊敬していたという。彼は、人間の男女はどちらも同じように平等だと考えていたが、どちらかというと女性の方を少しだけ尊重していた。なぜなら、女性は生命を与え、生命を維持する存在であり、それなしには生命は生まれず、存在し得ないから。これに対してシッダールタは、若い女の子と女性は軽視され評価されず、しばしば誘拐されてベシャバサ(Veshavasa)(売春宿)に監禁され遅かれ早かれ殺害されたのは、シッダールタと彼の人生について書いた伝承の作者によって隠されたのだろうと説明していた。しかし、当時のネパールやインドがそうであったように、私自身が長い間、インドやネパールで目撃してきたように今もそうなのである。シッダールタはしばしば数日から数週、家族を離れ28年間、教師として国中を禁欲主義者として歩き回り、人々に教え、自分の瞑想の方法と人生の意味を見つけて理解するようにと教え、また、神は存在しないので助けてくれない、だから自分で自分自身を助けて、すべての病気や苦しみ、運命のいたずら、そしてすべての悪や災難から自分を解放しなければならないと教えた。それでも彼は、それほど長い間無欲ではなかったし、誤って伝えられているように家族を捨てたわけでもない。また、彼の説明によると、彼は他の賢人や経験者の教えを使わず、彼自身の洞察力、経験、個人的な体験のみを用いており、それらを明確かつ曖昧さもなく表現している。このことは彼もまた、自分はただ自分の瞑想を実践し、すべてのことに関して自分の道を進み、すべてのものの真実を自分で探し、それを評価し、そこから深い知識とすべてのことへの遠大な理解を得たと明確に述べている。彼だけが、人生に必要なすべてのもののつながりを見つけて認識し、自らを知識人、賢人とした。このようにして、彼は内面的に欲望や仲間よりも上になりたいという欲求から解放された。そのため、彼が常に様々な社会階級の人々から大きな賞賛と献身を示され、彼が偉大な悟りを持った人と呼ばれたとき、それは彼にとって不便で恥ずかしいことであった。これに対して、彼は恥ずかしそうに説明しながら、断らなければならない要素が非常に多かった。しかし、すべての防御策が実を結ぶことはなく、ブッダとしての評判を取り除くことができなかった。彼がこの評判を諦めてくれればありがたい。さらに彼は、それが彼の心にはないので、自分の教えを基礎として拡大すべきである大きなコミュニティを作ることは絶えず拒否しなければならなかった。確かに彼の周りには、常に彼の教えに従う信者の面倒を見てくれている数人の忠実な男女が居たが、彼はこの方向ではこれ以上何もせず、全体を開かれた学習共同体として維持したいと考えていた。そうしないと、信者の動きが生じてしまい、それは彼の目的とは一致しなかった。シッダールタは、信仰組織を持たずに、一人または小さなグループで公然と演説を行ったため、このようにして社会的に異なる階級の人々をものにすることができ、そこから教えを伝える伝統的な学校のようなものが発展し、それが多くの人々にとって人生の教えとなった。それはまた、「真実の教え、創造エネルギーの教え、生命の教え」に通じるものである。しかし、その全てが羨望を呼び起こし、敵だけでなく、彼が生きている間にも邪悪な敵が現れ、彼を嘘つき、詐欺師として侮辱し、教えを偽造し、シッダールタを罵り、彼の教えを不可能にする陰謀論としてそれを利用した。このことは、支持者や知ったかぶりの人たちが、彼の生前や死後にすでに彼の仕事全体や彼の人となりを美化したり、最後の例が証明しているように、個人の裁量や理解に従って彼の本来の教えを偽造したりする一方で、嘘の解釈の改ざんされた作品が、今日、シッダールタとすべての真実の事実を超えて世界中に配布されており、すべての仏教徒に嘘と誹謗中傷の作品として、仏陀やダルマの、本当の本来の教えとして押し付けられていることを意味している。時間の経過とともに、ゴータマ・シッダールタの本来の教えは、他の宗教や宗派の誤った教え、習慣や儀式など、特に中国やチベット、日本で宗教として土着していたものや、現在でもかなりの割合で残っているものと非常に強く混ざり合ってしまったため、完全に変化してしまい、本来の教えとは一致しないものとなってしまった。シッダールタの教えに関する限り、それは様々な原則を持った生き方に対応していることにも言及しなければならない。その中には、全人類の間で非暴力またはアヒムサが優先されるべきだという原則が明記されている。この非暴力はもともとヒンドゥー教やジャイナ教にも普及していたもので、シッダールタによる彼の教えも含まれていた。そうして彼が説明したように、これらを行った。これは完全に正しく「真実の教え、創造エネルギーの教え、生命の教え」で、基本的に表され、教えられている。彼は人々とすべての生き物が、ヒンドゥー教やジャイナ教の規則に反して、支配者と人々によって邪悪で暴力的な虐待を受け、その結果、人々があらゆる種類の事件によって殺されているのを見た。そしてこれは、無意味にそして快楽のためだけに殺された他の多くの生き物に関しても起こった。そうしてこのことが、彼が自分の教えの中に、倫理的な責任(善と悪を区別する行動や言動を実行すること)を含める理由であり、それは公正で真の人間であるために不可欠であり、従わなければならないものであった。そうして人々が守るべき、そして果たすべきこの重要なルールの中には、シッダールタが明確に強調していたことを私は今でもよく覚えているが、責任感、誠実さ、そして必要な尊重の観点から持続可能性を実現するために、すべての価値観に関して非常に特別な注意と心遣いを払う必要があることも含まれていた。これは人々の正義、透明性、協力的な共存を保証するための唯一の方法であり、したがって特に、一般的なグループに関連するだけでなく、公共および社会的な関心事やニーズなどに対して責任の共有を保証する。なぜなら全体が完全に、そして必然的に重要であり、それによってのみ、すべての生態系、地球、自然、そうしてあらゆる属や種の動物と植物のすべて生きものの機能が保証されるから。倫理的な行動だけが、すべての生きとし生けるものの全体の機能を可能にするが、それには思いやり、注意と心遣い、優れた道徳的な規律だけなく、好意、参加、配慮と親しみ、人々への尊敬と尊重、そして存在するすべてに対しても必要である。非暴力またはアヒムサの教えは、ゴータマ・シッダールタがその最初の教えの中で解釈し教えたものだが、「真理の教え、創造エネルギーの教え、生命の教え」を通して教えられているように、そうあるべきであるということを目指している。これは人間でも、動物でも、他の生き物でも、いかなる形態の生命に対しても、苦しみや強制を与えてはならず、痛みや暴力を一切振るってはならないという事実に基づいている。また、拷問、懲罰、死刑などの罰や、苦痛、強制、痛みなどの暴力を人間に加えてはならず、動植物の自然界での狩猟、魚類、動物、鳥類などの捕獲によって、動植物の生命の破壊、全滅、根絶などの形態でも起こるべきではない。この非暴力の教えは、メソポタミアまで人々によって広められ、教えられ、続いていた。書かれていない、最初のヒンドゥー教の行動様式でもすでにこのように保持されていた。しかし、ある変化をきっかけにすべてが崩れ去り、この原理が注目されなくなり、最終的には忘れ去られてしまった。また、仏教徒の間でもこの非暴力の誓いはそれぞれで、1844年に始まった近代よりもずっと前におけるアヒムサの誓いは現代では理論に過ぎない。今日の世界中の多くの仏教徒にとって、人間、動物、家畜、その他あらゆる属や種のすべての生きとし生けるものを傷つけないというルールに従うことは、もはや義務ではなく、自発的な行為なのである。そのため、不正をしてはならない、憎しみや嫉妬を育ててはならない、戦争をしてはならない、テロや暴力を振るってはならない、他人に悪意を抱いてはならない、嘘や中傷や陰謀で人を侮辱したり悪口を言ったりしてはならない、というルールと同様に、この古代のルールは現在も破られ、背かれている。ゴータマ・シッダールタの元々の教えは、今日の仏教とは本質的に異なるだけでなく、信仰の主要な宗教であるキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教をはじめ、世界的な大小さまざまな神の宗派とも大きく異なる。しかし、今日でも受け入れられる仏教は、シッダールタのオリジナルの教えの一部としてある程度対応しており、宗教的な教義にも宗派的な教義にも対応していない、神の誤認、世界観の教義、哲学の教義、または同様に脳のない信仰に基づいた教義の構造物に対応していないため、まだ半分は受け入れられている。その結果、仏教が発生した絶対的に正しいオリジナルの教えは、その有鈎な起源において、シッダールタがそれを作成して教えたように、信仰や信念の問題ではなく、精神的な進化を目指し、理解と理性の使用を目的として、あらゆる点で人生の正しい対処をするための、「正しい生き方の教え」、「自己認識の教え」、「経験の教え」、「自己啓発の教え」であった。(ゴータマ・シッダールタは紀元前563年にネパールのルンビニで生まれたヒンドゥー教徒で、実母はマーヤー〈チベットではギュトルルマと呼ばれているが、他の地域ではマヤデビ、マハマヤと呼ばれている〉、実父は摂政のシュッドーダナ・ゴータマであった。シッダールタ自身もヤソダラーと結婚し、彼女との間に息子をもうけ、ラーフラと名付けた。ゴータマ・シッダールタは、紀元前483年に80歳でインドのクシナガルで死去した)。シッダールタ自身が63歳の時に語っていたように、彼は14歳の少年の頃から自分の観察を通して、非常に多くの悲惨さを認識していた。例えば、遠く離れたあらゆる地域の非常に多くの人々が様々な病気や孤独、あるいは恐ろしい運命のいたずらに苦しみ、絶望的な貧困と飢餓の中で生活していることなど、多くの困難に対処することができない状況を目の当たりにした。さらに彼はこれに反して、健康で栄養豊富な裕福な金持ちがすべての人道に反して庶民を搾取し、多くの人々を農奴にして酷使し、虐待し、あらゆる出来事や健康問題、疫病、飢餓、そして人生の一般的な価値の欠如に全く無関心であることも気づいたと述べた。金持ちなどの富裕層は、非常に甘やかされた人々で、不満や憎しみ、妬みや貪欲、そして悪徳や中毒、快楽への欲望に悩まされており、庶民に対して全く冷酷で無慈悲な態度をとっていた。その多くは自分たちのために最善を尽くすことだけに耽溺し、仲間には絶対に災いしかもたらさず、それが広がっていただろう言われていた。この点についてシッダールタが語ったことは、実際に当てはまり、少しずつ改善されるまで長い間続いた。しかしそれは、一部の人々が彼の教えに従った結果としてもたらされたものであり、彼が7年間でその教えを完成させ、知性と理性を駆使して自らの力で拾い上げ、多くのことを学んだ後の21歳の時に広め始めた。彼が新しく作成された教えによって、彼の言葉通り、彼の信奉者となった多くの人々の生活環境は良くなったが、一方で、彼の教えに従う努力をしなかった他の人々はどんどん悪化して腐っていき、スラム街で惨めな生活を送るようになっていった。シッダールタは自分が、瞑想的な考えに深く夢中になることで、自分自身を指導しコントロールすることを学び、それによって彼は自分自身への道を見つけたと説明し、それから彼の信奉者によって仏と呼ばれたので、彼の教えは仏教道と呼ばれた。このようにして、彼の瞑想を通して、彼は自分自身と自分の道を見つけ、すべての苦しみから自分自身を解放し、そして彼の教えを練り上げて作り、それを通して、人々にも同じようにしてより良い人生への道を示すことができる可能性を広げたと言った。そうすれば人々も、自分自身と自分の強さと能力を認識し、苦しみから抜け出し、再び通常の生活を送ることができるようになることにあった。とにかく彼は、彼らの宗教、信条、外見、社会的地位、彼らの道徳や行動などで判断したり、軽蔑したり、他の人と違う扱いをしたりすることなく、謙虚に生活し、自分の仲間に真摯に向き合い、彼らを喜ばせ、すべての人を平等に扱い、そして彼らのために尽くして、慎み深い生活を送っていたと、少なくともそのように彼は語っていた。ゴータマ・シッダールタの仕事と行動により、彼は多くのことについてのさらなる知識へと導いた。それは私がすでに述べたように、古い信念と言葉によると、彼は人々から仏陀または悟りを開いた者と呼ばれるようになった。また、ゴータマ・シッダールタは、人々に様々なことを深く教え、見返りを求めずに自分の知識と経験を伝え、彼の教えを教えることで、人々が個人個人で自分を教育し、自分自身を助け、苦しみから解放され、生きがいのある人生を送ることができるようになったと述べている。しかしありがたいことに彼は、自分の生活に必要なすべてのものは、彼の信奉者から自発的にそして要求なしに受け取ったが、彼はいつも家にあったもので事足りていたので、それを必要としなかった。それは約2500年前のことで、そこから私が今言ったように、シッダールタは人々から仏陀と呼ばれていたので、仏教が誕生し、彼自身は自発的に貢献しなかったが、失敗に終わったと説明している。しかしシッダールタが、20世紀の現代までの主張されている混じりけのない伝承について述べ、説明したことは、今日の彼の教えと人生を取り巻くすべての既知の事実や疑惑の事実と比較すると、嘘、偽り、誹謗中傷以外の何物でもない。主張されているすべての伝承の大部分は、実際には、シッダールタ自身が表現したように許しがたい恥ずべきことである、比類のない真実に対応している。これもまた、イマヌエルやモハメッドが同様に、嘘、改ざん、欺瞞、悪意、誤解、狂信などによって彼らの教えから捏造されたすべてのものを公言し、神の妄想宗教へと導いた。ゴータマ・シッダールタは、自分の教えが19世紀の未来にどのような結果をもたらすのかを知ったとき非常にショックを受けたが、彼は真実を知り、彼の死の日を迎えた後、不利な事態を防ぐことができるかもしれないと考えて、彼の人生の最後の17年間はより一層、自分の教えを守ることを決意した。シッダールタも同様に、来るべきものを受け入れようとせず、自分の教えを広めるための努力をより一層強めることで、いくつかの、あるいはすべての物事をより良く前向きに変化できるという意見を持ち続けていた。これは彼が、未来の事実を体験した後に率直に語ったことであるが、彼は自分の人生で自分自身を体験し、自分が生きている間にすでに彼の教えの偽物が流通し、彼の真の教えを完全に間違った形で変えて広め、悪を教えるような信仰団体が生まれていることを知っていた。したがって将来、いわゆる真実の伝承が、自分と自分の教えに最も邪悪な方法で適用されることになっても、その場合これらはおそらく、最も邪悪なあらゆる妄想よりも改ざんされることはないだろうと、彼は理解することができていた。仏教は、インダス川流域やメソポタミアなどのアジアを中心に世界中に広まり、現在では世界第4位の宗教とされているが、そのような宗教ではない。すでに説明したように、仏教は本来、宗教や宗派とは無縁のものであった。そのため、今日、ゴータマ・シッダールタの本来の教えとはほとんど共通点がないにもかかわらず、誤って完全に宗教と呼ばれている。しかし、本来のヒンドゥー教と同様に、仏教は信仰の問題ではなく、したがって、宗教や宗派でもなく正しい生き方の教えなのである。しかし、それが変わったのはかなり前のことで、宗教学の看板を背負った知ったかぶりの人たちの仕業である。前にも述べたが、一度ははっきりと言っておく必要があるので、もう一度繰り返す。残念なことに地球人の間では、仏教においても、知ったかぶりの活動要素によって分裂し、その結果、宗派が生まれ、それぞれの間で見解や意見が異なり、それに応じて教えなどの見解なども異なっているのが一般的である。ゴータマ・シッダールタが説いた真の教えは、すでに説明したように、神と神を騙る偉大な妄想的信念組織であるヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教とは対照的であり、有神論的な宗教ではなく、そのため、全能の神への礼拝の集中化を目的としたものでもなかった。そのためシッダールタの時代には、仏教の起源となった彼の教えは、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教などの大宗教や、その他の世界中の大小の宗教や神の宗派とは本質的に異なっていた。現在も出回っている、シッダールタが教えていなかった偽装された仏陀の教えは、宗教的な教えにも、宗派的な教えにも、哲学的な教えにも、またそれに類する信仰に基づく同様の教えの構造にも対応していない。シッダールタがそれを作成し教えたように、その有効な起源における真のオリジナルの教えは、何度も明確に述べ、強調しなければならないような信仰の問題ではなく、知性や理性を使うための認知能力の個人的な開発、そしてあらゆる生命との正しい関係における自己認識と、人生に正しく対処するのを目的とした「正しい生き方の教え」、「自己認識の教え」、「自己発見の教え」であった。人々が考えて実行することはすべて、良い効果や悪い効果を生み出す。人は、この点においても正しい洞察を得るために悟りを開かなければならず、それによって本質的に正しい判断をし、正しい言葉を選び、正しい話し方をして、正しい答えを出し、嘘をつかず、そして間違った言葉で他人を傷つけないように、本当の現実とその真実の中で生きていくのである。常に正しい行動をとり、正直で高潔で価値があり、盗まず、騙さず、誹謗中傷せず、殺さず、また、あらゆる方法で正しい生活を追求し、他の生き物に害を与えず、善を行い、そして前述のように、正しく悟りを目指して努力し、必要な注意と正しい心を思考と感情に向けること、これらはすべて多くの必要な価値観を正しく集めることに相当し、瞑想を通して常に存在し続けるためのものである。ゴータマ・シッダールタのオリジナルの教えの本質は、心の中の瞑想と内なる平和の資質に対する注意、そして調和、正義、生命の尊重、愛、義、人間であること、英知に関連する深い思考作業に基づいて要約したものである。しかしシッダールタが、彼の瞑想の方法の中で考慮しなかったもの、そうしてそれ以来、仏教の瞑想の教えでも、他の外国の教えのどこでも、それはすべての瞑想の母であり、すべての学習の主要な要因を形成するもの、つまり実際の瞑想の基本的な要因が教えられたり、そのさらなる価値について言及されたりすることはなかった。基本的な瞑想の要素(Meditations-Grundfaktor)、連続した状態の毎日の瞑想(Dauerzustand-Tagesmeditation)、一日の目覚めの瞑想(Tageswachbewusstsein-Meditation)瞑想とその様々な方法に関して、瞑想の実践全体に与えられているものの他に、これは他のすべての瞑想に先行する、毎日の、意識および無意識(潜在意識ではなく)の連続した状態の日常的な瞑想を指すが、太古の昔から地球上のすべての瞑想の教えでは知られておらず、その結果、それは決して教えられず広められなかった。連続した状態の日中の瞑想は、一日の目覚めた意識の中で行われる日中の目覚めた意識の瞑想に対応するもので、この瞑想は、横になったり、座ったり、立ったり、歩いたり、また、動いたり、あらゆる活動の中で行われ、これは意識的な方法と無意識的な方法の両方で行われる。ここで無意識的方法とは、潜在意識とは関係のない意識の前のレベルに相当し、記録-編集-処理-切り替え-変更-再生のレベルに対応する。根本的には、瞑想の最初のそして最も重要なステップは、日中の目覚めた意識の中で一定の状態の毎日の瞑想に関して、毎日の心の中の注意の継続的な瞑想である。これは特に注意すべきことが重要であるだけでなく、すべての中で最も重要な瞑想である。これは、常に生じている思考とその結果として生じる感情を意識的に制御して育てることになるからである。この感情は、現在考えられていること、感情で作られたこと、行われていること、話されていること、実行されていること、扱われていること、そして行動の面で実行されていることなど、すべての人に集中的に占められている。昼間の目覚めている意識の継続的な毎日の瞑想を通じて、この瞑想が進んでそして意識的に実践されているならば、あらゆるものが意識的にも無意識的にも、徹底的にコントロールされている。それによって、行われたこと、行動したこと、言ったこと、そして扱われるすべてが完全にまたは少なくとも大部分が正しく実行され、エラーなしになる。日中またはその日の仕事の後に、休息の状態や休息の瞑想のために、連続した日中の瞑想状態が日中の覚めた意識の中で中断された場合は、思考を停止する必要がある。これによって、落ち着いて瞑想を続けることができる。第754会見 ビリー同様に固有の周波数を持つ その1
2021.04.30

最高度の霊と意識の進化の時代同様に固有の周波数を持つ その2将来的には、これまでは緩和や治癒が可能な多くの病気や疾患が、未来には緩和も治癒もできなくなるでしょう。というのも、苦しみや病気を引き起こすある種の物理的有機的な病原体が、一部またはすべての医薬品に対して耐性を持つようになる。一方ではこれは、薬の過剰な投与や使用により、多くの苦しみや病気の病原体に対する多剤耐性をもたらし、多くの犠牲者を出すことになる。そして農業経済全体、農業、園芸では、利潤と利益中毒のために、軽率に、無配慮に、無分別に広められ、地下水、飲料水だけでなく、すべての野菜、果物、ベリー、キノコ、ハーブなどを汚染する多くの種類の毒物により、将来的に非常に急性で、実際に不治の病が発生し、死、瀕死、苦痛、あらゆる身体的障害、精神的障害などの原因となるでしょう。地球はやがて空洞化し、すぐにエメンタールチーズのような姿になる。さらに、地球の表面全体が破壊され、家や工場、高層都市、採掘場、高速道路、スポーツ施設、発電用のソーラーセイルや風力タービン、伐採されて破壊された原生林や湿原、熱帯雨林、飛行場などが点在する。今後、自然生息地の多くのシステムは以下に再び説明するように、果てしなくそして無責任に増加する何十億人もの地球人口の貪欲なニーズによって、大部分が奪われ、取り返しのつかないほど破壊され、消滅するでしょう。また、多くの種類や種の動植物の多くの生命体が完全に消滅し、多くの人々が苦しみ、病気や伝染病に生命を奪われるでしょう。絶え間なく増大するニーズと、それに伴う地球人類のあらゆる破壊的な策略によって、すべての生息地が破壊され、さらに気候的な大災害が引き起こされるでしょう。未来は、自動車の排気ガス、森林や景観の大火災、あらゆる種類の熱放出など、ありとあらゆる種類の有害物質による世界的な大気汚染と大気被毒をもたらし、さらには気候温暖化や気候破壊、それに伴うすべての大陸での気候変動、極地やすべての氷河、永久凍土の融解に関連して、危険な地球上のメタンガスがあらゆる場所で放出され、また、気候だけでなく海の温度も上昇するため、海底でもメタンガスが放出される。しかし、地球温暖化という大きな変化が進行し、世界的な気候自然災害が止められなくなるほど露骨な方法で引き起こされる前に、これから数十年、新しい第3千年紀の最初の年までの間に、主に重要な出来事で何が起こるのでしょうか。1947年11月に米国で新しい種類の技術開発製品が完成しているという事実など、しかしこのためには例えば、一つひとつの出来事を次々と挙げなければならないとしたら、大きな本がそれで埋まってしまうほど多くのことを報告しなければならない。この製品は、いわゆる半導体技術に革命的な進歩をもたらし、将来的には従来の電子管システムに取って代わることになるでしょう。この製品は、友人のスファートが私に説明してくれたように、小さな電気信号を多かれ少なかれ直線的に増幅することができる最初の能動型電子部品に相当し、電子時代を確立する。この11月に完成する技術革新は、将来的には旧来の電子管方式に代わるもので、前述の新発明・新開発のトランジスタと呼ばれるものである。説明によると、これは低電流と低電圧を制御できる、いわゆる電子半導体部品である。この新しいトランジスタ技術は、今後さまざまな電子機器、装置、測定器、工具、器具、機械、航空機、車両、ロケットなどの制御装置を生み出していくでしょう。さらにその結果として、電子的な長距離通信技術全体が、やがてこのトランジスタによって時間の経過とともに別の電子技術的な発明と組み合わされ、これによってまたさらに価値のある革新的な革命を起こすことになる。また、約15ヵ月後の1949年2月4日金曜日には、ペルシャ皇帝レザー・パフラヴィーがテヘランで数発の銃弾を受け凶弾に倒れて負傷したものの、命は取り留めたというもう一つの注目すべき出来事がある。1957年までに世界中で多くの非常に不愉快な政治的、好戦的、非人道的に起こった出来事や自然の大災害に加えて、1957年3月にローマで、イタリア、ドイツ、ルクセンブルグ、オランダ、ベルギー、フランスの国家の交渉担当者と全権大使によって、ヨーロッパ国家の連合による、いわゆるヨーロッパ経済共同体(EEC)が交渉され決定される。しかしこれはすでに、水面下で最初の礎石を築くという巧妙なアイデアが含まれており、それを通して、共通の経済政策の道を歩むことで、すでに秘密裏に計画されている独裁的な欧州連合(EU)に、すべてのヨーロッパ諸国を統合することが究極の目標となる。1959年には、1平方センチメートル未満の小型化された電子回路とそれを搭載したマイクロプロセッサーが発明され、この年からスタートする。その結果、情報によれば、1968年以降、これらの製品は半導体材料を使用して大量に製造されるようになり、また、新たに開発された回路は、同様に情報通信技術などの全く新しいデバイスに統合されるようになるという。これにより、いわば第3千年紀までの次の数十年間に、すべての人が5×10×1cm程度の小さなポケットサイズの通信機器を持ち歩き、それを使って世界中のあらゆる場所と通信することができるようになる。将来的には、特に宗教教派別のテロリズムマニアとネオナチのグループマニア、また新たに大規模で広く普及している宗教セクトなどで、邪悪で不吉なテロリストの策略が発生するでしょう。彼らはまた、狂信的に人々を殺害したり、大量殺戮を行ったり、あらゆる人間の生命を見下し暴力を振るうなどの犯罪的行為をするため、無数の人々と神を信じる人々の世界を支配することになる。これは古代やその他の古い時代、特に中世においてすでに起こっていたように、悪魔と関係があるとされる魔女に対する迫害と殺害という病魔が蔓延し、多くの罪のない人々が残酷な拷問を受け、剣で首をはねられたり、生きたまま窮地に立たされたり火あぶりにされたりした。1960年代半ば、ベトナムで米 国とその軍隊によって無数の同じように罪のない人々が魔女狩りのように焼かれた時、この点において平等性が思い起こされるべきである。魔女は悪魔やベルゼブブ、妖精や精霊とは何の関係もなかったが、通常は自分の知識とハーブで人々を助けた薬草学者であった。また、新たに広まった宗派マニアによって、これから世界中で多くの殺人や大量殺戮が起こるでしょう。この宗派マニアは、第3千年紀にまで続いて、特に若者たちを信仰の囚人、信仰の奴隷に変え、その結果、原始時代からすべての信者がそうであったように、自分自身で思考し、審議し、判断し、行動することを放棄して、結果的に愚かになる。そして、これが長引けば長引くほど、これらの人々は今後、逐語的な宗教的および政治的な決まり文句を雄弁に繰り返す他人の奴隷となり、現実感や理性に反する真実を見失い、そして宗教的、宗派的、政治的な嘘や誹謗中傷、誘惑に対する信奉者はその結果、彼らが信じるように導かれたものに依存するようになるという結果を招く。そしてこれは短期間で起こる。なぜならそれは、1980年代の10年間に露骨な方法で始まり、それからすべての領域において地球全体で根本的な方法で変化し、あらゆるものがネガティブに、そして否定的かつ破壊的に悪と悪へと急進的に変化するから。これはまた、統治者として国民を導くべき人たちにも影響を与える。しかしそれは、第3千年紀の第2の10年に大規模な疫病が蔓延し、何百万人もの命を奪うことになったとき、国民を保護し、健康を保つために効果的に何をすべきかわからず、それができないでしょう。彼ら支配者のように、あらゆる国の無数の人々は他人の手先となり、それを通して彼らは他人のアイデア、概念、欲望に従って虐待し、影響を受け、故意に指示をされて、搾取されることになる。そして将来、無数の人々が他人や自分自身の金銭欲の餌食になり、自分の欲望をコントロールすることができず、人生にとって重要なことを学ぶことができなくなるのと同様に、生きる力、生活の安定、生活の尊厳、生活の喜び、生活の充実、生きる勇気もそうなるでしょう。この点で重要なすべての価値観は、もはや幼少期からの養育や自己啓発を通じて学ぶものではなく、親はこれらの教育上の要件を知らず、その結果として教育を怠っているから。その結果、子孫は将来ますます生活できなくなり、一方では、特殊な状況に陥ったり、年老いたり、何か問題に直面したりすると論理的な思考が欠如しているため、自分の進むべき道も出口も知らないかわからなくなってしまう。その結果、これからの時代には、現実や人生を避けて老若男女を問わず、数え切れないほどの人々が自殺していくことになる。多くの人は、アルコールや天然薬物、化学薬品などによる中毒や不幸の中で人生を植物のように過ごし、その結果、悲惨な死を迎えることになる。また無謀にも、生命を脅かすスポーツに取り組み、ある日突然、不注意や不慮の事故あるいは予期せず命を落としてしまう人もいる。しかし将来的には、あらゆる年齢層の多くの人々が、人生に対処できなかった結果、正確には自ら命を絶つことによって、つまり臆病に駆られて自分の命を奪うだけで、何らかの形で自らが殺害されることを許容したりするようになるでしょう。これは今日から何であれ、それは完全に合法で、法的に許可されたビジネス的な自殺幇助によってわずか数十年で可能になるでしょう。このような状況に先駆けてスイスでは、自殺願望のある人々に自ら命を絶つ可能性を提供しているでしょう。自殺幇助のエルドラドと呼ばれる金の場所に向かって、臭いチーズに大量のハエが寄ってくるように、世界中から自殺志願者を惹きつける。また、今後発生するであろう自殺幇助組織は、自殺志願者を利用して自らを豊かにし、殺人への欲求を満たすものであり、将来的には、初期の段階ですでに始まっている多くの人間を犠牲にしてきた宗教的宗派間の殺人と大量殺戮の行為を比較することができる。この点については、今後数十年の間に起こるであろう悪事についても言及されるかもしれないが、その中には、女神カーリーに関して初期のインドですでに現れたものから始めて、紹介としての役割を果たせるものもある。それを説明するには少し歴史が必要だが、それでも私はそれをまとめることができるかもしれない。黒人女性であるカーリーは、ヒンドゥー教における死と破壊の重要な女神だが、時間と自然そして再生をも体現している。インド神話では、それは怒りの象徴であり、他の神の額から飛び出し、その恐ろしい咆哮で宇宙を満たしたとされている。インドの他の神話では、彼女はパールヴァティー神の暗黒面であり、マハーヴィディヤー神の一人である。ヒンドゥー教の民間伝承では、カーリーはまた願いを叶えるとも言われる数少ない女神の一人とされている。また、世界のバランスを崩す恐れのある悪魔ラク・タビヤとの戦いを描いた神話の物語もある。彼が怪我をして手足を失ったり、一滴の血が大地に落ちたりすると、そこから2番目のラク・タビヤが現れて、結果的に無敵になると言われていた。これに悩まされた神々は、母なる女神デヴィに相談したところ、デーヴィーはカーリーとして姿を現し、悪魔を攻撃して頭を切り落とし、その血をすべて飲んでラク・タビヤを滅ぼした。さらに神話では、これがカーリーを完全な破壊の女神であると同時に、すべてのものが戻ってくる母なる大地でもあり、彼女は何も失われないように常に気を配っていることを教えられている。さらにこの神話に基づいて、いわゆるカーリー派が生まれたという歴史もある。彼らのメンバーは絹のスカーフを持ち、それを持って敵対する人間を絹のスカーフで首を絞めて遠ざけたり、命令によって人間を暗殺したりした。1945年に2人の元カーリー派信者から説明を受けたが、この殺人宗派は現在まで密かに存在していると言われており、また、すべてが上記の枠組みの中で行われていると言われている。その証拠として、絹のスカーフで首を絞められた男を見せられ、2000年ほど前にカーリー宗派が出現して以来、200万人以上の人々が上記の方法で殺害されたと言われていると言われた。それが単なる演出なのかどうかは、残念ながら私にはわからなかった。まあ、真実かどうかは別として、他の殺人の事実はその他の初期の時期に検証可能である。なぜなら、あらゆる宗教や宗派において、宗教的・宗派的な殺人と虐殺がいたるところで発生しており、特にキリスト教では、例えば次のようなことが起こった。十字軍は、1095年に教皇ウルバヌス2世によってパレスチナを征服するための最初のキリスト教十字軍に招集されたとき、しかしそれによって翌年に、すべてが武装した信徒と共にキリストの名の下に始まり、巡礼を宣言した。しかし、イタリア、フランス、ドイツからのいくつかの騎士団も混ざり合い、ヨーロッパからパレスチナへの戦争の活動で、非常に非人道的な虐殺、犯罪、強 姦、略奪、およびその他の恥ずべき暴力行為をしていたことが目撃者によって観察されている。十字軍はその後、1099年にエルサレムを十字軍が占領して終わり、イエスの名のもとに容赦なく殺害した。中世には、ある宗派もアラビアで怪しげな名声を獲得した。つまり、ニザール分派の信仰コミュニティの暗殺者、別名イスマーイール派殺人者ギャング、暗殺教団、雇われ殺人者の過激で邪悪なシーア派イスラムの秘密結社である。彼らの宗教上の狂信的な目的は、敵の指導者を暗殺することであったが、それだけでは満足せず、しばしば純粋な欲望や利益のためだけに殺人を行っていた。キリスト教の出現以来、多くのキリスト教宗派やキリストを信じる個人が狂信的な妄想の結果として行ってきたように。混同されたキリストの妄想に関連して、悪魔との狂気も早い段階で発生していた。人々はサタンに仕え、例えばちょうど主に魔女だと非難されて恥ずかしながら殺害された女性など、サタンと性的 行為をするというキリストの信仰の妄想である。その他にも特に女性は、悪魔に取り憑かれていると非難され、そのために虐待されたり、さらには殺されたりしたとして第3千年紀までよく非難され続けている。このような出来事は、大人になった私が1966年にリングヴィルの両親と一緒にスイスで短期間暮らしていたときに起こる。そして、この町にキリスト教の一派が住み着き、悪魔払いをしたり、17歳の少女を殴り殺したりすることが判明する。1966年、静寂に包まれたリングウィルの町は、凶悪なニュースに驚かされた。17歳のベルナデット・ハスラーが5月14日から15日の夜、ヒンヴィールの集落の上にある、人里離れた小さなシャレーで激しい死を遂げた。遺体には臀部や性器など体のさまざまな部分に鈍器によるものと思われる激しい傷があったと、犯行の5日後にチューリッヒオーバーランドが報じた。チューリッヒで行われた記者会見で、州警察などはこれまでに、死亡の状況とすでに逮捕され加害者などの詳細を明らかにしていた。また、主犯格の2人の国籍から、シュピーゲルやディー・ツァイトなどのドイツの新聞や雑誌の編集者は、すぐに小さなリングヴィルのことを報道した。そこで世間は、ベルナデット・ハスラーが、カトリックの陰で横行する終末教団からの悪魔払いの後に死んだことを知った。つまり成人男性5人と女性1人によって殴り殺されたことを知った。この宗派は、破門されたジョゼフ・ストッカー神父と助手のマグダレーナ・コーラー聖母によってドイツの町シンゲンに設立された平和促進のための国際家族共同体を名乗っていた。あの悲惨な夜に、ベルナデット・ハスラーの死を隠蔽したのもストッカーとコーラーだった。自分で洗濯した服詐欺の事件で、59歳のストッカーと52歳のコーラーは、ドイツで指名手配されていたためスイスに逃げていた。リングヴィルのシャレーには、オルテン近郊のヴァンゲンに住むバーメトラー一家とリュティの八百屋の別荘として利用していたが、教団幹部は新しい集会所を設けた。両親がアールガウ州のヘリコンに住んでいて、宗派に依存していた17歳のベルナデットは、宗派がまだそこで運営されている改革派の家に約4年間ドイツに住んでいた。1966年7月22日のディー・ツァイト紙には、ドイツからリングウィルに女の子が連れてこられたことが何度かあったが、追跡できなかったと書いている。そしてこれが、ベルナデットに起こったことである。ベルナデットが教育上の問題を引き起こし、淫らな演説をしたとされたため、バーメトラー家の3兄弟、リュットナー実業家、2人の教団幹部は、5月の夜、杖、プラスチックパイプ、乗馬用鞭でベルナデットを1時間にわたって殴打した。彼らは彼女の皮下脂肪組織が粉々になるまで殴り続け、その後も彼らの拷問は止まらなかった。被告人マグダレーナ・コーラー聖母に不安定な状態でバスタブに押し込まれ、排泄物で汚れた服のためにシャワーを浴びた後、ベルナデット・ハスラーは、彼女の指示にしたがってシャレーの前に流れる小川で服を洗わなければならず、被告人のハンス・バーメトラーは彼女に懐中電灯を照らしたと、ウォルター・マティアス・ディゲルマン氏は著書『魔女裁判‐リングヴィルの悪魔払い達』の中で書いている。1979年に亡くなったメンハルトルフ出身の著者は、1969年に犯罪や裁判の経過、被告人の生活や心理的発達について本を書いた。翌朝、大人たちが少女の様子を見に行くと、少女は組織の崩壊の結果として起こった肺の脂肪塞栓症のために死んでいた。世界がリングウィルを話題にしたその夜、ベルナデット・ハスラーが受けた苦悩をリングヴィルの誰もが気づいていなかった。住民は新聞でしか知らなかった。「それは私たち全員がショックを受けた」と、新聞で彼の名前を読みたくないとリングワイラーは言う。「私たちは盲目になっていた。シャレーがカルト教団のメンバーに出入りしていたことすら知らなかった」と彼は言う。リングワイラー・ピーター・シュミットも当時のことをよく覚えている。「一大事だった。最初はみんなとても影響を受けた。私たちの農村でこのようなことが起こるとは信じられなかった」と、長年ヒンヴィールの改革派教会管理局のメンバーとして活動してきた彼は語る。すぐに国内外の新聞にも、この犯罪に関する記事がいっぱい掲載されるようになった。「突然、世界中がリングヴィルの話題で持ちきりになってしまった。私は23歳で、犯罪の数週間後に同僚と南フランスへ休暇に出かけた。そのうちの一人は、旅先で私たちがリングヴィルから来たと言うのをとても恥じていた」とシュミットは言う。また、他にもリングワイラーは、「WKでは、他の新入社員がこの事件のことを話してくれた」と記憶している。村の人間が誰も事件とは何の関係もしていなかったこともあり、何年にもわたって集落の住民がこの事件を受け入れていった。「あそこにあるコテージの集落の人々を本当に知っている人は誰もいなかった。家は離れた場所にあり、住民は私たちと付き合ってくれなかった」とシュミットは言う。「私たちはその女の子を知らなかったし、6人の犯人のうち5人は見知らぬ人だった。悪魔の追い出しに参加した八百屋も、リュットナーのように地元の人ではなかった。彼は私たちの仲間ではなかった」。しかし人々が、彼からの購入をやめたことをシュミットはよく覚えている。「誰もが彼の名前を知っていた」。「彼への憎しみは大きかった」と、他のリングワイラーは言う。実際、この犯行後、実業家のシャレーは2回続けて放火されたほどである。「最初はコテージの被害は少なかったが、2回目は狂ったように燃えた」と、ヒンヴィール消防署の元隊員で、自らも当時の消火活動に携わっていた彼は振り返る。憎しみも明らかに非常に大きかったようで、今日、彼の家族はもはや事件とは関係しておらず、それらについてコメントもしたくないという。神はあなたが過去にそれで十分に苦しんだことを知っていると、彼らは言った。実業家の家族は非常に長い間この状況に苦しんでいたが、リングワイラー自身が最終的に事件を解決させた。したがって、この行為が集落を永遠に変えてしまった、というのは間違っているでしょう。「私たちは呆然としたが、ある時点で終わった」とシュミットは言う。恥も外聞もない1969年1月から2月にかけて、チューリッヒの陪審員法廷で加害者の裁判が行われた。新聞には最後の魔女裁判と書かれ、リングヴィルの悪魔(ディー ・ツアイト紙参照)が陪審員の前で彼らの行為を説明したとある。彼らは皆、少女を殴りたかったのではなく、サタンだけを殴りたかったのだと言っていた。作家のディゲルマン氏によると、マグダレーナ・コーラー氏は陪審員の前で、「罪深い少女は、殴打を感じなかったため泣いたり悲鳴をあげたりせず反応しなかった」と述べた。コーラー被告が反省も恥も示さず、罪を認めなかったのに対し、ジョゼフ・ストッカー被告はすべての被告を代表して「今日の私の行為は二度としない異常な行為だと考えている」と約束した。「私の近所で、二度と殴られないようにする」。コーラーとストッカーはそれぞれ懲役10年、国外追放15年、公民権喪失5年、リュットナー実業家は懲役4年、バーメトラー兄弟はそれぞれ懲役3年の判決が下された。ドラマは繰り返される 10年間の獄中生活でも、マグダレーナ・コーラーは変わることなく、出所後も元の生活を続けた。1988年10月末、彼女は今度はコンスタンツで再び裁判を受けた。刑期を終えてスイスから追放された彼女は、シンゲンに戻り、年配のアンナ・ヴェルムトハウザーをはじめとするカルト信者から聖母として崇められ続けた。マグダレーナ・コーラー(当時73歳)は、妹のヒルデガード・レーラーとともに、1988年10月にシュピーゲル誌が報じたように、悪魔払いという名目で、年金生活者のヴェルムトハウザーを約5年近くにわたって拷問していた。姉妹は何年もの間、ヴェルムトハウザーを膝で蹴り、手の平やカーペットビーターで殴っていた。このように、リングヴィルで起きたドラマがシンゲンでも繰り返された。1988年2月6日から7日にかけての夜、体重40キロ弱の66歳の敬虔な女性が内出血で亡くなった。例えば、今日から31年後の1978年のガイアナでは、ある集落で宗派のリーダーが自分に依存した信者に集団自殺を命じ、さらに暗殺者による大量殺戮が行われ、キリスト教の神やキリスト教の救世主を妄信した結果、約1,000人近い宗派の信者が死ぬというようなことが、これからの時代も同じように多くのことが起こり続けるでしょう。しかしこれさえも、宗教的宗派の信仰の致命的な退廃の小さなエピソードに過ぎず、それはわずか数十年の間に再び世界中にますます広まっていくでしょう。また、1994年にはスイスで根本的に世界を拒絶し、国際的に活動している太陽秘密結社が、集団自殺を通じて名を馳せ、約50人が宗派間の信仰の妄想の犠牲になる。これは、今日からそれまで世界中で他の同様な、あるいは類似した事件が起こるだろうし、1994年の前述の出来事の後も、第3千年紀の未来のずっと先まで起こるでしょう。さらに言えば、これからの地球上では、人類の巨大な成長を通して、地球を包み込む大災害は、横行する悲惨、苦難、戦争、そして比較にならないほどの飢饉など、かつてないほど世界を揺るがすことになるでしょう。将来的には、アフリカやアジアからのさまざまな種類の伝染病が今後数十年の間にすでに発生しているように、世界中で蔓延する伝染病を引き起こし、その後、新しい千年紀の2番目の10年目には、人為的な疫病によって数十万人どころか百万人を超える複数の命が失われることになるでしょう。無責任で利己的で愚かなドイツの支配者のせいで、アフリカ、東方、アジアからの無謀な難民の移住が引き起こされ、これらの難民の波によって何万人もの死者が出ることになると、新しい千年紀の初めにすでに主張されているでしょう。何千人もの死者が地中海で溺死し、多くの人々が海を漂って沈み、二度と発見されることはないでしょう。そしてこの時トルコでは、宗教的狂信者が不正によって大統領独裁者として台頭し、トルコの創始者ケマル・アタテュルクによって作り上げた自由と秩序を再び無効にし、新たな宗派規制を施行することになるでしょう。今世紀の終わりの前に、イスラム教に端を発する狂信的な宗教的宗派間のテロリズムが東方で出現する。これはすでに述べたようにイスラム国と呼ばれ、第3千年紀に入っても、悪意に満ち完全に堕落した方法で、世界中に死と恐怖と災難と破壊をもたらすでしょう。さらに、新しい千年紀において、このテロ組織が世界中に急速に広がり、数え切れないほどの暗殺、脅迫と殺人を伴う世界規模の完全に狂信的な極端な宗教的セクト主義の退廃したテロ過激主義として、非常に長い間活動し続ける方法についていくつか説明する必要がある。拷問、悲惨さ、死、犯罪、破壊、苦難、終身刑、殺人や自爆テロ、脅迫、爆発物攻撃、強 姦、そして様々な災難は、新しい千年紀においても数十年にわたってイスラム国のテロの手口であり続けるでしょう。主なものは、前述のように世界中に広がるが、特にヨーロッパ全域と、まだ設立されていない連邦加盟国全体に広がっていく。そうなると、個々の独裁体制の加盟国は、少しずつ真の悪を認識し、臆病に反撃するようになる。今日から始まるすべてのことは、地球上のすべての国に影響を及ぼす。そして世界そのもの、つまり地球全体、自然とその動植物、自然のシステム全体、大気、そして特にすでにゆっくりと温暖化している気候に、甚大な不利益をもたらす。将来、特に第3千年紀の初めから、ますます頻繁にそして、完全に退化する自然大災害が発生し、地球上の人類に、彼らがもはやコントロールできない悪い未来を提供することになるでしょう。地上の世界観全体、地上の人々の性格、彼らの精神性、それゆえ彼らの行動、彼らの責任感、さらには彼らの人格、彼らの生存能力と生活の安定性は、悪、不満、怠慢、不穏、無関心、貪欲、そして悪意あるものへと変化していく。スイスも例外ではない。統治者や治安機関などの知識人の甘さのために、国を脅かすテロの危険性が認識されないため、免れることはできない。これは第3千年紀の宗教的信念を持つ、偽人道主義者が同様に、ヨーロッパ全土で新たに発生する災害に大きく貢献する。なぜなら、彼らの間違った宗教的人間性から何百人も何千人もの堕落した男女のテロリストに門戸を開き、彼らに安全な避難所を与えるから。しかしその後、災害、殺人、暴力、犯罪で報いられるでしょう。密かに成長するテロ組織の多くの宗教マニアが、多くの国に忍び込んだり、難民を装ったり、観光客や移民として公然とヨーロッパに入国し、災害や死、破壊を撒き散らすでしょう。スイスは、このような移民を免れることはできないでしょう。また、ヨーロッパのすべての独裁政権国家がそうであるように、宗派の変更の結果として、冒険や殺人への渇望から自国民までもがイスラム教に改宗するという事実を免れることはできないでしょう。しかし、地球上の他の国々と同様に、特にヨーロッパはそれによって深刻な影響を受け、ドイツの愚かな統治者とこれらすべての支持者が責任を負うことになるが、いつものように責任を問われることはない。しかし特に、多くのヨーロッパ人自身がこれに巻き込まれ、主に非現実的な若者や大人を中心に、イスラム教から完全に異常な形で出現するテロ組織やその信仰に目を向け、参加することになるでしょう。人間の理不尽さは、今後数十年のうちにとてつもない質量の地球人類を出現させ、それは次の千年紀の最初の世紀の半ばには100億人に達するでしょう。今後数十年の間に、非常に大量の人間が猛烈な勢いで生まれ、地球は犯罪的なまでに人口過剰になるでしょう。これは、実在しない親愛なる神が行け、そして増やせと言ったとされる聖書の嘘に自由に従っている。人々が病的な妄想に陥り、このナンセンスなものを信じ、愚かにもそれを信頼し、現実と真実に盲目になる嘘、また将来的にも彼らは説かれた嘘に従って、見返すためにテロを起こし、恐怖、殺人、殺害、拷問を行うでしょう。偽りの殺人的な宗教的教えに盲目的に従うことで、宗教的・宗派的な嘘の妄想に悩まされた信者たちは、彼らの宗教的惨事を全世界にもたらす。太古の昔からそうしてきたように、信者は宗教や宗派に従う。そして彼らはこれからもそうし続け、すべての邪悪な宗教や宗派の嘘に従うでしょう。信者たちは、太古の昔からそして未来においても、完全に狂った、良心の呵責を感じない宗派の善人、陰謀家、宗教的テロリスト信仰の狂信者たちに耳を傾け続けている。彼らは、テロリストの軍隊や破壊部隊を構築する司令官を作り上げ、そのメンバーや仲間たちは、信仰の妄想によって良心の呵責を感じない殺人マシーンとなり、組織化された殺人部隊や分派、あるいは狂信的な個人の加害者として罪のない人々を殺し、大混乱を引き起こす。そしてこれが、地球人類の未来になるでしょう。なぜなら意図的に、あるいは無差別な方法で、災害、殺人、破壊、薬物中毒、犯罪、罪、そしてあらゆる種類の人間の堕落が地球上に無秩序に広がるから。なぜならば、40年後には、地球全体の世界で大きなカオスの時代が始まり、第3千年紀では、無政府主義的な特徴を持つようになり無法状態への扉と門を開き、地上の人々の間で名誉や尊厳の知識が失われ、彼らは慎重さや判断力、そして正しい決断の感覚が失われるでしょう。彼らの知性や理性を失った結果、思考能力も失われ、あらゆる種類の薬物、お祭り、快楽、お金、旅行、サッカー、スポーツ、音楽などと呼ばれるような不調和な喧騒など、様々な中毒にのみ彼らの欲望を向けるようになるからである。地球の人類の過剰な増加に伴い、すべての自然システム、動植物、そして気候が大きく破壊され、脅威にさらされた全滅の瀬戸際に追いやられるようになる。地球は短期間ですでに人口過密になり、将来的には自然、動植物、気候の破壊が急速に進み、人類の豊かさは無数の新しい子孫を妊娠して産むことですべての害を駆り立て、今後、地球と人類を支配することになる。そしてこれは、地球や自然、動植物やそのシステムすべてを搾取することで満たさなければならないという、あふれんばかりの人類のニーズによる策略の結果であり、それによって気候も影響を受け、果てしない策略全体によって、すべてが大きく破壊されることになり、特に人類が発する熱放出によって、気候がほとんど崩壊する。そしてこれは、地球上の人類によって将来行うことでしょう。なぜなら、彼らは過度の繁殖の結果として論理的思考を失い、それによって愚かさに陥り、おそらく自らを死に至らしめることになるから。詳細な説明によると、人為的に放出される熱は、人間によって放出される有毒ガスであり、他の自然な放出とともに大気中に拡散し、気候変動を引き起こす気候の温暖化障害の最も重要な原因となっている。何世紀にもわたって、あらゆる種類の大規模な火災や、非常に有毒な排気ガスを発生する素材を使った調理や暖房など、人為的または人間に起因する排出物の影響から、大気や気候に悪影響を及ぼしてきたと教えられている。教えによれば、1844年に始まったとされる近代は、技術の途方もない急速な発展とともにそれ以来、熱の放出量は増加の一途をたどっており、世界の人口増加に比例して、その割合はますます大きくなっている。主に二酸化炭素で構成される人為的熱排出量のこれまで以上に広範囲で急速な増加(CO2:二酸化炭素または炭酸ガスは炭素と酸素の化学化合物に相当し、不燃性で酸性の無色透明な有毒ガスを形成する)と酸素が存在すると、気候が途方もなく混乱に陥るだけでなく、このような変化をもたらすことになる。地球上のさまざまな属や種類の動植物に破壊や絶滅、さらには自然消滅を引き起こす変化をもたらす。しかし何よりもまず、薪、石炭、そして後には石油や油を使用する無数の暖房システムから出る何十億トンもの排気ガスが地球の大気に影響を与える。しかし、小型船から巨大船、あらゆる種類のスポーツカー、無数の作業機械や乗り物、航空機は、人類自体に自然全体その動物相、植物相、そして一般的なすべての自然システム全般にとっても、致命的な災害と果てしない破壊をもたらすでしょう。気候変動とは、簡単に言えば地球人類の過ちを通して人口が何十億人も過剰となり、地球とそのすべての自然システムを破壊的に全滅し、そして完全に退化させる操作の結果、1947年から始まった今日、すでに帯状の冷却または温暖化が起こっており、それはさまざまな長い期間にわたって継続するでしょう。すでに今年のこの異常に暑い夏は、ここニーダーフラッハ/ビューラッハで、温度計が別の場所にある他の2つと一緒に、現在太陽に向かって直接46.8℃を示しているが、これは地球上の4つの気候帯すべてが影響を受けることになる、来るべき急速な気候変動の前兆と言えるでしょう。したがって、来るべき時代の流れの中で第3・第4千年紀の遥か未来に至るまで、あらゆる気候の中で原始世界に隣接する変化と状況が起こるでしょう。それは次のようなものである。北極気候帯(寒冷帯) 温帯気候帯(中間帯) 赤道気候帯(ベルト帯) 南極気候帯(寒冷帯)地球人類が不謹慎で無責任に地球、自然、その動植物、そしてすべての自然システムに操作を加えることで引き起こされる人為的な気候破壊は、すべての世界地域に影響を及ぼす。また、北極と南極の極冠の氷が同じように急速に溶け、それによって小川や河川が暴風雨とともに破壊的で致命的な大流に変わり、ちょうど湖や海面が上昇し、多くの人が住んでいる肥沃な土地の多くが荒れ狂う洪水に引き裂かれるのと同じである。様々な地域で、極端な異常気象や降水量の増加がますます頻繁に発生するが、他の地域では、非常に低い気温の寒波が増え続け、同じように破壊的で致命的な現象が発生し、ほかの地域では、猛烈な熱波によって引き起こされる極端な干ばつが発生するでしょう。そして、過剰な人口による人間の罪過によって発生し、今後も発生するであろうこれらのすべて出来事は、誰もその警告や予言に耳を傾けないため、もはや止めることができず、その結果、すべての予言された災害はその通りとなり、多くの死、破壊、消滅、絶滅も同様にあらゆる種類の苦難、苦痛、大きな悲しみ、あらゆる種類の不幸をもたらすことになるでしょう。Eduard Meier, Niederflachs 1253, May 16, 1947二酸化炭素または炭酸ガスは、炭素と酸素の化学化合物であり、分子式はCO2、不燃性、酸性、無色の気体である。それは水によく溶けるので、俗に炭酸と呼ばれることがあるが、特に二酸化炭素を含む飲料に関連して、口語的にそれはしばしば誤って炭酸と呼ばれることがある。塩基性金属の酸化物または水酸化物とともに、炭酸塩と炭酸水素塩という2種類の塩を形成する。CO2は地球上の炭素循環の重要な一部であり、空気中の天然成分として、地球大気中の主要な温室効果ガスである。人間の活動、特に化石燃料の燃焼によって、地球大気中の割合は工業化初期の約280ppmから2018年には407.8ppmまで約2倍に増加した。2019年5月、ハワイにあるNOAAのマウナロア観測所では、月平均で約415ppmを記録した。これは引き続き増加傾向にある。これにより温室効果を増幅させ、現在の地球温暖化の原因となっている。人間の活動によって、毎日約1億トンの二酸化炭素が大気中に放出されている(2020年現在)。CO2は、酸素が十分に供給されている状態では、炭素を含む物質の燃焼中と、細胞呼吸の産物として生物の体内の両方で生成される。植物や藻類、一部のバクテリアや古細菌は、固定化(二酸化炭素同化)によって二酸化炭素をバイオマスに変換する。光合成の際、無機質のCO2と水からグルコースが生成される。CO2には毒性があるが、例えば空気中の濃度や量、あるいはレモネードなどの摂取によるものでは到底足りない。技術的にも幅広い用途がある。化学工業では、例えば尿素を得るために使用される。個体のドライアイスは冷却剤として使用され、超臨界二酸化炭素は溶媒や抽出剤として使用されている。人為的(人工的)な温室効果とは、大気中に濃縮される二酸化炭素(CO2)、メタン(CH4)、亜酸化窒素(N2O)およびその他の合成ガスの排出量が急激に増加したことによるものである。これらの長波長光線は地球を暖め、平均気温を約18℃にする。このプロセスは、ガラスの家が暖まることに例えられ、温室効果と呼ばれている。二酸化炭素、メタン、水蒸気など、2つ以上の原子を持つ気体分子は、赤外線を吸収することで地球の大気中に熱を蓄える。結果として生じる大気の温暖化は温室効果として知られており、その原因となる微量ガスを温室効果ガスという。温室効果ガスとは、大気中の気体成分で、いわゆる温室効果をもたらすものである。その際、それらは地表や雲、そして大気自体から放射される長波長の放射線(熱線)を吸収する。 温室効果ガスとは、大気中に存在するガスで、地球からの熱放射を吸収して地球に放射することができる。温室効果ガスには次のものが含まれる。二酸化炭素(CO2):木材、石炭、ガス、ガソリン、灯油、ディーゼル燃料など、いずれが燃焼のたびに発生する。第757回会見
2021.04.22

マインドクリアリング世界人口過剰解消会議と新しいウイルスの生体への影響無限であり、不変なものだけが、真理と知恵である地熱発電で惑星の全エネルギーを賄えたビリー 今、私が感情的な行動について語るならば、私は望むと望まざるとにかかわらず、このことについて立ち上がって表明しなければならず、実際にこの呼称にはほとんど異論がないと言わなければならない。なぜならば、オイゲン・ブロイラーがスファートから学んだことは大体正しいのだが、それによっていくつかのことを十分に理解しておらず、その結果、スファートが何年もの間、私に心理学を教えてくれたときに説明してくれたように、心理学と精神医学の不完全な部分をそのまま地球人に教えてしまった。というのも、スイスの精神分裂病の研究者であり、精神分析医であるブロイラーが教えてくれたことよりも、あなたの父であるスファートから多くのことを学んだから。情動性が残念ながら今日でも完全には正しく理解されておらず、そのため教え方も不完全であるという事実は、情動性が認知過程を伴わない短い衝動のような感情的な興奮にのみ対応し、したがって感情的な生活と気分的な生活の全体にのみ対応し、ゆえに情動、感情、気分、意欲にのみ対応するという事実に基づいている。しかし、私の観点からすると、このような感情的行動の解釈や説明は、実際の感情的プロセスの全体像とは完全に一致しないため、部分的には受け入れることができる。一方で、心の人生は精神の状態で誤って定義されている。というのも、心は精神の特定の状態に対応しているのではなく、まったく異なる何かに対応しているからである。ただし、この点については、話が飛躍しすぎてしまうので、ここでは触れない。他の多くのものと同様に、特に心理学では多くのことが誤解されている。例えば、感情についても誤って説明されていたり、正しくなかったり、不完全だったり、同じように間違って評価されているし、愚かな構築全体と心理テストの使用なども同様である。つまりこれは、感情という誤った教えにもあてはまることで、それは感情の全体と認知プロセスのない心の生活にのみ限定されているから。これは、思考の世界に加えて、感情と精神という結果的な要素が目の前に置かれているにもかかわらず、それなしには行動が全く起こらないという。したがって、思考が起こらなければ、感情や精神的な動きも起こらず、その結果、ネガティブであろうとポジティブであろうと、いかなる種類の感情的な動きも起こらない。その結果、否定的であれ肯定的であれ、すべての感情は先行する思考を必要とし、そこから最初の動きが形成され、それから必要な感情が生まれ、さらにそれ自体に対応する動きが生成され、それがさらに形成されて精神に影響を与え、先行する思考や感情の肯定的または否定的な方法に従って精神を整える。つまり、ネガティブであれポジティブであれ、どんな感情も、意識的または無意識的な対応する思考や感情、そして精神の状態に依存していることを意味する。ただしこれは、情動状態が鋭くなったときにすぐに先行するのではなく、すでにそのずっと前から、つまりこのような対応する思考や感情、そしてそれらによって破壊された心理状態は、もっと前に発生していたものであり、それが蓄積されて保存されている。そして、この蓄積はキャラクターの永続的な記憶の中で行われ、生涯にわたって残り、適切な、あるいは不適切な機会に影響を与える感情行動の引き金となる。その結果、これらは間接的に、何時間も、何日も、何週間も、何ヶ月も、何年も、何十年も前に生じた意識的あるいは無意識的な思考や感情、そして精神の状態に基づいている。その後、そのすべてが処理されず解決されなかったため、キャラクターの永続的な記憶に保存され、生涯のあらゆる機会に感情を呼び起こすために、適切または不適切な瞬間ごとに感情的に爆発する。それぞれ考えることや思考は、認識の意味で制御されなければならないということを意味するものではなく、したがって、理性や知性によって制御されなければならないということでもなく、思考全体が合理的で論理的な方法で処理されなければならないということでもない。つまり結果として、意識的に行動を制御して情報を変換する必要がないことを意味する。だから原則として、思考、感情、精神の状態は、場合によって意識的であったり、無意識的であったりするが、決して潜在意識ではなく、意識と潜在意識は異なる要因であり、これは明らかに地球の心理学では知られていない。つまり、意識的な活動が行われる場合には、必然的に意識的な思考とそれに対応する感情が先行することになる。しかし、情動の行為として、すぐに、突然にいわば制御できないほどの閃きが起こるような情動が発生した場合、これには必然的に無意識の思考と、同様に無意識の感情と、それに対応する精神状態が先行することになる。このようにして、単独で感情が発生する。つまり、以前の思考、感情、精神の先行する動きを意識的に認識することなく、異常で爆発的な反応行動や短絡的な行動が起こり、その発生と順序は実行者がコントロールすることはできない。それぞれをコントロールできないという。このように感情の爆発をコントロールできないのは、通常、恐怖、怒り、激怒や憤怒、嫉妬、失望、不快感、復讐心、報復などが原因である。無意識のうちに(地球の心理学には知られていない)感情的に影響を与えるキャラクターの永久的な記憶に保存されており、そしてそれらを解消しようとする努力がなされなければ、あらゆる可能なまたは不可能な機会に、常に制御不能な状態で勃発することになる。感情の意識的な解消がない場合、必然的に特に、個人的に攻撃性から解放されるための努力をしていないイライラした人の間で、感情の爆発が頻繁に発生することになる。多くの場合、このような人たちは、攻撃性の影響が邪悪な方法で支配的要素となり、その結果、殺人や過失致死、暴力が行われ、復讐が行使され、報復が要求される。さらなる影響は、パニックの発生、パートナーとの衝突、自殺行為、自発的な性格の悪化、逃避反応、また嫉妬、憎悪、敵意、性的な行為、哀れみなどの状況でも発生する。病気、苦しみ、期待、希望、考え、感情、仮定などに関連して。感情は激しい興奮と精神の動きによって引き起こされるという地球の心理学的主張、異常な心理的緊張が生じる状態は無意味である。なぜなら感情は、外部の出来事や内部の心理的なプロセスによって引き起こされる一時的な精神の興奮や感情の高まりには何ら対応しない。しかし、情動や感情という感情の全体は、それぞれに影響する。感情的行為は、認知的プロセスを伴わない短い衝動的な感情的興奮と、そこから生じる情動、感情、気分、本能などの感情的な生活と心の生活の全体ではなく、全体が、意識的または無意識的な思考、感情、精神状態からのみ起因しており、それらは以前にキャラクターの永続的な記憶に蓄積され、感情的に爆発的な方法でそこから放出されたものである。さらに、そのような感情的な行動は、これも言わなければならないが、道徳的な気分、行動、または悪い気分などには対応しておらず、通常は数時間、数日、数週間、数ヶ月、場合によっては数年続き、習慣にさえなり得る。それぞれ、情動、感情の爆発、あるいは感情的な行動は原則として、短時間の昔ながらの思考・感情・精神の高まりに対応している。過去のある時点で、意識的に激しい興奮を引き起こし、沸騰して燃え上がり、制御されていない激しさと人間の無関心の結果として、人の永続的なキャラクターの記憶に蓄積されるだけでなく、繰り返し感情の爆発を起こしてきた。プター あなたは、さまざまな事柄や分野での知識で何度も私を驚かせる。それは、あなたの知識だけでなく、あなたの手作業の技能についても考えさせられる。ビリー これは完全に普通のことで、何の問題もない。あなたのお父さんのスファートと私の人生では私にとって良い教師だった。プター、しかし、私が知っていること、できることは、それを学ぶ機会があっただけで、特別な知識や技術ではないことは確かだと思う。最終的には、どんな人でも、自分の人生や経験したことすべてを学ぶことをいとわず、生きようとする意欲があれば、それを身につけることができる。経験を、意識的に知識として獲得する。そして、その人が本当にそれを実行し、それをやってのければ、自分の技術の面でも多くのことを知り、理解し、実行することができる。そうすれば、そのような人は努力しない人と比べれば、知っていることもできることも少し多いが、だからといって特別視する必要はない。私たち地球人は、単にこのような人を万能者と呼んでいるが、このような人は知識や能力が多少高くても、生涯を通して学び続ける人々でもあるといえる。 プター 与えることができないだけで、それはおそらく価値がないでしょう。 ビリー 何? プター 大丈夫、気にしないでください。予測について話をしたが、私が見つけたこの予測は...。しかし、もしあなたが1947年に書いた、父の遺産の中から見つけたこの予言を欲しがるなら、私はそれを回収して今すぐあなたに渡すことができる。 ビリー もちろん、話に出てきた予知夢では家の中で追跡できず、どこかに消えてしまっているからね。ベルナデットは今、その一部を見つけたが、これは彼女がコンピューター上で私に向けて発した次のものだけを見つけた: 1947年9月7日、エドゥアルトから連邦評議会への手紙上記のすべては、スイス国家によって容認され、それにもかかわらず私たちの祖国を中立で平和なスイスと偽って呼ぶ犯罪に対応するもの。しかし、お金儲けのために、世界中で戦争や殺人の材料が売られ、多くの人々が殺害され、甚大な破壊が引き起こされているとき、高く評価されている中立性や自由はどこにあるのでしょうか?これは、ビューレ社が第二次世界大戦の開戦前から戦時中にかけて、利己的な金銭欲からすでに行っていたことであり、他のスイスの軍需品メーカーが政府の許可を得て行っていたことと同様に、現在も継続して行われている。彼らはナチス政権に軍需物資を供給すると同時に、同じく犯罪者である米 国にも軍需物資を供給している。米 国は世界征服に熱中しており、すべての国家を服従させようとしている。そのため、これからは世界中の争いや反乱、戦争、破壊を促進するためにあらゆることを行い、最大の核保有国になろうとしているが、これは新しい千年紀にも続くでしょう。その過程で、米 国がすでに世界の多くの国でなくてはならない存在になっているとき、ロシアと中国はますます米 国に挑戦することになり、スイスもまた、主に最前線で第一位の米 国と同様に、犯罪国家と武器取引を行うので、犯罪的にこれを支援することになる。これらの取引は、世界中の何千万人もの人々に死と不幸、破壊と消滅をもたらす殺人的な取引であり、スイスも武器輸出で大きな責任を負うことになる。世界の多くの国で起こり続けている戦争やテロ活動、そして今後発生するであろう大規模な殺人、横行する不幸、飢饉、さらに伝染病などは、何十万、何百万もの人命を奪い、難民の波を引き起こすことになるでしょう。Eduard Meier, Niederflachs 1253, Bülach/ZH プター あなたはこれを、スイス連邦評議会への予言の序章として、父がノートに記したように、世界に広めることを目的とした予言とともに書いたのだが、私はこの予言を見つけることができなかった。私が今見つけたあなたの他の予測は、あなたが連邦評議会で策定したものの中に導入されていない。 1947年5月16日の日曜日に行われたこのもう一つの広範な予言は、その内容が非常に多岐にわたっており、複数の予言に対応しているだけでなく、私の人生でこれまでに遭遇したことのないものでもある。私が言わなければならないことは、私の心を動かし、表現しなければならない考えに対応しているので、どうか邪魔しないでください。当時、あなたがすべてを書いていたとき、あなたはわずか10歳の少年だったが、あなたよりもはるかに年上の大人たちが何人も手伝ってくれていた。父は、あなたを少年として判断するのではなく、多くの大人よりもさらに考え、理解し、論理的に判断する大人として判断するようにと言っていたが、それにしても、当時のあなたの若さで成し遂げられたことは、私にとっては驚き以上のもの。幼い頃から親に育てられ、生活に必要なことを教えられてきた私たちでさえ、長い人生の中でこれほど似通ったものは知らない。さらに、あなたが集めたすべての情報は、単純な予測以上のものに非常に合致している。その上、全体の中には、ある時間名のついた来たるべき出来事への言及があり、それは今後数十年から千年の終わりまで、年単位で詳細に述べられている。では、今からそのノートを再現する。軍隊や組織の支配者、権力者、その他すべての責任者、すべての首長、指導者、ローマ法王、すべての宗教や宗派の説教者や牧師、そして地上世界のすべての人々へ。 私はまだ10歳の少年だが、地球上の人類に恐ろしく邪悪な変化をもたらすことでしょう、来るべき時代についての知識を持っており、それを予言的に書き記して世界に広めている。なぜなら、人間は良い方向に変化せず、ますます堕落し、互いに無関心になり、疎外感を抱くようになり、金に貪欲になり、宗派にこだわるようになるから。最初に言っておかなければならないのは、私はまだ言語や文章について広範な教育を受けていないということ。だからこそ、私が言わなければならないことや説明しなければならないことを、私の目的に応じて私が予見して伝えたいことを文章化するためには、5人の大人で高い教育を受けた友人たちの助けが必要なのである。また、私の予言が英語、イタリア語、フランス語に翻訳され、複製され、彼らの資金援助によって各国に送られるようになったのも、彼らの助けによる。これは、地球上のすべての国の父親と国の指導者、すべての国の有名な重要な日刊紙の編集局、経済、宗教、民間の重要な組織、軍隊の指導者、記者、ローマ法王、有名なジャーナリスト、さらには特派員、レポーター、当局、ラジオ局、テレビ局などに向けたもの。Eduard Meier, Niederflachs 1253, Bülach, 6 June 1947現在から未来にかけて地球上で起こるすべてのことは、これから膨大に増えていく地球人類が引き起こす犯罪に対応しており、すべての政府がまったく無責任に推進し、容認し、また人々自身が誤った、利己的な、理不尽な方法で、理解も理由もなく押し進められている。そのためには、地球上にあふれかえる膨大な人口過密が第一の原因となり、その無数のニーズによって、制限のない災害が引き起こされ、地球全体に広がることになる。今日、私はオーバーポピュレーションという言葉を作ったが、これはずっと未来に引き継がれ、まだ理解力や理性のあるすべての人々の間で、世の中から排除できないキャッチフレーズになるでしょう。未来の非常に早い段階で地球に溢れた人類は、今から、地球上のすべての国のすべての完全に無責任な政府の協力を得て、地球上で、場所で、大規模で広範囲な破壊を今までになく推進している。また、将来的には、何百万ものあらゆる生命体の世界全体で、破壊と絶滅が起こるでしょう。その結果、自然界の多くの属や種、その動植物、それぞれ全植物界、全動物界、その他の生物、空気、森、草原、牧草地、野原、庭園、沼地、さらにはすべての山、泉、小川、湖、川、海、北極、南極、砂漠、原生林などが破壊され、消滅し、絶滅する。そして、今から第3千年紀の初めまでの間だけでも、1,400種以上の生物に影響を与え、様々な属とその種が完全に消滅してしまう。しかし、新しい千年紀においても、この種の破壊、消滅、絶滅は続き、数十年後には200以上のさらなる絶滅という悲しい結末を迎えるでしょう。鳥類、哺乳類、その他の動物、生命力の強い昆虫、蜂、蝶、スズメバチ、魚など様々な生物が完全に絶滅してしまうと、人間にとって重要な食用植物の受粉や受精ができなくなり、実を結ばず、時間の経過とともに枯れてしまい、絶滅してしまう。人の手で直接受粉させるだけでなく、人工的に受粉させる努力もするが、それでは長期的には重要な食用植物の受粉問題は解決しない。根本的には、過剰に成長している地球上の人類の食料調達に関しては、食糧そのものの調達が最大の問題であり、そのためにはより多くの食用植物を栽培しなければならず、そのためにはより多くの肥沃な土地が必要となるが、まさに人類が増えれば増えるほど、その土地は常に少なくなっていく。人間の成長に伴い、必要なもの、不必要なものが次々と生まれ、それは人間が新しく生まれるたびに増えていく。そしてこれらのニーズは、今日すでに存在し、太古の昔から存在しているが、今日だけでなく、将来においても何らかの方法で満たされなければならない。なぜならばこれから到来し、地球上に人口を過剰に増やしていく人類は、限りなく貪欲で、快楽に溺れ、休日や旅行に溺れ、また、無意識のうちにお金を欲しがり、さらには、自分自身のために必要なすべてのニーズを限りなく独占してしまうから。そして将来的には、これが生活環境全体を悪化させ、強力になりつつある人口過剰による自炊にも影響を与えることになり、その結果、必然的により多くの食糧を栽培し、収穫し、加工しなければならなくなる。これに加えて、すでに数十年後にはすべての自然食品ではもはや十分ではなく、お腹を満たし、空腹を満たすが、病気や苦しみをもたらす化学的に製造された食品を使わなければならないという事実もある。食糧の自然栽培は、すべての土地、すべての草原、畑、牧草地、湿地、そして小川、川、湖、池、海などのすべての水、さらには山や地球そのものを、強奪し、略奪し、その結果、ゆっくりと破壊していくことでしか行われない。これに加えて、あらゆるものが健康を害する化学毒物で汚染され、食物の植物や人々、自然やその生命体、さらには地下水やすべての水を汚染するだけでなく、大気も汚染される。その結果、無数の人々が重度の病気や、将来一般的になるであろう重度の不治の病である癌など、体中に伝染することも稀ではない病気に悩まされる。食糧需要の際限のない増加に加えて、将来的にはより多くのあらゆる種類の商品を生産しなければならない。一方では、出現しつつある大量の人類の欲を満たすために、他方では、そのために必然的に発生する産業と経済を発展させ、それによってのみ将来のすべてを保証する。将来的には、地球、すべての自然システム、動植物、そして気候が、人類の過剰な質量の増加に伴って大規模に破壊されることは避けられず、おそらく差し迫った崩壊の端緒に至ることは避けられないでしょう。地球はあっという間に人口過剰になり、将来的には地球上の広い範囲が食用のために乱獲されて不毛の地となり、広大な森林や原生林が無責任に伐採され、完全に破壊されることになるでしょう。原生林は基本的に有害な熱放射を吸収して気候の温暖化を防ぎ、大気中の湿度を調節して降雨量などを調整している。しかし、伐採された森林や原生林は、表面の肥沃な土壌が20〜30cmしかなく、それを農家などが植えると2年ほどで溶出してしまい、使い物にならない耕せない荒れ地、非生産的な土地になってしまう。これが乾いて消え去り、すべてのものが枯れ死んで、森が枯れて、黄色くなって、発育が悪くなって、完全に荒れ果ててしまう。そして、それが新たな森林や原生林の伐採につながり、何度も何度も繰り返されることで、気候は否応なく影響を受け、ますます温暖化していく。将来、栽培され、収穫され、加工され、市場に出されるものは、人類の質量が増え続け、急速に成長した結果、やがて過酷な肉体労働ではなく、機械や設備によってのみ行われるようになるでしょう。そしてそれは、今日では考えられないような新しい発明に基づいた、さらに高度な電子技術によってのみ、すぐに可能となり、それはすべての作業や処理の手順が自動化されるでしょう。しかし当面は、第3千年紀まで続くでしょう、様々な種類の動力機械が多く使われ、それらは何十年も、そして新しい千年紀まで様々な仕事の分野で使われることになるでしょう。園芸に始まり、道路清掃、農業、道路工事、建築工事、鉱業、石油生産、石炭採掘などなど。地球上の石油から得られた燃料を使って、世界中で昼夜を問わず無数の爆発エンジンを稼働させることで、膨大な量の熱放射と排気ガスが発生する。これらは、人間の健康を害し、自然界の生命体にも負担をかけ多くの人を病気にさせるが、一方で、特に気候は深刻な障害を受け、不自然な気候の温暖化が強く起こり、そこから世界的な変化の結果、それによって巨大な自然災害が発生しているため、非常に深刻である。原始的な嵐や壊滅的な暴風雨、洪水、地滑り、土石流、落雷による大規模な森林火災や住宅火災などは、もはや世界中で避けられないでしょう。これらのことは、計り知れない経済的損失や人類の業績の破壊をもたらすだけでなく、様々な価値観の完全な破壊、多くの不幸、苦痛、悲しみをもたらし、多くの死を悼まなければならず、例えば、すでに効果を発揮し始めている気候変動のために、第3千年紀の初めまでに何十万人もの人々が自然災害の犠牲になるでしょう。例えば、1959年に1,900人以上の人命を奪うメキシコのハリケーンのように、今世紀中に発生する可能性のあるものは、いくつかしかない。その11年後の1970年には、東パキスタンでサイクロンにより34万2千人が亡くなり、そのわずか2年後には、ペルシャで異常な吹雪により5,900人の死者が出る。また、1975年には台風で約16万人の命が奪われ、中国は大きな苦しみと悲しみを背負うことになる。そして5年後の1980年、米 国では42℃以上の熱波で2,400人以上の人が亡くなる。いつの時代にも自然災害はあったが、地球の資源を搾取・乱用してすべてを破壊する人類の無責任な操作によって今後起こるであろうことは、これまでのすべての出来事を凌駕している。自然全体の膨大な部分とその動植物、そして熱帯雨林、草原、畑、田畑などの自然環境、さらにはヨーロッパの気候を左右する中央アジアの約7万平方キロメートルの広大な塩水域アラル海などの水域が破壊され、消滅することは深刻な結果をもたらす。数十年後、すなわち第3千年紀の初めまでに、アラル海は水の引き揚げによって恒久的に脱水状態に陥り、湖上、周辺、水中に生息するアユ、コイ、鯛、パイクパーチ、マイレンケ、ブルタマイバーベル(Bulatamai-Barben)、ミナミヌマエビなどの魚類やその他の生物が絶滅することになる。将来的に世界中で巨大な自然災害を引き起こすでしょう、今後出現する邪悪な行為である気候変動の全体は、全世界に溢れる人類の質量にのみ起源とする結論に基づいており、それによって地球上および地球内すべてのもの、すべての自然システム、膨大な数の動植物、すべての水域、すべてのもの、すべての人が破壊的、消滅的、絶滅的な操作によって破滅させられることになる。地球温暖化の原因は、常に成長し続ける人類にあり、前述の熱の放出だけでなく、何よりもまず、あらゆる種類の無数のニーズを満たさなければならないという人類の執着によって発生する。したがって、彼らの欲求を満たすために、すべてのものが自然の秩序の継続的な存在に向けられるため、地球、自然全体、動植物のすべての生物の犯罪的な操作によって、すべてのものが破壊的、根絶的に破壊され、地球全体の惑星上でかつて繁栄していた生命がゆっくりと停止するようになり、また、人類の過失によって気候が温暖化し、将来的に地球上のどこかで毎日のように自然の大災害が起こり、災害を引き起こすようになる。この点で来るべき時代には、人間が出現して以来、地球上で起こったすべての破壊、消滅、絶滅を上回ることになるでしょう。すべての働く機械の有害な熱の放出に関する限り、これらは公共交通機関の様々なモーター化された手段、自家用または業務用の自動車、飛行機、船舶、働く機械、ヒーターの使用、花火、ゴミ、ゴミ捨て場、森林、原生林、炭鉱、泥炭地、生い茂った乾燥地、その他あらゆる種類の火災、落雷、放火、火払いなどによって、その質量をさらに増加させる。これらの要因は、すべて気候に破壊的な影響を与える。また、地球の肺ともいえる熱帯雨林の無責任な伐採や焼却は、地球全体の気候を左右するが、森林資源への破壊的な介入の結果、ますます機能しなくなっている。これは、溢れかえる人類のあらゆる種類の多様なニーズに関する要求によるもので、彼らは自分たちのニーズを満たしたいと思っているが、それは地球という惑星、すべての自然システム、動植物を含む自然そのものそして気候は、破壊的な方法で嫌がらせを受け、破壊され、損なわれる。しかし、将来的には、爆発エンジンで作動する機械や乗り物などを何百万台も使用するだけでなく、無限に増え続ける地球の巨大な人口を養うために、何百万トンもの病気の原因となる化学毒物を無思慮に食用作物に散布することになるでしょう。そしてこれらの毒物はまた、自然や動植物にも大きなダメージを与えることに貢献し、それは多くの属や種の動植物を破壊し絶滅させてしまうことにつながる。そしてそれは、容赦なく増加する人類の質量に比例して着実に増えていくでしょう。これだけでなく、贅沢の必要性、旅行、快楽、悪徳、中毒、その他の数え切れないほどの執着の欲求、特に必要な食べ物に対する欲求が、すべての人口過多により増加していくでしょう。しかし全体としてこれが、地球温暖化の真の原因となり、それに伴う甚大な自然災害の結果としてあらゆる破壊を引き起こすことになる。このことは、溢れる人類の犯罪的な破壊的操作によってもたらされるすべての破壊、消滅、および絶滅の主要な原因とともに、これから起こるすべての悪や大惨事、未来の退化の本当の明確な理由を示している。将来的に急速に増加する気候変動と、それに伴うすべての非常に悲惨な自然災害は、間違いなく必然的に訪れ、途方もない破壊、絶滅、災害を引き起こし、多くの人間の命を奪うことになるという結論は、したがって、単に自然や気候を破壊する熱放射に基づくものではなく、根本的には圧倒的な数の地球人類と、そのすべての自然システムや動植物のすべてを破壊的に操作することにある。そのためには、数年かけて世界規模で制御された避妊を通して、それに続く、厳しく制御された避妊を通してのみ可能となる。地球は理想的には約5億2,900万人の人口で設計されているが、過剰な25億人以上の人口に対応することはできない。地球人類は、自分自身のためだけでなく、共生してこれに適応し、調和と平和を保つ必要がある。すべての自然のシステム、動植物のすべての自然の生き物を有する地球。それも、破壊的、消滅的、根絶的な影響を与えることなく。繰り返しになるが、森林や熱帯雨林の木を伐採したり、他の植物を駆除したりすることで、排出される熱を吸収することができなくなると言わざるを得ない。その結果、これらの有毒で気候に悪影響を与えるガスは大気中に蓄積され、世界中に拡散していく。これは、気候の温暖化や有害な影響を与えるだけでなく、すべてが必然的に自然災害につながるでしょう。巨大で破壊的な暴風雨、原始的な雨、雹や雪の嵐、砂嵐、そして氷河や南極と北極の永久凍土の融解が、今日すでに始まっている。しかし将来的には、すべてのものが非常に急速に増加し、ますます悪くなる。つまり、数え切れないほどの新しい子孫を目の当たりにし、産み出すことによって、人類の過剰な集団が、今後、地球と人類にはびこり、支配するであろうすべての災いを引き起こすことになる。そしてこれもまた、地球や自然、動植物やそのシステムすべてを搾取することで満たさなければならないという、あふれんばかりの人間の欲求による策略の結果であり、それによって気候やその他すべてのものを無制限に破壊することになる。特に、熱の放出が重要な要因となるが、それは人間が作り出すものであるため、気候を崩壊寸前まで追い込むことになる。そしてこれは将来的に、地球上の人類によって必然的に行われるでしょう。なぜなら、人類は過度な繁殖の結果として論理的思考を失い、その結果、愚かさに陥り、場合によっては自らの命を落とすことがあるから。これから人々は、自分自身に対しても、仲間に対しても、自然やその動植物、自然のあらゆるシステムに対しても、そしてすべてのものにますます無関心になっていくでしょう。これからの時代は、家庭はもちろん、路上や学校など、あらゆるところで喧嘩や不法行為が蔓延していくでしょう。特に家族内での殺人行為は政策上のやり方だけではなく確実に増加するが、特にヨーロッパに移民・密入国した難民による宗教的憎悪の結果として常に増加していく。彼らは、アラブの犯罪、殺人、狂信的なテロ組織に所属していたり、その組織に共感したりしている。その結果世界中に広がっている、礼拝所や信者、無防備な通行人、さらには治安部隊や役人などにテロを実行するテロリズムは、攻撃や殺人の増加を通じて大災害を広め、多くの悲惨と苦痛を生み出すことになる。これはヨーロッパに新たに出現した独裁政権の連合国は特に影響を受けるでしょう。しかし再び地球に戻ると、地球は空洞化し、自然の生息地のすべてのシステムが大々的に奪われ、取り返しのつかないほど破壊され全滅する。また、さまざまな種類や種の動植物の多くの形態の生物が完全に消滅し、苦しみや病気、伝染病によって多くの人々が奪われてしまうでしょう。すべての生息地は、際限なく増大するニーズと、その結果として猛烈に成長する地球人類のあらゆる破壊的な策略によって破壊され、また気候的な大惨事を引き起こすでしょう。未来は、自動車の排気ガス、森林や景観の大火災、あらゆる種類の熱放出など、あらゆる種類の有害物質による世界的な大気汚染と大気中の毒をもたらし、地球温暖化と気候破壊、すべての大陸での気候変動、さらには極地やすべての氷河、永久凍土の融解に関連して、危険な地球上のメタンガスがあらゆる場所で放出され、海底でも、海の温度が気候と同様に上昇するからである。このことはすべてが世界中のすべての政府とすべての人々によって容認されることになる。ただ、ヨーロッパでは連合の独裁政権が生まれ、ヨーロッパの多くの国がこの独裁体制に屈服し、次第に泥沼化していくことになる。また、愚かさに溺れた嘘つきで裏切り者の支配者や政党あるいはそのメンバーは、中立国であるスイスを、自分たちの祖国を、この独裁政権に裏切ろうとすることになるでしょう。理解しがたいことに法律で罰せられることのないこの恐ろしい危険な売国的試みに対して、1971年に出現する人民党だけが公然と反対し、他の党は完全にあるいは半分臆病になって身を隠すでしょう。しかし、中立性と自由が高く評価されているスイスが、愚かさと金銭欲の結果、裏切り者たちによって、この新興連合の独裁政権に強制的に売り飛ばされることになっている事実は変わらないでしょう。経済的な崩壊と中立性の無視の結果として、スイスは残念ながら外国での戦争と殺人の罪を負うことになる。すなわち、戦争と殺人の材料や武器、大砲、特殊な小型航空機を、兵器産業を通じて世界中に販売し、そのために反乱、内戦、テロ、戦争が繰り広げられ、それによって大勢の人々が殺害され、甚大な破壊が引き起こされることになる。これは、スイスのさまざまな企業や会社が、お金に対する利己的な欲から、開戦前や先の2つの世界大戦中にすでに行われていたことであり、今後も行われるであろう全体は、貪欲に支配された比類なき大きさの不謹慎さに他ならない。これは米 国の軍需品メーカーが政府の許可を得て行っていたことと同様であり、今後も継続して行われるでしょう。スイスはすでにナチス政権に戦争物資を供給しており、同時に世界征服に熱中し、常に多くの国家を従わせようとしてきた犯罪的な米 国 人にも供給していた。したがって、これからも世界中で紛争、反乱、戦争、テロ、破滅を促進するためにあらゆることを行い、援助と称して外国を侵略し、自分たちに縛り付けようとするでしょう。また、第3千年紀の初めからスイスの中立性は他の方法では無視され、いわゆる民衆の決議によって破られることになるでしょう。それも、平和ミッションを隠れ蓑にして、発生するであろう実際の状況を偽装して拳銃や長銃を使用することになる。外国での武力行使の平和ミッションには、機関銃で武装した軍人のほか、戦車やヘリコプターなどを加えて武力行使をする。これらの武装した平和ミッションやスイス軍のメンバーは、必要に応じて武器で身を守り、スイスの中立性の名の下に外国で人々を殺すこと以外には何もしないでしょう。米 国 人が広島と長崎に投下した犯罪的な原子爆弾の投下後、米 国は最大の核保有国になろうと目指しているが、やがて裏切りによって、ロシアや中 国、その他の国家も、致命的で破壊的にすべてを破壊するだけでなく、広い地域を汚染する核兵器や発電所を持つようになる。第3千年紀に入っても、危険な核の脅威が世界を支配し、恐怖を広め、冷戦時代の間に何度も核戦争の脅威が発生するが、今後75年の間に運命によって幸いにも防ぐことができる。米 国は、これまで他国への問題に軍事的干渉を通じて行ってきたように、世界の支配者になろうとするだろうし、それは新しい千年紀にも衰えずに続くでしょう。しかし、新しい千年紀では、中 国は世界に等しく進出し、権力を掌握するように努めるでしょう。広大な土地は、新しい千年紀に香 港と台 湾に再び到達しようと努力するのと同じように、中 国は今後数十年の間に、20億人もの拡大している人口に食糧を供給するために、世界中で広大な土地が買収されるでしょう。しかしその一方で、軍事力を持つ米 国の強者たちは、地球上に多くの災いを起こし続けることに休むことはない。なぜならば、彼らは無分別にも権力に執着しながら、邪悪な武力をもって多くの国々に軍事介入を通じて、世界中で自分たちが必要不可欠な存在であり続けるからである。武力による暴力、新しい千年紀の20年で、混沌とした政治の時代が米 国から始まる。この大統領は不正な票田買収、秘密裏の脅迫、嘘、誹謗中傷、偽りの約束によって自らを権力の座に就かせ、大統領の任期中には、その愚かさゆえに世界各国の支配者や国民の大部分を自らと、米 国に敵意を抱かせるという狂気に満ちた不謹慎な大統領による混沌とした支配の時代を迎えることになる。また、最終的には彼は、自分の党内でも不人気になるでしょう。それと同じように、彼は国内でも大混乱を引き起こし、感覚や態度で米 国 民を分断させてしまうでしょう。ロシアと中 国は、この狂気の真実を偽る悪名高い嘘つきで、誹謗中傷をし、そして自己犠牲主義者である米 国 大統領によって、第3千年紀の第2の10年以降、危険なほど愚かな挑戦と屈辱を受けることになるでしょう。この無知で無能で、頻繁に自己矛盾を起こすばかげた大統領の行動、行為、振る舞いを通じて、世界中で彼に対する憎しみが増大し、米国の人々も嘲笑に、さらされることになるでしょう。これは米 国で、世界中で蔓延している流行病が数十万人の命を奪うという事実に繰り返し責任を負うこの容疑の大統領による、国有テロに立ち向かわないから。大統領はまた複数の憲法違反の方法で、世界中に蔓延する米 国で何十万人もの命を奪う疫病の責任を負うことになる。なぜなら彼は、生命を脅かす病気を軽視して嘲笑し、その結果、保護的な予防措置が取られず、流行を封じ込めるための措置が講じられないからである。この犯罪的な米 国 大統領は、自己中心的な考えと絶えず繰り返される憲法違反、そして彼の政党が容認する秘密の地下に潜った極端な支配によって、すぐにそして、無制限に自分自身を際立たせ、また、人々の混乱した愚かで、称賛に満ちた国民の一部に支持されるでしょう。一方、法の代表者、党および人々からのすべての支持者は沈黙を保ち、彼の不吉な仕事のすべての年の間、彼を拘束されないままにする。この狂人を通して、世界中で米 国に対する争いが起こるでしょう。ちょうど彼が自国でテロリスト的な行動をとり、同様に争いを引き起こし、他の国では反乱や戦争の危険を呼び起こすのと同じように、世界中で米 国に対する紛争が発生するでしょう。したがって、この精神異常者に対しては何も行われず、それどころか、刑事憲法違反の犯罪行為を正当化するために、党の同志たちによって不当に昇進され、あらゆる行動を通じて政治的権力を維持することができるでしょう。スイスもまた、主に最前線で活躍する米 国と同様に、犯罪国家と武器取引を行い、それによって多くの国で不安や殺人、束縛やテロを引き起こすため、犯罪的に不安や紛争、戦争を促進することになるでしょう。つまり、世界中の何千万人もの人々に死と惨めさ、破壊と絶滅をもたらす利益追求型の殺人ビジネスであり、それによってスイスも武器輸出で大きな責任を負うことになる。しかし何よりも説明したように、米 国はこの点では第3千年紀に入るまで第1位であり続けるでしょう。今後、世界の多くの国で反乱やデモなどがますます頻繁に行われ、特に米 国が不当に暴力的な軍事介入を行い、何十万人、さらには何百万人もの人々を殺害する戦争が多発するだろうと思う。世界の大国と世界の警察のように振る舞う米 軍は、臆病な恐怖から、憎しみから、世界支配への中毒から、そして宗教的な妄想に基づいて、特にアジアで死、不幸、苦難、殺人、大量殺戮を広めるでしょう。彼らが異国の地を侵略するたびに、太古の昔から行ってきたように、原住民の処刑、女性、男性、若者、子供、幼児に対する犯罪を実行し、終わりのない悲しみと恐怖を撒き散らすでしょう。そうして米 国の軍隊は、先の世界大戦でも日本人に対して同じように犯罪行為をしていたことを、未来のヴィジョンとして示していた。女性を強 姦し、虐待した後にそのまま射殺するだけでなく、彼らの手に落ちて敵とみなされた他の人々についても、予測可能な例として次のように述べたい。これは3年後、つまり1950年から1953年までの次の10年間に、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の間で戦争が始まり、その過程で、同盟国である中華人民共和国と国連の軍隊が、当然のことながら最前線にいる米 国 人の指導のもとで戦争をすることになるでしょう。すでに朝鮮戦争の直後、すなわち1955年以降、米 軍は1970年代半ばまでベトナムで殺人と虐殺の戦争を展開し、無数の女性を強 姦し、用法にしたがって殺害するだけでなく、男性、若者、子供、幼児を銃殺するだけでなく、多くの人、特に子供や幼児の首をナタなどで切り落としたり、ナタなどで完全に惨殺したりする。しかしこれらすべてのこと、そしてそれを知ることは決して一般に公開されることはなく、非常に厳重な秘密として守られ、無期懲役どころか死刑にまで処される刑事犯罪になる。なぜなら、これらの虐殺が明らかにされた場合、米 国の法律では反逆罪や国家安全保障を危うくするものとして処罰されるから。さて、このような米 軍の堕落な行為がベトナムで行われるのは、北ベトナムと南ベトナムの間で今後何年にもわたって続く戦争の最中でのことである。もちろんこれは米 国や中 国の協力を得て、ソ連の支援も受けてのことだ。米 国はこの戦争で、1945年の広島・長崎への原爆投下のように、いつものように人類に対して全く無慈悲で犯罪的な行為をし、ベトナムの民間人に対しても甚大な犯罪を犯す。それは、軍の高級将校や政府の有力者の個人的な主導により、B-29爆撃機(先の大戦中、ビューラッハ/ヘリのホーレンゲンヴァルト〈Höragenwald〉の裏手にあるランゲンツィングゲン〈Langenzinggen〉に不時着した種類の爆撃機)を使って、多くの村や町、そしてその住民に、実質的に消火不能な油性のゼラチン状焼夷物質を浴びせるというもの。いわゆるナパームと呼ばれるもので、先の大戦で初めて米 国 人が日本の都市にナパーム弾を投下し、無数の人々が生きたまま焼かれたように、完全に非人間化された米 軍によって、将来ベトナムでも起こるでしょう。米 国のB-29爆撃飛行隊が5ヶ月の間に約32,816,000ヘクトリットル、数十万トンのナパーム弾を投下し、村や都市を炎の海に、人々を燃え盛る松明に変えてしまう。このベトナム戦争におけるもう一つの犯罪は、ベトナムの様々な信仰や民族グループの人々に対する宗教的憎悪と人種的憎悪の結果、人間性が退化している米 軍に命じて、飛行機やヘリコプターから複数の化学毒物を散布させるという、政府関係者の宗教的狂信者によって引き起こされるものである。これはベトナム人が、長期に渡って様々な病気に悩まされるような陰湿な方法で行われている一方で、ベトナム人の出生率を下げるためにも行われている。これらの化学物質の毒素は、子宮内の胎児を萎縮させたり、脳や体に重度の奇形を発生させたり、その結果、何万人もの重度の先天性欠損症を持つ新生児が生まれることになる。さらにこれらの化学物質の毒素は、非常に長寿命であり、その危険で破壊的で病気を引き起こす効果を長期間にわたって保持することになる。したがって何十万人、さらには何百万人もの人々が、触ったり、水を飲んだり、食事をしたり、あるいは土壌に沈着した毒素に触れることで病気になり、致命的な癌やその他の病気で死亡することになるでしょう。新しい植栽で成長しているすべての植物に吸収され、人間が食べるとそれらは毒物になる。公然と明らかにされたこと、つまり中立的な観察によって予見されていたことの事実と真実は、米 国 政府の極秘事項として扱われ、反逆罪には最も厳しい罰が与えられるものの、米 国 内およびベトナム全体の軍部からも完全に秘密にされる。その結果、米 国 政府のこの犯罪に関与しうるすべての人々は、生涯にわたって沈黙を守ることになるだろうし、これらの毒素の生産者、例えば、米 国の企業であるダウ・ケミカル社やモンサント・チェーンのモベイ社の責任者なども同様である。説明したように、ベトナムでは、米 軍やその空軍が化学枯葉剤で森林を完全に枯らして破壊し、敵のゲリラ運動であるベトコンが密集したジャングルの中でカモフラージュすることをより困難にし、彼らの食糧供給を破壊するとともに、食用畑や作物に毒を塗ってしまう。その結果、農民は作物をもはや収穫することができなくなり、多くの国民が飢餓に苦しみ、飢えて餓死してしまう。しかしこれは、残酷に堕落した不謹慎で、人命を軽んじる米 軍にとってはこれだけでは十分ではない。村を丸ごと焼き払い、文句を言ったり身を守ろうとしたりする多数の住民を容赦なく撃ち殺す。米 国が自ら余裕を持っていたずらをしたことは、ソビエト連邦が今日から計算して約27ヶ月後にカザフスタンで最初の原爆実験を実施するという事実など、世界中の他の国々も、今後同じように他の利益を許すことになるでしょう。1949年に最初の原子爆弾に基づいてソビエト連邦に売られた米 国の盗品図面によれば、1947年の時点で、すでに最初の原爆がつくられているという。1961年、ソ連は再びその名を馳せることになる。ソ連軍のパイロットが正式に、地球上で最初にロケットで地球軌道に打ち上げられ、円軌道で地球を周回してから無事に帰還する。1965年、ペルシャ皇帝レザー・パフラヴィーの攻撃を生き延びたものの、ペルシャで暗殺される。1961年以降、ソ連が地球を周回した時の結果から、この出来事は米 国に非常に不愉快な形で取り上げられ、それまですでに長い間実行されてきた宇宙プロジェクトが、より一層集中的に作業がフルスピードで取り組まれることになる。特に、第二次世界大戦中にナチス帝国でロケットの製造を担当していた元ナチスの技術者たちがそれに取り組む。米 国は今日これらの人々を引き受けて、月に飛ぶためのロケットを作り、それは実際に成功するでしょう。ソ連のロケットで地球を周回する偉業を成し遂げた後にこの技術を押さえたことから、この二度目の成功は認めるべきではない。だからこそ、ソ連をしのぐためにあらゆることが行われ、そのためにはあらゆる汚い手段を講じる。そして今から22年後の1969年7月に、これは地球上の人類が米 国に騙され、これまでで最も世界的な詐欺を信じ込まされるという事実につながる。すなわち、架空の月面着陸と宇宙飛行士による月面踏査の捏造である。これは米 国が今後ずっと、あらゆる手段の芸術と最新の技術を駆使して否定していくでしょう。この詐欺の理由は単にソ連を、脅迫的に屈辱を与えることであり、米 国を世界で最初の、最高の、そして最も技術的に発展した国家として見せるためであり、米 国は軍事的に装備して攻撃的かつ政治的に防御的に登場させ、その前でソ連が恐れをなして身を引くようにすることである。この大規模な詐欺では、現在だけでなく将来も考慮され、その結果、宇宙計画は厳密かつ厳格に運営され続け、発表された月面着陸を別の月飛行中に故障したように装う。この故障は、技術的な問題で予告されていた月面着陸ができず、その結果、ロケットは月の周りを一周するだけで、何の成果も得られずに地球に戻ってくるということを想定したもの。しかし、これはさらなる詐欺に相当する。というのも実際には、最初の詐欺以来さらに開発された技術によって、月面着陸が可能となり、実行されそれによって、月面車両の正確な着陸跡、足跡、走行跡が設定されることになるから。これは、地球からの遠隔地観測技術が向上し、月面をセンチメートル単位でスキャンできるようになったときに、米 国が主張する最初のとされる月面着陸が行われたことを証拠として示すために行われる。これと、1970年代に行われた月面飛行がいったん中止され、第3千年紀に再び行われたとすれば、それによって敷設されたその痕跡を見ることができるかもしれない。そして新しい千年紀に、中 国や新しいロシアなどの国々が再び月に接近すると、月は地球の近隣の惑星や、太陽系のより遠く、より深い領域へのフライトの出発点として機能するだでしょう。しかし、太陽系の領域が誤って宇宙空間と呼ばれていても、この領域は宇宙空間とは何の関係もない。正しくは、宇宙空間は太陽系全体の空間が終わるところから始まるが、この中には太陽系の空間領域だけがそこに存在している。さらに予測されることは、次のような結果になる。今後、急速に増加していく地球人類の大規模な集団は、その成長に関して理性のすべてを超えてしまうので、必然的に人々は、常に生きづらさを感じるようになり、その結果、心理的な面からもますます不安定になって、ますます頻繁にうつ病に陥りやすくなるでしょう。この事実は、危機的な状況下では特に顕著であり、特に、緊密な家族やグループの共存などにおいて孤立した状況が生じると、これらの状況は大きく悪化し、場合によっては、数多くの家庭内暴力、さらには殺人や過失致死が発生し、時にはそれが日常的になることもあるでしょう。
2021.04.15

ビリー「統治者たちの行為全体を入念に調べてみると、まず気づくことは、彼らは行うことの全体はただ、まず、第一に自分自身を守り、自分たちの官職から出されないようにすること。第二にその際に大事なのは、住民から愚かな者たちの大半を落ち着かせ、気に入らせ、統治者たちが実際に気候変動に対して何かを為していると認めさせることだが、これは実際にはそうではない。この理由は、現実には人口過剰に対して純粋に何も企画されていないし、その需要や実現によってすべての生態系に対する破壊的な陰謀が行われたことに言及されることすらない。しかし今や、普通、特定の連中によって無政府状態の目的でコントロールされ、そしてばかげた喚き立てる者たちの本当の目的に役立たないテロに、デモが実行されるなら、そのようなデモは法的に阻まれ、阻止されるべきである。同様に、地下組織でコントロールされるようなデモも法的に阻止されるべき。私としては、デモがすべて正しい事態で進行し、それによって本当に現実の要因が正当に主張し要求するなら、そして礼儀と秩序が守られ、背後に潜在的な無政府主義者が潜んでいなければデモに反論を何も持ち出さないが、もし無知と知的障害およびまさに無政府主義が関与しているなら、私は絶対に同意できない。いかなる場合においても。今や、人口過剰のすべての破壊的な陰謀に該当することは、私がこれに関するカタストロフィーを既に1940年代から繰り返してあらかじめ話し、世界の数千の公共機関などを経由して、すべてのことを一般に知らせようと試みたが、何も役に立たなかった。なぜなら私がいつも企画し、それについて努力したことが何の役にも立たなかったし、また決して何かのメディアから何かしら取り上げられることも、公表されることもなく、共通してすべてが聞き流されただけなのだ。今日に至るまで。人口過剰の陰謀のすべてが導いたことは、大気や自然全体やその動物相と植物相が毒され、そして惑星自体も引き続き内部と表面が取り返しのきかないように破壊されたこと。これは自然において、その動物相と植物相において非常に多くのものが絶滅されただけでなく、すべて根絶やしにされた。そしてまた、気候も悪質に巻き添えにされ、今や先の将来においても途方もない変化、破壊、壊滅および死の犠牲や自然の退化をもたらすでしょう。すべての必要不可欠な指示が疑われ、デモによってテロが実行され破壊が行われ、騒乱と暴力行為によって損傷が引き起こされる。例えば、コ ロ ナ 伝染病に関してのように。というのはデモで、数千人がウイルスに感染するから。しかし、まさに言われるように、無知と愚かさは限界を知らない。そしてそれに覆われているものは正常に、健全に一貫した思考の理解力と理性に到達できない。そうであるので私が初めたが、まだ全部終わりに達していないことに戻るのなら、まだ幾つかそれについて述べなければならない。それは一般の住民も同様に、軽率に危機状況に何の用心も為さないこと。なぜなら、通常緊急の場合、身を守るために住居を離れることが無いための2.3ヶ月の食料ストックすら用意していないから。反対に人々は、毎日新たに口いっぱいに頬張って食べるのに必死で、買い物に行き、危険に身をさらす。さもないと彼らは買うことがもうできないと、飢え死にしなければならないのだと、そのような振る舞いは絶対に無責任なのである」。プター「それはすべて正しい。そして私が思うには、我々の最新の非常に精確な研究情報による全体を説明することは殊の外、重要であり、したがってこれらの最新の更に先へ導く認識とその成果を ○ ○ ○ のWebサイトで公表すべきでしょう。君が我々の会話全体を呼び出し書き下ろし次第すぐに。いつものように私はそれに対し、すべての私の説明を普通の簡単な言語で専門概念を用いないで贈ろう。そうして全体を学術的教育を受けていない住民の大半にも理解しやすくしよう。だが今私は、我々が最初に話したことについて言及しよう。1.息を吸うことによるコ ロ ナ 罹病の感染A.この伝染病の罹病は主に、発話飛沫と呼吸のエアゾルの形でこのウイルスを吸い込むことならびに、唾液との接触によって起こるが、さらに様々な形の感染もあり、下記に記す:B.罹病者と手でふれる接触、あるいは直接の接触によるコ ロ ナ ウイルスの感染 a.コ ロ ナ 患者に直接触れることによる。 b.このウイルスに見舞われた人間による排出される発話飛沫、唾液、血液や呼吸エアロゾルのために汚染されている衣服、ドアノブ、商品や事物に直接ふれること。 c.このウイルスに汚染された何かの物体、商品、材料、衣類、あるいは食料など、そこにウイルスが付着しており、手で触れるか接触することによって、事情によってその後、目、鼻、口、開いた傷、開いた汗孔、あるいは掻き傷に触れると、それによってウイルスが体内に入ることが避けられなくなることでしょう。 d.物体、材料、商品や衣類などに付着したこのウイルスは沈着物として様々に長く汚染を保ちアクティブなままであり続け、しかも状況次第で数時間から数日、数週間あるいは数ヶ月におよぶが、これは殊の外、稀であり、様々な気候や環境に関わる要因で決まる。まさにこれに関しては、ウイルスの長期間の生き残りは物体の素材、その表面、温度と湿気などに左右される。だが蓋然性は、この伝染病に感染した人間は、事物、食品、あるいは何かの商品などに、長時間絶え間なく感染を起こし得るように、このウイルスに汚され汚染される。これは私が説明したように、僅かで珍しいことではあるが、わずかな時間内に短期に間違いなく起こることだ。したがって、適切な高濃度の除染剤で事物、通話機具やドアノブなどを消毒することが必要であり重要である。 e.特別な助言:衛生官庁、ウイルス学者、エピデミック学者と免疫学者などによって、ウイルスに汚染された事物、商品、衣服、食品、材料、動物や小動物経由の感染に関しては感染源として関わり合うリスクが無いという判断や、あり得ないであろうということに関して、これは無責任な間違った意見であり惑わすもの。確かに述べたような方法で、商品、材料および動物や小動物、しかも家禽などの経由でのこのウイルスによる感染はほんのわずかであり、めったにないことではあるが、この感染はあり得る事実であり、現実なのである。それゆえ、私は再度繰り返し全体を下記に記す:どのくらい長くこのウイルスが事物の、つまり果物、野菜、食料やあらゆる種類の商品の表面に生き延びているかは、我々の研究成果と認識によるウイルスの変異の仕方および商品と環境状況によって全く異なる。したがって、ウイルスが付着して感染させる働きは数時間あるいは数日から数週間、数ヶ月におよぶが、完全な状況下では数年、終わりなき長期にわたり生き延びられる。このことは基本的に大気や気象条件全体に係わっており、特に表面、温度、湿気やその他の影響がある。だがこのウイルスに感染した人間が、何かの商品をウイルスで汚すその蓋然性は非常に僅かであり滅多には起こらない。そこから判明するのは、我々の最新の明確な研究結果から生じたのだが、あらゆる商品への付着リスクは非常に僅かであり、稀であることであり、しかも引き渡される、あるいは輸入される食品、衣類、商品やその他の材料の輸送が何かの様々な特別な温度にさらされたとしても。2. コ ロ ナ ウイルスは消滅しないこのウイルスは死滅させたり殺したりできない。というのは、ウイルスは生命体ということではなく伝染性の有機構造のことであり、ウイルスとして細胞の外部で伝染によって広まるが、専ら適した宿主細胞の中だけで増殖し災いを引き起こす。このウイルスが自分で一つ、あるはそれ以上の細胞から成り立っているのではなく、私が説明したように、生命の無い感染性の有機構造体なのである。3.消化器系による感染の危険我々の科学者が感染の危険に関して指摘した事実は、コ ロ ナ ウイルスに罹った人、動物や小動物によってこの病原体がそれらの排泄物・排出を通しても堆積し、汚染しながらさらに広められる。したがって、このウイルスは様々な事情によって広まり、人間に伝染し感染を引き起こすことができる。これは嘔吐や排出によっても同様。4. コ ロ ナ ウイルスの遺伝さらなる我々の化学的なデータが明らかにしている事実は、分子領域においてこのウイルスの特定の特徴の基本的な現象は子孫にも遺伝することであり、この伝染病に罹った女性はウイルスを自分の胎児に移し、後に母体の中で コ ロ ナ に罹った子孫を産むことを意味する。これはまた、このウイルスに罹った男がオルガスムスの際に自分の精子によってこのウイルスをパートナーの膣に射 精するが、それによってこのウイルスは女性の腟内に送り出され、子宮を経由して卵管に達し卵巣から遊離した一つの卵細胞を受精させる。そしてこの卵細胞がこのウイルスをもった精子によって感染し、その結果、コ ロ ナ に襲われた子孫を産むことになり、この子孫を我々は、我々のこれに関する研究のためにコ ロ ナ 乳児と名付けている。5.症状無しだが、抗体を持った コ ロ ナ ウイルスの罹患我々の化学的な非常に精確な情報が証明していることは、世界中で国および免疫体質などに応じてその住民の7~11%がこのウイルスに襲われており、しかもその人々自身はそのことに気づくこともない。なぜなら本来の伝染病症状が現れないし、また伝染病罹患が医学的に確認できず、認識できる抗体が育ちこれを確認し得るようになって初めて立証可能になる。6. コ ロ ナ 伝染病の罹患の症状この伝染病は、その症状の種類が地球のウイルス学者や他のすべての専門家が推測しているよりはるかに多様であり、その結果、現れる苦しみや病気が誤って既知の病として限定され、それゆえ、誤って治療され、このことが多くの死に結びついている。 コ ロ ナ 伝染病の罹患で現れる症状は人間の免疫状態および健康状態、器官の安定性、血液型、道徳性や精神状態などに応じて異なり、したがって、感染では異なる前段を示す。例えば:頭痛、咳、めまい、不快感、胸痛、心臓障害、嚥下困難、味覚喪失、味覚変化、視力障害、消化不良、聴覚障害、思考・感情・心・変化、集中困難、熱、呼吸困難、協調障害、言語困難、運動障害、平衡障害、下痢。7.罹病数とりわけ速く強いこの伝染病第2波の罹病数の上昇が生じている。というのは、病原体がロックダウンの措置方法によって何週間も広まらないのではなく、幾らかコントロールされただけだから。だが、外出禁止が知性もなくなおざりにされ、そしてまた再び廃止されたので、このウイルスは新たに遠く世界中に非常に破壊的に広まり、そして今や非常に多くの多大な災厄を引き起こし、11月の終わりには非常に多くの死者数を引き起こすでしょう。死者は、この11月の終わりまでに160万人に上るでしょう。だが公式においてだけ。なぜなら、隠れた数値は今までもそうであったが、はるかに高い。これは一方で、地球上では同様に11月の終わりには公式で約6,500万人の罹病者が報告されるでしょう。8.緊急事態の際の市民の基本権の法律は誤りである既に国家指導層や国家責任者たち、および官庁が伝染病を食い止めるための最初の不十分で、非常にいい加減な措置を行う前に、制約のない市民の行動の自由を保証する市民の基本権の法律などとは反対に、出口封鎖やそれに伴うすべての必要な安全措置を厳しく実施することが必要不可欠であったでしょう。住民の、そしてまた個々人の健康安全はいかなる場合でも優先的に守られ、まさに無思慮な誤った基本法の権利のような立法によって決して曲げられてはならない。この伝染病を食い止めるだけでなく、停止させ、終わらせるためにも、市民の行動の自由を止揚するための誤った基本権の検査の必要性がある。この行動の自由によって無理解と無分別に行動され、健康と生命が危険にさらされている。1ヶ月早く最初の措置実行が起こされていたら、これによって状況全体がコントロールされ、伝染病の更なる拡散は防げたでしょう。したがって、エスカレートすることもできなかったでしょう。9. コ ロ ナ ウイルスによる様々な コ ロ ナ 症状このウイルスは、誰もが同一の症状を引き起こすのではない。したがって、ある人と別の人とは違う影響が現れるが、感染者のほとんどが軽い中程度までの症状であり、かなり時間が経って再び自分で解消し、強い病気の発現は起こらず、入院を要求されることもない。ある時間が過ぎると病状全体が再び弱まり、その結果、健康を持ち直すが、抗体の発生にもかかわらず免疫性は保証されない。したがって、いわゆる集団免疫も現れず、同様に新たな感染も、そしてまた新たな伝染病が器官に沈積したウイルス-インパルスによって発現することが推定され、これは今日に至るまであらゆる地球のウイルス学者、免疫学者、エピデミック学者や医師の専門家にも絶対に未知であり認識も確認もできないでいる。10. コ ロ ナ ウイルスは、時々変異する時々、繰り返し変異する。あるいは変化するこのウイルスは、陰険で、快復後、その快復も事実上本当であるとは保証されない。この理由は正確な研究結果によると、人間の器官にウイルス-インパルスが、特に伝染病に見舞われた器官の中に沈積し、これによっていかなる場合でも例外なく快復後、快復した人間に再び感染しやすさがあり続けるから。したがって、遅かれ早かれ新たな感染、あるいは伝染病の再発現が推定されるし、生じ得る。伝染病-インパルス沈積が生じるのは、調査した事実であり、このインパルスは快復後、再度感染を導き、伝染病を再度発現させ、これについて地球のウイルス学者やエピデミック学者、そしてまたあらゆる種類の医師全体が分からない。ましてや知見、あるいは実際の知識などはない。11. コ ロ ナ 伝染病の長期間にわたる影響このウイルスによる罹病はいかなる場合も何らかの方法で長期間にわたる影響をもたらし、その際、通常はインパルス沈積の方法で伝染病に罹った器官の中に根を下ろし、付着するが、これまで地球の医師全体にこのことは未知であり長期間知られないままでしょう。しかし、この伝染病の罹病による長期間の影響は、いずれにせよ地球の医師全体に既知の方法で判明し、その際、多様な種類のこの伝染病の後遺症があり得る。例えば:意識障害、癌にかかり易くなる、動脈高張(高血圧)、冠動脈心臓病、認知症・慢性脳疾患・認知能力の喪失・記憶喪失、脳の神経変性血管疾患、脳感染症・脳疾患、慢性腸疾患、臓器損傷、肺疾患、ホルモン障害、腸・内臓の障害、関節疾患、脱毛症、遺伝障害、甲状腺疾患、鉄欠乏症、感染し易さ、糖尿病、薬物不耐性、太陽光線に対する敏感性、食品不耐性、蛋白不耐性、結膜炎、抑鬱症、頭痛・偏頭痛、視覚あるいは目の問題など。12. コ ロ ナ 伝染病の拡散我々が確認したように、世界中ですべての国の国家指導層と官庁によって、目下のところ、この伝染病の公式的な爆発の公式情報の詳述が住民に対して為されてなく、今日に至っても為されていない。年初に至り、世界中で最初の公式メディアによって知らされた時でさえ無責任にも、この伝染病による伝染、あるいは感染の危険の種々の形について、国家指導層によって公布される公式で詳細な情報が行われなかった。多様に現れる症状、および伝染病の免疫システムとすべての臓器システムに、また、心と様々に現れる見解および意見の賛否に関する人間の振る舞い方に伝染病の影響に関する必要で重要な説明も行われていない。市民の先見可能なポジティブとネガティブな返答、考え方、解釈や態度に関しても何ら必要な情報提供が実施されていない。したがって、適切な安全行動に関する正しい振る舞い方も情報提供されていない。この必要不可欠な情報提供の絶対に無責任な怠慢さは、今まで地球全体に非常に多くの苦しみ、悲しみと損傷をもたらしており、将来もこのようにさらに続くでしょう。なぜなら、あらゆる理解力とすべての理性に反して旧態として続行されるから。良心の無い無責任な真実を否定するデモ欲求者、美辞麗句を並べる者、知ったかぶり屋や陰謀論理論家の常軌を逸したデモや振る舞い方は(今後も行うでしょう)、ほとんど世界で数十万の人間がこの伝染病に屈したことにつなげた。これは分別の無いデモをする大言壮語人、自慢家、嘘つき、独善家やほら吹きの責任によって今始まる11月に更に数十万の新たな感染を実現するでしょう。このことは更にあらゆる年齢層の人たちが非常に多くの犠牲となる。世界中で国家指導層と官庁によって、災厄を阻止するためには何も為されていない。しかも、公的にも直接的にでも家事をしている住民にも、そして実際にあらゆる考えられる必要不可欠性に関し何の意図的な情報提供も生じない。これはあらゆる国家指導層と官庁の責任遂行における義務でなければならないように。しかし、国家あるいは官庁の職の誰一人によって遂行されなかった。総括的に、我々の世界におよぶ非常に正確で数ヶ月の観察と解明によると、緊急に必要な解明とすべての国の住民にとってこの伝染病に関する情報提供に関して、無責任な国家指導層と官庁によって生じたことは、ぞっとすることであったし、ぞっとすることである。これは、すべての責任ある職にあるこれらによって解明と情報提供に対して何も為されなかったのと同様であるから。それは為されなければならなかったのに。ただ特定のインターネット-Webで現在その責任ある所轄から僅かに、瑣末な、多くの、あるいは大部分の住民にとって理解できない専門的な説明の言語表現で公表されたり、されるだけ。この表現は、君がそのたびごとに言うように、読者には不可解な森のようなもの。なぜなら、読者は仰々しい木々の前では森は見ないから。そして君がそれに対し、その都度説明したように私が良いと思ったことは、このための考えが、私が今言われたことの全体を理解できるように置き換えるとするなら。つまり、国家の情報の希薄な発表の内容全体は、多くが瑣末で、惑わす余計なお荷物とゴミが織り込まれていること。これは場合によっては読者もコーディネートされ得ず、したがって、理解され得ない。殊の外、重要な情報と解明のすべて、つまり伝染病の伝染と拡散の仕方、そしてまた基本的にすべてがどのように生じ、働き、悪化するのか、またこの伝染病は陰謀でもなく陰謀説理論でもないこと、伝染病が公式に知れ渡って以来、何ヵ国かによって行われる重要な情報提供機関によって住民に知らせたのは2019年12月でもないし、2020年1月でも2月でもない。つまり公表されなかったこと。また住民には、そのような重要で必要不可欠な情報は届けられなかった。したがって、実際の啓蒙的な説明文書が生じなかったし、必要不可欠な重要なことが知らされなかった。そしてまたこのウイルスは様々な方法で広まり伝染したことも知らされなかった。その方法は:A.以下による吸気、飛沫、エアロゾル、唾液および接触感染: a.咳 b.吹きかける c.くしゃみ d.発語 e.大声を張り上げる f.息を吐くg.身体接触 h.排泄物 i.物体・商品・材料接触(稀) k.風による数メートルの空気移動(大気-エアロゾル) l.食品(稀) m.感染した動物や小動物との接触(稀) n.身体蒸発(汗)。B.空気-エアロゾル a.通常の空気-エアロゾルは空気中で自由に漂っているが、数平方メートル範囲においてはこの伝染病に罹病した人間の直接の飛沫あるいは呼吸-エアロゾル排出によって大気や空気を通して、風の動きに応じて運ばれ他の人間に感染する。 b. コ ロ ナ ウイルスは一般に医学のウイルス学、エピデミック学や感染学などの全連盟が推定しているよりも明らかに感染性が非常に高い。なぜなら、多様な感染の可能性が推定されるよりもはるかに多く種がまかれているから。13. コ ロ ナ 伝染病の広がりこのウイルスが広がっているのは、述べられている直接、間接の感染によってのみではない。なぜなら、その他の感染経路もまた重要であるから。例えば、ある状況のもとでは消化器系による汚染が生じるし、また事情によってはこのウイルスを保菌しているある動物種との接触によることもある。そしてこの事実は実際に、すべての否認する者や不十分な専門家の病的な知ったかぶりに対して与えられている。たとえ、この事実が認識に乏しく、理解力に乏しく、理性に乏しいウイルス学者、エピデミック学者、医師や感染学者などの側から間違った反論がなされ、事実に反する激しい反対が主張されても。現実を見てみると、生じていることは、実際にある動物種と数種の小動物はこのウイルスに罹りやすく、したがって、感染しウイルスを人間にも伝染させることが出来るということ。もし、それらが直接人の近くに来て、人と直接、間接に声-飛沫、呼吸エアロゾル、唾液、あるいはかみ傷を経由して接触したら、必然的に人間もこうして感染する。そして、また閉ざされた空間でウイルスを含んだ空気を吸い込むことによってウイルスが伝染する。汚染された食べ物を食べること、および汚染された物体などに触れることによって感染が生じ得ることも留意されなければならないが、この二つの可能性はどちらかというと稀なこととして見なすことが出来る。14. コ ロ ナ 時代の発端 コ ロ ナ -パンデミックのそもそもの最困難時代は、現在やっと始まり地球全体で非常に多くの死者を出すでしょう。なぜなら、すべての国家指導層の大半が愚かさと、この伝染病についての無理解さのために、神経衰弱で苦情の多い、あるいは不平を鳴らすことに陥った者と同じくらい正しい行動もしないし、これに関して今後も無責任のままでいるから。愚かさの虜になっているすべての者もこれに属し、一方では、無責任な者として国家指導層の役割を演じるが、住民の中の指令されたある程度は役に立つ安全指令に反して騒ぎを起こす者すべても同様だ。このことは、すべての愚かで厚かましい知ったかぶり屋、口論好きな者、難癖屋、独善家およびすべての空想共謀者、ケチケチした訴訟屋や訴訟屋、法を曲げる者や訴訟好きな者に該当する。彼らは、意味なく当局や裁判所に負担をかける。これらの人間には、相当に知性が、それと共に理解力と理性が欠けており、結果として彼らは自分自身を損ない、わざわざ死を招く。なぜなら彼ら自身が通常、知性の欠如ゆえに軽率であり、ウイルスに感染し事情によって伝染病で死ぬから。そのような人物は、正常な苦情屋ではなく人格障害で苦しむことも珍しくなく、背後にある病気が隠れている。つまり、精神病質、集団訴訟狂、キャラクター神経症、ノイローゼ、ヒステリー、強迫性障害に相応するが、基本的には深部における宗教の妄想である。両性の個々のタイプ、および集団の苦情屋のタイプには違いがある。たとえば、心理学上の、社会学上と精神学上の苦情屋であり、また政治的な右翼の苦情屋と左翼の苦情屋、およびキャラクター苦情屋、信仰苦情屋やデモ苦情屋などであり、総じて時代を超えて持続する防衛方式で漫然と日を過ごしている。15.抗体研究抗体に関係することは、世界でウイルス学者、エピデミック学者、医学などによって実施されているが、彼らによって感染者数すべてが引き続き過小評価される。なぜなら、推定されるよりも大変高いから。この伝染病で亡くなった数も推定されているより非常に高い。なぜなら、最初のこの犠牲者は、すでに我々によって1981年に記録されているからで、その際、この犠牲者数は繰り返し起こるウイルスの変化や突然変異で約40年でますます増えており、我々の確認によると今日まで1,730万人以上になっている。16.風評の拡散、ヒステリー、陰謀説理論昔から風評は非常に速く広がり、病気とそれに伴うエピデミック、あるいはパンデミックに関しては特別だが、即座に陰謀説理論、知ったかぶり、ナンセンスな主張や嘘、および意識した目的を持ったパニックを助長する嘘も広められ、集団の不安状態とヒステリー状態を誘発する。これはかつて引き起こされたことであり、ほとんどあるいはもはや解消されず、事情によって多くの災厄を引き起こす。これは明確に、この伝染病のケースでもあり、これは愚かな、厚かましい、馬鹿げた、完全に無責任で、軽率で伝染病を助長するコ ロ ナ -デモによって認識可能にしている。このデモは、指示された完全予防措置に反対し危険なやり方で コ ロ ナ の大量感染を促進している。私が今日この伝染病に関して、まだ言わなければならない重要なことである。それは、まだ非常に多くの説明することがあるにもかかわらず、だが全体はあまりに広くなりすぎるので、そのため、私に自由にする時間は十分でない。というのは、片付けなければならない義務の責任があるから」。ビリー「宜しい。私も君をこれ以上ウンザリさせたくないが、もう少し2、3質問しても構わないか?」プター「もちろん、今はそんなに急いでいないから大丈夫。なぜなら、私がこれに関して言ったことは、ただこの伝染病に関する更なる説明だけに該当するから」。ビリー「なるほど。であれば良かった。ではすぐに:君は、私のように、いつもこの伝染病のことだけを話すが、このパンデミックのことを話さないが、どうして?私は、自ら伝染病という概念を使用するが、私の理解ではパンデミックの概念が、人々には伝染病の全体の蔓延する危険についての必要な理解をもたらさないから。これは、包括的な概念としてパンデミックが多くの国々に影響を与え、普通、世界を包む伝染病を描写しており、大規模の悪化したエピデミック以外何ものでもないにもかかわらず」。プター「もちろんそれは正しいし、しかも君の全体の理解は、私の方でもそうなのである。だから、君と同様に伝染病と言い、パンデミックと言わない」。ビリー「そうだな。それは明解だ」。プター「それは喜ばしいこと。我々に向けられた感謝の言葉に対し、私はすべての人に我々の特に私の個人的な感謝も、彼らの感謝の言葉を君経由で私や我々全員に向けてくれた人たち全員に返礼する。そして君が他の点で述べたこと、それは君が言ったとおり事実である」。ビリー「さて、質問だが、ヨーロッパにおいて特に速く強い コ ロ ナ 罹患者数の上昇に関して、君はどう思うのか?」プター「君は君の質問に既に我々の会話の初めに自分で答えている。すなわち、この病原体はロックダウンによってのみ減らせることができた。だが、この伝染病は今や速く広がり、現在蔓延している。それに加えて、現在、この新しい月には、当面、歯止めがきかずに、以前よりもっと早く蔓延し、非常に多くの死者が出るでしょう。これは一方では、国家指導層の全く愚かさ、あるいは、非論理的な無思考、あるいは何も考えないことによって起こること。他方、全く論理的でなく引き起こされる災厄も、君が脳なしと呼ぶすべての者たちの愚かさと知性の無さから起こり、これらの者は真実の嘘つきとしてデモで自分たちの無理解と無分別を、たった一度だけでの明瞭な思考をする能力もないことと全く同じく明確に伝える。その結果、彼らは気づくことにおいても盲目であり、彼ら自身がこの伝染病の大きな犠牲者であることを認識しないし、把握しない。これは君もすでにあらかじめ話したこと。基本的に彼らは、つまり、彼らの二倍の大バカのデモ参加による集会、グループ形成とこの伝染病に対する注意の無視によってこれに襲われるだろうし、それで死ぬか、あるいは生涯、後遺症で苦しむことでしょう。これも君が既に言ったこと」。ビリー「ありがとう。つまり、我々は同じ意見である。加えて、君が今デモ参加者の頭がスッカラカンの愚か者に関することで言ったことは、私がそれに対して思うことは、これらすべての脳なし、ろくでなしの連中にとっては、ばかげたデモをし、騒ぎ立て、自分自身の恥ずかしい愚かさを明け透けに示さないで、何か本当に役に立つ価値があることをして、人間の尊重、栄誉、尊厳と秩序を守ることの方がより重要だということ。これは、あらゆる戦争とテロ、すべての暴力と犯罪に反対し、あらゆる考えつく限り、可能にする可能性をすべて行うことによって、そしてまた平和、自由、自然とその動物相や植物相の再生をすること、さらにはすべての生態系の機能や地球自身の静けさのために最善を尽くすこと。そうすることで、大気や気候の状態が再び改善され良い方向に変化していく。しかしまた全体の条件として、人口過剰が世界で何年にもわたってコントロールされる出産停止によってドラスティックに減少し出産規制が採用されること。あらゆる宗教のあらゆる神の妄信、およびあらゆるその他の何らかの他の崇拝対象の妄信が(雄牛、ロバ、ニワトリや猿のような)、莫大な人口過剰になるとよく考えると、これに関しては、何らかの改善に向かうことができるでしょう。正気を失った、混乱したキリスト教の嘘を良く考えてみると、病的な神信仰と心を病んだ色情狂によって、空想された行って繁殖せよへの狂った妄想がそこに結合されるなら、地球は神の妄信のために度を超えて高まった性交欲求、信仰欲求になってしまい、そこからひとつの習慣の結びつきが作られた。しかし、そのすべてのこれに関することは、単にあらゆる国家の単に住民だけに該当するだけでなく、指導者、統治者、そして金持ちや富んでいる者、キリスト教における単なる司祭以上の牧師から教皇と聖職者のような、あらゆる宗教とセクトのボスに至るまで該当しており、昔からこの事は歴史が証明している。これらのカトリックの聖職者、あるいは僧侶の中の多くは、この世に数知れぬ子孫を置いて、あらゆる時を超えて彼らの色情狂によって、相当に人口過剰の終わりのない成長に寄与している。だがこのことは、なお今日においても、このように助成され続けられる。小児性愛もまた、だがこの事は故意に黙殺され無視される。人口過剰の途方もない成長の全体には、ポルノクラシーあるいは側室支配、あるいは側室・愛人による統治者への影響も多くの寄与をした。だがこの事は、そのようにして数多くの子孫が世に置かれ人口過剰が促進された一つの歴史なのである。しかし、教皇職に関して見ると、歴史はキリスト教における教皇職と聖職者の時代は、一貫して常に色情狂であって、したがって全体が本来、実際の色情狂時代に当たり、その際、権力闘争や謀殺に至るまでの奸策にも関わっていた。これは10世紀初期、例えば、904年教皇セルギウス3世で始まり、963年にこのように終わった。しかもヨハネス7世の死で終わった。彼は殺害されたのだが、そのため16世紀においてこの時代はあるいは暗黒の世紀の名称を刻まれた。色情狂時代で全く特別なのは、教皇とローマの種々の支配者が直接貴族の愛人の権力地位の監督下に居たということ。その際、テオドラ1世とその娘、マロツィアとテオドラ2世が全く特別な意味を持つ。この時代では、教皇たちは僅かな気骨しか持ってなく、彼らの性欲異常の堕落を抑制でき、同じような異常性欲の体質のローマ人の貴族の愛人だけと奔放な生活を送った。彼らは愛人の意のままになっていて、愛人は聖なる子孫を産むことを教皇に要求した。だが、この事実は頑なに秘匿され、口外する者は簡単に口を封じられ片付けられた。したがって、僅かなことしか出ない。例えば、公式に知らされ伝えられたが、これが様々な人間を犠牲にした。だがこれについては、次の側室-教皇のリストがある。セルギウス3世(904-911),マロツィアの愛人ヨハネス11世の父アナスタシウス3世(911-913),ランド(913-914),ヨハネス10世(914-928),幽閉されマロツィアの指示で殺害されるレオ6世(928-928),ステファヌス7世(928-931),ヨハネス11世(931-935),セルギウス3世とマロツィアの息子レオ7世(936-939),ステファヌス8世(939-942),マリヌス2世(942-946),アガペトゥス 2世 (946–955) ,ヨハネス12世(955-963),マロツィアの孫17歳で教皇に選出される。この過去の時代からの伝承すべてが該当することは、ほとんどローマにおける状況の批評家であるクレモナの司教リウトプラントによって記録され、たいていは当時、本当に起こったことであるが、このことは他もあり得る。あれこれの否認者、妬む者、疑う者や知ったかぶり屋などによって否定されている。そして伝承の立証は、一般的な調査によっては可能ではないので、部分的にはあるいは全部が疑問視される。しかも、歴史の証人が何か自分の誓約によって証言できるとしても、しかし彼らは、単に無視されるか嘘つきと罵られる。だが事実は、その時代にテオドラ1世とマロツィアは、ローマで本当の政治的な国家権力者であった。つまり、支配して彼らの棍棒を振り、夫を動かし、性的願望を教皇を通して実現させ、聖なる子孫を持った。秘密裏に今日もなお機能しているやり方は、しかしながらその方法と種類、そして性交する側と受け入れ側の状況は変わり、全体はより通俗的なやり方になったが、その際、いまだに牧師から上級者に至るまで、目立たぬ者から高貴な者に至るまでそのような状態である。さて、ローマ時代に関してまた言うべきことは、マロツィアは母親であるテオドラ1世から公職を受けた教皇ヨハネス10世を殺害した。つまり、彼女は強圧的な側室であっただけでなく、教皇セルギウス3世の愛人でもあった。彼は救いがたく彼女にほれ込んでいて、聖なる息子も産んだに違いなかった。この息子は後に教皇ヨハネス11世としてペトロの高座に納まったが、一方、母親のマロツィアはお気に入りのレオ6世に権力をもたらすよう努力した。今やこの昔の歴史について何か理性的に熟考するなら認識できる。つまり、先の2千年の過程においてポルノクラシー、あるいは側室支配も地球を完全に人口過剰にすることになったし、すべてがそのために行われたということ。他方、そこから生じたことは、完全に限度を超えた人類によって、自然、動物相と植物相、およびすべての環境システムが破壊的に影響され、多くが絶滅されて、数知れぬものが破壊されあるいは根絶やしにされたこと。大気は、今日、危険なほど汚染され、損なわれ、加えて気候が劇的に変化することを余儀なくされた。これによって、今やさらに途轍もない自然大災害と惑星内部の噴出が盛んに生じる。それによって、惑星全体の継続的な激しい強烈な災厄が起こり、しかもすべてこれが唯一大量の人口過剰のせいであり、これが終わりのない更に続けて高く上昇する需要、願望や欲望などを通して内面と外面から惑星を破壊している。それに加えて、自然、植物・動物と小動物の世界が絶滅され、根絶やしにされ、すべての環境システムが機能しなくなり、大気と気候が苦しめられる。そしてこのことが場合によって崩壊に、最終的な崩落に至り、これによって事情によっては、地球の全生命が消滅する。これは既に私が、1940年代以来預言したことであるが、その時から誰も聞こうとしなかったし、今日もそうであり、あるいはほとんど誰も聞こうとしないでしょう。それなのに、遅過ぎたらそうなるでしょう。数知れぬ地球人の愚かさと何らかの常軌を逸した制御しない性本能エネルギーの欲求と態度によって、地球はますます際限なく人口過剰になっている。それによって、宗教、セクトの人種差別の憎悪も生じるし高まる。これは他の宗教の信者や他の種族、あるいは他の土地の人間や民族に対してである。これらは世界中で宗教や政治的にも、民族的にくず・泡と見なされ憎まれ仲間外れにされ、罵られ、奪われ、迫害され、戦いを挑まれて殺される。ギリシャ語の民族を意味するEthnieの概念だけでも、神を妄信する者、政治的な狂人には、そしてまた何かしら悪化した過激派にとっても、個々の人間、グループ、あるいは民族全体を蔑視し、彼らをその出自、文化、言語、宗教、歴史とあるいは経済のゆえに罵り、迫害し、破滅させあるいは殺害するためには十分である。これらすべては、昔からそして今日でも起こっていることであり、それゆえ、再びますます現れ、将来にまで広がっている。しかも人口過剰との関連で。つまり、この事が起こるのは、それによって狂信的な妄信者の数が多くなり、それに従い他の宗教、あるいはセクトの信者に対するある宗派の、あるいはセクトの信者の狂信的な扇動も増えるから。その際、非常にしばしば政治的な妄想も一役かっている。例えば、ナチ活動の際のユダヤに対する憎しみがそうだが、その憎しみは2000年前に既にキリスト教から発し広められ、数知れぬ人間の命が犠牲になり、仕舞いにはヒトラーとヒムラーの集団虐殺の妄想によるが、この妄想は今日なおもネオナチによって世界の多くの場所で存在し続けており、しかもドイツだけでなく世界中にあり、ロシアにもあり、他の東欧の国ではロシアのような暴力も辞さないネオナチ光景はない。ロシア出自でないものすべてに対しけしかけられる;過剰な暴力も稀ではない。数年前からインターネットで殺害の呼びかけと処刑ビデオが流されていて、そしてウクライナ紛争が極右の世界を分裂したにもかかわらず、彼らの暴力ポテンシャルは不屈なのである。戦闘的な極右主義者は、数年来、暴力行為によって注意を引き寄せ、その際ここ10年本物のテロのために数百人が殺害された。他は数千人もが攻撃され重傷を負った。犠牲者の大部分は中央アジア、そしてまたコーカサスの出身であるが、それは反ファシズム活動家、およびホームレス、同性愛者、および裁判官である。彼らは、攻撃され、負傷させられ殺された。ロシアにおけるようなそれほど暴力も辞さないネオナチ世界は、数十万の仲間を数え、他の東欧の国には存在しない。ロシア内務省の過激派との戦いの部局は、既に2010年に、少なくとも150人の戦闘的なネオナチグループが存在すると見積もっている。しかも増える傾向であると。モスクワ中央の情報分析の極右主義の専門家SOVAが既にだいぶ以前から指摘していることは、存在しているグループの正確な数は突き止められないということと、その都度の仲間の数も正確に見積もれないと言うこと。アメリカにも同程度に、Aryan Brotherhood、またThe Brand、Alice BakerあるいはOne-Two(AB)とも呼ばれるような、この種のグループが存在している。この人種差別のネオナチズムのアメリカギャングは、1967年カルフォルニアのサン・クエンティン州立刑務所内で設立された。更に、アメリカにはKu Klux Klanも生まれ、人種差別と暴力行為および極右で今日もなお活動している秘密結社として同様に部分的にテロと殺人の悪事を行っている。特に、20世紀の前半はアメリカにおけるこの秘密結社は、特にアクティブであった。その際、悪質なテロ手段で、とりわけ良心もなく、アフリカ系アメリカ黒人の平等な権利に対して非合理的に殺害した。Ku Klux Klanは、その男たちが白いフードと燃えている十字架で際立たせ、例えば、北フロリダのある小さな町を支配し、そこで彼らは夜に馬で野原を走り、アフリカ系アメリカの黒人狩りをし、彼らは木に吊したが、その際、ほとんど誰も思い切ってそれについて話すこともないし、そもそもそれに対し何もしようとしなかった。今日なお、アメリカのこの犯罪的な人種差別秘密結社は概算では、5,000~8,000あるいはもっと多くのメンバーがおり、その際、このKlanは依然として容認されており、外国の極右主義者と接触している。しかも特にドイツと。Alt-Rightオルタナ右翼運動、あるいはKu Klux Klanなどのようなすべてのそのような極右のグループとその仲間は、通常、プロテスタントのキリスト教に所属していて、良きキリスト教徒と思い込んでいる。しかし、それらは妄想に生きており、絶対的に白人至上主義なのだ;つまり、白人が主導権を行使すべきだと。というのは、白人種だけがアメリカ内外について優性資格を持つからだと。これが本来そうであった。しかも1865年の奴隷解放まで。これは、1861年から1865年までの北と南の州の間の南北戦争、あるいはアメリカ市民戦争が終わった後に起こった。その後、奴隷解放が決定され、憲法修正第13条によって1865年に実現し、基礎としてあらゆる社会の秩序に資した。Ku Klux Klanは、それにもかかわらず引き続き行う。その際、また先の世紀において、特に1995年に悪質な人種差別の憎悪の長広舌でもってアフリカ系アメリカ黒人、その他の色のついた人間、例えば、ユダヤ教徒、カトリック教徒や同性愛者に対してテロを行った。そして今日もなお、とりわけアフリカ系アメリカ黒人に対する拷問、むち打ち、放火、リンチや公然たる殺人がKu Klux Klanのテロ方式なのである。その際その仲間たちは、まだ今日でも公然と白頭巾を被り、どんな法律にも煩わされずに徘徊し、煽動と憎悪の長広舌を叫び、そしてまた法律に煩わされずに秘密の方法でテロを行う。確かに、1871年Ku Klux Klanは法律で禁止されたが、20年代の中頃、再び新たに創設された。したがって全体は続いており、それに対し法的措置がとられていない。なぜなら、判事と政治家さえも国枠主義の意味でこのKlanに属し保護しているから。他の信者、他の思考の者や他の種族に対する憎悪と復讐の欲求は、太古より密かに隠れていて、あらゆる神を信じる者、あるいはその他の何らかの宗教、セクト流派、および政治信仰、好訴者、そしてまた非常に悪質なあらゆる種類のあらゆるその他のつむじ曲がりな者には、深く性格の底に入り込んでいる。継続する潜在のしつこい憎悪は、全く同じような性格の底で対を為している復讐の欲求と共に、この欲求は信者には意識されていないが、常に発現、諍いが待ち構えており、突然コントロールなしに破裂する。そして、憎悪と復讐が引き起こされると、すべてが非常に速く暴力、死刑、戦争、テロと拷問、および殺害や撲殺に至る。それは罹った神の妄信者たちは、彼らの宗教、セクトの妄信とはいえ、これらすべてが深く性格の中に隠れて腐敗し、些細なきっかけが現れるや否や、即座に外部に向けて爆発し災厄を引き起こすことに少しも気づくこともない。すべてこのことは、すべての神の信者には、昔から根底から特有であり、神と思っているものの狂気の口実によって定まっており、その神には白痴のようなばかげたことに愛、善、寛容と同時に復讐、刑罰、暴力、および戦争の推奨と祝福、そして殺害がみとめられる。そして、このばかげたことに神を信じるすべての人間は、陥り、おぼれており、その際、彼らはあらゆることに関して、すべてが自分の思考と感情、およびすべての理解力とすべての理性に反し、すべての現実と真実に対抗しており、総じて生命に反し、すべての人間性と正義に反していることに気が付かない。そうしてこのことはいかなる信者の場合も、これに気づいていなくても、理解しなくても、根本的にそうなのである。なぜなら、各々自分の信仰によって、盲目で耳が聞こえないから。ある信者がこの真実を認識し、把握し、理解するなら、恥じらいと自分の愚かさで地に沈みダメになるでしょう。しかし残念ながら、昔から地球人の大半は神への信仰に陥っており、その結果、実際には考えることが出来ない。したがって、愚かなままなのだ。そして今日さらに、この人間たちは、今日も明日もますます生命力が無くなり、常に精神的に不安定で病気になるようになる。なぜなら、彼らは自分で考えること、検討すること、決断し行動することを完全に忘れたから。それゆえ、彼らの理解力と彼らの理性に呼びかけて注意を促しても何の役にも立たない:信仰を持つな、自身で考えよ。決定させるな、自分で決めよ。操作させるな、自身で行動せよ。私が今、独白で露出させたすべての事が、私の全生涯で繰り返し、すべて私の心にかかる。そしてまた他の事も。だが私は今またそれについて、いくつかのことを語ってみた。しかしまだ、私に関心を持たせることは。君がずいぶん前からワクチンで話題にしていた全体に関して押さえていることに関してだが、そのワクチンで コ ロ ナ 伝染病の更なる拡散が防げるのか?」プター「君の質問は最もだ。なぜならその質問は、君の責任意識と論理に相応しているから。だが私の意見は、現在様々に研究され早くに使用されるというすべてのワクチンは絶対に研究が不十分で、すぐに使用するのは軽率だと言うこと」。ビリー「君はそれで、全体は思慮の足りない化学漂白に相当するということかい?そのようなものは全く益より害を多くもたらしかねない。なぜなら、あまりにも研究が少なすぎると私は思う。なぜなら普通、我々の研究者は、申し分ない予防成果を創るために本当の良質なワクチンにほぼ10-15年必要だから」。プター「そうなのだ。だが今、行われていることは、君がまさに迅速な漂白と呼んだことに該当する。つまり、手っ取り早いやり方でのワクチン生産だ。不十分でぞんざいに研究されている。したがって、有益な証明できる価値のものでもなく、効能や危険性のないことを証明するテスト結果も無い。したがって全体は、君がまさに言ったように、軽率にかき集められたと呼べる。そのような、究めつくされていないワクチンは疑わしいだけでなく、危険として判断されなければならない。なぜなら、君が名付けた迅速な漂白のために、危険性の無いことの安全と製品の実際の効能を保証するいかなる長年の試験とテストの知見に欠けているから。だが、今、コ ロ ナ ウイルスに対するワクチンの成立における理解は、適切で危険性の無い効果があるとして証明されるべきものであり、そのためにその効能に対する疑問であり、しかもワクチンが実施される時、この効能がポジティブあるいはネガティブなあり方で評価され得るかどうか疑問である。しかしそれは、もしそのような不十分な研究のテストされていない手段でワクチンを接種されるなら、実際のポジティブな効果のある調剤が問題なのである。それを私は敢えて疑う。同じように対立反応と作用が現れないことも疑うのである」。ビリー「つまり君が思うのは、その迅速な漂白ワクチンによって、事情によって悪い作用が生じ得る。例えば、長患いや疾病のような?」プター「そうだ。しかも直接的なだけでなく、特に後遺症として、これは非常に長期的な作用になることもある」。ビリー「するとすべては、まさにバラ色ではなさそう。したがって、ワクチンを接種する地球人、男女各々はいわゆるルーレットゲームに手を出す訳だ」。プター「確かにそう言える。だが今、エドゥアルト、愛する友よ、私には時間だ。なぜなら、私は義務を果たさなければならないから。さようなら、サーロメ、また会おう」。ビリー「君も達者で、プターまた会おう。愛する友よ」。第758回会見
2021.03.12

真実とは、人口過剰がすべての原因であり、最大の悪であるということ。これこそが最も大きな悪である。その愚かさゆえに、地球上の人口を非常に急速に減少させるという措置だけが、利益と救済をもたらすということを理解していない。つまり、世界人口が10億人を遥かに下回るところまで人類を削減すること。これだけである。数年にわたる世界的な公的な管理による出産停止措置によって、これだけでも、地球とその多様な生命が存在し続けるということが可能となる。自然界ではこの措置によって、植物、動物、生物、その他あらゆる属や種の生物など、毎年1,500以上の属や種の生命が、自然から完全に、そして永遠に絶滅するのを防ぐことができる。このようなことが起こるのは、産業、企業、会社、毒物ですべてを破壊する農業、大規模な園芸市場、農薬を撒き散らす個人園芸業者やその他の害虫駆除の専門業者、「人類の利益」のためにあらゆる種類の除草剤やその他の殺虫剤を散布する行政など、あらゆる種類の策略を通じて、そしてまた、企業、会社、農場、個人などが大気や全地球を汚染し、森林や干ばつ地帯をも焼き払い、こうして、人間、動物、鳥、あらゆる生命が呼吸するための空気を汚染している。さらに、地球の最後の埋蔵資源が採掘され、搾り取られている。これらは間もなく枯渇するだけでなく、資源の採取を続けることによって地球を弱体化させ、その結果、この惑星がもはや正常な軌道を維持できないほど、すでにダメージを受けている。大気も、かなり汚染され、さらにその自然な機能が損なわれているため、気候が変化し、将来的には、地球人が到底制御できないような壊滅的な自然災害をもたらすでしょう。それはすでに、自然全体と生態系全体がすでに破壊され、一部は再生が非常に困難なほど破壊され、あるいは永久に破壊され続けている。地球人は、卑しい金銭欲と富の貪欲さのために、また、生活のため、自分の必要や欲望のため、そして贅沢品などのために策略をめぐらすことによって、地表からその内部の深いところに至るまで、地球全体を本当に奪い、破壊してしきた。その結果、地球の貴重な資源はわずかしか残っていない。多くの属や種の動物や生き物、その他の生命でさえ、悪徳なハンターやその他の人々によって、ためらいも容赦もなく撃ち殺され、絶滅させられてきた。そうすることによって狩猟動物の生息数を調整できると主張してきたし、今でもそう主張している。しかしこれは、地球人の愚かな発想に過ぎない。というのは、自然の生き物、それも大自然の生き物の世界(あらゆるものが人間に押し流され、その上、自然やそのすべての生命の上に立とうとする人間がいる今日のどこに、そんなことをすることがあろうか?)、地球が誕生して以来、自然は自らを律してきた。しかし人間は、存在するものすべてにおいて地球を完全に、めちゃくちゃにしてしまった。そして今や、残されている残りのものまで破壊しようとしており、それによって地球という惑星を完全に破壊し、すべてを消し去ろうとしている。スファートと私は、この先、何が起こるかを見てきた。そして今、これまで見てきたことが実現し、地球がついに、無慈悲にも、無思慮にも破滅の道へと突き進む時が来ている。なぜなら、水が略奪される時が近づいて来たから(湖、その他の水域、川、小川、海の底深くまで)。しかし、すべての水中の生命は抵抗するでしょう。大量に繁殖するという事実に加え、野生生物が人類に反旗を翻す時が来た。陸生動物や野生動物などは、原生空間への人間の侵入からますます身を守り、侵入してきた人間を殺すようになるでしょう。特に海においては、人間が水生動物や水生生物、その他多くの種類の水棲生物に襲われ、殺され、船さえも破壊され沈没させられるでしょう。また、性パートナーを持たずに単独で過剰繁殖する海洋生物も出現するでしょう。海洋生物は何百万という単位で増殖し、海域での人類の技術的成果を攻撃して、役に立たないものにするでしょう。というのは、これまで知られていなかった未知のバクテリアやウイルスが、それぞれ海洋の深海や海底に生息し、その海底はかき回され、破壊され、地球人によってその資源を搾取することで人々に感染し、場合によって不治の病に多くの地球人は苦しむことになるでしょう。その過程で海底が破壊され、大量の表層の氷がほぐれて海面に浮き上がり、メタンガスに汚染される。メタンガスは太陽の熱で発火して燃え、地表を荒廃させるだけでなく、森林に火を付けることさえある。さらに、このメタンガスは大気圏に突入し、気象に甚大な損害と悪影響を及ぼすことになるでしょう。もしも、人々が次のようなことについて考えることができたなら(もしも、宗教的信念にしがみつかず、幻想的な考えを抱くのでもなく、本当に自分の頭で考えることが出来るなら)、そうすれば、本当の平和と呼ばれるものは、まったく違ったものに見えてくるでしょう。このことは、古代の昔から民衆を扇動し、他の民族に対して敵対心を抱かせ、戦争を仕掛けようとしていたのは、党派的な支配者だけだということが認識されていたから。自分の権力を乱用し、他国に対して敵対心を煽り、他の民族に対する憎悪と敵意を国民の大部分に吹き込み、その結果、憎しみの対象である他の民族を短期間あるいは長期間にわたって戦争で攻撃するのは、常に支配者であった。そして、自分たちがコントロールできない他民族に戦争を仕掛けていた。このように、決して正当化されることのない戦争を引き起こすのは、いつも支配者たちであった。古代の時代もそうであったように、戦争は決して正当化されるものではなく、憎しみ、死、殺人、過失致死、不正、破壊、苦しみ、困窮、悲惨、大量虐殺、そして最終的には病気や伝染病さえもたらすものであった。古代の昔から、戦争を始めるのは決してその国の人々ではなく、女性であれ男性であれ、王、皇帝、独裁者、専制君主、宗派の首長、大統領などの主要な支配者であり、政府や宗派のその他の要素を教化する者であった。教え込まれた結果、他の民族や他の信仰や宗派の人々に敵意や憎しみを抱くようになったこれらの人々は、すぐにその考えや暴力的な首謀者に同調するようになった。その結果、これらの人々は暴力への道を自ら切り開くことになり、一旦それが開かれてしまえば、それは必然的に戦争へとつながってしまった。これはもちろん、首謀者と同じ考えを持つすべての人たちによって、ためらうことなく賛同されるものであった。確かにこれらは一部の人々に過ぎなかったが、原則的に、首謀者とともに吠え、彼らの感覚に従って行動を起こすのは大多数であった。つまりその感覚とは、教え込まれた敵意と憎悪からであり、その結果、殺人、過失致死、破壊などが躊躇なく行われたのだが、少数派だけはそれとは異なる平和的で理性的な精神を持ち、敵意や憎しみに染まることを許さなかった。本当に緊急に必要なのは、地球の人々が自分自身で賢明な思考を養い始め、最終的には、「親愛なる神」がすでにすべてを規制するものではないことを理解し、そうして人間が望んでいた平和をもたらし、ついにはすべての戦争を終わらせ、二度と戦争を繰り返さないことである。地球上の人間は、あらゆることを思い描き、そのすべてを指揮しているのは自分自身であり、そして、自分で神と名付け、無意味に崇拝しているのも自分自身なのだということを、最終的に把握し、理解することである。というのは、実際には神など存在せず、この空想上の姿は人間の想像上の創作にすぎないから。宗教的に信じるのではなく、世俗的に信じるものでもなく、自立した思考を自ら育むことを学ぶことが、地球人には緊急に必要でしょう。そうして人間は、どの国や地域でも例外なく、実際に、自分の頭で物事を考えることを学ぶべきなのである。国家は、国民の選挙によって統治者を任命する場合には、観察を前提に、ただし限られた期間のみとし、その際、共同で統治している者または国民に対する扇動的な傾向や、敵対心や憎悪などが生じれば、直ちに赦されることなく罷免するよう注意しなければならない。しかし、それでも次のようなことが言える;人は人生のあらゆること、自分の行動、他の人との付き合い、そして一般的なすべてにおいて中立であるべきだということが理解されていないとしたら、それは非常に残念なこと。私の仕事というのは、世界中のどこでも、どの国でも、生涯を通じて、どのような状況でも、常に完全な中立性を保つことであり、そして人間としてのあらゆる習慣、あらゆる考え方を受け入れることである。こうして私は、宗教、世俗、無神論者、自然愛好家にかかわらず、あらゆる種類の信仰を持つすべての人を充分な敬意をもって尊重し、そしてまた、宗教的であれ、世俗的であれ、どのような習慣や慣習であれ、中立的な立場で観察し、正しいか間違っているかについて「意見」を述べたり、それについて表現したりすることを自分に許さなかった。どのような場合でも、意見を持つことは常に間違っている。そのような意見は常に仮定に基づくものであって、有効な真実のみに基づく絶対的な確信には決して基づかないから。だからこそ、中立を貫くことで、例えば他国や他民族の習慣や伝統が尊重されなかったり、攻撃されたり、単に台無しにされたりすることを避けることができる。しかしながら、中立的な立場に立つことができず、その結果、例えば、○○さんの習慣や宗教的・世俗的信条を受け入れることができない人は、声を大にして発言することを控えるべきであり、一般的な慣習などとは異なる行動をとる人は、ありのままを受け入れるべきである。けれども、このことを好まない人は、自分のことについてよく考え、正しいことをし、他の人と正しく接するために、自分自身を「律する」よう努めるべきであり、その人はその人らしく、自分以外の誰のものでもなく、その人自身の習慣や伝統に従って、その人が正しく生きるようにするのである。第855回会見抜粋ビリー「知りたいのは、死亡と同時に何かおめでたいことが起きた場合に、君たちの慣習ではどのようにするだろうか。私が聞こうと思うのは、非常に親しく懇意にしていた人物が埋葬されるとき、同時に祝い事がある場合、例えば自分の家族、例えば自分の子供に、あるいはまた親戚に結婚や婚約がある場合、君たちはどう処理するかということ。君たちプレヤール人は何を優先義務と見なすのかね、婚約や結婚か、それとも死んで埋葬される人物に最後の敬意を示すことかい?」プター「君が優先義務と呼んでいるものは、我々の下では次のように理解されて慣習となっている。すなわち、第一に埋葬の際に君が思いやりを込めて表現したように、死者に最後の敬意と評価が示される。このことはどんな種類の祝い事にも優先する。たとえそのような祝い事が自分の家族で起きた場合でも、つまり埋葬と同じときに、例えば自分の子供の結婚がある場合でも。両親または両親のどちらか一方がある人間と親密で誠実な友好関係にある場合も、その人が死んだら埋葬に参列して最後の敬意と評価を示すことが一番の義務で第一位であって、自分の子供や親戚の結婚という祝い事でさえ、等閑に付されることは言うまでもない。君たちが慣習にしている婚約の祝宴というものは我々にはない。なぜなら、我々の下ではそのような行為は祝宴なしで事が進められるから。というのも、二人の人間が生活をともにすることを、後日、開かれたパーティーあるいは、法的に縁を結ぶために、あらかじめ計画してお互い協力するとしたら、それはもっと単純な方法で行われる。我々のメンタリティーおよび風俗習慣に基づき、これはまた我々すべてのエラ民族に言えることだが、例外なくすべては私が、今説明したように処理されるよう、義務づけている。誠実な友情で親しかったか非常に懇意にしていた人間が埋葬されることになったら、どんな場合にも彼に最後の敬意を示しその真価を評価する以外の行動形態はあってはならないし、またありえない。したがってそのような状況で結婚式に出席することは、たとえそれが自分の家族もしくは自分の子や孫に起こる場合でもまったく考慮されない。なぜなら本当に親しく良い友人関係にあった故人に対して最後の敬意と評価を示すのは絶対の義務だから。もしこの義務が果たされないとしたら、それはこのうえなく無礼で恥知らずなことである」。ビリー「私もだいたいそのように理解している。というのは既に君の父親のスファートは私が子供の時分に、強く慕っていた父方の祖母が死んだとき、最後の敬意を示しに行かずに級友の小さい誕生祝いに行くことは私の義務と相容れないだろうと示唆した。そのことは当時すでに私に非常に深い印象を与えた。だからこそ後年インドやパキスタン、トルコやギリシャ、イタリアもしくはシチリアやトラーパニでも、人々が自分の子供の結婚式に参列したとき、私はその行動を理解できた。2日前にもノコデミオンのメモリーバンクを探し回って実際にこの行動形態を示唆しているのを見つけ出した。したがって、すでに非常に古い時代にそのように振る舞われていた。君が言ったことはスファートが私に強く勧めたことをよく考えると、次のことも理解できる。すなわち、故人に最後の敬意と評価を示すことが結婚祝いよりもはるかに重要なのは、故人に敬意を示しその真価を認めることができるのは、彼もしくは肉体がまだ埋葬されておらず、したがってその精気の振動がまだ存在していてなんらかの形で感じられる間だけだから。その一方で、結婚式を挙げる人々には、したがって自分の子供をはじめとする家族、そしてまた親戚にも人生はまだ続き、それゆえこれから長い期間に敬意と評価を示すことができる」。プター「このことは君が理解しているとおりに我々も理解している」。ビリー「ここで君たちの国と民族に関することでひとつの質問がある。君たちのもとでは民族の混合についてどのように考えているのかね?我々の場合それは数年来多くの国からやってくる庇護希望者や追放者、経済難民や犯罪者などによって世界中で起きている。特にそのことは我々の地球では、とりわけスイス、ドイツ、フランス、オーストリア、イギリス、アメリカ合衆国、オーストラリア、カナダで生じている。これらの先進工業国には数え切れない人間が流入しているから。ここで私が言っているのは、ここに挙げたすべての国々で求められている多種多様な職業の必要な専門家のことでない。実施上は怪しげな庇護希望者や追放者、経済難民や犯罪者だけのことを言っている。もちろん先進工業国に流入する人間は全体として人口過剰も重要な役割を占めている。それははっきりしている。だから民族はもはや入り混じった状況で共存できなくなり、たびたび婚約によって混合するが、それがまた健康や病気、政治や高まる生活不能などに関して新たな問題をもたらしている」。プター「我々の民族は皆、自由と平和の民主主義に生きており、したがって地球で起きていることと比較することはできない。だからまさに我々エラにあるのと同じ条件を当てはめて、地球のすべての国と民族を平和にさせるには大変な努力が必要でしょう。つまり独裁、敵対、専制政治、その他いかなる種類の強制による支配もなく、純粋に民主的な民族表決の当局があるだけである。どんな帝国や王国も、どんな共和国ももはや独裁として民主的に相応しくない。というのはこれらの体制では、自分で決定できる権力者だけが暴力と強制をもって支配するから。これについて言わなければならないのは、スイスも本来の直接民主主義ではないということ。というのは、すべての案件で唯一民族のみが決定するのではなく、もしくは君が一度言ったように民族が最初の発言権と最後の決定権を持つのではなく、いろいろな党がさまざまな見解を持っていようと、ある明確な事案でさまざまな利益を代表しようとも、特定の事柄は政府だけが決定する限り、それは直接民主主義とは言えず、部分民主主義としか言えない。このように述べたからと言って私はスイスの政治に介入する意図はなく、介入することはできないし、介入してはならない。なぜなら、私はこの説明で、我々プレヤール人が直接民主主義で理解していることを、また我々がこのような形の直接民主主義をどのように運用しているかを明らかにしたにすぎない。これに加えて言えば、我々の惑星系はすべての国々と民族に普遍民主的な形態を要求する世界政府を持っており、民族および個々の人間に対しては絶対的な平和と自由が主調をなしていなければならず、互いに対して戦争やその他の敵対的な行動が起こされてはならないことを要求する。さらに、エラ全体で財産と人の絶対的に自由な通行が保証されている。ただし、これに関しては植物相または動物相の種子、さらに植物自体、あるいはまた動物相の生命形態がある地域から別の地域に運ばれないように細心の注意が払われている。残念ながら地球では、愚かで無分別なグローバル化によりこれと反対のことが行われ、それにより多くの害が発生しているが、これからさらにいろいろな災いが降りかかるでしょう。また我々のエラでは人と製品に対する領土境界が全然なく、誰でも官吏などにチェックされずに行きたいところにはどこへでも自由に行くことができる。さて、すべてが自由に開かれているにもかかわらず、どの国の領土も固有の領界を有しており、これは全統一的にすべての民族によって尊重されて侵害されることはない。世界政府と言ってもすべての国と民族はそれぞれの風俗習慣に従って自立的に統治しており、世界政府の規則は存在しない。というのは世界政府が存在する唯一の理由は、惑星における平和と自由および立法に関する我々の世界価値システムが、他の惑星の政府と民族との交流に関して維持されるように取り計らうからである。日常と生活に必要なすべてに関する通常立法および特別立法に関して、この立法はすべての国と民族にわたって統一的であり、例外なくすべての人間の絶対的人間性、正義および平等を目指している。そのために世界中で唯一の同文の立法と法律の適用が定められており、すべての人間に対して適用される。それゆえ法律や条例は曲げることができない。これは地球上のすべての国の立法に当てはまり、その一部は例えば拷問や死刑に関するように、重大な人間の犯罪性である。我々の民族間の混合について言うと、ごく稀なケースで異なる民族の成員がお互いに契りを結ぶ場合にそのような形で現れるが、それは実際極めて稀である。通例として、個々の民族とその中で主流な民族集団は自分たちでまとまっており、それゆえ混合することも、彼らの風俗習慣が他の文化の影響によって変わることもない。これはすべての民族集団がそれぞれの健康状態と、それらのすべての特質を維持することに寄与しており、このことは病気があってもごく稀にしか発生しないことに役立っている。この民族非混合は全体としてまた病気や疾病が伝播しないことや、ある民族が他の民族、すなわち他の民族や他の人種に関しても、財産、製品または言語などに関してもなんらかの面倒ごとに陥らないことに寄与している。通常は民族の成員は自分たちでまとまっていて、(非常に稀な混合パートナーシップの場合のごく少数の例外を除いて)民族の混合も生じなければ、他の民族や家族や隣人などとの排外的および人種差別的な衝突も生じない。そしてやはり極めて重要なのは、我々はいかなる宗教や教派も、さまざまな政党や党派も知らないという事実である。すべてのプレヤール・エラ種族は一様に、霊的指導者が教える創造・自然の法則と勧告のみに心を寄せている。最後になお言わなければならない非常に重要なことは、我々のすべての民族では、それらの全文化的振る舞いに応じて、創造・自然の法則と勧告に一致することに関する立法の結果として、売春は存在しないという事実である。民主的な民族表決に関しては、我々の下ではすべてが次のように規制されている。すなわち、すべての民族もしくはそれらの住民が情報技術によって世界政府の中心およびその時々の民族当局と結ばれている。世界政府は一方ではそれ自身で、あるいはまた民族当局もしくは個々人の動議に基づいて動議および審議事項を策定し、これらを全住民の判定および選挙に委ねる。これに関してすべての民族もしくはそれらの住民は、票決もしくは君がいつもいう投票の3時間前に、公共の場所の至るところと住宅に票決作業のために取り付けられている相応の装置の前に、1回もしくは数回の投票のためにある時間滞在することが求められる。票決に付される事案はちょうど3時間後に、住民が投票装置の前で待機しているときに正式に公示される。票決事項の公示(1回に1件のみ扱われる)は、すべての長所だけでなくすべての短所も挙げて詳しく説明する形で行われる。すべての肯定的な事実と否定的な事実が挙げられた後で初めて、提起された票決事項を熟考し熟慮する時間が始まる。そのための時間は約30分に決められており、その間に全住民は彼らの意見もしくはイエスまたはノーを電子的手段で伝えることができる。これは言うまでもなく自動的に登録されて計数される。このようにして集団の影響力を生み出す目的で人々を大勢集めることができなくなっており、したがって投票者は全員自分たちの意見を表明しなければならない。発生するあらゆる種類のすべての選挙事項は、世界政府および民族当局に人を送り込むことも含めてこのように扱われる。さらに言っておかなければならないが、世界政府および当局は民主的な民族代表者にすぎず、それ以上でもそれ以下でもない。これらは法律と条令および種族の決議の遵守に関して、適切に配属された治安部隊と共に総監督を行うが、決して自己決定の権力は持たない。なぜならすべての事案や事柄の決定は、ひとえに惑星または民族の住民の権利だからである。それゆえ世界政府および民族当局は、惑星または民族の住民によって決定されることと異なる行動を決してしてはならない」。ビリー「ということは全体が一種のインターネットをベースにしているのだね?しかし迅速な決断と迅速な行動を要する危機や非常事態が生じた場合はどのようにするのかい?」プター「君の理解に従えば全体をそのように言うことができる。そして危機や非常事態が生じ、それが迅速な決断と迅速な行動を要したら、惑星全体の住民または当該民族のそれぞれ管轄の住民が、全員に向けた動員警報により票決装置に呼ばれる。この場合は活動時間として1時間しか与えられない。規定により各人には意見を表明する権利があり、それらを傾聴ならびに論評して、そこから最終的に論理的な決定を導き出し、そして票決しなければならない。しかしながらそうした状況は極めて稀にしかない。だから、前回そのような動員があったのは20年前にさかのぼる」。ビリー「しかしそのような動員のケースが発生したら、何かが決まるまでかなり時間がかかるのでは?」プター「実際そのようなことは多くの時間を要するが、言ったとおり危機や非常事態は極めて稀なのである」。ビリー「そのような状況では誰が全体を指揮・統率するのかね? また、そのような危機や非常事態は普通どんな種類のものだい?」プター「それらは事柄に精通している霊的指導者によって実施され処理される。惑星に関する事実であれば世界政府および世界住民とも協働で行う。単に国レベルの事案であれば、当該の民族当局とそれぞれの住民に求められる。危機や非常事態について言えば、これらは非常に多種である。例えばある民族またはプレヤール同盟の惑星全体の領域からそのようなことが要求されるならば、秩序の介入に関することがある。また例えば、宇宙からの危機が迫っている場合や自然災害などで、一つの民族、あるいは多くの民族または同盟の惑星全体の広範な支援活動もありうる」。ビリー「そうすると本来エラに関して見れば、エラとその住民に関するよりも国外もしくは他の惑星の状況のほうが多いのだね?」プター「そのとおりだよ。というのもエラでは人の記憶にある限り、自然現象についても住民についても危機や非常事態はもはや記録されていないから」。ビリー「なんと素晴らしい。地球でもそうあって欲しいもの。だが君の言葉から正しく汲み取ったとしたら、少なくともプレヤール同盟の全員が君たちプレヤール人のように高度な発達段階にあるわけではないということになるが、間違っているかね?おそらく同盟にもあまり平和的ではなく問題を起こす民族がいるのではないかい?」プター「君は間違っていない。というのは我々プレヤール人が同盟全体にわたりすべてを平和に保つことに尽力しているが、さまざまな同盟の民族は今なお悲しむべき争い、ひいては武装抗争を好んでいるから。それはごく稀とは言え、ときどき我々の介入を必要とする。しかしながら我々のどんな介入も、何よりもまずプレヤールの全住民の同意によって承認されなければならない。その際に我々の民主的な票決方法が求めるように、賛成と反対について十分検討し比較考量される。これに関する啓蒙活動は専門知識に基づいた霊的指導者と治安部隊が行うが、これらは相応の予見能力を持っており、講じられた措置を原因としてそこからどんな結果が生じるか事前に言うことができる」。ビリー「もし多くの人々が発言したら、混乱は生じないかね?そのうえ全世界の住民がしゃしゃり出ると思うと・・・」。プター「秩序が広く行き渡るように細心の注意が払われており、したがって節度が失われるようなことはない。どんな場合も思慮深く振る舞い発言するので長広舌は生まれない。個々人が何か言いたいことがある場合は、その異論なり寄稿なりが適切で理性に適っていれば中断されることはない。その場合のルールは、異議や説明や提案は短く的確に行い、可能性や必要な行動形態などを挙げること。残念ながら延々と話したがる演説好きもいるが、そのような多弁は中断されて、何か述べることがある次の人に発言権が渡される。複数の人が一緒に話すことは許されないので、これに関して混乱はない。こうして有益で、そして発生する危機または緊急問題に対処できる理性あふれる解決が生まれて票決に達するまでに数時間、それどころか2日間または場合によっては数日かかることがある」。ビリー「我々の下では、話は長いが中身は短いと言う。長々と話しながら全く実のあることを言わないというのは、残念ながら我々の地球でも政治の世界にある。それは我々のグループにおいても繰り返し見られること。我々の下でもすべてが完璧なわけではないから。少なからぬ人間が話したがる。だがその問題が、我々の若干のグループメンバーや政治家や我々、地球上の各民族の人々の間だけでなく、君たちの住民にも見られるというのを聞くのは面白い。ただ私の理解が正しければ、君たちの場合は私が思うに票決や動員や行動に関する話し合いなのであって、そのような場合には機会は演説好きにではなく、理性的な言葉や説明、行動要求や態度にだけ与えられるのでしょう」。プター「そのとおり。どんな長広舌もストップされ、発生する問題はどんな種類のものでも迅速、適切、効率的に処理されて解決に導かれなければならない。君がよく言うように、何事も延期されてはならない。さらに君が言うのは正しく、長い演説はしばしば意味をあまり、あるいは全く生まず、際限のない不毛な議論を招くだけである。それによって、明瞭さと価値ある決定よりもはるかに多くの不明な点が生じる。なぜなら、実効的な解決が見出されないから。適切で正しい決断は、簡潔で的確な、したがって誤解の余地のない明瞭な、理性を伝える言葉によってのみ成立する」。ビリー「私も同じ意見だ。私が正しく理解したとしたら、君たちの民主主義は全体としてスイスのグラールス州とアッペンツェル州にまだある民主的な州民集会に似たものだと理解して良いだろう。しかしながら投票に関して事前にある事案についてプロパガンダもしくは宣伝をしてはならないという点は今言ったスイスの州民集会とは違っている。君たちの場合は集団の影響力が生じることがないように、また君が言ったように人々の糾合が起こり得ないようにするために、選挙事項は選挙の直前に公にされる。そして選挙のための時間が30分しかなく、各人は事実上自分自身と自分の意見にだけ向けられるので、民族全体または党派の選挙運動は起こり得ない。そうすることによって党制度や党独裁も起こり得ないが、それは公正で適切で民主的だと思う」。プター「そのとおり。我々はこのように直接民主主義を運用している。それはあらゆる点で、全惑星の住民が票決により判定し、正しいと見なさなければ、世界政府も国とその民族の当局も何かを自ら決議をして命令を発布してはならないと定めている。すでに説明したように、すべての国々もしくはその住民は、全民族に一様に関係するその他すべての事柄に関しても、惑星全体で有効な統一的立法と決定権限を持っている。ある民族の中で当局が選ばれたら、これはもちろん当該民族もしくはその住民だけに該当するが、票決手順は惑星全体の票決が行われるのと同じである」。ビリー「つまり、民族当局または世界政府に誰が属するかも民族だけが決められるのだね?」プター「実際そうだ。この点でもそのような手順だけが直接民主主義に適っているから」。ビリー「よく分かった。ではもうひとつ、人間のトラウマ経験について質問がある。君の父のスファートがトラウマ経験は遺伝子に影響して、遺伝子を事実上プログラムし、それによってそのような経験が子孫に遺伝すると言ったことがある。これについて何か言ってもらえないかい?」プター「私の父が言ったことは、実際にそのとおり。トラウマ経験は思考と感情、したがってまた心にも負担を与える。これら3つの因子が遺伝子に影響して、君が言うようにプログラムする。この場合、遺伝子に関して次のことが理解されなければならない。すなわち遺伝子はDNS上の一部であり、遺伝子はまとまって一つの単位をなす複数の塩基である。遺伝子はRNSを生成するための基本情報を含んでおり、これはDNSの生成予定部分に相当する。遺伝子はまた髪の色など特定の機能を受け持つので特徴素因と呼ぶこともできる。一個の遺伝子は、まさに遺伝情報を担っているので遺伝要因である。したがって遺伝子の働きによって、いったんその中に保存された情報は世代から世代へと伝えられ、もしくはいったん遺伝子の中に固定された特徴は遺伝によって子孫に発現し、もしくは伝達される。その際にDNSもある役割を果たす。というのは、DNSは本来の遺伝物質だからであり、遺伝子やプラスミドもこの物質から構成されているから。この場合、遺伝子は特定のタンパク分子に対するコードが与えられているDNSの部分である。プラセミドはDNSのセグメントであり、これは環状に閉じており複数の遺伝子を包含できる。さて思考と感情、心と肉体的因子により遺伝子中に沈殿するトラウマ経験および体験の遺伝に関して言うと、これは数多くの世代にわたって遺伝され、長い目で見れば子からその子、さらにその子というように影響を与える。ストレス症候群や恐怖症、さらには習慣や個性、振る舞い方や身体の姿勢および動きなども同様に遺伝による因子であり、悟性や理性や知性もそう。この場合、すべてのものは肯定的なことにおいても否定的なことにおいてもありうる」。第582回会見
2021.03.06

〇ビリーマイヤーの言葉正しく生きることは学ぶこと・・・。非常の多くの人々が、人生に関して多くの物事において自信がない。それについての理由は非常にさまざまである。しかし、最も重要な理由は、人々が一つの時代、つまりその時代はもはや古い伝統によって形作られておらず、伝統は別れを告げ、そして忘れ去られてしまったが、その際、新しい物差しがまだ見つかっていない時代に生きているという事実の中にある。しかしながら、新しい人生の物差しを見つけるということは、そのためには古い伝統を考慮に入れ、そこから必要で重要なものを新しいものに統合させなければならない。そうすることによってのみ、本当の進化が達成されうるから。こうして古い伝統つまり物差しの順序から、古いものの必要な部分、良い部分を残した新しい秩序が生まれてくる。それを通して進化の新しくやってくるものを保証する、新しい秩序が生まれなければならない。事実、大多数の人々は、彼らに安全を保証し、彼らの足元に確固たる基盤を与えてくれる固定的な秩序を切望している。これらの秩序は人々が、正しいアイデア、思考、感情を育成するために、それらのうちの正しい決定を見つけ行うために助けなければならない。しかしまたこれらの秩序は、彼らが彼らの仲間の人間との関係を平和的かつ調和のとれた方法で、調和させるために人々の行動を決定しなければならない。しかしそのことは、正しく生きることを意味する。そしてそのことが最初に学ばなければならない。なぜなら事前の学習がなければ、いかなる正しい人生は成り立たないから。この方法での正しい学びは、しかし効果的な教育プロセスであり、教育者によって教えられなければならない。それは独学のプロセスであるため、教育のめったにない人で多くの人達に近寄らないような人は、したがって、これを自分の主導で行うことは困難である。多くの人々は、もし生きるべき人生は学ばねばならないということを、彼らが学ばなければならないことを知ったなら、確かにこの観点で学ぼうとするでしょう。残念なことにしかしながらしばしば彼らは、自分たちが学んでいかなければならない夫々の道を見つけるために、自分たちに必要なアドバイスを与えてくれる信頼できるどんなカウンセラーも見つけられない。確かに、人々の繁栄と幸せな人生を約束してくれるカウンセラーがいないわけではないが、しかし昔から彼らの言葉が空っぽで内容のない、これらのカウンセラーの大部分は軽々しく信用してはいけないということが、経験と体験によって証明されている。これに関して、いかなる約束もすることはできないというのが事実である。なぜなら、すべては一人ひとりによって、非常に厳しく努力してものにしなければならないから。すべての繁栄とすべての幸福は、多くのハードワークで支払われる必要があり、この仕事もそのようなものでなければならず、これは十分な精神的なバランスと回復力があり、それなしでは新しいモチベーションや進歩はない。すべての人は自分の人生が良く、進歩的で、幸せと友好的であるだけでなく、愛と平和と自由と調和に満ちたものになるようにすべてを自分で行わなければならない。したがってこのことを教え、これらの価値観が自分のものになるように、人間が自分のために努力しなければならないことを指摘する唯一のアドバイスは良いというもの。しかし、それにもかかわらず、健康や病気など人の手や意志に委ねられないことも多く残されているが、家族の中で人々と一緒に住んでいて彼らと生活を共有されなければならないという事実も残っている。しかしこれは、国の平和の確保、世界の秩序の確保、職場の安全の確保なども同様である。このようにとても小さくなってしまった現代の世界では、多くのことは一人の人間の手にも意志にも負えず、その結果、遠くの出来事の影響を受けて逆境に陥ったときなど多くのことに対して何もできない。これに伴い将来について心配しているだけでなく、健全で正しい教育を受けて育った子孫の心配以外にも、残念ながら今日の時代には適切な教育と必要な自己教育が不足しているためますます不確かなものとなっている。こうして、そうである以上、人間の満足度が問われるのは必然であり真に人生を生きるためには、まず根本的に学ばなければならない。太古の昔から、そして現代ではなおさら、人々はこの世界や自分の人生のすべての不確実性だけでなく、これまでの自分の人生の不安を解決してくれる人はどこにいるのだろうかと問いかけてきた。これが今の時代、人々がますます求められていることなのだが、この地球上の多くのカウンセラーには答えも解決策もない。これは一方で、それらのカウンセラーは自分自身や一般の人々にアドバイスを与えることができないためであり、彼らに人生経験の必要な知識と知恵、創造と自然の法則と掟、そしてすべての霊の教えによる必要な専門的知識に欠けているから。これらすべてのことに対する答えは、人は自分の人生の真の偉大さに出会うこれらの高い価値観からしか出てこない。このことは、人がこれらの価値に目を向け、実際に人生を生きることを学ぶために自分自身の中で成長させたなら、創造的かつ自然な意味と真の力の中で、それは愛、平和、自由、調和の中で発展できるのである。ビリー 2010年
2021.02.25

全一 レイ・ライン 合流点 ワンネス労働と瞑想は密接な関係にある責任を自覚するすべての人間は、地球人類の行末に関する多くのテーマについて憂慮するのが普通である。その中でも最も重要であり常に最新のテーマとして熟考され思索されるのは、平和である。だが地球上の平和や戦争には、一個の人間は影響を及ぼし得ず、何らかの権力がそれを決定しているようである。権力者が地球人類を自己破壊の淵に追いやるのを誰が阻止できるというのか。しかしこの諦観的で運命的な考えこそが、権勢欲にあふれ懸命にすべてを我がものにしようと努力するあの権力に、門戸を開くものとなる。だが平和は、デモによって勝ち取ることはできない。そのためには各国間の連帯感はもとより、人間の人類としての連帯意識も強化されないことには不可能だから。世界平和に不可欠のこの連帯意識は、一人ひとりの人間の心の内で深められ、地球上の一人ひとりの人間に向け発せられなければならない。すべての人間は同じ創造の法則に組み込まれ、創造によって与えられた同じ権利を持つという意識は、言葉では言い表されるものではない。それは、内的平和と内的認識からのみ生まれ育ったものだから。すべての人間は共通の目的を目指し、その達成にはすべての人間が重要であるという内的認識から発したものだから。平和への努力はどのようなものであっても一人ひとりの人間がなすべきことだが、個々の人間、そして人類全体が、平和への努力を支持および助成することは可能である。それには、約3,381人の地球の人間(1989年11月現在)と35億人の宇宙の人間が共に毎月6回行う平和瞑想が役立つ。平和瞑想に参加するには、所定の規則と所定の瞑想時間を厳密に守る必要がある。平和瞑想は毎月第1と第3の週末に実施する。1)土曜日 中部ヨーロッパ標準時 18時30分(夏時間19時30分) 注)日本時間 日曜日AM2時30分2) 中部ヨーロッパ標準時 20時00分(夏時間21時00分) 注)日本時間 日曜日AM4時00分3)日曜日 中部ヨーロッパ標準時 20時00分(夏時間21時00分) 注)日本時間 月曜日AM4時00分 2011年から日本や極東地域の人のために、プレヤール人のクウェッツァルの装置的援助により次の時間帯が増えた。4)日本時間 毎月第2日曜日AM10時30分中部ヨーロッパ標準時圏外の諸国では、これと同時刻に相当する現地時間に瞑想を行う。平和瞑想の時間は正確に20分とする。記載した時刻はすべて正しく誠実に守らなければならない。ラジオの時報もしくはブラウンシュヴアイクの原子時計を基準として使用する。原則として、瞑想時間が基準より遅いよりも、数秒早い方が良いことを銘記されたい。瞑想の終了は例えば電子目覚まし時計のピーッという音など、弱音化した音響信号を使って通知する。平和瞑想に参加する人々は力の中心と結合される。国内あるいは国外のどこで平和瞑想に参加するかは重要ではない。重要なのは、所定の開始時刻を厳守すること。そして平和瞑想のための言辞を用いることだけ。平和瞑想のためには、静かで邪魔されない、できる限り騒音の少ない場所を選ぶのが有効である。平和瞑想に参加する場合は、参加者数に適した瞑想姿勢をとり、瞑想を開始する少し前に隣に座る人の手を握って円陣を作る。瞑想の途中で中断してはならない。平和瞑想を行っている間は、参加者は絶対静粛を保ち、目を閉じて小声で瞑想の文章を唱える。瞑想中には瞑想に直接関与すること以外を考えてはならない。文言を唱える速度は瞑想者がそれぞれ自分の判断で決め、他の参加者を顧慮する必要はない。平和瞑想の文言は古代リラ語から来ており、古く昔から平和を保つためあるいは取り戻すためのものとして用いられてきた。説明された方法に従い、瞑想時間やその他の規則を厳密に守ることによってのみ、この効力は発現する。説明された方法に従った場合のみ、地球人に平和のインパルスは必要とする変化を誘発できる。特別な、非常に古い規定に基づき、すべての地球人はこの平和のインパルスに感応でき、この種の平和のインパルスのみを受け入れて利用できる。また、それによって初めて平和の成果が現れる。平和瞑想に重要な文言を以下に示す。Salome gam nan ben.Urda gan njber asala Hesporona.(サーロメ ガム ナーン ベン ウールダ ガン ニーバー アサーラ ヘスポローナ)地上とすべての被造物に平和がもたらされますように。古代リラ語の文章で下線が引かれた文字は強調し、長く発音する。・エノクの預言クウェッツァル「エノクの預言を告げる前に言っておきたいことがある。すなわち、預言(Prophetien)というものは変更可能であり、人間がその思考、感情および行為を肯定的に変えるならば良い方向に転換でき、そうした変化がより良いもの、肯定的で進歩的なものにつながる。預言は常に特定の原因に基づいており、そしてこれらの原因からまた特定の結果が生まれるが、先行する原因が形を変えたならば、これらの結果も常に変わり得る。だから否定的な預言や邪悪な預言も、先行する原因が目的に沿って肯定的に変化し、そこから否定的なものや邪悪なものに代わって肯定的なものや善いものが生じるならば、決して実現することはないのである。ただしこれは予告(Voraussagen)には当てはまらない。なぜならば、予告は将来絶対確実に起こるであろう変更不可能な出来事に基づいているから。予告は予視、すなわち直接的な未来透視に基づいており、預言とも確率計算ともなんら関係ない。したがって私が君に第3千年紀に関するエノクの預言の一部を告げても、それらが必ず本当に実現するということを意味しない。なぜならば、預言の実現というものはいかなる場合も、すでにある原因が維持され、あるいはまた将来新たな原因が生み出されることを前提としているからであり、それによって初めて預言は実現し得るのである。それゆえ地球の人間が理性的になるということを前提とするならば、理性的に思考するようになり、感情が理性的に発達し、同様に理性的に行動することによって、すべてが善に、より善いもの、肯定的なものに転換する可能性が常にあり、そのため預言が必ず実現するとは限らない。しかしこのような転換が起こらなければ、来るべき新たな千年紀において、非常に邪悪で否定的な時代が地球とその全住民を待ち受けることになるでしょう」。ビリー「先の第2次世界大戦以来、地球人の思考、感情および行動は非常に多くが肯定的で善いものに変わったが、私の見るところ、それだけでは十分ではない。なぜならばより善いものへの大転換は、この世界の権力者たちによっても、地球人全体によってもなされなかったから。過去数年間に君たちは地球の経済、軍事および政治情勢について多くの予告や確率計算をし、預言的な事件も述べた。そして私はそれらを広めるよう求められ、実行した。政府や新聞、ラジオ局だけでなく、テレビ局や世界中の多くの民間人にも情報を提供した。しかしそうしたすべてのことは何ももたらさなかった。なぜならば、彼らはこれまで旧態依然としたやり方で漫然と過ごし、預言や予告や確率計算に強い関心を示さなかったからである。私が君たちの許可を得て、第3千年紀に関するエノクの預言を広めたとしても全く同じことでしょう。それにもかかわらず、私はエノクの未来に関するメッセージを広く知らせねばならないと思っている。それがどこかで豊かな実を結ぶかもしれないから」。クウェッツァル「君が希望を失うことはあるまい。君の楽天主義は実に立派であり、それが人間の耳に届くことを祈る。が、しかし、今世紀は今日に至るまでそうであったように、地球の人間が熟慮して君の言葉に耳を傾けるということに、過度な期待を抱くことはできない。人々が耳を傾けるようになるのは、預言が真実のものとなり始めるか、あるいはすでに実現したときでしょう。おそらくそのとき初めて、君が我々とコンタクトを取っていることに関する誹謗中傷が鳴り止むでしょう。君の敵、さらには病的な知ったかぶり屋や酷評家たちは長年にわたり我々のコンタクトを躍起になって否定し、詐欺、ペテンと片付けている。だが遠い将来、我々と君とのコンタクトは完全な真実であることが証明されるでしょう。そのとき人間は、我々が君を介して彼らに与える救いを受け入れるでしょう。彼らは、我々が地球人の知っているスバルから来ていると誤解してはいるが」。ビリー「それについてはセミヤーゼもプターも私に説明してくれた。では、エノクの預言によると、新しい千年紀において地球人と惑星地球がどうなるのか聞かせてくれたまえ」。クウェッツァル「すぐに始めよう。ただあらかじめ言っておくと、私は正確な年を公式に举げることは許されていない」。ビリー「それはわかっている。全く問題ない。しかし人間がより良く理解できるように、預言を少しわかりやすい現代語で表現してもらえるとありがたいが、エノクの古い言い回しや書き方は、今日のたいていの地球人にとって理解しにくいであろうから。つまり平明な言葉と叙述が望ましく、預言が謎や秘密に満ちたものにならないようにしてもらいたい。私がすべてを公表すべきであるならば、平明で、わかりやすく、暗号化されていない預言であることが重要でしょう。なぜなら、理解しやすい預言だけが有益であり得ると思うから。暗号を使うと、人間には何も理解できないために、興味を失ってしまうから。私の経験によれば、人間はある事柄をわかりやすく明解に説明されると、非常に鋭敏になり、より深く、強い関心を持って取り組むもの。預言などを暗号化することによって不安がある程度和らぐというのは事実その通りだが、他方、理解されることが少なければ少ないほど、不安はますます大きくなる。なぜならば、粗野な空想がうごめき扇動し始めて、ものすごい不安や恐怖心が生まれるから」。クウェッツァル「君の言うことは正しい。エノクの預言をわかりやすい形で述べることにしよう。では始めよう。地球の人間がこれからも今までと同じやり方で生きるならば、同様にその思考と感情を今までと同じように形成し、同じ行動パターンにふけるならば、これについてエノクの預言は明瞭な言葉で語る。預言が実現し始める時点、それはローマに法王が居住しなくなるときでしょう。そのときヨーロッパ中が、邪悪な権力により恐るべき折檻に見舞われるでしょう。キリスト教は崩壊し、教会や修道院は灰燼に帰すでしょう。科学によって恐るべき力が作り出され、軍や軍隊、そしてテロリストによって行使され、大規模な破滅が起こるでしょう。数百万、それどころか数十億の人間がテロ行為や戦争や内戦によって殺されよう。そしてある所では3人に1人、また別の所では4人に1人が命を失うでしょう。東の国家は西の国家に対して立ち上がり、西の国家は東の国家に対して立ち上がるでしょう。戦闘機や爆撃機によって多くの人間が殺され、爆弾とミサイルが大小さまざまな村や町を破壊し、壊滅させるでしょう。これに対して人間は完全に無力であり、888日間にわたりこの世のあらゆる地獄を体験し、飢餓と疫病に苦しめられよう。これらは今や戦争そのものよりも多くの人間の命を奪うでしょう。かつて地球上に例を見ないほど苛酷な時代となるでしょう。なぜならば最後には何も買ったり、売ったりできなくなるから。食料はすべて配給制となるでしょう。パン一切れでも盗んだなら、命をもって支払わねばならないでしょう。かつてエジプトのナイル川が血で赤く染まったように、多くの水域は人間の血が混じって赤みを帯びるでしょう。イスラムの狂信者が決起してヨーロッパの国々を戦争で蹂躙し、それによって一切が激しく揺り動かされるでしょう。西側ではすべてが破壊され、英国は打ち破られて、最も悲惨な状況に投げ込まれるでしょう。イスラム狂信主義者とイスラム戦士は、長い年月にわたってその権力を維持するでしょう。しかしこうしたすべてのことはヨーロッパだけに限られるものではなく、地球のすべての国と人間が巻き込まれるでしょう。なぜならば、一切が世界中を巻き込む戦争へと拡大していくだろうから。法王権は新しい千年紀にはごく短期間しか存在しないでしょう。ヨハネ・パウロ2世は、最後から3人目の法王となるでしょう。彼の後にもう1人司教が続き、その後にロマン人のペトロと呼ばれる大祭司がくるでしょう。その宗教的支配下で、カトリック教会は終焉を迎え、カトリック教会の完全なる崩壊は避けられないでしょう。それは、将来地球と地球人を見舞う最悪の破局の始まりでしょう。多くのカトリック教徒の聖職者、僧侶、司教、枢機卿、その他大勢が殺害されて大量の血を流すでしょう。プロテスタント教会もカトリック教会と同様、極めて小さくなるでしょう。科学者の罪により、権力亡者とその軍、戦士およびテロリストは、あらゆる種類のレーザー兵器や、核兵器、化学兵器および生物兵器によって強大な力を獲得するでしょう。遺伝子工学に関しても、とんでもない乱用が行われるでしょう。なぜならば遺伝子工学は、制限を受けることなく戦争目的に利用されるから。その最たるものが戦闘人間のクローン化である。これは昔、ヘノク(Henok)の子孫がシリウス領域で行ったことがある。しかし驚愕はこれに尽きるものではない。遺伝子工学やABC兵器と並んで、これらよりはるかに悪質で、危険で、致命的な大量破壊兵器が製造され、使用されるだろうから。恥知らずにも権力を乱用する無責任な政治家も、これらに仕える科学者や隷属的な軍も、死の恐怖をもって支配し、クローン生物を作り出す。これらのクローン生物は完全な良心の欠如のもとに育てられ、殺戮機械に仕立て上げられて、いかなる感情も持たずに隊列を組んですべてのものを破壊し、殺害し、壊滅する。他のすべての西側資本主義国と並んで、真っ先に東の国々と戦うのはアメリカ合衆国でしょう。他方、彼らはまた東からの侵入者に対して自国を防衛せねばならない。総じてアメリカが決定的な役割を果たすでしょう。なぜならば、アメリカは平和への努力とテロ撲滅を隠れ蓑にして地球の多くの国々に侵入し、すべてを爆破し、破壊し、何千という住民を殺すから。アメリカ合衆国の軍事政策は、経済政策やその他の政策と同じく限度を知らない。そうした政策は、かなり以前からそうであったように、世界警察の権力を構築し、これを行使することをめざして策定されるでしょう。だが、それだけではない。いわゆる平和的なグローバル化の隠れ蓑のもとで、アメリカの政治は経済による絶対的な世界支配を追求するから。そしてそれは、大多数の人間がついに理性を持ち、自分たちの政府と軍およびその諜報機関による狂気の策謀に対して必要な措置を講じ、無責任な責任者の権力をすべての分野で禁止しないならば、第3次世界大戦が勃発し得る方向へと向かうでしょう 。もしそうしなければ、大小さまざまな民族は独立と文化的なアイデンティティを失って、意気阻喪するでしょう。なぜならばアメリカは邪悪な暴力によって彼らに対する優位に立ち、自分たちの意のままにしようとするから。最初、多くの国々はアメリカの攻撃と制裁に対する不安から、合衆国狼の声に合わせて吠えるでしょう。スイスやドイツといった国々の多くの無責任者もそうするでしょう。しかしまた別の国々は、なんらかの形で強制され、あるいはアメリカの宣伝や、無責任者のアメリカ寄りのプロパガンダに惑わされて同調するでしょう。だが最後には、アジア、アフリカ、そしてまたヨーロッパの多くの国々は、自分たちがアメリカ合衆国の戦争と征服と搾取の目的のためだけに利用されていることに気付いたとき、アメリカの覇権に対して立ち上がるでしょう。したがって最初に多くの国々がアメリカの手下国となった後、政府の責任者や多くの国民に理性と認識が訪れて、合衆国に対する離反が行われるのである。しかし大規模な戦争は避けられないでしょう。なぜならば、地球の人間はより善いもの、つまり真の愛、真の自由と平和への指示を見いだせないだろうから。なぜならば、彼らの努力は安楽や楽しみや富、そして手でつかめるすべての物質的な価値と快楽に、そしてまた際限のない権力に向けられているからである。殺傷力の強い大規模な戦車部隊が国土を踏みにじり、戦闘機やミサイルが空中を飛び交って、国と人々に死と滅亡と破壊と破滅をもたらすでしょう。こうして悪い時代が到来して、軍隊は統制を離れて野蛮で邪悪な荒廃をもたらし、人間に対して想像を絶する大量殺戮を加えるでしょう。人間はこの蛮行をなすすべもなく傍観するしかない。君と我々の警告は地球の大部分の人間が馬耳東風と聞き流すが、それでも愛と平和、自由と真理に関する君と我々の言葉に従うならば、少しは救われ、最悪の事態を免れるでしょう。だが、まさにそれは残念ながらありそうにない。計算と観察の結果からすると、今後数十年の間に第3次世界大戦が勃発する可能性は高いと思われるが、実際にそうなればこの途方もない破局の最大の犠牲者となるのは何よりも大多数の民間人でしょう。そしてその罪はとりわけ無責任な科学者にある。彼らは良心と感情を欠いたクローン人間の戦闘機械や、途轍もない殺傷力を持ち、何でも破壊するコンピューター兵器を生み出すでしょう。この場合に懸念されるのは、人間による戦闘機械および殺戮機械、すなわち戦闘クローンが自立して、独力で地球人や惑星に死と荒廃、破壊と破滅をもたらすようになること。こうしてすべてが、それまで地球上に存在したこともないほどに凄まじい地獄となるでしょう。この残酷な出来事はちょうど888日間続き、文明は崩壊するでしょう。が、この恐るべきシナリオはなおも続くでしょう。なぜならば人間の間に伝染病や流行病やさまざまな種類の疾患、そしてものすごい飢餓が蔓延し、世界経済は完全に破壊されて沈滞し、なんらかの財をも生産することができなくなるから。言うまでもなくすべての食料や薬品などは配給制となり、これらの財を横領した者は死をもって償わねばならない。しかし戦争の狂気は陸上で広がるだけではない。破滅は大海や大気圏、それどころか宇宙にまで持ち込まれるでしょう。また、未来に誕生する海中団地も攻撃されて壊滅し、何千もの人間が命を落とすでしょう。しかしまた破滅の渦は海中の施設からも生じるでしょう。すなわち、海底都市で結成された潜水艦海賊団が、深い海中から浮上して、水面上で艦隊に激しい攻撃を加え、破滅的な戦闘行為に巻き込むでしょう。そしてこのときに、地球外勢力が介入して西側の先進工業国を攻撃するという可能性が現実となり得る。なぜならば、西側の先進工業国は来るべき邪悪な時代の途方もない災厄に対するすべての責任を負っているから。もしこの可能性が現実となったら、そのとき地球外勢力は、その匿名性と秘密をかなぐり捨て、無責任な行動をする西側国家によって恐怖におとしめられている人々を助けるでしょう。しかしまた黙示録を思わせるような自然災害も発生して、ヨーロッパ中を震撼させるでしょう。それにもかかわらずヨーロッパは、途方もなく多くのものが破壊されてもなお存続するでしょう。他方では極西、すなわちアメリカ合衆国では様子は異なり、国土は完全に破壊されているでしょう。その原因はいろいろあり得る。アメリカは遠い将来までひっきりなしに国際間の紛争を起こし続けて、世界中にアメリカに対する激しい憎しみを生み出す。その結果、アメリカを途方もない破局が見舞うが、それは地球の人間にとってほとんど想像もできないような規模に達するでしょう。WTSすなわち世界貿易センタービルのテロ破壊は、ほんの始まりにすぎないでしょう。すべての黙示録を思わせるような出来事はABC兵器、レーザー兵器その他信じられないほど殺傷力の強い破壊兵器や、クローン化された殺戮機械によって生じるだけでなく、地球の人間によって無責任にも徹底的に痛めつけられた世界と自然が立ち上がり、地球にこのうえなくひどい破壊と死をもたらすでしょう。激しい火災旋風とものすごい竜巻が合衆国を見舞い、人間の記憶にないほど凄まじい荒廃と破壊と破滅をもたらすでしょう。アメリカだけでなく、新しい千年紀が始まってもなお、発展途上国や第3世界の国々を制圧し支配できるという狂気を抱いている他のすべての西側先進工業国も、まもなくそれらの国々に対する影響力を失うばかりか、それらの攻撃から我が身を守らねばならなくなるでしょう。エノクの預言によれば、実のところ先進工業国は本当の文明国ではなく、見せかけだけの文明国とみなさねばならない。なぜならば、彼らは20世紀の終わり、そして新しい第3千年紀の始まりに近づけば近づくほど、ますます一切の真の愛、真の自由と英知、そして真の平和を、そしてまたヒューマニティと真の人間存在のすべての価値を踏みにじるから。しかしこうしたすべてのことも、邪悪な出来事が生じた後でさえ引き続きすべての民族に対して攻撃を仕掛けることを合衆国にやめさせはしないでしょう。北アメリカ大陸が、それまで記録にないほどひどい大災害に見舞われようとも、軍隊はコンピューターやABC兵器を駆使して殺戮を続けるでしょう。その際、コンピューター兵器が自立し、もはや人間にコントロールできなくなるということが起こるでしょう。以上がエノクの預言の最も重要な部分の概要である」。ビリー「だが、告げるべきことはもっとあるはず。どうか、それを語ってもらいたい、少なくとも君は私にそう言ったことがある」。クウェッツァル「君は倦むことを知らないね。では預言の中からあといくつか重要なことを語ろう。地球上ではすでに新しい伝染病が人間の間に広がっているが、エノクが預言したところによれば、その後にも数多くの伝染病が続くでしょう。1990年代にはエイズが世界中に広がるだけでなく、来たるべき新しい千年紀になっても、いろいろな伝染病が生じるでしょう。たとえば、いわゆる狂牛病もしくはBSE、そしてそこからクロイツフェルト・ヤコブ病のさまざまな症状が発生するでしょう。エボラと呼ばれる伝染病も、その他の伝染病や病気と同様に多くの死者を出すでしょう。そうした病気の一部はまるで流行病のように出現して、それまで経験したことのない地球の人間に謎を投げかけるでしょう。主として政治に関しては、多くの不気味な事件が起きるでしょう。第3次世界大戦が始まる前に、フランスとスペインの武装勢力が衝突するでしょう。しかしフランスはスペインとの紛争を最後まで戦い抜くことはしないでしょう。というのは、ロシアやスウェーデンのように、フランスでも国内に大きな暴動が起こり、政府転覆や内戦に発展するから。特にフランスとスウェーデンでは、たとえば欧州連合の策謀とその独裁的な発令が、多くの暴動と蜂起に火をつけるでしょう。が、これらの国々ではギャングや組織犯罪も寄与して、内戦は避けられまい。これに加えて、生まれつき国籍を持っている者と、移住してきた外国人との間に重大な差別が生じるでしょう。外国移民はたいてい自国民とは異なる宗教を信じている。そしてまさにこのことも、時間が経つに連れてますます深刻な紛争を招くでしょう。排外主義、外国人排斥、そして他の宗教を信じる者への憎しみが、台頭するネオナチ、テロ、極右主義などとともに日常茶飯事となるでしょう。イングランドやウェールズや北アイルランドでも内戦状態になり、多くの死者を出すでしょう。ソビエト連邦はこの80年代に、あるいは遅くとも次の10年間が始まるときには消滅するでしょう。そのキーマンとなるのは、ミハイル・ゴルバチョフでしょう。だがそれによって平安が訪れるわけではない。なぜかと言うと、新しく生まれ変わったロシアは、長い過去の歴史を引き継ぎ、内モンゴルを巡って中国と衝突するだろうから。その結果、ロシアは領土の一部を中国に譲渡することになるでしょう。まさにこの中国が危険な国になるでしょう。わけても現在すでに理想的な関係にはないインドに対してである。中国はインドに侵攻するでしょう。もし生物兵器が使用されたら、ニューデリーとその周辺だけで3000万人が殺されるでしょう。それのみならず、その時点では生物剤を装填して使用される爆弾やミサイルはまだ制御できないため、そのときまだ知られていない恐ろしい伝染病が発生して急速に広がり、多くの地域を見舞うでしょう。パキスタンもある事情からインドと交戦するように誘惑されるであろうが、両国は核兵器を開発しているので、それは危険極まりないものとなるでしょう。ロシアもまた平安をもたらすことはないでしょう。ロシアはスカンジナビアを攻撃し、その結果、すべてがヨーロッパ中に拡大するでしょう。そのわずか数カ月前には恐ろしい竜巻が北欧で荒れ狂い、実に多くのものを荒廃させ、破壊するでしょう。ロシアの攻撃について言うと、それは夏の期間に、アルハンゲリスクを起点に遂行されるでしょう。このときデンマークは戦争行為に巻き込まれないが、その理由はこの国が重要ではないからである。しかしこの戦争行為によってロシアは満足せず、その領土拡張欲は激しさを増すでしょう。その結果、ロシア人はその戦力を携えてイランとトルコに侵入し、血なまぐさい戦いとものすごい破壊によって両国を占領するでしょう。ロシアのこの領土拡張欲には、中東の石油資源を我がものとし、また南東ヨーロッパの領域に直接到達したいという欲求が根を下ろしている。それゆえロシア人はバルカン半島にも侵攻し、多くの死者と破壊を伴う激しい戦闘で、バルカン諸国を容赦なく壊滅的に打ちのめす。またこの時点では、イタリアで大きな自然災害が国土と人間を襲い、それによって大変な困窮が生じるでしょう。そのときはまたベスビオ火山が再び噴火し、途方もない災厄を広めるでしょう。さらに戦争も国を揺るがせて、多くの人間の命を奪い、大規模な破壊を繰り広げるでしょう。より北方の国々でも戦争の災厄が降りかかるでしょう。なぜならば、東方から強力な軍隊が侵入して、殺害と略奪を行い、雨あられのような爆弾とミサイル、そしてレーザーとコンピューターによって制御された前代未聞の殺傷力を有する兵器によってすべてを破壊し、壊滅させるから。このとき真っ先に蹂躙されるのはハンガリーであり、オーストリアと上部イタリアがこれに続くでしょう。スイスも深刻な巻き添えを食らうが、本来の攻撃目標とはならないでしょう。攻撃目標となるのはフランス、次いでスペインでしょう。しかし攻撃者の最終目標はヨーロッパ全体を軍事的に支配することであり、フランスがその本拠地として定められるでしょう。フランスは外部から攻撃者によって占領されるだけでなく、内部からも占領軍への協力勢力やその他の勢力によって占領されるでしょう。内部勢力として考えられるのは、その時点でフランスに在住し、異なる宗教、特にイスラム教を信仰する外国人でしょう。フランスが陥落すれば、スペインと英国に対する侵略戦争が始まり、それからスカンジナビアに侵攻する攻撃軍との連合が成立するでしょう。フランスを拠点としたこれらのすべての戦争行為に、フランス国内に貯蔵されている大量破壊兵器が使用されて、ひどい荒廃と破壊と破滅がもたらされるでしょう。東からの攻撃者は、フランス軍を強制的に同盟軍に編入して北欧の国々に対する侵略戦争を遂行させるでしょう。北欧の国々のうちスウェーデンとノルウェーが襲われて征服され、その後ロシアに併合されるでしょう。フィンランドも軍事力によって侵攻され、多数の死者が出るとともに、大規模な破壊が行われるでしょう。その後、国家は完全に解消し、ロシア軍が長期にわたって駐留するでしょう。その時点では、ドイツの市民も内戦状態に入り、それと同時に東からの大軍がドイツを攻撃するでしょう。ドイツとその国民は、攻撃者のくびきから再び自らを解放することができるであろうが、最初は侵入軍の暴力に屈するでしょう。ある期間が過ぎると、諸国民は攻撃者や侵入者に対して決起し、ヨーロッパ中で解放戦争が始まるでしょう。ドイツで内戦の嵐が吹き荒れるのと同時に、イギリスでは革命が起きるでしょう。それは実に大量の血を流させ、非常に多くの犠牲者を出すでしょう。その数はドイツの内戦で出る犠牲者を上回ることが予想される。イギリスとアイルランドは、すでに大分前からIRAとイギリスの警察および軍隊との間で戦争状態にあり、そのままずっと続いているので、革命の波はアイルランドにも広がるでしょう。特に北アイルランドが最初に見舞われ、場合によりそれは国全体に広がっていくでしょう。ウェールズの内戦でも大量の死者が出るでしょう。ウェールズでは、第3次世界大戦の前にもいろいろな立場の違いが現れるでしょう。ウェールズとイングランドの軍隊が、とりわけカムリ近郊で衝突して、多数の死者を出し、ものすごい破壞を引き起こすでしょう。しかし、ヨーロッパで死と破壊と破滅の嵐が吹き荒れるだけでなく、アメリカでも大変な苦難に耐えねばならず、多くの死者と破壊と破滅を嘆き悲しむことになるでしょう。世界で最悪の大量破壊兵器を所有しているアメリカとロシアは、今日でもいく分かは言えるが、その時点で互いに巨大な軍事力をもって衝突し、カナダもこの紛争に巻き込まれるでしょう。そもそもの発端は、ロシア人がアメリカのアラスカとカナダを攻撃することでしょう。それから大量の死、破壊、破滅、伝染病などが、地球人がそれまでに見たことも経験したこともないような規模で荒れ狂うでしょう。大量のABC兵器だけでなく、コンピューターによって制御され、ものすごい破壊力を発揮する兵器システムも使用される。このような兵器システムは現在すでに開発の初期段階にあるか、または第3千年紀になってから発明され設計される。すでに言及したが、凄まじい自然災害もアメリカ全土を襲うでしょう。大規模な森林火災や巨大なハリケーンが国中で荒れ狂い、戦争行為のありとあらゆる恐ろしい結果と並んで、何千という死者、そして破壊と破滅をもたらすでしょう。アメリカのマンモス都市は完全に破壊され、大火災が数多くの災厄を引き起こし、実に悲惨な状況をもたらすでしょう。そのときは巨大な地震や火山の噴火も起きるが、これらもまた多くの苦しみや死や悲惨、そして途方もない破壊と破滅をもたらすでしょう。なぜならば、全自然と惑星自体が地球人の狂気に対して反抗するから。しかし、竜巻や地震や噴火はアメリカだけでなく、ヨーロッパやそれ以外の世界でも猛威を振るうでしょう。が、こうした出来事の発端はすでに今日の時代に、さらには過去数十年間にあり、それらが将来はるかに激しくなるにすぎない。そしてその罪は今日も、将来も大部分は地球の人間にある。人間は、すべての環境すなわち自然、大気、水域、そして惑星の資源を破壊している。それによって地球内部で重量が変位する。これは例えば巨大な貯水ダムや、石油や天然ガスなどを採掘した結果生じる空洞によって起こる。それにより、地球内部で不自然なずれが生じ、それが地殻構造に対する不自然な影響、ひいては地震や火山の噴火を招く。それはさらに大規模な気候変動を引き起こし、その結果途方もない破壊力をもった巨大な竜巻が発生し、最後には世界中でその破壊力を発揮するでしょう。これらすべての結果、激しい洪水や異常な量の降雪がますます増えるでしょう 。降雪は南の国々でも起こるようになり、最後には赤道地帯にまで達するでしょう。それというのも、人間の狂気により、地中と地上で核爆弾を爆発させた結果、地球は気づかないうちにきりもみ状態におちいり始めるから。そうしてこれが原因となって、この惑星はゆっくりと、しかし確実に太陽の回りで異常な横揺れ軌道を取るでしょう。その第1段階はすでに始まっているが、それによって気候変動が生じ、新しい氷河期の到来を招く。しかし地球上の悲惨な状況はさらに続くでしょう。なぜならば、アメリカで2つの大規模な内戦が相次いで勃発するから。その後、アメリカ合衆国は互いに激しい敵対関係に陥り、やがてアメリカの州は5つの領域に分かれる。その際に教派的な狂信者が独裁的な役割を果たすことは防げまい。世界中が無政府状態に陥り、それは長きにわたって人間を苦しめるでしょう。ありとあらゆる伝染病や疾患や流行病も同じく人間を苦しめるが、それらの多くは新種で、人間には未知のものであるため治療も不可能でしょう。そのため多くの人間の体は徐々に惨めに崩壊していくでしょう。その際に耐え難い痛みとともに、失明や、窒息死に至る恐ろしい呼吸困難も現れるでしょう。多くの人間は意識を患い、精神薄弱や狂気に陥るでしょう。こうしたぞっとするような事態はすべて生物兵器と化学兵器に起因するでしょう。これらの兵器により、人間はすぐに死ぬのではなく、残酷にもゆっくりと死んでいく。光線兵器や振動兵器によってもそうなるが、それらの前身はすでに開発されている。最後にエノクの言葉を特別に伝えよう。地球の人間は、ヘノク族から出た地球人の祖先と同じく、大量破壊兵器をその権力欲、憎悪、復讐欲、そして金銭欲に駆られ、創造のあらゆる価値を無視して、すべての愛、英知、自由および平和を踏みにじり、自らとその世界をこのうえない悲惨に、死に、破壊と破滅に、そして最大の破局に陥れる。地球の人類はいつかそれを体験するでしょう」。ビリー「だが、まだエノクの預言のすべてではないね」。クウェッツァル「たしかにその通りだが、上に語ったことで十分なはず」。ビリー「ああ、ちょっと待って、友よ。君がエノクの預言を語ったとき、私の頭を1つの疑問がよぎった。それは、いったいどうしてスイスもそういう仕打ちにあわなければならないのか、つまり外国の軍隊に蹂躙されなければならないのか、ということ。それには何か理由があるのかね。我々の国は中立国として尊敬され、戦争行為から守られるべきだと思うが」。クウェッツァル「スイスが本当に中立にとどまるならば、戦争行為からも守られるでしょう。しかし以前の預言で指摘されたように、国民や政府の多くの無責任者により、彼らの表向きの表明や約束に反して、この平和の国は真の中立を失うでしょう。無責任者たちは今日すでに準備し目指しているが、国連とNATO、さらに現在成立しつつある欧州連合に加盟するというのが事実でしょう。それによってスイスの真の中立は破壊される。しかもそれはすでに言ったように、責任ある統治者や、誑かされた国民のあらゆる主張に反してなされる。国連とNATOによって、スイスとその市民も戦争行為に巻き込まれるでしょう。国連は本来純粋に平和的な組織であるはずだが、それを維持することはないでしょう。なぜならば、新しい千年紀において国連軍も兵器を使用するからである。たとえそれが場合によっては防衛的なものにすぎなくとも、戦争行為であることには変わりなく、国連軍の隊列においても死が猛威を振るうことになるでしょう。だがそれだけではない。すでにヨーロッパのさまざまな政府高官の間で欧州連合を創設する考えが生まれており、それに属する人間の自由は著しく制限され、各国の政府もまた自らに委託された国を欧州連合に高く売りつけ、欧州連合は非常に強い独裁的な傾向を持つでしょう。欧州連合の本部はベルギーの首都ブリュッセルに置かれ、そこで責任者たちは欧州連合に加盟した国々とその国民が支払う法外な補償金を得るでしょう。責任者たちはこの補償金を正当な報酬と呼ぶが、そのために欧州連合に加盟するすべての国々の市民は額に汗して懸命に働かねばならないでしょう。そのおかげで欧州連合の責任者たちは市民の負担で贅沢三昧に暮らすことができ、自分たちの支持者の愚かさ加減をあざ笑う。個々の国やブリュッセルの欧州連合の統治者たちはさらに進めて、自分たちを批判したり、拒絶したりする者を告訴して罰しようとするでしょう。欧州連合のこうした行動が最後には決定的な理由となって、東方から軍隊がヨーロッパに侵入し、すべてのものを破壊し、隷属させることになるでしょう。もし、差し迫っている預言が実現しないように、ヨーロッパの全国民とそれらの政府がすべてに理性的に対処しないなら」。ビリー「計画されている欧州連合への加盟はいつ頃になるのかね。スイスのことを言っているのだが」。クウェッツァル「スイス政府の責任者によりすでに来るべき90年代にその準備がなされるでしょう。が、本当に加盟するのは次の千年紀になるでしょう。残念なことに統治者にあっても、大部分のスイス国民にあっても、無分別が理性に勝るでしょう。そのため統治者たちは全く妨げられることなく、やりたい放題するでしょう。したがって、もしスイス国民がまだ理性的にならず、奴隷状態や戦争につながる策謀に対抗しないならば、最後にはスイスにも破局が訪れるでしょう。ヨーロッパ諸国、したがってまたスイスの国民はすべてを阻止し、善い方向に転じるための時間がまだある。しかし、理性が勝利し、差し迫っている邪悪を阻止するかは疑問である。なぜならば、そうすることができるのは向こう数年間に限られており、その後ではたちまち遅すぎてしまうから」。ビリー「理性に希望を託すしかないが、そうした希望は無意味だと私は思う」。クウェッツァル「君の見通しはおそらく正しいでしょう。残念ながら」。第215 回会見 1987年
2021.02.10

プター「海底地震は海底の断層と水の運動を引き起こし、それが1回または複数回の津波を形成して内陸地震よりもはるかに激しい破壊を引き起こす。内陸地震の場合、破壊は振動、地中や地面の亀裂、横滑り断層などによるものに限られている。つまり海底地震は内陸地震とはまったく形態が異なる。原子力発電所にとって、絶対的な安全は決してあり得ないことは我々自身の経験から知っている。それは我々の祖先が、同様に安全でないエネルギー回収技術を利用した時のことであるが、その技術は今日の地球の原子力技術に比べれば何倍も進歩していた。そのような原子力発電所はしばしば少なからぬ原子炉を備えており、世界中で類を見ない核災害が起こるまで運転され続けた。その時予想しない宇宙からの外的影響の結果として誤動作により非常に多くの原子炉が爆発して4,800万人以上の人間の命を奪った。同様か類似の規模の事故が地球上でも起こる可能性がある。事故もしくは大事故が起こらないように、原子炉を制御することは決して出来ないから。実際、遅かれ早かれ必ず様々な影響が生じて大小の惨事を招くでしょう。そのようなことが起こらないとすれば、それは幸運以外の何ものでもない。我々の祖先も原子炉が爆発して世界中に大惨事を引き起こし、広大な領域が核放射線により非常に長期にわたり汚染された後、ようやく絶対的な安全を保障できる新しいエネルギー回収技術が作り出された。原子力発電所技術について言えば、何らかの影響によって危険な障害が発生するのを防止できる保証はない。なぜならこれに関しては、破壊的な誤動作とそれにより大惨事の発生につながる要因があまりに多く存在するから。考えられる最大の危険は、思慮を欠いた技術的な不完全性という点で予測できない人間のミスと、太陽の生成物から出る危険性の高い破壊的な放射線などの宇宙的要因である。隕石もまた原子力発電所と原子炉の破壊を誘発し得る要因である。すなわち、内陸地震と海底地震だけではなく今述べた可能性、設備の誤動作、そして何よりも核燃料そのものによる予測のつかない暴走も考慮しなければならない。核燃料はそれらの廃棄生成物と同様に、常に危険を意味している。これらすべての他に、冷却材が核燃焼の影響を受けてある化学変化を起こし機能しなくなることもあるが、これは地球の原子力の運営者や専門家にはまったく知られていない。たとえ冷却に水を使用しても、水が安定性を失って蒸気となり、途方もない爆発力を発揮することがあるが、同じことが純粋に化学的な冷却材にも当てはまる。もし事故が起きたら、最良の冷却システムでさえ絶対安全に燃料を冷却できる保証はない。しかしこれ以外にも、危険な要因があるが考慮されていない。それらは原子物理学者などには知られていないからである。それというのも彼らは十分広い視野で考えず、危険をはらんでいる他の原因や形態を探求しないから。それゆえいつでも予期しない喜ばしくないこと、危険なこと、破壊的なこと、それどころか大惨事が起こり得る。地球上の原子力技術の水準が現在よりはるかに高かったとしても、原子力発電所と原子炉の危険性は変わらないでしょう。どのみち地球の核技術では認知されていない多くの事柄について予測がつかない。危険性はそれだけではない。最大の危険は、放射能が漏れ出して多くのものを非常に長い期間、それどころか数百年、さらには数千年にわたって汚染すること。しかも放射線は多量であれ少量であれすべて汚染する。原子力発電所によってエネルギーを回収することは根本的に無責任であり、したがって厳しく禁止されるべきである。これはまさに国民に電力を供給するための大規模な原子力発電所のみならず、潜水艦などに搭載された小型の原子力発電所および原子炉にも当てはまる」。ビリー「非常に明確に言ってくれた。だが、地球人は原子力エネルギーの狂気に駆られて、世界中で既に何百基もの原子力発電所と原子炉を建造、運転している。今これらが突然停止したら、世界中で深刻なエネルギー不足が生じるでしょう。実際、再生可能エネルギーで駆動されている発電所は、すべてのエネルギー需要を賄うにはあまりに少ない。それゆえまず、すべての原子力発電所に取って代わることができる他の発電所を考え出して建造しなければならない。だがそれにはまだ長い時間がかかる。なぜなら担当の学者や専門家は愚かなため、絶対に有害物質を出さない完全に安全なエネルギー発電所を開発できないから。君たちの祖先はそれを熱発電所で行ったというのを、セミヤーゼから聞いたことがある。その説明によると、地中深くから熱を汲みあげて巨大な熱発電所を運転したが、それによって君たちの惑星の全エネルギー需要をまかなうことができた。そのあとで有害物質を出さない別のエネルギー生産技術も開発されたが、危険な廃棄物はまったく発生せず、GAUもスーパーGAUもなかった。そのような事故は君たちの初期の原子力発電所で生じたが、この地球上の原子力発電所でも繰り返し起こることが避けられない。たとえば、太陽が突然狂い出して地球に途方もない放射線を放ち、それによってすべての電子機器、装置、発電機、ポンプ、機械などが突然止まって原子炉の冷却が麻痺する恐れがあることも知らない。そのようなことが起これば、原子炉が吹き飛び、世界中を巻き込んだ核大惨事が起こる。原子力発電所では原子炉冷却システムは自家発電機能も持っていると思われているが、太陽の途方もない放射線によってこれらも故障するというのは、君がかつて言った通り。技術的に最も重要なプルトニウム同位体239Puは、いわゆるα放射体で半減期は24110年である。プルトニウムは銀白色の重金属であり、とりわけ原子炉もしくは増殖炉において生産される。自然界ではウラン鉱石中に極微量含まれており、天然ウランから発生する。プルトニウムはα放射線作用が強く、人間その他の生物の骨中に沈着する傾向があるため、放射能が全身に作用する。プルトニウムは知られている中で最も危険な毒物に属する。プルトニウム粉塵を吸入するとたいてい肺癌を引き起こし、数㎍の作用でも致命的な放射線障害を招くことがある。少なくともこれらは私の知る限り最も重要な事実である。プルトニウムはこの他にも二つの半減期がある」。プター「言えるのは、放射線を除去できる可能性はまったくないということだけ。これに関して効果のある方法も知らない。せいぜい放射線がそれぞれ半分に減る半減期を考慮できるだけである」。ビリー「24110年後にはまだ放射性物質の半分が残っており、さらにその24110年後にはまた半分が残っているというように続く。実効的な半減期は体内の放射性物質の放射線作用がそれぞれ半分に減少する時間を表している。この減少は放射性崩壊と体内からの排出によって起こる。プルトニウムはアクチノイドおよび超ウランに属する放射性化学元素である。ほとんどが人工的に製造される不安定な同位体の種類は多く、現在15以上知られている。その中で最も寿命が長いのが244Puで半減期は8260万年、これよりやや短いのは半減期が242Puで376300年である。このほかにも百科事典には次のような半減期が載っていた」。種類 半減期トリウム219 1.05μ秒窒素 9.96分カリウム 12.36時間ヨウ素131 8.02日ストロンチウム90 28.78年セシウム137 37.17年ラジウム226 1600年炭素 5730年234U(ウラン) 2.46×105年235U 7.04×108年238U 4.47×109年プター「これもすべて正しく。何も付け加えることはない」。プター「現在の地球上のCO2の量が0.046%もしくは460ppmであると言うのは正しい。それは実際に地球の科学者が欠陥のある装置で測定したものより若干多い。この0.046%というCO2の量は生命形態にとってまだ非常に危険というわけではないが、平均以上にCO2にたいして敏感な人間の場合は、非常に頻繁に偏頭痛や吐き気やめまいが起こることがある。さらにこの分子は他のさまざまな要因のほかに気候にも強く影響して、気候変動に寄与する。つまり460ppmという量は有害ではないが、CO2に敏感な人間に対してはある作用を及ぼし、さらに気候変動にも影響して、自然災害で多くの人間が命を失っている。大気中には0.046%のCO2が含有されているが、これは地中や海洋その他の水域に蓄積されたCO2をまったく計算に入れていない。こうしたCO2は蓄積を続け、種々の過程を経て徐々に遊離して大気にも到達する。さらにCO2が、すべての海その他の水域を酸化することによって害を及ぼすということにもまったく言及されていない。このガスは空気中の含有が約1%に達すると、人間にとっても有毒であり、ごく一般的に頭痛や慢性的な疲労を引き起こす。さらに空気中の含有が8%に達すると、絶対致死量となる。もちろんこれらすべてのことは長いプロセスを経て生じるのであり、今日か明日起こるというものではない。しかし地球人が制御されないまま人口が増え続け、これまでのように過剰なガスを発生し続けるならば、全体を押しとどめることができない。将来生じるすべての要因によって、CO2の量が突然急上昇することがあり得る。特に地中および海中に蓄積され、集まった分子がなんらかの状況で空気中に遊離すれば、呼吸するすべての生き物にとって危険となり得る。このようなことはまだ生じておらず、近い将来に予測されてもないが、460ppmというCO2の量が危険でないというのは誤った仮定である。なぜならこれは驚くほど高い値だから。というのもこの分子により気候は著しく不都合な影響を受け、一部の人間には偏頭痛、吐き気、めまいなどの健康上の被害をもたらしているからである。およそ150年前には大気中のCO2の量は0.028%であり、工業化の直前は187ppmであった。したがってそれ以来CO2の量は、273ppmも増えたことになる。地球の大気にはもともと微量のCO2が含まれていたが、残念ながら地球人はこのガスの量が大幅に増えることに非常に大きく貢献した。これは石油、天然ガス、石炭などの化石燃料を無責任にも過剰に燃やすことによってであり、そしてまたその他の自然に、または化学的に産出された物質によってである。飛行機、自動車、トラクター、その他のエンジン付き車両などの交通手段やあらゆる種類の作業機械、内燃機関で駆動される船舶も大きく寄与している。なんらかの形でガスまたは石炭を用いて運転される発電所または工場もこれに属する。さらに世界中で熱帯雨林を伐採したり焼き払ったりすることや、沼沢地の森や肥沃な草原を破壊して住宅や工場などを建設することも、CO2の量の上昇に寄与している。確実に言えるのは、すべてのことが現在あるよりもさらに悪くなるということ」。ビリー「かなり以前に話し合った地球の自転について、地球の極の氷河が溶けたために自転の速度が速くなり始めたというものであった。氷の溶解の結果、地球の円周が小さくなる一方、氷塊によって圧縮されていた地層も再び少し膨張するということ。しかしそれは大量に溶ける氷の厚さに比べれば非常にわずかである。そのため地表はわずかに隆起するにもかかわらず、円周は小さくなり地球の回転が速くなるという。君が言うにはこの回転は人間には感じられず、それに適した技術装置を使って確認できるだけ。事態が正しく理解されずに、地表が再び隆起するから地球の自転は遅くなると主張されている。CO2の件を再度取り上げたのも同じ理由からで、地球の自転を改めて話題にしたのは、回転が速くなることについて君が語ったとおりのことを正確に説明した短い記事を読んだから。すなわち世界中で氷が解けることによって地球は微妙に速くなるが、それは人間には感じられず、特殊な装置によって確認できるにすぎないという、つまり君の言明が裏づけられた」。プター「それ以外のことはあり得ない。というのもなんらかの事情で虚偽を言うことは私の性分に合わないから」。
2021.01.15

・子供たちの瞑想子供たちが瞑想で教導され、また教わるときは、特に初めに練習するための静かな場所が選び出され、そこにはどんな邪魔も入らないということが重要である。その際にはまた、子供が気に入る、そして子供に安全であるという考えや感情を与えるような場所もしくはスペースが選ばれることが重要である。それはラジオやテレビのスイッチが入っていない空間であるべきで、その空間は、他の人がいないこと。理想は、小さな瞑想コーナーが整えられうる自分の子供部屋である。しかしながら、その際より重要なのは、子供に瞑想を実演して見せることであり、教える人(両親のうち一人もしくは両方)が子供と一緒に瞑想することである。そのような手本が瞑想を学ぶ子供にとって重要なのである。というのは、子供は常に手本をまねしながら行動せずにいられない。この過程で、瞑想の間、子供に説明が与えられることはとても良い応用なのである。たとえば、それが特にどのような状態なのか。つまり、状況によってどのような思考と感情が現れているのか、どのような上達もしくは難しさが現れているかなど。事実、子供たちが瞑想に至るのは早すぎることはない。というのは、それは早く行われれば行われるほど、調和を取ることが際立って成長するから。つまり、義務教育の年齢において、学業成績も良くなるということは、そこから生じるポジティブな要素でもあり、同じく葛藤とポジティブに向き合えるよう発達し自己意識が強固になるという事実もある。それについて説明している手ほどきは、必須の事でもあり、子供と一緒に瞑想しそれに子供が習うべく手本でもある。その際、子供に過大な要求をするのではなく、子供に自由な意志と子供自身の能力の成長の可能性が与えられることも重要である。これが意味するところは、そのルールは、子供が何も強制されるのではなく、子供ができる時間の長さだけじっとしているべきということ。次第にじっとしている時間が長くなるが、そのことは瞑想をつかみ、それゆえ進歩が生じていることを意味する。子供が落ち着きのないあるいは活動的または大変活発な子供ゆえに、じっとしていることが負担になるなら、むしろ姿勢、体を動かすことあるいは体操練習の簡単な方法で表現することが適しており、それから次第に静かな瞑想が生じる。子供の活発さが続くなら、静かな瞑想の前に運動の瞑想を行うこともできる。その瞑想は、とりわけ短時間の踊りであり、子供と一緒に実施される。適切に存分に暴れさせ静かになる方法も一つのチャンスであり、子供はある状態に5分、10分もしくは15分それ以上じっと座っていられる。多くの大人のように、子供たちも良質で適切な瞑想音楽、彼らのお気に入りの短い物語もしくは子供たちが鮮やかに思い浮かべることができるようにされたファンタジーを好む。子供に物語やファンタジーが語られるか、読み聞かせるとき、子供がそのまま静かに座り、聞くことに集中するなら、話すときの声は静かに、心地よくそして調和のとれたものであるよう注意が払われなければならないが、その際、子供を注意深く観察し、子供の呼吸に気付かなければならない。その語りは、すなわち子供の呼吸に合わせられているべきで、常に子供が息を吐くときに話されるべきである。なぜなら、このことはリラックスすることと受容能力にとって好機であるから。同様に、このことは瞑想について教える人、母、父、もしくは他の子供に気に入られ、好ましい教育者にも適用される。話すときに子供の呼吸リズムに合わせることは、子供の腹部に手を当てる身体接触同様にとてもメリットがある。このことはまた、子供の呼吸のリズムが大変良く感じられ、話をそれに合わせることができるというメリットがある。子供たちはとても感受性が細やかな性質を有しているので、子供たちは何の束縛も受けずに体で感情を行動に移して発散することが、あるいは自由に行動を転換させることによって内的な緊張を消散させる必要もあり、同様に休息と静寂の機会も必要なのである。それを考慮すると、子供にだけ多くの助力になるのではなく、この全体は教える人にとって大いに教訓にもなり瞑想的な効果もある。このことは他方ではまた、子供たちが両親やその他の教える人たちからだけ学ぶだけでなく、大人たちも非常に多くのことを子供たちから学べることを示している。子供たちが歳を重ね、それによって彼らの理性と知力が成長すると、彼らは自らの内面の価値への注意を喚起し、自分自身でそれに対して関心を持ち、自分自身の内面に気を配ることや観察することを把握する。そうして、彼らは自らの内的な宝物を発見し、この宝を理解し、絶えずさらに拡大する。彼ら自身の性格を発見し、自分自身を形成する。そしてまた徳や長所も学びとり、これをすべて備え、生かすのである。そしてそれゆえにまた、大人がとても多くのことを子供から学ぶことができる可能性が生じるのであり、それによって、学ぶことが双方にとって、どんな人間にも見逃してはならないとても価値ある要件であることが判明する。大人たちによるこの学びの時に大切なことは、子供の瞑想の間や瞑想以外のときも詳細を観察し、子供のすべてを知覚し、子供に瞑想の練習は先入観なく、ニュートラルに実行すべきであることを指摘すること。つまり、もしもやしかしということなしに。大人同様、子供もすべてを成り行きに任せ、作用させなければならない。このことは、子供に忍耐強く説明されなければならない。子供が何か間違っている場合は、穏やかにきっぱりとそれについて指摘しなければならない。けれどもその際、批判したり、批判的な顔をしたりすることはしない。そしてまた否定的な発言はやめなければならない。というのは、この発言は子供の瞑想を援助するのではなく、子供の憤りと無関心を助長するから。また、偏見を引き起こし得ることはすべてやめなければならない。というのは、さもなければ子供から自己決定の全ての可能性を奪うからであり、子供に自己発展のあらゆるチャンスを渡さずにいることを意味する。ビリー 2018年正しく思うこと 高等生命体の創造エネルギー 瞑想の目的・叡智と調和の時代昨年、シューマン共振が過去最大のパワー120を計測した。年末に、その4倍にあたるパワー450を観測する。私たちは本質的な能力を取り戻すということをしている。25860年周期で銀河の巨大な中心太陽のセントラル・サンからのエネルギーに大きな影響を受ける位置へと、地球がその影響を感じられる水瓶座時代に突入している。水瓶座時代(1844年2月3日より始まり1937年に急速に進展し、2030年に地球は転換期を終え、黄金色の光線の中にまばゆいばかりの光に浴することとなる)とは2155年間続き、意識の進化の時代でもあり、叡智と調和の時代でもある。アトランティスとムー大陸の偉大な文明社会は2万年以上もの歳月の間、ずっと平和を維持してきた。今と同じような経過をたどり、終焉を迎えることとなる。時を経て、今日、地球人が文明を再び築いて科学技術を学び直すまでに何千年もの歳月が費やされることとなった。宇宙艦隊・プレアデス・オリオン・リラ・ベガ人たちは、世界的に人口を劇的に抑制できるこの僅かなチャンスを逃してはならず、私たちが様々な種族であるというハンディを乗り越え、種族としての多様性を逆に活かして進化できるようにと願っている。エゴを脇に押しやり、意識領域を自在に旅することのできる者は、自分だけが当てはまる生まれてきた意味を見出せるはずである。エゴの力の及ばない意識領域で創造の存在を発見し、全ての生命形態が創造エネルギーと力によって一つに結ばれているということをしることが出来るのだ。本質とは何かを理解すれば、物質的な意識の目的に気付くことがいっそう容易となるでしょう。瞑想(日々の生活において、以下のことが留意されなければならない)1.すべての仕事と比較して十分な睡眠をとること。2.個人の自由は、正しい意味において育まれること。つまり、本当の内面の自由が育まれること。3.個人の喜びは、快く認められるが、その際個人の喜びは、病的な欲求、悪癖、激しい欲望や享楽の上には築かれない。本当の喜びは、内面の喜びであること。4.日々の単調さをぶちこわすこと。このことは、本当の正しい内面の態度によって実現されること。5.人生は、調和のとれた感覚において、本当に、喜びに満ちて享受されること。6.些細なことにも喜ぶこと。7.人生におけるさまざまな状況の滑稽さをまじめに取り合わず、この滑稽さも、冗談や非難もひどく深刻に受け止めないこと。8.常に自分の目標を定め、その目標を見て、本当に最善の力で努力すること。9.自分自身の力と能力を扱うことでマイスターになり、常に、これらを最善の能力へと発展させること。10.成功は決して受け継がれる事柄ではなく、人生のつらい仕事と自己克服に対する報酬であること。○言うべき言葉〈日々の生活において、人間は次の言葉を繰り返し自分自身に言うべきである〉1.まことに、私は創造観念の最も輝かしい創造である。2.まことに、私は創造の秩序および私自身と完全に一致している。3.まことに、すべてが私にとって最良となる。なぜなら私は創造の観念の成果に生きているからである。4.まことに、想念において想像においても感情においても、私が成功するためにいかなる抵抗もないことを私は知っている。5.まことに、私は何でもでき、常に成功する運命にあることを知っている。なぜなら、そうなっているからである。6.まことに、私は自分の運命を鍛造する鍛治屋であり、健康、平和、平穏、愛、尊敬、畏怖、成功、そして豊かさを自分へ引き付ける意識と心の磁石である。7.まことに、自分の想念が自分の力であり、その力で自分のすべてを決定することを、私は知っている。8.まことに、自分の想念は私の意識と潜在意識の力であり、私はあらゆる瞬間にその力と結ばれている。9.まことに、私は嬉しく、幸せで、愛に満ちている。10.まことに、私は創造意識と、そして自分自身とも一つである。11.まことに、私の人生と活動は成功からなる。なぜなら私は最も成功したものが成功であることを知っているからである。12.まことに、私の人生は成就である。なぜなら私の中ですべてが成就されるからである。それは私自身が成功だからである。ビリー1978年無意識に正しいことを行えば、正しい結果がでる
2021.01.09

世界人口過剰解消会議と新しいウイルスの生体への影響プター「それでそれ相応の時間がかかった。だが君が述べて説明したことは、非常に大切で重要なことであったし、また非常に大切で重要なこと。そして、君がこのテーマについても、再度取り上げ、明らかにしたことはとても良かった。なぜならそのための必要性が実際にあるし、しかも特にコ ロ ナ 伝染病の現今においてはそうだから。それについて私は一言言う必要がある。このパンデミックの大災厄が始まったのはまず、この伝染病が例の時点から、ますますあからさまに広がり始めてから。つまり、国家指導層の愚かさゆえに、世界中でロックダウンの指示が緩和され、解除さえされた時からである。それまで比較的まだ低い規模での上下動していた第1波が、それ以来激しく波立ち、全ての国々にますます強くなりながら広がり、数百万の感染者を出し、それが今や4,000万に達し、一方、死者も今月末には100万を超えるでしょう。しかし、これで終わりではない。なぜなら1週間で、すでにこの伝染病は新たな勢いで上昇し、このパンデミックの第2波が始まるからで、それについて、今回、その責任は国家の責任者たちだけにあるのではなく、全体として国民たち自身にある。これはなぜなら、国民自体が軽率に、向こう見ずにそして、無責任に必要なすべての注意と安全措置を無視し、この措置に対してまさに愚かで、単純にあちこちで無防備にマスクなしでデモを行うだろうし、そしてまた、愚かで厚かましい気候デモ隊も気候変動の本当の原因の真実を知らないからであり、しかしそれにもかかわらず、そこで馬鹿げたデモをするために、彼らの愚かさで南極まで旅行するでだろうから。特にEU諸国、特にドイツやスイスなどでは、数多くの愚かな若者たちがこれ見よがしに騒ぎと無秩序を創り出して彼らの愚かさをあらわにするでしょう。それによって、国民たちや納税者たちの犠牲の上で費用のかさむ熱の入っていない、実際に役に立たない措置を指示し実施するために、大人も愚かな国家指導層もその気にさせられるでしょう。そして、これは当局の役人たちや国家責任者たちと国家指導層が根本的な措置を導入して、それによって本当の原因があるところの害悪を攻撃し、つまり、蔓延している人口過剰を終わりにするための最終的な行動を熟考し始めることなく、このことは起こるでしょう。実際に、すでに進行中の気候変動の大惨事は、その根本原因において克服しようとする努力が肝要なのである。つまり、すでにとっくの昔に溢れている人口過剰の制限に関する戦いが必要なのである。それらの需要を満たすための無数の物資が、すべての生態系、自然とその動物相と植物相、そして気候をすでに破壊し、あまつさえ多くが完全に破壊され、根絶やしにされた。つまり、多くのものが決してもはや回復できないし、決して再生できないほどまでに。また、この伝染病の持続期間と災厄そしてその結果は、国家指導層の無能力、そして、愚かさの中でダラダラと生きていく国民たちの一部の無分別によって、さらに、将来にまた多くの犠牲者が出てくることも言わなければならない。しかし、そのもとで、全ての災厄に責任のない国民たちの、かの一部が苦しみ、被害を受けなければならない。その一部は、分別があり、責任を意識して、全ての必要なこのウイルスに対する防護予防措置と安全措置に順応している国民である。この伝染病をさらに制圧し、沈静化している国々の国家指導層の愚かさと無分別によって、感染と死亡のケースがより少ない一定の状態を保つために、絶対にさらに引き続き必要な防護予防措置をずさんに解除し、維持しない結果、この伝染病はまたもや勃発し、再び急速に四方八方に広がる。それに加え、考えることをしない、したがって、愚かな国民の無分別な部分の結果として、町、都市や州は、再びこの伝染病によって激しく襲われ、多くの新たな犠牲者が出るでしょう。この意味において、見かけ上、この伝染病から回復した人たちも、最初はほとんど認識できないが、将来、深刻な健康を損なう二次被害を受け、また受け続け、そしてまた子孫にも受け継がれ、伝播されるということが時間と共に増加していくということが起こる。直接あるいは間接的にこの伝染病によって生じる数多くの臓器や器官の健康被害もまた増加し、さらに将来に苦悩と不幸をもたらす。これらすべては、無分別、軽率さ、賢明さの欠如ゆえに、国民や国家を誤って導く者たち、そして国家に責任感を持たない国家責任者たちの無分別と無責任さのために、今後数ヶ月の間にやってくる災厄と相まって間近に迫っている。私の説明の最期に、次のアドバイスを追加しようと思う。1.現在の存在する状態とこれに関してまだかなりの時間が更に同じようにかかる状況が必要としていることは、私が今日伝えた詳細な説明も、すべての関心ある人たちに発表され公開されること。しかも場合によっては現れる、相反する、愚かな、軽率で、無関心で、無責任で、そして警告に対し意義を唱える人たちすべてに対しても発表され、公開されることが必要である。その意義を唱える人たちというのは、理解力と理性に反して厚かましくも愚かさで声を上げる人たちである。2.直系の家族圏や親密な共同体の共同生活圏外の同胞との付き合いにおいて、その中で共同体の安全は、共同体の防護予防措置でもって付き合い、そして、これらを適切に維持される場合には、感染防止に高い安全性が保障されうる。したがって、これに関する直接の共同体圏において、特別な防護措置を講じる必要がない。3.外部に対する特別な防護措置は、無条件に顧慮されなければならない。その際、作業は、適切で、清潔な、消毒された呼吸保護マスクを使用してのみ行われるべきであって、そしてまた可能な限り、人と人との適切な防護できる距離を保ち、遵守される必要がある。4.外部に対する特別な防護措置は、あらゆる人々との付き合いにおいて必要であり、それによって、必然的に適切な保護マスクが顧慮され、遵守される必要がある。その際、距離のルールは、可能であれば2mにする必要があるが、よく知らない人たちに関しては、少なくとも1.5m以上でなければならない。そのときに、よく知っている人達や感染の可能性がない安全性の高い人たちとの距離は、1mの距離に減らすことができる。5.公共交通機関やあらゆる種類の建物においては、必要に応じて、適切で、清潔な、消毒された呼吸保護マスクが着用されるべき。屋外であっても、人が出会う状況の必要に応じて、適切な呼吸保護マスクを着用し、人と人との適切な距離を保たなければならない。6.口鼻カバーや自作の布製マスクの使用は止めた方が良い。なぜなら、それらは話すときの飛沫や呼気のエアロゾルに関して十分な粒子フィルターを有していないから。また、フェイスバイザーまたはフェイス保護シールドも全く不適当で、役に立たない。したがって、目的に適うのは、専門的に製作された呼吸保護マスクだけであり、品質FFP2とFFP3の粒子フィルターがあるマスクが使用されるべきである。 一般の布製またはマイクロファイバー製の生地、ならびに、乾いたまたは湿ったハンカ・ネッカチーフや似たようなものなどは、防護には何ら寄与しない。なぜなら、これらの素材は、ウイルス、バクテリア、真菌、微生物や寄生生物の濾過には適していないからであり、したがって、そのようなマスクとマスク代用品は病原体からの防護には使用されてはならない。 つまり、自作の口を保護するものの着用も保護の役に立たない。そのような防護予防措置は、せいぜい他人への感染リスクを減らすことには貢献する。なぜなら、事情によって、咳やくしゃみによる飛沫や呼気エアロゾルが多少抑えられるから。しかし、これは保証されるものではない。7.また専門的な良質の呼吸保護マスクを使用しても、良くても、バクテリア、真菌、微生物や寄生生物に対してだけ粒子を濾過する効果があるが、ウイルスに対しては効果がない。なぜなら、最高品質のFFP3呼吸保護マスクでも、せいぜいウイルスに対して94~96%の防護を提供するだけである。8.握手や肘を当てる挨拶などは止めるべきである。なぜなら、衣服の接触によっても、まさに肘での接触などで飛沫の伝播によって、あるいは、生地に付着しているエアロゾル、ウイルス、バクテリア、真菌の胞子、微生物や寄生生物が伝送され、それによって病気や伝染病の感染が生じるから。9.最も安全で、清潔で、感染の危険のない挨拶と送別の方法は、君が既に君の青年時代からなじみのない人間との付き合いで身に付けていた方法で、私は医学のウイルス学の専門家として、今日のこの伝染病パンデミックの時代において、全ての地球人に、最も安全で模範的な挨拶と送別の儀礼として君の手本を強く推奨する。 1.距離を取っての口頭による送別 2.前へ軽くお辞儀をする 3.右手のひらを心臓の高さの左胸に置く」。ビリー「それでもって私は問題なく、何らかの伝染病に罹ることなく世界を渡ってきた。それに、私はこの伝染病がないときも、すでにいつもこのルールを守ってきた。しかし、君がこの伝染病のさらなる蔓延に関して言うことは、耳の痛いこと。また、気候がもたらすことも、君が先日言ったように耳の痛いこと。なぜなら、氷は君が先日述べたような具合に溶けたら、南極では再び、私が君の父スファートとそこに行った時のようになるだろうから。つまり、すべてが緑に覆われていて大木が生えていた。そしてそこには、当時のような恐竜はもう存在しないでしょう。しかし、一つ確実なことは気候が完全に崩落し、南極地方、北極地方も同様に、再び緑が覆い茂るようになれば、地球資源の略奪行為も大規模に行われるようになるでしょう」。プター「すべてのことは、許されていない方法で全ての国際決議に反して犯罪的な方法で行われており、犯罪者たちによって、利益のためだけに完全に傍若無人にも、最後のいまだほとんど人間の手に触れられていない場所が全く同じように破壊され、滅ぼされる。地球の科学者たちも、少なくても傍若無人に南極地方で暴れまわり、不当なことを行う科学者もそれよりましではない」。第753回会見プター「世界的な大炎上として流行の第二波が勃発するなら、コ ロ ナ の状況が今年の中盤から非常に厄介なことになり始め、特に9月末からそうなり始めることを君に話した2月からすでに君は知っている。私は9月23日に改めてこのことを述べた。つまりそれは、今の状況のように、本当に世界中に広がる可能性があり、そして、この流行が世界中に猛威を振るう可能性があるということがこれからも続くだろうということ。それは間違いなく、あらゆる国家の責任者たちの伝染病に対する必要な講じられるべき取り扱い、予防措置や他の措置に関して、彼らの無能さの結果、完全に無責任にすべてを怠っており、今もまたこれを疎かにし、間違ったことを続けている。このようなやり方だけでも、例の国家の責任者たちの際限ない罪や責任について述べることができる。すなわち、その国家の責任者たちは、最前線にたっている主要な責任者たちとして、このパンデミックを封じ込め、戦い、解決する責任を負っているのに、それを果たし正しいことをする能力が全くない。そして、問題となっている国家指導者の指導能力のなさは、国民の健康の安全を無責任に無視し、危険にさらしている。しかも世界中で。なぜなら、私たちの努力のかかる精確な解明や確認によると、つまり実際に、全体的に責任ある方法で、国家指導のトップに設定された国家権力によって、広範囲に国民の幸福へと導かれる国は、地球上にたった一つの国も存在しない。私たちの調査結果によると、国家指導者の地位にある人々のうち、わずかな国々にほんの少しの人たちしかいない。その地位にある僅かな人たちというのは、彼らの職務を正しく遂行している人達であるが、その際、この人たちは、普通、国家指導の際、脇役を演じるだけなのである。これは、なぜなら彼らの善良な努力が、愚かな要求と平凡な演説で大口を叩くことによって、自分たちの無能さを隠そうとする国家指導部の不誠実さによって、再び打ち砕かれるからなのである。この伝染病の公然たる発生に関連して、年初に私たちのアドバイスを最初に受けた後に君たちが実行した最初の行動様式に安全上の予防措置にもう一度、立ち返る必要がある。この伝染病に対する最初の予防措置の開始時と同様に、君たちはパンデミックの経過を日常的に把握し、このウイルスに対するすべての必要な予防措置に適応することが繰り返し必要である。これについて、私は以下に注意すべきポイントを挙げようと思う。その中で最も緊急性の高いものを伝える。1.少なくともFFP2またはFFP3クラスの適切で、何回か使えて、最も安全な呼吸保護マスクの着用は、他人とのより近くでの応対の際に絶対に義務であり、しかも屋外でも建物内や公共交通機関などでも絶対に義務なのである。その際、公共交通機関は可能な限り避けられるべきである。2.本当に緊急性があり、あるいは生命に関わりのあるものでない付随的に発生する治療の取り決め、医師や歯科医への訪問などは長い目で見て延期すべきであり、この感染のリスクが再び感染しないことがある程度確実な基準に低下した場合に、それから前もってもう一度予約すべきである。3.保護マスクの徹底したケアは、長時間の使用の際に、約1時間ごとに一時的な消毒によって、少なくとも70%のアルコール溶液ですばやく、簡単に外側へ瞬間スプレーすることに関して、マスクの有効性を強化する必要がある。4.呼吸保護マスクは、長時間使用した後には、十分に洗浄して消毒し、その後、適切な70%アルコール溶液で軽く外部を消毒する必要がある。5.日常生活において重要なことは、本人の健康な家族や居住者仲間以外の同胞との付き合いにおいて、呼吸保護マスクの着用とともに他の人たちとの適切な距離を保つこと。この距離は、周辺環境、風の状態、風向きなどに応じて決定する必要があり、その際、風がない場合、会話による他の人たちからの呼気の飛沫やエアロゾルにさらされないために、そしてこれによって感染されないために、人と人との距離は150cmで十分である。しかし、風がある場合には、それぞれの状況に応じて人と人との距離を2mかそれ以上の距離をとることを考慮されなければならない。なぜなら、風によって呼気の飛沫やエアロゾルがより長い距離を吹き飛ばされ、これらが他の人に吸い込まれる可能性があるから。6.公共の建物、会議室、作業室などのような部屋などで見知らぬ人たち(家族や居住者仲間以外)との接見は、会話を行うために、透明なガラスやプラスチック製の仕切りの設置を義務化すべき。7.必要な衛生規則はすべて注意を払わなければならず、状況に応じて、毎日マスクを着用する必要がある。その際、注意しなければならないことは、その衛生規則は手の消毒だけでなく、全身のケア、衣類、消毒を必要とする物、ハンドル、器具などの使用にも適用されるが、その際、化学薬品は一切使用せず、少なくとも70%アルコール溶液が使用されなければならない。8.感染のリスクは、主に密閉された空間に存在し、したがって、食肉処理場、野菜、商品、食品加工工場、あらゆる種類の学校、オフィス、官庁や販売店のような作業場、つまり、多くの人たちがお互いに十分な距離をとれない中で働かなければならない作業においても存在しており、それに対して、人と人との距離と作業場所と場所の距離を2mに広げられるように、労働者を減らす必要性がある。狭いオフィスや他の部屋などでの作業活動を排除し、すべての作業の可能性をホームオフィスやテレワーク、在宅ワークに転換し、そのために仕事の全部または一部をプライベートな領域や環境で行われる、柔軟な働き方が理解されるべきである。このような必要な安全対策を怠ることが、何らかの個人的な理由や業務上の理由から現れるべきではないでしょう。なぜならそれによって、本人の健康や他の人たちの健康を危険に晒すことになるから。これは、比類なき無責任さであり、ある感染が発生した場合には厳罰に処す必要があるでしょう。9.この発病に関する私たちの認識では、このウイルスに感染した人々の多くが、ただ軽度から中程度の症状に襲われ、特別な医療上の治療を必要とせずに回復していることが分かっている。しかし、このようなあらゆる罹病は、病気に罹った人たちが再び回復した人たちによっても、また医師たちによっても誤って想定されているように無害ではない。なぜなら、いかなる場合においてもウイルスの残滓は、つまりインパルスの形で人間の有機体や生体に残り続け、時間と年月をかけて様々な病苦と罹病の原因となることは必然であり、それに加えて、必ずしも正確な診断や知識につながるものではない。これは、この感染からの回復によって、免疫力と更なるこの発病の予防に保証が与えられないのと同じように、その際、それに加えて、再びある病気にかかると最初の病気よりも、より悪化する可能性がある。10.些細なことのように思わせているC O V I D - 1 9と呼ばれているこのウイルスは、主に呼気の飛沫や呼気のエアロゾルによって感染するが、これはほとんど発話や呼気によって生じる。なぜならそれによって、話者の飛沫や呼気のエアロゾルが放出され、他の人たちによって再び吸い込まれ、この人たちはそれによって汚染されるから。さらに、ある感染は主にこのウイルスに代表される典型的な咳や、くしゃみによって引き起こされ、それによって感染性の呼気のエアロゾルが吐き出され、呼気の飛沫が放出され、これらが必然的に他の人に吸い込まれ、結果的に感染してしまう。もし、それらの人たちが一方では、呼吸保護マスクを装着しておらず、人と人の間に少なくとも、1.5~2.0mの重要な距離(平穏な天候では)を保たなければ、結果的に感染してしまう。11.注意しなければならない大事なことは、この伝染病に感染した呼気の飛沫は、その重さに応じて長時間空気中に浮遊するのではなく、比較的早く落下し、衣服、皮膚、物体、ドアの取っ手やその他の物の表面や床面に落ちて、触れることで人にうつし、それによって感染する。これはその一方では、ほぼ無重量の吐き出す呼気のエアロゾルがより長時間空気中に浮遊し、風の状態によってはすぐに拡散するため、他の人たちに吸い込まれてしまうこともありうる。もし、その人たちが近すぎる距離にいて、呼吸に対して無防備であるなら。12.ある感染はそれゆえ、一方である人がこのウイルスに感染している、ある他の人の間近にいて、その人の呼気の飛沫やエアロゾルを吸い込めば起こりうるし、また同様に、ある感染はこのウイルスで汚染された表面を触れると起こりうる。その際、いわゆる医療系が無責任に主張しているような、間違って受け入れられていることは、ウイルスに汚染されたものなどを手や指で触った後、目や鼻、口を触ってはいけない。なぜなら、それだけで感染が起こる。実際に正確なことは、このウイルスはこのような方法だけでなく、また、つまり、目、鼻、口から体内に至るだけでなく、皮膚の毛穴から侵入する。その皮膚の毛穴は、皮膚のごく小さな開口部が皮脂腺と汗腺の排泄管を形成し、それを通って皮脂と汗が上皮の表面に分泌されるもの。これはつまり、このウイルスに汚染された物に触れることによって感染が起こることを意味する。感染した人たちやウイルスによって汚染された衣服との皮膚接触が起こると感染を起こす場合がある。13.FFP2またはFFP3の品質マスクでの呼吸保護マスクの義務は、単なる公共の場での人々との付き合いや、飛行機、船、電車などあらゆる種類の公共交通機関での往来においては絶対的かつ不可避な義務なのである。その際、公共交通機関は絶対的に必要な場合にのみ使用すべき。14.飲食店、ホテル、あらゆる種類の販売店は、最も厳格な健康・安全措置の遵守のもとでのみ営業を許可されるべき。その際、すべてが状況に応じて人と人との間に1.5~2.0mの距離をとれるように工夫されるべきである。15.一般的なマスクの義務(FFP2またはFFP3の品質マスク)は、いかなる場合においても、必要な場合にはどんな場所でも必須である。適切なFFP1マスクは、人と人との距離が離れていることが保証される公共の場での短時間の使用に限られるべきである。16.1.5~2mの距離がある場合も、呼吸保護マスクは着用されるべきであり、同様に、目的が制限された適切な仕切り棚、距離制限や話者との間のパーティションが顧慮され、使用されるべきである。17.祝祭やパーティーなどは、全く同様に厳格に中止されるべきである。また、休暇旅行、娯楽行事、祝賀会やその他の集まりなども、それらのもとで健康の安全と感染防止のためにすべての必要な要件が保証されていない場合は、同様に中止されるべきである。18.外出禁止令やロックダウンに即刻、引き上げ、そして実施されるべきであり、また総括的にロックダウンが発令されればすぐに経済活動制限がなされるべきである。その際、貨幣流通とそれにふさわしい時限的な条例に関する特別な規制が制定され、実施されるべきである。19.ロックダウンが行われた場合には、食料、電気、医薬品などのあらゆる生活を維持するための手段を同様に保証するため、また、保険システム、病院やクリニックなどの生活に必要な企業や産業部門などだけが、適度な枠組みで最も厳格な安全条件のもとで維持されるべきである。このウイルスの伝染病は些細なことのように見せ、誤解を招くようにC O V I D - 1 9と呼ばれ、それによってある種の教養のない人々の間に誤った視点とイメージを引き起こし、彼らを間違った・妄想的見解に、そして陰謀説論へと導いている。ある復讐のために作られたウイルスによって引き起こされた感染症ではあるけれども、このことはウイルス学者などの専門家には認知されておらず、否認され、動物の世界から新たに発見されたコ ロ ナ ウ イ ル スと言われている。病気の動物によってこのパンデミックが引き起こされたと言われているのは事実ではないので、現実とはかけ離れた主張である。この虚偽の主張に反して、本当の事実は1970年代に、ある男の米政府への憎悪の結果、敵対する考えを持った人物とともに中国で陰謀が企てられ、ある種のコウモリに関連して伝染病を作り出すために、ある実験室での研究が指示された。それによって復讐が果たされるという。しかし、それについての理由は今や知られていない。なぜならこの件に関与していた全ての人たちは、すでに亡くなっているから。しかしながら、その際、1970年代当時に始められた研究は、2019年1月初めまで行われており、それは今や世界中に蔓延しているこのウイルスをそこから引き起こした。2019年1月以来、これは多くの犠牲者を出し、この犠牲者はこのウイルスに感染した人たちやコ ロ ナで死亡した人たちと認識されず、インフルエンザによって亡くなった人たちとみなされた。それは、その伝染病が公に知られる以前のことであり、それ以来は、世界とその人類を不安、恐怖そして数百万人の死者とともに何倍もの感染に追い立てた。この流行病の影響に関しては、ここ数ヶ月間、私たち二人は多くのことを話し合ってきたし、多くを明らかにしてきた。このことは、君たちが君たちの努力によって私たちの情報に従ってインターネット上で公開してきた。その際、たびたび、ウイルス学者、疫学者や医師などによってこれらの情報が取り上げられ、自分の認識として公にされた。これは他の方法ではあり得ないことであり、今や本質的なことは述べて説明してきたが、それについて、私がまだ特に、地球上のすべての人々に推奨したいのは、現在、そして未来のある時期まで、日常生活や他の人々との付き合いの中で呼吸保護マスクを着用することは、健康と安全の維持のために緊急かつ避けられない必要性に相当するということ。これは一方ではそうであるのに対し、他方では二重の豆の茎の愚かさに陥っている陰謀論者やその信奉者たちは、君がいつも言っているように、彼らの妄信によって彼らの愚かさの中で彼ら自身の墓を掘っている」。ビリー「その都度、私はそう言っているが、愚かさと間抜けさは残念ながら限界はなく、そしてまた脳を傷つけられ、ひどく愚かな頭の弱い精神薄弱の陰謀論者たちにはまって、この人たちにしがみついている一部の国民たちの理解する力のなさや分別のなさも限界がない。そして、これらのネズミ花火によっても多くの感染や死を背負い込むのだが、このことを彼らは残念ながら、その後、彼らが助かる見込みのない伝染病にやられて、再考が時すでに遅く、彼らが地中にまさに180cm埋められ、墓の下に眠らされるときに初めて体験する。一部のこの厚かましい図々しい国民たちや陰謀論者たちのように、全く同様に世界中のすべての例の責任を負うべきではあるけれど無責任な統治者たちもそうなのである。すなわち、この者たちはコ ロ ナの状況を正しく評価することができず、それゆえ、大規模に正しい対策を練り上げることやそのように実行することもできない。その結果、必要で正しいことがこの伝染病を食い止めるために行われていないか、ただ、いい加減に、部分的にしか行われていない。そして、それは残念ながら、世界の他の国々だけでなく、ここでも同じことが起こっている」。第755回会見
2020.11.20

世界人口の推移《紀元全660年~2100年》〇ビリーの言葉唯一正しい解決は人口過剰解消会議だから。それは人口過剰を抜本的に減らすための世界中で有効な決議として、世界中で統制された産児制限によって実施する。完全な自然死の数が出産数をはるかに上回るという形のものでなければならない。それは簡単に実施できて、地域の人間によって引き起こされた害悪や破局が減り、最悪の自体がどうにか避けられ得ることを保証する現実的で人間的な解決だろうから。地球の全人類がついに理解して、実行に移さなければならないこと。激しい気候変動は、全世界で徹底的な産児制限を大至急実施され、それによって人類がウサギのように増殖しなくなり、自然が時間の経過とともに再び正常となり、統制可能になることを求めている。それには非常に長いプロセスを想定しなければならないが、実際にそれは解決に向かって進み、最悪の事態をどうにか回避できる唯一の道である。現代と未来の急務は、人口過剰の狂気をついに阻止すること。人類によって引き起こされた気候変動はもはや止められないが、理性と悟性によって破壊、破滅、混沌、災害を少しは抑制できる。それは自然の水郷を再生し、惑星、自然および動物相と植物相の略奪を中止すること。君の隣人を君自身のように愛せ。君の同胞、自然、動物相と植物相、そして君の故郷であり、君の庇護である惑星を愛せ。〇スティーヴン・ホーキングの言葉直近の200年間において私たちの惑星における人口は、毎年1.9%指数関数的に増大した。この速度でそのままさらに続き、人口が40年ごとに2倍になると、私たち皆が2600年までに文字どおり肩が触れ合うような状態になるでしょう。6年前に私は汚染と過剰になることについて警告した。このことはそれ以来よりひどくなった。人口は、私たちの最期のインタビュー以来5億増え、終わりが見えない。このテンポで2100年までには110億になるだろう。大気汚染は、直近5年で8%増加した。私たちの惑星や人類は、様々な試練の前に立っている。これらの試練は地球全体に深刻な気候変動、食料生産、人口過剰、他の種の激減、流行病、海洋の酸化である。〇ヴォルフガング・クビッキの言葉政治においてようやく人口過剰やそれらの結果について、考慮がなされ始めている。そこで人口増加と環境、自然破壊との間の最も明白な関係性を理解し公表することが始まっている。もうすぐ人口は110億人になるでしょう。このことが気候保全についての措置を素早く無効化する。それゆえ明確に世界人口会議を招集することを要請する。〇全世界に必要な措置・結婚を許可される年齢 女性25歳, 男性30歳・子供をつくる年齢 女性28歳, 男性33歳・子供をつくるための前提条件1.少なくとも3年間、結婚生活が継続していること2.円満で、健康的な結婚生活であることの証明3.配偶者たちの生活態度に問題がないことの証明4.子供を養育する能力があることの証明5.健康証明:遺伝性疾患および伝染病がないこと、麻薬・薬物・アルコール中毒にかかっていないこと6.過激派や反国家グループに属していないこと・子供の人数の上限 夫婦1組あたり3人まで・出産停止措置の間隔 7年:全世界で完全に出産停止を行う 1年:証明書を提示した者に生殖許可を与える 7年:全世界で完全に出産停止を行う 1年:証明書を提示した者に生殖許可を与える これは地球上の人口が正常に減少するまで実施できる。その後、婚姻と生殖の許可証は効力を持ち続けるが、7年ごとの出産停止は廃止する。・さらに存続する規定 夫婦1組あたり3人の子供まで・違反した場合の処罰措置1.違反者双方の10年分の給料に相当する罰金2.違反者双方の不妊手術3.強 姦暴行などの場合は、違反者を去勢し生涯にわたり男女別に社会から追放する4.違反者の子供全員を国家が取り上げ、教育する(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤーアラハト・アテルザータ「地球の運命を司るすべての者、すなわち責任者たちは規則を公布し、いかなる家族も10年の間に配分して子供を3人以上生まないという成果を達成するよう心掛けなければならない。男性の人間的生命形態は、30歳以下および40歳以上で子孫を作るべきではない。しかし何よりも緊要なのは、節度なく人口過剰になった国は、7年間にわたって出産停止のための絶対的な規則を公布して、自然に従って人口を減らすこと」。○最高度の霊と意識の進化の時代プター「急激に拡大する人口過剰も世界規模で国家の管理による効果的な出産規制を極めて早急に実施することで食い止めなければならない。そうすることによってのみ、地球人類の運命に浮き出る差し迫った悲劇や破壊的な結果を人類全体にもたらすこれらの悲劇は、緩和されうる」。〇地球人類の運命回避のためになすべきことビリー「人口過剰問題は、全世界における徹底した産児制限を行うことによって解決できるが、これは厳しい法律とその厳守によってのみ可能である。それぞれの女性あるいは男性は子供を作るにあたって、人口過剰がさらに増大し、それによって気候や動植物など自然が破壊され、数多くの害悪が人類を襲うということに対して責任を担う考慮をしなければならない。地球上に生息する人間が増えれば増えるほど、犯罪、犯行、戦争、伝染病、対人関係の冷淡、憎しみ、報復や復讐、強欲、悪徳など、あらゆる堕落がますます悪化し、はびこる。気候温暖化によるすべての害悪は、根本的には人口過剰に起因する。なぜなら、気候温暖化を引き起こすすべての原因は、人口過剰によってもたらされるから。莫大な量の二酸化炭素やフロン類その他の有害な成分の放出、例えば人間の食糧としての牛その他の獣類の過剰生産によるメタンガス、また熱帯雨林を焼くことも、原子爆発や80億人を上回る人間の莫大な重量や、人間の食糧となるあらゆる家畜の過剰生産などと同様、気候温暖化の一因となっている。気候温暖化はもうすでに止めることができない規模を呈し、その結果、将来ますます恐ろしい自然の暴威が発生して膨大な災難を引き起こす。それに対して何らかの対策をするのであれば、数年にわたって世界的に徹底的な出産ストップをして人口の減少を図り、次いで、全世界において思い切った産児制限を行うしかない。しかし時を経れば経るほど、この問題の克服は困難となるでしょう」。イマヌエル「この地球は、全人類五億人を養い支え得る。この掟に従わなければ、二千年後には十倍の五十億人となり、地球はもはや人々を養っていくことが出来なくなるでしょう」。〇無限であり、不変なものだけが、真理と知恵である〇プターの言葉病原体のそれぞれの違いを正確に説明することは、行き過ぎでしょう。そのために、私はそれについて立ち入らず、これらバクテリア、ウイルス、寄生虫、真菌類、原生生物、藻類、アメーバ、プリオンあるいはウイロイドやウイルスに似た働きをするような健康に有害なプロセスの原因となる多くの異なる病原菌もしくは微生物と呼ばれるものについてのみ言及しよう。これらの微生物は、有害な作用を引き起こす。つまり、特に以下のことを引き起こすから。1.それらは厳しい免疫反応を引き起こすことによって、致命的となりうる高熱の原因となる。2.それらは体細胞から栄養を摂取することによって、組織の損傷を引き起こす。3.身体を損傷する活性物質を分泌する。4.壊死する際に身体を損傷する物質を解き放つ。毒素(細菌性の毒素)の分泌によってバクテリアは、それによって襲われた有機体に損傷を与え、その際、生きているバクテリアは外毒素(細菌から分泌される毒素)、たいていタンパク質を放出する。毒素は猩紅熱やジフテリアなどの原因ともなる。さらにしかしまた、内毒素(グラム陰性菌の細胞壁の成分)について言及されなければならない。これはバクテリアの細胞壁の一部として遊離される。具体的に言うと、バクテリアが死滅したとき、たとえばサルモネラ症すなわち腸チフスなどを引き起こすときに内毒素が遊離される。人間にとってその病原体の危険性は大きい。その際さまざまなリスク群がある。しかし、そのリスク群について説明するには及ばないでしょう。病原菌に関してバクテリアとウイルスとの間には違いがある。しかし、どちらも非常にわずかだが共通点がある。つまり、バクテリアもウイルスも病気を引き起こすということ。しかし一方それらは多くの領域で全く異なっている。増殖や代謝に関しても。ウイルスは本来、生き物として理解されるような生物ではなく、ウイルスは感染性の無細菌の有機構造であり、全宇宙のいたるところに私たちに知られている約270万ものさまざまな異なる種類が存在していて、一般に複製と進化の能力がある。その際、多くのものはお互い宿主としての役割を果たす。ウイルスは自立した生物ではなく、純粋に独自の独立した構造形態であるが、ウイルスは太古にすべての生命の発生の始まりの本当の因子であった。その際、無数のウイルスが進化によって生命の一次形態に進化し、そこから永劫の時空の中で最初の低次元の生命形態に発達した。その低次元の生命形態はウイルスの進化能力によって、ますますより高度な形態へと成長した。それには多種多様なバクテリアも属しており、実際の生物としてウイルスの変化から生じたが、ウイルスとは別の基盤を必要とした。というのは、生命形態としてバクテリアは、例えば酸素、硫黄やその他の化学物質あるいは光などを必要とした。またその二つの病原体の大きさも非常に異なっている。というのは、バクテリアは直径約0.6~1.0μmを示すが、一方ウイルスは約100倍も小さい。ウイルスは単純な構造を示していて、実際にはタンパク質エンベローブの中に蓄えられているゲノムのみでできている。バクテリアが細胞壁と必要な細胞器官を持っているのに対して、ウイルスは細胞核がない。ウイルスのゲノムは、バクテリア細胞の液状基質の中にあり、それによってあらゆるものを供給されウイルスは自己増殖する。つまり、バクテリアは自力で細胞分裂によって増殖することができ、その際バクテリアは宿主を必要としない。まさに増殖するためにいつも宿主を必要とするウイルスとは対照的なのである。ウイルスは、人間あるいは哺乳動物などの身体やその細胞に達すると、ウイルスはそのゲノムをこの細胞へ転送し宿主細胞を操り、ものすごい速さで増殖する。したがって、ウイルスは忍び込ませたゲノムで絶えず新たなウイルスを生み出す。そのウイルスはそれらの宿主細胞を離れ、これを破壊し、再び他の細胞を襲い操るのである。物質代謝を持たないウイルスに対しバクテリアを検証すると、バクテリアは全く違う性質を持っている。というのは、バクテリアは全ての生物同様、生命形態であり有機統一体に相当しており進化もし、物質代謝も示し、敏感でもあり、加えて繁殖・伝播能力もあり、また成長に分類される。これはウイルスにはないこと。また病原体としてバクテリアとウイルスに関しては、これは異なった方法で作用し、病気を引き起こし蔓延させる。バクテリアは有機体に忍び込むと適した条件下で増殖し、その時に毒性の代謝生成物を分泌する。それが免疫システムを傷つけるが、細胞は破壊しない。だが、それにもかかわらず有機体を阻害し、これによって病気や患いが生じる。それとは反対に、ウイルスは増殖のために細胞に襲いかかる。その時にウイルスは細胞を破壊し滅ぼす。しかしながら、細胞がウイルスに襲われたなら、生体固有の免疫システムも同様に危害を加えてしまう。バクテリアとウイルスのようなさまざまな病原体には、もちろん別々の制御物質あるいは薬剤が必要である。そのうえ、その際これらは特定のその異なった種、その構造、増殖と効果に、とりわけ合わせなければならない。バクテリアの場合には通常、抗生物質のような特別な制御物質が投入されなければならない。それによってその病原体の細胞組織あるいは細胞壁が攻撃されて、バクテリアが殺される。ウイルスに関してはいくつかあるが、実際はこれに対する個別の医薬品だけである。しかし通常、ウイルスが原因の発病にはウイルスと戦うことができず、つまり殺すこともできず、基本的には諸症状を処置し和らげるだけ。この諸症状は、いわゆる厄介なもので状況によっては二次障害が現れ、不幸に見舞われる。戦って解消され得るのはこの諸症状だけであるが、一方でウイルス性疾患はさらに荒れ狂い解消されることがない。この理由はまた生体固有の免疫システムがウイルスに対処し、それを打ち負かすほど強力でない場合にある種のウイルス性疾患は、特にエピデミックやパンデミックの場合のようにしばしば死に至るということ。しかしながら、適切なワクチンが使用可能な限りバクテリアとは対照的にワクチン接種は有用であり得る。このような場合に、これによって多くのウイルス感染に対して予防的防護を得ることができる。増殖に対するワクチン接種は感染を抑制することができる。ただし、これは実際には非常に少数のウイルスに対してだけ。しかし、数百万にもなる大量のウイルスに関して、例えば風邪ウイルスは、通常、予防接種のみが効果的である。なぜなら、普通、免疫システムと全体の人間の有機組織体は罹病を独力で克服しなければならない。それが不可能なら、本当にたった二つの可能性だけが懸案となる。それは、死か生涯の長患いのどちらかである。しかし、ところで防護マスクに関することだが、それに対して次のことを言わなければならない。それにはさまざまな種類があるが、地球人によっていろんな呼ばれ方をしていて、また間違った使用がなされている。1.何らかの病原体の感染に対する防護マスクが誤って口マスクと呼ばれている。なぜなら、それは病原菌と病原体の拡散の予防に役立つというものではない。 口マスク、それは口の前に着用するだけで、簡素で薄くて単層の布マスクのことであり、唯一、外から何らかの物質が口の中に、あるいは口から外へ出ないような防護と防止に役立つ。例えば、粘液、つば、そして食餌の一部などのような。 つまり、このマスクの種類は、何らかの病原体の感染に対する防護としては適切ではない。2.労働防護マスクは、何らかの病原体による感染に対しては全く不適当であり、単にその仕事の際に発生する特定の物質に対する防護目的に役立つのであって、そのときにこのマスクは厳密にこの特定の物質が口と呼吸器官への侵入に対してだけ装着するもの。3.何らかの必要性からしばしばプライベートに作成される自家製の布マスクは、例えば、埃などの呼吸器官や口腔内への侵入に対してであり、何らかの病原体による感染に対しては全く相応しくなく、スカーフとかマフラーや頭巾なども同様に相応しくない。 そのようなものは通常、これに関しては単に考えや感情を落ち着かせるのに役立つ。それによってそのようなマスクの着用が誤った安全を与えてしまう。4.ガスに対する実際の防護マスクは、その性質次第で何らかの病原体による感染を防止できるが、どんなやり方でも防げるということではない。5.また、物質‐粒子‐防護マスクは、これは口腔内や呼吸器官への侵入に対して、つまり、埃、砂、灰やその他の細かい物質素材のようなものに効果的であるが、何らかの病原体による感染には全く不適切である。なぜなら、バクテリア、ウイルス、微生物や他の病原体に関しては全く役に立たないから。6.何らかの病原体による感染に対する防護マスクは、そのために特別に作られたマスク製品に対応する。そして、それに応じた仕様、密度と目的にかなった濾過作用において感染防止の目的を果たす。7.医療用マスクは、病原体による感染に対して、唯一実際に有効な製品に相応しており、しかもウイルスやバクテリアに対しても、そしてまた多数の他の病原体に対しても効果がある。本物の医療用マスクは特別なフィルターを備えており、種類や製品によって、場合によっては殺菌作用のある素材を備えている。これはかなり安全をもたらし、感染を防いでくれる。8.そのマスクが有効に利用される時だけ価値ある防護マスクの着用が意味をなすのであり、それが日常において、必要性がないのに、人通りの少ない路上や人が余りいない建物において着用しても意味がない。 そういった場所ではなく、あらゆる種類の医療看護、協力者と一緒に欠くことのできない仕事をする場合、小サークルでの歓談、小さな個人の集まりや大きな集会、あるいは病気や伝染病に見舞われた人の近くや傍にいるときである。それが室内であろうが野外であろうが。9.目を傷つける危険性がある場合や、あるいは特殊なケースでは、バクテリアやウイルスによる感染がある場合に、皮膚の周りを密閉する種々の防護メガネとの使用は、絶対に必要である。なぜなら、目の湿りはウイルス性病原体にとって、感染しやすさの特別な温床を作る。 基本的に、適切な防護メガネをかけない場合、この方法では良質で正しい顔マスクも、全く役に立たない。これはまた、簡単に民衆の入手可能な、あるいは自家製のマスクにもあてはまる。なぜなら、適切な防護メガネと一緒に使用してこそ有用だから。 しかし、これはまた、マスクが十分に厚くて密度が高く、それに見合った使用がなされてこそ役立つのだ。マスクは、自分の強い吐き出す息と、呼吸の飛沫が外に拡散することを防止することができ、そしてまた外部から、あるいは他人の呼吸と飛沫を受け取り、吸い込んでしまうことを防ぐための役割を果たして保証し得る。10. 防護マスクは、顔に正しくぴったりと密着させ、口と呼吸器官が完全に覆われたときだけ役に立つ。11.病原体による感染の危険がある場合は、普通にコミュニケーションをしている話し相手と十分な安全間隔1.5~2.0mを維持することを厳格に注意しなければならないが、これは、風を遮断する空間や部屋の場合に限られ、一方、風がある場合には、その強さに応じたそれ相応のさらなる間隔を顧慮しなければならない。なぜなら、病原体は風によって空気を伝わり最も遠くへと運ばせるから。 咳や咳き込み、くしゃみ、あるいは話すときに湿気を含んだ唾を吐き出す人とのコミュニケーションをとる場合、安全な間隔を確保されなければならない。それは、場合によっては3m、もしくはそれ以上である。その病原菌は生物ではなく、まさにウイルスであるから、死滅させるのではなく、単に麻痺させ機能させないことができるだけ。そしてこのウイルスは、突然変異する遺伝子変化能力を具えているために特に危険である。病気の症状の新しい変化を引き起こし、成人の人間だけでなく、すなわち青少年や子供並びに他の生物にも、さまざまな他の生命体に襲いかかることができる。このような感染症は、他の既知の病気と似た症状を現すので、その発病において、根本原因を究明することは非常に困難であり、したがって、誤って定義され、その結果、医学的にも誤って治療される可能性がある。例えば、子供たち、とくに小さい子供たちを襲うとき、このウイルスの種々の突然変異の一つに襲われ、それは、特に心臓や肺に炎症を起こさせる。我々の認識によれば、このウイルスによる感染の一つの大きなリスクは、一人の人間から他の人間に感染し、また他の状況によっても感染すること。なぜなら、今日の地球人の大半は、一般的に無責任な無関心とだらしなさに陥っていて、しかも混乱した神への信仰という結果に陥っているから。そこから信仰の妄信の中でかろうじて生き続け、この流行病のすべては神による懲罰か神による試練か、もしそうでなければ、神がそれを裁き、哀れみをかけるであろうと。一方では、第一に、自分個人は災厄から免れ、他方では、罪ある者だけが伝染病で罰せられ、一掃される。その後に、神がすべての悪い出来事を再び終わらせると信じている。今またなお、他の事実も言及されなければならない。今やこの伝染病に襲われているのは人間だけでなく、感染した人間あるいは、その人間の排泄物に接触し、それによって感染する他の生物もまた襲われているという事実について言及する必要がある。これらの生物がこのウイルスに感染した排泄物に野外において接触すると、それによって野生の生物は汚染され、このウイルスに感染し、伝染病を広めてしまう。しかし、例えば、それはペットや家畜や他の哺乳動物、小動物、甲虫類や鳥類などである。それらは、人間の場合のように、感染の結果として、一部に肺病やさまざまな器官でその他の病症に襲われる。突然変異で生じた、更に生じる様々なこのウイルスの遺伝子変化は、医師によって誤った判断がなされ、間違った治療につながる様々な病像をもたらす新しい遺伝子変異を形成する。感染の危険は、人から人へのウイルスの感染だけで生じるのではなく、ウイルスが衰え有効性が失われる前に、ウイルスは多くの場所で堆積し長時間耐え抜くことができるので、それによっても感染する。したがって、それによって感染が人間に起こり、死に至りかねない。このウイルスは、肺の他にも他の器官を攻撃し、生命を脅かす病気を引き起こすので特に危険である。そして、これは特に気管、肝臓、心臓、冠状動脈、腎臓、脳と膵臓、そのほかに、これに関して重要な位置を占める血管と心臓弁にも当てはまる。これは呼吸器官、口と目が基本的な汚染器官に相当し、または感染させるウイルスを取り込む器官に相当して、その後も、さまざまな器官に運ばれる。危険で、場合によっては、このウイルスによる致命的な病気に関してよく当てはまることは、その他のところで詳しく言えば、肺疾患を除いたところで、まったく他の器官の機能障害が生じるが、これが引き起こされるのはウイルスがまさに器官を襲うため。そのように襲いかかることは、通常、必然的に思考と感情の動きをもたらし、即座にネガティブな心の影響に至る。それによって道徳観が、それにともなって再び身体状態が弱められ、いよいよもってウイルス攻撃に、拡大と作用の機会が与えられ、これによってウイルスによる攻撃は抑制されることなく強力になることができる。我々の調査結果によると、このプロセス全体で以下のことが生じるが、地球の医学ではこの事実は考慮されていない。すなわち、感染によって、思考と感情から引き起こされる人間の好ましくない心理状態が生じ、これにより有機体の生体全体が、したがって必然的に免疫システム全体も損なわれ、その結果これらは同調し、危険な病原体の攻撃から身を守るわけではないということ。攻撃的で健康を害するウイルスがますます広がり、細胞や組織の構造変化を引き起こす可能性がある。しかし、まさにこの非常に重要な要因は、我々の観察と調査結果によると地球の医学においてこれまで認識も考慮もされておらず、その結果、この点でも患者に適切な専門的処置とアドバイスでもって治療されてもいない。しかし、ウイルスの主要な攻撃または感染は重要な呼吸器官、二つの肺葉に向けられていて、これは呼吸するための対になった器官である。すなわち呼吸の空気から酸素を受け取り、これを処理する。最終生成物の二酸化炭素が発生すると、そこを通って運び去られ排出される。肺は、三角形の肺領域からすでに始まっている。詳しく言うと、肺の縦隔領域に向いている側から始まっている。縦隔領域とは胸腔内に垂直にのびる組織領域である。ここでは肺胞管・肺胞または肺動脈と肺静脈が攻撃され、そうして付随する血管およびリンパ管を伴った主気管支が攻撃され、そしてウイルスが肺に侵入する。とにかく、あからさまに、これは基本的に気管の方に関係しており、気管はウイルスに襲われ感染させられる。その結果、感染は管腔器官の分岐と、それとともに二つの主気管支に侵入し、そしてそれによって肺動脈と肺静脈を通って血管の奥深くへ侵入することができる。免疫システムについて、また言及されなければならないし、いくつか説明し詳述されなければならないことは、免疫システムは基本的に生体固有の防護システムのことであり、防護システムが身体全体を病気から守ることができるということ。より正確に言うと、その機能の本質はすなわち、タンパク質のすべての器官と細胞の総体を、そして生体固有の構造を、バクテリア、ウイルス、微生物の寄生虫または真菌類のような身体に異質な物質と病原体からの防御によって保護すること、そしてそれによって生体全体の健康を維持すること。そのための前提条件は、免疫システムの識別能力が身体自身と身体に異質な構造との間で機能することであり、その結果、防御免疫反応が侵入するウイルス、バクテリアまたは微生物に対してのみ機能するが、身体自身の性質に対しては機能しないことである。したがって、免疫システムの役割は、異質で、生体の健康に有害なバクテリア、ウイルスと微生物と戦う防御システムのことであり、その際、それは異質で悪性な外部からの生体に侵入する病原体、同様に病気の身体自身の細胞を識別し、攻撃し、可能な限り全滅させる。人間の免疫システムは、つまり、数百万年の進化の過程において、身体に侵入して健康を脅かす異質なバクテリア、ウイルス、真菌や微生物に対する防御システムとして発達してきたのであり、それはまた生体自身の中で発生する病気の細胞をも検出し、戦う。これは一方では、この防御システムが二つの主要なシステムで、つまり根本的に先天性の非特異的免疫システムで構成されているからであり、その免疫システムは、まずは基本的に細菌感染に対して主な戦いを実行する。その他に、別の二番目の免疫システムが与えられている。これは時の経過とともに獲得され、まったく特定の病原体に対して、その度に特有の戦いを始め行動をとる。この特別な免疫システムの助けを借りて、身体は、カプセル化されたバクテリアやウイルスと戦うことができる。これらのバクテリアやウイルスは進化または突然変異をして急速な変化が可能なカプセルの表面構造を作り出している。これらの免疫システムに固有の特異的および非特異的防御メカニズムで、密接に互いに網状に結合している。けれどもその際、顧慮されるべきことは、この防御的補償が機能できるのは、免疫システムに不可欠な手段と薬剤が供給され、それらによって免疫システムが力を付けた時だけである。これは普通、そして通常なら、食物や栄養を摂取することによって生じる。これは普通は、免疫システムを強化するすべてのあの物質を通常含んでいる。ビタミン、微量元素、タンパク質などのような。その際、例えば特に、ビタミンAは視力・皮膚・毛髪・粘膜・歯と歯肉にとって重要であり、ビタミンCは特に身体自身の防御と創傷治療にとって重要である。これらに加えて、ビタミンDは健康な骨と歯の形成にとって重要であり、そのうえ感染症を予防する。ビタミンEも同様に重要であり、ビタミンAやビタミンCとともに最も重要な抗酸化物質の一つである。これらの機能において、ビタミンEは細胞を酸化ストレスから守る。このストレスによって、フリーラジカルが優位となり、著しい損傷を引き起こすことができる。さらにビタミンKは血液凝固に、また骨の健康に関しても、極めて重要である。ビタミンはとりわけ、ちりめんキャベツやほうれん草のような植物性食品に含まれており、一方で、ビオチンまたはビタミンHは、物質代謝における中心的役割を占めている酵素反応を活発にし、これらはまたグルコースの形成と脂肪酸の合成と分解およびいくつかのアミノ酸の分解にも重要なのである。さらにまた、パントテン酸であるビタミンB5もまた同様に重要で、ほとんどすべての物質代謝および丈夫な爪にとって非常に重要な役割を果たしている。これはこの点について、かつて簡単に言及したが、それに対するより詳細な列挙において、まださまざまな他の要因や物質について言及されるべきでしょう。さて、この伝染病と生体へのその影響に関してさらに詳しく述べる必要があるのは、そのウイルスによって肺の中に血管壁の病気を引き起こし、それによって炎症が起こり、血液への酸素供給を妨げ、したがって必然的に生命を脅かす酸素欠乏が生じ、しばしば死に至ることが判明している。この危険な現象は、その後の、場合によってはリスクを減少させ、また止めることさえできる血液を薄める措置を必要とする。その点で、ビリーは君自身を手本にできる。君の心臓弁が沈着によって狭くなった時、つまり、君が君自身の理性的な思慮からこの事態を認識し、血液を薄める措置を用いた時、それによって問題が緩和するが、これは完全に除去されたわけではない。この問題は、Evaが大学病院に君を入院させ、君に新しい心臓弁が装着されたとき、やっとある程度取り除くことができた。それから君に血漿増量剤または抗血栓剤が常時薬として処方されたにもかかわらず、君が自分のイニシアチブから更なる他の追加の同じ種類の薬を服用し、それ以来毎日服用し、それ以来毎日使用してから、ようやく心臓弁が継続してうまく機能するようになった。このような抗血栓剤だけでも、ある症例または別の症例における量に応じて、その目的のために人間を模造して作った有機薬品装置での我々のテストが少なくとも最初の実験において条件付きで証明されているように、この伝染病によって引き起こされる酸素欠乏の際に役立つ可能性がある。人間を模造して作った有機薬品装置での更なる実験、テストと検査は、このウイルスの伝染病は間違いなく、実際に疑いもなく、4つの議論の余地のない要因、つまり、次の結果をもたらしたという全く明確な結果を示している。1)何らかのケースにおいて、この伝染病からの快復が生じても、これは必ずしも免疫につながるのではなく、ただ見かけ上の快復にすぎない。しかしながら、これは医学的には見かけの快復として認識できず、ある特定の特別な装置によってのみ認識できる。そのような装置は地球には存在しておらず、遠い将来に実現するでしょう。2)この状態において、この伝染病は、切迫した休眠状態の純粋なインパルスとして実際には存在し続けており、その結果、それは特定の状況によって再び活発に活動し続ける。 しかしながら、これは伝染病の再活性化ではなく、継続的に活動し続けること、または、実際には眠っておらず活発で引き続き有効な存在なのである。その存在は最初、目に見えず、また認識されないが、切迫した休眠状態から新たに発症が起これば予期せずに再び検出可能になる。 これは快復しているのではなく、ただ表面上快復しているだけであり、その際、その伝染病は直接的な病原体なしにインパルスとして存在し続けているために、そのようなことが起こる。3)一つのまた別の形は、このように人間を模造して作った有機薬品装置を用いた我々の実験、検査とテストで明らかになった。つまり、特定の状況では医学的に証明可能なこの伝染病からの快復後に、完全な免疫が生じるのではなく、一つの潜伏性の抵抗力だけが記録されたのであって、その結果、広範囲な新たな感染が避けられなかった。4)人間を模造して作った有機薬品装置を用いた我々の実験、テストと検査のまた別の現象は、このウイルスに感染された生きるために重要なすべての器官を備えた模造された人間の身体が、証明可能などんな種類の病気症状も引き起こさなかったが、感染が証明できなかったのに、それにもかかわらず感染が起こり、現存していたことを明確に識別可能な形で示す抗体を作り出したということが生じた。君が私の発言を呼び出して、記録し、公開するので、前もって今、私は説明しなければならない。つまり、私の情報は訓練された地球の専門家によって専門的な助言や治療に置き換えること、またこれらのことを地球に与えられ、協議されなければならないというわけではない。なぜなら、彼らは、地球の医学や地球人類の病気に関して経験豊富である一方で、私自身これに関してほんの端緒のいくつかの知識を持っているだけだから。つまり私は、私の立場で、私が薬など、またはアドバイスをする場合、これらは軽率に使用されても、またどんな独自の診断がなされるべきでもなく、そしてまた、医師の指示なしで何らかの薬が服用されたり、不適切な治療が着手されたり実施されたりしてはならないことを説明しなければならない。シャーレなどで病原体を殺す薬は、しかしながら生体の中では同じようにならないことは事実である。というのは薬が、それとともにワクチンも明確に免疫システムを実質的に強化し、それに対応する病原体に免疫システムを形成し、それによって免疫システムが、バクテリア、真菌類や微生物のような病原体を殺す働きをするから。これとは逆に、ウイルスは性質上、生物ではなく、ただ麻痺され、ただ活動が止まっている有機構造に相当するものにすぎないので殺すことができない。この事象は、ウイルスに対して向けられるあらゆるワクチンに関しても生じる。その際、ワクチンはその有効性の中で免疫システムに移され、免疫システムがウイルスを阻止し、立ち向かい、それを麻痺させ、そしてその活動が停止し、完全に効果がなくなるまで締め出すようにワクチンを接種する。今、更に言う必要があるのは、適切な保護マスクの着用による予防措置に関することで、それについて私は今日だけでなく、繰り返しいくつか説明する必要があるでしょう。保護マスクは、健康を損なう機械的あるいはその他の物質の粒子、または何らかのガスを吸い込むことに関するさまざまなリスクがあるところ、同様に特に、バクテリア、微生物、ウイルスまたは化学的影響などに関するリスクのある、至るところで不可欠である。病院や社会福祉施設などにおいても、医療従事者は可能性のある病原体から患者を保護するために、適切な使い捨て保護マスクを着用する必要がある。このウイルスのヨーロッパへの拡散に伴って、これは現在、特に重要な意味を持つ。保護マスクは医療施設の内外、介護施設などでも重要な意味と機能を持っているが、それに対する必要性がある場合に限る。ある人が、バクテリアまたはウイルスに感染している場合、他の人に対して感染のリスクがあるため、通常の保護マスクまたは医療用保護マスクでは他の人を守るのに不充分であり、その結果、適切なフィルターシステムを備えた医療用保護マスクが必要なのである。その医療用保護マスクは、病原菌がマスクの中に侵入することがなく、また起こりうる避けられないクシャミまたは咳のときに、エアゾルが外に出ることがないように顔に正しく、ぴったりと密着しなければならない。咳やクシャミをするときは、無条件に他の人から背を向け、それに加えて口と鼻の前に手や腕をあてがうべきであり、また他の人と目的に適った距離を保たなければならない。外部の人たちとの身体接触は可能な限り避けられるべき。呼吸困難、熱、咳または他の病気の症状がある人は、早期に医師の診察を受けるべきである。これらの感染症は他の人たちに感染することが非常に多いので、手洗いに関して、厳格な手の清潔が例外なく常に必要なのである。したがって、病原体を無害にするために水と石鹸で定期的かつ徹底的に手を洗うことが、常に緊急性がある。手の消毒は、手で触れることによって病原体の拡散を防ぐことができる確かに非常に重要な手段であるが、手の消毒は、もっぱら普通の石鹸で手を徹底的に洗うことによってのみ行われるべきであるが、化学消毒剤で決して行われてはならない。あらゆる種類の消毒剤は、いかなる種類の医薬品に相当するものでなく、したがって、そのような薬品はただ他のさまざまな種類の消毒のみに使用されるため、いかなる方法でも摂取したり、塗布したり、また注射してはならない。この新しいウイルスは、いずれの場合やそもそも可能な場合も専門的にテストされ、承認された消毒剤でのみ不活性化される必要がある。1)まず、第一にバクテリアまたはウイルスに罹った人たちは、他の人たちとその周囲への病原体の感染を減らすために、病気に適した保護マスクを着用しなければならず、その際、しかしまた病気に罹患した人によって他の保護措置、衛生上必要なもの及び行動規範が遵守されなければならない。 A)適切な保護マスクの着用は、特に病気の人たちによって考慮されなければならない。 a)彼らが他の人たちと2mの最低の距離を保つことができない場合は特に。 b)必然的に家の外の医師や病院に行かなければならない患者も同様に。 c)病気の人が自ら保護マスクを着用しているか、していないかどうかに関係なく、バクテリアやウイルスに感染した人との対応が避けられない場合にも、同様に健康な人のために防護マスクの着用と距離の遵守は必要である。 B)着用時に口と呼吸器官を覆う保護マスク、つまり、病原体に対して着用され、効果的であると言われている、一般的に普通、自由に購入可能な保護マスクに関する我々の認識は、君がそのようなことや他の行動のあり方に関してその都度よく口にしているように、通常ただの言い訳にすぎない。 実施にそのマスクは、ウイルスに対して殺菌効果はなく、息を吐き出す時や話すときの呼気の飛沫が拡散することを防ぐ目的だけ。しかしながらそのようなマスクは、バクテリア、胞子、微生物やウイルスの侵入と浸透を防ぐことができない。これらのマスクは通常、紙や簡単な布のような一重または多層の材料でできているので、病原体に対する防御には役立たない。 そのような製品は、物質的な粒子の侵入や呼気の飛沫と吐息の排出を防ぐだけなのである。 C)呼吸の保護マスクの着用は、全般的に必要なものであると考えられるべきものではなく、他の人たちと何らかの方法でやり取りするときや、公共交通機関などのような必要な場所でのみ考慮されるべきである。 保護マスクは、健康な人に対する一般的な予防として推奨されるのではなく、患者や感染した可能性のある人、あるいは他の人たちと近くまたは直接直面される人のためにのみ推奨される。それによって、彼らはウイルスを拡散しない。 それゆえ疑わしいケースでは、とりわけ医療従事者は、例えば飛沫感染から身を守るためにマスクを着用すべきである。 D)着用後に洗って再利用できる布マスクは、自分の吐く息と呼気の飛沫を周囲にもらさないための予防策にすぎない。 実際、そのようなマスクは、徹底的に手入れされていなければ病原体の温床になるため、害を及ぼす可能性がある。 E)しかし、それにもかかわらず、適切に着用して使用すると、そのような保護マスクは、有用で効果的である。つまり、正しく清潔な状態を保ち、口や鼻を頻繁に触れたり、不潔な手指による感染のリスクを防ぐという意味において有効で効果的である。2)最初に説明した保護マスクに対し、いわゆるシンプルな医療用マスクは、質の良い素材から作られており、特に柔らかい内側の羊毛が快適さを与えるが、それにもかかわらず、バクテリア、ウイルスと微生物に対して防御しない。しかしながら、呼気の飛沫と呼吸の放出を防ぐ。3)罹病している人の呼吸の発散や呼気の飛沫による感染から、つまりバクテリア、ウイルスと微生物から身を守るためには、特に、粒子ろ過を行うハーフマスクまたはフルマスクに対応する(FFP3フィルターマスク)特別な微細粒子フィルターマスクのみが適している。 これは、部分的または全体的に交換不可能なフィルター素材で作られており、それは、空気を通してフィルターに吸い込まれる感染性の呼気の飛沫またはエアロゾルの侵入を高度に防止し、低減しまたは完全に排除する。この呼吸の保護マスクは、しかし、日常の使用には適しておらず、最大5時間に応じて3~4時間の使用のみで有効であり、その後、そのマスクは適切に廃棄し、新しいものと取り替えなければならない。4)実際に、上質で高価な、特別で特殊な医療用の微細粒子フィルターの保護マスクは、バクテリア、ウイルスと微生物に対して非常に適している。 この粒子ろ過のハーフマスクまたはフルマスクは、可能な限り最善の保護マスク(FFP3フィルターマスク)に相当しており、そのフィルターは交換可能であるが、3時間から最大5時間しか使用できず、新しいフィルターに取り替えられなければならない。その際、マスク自体は洗浄され再利用できる。5)この伝染病から医学的に証明された快復の後、このウイルスに対する免疫が現れるが、他のウイルス性疾患や病気の場合も同じように、これはただ時間に制限があり永続的なものというわけではない。 したがって、この伝染病から快復し、医学的に免疫があると証明された人は場合によっては肺の損傷が生じ、ある一定期間の後にそこから新たな健康被害をもたらすことがあり得る。 ウイルス、バクテリアまたはその他の病原体は、免疫システムの防御力が不十分であるか存在しない場合にのみ、身体と器官に立ち入ることができる。したがって、免疫システムは侵入してくる病原体と戦うことができない。これは、病原体が免疫システムの弱さのために抑制されずに病原菌を拡散し、それによって病気を引き起こすことがあることを意味する。そうして、病気が発現すると、病原菌を排除するための免疫システムの能力が消えてしまう。通常、医師もしくは代替医療治療師の専門知識や助けが必要になるので、それ自体で発生する病気を引き受けるために、身体、器官や免疫システムの機能の方法に関する包括的な理解と知識が必要になるという多くの要因が関わり合っている。そしてエドゥアルトよ、それは私が説明しなければならなかった主な事実なのである。これらが、私が君の質問に関して説明すべき、述べられなければならない主な価値なのである。第731回会見
2020.10.22

クウェッツァル「迅速に捉え、封じ込めの対策が講じられない場合、その病気は急速に制御不能になり、拡大するリスクがある。それが行われなければ、病気にはもうほとんど立ち向かうことができない。その際、すべてのことは、世界中の観光客の往来や商品交易によって悪化され、病気は世界中に伝播するでしょう」。ビリー「決定的なことが何も講じられず、すぐに病気を治す薬、またはワクチンとして有効な薬が見出されない場合に、それはおそらく容易ならぬ結果をもたらし、カタストロフィーに至るでしょう」。クウェッツァル「すべてのことは、ひどい形になるか、早急に終息するかの可能性が非常に高い」。(第341回会見 2003年4月2日)ビリー「我々は、まさに人口過剰に際し、私はこれが成長すればするほど失業が増すと思うのだが、このことは、統計学者などには認識されていないし、したがって、計算もされていない。つまり、事実は、とてつもない多量の人類の成長で技術の成長も共に進み、しかもますますロボット化の自動技術が広がり、ますます自動化し、いわゆる自立型ロボット機械が必要な労働業務を実行し、これを人間が機械を使って行うよりは数倍も早く行うことができることだが、人間自身がこの機械を監督し操作しなければならなかったもの。それによって、時と共にロボット自動マシーンがますますアンドロイドのように全ての可能な仕事を人間よりも何倍も早く遂行するようになり、その結果、人間は労働業務にとっては全く過剰になり、このことが壊滅的な結果につながる。人口過剰が今後も抑えられることなく上昇するなら、殺人、暴動、憎しみや敵対関係、嫉妬、殺害、暴力行為、犯罪や市民テロ、そしてまた家庭内暴力、家庭犯罪、無秩序、労働者に対する富む者の支配と搾取、そしてまたあらゆる秩序に関する破壊的形成がますます蔓延し、したがって、あらゆる種類の常軌を逸すること、そして収拾がつかなくなることが醜くも日常茶飯事になるでしょう。すでに、今日 コ ロ ナ 危機のために、あちこちでそのような常軌を逸することが起きているが、これは、住民の一部が政府と当局によって公布された予防措置に対して反乱を起こし必要な公的命令と規則を守ろうとしないことだけでも証明しているし、証拠となっていて、このことは、時がたつうちに数百万の感染者を生じさせ数千の死者を要求する。そしてこれは、コ ロ ナ 伝染病がなくても、人口過剰が世界における出産停止と根本的な出産制限によって減少されなければ、そのうちに生じること。そして、このことは必然的結果として起こるでしょう。なぜなら、地球人がますます相互に足を踏みつけ、行動の自由をますます制限し、個人と同胞の幸福に無関心になり、どうでもよくなり、これがいよいよますます広がるのであれば、すべては最終的な陥落になるから。地球人の過剰さのもとで、自分の禍福に関する個人的な無関心はまさに既に始まっており、進行している。そしてまた同胞に関しても無関心さは無責任にももたらされていて、このことは疑いもなく今日すでに示されている。このことは、つまり、現在すでに、国民の大部分によって コ ロ ナ 予防措置とまさしく政府と官庁によって用心のために コ ロ ナ 伝染病に対して勧められ、あるいは指示されている防護規制を、無関心と無責任さで無視されることによって生じていること。そうして全く無責任な飛行機、プライベート飛行機、あるいは公共の交通機関での外国への余暇旅行が行われたり、大小の娯楽パーティーや酒宴が催されたり、娼家、映画館、バー、レストランや劇場を訪れたり、そしてまた公共のミュージックショー、レスリング競技大会や体育祭、並びに、ばかげた愚かなサッカートーナメントなどのような健康の安全を犯すその他のスポーツ大会へ参加したりする。川辺や浜辺での水浴あるいは公共の水泳施設にも、コ ロ ナ 伝染病に対し無関心で無責任な地球人は群がるのだが、ここは全く同様に コ ロ ナ ウイルスによる感染と死の源泉であり、そしてまた総括的にどのようなデモも他の人間の集まりも然りである。あらゆる統治者と地球の国民のある大きな部分は、 コ ロ ナ 伝染病に関し全く無関心であり、その結果は、非常に多くの不安定な地球人が無責任で無関心な者たち、あるいは コ ロ ナ 伝染病に関する嘘つき、そして狂った陰謀説理論家などによって全く同様にそそのかされて、伝染病に関するどんな防護予防措置や規則にも反乱を起こし、違反し無視する。だが、このことは、彼らの多くの者には、彼らが感染するか、あるいは彼らの無関心さ、無知と責任感の無さを彼らの命で償わなければならないなら、悲運となるでしょう。しかしまた、統治者の多くも然りであり、彼らは恥ずかしくも、 コ ロ ナ ウイルスに対して必要な安全予防措置を練り上げることや、必要な命令を住民に対して交付することも、またこれらを警察やその他の治安部隊がこの全体を制御し実行するために機能を果たせず無能である。その際、発令された安全予防措置を無視する者たちは取り除かれ、高額の罰金や繰り返される場合には、長期の自由刑(懲役・禁固・拘束など、身体の自由を拘束する刑)のような厳しい処罰が課せられなければならない」。プター「我々は、 コ ロ ナ 伝染病について、もう話たくなかったが、今君がこのテーマに言及したので、私がまたいくつか今後の流れと伝染病の結果について話そうと思う。君がまさに言及したことは、残念ながら今重大な結果となった。なぜなら、現在、 コ ロ ナ 伝染病パンデミックは、いよいよもって広がりピークへと上昇していき、それは数週間のうちに到達し、また数百万の感染者と非常に多くの死の犠牲者を強いられるでしょう。 コ ロ ナ 伝染病による感染者と死者に関して、これまで知られたすべての数字は事実でないことについても言及する必要がある。なぜなら、一方では、この伝染病は既に2019年1月・2月において中国からさまざまな国に引き込まれているが、11月に武漢でさらに突然変異したウイルスによって生じたようにまだ突然変異していなかったから。2019年1月の終わりころから既に世界中で多くの人間がウイルスに感染しており、また非常に多くの人間が罹患して死亡しているけれども、このことは世界的には認識されていない。なぜなら治療に当たる医師によって常に他の、間違った病気と死因が診断されたから。このことは、武漢において更に突然変異した伝染病が現れ、そこから新しい異形で世界に広がった時に初めて変わった。だが、このウイルスは引き続き突然変異段階を走り続け、それは時おり新たな病気にかかりやすい人間を生じさせるが、これは通常地球の医学者全般とウイルス学者にも認識されていない。なぜなら、これに関して彼らは必要な知識も、これに必要な技術、装置と化学、並びにその他の必要条件が手中にないから。我々がその翌週に新たに前もって調査したように、翌週に上昇している公式な感染者は今月8月終わりには2,700万人に達する一方、数週間以内に100万人の死者の犠牲を悼まれるでしょう。だが、これはその時までに知られている公式によるものだけであり、一方、今までの世界の感染者と死者の表に出ない数字は、はるかに多い。 コ ロ ナ 伝染病による感染者と死亡者数は、今後数週間のうちに世界中で劇的に増加し、これは正確に、君がまさに述べた事実に基づいている。これは全く明白にそういうこと。なぜなら、与えられる全ての理性的な説明とアドバイスは多数の度し難い連中によって記憶に残らないし理解もされない。それゆえ、真面目に受け取り順守されることもないから。説明することは、これは君がその都度言うものに相当する。つまり、すべての愚か者の中の最悪の者がこの世の災厄をもたらす。また君はこうも言う。話されることはよく聞くが、愚か者は伝えることと説明されることは聞いていない。したがって、彼らは何も理解していないし、愚かなままで破滅する。君のこれに関する断言がいかに正しいか今にわかる。つまり、一方では、いまだ押し寄せている コ ロ ナ 伝染病の第一波はピークに入り、他方では、国家指導層も住民も厄介な コ ロ ナ 伝染病の状況を理解せず、従って必然的に必要となるであろう防護予防措置を実行しないことによって分かる。反対に、既に伝染病の第2波が蔓延しているという軽率な、したがって愚かで馬鹿げた間違った主張と説明が広がっている。つまり、まだ第1波にも関わらず、それが現在そのピークに向かって進展して周囲に突然の大量の感染者と死亡者を出しているにもかかわらず。このことは次週以降に世界で生じるでしょう。一方では、伝染病の蔓延の全体は、国家指導層と当局の、そしてまたWHOとその公の衛生機関の無能力のゆえに生じ、これらは決して実際の厄介な状況を判断することも、必要な措置を決定することも、実行することもできない。他方では、私が君の言葉を引用するなら、理解力と理性に関する完全な責任不能力の多数の住民は自分で、自分の愚かさで災いをもっとひどく促進するための全てを行ってしまう。そして様々な方法でこのことが生じている。例えば、 コ ロ ナ 伝染病は存在していない。あるいは国家の基本的な権利の抑圧に相応しているという否定と単純な陰謀説理論を広める方法によって。まさに、この基本的な権利が、理解力と理性に関し責任不能力者たちによってますます取り上げられているが、我々はそれを未来観察で探知したように、そこからテロ同様のデモの方法で住民暴動が起こっていて、このことは、既に何度も行われているが、今後はもっと増え国民の安全とあらゆる秩序に対して危険になる。我々が未来観察で確認したように、犯罪的な国家と秩序の敵対者並びに コ ロ ナ の嘘つきや陰謀説の連中によって、励まされ扇動されるなら、これまでもそうだが、近々、新たな反抗とデモが生じ、血なまぐさい暴力行為がもたらされることになるでしょう。これらのデモは、国家と秩序に敵対する連中の扇動によって引き起こされるが、彼らは国民から理解力のない人たち、愚かな人たち、無分別な人たち、並びに未熟な人たちを集め、これらの人たちによって自分たちの国家と秩序に対する敵対性を生かすことができる。これらの陰謀の陰には部分的には極右もあるが、極左のグループもあり、しかしまた我々が確認したように、この方法で報復するある種の政治家たちもいる。なぜなら、彼らは彼らのグループ内で支離滅裂な意見、アイデア、考えや願望を持ち出すことも実行もできないから。全てを正確に分析してみると、特に認識できることは、今や コ ロ ナ 伝染病は、第一に無分別と愚かさ、並びに国家指導層の無責任さのゆえにそのピークに向かって蔓延してしまう。これは、国民の統轄者が責任を他に逸らしたからであり、したがって全ての必要な コ ロ ナ ウイルスに対する防御措置を十分に行わずに、ロックダウンを解消したから。大部分は、彼らが無責任にもあらゆる必要で重要な防護行動規則の順守義務を終わらせ、全ての行為と行動を国民の愚か者、未熟者や知性の弱い者の中のあの者たちに任せてしまった。すなわち、未熟で、気まぐれで、無関心に漫然と日々を過ごし、何も責任を意識せず、 コ ロ ナ ウイルスが蔓延しピークに達することによって非常に多くの犠牲者が要求される要因に、該当するような者たちに。全体的にみてみると、引き続き君が常に用いている表現方法で話してよいなら、国家指導層の全ての誤った無責任な災いをもたらす、部分的には非常に子供じみた滑稽な演説、見せかけの認識、見せかけの表明、決定、行動様式、並びに、ほら吹きや不十分な振る舞い方によって、そして未熟で理解力と理性に関して責任不能力の国民の例の部分によって、世界にあらゆる災いと災厄があらゆるやり方で破滅、絶滅及び死が、蔓延するに至るまで止めどなく拡大する。些細なことのように見せながら、責任者たちによって コ ロ ナ 伝染病パンデミックは C O V I D - 1 9 と呼ばれるが、これはこの伝染病の厄介な危険性と、その陰険さを過少表現し矮小化していることになる。これは、純粋に心理学的に観察すると、未熟な国家指導層の大きな部分も国民もこの陳腐な呼称によって惑わされ、自分自身には伝染病の深刻な危険は些細なことであるか、それどころか全く疑わしいことなのだから。このことは、国家責任者やウイルス学者、疫学学者、心理学者や医師などが、心理学に関して全く、あるいは僅かしか知見と経験がないことを示し、そしてまた何らかの要因の必要とする心理学上の振る舞い方や命名に関しても同様であることを証明している。その結果、彼らはあらゆる点で、いかにして彼らが間違った理解で コ ロ ナ 伝染病パンデミックの命名を単純に C O V I D - 1 9 としたことを、追体験もできないのと同様に理解できない。このことは、 コ ロ ナ ウイルスの危険性の全体が、ウイルス学と医学に無教養の全ての者にとって大したことのないように見せ、したがって、彼らもまたこのように自分たちの無教養に収まり、それ相応に防護規則を守らない。だが、それから防護規則を守ろうとするのは、彼ら自身が伝染病に罹って初めてそうなるのだが、君がかつて言ったように、その際しばしばそれは手遅れであるし、最後の道、墓地への道を行かなければならない。さて、また言及する必要があるのは、私が説明しようとする次のことに関することである。なぜなら、私は全ての ○ ○ ○ メンバーと全世界の我々の説明などに関心を持っている人々に対して、 コ ロ ナ 伝染病の実態が本当にいかに厄介であるか、再度いくつかのことを繰り返し示す義務を感じたから。すなわち、私は、以前説明したことすべてを補足する必要があるし、それをまたインターネット上で提供すべきだと考える。1.国家指導層やその責任者たちの機能不全と無能力に公然とクレームをつけ、彼らにいよいよ コ ロ ナ 伝染病に関する正しい防御措置を練り上げ、全面的にこれに切り替えることを要請することが避けがたく必要である。全面的に国家の責任者は、彼らの無能力と誤った状況判断のために機能しなかった。このことは、とりわけWHOの責任者や国連の世界保健機構にも該当し、まさにあらゆる国家の全ての統治者たちの大部分がそうであるように。したがって、必要な措置が何も、あるいは不十分にしか講じられていなかった。このことは、責任ある者すべての、特に統治者の無能力と有責に相当しており、現在も間違った行動をし、すべての必要なことをなおざりにしていて、したがって、彼らは継続しているパンデミックを阻止するのではなく、さらに促進している。2.特に、ヨーロッパにおいてまずイタリアとスペインだけが悪化した形で コ ロ ナ 伝染病によって襲われ、それ以外のヨーロッパの全ての国々では他の国々と比べて コ ロ ナの感染者と コ ロ ナの死者が非常に少なかったということに言及する必要がある。しかし、これは今や非常に変化しており、このことの要因は、国民の大部分がロックダウンに順応して伝染病から身を守ったことによるもの。だが、ロックダウンを余りにも早く緩和し、終焉にさえしてしまった国家指導者の無思慮によって、国民に自己責任を求められたが、それは住民には重荷となり、そのことから、国家と秩序に敵対する連中の影響のために国民の中の扇動者に促され、そこから争いが起こり、しかも主として、表向きの自由剥奪に関してであり、これは特に名目上の基本の権利の制限やそれと同じようなもののことだが、これがデモになっていて、今後さらに悪い方法で生じ、暴力行為を引き起こすでしょう。そして最終的に血塗られたテロの形が今にも起こりそうである。現在、実際に、ヨーロッパ全土においても コ ロ ナ 伝染病により犠牲者を出しており、近々、 コ ロ ナ 伝染病は感染者と死亡による犠牲者の数をピークへと追い込むでしょう。3.明らかに、ウイルス学者と医師などには、私が既に数ヶ月前、我々の説明の始めに明らかにしたことがいまだに浸透していない。すなわち、 コ ロ ナ 伝染病からの治癒が実現し、抗体が形成されても、その快復者には実際の免疫が、そして集団免疫が生じないということが浸透していない。4.治療または、完全な快復が実現した後でさえ コ ロ ナ ウイルスに関する免疫は生じないのであって、したがって治癒が実現した後に、いつまでも コ ロ ナ ウイルスによる新たな感染と致死の危険性も生じ、そしてまた更に続けて感染され得る。体内における伝染病もインパルスとして存続し続け、ウイルス学や医療の専門家によってでさえ認識されることができない。5.今また、ヨーロッパにおいて、防護措置による僅かな期間の封じ込めの後に コ ロ ナ 伝染病が広がっていることを責任者たちは、言及しなければならない。彼らはECDCつまり、欧州疾病対策センターに所属している責任者であり、そしてまたWHOと国家指導層の主要な全ての責任者、並びにその国独自の保健機構に所属している責任者であり、彼らは無能力と大口をたたくために、引き続き蔓延している厄介な伝染病の危険な状況をいまだ判断できない。したがって、彼らは非常に必要不可欠な情報も公にしていないし、 コ ロ ナ 伝染病などに対する防御措置を作成しないし、実行させることもしない。6.あらゆる必要な伝染病防護措置の実施と実行に関しては、あらゆる国家のあらゆる政府の責任ある所轄官庁全体が、国民のための必要な防護措置を発令し実施することができないし、先見の明をもって十分に予測することもできない。この理由は、基本的に、彼らは決して、現実を正しく評価することができないからであり、したがって、実際に適切な決定を選択することもできないから。というのは、彼らはそれに対し、そして彼らの公職にとって絶対に能力がなく、ひっくるめて専門知識がなく、才能がなく、適してなく、資格がないから。7.この陰険な コ ロ ナ 伝染病の危険性と致死性は、ウイルスの継続的な突然変異によって生じるのだが、その際、そこから起こる突然変異の変化が新たな遺伝子変異の発生をもたらし、これが、より危険で、より攻撃的になる。しかし、このことは医師にもウイルス学者などにも認識されない。というのは、彼らはそのための必要な知見と装置を持っていないから。8. コ ロ ナ ウイルスの変化する危険性と新たな遺伝子変異によって新たな感染への抵抗力のなさも生じ、これは今後、年少者や若い人たちに、最も若い年齢の子供たちにまで下りていくが、これは以前、すでに説明したこと。この際、妊娠している母の結実さえも襲われ、生涯 コ ロ ナ ウイルスによる健康障害に苦しむことになる。9.既に以前から言われている要素、つまり哺乳生物のあらゆる属と種、特に犬や猫、牛、馬、そして豚及び齧歯類動物のような家畜は、 コ ロ ナ ウイルスに関して罹りやすく、それによって人間も感染する(専門家は、その他の主張を述べている)ことが、ウイルス学者や医師にはいまだ浸透しておらず、したがって、彼らはこの事実にまだ反論している。10.伝染病の伝播は、感染の瞬間からほとんど数秒で生じ得るのであり、また、主張されているように、感染が証明されてやっと生じるのではない。11.以前の説明から繰り返して、今日また、はっきりと次のことが証明されなければならない。バクテリア、菌類や寄生生物のような病原体に対する防護マスクを着用することは、一方では、そのマスクが適切であり合理的に使用するときにだけ意味が在るのであるが、近くまたは、狭い範囲内に人が集まらないような野外の歩行者のいない大通り、開放的な地域、あるいは建物内での日常使用は意味がない。基本的に、人々が入手可能なマスクは、それが厚くて密度が十分あり自分の吐息の排出、あるいはエアロゾルまたは呼気飛沫を防ぎ、また外から、あるいは他の人たちから吐き出される同様な物質を吸い込むことを防ぐことができる場合だけ有効性があるのであり、そしてこの物質を自分で受けたり吸い込んだりしてはならない。また良質の普通の品質FFP1のフェイスマスクは、通常3層で羊毛被膜がコートされているが、ウイルスに対しては有用ではなく防護もしない。なぜなら、それは、通常、バクテリア、菌類、寄生虫、埃、砂や花粉及びその類のものに対して防護機能を示すだけだから。より良い目的に適った特別なフィルターマスクは、品質と等級がFFP2のものであるが、これもまたウイルスから防護しない。ウイルスに対して防護するのは、ただ、品質FFP3の特殊な医療マスクであるが、これも94~96%の安全率だけが前提となっている。つまり、防護マスクは、一方では、目的に伴った加工を施されており、他方では、実際の意味と必要性が結びついているときにだけ使用される。しかし、これが必要性でなく、それにもかかわらず防護マスクを着用するならば、このことは無意味なだけでなく、お笑いであり、お祭り騒ぎのようなものであり、このことは、私が既に以前に説明したとおりである。3月2日に私が口頭で説明した下記のことは、今後も有効であり続け注意が払われなければならない。1.第一:話すときに、発話呼吸の息が、非常に微細な水滴の吐息として、飛沫またはエアロゾルとして放出される。このプロセスにおいて、口と鼻からの呼吸の息は、寒い日にだけは見えるが、暖かい日には見えない。しかし、この放出は、この呼吸‐水滴‐吐息が通常寒い時には約0.5mに及んで広がり、それにしたがって、発話している人の近くにいる相手によって息とともに吸い込まれるという性質を持つ。このようにして呼吸‐水滴‐吐息‐感染が起きる。2.第二:寒い日には口から吐き出す息は凝縮、そして呼吸‐水滴‐吐息または飛沫の吐息は可視となり、口と鼻から細かい濃い霧のように空中に現れる。3.第三:凝縮する呼吸‐水滴‐吐息は人間だけでなく、動物やある種の小動物にも生じる。4.第四:呼吸‐水滴‐吐息のプロセスにおいて、これは説明したように、寒い日だけに見え、暖かい日には見られないが、注意するべきことは、暖かい時にも発話する際には口から吐き出されていて、近くにいる人によって吸い込まれること。5.第五:人間の呼吸‐水滴‐吐息は、このことは再度述べられる必要があるが、口と鼻からの湿った暖かい気息の吐出が冷たい湿った外気に当たると、常に可視になることである。その理由は、物理的な空気の性質によるもの。なぜなら、この性質は、つまり、ある一定の量だけ水蒸気を吸収して、可視化できるから。暖かい空気も水を吸収し、しかも冷たい空気よりも多く吸収するのである。その際、口から吐き出される暖気は、寒い時とは反対に暖かい時にはさらに遠くへ不可視で広がり、約2mにまで及ぶが、風の状態によっては更に広がり、これはおおよそ吐息の最大値に相応する。6.第六:人間の呼吸‐水滴‐吐息は、またある重さも示し、0℃の時に個々に応じて1㎥につき約4.5~4.8gになり、30℃の時には約30gにもなる。しかしまた、呼吸‐水滴‐吐息は、空気を飽和させ、これに関して、空気は空気中の湿度に応じて、飛沫から限られた水分だけしか吸収できない。7.第七:呼吸‐水滴‐吐息がさらに冷えると、息の水蒸気はごく小さい吐息の水滴を生じるようになり、それが空気中に漂い、広がる。8.第八:寒さによって可視化する息は、呼吸‐水滴‐吐息として、一方では、周辺温度に依拠し、他方ではまた、空気の湿度にも依拠している。可視になる呼吸‐水滴‐吐息は、その際、まず低温で生成されて可視化されるが、それはまた、吐き出された息の中に含まれている水蒸気分子が急速に凝縮すると、それらがごく小さな霧として結晶化すると可視化される。9.第九:感染接触は、感染した人間または犬や猫のせきやくしゃみによっても起こり得る。なぜなら、家畜も コ ロ ナ ウイルスの保菌者であり得るから。またウイルスとの接触感染や塗擦感染での間接的な感染は、品物、身体の表面、食物、その他のものの上に、病原菌の付着した飛沫が落ち、もし、その後それらが粘膜を経由し、例えば、口、鼻あるいは場合によっては、目を経由して、身体の中に到達すると、感染してしまう。同様に、感染は経口排出物の方法や他の身体からの排泄物を経由しても起こり得るのであり、また感染した動物、小動物と場合によってはゴキブリなどのような家の甲虫などの経由も然りである。これが、私が再度、述べなければならない最重要で最も必要な事実である。エドゥアルトよ、そしてこれによって私は更に再度説明しなければならなかった全てを詳しく述べたと思う」。第749回会見
2020.10.05

プレヤール人にも、霊の教えにも、宇宙とすべての被造物の創造者としての人格化された神は存在しない。神の概念は元来、JHWH(イシュヴィッシュ)という言葉に由来する。この名称は古代ヘブライ語が古代リラ語から受け継いだものであり、発音の難しい九文字のJschwischからきている。神またはJHWH(イシュヴィッシュ)は創造者でもなければ、創造の機能も持たない。神はただ単にこの称号を持った普通の人間にすぎず、実際上の原始創出、普遍的意識、または事実上の全的な創造の力は唯一、広大な宇宙のすべての微細物質や粗物資の被造物を作り上げた創造のみが有するもの。創造は神に代わるものではなく、また想像上の実体としての神やその他、人格、非人格を問わずあらゆる神々や偶像を表現する別称でもない。創造は発生と消滅、また宇宙の存在、そしてすべての命あるもの、創造の手による小さいもの、大きいものの責任を握るものである。創造こそは宇宙に存在する、人の想像の及ぶ限りのすべての力と勢力のうち最も力強く、大きなものである。創造は生命の存在であり、非存在である。それは存在か非存在かを支配するものである。創造は最も偉大で巨大で霊的エネルギーの塊であり、光り輝くゾハールである。それによって存在は可能になり、存在が実現する。それゆえに創造は最も純粋な形態のエネルギーである。創造はすべての生命の上にあり、生命そのものである。真にすばらしいものである。宇宙において、すべての生命において、創造のみが絶対的なものである。創造は人間が知る限り、または知っていると信じている最も完全なものであるにもかかわらず、常にとどまるところなく完全さを目指し、発展しなければならない。それゆえ、創造は常にとどまるところなく、人間の霊の形態を持った新しい霊集合体によって人間たちに霊を注ぎ込む。この人間の霊は限りない転生を通じて常に進歩発展し完全さに到達するという使命を果たさなければならない。無数の人生を通じてこれがなされれば、霊は創造のもとに戻り、そこで創造と一つになる。それによって創造そのものがさらに完璧になり、ますます偉大になる。人間の霊の初めはまったく無知であり、白紙のようなものであるから、次第に知識と英知を蓄えなければならず、発展しなければならない。霊は人生を重ねれば重ねるほど賢く、利口になる。そして霊的な知識と英知のみが人間とその生命を形成する。それゆえ、考えや行動が人間的で世俗的であればあるほど、その人間の霊は未開発段階にあるといえる。なぜなら、世俗的、人間的な思考は、その人間が思考の発展において初期の未発達な段階にあるということ。一般的にいうと人類の大部分は、支配者や政府によって意識的にこの段階に止められている。一つの理由は彼ら自身がそれ以上のことを知らないからであり、また他面では、それによって人間を最も好都合な方法で隷属させ、抑圧できるから。これに関して最も悪質な策謀を行っているのは宗教である。それは人間の自尊心を葬り、術策と悪巧みによって想像上の神の前にへりくだるよう駆り立てる。しかし神は第一、創造ではなく、さらに人間の霊生活にいかなる影響を及ぼすこともできない。論理的一貫性に敏感に反応できる意志ある者、思慮ある者にはこれを証明することができる。イマヌエル自身が言ったように、神は人間である。神は霊的に王や皇帝の上に座し、実際、正確にはJHWH(イシュヴィッシュ)と呼ばれる人間を現す。JHWHとはドイツ語に訳せば、Weisheitskonig、すなわち英知の王を意味する。また、イマヌエルはすでに当時、神JHWHは他の人たちと同じ人間である。しかし神の上の計り知れないほどの高みには創造があり、創造のみが計り知れない秘密なのだと言っている。しかし、この言葉がいかなる聖なる書にも見あたらないのは、記述者たちによってまったく変造され、歪曲されて再現されたためである。なぜなら真理は、教会と神のあらゆるイメージを壊すから。しかしこれは、○○○〇教だけにとどまらず、他の宗教にも当てはまること。もし人間が正しく考え、知ろうとするのであれば、唯一、創造のみ、または霊を最大の力として認め、賛美するが良い。実際、人間の概念からすれば創造は神と呼ばれるべきである。なぜなら神という言葉は創造を表すべきだから。言うまでもなく人間にとって、突然、神ではなく、創造または霊に祈るということはなじめないことであろう。しかしこの試みをあえてすることをすべての人々に勧めたい。そうすれば祈りの形態が変わってきて、底知れない安らぎに包まれるという独特の確認をすることでしょう。また、その人は祈りが聞き入れられ、人生が好転し、幸せになったことを確認することでしょう。創造に語りかければ、創造の一部である人間の霊が自ずから語りかけられるのであるから、何の不思議もない。創造は実際にすべての生命の上に立つ、最もすばらしいものである。そしてそれだけでも人間から創造として尊重され、敬われ、認められるに充分に値する。宗教が押しつけようとする神に対する崇拝と尊敬は不自然であり誤っている。これを知っていながら宗教の神に祈る者は創造の掟に反しており、霊的な完全性に至る発展の道、すなわち霊的な知識と創造的な英知への道を妨げることになる。創造としての創造は、すべての創造の創造であり、創造そのもの。そして創造のみが、生命と存在の活気ある根源の力の塊である。言いかえれば、創造は宇宙意識、全霊あるいは全意識、世界意識、生命意識、万有の力、万有の威力または存在のエネルギーなどと呼ぶことができよう。存在する生命のすべては創造でもあり、創造は宇宙である。天体やすべての動物と植物、その他あらゆる生命、生まれることと滅びること、そして生命そのもの・すべての生あるものは創造を内蔵しつつ脈動し、存在する。それは死にあっても変わらない。死、それは別の次元の生を意味し、創造はその中にさえも存在する。様式、形態、規模はどうであろうともすべての生命と同じように、創造は死のうちにも脈打ちながら流れる。創造はすべての存在する生命であり、存在するすべての生命は創造によって満たされる。またそれゆえに創造はすべての存在する生命そのものに存在する。人間とその他すべての存在する生命は創造のなすものであり、また創造そのものでもある。それは生命全体のなかにある創造の霊の部分によってすべての生命は創造の一部となるから。それはどのような物質、様式、形態、規模であっても変わることなく、またどのような時間と空間に属していようとも変わることはない。創造と賢者と正しい者の名において。普遍なる創造を讃えよ。そして預言者は神と創造について語る。人間が真理を理解し、神と創造の違いを見分けることができるということを。こうしてこの言葉は地球の人間に向けられる。創造と賢者と正しい者の名において。真理を認め人生の道をそれに従えることについて。地球上の神々は人間であった。彼らは遠い宇宙の、別の銀河、別の世界から来た。彼らは地球上で不法にも人の上に立ち、自らを神、創造主と称した。彼らは地球人が依存し信じるセクトや宗教をつくった。そして彼らは人々に神々、創造主として崇拝することを要求した。そのため地球人は奴隷化され、永久に神々に依存するようになった。そして神々は各々の宗教をつくり、虜になった人たちの上に創造者として君臨した。多くの神々は堕落しており、悪質で、権力欲とあらゆる悪にとりつかれていた。彼らは死と罰則と堕落の掟を公布し、気の向くままに人を殺した。地球人はそれとは知らず、また真実についても無知であった。そこで彼らはその都度、信じる宗教の神に従い、信仰の暗闇の虜となった。神が創造主であり、生命の生みの親であるという。なぜなら神は真実、つまり彼も同じ人間であるということを言わなかった。神もまた人間であり、そのうえには生命の最高の力として創造があるという知識も隠された。それゆえに神は人であり、創造は創造なのである。神は人間に贖罪と報復を要求し、怒り、人を殺す。また神は人が人を殺す法律と掟を布く。しかし創造は怒りも報復も知らず、人を殺さず、贖罪も求めない。神は人のように、人間的に考え、振る舞う。創造はすべてにおいて創造的であり、論理的である。神の人間的な法則と掟によって、人間の間に争いの種が蒔かれ、死と堕落がもたらされる。神は権勢欲のある宇宙飛行士、つまり人間であり、悪質な権力と残忍な法律と掟をもってすべてを支配しようとするもの。創造は平和と愛であり、唯一その法則と掟のみが生命を保証するものである。創造は報復も、また復習も要求しない。創造が要求するのはその法則と掟に則った進化のみである。愛と真理のみ世界が世界の向上を実現する。創造は人間が人を殺すべきでないこと、戦争をするべきでないことを定める。神、つまり人間は、殺人、戦争、報復そして復讐を定める。創造は平和と知識を定める。神はしかし不和と信仰を定める。創造は賢明であり、無限の驚異に満ちている。神はしかし人間なみの知識しか持たず、人間特有の不条理に満ちている。創造は最高で最も完璧なものであり、その法則や掟も同様である。神はしかし人間がそうであるように不完全であり、信仰、報復そして不完全を命ずる。愛のみが創造の法則である。しかし神は報復、処罰と死を命じ、この法則を嘲笑する。しかし創造とは生と愛を要求し、また生命体が決して害され、苦しみや痛みを加えられることのない規定を要求する。創造は生命が守られ、保たれなければならないことを定める。神はしかし生命の破壊と呪詛を要求する。神は人間であり、地球には未知の惑星から来た宇宙飛行士であり、その軍勢は臣下である。神は権勢欲に溢れた人間であり、霊的導きを持たないすべての人間と同じように不完全である。神は地球人類を支配し、弾圧するために、他の惑星からすべての臣下を引き連れて地球に来た。創造はしかし宇宙のあらゆるところに、常に存在し、すべての生命を創出したものである。創造の法則と掟はすべての生命あるものに共通であり、全宇宙を通じて愛をもって通用する。神の法則と掟はしかし神が君臨するところ、人間が神の言いなりになるところのみで通用する。人間は、地球上の人間を自ら祭り上げてつくった神々にも隷属する。そしてまた人間は、生命のない物質で作った偶像、石や木、金属などでつくった偶像をも尊ぶ。そして人間は神や偶像に祈り、何よりも創造を無視する。しかし真実は創造が最高のものであり、それはすべての生命に生命の力を与える威力を持っている。神が成りたがっていて、絶対に成ることができないもの、すなわちすべての生命を生む創造に成れるのは創造だけしかいない。創造は存在であり、生命の存在そのものである。神はしかし人間の威力の嘆かわしい似姿に他ならず、人間のあらゆる悪を背負っている。神は人間の悪質な堕落の被造物であり、神の要求と命令によってすべての書物に書かれているような悪の化身となる。ずっと昔から神は人間に血と命を要求し、また神は卑屈な屈従を要求した。しかし創造は屈従を定めず、人間性と人間の尊厳を、そして愛と生命を定めた。創造は創造的であり、いかにしても人間と比べられるところは微塵もない。また自らを神と呼ぶ人間とも比べられない。創造は唯一の創造であり、神は神であり、そして人間である。神は自らを創造であると思いあがり、それを自称するにもかかわらず、少しも創造に似通うところはない唯一創造のみが創造であり、神もまた完全に創造の被造物である。それゆえに神は実際より高いものに自分を見せかけようとする人間である。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2020.10.01

〇ビリーマイヤーの言葉最初の高さは,実際は152.955347mだった。これをkmに言い換えると、地球と太陽の距離、したがってまたAE、すなわち1天文単位と正確に一致する。この事実は、地球の天文学が規定する地球と太陽の不正確な距離とは矛盾している。ここで興味深いのは、当時私が行った別の計算で、ピラミッドの正確な高さもしくは地球と太陽の正確な距離から、またそれらの元素の総数が280であるということから、乗数7を掛けると、今日の非常に正確な光の速度を計算できる。この計算は次のようになる。280×7=1960×152.955347=299792.48012つまり、最終結果として今日の光の速度は、秒速29万9792.48012kmとなる。当時、この計算を公にすることは許されなかった。元素の正確な数もである。〇アスケットの言葉サハルク王の生存年代は大洪水のおよそ三百年前。王にはサウリド(SAURID)という名の息子がいたが、彼は未来を透視する優れた能力を持っていた。サウリドはある日、巨大な彗星が七個の小さい彗星を引き連れて恐ろしい勢いで地球に墜落し、地球が闇に包まれるという夢を見た。それで無数の人間が死ぬのをサウリドは見た。墜落した七個の彗星によって死んだ。わずかに生き残った者たちも、この大災害に伴って宇宙から降り注ぐ弾丸のような石つぶてと、その後に続いて悪臭を発する熱水から逃れるには、どこに避難したら良いかわからない状態であった。サウリドが自分の見た悪夢を父親に話すと、父親は国中からあらゆる占星術師や学者を呼び集めた。彼らは必死に考え、古い言い伝えを分析して、今後三百年の間に巨大な彗星が軌道から投げ出されて向きを変え、地球に衝突するだろうということを突き止めた。この予想される彗星による宇宙の大惨事が、地球人類の存続を危うくすることがないように、サハルク王は、現存するピラミッドを遠い未来の人間のための防護基地および生存基地として修復するよう、命じた。王はまた地中に村落と立派な倉庫も作るよう命令し、保存のきく食料をピラミッドと地中の村の施設に格納させた。王の子孫もこの国の後世の支配者たちも、その命令に忠実に従った。ピラミッドはその後三百年以上にわたって整備され、水が染み込まないように外側に厚い漆喰が塗られた。彼らはその漆喰に、来るべき出来事を予告するしるしを当時の自分たちの文字で書き込んだ。誰も忘れることがないように。巨大彗星は実際にやってきた。宇宙の別の時空構造からこのゾル太陽系に侵入したのだが、それは今日も多くの生命体から破壊者と呼ばれている。その時人々はピラミッドと地中の村に逃れ、その中に閉じこもった。彗星は地球に衝撃を与えて洪水を引き起こし、すべてのものを飲み尽くして破壊し、壊滅させた。ごく少数の人間の群れとあらゆる種類の動物だけが、建物に防御されることもなく生き残った。この大惨事の後で地球人類はまた再び新しくやり直さなければならなかった。それ以前にも何度か経験したように。ピラミッドとその建造の起源は、天孫、つまりこの世界の本来の原住民であった星間旅行者にまでさかのぼる。アポフィスは1981年にビリーが予測し、2029年4月13日に地球に衝突すると予言していた。その25年後の2004年に地球の天文学者がアポフィスを発見した。プレヤール人はアポフィスを赤い流星と呼び、彼らの計算ではアポフィスは北イングランドから黒海のウクライナ近くの地殻プレートに沿ったどこかで地球に衝突するだろうと予測していた。それはユーラシア大陸プレートを割って、北海から黒海のラインに沿って二つの大陸に引き裂かれる。さらに複数の火山が噴火し、多くの溶岩や噴石、さらに致命的な亜硫酸ガスを噴き出し、北米大陸を横断してそれは世界中に運ばれる。明らかにこれが起きたならば世界中の何億人もの人々が死に、将来の作物の収穫に多大な影響を受けると予測していた。同様に固有の周波数を持つ その3
2020.09.10

あらゆる意味で、進化を支持する人間がますます多く生まれてきているということは、地球人類が自ら急速に進歩を遂げるであろうということを意味している。そのようにして非の打ち所のない、温和な人種が遠い宇宙から地球にやって来て地球人とコンタクトを保つという、地球人に好意的な者たちのかねてからの希望はかなえられる。しかしその前に、遺伝子操作の悲惨な鎖が矛盾のない形で再びもとに戻され正常化し、人間のDNAが再び創造・自然の規格に基づいたものになる必要がある。たとえその時期が将来いつであるにしても、地球人類のDNA連鎖の不幸な遺伝子操作が発見されるということはすでに確実である。そしてまた、人類に強制的に付け加えられた欠陥も人類自らによってもとに戻されることはすでに確定している。だが今日に至るまで、ごく少数の者だけが遺伝子操作による退化を克服するため自然の進化による適切な道を見出すことができた。地球上ではすべては遺伝子操作が元に戻されるか否かにかかっている。それが完了して初めて人類は、太陽が滅び、太陽系全体が滅亡する前に再び太陽系を離れることができる。ゾル太陽系は事実上、すでに滅びつつある天体であり、これは現在地球上の科学者が主張するよりずっと早く起こるでしょう。そして人類は地球から再び移民し、ゾル太陽系から遠く離れた新しい惑星に慣れていかなければならない。太古、遺伝子操作された者たちがまだ健康によい空気を呼吸していたころのようになるためには、彼らもまた、かつての先祖がしたように新しい大気の条件に順応しなければならない。そして地球人類の末裔の前途に素晴らしい未来が開けているということは、現在すでに述べることができる。しかし地球人類が、彼らの遠い昔の祖先は異なった太陽系、惑星系からゾル太陽系に飛来し、地球に移住する前にまず、火星に住んでいたという証拠を見つけるまでには多くの年月を要することでしょう。そして最初に気づくのは、ずっとさかのぼって最初の先祖はシリウス領域から来た遺伝子操作された者、すなわち追放された亡命者であるということでしょう。この発見は科学の世界からだけでなく、まず何と言っても様々な宗教の世界に衝撃を与え、それによって多くの変化がもたらされることになるでしょう。一部だけを挙げてみても、遺跡の一部であるピラミッドや火星の顔と称される彫刻など、古代人類の人工物が火星で発見されればもうそれは間違いないこと。遺跡の発見と、それを通して火星から地球人類にもたらされるメッセージは、将来いつの日か、昔の祖先たちによって作り上げられた自分たちの出自にまつわるおとぎ話が崩れる要因となることでしょう。真実を否定する多くの者たちは、一方では地球人類が元来、惑星地球の生まれではないこと、他方では地球人類は人間形態をした宇宙で唯一の生命形態ではないということを、恐ろしいほどはっきりと認識しなくてはならなくなる。ある預言によると、すでに1995年6月5日は地球外知的生命が公式に地球に上陸する日であるとし、またもう一つはそれを1998年としている。しかし地球人類は、差し当たってそのようなコンタクトと、その結果もたらされる知識や認識に耐えるには至っていないため、多分、それは予期できないでしょう。しかしそれでも実現するのであれば、プレアデス人は撤退して、1940年代に、スファートが、そしてその後クウェッツァルも述べたように、今後、地球とその住民たちから遠ざかることになるでしょう。この地球外知的生命の上陸はあくまでも単なる預言であって、予言ではない。それはすべて変わる可能性があり、必要な前提条件が満たされなければ必ずしも実現するとは限らない。人類が地球外知的生命との公式なコンタクトを得るための前提条件とは、地球人類がまず遺伝子操作の弊害、つまり退化を取り除き、まったく異なった創造との自然に沿った意識、思考、行動をするようになること。しかしこの前提条件が満たされるまでには、まだ多くの年月が流れなければならないでしょう。それまでにはこの惑星にもそこに住む人間にもまだまだ多くの出来事や変化が起こるが、それは一方では進化上必要なことであり、他方では地球人類の思考や行動からして避けられないことである。避けることのできない、往々にしてたいへん危険で進化を妨げることが発生するが、それはまた進化を促すものであり、絶対必要なものである。なお、地球外知的生命とのコンタクトが公式な形で行われるようになる前に、最小限、地球人類の出自についての正確な知識およびこの宇宙や天の川銀河に存在するのは地球人類だけでないことの証拠が発見されなければならない。さて、このようにしてすべてのことを考察してみると、地球外知的生命との公式なコンタクトは現在、まったく推奨できない。なぜなら、それはまだ、宗教的・社会的にも軍事的、経済的そして政治的にも、地球人の力に余ることである。現在でも、また遠い将来においても地球外知的生命との公式なコンタクトはまったく不適切であるといえよう。現在のところコンタクトは、個人的または一定の小グループで可能であるが、軍事や政府関係の秘密コンタクトも考えられる。そうなるとコンタクト詐欺師や目撃詐欺師が多く現れる。現にコンピューターによる完璧に偽造された証拠写真さえ提出されている。それだけではない。あらゆる種類の詐欺師やペテン師、いかさま師や妄想病患者などが、地球外知的生命、神、イエス・キリスト、マリアとヨーゼフ、モーゼその他の聖者や師などの名を騙って、多くの愚かな信者を引きずり込む。これは真実を求める人々が易々とすぐに人を信用し、うそや偽りにいいように引き回されるから。昔、人間は女性も男性も、同等に生存能力と戦闘能力などを持っていた。これらのことに関しては男女間に差がなかったし、労働の分担や仕事の種類でも差がなかったが、やがて身体的に弱い女性に代わって重労働は男性が引き受けた。生物学的差とそこから来る特徴などを除いて女性と男性は差がなく、あらゆる面で平等であった。言うまでもなく出産に対しての考慮は、原始時代からなされていた。結婚して子供が生まれれば、女性は母親の義務と家事を果たした。さもなければ女性は男性と同じ仕事をした。そういうわけで政府の役職にも就いたが、男女同数で政治に携わり責任を負うといった形態で男性の能力も取り入れられ、男性だけ、または女性だけで政権を担うということはなかった。ゾル太陽系には亡命者、遺伝子操作された者に適した惑星が二つあった。火星とマローナ/フェートンである。当時、地球の大気はシリウス領域からきた人間にはまだ有害だったので、遺伝子操作された者のうち同胞に対して攻撃的で悪質な、犯罪者だけをここに送り込んだ。その時シリウス領域から火星に逃亡したのは五つの人種、つまり迫害を生き延びた者たちであった。さらに二つの人種は銀河系の太陽の反対側の彼方に逃れた。火星とマローナ/フェートンに逃れた5人種に加えて、さらに2種類の人種が生みの親の支配者からそこに逃れてきたが、彼らは遺伝子操作を受けていなかったので遺伝子情報に変化がなかった。また、彼らは遺伝子操作された者たちに友好的であったため、彼らの逃走を助けた。彼ら自身はシリウス領域にある二つの異なった惑星の出身であった。この惑星は人口過剰であったため出産禁止が発布されており、その結果、禁止にもかかわらず生まれたすべての子供たちは殺害され、禁止令に違反した親は断種され追放された。シリウス領域からの逃亡は非常に長い間続き、迫害者から追い立てられる亡命者が結局追っ手を逃れ、ゾル太陽系に適当な隠れ場所を見つけるまでに数千年かかった。銀河系の彼方に逃れた者たちも同様であった。しかし、両方の亡命グループに共通していたのは、長年にわたる逃亡の時期を通して、多くの場合、宇宙船に乗って銀河系をあちらこちらと彷徨う間に、反乱と勢力争いが起こったこと。ついには、遺伝子操作された者たちは、自分たちの出生の知識やそれを示すものをすべて失ったばかりでなく、共食いが起こりすべての宇宙船に蔓延するという恐ろしい悲劇が起こった。こうして遺伝子操作された者たちは自分たちの出生のヒントを与えるものさえ失ってしまったばかりでなく、自らの能力や知識についての情報も失ってしまった。以来、地球人のこれらに関する知識も失われたことになる。すべての失われた知識はまた、創造・自然の法則と掟などについての知識も含まれていた。大きな混乱が起こり、それにはさらに新しい困難をもたらしたが、迫害の危険は代々受け継がれ、常に忘れられることがなかった。ついに火星とマローナに定住し遺伝子操作された人種と、彼らに好意的な、生みの親の支配者を裏切った者たちは、時がたつにつれて高度の技術を持つ文化を生み出したが、後日、逃げるようにして惑星を立ち去ることは避けることができなかった。その理由はある日科学者が、ゾル太陽系は宇宙的にみると、従来考えられていたよりもずっと不安定であるということを確認したから。つまり、多くの彗星や遊星、隕石などが火星とマローナ/フェートンに危険をもたらした。宇宙を高速度で飛ぶそのような物体は、幾度となく新移住地の惑星に落下して、莫大な被害をもたらし、人命を奪った。さらに続いて大きな遊星が発見された。これは異例ともいうべき大きな周期をもち、その軌道は太陽系の最も外にある惑星よりもさらに遠くにあった。天文学者の計算によると、この大きな星は火星と衝突するか、少なくとも衝突寸前の状態になり、そのため火星上の生命体は動植物や人間も含めてすべて破壊され、全滅するというものであった。そのため、遺伝子操作された者たちとその末裔は、火星での彼らの追放の地を返上しようとした。脅威の遊星はゾル太陽系ですでに長い間破壊作用を発揮し、多くの災禍をもたらした。スファートの初期のころの報告によると、この星はずっと昔、それが元来属する宇宙で最悪の破壊をもたらした破壊者であるという。その後それは予測のつかない軌道を通って宇宙を射るように突き抜けゾル太陽系に定着したが、そこでもまた多くの災禍を引き起こした。時がたつにつれて数千年という周期は平均575.5年に短縮されたが、そのうちプレヤール人の影響によって再び延び、約1180年後に再びゾル太陽系に巡り合うことになる。プレヤール人が計算したように、その軌道を完全に外すことには成功しなったが、少なくとも差し当たって危険のない軌道と周期に変えることができた。本来なら2255年にそれは再び戻ってきて、莫大な破壊をもたらすはずであった。プレアデス人がこの遊星をこれ以外の軌道に持っていくことも、また破壊することもできなかったのは、最高法院の要請があったからで、そうした処置はかえって大きな破壊をもたらし、ことによれば地球もその影響を受けかねないから断念するようにということであった。新しい移住の可能性を検討するに当たって、操作された遺伝子を遺伝により受け継いだ末裔の間で再び争いが起こった。これには、好意的な民族の一部が作った新しい教えが、かなり決定的な役割を果たした。その教えというのは、遺伝子操作された者とその末裔の創造者である最高の存在、つまり生みの親である自分たちに絶対服従と崇拝を示さなければならないというものであった。しかしこれはすべての好意的民族の意見でもなければ要求するところでもなかったため、陣営は二つに分かれた。つまり、創造と称する者の陣営と、好意的な関係を維持するが創造とのかかわりを否定する陣営である。そのようにしてこの二つの陣営の間に争いが起きる一方、他方では、それぞれの党に属する者の間でも争いが起こった。結局、その意思がある者たちはすべて火星を離れて地球とマローナに向かうということで、争う者たちは合意した。その結果、最後には両陣の多くの人々が一団になって共に、一部はマローナ/フェートン、他の一部は地球に移住することになった。マローナへの移住の指導者はゼンテカと称するもので、妻のアマラカを伴っていた。地球への移住の指導者も同じく二人であり、セモスとパッサスと称する兄弟であった。マローナの大気は移民たちやすでにそこに住んでいる民族にとって呼吸に適し、健康であり火星のそれとかなり似ていた。マローナの大気はまた遺伝子操作を受けた者たちの末裔が、その宇宙船で数千年も慣れていたものと似ていたが、地球上の大気はかなり違っていた。そのため移住民が、地球上で将来生活するために、目的に合わせた改造を行わなければならなかった。そこで、かつて堕落した者たちが地球上に追放された時に行われたのと同じことがなされた。つまり当時、追放された者たちは地球に送り込まれる前に、まず地球の大気に順応させられ、同時にその骨格の安定などが図られたが、同じことが火星からの移民を希望する者たちすべてに行われた。やがて、すべて科学者が予告したとおりになった。破壊者は火星の軌道に落ち、火星を巻き添えにして別のゾル軌道に引きずり込んだ。そのため火星はその後、マローナと同じ軌道をたどるようになった。マローナも同じく破壊者の激しい力によって移動した。そして数万年後に生息者に破壊されアステロイド帯になるまでそこに存在した。この移動にまつわる大災害によってマローナの人口は4億7,000万人から1,100万人に減ったが、その後回復し、惑星全滅当時の人口は5,200万人であった。最後に地球に移住した者たちは、完全に荒れ果てたマローナや火星との連絡を失ったばかりでなく、そこに残った者たちも全員死滅した。遺伝子操作された地球人に好意的な者たちのうち、新しい教えを通じて創造者として賛美され、崇拝された者たちは、彼らの邪教を強烈に普及し、まだおとなしかった好意を持つ者たちに有無を言わせなかった。それ以来地球人類の創造者として威張る生みの親の支配者は、すべての権力をものにし、偽りの人類発生史と信仰の歴史を含む誤った教義を広め、それを通じてまだひそかに伝えられていた真実の出生伝承を最終的に抹殺してしまった。言うまでもなく本当に地球人に好意的な者たちはこれを黙って我慢するわけはなく、自分たちもそれに対抗する教義を作り、現在の地球人の間に普及することを試みた。彼らが望みとしたものは、新しい信仰の形で本当の真理を証明し、本当に創造や自然のことを地球人に理解させることであった。それには再びすべてが良い方向に向かうであろうという望みも込められていた。彼らの言葉によると、地球人類の本性および彼らの汚れた肉体のゆえに堕落した不純な心を破壊するために教えが施されるべきである、というものであった。彼らの教えのなかにはまた、創造者の生みの親の支配者の教えがあるのと同じように、自分たちの教えとは異なった信仰や教えは大きな障害になるという考えが潜められていた。遺伝子操作された者たちの末裔はその教えを通じてその人口をほどほどに、また責任が持てる程度に抑えられる一方、他方では創造者・生みの親の支配者といまだなお好意的な者たちを自分たちの支配下にいれるため、彼らへの抵抗を諫められた。地球人類は様々な教義と信仰を通じて、遺伝子操作による退化の問題を解決し、この退化を矯正するということを理解しなければならない。その際、とりわけ重要なのは、地球人類が遠い将来いつか遺伝子操作の弊害を自ら見つけだし、それに応じた方法で正常な形に戻すこと。それで初めて遺伝子操作された者たちの末裔である地球人類は、自分たちの本来の過去や出生を知り、宇宙や他の世界、銀河の生命体とコンタクトを求めることができる。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2020.09.04

〇ビリーマイヤーの言葉地球の彼岸には粗大な質料物質の生命と、それに伴う学習期間と真価がある。しかし彼岸領域では霊的なものの生命と、それに伴う霊形態の進化がある。つまり彼岸領域では、霊形態が新しい人間の肉体の中で再び生きるための準備が行われる。霊形態にとって彼岸領域では再び生きるための進化と準備が続き、そうして新たに物質的な人間の肉体に、屈託なく新鮮に、もう一度地球上で生まれる。人間は地球上の此岸で生き、進化する。つまり人間は生き、死に、新しい肉体に再生し、そしてこのような生成と消滅は、創造の微小な一部である人間の霊形態がさらに進化して物質的な人間の肉体をもはや必要としなくなる時が始まるまで繰り返される。〇セミヤーゼの言葉進化には二つの意味がある。地球人はその内の一つの意味しか知らない。すなわち進化とは、すでに存在してはいるけれどもまだ隠されているものを発達および発展させなければならないという意味合いでの発達および発展を意味する。これはつまり、無意識または潜在意識にあるものは意識へと上昇しなければならないことを意味する。進化という言葉の第二の意味は、すでに遠い昔に人間から失われてしまった。それは、まだ存在しないものを究明し、発達および発展させなければならないことを意味する。この意味の進化を地球人は失ってしまったので、進化できるものはすべて人間の中にすでに存在し、それをただ展開および発達、または解放すれば良いのだと人間は思い込んでいる。しかし人間の中に宿る意識は、それが物質的な肉体と生命の中に実在している間に習得したり収集したりする事物や事実だけを、自分の中に記憶するのが常である。それはあなた方の判断では途方もなく多いけれど、本当はごくわずかである。人間はその後の無数の人生で引き続き研究し、探索し、発見しなくてはならない。つまり人間は知識、認識および経験を集め続けなければならない。それらは能力として人間および記憶のデータバンクの中に定着する。肉体が物質的に死んだ後、霊とともに総意識体もあの世の生命領域に滞在し、そこで人生において獲得された結果を消化して自らの内に定着させる。その結果、あなた方が潜在意識と呼ぶ因子が生じる。生まれ変わりによって再び人間の形態になると、新しい意識が、記憶のデータバンクに蓄積された知識や能力とともに潜在意識を経由して人間に宿る。人間は物質的意識によって、そしてまた新しい習得と認識の収集によってゆっくりと進化し、全てを意識的能力へとまとめ上げるのである。遺伝子は知識にまったく関与しない。なぜなら、知性は意識の進化に制約されているから。霊的な思考と意識的な思考、そこから生じるそれらの要素、すなわち知識や英知や知性は純粋に意識に関わる要素である。それらは意識の形で表れるだけでなく、有機的にも存在する。酸性物質からなる脳の中に表出する。これらの酸が意識的な英知と知性を固相として担う担体を形成する一方、霊は同じ知識を微細粒子要素として基本的に自分自身の内に宿している。粗大粒子状の生命形態はすべてが二つの要素によって規定されるから、純粋に霊的または微細粒子状の生命形態もまた同様に粗大粒子状の形態としても存在するはずである。これはつまり、英知と知性は霊エネルギーという形態としても、また物質意識的な粗大粒子形態、すなわち有機酸としても存在することを意味する。そのため、英知と知性を粗大粒子の形で移植継承することも可能になる。つまり、たとえば酸を脳から抽出して遺伝子加工を施し、別の脳に移植できるということ。そうすればある生命形態の種全体の英知と知識と知性を同じレベルに統一することが可能となり、個々の生物が様々な進化の課程を修了しなくてもよくなる。それによって新生霊(地球人は間違ってこれを精神病とか白痴とか呼び慣わすことが多いが)さえも、高度に発達した知識形態や生命形態に引き上げることができる。地球の科学者たちもすでに長い間この方向で研究を続けており、一般には知られていないが、非常に大きな成果も収めている。したがって英知と知性が遺伝子に制約されることはけしてなく、また肉体に住む霊そのものによって伝えられたり持ち込まれたりすることもない。つまり知性的な人間や非常に賢い人間でも、地球人が精神病とか白痴とか呼ぶ子孫を作り出すことがあり、その反対に意識や知性の薄弱な人間が、意識および知性ともに恐ろしく発達した子供を生むこともある。これは実際には、肉体に住む当の物質的意識自体が知識の面でどの程度の発展を遂げているかという一点にかかっている。もし英知と知性が遺伝子に制約されるとしたなら、新生霊は住み処(肉体)を見つけられないでしょうし、すでに存在する生命形態はあまりに速く霊化するので、急速に死滅してしまうでしょう。なぜなら、常により高度に発達した生命だけが生まれてくるので、新生霊が生存し発展する可能性がもはや提供されなくなってしまうから。物質とは理念が具体化されたもの。それは固まったエネルギー形態で、つかむことができる。つまり、あらゆるエネルギーは固まった物に変換されうるということ。そのためにはそのエネルギーを極度に集束して凝集しなければならない。それによってエネルギーが固まった物質に変換される。エネルギーと物質という二つの概念は、基本的に同じものであり、厳密に言えば二つの異なった形態、つまり粗大粒子と微細粒子という形態を規定している。粗大粒子は物質であり、微細粒子はエネルギーである。もちろん原初エネルギーからである。物質はエネルギーとしては微細粒子であり、質量としては極度に凝集・凝縮されている。エネルギーと物質という二つの形態は機器によって作り出すことができるが、それは地球でも様々なやり方ですでに行われている。でも、通常はまったく自然に作り出される。つまり霊の力によって。この霊の力の前に理念がある。基本的にはそれは創造が為すべきことなのである。創造とは巨大な霊形態であり、原初的なエネルギーを具体化する一つの要素なのである。創造から理念が生じるということ。霊の力(これがエネルギーを具体化する)が理念を凝縮・凝集して微細粒子状のエネルギーとし、このエネルギーがさらに凝集されて粗大粒子すなわち物質となる。創造は理念そのものから成り立ち、自ら凝縮して原初の霊的エネルギーになる。それ以上のことは私たちもわからない。何らかの生命形態がこの秘密を明らかにできたなら、それは創造の一部になるから。宇宙空間を走破する方法はいろいろある。でもこれらの方法をいちいち挙げても意味がない。地球人には理解も想像もできないことでしょうから。でも、飛行物体を使って宇宙空間を確実に走破する方法は、ただ一つしかない。それは超空間を利用する方法である。そこでは時間伸張は解消され、相対性理論は結局ただの理論にすぎなくなる。でも、時間のずれあるいは時間伸張を消去するには、以前に説明したように、超空間を突破しなければならない。いずれにしても、ここで非常にすばやく飛躍が生じる。この時、防護シールドによって一時的に機能の麻痺状態になり、速度が急激に上昇し、それに伴って質量が瞬時に増大する。つまり、起こるべき過程が瞬時のうちに起こり、上昇した速度と、機器によって作られる一定の事象のため、物質は百万分の一秒以内という一瞬のうちにひずんで微細粒子になり、それによって無時間で超空間を走破することができるようになる。いま言ったように、たとえ光速の数兆倍の速度であろうと、速度だけ上げればいいというものではなく、その他のいろいろな事象が必要なのである。まず、速度そのものによって質量が変化するという効果が生み出され、それによって初めて超空間への飛躍が可能になる。速度が増加するにつれて物体の質量も増大する。つまり質量は果てしなく増大し続けるということ。でも私たちの宇宙船は防護シールドによって守られているので、この過程を回避することができる。そして防護シールドのスイッチを切ると、その時初めてひずみ効果が生じる。まさにこの過程を利用して、本来のひずみの時期を速め、非物質化を引き起こす。それによって同時に時間と空間はその機能を麻痺して相殺される。そのため宇宙船は、出発地点で脱物質化したその瞬間、すでに目標地点に到着して再び物質化している。これらすべての過程はわずか百万分の一秒以上かからない。したがって超空間を横断する生命形態は、いかなる種類の変化にも耐える必要がない。宇宙船が光速以下の速度で飛行すると、第一に馬鹿らしいほど時間がかかる。これは、特に宇宙旅行の新参者の場合にいつも見られる。最初は誰でも経験から学んで知識をふやす必要があるから。第二に、このような宇宙航行法はたいへん危険であり、目的地に到着できるかどうかも疑問である。最も、光速を超えても超空間を利用しないならば、宇宙船もその乗員も、相対性理論によって説明されるような惨事に見舞われることになる。超空間の障壁を突破して超空間を利用しなければ、超光速には様々な危険が潜んでいる。時間伸張は、このような危険の一つにすぎない。もう一つの危険性は、光速を超えた場合にも、宇宙船の質量は速度が増加するにつれて果てしなく膨張することである。場合によっては宇宙船とその乗員は破壊されてしまうことがある。この他にもたくさんの危険性がある。それでもすべての生命形態は進化の過程を通過していかなければならず、それによって経験と知識を積んでいく。私たちの祖先もこの問題に取り組み、時間と空間の中をさまよった。他の生命形態にもまったく同じことが過去に起こり、また現在も続いている。だから、過去の世界から何らかのタイムトラベラーが登場するということが繰り返されるのだが、これは多くの場合、本人にとって大きな問題になる。故郷の惑星がしばしば見つからなかったり、完全に破壊されてしまったりする場合もある。時には見知らぬ銀河系宇宙から、この種の存在者が登場することもある。彼らはすでに地球までやって来たこともあり、これからも繰り返しやって来るでしょう。それらのタイムトラベラーの何人かは、はるか昔に地球に漂着して二度と旅立つことができなかった。彼らについて古い不思議な伝説や説話が残っている。時間の経過とともに、この種の存在者の多くは死に絶えたり、退化したり、地球上の生命形態と混血したりした。この種のタイムトラベラーが地球を訪れることは、今日もなお決して珍しいことではない。彼らの多くは故郷の星を二度と再び見つけられなくなって、どこでもいいからどこか他の惑星に定住する。宇宙の彼方に迷い込んで、そのまま死んだこともよくあった。数千年、それどころか数百万年もさまよっていることも珍しくないが、その時間は彼らにとってわずか数分か、多くても数年にしかならない。速度に伴う危険性は非常に重大で、飛行物体や乗り物が防護されていない場合は、時速数kmでも危険は始まる。防護措置が講じられていないと、時速数kmというわずかな速度でも、物質の形状、構造、安定性が損なわれる。当然の結果として、質量の膨張と物質の壊変が起こる。つまりわずかな速度でも、乗り物または飛行物体の質量は速度の増加につれてほとんど気づかないほど少しずつ膨張し、そしてゆっくりと壊変が進んでいく。これは時速数kmでも進むと言ったが、それは地球の技術ではまだ計測できないほどわずかなものである。速度が低いと、この過程も非常に長くかかり、場合によっては数百年も続く。でも速度が非常に高いと、その時間は数十年あるいは数年にまで減少する。生命形態もこの過程によって損なわれる。というのはそれらの質量も速度に応じて変化するから。脳の質量も変化するため、その機能が損なわれる。その結果、すべての機能が鈍化し、停止することもある。別の言い方をすれば、思考機能と反応機能がまったく突然に停止して、空白状態となる。それによって生命形態は自分自身も、自分たちの乗り物も制御できなくなる。生命形態は、実質的に自分自身の機能を制御できなくなる。もちろんどんな生命形態であっても、徐々にこれらの要因に慣れ、克服していくことがある程度まで可能である。でもどんな生命形態にも、それ以上受け付けられないという絶対的な限度がある。このような出来事に見舞われるのは、地球上の概念によれば数年かかることも珍しくない。若く、あらゆる面で力強ければ、人間は非常に多くのことに耐えられるでしょう。でも、それまであなどっていた自然の法則に屈服させられる時が、いつか必ずやって来る。すべての個人は他人とは異なり、したがって耐えられる限度もそれぞれ異なる。でも断言できるのは、ある生命形態がいったんそのような事態に陥ったならば、耐えられる限度に達したということ。そうなった場合、自分の歩行より速い速度を出せる機械は、どんな種類のものであろうと決して操縦してはならない。ただし、その機械が質量膨張の影響に対する防護装置を備えている場合は別だが。地球の人間がこの掟を守り、これに従うならば、苦難や困窮、傷病や死を減らせるに違いない。でも人間というものは、昔も今も変わらず頑固で強情で、他人の忠告に耳を貸そうとしない。人間は今日なお自分を万物の霊長であるとみなし、自分たちこそは宇宙で唯一の人間的生命形態であるという妄想の中で生きている。それでも、これらの言葉を広めなさい。自らの誇大妄想を克服し、私たちの忠告に従おうとする人たちに。宇宙船が高速の数十倍の速度で超空間に飛び込むと、数光年の距離を隔てた場所では、空間構造に刻印されるほどの絶大な衝撃を引き起こすだけでなく、場合によってはものすごい吸引作用が起こって、近くにある星を超空間に吸い込むこともありうる。吸い込まれた星は、死をもたらす危険な弾丸となって飛び出し、彗星あるいは巨大な隕石として宇宙を飛行する。このような危険は往々にして、宇宙飛行初心者の無知や注意不足によって引き起こされる。プレヤール人は、同盟の全域その他の次元の安全秩序を守らなければならないため武器を持たざるを得ないが、この任務は武力で行われるのではなく、まったく平和的な形で行われ、武器は非常の場合にのみ自己防衛の助けとして使われるものであった。しかし、そういう事態もこの数千年来起こっていない。それは同盟に属する者たちがすべて各自武装しており、平和共存のうちに創造の法則と掟に則って生活しているから。残念ながらこの事実は、ほとんど限りない広がりを持つ宇宙に生息するすべての地球外知的生命に当てはまるわけではない。中には凶暴で攻撃的、戦闘的な者もいる。そういう理由からもプレヤール人自身は常に防衛的であり、決して攻撃的になることはない。そのため攻撃を行うことは決してなく、いかなる人類や世界をも隷属させることはない。あらゆる形態の霊的なものと肉体的なものと意識的なものの、それゆえすべての霊的なものと物質的なものの、全宇宙的で全存在的な振動である。存在するすべてのものは、霊的なものと物質的なものの、あらゆる段階における周期的な状態変化の運動により、絶えず止まることも休むこともなく振動している。振動はそれぞれの形態の種類に応じてさまざまであり、それぞれの形態がもたらす固有の周波数に従って生じる。この形態はおよそ可能な全てのもの、たとえば人間または霊という生命形態、動物または植物という生命形態、石、水、空気、木、火、またはその他なんらかの目に見える、もしくは目に見えない現象形態または手で掴める、もしくは掴めない現象形態を有するものであり得る。このことから、霊的または物質的な形態として存在する全てのものは、当該の現象形態、生命形態または微細素材もしくは粗大素材の物質にそれぞれ固有の周波数に基づく特定の振動に組み入れられていることが明らかとなる。この場合、この個々の形態に固有の周波数は、当該の現象形態にのみ付随する。なぜかと言うと、あらゆる現象形態は、霊、人間、動物または植物など何らかの生命形態も、微細素材または粗大素材の特徴をもつ何らかの物質も、独自の個別的な周波数を有しており、そこからまた個別的な振動が生じるからである。振動はそれらの霊的または物質的な現象形態とその周波数に左右されるが、それだけでなく現象形態もまたそれらの周波数と振動に左右される。というのはすべてのものが相互に基づいているから。このことは、すべての霊的および物質的な形態、つまり創造の最高度に純粋な霊から、最も粗大な物質の分子、原子および電子に至るまでの形態を示す宇宙の全存続と全運動にも該当する。すべての現象形態の状態もまたそれらの振動に左右され、振動もまたそれらの現象形態に左右される。しかしまた現象形態と振動は、それらが現存する進化状況と進化水準に、そしてまたあらゆる現象形態とそれに付随する振動が組み入れられている進化そのものの可能性にも左右される。霊的な本性であろうと物質的な本性であろうと、したがって霊的なものか、肉体的なものか、意識的なものかを問わず、左右されるのである。
2020.08.28

プレヤール人は70歳で結婚適齢期に達する。しかし成人に達するのは平均12歳であるから、このことは彼らが肉体的にみて20歳でまだ結婚できないという意味ではない。にもかかわらず彼らは、普通70歳以前には結婚しない。これはこの年齢に達するまでに多くの職業を学ばなければならず、家庭を持つことが障害になるから。安定した結婚生活をおくり離婚をさけるためには、教育は極めて重要であり、人生体験を身につける必要があるからである。プレヤール人は何事にも煩わせることなく、霊の面でも知能の面でも、また仕事、人生経験の面でもその発達に専心できるように、70歳になるまで性的禁欲生活を送る。その際、性本能に対する自制という要素も重要な意義を持っている。二人の人間が知り合い、お互いに深い感情と愛情を持ち、またそれが育つようであれば、まる2年間、そうした気持ちが依然として持続するか、本物であるかどうか確かめることが認められている。もちろん、希望すればこの期間を延ばすこともできる。もし双方がこの期間を過ぎても自分たちの気持ちが本当であるということの異議がなければ、権威ある専門家によって二人が本当に一緒になるべきかどうか試験される。この試験に合格した後、双方が結婚にあたって支障がなく、深い感情と愛情、好意と愛、子女の育成能力など、必要条件をすべて満たせば結婚する運びとなる。ふつう結婚生活は一生涯続けるものであるが、調査してその一部が誤ったものであったことが明らかになれば、後日もちろん解消することができる。しかしこのようなことは有史以来、一度もないことから、絶対に起こらないと言ってもよかろう。2年間、または何年か延長した結婚準備期間には、お互いに必要とする距離を失わないために、二人が7日ごとに一度だけ数時間会うことができるように定められている。その際二人がどのようにしてデートをするかということは自由であるが、性的行為は厳禁で、許されていない。この掟は実際全員が守っているということを私はたびたび聞いている。そのような行為と関係は、試験に合格し、目的とする結婚が確定し、揺るがないものになったときに初めて許される。試験期間に二人がどうしても週一度以上会わなければならない活動をしている場合、これに対して異議は唱えられない。禁じられているものは、純粋に個人的なデートだけだから。この賢明な規則によって、将来の結婚相手がデートの後、二人で体験したことや会話の中身などについて、1週間たっぷり考える時間が与えられる。この試験期間中に結婚に対して懸念しなければならないような要素が見いだされれば、当然のことながら、当人は賢明にもすべてを中止してあきらめるはず。無論こうしたことが起こるのは、それ以前の試験や助言によっても、結婚の障害が明らかにされなかった場合である。しかし、何事もうまくいって2年間の試験期間が良い結果をもって完了した場合でも、一年間の別離という最後の試験がそれに続く。その間二人はまったく会うことを許されない。双方の気持ちその他について決定的に明らかにするためである。双方の気持ちがその何年かの期間に変化がなければ、二人の結婚に対して何も反対する根拠はない。この最後の試験のために、多くの志願者たちは他の見知らぬ惑星に配置換えさせられたり、故郷を離れて何らかの使命を果たすために宇宙船に乗ったりする。その理由は充分距離をおいて、パートナーの影響を受けず、感情をも含めて徹底的にすべてのことをもう一度考えてみるためである。その後初めて助言者や試験担当者によって決定的な最終試験が行われる。すでに述べたように、プレヤール人の間では離婚は前代未聞のことであるが、離婚を宣言し、実際に別れることも考えられないことではない。しかしこういうことは例外中の例外であり、結婚についての創造の法則と掟が甚だしく侵された場合のみに起こること。彼らは姦通のことを絆の切断と呼び、非常に重要な侵犯とみなす。そして過失を犯したものは、終身追放される。しかし実際には、彼らの進化段階がたいへん進んでいるため、このような過ちが犯されることはない。これにはまた、彼らが創造・自然の掟からみて当然の、男性は多婚、女性は単婚ということを全面的に考慮し、尊重して従っていることも理由の一つである。このことは、地球人がこの創造・自然の法則に適った事実を無視するのと対照的である。プレヤール人が、出身の異なる、または他の惑星の人間や他の人種を愛した場合どうなるか、という疑問が私の関心を引く、それに対してセミヤーゼは、私たちの人種が、他の世界の私たちより霊的(頭脳的)に劣った人種に夢中になり両方が一緒になりたいという場合、私たちの法則によって、この可能性を明らかにする。必要とする様々な前提が満たされれば、結婚することができる。その場合、他の世界の人間が私たちの霊的水準より劣った生活をしていたとしても、実際、問題はない。そのような場合、私たちの科学者が私たちの霊的水準に合わせてそれを発達させる。しかしこのような出来事はほとんど起こっていないと説明した。嫉妬に関しては、プレヤール人の間では今ではまったく問題にならない。過去には彼らもこれに関して学習過程を経て向上し、勉強することによって嫉妬から解放されなければならなかったが、進化の段階が進むにしたがってそれも克服された。このことについてセミヤーゼは、次のように述べた。完全に非物質的な考え方をする人間は、すべてを包括する思考をするため、嫉妬の感情を抱くことがない。嫉妬によってすべてを所有することは気品のないこととみなし、愛情と喜びを公共財産として高揚する。しかし、あくまでも気高い結びつきというものは、双方が規則と掟に従うものである、ということを念頭に置いている。私たちの世界では、二人の人間が結婚によって結ばれるということは、パートナーを所有するということではなく、ただ単に連帯による合体を意味する。その際生まれるのは所有感情ではなく、愛、理解、相手の喜びに対する喜びなのである。それぞれのパートナーは行動、決断などすべてにおいて自由だが、双方の了解のもとにすべてのことが行われる。それは進化の意味において、またあらゆる面で法則と掟を履行すること。これに関して特定の秩序を規定するものが何であるか、お互いの釈明と了解が必要である。プレヤール人の間での結婚は、地球上のそれと同じように運ばれるわけではない。結婚の契りを結ぶのに必要な試験が行われることは先に述べたが、その後は厳守し実行されなければならないという戸籍法上やイデオロギーの、あるいは官庁における経過措置は何もない。ただ一つ、各人の登録が義務づけられており、当然ながらそれは子孫にも適用される。その際戸籍上の身分や住所、生年月日、特技または職業上の技術など一般的な必要データが登録される。これらすべてのデータは住民調査などの目的だけに使われ、何らかの否定的な用途に使われることはないので、地球上で必要に迫られ実施されているようなデータ保護は必要としない。またここでは、地球上では残念ながらますます増えつつある個人の全体主義的コントロールの危険もない。プレヤール人の間では、個人の自由がたいへん大切にされ、高く評価されている。誰一人として自由が束縛され支配下に置かれることはない。この自由こそ、婚姻契約にあたって適用されるもの。このことについて一度、公式にプターに質問したところ、次のような答えが返ってきた。「・・・・・・我々の世界における結婚までの過程は、まずそのような結びつきに先立って2年間の試験期間が持たれるが、その間愛情などを試すために将来パートナーとなる二人は遠く離れて生活する。その後二人は自由意思に基づく様々な試験や究明によってあらゆる面での結婚適性を試される。言うまでもなく、子孫をもうけ養育する能力などの要素もそれに含まれる。結婚のほとんどすべての領域にわたるこの試験は、権威ある賢者や霊的指導者によって行われ、試験を受ける者は自由意思のもとにそれに臨む。そして実際に結婚適性が証明されれば、愛する二人は自由な結婚の形態のもとに結ばれる。これは両人が公式の規定や束縛もなく、また必要としない、自由な形で結ばれることを意味する。公的な形をとった束縛は避けることのできない強制に等しく、ある意味で官制の規定などから成立しているので、そのような形の婚姻契約は好ましくなく、非常に多くの問題を伴う。これは我々の祖先が身をもって体験したこと。そのため、官命の結婚がもたらす多くの弊害を避けるための活路を、現在私たちが実践し、好結果をあげている自由結婚に求めた。官命の結婚で見られた様々な古い悪弊は、時として非常に悪質な侵略や殺人にさえ発展することがあったが、それももう除去され、まったく見られなくなった。しかし、それは意見の相違がまったくなかったというわけではない。ただずっと昔、官命の結婚が規則として存在していたころのように、無軌道な逸脱がなくなったということ。自由結婚と自由な婚姻契約は多くの利点をもたらすが、なかでも二人のパートナーが、公の義務に対してお互いに強制・束縛感を抱かないことがあげられる。つまり、公の義務などがあったため、結婚のパートナーは自由結婚の場合のような自由さを感じなかったわけである。自由でないということは、自分で決断し、行動する自由が奪われるため、往々にして解決しがたい多くの問題を引き起こすことになる。例えば、結婚がうまくいかず、別れる必要がある場合にも、お互いが当局の規則に拘束され、自分たちの意思で別れることができない。自由結婚においては、自分たちの婚姻契約に関してパートナーは、すべての事柄を自らの自由意思にしたがって決定する。これによってお互いの連帯感もパートナーに対する責任感も強固なものとなる。これで、説明は充分でしょう」。プレヤール人の性と子孫に対する態度を考察するとき、残念ながら地球人類がこの面でまったく低級としかたとえようのない、創造と自然に著しく反する見解や行為、概念が主流をなしていることを痛感させられる。多くの地球人類は、間違った、そして多くの場合、伝統に則った教育方法のため、このテーマに関してまったく誤解をしており、このうえなく損なわれた関係にある。そのためプレヤール人がこれの問題についてどのように考えているかを紹介するのは、特に興味あることでしょう。まず述べておかなければならないのは、この問題に関して彼らは、全宇宙を通じて適用される創造・自然の掟に沿って行動しているということ。彼らが肉体的に成熟するのは11.5歳であるが、性的に成熟し生殖能力が具わるのはだいたい12歳とされている。しかし生殖能力を発揮するまでには約60年の歳月を要する。それは彼らが、早くても70歳まで結婚をしないからである。この慣例は一貫して守られている。この年齢までの長期間にわたる成長過程を最も理想的に増進するために、性的抑制が実行されるが、その場合、他の人たちとの有意義な話し合いがなされる。この抑制は異性との性的結合における意味であるが、だからとって男性同士の間で同性愛が行われるという意味ではない。同性愛はプレヤール人の間では太古の昔から存在しない。同性愛というのは遺伝子に関連する事柄であり、しかるべき遺伝子操作によってそれは全滅した。同性愛は自然の仕業による異常であって、忌まわしいなどということではない。多くの地球人は同性愛を忌まわしいものとして彼らをからかい、罵り、傷つけるのは残念なこと。そのような態度自体が地球人類の特に非難すべき特性でもある。そういうわけで、プレヤール人の間では、両性的意味での性的抑制が70歳ごろまで行われる。両性的意味での性的抑制とは、男性と女性の間での性 行為に対する抑制状態である。その他の意味での抑制は要求されず、自慰(オ ナ ニ ー/マスター ベーション)は許されており、また行われてもいるでしょう。それはキリスト教徒の間で主張され、喧伝されているように決して非難すべきものでもなければ、罪悪でも創造・自然に反するものでもない。彼らの性 行為と子孫の関連性を検討するにあたって、彼らの場合は何事もまったく自然に運ばれているということを見逃すわけにはいかない。それはセミヤーゼの次の説明にも現れている。「地球人類やその他のすべての宇宙に存在する、物質形態をもった生命体と同じように、私たちは子孫を自然な方法で生む。それ以外の子孫繁栄の方法はない。ただ例外は特別な状況下における霊的な繁殖であるが、これは極めてまれな出来事であるといわなければならない。また、人工的な形の受精もそうであり、多くの種族存続という特別な場合にだけ行われる。全般的にみて子孫の繁栄は通常の性 行為を通じて行われるが、それはこの形態が自然に適ったものであり、創造の法則と掟に則ったものである。そして、もっぱら定められた道であるこの形態の厳守のみが、生命体の存在と霊的(意識的)進化を保証する。霊的および人工的な繁殖は危険をはらんでいる。そのようにして生まれた子孫には、必ず潜在的突然変異が見られ、それが徐々に全生物体に受け継がれて身体的、霊的病変を引き起こし、抵抗力や正常な思考を喪失させるのである。そのようにして霊的および人工的な受精は、時がたつにつれて必然的に頭脳的、身体的な退化を招く」。性的なことに関して地球人類は、残念ながら多くの場合、間違った方向に導かれ、イデオロギーによる誤った教えを受けてきた。しかし性的結合、つまり夫と妻の性 行為が子孫の繁殖だけのためでなく、精神の安定と調和を保つものであるという事実を受け入れ認める用意があれば、これらすべての迷いと虚偽から逃れることができる。この目的のために性 行為は許されているだけでなく、実際に必要であるが、それだからといって姦通や売 春などを行っても良いというわけではない。したがってこの真理を間違って解釈したり、故意に歪めたり、制御のきかない身勝手などで節度を失ったりすることなく、ここでも規則と秩序を守り、無軌道にならないようにするべきである。プレヤール人の前提に従うと、惑星エラでは一夫婦につき3人の子供が最高限度である(惑星上での生活可能な人口。この数字は地球にもあてはまる)。これによって惑星の人口を支えることができ、養うことのできる状態に保たれるわけである。一世帯子供3人に止めることによって、場合によっては起こりかねない人口過剰を大事に至らないうちに防止することができるわけである。彼らの間では、出産は母子の健康のため、鎮痛剤はまったく用いられないごく自然な形で行われるとのこと。そのような自然出産は身体的にも、また意識面にも大きな利点を持つものであり、産婦は陣痛をただ耐え、叫んだりしない。人為的方法で介入することもない。一般に出産は家庭で行われ、夫の他の妻たちが介助する。出産は斜めに寝ころんだ姿勢で行われ、産婦はやわらかいものを歯で噛み、陣痛時の悲鳴を抑える。死は人間の生涯のうちでも大きな意味を持っている。そこで私はプレヤール人の死者の埋葬について訊いた。セミヤーゼはそれに快く応じ、次のような回答をくれた。「地球上と同じように私たちの間でも土葬が知られ、また実際に行われている。このため住宅地帯から離れた場所に、特別な保存施設を設けている。ごく稀なケースとしては、希望があれば昔からの火葬も行われる。遺体を消去することも、土葬とならんで一般に行われる。個人的な希望に従って埋葬の形式を選ぶことができる。しかし、土葬は原始の昔から行われている自然な方法である。消去や火葬によって、ある一定期間、死体の中に残っている精神的影響力が当然消失するのだが、それを除けば、消去することも別に差し支えない。精神的影響力は数百年も継続し、骨格が存続する限り消えないものである」。往々にして、地球外知的生命は超越的な生物であると主張されたり、またそう見なされたりしていることは残念なこと。彼らは決して間違いを犯すことがなく、そのため法律や掟、規則、規定や規程、条令や要綱などを必要としないという。これは大きな間違いであり、イデオロギーによって作り上げられた愚かな主張に他ならない。創造の秩序や法則、掟がまったく当然なことになっているところには、必ず法則と掟が存在するというのが真実である。人間の形態を持つ生命体が、まだ物質状の肉体を必要とするところではすべてこれが当てはまる。総合的に高度に進化した人間的生命体でさえも物質的肉体を必要とする限り、規則、掟、指示、条令や要綱などを持つことを免れない。そして、たとえ人間が物質的肉体を喪失し、純粋な霊形態になったとしても、法則や掟に従うことは避けられない。唯一の間違いはそれがもはや人間によるものではなく、創造によるものであるということ。それは特に、肉体を有するすべての生命体が、多くの誤りから逃れられないということを意味し、それゆえに、進化の程度に応じた法則と掟が絶対に必要であり、不可避でもあるということである。また、物質からなる肉体が過去のものとなってしまってからも、この必要性は続く。そういうわけで、すでに高度に進化したプレヤール人も法則と掟などがなくてはやっていけず、事実上犯罪行為がなくなったにもかかわらず、その必要性は依然として変わらない。彼らも間違いを行さないとはいえず、何らかの理由で突然犯罪が起こる可能性もありうるわけである。まさにこのために、しかるべき秩序刑が、単なる防止措置とはいえ存在する。もし誰かが罪を犯した場合、その違反行為または犯罪の程度によって罰せられることになっている。犯された過ちは常にはっきりと指摘し、もみ消したりしない。それは過ちを犯した者が自分の行いを認めるということでもある。プレヤール人の明確な論理によれば、地球上では日常茶飯事の間違いを取り繕うということは無意味だから。まず、第一に過ちを犯すということは進歩に必要な一つのプロセスであり、欠くことのできない要素なのである。なぜなら過失を認め、それを改めることを通じて人は学ぶから。そのようにして過ちとその原因は進化の要素となり、それは時がたつに連れて取り除かれ、正しい行動へと導かれる。そしてまったく同じ過ちを、まったく同じ形で繰り返すことはなくなる。プレヤールの法律は、彼らの霊的(頭脳的)レベルにふさわしく、人道的である。拷問や死刑を考えただけでも、多くの地球上の法律を誇りにすることはできないのが事実である。したがってプレヤールでは、犯罪者が何らかの拷問を通じて、肉体的または精神的な害を加えられることはなく、ましてや刑罰として命を奪われるということは決して起こらない。犯罪行為の程度によって、犯人は遠く離れた寂しい島か、特別にそのために選ばれた惑星に追放される。重罪の場合は終身追放である。その際、そのような目的のための土地には、法律の規定によって絶対に男女が一緒に流刑にされることはない。そのため、男性だけまたは女性だけの、別々の特別な、場所が選ばれる。それらの場所ではどこでも同じ法律が適用される。それによると、囚人は刑地では完全に孤立しており、額に汗して日々の糧を稼がなければならない。作業機械や工具などは与えられず、新しい生活を始めるのに必要な最低限の物しか与えられないため、道具類は自分たちで作らなければならない。彼らにはまた機械やそれに類したものを作ることを許されず、逃亡の機会を与えないため定期的な監視が行われる。そのときもしも、作業負担を軽減する道具や逃走のための器具などを秘かに作っていれば、容赦なく没収されてしまう。また罪人が他の人間、特に罪人以外の人間と接触しないよう、仲間たちだけでいるよう注意が払われている。プレヤール人は次のように言明している。この処罰形式によって、秩序維持のための最大の安全が保障され、また他方では、罪人が一般人に負担をかけることを防いでいる。そのうえこのような処罰は非常に人道的であり、また目的に適っており、終身刑の、あるいは短期刑の者も刑期中の進化が妨げられることはない(研究と学習に必要な資料はそれぞれに応じて、管理スタッフからすべて与えられる)。宇宙全体を見渡したとき、病気はすべての物質的な惑星上に多かれ少なかれ存在し、それから免れる生命体はない。病気の多くの場合避けることのできない現象であるが、それは突然変異を確かなものとし、ひいては生命体の進化的変化において、生存能力と抵抗力をもったものにする。病気と突然変異はある意味では肩を並べている。ある種の病気を通じて突然変異による抵抗が生まれ、それが生活環境を向上させ、肉体的・有機的な進歩発展を促す。ある種の病気は、異変的に一種の抵抗力を生むために、生命体は生存能力が高められることから、病気と突然変異は密接に結びついている。しかしこれは、すべての病気に当てはまるわけではない。なぜなら一部の病気は間違った生活の仕方を通じて生命体自身によって引き起こされ、破壊的、破滅的な結果をもたらす。このような病気は、間違った生活の均衡をとる調節メカニズムということもできる。言いかえると間違って生活した結果であり、必然的な現象である。さらに注目されなければならないのは、異なった生命形態がお互いに混ざって一緒に生活することによって起こる病気である。この例としては人間と動物の関係があげられる。一方では異なった種類ごとに小屋や檻に押し込めて飼っていながら、他方では人間が住む住居で同居し、しかも人間同様の扱いをしている。このような要因を通じて多くの病気や伝染病が発生しているが、これは突然変異・進化には無関係で、単なる無分別と創造・自然の法則と掟の無視によるものである。動物と同じ屋根の下で一緒に生活することによって、また動物を人間と同格視して扱うことを通じて、動物と人間のバクテリアとウイルスがお互いに交ざって致命的な病原菌が突然変異的に発生し、多くの伝染病や病気を引き起こす。まさにこの点、地球人は無分別、いや犯罪的な行動をとっているといえる。特に良くないことは、口づけをしたり舐めさせたり、同じベッドに寝たり、あるいは人間と同じ皿から食べさせたり、また獣 姦、つまり動物との性 行為をすること(プレヤール人の語るところによると、エイズは若いオオナガザルとの獣 姦を通じて起こったものであるという)。以上の説明でもわかるとおり、非常に多くの病気や伝染病は、人間の無分別、間違った生活、知ったかぶりなどが原因である。そのような理由から、プレヤール人の間では動物は決して人間の住居内で飼わず、また人間の伴侶として扱わないということは、覆すことのできない掟である。また動物を愛撫することや人間化することもタブーとされている。その結果、動物に起因する病気や伝染病が人間の間で発生することも、またその反対のケースもなくなり、それを通じて新しい病気や伝染病などの発生を防ぐことができる。この事実はプレヤール人種や民族、またすべての同盟の人民たちの間で病気や伝染病を閉め出すのに役立っているが、それは言うまでもなく、医学も大きな貢献をしている。このことは他の惑星においても、例えば地球の場合のように多くの病気や伝染病、そして身体的変形などの発生を見なくてもすむ、ということを明らかにしている。人間の形態を持つ生命体の分別によって、この災厄はコントロールされ、回避できるのである。その良い例がプレヤール人で、ほとんどすべての病気と伝染病を克服し、残っているのは純粋に肉体的なごくわずかな頭痛や、視力衰弱などだけであるが、これらも対策が講じられており、問題となるほどのものでもない。健康に関してのやっかいな問題が起こるのは、彼らが別の惑星に行ったときに、彼らの身体が抵抗できない場合である。数年前に風邪に罹ったことがあるが、しかしこの問題も過去のものとなった。プレヤール人の間でもスポーツが行われ、また競技会などが催される。しかし彼らにとってスポーツは、ここ地球上とはまた違った意味を持っている。職業としてのスポーツはタブーで、許可されておらず、またすべての過激なスポーツについても同様である。スポーツの業績として認められるものはすべて自然の範囲内のものであって、日常の活動と並行して行うことができるものである。そのため例えばスポーツ競技では、すべての参加者が平等に勝つチャンスが与えられているわけである。地球上において、精神病者や意識障害者たちが、知名度やイメージ向上のため、あるいは危険中毒などのために行う、生命にリスクをもたらすようなスポーツ種目は避けられている。また、生命に対して最低限の敬意と畏敬すら払う能力のない者たちがするような、自己確認の目的だけのために、また単にスリルを味わうために行われるスポーツもすべて敬遠される。すべての生命形態の命を、最高に高く尊いものと認めるプレヤールでは、地球とはまったく異なっており、極端で病的なスポーツや凶悪で犯罪的な戦争などの行為を通じて、自分たちだけでなく他の生命を危険にさらすことを避ける。そもそも生命ほど尊いものはなく、それは最も卑劣で腐敗し、また愚かな人生観や意見をもってしても変わらないこと。そしてこれはプレヤール人や彼らの同盟の人たちだけでなく私自身の観点でもあり、また健全かつ正常に生活の価値と意味について考えることができる人たちすべての意見であることは間違いない。いうまでもなく、プレヤールにも音楽家、歌手、画家、彫刻家など、あらゆる分野の芸術家がいる。彼らは一般大衆から尊敬され、高い位置におかれているが、ここ地球上でのように天高く褒めそやされたり、賛美されたり、崇拝されたりすることはない。当然、個人崇拝の的になることもない。彼らの才能は認められ、尊敬されるが、ただそれだけのこと。芸術家という職業も別に特殊なものではなく、才能もただ単に才能であり、価値を認められてもそのためにその人がより尊敬されたり、並外れた関心の的になったりしない。芸術家自身も謙虚で、自分自身を特別な者と思わないし、そのうえ他の人間とまったく同じように毎日2時間ずつ公益のため、全惑星の共同体のために働く。さらにプレヤールには金融制度が存在しないため、あくどい商売も行われない。芸術家は全員純粋な理想主義者であり、ただ内なる要求に従って働き、しかもすべて余暇を利用しての活動である。演奏、歌など彼らの活躍は巨大な画面を通じて各家庭で放映され、また展覧会やコンサートなどもそれ専用の建物の中で催される。プレヤール人の間に存在する本当の絵画はただ一つ、写実的なものだけである。私が知っているプレヤール人の共通意見によれば、真の絵画というものは、存在するすべてのものを写実的に自らの手で再現すること。アルブレヒト・デューラー、ミケランジェロ、アンカーなどの作品がそのよい例である。それに加えて未来派的、また幻想的なデッサンや絵画もあげられるが、それらも物体を写実的に描写したものである。各民族は、私たちも一部知っているような油絵や水彩画など、独自の画法を持っている。またプレヤール人は驚くべき立体効果を持つ画法をも心得ている。極めて特別な色彩の混合と画法を通じて、それらの絵画はまるで本物のような立体感を表現している。プレヤール人の間では自分の手で、自然を忠実に再現したものだけが芸術として認められる。絵画だけでなくその他すべて、写実的でないものは芸術家として認められない。非写実的に何らかの物体を表現した絵画や彫刻などは、気が狂った人間の混乱した頭の産物とみなされる。彼らは現実との結びつきがなく、そのため事実を認めてそれと共に生活することができないから。写真も人間の手で作り出されたものではなく、機械、機具の助けを借りて作られたものであるから、芸術には属さない。本物の芸術は誰にでもできるというものではない。芸術的な手法を用いた絵画や一部のグラフィック作品などとは反対に、壁に二つ三つのしみを付けたり、紙にインクを撥ねかけたりすることは猿でもできることで、それは実際に芸術とはみなされない。それゆえ、本当に価値のある描写的な作品でない、まったく非自然的な地球上の絵画はタブーである。プレヤール人にとって音楽という芸術部門は、精神の高揚と平衡をもたらすうえで極めて価値の高いものである。それは完全に調和的でなければならない。音響の物理的法則は全宇宙に共通であるが、調和のとれた響きや音を発する楽器は、リズムやメロディーと同じく惑星ごとに異なり、種類も様々である。地球外知的生命の音楽は非常に種類が多く、地球の人間には耳慣れないものである。特にプレヤール人の音楽は発達しており、響きが美しくうっとりとするもので、地球人は長い時間聞くのに耐えられない。その完全な調和は果てしなく広がり、そのため地球人は満たすことのできない渇望に陥り、一種の中毒状態が起こるから。このような理由から私が惑星エラや宇宙船を訪問した際、レコーダーなどに音楽を録音して地球に持ち帰ることが許されなかった。私が思い当たる地球上の音楽または曲の一部で、プレヤールの音楽の響きと似ているものに、モーリス・ラヴェル作曲の「ボレロ」、リヒァルト・ワーグナー作曲のオペラ「ワルキューレ」(四部作のオペラ「ニーベルングの指輪」の第二部)とジュゼッペ・ヴェルデイ作曲のオペラ「ナブッコ」の三曲がある。プレヤールには音楽大学以外にも、異なる名称で呼ばれるそれぞれに応じた芸術大学がある。しかし、これらの大学に行くのは本当に才能を持つ希望者だけで、卒業後彼らは全人類の幸せのために働く。そのため、地球上で残念ながら頻繁に起こっているように、才能のない演奏家が多くの不協和な演奏を聴衆の前で披瀝し、その堕落した演奏に聴衆が喚声をあげたりすることはない。これら地球の演奏者は楽器のことについても歌についても何も知らず、ただまったく調子はずれの金切り声を出し、がなりたてているだけである。プレヤール民族は、彼らの音楽を常にその進化、認識、分別、そしてそこから発する感情と思考、道徳、意識、個性に従って作曲し、創作する。確かにこの観点において、素晴らしい平衡と均衡がみられることから、音楽もそのように構成されている。まさにこの点において驚き、確認させられることは、多くの場合、地球人の間で音楽と称するものは実際、音楽とは何の関係もない、作られた騒音であるということ。それは楽譜らしきものに束縛された不協和音であり、精神や意識を傷つけ、破壊する。これによって彼ら自身も不調和に反応し始め、聴衆は抑えが利かないほど興奮する。この音楽と称するものはそれを創作し、またそれらを聞く者の鏡像以外の何ものでもない。彼らの精神や思考の世界、健全な人生観は損なわれ破壊されている。そのような人間は進化が驚くばかりに停滞し、人生に対して否定的であり、また生活不能者であるばかりでなく、集団的に破壊の道をたどる。これら地球独特の、彼らが音楽と称するものは、地球上の本当に良い音楽とは何ら共通点を持たない。プレヤール人によると、これは最悪の破壊的力を持つ不調和な金切り声に他ならず、悪質な人間蔑視、創造蔑視であるばかりでなく、破壊の意図を持ち、人権と生命権を無視するものである。これらは調和的で精神的にも知能的にも前向きの本当に良い音楽とは正反対である。本当に良い音楽は進化に好影響を及ぼし、生命を肯定し、人間やその他の生命体に対する尊敬の念を高めさせ、生命を形成する創造・自然の法則と掟に従うことを促すものである。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー類は友を呼ぶの原理は、調和したパートナーシップを生み出すが、しかしこの原理も、ときどき意見の相違が生じ、ときには激しく口論することを防ぐものではない。しかしたとえ争いが生じたとしても、これは崩壊や、相手に対する軽視および無礼を意味するものではない。なぜならば、そのような争いのゆえに互いの関係や結びつき、さらに愛は新鮮かつ誠実であり続け、憎悪や嫉妬も、復讐や侮蔑や報復の考えも現れることはない。これはカップルが、両極は互いに引き合うという趣旨や、金銭、能力、美貌、性生活、職業、社会的名声または相手の偶像化などと言った、取るに足らない理由で一緒になる場合と全く逆である。類は友を呼ぶの原理に従って一緒になったカップルは、通常は敵意や悪意を抱いて争うことなく、建設的な形で争う。つまり、事柄や対象そのものについて争い、あるいは意見の相違などを徹底的に論議する。不信感、不誠実、根拠のない概念、非難、その他の攻撃などはタブーであって、パートナーシップの良い関係と結びつきに入り込む余地はほとんどない。また敵意を抱いたり、疲労困憊していることを口実にしたり、逆上したりすることもない。良好で誠実なパートナーシップは、決定的な相互信頼、つまり信頼し合っていること、いろいろな事柄や要件でほぼ同じであること、誠実さ、互いに対する真の好意と愛、お互いに対する何らかの興味と喜び、相互の協調性、調和と自由、そして互いに対する良好で健全な感情移入能力などに基づいて構成される。しかしこうしたすべてのことが実際に生まれ充足され得るのは、古くから伝わる諺であり原理でもある類は友を呼ぶに完全に従い、多くの事柄や関係で共通のある人間が一緒になる場合のみである。これとは逆に対立する者たちは、事柄や対象のことで争ったり、意見の違いを徹底的に議論したりすることなく、互いの攻撃から始め、名誉や人格、性格や意見などを攻撃し、傷つけ、侮辱し合う。誠に建設的な争いは、ひとえに事柄や対象に関するものであって、パートナーを貶めたり、傷つけたりするような形態に関するものではない。というのも、ある人間が他の人間を何らかの仕方で傷つけると、争いの対象も、争いの本来の目標も、そしてまた追及された解決策も失われるから。さらに個人攻撃や、そこから生まれる侮辱および中傷によって、パートナーは防御の姿勢を取り、それがさらに互いの攻撃や罵りにつながる。その結果、最後には互いに激怒し、相手より上位に立とうとして大声で叫んだりわめいたりして、ますます自制が効かなくなり、憎悪、嫉妬、復讐、報復、殺人や殺掠、あるいは少なくとも長期にわたる喧嘩や憤激、あるいは別離や離婚に至ることがある。それゆえいかなる場合も争いや意見の相違は、常に事柄か対象に関わり、したがって建設的でなければならず、人格攻撃などを行ってはならない。そうしてのみ侮辱や中傷が生じることはなく、いずれのパートナーも体面を失わないことが保証される。しかしそのように機能し得るためにはいかなる場合も、互いの尊重、尊敬心、そしてパートナー相互間の必要な距離を維持するという主要な規則が守られなければならない。まさにこの3つの価値は、良好で誠実で、愛情に満ち、幸福で自由で、穏やかな調和の取れた関係と結びつきにとって決定的に重要である。人間が自分自身や自分のパートナーを尊重し、尊敬し、そしてお互いに必要な距離を保つならば、そのとき人間は正しく、公正で責任ある振る舞いをする。そしてこれらの価値こそが、健康で進歩的で、それゆえ絶えず拡大して強固になると共に内面化していく関係と結びつきの基本前提なのである。しかしまたこれは、決定は互いを結びつける対話を通して共同で下し、権威および責任を分割すると共に共同で引き受けることをも意味する。したがって良いパートナーシップとは、ビジネス上の良い関係がおよそあり得たかもしれないものをはるかに超えている。良いパートナーの関係は、互いの喜びと義務の形でも、また信頼、愛、平等および同権などに関しても、各々が持続的な作用と相互関係において何かを与え、そしてまた何かを受け取ることを、それ自身のうちに含んでいる。この場合、このギブ・アンド・テイクの間に、そしてまた個人の自由に関しても、常にバランスが取れていることが必要である。が、それが可能なのは、このことに対する必要な理解が全体を貫いている場合のみである。これは愛において、またいつでも現れる事柄において互いを思いやることも含まれる。もしこれらの前提がないならば、パートナーシップは単なるコストパフォーマンスの計算、したがって利害関係以外の何ものでもなく、それは最終的に無に帰して、関係の終焉に至る。パートナーシップにおけるギブ・アンド・テイクが、常にバランスの要因でなければならない。しかしひとたびこのバランスが動揺すると、パートナーの関係における摩擦、さらには破壊が不可避である。なぜならば、ひたすら与えなければならない立場になろうという者はいないから。この場合、どのように与えるかは問題にならない。妥協することは許されようが、その比率は常にバランスが取れていなければならない。これに関する問題やその他の問題を回避しようとするならば、それはたった一つの道しかない。それは、いかなる場合もお互いコミュニケーションと必要な相互理解を通る道である。語り合うこと、すなわちコミュニケーションは、パートナーシップが良好なものであり、またそうあり続けることを願うならば、あらゆるパートナーシップの中心をなす。そしてこれはあらゆる形態の良好で安定したパートナーシップに当てはまる。しかし節度を失い、傷つけ、そして理性的なコミュニケーションに手を貸さない非建設的で深刻な争いは、さまざまな問題や摩擦、さらには別離、破壊および離婚を招く。互いに耳を傾け、語り合い、互いに同意することは、何らかの関係や結びつきにおいて極めて重要である。なぜならば、これらの要因はパートナーシップを相互に強化し、思考と感情を自由にし、そして互いに必要な理解が生まれて、男女いずれのパートナーも自分の問題を抱えて孤立しているのではないということを認識させるからである。各々のパートナーが自分の問題を相手と分かち合う。これはパートナーシップにおいて存在し得る最大の肯定的な価値の一つである。相手に何か伝えようと紙片に書きつけた情報でさえも、その内容が重要であろうとなかろうと、大きな意味を持っている。なぜならば、そのような行為は連帯性の懸念も、そしてそこから生じる同種性の感情、さらにはこれに関する心の躍動をも促すから。このような行為はまた、親近性、親密性および専有性、そして口頭でのコミュニケーションを成立させる。この場合、専有性は、互いに結び合ったこの2人の人間だけが、まさにその共存と連帯においてそうした行為をなしていることを示唆する。それによって強さと、本当の連帯性が成立しているという確信が生まれる。しかしこのための根本前提は、互いにパートナーが何を欲しているかを知ることである。しかしこれは、良いパートナーシップにおいて2人とも、相手がどんな不安、恐怖、嗜好および喜びなどを持っているかを正確に知らなければならないということを意味する。パートナーについて正確に知ることを要求するのは敬意と尊敬心のみである。さらに極めて重要なのは、共通点が存在し、構築され、そして遂行されること。それらの共通点は双方のパートナーにとって好都合であれば、どのような形のものでも良く、またいかなる制限も受けない。このような共通点によって信頼と連帯性の感情、そして必要な互いの親近性が生み出される。しかしこの親近性においては、互いを敬愛する健全な距離が保たれており、いずれのパートナーも相手に近づきすぎて、意識するとしないとに関わらず、相手を傷つけたり押しのけたりすることではない。同じく重要なのは、いずれのパートナーも備えていなければならない心の余裕である。というのは、パートナーシップの枠内であっても自由がなければならず、不信感、悪意、嫉妬心、猜疑心、不安感などが現れて自由闊達さを妨げたり、制限したりしてはならないから。実際、良好にして堅固で安定した持続的な関係と結びつきもしくはパートナーシップは、それぞれ相手に必要な自由を認めるものであり、嫉妬心や不信感に駆られて質問や調査などをやって、相手に難癖をつけてはならない。誠実には誠実を、信頼には信頼を、忠実には忠実を、が原則である。一緒に同じことについて語り、共に泣き、悲しみ、または笑えること、それがあらゆるパートナーシップにおける関係の絆を強くする。良いパートナーの関係性においては、互いの面白がる気持ちや、性生活に関する充足と喜びも必要である。しかし性生活において手菅や頻度などの点で決して相手に過度な要求をしてはならない。さもないと亀裂が生じ、そこから不愉快な衝突やもっと悪い事態に発展しかねない。それゆえ性生活は過度に求めることも、軽視することも許されず、あるいは習慣やルーチンワークにされてはならず、また常軌を逸して嫌悪を生むような手菅に堕落してはならない。パートナー間の健全な性生活で大切なのは、これに関してパートナーがそれぞれ自分の適切な願望を表明し、また考慮して、何らかの形でお互いに相手を不安にしたり、傷つけたりしないこと。こうして恋愛生活およびこれと結びついたコミュニケーションがうまくいくならば、愛と喜びと幸福感が保証される。だが、性生活が単なるルーチンワーク、快楽、さらにはビジネスや強要行為に変質すると、いろいろな問題や不愉快なこと、憎しみや怒り、憎悪の念などが生じることは避けられない。良好にして堅固で安定して機能するすべての関係にとって、セックスは極めて有意義で重要であるが、それは願望に応じて遂行される限りにおいてである。セックスにおいていつも自分を抑制せず、貪欲で、粗野で、変態的であるならば、長い間にはエロティックでなくなるだけでなく、やがて嫌悪と吐き気を催させる。それゆえ恋愛生活においてはパートナーとの肉体的な結びつきとともに、思考および感情の結びつきも創り出すために、適当な制御を行わなければならない。相手にいつも最良の面だけ見せるというのは、人間にとってそれほど容易なことではないでしょう。無関心であるのも、最終的にはあらゆる関係を壊してしまうから適切ではないが、単なる性の営みはいかなる結合的な関係も成長させることはない。良好、堅固で安定した持続的なパートナーシップにあって繰り返し考慮、熟慮しなければならないのは、相手の側に立つことであり、これは関係や結びつきにおいて非常に重要な意味を持つ。したがって、パートナーシップが常に引き続き協調的で肯定的に推移し、その結びつきの価値が絶えず拡大するようにパートナーシップを構築すべく相応の努力を払わなければならない。これは関係と結びつきを維持し、絶えず手を加え、改善し、成長させていくために、すべてのパートナーが繰り返し根本的に認識しなければならない。もう一つの重要なポイントである。そしてまさにこれは地球の人間にとって容易ではなく、それを悟性と理性および経験と体験によって、さらに理解と意欲によって自ら体得しなければならない。そして人間はそうする場合のみ、そこからパートナーシップによる愛と幸福、平和と協調が生じ、さらにそこから生まれるすべての価値が帰結する。重要な意義あることを述べると、将来、地球上における疾病や疫病に関して、非常に多くの否定的なことが起こるでしょう。そのため、各個人は病気に罹っているかどうかわからない人間との身体的接触を避け、特別に注意深く衛生に気を配らなければならない。まったく危険のない病気や感染も、より重症の病気や、それどころか後には不治の病気につながることもあるので、このことに関しては特別な注意が必要である。動物に触ったり、動物との身体的接触も同様である。この場合、人間に感染する可能性のある疾病やその危険は、特に動物性の食料を食べるとか、動物の排泄物、例えば糞、唾液、血液、毛などを通じてウイルスやバクテリアを移され、致死性の疾病や疫病が起こることがある。この理由だけでも、絶対に人間の住居で動物を飼ったり、たとえ短期間でも立ち入りを許すべきでないことがわかる。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー〇プターの言葉マヤ暦では2012年12月21日に太陽の位置が頂点に達するが、それはおよそ26000年の周期でしか起こらない。マヤの計算が前提としているのは、2012年12月21日に地球は、オリオン座の左側の上方にある星と、中心太陽もしくは銀河の中心とを結ぶ仮想線上に位置するということ。太陽は、地球人が銀河の暗黒の隙間と呼ぶ、星間塵によって形成された場所で銀河と出会う。2012年12月21日、冬至の薄明の時刻に太陽はちょうどこの隙間の中にあって、銀河が水平線を完全に包囲するような位置にある。それによって銀河が周囲すべての点で地球に接し、銀河系が地球の真上にあるかのような錯覚を引き起こす。これが大体においてマヤ暦の記録の最終生成物である。最初に言っておくと、地球の科学者は太陽の寿命についてとんでもない思い違いをしている。太陽は死につつある天体であり、実際の余命は状況次第で15億年ないし25億年にすぎないから。さらに言っておくが、この天体は数年前から弱い活動期に入っており、2010年3月に見られたように、時々活発になるにとどまっている。太陽の活動はほぼ11年周期で起こるが、これはまた磁場と関連している。磁場は太陽の内部から押し出るエネルギーが拡散するのを妨げている。しかしこの他にもなおすべての現象過程を規定する要因は多数存在する。そこにおいて地球の科学者にはまだ謎に満ちた暗色の物質は大きな役割を果たしている。とりわけ太陽の高温エネルギーの輸送に関してそうである。なぜなら暗色の物質の影響なしには輸送は不可能であろうから。およそ摂氏6,000度の太陽の表面は、天体内部からの熱エネルギーによって摂氏百万度まで熱せられる。ところが暗色の太陽黒点は摂氏4,000度ほどしかなく、トンネル状もしくは漏斗状に深さ1,700kmの太陽内部にまで達している。このような深部では天体内部の温度は摂氏数百万度である。この温度によって太陽内部の物質は電荷を帯びた気体、すなわちプラズマに変わる。これらの物質は時速10万kmの速度で燃えるプラズマとなって噴出口の周囲に射出される。黒点が集団で発生すると、そこから巨大な太陽嵐が生じて通常の原爆の何十億発分にも相当するエネルギーを放出する。太陽はたとえ死につつある天体であってもまだ生きており、太陽系の領域に途轍もないエネルギーを放射している。その太陽は現在のところ穏やかな活動期にある。来年は再び活発な活動期に入ると予想されるが、それは途方もなく大規模で、地球上の自然や人間が作り上げてきた電子機器などに多大な被害をもたらす可能性がある。基本的に激しいプラズマ噴出はとうに起こってよいはずなのだが、活動はいわば最小限に落ち込み、これまでのところ大きな噴出はない状態が続いている。しかしなおのこと目前に迫っている新たな活動は非常に激しいものになると予想される。事実、現在太陽内部ではすさまじい変化が起きている。それは外的作用の形でも現れ、たとえば太陽表面に広範囲にわたる物質の流動が生じた。その流動は減衰した黒点から発生した残留磁場を太陽の極域に向かって運び、そこで再び太陽の内部に25万kmの深さまで下降し、そして再び赤道に向かって動く。このような太陽内部の深い所で残留磁場は再び長く伸びて強くなる。つまり残留磁場は新たにエネルギーを蓄えた後、再び活発になり、またもや表面にほとばしり出て新しい黒点を形成する。そこからまたこの物質流動は太陽表面がさまざまな速度で回転するのとあいまって太陽磁場の転極を引き起こすが、これは11年ごとに現れる。通常物質流動は極域に向かって非常にゆっくり、時速約2.7ないし3.7kmの速度で移動するが、7年ほど前からこの速度は時速50kmほどになっている。流動がこのように速くなった結果、太陽の赤道で磁場の発生が妨げられる。これは地球上で最近3年間ひどい厳冬が続いた理由でもある。黒点は高温のガスとプラズマを運ぶ巨大な漏斗状の磁力線のループに囲まれており、太陽の本来の磁気特性を示す。特大のエネルギー噴出が起こると、磁力線とプラズマは太陽から離脱して勢いよく飛び出す。磁気エネルギーであるプラズマループが太陽から飛び出す時、その長さと幅は10万kmを超え、この時に太陽表面に巨大な黒点も発生する。黒点の発生が増えると、その結果として太陽表面を突破する磁力線も多くなる。したがって磁場が強ければ強いほど、多くの黒点が現れ、逆に弱ければ弱いほど、発生する黒点も少ない。太陽の磁場は太陽圏電流層と呼ばれるが、回転しながら螺旋放射状に全太陽系に影響を与え、それはカイパーベルトの最も外側領域に、さらにそれを少し越えたところにまで及ぶ。これらの黒点から太陽内部に発する磁力線が流出するが、この時放射されて地球に到達する太陽のエネルギーは途方もなく大きい。概算すると毎秒およそ1億5,500万基ないし1億6,000万基の原子力発電所で生産される量に相当するエネルギーが地球に到達する。このエネルギー量は極めて莫大で、そのわずか0.01%で80億人の地球人類の全エネルギー需要をカバーできるほど。また、太陽系の惑星や月などとの大きさの比について言えば、これらは太陽系の全物質量の99.8%を包含する中心天体に対して、かろうじて0.2%を占めるにすぎない。言ったように太陽は死につつある天体で、あと15億年ないし25億年しか存在しないが、現在の活動年齢は約50億年である。だが、本当に最初の起源はこれよりはるかに古く、原エネルギーに由来するが、その年齢は地球の科学者には計算できないばかりか、それ自体が空想的に思える。なぜなら原エネルギーは宇宙全体の初期の形態にまでさかのぼり、その存在について地球の科学者は知識も理解も欠いているから。すなわち彼らには理解することも究明することもできないが、目に見える物質的な宇宙は宇宙の4番目の帯にすぎない。宇宙全体は7つの帯からなっており、4番目の帯だけが銀河、星雲、太陽、惑星、月などを持っている。内側と外側のそれぞれ3つの非物質的なエネルギー帯は見ることができず、したがって物質的な帯もしくは物質的な宇宙を挟んでいる内側と外側の2つのエネルギー帯も見えないが、これらの帯からいわゆる宇宙マイクロ波背景放射が出ている。やはり地球の科学者たちの知らないことだが、これらの物質帯は490億年ごとに新しく生まれ変わり、それが最後に行われたのはおよそ170億年前だった。今日の物質宇宙はすでにこの絶えざる生まれ変わりの3度目の形態であり、7つの帯からなる全宇宙の年齢は約46兆年である。だが、話を太陽に戻そう。太陽系に存在するすべての生命形態にとって太陽は生命を意味し、地球の奥深くまっ暗闇の中で生き、けして太陽光を見ることがない生命形態も太陽エネルギーの恩恵を受けている。自転しているのは惑星だけでなく、同様のことは太陽でも起きており、自軸のまわりを4週間という固有の周期で回転している。だが回転時間および回転速度は赤道と極付近と、それらの間の地域で異なる。それによってのみ太陽は最も深い地点で生み出されたエネルギーを、そのシステムの最も外側の縁にまで押し出すことができる。回転速度が異なる部分の間で摩擦が生じることによってはじめて、絶えず入り乱れて渦を巻く磁力線が形成される。この場合、渦を巻く範囲が広くなればなるほど、太陽の活動は活発になる。現在のところ太陽は弱い活動期にあり、あまり活発ではないが、これは黒点の数が少ないことにも現れている。これらの黒点も寸法は小さくない。実際、黒点はよく地球が5個か6個入るほどの大きさにもなるから。大きさと言えば、太陽はもう数百年前から衰えて、つまり収縮している。それはこの星が死ぬ最初の崩壊現象であり、太陽系に生命を与え続けている天体はあと15億年ないし25億年しか存在できない。しかし、この天体も非常に活発になれば再びやや拡張もしくは膨張する可能性があることは言っておく。だが、これはある周期の中でのみ起こり、そのあとは縮小もしくは収縮して再び元の形態に戻る。今回の周期が転換すると何が起こるかはまだ最終的に確かではない。言えることは、原始世界のごとき磁場のアーチが出現し、それによって地球上で地球人が作り上げてきたすべての電子機器が地上や周回軌道で麻痺すれば、地獄になるだろうということ。今日の電子技術、したがってまた地球上のすべての電子機器は太陽嵐やその他の宇宙線に対して極めて敏感であり、強い太陽嵐が発生してそのエネルギーが地球に達して電子嵐を引き起こしたら、すべてが崩壊する恐れがある。すなわち電子嵐が電流を誘導し、それによって無数の電子機器やあらゆる種類の電磁装置、そしてまたなんらかの形で電力と関係のある原子力発電所やその他の発電所、機械、乗り物などが機能しなくなる可能性がある。このようなことが起こったら、なにもかも無害ではすまなくなる。なぜならそのような弊害が発生したら、経済や医療の大部分や飲料水供給がだめになるだけでなく、製品の生産や不可欠な輸送、略奪に対する一般的な安全措置も機能しなくなるから。そればかりか、地球人の全成果に関して発展は逆戻りして、およそあらゆる分野で被害が生じ、それを取り除くのに何十年もかかるでしょう。地球人と彼らの政府は財政的にも破綻の際に追いやられるでしょう。つまり彼らはおよそ発生した被害と取り組んで取り除こうとしても支払いきれなくなるでしょう。犯罪や犯行に、見渡せないほど多くの害悪が生じるでしょう。これらのことは、実際に太陽の活動が過度に活発になって破局が生じれば起こるでしょう。しかしそれが起こるというのはあくまでも可能性にすぎず、予告ではない。なぜなら、太陽の活動がまどろみから目覚めた時に何が起きるかはまだ確かではないから。
2020.08.01

1977年12月15日のことである。その日セミヤーゼは、センターのある場所のある部屋に公式なコンタクトのため訪れ、95回目のコンタクトをするはずであった。2・3分がたったとき、もうコンタクトを終わらなければならなかった。急にひどく落ち着きがなくなったセミヤーゼが、振動遮蔽装置を持って来ていないと、言い出した。かねて宇宙からの友人の訪問があるときには、その部屋に近寄らないということになっており、センター内部の者の振動を心配する必要がなかった。そのため彼女は、その装置を持参していなかった。後に問題の男が語ったところによると、好奇心にかられてその約束を破ったという。この理解しがたい理由で彼はこっそり部屋に近づき、聞き耳をたてて確かめようとした。セミヤーゼは彼の低レベルの振動にふれ、他のプレヤール人と同様、その振動に耐えられなくなった。それは彼女にとって大事故を意味した。セミヤーゼは急に自制心を失って混乱し、小型のヒーターの上に倒れ、頭を強く打って、姿を消してしまった。2日後、クウェッツァルが訪ねてきて95回目のコンタクトが成立した。しかし彼がもたらした知らせは、極めて気の滅入るものであった。・第95回セミヤーゼ・コンタクト記録 1977年12月17日19時58分ビリー「おや、クウェッツァル、元気ないようだし、顔色が良くないけれど、どうしたの。病気でもしたのかな」クウェッツァル「いや、そうではない。私の顔色が悪いのは他に良くないことがあったのだよ」ビリー「それはどういうことなんだ。セミヤーゼのことに関係あるのかね。実は木曜日の16時36分ごろ、彼女はセンターで転んだのだけれど、それ以来何か起こったのじゃないかと心配していたところだ。なぜかこの心配が頭を離れないんだ」クウェッツァル「それは君がセミヤーゼと連帯感で結ばれているからでしょう。そう、彼女のことで私はここへ来たのだ。彼女のことが心配で私は顔色が悪い。12月15日の夕方、何が起こったのか話してくれないか」ビリー「クウェッツァル、何が起こったのだ。君の顔色の悪さからみると彼女によほどひどいことが起こったに違いない。何が起こったのかまず教えて欲しい」クウェッツァル「まず私の質問に答えてから」ビリー「じゃあ、そういうことにして。でも、なぜセミヤーゼが木曜日にここへ来たのか教えて欲しい。何だかとても重要なことを説明したいとか言っていたので何だろうと思って」クウェッツァル「君はまったく困ったものだ。セミヤーゼのことが心配で神経が震えていると言いながら質問などして。私は。いや、セミヤーゼのことについて説明してくれたまえ」ビリー「別に説明することなどないよ。木曜日の16時32分であったか、33分であったか、彼女はやって来た。短いあいさつの後、二人ともセンターの椅子に腰をおろした。セミヤーゼが大事な話があると言い出した後、すぐに彼女はおびえたように、誰かがセンターの外のドアをノックしたと告げた。私には何も聞こえなかったけれど、空耳じゃないのかと答えた。それでも彼女は後へ引かず、誰かが間違いなくノックしたからもういかなければならないといった。言うとすぐに立ち上がり、片足が机の脚に引っかかっていたらしく、小さな叫び声と共に電気ヒーターの上に倒れたのでヒーターが壊れた。私は飛び上がると同時に、彼女が倒れたとき、壁に頭をぶつけたのが見えたが、その瞬間彼女はもう見えなくなっていた。明らかに彼女は倒れるときにトランスミッターのスイッチを押したらしい。2分後に外に出てみるとヤコブスが立っていて、ドアの陰に隠れながらニヤリと笑っていた。もちろん私は一言、苦言した。すると彼はセミヤーゼが下のセンターに来ているのを知っていたので一目見ようとしたのだと答えた」クウェッツァル「それは無責任なことだ。そのために非常に悪いことが起こってしまった。セミヤーゼは約束の時間までに基地に帰ってこなかったし、私たちにも彼女から何の連絡もなかった。居所を突き止めようとしても手掛かりがなかったので、23時24分頃に彼女と宇宙船を探しに出かけた。すると23時30分に君たちのセンターの上空に浮遊している遮蔽された宇宙船を見つけたというわけである。宇宙船に乗りこんだところ、深い昏睡状態で床の上に倒れている彼女を見つけた。骨折していた右腕はその場で治すことができたが、重症の頭蓋底骨折もしていた。このため直ちに一刻も遅れることなくセンターを離れてエラ惑星にセミヤーゼを連れて帰り、そこで砕けた頭蓋冠を傷ついた脳から真空の力で吸い出した。生活機能反応以外に今のところ反応もないのだが、我々のこの分野の専門家も手の施しようがなく、セミヤーゼが意識を回復するまで何の処置もできないでいる。ところで、負傷は完全な治癒の望みのないほど重いということ。それでプターがアスケットの助けを求めるために自らダル宇宙に向かった。彼女の民族は様々な分野で我々より進歩しているから。それでもセミヤーゼが助かるかどうかは疑問なのだ。私がここへ来たのは、一体何が起こったのか君に聞いて確かめるためである」ビリー「こん畜生」クウェッツァル「君は私の話を聞いて興奮しているようだから、私は帰った方がよさそうだね。エラでは私が必要なのだよ」ビリー「あぁ、もちろんさ。さぁ帰りたまえ。早く行って彼女が良くなるようにしてくれたまえ。そして何か変わったことがあったらすぐに知らせてほしい。こん畜生、この大馬鹿者。ぶちのめしてやらなければ」クウェッツァル「君はひどく興奮しているんだよ。でも本気じゃないんだろうね。君はとても悲しくて、怒っているんだ。じゃあ、また」ビリー「知らせて欲しい。何か」クウェッツァル「変わったことがあれば知らせるよ。それでは」セミヤーゼの命は全力を挙げてやっと救うことができた。彼女の命が尽きる前に生命保持の処置が施され、依然として深い昏睡状態にはあったが、死を免れることができた。アスケットの知己である高度に進化した民族の生命体が、ダル宇宙から招かれ、セミヤーゼを蘇生させた。すべての負傷は除かれ治癒したが、セミヤーゼは多くの知識を失い、新たにすべてを学習しなおさなければならなかった。そしてそれは将来も続けなければならない。しかし何らかの事情で彼女は脳に障害を来し、改めて治療を受けなければならなくなった。その結果、私とのコンタクトを正式に終わるまで他の者が代わって続けることになったが、これは1989年11月にプレヤール人によって再開され、私がこの世を去るまで続けられることになった。1986年1月28日をもって、予定されていた11年のコンタクトの期限が切れた。しかしこれはあくまでも公式な形でグループや一般にコンタクト記録が発表されなくなったのと、プレヤール人に対して質問などができなくなったというだけで、非公式なコンタクトはその後、今日も、また将来も続けられることになっている。1984年10月31日、13時31分の196回目のコンタクトから1986年1月29日までの19回にわたるコンタクトがプター、クウェッツァル、タリータ、メナーラ、プレヤと私の間で行われたが、健康上の理由からそれを書き留めることができなかった。セミヤーゼは1965年2月から1973年6月までの期間を、ダル宇宙のアスケット民族のもとで過ごし、また当時は宇宙の門を常設する技術がなかったため、私やその他の地球人とコンタクトすることができなかった。彼女がダル宇宙からデルン宇宙のエラ惑星に戻って来た1973年6月に初めて、地球と再びコンタクトすることが可能になったが、彼女はそれを利用しなかった。1973年7月に彼女は、任務のため再び以前活動していた地球にやってきた。しかし、地球上の誰とも実際上のコンタクトまたはテレパシー・コンタクトを行わなかった。1975年1月28日に至って初めて彼女はコンタクトを開始した。相手は私だけで、プレヤール全体から見て現在も将来もそれは変わることがない。地球上のすべての言葉のうちセミヤーゼが話せるのはドイツ語だけであるが、彼女は独特のアクセントでそれを話し、1984年11月に地球を去るまで他の言葉は一切習得しなかった。彼女の活動領域はヨーロッパ全域にまたがっていたが、担当以外の事柄には一切干渉する権限を持っていなかった。そういうわけで彼女は実際のコンタクトもテレパシーによるコンタクトも、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどを通じて私以外の相手は持たなかった、そしてこの事実がプター、クウェッツァル、メナーラ、プレヤ、タリーダその他すべてのプレヤール人についても当てはまり、永久に誰も破ることのできない厳しい規定である。1977年12月15日にもセミヤーゼがセンターで生命にかかわる事故にあい、クウェッツァルによってエラ惑星に運ばれ、そこで死の淵をさまよったが再び蘇生した。1978年の5月にはもう任務のために再び地球に来られるほど元気になった。そのようにして1978年5月20日(第107回コンタクト)に地球に戻ってきた彼女は、1981年3月26日の第144回のコンタクトまでずっと私とコンタクトを続けた。その日から1984年1月まで、彼女は別の世界で他の任務を果たすために再び地球を離れた。1984年2月3日に第191回のコンタクトが行われたが、これは彼女と私の最後のコンタクトになった。しかしそうはいっても、彼女の父を仲介として二人はその後もコンタクトを続けているし、また二度と会えないということでもなかった。最新の宇宙飛行技術が確実に機能するようになったら、彼女を訪ねるためにダル宇宙に連れて行ってくれるとプターが約束した。1984年11月初めに、セミヤーゼは脳虚脱を起こした。それは1977年12月15日の事故の後遺症と思われた。直ちにダル宇宙のアスケットの民族のところへ運ばれたセミヤーゼ、そこでアスケットの友人で高度に進化したゾネール族の医学者の手当てを受けて健康を取り戻した。彼女の脳が完全に回復するまでには70年を要する見込みであるという。そしてその期間セミヤーゼはずっとダル宇宙にいて、休憩も含めて私たちの宇宙へは帰ってこないということ。この脳虚脱によって、彼女のいわゆるPSI力やその素質、習得した職業の多くの記憶が失われ、すべて新しく訓練されなければならない。〇ビリーマイヤーの言葉私は生まれながらの学者ではなく、すべての知識と技術、そして体験を努力によって得なければならなかった。スファートやアスケットなどという良い指導者を持ちながら、どうしてまたこれほどのことが起こったのか。それに対して私が答えられることは、彼らの援助にもかかわらず自分の人生はすべて自分自身で責任をとらなければならず、真綿にくるまれて人生の否定的な面や悪いことから守られていたわけではないということだけである。しかしそのたびに、私も学ぶ道をたどらなければならず、それをおいては知識と技術と体験を積む道が他に無いことを思い知らされた。事実、一生のうちには学び、経験をする機会が非常に多くある。そしてそれらの体験を語ることで、多くの聞く耳を持つ同胞に資することができる。しかしそれを可能にするには本人の性格や態度が荒れ狂っていてはならず、さらに豊かな教養を身につけていなければならない。自らの厳しい努力の末に、また体験の苦味を、身をもって味わった末に得た、すべての危険に対する警告、あらゆる現実に沿った指針は、それを聞く者の感謝を得ることでしょう。経験は人を懸命にし、博識にする。使命を負う者は非常に高い評価の人間的長所や強みなどを持っているが、それはさらに霊的、意識的な法則と掟についての尽きることのない研究意欲や、抑えきれない知識欲と探究心によって補われている。その中には万有の創造と自然に関する事柄も網羅されており、そこから無数の認識、評価、経験が生まれ、さらにそれを通じて新しい知識が形作られる。だが主として霊・創造や物質・意識面に関する知力は、例えば物質的領域の研究者や科学者などに要求される純粋に物質的・頭脳的な探求心と知力とは比較にならない。前者は物質的・知的な向学心と知力よりずっと上に位置し、またずっと優位にある。それゆえに霊の教えを旨とする使命を遂行するためには、それに必要な能力を自らの努力によって得ることが不可欠である。その中から創造と霊的な絶対の真理やその法則、掟を自ら見分け、作り出し、理解する。探求心は実に広範囲にわたる独学的な要素の上に成り立っている。それはすべての人間の逸脱行為、意識的(誤って霊的と称されている)病気、その他、妄想状態の様々な症状、躁病、精神分裂などの研究とその説明、および容赦なくそれらに言及することも含んでいる。使命を遂行する者は、霊の教え、創造の教え、自然の教えそして意識の教えの枠内で、精神と意識に関してすべての必要な知識とある程度の経験を個人的に、またその役柄のうえで持たなければならない。それは精神病に関しての知識と経験が必要であるということを証明している。すべての向学心、知識、体験も人間とその動機に関して、それにふさわしい慧眼がなければ不完全であるばかりでなく、役に立たない。また現実性や思考と意識のうえで自己制御が欠けた場合も同様である。特に自己制御はよく発達し、顕著で、厳しい独学を通じて身につけたものでなければならない。なぜならあらゆる状況下において、自分の思考を常に隅々までコントロールし、守らなければならないから。つまりどんなに小さくても、否定的な思考または感情の振動を同胞に当てないため、周囲に出してはならない。これはすべての人間と物事に対し、状況や生命形態を問わず、常に中立的で偏見のない態度をとらなければならないということを前提とする。この最も必要とされる自己制御によって、周囲や他の生命形態から自分を完璧に守ることができるが、これは一次テレパシーや霊テレパシー、そして知覚テレパシーなどとあわせて、高度の霊形態、例えばプレヤール人のような、地球人類よりずっと進化した宇宙の人型生命形態とのコンタクティとなるための必要条件である。プレヤール人は霊的・意識的進化において地球人類より2000万から3000万年進んでいる。したがって地球人がまだ発達して間もない、やっと習得し始めた一次テレパシーを完全にマスターしている。プレヤール人は霊テレパシーや知覚テレパシーもできるが、それを利用するのは通常一次テレパシーの程度がごく高く、また無限の到達距離を必要とする場合である。それは彼らが、霊的・意識的な構造や創造の法則に従うという面で非常に高度に発達しており、初歩のかなり後期の位置にある地球人類と比べると、進化的に相当上位にあるということになる。これはまた、プレヤールから来たこの地球外知的生命がたいへん高い振動を有し、まだ発達の進んでいない地球人類と比べると極端な対照をなすことを意味する。したがって訓練されていない地球人、またはその他の同じような別世界の人間とは、有形的にもテレパシーを通じても、コンタクトすることは不可能であるということになる。それにもかかわらず、特定の科学者などとインパルス・コンタクトが行われる場合、これはテレパシーを使って行われるが、インパルスを受ける者はそれに気がつかない。プレヤール人が訓練されていない地球上の誰かと、もし身体的またはテレパシーによるコンタクトを行った場合は、地球人の攻撃的な振動によって直ちに危険にさらされ、彼らの肉体、生命、意識、精神に計り知れない結果を及ぼし、私たちがセミヤーゼの例で経験したように死にも至りかねない。一方、プレヤール人の振動に影響されて、地球人が完全に彼らへの依存や隷属症状に陥ってしまうこともある。これは地球上の不調和を実感することによって突然起こるもので、それによって異常な悲しさと気力がなくなるという症状が現れると同時に、突然地球上の正常な振動に耐えられなくなる。それに加えて、すべての創造・自然の法則と掟を満たしたいという一方的な熱望が起こる。しかしそれは地球人が耐えられる限度をはるかに超えているため、精神と意識に救いがたい混乱が起こり、私が使命遂行の過程において様々な人の例で何度も経験したように、ついには自殺または意識・精神の混乱という結果になる。創造と自然の法則と掟を満たしたいという熱望や、創造と自然の調和という抑えがたい要望は、訓練を受けていない地球人にとってはとても対抗できるものではない。なぜなら、地球人は私が述べたような使命を担う者、遂行する者に欠くことのできない特性などをまったく欠いているか、一部、それも極めて乏しいものしか具えていないから。高い振動を持つ調和と均衡、プレヤール人の愛の振動、さらに高い振動や最高の霊形態を中立的に耐えることができ、しかもこれに抵抗なく屈服して地球人の普通の生活からまったく疎遠になり、そのため生活不能になったりしないのは、使命者として訓練を受けたものだけである。そしてそのような訓練を受けた者は、彼らが何度も確認したように、実際、地球上で私一人だけである。ここで述べたすべての事実は、極めて厳しい容赦のない訓練を必要とするものであるが、遠い未来のいつの日か、これらはすべての地球人が具えなければならないものである。この事実は、その霊形態が数百万年にわたる経験と証しによって、前生において同じ使命に携わっていた様々な人物、例えばノコデミオンやヘーノクに対しても極めて厳格に適用された。この人物は自分自身と、高度の霊形態レベルのアラハト・アテルザータによってこの使命のために定められ、またプレヤール人の要請によってコンタクト相手に選ばれ、霊形態の名をノコデミオンといい、アラハト・アテルザータの高度な霊的レベルから物質的世界に戻ってきたこの人物だけが、元来の義務を引き受け、遂行し、文字どおり、使命の目的に従って真理の告知者と名乗る権限を持っている。これらの事実や事柄はすべて各人がより高い進化のレベルに向かう途上で身につけなければならないものであり、本来生命体はそのものの性格の特徴を形成するものであると共に、その本当の人格を形成するものである。真理の認識とその普及。この使命は極めて高度な道徳性と大きな内面的な成熟を要求され、それは霊的かつ意識的な能力についての広範な知識と実行力を伴わなければならない。創造と自然の法則と掟、また霊の教えについての極めて広範にわたる知識は欠くことのできない条件である。さらに多岐にわたる手工業的な知識と技術も必要である。使命や創造とその法則と掟、すべての人類に対する限りない誠実さ、忠実さも根本的な重要性を持っている。これらの特性と並んで、抵抗を排してやり抜く指導力も必要である。そして、絶対に秘密を守ることや信頼性、すべてを包括する責任感、揺るがぬ計画性、ひたむきな努力、精神的な安定性、性格の実直さも必要である。また、創造とその法則と掟、定めや義務、すべての実情に対しても、加えて創造が人間に課したものや、その他の一般的な進化の義務に対する忠誠心が際立っていなければならない。否定的、肯定的を問わずあらゆる状況のもとで、最善を尽くして実行に移すことも同様である。遂行しようとする意志と実行力は、使命にとって欠かすことのできない前提条件である。これは創造や特にすべての生命形態に対する畏敬、また宇宙全体を包括するすべての創造の被造物に対する愛にもあてはまり、宇宙的意識として、また最高の力としてすべてを織りなすものである。これらすべてはなくてはならないものとして、使命の告知者と代行者に求められるものである。さらに闘争に対する変わることのない勇気が必要である。しかし、極めて重要なのは創造の法則と掟を押し通し、まったく個人的な領域でもそれに従って生きられるということ、恐れを知らず、あらゆる人に忍耐、考慮、理解があることである。また感情移入能力が優れているということも大事である。また優しさ、心の広さ、あらゆる面で謙虚であること、そしてすべての価値を認識する感情の細やかさは、あらゆる現象の中に真理を見分けるのに必要である。そしてそのような使命の告知者はこれらすべての資質を持ち合わせていなければならない。私が自分をたたえ、祭りあげ、褒めそやしていると思うなら大間違いである。私は自分自身を決して仰々しく褒めそやしたり、実際より大きく評価したりするつもりなどなく、ただ事実を述べ真理に即するだけである。それは私が使命を果たすことができるということを保証する唯一の事実であり、これがなければ使命遂行は考えるにも及ばないものである。おだて上げにかけても不屈の態度が不可欠である。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2020.07.17

〇セミヤーゼの言葉人間は創造的なるものを知らないため、誤った教え、すなわち意識を隷属させる教派や宗教に惑わされているので、非常に多くの過ちを犯し、間違った場所に真の宝を探そうとして、自然と創造のあらゆる秩序や法則のすべての規則を破る。そのような人間は人間社会の法律をいかに厳密に守ろうとも、宇宙における創造的なるもののあらゆる法則と規則および秩序を破り続け、人間的で物質的な苦しみや不安、問題、恐怖、誤った教え、誤った指導、弱さ、不幸、霊的および意識的な無知、意識的な隷属および制約に囚われる。現実から遊離した教派や宗教、人間的な無知のために、まさに最も価値あるものを把握できない。このような無知と誤った道に導く宗教や教派その他の誤った教えが、すべての価値あるものの源泉、生命の中の生命、あらゆる知性の光、すなわち霊と創造を、人間の目から覆い隠している。だから、日常生活とその経験の全領域を創造的なるものと考えなさい。いつでも、どこでも、あらゆる事物の中に自分自身を見出しなさい。自分自身が万物となって、万物の中に創造的なるものを呼び覚まし、それを認識し経験しなさい。なぜなら創造は万物の中にあり、万物は創造の霊によって生かされているからである。そのため万物は万物において一つなのである。ここで問われるのはもし人間が霊の道を知らなければ、どうやって自分自身を万物と同一視するべきかということ。ただたいていの場合人間は、その肉体を自分自身と同一視している。しかし人間が真理を取り組もうと心がけ、内面的に創造の存在と霊的な現実に合わせればどうなるでしょう。全世界が自ずと本当の霊的な現実と真理へと溶け入る。創造的なるもの、霊的なものの唯一の原理があまねく支配するのである。では、人間はどうしたら自分自身を万物と同一視できるのでしょうか。まず、自分が実際にどのようなものであるか見つめることが必要である。たいていの場合人間は、その肉体を自分と同一視する。人間は自分の肉体を宝物のように大切に取り扱い、養い、献身的に世話をする。誇らしげに安物のがらくたや、くだらない妄想で自分を飾り立てるが、一方で、自分の意識は痩せ衰えさせている。ほんの少し痛いだけで、腹を立て不機嫌に他人に当たり散らし、それどころか嘆き、泣き始め、自分を哀れみ、あるいは自ら命を奪うのである。自分の肉体をわけもわからず偶像視し、虚栄や不安、懸念やプライド、そして様々な問題を纏わせる。何もかもが肉体中心なのである。しばしば物質的な財産を自分の肉体と同一視することさえあり、周囲の人間がうっかりそれに触れると、腹を立てたりする。それに比べて、意識と霊の真理を認識する人間はどうするでしょうか。このような人間は、世界および宇宙のあらゆる事物や生物と自分自身とを同一視するでしょう。創造と霊の英知に満ち、知識、真理、愛と認識に満ちた人間は、過去において万物は真理から生まれ、現在も未来も生まれ続けることを知っている。それゆえ、そのような人間は自分をありとあらゆるものと同一視する。彼はその意識的な存在の深奥において常に万物と一体となるでしょう。彼は自己の深奥において霊的な意識および宇宙の万物と自分を同一視する。その一方、物質的に思考する他の人間は、自分の肉体、金銭や財産と、誤った言葉や教えと、自分の声の響きと自分を同一視するのである。しかし、人間が自分を宇宙の万物と同一視すると、憎しみや欲望を自らの内に宿すことができなくなる。自己中心的な区別をしなくなるから。彼は万物の本質と一体となったからである。他の人間なら何かを自分だけの所有物にするでしょうが、霊的に思考する人間はそのものをその内にある真理と同一視する。つまり、すべてを内面的に所有する。自分と真理を同一視することによって、彼から一切の恐怖が消え去る。それどころか、彼が一体となっているこの創造と霊の真理は、彼に向かって振り上げた敵の手を逸らせて、その当人を打つことさえできる。霊的に思考する人間は保護され庇護されており、自然全体も彼に対して好意的である。そして敵でさえも最後には彼に仕えることになる。敵からの攻撃によって、霊的に思考する人間の中の意識的な理性の力はさらに大きな力へと発展し、邪悪で卑劣で堕落したすべての者を制圧する。結局敵の行為は、意識的創造的に思考する人間の成長と真理の認識に役立つだけなのである。敵は真に思考する人々に災いや、不幸や、良くないことを望む。批判、知ったかぶり、虚偽、中傷、異議、誤った主張、誤った教え、嘲笑、非難によってそうした人々を絶滅できると思っている。しかし、彼らは自分を傷つけるだけ。なぜなら、彼らの行為は自分たちの愚かさと無知の証明であり、そして、創造的に思考する人間はそこからさらに多くのことを学び、その霊と意識はいっそう偉大で力強くなるでしょう。このような真実が、単なる暗示だとでもいうのでしょうか。そんなことを主張するのは狂気の沙汰でしょう。というのもそれは完全な誤りだから。それは絶対的な真理なのである。誤った考えをする者や、誤った道に導かれた者や、宗教に依存する者の場合、その生活はおおむね悪質な暗示、誤った思い込み、謬説や妄想に満ちている。このような害悪を除去する唯一の可能性、唯一の方法は、これらすべての人間的妄想を一切無効にする真理を根本から認識し、それらに従い、そして創造と霊と自然の至高へ物質的意識の力を発揮させること。人間が次のことを確認すれば、すべての非現実的な暗示や人間的な空想は正される。私は創造の一部であり、創造の一部すなわち霊が私に生命を与えていると。創造と霊の力、真理と現実の他は、すべて妄想と幻想であると知ることによって、生命を発展させようとする人間の熱意が減じることは決してなく、むしろそれは予期しないほどに高まるでしょう。真理とみなすことができるのは、現在も真理であり将来も真理であるものだけである。それは永遠に信頼でき、いかなる場合でも決して修正を必要としない。真理は、別の時代や新しい時代に適合させる必要がない。真理はあらゆる時代を通じて不変だから。真理は永遠に同一であり、たとえ言い方は異なっても常に同じ響きを持っている。真理とは、いつの世にもいかなる場所でもその上に構造物を構築できる岩盤である。真理は生命以前に存在し、生命以後にも存在する。短い期間しか存続しないものは危険であり、ひどい欺瞞であり、誤った教えである。創造と真理は今日も明日も常に同一であり、常に変わることなく、永遠に同じ価値を持つものである。その名も形も変わらない。なぜなら、創造と真理は名も形も持たないからである。だから、創造的なるものにしがみつきなさい。創造だけが真理なのだから。真理は創造そのものと同様に不滅である。真理は永遠であり、相対的に完全である。それは人間がすべてのエネルギーを使い、意志のすべてをかけるだけの価値を持つものである。というのも真理は決して人間を欺くことがないからである。だから、真理にしがみつき、何事においても変わらぬ冷静さと喜び、知識と愛、そして強さと英知を持って泰然としていなさい。創造的なるものだけが無限の英知と真理であり、そこには一点の誤りもあり得ない。だから、創造の英知から力を得て、自らの霊と意識の中に英知の光を探しなさい。真の人間は空間内で自分の手を動かさなくても、もう何十億回も創造的なるものに触れることになるとよくわかっている。なぜなら創造的なるものはいかなるときでも、どこにでも遍在しているから。真に現実的な人間は、筆舌に尽くしがたい無限の力に満ちた創造的なるものがあまねく存在し、どこに行こうとも自分を取り巻いているという真理を知るとき、喜びにあふれる。創造的なるものは果てしない平和に満ち、無限の認識に満ち、そして相対的に最も完全なものである。それは、自己の内と外にあまねく存在する至高の霊的意識が繰り広げるあらゆる奇跡の泉である。真の人間の喜びは、霊的生命そのものと同じく無限である。霊的にも意識的にも急速な進化を遂げるために、創造的に思考する人間はあらゆるものを創造的とみなす。彼は何かを見るや否や、そこに創造的なるものを見出す。彼が見ているあらゆる事物の背後に、またそれらの現象形態そのものの内に、常に創造的なるものがある。だから創造的に思考する人間は、至高の経験を手に入れようとして、あちこち走り回る必要がない。認識と経験を積むには、今いるところが常に最善の場所なのである。霊と意識は彼自身の中で育まれるのであって、どこか別の場所で育まれるのではない。彼は自分自身の思考と行動を通じて、霊と意識を育まなければならない。これを認識することによって、その考え方は聖なるものとなる。彼とともにある万物も、足下の土でさえも聖なるものとなる。創造的に思考する人間は、創造と自己の内部に宿る霊を経験すべき時を未来に見るのではなく、今この現在に見ている。それによって彼は、意識の貧しい普通の人間にとって遠くはるかな未来に生きているのである。が、多くの場合、それは全く理解されない。真に創造的に思考する人間にとって時とはいつかではなく、いつもこの現在を指すのである。真理を見るために、彼に肉眼は必要としない。彼は自己の内部を探求し始める。すると真理は彼にとってますます現実的なものとなる。なぜなら彼の物質的意識に代わって彼の霊がこの現在においてすべてを観るからである。基本的に地球人の間では心霊術が非常に盛んに行われている。でもそれらは非常に素人っぽく、取るに足る知識や成果はない。いわゆる心霊治療の99.7%以上は詐欺、自己欺瞞、ペテンによるものである。全く意図的に誤ったことが主張され、それが魔法めかしたトリックで強調されている。極めて多くの場合、自己欺瞞が見られる。なぜなら心霊術者は、あの世の存在者や死者が自分たちの呼びかけに答えると思い込んでいるから。そのような種類の霊媒師はテレパシーによる潜在意識の波動に対して非常に敏感であり、その能力によって他人の潜在意識や記憶のデータバンクとつながり、過去や未来の出来事を経験する。内情を知らぬ人々や無知な人々は、霊媒師が本当に霊媒能力を持っていると信じている。だから彼らは霊媒行為によって、自分自身や親戚やあるいは自分でもとうに忘れて思い出せない他の人のことについて語られるとよくびっくりする。無知で非論理的な人間は、単なる口寄せも本当の心霊術も行うべきではない。それらは第一に、意識の混乱が生じる恐れがあるので、実施する人間にとって、精神的、意識的に非常に危険である。第二に、彼らはありとあらゆる可能性によって騙されたり、茶化されたりする。でもそれは死者によるものではない。死んだ生命体があの世の境域においても総意識体の形で持っているのは、自分が物質的な世界で集めた知識だけである。もしこの死んだ生命体を物質的な世界から呼び出せたとしても、その生命体はまさに自分が物質的な世界で習得したことしか説明することも語ることもできないでしょう。とりわけ宗教的ドグマや狂気は、最も重大な要因となる。死んだ生命体が出現するのを見たとかその声を聞いたとか称して、再三再四、生きている者を惑わす。なぜかと言うと、人間の物質的な思考に含まれている狂信的宗教的な要素が、多くの場合人間の人生において支配的な役割を果たしているから。多くの死者はその存在が呼び出されることに納得しないでしょう。だから呼び出されていたとしても、生きている者を悪質なやり方で騙す。多くの死者は悪意をもって茶化し、偽りの予言をするでしょう。でも、そうした予言は的中することもあるでしょう。無知な人間はそれを信じ、まるで磁石のように事件を引き寄せるから。ところで、真の形態の心霊術もあるにはあるが、それをなし得るのは私たちが知る限り4人だけである。しかも彼らは自分たちの能力を隠している。けれどもこの形態において呼び出されるのは死者ではなく、より高次の存在者や他の境域の存在者である。それらは往々にして意識の面で非常に高度なレベルまで発展を重ね、多くの誤った教えを離脱して賢者となった。そしてこれらの霊形態もしくは存在形態は、まだ生きている者のどんな質問にも正しく答え、決して騙したり茶化したりしない。根本的に言えば口寄せなどの形態の心霊術は、何よりもまず死者にとって望ましいものではないでしょうし、生きている者には何の益にもならず、凶事しかもたらさないのが真相である。すでに言ったような偽の形態の心霊術まがいも同様である。だから人間は決して死者に呼びかけようとしてはならない。それは全くのナンセンスであり、意識障害を起こす恐れがあるから。この、人を惑わす邪悪な偽心霊術を禁止するだけで、あなた方の世界から非常に多くの困窮や悲惨が取り除かれることでしょう。価値があるのは高次の形態の心霊術だけであり、この場合は死者ではなく、より高い霊の境域や高度に発達した存在者に呼びかけたり問いかけたりできる。先ほども言うが、地球には現在(1975年6月16日現在)そのようなことができる人間が4人しかいない。いわゆる全欧州圏には、現在この4人の真の能力者のうちたった一人だけ住んでいないが、その名前を挙げることはできない。もう一つ知っておいてもらいたいのは、すでに一度話したことのある宇宙の変革に関すること。要するに水瓶座時代のことで、これは黄金の時代とも言われている。まず、最初にはっきりさせておかなければならないのは、この時代に関する宗教的な解釈は絶対に事実ではなく、故意に誤って解釈したものだということ。水瓶座時代が宗教的に告示された終末の時代だという主張の背後には、無責任な狂信がある程度潜んでいる。決して、この新しい時代は終末の時代ではない。この時代こそ真に現実的な生命をもたらすのだから。この時代になって初めて、すべてが最高の水準に引き上げられ、自然の摂理に従って霊および意識を発展させることが可能となる。でもそうなるには、この時代が始まってから数百年もかかるでしょう。この時代本来の真価が発揮されるのは、2029年2月3日中部ヨーロッパ標準時の11時20分からである。しかし、新時代がもたらす変革の力はすでに1844年2月3日から始まっており、それ以来地球ではすさまじい変化が矢継ぎ早に起きている。新時代は犠牲も強いる。宗教的狂気、コンピューター技術やその他の技術、宇宙航空技術、遺伝子技術およびすべての科学の急速な発展、犯罪の激増、絶滅戦争など、これらはこの時代特有の典型的な現象である。水瓶座時代への過渡期の前半は1844年から1937年まで93年続いた。この間に地球は、魚座時代の一番外側の放射域へと脱した。1937年2月3日、中部ヨーロッパ標準時の11時20分に、本来の水瓶座時代への過渡期後半が始まった。この日から、急激な革命的事件、発明、発見、戦争や暴動などが日常的に相次いで起こった。他の時代にはないこと。しかしまた水瓶座時代の始まりとともに、真に霊的で意識的な生命の始まりも保証する。地球の太陽系全体とそこに生息する無数の生命形態は、この新時代の影響を受けることになる。ありとあらゆるものがその影響を受ける。なぜなら、それが宇宙の法則だから。全宇宙のすべての惑星の動きとあらゆる生命形態を支配するこの法則によると、地球は宇宙の様々な出来事を経て1844年に新しい時期に入った。この時期には、創造と自然に由来するものを除き、それまで存在し効力を発揮していたすべての秩序が進化に伴って変化したり消滅したりする。新時代の訪れとともに、地球人によってつくられ、それまで効力を持っていたあらゆる秩序が立て直され、変更され、進化し、変化し、あるいは廃止される。このような画期的な変化の起源は、私達が中心太陽と呼んでいる巨大な中心星の放射線領域にある。地球の太陽系もしくはゾル太陽系はこの中心太陽の回りを25860年かかって一周し、あなたがたの言う横道十二宮に相当する十二の時代を通過する。地球もしくはゾル太陽系は、銀河およびその中心太陽を約3億1800万年かけて一周し、すでに銀河系中心太陽の黄金の放射線の外側の縁に進入したところである。それは全銀河領域で変化や変動をもたらす最も強力な放射線である。水瓶座時代は、この放射線にちなんで黄金の時代とも呼ばれている。それは巨大な進化をもたらす革命の時代、新しい時代、偉大な時代、奇跡の時代なのである。しかしそれは多くの災禍も伴う。特に宗教の面で、および新しい発見や成果の応用の面でそうである。地球人は数百年を経て初めて無分別と無思慮に打ち勝ち、すべてを創造と自然の法則に従って整えるでしょう。水瓶座時代は、偉大で刺激に富んだ時代なのである。この非常に高貴な黄金の時代はその後の時代にも作用し、通過する横道十二宮すべての時代に影響を及ぼす。この黄金の時代に人間は自然な霊的で意識的な進路を見出すが、そこに至るまでには幾多の混乱を切り抜けなければならない。無数の人間が教派や宗教に惑わされて命を落とし、悲惨な最期を遂げるでしょう。しかし宗教や教派の誤った教えを逃れ、霊の真理と知識と英知の中に身をおく者は幸福になることでしょう。地球上ですさまじい革新が起きるでしょう。知性のみが尺度となることはなく、霊の知識と霊の能力がはるかに重視されるでしょう。霊的なるものの高い領域を感受し、これと調和を保って歩んで行けるほどには、霊と意識が充分に発達していないものはすべて、抹消されて取り除かれる。なぜなら、それはあらゆる形で生命をむしばみ脅かすものだから。すべてが頂点を極めたとき、霊を妨げるものや霊を隷属させるもの、意識を妨げるものや意識を隷属させるものはすべて破壊されるでしょう。その筆頭に挙げられるのは宗教と教派である。それらは意識とその発展を最も邪悪な形で抑圧するものだから。新時代の到来により、純粋な陰の力と純粋な陽の力はすべて地上から一掃され、それによって健全で中立的な均衡がもたらされうる。この変革の道を切り開くものは、宇宙の法則、万物を生み出す創造と自然の法則である。
2020.07.11

地球のような経済システムはない。皆地域社会に貢献しているので、物質的資源を共有しながら利用する。人的資質についても、自己の潜在能力を100%顕在化できるように励まし合い、その能力を社会に役立てることで生活している。プレヤールでは全てのものが自給自足でまかなわれている。地球人ほど金銭を追い求めている種族はいない。物質的なものを所有するために仕事をしたり何かを達成することは、貪欲さ・憎しみ・比較・怒りなどを生む原因となり、本来生きる目的であるはずの霊的成長の道から外れてしまう。プレヤールではテレパシー能力を備えているため、お互いをだましたり誤った方向へ導くことは不可能である。その能力のおかげで、彼らの環境は真実と誠実さで満たされ、貪欲さや権力欲などのない世界はいっそう喜びにみちたものにしている。プレヤールの文明社会で数千年にも及ぶ戦争に終止符を打つきっかけになったのは、アンドロメダ星雲に存在する高次に進化した種族との偶然の出会いだった。彼らは物質的生の最後のレベルを生きている時代であった。その種族は当時プレヤール人の霊的進化レベルを遥かに凌駕していた。創造の法則についても殆ど学び終えていた。アンドロメダ種族はその時まさに、物質感覚器官に依存する進化レベルを超え、最終的には唯一自己の霊として意識にのみに頼る毎日を送りながら、他者と関わり合うという究極的な進化レベルに移ろうとしていた。彼らを見たプレヤール人たちは、アンドロメダ高等種族の助言に従い、彼らの提言通りに行動しようと決意した。そして長い戦争の時代を終え、平和が訪れた。現在プレヤールには高等審議会を設け、委員にはプレヤール人よりもずっと進化した霊的種族も加わっている。審議会の委員たちは、アンドロメダ高等霊たちの叡智の意味を理解し、そこから得た情報や知識をプレヤールの4つの惑星全体に広める役割を担っている。自分達の生き方を左右する法を決定する権限を持つ審議会には、プレヤールの全市民が参加することになっており、法の可決は全員の意思に基づいて行われる。違う点はどんな法案を可決される時も、投票方法は地球と同等であるが、賛成票の占める率が地球よりも遥かに高いこと。プレヤール人はアンドロメダ星雲内の種族を含み、銀河系種族も含んでおり、総数は1,270億人にも上る。プレアデス星団では、各惑星の政府はそれぞれ独自の中央集権制度をとっているが、審議会の構成員は半霊半物質的生命や准霊的、あるいは准物質的生命、つまり膨大な知識を備えた人間型生命である。非常に高次で純粋に霊的な存在とコンタクトして、必要な助言を仰ぐのがこの審議会である。連合の目的は巨大な宇宙船を活用して、宇宙の一定地域を取り締まり平和を維持することにある。ダル宇宙は銀河系の宇宙のすぐ隣に位置している。ダル宇宙人はゾナーと呼ばれる種族で、霊的進化レベルがプレヤール人より更に4000年進んでいる。通常は宇宙船など一切使用せずに目的地に移動する。特に医療技術には目を見張るものがあり、脳みそを人工細胞質で再生することも出来る。物質的な機械は一切使用せず、霊意識のみですべてを処理するようである。食物は地球と同様に田畑で作られるが、植物は彼らの集合意識に影響を受けて成長している。沢山食べないうえに、少しの食事で長時間空腹にならない。彼らの惑星の人たちは食べ物が思考過程に与える影響について科学的に非常によく理解している。食事は栄養価の高いフルーツジュースや野菜、食用肉はウサギに似た動物からである。子供に対して寛容であけっぴろげな態度をもって接する。地球人のように子供を自分たちが作ったのだから、自分達の所有物であるとは考えない。だから地球人のように親の価値観の鋳型に子供を押しつけたりしない。生まれてくる前から既に、子供の転生目的を知っているので、何になろうと期待もしない。ただ子供の成長を見守り、成長に必要な最低限の手助けをするだけ。全ての人間が過去生を持ち、そこからそれぞれの知恵を携えて現世に生まれてきた存在として、自分たちの子供を認識できるようになれば、人間は異なった適性や素質を持ち、知性や知識に差がある理由も理解できるようになるはず。我々はみな独自の発見や学びの道にあり、成長し続けるために必要な知識や情報の種類、タイミングもそれぞれ異なっている。異なった事柄を異なった時期に学んでいるという事実を踏まえれば、一つの問いに対する考え方も様々であることを意識する必要がある。プレヤール人は子供を共同体の共有と考えているので、自分の所有とは考えない。彼らは、誰の子供にも注意と愛情を注ぐし、大人同士お互いに手助けしながら子供を育て学ばせていく。新たに誕生した子供は、情緒面と精神面で必要な手助けを受け、外部からのネガティブな影響に晒されないよう保護される。ネガティブな影響からの保護は、子供が自分の力で学び考え、理解して物事に対処出来るようになるまで続けられる。生まれて10年間は自分が誰であるかを学び、自分が進むべき成長への道がどのようなものであるかを理解する。子供たちは大人の助けをかりて、自分の生の意味と目的を理解し、外界に出て様々な物事に対するための準備を整える。この自己発見の学習が終わると、次の70年間は20の専門知識を学習する。この70年間の専門的学習期間が終わると、彼らは1日4時間働き、あとの4時間を創造性と霊的成長の最も適当なバランスを学ぶ。プレヤール人やその同盟に属する者たちはそれぞれ、唯一の国家・唯一の政府を有し、それが秩序維持と最高法院が与える提案の執行機関としての機能を果たしている。最高法院は同盟に属する惑星に本拠を置くのではなく、半霊・一人称複数の形態を持ち、約220万光年離れたアンドロメダ領域に存在している。半霊形態の最高法院は膨大な知識と、それにふさわしい英知を持つことから、プレヤール人と総人口1,270億人に及ぶ同盟諸国から最高顧問として選ばれた。その最高法院という名称がすでに示すように、この議会は極めて重要な提案と助言を行うが、それは決して命令ではない。イシュヴィシュを通じて各々の民族の統治機関に伝達されるこれらの助言は民衆に提示され、それに従うかは各人の自由である。しかし通常、各民族や民衆はこれが価値の高い指針であると認識するので、最高法院の提案に全面的に従う。これが可能なのは、人々が創造・自然の法則と掟をすべて学び理解し、それに忠実に生きるほど高い進化度に達しているから。そうしたことは地球上では当分、実現不可能でしょう。なぜなら地球上ではいまだに人が作った法則や掟、条令、規則や規定によって秩序が保たれているから。そのため、地球人にとっては、プレヤール人やその同盟のような行政形態は、まだ非現実的であり幻想である。地球人類のような意味での政党や政治家はここには存在しない。それに代わるものとして、各惑星あたり2,800人の霊的指導者がいて、彼らが惑星の中央行政機関を形成している。この機関は最高法院と連係し、また他の世界の民族や政府との連絡もこなしている。さらにそれは2万8,000人の霊的指導者に最高法院のすべての活動と提案について情報をもたらす。また彼らは直接民衆と接触し、教え、世話をする大勢の霊的指導者に、その知識と情報を伝える。彼らは自分たちに与えられたすべての手段を用いて霊的、意識的な人類の発展を図り、それによって、進化の程度に極端な差がある地球とは違って、民衆一人残らずほぼ同じ進化の段階に達するように促す。このことは先に述べた最高法院の提案という行政形態が効果的に施行されることを保証し、全員が最高法院の提案をごく自然に価値の高いものとして受け入れ、自己の判断でそれを守り、意固地な反対者などが現れるのを防いでいる。地球から見えるプレアデスというのは、牡牛座にある散開星団のことである。私たちの惑星からは、視界が良ければ星団を形作る300個の星のうち、中心部にある約7個を肉眼で見ることができる。プレアデスは全体的には直径約7光年の星団で、地球からの距離はおよそ420光年である。プレアデスの星は比較的若く、プレヤール人によれば、その星齢はおよそ6200万年とのこと。星団の周りをまわる生息可能な惑星はなく、どのような形態であろうとも何らかの生命体を擁するには適していない。従ってそこにはいかなる形の植物、動物、人間、霊形態も存在しない。プレアデス星団のうちのいくつかの星を取り巻く数少ない惑星は、不毛で生活に不適であり、親星と同じようにまだ半分太陽である。親星は熱く青い星であるか、太陽である。すべて極めて若いが、短期間のうちに再び消滅することから高齢に達することはない。プレアデス星団の周辺には、数百万年昔に発生したガス雲の名残が今もなおみられる。星団の属する牡牛座(ラテン語:Taurus/略号:Tas)は広大な広がりを持ち、人類が名づけた最初の星座である。5000年以上昔、この星座は地球上で特別な意味を持っていた。つまり春分点がこの星座に位置していた。牡牛座も動物としての牡牛も、知り得る限りのほとんどの高度な文化において、西暦紀元の始まる前から賛美され、崇拝されていた。この星座には最も有名な星が存在している。すなわちプレアデス、ヒアデスそして蟹星雲であるが、星座の名前そのものがこの特別な宇宙領域を強調するにふさわしいものと言えよう。星座の首星はアルデバランといい、およそ68光年の距離にある巨大な星である。この星は長い周期をもって変化し、その直径は太陽の36倍もある。中核部にあるプレアデスの動く星団は時速14万4,000Km、すなわち秒速40kmで宇宙を移動している。青みがかった銀色のガスまたは物質からなる星雲は、プレアデスのほとんどすべての星を包み、背後にある星から発せられた光を反射するところから反射星雲と呼ばれている。蟹星雲は西暦1054年に地球から観測された星の爆発の残骸から成る。しかしこの爆発が実際に起こったのは、1996年からさかのぼって4442年前のことである。約5億年の星齢をもつヒアデスもプレアデスと同じように生物の棲めない星である。プレヤール人の故郷である母星は、地上から観測でき、我々と同じ時空層のプレアデス星団にあるのではなく、さらにそこから80光年先に位置し、地球からざっと500光年離れたところにある。またプレヤール人の故郷の惑星は私たちが生息する層より、時空的にみてほんの一瞬、未来に向かってずれたところに位置している。この異なった時空層には、生物が棲むことができる様々な惑星が集まった星団である。全部で10個ある惑星のうち、タイゲート太陽系にある4個は人間が住むことができ、彼らは自分たちの星団をプレヤーレン、住民をプレヤーデンそしてプレヤーディヤと呼ぶ。その理由は、我々の時空層にあるプレアデス星団から遠からぬ所に生活しているからである。すべてのヘーノク系の後裔と同じように、彼らは自分たちの次元の異なった生活環境においても、その他の星座や一部の惑星の名称をそのまま維持している。そういうわけで少なくともプレヤール星団の星や太陽を、我々の次元のプレアデス星団にある太陽と同じ名前で呼んでいる。プレヤールにおける地球に最もよく似た惑星はエラと呼ばれている。60億光年の距離にわたる宇宙を結ぶプレヤール同盟の管理惑星でもある。彼らの祖先はプレヤール人が我々の次元に入ってこられるように、およそ5万2000年前に我々の次元のプレアデス領域に次元の門と称するものを作った。それ以来、彼らは自由に次元間を行き来できるようになった。この次元の門はまた情報伝達の経路としても使われ、これによってプレヤール人は、常時二つの異なった次元間の通信を行うことができた。彼らの通信信号は、霊的エネルギー源を用いた人工的・工学的なもので、ほとんど無限のスピードで伝達できるため、数十億光年離れた目的地に向かって発信されたものも一瞬のうちに届く。同様な通信システムは別次元の同盟に属する惑星にも、さらにはダル宇宙のアスケットの民族や、そこに住むプレヤール人と同盟を結ぶか、友好的関係にある他民族にも存在する。この目的のため、5万年ほど前に両方と姉妹関係にある宇宙にも次元の門が設けられた。プレヤール人の故郷の惑星では、サラートと呼ばれる統一の言語が話されている。言うまでもなくその他の言語も存在し、また様々な方言もある。さらに同盟全体の意思疎通をはかるために、ザムテーとよばれる共通語または同盟語が作られた。プレヤール人はこの言葉を子供の時から第二母国語として身につける。この二つの言語はそれぞれの民族の本来の母国語とならんで学ばれるが、同盟内で話される言葉の総数は12万7,603に達するという。現在、プレヤール人が使っている文字は、遠い昔にその起源を持つもので、それについてセミヤーゼは「私たちが今日使っている文字は、1万1000年ほど前にあなた方の住んでいた祖先から受け継いだものである。私たちの古い文字はたいへん複雑であったが、現在のものはたいへん簡単である。これは当時、地球上にいた私たちの学者たちによって、地球から見える星座を原型にしてつくられたものである。特定の星座をこれと結びつけて定まった形を作った。私たちの文字が、小さな〇と線でできているのは、〇が星を示し、線はそれを結びつけている。文字の知識を持つ地球人が、私たちの祖先からこれを受け継ぎ、変形し、数百年使った後、地球上では忘れ去られてしまった。私たちの文字の名残は、今ではほんの少数の地球人類の文字(例えばヘブライ文字)に変形されて、ほとんど見違えるばかりになってしまったものが残っているだけである」こう語った。プレヤール人は大昔から、現在地球上で一般的な慣用となっている数字0~9までを使った十進法を採用している。むろんプレヤールの数字は、現在地球上で多く使われているインド数字から発達した数字とは違った形をしている。今日一般的に使われている数字は、アラビア十進法の10個の数字に相当するが、インドから数字を受け継いだのはアラビア人であった。その後10世紀にカラロニアで西アラビアのゴバル数字から作られた数字は、ゲルベルト僧(後の法王ジルヴェスター)の計算石を通じて西洋に紹介されたが、当時、数字には0がなかった。この西アラビアの数字は、現在も使われている東アラビアの数字より、手本となったインドの数字に近いものである。私たちが現在地球上で使っている数字と十進法は、究極的にはプレヤールにその起源をたどることができる。というのは大昔、彼らの先祖がインドの数学的な才能を持つ者にインパルス・テレパシーを通じてこれを伝達し、それを後にアラビア人が数式や十進法として引き継いだから。なおインド人自身は独自の数字を開発したため、プレヤールの数字はあまり使われることがなかった。プレヤール人は30もの異なった学問分野や職業を身につける者も少なくない。しかもその多くを、通常1000歳の平均寿命をまっとうするまで実際に役立てることも珍しくない。彼らはまた、霊的、知能的な面での進化を進めるにあたって、バランスのとれた知的、肉体的活動のみが生活に不可欠な均衡をもたらすことを知っているので、あらゆる手先を使う仕事の必要性を重視している。このような理由から、知能的活動との釣り合いをとり、またはそれを補うために、毎日少なくとも2時間、あらゆる手工業的・肉体的活動が行われる。これに関する比較としてクウェッツァルは、大多数の地球人は霊的・知能的の発展のために平均11時間の手工業的仕事をしなければならないのに対し、プレヤール人はわずか2時間で充分である、と説明した。地球人類は知能面の発達において、現状以上の余暇を楽しめるほど進歩していないにもかかわらず、労働時間の方はますます短縮されつつあるというおかしなコントラストを示している。キーボード入力、医療活動等々も手工業的活動に含まれるが、それらは同時に意識の面での仕事でもある。勉学については、教材の量と難易度が手工業的・肉体的仕事の必要度の目安となる。なぜなら、教材の量と難しさが大きければ大きいほど、肉体的活動の必要性が増すのである。それを考慮に入れてすべてのことが充分に満たされれば、学習能力も上がる。それは手工業的活動が意識と精神と肉体に沈静と、ある意味での均衡をもたらすから。プレヤール人は鉱物性、植物性、そして動物性の生産物を食料とし、バランスのとれた分量を心がけている。彼らの食べ物は果物と野菜を中心とするが、純粋に菜食主義的な食事は否定する。なぜならそうした食事は思考の働きと意識面における反応力が正常で健康な枠を超え、肯定的な意味で常軌を逸するようになるからである。そうなると健全な批判力が失われ、シリウス人がそうなったように、現実と非現実を区別できなくなる。植物性の食べ物と果物の不足、つまり動物質食料の過剰はちょうどそれと反対の結果を招く。思考と反応力が緩慢になり、一種の癇癪の発作と制御できない粗暴性を引き起こし、それは往々にして望ましくない。無分別な攻撃に発展する。プレヤール人は果物も野菜も、また肉、バター、チーズなどの動物性食品も拒まない。これらの物は地球人と同じように彼らにとっても欠くことのできない物であり、そのため彼らは牛などを飼ったりしている。但し牛は乳製品のために飼われ、殺して肉を食料にされることはない。動物が食料のために殺されるということはやむをえない場合だけであり、それもウサギや鶏などの小動物だけである。それだからといって、プレヤール人は肉製品が食べられないというわけでなく、彼らの献立には様々な肉料理が供される。しかしそれは動物を殺さないという、前に述べたことと相容れないのではないかという疑問が出てくる。答えは簡単である。生活に必要な食料用の肉は人工的に製造される。細胞培養による高速製法で一個ずつ培養したり、いわゆるマルチ複製機を使って複製したりする。そういうわけで、プレヤール人が動物を一匹も殺さないで、彼らの食肉需要を、いわばベルトコンベヤー上で製造することを、地球上の人間は不思議がることはない。それでも、動物性の食料品が少なくなったりまったくなくなった場合は、それは同等な要素を持つ植物性や動物性の素材で代用することができる。しかし代用物質を動物製品でいつか再び調整しなければ害が現れるので、それにも限界がある。単に肉体的な影響だけに限ってみても、成人(地球人も含めて)は比較的長く偏った純粋の菜食に害を受けずに耐えることができるが、子供や青少年はそうではなく、短期間のうちに成長障害やその他の好ましくない現象を引き起こす。太古、地球に住んでいた現在のプレヤール人の直接の祖先は、ありとあらゆる動物や植物を私たちの世界から彼らの惑星にもたらしたが、なかでも彼らが開墾した耕作した主惑星であるエラには、多くのものが移植された。その結果、そこには今日地球上に生えているすべての植物が、他の世界から移植された植物と並んで育っている。人々の日々の食料としては果物と並んで穀物、ジャガイモ、液果、そしてあらゆる野菜が栽培されている。これらすべての食料はしかし地球上にある同類とは比較にならない。プレヤール産のものと地球産のものとではたいへんな差があり、エラの木の実、液果、野菜、果物などは地球のものより栄養価が高く、渇きを癒し、美味である。それらの木の実、穀物、液果、野菜を食べると空腹感やのどの渇きが癒されるだけでなく、本当に長い間満足感を味わうことができる、食料が乾燥食品や貯蔵用食品として特別な形に加工されると、90時間にわたって空腹感や渇きを癒す。様々な果物や野菜、液果などの香りは地球人が慣れているものより強いだけでなく、すべてのものは色がずっと鮮やかで、濃く、強烈である。一例をあげると、地球上では自然の緑がしばしば薄汚く灰色がかって見えるのに対して、エラではそれは見た目にもきれいで、濃い緑をしている。第一の理由としては、エラでは空気が全体にきれいであるのと、地球上のように有害な毒物を含んでいないから。そのうえこの惑星ではロボットのお陰で、樹木や植物、花などが正しく扱われ、育成され、世話がなされている。主惑星エラでは、普通の園芸や果実の栽培と一般の農業の他に、地球人には想像もつかないような大規模な栽培が行われている。これはロボットも使われているが、人間も一緒に働いているのは言うまでもない。ここで行われるのはごく特別な植物や樹木の栽培である。この特別な植物栽培は、この目的のために作られた巨大な温室で行われ、植物はそれぞれに合わせた環境の中で育てられる。それらの植物自体も信じられないくらい大きく、巨大植物と言わなければならない。例えば、そこで培養されたトウモロコシの茎は18mの高さで、それに長さ2.2m、直径20~25cmの実がなっていた。その他の様々な植物と並んで私が見たペパーミントは15mもの高さがあったが、それに比べると地球上のものは極めてみすぼらしく見える。このような巨大植物の中で最もスケールの大きなものはリンゴ、ナシ、サクランボなどで、120mもあるものが高々とそびえ立っていた。そこにはまた南国の果物、例えばオレンジ、グレープフルーツ、ナツメヤシ、イチジク、バナナもあり、果物はいずれも巨大である。私がマンモスリンゴと呼ぶそれは、大きなカボチャほどの大きさに育ち、重さは20~30Kgもあった。バナナ一本はざっと見積もって50cmくらいの長さで、オレンジもリンゴなどと同じように大きなものであった。しかしそのような巨大な果物は普通の家庭では使うことができないので、例外なく工業用に加工され、食料が不足している他の世界に輸出される。何らかの代償もなく援助をするという唯一の目的のために、このような巨大な植物が栽培されている。特別な温室で栽培される巨大なサイズの野菜、液果、ジャガイモなども、また直径が優に1mもあるキャベツや地球上のザクロほどの大きさのラズベリーに似た果物も、同様である。遺伝子操作によって過剰な品質改良や巨大栽培などが行われたにもかかわらず、果物、液果、野菜などは普通栽培のものと同じように良質で発育が良く、香りが豊かである。プレヤール人も様々な家畜を飼っているが、これらは安全にその種に適した飼い方をされ、人間の住まいで飼育されることは決してない。動物は感染や病気、悪疫を媒介するので人間が住む住居には入れない。このような理由からエラ人たちのところでは、すべての動物は人間の居住する場所の外に特別に設けた柵の中で飼われている。またその際、そのような柵の中で飼われても本来の生き方を束縛されないような動物だけを飼っている。野生動物で、例えば人間が飼育するにはとうてい無理な、たいへん広い場所を必要とするようなものは、決して捕えて柵に入れたりしない。飼育されるのは必ず家畜として人間に慣れ、与えられたスペース内で生きられ、自由と生き方を束縛されない動物だけである。家畜はすべて甘やかされたり、家族の一員とみなされたり、また扱われることはない。つまり、動物をなでたり、くちづけしたり、人間の住む部屋や、さらにベットなどに入れたりすることは厳禁とされている。プレヤール人はこの規則に反する人は自分の健康を著しく危険にさらすだけでなく、そのような規則違反はまったく自然に反した動物の飼い方であり、このうえない動物虐待になるし、また退化につながると説明する。そしてエラには誰一人としてこれに違反する人はなく、プレヤール人は一度でも動物に触れた場合は、別な物とりわけ他の人間に触る前にまず徹底的に手を洗う。地球人と同じくプレヤール人も姓を持つのが普通である。しかし彼らの姓は地球人の場合と異なった形態を持ち、またその起源も異なっている。婚姻の際、名称はどのように扱われるのかについて大型宇宙船司令官であるプターによると、このことは我々の社会では法律によって定められており、それによると、妻とその婚姻で生まれる子女は、常に夫または父の姓を名乗る。このように規定する理由はただ一つ、親等(親族関係の親疎を示す等級)や血脈における混同を避けるためである。ずっと昔に我々の先祖は、妻が旧姓を名乗るだけでなく、子女にもその姓を引き継がせたため、信じられないような多くの災禍や混乱を経験した。ちょうど昔のユダヤにおいて、ソドムとゴモラの両都市が近親 相姦の巣窟となり果てたように、多くの近親結婚が行われたと説明した。人間の形態を持つあらゆる生命体は、財産・地位・肩書き・知名度などの有無にいっさい関係なく、同等な価値がある。人間は、誰でも同じように扱わなければならない。プレヤール人はこの原則に従って生きており、そのためにずいぶん前から、一人ひとりの呼びかけに差をつけないように、お互いに親しみのある平等な二人称と、一人ひとりに付けられた名前で呼ぶようにしている。これは見たことのない他人にも適用される。したがって挨拶のときにまったく差がなく、すべてが極めて簡素化され、礼儀作法の規範にかなっている。ある種の変革や昔から身に付いた習慣を新しいものに置き換えるとき、往々にして何百年、何千年もかかるため、残念なことにこの呼びかけの形式は同盟のすべての住民たちの間に行き渡っていない。なぜなら、昔から習慣が人々にあまりにも強く染み付いているから。このような理由から、親しみのある呼び方はエラ民族の間でもまだ100%浸透しておらず、特に一般の市民たちが、例えばイシュヴィシュと会ったときなどにそれが見られる。プレヤール人の間でも基本的な革新が一般人に行き渡るまでには、相当の時間がかかる。そして、地球外知的生命の平均寿命が地球年齢にして1000歳であるということを考えると、古くから身につけた習慣を変えるのに、しばしば数百年もかかるということも理解できるでしょう。特に年取った人が何百年もの間、ある習慣に愛着を持っていたのであればなおのこと。プレヤール人は挨拶をするときに、西洋で通常するように手を握り合って振ったりはしない。右手を挙げ、平らに伸ばして心臓のところへ当てながら、相手に敬意を表しつつ頭と上半身を軽く前に倒す。これが彼らの挨拶である。場合によっては抱き合うこともある。プレヤール同盟のセンターである惑星エラのいくつかの大きな都市には、数階建てのアパートなどはあるが、いわゆる高層建築とか摩天楼などの、人間がすし詰めにされて生活するサイロ状アパートなどは存在しない。アパートの建物の間には広々とした公園や庭園などがあり、そこには清潔な散歩道が設けられている。また中心部には整備の行き届いた、人や物資を運ぶ飛行体の離着陸場があり、それらすべては公の所有物であるから、誰でも必要に応じて使用することができる。プレヤール人は陸上交通機関をまったく使用しないため、道路は一切存在しない。住宅地帯全体がすべて歩行者道であり、騒音や交通渋滞、また排気ガスなどによる環境汚染も見られない。大多数のプレヤール人は都市よりも、郊外の緑地帯または田園地帯に住むことを好む。彼らの住居は少なくとも直径21mはある半球形または球形をした一戸建ての家屋である。主な建材としては非常に堅牢な金属合金またはシリコンに似た合成樹脂が挙げられる。これは土壌、つまり主として砂から得られる。一戸建ての家屋は、それぞれ個別に肥沃な土地に建っており、その面積は通常1ヘクタールである。共同生活者ならびに家族は、できる限り自給自足を心がけ、各家庭は公共の供給網に頼らない、独自の水とエネルギー供給源を持っている。自分たちの需要を満たすために家族または共同生活者は、この土地に自分たちの果物、野菜、ハーブ、花などを植えて楽しみながら耕し、育て、手入れする。総じて、自然な食糧品栽培にあてられる肥沃な土地は、開墾され耕作されている。個人住宅は5人家族が生活できる構造を持ち広いが、一人の母親が生む子供の最高数は3人と助言的に公布されているため、それ以上の人数には不向きである。これも最高法院の提案であり、他のすべての提案と同じように守られている。平和を保つなどの理由から両親はパートナー関係にある、または結婚した子女と同じ所帯に暮らすべきでないという規則も一貫してよく守られている。義父母たちは隣接する土地に自分たちだけの一戸建ての家を建てて住むことができるが、子女が結婚したり養育を必要としない年齢に達したら、その関心事に介入するべきではない。これもまた完全に守られている規則の一つである。子女は14歳から16歳にかけて両親のもとを離れ、小さなグループの同年代の共同体の中で教育される。プレヤール人の間では、女性が単婚の性質を持っているのに対し、男性は多婚であることから、男性は最高4人の女性と結婚できるよう配慮されている。これによって売春が防止されるが、この地球外知的生命の世界では売春は原始の時代から存在しない。この規則に基づいて一人の男性が2人、3人または4人の妻を持つ場合、多くは四辺形の一角に住む。これはそれにふさわしい大きさの敷地に、2戸、3戸または4戸の家を建てたもので一人ひとりの女性が自分の安息の場、つまり自分の住まいと所帯を持つ。建物について付記すると、激しい振動に耐えられるよう完全な耐震建築である。また、落雷にも強く嵐などにも安全である。どのように大きなものであっても建造物は継ぎ目のない一個の素材から造られており、通常、階数は多くなく、一種の浮体であるバネ仕組みになっている。プレヤール人が住むエラ惑星には、陸上交通機関がまったく存在しない。それに代わるものとして、様々な形をした、さまざまな目的を持つ飛行マシーンが利用されている。したがって当然のことながら、交通道路は一切存在しない。しかし住居や飛行マシーン発着場の間、田舎には歩行路があり、歩行者が長短の距離を歩いたり、長時間にわたる散歩のために使われている。野外には長い自然路があるが、植物も動物もそれによって自由を束縛されることはない。惑星上での人間や物資の輸送には、すべて飛行マシーンまたは浮遊飛行体が用いられている。これは目的によって種類も多いが、構造は外見的にみて球状のものと円盤状のものと二つに分けられる。円盤状の飛行マシーンはすべての大規模な宇宙飛行に使われている小型宇宙船に匹敵する。人間の輸送には1人から5人まで乗れる浮遊飛行体が使われるが、それぞれの集団住宅、戸建て、家族は少なくとも1台はこような交通機関を持っている。各家族がこのような乗り物を必要とするかは、まったく個人的な関心事であり、成人は各自、希望や必要に応じて自分しか動かない専用のものを使用することができる。2、3人が1台を共同で使うこともできるが、1台に乗る人数はもちろん5人を超えることはない。もし大勢のグループがある目的地に出かける場合、エラにはチャーター用飛行マシーンがないので、多数の5人乗り小型乗用機を用いなければならない。しかしそのような集団旅行は、プレヤール人の間ではほとんど見かけることがない。というのは、彼らは日常的に頻繁に全惑星の間を行き来しているので、とりたてて旅をする必要性を覚えない。これらの飛行マシーンが絶対に環境汚染を起こさないということは、もう特別に述べる必要はあるまい。プレヤール人は交通機関や作業機械その他の何らかの機械で、環境を害する物質の発生源になるものは知らない。彼らが惑星に住み始めて以来、化石燃料が使われたことがないだけでなく、使用が考慮されたことさえない。そのため惑星はこの面でも汚染されていないし、まったく搾取されていない。原則としてすべての飛行マシーンやその他の機械、器具、そしてロボットなどもほとんど無音であるため、人々は機械の騒音などに悩まされ、健康が損なわれることはない。すべての飛行体は普通、高速で飛び、必要によってさらにスピードを上げることもできるが、管制機関によって常に最高の安全が図られている。交通機関の話をするにあたって忘れてはならないのは、主惑星エラの比類ないアトラクションのことである。それはイシュヴィシュの友人が設けた地球の交通博物館である。数ヘクタールもある広大な不毛の土地に、空中に浮かんだ巨大なホールが設けられ、その中には地球上で製造されたすべての車輪のついた乗り物とキャタピラー車が展示されているのを見ることができる。その中には地球上では注目されることがなかった、多くの素人細工の、二つとないプロトタイプを研究して組み立てたレプリカが展示されている。一方、少数の、または工業ベースで生産されたタイプは博物館の所有者が個人的に地球上で入手し、そこからエラにもたらされたものである。博物館創立者として、その友人は特異な趣味を持っている。それは余暇に一人または友人と一緒に荒野にドライブすること。もちろんそれは、地球上で作られた車に乗って行くのであるが、プレヤールで通常使っているモーターを使って特別に改造されたもので、ガソリンやディーゼルの毒性排気ガスが出ないように工夫されている。この乗り物(1978年型地球製ランドローバー)は、彼の格別な自慢の種である。宇宙飛行において、技術的な故障による交通事故がプレヤールで起こらなくなってずいぶん久しい。技術的欠陥その他による事故を防ぐために、すべての空中、水中および宇宙交通機関を、使用後極めて綿密に検査するという規則がある。これはたとえ1、2時間しか使用しなかった場合にもあてはまる。この極めて精密な検査は二重に行われ、一つは乗り物に備え付けている確実な制御装置で、飛行中に飛行マシーンのすべての機能と操作、安定性などを一瞬のうちに監視、コントロールする。もう一つは飛行が終わったとき、ロボットによって行われる非常に厳密な検査である。また飛行マシーンの様々な航路を、他の飛行体と衝突しないように調整する。これらの取り決めにより、もうずいぶん長い間、交通事故が起こらなくなっているという。ここでは事故というのは、人間以外の何らかの避けがたい影響によって、すべての安全対策を無視したり、放棄した場合のみに起こるものである。また人知の及ばない不意の宇宙的、または天災によるものであり、これはめったに起こらない。プレヤール人によると、過去2000年のうち16件の交通事故を記録しているが、それらはすべて飛行体の物質的損害だけで、保護壁に守られた機内の人体に負傷はなかった。エラ惑星に住むプレヤール人は成人も青少年も含めて全員、毎日2時間、無償で公共のために働く義務がある。勤労の場所や時間、仕事の中身は決められておらず、その日によって、自由に変えることができる。これは規則に縛られて行動するというのではない。自分が好む仕事を自分の要求に従って必要なだけ片付けるというように、各人の自己責任に任されている。プレヤール人の間では、公共の福祉とならんで共同意識が非常に強く浸透し、そのため1日2時間の勤労をさぼるものはいない。好みによって園芸や農作業。または何らかの生産工場などで働くことができるが、そこでは監督としての役割をする。しかし、手工業的な仕事も禁じられているわけではなく、人工知能ロボットにはタブーとされる、人間の権限と知能によって行われなければならない研究に従事することもある。事実上の労働はロボットそしてマルチ複製機によって行われるが、芸術的で創造力があり、技術的かつ知能に関連する性質を持つ仕事は人間によって行われる。日常の仕事の種類や時間、場所を各人が自由に選べるため、プレヤール人は往々にして遠くまで飛行し、気に入った場所に着陸して、工場や庭園、または農場などで働き、2時間の義務を終える。仕事の条件が惑星すべてに共通であるため、このように自由に惑星をくまなく旅をする。こうしたやり方は惑星全体の大きな社会の共同生活を促進し、惑星全部にわたる友情が結ばれ、隣人愛が養われ、そして住民間の和が保たれる。2時間の勤労奉仕が終われば、各自まったく自由に時間を割り振りし、余韻を楽しむことができる。しかし彼らはただ無為に過ごすのではなく、様々の有意義な活動に時間を費やし、さらに奉仕活動をする人も少なくない。プレヤール人の間では家庭菜園で野菜、液果、果物などを栽培することが非常に高く評価されている。そして農耕機械やロボットを用いてあらかたの作業ができるにもかかわらず、個人の園芸ではそのようなものは一切使わない。彼らは、菜園では自ら手間をかけた手仕事をする。そのためほとんど全員が仕事慣れした手をしており、たこができている人も少なくない。それに対して共同または国の農場では、土地の耕作に機械やロボットなどを使っているが、特別な場合は人間が作業をする例もある。耕作や植え付けの際、彼らは自分自身はもちろん、農機具、ロボット、機械などが土壌に直接ふれることを極力避けるようにしている。そのため、すべての機械やロボットなどは地上に浮かび、多くの場合、長い、屈折可能な金属製の腕がついた機械を使って地面を耕し、作物の手入れをする。また真空掃除機に似た長い管の先に、漏斗状の吸着装置がついた機械もある。これによって地面から土壌を機械の中に運び込み、酸素をしみ込ませた後、もう一本の排出用の管で吐き出す。こうすることによって地面は耕され、ほぐされ、酸素と栄養が添加される。種子と幼苗を地面に植え付けたり、収穫するためにも同じような機械がある。雑草駆除をするためには、特別の柔軟な金属製の腕がついた作業用飛行機があり、この腕が機具から伸び出て来て、よく耕された土地から雑草を吸い上げ、機械内に運び込む。そこでスピード処理された雑草は腐植土になり、再び土に返される。そのようにして基本的にはすべての作業機械やロボットは地上に浮かんでおり、ロボットも人間も飛行機械の中にいて、地面に触れることはない。そのため地面は重い機械に押しつけられることもなければ、人間やロボットに踏みつけられることもない。これに関して興味深いのは、個人の庭園は土壌を回復する必要が生じた場合でも、そのような機械を使うことはめったにないということ。日ごとの2時間の勤労義務のために必要とし、またもらうべき物は、相当の供給機関から手に入れることができる。また一部は自宅にいながら配給または受給機関から取り寄せることができる。これに支払いは必要ない。そもそもプレヤール人はそのようなものはとっくの昔に廃止してしまっているからである。生活と健康に必要な物は、誰でも自由に無料で手に入れることができる。このため盗みの動機など存在せず、盗難やそれに類するものはここではまったく見られない。各個人の義務は、ただ毎日2時間の労働ノルマをこなすこと。これは誰もが厳密に守っている。言うまでもなくこのような態度は、惑星の全住民が物質主義をまったく超越した進化段階に達して初めて実現すること。それ故、こういうシステムは地球上では現在も、また遠い将来においてもまったく不可能でしょう。このような進化段階にあっては、有意義な仕事を必要悪、負担、また個人の自由の束縛と見なさない態度も必要でしょう。しかし地球上ではこの傾向があるばかりか、かえって強まりつつあるのは残念である。また手工業的作業や知能的仕事は共に生活の一部であり、生命を存続させ、自己の進化をはかる上で欠くことのできないものである。まず最初に述べておかなければならない重要な点では、プレヤールのすべての産業施設や工場、製造所は、地下や不毛の地域に建設されているということである。しかし空気を汚染する排気ガスや煙などはまったく排出されてない。そのような煙や蒸気を吐く煙突などが、そもそも存在しない。様々な種類のあらゆる建材、工具、機械、薬品、乗り物、そして一部の食料品はマルチ複製機によってコピーされる。食料品は園芸作物、果実、農産物などすべて自然な方法で作られるにもかかわらず、一部ではこの方法が適用され、例えば肉製品などがこうして作られるのは、細胞培養栽培に時間がかかるためである。すべての食料がそのような機械で複製されるわけでなく、前述したように主だった食料は自然栽培にゆだねられ、新鮮な物が供される。さらに自然栽培の食料品も様々な方法で保存したり、乾燥製品に加工されたりする。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2020.06.29

〇ビリーマイヤーの言葉人生には、学校で習った型にはまった知識よりずっと多くの事柄があることを、すでに予感し知悉していたに違いない。そして確かに人生においては真実、人間がつくった法則や掟の他に、真のより高度な秩序が存在する。しかしこの高度な宇宙的秩序は喜ばしいことだけで成り立っているのではなく、否定的なものと肯定的なものによって構成されている。だからあなたにとって苦痛に満ちた出来事もこの秩序に組み込まれており、それはそれなりの目的を果たしている。相互の関連性を検証することによってのみ、人間は肯定的なものと否定的なものの個々の原因と相互の関連を認め、理解できるのである。否定的あるいは肯定的な意味を持つ何事かに遭遇した者は、否定的なものと肯定的なものの相互作用の中でこそ、自らその責任を負うべきであり、自分の行為の結果を自分で引き受けなければならないと認め得る。これを通じて人間は、否定的であれ肯定的であれ、遭遇する事柄に対して自分に責任があるとわかる。つまり調和ある人生であるかどうかは、ひとえにその人間が、自分の人生行路を自分が歩みたいように展開するかどうかにかかっている。そして事実、良き人生行路を一路推進したいと望むすべての人間は、宇宙の法則との調和をはかりつつ生きるならば、この変換を自分の内部でも成し遂げるでしょう。神の思し召しで何事もすべて前から決められていたのだから、そのようにしなければならないのだと信じ、あるいはただ単に思い込んでいた。しかし実際はそうではない。つまりあなたが進むべき人生は、大まかな進路だけが決められている。だが、あなたが事を処理する際の諸々の方法やそれに付随する色々なことは定められてはいない。段階的に進む修練との関連で、第一に果たすべき根本法則は、体系と秩序である。全宇宙は唯一、体系と秩序の法則によってのみ維持されている。この体系と秩序の法則を基盤とする絶対的宇宙愛を、すべての生命体は修得しなければならない。人間は宇宙の一部として、宇宙の不変の法則と存在の目的のもとに、宇宙の中で生きている。そしてこの宇宙の法則と存在の目的を認識し理解する者は、人生の意義をも認識および理解し、その自制力を強化し、それによって周囲に良い影響を及ぼす。人間はこのようして得た認識によってあらゆる不安や苦痛や困窮から解放され、また周囲にその知識を広め伝える。まことに霊は、創造エネルギーの一つの存在形態であり、そして創造そのものである。霊はすべてを生成させるものであり、すべてに活気を与えるものである。それはすべての実存在のエネルギーであり、正真正銘の生命である。創造は決して無為でないことを人間は考慮すべきである。すべての被造物の存在を安定させるために、創造もまた自ら創った法則と掟を絶え間なく履行している。人間は創造の被造物の一つなのだから創造に倣うべきである。すべての人間は、本来の創造観念の基本的な部分である不滅の霊を有する。これは人間が本来そうであるべき姿を具現している。また人間は死ぬべき運命にある人格、つまり物質的意義を持っている。 地球人類は創造の法則に従って考え行動することに慣れておらず、そのため彼らを瞑想に要求される忍耐と静けさの状況に適合させるのは容易ではない。瞑想修練を行うすべての人間は、週に一度や二度瞑想修練を行うだけでことが済むものではないことを、はっきり認識すべきである。瞑想修練者が床に就いてから少なくとも15分間を、日々の瞑想修練に費やさなければならない。異想念に気付くこと自体は非常に簡単である。なぜなら、瞑想訓練においてはいかなる想念も締め出すべきものだから。そのため、発生したと認められるすべての想念は異想念であって、瞑想には関連のないものである。徹底性はありとあらゆる努力を要求する。これは特に意識に関する事柄やそのために得ようとする成果にも肝要である。陶酔瞑想は暗示瞑想と同様、間違った危険なものである。不安や恐怖は無意味である。所定の指示に正確に従って行動すれば、不安や恐怖を抱く理由はまったくない。瞑想修練にあたって、その知識と君が学ぶべき能力にとって必要なのは、君自身を宇宙の霊に適応させること。畏敬と畏怖はすべての認識の根源的な力である。どのような食物や飲み物が自分の身体に適切であり消化しやすいか、それを見いだすのは君の課題である。しかし満腹は、正しく瞑想するには適さないことを指摘する必要がある。瞑想修練に適当な、香あるいは香炉を用いるのは大いに勧められる。瞑想の刺激物として必要であれば、コップ一杯の冷たすぎない水をゆっくりと一口ずつ飲むと良い。しかし、瞑想の刺激物としてアルコール、コーヒー、茶、タバコなどを用いてはならない。またあらゆる種類の麻薬や幻覚剤なども一切使用すべきではない。瞑想修練に適した姿勢の一つは結跏趺坐である。しかしこの姿勢は、慣れない者には困難であり、強い痛みを感じることも稀ではない。そのため単なる胡坐で瞑想しても良い。しかしその際、クッションや厚地の毛布など、柔らかな下敷きは瞑想には不利であることに注意しなければならない。 自分の慣れ親しんだ環境の中で、創造の法則に則って考え行動し始めれば良いのであって、何もそこから離脱する必要はない。しかし人間は、数秒間、真に自分の内部に集中することを、もうこれ以上先に延ばすことはできないし、また延ばすべきではない。集中とは中心への収束を意味する。物理においても霊の教えにおいても同じものと理解される。言いかえれば集中とは、任意の注意力をただ一点に、最大限に圧縮させること。その目的を達成するために集中の教えが辿る道は認識の道であり、それを実際に応用する道でもある。認識とその結果として得られる知識だけが実用的な価値を持つ理由は、それによってのみ、ただしく自然の法則に即した思考と行動に沿った見解、人間の基本的態度を定める正しい人生観と世界観に則った見解がもたらされるから。意志は、自分自身に集中せよと命令を下すためにのみ必要なのであって、それ以降に必要なのは純粋な集中だけ。瞑想訓練中の時間は、非常な速さで経過する。明晰かつ明敏な観察とは、まさにその場の体験が瞬間的にもたらすものを、注意をそらすことなく観察することであり、内的なものにも外的なものにも関連する。これは、瞑想においては自らが霊的ならびに身体的な存在であるという現象が、鏡像の中でも観察領域の中でも人間の注意を引く限りにおいて、その現象を直接に見つめ観察し、記録して現実化することを意味する。 あなたの内にある創造性として人間の中に建設的で創造的な力が働いていることは、何百年来あるいは何千年来実証されてきた事実である。この力は一方では人間自身の内に存在するものであり、他方では人間の外、つまり宇宙空間全体にあって、絶えず人間の内に侵入するものである。人間は全宇宙から振動と力を受ける。中でも特に宇宙の電磁的生命エネルギーを受け取る。この宇宙の電磁的生命エネルギーは極めてかすかに青みがかった色をしており、特定状況下では人間の肉眼で見ることも出来る。これこそが本来の生命エネルギーであり、人間はこれを取り入れて処理し、それによって人間は真に生かされている。人間に当たる、あるいは侵入するすべての振動と力は、完全に中性である。そのもの自体が否定的あるいは肯定的なものは全宇宙どこにも存在しないし、またこのような作用を持ったものも存在しない。 世の中の大半の苦悩の主たる原因は、無意識、自制心のなさ、軽率さ、そして不注意である。つまり世の中の大半の苦悩は、故意に行われた悪意から生じたものではない。ほんの一瞬熟考するだけでも多くの場合、広範に及ぶ一連の罪や大災害やその他の災禍を十分に防ぐことができる。まず、最初に人間や動物や植物や、さらに出来事に対しても、純粋観察という態度をとるように全力を尽くして努力すれば、ちょっとした誘惑に負けて言葉や行動や感情や想念で干渉していたころよりもはるかに和やかに過ごせることに気づくでしょう。その人間は、快い解放感と満ち足りた快活さで時を過ごす。それはまるで、外界やその厚かましさを防ぐ目に見えない鎧に守られているようである。それはまるで、押し合いへし合いする大群集只中からまったく人気のない高台へと避難し、ほっとして、後にした大群集を振り返るようなものである。純粋観察という受容的態度は、通例として行われているよりもずっと大きな空間を人間の生活の中で占めるべきである。というのも意識面で人間の行いが良いとは、普通一般には言えない。しかし、瞑想修練に費やされる時間以外で、純粋観察を行える時間は通常ごく限られている。なぜなら実際問題として、一日中いつ何時でも、想念や言葉や行動を伴う活動が何かと要求されるから。人間の進歩のためには、次の三つの重要な前提条件がある。1・労働2・瞑想3・教えと進化人間が日常しなければならない労働は、生活維持の一手段あるいは本来の手段であるばかりでなく、創造的なもの、あるいは創造そのものへと至る道でもある。しかし労働は、内的価値を確認する手段となるだけでなく、ある意味では人間を自然な平衡状態にもたらすものである。このような理由から労働を完全に怠り、そこから身を引くことはいかなる場合にも賢明とはいえない。なぜならばそのような誤った行為は不満、不均衡、不調和、退屈などをたやすく惹き起こすから。しかし、すでに説明したように、人間の内部に創造的な自己を具現し、進化を進めるにあたって、労働と瞑想はまさに肉体的身体と霊的身体と同様、お互いに密接な関係にある。すべての瞑想者が自らの日常の労働をあらゆる意味において、人間がこの実質的観点から労働を見る努力をするなら、物質的な手仕事においても霊的な活動においても必ず大きな助けとなるでしょう。創造の法則に従った最も大きな真理は、自然、全宇宙、そして創造そのものの中に存在するすべてのもの、つまり全生命、実存在、そして全生命形態という全存在が基本的かつ指標的に志向の中にあるということ。それは将来を目指す志向であり、より高度なものを、進化を、そして完璧さを求めて志向する。物質的意識を備える人間が自らの霊と完全に一致して行動するならば、その者は完全な調和の中にいきるでしょう。なぜなら人間の霊は、最大かつ最高の単位、すなわち創造の一部だからである。 非常に多くを要求するものである。綿密に注意して、述べられた知識に従って行動すれば、これらの知識やその他の多くの認識が得られるでしょう。・瞑想の目的多くの意識レベルや情報・知識を利用する際の精神の内的機能の仕組みについて学ぶ論理的方法、自分の思考を理解しコントロールするための簡単なエクササイズ、より高次の思考と知恵の領界へのアクセス、楽しく生きること、精神と魂のバランスをいかに保つかを学ぶこと、幸運をもたらす精神状態を維持するプロセス、エゴを自分の内界のコントロール下に置くこと。世界中に普遍的に存在する問題のほとんどは、理性に欠けたものの考え方が原因で生じている。理性を用いて情報を処理する精神機能の仕組みや情報の保存、人類全てに備わる思考バランスを保つ霊的パワーの活用によって、世界を見る目がどれだけ変わるか想像して頂きたい。責任を自覚するすべての人間は、地球人類の行末に関する多くのテーマについて憂慮するのが普通である。その中でも最も重要であり常に最新のテーマとして熟考され思索されるのは、平和である。だが地球上の平和や戦争には、一個の人間は影響を及ぼし得ず、何らかの権力がそれを決定しているようである。権力者が地球人類を自己破壊の淵に追いやるのを誰が阻止できるというのか。しかしこの諦観的で運命的な考えこそが、権勢欲にあふれ懸命にすべてを我がものにしようと努力するあの権力に、門戸を開くものとなる。だが平和は、デモによって勝ち取ることはできない。そのためには各国間の連帯感はもとより、人間の人類としての連帯意識も強化されないことには不可能だから。世界平和に不可欠のこの連帯意識は、一人ひとりの人間の心の内で深められ、地球上の一人ひとりの人間に向け発せられなければならない。すべての人間は同じ創造の法則に組み込まれ、創造によって与えられた同じ権利を持つという意識は、言葉では言い表されるものではない。それは、内的平和と内的認識からのみ生まれ育ったものだから。すべての人間は共通の目的を目指し、その達成にはすべての人間が重要であるという内的認識から発したものだから。平和への努力はどのようなものであっても一人ひとりの人間がなすべきことだが、個々の人間、そして人類全体が、平和への努力を支持および助成することは可能である。それには、約3,381人の地球の人間(1989年11月現在)と35億人の宇宙の人間が共に毎月6回行う平和瞑想が役立つ。平和瞑想に参加するには、所定の規則と所定の瞑想時間を厳密に守る必要がある。平和瞑想は毎月第1と第3の週末に実施する。1)土曜日 中部ヨーロッパ標準時 18時30分(夏時間19時30分) 注)日本時間 日曜日AM2時30分2) 中部ヨーロッパ標準時 20時00分(夏時間21時00分) 注)日本時間 日曜日AM4時00分3)日曜日 中部ヨーロッパ標準時 20時00分(夏時間21時00分) 注)日本時間 月曜日AM4時00分 2011年から日本や極東地域の人のために、プレヤール人のクウェッツァルの装置的援助により次の時間帯が増えた。4)日本時間 毎月第2日曜日AM10時30分中部ヨーロッパ標準時圏外の諸国では、これと同時刻に相当する現地時間に瞑想を行う。平和瞑想の時間は正確に20分とする。記載した時刻はすべて正しく誠実に守らなければならない。ラジオの時報もしくはブラウンシュヴアイクの原子時計を基準として使用する。原則として、瞑想時間が基準より遅いよりも、数秒早い方が良いことを銘記されたい。瞑想の終了は例えば電子目覚まし時計のピーッという音など、弱音化した音響信号を使って通知する。平和瞑想に参加する人々は力の中心と結合される。国内あるいは国外のどこで平和瞑想に参加するかは重要ではない。重要なのは、所定の開始時刻を厳守すること。そして平和瞑想のための言辞を用いることだけ。平和瞑想のためには、静かで邪魔されない、できる限り騒音の少ない場所を選ぶのが有効である。平和瞑想に参加する場合は、参加者数に適した瞑想姿勢をとり、瞑想を開始する少し前に隣に座る人の手を握って円陣を作る。瞑想の途中で中断してはならない。平和瞑想を行っている間は、参加者は絶対静粛を保ち、目を閉じて小声で瞑想の文章を唱える。瞑想中には瞑想に直接関与すること以外を考えてはならない。文言を唱える速度は瞑想者がそれぞれ自分の判断で決め、他の参加者を顧慮する必要はない。平和瞑想の文言は古代リラ語から来ており、古く昔から平和を保つためあるいは取り戻すためのものとして用いられてきた。説明された方法に従い、瞑想時間やその他の規則を厳密に守ることによってのみ、この効力は発現する。説明された方法に従った場合のみ、地球人に平和のインパルスは必要とする変化を誘発できる。特別な、非常に古い規定に基づき、すべての地球人はこの平和のインパルスに感応でき、この種の平和のインパルスのみを受け入れて利用できる。また、それによって初めて平和の成果が現れる。平和瞑想に重要な文言を以下に示す。Salome gam nan ben.Urda gan njber asala Hesporona.(サーロメ ガム ナーン ベン ウールダ ガン ニーバー アサーラ ヘスポローナ)地上とすべての被造物に平和がもたらされますように。古代リラ語の文章で下線が引かれた文字は強調し、長く発音する。
2020.06.13

〇セミヤーゼの言葉物質的知性はいつも対象の表面に突き刺さったままで、その中に浸入して対象と一体となることはできない。というのは、対象と完全に同一とならなければ、当の対象の知識を得ることは絶対に不可能だから。したがって、ある人が同胞のことを知ろうとするなら、まず自分をその人と同一視できなければならない。ある人が、何らかの物質を知ろうとする場合も、やはり自分をその物質と同一視できなければならない。物質的知性は物質的感覚の存在を証拠立てるものと、そこから導かれた結論を受け入れるが、奥底からの主観的なひらめきは拒む。深遠な洞察が、彼の中に普通の意識が伝える以上の何かがあることを人間に明らかにする。その何かとは、あらゆる思考、感覚および感情の根源、すなわち精妙な意識的霊的な遍在である。それゆえ人間は、物質的な努力だけではとうてい満足できない。人間の普通の物質的状態が生命の本当の最終段階ではなく、人間は生命それ自体の中に、より深く根源的な生命、すなわち真の自己、不死の霊、何ものによっても決して消され得ない光を持っている。この教理を、あらゆる時代、あらゆる宇宙の思想家が永遠に追求してきた。あらゆる宇宙のすべての偉大な思想家は、本来の自己、すなわち生命の中の生命を知悉せよという要求を異口同音に掲げている。肉体はあらゆる瞬間に変化し、思考はまるで突風のように湧き起こっては消えるが、真の霊的自己は決して失われることがない。真の自己は、万物に余すところなく浸透している。しかし、その形態は純粋に霊的なので、万物とは根本的に異なっている。真の自己は、数限りない変化を通して感知される自己同一感の根本的起源である。それはありとあらゆる形態の万物を受容しながら、常にそれ自身のままにとどまり、変化することなく固有の大きさを永遠に保つ。それは宇宙、それもおよそすべての宇宙の多様な活動の内部にあって、変わらぬ大きさを保つ。人間として制約された人格は、たまに自分自身を意識するだけであり、それ以外のときは長い意識中断となる。たとえ死が人間を見舞おうと、人間の中にあって観たり認識したりするもの、つまり霊は死なない。なぜなら霊は、創造の一部であり、総意識体と同じく永遠だから。この観察する主観的な自己に、客観的な側面から触れることは決してできない。この永遠に存続する自己、すなわち生命の中の生命は、物質的に証明することはできない。なぜならそれは、純粋に霊的な形態と本性を持つものだから。そもそも、理性に恵まれた者には証拠など必要ない。なぜなら霊それ自体が、自分自身の証拠だからである。したがって貧困な意識の内に生きる者だけが、霊の実在について証拠を要求するのである。なぜなら彼らは、思考が未発達なために霊的な行為や出来事から、その実在を認識することができないから。制限されたものは、別の観点でも弱点を持っている。制限されたものは、たとえすぐさま消滅しなくとも、少なくとも必ず変化する。制限されたものは、瞬間的に人間的な愛で満たされたとしても、次の瞬間には人間的な憎しみが押し込みそれに満たされる。それが変化する事物であれ、消滅する事物であれ、あるいは隣人に対する態度を否定的に変化させる人間であれ、最後はいつも悲しみと苦しみだけが残りうる。一方、制限され得ないものは、決して変転することも変化することもない。なぜなら、それは限りない忠誠と絶対不変の価値を持っているから。人間の中で英知と真理が目覚め、意識的および霊的な知識が増すならば、そして普遍の愛が彼を導き、自分自身と他の人間の人生に祝福をもたらすならば、彼の中で真理の認識は熟したと言える。そのとき彼は自分の中に創造の一部を、霊、すなわち霊の王国を意識するでしょう。霊的な愛と英知の中にこそ、創造は宿る。霊的な光と霊的な愛のために闘う者に、創造への扉が開かれる。人間が真理を愛するならば、相対的に完全なものや奇跡に満ちたもの、そして霊の王国を自らの内に体現したものを愛するでしょう。なぜなら、それは英知の王国へと至る道でもあるから。だから、創造の遍在を意識し、万物から霊的知性の輝きを引き出しなさい。広大で無限の果てしない宇宙空間にあっても、創造的なるものの目が自分に向けられていること、そして真の知性とは創造に他ならず、すべてを見守る目と、すべてに答えることのできる感覚で自分を見ていることを認識しなさい。創造的なるものの目のもとで、意識して霊的に生きるのである。無限の力を持った霊的なものを意識して生きるのである。人間は常にその力を意識していなければならない。そうすれば人間は決して無力になることはないでしょう。霊それ自体はあらゆる知識過程の基礎土台であり、霊そのものからすべての器官や能力に、進化と生命存続への衝動が出ている。霊この普遍的自己は、精神的な不純要素のために経験的自己と混同される。人間がこの自己を取り巻いているベールを突き破り、自己を圧迫して覆っている物質的衝動の衣服を取り去ると、肉体の内にありながら一瞬にして、その存在という目的地に到達する。この内的な霊的存在、すなわち限りなく簡潔で単純な生命そのものの生命は、超越的な現実、認識、知識、英知、愛および自由を統合している。人間は単なる生物現象ではない。人間の中には、霊的形態の微細粒子からなる精神組織体がわずかな部分存在する。それは、潜在的可能性やあらゆる創造的能力という力を備えている。人間の精神の本質を哲学的に洞察するならば、必ずや宇宙的意識や創造の生命力という現実を精神的実存在の基盤および生命として、認識および理解するようになる。人間は、人間を生物的および心の局面から見るだけでなく、精神および霊的な局面からも把握しなければならない。人間が遺伝によって受け継ぐすべてのもの、数十億回の生存を通して過去から携えてくるすべてのもの、現在の人生や過去の人生で享受し、知り、読み、学び、あるいは体験したすべてのものは、人間の無意識の内にではなく、記憶のデータバンクに蓄積されている。そのため、人間は集中の技術をマスターしないし、無意識へ命令を下すことをせず、自らの知識と能力を十分に活用することもない。前世に由来するすべての知識と能力、経験、そして英知に対する憧れは、人間の奥深く隠されたものではない。人間はただ真理を認識し、受け入れなければならない。つまり、真理を認め利用する。でもそのためには、自分自身の愚かさを克服する必要があり、物質的知性だけでは人間は形成されず、霊的知性も同様に働かさなければならないと認めることが必要である。それが実行されて人間が自分の霊を認識すると、前世で集められた膨大な知識と英知、能力、自由、愛および平和が再び立ち現れて、人間のために大いに役立つ。そのためには、これらすべての特性を記憶のデータバンクから呼び出して利用することを身に付けなければならない。知識、カ、エネルギー、英知、自由および愛は、絶対的なるものの創造的遺産であり、人間に生まれながらに備わった権利なのである。人間は意識と霊によって、思考、力、エネルギーおよびあらゆるものに対する影響の中心なのである。人間は肉体を持っているが、肉体それ自体ではない。肉体は霊と総意識体の道具であり奉仕者にすぎないが、肉体の住み処は決して牢獄ではない。肉体は光を放射する霊、自ら発光する内奥の生命、そして創造的な自己が宿る寺院である。肉体は全戦力を動員する霊の要塞である。だから、肉体の呼吸だけでなく霊の息吹をも呼吸していることを知りなさい。
2020.06.08

〇セミヤーゼの言葉人種の異なる生き物もこれまで度々地球に侵入し、探検を行ったことがある。彼らは調査に役立つと思えるものをいろいろ集めた。そのような生き物はこれからも繰り返しやって来て調査を行うでしょう。彼らは実に様々な世界や恒星系からやって来る。しばしば宇宙飛行の分野では初心者で、そのため自分たちの知識や知見を広げるために調査旅行を行うケースもある。探検中に思いがけず地球人と接触することもあるが、その場合彼らは二度と地球にはやってこない。彼らは権力などに対する欲望はもっていない。自分たちの故郷の星にようやく平穏と秩序がもたらされたことを喜んでいるのだから。彼らの場合、あちこちで地球人を捕らえてビームシップの中に連れ込み、様々な装置を使って精密に検査し、人体構造を正確に把握するということもあり得る。でも、この場合、彼らは例外なくこれらの人間を解放している。人間に対して悪意は毛頭ないからである。彼らは往々にして地球人以上に人道的な生き物である。しかし残念なことに、かなり野蛮な生き物も宇宙空間を飛行し、地球のあちこちにやってくる。その多くは権力欲が強く、邪悪である。彼らの場合には、地球人(他の恒星系の別の惑星人も含め)から略奪し、誘拐して、故郷の惑星に連れ去ることもある。これらの哀れな人間はそこで見世物や実験動物として一生を送ることになる。地球人も他の世界のすべての住人も、こうした輩から注意しなければならない。彼らはその邪悪な性格から、しばしばひどい暴力を振るうからである。しばしば彼らは感情その他の人間的な特徴や傾向とは無縁なので、彼らにとって生命などは何の価値もない。本当に興味を抱いている地球人のために、金星について幾つか重要な説明をしたいと思う。地球のこの太陽系を、彗星や放浪惑星または放浪星が頻繁に通過するが、それは次のように説明される。彗星は放浪惑星や放浪星など様々な形態で出現する。こうした彗星は、他の星や惑星のとてつもなく強い引力によってそれらの軌道に引き入れられる。しかし、速度が速いためにたいていの場合はこの引力帯を通過、突破して、再び遠ざかっていく。しかしその時、惑星との間で生じる摩擦あるいは太陽や星のエネルギーによって表面が液化して物質を失う。この物質は、しばしば非常に長い尾となって彗星の後に続く。弾き出された粒子は太陽エネルギーなどにより、発光する尾として目に見えるようになる。他方、何もない空間も空ではない。やはり数え切れない粒子やその他の事物に満たされているのである。それらの粒子も放浪惑星や放浪星と絶えず摩擦することによって発光し彗星の尾となる。これらの彗星の他に、氷のように冷たい星雲状の彗星体もある。一般に彗星は偏心軌道を持ち、惑星系のように太陽の回りを周回するが、それらの軌道は惑星系よりはるかに遠いところに位置している。これらの彗星系は、一般に太陽に接近して初めて印象的な長い尾を見せるが、それらは時には数百万Kmの長さに及ぶこともしばしばある。でも、実際には巨大彗星はかなり稀であり、大部分の彗星は肉眼で見ることもできない。地球人が肉眼で見ることができるのは、本当に大きな、非常に地球に接近した彗星だけである。平均的な彗星は、しばしば小さくて非常に弱い光を放つ尾のない球状の雲でさえない。そしてまさに、この種類の彗星は無数にある。これらの最も頻繁に現れる星雲状の彗星は、三つの特徴的な主要部分を持っている。周囲を覆ってガス状に広がるコマと、その中心部の凝集していることもあればしていないこともある核、そして尾である。コマの形状はいろいろで、楕円形だったり円形であったり、いずれかの方向に歪んでいたりする。中心部の凝集は、コマが内側に向かって明るく密になることで観測される。核それ自体は強く輝く区域であり、彗星の本体を成している。その大きさは数百mから数千mといった程度だが、コマと彗星の尾を合わせた全長はしばしば数十万Km、それどころか数百万Kmにも達する。彗星の種類やその影響に応じて、尾はダスト粒子またはガス体から成るか、あるいはその両者が混じっている。純粋にガス体から成る尾は、粒子や隕石やダストから成る尾よりはるかに小さいのが普通である。ダストの尾は比較的大きい彗星のみに見られ、非常に明るいのであるが、ガス体の尾はそれほど明るくはなく極めて細いものである。彗星は非常に長い縦長の軌道を持ち、それは宇宙空間のはるか彼方まで延びている。その軌道は非常にしばしば外側のゾル惑星の方向、さらにはその付近にまで達し、それから再び太陽や内側のゾル惑星へと戻る。しかしまた、軌道ははるかに遠く、すべての惑星系の外部にあるオールトの雲にまで延びることもあり、それに応じて距離も長くなる。軌道が長いため、彗星が再び故郷の惑星系に飛来するのにしばしば数十年または数百年を要するが、宇宙の放浪者、つまり様々な軌道を描いて太陽系の外空間から飛び出しては再び戻る彗星の場合その周期は数千年に及ぶ。すべての天体と同じく、彗星も重力の法則に従わざるを得ず、その軌道も重力の法則によって形成される。そしてまさにこのように、軌道とその大きさが様々であることが、極めて多様な惑星系や太陽系における何らかの変化や出来事にとって決定的な意味を持つ。とは言っても、このような出来事や変化が起こるのはごく稀だが。彗星に関するこれらの要素について、以前にはごく簡単に話しただけなので、今日は詳しく説明した。金星には人間の生命形態は存在しない、ということを説明するために必要だから。数百万年前に、地球の太陽系から何光年も離れた別の時空構造内で、ある巨人のような暗黒星が惑星系の半分を破壊した。その遠く隔たった惑星系を破壊した後、この放浪者は宇宙の彼方へと飛び出し、デルン宇宙の銀河の時空構造に到達し、その進路を地球へと向けた。この星は、大小の惑星や太陽によって新しいコースに入ることを余儀なくされ、その結果次第にゾル太陽系に接近するようになった。破壊者として知られるこの星は、頑固にそのコースを守り、数百万年を経て固定した軌道を作り出した。しかしこの軌道が、破壊者をしばしば惑星系や他の放浪星や彗星に無差別に近づけた。これらの星々は、この巨大な破壊者によって軌道外に押し出されるか、あるいはその引力に引き寄せられて破壊されたり引きずられたりした。巨大な破壊者がある天体を引きずりながら、数百万Kmも移動して地球の惑星系に接近したのはほんの数千年前の出来事である。破壊者自体は、地球圏からはるか離れた外部を通過したのだが、引きずられていた天体は地球に危険なほど接近し、凄まじい大災害を引き起こした。当時、太陽系全体が混乱に陥り、すべての惑星は新しい軌道を取ることを強いられた。しかしこの調和を乱す天体は、大惑星や太陽の重力によって地球と水星の間の公転軌道に入ることを余儀なくされ、太陽系から離れることができなくなった。この引きずられた天体は、それ以来ゾル太陽系で最も明るい惑星として太陽の回りを回転し、地球人によって金星と呼ばれるようになった。このようにして金星が、地球の太陽系に引き入れられたのは数千年前のこと。当時のこの出来事により、金星は非常に安定した軌道に導かれたので、最も離心率の低い軌道を持っている。当時、金星が地球の非常に近くを通過した結果としてそうなったのだが、金星の自転時間もまた影響を受けた。突入して来た時、金星は地球の重力によって180度転換させられて逆方向に回転し始めた。しかも、地球の重力圏を通過する時間が非常に短かったので、この突入して来た惑星の回転が再び速度を速めることはできなかった。そのために金星の自転周期は極めて長くなり、太陽系全体で一番遅くなった。これにより金星では、一日は117地球日続き、3度傾いた極軸の自転時間で243地球日で公転する。金星が、数千年前に地球の重力圏を通過した時、その自転エネルギーが奪われ、それによって非常に高い摩擦熱が発生した。この摩擦熱は、金星の表面に何らかの変化をもたらしたが、今日金星を支配している物理的条件との関連はない。これらの物理的条件だけでも、金星に人間が存在すると主張するすべてのいかさま師や詐欺師の嘘が暴かれる。そのようなことは、完全に自然の可能性の埒外である。なぜなら、金星表面の環境条件と温室的大気は、どんな種類の人間にとっても絶対に生存できないものだから。金星では今日もなお、地下上部および地表面でわずかな火山活動が見られるが、その表面温度は、標高500mで測定してあなた方の摂氏度数に換算すると、今でも457〜470度となる。これが原因でこの高温の惑星では、彗星や氷から成る流星などによって持ち込まれた水分がすべて蒸発して、今日非常に厚い雲の層が形成されている。それによって大気も発生することはしたが、密度が非常に高く、推定海面の圧力は、地球の気圧の334倍もある。あなた方の科学の概念に従えば、金星の大気はどのような形態の人間をも生存させることはできない。なぜなら、その約87容積%が一酸化炭素だから。ただしこの数字には若干のばらつきがある。酸素と希ガス、塩酸と二酸化硫黄などは、現在のところ下層大気中にわずか約4%しか存在しない。この他に、窒素数%と二酸化炭素約95%が含まれる。現在、水蒸気は非常にわずかしか存在していない。だから大気は、地球のそれとは本質的に異なっている。金星の本来の大気圧は、地球の大気圧の107倍である。これも、人間という生命形態にとっては敵対的な事実である。非常に緩慢にしか減少しないこの高い圧力によって、人間という生命形態は跡形もなく押し潰されてしまうでしょう。それどころか金属形態でさえ、同じ運命を辿るかもしれない。あなた方や科学者の参考のためにここで言っておくと、私たちは金星で地球の装置を発見したが、それらは惑星の表面にさえ到達しないうちに、金星の大気のものすごい圧力によって完全に押し潰され破壊された。それらの中には、ロシアの科学者が金星に向けて打ち上げた探査機があった。破壊されて発見されたこれらの機械は、まるでものすごい力で金属の壁にぶつけられたかのように見えた。金星では、磁場は非常にわずかしか存在せず、あなた方がヴァン・アレン帯と呼ぶ層が非常に弱く、したがって太陽風と呼ばれる因子からそれほど強く遮蔽されない。さらに、非常に高い温度がこの帯を損ねているということも忘れてはならない。さらにまた水が存在しない結果、この惑星は栄養の点でも生物の生存には適していない。この惑星は、数千年前の出来事のために以前は至る所で火山が噴火していたが、今日では火山活動は地下の表層または地表でわずかに見られるだけで、巨大な火口や火口群や高原があるかと思えば、高山や中央火口丘もあり、この惑星が現在は回復、成長、生成の段階の初期にある。数百万年も数十億年もかけて、自然の生存条件と最も原始的な生命形態がゆっくりと育っていく。生存可能な世界が初めて誕生する時は、自然に基づいて常にそうなのである。このことから、どれほど理解力に乏しい者にも金星が原惑星であり、ようやく生命発生の段階にあるということは明らかでしょう。この惑星自体について説明すると、特に赤道領域は非常に平坦であり、そこから遠く離れて起伏領域がある。温度は昼側と夜側ではほぼ同じだが、低地と高地で風力に大きな違いがある。地表面では風はないが、高度が増すに連れて強くなる。より高い上空では風は非常に強くなり、風速は一秒当たり117mかそれ以上に達する。雲の主層の下限は、43.17Kmだが、これは大気中の嵐などによって常に変わり得る。これが特に顕著なのは、風が下方に押されて地表に達して山脈に滞留する地域である。こうした山脈は、その形がまるで皺のように見え、大きさも高さも非常に異なっている。金星では、気候や構造的な条件は大体において等しいのだが、ある程度の相違はある。そうは言っても、この惑星に人間やその他の高等生物が住むことは、相応の技術的措置を講じない限り現在のところ不可能である。その意味で、様々ないかさま師や詐欺師の主張に反して、金星には実際にいかなる生物もいない。生命は、全く異なる微視的な最小の熱形態においてのみ存在するが、他の生存可能な惑星の生命形態と比較できるようなものではない。この惑星はまだ非常に荒れているが、それは当初から今日に至るまで変わりようがない。たとえば金星には月がない。月を観察すれば、それは金星とは似ても似つかないものだということがわかるでしょう。金星の厚い雲の層を通して見えるのは全く別の姿なのである。極めて多様な鉱物やその他の物質に満ちた金星に、私たちや他の生命形態が行く時は特殊な防護服を着て、金星の大気の危険な影響や非常に高い大気圧から身を守らなければならない。この荒れた惑星を死の蒸気として覆っている多種多様な毒物やガスも考慮に入れる必要がある。この惑星にはある程度の多様性があるので、温度が摂氏500度にも上昇する場所があること、それも地表の特定の区域にあるということに注意しなければならない。そこでは二酸化炭素、窒素、一酸化炭素、二酸化硫黄、ヘリウムガス、アルゴンガス、ネオンガス、硫酸、水蒸気などの値も異なり、過気圧は88から上は107まで変動する。これらのデータはいずれも常に変わり得る。そこではすべてのものが絶えず変動しているから。以上が、金星という惑星における人間または人間に似た生命形態の可能性および存在に関して伝えなければならない最も基本的な説明である。太陽系の別の惑星について述べるなら、残念ながらここでも一部の分子が様々な惑星について主張している欺瞞を暴いて、それを本当の真実に置き換えなければならない。なぜなら人間が住んでいると言われる太陽系の様々な惑星には、いかなる形態の人間も住んでいないからである。五回目の会見で話した人類の歴史は、地球年にして約50000年前に私たちの故郷で自由と平和が達成されたところで終わっていましたね。その前に、科学者ぺレゴンに率いられた70,000の人々が故郷を脱出した。彼らは、奪取した宇宙船で宇宙空間を渡り、別の時空構造からデルン宇宙の銀河に入って、地球に定住した。ぺレゴンの指揮下には200人の副指導者がいた。彼らも科学者であり、それぞれが専門の学術分野を担当していた。ぺレゴンは、これら副指導者からも他の人々からも一様に英知の王(JHWHまたは神)として認められ尊敬を集めていた。それから数千年もたつころには大都市が建設され、地球のすべての大陸に人々が居住するようになった。でも、うまく行っていたのは10000年たらずで、またもや権力欲が勃興し、すさまじい戦争が世界中で荒れ狂った。すべて跡形なく破壊され、生き延びることができたのはわずか数千人。他方、再び宇宙へ、以前の時空構造へと逃げ出して、遠い世界に入植した人々もいた。その後7000年間、地球を訪れる者はなく、地球に残された人々は完全に野生化し、退化した。そののち、かつて地球を去って遠い世界に定住した人々の子孫が、再び地球に戻って来た。彼らもやはり一人のJHWHを指導者として仰いだ。そしてこれらの遠い子孫は、のちにJHWHの指揮下でアトランティスとムーに文明を築く。二つの異なる大陸に二つの巨大な都市が建設された。数千年間は完全に友好的で平和な日々が続いたが、またもや権力欲に目がくらんだ数人の科学者が支配権を我が物にしようとした。延々と続く戦争に嫌気がさした民衆は、決起して彼らに対抗した。するとその科学者らは宇宙船を奪って宇宙空間へと逃げ去った。地球年にして約15000年前のことであった。彼らとその子孫は隣接する太陽系で2000年間暮らした。その2000年の間で彼らはひどく邪悪になり、極めて厳しい規律の下でかろうじて秩序が保たれている状態であった。突然変異と研究を通じて、彼らは3000年以上に及ぶ高い寿命を獲得した。支配欲にとりつかれた彼らは、地球年にして約13500年前に自分たちの住む世界を後にして、再び地球にやって来た。彼らの最高指導者はアールス(Arus)という科学者で、別名、野蛮人とも呼ばれていた。約19万年前のJHWHぺレゴンの時と同様、アールスもまたその下に200人の統率者または副指導者を置き、それぞれの副指導者に一つの学術分野を専門に担当させた。彼らは北方地域と今日のアメリカ(フロリダ)に分かれて入植し、そこから絶えずアトランティスとムーに進撃し、戦争を仕掛けた。そして地球を再び占領してからわずか数千年で、彼らはムーとアトランティスを完全に破壊することに成功した。わずかな生存者が奴隷となる一方で、主たる科学者たちは逃げ延びることに成功し、元来の故郷であるプレアデスへと帰った。でも、この時点に至るまでの数千年、これらの新参の侵入者らは地球上にのさばり、JHWHアールスは厳しい残虐な統治を行っていた。ところがアールスの副指導者たちも、我がもの顔に何でも好きなことをやるようになり、次第に単独行動をとるようになった。30年もたったころには、JHWHアールスの罰則を恐れながらも、彼らは独自の裁量で行動するまでになった。彼らは、いかなる事情があろうとも種族の純血を保ち、突然変異を引き起こしてはならないという規範を破った。彼らは禁止されていたにも関わらず秘密裏に外出し、地球上で創り出された生命形態を捕まえた。これらの生命形態は野生化したり突然変異したりしてはいたものの、かつて宇宙からやって来た人間の遠い孫であった。天の子を自称する統率者たちは、野生化した美しい雌を手なずけて交接し、あるいは遺伝子操作をほどこして受精させた。彼らはそれぞれの種族に応じた変異種をつくり出した。それらはまったく新種の生命形態であり、小人ほどの身の丈しかない者もいれば、巨人や野獣に近い形態の者もいた。すべての副指導者の最高統率者であるセミヤーサ(Semjasa)は、イブと交接した。彼が見るところイブは人間に最も似た形態を維持した、かなり美しい雌であった。この交接から生まれた子供は男性で、人間の容姿をもっていた。セミヤーサはこの子供をアダム(Adam)と名付けた。これは地球の人という意味である。この後の交接から一人の女子が生まれた。セミヤーサは、後年これら二人の地球の人が交接すべきことを定めた。その後も多くの子供が生まれ、それらはやがて集団となり、部族を形成するに至った。これがやがて今日の人類に発展するのだが、人類はそもそもの最初から人種ごとに別々の大陸に分かれて住んでいた。JHWHアールスはこの行為に激怒し、罪を犯した者たちを捕らえられるかぎり捕らえ、死刑または流刑に処した。しかしやがてアールスは考え方を変えた。新しく生まれた地球人に対して新たに権力を行使できることに気がついたからである。そこでアールスは、新たに任命した守護天使と副指導者に命じて、三つの民族を隷属させた。それらは、今日インド人と呼ばれる民族、そして黒海沿岸に定着した民族、さらに地中海の南をジプシーとして漂浪していたところからヘブライ人と呼ばれた第三の民族の祖先である。JHWHアールスは、守護天使を使って、この三つの民族を征服して隷属させた。彼はこれら人類の上に君臨する最高統治者として、自分を崇拝させ賛美させた。誇大妄想に陥ったアールスは自分を創造主および創造そのものとして、また副指導者たちを創造の協力者として崇拝させた。アールスは厳しく過酷な戒律を公布し、この戒律を破る者には例外なく死をもって償うことを要求した。3400年後に息子イェハフ(Jehav)が支配権を継承したが、父の統治よりわずかにましだった程度で、彼もまた自らをJHWHとして告示し、隷属する三民族の上に君臨して流血と死を強いた。神々の子孫が人道的になったのはずっと後のことで、彼らも霊的な進化を遂げたから。やがて時期は訪れ、彼らの考えや意識も変わり、地球人の発展は地球人の自然の歩みに任せ、自分元来の故郷へ帰ることに決めた。いまから1943年前、彼らは地球を旅立ち、温和な者としてプレアデスへと戻った。彼らの故郷の人類は、それまでの間に非常に高度な発展を遂げていた。今日、特別長寿の種族である彼らは、普通に老いて平均千歳になる種族と一体となり、一つの民族として平和と自由の中に生きている。これは地球人がぜひとも知るべき重要な事柄である。1990年を起点に考えれば、彼らはわずか25978年前に地球に移住したが、これは彼らが最終的に地球に移住した年代を意味している。 ○ ○ ○ 人と ○ ○ ○ 人の人種が出現した歴史はこうである。これら2種類の ○ ○ ○ 人種は銀河の向こう側、すなわち銀河系の中心太陽の向こう側に生まれ、その地に住み着いた。それゆえ彼らは太陽の向こう側から来たと言われる。彼らの故郷の惑星系はニッサン系であり、彼らは惑星クードラに住んでいた。惑星クードラはラサン探検隊によって発見された。それは約1600万年前、ラサン探検隊が銀河の向こう側を探検し、人間の生物を探すためにリラ系から出発したときのことである。そして彼らはキンテンとニイパーという ○ ○ ○ 人種に遭遇した。これらは今日地球上で ○ ○ ○ 人と ○ ○ ○ 人と呼ばれている。 これら2種類の人種のうち4,000人が当時の探検隊によってラサンに連れ帰られ、その後いろいろな惑星に送られて、その地に住んだ。なぜなら彼らがそう望んだから。そして当然のことながら彼らは増殖し、数千年、数百万年経過する間に相当な民族となり、最後にはラサン惑星連盟の5つの惑星に住んだ。それから約670万年前に、これらの民族は互いに戦争と権力闘争を戦い抜いた。その結果として両民族のうち何人かが手を結び、9機の宇宙船に乗って逃亡した。彼らは逃亡するために古くから知られている軌道をたどった。その軌道は彼らに先立ち、約2200万年前に古代ラサン人がある惑星の破片と、リラ系人種の幾つかの故郷の惑星を破壊した壊し屋惑星を追跡したときに、古代リラ人によって発見されたものである。この軌道は銀河系のらせん状の腕の外にある銀河系の飛び地に、生物が住むことができる2つの奇跡的な惑星を持った太陽系に、すなわちゾル太陽系と地球に続いていた。この惑星地球には以前巨大な一つの大陸が惑星全体に広がった海のなかの島として存在しており、逃亡者たちは当時唯一あった大陸の北東の高緯度、すなわち今日の ○ ○ ○ に移り住んだ。この惑星はすでに数百万年前に固有の生物を生み出しており、人間の生物もいた。そのうえ惑星の一部には太古の先祖が同様にリラ系から逃亡してきた人間の集団もいた。このように当時唯一の地球大陸の北東にかつてのキンテンとニイパーの後の子孫が住み、その総数はほぼ38,000人であった。しかしながら彼らの移住は凄まじい自然転覆と自然変動の時代に行われたのであり、それに伴い気候も大きく変化せざるを得なかった。新しい移住者はそれに対応する準備ができておらず、自然の猛威から身を守ることもできなかった。彼らの宇宙船は地球の大気に曝されて持ちこたえることができずに短期間で朽ち果てた。それから数年後に大災害が起こり、宇宙船はまったく使い物にならなくなり、新しい移住者は最後の一人まで死に、生き延びた者はいなかった。このように ○ ○ ○ 民族は670万年前に初めて地球にやってきたが、彼らよりずっと早い約2200万年前、まだかなり荒涼としてはいたが驚くほど美しい地球と惑星マローナに初めて移住した太古のリラ系住人の後続にすぎなかった。時が経過し、銀河の太陽の向こう側、ニッサン系の惑星クードラではキンテンとニイパーの民族が堕落と横溢に好んで生きるようになっていた。彼らはあらゆる節度と風俗習慣を失い、創造と自然によって与えられた法則と勧告を気にとめることもなくなった。彼らは無分別にも法則に反して有害に子孫を増やしたため、やがて惑星クードラは人口が過剰になり、食物を取ることも生きながらえることもできなくなった。そのため彼らは新しい生存圏と人が住める新しい惑星を見つけるために、数百万機の宇宙船に人間を詰め込んで広大な宇宙に送り出した。こうして何十億という人間がこの惑星を去り、宇宙での果てしない迷走を開始した。しかし宇宙船内では徐々に致命的な疫病が広がり、人が住める惑星をただ1つ見つける前に何十億という逃亡者が超満員の船内で惨めに命を落とした。死と悲惨は、ちっぽけなみすぼらしい小群の418,000人のみが生き残るという程の長きに渡って蔓延した。やがて彼らはリラ系、そして惑星ニッサンに至る道を見つけた。そこにはすでに彼らの原先祖の非常に遠い子孫が住んでいた。彼らがその道を発見したのは、ひとえに幸運な事情によるものだった。1台の座標コンピューターのなかに、人が住める惑星を持った太陽系を示す太古の座標が見つかったのである。その太陽系は銀河のはるか向こう側にあり、そこには人が住んでいるニッサンという名の惑星があった。座標の記録は移住船が出発する前に中央コンピューターによって自動的に行われ、船内の座標データバンクに利用できるすべてのデータと座標が保存された。そのなかにリラ系とその惑星のデータも含まれていた。中央コンピューターはこれらのデータの知識を太古の時代から保存しており、先行者によって繰り返し利用された。それらのデータは約1350万年前にラサン探検隊の責任者によってコンピューターに入力されたのであった。このようにしてクードラ移住者は最後に惑星ニッサンに新しい故郷を見出した。彼らがそこに到着したのは現在の新時代から遡ると約240万年前である。この惑星に両人種が住み着き、急速に増えたために、まもなく再び移住しなくてはならなくなった。彼らはラサン惑星連盟内でも席を占め、それによって拡大し、時間が経つと他の2つの惑星を故郷の世界とすることができたが、それらは惑星連盟によって割り当てられたものである。さて、1990年から遡ること25978年前の過去に、キンテンとニイパーの人種の探求者や不屈な者や冒険者は協力して広大な宇宙空間へ探検の旅に出た。彼らの最初の目的地は、すでに数百万年前に彼らの原先祖の目的地でもあったゾル太陽系および惑星マローナと地球だった。しかし、最初の惑星は残骸としてただ太陽のまわりを周回するアステロイドリングに見出したが、惑星地球は完全に栄え、そのまわりを惑星片である月が周回していた。この惑星片は2000万年以上前に暗黒惑星の壊し屋の破壊力によりラサングループのある惑星から引き裂かれて、広大な星間空間に放り出され、最後にゾル太陽系において惑星天王星によって制動され、それから適度な速度で地球に向かって滑走し、その軌道に入った。それ以来、惑星片は月として青い惑星のまわりを回っている。キンテンとニイパーの宇宙飛行者は、その数がほぼ680,000人であるが、宇宙船で地球上に着陸せずに、ロボット装置に乗り移って地表に降りた。空中に浮いている船内に残ったのはわずか数百人にすぎなかった。地球に着陸した者たちはこの惑星は人が住めると感じたので、今日の ○ ○ ○ にあたる地域に定住し、そこから人種ごとに別れて全土や島々に分散していった。彼らは最終的にこの世界に留まることを決意し、そのため宇宙船に残留していた者たちにもこの惑星に定住するよう求めた。しかし残留者たちはその間に考えを変えて、銀河の向こう側にある彼らの原故郷、すなわちニッサン系、そして惑星クードラを探す決意をしていた。それゆえ彼らは宇宙船で地球から飛び去り、太陽の向こう側に向けて長い旅に出た。しかし無人のロボット船1機を除いて、いかなる宇宙船も一人の人間も目的地に到達しなかった。宇宙船は銀河のどこかに留まり、そのなかにいた人間は以来行方不明となり、彼らの所在は解けない謎となっている。しかしこれらすべてのことは近年プレヤール人が突き止めたことである。彼らは、とうに正常な人口になっている惑星クードラで、無傷で残っていた年代記メモリーセンター記録文書の中に見つけたのである。記録の一部は当時地球から先遣隊としてそこに送られたロボット船からのものである。他のすべての人種や、遠い宇宙からやって来た者たちと同様、彼らも自分たちの起源に関する知識を失った。地球外に由来する残りの約2億1,980万人もほとんどは自分たちの本当の起源についていかなる知識もない。彼らは地球人の間で地球人のように生活し、同様に地球の生命に適合した進化に組み込まれている。地球には実に多くの旅行者が訪れている。毎年3,000の宇宙船が地球の大気圏に入ってくるが、地球にコンタクトをとることに関心を持つ割合は低い。地球外知的生命は非常に多くの様相を呈し、発達レベルもそれぞれ違い、必然的に技術や意識の面で発達が人類よりもはるかに優れた人種もいる。広大な宇宙に散在する未知の惑星には、全宇宙さらには時空を超えて移動を行い、現在の時点では信じられないような距離を航行し、過去または未来への旅をする人間が住み、様々な理由から地球を訪れていることがわかる。これからの進化の発想の中に組み入れて置かなければならない。仮にその様に心掛けたとしても、地球人が、せっかく学んだ知識と能力、及びそのテクノロジー的発明を悪しき権力欲のために使用するかもしれないと言う危険性は十分にある。それは地球人に対する危険性ではなく、他の世界から来た生物に対しても考えられるということ。必要なテクノロジーが達成された時、彼らは常に勝利者でありたいという願望から、他の惑星へ飛ぼうとし、このテクノロジーをしまっておけなくなるのである。宇宙からの危険は銀河系のどの方向にも存在している。更に多種多様な宇宙が宇宙空間そのものに潜んでいること、他の宇宙の住民が異なる人種からの攻撃に対して、地球の国々と同じように自分たちの城は自分たちで守るしかなく、意味もなく自分たちが攻撃されることを許しませんし、長い間には彼らは地球人よりもすべてのテクノロジーにおいて、計り知れないほどの優位に立っており、黙っていることはない。そうなると地球人類は、完全に打ち負かされ、奴隷化され、結局は元の木阿弥になってしまうでしょう。地球人が力をもって野蛮な強欲を宇宙に向けようとする時には、自分自身も完全に破壊されることを考慮しなければならない。地球人は、人を傷つけるためにそれを使用したりしないこと。平和を保つことが唯一の地球人が選ぶ道である。死をもたらしたり、宇宙を破壊したりしないことである。地球人は太古において、プレヤール人をはじめ、リラ人、ヴェガ人、オリオン人など、宇宙から来た人たちの様々な影響を受けながら成長し現在に至っており、またそれらの星から地球に転生して来ている人達も多くいる。そのため地球人は彼らを無意識のうちに信奉し、崇拝し、依存してきた。しかしここ数千年の彼らの方が、地球人には独自の進化の道を選ばせ、彼らは出来るだけ干渉しないように努めてきた。しかしながら地球人はいまだに彼らから教わった価値観を大切にして、なかなか成長出来ないでいる。一方で地球外知的生命は、権力闘争や競争原理は無意味であることを悟って、安全で平和な調和のとれた文化と社会を構築した。彼らは地球人のような、危険で暴力的で破壊的な状況をもう既に卒業している。地球人がこのままの意識状態で進むなら、地球環境を破壊するだけではなく、地球そのものを破壊しかねない状況になるかもしれない。そろそろ地球人もすべての人たちはみなワンネスで一つに繋がっていることを思い出して、平和で戦いのない調和のとれた社会を共に歩むべきことを自覚すべき時が来ている。地球人と先祖を同じくするプレヤール人が武力を放棄し長い時間費やして学んだ叡智を参考に、人類全員がそれぞれの潜在能力と知恵を最大限に生かして生活し、荒廃した地球を平和で慈愛に満ちた惑星に復活させるべく努力すべきである。新世紀に向けた地球のシフトにどのような形で役立たせればよいかについては、宇宙の物質的領域と霊的領域の両方を人類全体が学習し理解することである。地球の全ての国の一致協力によってのみ出来得ることである。地球人は自分たち自身で助け合わなければならず、そうすることによってのみ進化が保証される。物事の真理を認めず、理解せず、自己責任を認めないことに由来する。地球上に、多くの関心事に変化をもたらそうとするなら、考え方を一新しなければならない。それは自力で成し遂げなければならない。なぜなら、誰一人としてそれをする用意もなければ、またできないのである。一人ひとりの頭の中で行われ、そこから地球人類全体に広がらなければならない。自然に集まる同志と、それを通じて行動力のある志向的な力によってすべての否定的なものを止揚し、肯定的なものに変え、それを通じて進歩がなされる。一人ひとりが先導して行動しなければならず、一人ひとりの人間が決定的に重要である。
2020.06.01

遺伝子工学に関しては地球上の科学は現在まだ発展途上にあり、かつて行われた操作を認め、そしてその弊害を除くほどには進歩していないが、しかしそれも正しい方向に進みつつあることは確かである。この事実だけをとってみても、多くの無理解から、心配性な狂信家、信仰深い者たち、悪名高い難癖屋などが、往々にしてばかげたつじつまの合わないイデオロギーを掲げてそれに猛反発しても、たゆみなく進歩する今日の遺伝子研究と遺伝子操作は正当化されなければならない。それはまた、人類の進化の段階で取り決められたものであり、停滞することも、阻止することもできないことでもある。遺伝子研究と遺伝子工学は地球人類にとって、殺人、憎しみ、病的欲望、血に飢えた狂気、悪徳やすべての非人間性などの遺伝悪の除去という目的以外にも、生きるために是非ともなくてはならないものである。遺伝子研究と遺伝子工学はまたあらゆる食糧生産一般において、また肉体、精神、意識面での水準を向上させるのにも必要なこと。そしてまた、地球人類の生命の延長にも重要な役目を果たすことでしょう。なぜなら、太古の遺伝子操作によって、いわゆる文明国における地球人類の一生は、1000年から1200年にのぼる地球人類に可能な寿命の13分の1しか全うしていない。昔の遺伝子操作を解消するにあたっては、退化的操作だけを解除するように考慮されなければならず、自然に具わった闘志、自然な戦闘能力、天性の、生きるために必要な攻撃性は損なわれてはならない。なぜならこれらは創造・自然によって与えられ、法則や掟に則ったものであり、人類の存続と進化を保証するものだから。人間は生存し、生活し、存続し続けるために、適度の攻撃性と戦闘能力を必要とする。そういうことから遺伝子操作の除去に際しては、太古に遺伝子操作をほどこしたシリウス領域の創出者や支配者の二の舞を演じてはならない。人類は戦闘能力や自然に具わった攻撃性がなくても存続できる、という間違った見解に従った彼らは、発達と遺伝子操作によってそれらの能力を自ら捨てた。それは明らかに誤った決断であり、そのため攻撃されたときに自己防衛をすることができなかったのである。その結果、退廃したヘーノク民族の末裔はシリウス領域において遺伝子操作によって人間兵器を作り上げ、このことからまたしても、今までとは異なる非常に深刻な問題が起こった。この人間兵器は創出者や支配者によって特別な目的のために創出、培養されたものである。つまり遺伝子操作によって創られた人間も初めは極めて正常な、高度に進化した人間であったが、しかし精神的、意識的、肉体的、遺伝子的にあまりにも基礎的変化を起こしていたために、創造と自然によって元来備わるべき肉体、精神、意識の特性が非常に退廃した形態をとるに至った。そのため遺伝子操作で生まれた人間は、環境の及ぼす影響に対し極めて強い抵抗力を持っていると同時に、またある意味で粗暴であり、野蛮な傾向があった。しかし、創造と自然の法則と掟、肯定と否定、公正な平衡感覚、善悪の認識、理解、記憶、従順などの要素を司る遺伝子には意識して操作しなかった。これらの要素をそのまま残したのは、彼らが完全に退化することを防ぎ、研究の結果ある程度の安全性が認められたために、意図されたことである。それによって残忍な遺伝子操作人間の生活や行動などにも、常に幾ばくかの人間的な感情の動きが働くであろうというものであった。この残された要素は昔から、平衡のとれた、善性の肯定的なものを遺伝子操作された人間の意識に上らせる役目を果たしてきた。そのため元来遺伝子操作によって培われた退廃した性質も、数百万年の歳月を経るに従って、徐々に意味が薄れてきた。しかし地球人の場合は、現在でもその痕跡がはっきりと残っており、特に一部の支配者や政権を握る者、専制君主、暴君、犯罪者、アナーキスト、テロリスト、またセクトやイデオロギーの唱道者などによく見られる。その遺伝子操作は自然のままに残された人間の平衡性、善性、そして肯定的な性質は操作に伴う退廃と相まって、分裂的状態、または少なくとも惑いの状態が見られる。この事実は太古の昔からしばしば見られ、現在でも多くの人々に認められる。こうして地球人類の心の中では善と悪、否定と肯定の争いが絶えないが、今日でも多くの場合、悪や否定が勝つのは残念である。だが、地球人類においては進化が止まることはない。時がたつにつれて善と肯定が行き渡り、さまざまな遺伝悪もいずれは勝ち得た進歩に場を譲るときが来るでしょう。しかし遺憾なことにそれは必ず成功するとは限らず、また誰にでも可能であるとは限らない。多くの場合は軟弱化したり、間違ったヒューマニズムにおぼれたりするなど、別なところで破綻する。なぜなら、正しい道を見つけることができず、そのために間誤った観念、見識、意見、想像などに陥るため、再び誤った理想を信奉することになるから。それはあたかも古代のシリウス領域の住民が、意識的に人種や民族を養成する遺伝子操作の狂気的発想に行き着いたように、多くの場合、イデオロギー的、セクト的なナンセンスやたわごとに立脚するのである。プレヤール人と古代リラ人のことについて説明すると、古代リラ人の末裔であるプレヤール人は、かつても生みの親の支配者の後裔、すなわちシリウス知性体とは善悪を問わず一切交流を絶ってしまうでしょう。そのようなコンタクトは現在もまた近い将来も、差し当たって予定されていない。それにもかかわらず二つの系統はいずれは一緒になることになるが、それは早くても遺伝子操作が元に戻されてからである。なぜなら、かつての生みの親の支配者の末裔はそのとき初めて、プレアデス人とコンタクトをするに充分な進化の段階に達するから。これはまた、ヘーノク系統以外のまったく異なった人種に属し、まったく血族関係にないシリウス知性体にも当てはまることである。現在のプレヤール人、現在のリラ人およびダル宇宙の民族のうち、ヘーノク・ノコデミオン系、もしくはノコデミオン・ヘーノク系は意識と霊の形態において、非常に高度に発達した人間的生命体に属し、地球人類、シリウス領域の住民、その他の世界の人類のような進化が遅れている人間的生命体とコンタクトをすれば、彼らの低い振動のため身の危険にさらされる。一方、彼らは法律によって、自身の進化を妨げないように、そのような進化の遅れている者たちとコンタクトをし、彼らの関心事に介入することは禁じられている。生命体としての人間は、それぞれ自らの力で進化しなければならず、その際、上位にある生命体からの認識とか情報などは、インパルスを通じてのみ伝えられるにすぎない。しかも一方では、それと気づかれないように伝えられなければならず、また他方では、低い進化段階が許容する範囲を超える認識や可能性は、与えてはならないことになっている。プレアデス人が、シリウス領域やその他の地域に住む、かつての生みの親の支配者の末裔や、本来のシリウス知性体と接触を持たないという理由もそこにある。古代リラ人は、遠い昔に地球に渡来し、何度も述べたように外部から渡来した地球人と一緒にここで活動を始めるにあたり、生みの親の支配者または彼らの末裔がゾル太陽系、ひいては地球上にいない時期、またはすでに引き揚げてしまった時期を選んだ。古代リラ人も、また後にはプレヤール人もそうであるが、常に生みの親の支配者や彼らの末裔と出会わないように留意した。というのは彼らは自らの道を進もうとし、他方では彼らが世界観の相違から別のヘーノク系民族と仕方なく戦闘行為に巻き込まれたからであった。そしてこれは結局、生みの親の支配者が遺伝子操作人間をつくるきっかけとなったが、プレヤール人はこれを根底から排撃した。そういうわけでその後、シリウス領域に住むヘーノク系民族や、それに劣らず悪質な純粋シリウス知性体との接触は一切絶たれた。一方、古代リラ人もその進化に関しては、シリウス領域に住む他のヘーノク系統の民族、すなわちシリウス知性体に比べて先駆けていたので、彼らとの接触は心身共に危険をはらんでいた。その理由だけでも、彼らとの接触は問題外であった。古代リラ人はまだかなり戦闘的、策略的であったが、同時期に意識、精神での進化も見られた。その例外は暴力をもって進化に順応しなかった者たちである。そのため彼らはリラ・ヴェガ領域を去らなければならない羽目になり、ゾル太陽系に渡った。しかし、彼らの中にも温和な進化した者たちもいて、その人たちが犠牲を払って亡命者たちに同行し、引き続き彼らを人道に適った道を歩み、進化するよう教導した。そして時がたつうちにそれは功を奏したが、失敗を繰り返すことも少なくなかった。この古代リラ人もまた、過去にシリウス領域から来た生みの親の支配者の後裔が行ったように地球人類と混ざり合った。そのため古代リラ・ヴェガ人の後裔も遺伝子操作に直面し、地球上のその他の人類と同じようにその害を被った。比較的短い期間にこうしたことが起こり、移住してすでに3000年後には、遺伝子操作の影響を受け継いでいない人間は地球上に一人としていなくなった。これは14万4,210人の指導者、下級指導者、そして亡命民族に霊の教えをもたらすために自ら進んで犠牲になった、非常にすぐれた霊的指導者の場合もそうであった。そのため地球上ではそれ以降、肯定的な形にしろ否定的な形にしろ変性の遺伝子を受け継いでいない人間は一人もいなくなった。ただその構成によって各々の平衡のとれ方が異なっており、その変性はしばしば表面に現れる。古代リラ・ヴェガ人がある意味ではすでに高度に進化しているとはいっても、創造・自然の法則に従うという点までは到っていなかった。そのために頻繁にそれに違反し、生地から亡命を余儀なくされた数百万人だけに当てはまることとはいえ、多くの災厄を引き起こした。地球上でも彼らは同じような行いをし、生みの親の支配者の後裔が興した宗教を奪い取り、地球人を虜にするために自らを創造主である神と賞揚した。その点では古代リラ人は、神である創造主と創造主である神々を頂く原始宗教の本来の発明者、創始者ではなかった。彼らの創世神話や宗教的な伝説・寓話などを作り上げ、一方ではゾル太陽系人類の本来の出生地が火星、マローナそして地球であることをひた隠しにし、それによって遺伝子操作された者たちの間で、宗教闘争や戦争が起こって自らを滅ぼし、再び立ち上がって元の出生地に戻ることがないようにした。古代リラ・ヴェガ人は時がたつにつれて心がけを改め、霊の教え、すなわち創造・自然の法則と掟に従うようになった。そのため彼らの進化は急激に進み、自らを高めていった。そのことは何としても生みの親の支配者の後裔やシリウス知性体との接触をさけるよう、彼らをますます用心深くした。そこで彼らは出生地の惑星の生息者と平和条約を締結した後、再びそこに戻ってきたが、他のグループはプレアデス星団のかなたにある異なった次元に脱出し、そこから150光年離れたヒアデス星座の先に新しい生息地を見つけた者たちと同じようにこの次元から離れた。さらに第3のグループは我々のデルン宇宙を離れ、双子宇宙であるダル宇宙に進入した。そこでこの民族は人口が増え、他の多くの民族と一緒に大規模な同盟を作った。我々の宇宙年数が80億から180億年と、地球の学者たちが主張するのに対して、いわゆるビッグバンから計算して実際には46兆5000億年たっているという。我々の宇宙は、原初創造の理念に基づいて創り上げられたもので、七つの異なった帯から成り立っており、しかも双子宇宙の片方なのである。すべての太陽系や惑星を含む銀河や銀河団などが位置する巨大な領域は、物質帯と呼ばれるが、現在、地球上の科学者によって研究可能なのはこの領域だけである。しかし、宇宙は絶えず膨張しているので、物質帯はまだその限界に達していない。そのうえ、この物質帯では絶え間なく発生と消滅が繰り返されているため、事実上、新しい物質や銀河などだけを研究し観測することが可能である。なぜなら、物質や銀河は数十億年ごとに消滅して純粋なエネルギーとなり、再び気体化され、それがさらに集中して新しい銀河や太陽、そして惑星を形成するから。物質の一番古いものは380憶年も昔のものであるという。目に見える宇宙を形成する物質帯は絶え間なく発生と消滅を繰り返すから、あまり古くなることができず、380憶年といっても、あまり古いものとは見なされない。彼らは銀河、太陽または惑星などの年数を、それらが固形体になった時点から計算するのではなく、極めてかすかなガスが発生した時点を起源として計算する。そのガスからクォーク、原子、分子そして粒子が発生し、時がたつにつれてそれは結合、凝固、分裂を繰り返す。ようやく密度が高まって固形体になるまで、回転しながら凝固を繰り返し、さらに他の物質を引きつけながら、だんだん大きくなっていく。銀河系とそれに属する太陽系もそのようにして成立し、地球も同じように成立したのである。約460億年前に固形体としての地球が生まれ、約50億年前から密度が高くなり、徐々に生命が発生し始めたということ。初期の地球は、内部から噴き出た白熱のマグマの塊からなる、溶岩の海と火山であったが、雲からは雨や霰、雪が降り、噴火する山岳に積もり、氷河も発生した。雪や氷は新しい溶岩がその上を流れるたびに溶けて泥を形成し、それが溶岩流として谷に向かって流れ、そこには時がたつにつれて肥沃な土壌が生まれた。言うまでもなく水溜まりもでき、湖や海ができた。そしてその沿岸には、湿った砂によって危険な紫外線から守られて最初の原始生物が発生した。砂の中に芽吹いた生命は、徐々に順応性を身につけ、水の中へと進出していった。水苔その他の水中植物が発生し、それはやがて冷めたとはいってもまだ熱い溶岩に広がり、さらに氷河地域にも繁殖していった。この最初の植物形態が発生したのは約50憶年前、地球がまだ空虚で荒涼としていたときであった。苔状植物の進化過程はさらに進み、しばらくたつとその他の発達した植物が発生したが、言うまでもなくそれらも、原始苔と同じように絶え間ない発生と消滅の流れには逆らえなかった。そして自然の成り行きがそうであり、また将来もそうであるように、消滅した植物は新しい形態になってまた現れ、それによって新しいアミノ酸が発生した。これもまた変遷の法則に従って、最初のアメーバ単細胞生物が発生した。さらに進化の道をたどり、最終的には数十億年にわたる過程を経て、最初の動物の形態を持つ生物が生まれた。こうして生まれた生物も、進化の過程に従って発生と消滅を繰り返した。様々な動物の死を通じて、改めて化学成分の組み換えが行われ、何度か新しいアミノ酸が発生し、それはまた様々な形態で結合されていった。そこから一つの新しい単細胞の粘質の生命体が生まれたが、時がたつにつれてそれは複細胞、そして多細胞の生物に発展していった。そしてついにそこから類人動物が発生したのであるが、それは後に人類となる最初の生物であり、またそれから派生したすべての猿類もそれにさかのぼる。つまり創造、自然、宇宙の力と進化の可能性を通じて、最初の人間の形態を持つ生命体がアメーバ網の原生動物から、直覚的、本能的、衝動的に発生した。人間になるという運命を担った最初の単細胞の生物は、今から500万年ないし800万年前に地球上に誕生したのであるが、この人類の祖先は様々な進化段階を経ることになる。オメダムと呼ばれる最初の初期人類は、480万年あまり前に、人間の形態を持つ生物体の特徴、つまり分別と思慮を、またそれを通じて明らかな意識を持つ発達段階に達した。知覚と分別能力を持った最初の人間が、この地球人類の初期の祖先であった。地球人類のその他の原型はもっと後になって出現し、150万年前に初めて自分で認識できる意識の段階に達した。約50万年前にはもうすでに具体的な発明をするまでに至り、例えば工具などを日常生活に使うようになっていた。人間は猿の子孫ではなく、まったく逆に猿類こそ人間の原始系から派生したものである。これによってチャールズ・ダーウィンの学説が無効になるが、彼は自分の間違った論題と主張を根拠づけるため、猿の骨や頭蓋骨などをヤスリで矯正し、教授然として教鞭をとっていた教育施設や大学に売りつけていた。この事実は当時すでに見抜かれていた。発達の過程は純粋な地球人類に関するものであり、惑星と自然の力を通じてここ地球に生じた。そこにはいかなる神の手も加わっていない。創造と自然の力と普遍意識に特徴づけられた発達のインパルスのみが決定的なものであった。しかしながら、地球上には地球人、つまり地球に起源を有する人間だけでなく、地球以外にその出自を持つ人間もいる。それらの人間の故郷は、限りないほど遠い宇宙にあり、彼らは時空を異にするリラとヴェガ星からやって来た、昔の宇宙飛行士の末裔で、その直系の子孫である。またこのような早期における地球への移住者の中には、シリウス星から来た人間もいる。さらに爆発した惑星マローナ/フェートンもその点ではある役割を果たしており、支配者の狂気から同惑星が爆破された際に、その生存者が地球に避難してきている。それ以来、小惑星として太陽の周囲を公転しているが、爆発のそもそもの原因は民族間の反目であった。これら多くの宇宙からの移住者の他に、はるか昔の宇宙飛行士を先祖に持つ人間が地球には住んでいるが、その数はごく少数であり、取るに足りないものである。地球上に住むこれらの人類の祖先は、総体的にみれば太古にはみんな同じ祖先に行き着く。今日、地球上に住むシリウス人、マローナ人、リラ人、ヴェガ人などすべてのプレヤール系民族の末裔は、太古においてヘーノクが120億年ほど前に最初の創出を行い、民族を形成したときに発生したものである。古代のリラ-ヴェガ人は常に彼らの戦闘能力を維持し、自分たちの起源についての知識を保ちまた大事にしたが、シリウス人やマローナ人たちはそれを失ってしまった。リラ-ヴェガ人、また後にはプレヤール人とダル宇宙のアスケットの民族だけが、ヘーノク民族がごく初期に2系統に分かれたことについての知識を持っていた。この分かれた民族はまったく異なった道をたどって、それぞれの新しい故郷を求めて遠い宇宙へ旅立った。後にシリウス領域に腰を落ち着けたヘーノク民族は、やがて自分たちの元来の出自についての知識をすっかり失ってしまい、何度も起源についての新しい伝説を創り上げて語り伝えた。彼らは自分の進化の枠内で生活し、徐々に柔弱化してしまった。その結果、彼らの戦闘意欲や戦闘能力も失われ、攻撃してくる侵攻者に対し防衛することもできない状態になった。このため一部の社会層では遺伝子操作が行われ、それによって人々は再び攻撃的、好戦的になり、また戦闘能力を備えるようになった。しかし、これについてはさらに説明を要する。なぜならこれらのシリウス人たちもある時点で地球に移住してきて、地球人類の発展にも影響を及ぼしているから。シリウス人のうちヘーノク系の者たちは、シリウス領域の広い範囲にわたって散らばり、ますます進歩を遂げた。そしていつの日か、自分たちで新しい生命を創造しようということになった。やがて彼らは、自分たちが進化を通じて遺伝的に戦闘能力を無くしたことに気づき、再三出現する攻撃者から守るため、戦闘能力を充分具え持った人種を培養し始めた。そして遺伝子操作の介入によって、堕落した、冷酷なまでに野蛮な性格を持った新しい人種が生物体として生み出されたのである。しかし、遺伝子操作によって彼らの生命は100年ほどに限られたうえに、例えば癌、アルツハイマーその他多くの死に至る疾病を含む病気や疫病に対して抵抗力がなかった。後でわかったところによると、その理由は遺伝子操作された人間が、いつの日か彼らを作出した創造主であり支配者でもある自分たちに対して、暴動を起こし全滅させるのではないかという、最もな恐れからきていた。この万一の備えはまた、遺伝子操作された者たちが、戦いで戦死しなかった場合でも早く死ぬことを保証するためでもあった。この恐怖は現実のものとなり、そのため創造者たちは、遺伝子操作され自分勝手に行動し始めた人種を、再び統制下におくために新しい道を探した。それは遺伝子操作された人種が徹底的に根絶されることも辞さないほど絶対的でなければならなかった。当然、創造者・支配者は遺伝子操作された人種よりも力を持っており、その結果、後者に残された道は逃亡以外になかった。そこで彼らはシリウス領域から逃れたが、それも好意を持つ者たちの力強い援助があってこそ可能であった。しかし、援助者たちのその好意的態度もまったくの私欲抜きというわけではなく、秘密裏に自分たちも、遺伝子操作された者たちを利用しようと策を練っていたのである。遺伝子操作された者たちのうち二大民族はシリウス領域から逃れ、銀河系中心太陽の向こう側に住み着いた。彼らは銀河系を横断し、銀河系中心太陽の向こう側のその最先端にある、非常に遠い太陽系の一惑星に定住した。彼らはそこで数万年生活していたが、ある日のこと、旧リラ系の宇宙飛行士に発見されてしまった。その後、これらの民族の大部分は移民してリラ領域に逃れ、やがて他の民族の者たちと一緒にまだ歴史も新しい地球へと向かった。地球では現在の ○ ○ ○ や ○ ○ ○ に住み着き、そこで結成した民族が、今日、 ○ ○ ○ 人、 ○ ○ ○ 人として知られるものであり、そこからさらに分裂して新しい人種を生み出した。シリウス領域から来た遺伝子操作された民族の大部分は、非常に長い年月を経てゾル太陽系にたどり着いた。また数千人の遺伝子操作された者たちは、反逆したり罪を犯したりしたため地球に追放された。彼らはすべての大陸の、様々な場所に島流しにされた。しかし、遺伝子操作された人間を含む大多数の民族は、火星とマローナ/フェートン惑星に新しい故郷を見つけ、火星が宇宙の異変で人間や動植物の生命を育む能力を失うまで、そこに都市やピラミッドなどを建設し幸福な生活を送っていた。これらの惑星に住み着いた者たちは遺伝子操作された元の人種ではなく、遠くそれらの血を引く末裔であった。彼らはシリウス領域からの最初の難民とその後何世代かの子孫たちで、ゾル太陽系を見つけるまで、銀河系をさまよった。そしてこの領域の時空構造への侵入を成し遂げることにより、シリウス領域にいるときから悩まされてきた、限りなく長い間続いた殺人的な追跡を逃れることができた。遺伝子操作された者たちの子孫は、数千年にわたって遺伝的にその影響を受けたが、その影響を消滅させるのに必要な遺伝子操作の知識を失ったため、それから解放されることはなかった。太古の昔に火星を再び離れなければならなくなった彼らが、地球に住み着いたので、すでに前から地球に住んでいた人種と混血し、彼らにも操作された遺伝子が継承された。時がたつに従って移住した人々は次々と死んでいったが、地球上を支配する転生の周期に従って再び生まれ変わった。それは必然的に今日まで続き、遺伝子操作された者の子孫が今もまだ地球人として、地球上で創成された者たちと混じってこの惑星に生活しているが、総対的には、自分の本当の起源がシリウス領域であるという知識は失われてしまっている。しかし、かつての火星の生息者は、そのころ人類が存在していたことを示す、例えば、ピラミッドや文化遺産など多くの遺跡を残している。とっくに火星に住めなくなった後にもまだ利用されていたが、最後まで頑張っていた者たちもそのうち引き揚げた。これらの一連のことはいつの日か、遺伝子操作された者たちの遺伝子を受け継いだ、何代も後に続く子孫、つまり今日の地球人類によって認められることでしょう。一方、マローナ/フェートン惑星は内戦によって破壊され、爆発させられたため永遠に失われてしまった。この惑星は小惑星帯として太陽の周りを公転しているが、昔惑星であった頃の元の軌道ではなく、昔の火星の軌道を回っている。マローナ/フェートン惑星が、火星の今日の軌道を通って太陽の周りを公転しているのは、ある宇宙的出来事のために両方の惑星の軌道が入れ替わったためである。遺伝子操作を受けたシリウスの逃亡者のうち、 ○ ○ ○ 人種が住み着いた火星、マローナ/フェートン、そして地球などの太陽系惑星は、実際、シリウス領域から来た凶悪な追跡者からの隠れ場であった。この追跡者は創造者でもあり、遺伝子操作を行った者たちであったが、彼らは逃亡者を絶滅させるために、あらゆる手段を使って捕まえようとした。隠れ場所は彼らに好意を持つ逃亡介助者たちによって用意されたものであったが、過去において彼らを生み出した支配者、遺伝子操作の創出者に対して長い間秘密にされていた。もし支配者たちが逃亡者の居場所を突き止めたならば、間違いなく処罰のための探検隊を送り込み、逃亡者全員をひとまとめにして全滅させたことでしょう。しかしこの危険は、実際のところ今日でもまだ去っていない。このような理由から、アメリカが宇宙探査機を宇宙に打ち上げるということは、極めて軽率なことなのである。この宇宙探査機には地球人類についての記載や、地球とゾル太陽系の重要な星位についての情報が納められており、これらの事が何らかのつまらぬ事情から創出者の手に渡ることになれば、直ちに遺伝子操作を受けた者たちの末裔がまだ生存している証拠が見つかることになる。そして彼らが再び宇宙飛行をし、そこで彼らの遺伝子に組み込まれた攻撃性によって別な世界の異民族と戦争でも始めたりしたら、新たな危険が迫ってくるのは避けられないでしょう。また、過去何百万年にもわたって逃亡者が生き延びただけでなく、犯罪的なまでに増え、地球とその上に存在する生命だけでなく、広大な宇宙の様々な惑星文明にまで危険を及ぼすようになったことを、遺伝子操作を施した創出者たちに知られるでしょう。そのため地球人の無分別から遺伝子操作された地球人の秘密が漏れれば、シリウス領域またはその他の場所からの攻撃を覚悟しなければならない。その結果、地球人類が全滅する恐れもあるが、そうなれば、友好的な民族の子孫も救助に駆けつけはしないでしょう。なぜなら彼らも創造者と同じように、遺伝子操作された人種の子孫を恐れて敬遠し、離れてしまったからである。友好的な者たちも遺伝子操作された人種の子孫に対して、恐怖を抱くようになった。そのことは彼らのただでさえ歪曲された血脈の伝承をさらに曖昧にした。その後様々な工作を通じて伝承はとうとう消えてしまい、そのため寓話の形で新しい伝承を作り出さなければならなかった。その寓話を通じて、かつての友好的な民族の子孫を地球人類の神として崇めるようになり、あげく彼らの虜となり、信者となった。このようにして友好的民族の子孫は、遺伝子操作された人種の子孫を再び服従させようとしたが、その際、彼らの虜となった人種の間に神信仰の祭礼、セクト、宗教、私闘、内戦、血族戦争、民族戦争などが起こり、地球人類が自ら滅んでいくようにという秘かな願望が脳裏にあった。そうすれば彼ら、つまり神々または友好的民族の子孫は、地球人の攻撃的、戦闘的かつ残忍な危険を決定的に免れるであろうというものであった。しかし、遺伝子操作によって生まれ、受け継がれた地球人の強靭さをまったく軽視したのと、さらに地球人が困窮と必要な状況にあっては互いに堅く団結するという事実を軽視したため、この企ては根本的に失敗に終わった。それに加え、いつの間にか頭脳も発達し強くなった地球人は、ますますずるく残忍になり、時がたつにつれて、それは生得のものとなった。地球人は自らの命を守るため、ありとあらゆる、新しく考え出した手段を用いて命がけで戦った。遺伝子操作された民族の子孫が、今や神と自称する友好的な民族の子孫の手に負えなくなってしまったのである。そのため彼らはいつの日か戻ってきて地球人類の責任を問おうと、復讐を誓いつつ、とうとう地球から引き揚げて行った。この引き揚げによって、リラ-ヴェガ人たちが地球と地球人類に接近する邪魔をするものがいなくなってしまった。そこで彼らは自分たちの時空層を離れて我々の次元にやってきたが、それは単なる調査のためでなく、自分たちの故郷では戦争が始まっていたこともあって逃走という形で来たものであった。そのような理由で彼らはゾル太陽系、すなわち地球を訪れたのであるが、時がたつにつれて彼らもまた、神のように振る舞い、災厄を引き起こそうというのが唯一の目的となった。かつても友好的な民族の末裔は当時も今もそのことについて何も知らず、また、地球人類に対して共通の祖先が与えた損害を償おうと試みた、平和を愛するプレヤール人の存在もしらなかった。しかしこれに関して述べておかなければならないのは、シリウス人に発見される危険はあるものの、その危険はさして大きなものではないということ。なぜならシリウス領域は地球からわずか8.7光年しか離れていないにもかかわらず、遺伝子操作人種を創った者たちの子孫は地球とは異なった時空層に住んでいるから。すでに2200万年以前に、古代リラ人が初めて地球を訪れたが、そこには様々な人種が存在していた。リラ-ヴェガ系には例えば、小人、リーゼン、ティタン、ギガンティス、そして地球人のような普通の人種など、非常に多くの人種が住んでおり、皮膚の色もまた解剖学上の差も顕著である。最初に地球に住んだ古代リラ-ヴェガ人も ○ ○ ○ 、 ○ ○ ○ 、 ○ ○ ○ の人種であった。彼らの地球上での生活はしかし長続きしなかった。当時の生活条件はまだかなり人間には厳しく、荒れ果てていたため彼らはやがて地球を後にした。だが彼らは、かつての友好的なシリウス人が遺伝子操作された人種をそうしたように、自分たちの人種のうち、罪を犯した者たちを地球に島流しにした。そういうわけで地球は再び、一時期流刑地となったが、リラ人の罪人たちは地球にすでに流刑人として住んでいた者たちと混血した。その結果、リラ人の流刑人たちはやがて退廃していった。なぜなら、古代リラ人やシリウス領域から来た者たちがしたのと同じように、罪人たちに技術、文化その他の援助は、何も与えないように規定で定められていたから。罪人たちは社会から隔離され、人里離れた荒れ果てた島や惑星に追いやられた。そこで身体、精神、また意識の面でこそ自由であったが何の援助も受けられず、自然の死が訪れるか、それとも仲間同士の暴力によって死に至るまで生活しなければならなかった。何の援助もないということは非常に苦しい不自由な生活を意味したが、しかし教材となるものは禁止されていなかったので、人生の途上で勉強をすることは可能であった。罪人たちは自給をするにあたり、日常の食料やその他のすべての必需品を手に入れるために、厳しい労働をしなければならなかった。また彼らは島や惑星を離れる手段を持っていなかった。しかも男女は別々にされていたため、流刑地で子孫が増えることはなかった。そして罪を犯したために、その償いをする場所に連れてこられた者たちは、死ぬまでそこにとどまらなければならなかった。これらのことは罪人に自分が犯した罪に気づき、理解するチャンスを与え、それを通じて間違いや恥ずべき行いを繰り返さないようにするためである。また、罪を犯さない者たちの社会からの罪人の存在を取り除いて害や悪影響を及ぼさないようにし、同時に罪人の食糧問題やその他の不快なことで煩わせられないためでもあった。流刑者が何らかの方法で逃げ出さないように流刑の初めのころはたいてい厳しい監視が行われた。しかし時がたつにつれて監視はまれになり、罪人が地球に追放されなくなると、やがてまったく中止されてしまった。その結果長い期間、彼らは成り行きに任されていた。地球が植民地になった経緯については670万年前にさかのぼる。そのころ、最初の ○ ○ ○ 人種の祖先の先駆けが地球に住み着き、彼らもやはりリラ-ヴェガ系から到来したということであった。 また彼らはヘーノク民族が二分した際にシリウスの方向に逃れ、その子孫がシリウス領域から逃亡しなければならなくなったとき、銀河系の向こう側に移民したのであった。しかし、そのころの彼らの体質と順応性はあまりにも退化、柔弱化していたため抵抗力がまったく衰えており、670万年前の地球の荒涼とした環境はこの分裂民族を全滅させた。およそ、38万9000年以前にさかのぼるこの時点では、古代リラ-ヴェガ人の子孫が勢力争いをしていたため、リラおよびヴェガ領域、つまり我々の次元とは異なる時空層において激しい追跡や戦争が行われていた。膨大な数にのぼるこのリラ民族の子孫は、自分たちの故郷を逃げ出し、古い記録文書に従ってゾル太陽系と地球を探すために、我々の宇宙に侵入してきた。そして地球を発見すると彼らはここに定着し、一方では伴侶を求めるという単純な理由から、また他方では遠来の民族にとって、野性的な地球人が何となく美しく魅力的に感じられたため、地球人の粗暴な種族や民族と混血した。しかしこの結合の主な理由は近親結婚を防ぎ、新しい血脈を導入するためであった。そういうわけでリラ民族の末裔は地球人類と交わったが、両民族の容貌、皮膚の色、体の大きさなどは著しく異なっていた。この差違は結果的に多くの退化をもたらした。それは奇形その他の人間生命の変形、また憎しみと妬み、陰謀と権力争い、戦争、殺人であり、さらに当時存在していた都市ソモンとトゥーラスを焦土と化し、すべてをガラス化した地球上初めての原爆戦争であった。この両都市には、当時古代リラ民族の子孫と彼らの地球人の妻や夫たちが住んでいた。当時の出来事の一部については予言者ヘノホ(その霊形態は先行する転生ではヘーノクとノコデミオンと称した)の書が述べているが、西暦300年ごろ聖書から削除された。この聖書の中には多くの変造が見られるが、一部の出来事は跡付けることができる。これについて述べると、その後続く数千年、数万年、数十万年にわたって、繰り返しヘーノクの血筋を引くリラ-ヴェガ系から地球を訪れ、彼らも地球人類と混血し、新しい歴史を作り出したということである。最初にヘーノク系の者が訪れる以前に、その他の地球外知的生命が地球惑星に飛んできた可能性があり、それは私たちと同じ宇宙、そして同じ時空構造から来た者に違いないということである。それは地球上で発見した1億2000万年以上昔の人間の足跡の化石や様々な事実によって証明できる。またその他の証拠も、非常に早くから地球上に地球外知的生命がいたことを物語っている。純粋に地球上で創造された人種を除いて、地球上でどれが一番古い民族で、どれが一番新しい民族かについては、ヘーノク系で地球へやって来て住み着いた最初の三民族は、 ○ ○ ○ 、 ○ ○ ○ および ○ ○ ○ 人種であったが、彼らは普通の体格をしており、平均身長は約170cmであったという。これらの民族は当時遠く離れた恒星系に住んでいたが、2200万年以上前に、暗黒の迷走惑星のために危険にさらされた。いくつかの宇宙はこの迷走惑星が突入して再び通り過ぎるときに破壊され、そのためそれは破壊者と呼ばれた。宇宙の破壊を生き延びた者たちは文明を再び築き直し、破壊者の新しい軌道を究明しようとした。それは宇宙の長大な距離を、ものすごいスピードで移動し、最後にゾル太陽系に達すると、いわばそこに閉じこめられたような形になり、それ以来繰り返し太陽系内を駆け巡り、一度ならず地球を危険に陥れた。そこで当時の科学者は破壊者の進路をたどり、そして結局我々の太陽系にある地球を発見した。荒涼とした厳しい気候に慣れていた宇宙からの旅人たちはここに住み着いたが、それは困難を伴うものであり、多くの者たちが命を落とした。異なった皮膚の色をした巨人たちや小人、そして生物が地球に住み着いたのはずっと後のことであった。それは気候が温暖になり、すべての環境と大気圏が生命に脅威を与えなくなってからのことであった。それからさらに時がたって今からおよそ2万1000年前、あらためて地球外知的生命が地球にやってきたが、それは最後に移住した民族のさらに遠い末裔であった。しかしながら、この民族は我々の時空構造ではなく、リラ-ヴェガ系の異なる時空層にある異郷の世界に住み、そこは太古の昔から古代リラ人やヴェガ人が定住していた所であった。地球に新しく移住してきたこの民族は小人族であった。その大きな一族がサヌラ湖の畔に住み着いて生活していたが、その高原の湖を深い谷から囲っていた自然の西岸堤防にひびが入り、堤防の決壊によって何もかも押し流され、40cmほどの小人が住んでいた岸は崩れてしまった。その後斜面やその周辺一帯は徐々に土地が固まって森林になった。後から地球にやって来た人種はみんな皮膚の色がたいへん黒く、彼らは今日アフリカ大陸として知られているところに住み着いた。そこからさらにオーストラリア、ニュージーランドその他の場所へ広がっていった。さらに人種混合によってそこから多くの亜種が生まれたが、これは ○ ○ ○ 、 ○ ○ ○ 、 ○ ○ ○ 人種でも同じであった。そしてそれらの分岐した人種は惑星全体ではないにしても極めて広範囲に散らばっていった。 ○ ○ ○ 民族は宇宙の一時代前、正確にいうと2万5984年前(1996年現在)に地球にやって来た。彼らは、リラ系宇宙のラサン惑星に隣接するニッサン惑星から移住して来た。彼らは銀河系の向こうの端(銀河系太陽の向こう側)にある、ニッサン太陽系のクードラ惑星に住んでいた民族の遠い子孫で、240万年前にリラ系宇宙のニッサン惑星に移住したものである。移住の理由は異常な人口過剰であった。リラ-ヴェガ太陽系に位置するリラ-ヴェガの子孫の元の故郷への道は、古代リラ人の大調査船団が銀河系を長期にわたって調査していたとき、ニッサン太陽系のクードラ惑星上でヘーノク系の. ○ ○ ○ 民族に出会ったことに端を発している。リラ-ヴェガ民族やプレヤール民族とならんで、未知の異民族が非常に古くから地球を訪問していたことを示している。しかし、先にこの惑星に島流しされた罪人や、中国、日本、アジア、ヨーロッパ、ユーラシア、オーストラリア、様々なオセアニアの島々、アフリカ、アメリカ、南米などに住んでいた、純粋な地球原生人にも妨げられることなく住み着いたリラ-ヴェガ民族や他のヘーノクの血脈者たちとは違って、これら初期の異民族は、我々の惑星に最終的に定住することはなかった。古代のヘーノク民族の後裔、特に古代リラ-ヴェガ民族は、進化の面では地球人をはるかに超越しており、そのため彼らの生活水準や文化程度は高かった。彼らの文化の名残は今でも追体験できるが、それは誤った学術的な説明や主張とは違って、真理と事実にかなっている。発展と成功、そして権力を熱望するヘーノク民族の間では、昔から習慣として、支配者に対して人民の一人ひとりが権利を主張した。その結果、いつも改革や戦争の絶え間がなく、すべての文化や種族が一瞬のうちに根こそぎ破壊、抹殺されてしまった。しかしそのたびに、少数の者たちが適時に惑星を脱出して生き延びることに成功し、それらの子孫や末裔は、度々地球に戻ってきて新しい都市や文化を起こしている。その例としてゴビ砂漠の中の都市ムーや、今でもアゾレス諸島にその遺跡が残っている大アトランティスが挙げられるが、小アトランティスは今日地中海のギリシャ領海に存在する。損害によって賢くなった彼らは、反目を避けるために都市ムーと大アトランティスを遠く離して建設したが、平和は長続きしなかった。平穏な生活は1万8000年で終わり、その後前代未聞の狂気の争いによってゴビ砂漠の都市ムーは完全に破壊されてしまった。一方、大アトランティスと島全体は敵に操られたアドニス(大きな小惑星)に破壊され、海に沈んでしまった。それはおよそ1万1500年前のことであった。ムーと大アトランティスの出来事のおよそ2000年前、古代リラ民族の末裔が再び地球を訪れた。彼らの祖先は2200万年前と38万9000年前にすでに地球に来て住みつき、活動したことがある。彼らはまた青い惑星に住み着き、再び堕落した地球人類と交わり、新しい血を混ぜることによって、すべての面から彼らの遺伝情報に適った新しい人類を生み出した。ここでもまた遺伝子操作が行われた。この結合を通じて三つの異なった人類が生まれたが、それは純粋の ○ ○ ○ 、 ○ ○ ○ 、そして ○ ○ ○ 人種であり、その後の混血を通じてさらに種類が増え、様々な特徴と色のニュアンスを呈するようになった。生殖による組み合わせと遺伝子操作を通じて、ここ現在地球に住む人類の祖が3人生まれたわけである。その名も最初の人類を意味するアダムの父はセミヤーザといい、全人類と全民族を見張り、あらゆる面で秩序を保つように取り計らう役目を負った、最高の監督であった。アダムは今日の ○ ○ ○ 人種の祖であり、エデンの園または楽園と呼ばれる、正義の園でセミヤーザによって創られた。この庭園はギルガメッシュ王でも知られる、古代都市ウルク近郊の二大河川(イラクのチグリスとユーフラテス)の地にある。同じような生殖行為によって均整のとれた女性の生物体、エヴァ、すなわち産む者が誕生した。後にセミヤーザの指令によってアダムとエヴァの肉体的結合が行われ、最初の男児が生まれた。その後さらに子供たちが生まれたが、そのうち一人の息子を除いて、古くから続く他の部族の女性や男性と結ばれ子孫をもうけた。このようにして時がたつにつれて、今日の ○ ○ ○ 人種が増えていった。遺伝子操作された人種との交わりは、 ○ ○ ○ 人種の祖である最初の父レドンを生んだアサセルによって行われた。 ○ ○ ○ 人種の最初の父としてテト・エルがサルタエルより生まれたが、ここでも遺伝子操作が行われた。アサセルもサルタエルも監督の一族に属する者であった。新しく生まれ、創造された3種の地球人類は誕生以来、三つの異なった大陸に住んでいたが、他人種と混血することなく、常に子孫の繁殖を同じ人種との間で行う義務を負わされていた。しかしやがて彼らも、地球上の人類がずっと昔からそうしていたようにすべての命令や良い助言を無視して異人種と混じわり、多くの混血人種が生まれ、広がっていった。それについては書の中の書、すなわち真理の書、『OM』(Omfalon Murado、オムファロン・ムラード)の31章563節から565節に次のように書かれている。(563節)そして様々な人種の子孫は一緒になり、新しい種族と人種を生んだ。それというのも、人は昔から規則や掟に従わない性質を持っており、遠い昔の先祖と同じように、この500年というものは大きな悪の中に生きた。(564節)そこでJHWH(イシュヴィシュ)が言うには、指導者ガブリエルが地球人の女との間に子孫を創る。その者はやがて彼と識者たちによって教えを受けるが、その者の霊体は宇宙の深遠から遠く旅して来た者のそれである。(565節)ガブリエルによって創られ、地球上の女であるサラナから生まれたヘーノクは地球上の人類に教えをもたらし、366年生きた。ヘーノクは後にヘーノッホと呼ばれ、地球上における最初の預言者であった。当時の人類に多くの学識、知識、英知などをもたらしたのはこの人であった。しかし後の世の多くの預言者の教えと同じように、彼の教えも識別できないほど変造され、伝えられた教えの中には、本当の真理は極めてわずかしか含まれていない。しかも今日では、このわずかの真理も宗教的な説明と解釈に組み込まれているため、それを選り分けてわかりやすい形で理解することができる人はまれである。地球人類の間で神のように振る舞ったのは、リラ-ヴェガ人だけではなかった。これらの多くの神々たちは、粗暴で残忍な暴力をもって地球人類を服従させ、自分の勢力下に治めようとした。その最たるものは、良心のかけらもない、卑劣で陰謀的、と記されているギゼー知性体である。それと並ぶのは宇宙人のアシュタール・シェランとその一味で、彼らは地球人類に対して権勢欲とイデオロギー上の惑わしで最悪の役割を演じた。その後ギゼー知性体は、1980年代にプレヤール人によって捕まえられ、悪事を働けない世界に追放され、また球状、三角形および円盤状の彼らの宇宙船を全部破壊されてしまったので、宇宙飛行もできなくなった。またアシュタール・シェランとその一味は、アスケットの民族を戦争による暴力で屈服させようと、数年前にダル宇宙に侵入したため、邪教や権勢欲による地球人への危険は去った。だが、アシュタール・シェランの指令宇宙船とすべての船隊は、火を噴く戦闘のさなかに彼を乗せたまま炎上し、全滅した。そのため彼とその一味はもう我々のデルン宇宙に戻ってくることもなくなった。もし、彼らが転生を通じて生まれ変わってくるとしたら、それはダル宇宙であり、前世についての記憶は残っていない。なぜなら霊体が生まれ変わるたびに総体的意識ブロックの人格変化も行われるから。そういうわけで、アシュタール・シェランとその一味、また彼が地球人類を自由に操ろうとして撒き散らした邪教も、地球人類その他の多くの者たちにとって危険ではなくなった。言うまでもなく、古代の地球外知的生命の中には良い神と悪い神がいたが、時がたつにつれて、一般的に遺伝子操作によって退廃してしまった地球人は、どちらにも従わなくなってしまった。従順であったのは、民族のうちのごく少数の指導者的立場にあった者と、イデオロギー指導者と神々に盲従する者だけであった。それは約38万9000年前、遠来のセミヤーザが最初の人間アダムを創ったときにその兆しが見え、その後もたびたび同じことが繰り返された。ちなみにアダムは地球上の最初の人間ではなく、地球外知的生命が約1万3500年前に、差し当たり最後の地球移住したときに初めて創出した人間である。その後ガブリエルによって地球上でヘーノクが創られた。アダムとヘーノクの誕生後、遺伝子操作された人種、つまり地球人類は惑星全体に定着し、人口を増やしていった。彼らはこの世界の絶対的支配者となっただけでなく、同時に破壊者にもなった。遺伝子操作された人種の大部分はそのときになっても、まだ遺伝子操作の作用、影響、退化に極めて強く縛られていた。そのため、戦闘的で悪意をもち、野蛮で流血を好み、物質欲が深くて、病的に欲望深く、淫らで、感情的、というようにあらゆる面で退廃していた。この悪質な遺伝子素質は古い昔から遺伝子操作によって受け継がれたもので、優性であり、エデンの園のアダムとエヴァと魔性の蛇というキリスト教の間違った教えが物語るように、いわゆる遺伝ともいうべき要素を形作っている。この遺伝悪は実際に現実的な背景を持っているが、しかしそれは、宗教が表現し主張するものとは一切関係がない。つまり遺伝悪は、アダムとエヴァがエデンの園で服従しなかったことが原因ではなく、古代シリウス人が人間に施した遺伝子操作が原因である。退廃した好戦的性質や一部人間を文字どおり悪の権化に成り下がらせるのは、恐らく実際に遺伝子の中のDNAが操作された結果に他ならず、遺伝子研究者によってその操作方法が発見されれば、元に戻すことが可能でしょう。この太古にさかのぼる遺伝子操作は今日地球上に生活するすべての人類に受け継がれたものであるが、遺伝子技術がその根源を発見し元に戻す能力を開発すれば、この遺伝悪から解放されることも不可能ではない。それは必ずいつの日か可能となるに違いない。そうすれば人類は元来の生物体としての人類に戻り、ただ生物体として生活に耐えるために必要とする好戦性と攻撃性のみを持ち、退廃することを免れるでしょう。このように遺伝子を再度操作することによって遺伝は妨げられ、それ以上に受け継がれることがなくなれば、地球人類特有のものとなった悪と退廃的な攻撃性は、再びなくなることでしょう。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2020.05.25

〇セミヤーゼの言葉全部で七つある主段階もしくは主期間はまた七つの副段階に分かれていて、それぞれが一つの全期間を成している。あなたはそれを一学期だと言うかもしれない。その言い方をすれば、学期の人生に七科目を修得しなければならないということになるでしょう。これを図式的に説明しよう。一、原初的生一)知性と意識の原初的発展二)原初的な知性的思考と意識的思考三)原初的な悟性的思考四)知性と意識力の原初的な適用五)悟性に従う原初的な行動六)意志に従う原初的な思考と行動七)悟性に従って生きる。この段階にある生命体は、すでに理性豊かな生き物からは、精神病(意識病)あるいは白痴などと呼ばれる。しかしこの段階にある意識および知性は、実際にはただ知識の面で未発達であるにすぎない(新生霊はまず学習と経験などを通じて修養を積まなくてはならない)二、理性的生一)理性の原初的発展二)理性の効果的な実現とその適用三)高次の影響力の原初的な認識と認知四)知識を伴わない高次の影響力に対する信仰五)高次の力に対する信仰、迷信、悪に対する畏怖、善の崇拝など。宗教などの萌芽期。平均的地球人の現段階六)真の現実についての原初的認識。知識が発展する段階。研究、霊の最初の認識とその利用(霊治療、テレパシーなど)七)知識と英知の原初的発展三、知性的生一)知性の高度な発展。高度な技術。最初の認識に基づく第二の霊力利用。生命体の原初的算出。教養ある地球人(科学者など)の現段階二)知識と真理と英知の自覚および応用。信仰心を徐々に解消三)知識と英知の最初の利用四)自然法則の認知および利用。超高度の技術の獲得。生命体の高次の算出五)霊力の認識に基づく知識と英知の自然な応用。信仰心の一層の解消六)英知と真理と論理の知識をもって生きる。少数の境界科学・精神科学者の現段階七)絶対的な実在としての現実の原初的認識四、実在的生一)絶対的な実在としての現実に関する明確な知識二)霊の知識と霊の英知の認識三)霊の知識と霊の英知の利用四)創造とその法則の実在の認識五)創造の法則に従って生きる。霊と知性の解明。霊の真の使命と力の認識。あらゆる信仰心の完全な解消六)霊力と意識力の適切かつ自制的な利用七)生存可能な最初の生命体を算出五、創出的生一)生命体の産出と制御二)機械/装置による生存可能な生命体の創出三)物質的かつ有機的な生命体を支配するに至るまでの霊と意識の力の発展四)生命とそのあらゆる形態および種類を意志に従って支配五)認識の段階。前世の回想六)英知の王位=JHWH。最高位から一段下の強大な知識七)霊の平和、普遍の愛および創造の調和の認識六、霊的生一)霊の平和、普遍の愛および創造の調和の認知と実現二)純粋な霊体として生きる三)霊の創出四)有機的肉体からの霊の離脱五)最初の霊の存在形態六)最終的な霊の存在形態七)創造への移行七、創造的生一)七つの期間/永遠にわたる半睡状態二)目覚め、七つの期間/永遠にわたり創造として創造において創出を開始三)生命体の創出四)創造の完成において新生霊を創出する五)創造において霊的な偉大さを創出する六)創造において創造を完成させる七)第七の期間(永遠)の最高度の完全性に最終的に到達する。創造の半睡状態は七つの期間/永遠/大いなる時代(一つの期間は三百十一兆四百億年)にわたって続く創造が半睡状態に入ると、すべての生命と全宇宙は存在することをやめる。創造が再び目覚めると、再びすべてを新たに創出する。創造の半睡期には時間も空間も存在しない。すなわち無となる。なぜなら、時間と空間は創造とゼロ時間の果てしないふところに抱かれて眠るから。創造に創出の思念がなければ、いかなる力も、時間も空間も存在しない。ただ名状しがたい無が続くのみである。霊体は受胎後21日目に胎芽に再転生し、それに伴って、霊体に付随する意識ブロックが転生する。意識ブロックは、胎芽にとって感電のようなものとなるに違いない。なぜならこの時点から心臓の拍動が始まり、全調節回路がその役割を開始するから。ちっぽけな胎芽がその体験を意識したなら、「おおい、ぼくはいま人間になったよ!」と叫ぶことでしょう。しかしまだすべては無意識に進行している。創造はどんな生命体にも極めて明確な特性を付与しているため、ごく自然な繁殖が可能なのである。統一の法則は宇宙全体で等価である。異なる性、すなわち男性と女性という、それ自身において統一的な二つの特性が大統一または超統一を形成して生み出すようになっている。物質的に制約された生命体の繁殖という形においても同様である。こうした生命体のみが繁殖し、種の保存の法則に従う。高次の霊形態はこの状態を越えている。なぜならそれらは物質的な肉体に拘束されず、したがって生殖の必要性からも自由だから。でもそれらは、新生霊を創り出すことはできない。それができるのは創造自体だけだからである。繁殖行為は宇宙全体で統一的な形態をなしている。つまり、子孫の繁殖を保証するためには、宇宙のどこにあっても常に二つの特性、すなわち肯定的なものと否定的なもの、男と女が合一しなければならない。このことは創造によって創り出されたものであって、これ以外の可能性は存在しない。ただし、雌雄両性に分類される生命体の自家受精は度外視する。マリアは霊の力もしくは精霊によって受胎したと主張されていることについては、人間の邪悪な空想の馬鹿げた産物であって、病的に思考する地球人によって編み出されたものである。彼らは限度を越えた病的な空想によって、霊の真理を不可能なほど歪曲させる。あらゆる真理と知識を喪失し、そのために全宇宙で最も邪悪な存在にまで自らを貶めるのである。とはいえ、地球人は宇宙に存在する他の全ての生命体と比べてより悪いとか、またはわずかに悪いということではない。今や地球人は邪悪な奈落へと滑り落ちているのは確かだが、だからと言って彼らは他の生命体より悪いわけではない。なぜなら、他の人間も同じ発展の段階を通過しなければならないから。だから私たちの側から、あるいはまた私たちよりもずっと上位の霊的水準から大多数の地球人を叱責したとしても、それは地球人が他の生命体より劣るという意味ではない。真理というものは常に苛酷な響きを持つもので、喜んで傾聴されることは決してない。したがって、地球人の発達に関する真理が苛酷で厳しいものに聞こえたとしても、そのために悪の面を過大評価すべきではない。というのはすでに言ったように、地球人はこの宇宙において、やはり固有の発達段階を通過しなければならない他の全ての生命体より、良くも悪くもないから。狂信的な、あるいは単に惑わされた教派信者や妄想者、宗教の信奉者や擁護者は、残念なことに自分たちの理解できないことを空想的で病的な願望でくるんでしまう傾向が非常に強くある。こうして彼らは狂気の中で、創造によって規定され創始された性的な繁殖形態は何か変態的なものだと空想する。彼らはその病的な狂気のために、このような繁殖形態を規定してそれを良しとみなしたのが創造自体であるという真理を認識できない。そのため、このような狂気に陥った生命体は、性的な繁殖が非霊的で不純であると信じている。言うまでもなくこのような狂気の観念は、宗教を開いた者の古き誤った教えから生まれたもので、彼らは性的領域における地球人のある種の堕落を、誤って理解されたなんらかの法律や掟を使って阻止しようとする。元々は彼らは世界の改良を目指し、地球人の性的な堕落だけを監視下に置こうとしたのだが、自分たちにも理解できない誤った解釈によって人間を狂気と混乱に追いやったことには考えが及ばなかった。すでに言ったように繁殖行為は宇宙全体で同一であり、物質的な生命体において霊的な増殖がなされるという考えは病的な空想の範疇に属するものである。イマヌエルの母マリアも、何らかの霊的な力や精霊によって受胎したわけではない。彼女は天孫ガブリエルと同衾し、ガブリエルによって身ごもったのである。それは、当時地球人の幾つかの種族を支配していた天孫の指導者、イシュヴィシュと呼ばれた神の高度な命令によるものであった。〇ビリーマイヤーの言葉 だがよりにもよって現実逃避を旨とする教派が、クローン化を推進する運命にあるかは疑わしい。あらゆる種類の教派が必ず人間を白痴化し、信奉者を愚か者におとしめ、誰ひとりとして自己責任を担う能力がなく、教派の頭目のでたらめな主張に合わせて踊り、考え、感じ、行動し、好きなように振る舞っているに過ぎないことを考えるならば、そうした集団によって作られるクローン人間が全く適切なものではないということは、どんな理性的な人間にも明らかでしょう。 それは創造に反してさえいる。というのはそこからは創造に相応しいものは創られず、教派とその頭目にとってとてつもない利益を生むだけの低価値のものだけが創られるから。この利益は単に金銭や財産の点だけでなく、クローン化により教派に迷わされた羊が新たに生み出されるという点でも法外である。これら迷える羊たちは、故人をクローン化すれば、死んだ両親、兄弟姉妹、子供、配偶者、友人などを本当に取り戻せると信じている。 だが、それだけではすまない。それらのクローンも教派によって、すなわち教派の信者やその頭目によって教派のメンバーにさせられるのは間違いない。人間のクローン化においては全体のある極めて重要な部分が考慮されていないが、誤った教えで信者を白痴化している教派主義者の場合にはなおのこと。 この全体の重要な部分とは、つまり人間のクローン化により完全に新しい形態の人間が誕生することになり、それらの人格および性格に関する発展は少なくとも当面は予見できず、したがって把握できないということである。これは教育、情緒、思考および感情の点でも、したがってまた心、個性、性質、能力、習慣などの成長と特性の点でもそうである。さらに、クローンにおいては死んだ人間に固有であった精神形態や意識形態もしくは人格が転生しないこと、したがってクローン人間では別の全く新しい人格と精神形態が出現するということについても熟考されていない。 なぜなら彼らは、まさに地球人はクローン化によって作られたと称しているから。彼らが教派の頭目自身が少なくとも遺伝子工学や、特にクローンとその影響などに関して無知なので、人間のクローン化やその可能な帰結について、またクローンはその細胞などを取り出した死者と性格や人格などの点で決して同じ人間ではあり得ないという事実について正しく理解していない。 クローンがすでに死んだ、あるいはまだ生きている細胞提供者と心理的、人相学的に等しいか似ているというだけでは、細胞提供者の性格や人格なども絶対に間違いなくクローンに移行したことを意味しない。この点については、生きている細胞提供者の細胞からクローンが作られる例を取り上げてみればいい。細胞提供者はその性格や人格、その他すべての重要な事柄や価値を、自分自身から生み出されたクローンと分かち合うことはできない。そんなことは創造の法則にも反するでしょう。 創造の法則が定めるところによれば、どんな人間の生命形態も、たとえクローン人間でも、固有の意識形態と精神形態を持ち、したがって自分自身の性格および自分自身の心などを持ち、またこうしたすべての価値は別の生きている、あるいは死んだ人間の生命形態から、なんらかの操作で他の人間や、まさしくクローンに移すことはできないのである。 太古にはすでに地球上でも地球外知的生命の手で、まさしく遺伝子工学的操作により人間動物や動物人間の被造物が創られた。その昔遺伝子工学操作によってケルビムとセラビムが創られたときに起こったことは、将来も地球上で繰り返されるでしょう。遺伝子工学による食料の生産や改良は、これは植物にも関係するが、惑わされた者たちがどんなに騒ぎ立てようとも妨げることはできないというのは、くつがえすことのない事実である。 すでに動物人間や、やがてまた人間動物の方向で遺伝子操作されるところまで来ている。というのもこの必然的な進歩は、簡単に止めることができないから。この場合に注意しなければならないのは、すべてが正しい軌道を歩み、退廃が生じないようにすること、たとえば動物人間や人間動物を創り出し、それらが将来奴隷として露命をつながねばならなくなったり、あるいは兵器として用いられたりしないようにすること。 しかしこれはすでにひそかに生身の人間でも計画されている。というのも遺伝子操作によって人間の戦闘ロボットを育成し、特に戦闘クローンの形態でも創り出そうという研究がすでに秘密裏に行われているから。これと並んで、過去数十年前に猿やイルカや豚など、ごく普通の動物も兵器として調教され、戦争目的のために使用されて殺されたという事実は、多くの人間に知られていない。確かにこうした事柄では地球の科学者は、普通の市民が夢想するよりもはるかに進歩しており、すでに長年そうした実験に取り組んでいる。それに加えて、遠い将来、新しい、非常に重要な物質の発見が告知されている。これを利用することが出来れば人類に多くの利益をもたらすことになる。これらすべてのことが起こるのは地球上に新しい秩序が効力を発し、それによって人間のあらゆる要求が安価に満たされるようになったときである。それと関連して、オーバーオール状のスーツが発明され製造されるが、それを着ることによって補助器具を使わなくても空中を飛ぶことができる。しかしこれらのことが起こる30年足らず前に、人体の第3の遺伝子情報コードが発見される。その期間にはまた、老齢、心臓、消耗による病気などの問題を解決する決定的な第一歩が踏み出され、約25年かかって完成する。これと前後して、階級差別のない社会の可能性が生まれ、また全世界の汚染された河川、湖水、海洋を浄化する工学的・生物学的な前提条件が編み出される。この賞賛すべき進歩は裏を返せば、また極めて否定的な発明から成り立っている。これは生物兵器として多くの災害をもたらし、人間や動物を数秒のうちに老化させてしまうものでもある。
2020.05.18

〇セミヤーゼの言葉生きとし生けるものはすべての上にはその生と死に関しては権威を持つ唯一のものが存在する。それは唯一創造のみであって、すべてのものについて法則を定める。それは覆すことのできない法則であり、永遠に効力を失わないものである。人類はそれを自然の中に認めることができる。力を尽くして創造に従うならば、それは人に生きる道を示し、人生の目標である霊的偉大さに到達する道を教える。しかし人が宗教に、そして邪悪で間違った狂信におぼれるなら、その霊はますます価値を下げ、ついには底なしの奈落への道をたどるでしょう。人間は霊的な法則を学ぶべきで、神を崇拝すべきではない。なぜなら、神とはその昔地球を訪れた宇宙人が、未開な人類に対して権力を握り奴隷化しようと、自分を神と崇めさせたものにすぎない。それは人類が創造の法則を学び、自然との調和のもとに生きる努力をすることを妨げた。地球を支配するということは、最後にはこの惑星を破壊するということ。私たちは完璧というには程遠く、さらに発達し続けなければならない。地球人が無知や想像を通じて信じているように、私たちは完全無欠でもなく、いわゆる超人でもない。私たちはまた教師でも伝道師でも先駆者でもない。私たちはただ宇宙のなかで発達し、またすでに存在する人間の命を守るという義務を果たす使命を託されているだけ。ということは私たちは秩序を守り、生命を監視するということに力を注がなければならない。時折、私たちは様々な世界の生息者に近づき、説明をすることがある。しかし、それはある人種が高度に発達し、そろそろ考え始めたときにそうする。そして徐々に、宇宙の中で彼らだけが考える生き物ではないという観念に慣れるための準備をする。時にはテレパシーを通じて確かな知識を芽吹かせ、時宣を得て技術的な発明がされるよう助けることもある。宇宙全体にこれと同じ元素があるのだから、化学者には加工の方法、つまり技術的な特性に注目するようにと言われて持ち帰ったサンプルの一つには、固まった金属塊の中に小さな球状粒子が閉じ込められていた。博士はこの状態を大変不思議に思った。この小さな粒子が均質に金属の全体に分布しているということは、説明のしようがなかった。その金属の小さな一片を顕微鏡で調べたとき、このサンプルからガスが流出して、載せていたプレキシガラスの小さな板が壊れた。これほどの活性は金属では極めてまれである。金属片の一つが著しく酸化していたので、酸化層を金属切削機で取り除こうとした。切削機で触っただけなのに赤い筋が現れ、酸化層が消えてしまった。触れただけで還元されて純粋な金属になった。サンプル自体はそれほど珍しくもない銀合金であった。もう一つの三角形をした金属は、二つとも極めて純粋な銀とアルミニウム、さらにカリウム、カルシウム、クロム、銅、アルゴン、臭素、塩素、鉄、硫黄およびシリコンからなる極めて複雑な合金であることがわかった。顕微鏡でとらえられた小さな範囲内には、周期表のほとんどすべての元素の注目すべき混合物が見られ、しかもそれらは各々、最高純度を保っていた。そこにあるすべての純粋な元素は、他の各々の元素と結合しながら、同時に何らかの形で個別の構造を保持していた。倍率を500倍に拡大したとき化学者たちは、2本の平行に走る微細な溝があるのを発見した。この狭い帯域の主な元素はツリウムであることがわかった。ツリウムはごく微量にしか存在しない。それは高価でプラチナよりも高く、手に入れることが難しい。倍率を2500倍に合わせると二重糸構造が現れた。金属であると同時に結晶でもあるということがわかる。それはらせん状に並んだ6面の結晶構造を見せていた。顕微鏡の撮影を見ると、構造が持つ優秀な伝導率を明らかにしていた。どこからみてもそれは、金属の非電気的な冷間融合を示唆していた。自己の啓蒙活動によって、また自己の内部に真理を見つけ出すことによって、各人は確信を得る。この義務を成し遂げるのにある人は数秒、数分、数時間、数日を要し、またある人は何週間、何ヶ月、何年も費やしても足りず、一生を必要とすることもあり得る。この義務さえ成し遂げられてしまえば、あらゆる観点において真理を自らの手で我がものにしたと確信を持つことができる。それほどまでにして努力し、本当に身につけた自らにおける真理というものは、人間を自由にし、他人の意見や見解、信仰などに影響されなくなる。それによって人間は真理と虚偽を識別することができるようになる。しかし残念ながら、真理のために言わなければならないのは、今日、世界中には実に多くの種類のペテン師、詐欺師、いかさま師などがいて、真理を常に見分け、誰が不誠実で誰が正直であるかをつきとめるのはたいへん難しくなってきているということ。基礎的なものの見方が大切で、それをしっかり見極めてやっていく必要がある。正しいものや真実は得てして面白くないものが多い。一方で正しい方は力負けてしまう、つまらないものには真実があるということを知っておく。何事も理解して行えばあまり心配になる必要はなく、大意をつかめれば見極めることが出来ると思う。どんな人でも合っていることもあるし、間違っていることもある。大した手間にはならない、真相はどうなのか、しっかり調べる。冷静に捉え、鵜呑みにするのではなく、もう少し掘り下げると良い。主要なものも起きているし、一方で状態が悪くなることも起きている。あることをしたおかげで別の事象が出ることもある。第一線ではこれらを念頭に置いて行う必要があり、全体を把握して何がベストかを考える。普通の感覚ではなく、まったく新しいものが生じ、かなりはっきり書いてあって内容が首を傾げるもので、主要なものと違うと述べられていることは間違い。二次的なものを全て主要な事象として捉えるのは無理がある。行ってみたけれども、統計的にそんなに優位な差はなかった。善意からであると思うが、明確な根拠もなく仮説の内容が明らかにおかしかったりするものが、有力なところから関連付けられていて、これが広がってだんだん拡散することがある。根拠としての形式は強くなく、二次的な事象の仮説を証明したものに過ぎない。誤解を広めるような元記事があったのか。目を見張るような新説や斬新な方が間違っていることが多い。みなさんに注目を受けるから広まってしまう。フェイクだと否定するような記事がたくさん出てくれば怪しいなと、捉えられる。都合の良いものはなく、みんながみんな必要ではない。権威ある方が言っているから正しいわけでもない。正しそうか、間違っているのかはだいたい分かるが、言っている内容こそが大事なわけで、問題は不用意な発言が一人歩きして、加担してしまっていることにある。すべてを間に受けることは良くない。逆の副作用も出てしまうかもしれず、慎重にみていく必要がある。
2020.05.07

アスケット「でも、この驚きは思ってもみなかったのですよ」イェッチー「そうだろう。本当に驚いたものだ。俺もここへ来るつもりはなかったんだよ。ひょんなことで来ちゃって、辺りをうろうろしていたらあいつが見えちゃったんだ。初めはみんな幻覚かと思ったんだ。それで近寄ってみたら気が狂ってないことがわかったよ。いろんなことを見たり経験したけど、こんなのは初めてだよ。でも、それだからといって気は狂わないさ。アメリカや他のところでそんな話を聞いたことがあるんだ。ところであんたたち、どこから来たんだい。金星かい、それとも火星かい。いや、まったくびっくりしたぜ」エドゥアルト「私は金星から来たのでも火星から来たのでもない。君と同じように地球人だよ」イェッチー「そんなはずないよ。そこにある箱は宇宙船だろ」アスケット「あの船と私に関してはあなたのいうとおりです。でもこの私の友人は、本当に地球人ですよ」イェッチー「ああ、それじゃお前はコンタクティーっていうやつかい」エドゥアルト「そう呼ぶのかね」イェッチー「そうだよ、みんな知ってるよ」エドゥアルト「残念だけど、私はそんな話、知らないね」アスケット(少し考えて)「この出会いは本当に予期しなかったのだけど。これからどうなるのでしょう」エドゥアルト「私もわからないけど、イェッチーはどう思う?」イェッチー「お前さんたち、俺が邪魔なのかい」アスケット「そんなことは誰も言っていないでしょ。あなたが突然現れたのでちょっと困っているのよ」イェッチー「そ、それはわかりきったことじゃないか、あんたたちは天使かなんかで、神の使いで来ているんだろう」アスケット「誰がそんなことを言っているのです?」イェッチー「いろんなところで聞いたよ。あんたたちに会えて俺は幸せだ。俺はこう見えても、銃なんか持って歩き回っていても、それなりに善良なキリスト教信者なんだ。ほら、聖書をいつも身につけているんだよ」アスケット「残念だけど、あなたをがっかりさせなければならないわ。私は天使でもなければ、神の使いで来ているのでもないの。私たちについてのそのような話は、悪い連中が故意に人を惑わすためや悪いことを引き起こすために、縁起でもないことを言ってるだけなんだわ。もしもあなたが・・・・・・」イェッチー「罰当たりなことを言うじゃないか。けしからんじゃないか」アスケット「そうじゃないのよ。惑わされているのはあなたなのよ」イェッチー「何だかわけがわからない」アスケット「私がみんな説明すればわかるでしょう。じゃあ、こうしましょう。もし良かったら、私の友人と私について来ないかしら。そうすれば何もかもわかるでしょうから」イェッチー「お、俺が、そ、その船に乗るのかい?」アスケット「怖いというの」イェッチー「正直言うと、そうなんだ」アスケット「何が怖いというの」イェッチー「何だかとてつもなく奇妙なんだ。それにまだ死にたくないんだよ」エドゥアルト「君は言ったじゃないか、善良なキリスト教信者だって。キリスト教信者が死ぬのが怖いんだって?」イェッチー「変なこと聞くじゃないか。誰だって死ぬのが怖いのさ。それに俺、まだ天国に行けるほどになっていないし。ほら、イエス様が言ったじゃないか」アスケット「そんなことは言わなかったはずです。何もかも、意図的に歪められた言い伝えなの。それに彼の名はただイマヌエルというのよ」エドゥアルト「君の態度は正しくないし、第一勇気がないよ。それに君は、天国に関してまったく間違った知識を持ってるってことが私にはわかっているのだよ」イェッチー「そう思うかい。君たちは何だか変わった考えを持ってるよ。俺は神とイエス・キリストを信じるんだ」エドゥアルト「信じるのなら、何も宇宙船を怖がることはないじゃないか。どうやら君は疑ってるんじゃないかね」イェッチー「俺は信じてるんだ、疑ってなんかいないよ」エドゥアルト「すべてのことを鏡に映してみると、どうもそうらしいね。でもこの際、自分で決心しなければならないのだよ。責任をなすりつけ、それを背負ってくれる優しい神様とイエス・キリストがここにはいないのだからね。残念ながら信仰深い人たちは、自分で責任を負うことができないのでいつも、聖者や神に転嫁するようだね。大事なことなのに、判断したり決心したりすることが自分ではできないのだよ。そうじゃないとでも言うのかね。君もこのような信者の一人なんだろう」アスケット「そのとおりだわ」イェッチー「お前、随分ひどいことを言うじゃないか。でもおかしいんだ。それでもまだ好感が持てるってのが。どうしたっていうんだろう」アスケット「それは彼の正直さと言葉に含まれる真理がそうさせるのでしょう。それがあなたには、無意識のうちにも真理であることが明らかなのでしょう」イェッチー「ああ、それに違いない。俺は信じているとはいっても、いつも何となく疑っているもの」エドゥアルト「アスケット ― こちらは私の友人で、私はエドゥアルトというのだが、彼女が君に提案したね。疑いは疑い、信心は信心としておいて、私たちと一緒に船に来てみないかね。びっくりするのもいいじゃないか。それとも私たちがあの箱の中に入って、いつバラバラになるのかわからないのにあっちこっち飛び回っているとでもいうのかね」イェッチー「そんなことないよ、でも俺は怖いんだ」エドゥアルト「そんなことってあるのかい。もう60歳にもなろうかというのにぶるぶる震えて ― ちょっとしっかりしろと言うだけなのに」イェッチー「俺は59歳だけど、怖いんだから仕方ないよ」エドゥアルト(怒って)「じゃあ、君はまったくどうしようもない意気地なしってわけだ。アスケット、行こうよ。彼をここでひねくれさせておいて、私は行ってしまおう」(憤慨した私はアスケットの手を引っ張って、彼女が自ら飛行機械と呼ぶビームシップに向かって歩き始めた。しかしわずか数メートル行ったところで、イェッチーの声が私たちを呼び止めた)イェッチー「待ってくれ」エドゥアルト「何の用だって言うんだい? 私たちはこれからすることがたくさんあるので、君の怖がりなんかに構っていられないんだ」イェッチー「頼むから、そんなにむごいこと言わないでくれよ。あんな船、今まで一度も見たことなかったってことも考えてくれよ。それに一緒に乗ってなんてことはもってのほかだ」エドゥアルト「私だって初めてのときは怖かったけど、そんなにばか騒ぎはしなかったよ」イェッチー「お前は海千山千だし、それに年の割にはべらぼうに筋金が入っていると見える」エドゥアルト「この口振りはどうだろう。善良なキリスト教信者で聖書マニアであるというのに、突然ものすごい悪態をついて、まったくたまげたもんだ」アスケット(小声でささやきながら)「驚くばかりの人扱いだけど、なかなか効き目があるみたいだね。私も見習いたいものだわ」イェッチー「お前たち、何をこそこそ言っているんだい?」エドゥアルト「君を月に打ち上げようかどうか相談していたところだよ」イェッチー「うそつけ!この野郎」エドゥアルト「そのとおりだよ。それとも気が変わったかね」イェッチー「もう一度考え直してみたけど、おまえの言うとおりかもしれねえ。ズボンがびしょ濡れになるほど怖いけど一緒に行くよ」エドゥアルト「そんなことをすると放り出してやるよ。でもそんなに怖がることないだろう」アスケット「もうそのへんでいいでしょう。あなたの教育の成果がわかったわ」イェッチー「俺もそう思うよ。お前の説得の仕方ときたら本当に優しいんだから」エドゥアルト「本当かね」アスケット「もういい加減に小競り合いを止めてちょうだい」〇アスケットの言葉創造は生命とSEIN(ザイン=ドイツ語で存在の意)の基本原則である(SEINと大文字で書かれてあるものは創造の存在を意味し、Seinと大文字と小文字で書かれた場合は物質的存在、生命を意味する)。創造の力を通じて我々は使命を果たす。その使命は一つの世界だけのものではなく、全宇宙的意義を持つものである。なぜなら創造は生命であり、SEINすなわち存在でもあるから。そして我々の使命を果たすため我々とあなた方の宇宙の時空構造を中和させ、それによって、宇宙船や宇宙自体が被害を受けることなく矛盾のない通過を実現させることができる。なぜなら私たちの故郷はダル宇宙、アコン系、つまりあなた方地球人にとっては異質の宇宙の中の、同じく異質の系に存在するから。地球人にも知られているいくつかの宇宙が、そのなかには包括されている。それらの宇宙の多くは別の時間的・空間的次元にある。我々の宇宙はあなた方の宇宙と並行・姉妹的関係にあり、あなた方の時間計算方法によると同じ次元にある(我々の宇宙はデルン宇宙と呼ばれ、ダル宇宙とは双子の関係にある。それは同じ一つの原始創造理念から双子として発生している)。あなた方の時間と我々の時間との差は、ほんのわずかなものである。我々があなた方の宇宙にやってきた理由は、数百年もの昔、旺盛な研究心に駆られてあなた方のデルン宇宙にやって来た我々の同類にさかのぼる。技術の発展の助けを得て、何万年も前に失われた知識を再び修得することによって、我々の宇宙とあなた方の宇宙との間に横たわる障壁を取り除き、あなた方の時間層へ入ることができたのであった。それ以来、我々はあなた方の宇宙の広がりを研究し、何百年か前にこの太陽系を、そしてこの世界を発見した。詳しく言うと、あなた方の時間計算による世紀の数を33連ねた年数にわたって、我々はあなた方の宇宙を再び訪れ、探求している。我々の絶え間ない研究の結果、この世界と我々のそもそもの故郷を、そして当時、この世界の人間の生命に責任のあった者を究明した。地球上の人類の一部は、ここ地球で生まれたのではなかった。その多くの者たちは、あなた方が環状星雲と呼ぶ遠い宇宙領域からやって来た者たちの子孫である。その領域に、後の地球人類のそもそもの発生地というべきものがある。しかし、地球人の祖先の本来の子孫は現在では環状星雲とヴェガ・リラ星群のある領域、空間そしてそれらの系には生息せず、プレアデス星団、またはすばる(七つ星)と呼ばれる恒星系の彼方に住んでいる。彼らはあなた方と私たちの本来の祖先の遠い子孫である。しかしこれらすべてのことについては、地球年代にして20年足らずの後、あなたが新しい説明と情報を処理できるほどに充分成熟したときに、直接あなた方の先祖の子孫から説明を受けることでしょう。それまであなたは、重要な使命を果たせるように多くのことを学び、知識と英知を大いに高めるよう努力しなければならない。今までのあなたよりずっと以前の真理をもたらす無数の人々がそうであったように、あなたは自らの判断によって、真実をもたらすものとしての運命を担ってきている。しかし、このような使命に耐えることが出来るためには、同時代に生きる誰よりもあなたは霊知識(霊知識とは霊的、また創造についての要件、関連性、および法則や掟などを意味する)を養わなければならない。それゆえあなたは、生まれてくる前からある生命体(スファート)の保護監督のもとに置かれ、彼はあなたを保護し、率い、導き、教えを垂れた。それは、一部あなたの霊体の昔の生まれ変わりがそうであったように、あなたは真実をもたらす告知者として、生をうける前に選び出され、再び生まれ変わったときに使命を遂行するように準備されたのである。これは創造の掟の示現であり、意図して背くことはできない。真実をもたらす者、真実を告知する者がある年齢に達したときに、その使命のために選ばれると信じるのは間違いであって、その者が受胎するより先にすでに、前世の生によって定められている。真実をもたらす者、真実を告知する者が生まれたときには、すでにその使命のために定められており、誕生の瞬間からその者は一生それに相応しく成長する。その生命体は非常に多くのことを学ばねばならず、したがって、そのような一生は非常に厳しく苦しいものとなる。予言者たるものは決して容易で平穏無事な、柔和な人生を送ることはないでしょう。ある生命体が真実をもたらす者、予言者などと名乗り現れても、その人生が極めて苦渋に満ちたものでなければ、それは決して真実をもたらす者や予言者などではあり得ない。そのような者は理に合わない、偽の真実しか告げることができず、他の生命体を奴隷状態に陥れ、非現実的な事柄に依存せしめるのである。まことの真実をもたらす者や予言者は、自由と知識、愛と英知につながる、完全に理にかなった言葉や真実をもたらすものである。まやかしの真実を告知する者、偽予言者などがもたらす理屈に合わない謬見は、時がたつにつれ、成り行きに合わせて常に変更、修正されねばならないが、まことの真実を告知する者、予言者などは、永久不変の、修正を要しない真実の教えをもたらすものである。たとえ言葉の変遷につれて新しい語や表現に書き換えなければならなくても、永遠の真実は永遠の真実として変わることがない。地球年暦にして20年もたたないうちに、あなたは高度に発達した精神体によって伝達される、真実について大きな著作をしたためるときがくるでしょう。それは○○○・○○○〇と誤って呼ばれている、大工の息子イマヌエルが授けられた教えと並び称されるでしょう。それは近代における決定的な書、真実の書であり、知識と解明、真実と愛、そして水瓶座時代の書『十戒律/十二戒』『アラハト・アテルザータ』となるでしょう。それはその他多くの事柄と関連して、また来るべき将来に書かれる絶対的真実の書となることでしょう。この書は最後の真実であるゆえに、更なる改新にも決して取って替わられることがないでしょう。またこの永遠の真実はいかなる改新に屈することもないでしょう。それでも真実を理解できない生命体が現れ、この書を改め更新しようとするならば、それは欺瞞であり悪意ある虚偽にほかならない。真実はすべての時間と空間を通じて不変の完全なものであるゆえ、決して変形や更新に屈することはない。進化途上にある生命体を責任ある範囲で助けつつ後見し、その力にふさわしい進化をするよう影響を与えるのが、高度に進化したすべての生命体の義務である。これは創造の法則であるがゆえに、全宇宙のすべての生命体に課された義務である。我々が別の宇宙からここに来ているということも我々にその義務があってのことで、我々は適当な時期に、この宇宙で高度に進化している生命体と内々にコンタクトをとる。しかしこれは数年先のことであり、私がダル宇宙に帰った後、改めてあなたとコンタクトをすることになるでしょう(この生命体は数年後に事故で亡くなり、その結果、私がその任務をも負う立場になった)。あなた方の宇宙において非常に危険な事柄が起こりつつあることを、すでに進化の進んだ生命体として我々は気づいている。地球人類は知識と発展の時代に入っているが、それは多くの要素によって悪い方向に歪められている。なかでも最たるものは人間を奴隷化し、侮辱し、搾取する誤ったイデオロギーである。際限ない権勢欲はすべての地球上のイデオロギーに特有のものであり、その目的は事実上、世界制覇である。最も大きな、最も危険な世界制覇達成の力はイデオロギーであり、すべての宗教または秘密結社というものは、その宗派に関係なく軒並みそれを目指している。地球上の多くの政府が宗教によって動かされているか、少なくともある宗教の影響下にあるということは、疑う余地もないところである。そして他方では、このような政権が世界制覇を我がものにしようと、政治的基礎に則った努力を常時怠らない。この両面における悪質な努力は、繰り返し戦争やその他の死をもたらす不法行為に至り、それによって、無数の人命が破壊されてきた。世界制覇をなしとげるという目的だけのために、現代の地球人類は知識を練り上げている。彼らはすべての開発や発明を、死をもたらす武器に作り替えた。生命の礎石そのものを究極的な死の武器に作り替えるために、生命の基本構成要素である原子を危険な弾体に仕立て上げた。そして、地球人類は極めて短期間のうちに、人間を乗せたロケット弾で地球の大気圏から脱出するでしょう。やがて地球人が月面に上陸し、平和と愛という大きな虚言を吐くときがくるでしょう。しかしそれは、惑わしの言葉だけに終わるでしょう。なぜならその言葉を宇宙に運ばせる地球人類は、抑えきれない権力と世界制覇の欲望に燃えているのだから。彼らの言葉は平和を偽り、真に平和な生命体を騙し、奴隷として従わせるための悪質なうそと陰謀に他ならない。地球上のイデオロギーと政策はこの目的のために共に働き、彼らの権勢欲に駆られた目的を達するために、陰謀に満ちた手段をものともしない。地球人類は進化の面では高い水準に達したが、それはただ、技術的かつ純粋な物質的理解に関してのことのみである。しかし霊的、意識的な進化はこれまで世俗的、物質的なものに押しやられてしまい、はなはだしく不当に扱われ、おろそかにされてきた。その結果、多くの悪質な考えや思想がはびこり、狂信へと高じていった。その最たるものとしては、すでに触れた地球上のイデオロギーがあげられるが、それによってすべての現実と真理が欺かれ呪われてしまった。これに関しては、地球はそのような非現実的イデオロギーの温床として、我々の知るすべての宇宙や世界の中でも比類ないものといえよう。この地球上ほど、そのような狂気のイデオロギーが蔓延するところをしらない。地球上のイデオロギー、とりわけそれをもとにした政策は、じわじわと広がって今や致命的な危険を招いている。それでもまだ足りず、宇宙飛行をする人種はその狂気を通じてすでに故郷の三箇所に大混乱を引き起こしたため、外部の力を借りて再び統制を取り戻さなければならなかったほどである。このようにして地球人類は自分たちの世界と太陽系全体を破壊の淵に追いやった。この宇宙の遠い恒星系から来た、宇宙飛行の能力を持つ三つの人類は地球年にして130年足らず前に、彼らの探検船を派遣するために地球に向かった。小さな偵察機で地球を探索し、驚愕と恐怖を広めないために、秘密裏に僧職にある地球人とコンタクトを持った。地球人からその狂気のイデオロギーを聞き学び、突然、自分たちが創造の哲学と意識の進化に関する謬った解釈によって、不当に扱われていると信じた。意識のうえでの進歩が大幅に遅れている生命体である地球人はこの異星人を疑惑に陥れ、同族間の反目を引き起こそうとした。しかし考えてみると、他の恒星系から地球を訪ねてきた非常に進化した生命体が、その高度な進化にもかかわらず突然、創造から不当に扱われていると知らされたとしたら、驚くのは当たり前ではなかろうか。これだけでなく多くのことをアスケットは説明したが、その中には世界政治の出来事についての予言も含まれている。アスケットの説明、予言そして解説は非常に長く続いた。その際、多くの事柄や、また後に打ち明けられた事柄に関しては、再びそれに言及しない、生涯あるいは一定の期間、秘密を守るということだけで済まさなかった。私の意識と潜在意識に安全ブロックをかけることを了承した旨、度重ねてアスケットに伝えたところ、彼女は私の頭に器具を取り付け、その後アスケットは私から器具を外した。安全ブロックがどのように作用するかということは、私にはわからなかった。またそのことについて聞こうともしなかった。どんな理由にせよ、知らない方が良いと思えたからであった。※実存在(SEIN):創造という実存の中に存在するもの。※予言者(Prophet):(ギリシャ語を語源とする)。=告知者、予告者。※十戒(DeKalog):(ギリシャ語を語源とする)。10箇条からなる英知と創造の法則。※十二戒(DodeKalog):(ギリシャ語を語源とする)。12箇条からなる英知と創造の法則。(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー
2020.04.16

真の自然と生命の尽きることのない可能性同様に固有の周波数を持つ その1○ビリーマイヤーの言葉ある特定のものとかかわって、常にそのことを考え続ける人間は誰でも、早晩善きにつけ悪しきにつけその虜になる。特定の表象や願望をかなり長期にわたって抱き続けると、必ずある時点から特別意志的に決意することなく、ごく自然に相応の行動や願望の充足が生じる。どのような宗教の作用や信仰についてもまったく同様である。ただこの場合は、何らかの聖像や決まり文句、その他のがらくた、あるいはたいてい用いられている仮想の神格が決定的な力を持っている。神、地球人の代表、対象または何らかの呪文が、ある特定の作用を引き起こすことができるということに対する信仰が、この願望された作用を現実のものとする。宗教的集団やその他不可解な集団において、この作用は奇跡などと呼ばれている。奇跡とは、知識の乏しい蒙昧な人間が、自分で自然の事象を説明できないときに出来事や事件に対して常に用いる概念である。だが、現実には奇跡は存在しない。なぜならすべてのことは、絶対的に有効な霊の法則と意識の力によって説明できるから。それはすべての人間自身の中で特定の場所を占めている霊と意識の力であり、またその霊は全自然と宇宙のすべての事物を生かしている。この事実は、残念ながら大多数の人間に知られていないが、他方では種々雑多な宗教によって知ってか知らずか隠蔽されている。おそらく知りながらやっていることではあろうが。その理由は、人間と自然と創造の霊のみが人間の中で余すところなく一切を征圧、支配することができ、人間に善と悪を認識させ、そして自分で考え自分で行動する人間にするのだということを、人間が自分で意識的に認識していたならば、もはやいかなる宗教的な傾向も信仰も必要としないからである。人間は自分が愛するものに変貌する。ある観念が一人の人間を捕らえると、その観念は彼の全本質と人生を変える。それは意識による感化の結果である。人格と性格、創造的な能力、無関心、悲観論およびそれに由来するあらゆる種類の害悪は、人間の指導的な想念世界の結果および現象の形態にすぎない。したがって想念世界は、常に正当化され統制されなければならず、不断の集中的な連続訓練によって、絶えず拡大する最高の意識的認識の水準に保たれなければならない。しかしこれは、標準的なものの枷を突き破り、個々の自我の偏狭さから脱出して広大な認識へと上昇することによってのみ可能である。この途方もない課題は、本来すべての個人にとって緊急の責務であるだけでなく、全人類の義務でもある。確かに、いわゆる標準的人間や平均的人間の目には、思想家は世界の改良を夢想する者や、世界と疎遠で現実離れした者に映る。だが本当にそうだろうか。むしろ、まさにこれらの思想家こそ本当の人間ではなかろうか。あるいは彼らこそ、本当の人間であろうとしているのではあるまいか。なぜなら彼らは、人間の生命や意識水準について考えを巡らしているからである。その結果、彼らの認識は途方もなく遠大になり、捕らえ所がないように見えるので、平均的人間には把握することも理解することもできない。そのため多くの人間にとって、思想家の語ることは理解しがたい。彼が意識の力と霊の教えについて語る時はとりわけそうだ。それらは例外なく個々の人間を形作ることができるものであり、また実際にそうしている。人間の無理解という事実は、理解できない者に懐疑を抱かせ、認識の豊かな者に空想家、似非預言者、世界改良家、夢想家などの烙印を押しもする。だからこそ、無数の人間が自分たちの人生の方向を見失い、また生存および人生の全内容のために戦う意欲を喪失するということが起こり得る。これら理解できない者たちはむしろ、何らかの宗教、儀式、カルト、呪文、その他の迷妄や迷信を信じることを好む。そうすることによって彼らは、とんでもない邪説に見舞われ、自己破壊というこのうえなく深い奈落に突き落とされる。こうして自分自身の心が残忍な狂気の暴力によって解体され、踏み付けられ、ついには自己破滅へと追いやられる。あらゆる人生の方向が消え去り、人生の一切の内容が破壊される。同様に意識の活気も消え失せ、破滅的な意識の空虚、無関心、そして萎縮に場所を譲る。あらゆる興味がまさに無に帰し、人生全体が空疎で空しいものとなる。そうなるといよいよ医師や精神科医の出番である。だが、なんの効き目もないことはすぐに明らかとなる。むしろすべてがますます悪くなる。こうして自己破滅の道を進んだ人間を、あらゆる種類の病気が襲う。ぞっとするような抑鬱症、神経虚脱、器官痙攣、心臓痙攣、攣縮、その他の症状が、その人間を狂気と自殺へと駆り立てる。この場合、当の人間はすべて自分に原因があるとは考えない。というのも、本当は彼自身の意識、自信、確信、能力、そして意志が機能しなかったから。〇プターの言葉つまりこれまで、セミヤーゼによって伝えられた教えの断片や説明などは、本来この後に続く主要な作業のための基礎というわけである。これまで伝えられたものは、実は準備にすぎない。地球人を真理の核心に向けて準備させねばならないから。したがってそれらは、後に続く教えや説明を理解し把握できるようにするための、導入であり準備である。セミヤーゼがこれまで、地球の宗教について否定的な形でしか語ってこなかったとしても、それは地球人に宗教の誤りと非現実性を気づかせるためであって、したがって正当なことなのである。なぜなら宗教は、あらゆる点で邪悪であり非現実的だから。この宇宙において、我々に知られている他のどんな世界にも例を見ないほど。したがって、地球の宗教が話題になる場合、それはその否定的な形のものを意味する。つまり現に地球上に存在し、適用され、そして影響を与えている形のものである。この意味における宗教は、地球上でもしくは地球の人間にとって致命的な危険となるばかりか、それ自身の内にも、この宇宙に存在する他の世界に対する致命的危険を宿している。地球に存在しているような意味における宗教は、実際この宇宙の我々に知られている領域で比肩するものはなく、他のいかなる領域においても例がない。これらの誤った宗教が、致命的な危険として地球人とその惑星全体を支配し、数千年来このかた君たちの世界を極めて意図的に歪めてきた。意識の進歩はこの宗教によって完全に阻止され、先に進めないでいる。地球人の意識の進化、したがってまた霊の進化は宗教の邪説によって阻まれている。地球の宗教的な伝承には、なおも現実的な価値や創造の法則と掟の英知が含まれるが、それらは人間が生み出した邪説によって見分けもつかないほど変造されて、ごく少数の者しかそこから有効な真理を認識できなくなっている。しかし、書物や伝承から本当の真理を見出すことができる少数の者であっても、誤った宗教の信奉者によって追放され罵詈を浴びせられ、真理を広めることができない。したがってセミヤーゼが、地球の宗教について否定的な形で語ったとするならば、それは宗教において一部意図的に欺くためになされた変造や虚偽を論難したのでしょう。しかしまた君たちが、概して邪説やドグマと見なしている人間のひたすら下劣な作り物も、論難されている。それらは無責任で邪な地球人が、下劣にも編み出したものにほかならないが、彼らは自分たちが作り上げた邪説によって、君たち全人類を意識の貧困と奴隷状態に置くことができる。地球の宗教は、名前だけ宗教と呼ばれているにすぎない。なぜならそれらは、正しくは宗教というものではなく、非常に邪意な意味でのカルト的変節にほかならないから。このような形の宗教は、常に誤りであり致命的である。それは正しくは、宗教ではなくカルトと呼ばれる。君たちの場合、我々はカルト宗教と呼んでいる。というのは真に、宗教的な要素にカルト的なドグマと邪説が混入して変質しているからである。地球に見られるような宗教が、どこか別の世界で実践されたならばそれらはやはり誤りであり、致命的な危険となるでしょう。ちょうどカルト宗教が、地球人にとってそうであるように。真の一つの宗教が、あらゆる宗教の尺度、すなわち過去と結び付けるすべての要素の尺度となる。しかしまた、このような宗教はレレゲオン(Relegeon)との調和の取れた共働に立脚する場合にのみ、創造の法則に従って正しい。すなわち過去と結び付けるものと、再び結び合わせるものとが調和した状態にあって、矛盾なく共働しなければならない。宗教は、レレゲオンなしには存在し得ず、レレゲオンもまた宗教なしには存在できない。両方の要素が互いに絡み合い補完せねばならない。カルト宗教が支配している地球の場合、その唯一の救済は、既存の誤ったカルト宗教を根絶やしにして、真の宗教に、レレゲオンと調和した場所を与えること。それは、カルト宗教に対して勝利をおさめるまで、意志ある人間がひたすらレレゲオンに準拠することによってのみ実現する。したがって、現在および近未来において正しい思考の方向はただ一つ、レレゲオン的なもの、すなわち再び結び合わせるものを見据えることである。地球人は真理を見出し、それを再び正しい尺度と形態に統合させねばならない。したがって地球人は、レレゲオン的に考えて行動し、本当の宗教の中から再び真理を見出してレレゲオン的知識によって獲得された複合概念の中に、それを組み入れなければならない。そうしてのみ、地球人は正しい道を歩み、霊の進化と意識の進化の法則性に従うことになる。地球のカルト宗教の邪説は大部分が、創造が呪われ、冒涜され、否定されることを旨としている。全能である創造が疑問視され、冒涜的な邪説の神に取って代えられ、そしてこの神が創造主、はたまた万物の主と呼ばれるのである。しかし真実は、創造こそ最も強大なもの、最も全能なもの、そして壮大そのものである。様々な事情により、そして言うまでもなく人間の誇大妄想により、イシュヴイシュ、英知の王、民衆の指導者、そして人類の指導者は、地球人の概念に従って神と呼ばれ、創造主という概念の型に押し込まれて、宇宙の最高者、すなわち創造そのものと偽って宣言された。このことは今日でも、地球人が自分たちの神を創造主として語るときの呼称からも明らかである。神の概念を男性名詞として扱い、これに彼という代名詞を当てることは、宗教の代表者でさえ数千年間にわたり抹消できなかった。それゆえこの概念は、地球上において神や創造主や神々が人間であることを、今日なお証言している。しかし地球人は、無思慮で愚かなうえに真理に身をゆだねる意志を欠いているため、すでに非常に長きにわたってこうした事柄について考えることができなくなっている。地球人は厚顔にも、依然としてカルト宗教を守り続けているが、それらは例外なく何らかの地球人と天上の神格とを同調させているものである。そしてどんな宗教も、事実上教祖に依拠している。そうした教祖は、いずれも創造に選ばれた者として崇め奉られるが、それによって信者は人物崇拝に陥る。が、このような人物崇拝は、煎じ詰めれば地球のすべてのカルト宗教に特有のものである。その場合、創造それ自体は完全になおざりにされ、無に等しいものと宣告される。なぜならカルト宗教において創造は、人間の代表という妄想、すなわち神・創造主に取って代わられるから。あらゆる実存在および存在の絶対的全能かつ栄光としての創造そのものは、邪悪にも否定され、弾劾される。それが故意に行われるか、カルト宗教の邪説に従ってか、はたまた異なる世界観の結果であるかは重要ではない。いずれにせよそれは、創造に対しておよそ何らかの生命体が考え、口に出すことのできる最悪の冒涜である。創造自体のほかに、尊敬に値するもの、普遍的な愛に満ちたもの、全能かつ永遠にして畏敬の念を起こさせるものは何もない。創造は、すべての存在の始まりと終わりであり、実存在なのである。創造以外に何も存在しない。※真理(Wahrheit):知識が論理と実際に合致すること。ひいては創造のエネルギーであり、論理の最終的帰結でもある。※ 宗教(Religion):(ラテン語を語源とする)=過去に結びつけること、もしくは元のように結びつけること。※進化(Evolution):(ラテン語の「evolvere」=「展開する」を語源とする)発展すること。あらゆる生命体は霊的、意識的、そして物質的な面で発展し続ける(進化する)という創造の法則のもとにおかれている。しかしそれはあくまでも、各々の種にふさわしい形でのみ行われる。※霊(Geist):創造のエネルギーあるいは創造そのものの本質。すべてを生成させ、創造し、すべてに生命を与えるもの。あらゆる実存在の原初エネルギー=霊エネルギー=霊形態/霊体=不滅の存在※英知(Weisheit):論理に基づいた知識を有し、それを絶対揺るぎないものとして体験し、澄明な内約調和が見出された結果。※カルト宗教(kult-Religion):神性、偶像、人間、物体、道具、場所などを、屈辱的に、多くの場合は恐怖心から狂信的に崇拝すること。儀式、祈祷、奉納を伴う。誤った教義に従うこと=実際の真理についての正しい知識が欠けているため、証明不可能な事柄を信じること。※知識(Wissen):真理の認識を完全に論理的に理解した結果。
2020.03.23

〇セミヤーゼの言葉そもそも人間とは何でしょうか。 姿と名前、それだけである。人間から名前と姿を取り上げたら、何が残るでしょうか。残るのは根幹をなす本質、すなわち実在。つまり霊と総意識体である。これに気がつかない人間は、どんなに微弱な風にさえあちらこちらと吹き飛ばされて、拠り所もなく絶望のうちにさ迷いながら、それでもどこかにすがれるものを見つけようともがく。でも、根本的な真理を探し見つけなければ、すがれるものが与えられることはないでしょう。地球やその他の世界の何十億という人間は、空の星を見上げてもそこから何らかの成果や認識を得ることはない。しかし、天文学に通じた者なら空を見上げて新しい世界を発見し、それについて書物を記したりもする。しかし、彼らに見えるものや認識できるものが、他の人間にはたとえ空を見上げることができたとしても、見ることも認識することもできない。目は見えていても、盲目同然なのである。これと同じことが、意識的に未熟な普通の人間や意識的な自覚のない人間に当てはまる。霊的な創造の法則に従って真実に生きる人間は、周囲のあらゆる生命体、あらゆる事物、あらゆる思考と行動、あらゆる人間、あらゆる自然作用、そして考えられる限りのすべての状況と現象の中に創造的なるものを見出し、それを認識できる。しかし、意識的に未熟で、宗教その他の非現実的な教えに毒されている普通の人間は、見ることも聞くこともできず、真理のかけらさえも認識できない。このような人間の生活は意識的ではなく、そのためにいっそう人間的、物質的な方向に押しやられている。そのため、目も見えず耳も聞こえず、無知なのである。しかし、創造の法則に従う人間は、幸福に満ちた、恐怖を全く知らない存在となる。そのような人間の意志は決して屈することがなく、その献身は計り知れないほど無限であり、その英知と愛は永続的で完全で、宗教その他の誤った教えに惑わされた人間のように、気まぐれに変転することも懐疑にさいなまれることもない。そのような人間の感覚は果てしない大海に等しく、決して平静を失うことがない。不安に震えることもない。だから、もはやどんな堕落した否定的な力も届かなくなるほどに、彼の霊的感覚を伸ばす。その感覚は、負の方向に逸脱した思考が宿ることも許さなければ、あらゆる正の方向に逸脱した思考や行動も退ける。本当に価値があり、意識と霊の発展に寄与するのは調和のとれた感覚だけ。それは創造的なるもの、つまり創造的な働き、創造的な英知、創造の知識と愛と喜びに根差している。創造的なるものは、周囲をぐるりと取り囲む物質的壁面や人間的生活環境よりも、現実的なのである。だから、意識的に常に大きく、建設的でありなさい。霊すなわち、あらゆる無限の創造的構造の源となるものは、人間の内奥の本質そのものなのである。人間の外的な本質は、あらゆる面で制限されている。なぜならそれは、本質そのものではなく、その外皮、つまり物質的な肉体または境界に過ぎないから。それは惑いの元であり、苦難と苦痛の源をなし、認識や意志、献身、隣人を単に外面的、物質的に見るならば、この特定の人間の形と姿、すなわち物質的なものしか見えない。しかし同じ人間を、意識的で霊的な認識の目で見るならば、自分と同じように他のすべての人の中にも、たとえ本人が自覚していなくても、すべてを表明するこの意識が宿っていることがわかる。そうすると、周囲の人間を見る見方が根本的に違ってくる。そうすれば彼はもはや、単に一人の男や女や少女や子供を見るのではなく、創造的な霊の担い手として隣人を見るようになる。その霊は自分と自分の実在を自覚し、機会さえ与えられれば、誰を通してでも自分を示したいと望んでいる。人間という存在は、霊と意識の面である程度完全な状態になって、それに相応する健全で高度な生活様式に達すれば、数百年、それどころか数千年までも生きることができる。しかし、この四千万年から六千万年の段階を超えると霊は、純物質的な肉体を必要としなくなって半霊体となる。その後、さらに六百億年から八百億年の間、いよいよ半物質的な形態で生きることになる。その境域は非常に高いので、純物質的・人間的な立場からは接触できなくなる。ただし、意識と霊が非常に高い進化水準に達している場合は接触できる。六百億年から八百億年の段階を超えると、この半霊体もしくは半物質体は最初の純霊体に移行し、アラハト・アテルザータ水準に入る。他の事柄について話す前に、霊の教えを続けたいと思う。それはあらゆる事柄の中で最も重要なものだから。人間は、創造という言葉もしくは名称に対して、非常に美しいものや善いものが話題にされるときのように反応しなければならない。そうすることによって、自分の感覚の中に変化が生じるように心掛けなければならない。それが為されない限り、創造を真にあるがままの姿で認識したとは言えない。しかしもし人間が、絶えず繰り返し創造の本質について考えることがなかったなら、創造という言葉や名称が人間にとって非常に深い意味を獲得し、人間の精神的な全行動様式、情緒的な知覚、生命感情、そして反応の仕方に変化が生じるなどということがどうしてあり得るでしょうか?だから、創造の本質に当てはまる特定の属性名称、たとえば全能、偏在、全知などを、そのまますぐに創造という言葉もしくは名称と結び付けるように心がけなさい。日常生活に埋もれた人間や、いわゆる無神論者、利己主義者や物質主義者、不可知論者などの人々は創造という言葉に一番関心が少ない人々である。それはなぜでしょうか?彼らは創造とは本来何であるか知らないし、見当もつかないからである。非常に多くの人々にとって創造という概念はそんなものである。宗教によって惑わされた何十億という人々は、創造という言葉を理解しない。彼らが神という非現実的な宗教的な呼称を口に出すとき、それによって創造を呼んでいると錯覚している。でもそれは、なんとひどい誤った教えでしょう。だからこそ、創造の本質についてできるだけ多くのことを知り、経験することが非常に大切なのである。それによってこの言葉は意味に満ちて、その言葉を耳にするや否や、内面的に高められ強い印象を受けるようになる。経験が明らかにするところによれば、創造とは限りない美であり、あらゆる美に勝る美であり、限りなく永遠に続く至福であり、英知、知識、能力、真理、そして絶対的な確実さである。このことを認識したなら人間は、直ちにそのすべての喜びをそれらの起源へと、すなわち果てしない創造の喜びへと立ち戻らせる。花であれ、動物であれ、人間やその他なんであれ、およそ美しいものを見るとき、人間は直ちにそれを創造自体の無限の美と結び付ける。あれやこれやの認識が印象深い厳かな形式で表現されるのを見るとき、彼はその認識が無限の認識、すなわち創造に根差していることを知る。どんなちっぽけな生き物の中であれ、たとえば微生物のような被造物の中でさえ生命が動くのを見るとき、彼はこの生命の背後に無限なもの、永遠なもの、創造的なものを認める。それに基づいて人間は、創造的なものの本質について考えることによって、この本質が日々の生活や体験においてあらゆる時間、あらゆる空間に様々に現存していることを知ることによって、自分の理解と感情を深め、拡大するよう心がけるのである。創造はすべての人間の中に、創造そのものの一部として存在している。この考えが一度でも、人間の内面深く浸透して経験されると、彼の中で恐れや疑いはすべて消え去る。創造が全知、全能であることを知ると人間は、その内面において平穏と自信を獲得し、馬鹿げた想念や倒錯した感情に対する抵抗力を得る。永遠に存続するものであり、尊厳および価値である創造の遍在、真理、英知、能力および知識について繰り返し考えると、人間の中で創造という言葉や名称は非常に意味豊かなものとなり、その感情や考え方に変化を引き起こす。人間の知性がこのような方向で働くようになればなるほど、知性は明るい輝きを増し、人格は力強くなり、その人生と活動のすべてが祝福されるようになる。明晰な意識をもって生きる人間は、創造的なるものが自分の肉体を感じるよりはるかに現実であるという強い感覚を、いつも新たに自らの内に生み出す。このような感覚が霊に生きる人を絶えず支配している。そのような人の意識は、創造的なものによって所有されるため、その感覚は平和と強さと喜びに、知識と英知に、そして真理と希望にあふれている。物質的知性で思考する普通の人間が、平和や幸福や強さを手に入れるために講じるすべての手段は常にまやかしにすぎないが、霊に生きる人を支配する感覚は創造の躍動的な力によって脈動している。霊に生きる人はあらゆる点で非常に躍動的である。そのような人は常にできるだけ速く目標を達成するよう努める。だから彼は、生きている限り時間を活かし、持てるすべての力を発揮して創造的な能力へと向かう。彼はこの企てを、放棄することはない。時間の流れの中では、どのようなことでも起こり得るが、彼の中で創造的なものを求める欲求だけは決して消滅しない。障害物に出くわしたり、不可欠な物質的事物への感性や愛好を突然失うことがあっても、創造に対する感性や愛好が失われることは決してない。なぜなら彼は、創造が真の存在を体現していることを知っているから。巨大な霊的および意識的な実を摘み取ることができるのは、意識的および霊的な財産、前進、知識、真理、論理、英知、そして愛を求めて戦う人々だけ。なぜならこれらのものが、労せずして懐に転がり込むことはないから。最初の成果を達成できるためには、まず霊的知性で考えること、つまり創造的に思考する方法を体得し、その絶対的な正しさと確実さを認識することが必要である。この最初の成果が現れると、認識する人は大きな前進を遂げ、その霊と意識が拡大して力の因子となる。そうして初めてすでに認識されている事実、知識、英知、論理真理および愛が自明のものとなる。けれどもそれらは、最初に必死の努力によって獲得しなければならない。しかし道は、この地点で果てるわけではない。さらなる探索と探求、さらなる発展と認識は限りない時間が続くから。およそ可能なものは、すべて時間の流れの中で起きるものであり、人が決意しても果たせないことがあるでしょう。しかし、霊に生きる人は限界というものを知らず、何事が起きようと、たとえ未来の見通しが悪くても、目標に固執する。彼にとって未来は、すでに現在に存在している。だから、霊と意識の最高度の状態を達成するために、すべてのことを今ここで為さなければならない。彼は未来の不安も知らなければ、未来に対して不安を抱くこともない。なぜなら不安というものは、物質的知性で考える場合のみ存在するものであり、霊的知性によって思考する場合には決して存在しないからである。その場合には未来は、現在そのものと同じように現存しているから。そのため霊に生きる人は、明日や明後日の問題を今ここで解決して、望ましい軌道に導くことができる。霊について考え、霊で考えることは、すべての生命体に利益のみをもたらす。だから、徹底的な探索と探求によってますます自らを高めて、霊的思考のレベルに、創造の真理と英知に関する知識に到達しなさい。自分に計り知れない力を与え、自分を非現実的な受容から解放してくれる何かが、すなわち創造の真理が存在するという強い感覚を、自らの内に繰り返し生み出しなさい。自分が創造の光、その英知、その知識、真理、論理および愛という海の中にいること、そしてそれらが全体として初めて生命の存在を可能にしているという強い感覚を、自らの内に何度も繰り返し生み出しなさい。創造と向き合う人間の喜びは、創造的なものと創造に対して、尊敬の念を表明することにある。そのためには全能の意志が、創造の法則の内にあることを受け入れ、法則の絶対的な確実さを自分自身の使命とし、それを有益に評価する。彼はこれらの法則に献身していることを、霊と意識に関するすべての事実を学んで活用することによって表現する。信仰や受容、奉仕や卑下によって表現するのでは決してない。このことを体得するための唯一の方法は、より高い霊的意識的な認識を獲得し、それによって展開される能力を活用すべく絶えず懸命に努力すること。その場合に決定的意味を持つのは、忍耐と耐久力を始め、より高度な理解を発達させること、宇宙的、普遍的な愛を認識して活かすこと、霊的意識的な知識と能力を深化させること、利己主義、物質主義、高慢、羨望、欲望、嫉妬などの物質的知性による思考の可能性を遮ること。このようにすることによってのみ、創造の法則を認識し遵守することが保証されるから。霊的に考える人は、創造を自分のほうに導き、自らの内で認識できるようにしようと絶えず努力する。彼は、普通の人間には不可能なことを可能にしようと努力し、しかもそれに成功する。霊を慈しむ人は、毎日、毎月、毎年、創造的なものに呼びかけ、そうすることによって知識と英知、愛と論理、そして真理と力を獲得する。そしてついに創造的なものを自らの内に経験し、評価することができるようになる。それによって創造的なものは、自分の体を感じるより現実的なものとなる。他の人々と付き合って話したりしている間、彼が目の前に見ているのは創造的なものに他ならない。他の人々を見ているとき、彼はその人々の内に創造的なものだけを見る。それというのも彼にとって創造的なものが常に第一義であるから。彼にとって創造的なものは、あらゆる事物の中で最大のものである。だから彼の内では、すべてが創造的なものと直面していて、物質的事物が彼の内部に欲望を引き起こすことはもはやない。物質的な誘惑にさらされることもない。霊的意識的な知識および能力として自らの内に宿しているものこそ、彼の話し相手であり、案内人だから。彼はこの相手と話し、歓談し、共に創造の法則に生きる。こうした生き方は存在することを意味し、このような存在はこの宇宙の最も美しい現象よりもはるかに美しい。これほど発達した人間をなおも誘惑に陥れることは、何ものもできない。世界最大の富も、悪意ある連中による死の脅しも。創造的なものに囲まれた彼の内面的な豊かさは無尽蔵、不滅であり、何ものも彼の内に恐怖を呼び起こすことはできない。彼は無限の力と共に生きていて、それが彼の存在に活力を与えるから。だから、何ものも彼を虚偽や誤謬に誘うことはできない。なぜなら、創造を認識している彼の存在全体が無限の真理だから。何ものも彼を、外部勢力の誤謬に満ちた想念の闇の中で惑わすことはできない。なぜなら彼の霊的知性による思考の一瞬一瞬が、無限の光だから。何ものも彼の、真理の存在感覚を変えたり、彼を不幸にしたりできない。なぜなら彼は、創造の存在と感覚の中で、したがって無限の喜びの中で生きているからである。けれども人間が、生命の霊的な事物に対して、自分自身に対して、そして創造に対して、悪意ある態度や否定的な態度を取るならば、彼の内にはおよそ何も生まれない。もし彼の態度が、物質的知性だけに支配されていて、その想念と感情がそのような形で環境に影響を与えるなら、通常であれば非常に価値のある大いに好都合な状況でさえも、彼にとっては不幸と不和の源となる。その場合、たとえこの人間が良い意図を追求したとしても、結果は全く否定的なものとなるでしょう。けれども霊に生きる人間にとっては、常にすべてが、内面的成長のために相応しい状況となり、あらゆる形で創造的なものに配慮する絶好の機会となる。真に偉大なのは、自らの内に絶えず高度で気高い霊的思考と霊的感情とを抱き、維持している人間だけ。創造的と呼べるのは、常に自らの内に創造的なものを意識して生き、かつ考える人間だけである。つまり、物質的知性に優れた人間は全く創造的ではなく、霊的には絶対的に無価値だと言える。たとえば、調停者や宗教の聖人、非常時や災害時または病人の支援者、とりわけ戦争などで最前線に立ったり、衛生班の仕事をしたりする人についても同じことが言える。そのような人間は、たいてい冒険心や同情や自己憐憫、さらには物質的知性による誤った想念とそこから生じる感情によって動かされていて、自らの内に創造的なものの認識をみじんも持つことはない。彼らは誤った隣人愛を説き、同じく誤った神に関する教義や卑屈な決まり文句を唱える非現実的な宗教にしょっちゅう惑わされている。では、そのような生命体と霊に生きる人間との間の違いはどこにあるのでしょうか?普通の人間は、一般的に低次の物質的知性の刺激によって導かれ支配される。一時良い感情を抱いたとしても、それは決して不変なものではなく、まもなく消滅して、再び低次の刺激に場所を譲る。これに対して霊に生きる人間は、どんなに小さな創造的刺激さえも消失させることは決してなく、それらを把握して無限に拡大させる。彼の内に低次の刺激が錨を下ろすことはない。なぜなら、彼の中にある英知と知識の水はあまりに深いため、錨をつなぐ低次の短い鎖では水底に届かないから。霊に生きる人間は、絶えずいついかなる状況にあっても創造的な刺激の波動領域に居続けようとする。万一その領域が何らかの影響で危険に瀕したら、彼は最大限に創造に依拠し、その最高度の波動力によって否定的なものから身を守る。彼は自らの内で、創造の本質が否定的なものに対する絶対確実な防御を生み出すまで、そうし続ける。人間はいつも何らかのものを担っている。多くの人々は自らの内に抑圧的な感情を担い、他の人々は悲しみや心配事、いろいろな問題や希望、その他物質的知性に根差した想念を担っている。不安も、美醜を問わずあらゆる種類のイメージの想像も、物質的知性による思考に属している。しかし霊に生きる人は、創造的なもの、すなわち霊的なものを担っている。彼は創造の担い手、意識的な霊の担い手である。なぜなら彼は、いつも創造の法則の知識と能力を自らの内に担っているから。そして、物質的知性による思考の古い本性が彼を非論理の担い手にしようとすればするほど、彼は自らの内で創造的なものを優勢にして、しっかり定着させることに真剣に取り組む。たとえ極めて否定的な想念がやってきて、霊的知性による思考を破壊しようとしても、彼はそれさえも直ちに創造的な力と英知に変えてしまう。こうして彼は、すべてを創造的なものとし、それを自らの内に担う。そうすることによって彼は、動く創造の寺院となる。創造に生きる人の知性は、ますます霊化され次第に霊意識の奥深く進んでいく。霊に生きる人はその認識能力によって、あらゆる事物の中にますます深く分け入り、万物に遍在する創造の炎の熱を捉える。そうすることによって霊的に考える人は、遍在する創造の力と真理を至るところで認識および意識する。そのため、日常感覚では認識されないものも、創造に生きる人にはより霊的、意識的に知覚される。つまり彼は、常にすべての事物と生命体の内に創造が遍在し、創造の法則が適用されているのを見る。彼は創造の遍在の力について、霊的なイメージを持っている。彼の生命と存在の貴重なエネルギーを、すべて創造の知識、その真理、力、英知、したがってまた自らの内に宿る創造の一部、すなわち霊の能力に捧げるのである。
2020.03.16

同様に固有の周波数を持つ その2〇セミヤーゼの言葉英知とは、一つの根源的で強大な力である。英知は光である。そして、光の射す所であればどこであろうと、暗黒も無知も消え去る。無知は暗黒そのものだが、英知の光がこれを打ち倒す。英知は、霊と意識の実在の特徴であり、幸福、真理、知識、平衡、美、調和、そして平和という特性を内にはらんでいる。英知はまた、霊と物質的意識の実在を認識し、創造の法則に従ってそれらを活用する人間の特徴でもある。英知とは、意識を発展させることであり、意識の力と霊の力を利用することである。英知と霊および意識と真理はそれぞれに二物だが、日光と太陽が二物だというのと同様に、結果として一体のものである。日光は太陽の熱があるからこそ生まれ、太陽の熱はそれを作り出すプロセスがあるからこそ生まれる。そしてまた、宇宙においても万物を創造する一つの実在がある。その実在は自らの力の強さによって力を生み出し、それらの力は真理、知識、英知として定められた創造の法則に従い、規則正しく惑わずに然るべき統一的な原則に沿って終わりのない永劫の時を刻み、またこれに生命を与え続ける。この力に満ちた実在こそ、創造なのである。したがって、宇宙をあまねく支配するただ一つの実在があり、ただ一つの創造、ただ一つの真理、ただ一つの知識と英知がある。それらは、永遠の時にわたって一定不変である。永遠の真理は、変動することも変化することもない。真理の法則は、修正されたり新しい時代に適合させたりする必要が決してない。霊の力は、意識の力と同じように生気にあふれて躍動的であり、しかもその程度は、霊の力が英知を具現するほど高まるの。宗教や教派とそれらの誤った教えが創造的なるものの道具とされ、それによって英知が非現実的なものとなるならば、それは人間の弱さの表れだ。この時、人間は力と自由と喜びと光をありもしない場所に求めるようになる。英知は創造の一部が、霊として人間の中に宿っていることをはっきりと示す標識である。だからこそ、自分の意識によってわかる限り英知を高めなさい。そうすれば人間は、創造を認識することでしょう。いっそう真理を追求しなさい。そうすれば、英知の力を知ることでしょう。真理を認識すれば、人間はあらゆる制約から解放される。真理は、無限の知識と英知をもたらす。英知は、創造の法則を認識するための強力な手段である。愛で満たされた人間は、英知もまた豊かである。英知が豊かな人間は、愛にもあふれている。でも地球人は、愛を知らないので自分を欺いている。本当の愛を知らず、理解することもないままに占有欲や、その他の感情を愛と誤認している。人間は、たとえ創造という言葉を使わなくても真理と知識と英知を認識して、身に付けた時に初めて本当の人間となる。なぜなら英知は、至上の愛でもあるから。こうして人間は、悟りと認識は知識であり英知と愛でもあること、そして愛が支配するところは英知も支配することを常に気付く。また、愛と英知は互いに切り離すことができない。創造とその法則は、愛と英知でもあるからである。英知と知識があるところには愛と認識があり、そして愛と認識があるところには創造がある。愛と英知の高まりが、人間に創造を認識することを教える。でも、その前に人間が真理を学べば、自由と平和、すなわち不滅の平和と無限の力を獲得するでしょう。英知と愛は、創造という存在と本質から生き生きと広がる両翼である。英知と愛をもって、人間は万物の上に立つのである。英知と愛によって人間は、創造と自然の法則の遂行にますます専心するようになる。なぜならば霊と創造は、一つのものだから。地球人は、愛を知らないのに愛について語る。自分の感情が愛であると思い込み、それによって自分を欺く。愛は言葉では表現できない。愛とは幸福と同じように、状態であって場所ではないから。真の愛は不滅であり、これを別のものに変えることはできない。意識の力と霊の力の小道が、真理、知識、英知と愛の認識へと導く。したがって、霊の教えの意義と使命は、真理、知識、英知と愛を広めることをその中に含んでいる。霊の教えが乱用されたり、誤って解釈されたりするとそれはもはや救いではなく、悪質なカルトに過ぎなくなる。それらのカルトは、教派や宗教の誤った教義の例と同様、邪説によって物質的意識を隷属させ、無知を作り出す。しかし霊の教えが、意識と霊知識を拡大する役目を果たすならば、それは創造の秩序を保つ強力な道具となる。霊の教えの主眼は、認識、真理、知識、英知、そして愛を広めることにある。死を克服し、光を放ち、調和ある英知と愛を実現し、あらゆる理解を超えた平和を体現する永遠と、不死と、不滅を広めることにある。〇イマヌエルの言葉創造は、人と神と全てのものの上にある。人間の理解出来る所から見れば、創造は完全なものに見えるが、そうではない。創造は霊であり、生きている。創造も、無限に進歩しなければならない。創造はそれ自体で一体であり、創造それ自体で新しい霊の誕生と創造により、完全なものになる。新しく生まれた霊は、創造自身の一部であるが、自らを詳しくは知らない。新しい霊が生み出されるとそれはまだ、無知のまま人間の身体の中に生き、学び始める。無知の霊は人々には愚かに見え、そうしてこの人間は、間違っていると言う。しかし霊は、決してそうではない。なぜなら彼は、今は知らないだけで、知識と知恵が不足しているだけなのである。この新しい霊は、人間としての一生を生きて知識を集める。この霊が死後の世界に行くと、初めの時のような無知ではなくなる。この世に再び戻って来て人間として生きると、初めの時のように無知ではない。彼は再び学び、広い知識と新しい知恵を身につけ、彼はもはや無知ではなくなる。多くの転生の時を持つと、人間はこうした霊を得て、正しく間違いのない者になっていく。しかし、霊とその成就には終わりがない。彼は今や、偉大な知恵を探し求めていく。人が自ら、創造的発達を遂げるに従って、その人は完全な者になっていく。最後には、初めから定められた通りに創造と一体になる。創造は新しい霊を造り出し、霊は人間の肉体の中で完全なものにされる。完全なものになった霊は、創造に帰り、創造と一体化し、創造自体が完全なものになっていく。創造は、知識と知恵そのものだからである。よく言っておく。創造が新しい霊を造り、自らを拡大するのをやめる日はやってこない。創造は平穏を必要とする。その時には眠り、創造をしない。生きとし生けるもの全てがそうであるように。人間の生活には昼と夜がある。働いたり、休んだりする。創造も同じである。創造の周期は、人間の周期とは違っている。その掟は霊の掟である。人間の掟は、物質生活の掟である。物質生活には限りがある。霊の生活に終わりはない。創造は自ら創造している。全ての始まりの原初創造の掟に基づいている。創造の神秘は計り知れない。その秘密は7という数にある。これは、この神秘と掟に属するものであるが、それは人間が完成に近づいて初めて理解される。生命の掟は、その有様を隠してはいない。人はそれを認識し、追従出来る。賢い者は、原初の創造の秘密が、7という数にあることを知っている。そうしてその人は次の知識に達し、それを所有する。創造も、働いたり休んだりする時を持ち、7という数に従っている。7つの偉大な時代を、創造はまどろみの懐で休む。そして、宇宙も何も存在しない。創造は自らの内に、ただまどろみ、何の創造もしなかった。7つの偉大な時、7つの偉大な周期を経て創造はまどろみから目覚め、創造物と全てを造り始めた。そして次に、創造は7つの時代と7つの周期を休息し、続いて創造は、7つの時代と7つの周期に全てのものを創造する。創造が再び休んでまどろみに入るまで、別の7つの時代と7つの周期のために、すべてのものを創造する。しかし、再び休み、まどろみ、創造以外に何も生み出さなくなる。全ての創造物も、もはや存在しない。創造自身は、この7つの偉大なる時代と7つの周期の間存在している。再び目覚めて、新しいものを創造するまでの長い間、休みまどろんでいるからである。創造はそれ自体と一体になっており、全てのものがこれと一体である。人間、全ての植物、全ての動物は、創造と一体である。これは創造の掟である。全てが創造と分離していると思うかも知れないが、そうではない。全てが一体だから。人間が分離していると信じているものは、一つなのである。人間は一つのものを二つにしている。人の霊は創造の一部分なのであり、人は創造と一体であり、別のものではない。また個人の肉体は、物質形態をとる霊の一部分である。したがって彼は、その霊と一体であり、二つのものではない。この教えは一元であり、他の形に二元されるものではない。二元であると思っている人は、正しくない。その非論理思考は、人間の知恵でしかないからである。霊の知識で考えれば、掟に基づく論理が発見出来る。人間の思考のみが間違いを犯すのであり、創造の掟は間違えることはしない。全てのものは一つから発生し、二つと見えるものは、見せかけでしかない。不純な考えからではそれを理解出来ない。全ては一元性であり、全てはその中から出てくる。二元性のものは存在しない。つまりそれは、創造の掟に違反するからである。人間はこの二つのものを一つにし、創造の掟に従って、考え、行動しなければならない。無理解によって人間は、二元性を作り出し、創造の掟に背いている。しかし、全てのものを一元に正し、全てのものを一体となせば、人が山に向かって、そこをどきなさいと言えば山は動く。全てが創造と一体でその掟に従い、創造物や物質と一体であれば、決して誤ることはない。賢者は常にものが二つあり、二つが一緒になって、一つになっていると思っている。一つのものが一緒になって、二つになっていると思うのは、見せかけに過ぎない。他が善であると、一方は悪であると言い、他が悪であると、一方は善であると言うが、善と悪は一体である。それらが引き裂かれて、一つとなっても一体であり、また、裂かれないままでも一つであって一体である。なぜならそれが、創造の掟なのである。見せかけ上、二つの部分があることになるが、それ自体としては一つであり、また、引き裂かれないままでも一つである。人間は、三元のものもあるという。それは間違った礼拝と、間違った教えと考えによって、自分の心を混乱させているからである。一元のものが、それ自身一つのものを二つにされたのであり、その二元性は見せかけである。人間は、二つの部分に分かれた一元である。霊は二つの部分に分かれた一元である。お互いに集まって、一つになっている。肉体は、霊無しでは生きられない。その逆もしかりである。二元に見えても、霊と肉体は一元である。霊は掟に従って生きる。霊はそれ自体で二つの部分になっており、各々の部分は一つであるから、霊自身も一つである。霊の二つの部分とは、知恵と力である。霊の知恵の部分無しには、力は出てこない。霊の力無しには、知恵は成立しない。ゆえに、それ自体一元である二元が必要とされる。一元は一元の中にあり、二元の中にあるのではない。人間はそれ自身一元であり、一元のものは分割されないというのが掟である。人間における二つの部分は、お互いに一元であり、肉体と霊である。人間は三元で生きていると、律法学者によって教えられているが、これは偽りである。創造の掟は、そのように教えていないからである。◯◯◯◯同盟は間違った礼拝に生きており、私の教えからも多くの知識を集めている。彼らの古い教えは、知恵の教えではなく、間違ったもので価値がない。彼らはそれに気付いている。そうして私の教えを、彼らの教えの中に組み込むつもりだった。その中から新しい礼拝を作り出し、その対象の一つに私を仕立て上げようとした。彼らは、私が同盟と結び付いており、私の生誕の当初から、彼らの助けを受けていたと言うでしょう。私の教えは、彼らの礼拝の中から出たのだと言うでしょう。同様に私の傾倒者も、彼らの礼拝宗教から出たのだと言うでしょう。彼らはまた、私を神の子だと言うでしょう。貴方がたに言っておくが、私は決して、この◯◯◯◯同盟には属していなかった。彼らと共通のものも持たなかったし、彼らの助けを決して得なかった。私を引き合いに出すのは、◯◯◯◯同盟で終わりではない。多くの礼拝宗教が、私の名を使って成立し大妄想をするでしょう。未知の礼拝宗教も出てくるでしょう。そうしてその中で、私を賛美するでしょう。それは、人々にとって非常に信じやすく、人々を奴隷化出来るからである。多くの礼拝宗教が、私の名によって出来上がるが、その理由はただ人々の心が奴隷化され、そうして礼拝宗教が、民族や国や金に大きな力を及ぼしうるためである。私は言っておく。どんな礼拝も正しくない。私は創造のみが、最高であることを認めている。どんな礼拝も真理ではなく、また、知識も知恵も含まれていないでしょう。私の偽造されていない真の教えが、新しく説かれる日が来るのは二千年後である。それまでは、間違った礼拝宗教は多くなり、数え切れないでしょう。それらは人間の血と憎しみと、欲望と権力の上に築き上げられるでしょう。それらは築かれるが、再び破壊されるでしょう。真実が勝つからである。嘘はばれない、などという不真理はないからである。また、隠されたもので、明らかにならないものはない。人間は自分の目の前にあるものには気が付くが、隠されたものは彼が真理を求め、知恵を得た時になって明白になる。真理は深いところにあり、創造の掟の中にあるが、そこに人は真理を探し発見することが出来る。探すことをやめないで、求める者はそれを発見する。それを発見した時、人は深い感動を受けて驚くでしょう。彼は全てを支配するからである。そうして人間は、王国が自分の内と外にあることに、気づくでしょう。
2020.03.09

〇アラハト・アテルザータの言葉〈アラハト・アテルザータ(サンスクリット語)=「時を観照する優れた者」 受信者「ビリー」エドゥアルト・アルベルト・マイヤー(1975年5月15日から8月11日まで)〉 君は自分の内部に私の想念を捉えたことをいぶかしがっている。だが、まもなくいぶかしがる必要がないことを理解するでしょう。私は、君たちの古い言語でアラハト・アテルザータと呼ばれる霊形態である。物質的形態における私の生存は大昔に終末を迎え、それ以来君たちよりはるかに上位にあって君たちの知らない境域の実存在にいる。私の実存在の時間は、極めて長い時を経て実在となった。それは創造に関する法則を遵守して、知識と英知に、力と威力になった。無限の時間が経つうちに、霊は肉体から解放され、転生を消え去る過去へと押しのけた。それは創造に近づき、力と威力に溢れ、完全性の成就を目指し努力している。私の想念が君の内部に押し入り、インスピレーションによってある書物を伝えるので、それを書き留めよ。私は時を観照する者として、物事の真理をそれらの起源と結末において認識した。これからその真理を、君を通して君たち人間に理解できる言葉で開示しよう。だから私の想念を追い、それを不変の正しく読みやすい文字で書き留めよ。君の水準と私の水準との間の境界には、長い時間の隔たりがある。その境界は、君の時間計算では何十億年も離れていて、霊的次元の障壁を形成している。私はこの自分の形態において、空間と時間を超えて交信し、過去と未来を現在にもたらすことができる。それゆえ私は現在、自分がいる真理の遠い霊的未来から、この現在において君の霊的水準のある過去に到達して、君たちの形態にとって重要な意味を持つ事柄を君に伝えよう。君との交信は、霊的・インスピレーション的な特性に基づいているため、君は自分からは送信できない受信機の役割を果たすだけである。その理由は、私の霊的本質が、高次の霊形態にしか立ち入りを許さない高次水準に入っているためである。現在の地球人に例外なく該当する低次の霊形態は、我々のもとに到達できないばかりか、交信によって我々とコンタクトを取ることすらできない。他方、我々は自分たちの形態において、あらゆる霊水準に入り込み、低い水準のあらゆる実在する者に自分たちの言うことを理解させることができる。我々自身にとって限界は上方にのみ、創造の水準に向かって課せられている。我々もまた霊的に努力して、この水準に上昇しなければならない。以上述べたことは、君たちも我々も犯すことも避けることもできない創造の法則である。私の本質の霊形態が、君たちの現在の時間に現れ、君の水準の知性とインスピレーションによってコンタクトを取ることは例外と見なされる。こうしたことは、すでに過ぎ去った過去にも大きな例外として見なされてきたが、来るべき未来においてもそうでしょう。説明のために言っておくと、このような交信で最後のものは、君たちの時間計算で約2000年前に我々によって行われた。それ以後は、これを再び行う必要性もなければ掟もなかった。それゆえ君は、君たちの世界で、我々が2000年来再びコンタクトを取る最初の低次の霊形態である。その理由は君が、しばらく前から、君たちより高次の生命形態と情報コンタクトを取っていることにある。前回2000年前に、我々に伝えられたところによれば、君に関する情報は非常に驚嘆に値するものだった。君の霊の発達は、君の時代よりはるかに進んでおり、君はあまたの住民の中で稀な例外と見なされる。君は予言者の水準にまで発達し、予言者として自分の使命を果たすでしょう。機運が熟していなかった2000年前には、我々によってインスピレーションを与えられた者は我々の教えを有意義に広めることができなかった。それゆえ君は、この使命を今この新しい時代において果たす。だがそれは、かつて我々の教えから誤った邪悪なカルトが生まれて、あらゆる虚偽が隅々にまで紛れ込み、地球人を現代に至るまでとんでもない意識の奴隷にしてしまった当時のようであってはならない。君たちの現在と未来の時代の予言者として、私が伝えることを広め保つために、前回2000年前に我々によってインスピレーションを与えられた者より多くのもっと優れた可能性が君にはある。それゆえこれらの手段を活用したまえ。ためらうことはない。君の声を山々に轟かせ、偽りの予言者の邪説を滅ぼすのだ。なぜなら彼らは、意識を劫罰に追いやり、あらゆる認識を妨げるからである。彼らは、我々や他の水準からインスピレーションを受けたと主張するが、それは真実とは遠く掛け離れている。彼らの大仰な著作は、いかなる論理や真理とも無縁な溢れる空想の産物にすぎない。多くの者は妄想と虚偽が募り、インスピレーションによって霊形態を捉えたとか、捉えるだろうと思い込んでいる。彼らは霊とその諸形態を知ることなく、自分自身の想念や願望や着想を書き言葉に表しては、自分をも同胞をも欺いている。我々がこの2000年間あらゆる交信を控えてきたのに、どうして彼らが我々や他の高い水準からインスピレーションを受けることがあり得ようか。それにもかかわらず、多くの地球人は厚かましくも、我々や他の高次の水準とコンタクトを取っていると主張する。だが真実は、そうではない。彼らはその根本要素からして霊形態を捉えることができないのに、そんな連中にどうして我々が知識と英知を与えることができようか。だから私は、過去2000年間にわたり、我々の水準からも、他の高次の水準からも交信が行われなかったと繰り返し説明している。この種の交信と称するものはすべて、交信の事実を主張し、またこれからも、し続けるであろう当の地球人の欺瞞と自己欺瞞に帰する。さあ、君の意識の力を高め、私が伝えることを書き留めよ。その準備をしたまえ。君の使命は多くの時間を必要とするだろうし、君の感性を受信可能な状態にしておかねばならないから。 地球の人類は、巨大な宇宙の変革を目撃する段階に入った。この新しい時代は思考する人間の見る目には、ますます鮮やかにはっきり写る。それにもかかわらず人類の大部分は、無知と意識の奴隷化の奈落にいる。そのためこの衰退の原因を究明し、それを君たちにメッセージで示すことが必要となった。しかしまた、霊を理解し、意識的および霊的調和のある未来への新しい道を示すことも同じ起因から必要である。それゆえ地球人は、その目と耳を開け。その奴隷化した想念を、あらゆる邪説や虚偽を、あらゆる邪悪から引き離せ。意識の感性を、真理の認識に向けて開くのだ。無窮の宇宙を仰ぎ見るがよい。そこには久遠の星々が湛えつつ荘厳な静寂と崇高を支配している。星々は創造の秩序の中で、普遍妥当な創造の法則の調和に包まれて、従うべき掟を守りながら、数千年、数百万年にわたりその軌道を描いている。これらすべての星々の上には創造の法則と掟、永遠の摂理と生成、そして果てしない発生における時を超越した存在と消滅が支配している。そして人類よ、地球を見下ろすがよい。そこでも同じ創造の法則と掟が冷厳な秩序のもとで貫かれている。人間も、地球およびそのあらゆる多様な生命形態も、創造による創出の連鎖のちっぽけな、しかし重要な環としてこの法則と掟に組み込まれている。自然が創造によって与えられた法則と掟の中で生き、人間の手に触れられることなくその生存を成就するところでは、美と尊厳、そして力と偉大さが支配している。しかし、人間の介入や、不自然で非論理的な秩序と修正の跡が見えるところでは、一切の美と尊厳、力と偉大さ、そして秩序は消滅する。こうして自然は、巧まずして人間の理性と悟性の欠如の証となる。それなのに人間は自らを万物の霊長と呼びたがる。人間はそのような妄想に生きており、自分の頭に冠を載せているだけだということを自覚しない。しかもその冠たるや、人間には大きすぎて支えきれず、その重みに人間は今にも押し潰されそうなのである。事実、地球人は現代までに素晴らしく大きく発達した。そして憎悪、悪徳、欲望、快楽、困苦、そして流血を引き起こした最もたちの悪い邪説とカルトに駆られ、自ら深い奈落の縁に、妄想という野獣の罠の前に進み出た。そして地球人、すなわち世界を支配し、水と空気と火を征服した万物の霊長である人間は、真の人間であることを、そして霊形態に従って生きることをもうずっと昔に忘れてしまった。それによって人間は、共同体において価値ある人間として人間の間で生きるということもすっかり忘れた。すべての人間は純然たる物質的な事物を追い求め、霊的なものにかかわる一切の事柄をひどくないがしろにしている。人間は考えられる限りの太古から、ひたすら権力を獲得しようとした。そして手に入れたらそれを、ひたすら奴隷化と隷属化のために利用した。戦いは鬨の声であり、勝利は地獄の示現であった。人間は意識を奴隷化する愚劣な邪説によって、強制と偽善を生み出し、それらを通して名誉と自由について語ったが、その意図は意識の奴隷化、あらゆる点での利用と搾取、そして絶対的な従属にほかならなかった。地球人は、素顔を見せることをとうに忘れてしまった。というのも地球人は、カルト的な邪説の始まりとともに、素顔を自分自身の内に埋葬して失ってしまったから。今では地球人は、色鮮やかな仮面を被って見せびらかしているにすぎない。だが、それらの仮面はなんとも無味単調、無関心・冷淡で画一的な印象を与える。多くの地球人は野獣か、あるいはカルト的邪説の才気のないロボットになってしまった。英知に関して才気のない彼らは、最小限の霊的な真理も知らず、ひたすら権力、欲望、物質主義、そして同胞と自分自身に対する憎しみにすべての努力を注ぎ、地上の日々を、そして年月を邪悪で不誠実に送っている。地球人はこの世の一切の事物を、その悟性と理性によって分類し整理した。そうすることによって地球人は、一切を自分に服従させた。そしてこの服従こそ、地球人があらゆる努力を払って手に入れようとするものなのである。地球人にとって仮象は、実存在の真理以上に重要であった。霊と創造の永遠の真理が地球人の根本要素において失われてしまい、地球人はすでに早い時期に宗教の非現実的な教えにしがみついた。宗教の奴隷化する邪説は、自己欺瞞に陥っている地球人にとって、真理と英知において創造のあらゆる法則と掟よりも身近で価値が高い。地球人はその極めて希薄な宗教的で錯誤した人生観ゆえに、真の創造の法則と掟に反して人間の法的規定を作成することによって、非現実的な宗教との調和によって人類を改善でき、あるいは今よりも良く生きられる明るい未来へ導けると信じた。地球人は自分の中で、創造の本質に関する知識を失ったので、物質的な手段と宗教の邪説によって、人間を無理やり生かそうとした。その理由で地球人は、宗教の邪説と関連した偽りの約束や、やはり偽りの理想と偶像によって多くの人類を魅了した。この道はやがて最悪の規模の奴隷化、意識の束縛、搾取、そして憎悪、欲望、悪徳へと導いた。まだわずかでも信頼が残っていたところでは、それは即座にとどまるところを知らず、邪悪な不信と激しい憎悪に姿を変えた。こうして地球人はますます真の生命から、創造の起源の霊的な定めから遠ざかっていった。人類は、最も古い真理と英知に関する知識を失った。つまり人間は万物の尺度であり、またそれ自体、創造による固有の完壁なる被造物であるという知識である。しかし時代が変遷し新しい宇宙時代に入った今、地球人がその感性と思考を方向転換し、霊的生命の本来の価値である創造と霊の真理に、再び取り組むことが強く求められている。これまでは人間の生命形態が地球の領域だけでなく、無限に広がるこの宇宙の至るところに住んでいるということを知っていたり、推測したりしていたのは、地球人のごくわずかな一部にすぎなかった。自分たちの霊が、物質的感性では知覚できない創造的なものの境域に突入していることを知っているのも、これら人間のうちごくわずかな一部である。しかし創造自体は、すべての霊形態の本来の故郷である。霊的な拡張と深化を目指して努力し、達成して、それまでの人生観を改めるのは、個々の人間のためになることである。その人生観は、純然と物質主義的で非現実的信仰という軌道をたどり、それによって霊の真理をひどい劫罰に追いやった。しかし方向転換は、容易ではあるまい。その道は蔓や茨が生い茂っているから。このうえなく明確な真理において、しばしばまさにこれとは正反対の道を歩まねばならない。人間は自分の創造的な霊が実在することを通して、永久に不滅の部分を持っていることを学ばなければならないからである。創造的なものと共に作用し、宗教に見られるように卑屈な役割を果たすことのない霊である。自分の霊が創造的な機能を発揮して、創造自体において完全であることを保証するために、霊そのものが完成しなければならないということを、各人が自分で証明しなければならない。しかしこの認識を獲得したすべての人間には、そこから自分自身の物質的な生命を背後に押しやって、その霊的な生存を、絶えず変転しながらも永遠に持続する創造の偉大な観点に導くという、避けることのできない義務が生まれるのである。真理の人間は偏見がない。偏見を抱いていると、探索と発見と誠実さが妨げられるからだ。真理の人間は、すべての真理と英知が時間を超えて永遠に続く流れの中にあり、したがって先入観は、実在する権利を持たないということを非常に正確に知っている。英知の事実たり得るのは真理の事実のみであり、その他のいかなるものもそれに組み入れられない。生存するものはすべて円を描いて完結しなければならず、これはあらゆる出来事の大いなる進行を貫いている法則である。原因と結果は法則と掟に従って秩序づけられているとき、あらゆる領域で妥当性を持つ。先入観はそれ自体の内に、懐疑と虚偽のあらゆる非論理を宿している。だからある人間が歩み寄り、この伝達を受け入れるならば、人間の甚だしい弱さをはっきりと認識するでしょう。つまり、先入観に基づく懐疑と批判の状態を超越しているか、それともなおも偏見が彼を支配し続けるかということ。しかし依然として先入観にとらわれているならば、彼はこのメッセージを脇へのけて、偏見を持たずに真理を探索できる者に委ねた方がよい。宇宙あまねく多様な生命形態が姿を現わし、それらはすべて然るべき法則を根底としている。解き明かすことのできない秘密である無限の持続と無限の変転をもたらすのは、創造による目に見えない偉大な作用である。この宇宙において生命の息吹のあるもの一切が、解き明かすことのできない神秘に満ちた法則によって、空間的および時間的に拘束されている。同じ法則のもとで存続する霊形態だけは、時間にも空間にも屈服しない。しかし、霊形態は創造を起源とし、創造的であるから移ろい行くものの法則が、その実存在を損なうことはない。君たちの地球に生きているものも、ことごとく時間的なものと空間的なものの支配下にあり、同じく時間的、空間的な存立の法則に制約されている。それは、物質的な空間状況と時間状況が結合したものである。物質的な空間状況と時間状況は、その存立において冷厳な秩序の規則性、すなわち物質的形態における空間と時間の変転、粗大質料物質の発生と消滅を表している。地球人に関して過去に経過したすべての事実を認識すると、次の事実を学ぶことができる。すなわち、地球人がまだ創造の法則と掟を遵守し、それらと調和して生きていた最も古い過去において、地球人の霊的局面と思考形態は完全に所与の自然法則と一致しており、それにより冷厳な秩序には幸福、知識、英知、平和、自由および愛、そして平穏と満足が属していた。しかし、宗教に変節する邪説を通じて創造の真理から、そしてまた創造の法則と掟から自己疎外することにより、悪質な事柄、たとえば憎悪、不和、奴隷、流血、嫉妬、欲望、エゴイズム、争い、その他霊にふさわしくない多くの現象が培われ育まれた。これに関連して人間に定着している陰性的に変節した、根本となる破壊的な力を分析して明るみに出し、人間を意識の荒廃から連れ出してくれる真理と自由と英知の道を開示することが重要である。しかしこの道が示され得るのは、同時に人生の根源的な意味、およそ人間はなぜ現にある形態で生きているのか、ということの本来の意味が解き明かされる場合に限られる。過去数万年もの間、非常に多くの偉大な霊的人間が地球上に生き、この大きな問いに対し、どのように、どこで、そしてなぜという答を見出そうと努めた。しかし彼らの努力は無駄に終わり、現代まで伝えられているその思想は、これまでとまったく同じように踏み付けにされて不毛のままである。これらの教説や教示の多くは、知ってか知らずか改竄され、非現実的な宗教的ドグマに流用されて見分けがつかぬまでに変えられた。不滅の真理がこのように無視されたり、改竄されたりしたのは、それらを遵守することが人間にとって決して楽ではなかったからだが、そのために人間は現代に至るまで悪い結果を甘受せねばならなかった。しかし、真理を告げ、真理のために闘う者、すなわち真の予言者は踏み付けられ、追放され、命を奪われ、辱められた。そうしたことが起きる時代は、君たちの地球ではいまだに過ぎ去っていない。多くの新時代の賢者や真理の告知者も、同様に類似の迫害を受け、耐えねばなるまい。なぜなら宗教に惑わされた多くの地球人は、彼らに悪意を込めて自分たちの狂信の報復をするだろうから。しかし、時代の変転とあらゆる真理が出現する新しい宇宙時代は、彼らの戦いを助け、彼らに勝利をもたらすだろう。現代の地球人は、甚だしい物質的な快楽と享楽の内に生きている。彼らが言う心配のない生活とは、ひとえに物質的世界に依拠したものである。そこでは上等な衣服、瀟洒な住宅、贅沢な食事と飲み物、金銭的な成功と利益、そして快楽や悪習を満たすことが最も決定的な役割を果たす。人間は、これをその誤った非霊的な思考形態において満足した現世の生活と呼んでいるが、そこに真理に対する知識が欠如していることは言うまでもない。大多数の人類の現世における人間の努力は例外なく、できるだけ早く労せずに、多くの場合計り知れないほどの物質的な富を手に入れ、他人に対する権力を獲得することである。物質的な富のレベルと、この世界における社会的地位や職位が人間の価値を決定する。だが本当は、唯一の価値である霊的価値は完全に無視、嘲笑され、踏みにじられて愚にもつかないものと呼ばれる。現代では人間の名望は、金銭的な資産や地位と肩書きによってしか評価されない。これらの人間にとって、平穏で心配のない晩年を送ることが、最後の望みを果たすことであり、彼らはなおも自分たちが到達した文化の高さを誇りに思っている。到達した文化の高さに対する地球人の誇りは、物質的な成果という最小の価値に立脚しているが、霊的発達が考慮されていなければ、どんな文化的価値も認められない。高貴な人間性を削ぎ落とされた生活も、何らかの意味で文化と呼ぶ権利はまったくない。極めてあからさまなエゴイズムこそ、人間の思考と行為と作用の最も強い原動力であるが、人間はあまりに臆病なのでこの事実を意識もしなければ、自分自身に対して密かに認めることさえしない。地球人には真理に対する勇気が欠けており、また腐敗した偽善において無思慮にのうのうと生きているので、君たちのもとには理解というものが存在しない。各々の人間は一人ひとり外界から隔離して生活し、自分自身を欺き、呪い、隣人が呼吸をするのを許しながら生きている。地球人がどれほど偉大な発明や発見をしようとも、それによって人生の真の意味がますます破壊され、根絶され、またかろうじて残っている最小限の霊的価値が最終的に失われるならば、何の役に立つだろうか。学界でどれほど探索や発見が行われようとも、意識が恐ろしく奴隷化され、また人間が物質的な発見や成果のために誇大妄想を抱いて、自分は創造自体であると思い込んで生き始めるならば、何の役に立つだろうか。しかし太古において、地球人の先祖がそうであったように、大昔から地球では金持ちと学者は指導的な立場の人々であった。彼らの知識は膨大なものとなり、特殊な専門分野に分けなければならなくなった。だが、彼らの知識や探索、発明や発見は、どれも純然と世俗的かつ物質的な事柄に変節し、それによってすべての意識の発達が妨げられ、抑圧され、奴隷状態に追いやられた。霊的な真理が忘れられて、文字どおり意識の呪いが育まれた。君たち地球の人類は現代に至るまで、さらに現代を超えてなおその影響を耐え忍ばなければならない。この底無しの奈落への落下はまだ停止に至っていない。というのも、落下のものすごい速度にブレーキを掛けるための決定的な措置は、ようやく今講じられようとしているからである。しかしこれらの試みは、いや応なく付きまとう新しい時代の過渡期の作用や影響によって繰り返し損なわれ、挫折を余儀なくされるでしょう。途方に暮れるほど多くの新しい宗教的カルトは、新しい時代に真理が続々と出現するのを損なう。なぜなら昔から人間は、新しい時代や変転が始まる時には迷妄に影響されるから。宗教的な邪説によって生まれるこのような迷妄は、特にそのような時代に激しさを増す。宗教の邪説や、科学およびその他の世界の学者による知識は、それ自体の内に言い知れぬ因子の形で、致命的で壊滅的な破壊の芽を宿している。そのことは学界にも、普通の地球人にも認識されなかった。人間の生命における一切のものは、完全に非物質的な水準を持っていることを誰もが故意に、あるいは無意識に見逃した。その水準は物質的・科学的事実とも、宗教的ドグマとも相いれず、倫理的境域にその反響を見出すのみである。悟性的科学も、宗教的ドグマや空想的解釈もその行為と行動によって、霊と意識の進化を保証する霊的・倫理的、意識的・倫理的な力を解き放つことはできない。まったく逆にそれらはこの憶測を受け入れる人間を、この質量に対する間違った信仰へと誘惑してこれに従属させる。これら惑わされた人間が、物質的に思考する者となるのは避けがたい。彼らはもはや、どんなことがあっても迷妄から離れようとはせず、そのためにしばしば真理の告知者の命を奪う。しかしこれは、現代と未来の非常に悪い特徴であるのみならず、過去においてもそうであった。地球人は数千年来、自分勝手に作り上げたドグマに従って生きており、まさに彼らの中でも常に最も悪質で権力欲の強い者が、民衆の指導者や宗教の指導者の地位、さらには秩序と道徳の番人の地位を手に入れたのも偶然ではない。こうした連中のおかげで、昔も今も深い霊的認識、それと同時に倫理的道徳、そして意識的な認識と教示の獲得を目指す人々が、異端者として世離れした夢想家、革命家気取り、反逆者として片付けられて迫害され、無残に殺されたり殺戮されたりしている。かつて人間が見つめ、そして現在見つめているところに見出すのは、ただ流血、憎悪、錯誤、隷従、欺瞞、不信と惑乱、非論理、虚偽、そして邪説のみである。開かれた目と開かれた意識・感性をもって物事をその真理において見、認識できる人々の前にも、至るところで同じ悪質な像が現れる。不信と憎悪、エゴイズムと宗教的邪説が、数千年にわたって地球の民族を惑わし盲目にしてきた結果、全人類は自分の内で混乱して不和になり、今日ものすごい速さで自分自身の滅亡の淵に向かっている。現代、悪と堕落は限度に達し、見境のない破壊の暴威が人類をつかみ、地上の世界に死と滅亡と壊滅をもたらす。このための礎石は、すでに数百年も前に置かれたが、その発生の起源は数千年も前に遡る。当時と変わらず今日も最大の破壊者や独裁者は、自分を英雄か空想上の神の右腕と思い込んでいる。神は彼らを復讐と規律を旨とする監督として、民族の上に据えたことになっている。そして彼らに従属する民族は、自分自身の意志からにせよ、あるいは自らの意志に反してであるにせよ、彼らを英雄として敬い、讃える。統一が統一を保つことができるのは、分裂したり、分離が引き起こされたりしない間だけである。統一が分割されたら、それはもはや全体ではなくなり、相対的完全性の価値は失われる。これはあらゆる存立の法則であり、生命の法則である。この法則により、創造の冷厳な秩序から生まれるすべての発展と安全が保証される。この法則は地球人にも妥当する。地球人の統一は、人類全体の共生においても、個々人の内部にも融和を形成する。しかし人間が、この融和を失った結果、分裂が生命を貫いている。自分自身における分裂、思考形態における分裂、行動における分裂、隣人との分裂、そして周囲のすべての世界との分裂が。それだけではない。この人間の分裂は、自然と創造の法則を具現しているあらゆる事物に対して、つまり創造自体に対しても見られるようになった。実に、創造の輝く全能の前でさえ、地球人は分裂を止めようとはしない。分裂は不完全さの中でも、最悪のものの一つである。不完全はあらゆる壊滅的なもの、致命的なものをもたらす。それゆえ人間は、不完全の呪縛に支配されている限り、不正、困苦と悲惨、病、喧嘩、争い、そして曽悪、死、腐敗という結果も全部引き受け耐えなければならない。というのはそれらは、一切を包含する分裂と統一との分離から生まれ、自ら作り出した必然的な結果として人間の生命に脈打ちながら流れているから。地球人の多くはこのことを知っているに違いない。なぜなら彼らは、すべてのことを自分自身の体で耐え忍ばねばならないからである。だが彼らは、良い方向に転換する道を知らない。彼らは確かに、この破壊的な状態から抜け出ようとひたすら努力しているが、抜け出す方法は彼らには秘められたままである。彼らのより良い人生や、精神的な充足への願望と押さえがたい衝動は理解できる。しかし同時に、ここで不可解なことが始まる。多くの真理の告知者が地球上に生き、創造の秩序の真理と英知を告げた。彼らは愛情を込めて語り、厳しい言葉で叱り、多くの言語を操り、地球のあらゆる民族に真理と知識と英知を告げた。しかし人間は彼らを無視し、迫害し、殺すことによって、創造の正義を嘲笑した。予言者は創造の真理と英知、その法則と掟、そしてすべてを包み込む創造の愛をもたらした。だが彼らは、人間に踏み付けられ、呪われた。地球人は、すでに昔から囚われている宗教の非現実的教えから敢えて離れることなく、霊の教えの真理と英知を冒涜した。地球人にとっては、宗教の空疎な偽りの約束の方が、創造の真理よりも重要になってきた。それゆえ地球人は、創造の法則と掟、そして予言者を冒涜し、踏み付け、殺し、壊滅させ、いよいよもって、自分たちをすでに支配している宗教の邪説によって、欲しいままに意識を完全に奴隷化できるようにした。地球人に真理と英知をもたらし、それによって創造に関する知識に根差した生活を示して、創造およびその法則と掟に至る道を示すべく、多くの試みが成されてきた。だが、いかなる試みも成果がないまま、真理の船は例外なく座礁して、地球人の無理解という底無しの深みへと沈んだ。真理を探し求める人間は、悪の根元をつかんだことは一度もなく、したがって認識を見出すことは決してできなかった。悪の根元をつかめなかったのは、彼らの人生に対する解釈が表面的で誤っており、本来の使命を失ったためであった。それというのも彼らが、無限の実存在の渦巻く源泉を、非現実的な宗教的ドグマに置き換えて、狂気に終わらせてしまったからである。時間を超えたものは永遠であり、この時間を超えた永遠の内に創造の力および全能の真理と英知が安らいでいる。人間がこの真理に近づき、それを目指して努力すればするほど、創造の秩序を生み出す法則と掟に従うことが容易になる。人間が、創造の真理およびその法則と掟を承認して遵守するならば、その人生において無限に持続する秩序が光り輝く。平穏、平和、そして愛が空間と時間を貫いて人生に伴い、創造の調和が完全であることを物語る。地球上のあらゆる出来事の中心には、地球全体で最も発達した霊形態を持った人間がいる。彼は、地球のあらゆる自然法則の中に認めることのできる創造の秩序の唯一無二の法則に従って、世界のすべての事柄を秩序づけ、評価しなければならない。個体として人間は、自分に課せられた様々な使命を持っている。第1に人間が義務づけられている使命は、発達の段階に応じて与えられた時間にわたって、自分の生命を維持すること。第2に義務を果たすように心がけ、霊的、意識的に可能な限り発達して、霊の進化を重要な真理として承認しなければならない。共同存在としては種を保存して、霊の教えに従って子孫を教化し、育てる使命がある。さらに人間は、自然の共同秩序に順応し、適合する義務を負わされている。この共同秩序は自然が、生き方の模範を示しているように、あらゆる点で自然の進化を保証する。人間の種の保存は、地球の宗教の邪説が明言するように、単なる繁殖の公式で表されるものではない。種の保存とは、自然法則を遵守すること。それは神聖で、見通しが利き、統制的な遵守である。しかし、単なる繁殖の公式は神聖ではなく、見通しも利かなければ統制的でもない。なぜなら繁殖は、あらゆる自然法則に反して意味なく大量に増やすからである。地球人が単なる繁殖の公式に従い、創造と自然のすべての法則をないがしろにしているということは、多少なりとも意識の発達の軌道を歩んでいる人間には明白である。人類は節度も節制もなく増え続け、統制のない低俗な形で子孫を生み出している。君たちの地球は、5億の人間の生命形態を支え養うことができるが、地球人は35億(1975年現在)もの人間を生み、わずか数百年の間に、何百万という人間が正常でない死に方をしなければならないほど、ひどい人口過剰を招いた。地球人の無思慮と宗教の邪説のために、人類は際限なく増え続け、それまでは少数の人間に限られていたので食い止めることができた諸々の問題が、言語に絶する規模に広がり統制不能となった。種の保存の法則を破りないがしろにしたため人類は、わずか数百年の間に大規模な人口過剰に陥り、それとともにありとあらゆる問題や困苦、そして退廃が増大するのは避けられなかった。地球人が、その使命を正しい意味で果たしつつ生きるならば、彼は創造によって与えられた冷厳な秩序の内に生きることになる。しかし地球人が、秩序をないがしろにして逸脱するならば、その代償を払い、結末を引き受けることになる。だが地球人は、この秩序を踏みにじり甚だしくないがしろにした。そして今地球人は、その結末を引き受けなければならない。地球人の物質的な生活領域の最も重要な使命の一つとして、人口過剰を極めて強硬な措置で食い止め、人間の数が正常な5億人基準の水準になるよう努めなければならない。現実は、地球人の生命形態をこの数しか許さないのであるから、再びこの数値を達成しなければならない。この道を進むことは単純でも簡単でもない。というのは、達成すべき目標を認識するには、最初に悟性と理性が勝利を得なければならないから。この目標に至る道とは、次のようなものである。地球の運命を司るすべての者、すなわち責任者たちは規則を公布し、いかなる家族も10年の間に配分して子供を3人以上生まないという成果を達成するよう心がけなければならない。男性の人間的生命形態は、30歳以下および40歳以上で子孫を作るべきではない。しかし何よりも緊要なのは、節度なく人口過剰になった国は、7年間にわたって出産停止のための絶対的な規則を公布して、自然に従って人口を減らすこと。地球が支えきれる人口は、肥沃な土地の平方キロメートル数によって計算してよい。これは個々の国、個々の国家についても算出できる。生命を養い維持するための自然法則の真理によれば、肥沃な土地1平方キロメートル当たり12人の人間的生命形態を見積もることを許している。1平方キロメートルの肥沃な土地は、12人の人間的生命形態以外に、野生の自然に生息しているすべての動物と、人間の必要を満たす動物を心配なく養うことができる。この場合整理するという無秩序感覚を持った人間が、秩序なるものを自然の野生動物や、本来の自然秩序に持ち込むには及ばない。この法則を守り注意を払うならば、飢餓は完全に無くなり、多くの病気は芽のうちに摘み取られる。それによって、環境汚染や大気汚染の問題、そしてまたこれと関連する他の多くの問題も解決される。戦争や、その他類似の逸脱行為も大幅に減少し、地球人は自分の隣の人間がまことに隣人であり、人間はお互いの間で相互に必要とし合っていることを再び学ぶ。再び愛と調和がその妥当性を獲得し、地球に平和が戻るでしょう。それゆえ目下の急務は、人口を基準値に保ち、または基準値まで減らすこと。なぜなら最も解決が困難な問題は、地球における人間の生命形態の人口過剰に起因しているからである。目標に至る道は遠く険しい。そしてまず地球人の中で、理性が勝利を収めなければならない。その道は実は、目標に続く唯一の道である。それというのも、第2の道や妥協の道は存在しないからである。それゆえ地球人は、上に述べた道を歩み、地球と同様、自分自身も自然の正常性に戻るよう努めなくてはならない。地球人は、物質的であると霊的であるとを問わず、あらゆる生命領域で対立する力の作用と反作用に遭遇する。生命の働きはすべて、この陽と陰、善と悪、内面的なものと外面的なものの対立の法則において振動している。君たち地球人は生活のあらゆる分野で、この巨大な相互作用に絶え間なく遭遇する。君たちはそれを善と悪、陽と陰、内面的なものと外面的なものからだけでなく、喜びと苦しみ、死と生、昼と夜、夏と冬、熱さと冷たさ、愛と憎しみなどからも知っている。君たちはまた、男性的なものと女性的なものにおいても知っている。それらはそれ自体では二つの対立する力であるが、合体することにより全体として統一されて超統一体として現れ、あらゆる生殖の行為、すなわちあらゆる生命の原理・原則を具現している。およそ2000年来、この知識は君たち地球人に忘れ去られていた。なぜならそれは、宗教と科学の邪説によって排除されたから。この2000年間に、君たち人類の間で無知がまるで疫病のように蔓延し、真理を埋めてしまった。しかしすべては、時代の流れに従わなければならず、地球人もその例外ではない。それゆえ現代において、新しく賢い予言者が生まれないわけにはいかなかった。彼は、真理の基礎壁を新たに築くのに十分偉大でしょう。彼は2000年来、初めて再び真理をその根本要素において認識した唯一の地球人であり、数十年にわたり非常な労力を払い真理を探究、探索し、そして見出した。その際に、高次の霊形態によって導かれ、教示され、育成されたということはほとんどなかった。なぜなら彼自身すでに霊的、意識的に高い価値と、人生を真理に捧げるという善き意図を持って生まれついたから。彼のまことの知識は、君たちの時代と未来において最も膨大なものとなり、宇宙の多くの世界はいつか彼の教えに従って生きるでしょう。彼は我々のこのメッセージの受信者であり、君たちの時代の偉大な予言者であり、自分自身の意識と霊の活動によって真理を見出した。彼はすでに、たびたびその巨大な知識の一部を書き留め、記録した。その知識は非常に偉大であり、本当の真理の枠内にあるが、それは我々の賞賛に値する。彼のことを多く知っているので我々は、地球人の思考形態や人間の感情世界を解明するために、彼の言葉の正確な再現を使用するつもりである。したがって以下に掲げるものは、君たちの新しい予言者の思考形態に対応しているが、それは我々の知見とも非常に正確に一致している。以下の文書は、彼の言葉を君たちに確実に理解できる形で、すなわち深遠な真理の形で忠実に再現したものである。君たち地球人は、その真理を認識し、遵守しなければならない。なぜならそれは自らを調和に導き、霊的思考形態に至る道をならす方法を示しているからである。 多くの地球人は奇跡を信じているが、それとともに自分自身が進化の歯車装置の中に巻き込まれる努力をすることなく、自動的に巻き込まれていると信じている。彼らは宗教的形態の迷信に囚われて、神は自分たちの全運命と、したがってまた進化を操ると思い込んでいる。そのため彼らは、謙虚にすべての運命を神の手に委ねさえすれば、霊と意識の進化は必ず起こるだろうという観念を抱いて生きている。ここに至って、地球人はなんと馬鹿げた迷信に陥っていることだろうか。というのは、地球人の運命を自己の力で導いたり、操ったりできるような神はどこにも存在しないから。すべての努力、したがってまたあらゆる観点で進化を追求する努力も、地球人自身にかかっている。このことを地球人は、皆明確に知らなければならない。そして決していかなる奇跡にも頼ってはならない。それらは非現実的だからである。しかし無限に続く時間の懐で、かつて奇跡が起きたためしはなく、これらかも絶対に起こるまい。奇跡とは何か説明できないものを意味するが、説明できないものは何も存在しない。なぜならそのような奇跡は、創造のすべての法則と掟に反することになり、それによって創造自体は、自らの実在を放棄することになるからである。創造の上、下あるいは中に説明できないような出来事が出現し得るとしたなら、どうして奇跡は、創造として実在することができようか。だが、君たち地球人の目から見ても、奇跡は一度も起きたことはない。なぜなら君たちにあっても奇跡は、非現実的で創造の法則に反すると思われるから。地球人は、自分に説明できないものは何でも奇跡という名称で呼ぶ傾向がある。地球人は、宗教的な邪説に依存しているので、この名称に関する傾向はさらに神的なものに向かう。まことの知識と英知が欠けているところでは、自然の説明が完全に欠如し、地球人は解決を仮想のもの、宗教、神、そして何らかの聖人や聖物に求める。だから地球人は、自分に説明できないものはなんでも奇跡という名称で呼ぶ。しかし新時代の幕開けとともに、これらの奇跡に関する邪説はいよいよ過去のものとなる。なぜなら新時代は、真理と霊の本当の教えを求めるからである。非現実的なものはことごとく忘れ去られ、過去に押しやられる。それは、新時代における意識のまことの進化において、実在する権利を持たないから。地球人にとって存在するのは、創造の法則と掟の永遠の支配のみである。これが霊の法則と掟である限り、地球人は自分の中に住まう霊の力によって、極めて意識的にこれらの法則と掟に従って生き、それによって自分を完成させることができる。それゆえ地球人が、この霊の法則と掟の冷厳な秩序に組み込まれ適合すればするほど、彼の中で意識的に知識、真理および英知が増え、彼の内で巨大な意識の力が成長して身につけた知識と能力により、その力を技能として応用できるようになる。こうして地球人は、創造のすべての力に対して文字どおり心を開く。これらの力は無限に広がる宇宙から愛の生き生きとした流れとして彼の内に流入する。この道を進むとき、地球人は創造の秩序およびその法則と掟に適った生活を送るだけでなく、霊と意識の進化のまことの道、したがって完成の道を歩む。愛の法則は、創造のあらゆる法則の原則である。そしてこの法則は、君たち地球人の原則も具現している。したがって、すべてに対して普遍的な愛から振る舞わない者は、秩序の掟と定めの法則に反する。それゆえすべてに対して、あらゆる生命形態に対して、したがってまたすべての同胞に対して、無私の普遍的な愛から振る舞う者だけが、自分の内に真理と認識につながる決定的な力を呼び覚すことができる。この愛の法則に従うことによってのみ、認識、真理、知識および英知を集め、それによって新時代との結び付きを見出す可能性が保証される。新時代、すなわち水瓶座の時代は、平和と愛、知識、真理と英知、そして進歩の時代である。それは最高度の霊と意識の進化の時代、久しく求められたすべての目標を達成する時代である。これは法則に適った発展であり、法則に適った真理の認識である。それゆえ新時代に向かって心を開き、新時代の予言者の英知に耳を傾け、自分の内に受け入れる者は、創造の法則と掟の実在と作用を意識するようになった。今や、真の愛を無私に実践することが、かつてないほど緊急に求められている。すべての思考と行為と行動は、真の愛によって高められなければならない。普遍的な意味における愛だけが、知識、英知および真理を獲得するのに必要な力を奮い起こすことを可能にする。それによって、陰性的に変節した世俗的な事柄や欲求を、すべて放棄することができる。特に君たちの世界では、白色人種がこのような教示を必要とする。なぜなら彼らは大方が生半可な知識しか持っておらず、愚かな邪説にたきつけられた妄想によって、地球の全人類を劫罰の奈落に追いやるから。温和な有色人種は数百年来、そして現代に至っても、白色人種に宣教され、キリスト教に隷従させられている。それはかつても今も、専制、野蛮、奴隷状態と結び付いており、その信仰は罪のない人々が流した血でしたためられている。愛の隠れ蓑の下で殺人や殺害、奴隷化や搾取が行われ、人間は意識の発展を奪われている。君たちの世界の有色人種が、今ほどひどく節度を失ったことはかつてない。自分たちを地球の支配人種と見なしている白色人種は昔から変節していたが、それはこれからも長く続くでしょう。君たちは、自分たちの時代を啓蒙と人道主義、人間性の時代と呼んでいるが、それは嘘とペテンの空疎な言葉にすぎない。なぜなら実際は、現代こそ非人間性、非人道主義、幻惑が、かつてないほど甚だしい段階に入っているから。真理は、殺人と殺戮によって押しのけられて、奴隷化する狂った宗教と政治支配が再び強化され、それらに新たに悪質な権力を保証する。それが今日、君たちの世界の状況である。昔もそうであったが、かつては今日ほど甚だしく邪悪ではなかった。今日も昔と同様、真理の告知者が現れ、無知と搾取と奴隷状態の無気力から引きずり出そうとしたとき、宗教と政治に権力を維持させるために、最も恐るべき、最も非人間的な手段さえ用いられた。あらゆる手段を用いて権力の維持を図ろうとするのは、たとえその方法は変ったとしても、数千年来同じであった。地球人はここで過去に起き、今も行われている拷問を思い出すがよい。そうした拷問は、節度を失った権力亡者とその手先が、過去も現在も、そしてこれからも使い続けるだろう。そしてこれらすべてのことが、過去も現在も政治家や宗教の代表者とそれらの追随者が説く、自由と愛の隠れ蓑の下で行われている。こうしたぞっとするような全状況において、いったいどこに自由と愛があるのか、どこに理性と悟性があるのか、どこに知識と英知と真理があるのか。実際、どこにもない。なぜなら無知、権力欲、幻惑、その他多くの陰性的に変節した力が幅を利かすところでは、愛や知識、真理や英知は存在せず、創造の法則と掟は決して承認されず、創造自体も承認されないからである。こうした状況が空想に満ち、現実離れした仮想の力に道を開ける。それは神々、天使、聖像などで幻惑する宗教の道であるが、決して真理の道ではない。欺瞞的で、意識を奴隷化する宗教に従って生きる人間は、創造の凄まじい力とその無限の愛を理解したり、把握したりできない。いわんや、彼らはこの愛を使うことを理解したり、把握したりすることはできまい。彼らは創造の実在について何も知らない。なぜなら彼らの感性は、宗教の邪説によって、神々とそれらに帰せられた事柄に囚われているからである。彼らは、非現実的な信仰の臆見の内に生き、まことの知識と英知を蔑んで退ける。まことの知識と英知は、山をも動かすことができる。これは言葉の最も真なる意味において、その過程を通して物質が変換され、移動され、そして再び変容されるということ。地球人の知識から、真理の理解と創造の実在が失われているので、地球人は物質変換の過程も理解できない。君たち人類の大部分にとって、霊と意識の世界への眼差しはまだ暗く、それどころか多くは盲目である。なぜなら良心よりも、頭脳が強いから。そのため35億人の地球人(1975年現在)は、意識・霊生命および水瓶座時代の新しく始まる時代に続く道を見出せない。現代地球では、大方はまだ密かにではあるが、霊的態度の相違が見られる。個々の小さい集団は真理のかけらを認識しているか、あるいは真理について何らかの示唆を受けている。いずれもまだ、信仰や宗教の非現実的な事柄に囚われているとしても、それらの極めてわずかな断片的知識を働かせることにより、真理は徐々に広がることができる。境界科学者や精神科学者は、残念ながらまだあまりに非現実的な物事や信仰に囚われているが、今後数百年の間に、真理が地球人に到達する道を、見出すのに重要な役割を果たすでしょう。彼らは新時代の予言者と、それに続く真理の告知者によって教示され、その真理をさらに広めるでしょう。今日なお数十億の地球人が、富とあらゆる物質的なものの側に立っているが、他方では次第に霊的なものの力、したがってまた真理の力が発展している。知識ある者の数は徐々に増え、それによって邪説が排除されるでしょう。今日まだ宗教信者の数は、その頂点に向かってとどまることなく増えているが、それは短期間のうちに非常に急速に変わるでしょう。幻惑する宗教も、権力欲に憑かれた政治家の統治と同様、衰退が避けられないでしょう。なぜなら、自然のすべての法則と掟の真価を再び発揮させる、霊的な指導者が登場するから。したがって現代、本当に知識ある者の数はまだ極めて少ないが、それは見渡しきれないほど多数の集団に成長するでしょう。時間の経過とともに、彼らは創造的な意味で発展し、彼らの子孫もその指針に従って教育するようになるでしょう。これらの子孫は、未来の人間すなわち愛と真理を求める水瓶座時代における地球の未来の担い手であり、形成者となるでしょう。これら地球の未来を担う者たちは、彼らの先祖が真理を求めて数千年間にわたって戦った後に、再び目を輝かせ、喜ばしく屈託のない感性で人生を生きることのできる者たちである。※水瓶座時代(Wassermannzeit):新しい時代。黄金時代。 地球つまりゾル太陽系(我々の太陽系)が、銀河系中心太陽を公転する銀河系星座から直接影響を受ける領域内に位置している。水瓶座時代とは、霊的な時代、真の真理の時代、寛容と啓蒙と愛の時代、知識の時代、自由の時代、英知と調和の時代である。しかしこれらはすべて、苦しい闘いを通じて勝ち取らなければならない。水瓶座時代は、他の星座の時代と同じく、地球時間で2,155年間続く。したがって、次の水瓶座時代は、黄道十二宮をすべて通過した後、すなわち地球時間で25,860年後に再び訪れる。 現在の水瓶座時代は、中部ヨーロッパ標準時の1844年2月3日11時20分に始まった。それ以前の地球は魚座時代にあったが、その時点を境に魚座時代から水瓶座時代への過渡期に入った。この過渡期は総じて185年間に及ぶ。そして1937年の初め、つまり中部ヨ一口ツパ標準時の1937年2月3日11時20分に魚座の最後の影響から解放されて過渡期後半に入り、急激な発展を始めた。2029年に過渡期が終わり、太陽系はその後の1970年間、水瓶座時代の金色に輝く宇宙光の中にいる(これが黄金時代と呼ばれるゆえんである)。したがって、次の時代へ移るのは、41世紀への変わり目である。すなわち、中部ヨーロッパ標準時の3999年2月3日水曜日、11時20分に、ゾル太陽系は山羊座時代に移行する。
2020.03.02

多くの樹木を植えることが急務熱発電所で惑星の全エネルギー需要を賄えた海底のメタンガスは気象に悪影響 直接民主主義地球温暖化が進行中である。・温室効果ガス排出を極限まで抑える努力・生命の苗木の植樹により、失った緑地の修復(耐暑性や乾燥や塩害に強い品種改良植物や防風林の植樹)・残存する熱帯雨林の国際的管理(森林に入る道路の除去、1km幅の防火帯の設置)・成長力が強く利用価値の高い竹の天然資源の活用や自然還元型素材への変更 〇地球人類の運命回避のためになすべきこと 〇子育てのコミュニティーの責任 結婚前の宇宙的な水準○漁業資源回復のためのクロマツ植樹事業(緑化面積回復は10年、魚介類の回復は30年。海洋自然は取り返しのつかないことが予想される)○植樹が世界を救う 5年で15mにまで成長する早生桐が大注目○自然に還る新素材「グリーンプラネット」 〇イマヌエルの言葉もう一つの掟はこれであり、最初のそれと同じである。すなわち貴方は、創造のみを全能と呼ぶべきである。なぜなら創造のみが不変のものであり、永遠のものだから。神と◯◯◯◯は無常であるが、創造は永遠だからである。全ての掟と予言は、この二つの命令にかかっている。神と◯◯◯◯の掟は人間の掟であり、人間の秩序と権利を保つためのものである。しかし創造の掟は、生命と霊の掟であり、永遠であり、不変である。ゆえに人間の霊が永遠であるなら、どうして創造自身が無常でしょうか?人間は死ぬだろうが、霊はさらに生き続け、この世からあの世へ住居を移す。そこでさらに、知識と知恵を集積していく。霊の知恵がどんどん大きくなるに従って、霊は自分の未来を自ら決定し、この世への転生を決定し、その後の働きを決定する。この地球は、全人類五億人を養い支え得る。この掟に従わなければ、二千年後には十倍の五十億人となり、地球はもはや人々を養っていくことが出来なくなるでしょう。飢饉や、大災害や、世界的規模の戦争や、伝染病が地球を襲い、人類は死に、生き残る者は僅かでしょう。よく言っておくが、沢山の人々の血が地の砂に流され、人間に大きな恐怖をもたらし、新しい生命形態が発生する時、うなり声と歯ぎしりに満ちるでしょう。今は使ってよい財が、貴方がたにはあり、掟が与えられている。貴方がたは、それに従って生きるべきである。貴方がたは、もっと沢山の掟に従わなければならない。それは、地上での繁栄と家族の安泰のためである。 ◯◯◯よ、私のそばから去れ。お前は私を立腹させる。お前は人間のことしか思わず、心のことを考えない。◯◯◯・◯◯◯よ、お前は再三私を立腹させる。お前の理解のない思考を鎮めなさい。私はお前によく言っておく。お前の無理解のために、この世は多くの血を流すでしょう。お前が私の教えを偽造し、人々を間違った方向へ導くでしょう。多くの人々が死に、私の名前について間違った由来を作り上げ、私が神の息子であるとか、神は創造主そのものであるなどという悪意に満ちた誹謗が起こるのは、お前に罪があることになるでしょう。お前は、私の寛容の恩恵のもとにあるから、まだしばらくの間、自分の愚かさを教えることが出来る。私の教えに従う者は、真理探究と認識、そして理解の重荷を負いなさい。真理と知識の中で、自分の生活をする者は生き、虚偽と無知の中に生きる者は、失う。人がこの世に住み、心に傷を負った時、助けてくれるものは誰か。人の考えが、力のないものになった時、何が人の心を助けることが出来ようか。私はよくよく言っておく。この生において、心の力を味わわない者がここに僅かいる。彼らは次の生でそれを学ぶでしょう。人間の心というものは、考えや探求をして知られない限り、知らずに終わる。人間の心は人間が作り出したものではなく、創造が与えてくれたものであり、創造は全てを知っており完全なものである。したがって、人間の心は、創造と一体で存在する。また創造は、絶えず成長して生きている。創造は永遠であり、人の霊も永遠である。この知識の教えは、広いものであり軽々しいものではない。これが生きる道であり、その方法は多様である。この人の生命は、霊を完成するという定めをもって存在する。人間は霊を完成させるために、その生命を生きるのである。 人は自分の中に欠点を持っている。その中から学び、認識力や知識を集め、それを通して自分の心を形成し、心の力によって行動することが出来る。失敗なくしては認識も出来ず、知識を集めることも不可能である。そうして心は、形成される。私はよくよく言っておく。高貴な祭司や◯◯◯◯人や律法学者が、失敗が認識と心の知識に役立つのは、神や創造主によってその失敗が罰せられるからだ、と言う時、彼らの教えは間違っており誤りである。認識や霊知識に役に立つ時、罰せられるべき失敗など決して無い。同様に、この世でも別の世でも、遺伝的欠点や罰は無い。このような失敗に対する処罰は、全ての自然の法則、創造の掟に背くものである。今の生でも、次の生でも、失敗がなされた時、それが心の認識と知識にとって良い場合には罰がある。人間は自分の心を完全なものにするために、この世に生を受け、失敗を通して認識し知識を得るようになり、定められている人生を送るのである。人間は、因果と霊の偉大さに従った学びをしない。霊は創造の法則によって導かれ、因果応報の事象を学ぶのである。一人ひとりの人間の生に、他の人間の心の力が良くも悪くも作用する。この時代の人間が考え、認識し始める時、彼は必須な教えを持つ。すなわち予言者が、天孫によって遣わされ、人類に創造の掟と生きるための知識を教えるでしょう。しかし、人々はそれを理解せず、祭司長や律法学者の間違った教えを喜び、そのために新しい教えの中にある真実に気が付かないでいる。やがて現れる真実に対して、何も知らずに罵っている。彼らは予言者を罵り、石を投げ、殺し、十字架にかける。しかし真実の教えは、人々の間にもたらされなければならない。多くの予言者が迫害されるだろう。そして人々は、私の生命も狙う。神の因果摂理は言う。罪のない者が、罪ある者となったと言われるようになるでしょう。しかし私は、殺されるのではなく、半死の状態で、三日三晩、岩屋の中に置かれる。こうして、◯◯のしるしが満たされる。インドからやって来た私の遠い昔の仲間は、医学に精通しており、半死後、三日後に、逃避のために私の保護者となり援助者となるでしょう。そして私は、インドの民の間で自分の使命を果たす。今言ったことが起こると、私は確かな認識を得、私の知識は増え、心に新しい力を生み出すでしょう。人間は、星を観察することが出来る。そこには荘厳な安らぎと、崇高さが支配している。大昔から秩序を持って、無限の変化が、日々、月々、年々、数百年、数千年、数百万年を通じて起きている。人間は、地上に目を向けることが出来る。そこには創造の摂理として、無時間の生成、そして存在と滅亡と、常に新しい生成への飛躍がある。自然が自由に放置される所は、調和の中に偉大さ、尊厳、美が支配している。しかし、人間による秩序の軌跡がある所には、不調和の小ささと、無価値と不美が生まれてくる。創造を高慢な心で呼ぶ者は、創造を認めることはなく、人間と同じものとして考える。このような人間は、それ以上進歩することはない。そのような人々は、火を慣らし、地を支配する。彼は水と空気を征服する。それによって、創造が自らの上におり、その掟があることを忘れてしまう。探し求めるべき、真理も知恵も忘れてしまう。人々の許で、人として平和に生きることも忘れてしまう。彼の、ときの声は戦場に響き、権力を通じて、力を勝ち取ろうとするでしょう。手にした力を信じて、奴隷化や流血のためにその力を利用する。彼は、名誉や、自由や、知識について言うでしょう。しかし真実は、偽善で、強制で、間違った教えである。人は未来の顔を失い、見せかけのための悪と偽りの仮面をつけるでしょう。多くの者は人非人に退化し、自分の世俗の日々を、無知のままに過ごすでしょう。人間の志と心は、営利と力のみに向けられ、その程度の理解でもって、自分がこの世の物事を編成し、それに従い、そのために自然の掟を沢山破っていることに気付かない。彼は自然の掟が含まれている、永遠の真実などを信じない。人間的学問は、自然や創造の掟の全ての価値よりも、自己欺瞞の中で人を高慢にする。人間は誤ったこの憐れむべき人知を信ずる。それは礼拝宗教の間違った教えと、人間の掟の規定と、国を支配する組織を通じて生まれてきたものである。人間は、創造の側から自分の本質に気付くのを忘れ、やむなく外部の資質によって、自分の人生を送っている。彼は偽りの手段を取って、人間仲間と全世界を惑わすでしょう。信頼がまだ残っているなら人は、不信と不真実に迷うでしょう。そして益々人は、真実に生きることから程遠くなってしまう。人は創造の一部だから、人は生きるために全てのものの尺度となるという古い知識の原則は、消え失せてしまう。人が改心し、再び生命の無限の価値を見いださねばならない時がやってくる。人間は、地上にだけ住むのではないこと。その霊は、別の世にも住んでいること。しかし、普通の心ではそれは理解できないことなどについて、初めは僅かな人々だけが知るでしょう。別の世界は霊の真実の故郷であり、知恵の拡充と深みに達する故郷であるため、それは絶え間なく探し求められている。この真の故郷で、霊は完全なものとなり、高いものとなり、創造と一体となる。まことに私は言う。この教えの知恵を理解し、認識を深める者は、自分が創造の無限の進歩の定めに正しく生きるという責務を負っていることに気付く。人は誠実に探求するならば、偏見も無くなり、先入観による誤判断も無くなる。賢い人間は、無限の変化の無限の流れの掟を教えられる。そして、出来事の大きな進行の中で、生きるために努力する。彼は創造の掟を知るから。その掟は、掟の規定を通じて、存在範囲をまとめるからである。生命が啓示される所、至る所、見えない神秘の掟がそこに根底となって、無限の変化が実現する。無限で永遠に続く真理を軽視する者は、禍という結果を招く。嘘と憎しみは、個々の人間、そして殆どの民族を盲目にする。彼らの個々の者が、破滅の断崖に立っているからである。彼らの中に、盲目の破滅の嵐がやってきて、最も大いなる破壊者は、彼らの許で英雄となる。人間の全ての人生を二つに分離しても存在はするが、それはもはや全体ではなく、完全なものではなくなる。人生において不完全さが長く続くと、その結果として病気になり、不幸になり、不正や、苦難や、戦い、不和、奴隷化、間違った礼拝、略奪などが起こり、血が流れて、死ぬまで続くでしょう。人間は、次のことを自覚しなければならない。無限であり、不変なものだけが、真理と知恵である。これを創造の掟という。
2020.02.24

◯生命の哲学(霊の教えの手引き) 多くの人々は霊の教えについて完全に誤ったイメージを抱いている。なぜならば彼らは、その言葉で宗教的なものか教派的なものを想像しているから。しかし、霊の教えはそうしたものとは微塵も関係ない。たとえ敵対者や悪意ある者、キリスト教会その他の宗教の教派代理人、誹謗中傷分子およびメディアがこれと反対のことを主張しようともである。 こうした悪意や完全に誤った観念、無理解、宗教や教派の影響を受けた信仰形態、さらにはメディアの煽り立てなどによって、霊の教えおよび霊の教えの推進者について、現実および真実とは全く掛け離れたイメージが作られている。霊の教えを受け入れる人々は世界改良家、秘教徒、現実離れした者、神秘主義者、教派主義者と罵られ、知ったかぶり屋、服従、不遜、菜食主義や完全菜食主義と非難されるが、敵対者たちは霊の真の教えを何も知らなければ理解もしていないのである。 霊の教えが真の平和主義と真の愛、人間性、平衡、平和と愛、内面的な自由と真の平和、真の人間性、調和、肯定的な想念と感情を持った積極的な生き方、そして知識と英知を与えているということを、彼ら敵対者は全く知らない。 そのために、宗教、教派、哲学その他の世界観、およびそれらの実践と平和主義を偽った策謀が称賛されたり驚嘆されたりする一方で、霊の教えに好意を持つ人々の生き方は、社会や現実から掛け離れたものと見なされる。だが本当は、我を忘れて非現実的なものとかかわり合っているのは、霊の教えに好意を持つ者ではなく、宗教、教派、哲学その他の世界観の誤った教えを信じている者の方なのである。 霊の教えに対して、広く偏見が持たれ非難が加えられているにもかかわらず、すでに霊の教えに取り組み、その研究に努め、そこで教えられている創造の法則性に準拠して生きるまでに理性の発達した人間は存在する。 ここで明言しておかなければならないのは、霊の教えは秘教や宗教や教派や、教団その他のカルト主義ではない。 それはまた霊験あらたかな万能薬でも、何らかの奇跡を起こさせる教えでもなく、成果を達成しようとするなら何事も懸命に働かなければならないことを諭す教えである。それはまた生まれながらの名人はなく、焼き鳥になった鳩が口の中に飛んで入ることはない、ということを教える。 さらにこの教えは、忘我や神性というもの、そしてまた他人に対する優越は存在しないことを明らかにする。なぜならば人間は、誰も平等であり、他の人間に比べて価値が高いとか低いということはないから。 霊の教えは人々に自分の想念や感情や情動、さらに日々の生活における自分の活動や行動に実際に関連づけた教えを与える。そのための掟もしくは推奨があるが、それらは主として次の49の原則で表現される。1)人間はだれも自分でみずからの人生の意味を問い求め、見出し、そして自分の生活と活動を改善するためにそれを活用しようとしなければならない。2)人間はだれも自分自身でなければならず、それゆえまた自分自身の指導者として、独自のめざましい着想を生み出し、それを追求し、実現しなければならない。3)人間はだれも自分の理性と理解力を働かせて、自分に対して最良で有益なものを求め、自分の意志で自己を形成し、そして自分自身の欲求に自発的に従うようにしなければならない。4)人間はだれも常に自分自身であり、まったく独自の強烈な体験を持ち、決して隷属させられたり屈服させられたりすることのないよう、自己を形成しなければならない。そうすることによって、あらゆる点で特に想念と感情、そしてまた決断、見解、意見、情動および行動などにおいて、自分自身の内面的自由と外面的自由を維持しなければならない。5)人間はだれも自分自身に対して必要な好意と愛情を示し、自分の中で安心感を覚えなければならず、そしてまた自分自身の想念、感情、情緒、行為および意見などを理解できるよう自分に対して誠実でなければならない。6)人間はだれも高い目標に到達できるという自信を持てるように、その想念、感情、着想、願望、欲求および行動などを整えなければならない。しかしそれらの目標は常に、自分の才能や可能性の実態に適っていなければならず、突拍子もないものや高すぎるものであってはならない。7)人間はだれもあるがままの自分を見、かつ知らなければならず、自分を完全無欠の世界と思い込んではならない。なぜならばそのようなことは、どんな人間にも不可能であり、それゆえだれもが学ばなければならず、したがって、誤りや不完全性を免れられないから。つまり人間にあってはすべて明瞭で、何もかも正しく、自分が同胞より優れているということはあり得ない。8)人間はだれも他の人間と意識の点で違っていること、したがってどんな人間も、他人と全く同じように知的ではあり得ないことを常に十分意識していなければならない。だからといって同胞を愚かだとか、レベルの低い人間と評価したりしてはならない。そのようなことはたとえ同胞が宗教や、それどころか教派に囚われている場合でも許されない。そうであるにもかかわらず彼らもまた他の人間とまったく同じく、創造と自然に基づく生命と進化的学習の法則性に組み込まれている人間だから。9)人間はだれもみずから努力して物質的な領域だけでなく、意識、性格、人、徳、想念と感情および心の領域においても、公正な人、誠実な人、分別のある人、志向の高い人などとして自分の生存と実在的な義務を形成し履行するよう努めるべき。それによって人間は、自分自身を高めようとする明確な動機を作り上げなければならない。ただし宗教、教派あるいは何らかの形で、自分を貶めることがないようにしなければならない。10)人間はだれも自分の理想主義を価値のないもの、証明できないもの、疑わしいもののために使うべきではなく、自己を真の本質そのものにおいて認識し、それをいっそう改善して完全なものにし、さらには外に向かって実現することに特にその理想主義を向けるべき。なぜならばこのような真の本質は、進歩と成功をめざすものの本来の本性、したがって生命の形成の根源だから。11)人間はだれも何らかの事柄を信じるのではなく、常に根本的な真理を求めるべき。それは人間がすべてを徹底的に究め、すべてを考え抜いて、その理性と判断力と健全な論理を働かせたときに、自分自身の内にのみ見出すことができる。こうして人間は、真理を自分自身の内にしか見出せないが、それはまた人間が、自分の中で決して証明できない事柄に対する何らかの信仰に固執しない場合に限られる。信仰とは証明ではなく、愛すべきもの、望ましいもの、正しいものとして受け入れることにすぎず、それに対して真実度を引き合いに出すことはできない。信仰はまさに証明可能な真理という事実が欠如しているがゆえに、証明能力を完全に欠いている。12)人間はだれも安易に信仰に身を任せてしまって、論理、悟性および理性によってみずからの内に真理の事実性を探求して認識し、自分の生活や生活様式を通して実践し遵守しなければ、長年あるいは一生涯にわたって探し求める本当の真理を発見することは決してできない。13)人間はだれも自分の知識、能力、真の愛情、本当の幸福、能力と可能性、そして英知と人間性を進歩的に形成し実践して、人間にふさわしい真に進化的な人生を送るとともに、同胞に対してもこの方法で力になれることに最高の目標を見出すべきである。14)人間はだれも何よりも自分自身、したがって自分の人格、自分の性格、自分の徳、想念、感情および行為に心を配って、すべてが正当であるように、また誤った目標を追いかけ、非現実的な事柄の信仰にはまり込むことのないよう全力を尽くさなければならない。15)人間はだれもその収入や財産を分別のあるやり方で管理して、非現実的な信仰の事柄に浪費してはならない。なぜならばだれもが、正当な存在でなければならず、またそれなりの可能性と生存が与えられているならば、自分自身の面倒を見、不当にも同胞に負担をかけたり、寄食者のように振る舞ったりすることのないようにすべきだから。16)人間はだれも常に現在を生きるとともに、未来を見つめ、その形成に配慮しなければならない。しかしその一方で過去を考察し、そこから学んで、成功、認識および進歩を達成しなければならない。17)人間はだれも平穏と平和を必要としている。それゆえ、人間はまた自分の静かな時間を必要とし、絶えず忙殺されているべきではない。それは一人でいるときでも、同胞と集うときでも、家族や集団においてもそうである。人間はだれも無為を必要としている。なぜならばそうした無為によってのみ、心を落ち着け、自己を回復できるから。しかし自分自身の想念や感情が犠牲にされたり、憤懣の種になったりすることがないように、また同胞の怒りを招くことがないように、無為は常に適度なものにとどめ、度を越してはならない。18)人間はだれも絶えず真理のみを求め、決して救済の教えを求めたりしないように常に心掛けなければならない。なぜならばそのようなものは本当は哲学、宗教、世俗、教派、その他のイデオロギーの流派にも、学問の流派にも存在しないから。救済の教えはいずれにせよ、いつも信仰上の詐欺か、少なくともいかさまか、犯罪的な金儲けに等しい。本当に価値があるのは、常に実在、すなわち健全な悟性と理性の使用と現実的な論理の上に築かれた現実のみである。19)人間はだれも同胞に対して率直で正直でなければならず、どのような理由からであれ、思い上がって同胞に害が生じるような仕方で支配してはならない。これは家族の中でも、どのような集団においても、酷評や冷遇、その他不当なことが起きないようにするために言えること。20)人間はだれも自分の内面的な自由と外面的な自由に注意を払って、純然たる物質的な事柄や価値であれ、家族や何らかの集団における人間関係であれ、束縛を脱することができなくなる、あるいは、解放への措置に不安を感じさせるような事柄に決して縛られてはいけない。21)人間はだれも政治、哲学、教派、世俗、科学、宗教、またはその他イデオロギーの何らかの形態を決して真の真理とか、本当の真の知識などとして受け入れたり、理解したりしないよう常に注意すべき。なぜならば実際に、どんな教えも極めて子細に検討すべきであり、そうすることによってのみ実際の真理を究め、現実を知ることができるから。22)人間はだれも自分の生きた人生が、たとえそれが何年であろうと、目的も意味もなかったというようなことは決してないことを常にはっきり認識していなければならない。生きられた人生はそれ自体において何も失ってはいない。なぜならば生きられた各々の瞬間が、確実にその意図を満たし、たとえ結果はわずかにすぎなかったとしても、進化の成果をもたらしたから。23)人間はだれも感覚を常に明晰で理性的に保つべきであり、自分で熟考し、思案し、究明し、認識し、理解する可能性を奪うような持続的な感化力を持った何らかの教えに身をゆだねてはならない。人間が何らかの事柄や教えとかかわろうとするときは、十分な時間をかけて自分の想念と感情、熟慮と着想などを働かせて、すべてを徹底的に究明し、自分自身の内に結論と真実を見出すことができる可能性を、常に考慮しなければならない。24)人間はだれも人間関係を大事にし、家族の絆や、友人、仲間および知人との関係に打ち込むよう注意を払わなければならない。両親、兄弟姉妹、友人および同胞全体は、常に喜びと平和の泉でなければならず、しかもそれはあらゆる点で結び付け、広げる作用を持つ自由に基づくものでなければならない。25)人間はだれも人生が有意義なものであり、安心感と庇護されているという感情を伝えることができるよう注意を払わなければならない。このような感情は、同胞と一緒にいるときでも自分一人でいるときでも表されなければならない。26)人間はだれも自分の人生に愛、幸福、喜び、平和、調和、平衡および自由を見出せるように、自分の人生を充実したものに形成しなければならない。27)現実に即して生きようとする人間は、だれも健全な自尊心と自信を抱き、持ち続けなければならない。なぜならばそうすることによってのみ、自分自身に関して健全で自分を維持する進歩的な想念、感情や行動が有効に働くことができるから。28)人間はだれも常にどんなときでもその礼儀や徳性、仕事や意見、知識や教養において身近な周囲だけでなく、より広い社会においても真の人間として認められ、尊敬されるように振る舞わなければならない。29)人間はだれもこの世を去った後も自分について良い思い出を残し、死後はうるわしい想念の中に生き続けることができるように生きなければならない。30)人間はだれも自分の人生に同胞が関心を持ち、彼らの想念と感情の中で自分が尊敬されるように生きなければならない。その中には邪悪な関心を持った敵もいようが、彼らを許すがいい。なぜならば憎しみではなく、平和と許しこそが愛の所業だから。31)人間はだれも同胞の良き共同体に囲まれているのを感じるべきである。人生の共通体験が愛と平和、自由と調和、そして各人の幸福を増進するでしょう。32)人間はだれもその人生において想念と感情の豊かなものや自発的なもの、愛情に溢れたものを発達させることができるよう熱心に努めなければならない。そうすれば自発的にまたある点においては、慎重に各人の人生が常に新しく、善意と喜びに満ちた肯定的な方向を見出すでしょう。33)人間はだれも一生のあいだずっと、あらゆる点で自ら人生を充実させ、そして学習や知識の収集において、英知の形成において、満足のゆく仕事の遂行において、真の愛と調和および十分な配慮において、平和と自由を守るように努力しなければならない。34)人間はだれも常にすべての事柄に対して心を開くべきである。そうすればその人生において、絶えず多くの神秘的なものや興味をそそるものを見出すことができる。それらは人間を驚かせ、感嘆させ、その喜ばしい驚愕は息もつかせず、いつまでも若さを保たせるでしょう。35)人間はだれもたとえ自分に対して敵意を抱いていようとも、すべての人間と率直、良好で、愛情に満ち、平和で調和の取れた自由な関係を維持すべきである。憎しみは原則として隣人を害することはなく、憎んでいる当の人間自身を害する。なぜなら、自らの憎しみを満足させることは当人の恥辱となるから。36)人間はだれも人生や人間存在の意義に関する問いに常に心を聞き、そうした問いを一つの欲求としてそれらについて熟考し、また同胞と語り合って、真理の認識を得なければならない。37)人間はだれも自分にとって重要なことは、同胞にも伝えて説明でき、それについて理解が得られるという感情と確信を持たなければならない。38)人間はだれも自分を悩ませ苦しめるものは、同胞に理解され、それについて有益な助言や、その他の援助を期待できるという感情と確信を持たなければならない。39)人間はだれも自分の人生が自分自身にとっても、自分の家族にとっても、自分の縁故関係や共同体にとっても、あらゆる肯定的な意味において、有利で有益なものとなるように堂々と生きなければならない。40)人間はだれも問題や紛争から安易に逃げ出すことなく、それらを解決する方法を探し克服するよう努めるべき。41)人間はだれも人生に出現するあらゆる課題や困難と向き合い、それらを乗り越えることができるように十分な自信と健全な自尊心を築く義務がある。42)人間はだれも自分や同胞に発生する何らかの緊迫した事態にうろたえたり、落ち着きを失ったり、不安になったりすることがないように常に心掛けなければならない。43)人間はだれも可能な限り人生のあらゆる状況を意識し、慎重に形成すべきである。44)人間はだれもたとえ不鮮明で混乱した不愉快な状況下におかれても、自分を打ちひしぐような想念や感情に陥らないように自己形成すべきである。45)人間はだれも気の進まない想念や感情を解きほぐし、適切に対処して、それらに身をゆだねることがないよう絶えず備えていなければならない。46)人間はだれも同胞と交流をはかり、それによって自分の姿勢を表現し、自分の意見や学習の関心を表明するように努めなければならない。47)人間はだれも自分の人生における目標を定め、これらの目標を思慮、注意深さ、関心、動機、そして自信をもって追求し、達成すべきである。48)人間はだれもいかなる状況にあっても、自分の人生を生きるに値するものと認めなければならない。49)人間はだれも自分の行動を自分自身で決めなければならず、外的な事情や、同胞や、宗教、教派、哲学、科学または何らかのイデオロギーによって決めてはならない。 霊の教えを遵守する状態とは、忘我の状態や、具体的な世界のあの世の経験などでは絶対にない。つまり、現実の現世の経験や意識の境界を越えた状態や経験と、感覚的に認識可能な世界の限界を越えることではない。要するに、いわゆる超自然的なものや超感覚的なものの状態ではない。 霊の教えの遵守は、宗教や教派でいう悟りの状態とも異なる。宗教や教派の悟りは単なる空想力に根ざし、それに応じた幻視やその他の幻覚を引き起こすが、霊の教えの遵守は、真の自然と生命の尽きることのない可能性を認識することに基づいている。 人間は自分自身の中で、このような生命の状態が開かれると、はるかに多くの決意、愛、内面の自由、悦び、平衡と調和、そして一段と多くの生きる勇気、生命力、内面の平和、知識と英知を獲得できる。そしてまた、他の人間や動物相と植物相のすべての生命形態に対しても、はるかに多くの誠実で実効的な共感を得る。全般的な安寧も、より高い水準に向上し、自然と惑星の繁栄に対する理解も強まる。 すでに述べたように、霊の教えに規則はまったくなく、それは人間が自立的に自分自身の動機や欲求、そして意志から自分の最高の生命状態に専念することを教えるものである。同じ意味で人間は、道徳と倫理に関してすべてを自立的に評価し、何らかのなじみのない不当な規則などを強制されるべきではない。 すべての事柄を自分で判定することは、何よりもおよそあらゆる生命の尊厳に対する畏敬と尊敬に基づいており、それはまた因果の法則の現実性、すなわち原因と結果の法則は宇宙全体で有効であり、あらゆる点で、厳密かつ必然的であるということについて、人間はさらに意識を高めなければならないということに基づいている。 霊の教えは信仰に立脚するものではなく、信仰を育てるものでもなく、したがって、死後の天国を信じるものでもない。神や愛について説くのとは裏腹に、復讐欲や報復欲に駆られて罰を求め叫ぶこともない。霊の教えが説くのは、人間は現今の物質的な人生を生き、生殖、成長、生と死の過程に組み込まれていて、死んだ後は存在しなくなるということ。 この場合、人間の霊形態あるいは人間が分有する創造霊の一部はあの世の領域に移り、そこでいわゆる死後の生として生まれ変わるまで滞在する。意識と人格は、霊形態から成るこれらを包含している総意識体のあの世の領域に消散し、そこで解消されて中性的なエネルギーになり、そこから総意識体によって新しい意識と新しい人格が生み出され次に転生する霊形態と一緒に生まれる。 霊の教えの根本的な教えは、霊形態が生まれ変わり、もしくは転生し、そして新しい形態の意識と人格がその都度新生することにより、いわば生命の永遠性が存在しているということ。しかしこれは永劫に、つまり永遠に存在し続ける霊、もしくは霊形態の生命の永遠性という意味で理解すべきであり、意識と人格の形態は現今の物質的な人生においてしか存続せず、肉体が死んだ後は解消されて消滅し、新しい形態の意識と人格に場所を譲る。こうして生命の本質である霊、もしくは霊形態は生き続けるが、物理的肉体はいつか死に、霊形態の生まれ変わりのため、そして新しい意識存在と新しい人格のため、将来いつか取り換えられなければならない。 このことから明らかなように、同じ意識と同じ人格が生まれ変わると主張する旧来の誤った教えは妥当ではない。 なぜならば本当は、転生の能力があるのは人間の霊、もしくは創造的本性を持った霊形態のみであり、意識と人格ではないからである。同様にこの教えから明らかになるのは、人間の創造的な霊形態は、唯一人間の物質的な肉体のみに再び生まれ変わることが出来るが、他の何らかの生命形態、たとえば、動物の肉体に生まれ変わることはできないということ。 霊の教えは人間は、人生を自分の進化と全体の進歩のために活用し、あらゆる変節を抑制すべきであることを明白にする。教えはまた人間は、人生を健全で誠実な枠内で享受すべきであるが、苦しみや否定的なものも否認してはならないと説く。なぜならば否定的なものも、肯定的なものと同様に進化と進歩に必要だから。さらにこの教えは、人間は勇気を奮い起こして、意識的にその苦しみと喜びに、そしてまたすべての否定的なものや肯定的なものに挑戦すべきであると告げる。なぜならばそのようにすることによってのみ、人間は成長し、進化と進歩を果たすことができるから。 このように誤りも、認識と誤りの除去も、喜び、幸福、苦しみと痛みも人生に属している。なぜならこれらも、学習と進歩および進化の構成要素であり、それらなくしていかなる成功も起こり得ないから。これが生きる道であり、人間はこうしたあらゆる事柄に接して、その意識、その人格、その性格、さらにその愛、知識と英知、内面的な平和、内面的な自由、喜び、調和および平衡が成長する。 そうして人間は、これらすべての高い価値を自らの内で活動させ、絶えず改善することによって強くなり、そのことが本人の生活状態だけでなく、家族や友人や知人の状況にも、近隣やより広い周囲にも、そしてついには社会にも影響を与えるのである。 ビリー・マイヤー
2020.02.17

同様に固有の周波数を持つ その1○セミヤーゼの言葉真理を知る者は、このような知識と認識から隣人を見る。隣人の中に創造的なるものを見るから。彼は少なくとも今、真理を認識する前よりも多くのことを知っている。これにより無知とは、永遠に変えることのできないものではないことが実証される。真理を受け入れる意志さえあれば、人間はあらゆる無知から解放される。人間はあらゆるものから自分を解放でき、また、あらゆるものを人間から奪うことができるが、奪えないのは創造的な意識、霊、すなわち純粋に霊的、創造的な領域である内奥の実在だけ。全財産を奪われ、自分の家から放り出されても、自分自身の内奥にある霊の王国から追い出されることは決してない。常にこの創造的なるものを意識しなさい。それがなければ人間は、呼吸もできなければ意識的に考えることもできないでしょう。認識することも、見たり聞いたり経験したりすることもできないでしょう。だからこそ、いつの世でも偉大な賢者は言う。人間にとって創造的な霊は、自分の息より身近だと。この至上の意識から人間は決して逃れることができない。遅かれ早かれ人間は、必ずこの創造の現実に帰するから。なぜならばそれは、生命の中の生命であり、霊の中の霊であり、意識の中の意識、光の中の光であり、生命全体の中心となる思考力、すなわち人間のあらゆる思考をはるかに超える実在だから。これと比べたら人間の物質的知性によるあらゆる思考の力など、すべて完全に無意味となるでしょう。霊は、肉眼から光が失われても生きていくことができる。耳がなくても、腕や脚がなくても、それどころか外的な物質的意識の皮相な理解力がなくても生きていける。霊に生き続ける能力を与えるもの、すなわち霊自身の創造的な力がいつも存在する。この固有の意識は、すべてを観察し記録する人間内部の霊的な意識であり、自分の思考と感情を観察し、すべての思考を密かに援助し、彼が知的か無知かを人間に告げる。すなわちそれは創造なるもの、つまり霊的な意識である。霊が全知全能遍在であり、さらに限りない幸福、限りない美、限りない価値、すなわちおよそすべての事物の価値であるということを繰り返し熟慮するならば、創造という言葉は人間にとって、絶対的な意味を持つようになり、彼の中に進化に基づく変化をもたらす。こうして彼の中に、霊と創造という言葉が度々刻み込まれると、物質的意識にとって重大な意味を持つ心理的変化が起きる。つまり、彼の感情とすべての感覚が変わる。それによって意識的知性が、澄み渡るほどに彼の人格はその力を増し、その人生も祝福されたものとなる。 意識に満ちた賢者ともなると、遠い未来、場合によっては何十億年も後の出来事を予見し、生物や人類の一切の過去を目の当たりにすることができる。賢者にはこのように絶大な知識が与えられている。でも、どうしてそんなことが可能なのでしょうか。このような人間には自己の内部、すなわち霊の中にそのために必要な前提条件が備わっている。まぶたを閉じていても光を知覚できるように、すべての人間の中に創造の存在すなわち霊の王国があるが、それが見えるのは、内的な目によって自分の内部を見る能力を備えている者だけである。この王国は、すべての必要な前提条件を備えている者にだけ有益であり得る。すべての人間は自分の中に霊の王国を宿しているが、それは活用されない物質的意識によって覆い隠され、あらゆる種類の無知や錯誤、不完全や邪悪、過失や制約によって抑えられている。真理を認識し受け入れることによって、これらの害悪を正反対のものへと転じなければない。これらすべての弊害は、負の方向に堕落したすべてのものに対抗して、中立的な平衡へと導く能力を意識的に発展させることによって、取り除きまた解明されなければならない。意識を展開させて真理を意識的に探索し、真理に関する知識を積み上げることによって、霊的経験の過程が加速される。そうしてこのような展開は、創造は万物の中に遍在するという認識に基づき、すべてを包括して宇宙全体に広がる真の英知と愛へと導かれる。人間は、創造、真理、英知と愛、そして霊の王国におけるすべてのものと一体である。人間は、空間と時間と肉体によってそうした真理と英知から隔てられているが、それは内的経験によって乗り越えられる。英知と愛は一体となり、知識と真理は一体となり、意識と霊の英知と愛は経験を通して統一されて、創造そのもの、そして宇宙全体の喜びと力と完全性へと導かれる。人間は誰でも平和とはどういうものか、自分の経験に照らして知っていると思っている。しかし、無慮の実在、霊、すなわち不死なる創造の英知に基づく平和を理解するのは、人間の理解力ではとうてい無理なこと。それは人間が、宗教の誤った教えや人間的物質的な事柄に囚われており、それらが人間が、内的経験に基づいて理解するのを妨げているから。真の認識と英知に至るための真の鍵となるのは経験だ。霊の王国には、数え切れない奇跡が含まれている。人間が関わっている可視の宇宙は、この奇跡に満ちた限りない創造という霊的知性の中にあって、単なる小さな点にすぎない。このような宇宙は、この限りない創造という霊的知性の中に何十億と数限りなく含まれている。人間が肉眼で捕らえることのできるものは、無限の中のただ一点にすぎない。人間が肉眼で見ることのできないものは計り知れず、不可解で考えも及ばないものであり、霊的でない人間の知性と理解力では混乱を招くだけで想像もつかない。人間が見ている全宇宙は、何十億という数限りない空間の内のただ一つにすぎない。なぜなら限りなく強大で、すべてを創り出すこの創造という実在の霊的知性の中には、宇宙の中の宇宙、宇宙の向こうの宇宙、宇宙の下の宇宙、宇宙の上の宇宙、宇宙の外の宇宙が存在しているから。そうして人間は、この巨大な霊、そして実在、創造および霊的知性の根源的な力と結び付いている。なぜなら、この霊的知性である創造の一部が、人間の中に霊として宿り人間に生気を与えている。その力、その喜び、その平和、その自由、その英知、その知識、その能力は、意識的に無知な者、非論理的な者、批判者、知ったかぶり、宗教に囚われている者、退化した者、その他すべての誤った道に導かれた者にとっては想像もつかない。この真理を認識し、そこから知識と英知と愛を作り出す人間だけが、祝福された人となる。そのような人は、科学や哲学の最後の問題にも、また尋ねる人の質問にも答えることができる。そうした祝福された人となるためには、真理を求めて発見し、そこから知識と英知と愛を作り出すことが必要である。なぜなら人間は、真理と知識と英知と愛の中でのみ、霊的および意識的に成長できるから。それによって人間は、すべての人間的な弱さから解放されるでしょう。人間がいつまでも、無限の創造と霊の現実を絶えず考え続けるならば、初めて悟りを得て完全に解放される。霊的知性は法則的な霊の原理により啓発されて、創造の本質、完壁性、そして創造的なるものそれ自体の力に向かう。それは、人間の知性とは異なる。人間の物質的意識は、一般に物質界の個々の事物にのみ取り組むから。その結果、人間はあらゆる方面で制約を受け阻害されている。そのうえあらゆる種類の不幸、弱さ、隷属に囚われ、抑圧され、苦しめられ、責めさいなまれるのである。したがって、自分を事細かに見つめ分析することが、真理を発見し、意識的で霊的な進化の道を辿るために最も重要な方法の一つである。そのためには絶えず自分の想念を考察し、それがどのような種類のものであるかを見極めることが必要である。最終的に自分を常に導き、案内し決定するものが、常に創造的哲学的原則、現実、そして創造と自然の法則であるように、人間は留意しなければならない。人間は自分が、創造的なるものに属していること、自分という本来の霊の息吹、自分という本来の霊的存在とともにあることを常に意識する感情を常に身内に満たしていなければならない。人間は、自分という本来の霊的存在が創造的なるものと一体であり、不可分であることをはっきりと意識し、この自覚によって外的な物質界を克服することが必要である。この創造的哲学的真理とその認識が、何よりもまず常に、人間の思考と感情と行動を支配すべきである。結局は霊と一体となっている者だけが、ついには認識し、また善をなすこともできる。というのはそのような人間は、自分の内に創造の可能性を秘めているから。限りない宇宙のどのような否定的なものであっても、そのような人間を、傷つけたり隷属させたりできない。このような創造的哲学的意識のうえに、実践的で躍動的な創造的なるもの、つまり、あらゆる事物の中に潜む唯一の現実の知覚から成り立っている神秘の意識が加わる。実践的な哲学者かつ神秘論者でありなさい。そして変転し、消えていく現象の中に現実を知覚しなさい。○イマヌエルの言葉誤って人を裁いてはならない。自分が誤って裁かれないためである。自分の行う裁きによって自分も裁かれ、自分の量るその秤で貴方がたも量られるからである。死人を葬るのは、死人に任せておくがよい。狭い門から入れ。滅びに至る門は大きく、道も広い。そこを通る人も多い。生命と知識に至る門は狭く、その道も狭い。それを見出す人も少ない。心の釣り合いの取れた者は幸せである、彼らは知識を持つからである。悲しむ者は幸せである。彼らはその中から真実を知り、慰められるからである。罪を憎んで、人を憎まず。全力を持って創造を愛し、隣人を愛しなさい。だから何事でも人々からしてほしいことを、人々にもそのとおりにせよ。これが掟である。よくよく言っておく。貴方がたが、霊と知恵を熱心に知り求めるなら、そして真理を信じて疑わないなら、貴方がたは盲人に起きたそのようなことではなく、貴方がたがいちじくの木に枯れろと言えば、枯れるでしょう。 また、山に向かって、立ち上がって海に飛び込めと言えば、そのとおりになるでしょう。真理と知恵の知識を得るなら、貴方がたの霊は力あるものとなるでしょう。であるから、貴方がたは知識を得、知恵の真理に従って生きるならば、貴方がたの霊は無限の力で満たされるでしょう。そして、貴方がたが命じ祈って願うこと全ては、貴方がたが信ずるならそれを受けるでしょう。祈りが、苦しいときの神頼みだと妄想してはならない。なぜなら、貴方がたの霊が知恵によって鍛えられたならば、祈らなくても貴方がたは受けるでしょう。間違わず、偽造された教えを信じるな。人間は意志を持っているというが、この信仰は間違っているから。人間は何を企てようと、いつでもまず、あれこれしようとする意志を造り出すよう促されることを知っておきなさい。なぜなら、これは自然の掟であるからである。求めよ、そうすれば与えられるでしょう。捜せ、そうすれば見いだすでしょう。門を叩け、そうすれば開かれる。自分の心に希う者は、それを得る。自分の心の力によって、捜すものは見つけるでしょう。自分の心によって、門を叩く者は、開けてもらえる。貴方がたの誰が、息子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか?魚を求めているのに、蛇を与える者があろうか?このように貴方がたが悪い者であっても、自分の子供には良い贈り物をするのだから、貴方が求めれば貴方がたの霊は、貴方がたにもっと沢山のものを与えてくれるでしょう。人間は、宇宙と一体になるべき。そうすれば、人間は創造と一体になるでしょう。貴方がたの人生を掟、つまり自然の掟に一致させなさい。創造の掟に従って生きるのである。人の悲しみがどんなに大きくても、人の中の創造の力は計り知れないほど大きい。それは全ての禍に打ち勝つのである。人間は人としての意識の中にのみ生きているので、自分の心や、創造や、その掟から、遠く離れて近付けなくなっている。人間の、創造の掟に従う献身度が大きいほど、自分の中に深い平和がもたらされる。人間の幸せは、自分で真理を探して発見することにより、その真理の中から知識を集め、知恵を達成し、創造の意識で考えそれを実行することである。昔の人は、偽りの誓いをするな。誓ったことを神に対して果たせと教えた。しかし私は、あなた方に言っておく。一切誓ってはならない。天をさして誓ってもならない。そこは終わりも無く、無限なものであるためである。また地を指して、誓ってもならない。地は無常であるからである。また◯◯◯◯◯を指して、誓ってはならない。そこは人間が作った無常の町だからである。また自分の頭を指して、誓ってはならない。貴方は一本の髪の毛さえも白くも黒くも出来ないから。人間や、物への想念に対しても、誓ってはならない。全てが無常だからである。いずれにせよ貴方は然りなら然り、否なら否とだけ言え。それ以上のことは掟を犯すものである。目には目を、歯には歯をといわれていたことを聞いているでしょう。だが私は言う。創造の自然の法則に合致した正義を行うべきである。そうすれば正しい判断が出来るから。それが正しいものならば、貴方がたの愛を伝えよ。自然の法則に違反するものであれば罰すべきである。正直に願いを言う者には与え、不正直に何かを借りようとする者には背を向けよ。汝の隣人を愛し、敵を憎めと言われたことを聞いているでしょう。私は言っておく。創造の自然法則に従った理解と愛を施しなさい。そうすれば、論理に適った正しい行為と感情を思い出す。愛を施しなさい。愛は正義だから。そして問題をつくってはいけない。自然の法則がそれを必要としているからである。貴方がたは賢くなりなさい。そして知識を学びなさい。貴方がたは、貴方がたを生んだ創造のように、霊において完全になりなさい。貴方がたは、転生輪廻の間に精神を磨き、完全なものにならなければならない。そうして創造と一体になるのである。人は転生に当たり、自分の意志があればそれを自分で決める。その意志が無ければ、決められることは無い。創造の掟を尊重しなさい。それは次に生まれた人間は、その前の生の記憶は、何一つ持っていくことはないと言っている。なお、前の生の記憶を持っているのは予言者だけである。それは彼らが創造の掟に従い、真実に生きているから。人間は死ぬだろうが、霊はさらに生き続け、この世からあの世へ住居を移す。そこでさらに、知識と知恵を集積していく。霊の知恵がどんどん大きくなるに従って、霊は自分の未来を自ら決定し、この世への転生を決定し、その後の働きを決定する。私も一人の予言者であり、未来を知っているので、私は神の代理人として転生すると言える。そして、後世に生き残っている間違った教えと、霊の知恵を低下させる全てを裁判にかけるでしょう。知ってのとおり、二日後には復活祭になるが、私は司直に引き渡されるはずだ。そして十字架にはりつけられる。これは決まっていることで、私は知っている。私を売る者は◯◯・◯◯◯◯◯で、◯◯◯◯人の息子である。彼の心はただ金と銀や財産を狙っており、彼は三十枚の銀貨で私を売るでしょう。なぜなら彼は、父親の貪欲のために惑わされるから。銀貨の喜びも長くは続かないでしょう。彼の心は動揺し、まもなく罪を感ずるようになるから。◯◯・◯◯◯◯◯は勇気もなく、何の信心もなく、自分の首に腰ひもを巻き、木の枝で首を吊るでしょう。よくよく言っておく。◯◯・◯◯◯◯◯の自殺は正義のように見えるが、彼は不義なる人である。なぜなら、人間は自由意志を所有しているが、生と死を決定する権利は無いから。掟の決定、つまり人は、寿命まで生きることが掟である。その間に人は、自分の心を完成させる。彼は自殺によって、自らを裁くが、掟から逃げたのであり、創造の意図と創造の掟に背いたのである。人は自分の生や死を決定する権利を持っていないことを認識せよ。人は自分の生の生き方についての権利だけを持っており、生きるか死ぬかの権利は持っていない。それは自殺を正当化するような出来事や立場は決してない、という掟を意味している。また、第三の手によって実行されるもの、委託殺人、安楽死などと呼ばれるものも、自殺である。人間はどんなに大きな罪を犯しても、重荷がどんなに大きくなろうとも、人間は自らの死を決定する権利すら持っていない。したがって、◯◯・◯◯◯◯◯は大きな罪を犯すが、それでも生か死かを決める権利を決して持ってはならない。罪や過ちは、心を完全にするための認識の方途なのである。人間は自殺することによって、罪や誤りから逃れるが、認識からも逃げることになり、もう一度、別の生でその認識を知らなければならなくなる。そんなことをしていると、心を完全にする成長が遅れてしまい、これは創造の意志に反する。一般に臆病者が自殺するが、これは創造の掟を足で踏みつけることになる。我々は自分の道を歩み、栄光と法則遵守の道を進まなければならない。私が私の道を歩むように、君もまた君の道を歩まなければならない。そして人間は誰もが、常に自分自身の道を歩まねばならない。私がこの国で広めた教えは新しいものではなく、律法学者にはよく知られているものである。しかし、彼らは自分たちに伝承されて熟知している予言者の古い教えを、改竄した。彼らはその教えをないがしろにして改竄し、自分たちに都合の良いように解釈した。そして私が、彼らの嘘に抗って教えを説いているために、彼らは私に嘘の罪をなすりつけるのである。創造の法則と霊に関する古の教えから、彼らは幾つかの誤ったカルトを作り上げた。それらは人間から意識の自由を奪い取り、人々を隷属させるものだった。そうすることによって、私腹を肥やすことができるように。彼らは霊的な教えから邪説を作り出し、創造を人間存在に貶めて、それを神と呼んでいる。だが神は、人類と世界の支配者であって、絶対に創造と同一視することはできない。なぜなら創造の実存在は至高であり、それ以外にまことに実在するものはないから。しかし律法学者や◯◯◯◯人はこの霊の教えを否定し、私を嘘つき呼ばわりしているが、それは私が真理を告げるからにほかならない。だが真理は、いつの時代も好まれずこの時代も例外ではない。まことに君に言っておく。私のような人間が真理について語り、告げ広めると、必ず迫害を受け、憎悪の対象となるのは私の時代も君の時代も変わらない。それゆえ私は迫害され、裏切りにも遭う。なぜならば私にとって、人生はそのように定められているから。これから私を訪れる日々はたいそう困難なものとなり、私は苦渋と悲しみを覚えるでしょう。というのも私は、これからどんな出来事が自分を見舞うか知っているからである。が、私はそれから逃れようとは思わない。なぜならそれが定めだから。この世界の人間は、大変な困苦と混乱に陥っている。律法学者や◯◯◯◯人、そして彼らの足跡をたどる者たちのよこしまな教えに駆り立てられている。まことに君に言っておく。それは、この世界にたいそう多くの困苦と悲惨を招くでしょう。今日、律法学者や◯◯◯◯人は予言者の椅子に座っているが、彼らが民衆に説くものはすべて空虚な嘘偽りにすぎない。彼らは偽善者であり、真理を歪める者である。彼らは人々の前に出れば敬虔で善良そうに装っているが、その内面は偽善と罪過と誤謬に満ち満ちている。その内面において彼らは、どんなヘビやマムシの子より邪悪であり、たとえ思考と知識に優れていようとも、分別は持ち合わせていない。彼らの父や祖父やそのまた先祖らが殺した最初の予言者の血から、未来においてなおも殺すであろう者の血に至るまで、地上に流された正義の血の報いが、ことごとく彼らに及ぶでしょう。彼らは霊の教えと、創造の法則と掟を極めて邪悪なカルトに変質させて、死と血に飢えた神の報復と、剣を手にした天使という印象によって、人々を恐怖に陥れる。彼らは人々に、創造の栄光と普遍を畏怖せよと教える。というのも彼らは創造の実在を否定し、それを自分たちの神や聖人に置き換えるから。まことにこのとおりであり、来るべき時代はたいそう邪悪となるでしょう。世界中が泣き叫ぶ声と歯を軋る音に満ちるでしょう。犠牲になって殺される無数の罪なき人々の血が、乾いた大地に深く染み入るでしょう。おお、この世界よ、人々よ、彼らの運命は遠い未来に至るまで苛酷を極めるでしょう。まことにこのとおりになるでしょう。今なお人は、私の中に地上に生を受けた人間、虚偽と戦う革命家のみを見るが、人はそのような私を悪質と見て取るでしょう。しかし私は真理を知り、知識の英知、霊と思考の力、そして自らのミッションを果たす意志を持っている。私は、私自身に向けられるすべての憎しみを、自分の行く手から遠ざけようとはしないでしょう。真理は一時的な肉体の苦痛よりも大切である。たとえ肉体が責めさいなまれ滅ぼされようとも、真理と霊が殺されることは決してない。今の時代、人々はいまだこの真理を認識していないとしても、未来においては変わるでしょう。まことに、私という真の人間存在からカルトが作り出されるでしょうが、それはたいそう憂慮すべき致命的な結果をもたらすでしょう。いまだ人は私の申しにまことに、ありのままの人間のみを見るが、やがて人は私をある種いかがわしいものに仕立て上げ、創造と同一視するでしょう。まことに私は、未来においてこれらのことが起きるのを知っている。が、私はそれを変えることはできない。たとえ私がそれに抵抗しようとも。私は人間として生まれ、人間として生き、私に託されたミッションを果たす。しかしまた人間として私は、八十三年後に肉体の死という運命を迎えなければならない。それまでに私の肉体はたいそう老いるが、私の霊と思考が損なわれることはないでしょう。私を殉教者として運命づける来るべき出来事もまた、これを変えることはない。この出来事は肉体的な苦痛をはらむが、それは霊の力によって、私の思考と知識の力、私の英知と愛の力によって吹き飛ばされるでしょう。まことにこのとおりになるでしょう。そしてその後で、私は私のミッションを終えるでしょう。よく考えたまえ。私の時代は君の時代から二千年先だっているが、この時代に字が読めるのは特定の社会階層だけである。ミッションのために私も読み書きを習得したが、私には自分の教えを書き記すための時間がない。私が教えについて語るときは、まことに、永劫の教え、霊の教え、そして永遠に変わることのない創造の法則と掟の教えを語る。私はそれらを君と同じように徐々に学んだ。そのうえ私は遠いクシャン国(北インドの一部)に長い間滞在し、別の教えも学ぶことができた。したがって私は教えを説いているものの、実はそれは私の発案によるものではない。私は自分のまことの教えと私という人物について、将来どんなに誤った邪説が作られるか知っている。しかし、未来の人々を邪道に導くこれらの出来事を、変容させるために取り得る手立てはない。なぜなら、偽造に従事する邪悪な人間の数が多すぎて、その者たちにわずかなりとも影響を及ぼすことができないから。その結果生まれた邪説は、遺憾なことに三千年以上も続き、実に多くの困苦と苦痛、憎悪と悲惨、そして流血を招くでしょう。しかしまことに、真理が失われることはないでしょう。なぜなら真理は安全な場所で伝えられ、また文字の形でも時代を生き延びるから。私の弟子のうち、読み書きのできる◯◯◯◯◯◯の◯◯という男が、私の教えや事象の最も重要な部分を書き留める。それらはその後、きちんと保管されて時代を生き延び、まことの真理を後世に伝えるでしょう。これらの書物は、君の時代に僧侶の助けを借りて、◯◯◯◯◯で発見するでしょう。そして君はそれらを適切な方法で再び広め、人々の手に届くものにするでしょう。しかし君の時代はそのためにはまだ十分成熟していない。君自身の時代で、ほぼ二十年以内にようやく真理の種は多少とも肥沃な土地を見出すでしょう。人々はもうすでにそれらの書物を捜している。その書物を破壊するため、そして私を告発する材料として使うためである。すでに著書の一巻が盗まれ、◯◯◯◯人と律法学者の手に渡った。◯◯◯◯◯◯の◯◯という◯◯◯◯人の息子が◯◯◯◯◯の◯◯の袋の中からそれを密かに盗み出し、銀貨七十枚で私の追っ手に売り渡した。私を、神を冒涜した罪で告発できるようにするためである。しかし、◯◯◯◯◯◯の◯◯は私の命により、その書物を再度書き記し、確実に保管する。そのためその書物は、定めに従い時代を生き延びるでしょう。しかし彼に、罪はない。私を追っ手に引き渡すのは、書物を盗み出し売り払ったのと同一人物だ。つまり◯◯◯◯◯◯の◯◯である。しかし彼の父親は、◯◯◯◯◯◯の◯◯が裏切ったという嘘をばらまくでしょう。◯◯◯◯◯という◯◯◯◯人の名前を汚さないために。しかしまた、司祭や律法学者、◯◯◯◯人やその信奉者が次のように言えるようにするためでもある。すなわち、見るがいい、自分の仲間から裏切り者が出て、十字架の刑に引き渡した。よく見るがいい、仲間に裏切られて売り渡されるような人間の教えが、どうして真理であり得ようか?と。将来そこで首を吊るのは◯◯◯◯◯の◯◯である。君の周囲からも君に不正の罪を着せる者が何人か現れるでしょう。しかし彼らがそのように非難するのは、ひとえに彼らがまだまったく悟性を欠いており、真理を認識できないためである。彼らの思考はいまだに世俗的な形態に囚われており、その知識は極めてあいまいで卑小である。なぜなら彼らの悟性は、この真理の全貌を理解できるほど十分には成熟していないから。しかし君にとって、最悪の敵は妬む者や知ったかぶり屋、過激派やカルト信者でしょう。彼らは自分たちの邪説のせいで、現実に対する一切の感覚を失っている。まことに君の時代の民衆は、私が創造の具現者であるという誤った信仰を抱いていることを、私は知っている。そして君の時代の民衆は私を救世主と呼び、信仰の深い闇のせいであらゆる真理を見失う。まことにまことに私は君に言っておく。これら邪道に導かれた者の多くが、君の命をねらうでしょう。だから注意して彼らから身を守るがいい。なぜなら最悪の者は常に、憎しみ、知ったかぶり、妬み、狂信、そして何らかのカルトによって惑わされているから。彼らの思考と行動はいつでも血を求める。というのも彼らの感覚は、いつでも復讐欲に染まっているから。批評家や偽者の現実主義者にも用心するがいい。なぜなら彼らもまた、大きな危険を秘めているから。彼らは自分たちがすべてに勝ると信じているが、その実、自らの愚かで何も理解していない想念の世界に生きているにすぎない。彼らは外に向かっては、たいそう教義があって立派な人物のように見せかけてはいるが、内面は貧しく、無知で、どうしようもないろくでなしにすぎない。まことにそれは、君にとって容易なことではない。人間のあらゆる無思慮やカルト的な邪説は、君の時代に最高潮に達するからである。◯◯◯・◯◯◯◯まことにそれはひどい侮辱であり、およそ真実とは掛け離れている。それは後に、想念が混乱した一人の人間によって付けられる。こうしたことはすべて◯◯◯によって行われる。彼は今はまだ、私の最悪の敵の一人で◯◯◯と呼ばれている。彼は、◯◯◯◯教を設立することによって、自分自身の誤った宗教、言うなれば◯◯◯教を生み出した。まことにまことに、それは私を大いに悲しませる。私は決してそのように呼ばれることを望まないし、そういうことが起きてはならない。が、これは発達の過程にとって避けられないものである。なぜならばこの地球の人間は、真理を見出すためには、最初に誤謬に向かわなければならないから。しかし本来、私に帰属するものではない◯◯◯・◯◯◯◯という名前を聞くと、まことに私はたいそう悲しくなる。なぜならばその名を発するのは、例外なくいまだに想念と知識が混乱していて、いまだ真理を入れられない人間だろうから。そして君の時代にはそのような人間は遺憾なことに非常に多いでしょう。それはまことに悲しむべきことであり、私は心を痛めている。真理を知る人間は、みな私を正しい名前で呼ぶ。なぜならその人間にとって真理とは、生命と知識を意味するから。なぜなら彼らには、真理に対する理解がひどく欠如しているから。まことに君に言っておく。これらの者たちはまた、君から伝え聞いたことを嘘か半端な真理にすぎないと、したがって、完全な真理ではないと言うでしょう。彼らは語られ伝えられたすべてのことは、真理に至る道の一つを見出すのに役立つだけだと言うでしょう。というのも、真理に至る道は数多くあると考えられているから。まことにすべての道を見れば、そういうことになるでしょう。しかし私が伝え、そして君も伝えるであろうもの、それは真理の中の真理である。この真理は真理に至る道を示すものではなく、それ自体が、まことに昔から永遠に存在する真理そのものなのだ。それはあらゆる時代と水準の、最終的なもの、存続するもの、時間を超越したもの、そして劫である。それは、物質的なものと霊的なもののあらゆる次元において、永遠の真理であるというものだ。君の時代では劫は、永遠と呼ばれるだろう。宗教坊主が独断で古い名称の劫を、永遠という言葉に変えた。◯◯◯・◯◯◯◯この名前は私にとって不当であり、未来においてそれが私に対して用いられることを悲しく思う。私は劫の真理の教えをもたらすのであるから、その限りでは不当ではない。しかし、何らかの形で私をこの名前と関連づけるならば、人は私を不当と虚偽のかどで責めるだろう。この名前は真理に合うものではなく、私に罪を着せるものである。それらは最初は、嘘や作り物と罵られるが、時とともに真理が勝利するでしょう。書物の真理と真贋を闇に隠して虚偽と思わせるために、多くの試みがなされるでしょう。だが、あらゆる試みは無駄に終わるでしょう。なぜならば、君の時代に真理が発現することが、すでに今から定められているから。まことにこの書物を虚偽と弾劾して抹殺するために、極めてあくどい所業が始まるでしょう。そのために彼らは、非常に多くの道を歩むでしょう。私が新たに説いた教えを、虚偽だと弾劾するのは不可能であるにもかかわらず、それを理解していないために、低次の霊や故人までもが呼び出されるでしょう。私の時代の律法学者や◯◯◯◯人や司祭がそうしたように。実に彼らは、極めて低次の無知で血迷った人間とのみ交わって、その信仰に影響を与えることができたのである。 君の時代もそうなるでしょう。君の時代の人間も、私の時代の人間に劣らず盲信と無知に陥っているから。まことにそれは君の時代においても、ひどい悪害となるでしょう。まことに彼らは、非常に多くの道を歩むでしょう。新手の嘘として主張されるのは、たしかにこの書物はたいそう価値があり、何らかの真理を含んではいるが、それは私の教えを伝えたものではなく、イマヌエルという名を持つ他の人間の教えを記したものにすぎないというものだろう。それどころか私が、イマヌエルであることを疑い、無理やり私を別の人物にしようとするでしょう。これは悪意をもって私に付与された◯◯◯・◯◯◯◯という名前と結び付くでしょう。私イマヌエルを◯◯◯・◯◯◯◯と呼ぶのは、間違いだとも主張されるでしょう。それゆえ私イマヌエルと、私になすりつけられた◯◯◯・◯◯◯◯という人物は、二人の異なる人間だったかのように思われるでしょう。私に関するこの新手の嘘は、君の時代になり、かなり早い段階ででっち上げられるでしょう。誕生日はクリスマスとして祝うことになっているのは、何らかの意味で重要な故人の名誉のために、多くの祭りが催される。まことにこれは人物崇拝にほかならず、特定の人物に敬意を表したり、少数の者の富を増やしたりすることが目的である。名誉は名誉ある者にこそ与えられてしかるべきであり、それによっていつまでも追想されるのである。しかしそこからカルトを作り出したり、商売によって富を手に入れたりするようなことがあっては絶対にならない。君たちの時代では私への崇拝を宗教と呼ぶことは、まことに私にはよくわかっている。君の時代には、毎年12月24日に私の生誕を祝う。これはパルティア国(後のペルシャ、1934年にイランと改名)起源の残虐な邪神を祝う日にすぎず、私が生まれた日といささかも等しくない。君たちの時間計算はまことに真実とは一致しておらず、私の誕生日に関する計算もそうである。君の時代の時間計算によれば、私が生まれたのは第二の月の第三の日である。それは一方では誤って言い伝えられているためであり、他方では計算が誤っているうえに時間計算が絶えず更新されているためである。まことに、まことにと言うのは、私が自分の言葉を強調しようとするときの口癖である。まことに誰もが持っているような口癖にすぎない。この言葉の意味は、いろいろな形で言い表すことができる。この言葉を織り込むことによって、他の多くの記述を節約することができる。それらは往々にして長々しい解釈を必要とするから。だから私は、この言葉を強調の目的で使う。つまり、まさに私が言うとおりである、それは真理である、それは本当にそうである、それは正しいことだという意味である。◯◯◯◯◯◯は書物を盗まれたのだが、そこには私の教えの一部が含まれていた。この書物は、あらゆる偽造の基礎となるでしょう。現在それは、◯◯◯◯人や律法学者によって勝手に書き加えられ、私の教えとは似ても似つかないものに作り上げられようとしている。なぜこのようなことをするかと言うと、まことにそれはこの書物を、今現在でも後々の時点でも見分けがつかなくなるまでに偽造するためであり、また裁判で私に不利な材料として用いるためでもある。だからこの書物は、私が創造について語り、教える場面でも嘘の発言がされたかのように偽造されることになり、私が天上の父や天使の軍勢、その他多くの出鱈目を語ったことになっている。だが私は、そのようなことをしたことは一度もない。それらは真理と、相容れないから。私はあくまでも真理に忠実に、創造は創造として、神は神として語ってきた。神を創造と同格に扱ったことは一度もない。なぜなら神は、君や私や他のすべての人間と同じ、創造の被造物だからである。神はその形態において英知の王であり、人類の支配者であり、地上では王または皇帝でもある。しかし創造は、計り知れない神秘であり、あらゆる創出の創造である。それは全能、知識、英知、愛、全知、そして実存在である。創造およびその法則と掟について、そして劫の力について私が教えとして語るとき、そこで語られているすべてはひとえに創造についてである。まことに創造のみが真理であり、それ以外は無なのである。君の時代にすべてがこれと異なって伝承されているとすれば、それは、捏造作家や偽教師の手によるあくどい詐欺行為であり、破廉恥な偽造である。まことにこの偽造の意図するところは、律法学者や◯◯◯◯人や司祭たちが、私を誹謗して十字架の刑に処することにある。しかしまた別の意図は、これらの誤った歪められた教えによって地球上の人間を隷属させて、知識と理性の貧困状態に陥らせることにある。そうすることによって人間を、下劣にも信仰によって奴隷化することができ、あくどい形で利用できるようになる。過去と結び付けるもの、すなわち宗教(Religion)は、人間に知識を認識させるという大きな価値を持っている。過去との結び付きを本質とする宗教の価値は、常に霊の価値であり、したがってまた英知の価値である。しかしこれらの宗教は、邪道に導くカルトやドグマや邪説から自由でなければならない。宗教自体は通常、霊の知識に関する要件、すなわち純粋な形での自然と創造の法則と掟を含んでいるが、カルト、ドグマおよびその他の非現実的な教えは、まったくもって人間に由来するものであり、現実離れした仮定と主張に立脚している。つまり宗教の教えが、ドグマやその他の邪説から構成されているとしたら、それはあらゆる点で誤っている。なぜならばその宗教の教え自体も、非現実的なものによって改竄されるから。宗教の教え自体は、もしそれがドグマや人間の邪説、その他のナンセンスから自由になり、レレゲオン(Relegeon)的なものと統合されるならば、必ずや有益であり、まことに教化的である。私の時代でも君の時代でも宗教は根本的に間違っており、このままのみが有用であり得る。これらの時代においては、宗教は常に誤りであり、レレゲオンのみがまことに正当なものなのである。真理が再び純化され、宗教とレレゲオンとが再び統合され得るようになるまで、この状態は続く。宗教とレレゲオン、すなわち過去と結び付けるものと再び結び合わせるものが調和した統一を形成できるのは、ドグマやその他の邪説そして、そこから生じるすべての人間的なセンスが取り除かれ根絶やしにされる場合のみである。君の時代の人間は、すでにこの深遠な真理を認識しており、誤った宗教の中から純粋に宗教的な要素を探り出して、それらを知的認識形態に加工している。しかし、この点に関する彼らの力と認識はまだ緒についたばかりで、大部分の人間は誤ったカルト的な宗教に捕らわれている。そのために彼らは、大変な混乱状態に陥っており、もみがらと麦を区別できない。たしかに彼らは、カルト宗教の誤りや、まことの宗教の真理について知ってはいるけれど、まだあまりに強くカルト的なものに捕らわれていて、それから自由になることができない。こうして彼らは、遺憾にも真理の中の真理を、今なお誤った道に探し求め、実は思っているよりずっと自分たちの近くにあることを認識できないでいる。まことに遺憾ながら、それが私の時代であり、君の時代もまたそのようでしょう。※霊(Geist):創造のエネルギーあるいは創造そのものの本質。すべてを生成させ、創造し、すべてに生命を与えるもの。あらゆる実存在の原初エネルギー=霊エネルギー=霊形態/霊体=不滅の存在※意識(Bewusstsein):人間の個性=発展可能な知性=進化要素の第一の能力※悟性(Verstand):あらゆる事物を正しく認識・判断するという、人間の意識面における能力で、概念を形成し、それを使用する能力。概念を形成し、その概念を評価するという、人間の持つ思考能力。人間はこの思考能力によって評価し、考察し、そして結論を出すことができる。これによって、人間は、事実についての知識を獲得し、またその知識を体験し、経験することによって英知に至る。※知識(Wissen):真理の認識を完全に論理的に理解した結果。※英知(Weisheit):論理に基づいた知識を有し、それを絶対揺るぎないものとして体験し、澄明な内約調和が見出された結果。※カルト宗教(kult-Religion):神性、偶像、人間、物体、道具、場所などを、屈辱的に、多くの場合は恐怖心から狂信的に崇拝すること。儀式、祈祷、奉納を伴う。誤った教義に従うこと=実際の真理についての正しい知識が欠けているため、証明不可能な事柄を信じること。※理性(Vernunft):あらゆる事象と現象が創造とその法則に一様に関連したものであるということを認識する人間の能力(論理)。人間の意識面における能力で、あらゆる事物と現象の総体的関連性を把握し、理解する思考能力および洞察すること。※永劫(Allgrosszeit):終わりのない実存在=無限の存在(永遠)※劫(Grosszeitalter):1 劫は、地球時間の311兆400億年に相当する。それは創造にとって1日に相当する。創造は、7劫のあいだ、すなわち2177兆2800億年のあいだ、目覚めて活動を続ける。その後の7劫は眠って休息し、続く7劫は再び覚醒する。創造はこれを繰り返し、「原初創造(Urschpfung)」となる。それまでに要する時間は、人間の感覚からすれば無限、永遠または永劫にも等しい。なぜならそのような長大な時間は人間の理性では決して把握できないからである。※宗教(Religion):(ラテン語を語源とする)=過去に結びつけること、もしくは元のように結びつけること。
2020.02.10

○セミヤーゼの言葉祈りとは、基本的にあなた方の言語で祈りという名称で実際に表現しているものとしてのみ、捉えられるべきである。つまり祈りとは、本当は人間自身の霊に希望を呼び掛ける形をとった一種の願いなのである。その意味は、私が必要とするあれやこれやを与えて下さいというもの。しかし、自分の霊の力と知識と能力を意識した真の霊的人間は、もはやそのような祈りを行わない。というのは、彼らはすでに自分たちの霊の全能の力で、何でもできるということを熟知して生きている。この理由から、彼らは自分たちの霊の全能を絶えず有効に活用しようとしている。でもこれは霊的でない人間にはできない。そこで、意図的な祈りによってその霊を活性化しなければならない。もっと詳しく言えばこうである。霊的な人間は、絶えず自分の意識および霊の力と能力を極めて意図的に活用するが、懐疑にさいなまれ自分を卑下している非霊的な人間は、祈りによって願望を表明するにすぎない。しかも通常、彼はこの願望を一度たりとも自分自身の霊や創造に向けることはなく、宗教に依存する何らかの高次の権力や力に向ける。しかし、それらは本当は存在しないか、または見当違いのものであって、創造への呼びかけは一度もない。教派や宗教に毒され祈りに依存する人間は、何らかの偶像や神々を信奉しても、創造を信奉することは決してない。祈りに依存する人間の誤った道は、あらゆる願望や呼び掛けにおいて空想へと続き、彼は法則に反して無理やり自分の願望を実現しようとする。ある事物は霊的な考え方において、意識的思考が理解できるのとは異なる仕方で呼ばれたり表現されたりする。だから、特定の事物に対して様々な概念が用いられるが、それらの深い意味について通常意識の人間は少しも知らない。残念なことに、それは宗教の利点でもあり宗教家はこれらの概念を、自分の都合の良いように変えたり評価したりする。あなたが挙げた祈りに登場する数々の概念は、それぞれ次のことを意味する。 a)全能:全知、万能で、無限に賢く、普遍的に真で、完全に論理的で、万物を愛する b)聖なる:統制的な/統制を行うなど(讃えるなど) c)天:霊の王国/霊王国、霊的生活など d)地:肉体/物質的生活など e)糧:全能/意識の栄養/霊の栄養 f)罪:発達と認識に必要であり、それゆえ犯さなければならない過ち霊的な潜在意識であれば、霊的な思考形態を苦もなく把握し受け入れることができるので、祈りでは純粋に霊的な思考形態が用いられる。それによって、多数の言葉を連ねた無意味なおしゃべりは不要となる。たとえ、意識それ自体は霊的形態で示された表現を理解できないとしても、霊的な潜在意識によって霊と協力して、逐一理解し評価する。非霊的な人間は、たいてい宗教にとらわれていてこのような知識を与えられていないために、霊的思考形態の意味するところを解釈できない。他方このような人間に、これらの知識を説明してやることもできない。なぜなら、彼らはその意味を把握できないから。まさにこれを裏付けるように、人を惑わす宗教はお喋り祈りを作成する。これらは非霊的な人間が、意識レベルで説明したり把握したりできるものである。だからこうした邪悪な惑わしによって、その人間は宗教や教派に身を捧げるようになる。それというのも、自分自身で言葉や意味が理解できる祈りを何らかのものに差し向けると、自分の中でそのものに対する信仰が育ち、押し付けられた信仰の奴隷となってしまうから。しかし、イマヌエルは祈りを布告したとき、それを利用する人間が言葉の意味を理解せず、したがって、安易に信仰に陥ることはないと考えていた。けれども、霊的な潜在意識はそれらの言葉の意味を理解するので、祈りが十分に利用された場合、人間の霊的な諸力は呼びかけに呼応し、それらの言葉が望む形で発達する結果となる。しかも意識は、それが本来意識自身には理解できない祈りによって要望、要求されたものであるということを知らない。このような方法で信仰の影響を受けることなく、徐々に認識と真理に関する知識が獲得される。人間が自分でその意味を少しも知らない事柄をなし、それらの物事から極めて特定の帰結や結果が生じるなら、たとえ当の人間が意識によって知ることがなくても、それらはまさに今呼びかけられた諸力の影響に他ならない。人間が無意識に正しいことを行えば、法則によって正しい結果が出るようになっている。しかし、人間が信仰によって意識的に、たとえば祈りのような特定の形で何かを企て、それが実際に待ち望まれた結果をもたらすならば、これらの結果は信仰と空想に起因するものであり、信仰に依存した意識の中で生み出されたものである。では、イマヌエルが作成した祈りを解釈してみよう。○何万年も昔から唱えられている言辞全能なる私の霊よ、あなたの名が讃えられますように。あなたの王国が私の内に具現され、地にも天にも、あなたの力が私の内に広がりますように。日々の糧を今日も与えたまえ。そして私が自らの罪を認め、真実を認めますように。誘惑や混乱に陥れることなく、誤りから救いたまえ。あなたは私の内なる王国であり、力であり、そして永遠の知識です。全能なる私の霊よ、(私の内にあって全知、万能で、無限に賢く、普遍的に真理で、万物を愛する私の霊よ)あなたの名が讃えられますように。(あなたの名前は万物に対するあなたの能力の統制的な力を私に証明します)あなたの王国が私の内に具現され、(あなたの全能は私の内で私の思考の意識性にまで広がっているので、私は与えられ集められた私の知識と力、英知と真理、さらに普遍の愛、平和および自由を、意識された能力において活用し、展開し、利用します)地にも天にも、あなたの力が私の内に広がりますように。(あなたの力が私の内で、私の身体そしてすべての霊的領域において意識され確実となりますように)日々の糧を今日も与えたまえ。(あなたの全能を日々私の内で働かせ、展開させ、私の無知に知識と英知の栄養を与えたまえ)そして私が自らの罪を認め、真実を認めますように。(それによって私は自分の発達の途上で犯した過ちを認識し、取り除くことができます)誘惑や混乱に陥れることなく、誤りから救いたまえ。(私が物質的で世俗的な物事や誤った考え方によって錯誤の道を行き、邪説によって信仰依存に陥ることのないようにして下さい)あなたは私の内なる王国であり、力であり、そして永遠の知識です。(なぜなら、あなたの全能、すなわちあらゆる時代にわたって続くあなたの絶対的な能力と知識の力は私の内で意識されているからです)※( )は、セミヤーゼ解釈○言うべき言葉〈日々の生活において、人間は次の言葉を繰り返し自分自身に言うべきである〉まことに、私は創造観念の最も輝かしい創造である。まことに、私は創造の秩序および私自身と完全に一致している。まことに、すべてが私にとって最良となる。なぜなら私は創造の観念の成果に生きているからである。まことに、想念において想像においても感情においても、私が成功するためにいかなる抵抗もないことを私は知っている。まことに、私は何でもでき、常に成功する運命にあることを知っている。なぜなら、そうなっているからである。まことに、私は自分の運命を鍛造する鍛治屋であり、健康、平和、平穏、愛、尊敬、畏怖、成功、そして豊かさを自分へ引き付ける意識と心の磁石である。まことに、自分の想念が自分の力であり、その力で自分のすべてを決定することを、私は知っている。まことに、自分の想念は私の意識と潜在意識の力であり、私はあらゆる瞬間にその力と結ばれている。まことに、私は嬉しく、幸せで、愛に満ちている。まことに、私は創造意識と、そして自分自身とも一つである。まことに、私の人生と活動は成功からなる。なぜなら私は最も成功したものが成功であることを知っているからである。まことに、私の人生は成就である。なぜなら私の中ですべてが成就されるからである。それは私自身が成功だからである。もし人間が正しく考え、知ろうとするのであれば、唯一、創造のみ、または霊を最大の力として認め賛美するのがよい。実際、人間の概念からすれば創造は神と呼ばれるべきである。なぜなら神という言葉は創造を表すべきだからである。言うまでもなく人間にとって、突然、神ではなく、創造または霊に祈るということはなじめないことでしょう。しかしこの試みをあえてすることをすべての人々に勧めたい。そうすれば祈りの形態が変わってきて、底知れない安らぎに包まれるという独特の確認をすることでしょう。また、その人は祈りが聞き入れられ、人生が好転し、幸せになったことを確認することでしょう。創造に語りかければ、創造の一部である人間の霊が自ずから語りかけられるのであるから、何の不思議もない。創造は実際にすべての生命の上に立つ、最も素晴らしいものである。そしてそれだけでも、人間から創造として尊重され、敬われ、認められるに充分に値する。宗教が押しつけようとする神に対する崇拝と尊敬は不自然であり誤っている。これを知っていながら宗教の神に祈るものは創造の掟に反しており、霊的な完全性に至る発展の道、すなわち霊的な知識と創造的な英知への道を妨げることになる。
2020.02.03

○セミヤーゼの言葉人間は一つの霊の担い手である。霊は死ぬことがなく、人間が深い眠りの中にあっても常に目覚めていて、すべての思考と感情を記録する。人間が霊に耳を傾けることを身に付ければ、自分の想念が正しいかどうか霊が教えてくれる。人間の内部にあるこの霊は、創造の王国の担い手である。そして、それはすべての人間に備わっている。人間が天国とか自らの内なる天国などと言い、創造や真理、知識や英知、霊や意識、そして実在という言葉を語るだけでは満足しないのは不可解なこと。人間が切望するもの、それは永遠の生命、不滅の平和、決して消滅することなく永遠に持続する霊的意識的な豊かさの、絶えることのない喜びの中に在る。天も地も滅び去る。しかし、真理、知識、英知、そして霊は決して変わることも消滅することもない。霊と意識は、完全、調和、平和、認識と洞察、知識、英知、真理、美、愛、そして真の存在、永遠に続くこれらすべてのものの訪れを待ち受けている。これらのすべてが一体となって霊の王国を作り上げる。これらすべては、創造的なるものの内に現存している。それらは独創性の中の独創性として、旋律の中の旋律として、能力の中の能力として、創造の原理の中の至高の原理として、あらゆる奇跡に勝る奇跡として実在する。創造が意識して世界を創り出すように、人間は夢の中で奇跡の世界を創り出すことができる。この能力は人間の意識から生じるもの。すべての奇跡が人間の中にあるように、意識もまた人間の中に実在している。人間自体が天国、すなわち創造的なるものの王国なのである。それゆえ、はるか昔の地球の哲学者は言った。人間とは大宇宙の中の小宇宙であると。なぜなら宇宙の中に含まれているものはすべて、人間の中にもあるから。奇跡とは霊の力を余すところなく利用すること。人間の内部の次元は無限である。創造の似姿である人間の中の霊は無次元的な実在である。それはすべての次元を包含すると同時に、あらゆる次元を超越している。霊とはすべての奇跡の中の奇跡、すべての力の源である。奇跡とは、霊の力を余すところなく利用すること。ところが人間は、奇跡をいかなる論理でも解明できない現象だと片付けてしまう。人間が幸福を感じるとき、その幸福は人間の内部から湧き起こってくる。幸福とは自分で作り上げた状態であって、何らかの場所ではないから。喜びもまた人間の内部から湧き起こってくる。霊的そして、意識的な平衡から生まれてくる。つまり、すべてが自己の内部から生じる。幸福の原因と思われる物事や人は、外的なきっかけにすぎず、幸福を目指して意識的に努力してきた人間自身の内部の幸福が、そうしたきっかけによって発現する。幸福とは自己の深奥の、すなわち霊の本質に属するものであり、創造という実在と分離することのできない特徴である。無限の幸福も無限の力も、この実在に含まれている。人間は外見的には年を取るが、それは一時的な現象にすぎない。五十年前は年寄りでなかったし、五十年後も彼の肉体は死んでいるでしょうから、もはや年寄りではない。老化して虚弱になるのは肉体だけ。霊は永遠に若く、老化現象が起こることはない。老年期というものは、青年期や幼年期、心配、苦悩やいろいろな問題のような、この世界のすべての外的な事情や経験が過ぎていくように、過ぎ去っていくもの。永続するものは、霊という実在、真理、知識、英知、そして現実である。これらを認識し、築き上げることが必要である。それらだけが、人間を自由にするから。霊の実在を認識すれば、人間にとって老いは全く無害となる。どんな心配や苦悩や問題も、生命や周囲や環境や世界の変化と移り変わりも、もはや人間を悲しみに陥れることはなくなっているのである。
2020.01.27

固定観念、感情について成長するために一人ひとりがこの地球にいるのだから。水瓶座の時代として覚醒は起こっている。これが終わると、はやくて300年以内に起こる可能性があるが、このペースだと700年はかかる。過去は未来の鏡であるもの。走馬灯のように1日を振り返り反省すべき点は反省し、時には肝に銘じて改める。たしなみを整え、ネガティブな想念は流し、本質に感謝をする。その先に結びつきそうな感情を脇によけ、男性特有の、女性特有の、感情や想念、思考の傾向を知りバランス感覚を身につける。全力で創造を愛し、周りを愛し、時には自分を愛で満たす。良い未来のイメージに書き換え、プラス思考、中庸を目指し、良い言霊に変えていく。叡智に横たわる平穏。新しいものを取り入れ、経験から知識を学び、創造の叡智を修得する努力を惜しまぬと、人生そのものが好転していることに気づくもの。平和なワンネスに目覚めて戦争を放棄した種族は、精神的にも技術的にも発達が加速している過程にある。太陽系の惑星に行き、多様な生命の存在する惑星はもうこの地球しかなかった。僅かなこの機を逸してはならないともいえるが、非政治的世界政府を達成し劇的な人口抑制が唯一の道であろう。※ETV=地球外飛行輸送機関(Extraterrestrial Traveling Vehicles)〇若かりしビリーマイヤーの言葉想念のコントロールをしないと人生は、大海に漂ようオールはない船と変わらない。○ビリーマイヤーの言葉1)人間は誰でも、通常幼いころから願望夢を持っている。空想の中に存在する願望夢の産物で、自分がいつか実現したいと思っているもの、あるいは単に好んで夢見たか、今も夢見ているもの。人間が善良なもの、美しいもの、愛すべきもの、優しいものと感じるものの願望夢。実現することのできる願望夢、あるいはいつの時も単に空想の産物にすぎない願望夢。いずれにしても願望夢はいつか実現できればさらに良い。たとえそのような願望夢に関する知識が失われたとしても、誰でもその中で空想に耽ることができる新しい願望夢を創り出すことができる。中立的・肯定的に思考することを身に付けるために必要なのは、主として否定的な想念が思考に影響を与え始めたら、つまり懸念や心配などの想念が正常な肯定的思考に負担をかけ始め、これを害し、苦痛をもたらしたら、必ずすぐに想念の中でこの古い願望夢か、または新しい願望夢に向かい、大きな空想に耽ること。しかしまた懸念や心配などの想念が過度な負担となるとき以外にも、願望夢の中で空想に耽ることも推奨される。願望夢の中で自分の想念を最も空想に満ちた軌道に乗せ、巨大な空中楼閣を築き、感覚を喜ばせることのできるすべて、すなわち幸福、愛、美、理解、その他気持ちと感情を高揚させるすべてのものに耽ることは、あらゆる点で許されている。そこでは空想は果てしなく、また限界を設けようと試みるべきでもない。しかし最も必要なのは、たとえごく些細なものであろうとも否定的想念が意識の中に侵入しようとしたときには、必ず直ちに願望夢を捉えるように気をつけること。何ごとも最初は非常に難しいものだが、中立的・肯定的な思考を身に付けることも同じである。願望夢に集中することは始めのうちは恐ろしく骨が折れるでしょう。なぜなら否定的な想念領域が意気込みを抹殺する矢を絶えず放つから。潜在意識は蔓延した否定的な想念内容をひっきりなしに前面に押し出そうとする。そのため大変な労力を払わなければ願望夢に集中することができない。それにもかかわらず潜在意識の否定的な攻撃が次第に弱まり、最後に完全になくなり、肯定的思考に優位と支配を委ねるまで、繰り返しあらゆる想念を願望夢に向けなければならない。この手順は場合によっては数分しか要しないこともあれば、症例の重さによっては数ヶ月かかることもある。それゆえあらゆる点で忍耐を要する。なぜなら第一に生まれながらの名人はいないし、第二に意識の力は人によって異なるからである。2)たとえ気分は少々悲しく気が滅入っていても、いつもある程度の笑みを浮かべているべきである。ちょうど中国人特有とされている笑みを。ただしこの場合、いきなり最初から全感情を込めて微笑まなければならないというのではない。気分はその反対なのであるから、そのようなことは不可能でしょう。微笑みは始めは外見上のものにすぎないが、時間の経過とともに習慣となり、徐々にではあるが確実に肯定的思考を促す。つまり外面的なものが内面的なものにも浸透して、悲しく滅入るような感情が否応なく悲しく滅入るような想念を生み出すように、微笑みを浮かべた喜ばしい顔はまさしく微笑みを浮かべた喜ばしい想念を促す。3)いつも頭をまっすぐ起こし高く上げているべきである。人と話をするときは、相手の目をじっと見つめる。すべての状況、物体、動物、人間、植物、全自然、その他あらゆるものを非常に正確に熟視して観察する。すべてをあらゆる細部に至るまで非常に正確に観察しなければならない。頭を垂れたり、目を伏せたりすることは避けなければならない。状況を意識的に理解することは有益であり、それによってさまざまな印象が集められ、肯定的な思考過程が積み重ねられ、促される。以上三つの黄金律を厳密かつ徹底的に守ると、非常に短期間に最初の成果と認識が必ず得られ、それによって自己治療への大きな第一歩が踏み出されたことになる。しかし最初の成果が得られたからと言って、この困難な作業を中断してはならない。思考が平衡した肯定的な力の最終的な形を絶対的に取るようになるまで、この作業を続けなければならない。一度そうなったら、最悪の大災害でさえも意識がそのように形成され強化された人間を害することはおろか、意気消沈させることすらできないのである。◯アラハト・アテルザータの言葉人間が生まれた時すでに必要な知識と能力が植え込まれていたなら、人間は発展することができなくなるでしょう。その場合は、すべての知識と能力などが人間の中に定着していて、いかなる教えも不要でしょう。新生霊も創られた時にすべての知識と能力を備えていたなら、新生霊にとって学ぶことはまったく余分であり、進化は起こり得ないでしょう。つまり人間が誕生後に生命の性格を我がものとするように、霊もその知識と能力を獲得する。しかし地球の人類の間では、次のような邪説が流布している。すなわち、霊の中にはすべての知識と能力がすでにあるが、それらは罪と過ちによって、また創造およびその法則と掟から転落したことによって忘れ去られたと。それゆえこの妄想を信じて説く者には、罪と過ち、およびそこから生じる贖罪は、物質的な生命形態の秩序を表しているということを言い聞かせなければならない。生命の教えであれ、霊の教えであれ、いかなる教えも実を結ぶのは、当の生命形態が誤りを犯し、その誤りが認識へと導く場合に限られる。つまり創造の賢い法則によると、どんな生命形態も誤りを犯し、君たちの言い回しを使えば、罪と過ちを自分に招くようになっている。しかしまたこれらの誤りを犯すことによって、生命形態はそれぞれの時間に応じて犯した誤りから間違いを認識して消化し、そしてこれらの誤りは二度と犯されてはならず、それゆえ陽性的に平衡したものへと処理しなければならないという知識に到達する。地球人もまた誤りを犯す限りにおいて学び、発展できる。つまり地球人は誤りに気づき、それを認識して、陽性的に平衡したものに消化できる。そうすることによって罪と過ちは無効となり、人間の非論理の領域に属するものとなる。創造の法則と掟の定めにより、避けようもなく学ぶ目的のために誤りを犯さねばならないならば、どうして犯した誤りのゆえに学ぶ者に罰を科すことができよう。法則を最も厳格に遵守することで罰せられるとするならば、それは非論理的なことであり、この上ない逆説である。これはどんな場合にも言えるでしょう。たとえば、君たち地球人の間では、人間が作った法律により盗みは罰せられることになっているが、ある人間がこの法律を非常に厳格に守って盗みを犯さないばかりに罰せられるようなものでしょう。誤りを犯すことは法則と掟により創造の価値に合致しているのだが、誤りを犯せば罰せられ、贖罪が求められるという人間の邪説から、地球人がカルマと呼んでいる理解しがたい非論理的な臆見も生まれた。このいわゆるカルマも無類の有害な邪説であるが、これも人間が考えた空想の産物であり、真理や現実とは相いれない。それは根本的な本質において完全かつ絶対的に非論理的であり、宗教的に思考する人間が発明したものである。人間の生命形態に不安を注入して、彼らを政治的および宗教的な観点で権力欲に憑かれた搾取的な民衆の指導者に従属させるのが目的である。君たち地球人によってカルマと呼ばれているものは、神、神々および偶像が創造自体であるという、君たちの間で広く流布している主張と同程度に非現実的で馬鹿げている。宗教の邪説に陥った地球人は、このとんでもない邪説をはねのけて、真理を認識せよ。宗教創設者、知ったかぶり屋、いかさま師、詐欺師、そして権力欲に憑かれた指導層は、支配的で優勢なすべての邪説に対して責任がある。これらの邪説は、型にはまったあらゆる思考と行動の基礎にある要素である。それらはあらゆる無知と虚偽の地中深くに張った根であり、地球人はそれらを引きむしって根絶しなければならない。※知識(Wissen):真理の認識を完全に論理的に理解した結果。※進化(Evolution):(ラテン語の「evolvere」=「展開する」を語源とする)発展すること。あらゆる生命体は霊的、意識的、そして物質的な面で発展し続ける(進化する)という創造の法則のもとにおかれている。しかしそれはあくまでも、各々の種にふさわしい形でのみ行われる。※霊(Geist):創造のエネルギーあるいは創造そのものの本質。すべてを生成させ、創造し、すべてに生命を与えるもの。あらゆる実存在の原初エネルギー=霊エネルギー=霊形態/霊体=不滅の存在※真理(Wahrheit):知識が論理と実際に合致すること。ひいては創造のエネルギーであり、論理の最終的帰結でもある。
2020.01.06

地球に叡智を伝えることで人類が自己理解を深め、もう一段高いレベルにまで意識を高めることが願いである。自己充足に慣れきった領界に住み続けており、自分達の祖先や創造の本質的な教えからは全く切り離されていた。思考する人間型生命体として唯一の存在ではないという考えに目覚めつつあり、水瓶座の時代は人類の歴史上にとってもっとも重要な時期になるだろうと思われている。地球の全市民が肌の色・体格・文化・進化レベルの違いを乗り越えて一体となる。統一された地球憲法なるものも必要となる。その憲法の骨格を形成する際には、多くの人々が参加して決定をする。未来への舵取りは地球の全市民が一つになって行われるべきであり、様々な活動を通じて力を合わせ、実現する恵みを享受する資格も、全地球人が得られるべきである。未来を創っていく基盤となるのは、私たちの知性や知恵であり決してお金ではない。地球の輝かしい未来を創造するには、力を合わせればあらゆることが実現可能なはずだ。この新しい時代の到来において、自分たちの理想とする未来を創造する責任の一端を地球人類の一人ひとりが担っていくのである。理性と判断力と健全な論理を働かせ、統一や調和を目指し、未来を見据えながら注意深く考量する必要性がある。
2019.12.27

木のそばに腰を掛け、森の中を散歩して時を過ごす。森林浴の癒やし効果から、感情にバランスを与え生命力が回復するのを感じられる。生命の木は個別の法則に従属しており、尊厳を持って接する。生命の木をむやみやたらに伐採することはない。地球は正式に強力な光の帯からなるフォトンベルト域に入っている。地球に注がれるエネルギーは、軽視したり過小評価したりすべきものではなく、意識の目覚めを経験する時代である。セントラルサンから注がれるエネルギーの上昇に伴い、無知の時代の終わりであり、人類が知への目を開き、目覚め始める時代である。この時代は精神と本質的なものの進展の時代であり、新たな発明や創作の発展の時代でもある。この時代は物質的にも精神的にも両立していることが必要となる。叡智と調和の時代先日シューマン共振は、2年間で過去最高のパワー158に達し、50~70が継続して計測されている。○何万年も昔から唱えられている言辞
2019.12.13

子供を育てることに関し、正しく生きること、感謝すること、素直に謝罪すること、ネガティブなことを感じると厳しく諭し、欲に関してとらわれ過ぎるとそれにとらわれぬよう共同で責任を持つ。自己責任を持って、本質的に成長することの重要性を理解し、他者への依存的態度をなくすこと。外的な力に頼る代わりに、高次の意識と意思の疎通を図る方法を教え、偉大なる宇宙の全ての存在を導く創造エネルギーとコンタクト出来るよう子供を育てる。我々の社会では、2年間の結婚準備期間中は期間をおいて定期的に会い、性的結合は許されず、思慮深く確証を持ちその後に結婚をする。生涯離婚は認められておらず、自然死以外は夫婦としての義務と責任のすべてを全うする。結婚前までには精神的な成熟も要求されるため、様々な学問や創造エネルギーと力、創造の叡智、愛・調和・平穏・論理的思考などの意識面も学びながら、性的禁欲生活を送る(自慰は創造に反するべきものでない)。つまり、全宇宙的に有効で自然にも適した水準として自制しながら生活を過ごす。子供の出産数は少なく、環境生態に配慮し人口を抑制している。自然で出来た避妊目的の食べ物がある。異性を愛することがごく自然に行われ、無条件の愛によって結ばれ、嫉妬や所有欲の感情はなく精神的にも安定している。愛に関する形は非常に豊富で、友情や結婚は特に豊富な愛情表現のひとつの形であり、友情と愛情は密接に関わり合っている。相違点は、なぜ子供が生まれてくるのか理解の仕方が少しばかり異なる。結婚後、女性が妊娠すると、生まれてくる子供はどの母親に生まれてくるかを選んで生まれてくる。つくられつつある新しい身体の中に入るかどうかを決め、受精から心臓が形成され動きだす3週間以内にインパルスが流入し(新しい意識と人格に)、そうして両親は生まれてこられるように遺伝子や細胞形成の成育を助ける。脳が作られるとき、母親の身体に刺激を送って脳のコネクタ領域を幾つ作るかを伝える。気の遠くなる程の生を過ごして蓄積した知恵は、脳内に酸性物質を送り込むことでその知恵は保存されることとなる。現世において、生まれてくる目的も備わっているため、他人と比較して自分の方が優れているとか、賢いなど、自分の方が成長しているなどと考えるのはナンセンスであり、対等な一つの個性を持った人間としてコミュニティーは接するのである。
2019.11.18

人類の潜在可能性を阻む障害物の一つは、偏狭な歴史観にあり、単に技術的な異星人を神格化してきたもの。存在するもので最高の力は創造である。それは惑星や世界にはなく、普遍意識、宇宙意識である。創造が人間を守るのではない。普遍意識、宇宙意識はすべての生命の中に存在しており、肉体的保護はすべての生命が自らすること。そのために創造が力を与えるのである。大自然そのものこそ創造の顕現である。自然界を網羅している動植物の秩序生態系の形態は、創造の意志、すなわち、創造の法則を顕現化されたものなのである。創造という存在を最も重要なものとして、生命の中の生命、真理の中の真理、創造は無限の美、美の中の美、終わりなき無限の幸福、知識、叡智、能力、真理、絶対的確実性にある。このことを認識すると自分の中の全ての喜びが根源から、無限の創造の歓喜から来たものであることが分かるはず。人間の知性が創造へ向かえば向かうほど知性は輝きを増し、人格は力強く成長し、全生活と活動が祝福される。その結果、平安、幸福、健康を手に入れるために用いる物質主義的方策は全て偽物であることが分かる。創造のエネルギーは絶えず自己を制御している本質的な人間に流れ込んでいる。この大きな本質的な成果は棚ボタ式に楽に手に入るものではない。まず、本質的な知的思考方法、すなわち創造的思考方法を修得し、その絶対的正確さと確実性を認識することが必要である。そして、最初に成果が現れるとその体験者は大きく前進し、その個のエネルギーは拡大する。そのエネルギーとは創造のエネルギーを意味し、それは全ての人間に内蔵されている。全ての人間が、平等な創造のエネルギーの相続人であるといえる。我々の宇宙の中心太陽には初源の核がある。これは創造の純粋な創造エネルギーからなる。我々の銀河系は、他のすべての天体と同じく帯の中に存在する。創造は至るところに見出される。すなわち、宇宙の内外にある粗物質(鉱物、植物、動物、人間)の中に、そしてあらゆる純物体の中に純粋な創造エネルギーとしての創造は、最も明るく美しいゾハールであり、優れて瞑想できる者によってそれが見受けられる。我々の創造は創造の源の懐の中にあり、常にそれと一つに繋がっている。我々の創造に備わる叡智を紐解き、新しいアイディアを試みることが出来る。創造の進化の過程は偶然に導かれるものではなく、あらゆる被造物が創造の源の思考形式に従わなければならないことから、森羅万象はすべて同じように作られ、同じ経験を踏まえながら進化しなければならないことになっている。創造の源はある種の青写真であり、次にどうすべきか教える役割を担っていると表現でき、独自の物質的宇宙を創造する。思うことと論理的に考えるという過程を通じて、エネルギーというものが創り出され、その思いと論理的思考の内容が創造の源によって正しいものであった場合に、創造は必要な叡智を創造の源から授けられる。
2019.11.12

〈結論〉世界のすべての国々が、今後あらゆる種類の排出と天然資源の乱掘を世界規模で徹底的に制限しなければならないことが、明確に明瞭な言葉で表現されなければならず、そのために分別と理性が総動員されなければならない。また、自然とその動物相・植物相に化学物質を投入し、化学物質と廃棄物で環境を汚染し公害をもたらし環境を破壊することは、即座に禁止・中止されなければならない。急激に拡大する人口過剰も、世界規模で国家の管理による効果的な出産規制を極めて早急に導入し、実施することで食い止めなければならない。そうすることによってのみ、地球人類の運命の空にくっきりと浮き出る差し迫った悲劇、すでに世界規模で激烈で悪質な負の結果について、破壊的で破滅的なこの結果を人類全体にもたらしているこれらの悲劇は緩和されうる。気候を変化させているのは、空気中の汚染物質だけではない。そこには、自然とその動物相・植物相と気候に関して、人間が無節操な破壊行為によってもたらしたすべての結果が関わっている。現在すべての自然災害は、その全体が、気候変動がもたらす結果に対する強烈な警告である。これに対して迅速な対策をとらなければ、最終的に地球は人類の必要最小限の欲求を満たすことすらできなくなり、したがって増大する一方のエネルギー・食糧・水の需要をまかなうことは、もはや不可能になるでしょう。最善の方法での取り組みが行われないのならば、人口過剰によって引き起こされるあらゆる無節操な企みが、人類全体を巻き込む大規模な悲劇につながることは避けられない。したがって、世界の全ての国々はこの悲劇を避けるため、この僅かなチャンスであろうと逃してはならないことが要求されている。しかしそのためには、まず何よりも、世界規模で管理された出産停止を実現し、世界規模での出産管理を導入して、人口過剰に迅速に歯止めをかけ、人口過剰がもたらした無節操な企みの結果生じた破壊状態から、自然とその動物相・植物相、そして気候を再び回復させなければならない。やる気のない愚かな無用で役立たずの国際的気候保全条約が可決されれば済むような時代はとうの昔に終わっているのである。なぜなら今、求められているのは分別と理性、そして断固とした思い切った明確で有用で有意義な行動。それがなければ、地上の人類に迫る未来の悲劇を、最後の最後に食い止めることはできない。世界は、滅亡することはないにしても極めて激烈な変化を遂げるでしょう。これは人類全体そのものに関しても、またその生活に関しても言えること。この劇的かつ激烈な変化がどの程度、現実のものになるかは世界の人口がどのように、そしてどのくらいの規模で増加するか、すなわち将来、世界の人口過剰が引き続きどの程度拡大していくかにかかっている。また同時に、人口過剰が伴う犯罪的な企みによって引き起こされる自然とその動物相と植物相、気候、地球に対する侵害、破壊、壊滅行為が、引き続き無責任に押し進められていくかにかかっている。自然に対する壊滅行為、並びに動物相と植物相に対する破壊行為の最前線にいるのが、農業であり、園芸産業などである。しかし同時に、化学的な有害物質を自然とその植物相と動物相に散布し、さらに食用植物にもこれを繁茂させて成長させ、雑草、動物、害虫から守るためと称して何百万トンもの化学的有害物質を撒き散らす多くの一般市民も、またこれに加担している。ありとあらゆる種類の食用植物中に蓄積され、人間の身体に摂取される途方もない量の化学有害物質によって、人間は病気になり衰え苦しみ最後には死ぬ。そして、これらの化学有害物質によって貴重な植物、動物、小動物、爬虫類、昆虫、水生生物、鳥類までもが毒に曝され絶滅させられていることは、許されざる更なる状況である。この責は、農業と園芸産業などと共に、農学者、化学物質の宣伝者、さらに化学物質の一般利用者が負わなければならない。それはまず一方で、彼らがその愚かさ、あるいは金儲けの欲のために、無思慮に化学的有害物質を使い、自然の食品にも(人間の食肉需要のために飼育され屠殺され、当然ながら人間の食料循環に入り込む動物にも)、化学的有害物質を取り込んでしまっているから。それにより彼らは、人間の健康を危険にさらし健康を損ねるという結果をもたらしている。また他方には、農業と、家畜・家禽を始めとしたあらゆる動物を飼育し肥育するその他の産業がある。これらの肥育動物には、病気になるのを防ぐため、予防的に様々な抗生物質がたっぷりと投与される。これらの抗生物質は、家畜・家禽・その他の動物肉の中に蓄積され、それはその食肉を食した人間の体内に改めて取り込まれ、そこで抗生物質に対する耐性を作り出す。その結果、その人は様々な病気から回復することがもはやできなくなり、あるいは感染などから身を守る術がなくなり多くの場合死に至る。しかし、家畜・家禽・動物の飼育業者にとっては、これは全くどうでもいいことなのだ。彼らにとって最も重要なことは、欲まみれの経済的利益のみである。というのも、こうしたものの見方・行動のあり方からいって、つまりこの関連において彼らは同じ同胞に対する責任、そして彼らが毒を注入し汚染している自然とその動物相・植物相に対する責任を感じていないから。こうした状況は、将来においても長く続き、したがってこれからも自然界では、植物相・動物相に関して多くの絶滅と破壊や壊滅が起こるでしょう。また、無責任で利益だけを求める、あるいは単に無思慮で愚かで馬鹿げた抗生物質と化学的有害物質の濫用により、これからも世界規模で非常に多くの人間が(あらゆる社会階層で、老いも若きも)病気になり、衰え、死を迎えることになるでしょう。さて、何も分かっていない愚か者であるにもかかわらず、自分は何でも良く分かっていると思い込んでいる、あるいは、その嘘で固めた主張に対して法外な額の賄賂をもらっているあの無類のずる賢い連中は、知性のかけらもない間違いをしでかしているか、根拠のない嘘に絡め取られているか、あるいは完全に愚かである。これは、彼らが事実をねじ曲げて何も理解できていないままに、全てに対する責任は基本的にそして、唯一化学産業と化学メーカーが負うべきものと思い込み嘘を吐き、あるいは幼稚で愚かなやり方でそういう作り話をしているからである。彼らは、化学物質によって引き起こされた自然と河川、湖沼の汚染・破壊・壊滅という現在の大惨事、何千という非常に重要な昆虫・植物・鳥類・動物・小動物などの絶滅(野菜・ベリー類・ハーブ・果物・あらゆる穀類など)、自然食品の汚染の責任は、ひとえに有害な化学製品を製造した大企業とその他のメーカーにあると考えている。しかし、これらの人々が、無思慮に化学的な有害製品を使い、環境・自然の食品・植物・河川と湖沼、つまりは自然全体とその動物相と植物相にその有害物質を散布して運び込み、すべてを汚染した張本人であり、その無責任で、恥を知らず、さらに犯罪的行為ゆえに、誰よりもまず責任を負うべき立場にあるということについては、ほとんど、あるいは一切触れられていない。つまり、化学的有害製品を使う利用者・消費者こそが第一に咎を受けるべき無責任な人間なのであり、全て(人類とその周辺のすべてを含む)の自然全体を汚染し、それによって病気、伝染病、さらに絶滅、死や壊滅を招き、引き起こす張本人なのだ、ということは有耶無耶にされている。これに関しては農業と園芸産業、そして、同様に無思慮・無責任に化学的有害物質を庭や畑、牧草地、路傍、線路、あるいはそれ以外のやり方で自然と環境に撒き散らす人々と行政が、第一に責を負う。すなわち、第一に責を負うのは、より良い迅速な成長のため、また防虫・防獣などの目的で、自然とその動物相・植物相、また自然の食品に対して散布される化学的有害物質を製造・販売する化学産業やその他の化学的有害物質のメーカーではない。責を負うのは、基本的にそれら化学的有害製品の利用者・消費者なのである。自然と環境などに対して投入される化学的有害製品を製造・販売する化学産業やその他のメーカーは、この点では実のところ二次的な位置にいるに過ぎない。なぜなら、彼らは化学物質の製造と販売によって、経済的に何十億の利潤をあげる製造者に過ぎないからである。ことの外、これら全ての化学的有毒爆弾は、農学者や宣伝者の嘘によって推奨され、農家や庭師、行政や企業、また個人によって、野菜・穀物・その他の植物の成長を促す目的で、また防虫・防獣の目的で、購入・利用されている。その際常に、経済的な途方もない利潤、あるいはその他の何らかの利点がそうした行動を決定する要素となっている。このように、すべてを汚染する化学物質濫用の責任を第一に負うのは、化学産業や化学メーカーではない。農家、そして農家に助言を与える農学者、また、園芸産業、行政、企業、そして植物を成長させるため、また直接的・予防的に植物を守るために化学的有害物質を使用する人々なのである。そしてそれは通常、農学者、宣伝者、また思慮のない一般人支持者の推奨による。ここで繰り返して言う、宣伝された化学的有害物質を使用し、野菜・ハーブ・ベリー類・果物・穀物などの自然の食品に投入し、それらを化学物質で汚染しているのは、実は第一に農家、庭師、一般人なのである。事実は、農家、庭師、そして一般人一人ひとりが、植物の成長を促し、害虫などから植物を守るという化学的有害物質の使用に関する宣伝に踊らされる必要はないということ。たとえ宣伝が行われても、人間には自身の分別があり、意志があり、ある種の理性がある。そこから、人間は、何が正しく、何が誤りで、何が無責任で、何が責任ある行為かを自身で決定できるのである。つまり、何人たりとも何らかの宣伝によって何らかの化学的有害物質を、環境・自然・その動物相と植物相に投入することを強制されることはない。誰しもが、しっかりと責任を全うし、振り回されることなく自ら決断することができるから。したがって責任、あるいは無責任の所在、それを行使することに関しては誰しもが自ら責任を負っているのであり、無責任な行為が行われた場合、そこに言い訳の余地は全くないのである。このことは、抗生物質の使用という観点でも同様である。そうした物質を投入する人間はみな犯罪者であり無責任であると言える。つまり農家と野菜・果物などの自然の食品に有害物質を投入する庭師、そして家畜・家禽・その他の動物を抗生物質で苦しめ、それらを肉製品、そして人間のための食料として飼育・肥育する誰もが同じ穴の狢である。この点に関しても、誰もが自己の責任を完全に全うし、あるいは完全に無責任に抗生物質と有害物質を使用するか、それによって人間の健康を危険にさらし、人間を病気にし、さらに死に追いやりたいのか否かを自身で決断するのである。基本的に、自然の食品・自然とその動物相・植物相の汚染、その絶滅と、人間が病気になることに第一に責任を負うのは、人間・自然・動物相・植物相にとって有害な化学的成長剤・保護剤と抗生物質の製造者、つまり化学産業と化学メーカーではなく、またその宣伝者でもない。責を負うのは、実に純粋な利潤欲から使用されるこれらの有害化学物質と抗生物質の良心なき利用者と消費者なのである。彼らが、あらゆる種類の自然食品、また自然とその動物相・植物相に有害物質を無責任かつ犯罪的に投入し、家畜・家禽に有害物質と抗生物質によって汚染されるその肉が人間の食物となる、あらゆる種類の動物・小動物に抗生物質を投与されている。この点においては1844年以来の、近代のはじめ以降、今日に至るまであらゆることが起きてきたが、これら全てがこのまま今後も続くことになれば、地上に暮らす人類には大変苦難な未来が待ち受けている。これは、人口過剰に関しても同様である。状況を改善の方向に向けない限り(厳格に管理された出産停止・出産規制によって、世界規模での人口過剰に劇的な抑制を行う)、世界とそこに生きる人類には、世界規模での破壊的・破滅的で無責任な企みによってもたらされる、極めて劣悪な未来が切迫している。将来においてどのような危機が迫り、また地上の人類が見せる様々な形の極度のエゴイズムとその頑迷さと無責任さによって、何がかなりの確率で現実のものとなるか、そして、それに対して予言的、予告的、また可能性の確率計算の形で、何が実行可能かという点では以下のことが言える。今日においてもなお、度し難いいわゆる専門家ら(多くの場合、気候変動に関して偽りの主張、嘘、本当の真実を矮小化することで大企業から報酬を受け取り、それによって金銭的な利益を得ている)は、気候変動、またはそれに関連した結果を、気候変動はすべてまったく自然で普通の現象だ、などという正気の沙汰ではない主張をして否認している。本当の事実を矮小化する連中と同類なのは、一般市民の中にいる自称物知りや、賢い大口叩きの連中である。彼らは、その愚かさと馬鹿さ加減から現実とその真実を見抜くことができず、無傷の自然とその動物相・植物相、また、まったく自然な気候変動、健全な世界、より良く素晴らしく健全な未来という夢心地の幻想の中で漫然と暮らしている。残念ながら、こうした類の自称物知り連中はあまりに多く、世界中で盲目同然に徘徊している。彼らは、度を超した人口過剰という犯罪的な企みによって、世界とその自然、動物相・植物相、すべての河川・湖沼、原生林、その他の森林や牧草地、海、緑地、氷河、景観、そして気候などで引き起こされている全ての破壊・壊滅に関する本当の現実を認識していない。そして、それについては、過去2000年の間だけでも地球には温暖化の時期、あるいは寒冷化の時期が何度もあり、大気中の二酸化炭素が増加することは植物にとって利となるなどといった愚かで馬鹿げた話が繰り出される。もちろん、世界的にみて、古代ローマ帝国時代や中世の平均気温は現在よりも高かった。それは当時も、より暖かい温暖な時代にあったから。しかしそれは、今日の気候変動の結果とは比べることなどできないものである。6000年から7000年前まで遡れば、その当時にもやはり温暖な時期はあり、その結果として北極地方から広範囲に氷が消えたということがあった。さらに過去に遡れば、恐竜とその他の原生動物の時代には、二酸化炭素の割合が現在の4倍から6倍高かったのであり、それが植物界のあらゆる属と種に当然ながら影響を及ぼし、植物が桁外れの成長を見せたということが、今日では科学的に証明可能である。気候変動と、それに関連する世界規模での変化、食糧危機と水危機、さらに自然災害は、現在と将来が抱える大きな問題として論じられなければならない。なぜなら、全てを厳密に観察すれば、人口過剰と都市化によって環境がどれほど酷く酷使されているかは明確に分かるから。何といっても、人類全体、自然全体とその動物相・植物相、この惑星自身が人類の罪によって引き起こされた気候変動の巻き添えになっている。特に、人口過剰という企みが生んだ極端な結果である浸食とステップ化、それと全く同様にモノカルチャーと世界市場で求められる植物の栽培が、生態系全体の暴力的な破壊をもたらしている。そもそも植物が植えられた場所でまだ育つということ自体、奇跡のようなものである。しかしこのことは、地球・土壌・自然・森林・水資源の全く良心の呵責も容赦もない搾取によってのみ生じているのであり、これによって、ますます多くの土地が完全に不毛のものとなって、手の付けようのないままに耕作されずに放置されてしまっている。おまけにこのことは特に発展途上国で起きている。発展途上国は、主にあらゆる面で恵まれている無尽蔵のお金を持つ豊かな先進国の大企業によって、容赦なく犯罪的に利用し尽くされ、搾取し尽くされ、略奪し尽くされている。これはとりわけ先進国の大企業の企みによって貧困化し、病気になる第三世界・発展途上国の人々にみられ、彼らはそれに対して身を守る機会が全くない。なぜなら、その国の政府そのものが自国民を困窮と悲惨さの内に、のたれ死にさせることに躊躇がないほどに腐敗しているのが普通だから。原生林の伐採によってますます進む環境汚染、公害、環境破壊は、自然とその動物相・植物相に極めて深刻な事態をもたらし、大規模な破壊と凄まじい気候変動の原因となっている。アマゾン川流域の熱帯雨林の将来を注視すると、良心の呵責もない犯罪的な伐採によって、2030 年までにこの熱帯雨林が60%にまで取り返しのつかないほど破壊されることになる。アジアの原生林をみれば、すでに今現在でその3/4 が手の付けようのないほどに根こそぎにされ、破壊されてしまっていることが明らかである。けれどもアフリカにおいても、伐採による惨状は拡大している。それも極めて深刻な規模である。現在、まだ手付かずのままで残っているのは、原生林のわずか8%に過ぎない。事実は世界中で毎年、スイス国土面積の3倍にあたる面積の原生林が破壊され姿を消しており、スイス国土の面積は山岳地帯を除いて4 万1,285k㎡になる。つまり世界規模でみれば、毎年およそ12万5,000k㎡の原生林が破壊され姿を消していると算定される。当然、これは自然とその動物相・植物相、気候、さらに地球上に生息する全ての生命体にとって、また生存に不可欠である大気中の酸素含有量にとっても壊滅的な結果を意味する。それというのも、熱帯雨林、ないしは原生林こそが酸素全体の40%を生産しているという事実があるから。しかし、この事実は見向きもされず、熱帯雨林はためらいもなく、そして犯罪的に下劣な富と利益のために根こそぎにされ破壊され、跡形もなく姿を消している。その結果、毎年膨大な面積の原生林が、鉱業、焼き畑、および製材業、天然ガス・石油採掘、水力発電所建設などの犠牲になっている。すでに開墾され、これからも開墾され続ける大規模な原生林ないしは手付かずの熱帯雨林には、バイオ燃料の原料となる様々な植物が植え付けられる。新たに獲得された面積の半分以上がこうした方法で濫用される。木材伐採機などによって熱帯雨林が姿を消すだけでも、世界の二酸化炭素排出はおよそ25%増加する。発展途上国であるインドネシアをみてみると、この国は現在、第三位の二酸化炭素生産国であり、同国の焼き畑農業は現在、7~8億トンの二酸化炭素を排出している。熱帯地域における、今後の森林消滅による二酸化炭素排出量を全体として考えると、2100 年までに1,000 億~1,300 億トンの二酸化炭素が生産されることが予想される。計算によれば、伐採された熱帯雨林に代わってサトウキビやアブラヤシが栽培された場合、化石燃料の使用と開墾によって増加する二酸化炭素の排出量を削減して元どおり埋め合わせができるようになるまでに、50年から120年もの期間が必要になる。代替としてトウモロコシあるいは大豆が栽培された場合には、それどころか400年から1600 年もの期間が必要になる。焼き払われて姿を消すのは、何も熱帯雨林だけではない。灌木や低木地帯、ステップ、森なども、広範囲にわたって燃やされて姿を消している。原因は落雷の場合もあるが、人間の軽卒な悪ふざけ、無責任さによって引き起こされる灌木火災や森林火災である場合もある。しかしまた、犯罪的・商業的・投機的な理由から意図的に放火され、焼き払われる灌木・低木地帯、および森林もますます増えている。これは、確保がますます難しくなっている工場・家屋・住宅地・運動場、そして道路など向けの建設地を作り出すためである。こういったことはすべて、世界規模でさらに進行する一方の極度の人口過剰によって、無責任にとられる無節操な措置と、人口過剰に伴う需要にその原因を持つものである。自然と、その動物相・植物相を見ると、環境破壊の結果として生物多様性の、衝撃的な激減が起きていることを非難しなければならない。植物と動物合わせておよそ3,200 万ある属・種に関していえば、その2/3 以上が原生林に生息している。しかしその多くが、熱帯雨林の犯罪的な伐採と開墾によって、絶滅の危機にさらされているか、あるいはすでに絶滅してしまっている。植物と動物が直面している脅威と絶滅状態を全体的にみれば、自然界に新たに発生している病原菌、そして他の生態系から侵入する異種生物の分布拡大もまた、非常に重要な役割を果たしている。それによって土着の植物・生物種が駆逐され、さらに絶滅さえさせられている。とりわけ将来は、園芸・農業において、土着の雑草種、またグローバル化によって他の国から移入した雑草種が蔓延し、繁茂し、必然的にもはや化学的除草剤では駆除できなくなり、したがって根絶することができなくなるでしょう。そうしてこの結果、こうした雑草が肥沃な土地を荒廃させ、不毛の土地に不良化させるでしょう。それは、どの種であろうと雑草というものは、どんな種類の除草剤に対しても耐性を獲得でき、貴重な食用植物を駆逐し、食用植物が必要とする繁茂のための成長・生存空間を奪うためである。これは言うまでもなく、自然食品の生産に極めて強い負の影響を及ぼす。すでに現在、様々な雑草がもはや根絶不可能になっている。それは、過去数十年の間に世界中で化学除草剤が無責任に投入されたことによって、雑草が進化を遂げて化学的有害物質に適応し根絶やしにすることがもはや不可能になったためである。この現象は世界的にみて、すでに多様な雑草で起きている。例えば、アメリカの様々な場所で、平方キロメートルの規模で凄まじい蔓延を見せているオオホナガアオゲイトウ(モンサント・パルマーアマランサス、グリホサート・ブタクサ、ラウンドアップ耐性を持つ怪物植物、新型のハイテク雑草。冥界からやってきた雑草で不死身。南米から移入され、園芸・農業で栽培される植物という植物をことごとく駆逐し、窒息させ、絶滅させてしまう)である。その他の多くの外来雑草種、土着の雑草種にも同じことがいえ、これらはすでに除草剤耐性を有しているか、あるいは将来、耐性を獲得することになる。すでにヨーロッパにも、グローバル化によって移入された非常に多くの植物や動物、ありとあらゆる種類の昆虫とその他の小動物が存在している。この数はプレヤールの厳密な情報によれば、すべての属と種にわたって1 万2,000 と算定される。これらの多くは、意図的なヨーロッパへの輸入あるいは意図に反しての移入以降、もはやヨーロッパの生態系でその存在を無視することが不可能であるほど、当地に適応している。そしてこの状態は、将来、グローバル化と、それに関連する植物、そしてあらゆる種類の生物移入によってこのまま継続するでしょう。ヨーロッパに移入された外来植物の多くをみれば、現在においてもひどい災厄が生じている。例えば、アメリカ産のアキノキリンソウ(およそ80種あるキク科植物、ほとんどが北米種。一体型で互生する葉、黄金色の総状の花をつける多年草。高さが1mにも達するアキノキリンソウ属のオオアワダチソウ、セイタカアワダチソウは、乾燥した森や茂みに繁茂し荒れ地に広がる)である。また、アジアからヨーロッパに移入されたオニツリフネソウ(草状のホウセンカ属植物で、ほとんどの場合、アフリカとアジアの熱帯地帯に繁茂。その莢は、接触によってあるいは種子が熟すと裂けて開き、種子をはじき出す。ホウセンカ、キツリフネと同種)も挙げられる。さらに、北米起源の繁茂力の強いブタクサ(アンブロシア。ギリシャ神話起源の不死を意味する。神々に永遠の若さと不死を与えるという食べ物)がある。ブタクサの繁茂には、歯止めをかけることが現在もはやほぼ不可能である。この他にも、ヨーロッパ(他の国々と同様)に移入された植物は数多くあり、例えば、高さ5mにも成長するジャイアント・ホグウィード(Riesen-Bärenklau)は、特に説明を要するものである。というのもこれは、単に厄介な雑草というだけでなく、侵入外来種・侵入帰化種と表現されるべきものだから。これは繁茂力が強く、他の植物に成長する余地を与えない。その種子は広範囲に飛散し、多くの場合、特に小川や河川のそばに発芽するが、休閑地や路傍、さらに庭にも侵入し、乾燥しすぎていない滋養に富んだ土壌に根を張る。1株がそれぞれ1 万~5 万個の種子を作り出し種子には水に浮く特性さえある。ジャイアント・ホグウィードの液汁に接触すると、人間の皮膚は重度のやけどを起こす。該当者は、まず皮膚に焼けるような痛みを感じ、その後その箇所は腫れ上がり、水膨れになって剥がれることもある。日光の状態次第で、最も深刻な症状はおよそ2日後に現れる。この植物の液汁は、日光と同時に作用すると二度、熱傷を引き起こす、いわゆるフラノクマリンを含んでいる。つまり、日光が光毒性反応を起こす決定的要因になる。このように、刺激性を持つジャイアント・ホグウィードの液汁と接触した場合には、特に日光を避ける必要がある。症状が治まった後も、日除け対策は続けること。症状に対しては、例えば鎮痛剤、コルチゾンクリームの使用、また冷却するなどの方法で外来治療が行われる。天候が極端さを増す状況が増えていること、そして、肥沃な土地が失われ、化学物質、人間・動物の排泄物、家庭ゴミ、産業廃棄物、あらゆる種類のプラスチック、抗生物質、化学肥料などによって河川・湖沼などの水が激しく汚染されていることも、様々な災害発生の原因になっている。また、海洋水などの酸性化、化学的殺虫剤・化学的除草剤・ネオニコチノイド・その他のあらゆる有害物質の使用、工場・暖房から排出される排気ガス、車やその他の内燃機関から排出される排気ガスも生物多様性を危機にさらし、破壊している。両生類、植物、動物、昆虫、爬虫類、甲虫、水生生物、その他のあらゆる種類の小動物において、すべての属・種で合わせておよそ5万種が毎年姿を消している。この状況がこのままの規模で進行すれば、2100年までに全ての生物、すなわち植物、動物、小動物などの属・種の半分が絶滅することも絶対的に起こりうる(専門的な計算によれば、両生類でおよそ30%、哺乳類で24%、鳥類で12%)。その中には水生生物も含まれるが、この場合(過剰な漁獲に歯止めがかからなければ)、遅くとも2050年には商業漁業が全く不可能になると予想されている。それは、海洋とすべての河川・湖沼で全く漁獲がなくなるから。事態が本当にそこに至れば、それは15億を越える人々が、その生命の支えとなっている唯一のタンパク質源を奪われることを意味する。これはさらに、地球上の人類の大部分もまた、魚とその他の海洋動物・水生生物を栄養分として利用できる可能性を全て失うことを意味する。第三世界あるいは発展途上国、先進国、そして中進国における環境汚染をみると、増加する原料資源の採掘と急激な工業化の進行によって、汚染はとめどなく、ますます規模を拡大していることが分かる。これは、OECDの国々における近年の環境汚染が減少しているにもかかわらず起きていること。これに加えて、環境汚染を減らすといった決定が下された場合でも、全体はそもそも焼け石に水にすらならないという事実がある。というのも、そうした決定が実際に施行されるまでの時間の間(10 年、あるいは20 年)に、世界の人口は毎年およそ1億人ずつ増加していくから。これは、決定が施行された時には、その決定は既にとうの昔に時代遅れのものになっており、問題そのものの規模は、決定が下されたその当時の何倍にも膨れあがっていることを意味する。あらゆる種類の自然死と不自然死、また現在の世界人口の増加を考えて、毎年平均で人口が1億人増加することを前提とすると、2050 年までの今後35 年間で、過剰状態にある人口はさらにおよそ35億人増加する。それだけの人間が地球上にあふれ、地球を苦しめる。このように、2015 年における地球上の人類の総数が、実際には85億人以上と算定すべきであるとすると(プレヤール人の正確な計算に従ったもので、地球人統計家の誤った計算の主張とは異なる。地球人統計家は、2015年の地球上人口はおよそ74億人に過ぎないという前提を出発点としており、2050 年の地球上人口は僅か90 億人になると信じられている)、2050 年にはおよそ115~120 億人が地球上に過剰にひしめき合うことになり、その無節操な企てによって、自然全体、動物相・植物相、気候、海洋と河川・湖沼、大地、地球そのもの、さらに人類のすでに非常に悪化した道徳的な人生の質に、さらに多大な災厄をもたらすことになるでしょう。そしてこれは、本当の災厄に対する取り組みが行われず、単に対症療法のみが行われているから。そもそも、この災厄全体の原因に対して、すなわち拡大する一方の人口過剰に対して執拗に取り組まなければならないはずなのに、人口過剰はとめどなく進行しており、世界的な出産規制という歯止めもかけられていない。世界規模での惨状と災害の全体像に関しては、特に、世界貿易機関(WTO)によって押し進められた貿易障壁撤廃の結果、多くの国で、環境保護・消費者保護に関する法律が弱体化させられることになったことを指摘しなくてはならない。この結果に苦しんでいるのは、自然とその動物相。植物相だけではない。気候と地球という惑星全体、そしてもちろん人類も苦しんでいる。なぜなら、人類の健康が途方もなく損なわれているからである。特に決定的な要素となっているのが大気汚染である。このために、世界中で毎年400万人もの人が亡くなっている。さらに、やはり世界中で毎年1,600万人もの人が、化学物質と、特に細菌で汚染された水を飲み、水と同様に汚染された食品を食べることによって引き起こされる病気で亡くなっていることも悲しむべきこと。飲料水をめぐる状況は、非常に厄介で矛盾したものになるでしょう。というのも、水資源は、干ばつが続くことでますます枯渇していく一方、多くの場所で、豪雨の発生により、園芸産業や農業などで使われている化学肥料が流れ出して飲料水が汚染されるため、何十万という人々が飲料水に関して大きな不安を抱えるという事態になっているから。同時に、有害な藻類の華も、凄まじい規模で発生している。飲料水は、土壌と河川・湖沼の化学物質による様々な汚染によって有毒化される。特に汚染原因となっているのは、園芸や農業、あらゆる種類のプランテーションで使われているリンや窒素などの化学肥料、化学的殺虫剤、化学的除草剤、ネオニコチノイドなどである。化学物質は当然ながら地下水にも流れ込み、それによって再び飲料水循環にも入り込む。これらの化学物質から生じる影響は、とりわけ暖かい気候の場合に強くなり、飲料水源としても使われる自然の水域では、シアノバクテリア、いわゆる有害藻類の華が爆発的に増殖することになる。これは、視覚的には水が青緑色に変色し、水面が緑がかった藻の絨毯に覆われ、縞模様に見えるという形で現れる。このバクテリアの発生は、人間にとっては差し迫った危険を産み出す。なぜなら、これらのバクテリアは様々な毒素を作り出し、それが当然ながら水を汚染するため、その水を飲む、あるいは単に歯磨きや料理に使っただけで下痢や嘔吐・吐き気の原因となり、また肝臓と腎臓に危険な障害が引き起こされるから。この水を加熱したり、沸騰させたりすると毒素の濃度はさらに高まる。したがって、場合によっては、加熱あるいは沸騰させることなく水を使用した場合よりも、さらに危険な状況が生じることになってしまう。世界中で、ゴミの排出が途方もなく制御不能なほどに増加していることも悲しむべきこと。特に先進国では、どのみち環境を汚染し、病気を撒き散らす広大なゴミ処理場のための場所を、見つけることがますます困難になっている一方で、排出されるあらゆる種類のゴミを適切な方法で有意義に加工するための工夫は、ほとんど手が尽くされていない。ゴミを適切な方法で加工し尽くすとは、灰の形で処理できるものは全て焼却し、無害化し、有益な方法によって何らかの形態で再利用が可能になるようにすることを意味する。つまり、再利用可能なものは全てリサイクルし加工し、新たな製品として再生させる。ところが、一方でその代わりに起きているのは、世界中で排出が途方もなく増加するばかりのゴミが、環境全体の景観を損ねるという現象である。つまり、無責任な市民がゴミを畑や河川・湖沼、海、森に廃棄するからであり、それによって自然、動物相・植物相、さらに生態系全体が危機にさらされている。他方、行政や政府、ゴミ処理会社も、ゴミ処理に関して犯罪的な、そして無責任な行動をとっている。すなわち、山のようなゴミを、自国内での大量ゴミの発生をすでにコントロールできない、貧しい国、中進国や発展途上国に船で送りつける。事実は、これらの国々では、発生するゴミの内、収集されるものはごく僅かに過ぎないということ。残りの莫大な量のゴミは、道路、畑、牧草地、現地の河川・湖沼、海などにただ投棄され、その場所と環境全体を汚染し毒まみれにするのである。なかんずく、プラスチックとその他の合成樹脂廃棄物の及ぼす問題は極めて深刻である。なぜなら、これらは種類によっては100年から700年経たないと完全に分解されないから。特にこれらの種類のゴミは、現地の河川・湖沼や海に集まり、いくつかの海洋で吹送流の渦の地域においては、現在すでに何平方キロメートルにもわたって大規模に水面を覆い尽くす事態になっている。それだけではない。プラスチックとその他の合成樹脂廃棄物は、河川・湖沼や海の波の動きと太陽紫外線によって、時間の経過とともに粉砕され、微細なパウダー状になり、魚とその他の水生生物のエサに入り込み、それによってまた、魚とその他の水生生物を食べる人間の食物連鎖にも入り込むのである。また、どのような種類の環境汚染にせよ、それは河川・湖沼の中、陸上または海洋中における死のゾーンをあっという間に拡大させるだけでなく、生物多様性にとって極めて重要な意味を持つ肥沃な地表環境を毒素で汚染し破壊するものだということも指摘しなければならない。そのような死のゾーン(途方もない環境汚染と、農業用地への硝酸塩とリンなどの過剰施肥によって生まれた)は、現在、世界中で3,200k㎡を越える規模に広がっている。さらに、これらの肥料は、小川や河川、湖沼や海洋に流れ込んで、大規模な藻類の絨毯を発生させ、それによって水生動物界や水生植物界に甚大な被害をもたらし、あるいは死滅させるといった深刻な事態を引き起こしている。水中で植物や水生動物などが徐々に死滅すると、その死骸の分解のためにバクテリアが必要となる。これらのバクテリアは、自身の生存のために大量の酸素を必要とするため、その他の水生動物や水生植物のための酸素が不足することになる。したがって、魚類も甲殻類も貝類も、あるいは他の水生小動物も生きていくことが不可能になってしまう。いわんや自然の水生植物にしても同様である。破壊力を持つ特定の藻類を除いて...。また、こうした死のゾーンは、特に暖かい・暑い季節に出現することも指摘しなければならない。すなわち、春・夏・秋である。なぜなら通常、これらの季節においては、嵐で水が波立つことがないからである。嵐は普通、水が嵐の来ない季節よりも多くの酸素で満たされるという結果をもたらす。それだけではない。なぜなら将来においては、悪質な争い、殺りく、戦争、テロ行為、内戦が増えることが記録されなければならないだろうから。それらは様々な傾向を持った軍隊、国家権力、テロ組織によって行われる(新たな犯罪的な分派を様々な国で生み出すヒュドラのような...ISはその一例である)。こうした事態に対する軍隊や国家の責任ある立場にある者の取り組みは、あくまで不十分で手ぬるいものに過ぎない。これらのグループの内、一つが制圧され殲滅されたとしても、それに代わってレルネーのヒュドラがそうだったように、新たな二つの殺人的分派が生まれ、最悪の形で猛威をふるい、人殺しをし、破壊し、壊滅させるという結果になる。また、独裁者、支配欲に駆られた者、政治家、狂信的宗教者や狂信的宗教分派や、あるいはまた医薬品・食糧・食品・水不足が引き金となって起こる戦争やテロ行為も挙げなければならない。あらゆる形態での悪質な人種憎悪も極端になり、増え広がっている。この状況には特に、様々な独裁国家、人間を敵視する国家から逃れてきた四方八方に広がる一方の難民の存在によって、さらに拍車がかかっている。人種に対するむき出しのテロや戦争は、悪質な人種憎悪グループと人種差別主義組織の存在によって2015年現在よりも非常に激しくなり、様々な形態での発生が危惧されるものとなるでしょう。それを担うのは、民間人によるグループや、同様の方向性を持つ新たな組織ででしょう。例えば、20世紀以降ヨーロッパ、ロシア、アメリカ、また他の様々な国において悪質な殺人的活動を展開し猛威を振るったネオナチ、アーリアン・ブラザーフッド、アーリアン・ネーションズや、19世紀以降のアメリカで数えきれないほどの人種差別主義に基づく殺人を犯したクー・クラックス・クランなどの同類である。人間が作り上げたものに対する破壊も、今後さらに増えていく。それは人間自身の堕落、悪意、気まぐれ、そしてまた増加する一方の自然災害にも起因する。加えて、憎悪、嫉妬、無関心、孤立も、人々の間に拡大していくでしょう。人命の価値の軽視もさらに酷くなり、その結果、人命は容赦も節度もなく、悪意と気まぐれに翻弄されて傷つけられ、奪われるものとなる。あらゆる貪欲、悪徳、病的欲望も、殺人、故殺と同じように、家族内や学校、仲間内で増加していく。そこで見られるのは、宗教的・狂信的な分派主義と精神病質・偏執狂的な無節操でしょう。同様に、思考面・感情面・精神面での異常、洗脳的な要素、現実離れした態度、破廉恥な態度も出現する。さて、正気ではない自称物知り連中や専門家、無責任な科学者らは、良心のかけらもない大企業から報酬をもらうのと引き換えに、この明白な事実を、今日においてもなお否定し続けているが、これまでの、そしてこれからも凄まじい規模で増加し続ける二酸化炭素の排出が、世界規模での温暖化の原因であり、気温は2100年までに6℃、あるいは状況次第では8℃も上昇し得ることは疑問の余地のない事実である。そして、大気温が1℃上昇するごとに、熱帯のハリケーンは最大で35%増加するということも、また事実である。しかしそれだけではない。温暖化の影響は、北極地方と南極地方にも及ぶから。結果として、北極地方と南極地方の氷層厚は融解によって減少する。同じ現象は世界中の山岳氷河でも起きている。気候の温暖化がこれまでと同様の規模で継続すれば(人口過剰の結果としてあらゆる点で生じる常軌を逸した事態も影響して)、早くも25年後には夏の間、北極地方から氷が消えることもありうる。かつては最大で700万k㎡あった北極地方の氷面が、現在では僅か300万k㎡ほどしかないことを考えれば、ここから全体として現れるのは暗い将来像である。つまり、地球の温暖化がさらに進むということ。なぜなら、氷面積が小さくなれば、反射される日射も少なくなるという事実があるからである。気候変動と氷融解がもたらすさらなる影響は、海面の上昇である。現在、これは年におよそ4.5mmの規模で起きている。したがって、2100年までに、海面がメートル単位で上昇するに違いないことは容易に計算できる。計算によれば、海面上昇は、そのおよそ45%が内陸氷の融解によって、およそ55%が温暖化とそれによって生じる海水の膨張によって起きるとみられる。海に関しては、北海沿岸諸国では暴風による、より大きな高潮が発生するであろうことも指摘しなければならない。なぜなら21世紀末までに、高潮はこれまでよりも1.5m超高くなるだろうから。海面が55~60cm高くなるだけでも、水辺の森、浅瀬水域、塩沼などの生物の貴重な生息圏が破壊される。もしも北海とバルト海の海面が1m上昇すれば、沿岸部と内陸部がおよそ1万5,000k㎡にわたって水没することになる。そうなれば、現在およそ400万人が暮らし利用している土地の多くが、水面下になってしまう。さらに、ヨーロッパに迫る別の脅威のシナリオは、大気圏の温暖化によってメキシコ湾流が消滅し、ヨーロッパに新たな氷河期が突如として到来するというものである。これは現在のところ、まだ現実味を帯びていないが、状況によっては考慮されなければならない。気候変動は、この地球という惑星そのものにも地質学的変化を引き起こし、その変化はますます増加し、そして激しさを増している。永久凍土の融解や豪雨などによる山崩れ、土砂崩れ、土石流などだ。地表と海底ではマントルに亀裂が生じ、かつまた大規模なマントルの変位も起きている。加えて、絶えずより強烈になる原始世界のようなハリケーンや津波が大地に襲いかかり、自然やあらゆる種類の人間の建造物を壊滅させ、何千という人命を奪う。太古からの自然の法則は崩壊し、新たな形態へと劇的な変化を遂げる。そして、地質・自然に生じる新たな変化に、人類は適応せざるを得ない。それができなければ、滅亡するしかないのである。こうした適応が必要であることは、全世界での出産停止と、そこから当然生じる世界規模での出産規制が必要であることも意味する。同時に、自然・動物相・植物相・気候を破壊する、世界中で展開されている人間の手によるあらゆる種類の無節操な企みに、最終的な終止符を打たなければならないことも意味する。これに加え、もうひとつ別のシナリオもある。すなわち、地球規模での温暖化によって、2100年までに、ひどい干ばつが生じるということ。さらに、アマゾン川流域の熱帯雨林もこれに巻き込まれ、最大75%破壊されることになる。これは、人口過剰に伴う無節操な企みが引き起こしている現在の破壊プロセス全体が、このまま進行した場合に避けられないこと。しかし、地球上の人類とその政府、また責任を負う全ての人間が、世界の人口増に歯止めをかけるために不可欠であるはずの措置、すなわち世界規模で目的に適った出産停止と断固たる出産規制の措置を実施しないであろうことは、すでに今の時点で明らかである。アマゾン川流域の破壊に関しても同様である。この場合は、破壊された熱帯雨林が草地・灌木のサバンナ地帯になれば儲けもので、さもなければ死んだ荒れ地になって終わりである。しかしそれだけではない。ヨーロッパ南部とアメリカ南西部、アジア南西部、サハラ砂漠以南のアフリカ、中東、さらにオーストラリアのかなりの部分も、将来、破壊的な乾期に入る可能性があるから。この乾期は、その地域の気候に、非常に強いマイナスの影響を与えることになる。灌木地帯は必然的にさらに拡大し、その規模はこれまで知られていたものを全て超えるものになるでしょう。この新たな乾期の到来は、いたるところで凄まじい規模で収穫の損害をもたらし、これはもはや変えようのないものになるでしょう。また同時に、南米西部、ニュージーランド、オーストラリア北部、中国東部などにおいて、尋常でない規模の洪水の危険も増す。その一方、ヨーロッパ北部、カナダ、南米などの気候が温暖な地域では、より規模の大きい有用な農地が誕生する。これは気候変動の結果生じることで、当然ながら収穫量の増加をもたらす。CO2の量が増えれば、種々の食用植物や野生植物がより良く、より早く成長するようになるから。しかし、これと同時に、その他の外来の動物・鳥類、あらゆる種類の陸生・水生小動物が、そこに適応し定住することにもなる。これは犯罪的なグローバル化による移入だけでなく、気候条件によって直接生じる渡来の結果でもある。現在、そして将来においても、気候変動は貧しい国々に極めて大きな損害と破壊をもたらす。しかし先進国にしても無傷ではいられない。総括的に世界全体を見れば、気候変動とその影響、また自然災害による損害額は、何千兆の規模にのぼる。世界規模での海面上昇だけをみても、その上昇がたとえ0.5m程度であったとしても、海岸沿いにあるおよそ140もの百万都市が危機にさらされることになる。これは、途方もない規模の人間の業績と価値ある財産が、海水上昇によって破壊されることを意味する。損害額の規模は、ここでもやはり何千兆にのぼるに違いない。しかし、予想されるシナリオはこれで終わらない。例えば、モルジブのおよそ1,200 の島々は、海抜が最高でも2.4mしかないので、これらの島々のように国がそっくりそのまま地上から姿を消すことさえ起こりうる。たとえ、海面の上昇が僅か0.5mであっても(高い確率で実現するだろうが)、これら島々のほとんどの部分が居住不能になるということを意味する。さらに、温暖化によって、海水が内陸部にどんどん入り込んでくることも指摘しなければならない。その結果、食糧の栽培に使われる土壌にも、人間の飲料水と農耕地の灌漑用水として使われる、生存に不可欠な地下水にも海水が入り込んでくることになる。気候変動による影響に最も苦しむのは、すでに述べたとおり、本当に貧しい国々と、そこに暮らす人々である。しかし、彼らこそ温暖化の全体にはごく僅かしか関わらないのであるが、これからもそれは変わらないでしょう。天然資源に関していえば、これらの国々で天然資源を略奪し尽くしているのは先進国の大企業であり、これら貧しい国に暮らす人々は、そもそも自国の天然資源を使える立場にあるとしても、それにほとんど、あるいは全く関わっていないのだ。それだけではない。気候変動の結果からだけでも既に貧しい国々には解決することがもはや不可能な問題が発生している。避けることのできない干ばつの到来に関して言えば、ただでさえ痩せた耕地はこれで干上がり、完全に不毛の土地となる。その結果、すでに述べたとおり、食料難もさらに拡大することになる。また、雨が降らないために水源が干上がり、人間と自然、その動物相・植物相が極度の水不足に直面することになる。この結果、人間にとっても動物相・植物相にとっても、いよいよますます四方八方に死が広がることになるでしょう。干ばつは河川・湖沼にも損害を与え、その水位が低下すれば、当然、船舶の運行にも支障が出る。水力発電も同様である。何といっても自然を源とする水は、その半分をはるかに超える量がエネルギー経済に使われている。特に、設備の冷却のために川の水を必要とする原子力発電所がその例である。つまり、将来において、これらの発電所の運転を早期に停止することは、理性的な理由から必要になるだけではない。水不足という事態のために、こうした発電所のために水を無駄に使うことがもはや許されなくなるから。しかしこれと対照的に、人口過剰が何のコントロールもなく拡大の一途を辿ることとの関連で、エアコン用電力消費、そして家庭・農業・産業向けの日々の電力消費は、増加する一方である。また憂うべきは今後、訪れる暑さと干ばつが、ヨーロッパの一部の地方に収穫の減少をもたらすことである。しかしながら、それに対して水分をごく僅かしか必要とせず、また暑さに対して現在の品種に比べて、より耐性を持つ新たな穀物種が栽培されるために、他の地方の農業には良好で、それどころか収穫の増加さえ予想することができる。ヨーロッパの一部地域では、40℃を超える暑さになる頻度がより増え、それが人々に深刻な問題をもたらすことになる。森林に関しては、温暖化が進むことでトウヒが死ぬことになる。なぜならこの樹木種はより寒冷な気候が必要だから。この結果、カエデ、ブナ、カシなどの樹木種と、暖かい乾燥した気候に耐性のある南方の樹木種が、北方の針葉樹に代わって増えてくることになるでしょう。つまりヨーロッパ全体において、気候変動の結果、土着の樹木の多くが姿を消すことになる。しかしその際、すでに述べたとおりヨーロッパに定着するヨーロッパ南部と、世界の他の地域からの種は増える一方であり、これは動物、昆虫、鳥類、水生生物とあらゆる種類の小動物にも当てはまる。とりわけ、これまでは春・夏・秋に限って姿を現していた属・種が、ヨーロッパ中部と北部に最終的に定住し、その姿は年中みられるものになる。つまり、ヨーロッパ全体で、冬の気候が現在よりもはるかに穏やかで湿度の高いものになることは明らかである。この結果、霜や寒気が訪れる時期が激減することも相まって、当然ながらいたるところで暖房需要も減少することになる。しかしそれにもかかわらず、冬期には激しい嵐や大洪水を起こす降雨が発生するようになる。それによって河川の氾濫、豪雨による土石流、洪水が頻繁に起こり、災厄と甚大な破壊を引き起こし、人々に多くの苦悩、困窮、不幸をもたらすでしょう。降霜と降雪は減少の一途を辿って気候変動により著しく少なくなり、特に標高900mを下回る土地がその変化に見舞われると予想される。山岳地帯から雪が無くなるために、これは当然、冬期スポーツ施設の運営事業者にとっても打撃となり、事業者を倒産に追い込むことになるでしょう。スキー場のゲレンデの営業は、愚かなことに人口雪を使ってしばらく続くが、これには当然、途方もないエネルギーと水が必要になる。最終的にはこれらも調達が不可能となり、この浪費は最終的に断念せざるを得ないか、あるいは禁止されることになるでしょう。干ばつによる大災害は、それに見舞われた国々に途方もない変化を引き起こし、深刻な水不足を常態化させるが、ヨーロッパ中部・北部に関して言えば、気候変動による影響は、干ばつという点では比較的少ないものになるでしょう。しかしそれにも関わらず、ヨーロッパ全体では、干ばつと水不足に苦しむことからは逃れられない。その一方で、原始世界のような嵐や悪天候、大規模な河川の氾濫が増加し、大規模な災害、損害、破壊を引き起こし、多くの人命が失われることになる。当然、年の平均気温も長期的に上昇し、2100年までには4℃まで、場合によっては7℃まで上昇することも考えなければならない。これは、人口過剰のさらに途方もない拡大と、人口過剰に対する無節操な措置によって、自然とその動物相・植物相の破壊、気候変動がどの程度進行するかによる。しかし確実に言えるのは、ヨーロッパ全体で夏が更に暑く、そして乾燥したものになり、その結果、夏の気温が日陰でも30℃、あるいはそれ以上に上昇するということ。これは、そのような高温に慣れていないヨーロッパ中部・北部に住む人々にとって命に関わる問題が生じることを意味する。オゾンとスモッグによって気管支や肺が危険なダメージを受け、熱中症や心筋梗塞による死亡率も上昇するから。温暖化の進行の結果、ヨーロッパにおいては将来、気温が1℃上昇するごとに死亡率が最大で6%まで増加することを予測しておかなければならない。これはまさに、ヨーロッパ中部・北部の人々が酷暑に慣れていないためでもある。このヨーロッパ全体における気温上昇は、気候帯の移動を伴う。さらに、特にマラリアをはじめとした熱帯性の疾病や深刻な伝染病など、南の国々からやってくる新たな疾病や伝染病の発生にもつながる。しかし、将来、ヨーロッパ人の健康に害を及ぼすことになるのは夏の気候ばかりではない。春と秋も大きな犠牲を強いることになる。例えば、初夏にはダニに噛まれ、ボレリア感染症や髄膜炎を引き起こしたりする。また、強烈さを増す日光によって、皮膚がんも猛威をふるう。これは夏に限らず、春と秋も同様である。さらに気候変動によって、自然の食品に使われる化学有害物質も、これまでは知られていなかった変化を引き起こすことになり、その結果、アレルギーや胃腸の病気に苦しむ人が増加する。氷河に目を転じると、今後さし迫っているヒマラヤ氷河の融解が起きるだけでも、15億以上の人々に甚大な被害が及ぶことを指摘しなければならない。なぜなら水不足は恐ろしい結果を伴って犠牲を強いるからである。大規模な干ばつが生じれば、インドだけに限ってみても痩せた土地で農業が生き残ることが極めて困難になる。これは人口のおよそ65~75%を直撃するでしょう。また中国北部(その他の国々においても)の、内陸部は干上がり荒廃するでしょう。さらにまた砂漠同様の地域の範囲はなお一層拡大する。このように、将来、干ばつと、河川の破壊的な氾濫、あらゆる種類の異常気象と地震によって、アフリカ、中央アジア、東南アジアの多くの国々が国家の崩壊に追い込まれるでしょう。今日、すでに大量の難民が世界中にあふれているが(1950年代、さらにその後の時代にすでに予言されていた事態である)、実は大規模な民族移動、民族避難は、これから始まるのである。難民を受け入れる国々にとって、1 年あたりの難民の数は現在まだ対応可能なレベルにあるが、35~50年後には、それはおよそ3~3.5億人になる。これは気候変動とそれがもたらす壊滅的な結果と、また政治・軍事・宗教・テロによる騒乱と陰謀がもたらした厄介な負の影響により、故郷を追われ、世界中で異国に新たな避難場所を探し求める人々である。こうした人々の行き先は(現在もそうであるとおり)、今後も特にヨーロッパになる。この大量の難民は、世界中とりわけアフリカとアラブ諸国から大きなボロボロの船や、使い古された木製やゴム製のボートに乗ってイタリアやギリシャの島々、あるいは陸地にたどり着く。ただしそれは、船やボートがその前に転覆して海に投げ出されたり、あるいは密航斡旋業者によって海に投げ捨てられたりして、溺死しなかった人々である。つまり、今後も難民の流れはより長くなり、より多くなる。すなわちその流れは(すでに現在でもそうであるように)さらに激しく広範囲なものになり、コントロール不能なまでに増大する。それも、難民の出身国はアフリカ大陸だけでなく、バルカン諸国、東欧諸国、南米・アジア・中近東の様々な国にのぼる。難民が殺到し移住する国々では、それによって生じる難民の流れの問題に官庁、政治家、援助組織、監視・警備組織がもはや対応できなくなる。これはすでに現在の時点で起きていること。その結果、あばら屋や軍用施設、バラック、コンテナ、テント村、手入れのされていない野営地などに難民キャンプが作られることになり、衛生的な状態を維持できない悲惨な状況が発生する。また、出身国、宗教、宗教的分派、社会階層という点で様々な背景を持つ難民がキャンプにぎゅうぎゅう詰めにされることで、お互いの間でトラブルや争いが生じ、それが深刻な結果につながることもある。犯罪、病気、伝染病、殺人、故殺も、とめどなく蔓延する。食糧・飲料水の供給が不十分であることも、あらゆる災厄の発生にさらに拍車をかけることになる。つまり、難民キャンプにおいても、それほど時間が経たないうちに食糧不足・水不足が生じる。そして、難民自身の間でも、嫉妬、憎悪、けんか、殴り合いなどが発生し、けが人や、状況次第では死者が出ることにもなる。こうした事態が長引き、また増加するにつれ、難民をめぐって、様々な形態で真の混とん状態が生じ、さらに監視官・監督官・警察官・税関職員など、国の治安に関わる全ての機関にとっても、管理・規制・監視の手が及ばない状況やその他の問題が国境、また国内の両方で出現するでしょう。加えて、大量難民の流れによって、(ほとんどの場合は経済難民で、特にヨーロッパを始めとして他の国々に押し寄せる)、その期間が長くなりまた規模が拡大するにつれて、避難地の国々の国民、その行政機関、政府、政治家、政党において最も深刻かつ震撼させる問題が生じることになる。つまり、受け入れるか受け入れないか、すなわち認めるか拒否するかに関して、矛盾するエセ人道主義的な擁護派と拒絶派の見解・意見が増殖する一方の、難民の処遇・権利・送還に関して対立する。難民の存在によってすでに現時点で広範囲に始まっていて、また将来においてもとめどなく拡大し続ける事柄は、世界中で人間が混じり合うという事態である。これはもはや止めることはできない。なぜなら現在、すでに存在しているその原因に(難民の大量発生)、エセ人道的理由から歯止めをかけることができないから。つまり、世界規模でのとめどない人種・民族の混合は不可避である。その結果、混合人種からなる人類と、宗教やその分派の混合が発生し、そこから様々な敵対関係と憎悪が生まれることも、また同様に不可避である。気候変動によって、全体としてこのような全世界を巻き添えにして損害を与える結果がもたらされる。特に、気候の変化によって、立場の弱い不安定な国の数が増え、そこから難民の流れが生じるから。このことはさらに当然ながら、難民の避難先である全ての国々で、難民の配分をめぐる深刻な争いが発生する。その規模は、独裁EUが加盟国に対して受け入れるべき難民の数を指示している現在のヨーロッパにおいて、すでに発生している争いを遥かに凌ぐものになる。プター2015年
2019.10.23
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