草想記

陰翳ある大人の街作り 松江への想い


 当初は自分だけの思いつきとしか考えなかった。一庶民の思いを取り上げてくれることはあり得ないから。たまに話してみて興味を持ってくれた方々も有ったのだが、その場の興味以上とは受け取れなかった。
しかし田中さんのノーベル賞受賞が私にも勇気を与えてくれた。万が一にせよ無名人の努力も認められる可能性もあると教えられたからだ。勿論、報われるかどうかでなくて、自分がしなければと思うことをするだけで良い。どうせ批判は他人がしてくれる。当座何人かの人々に見て頂いて共感されたこともあり、その後市役所へ投稿したこともあったが、そう簡単に取り上げられるはずもない。又別に売名の思いはさらさら無いので、ヒントとして思考のノウハウを生かして頂けたらと願うのみである。

象徴としての祭と陰翳の街作りへの一提言  

 日本での祭というイベントには元来地域を左右する宗教が中心になっていた。しかし移動が当たり前になって地域に完全に固定した社会でなくなった以上、都市部では在来型の祭は存続が難しくなっている。人口の移動が祭への参加者中特に若者の不足をきたし、アルバイトを雇わなければ実行できないところも多い。たぶん当地の代表的なイベント、どう行列、ほーらえんや等も同様であろう。もともとイベントという物は、経済効果でみれば一過性である。その効果の有用性をを完全に否定するではないが、興行サイドの仲間意識・連帯感を別にして、実利としての結果中心で考えれば、効果はさまで大きくはないように思える。

 一方街の再生を真剣に考えれば、今松江に必要なことは将来を睨んだ独自性が観光客を惹きつけるだけの効果を伴う街作りで無くてはなるまい。他所の単なる模倣、二番煎じ以降の薄っぺらさではすぐ飽きられて持続性がない。但し早期から多少なりと経済効果を得られればこれに越したことはない。財政的にも無理は続かないからである。

 イベントに懐疑的な私があえて祭というイベントの設定として堀川を定紋高張り提灯凡そ三百で囲むという提案をする理由は、松江の橋北部の堀川は城の堀であり、武家屋敷地帯の象徴として普通の提灯ではなく格調を示す定紋入りの高張り提灯を門戸に掲げ、必ずしも以前の風情を持たなくなっている地帯に灯火と闇の織りなす省略の効果利用することにある。更には松江人の特性として、いわゆるお祭りに飛び込んで大騒ぎする風潮はないところから、 別な形の祭を提言したい。

 イベントは目的又はそのこと自体で終わる物でなくて、目的を果たすために役立つ手段でなくてはならない。物事を学ぶには大原則として、師、先達の求めし跡を求めず、その求めし物を求めよであるはずだ。学ぶは真似ぶから発したことではあるが、まねの中から創造的な物は生まれない。真似は何処までいっても真似で、学ぶには何を求めるかと言うことを知り、先人の精神と取り組む姿勢を得て自分に適した道を開拓することだ。

 高張り提灯三百の効果は堀川を明るくするためではない。むしろ陰翳の朧な環境を創ることにある。闇に近い朧は多くの不用なものを包み隠す。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を持ち出すまでもなく、この陰翳こそが都市部では失われた日本古来の環境ではなかったか。陰翳の町のイメージは古代の遺跡と伝説、松平藩にまつわる物語、八雲の怪談を串刺しに出来る可能性がある。

 高張り提灯は動かない。動きのあるものはインパクトが強い。それを補うために夜間遊覧船に船首に小柱と葵紋高張り提灯をしつらえ、橋下では前傾させて通過できるように屋根の部分と連動させて運行させる。可能であれば三日程度の祭の期間は五百円程度の料金に留めたい。又三艘に一艘くらい又一艘一人の割合でうるさくならない程度に邦楽の三味線、鼓弓、尺八、鼓などの演奏を爪弾き程度の音量で欲しい。各数寄者の自主的な参加を要望したい。時に可能なら畳一畳程度の仮舞台を付けて河上で一旦停めた船上で踊りや舞の一差しがあっても良い。座敷舞の日舞は畳一枚以下で舞う事が出来るのではないか。各流派の交替での競演があれば楽しい。これらは各自の自慢の晴舞台とすることで成り立つ。そのためにその場或いは後日人気投票による番付が出来ても良い。強制的或いは重い負担となってはとても続かない。やる方が面白いとかやり甲斐がなければ継続しない。

 この発想には参考にした先達がある事を付記しなければならない。今著名な存在となった風の盆である。二万三千の町で夜明けまで静かに踊り明かす踊りと三味線と鼓弓の哀切な音色に惹かされて、三日間で二十万から三十万近い観光客が訪れ、収容しきれない泊まり客が次ぎの町その次ぎの町と溢れかえるという。しかも地の利はともかく、交通は松江よりももっと不便な処である。

 祭と言えば騒ぎが付き物だと思われているが、盆踊りの中にはこの他にも静かなものもあるに違いない。第一松江人の性格はいわゆるお祭り騒ぎに向かないのではないか。不適なものは続かない。今までの観察によれば多くの松江人の祭への参加方法は多く観客になることである。花火大会、天神祭、佐田さん、武内さんにしても観客参加型で主人公になることではない。しかし二分法で観客と主催者参加者と決めつける以外に陰でもてなす人々も要る。松江屋商店が外来の客をどうもてなすかである。或いは松江そのものを商品、それも他にない特徴を生かしたイメージを伴う商品と考えるべきではないだろうか。とすれば祭はイメージ宣伝の好機である。

 町内毎に競うコンテスト型がよい。それも費用は安く如何に効果的であるかアイデアを競うのである。早稲田商店街及びそれから派生した各地商店街は安易に真似しようとしなければ参考になるだろう。この感覚が幾らかでも身に付けば普段の街作りの発想にも影響が期待できるのではないだろうか。これは極めて小さな存在ながら、商人として生きてきた自分の私案である。

堀川沿い家紋入り高張り提灯三百
  ( 陰翳の堀川明かり、松江の町のイメージ戦略)
 三百という数は橋と橋の間隔から凡そ割り出したものである。ぎっしり並べる必要はない。あくまで家屋の軒先に無ければわざとらしい。もし寂しすぎるとあれば堀の反対側にこの場合家紋無しの別種の祭提灯を置くことでカバーすればよい。インターネットで提灯について調べると意外と安価で高張り一つ一万円ぐらいとあったがどう見ても小さく安っぽいものであった。何年も補修しながら使うためにはしっかりしたものが望ましいし、見栄えから言ってもあまり小さく貧弱では困る。某家で特注したところ一張り十五万だったそうな。しかし三百という纏まった数なら十万以下で出来るのではないか。家紋を手書きにすれば大変だが当節はパソコンでフィルムにプリントすることが可能だからそれを貼り付ければかなり安価になろう。骨を金属に油紙張りでなくビニール引きのクロス張り、火災の危険と持続性からして光源は電球又は蛍光灯。補修保管の問題等もあるが折り畳みが出来るからさほど大きな倉庫はは不用だろうし、場合によれば各家庭での保管もあり得る。

 以上から考えて一年で駄目になるものではないから、新調時はともかく補修、補完費用等を考えても年間当たりの費用はさほどにはなるまい。安く上がって効果的であって欲しいのである。此の環境を更にふくらます提案が多く出て貰いたい。 

 祭に限定せず恒常的な幻影都市を造り出すためには、市街地の一部をガス灯にするのも一案であろう。陰をなくそうとする都会に対し、折角残って居て利用価値のある陰翳を大事にするのは逆手の戦法と思える。光量の大きさで競ったら都会地やディズニー・ランドに太刀打ちは出来ない。不得手な武器や偽物で戦うのは愚かだ。仮に一時期何とかなっても所詮偽物には本物の持つ力がないばかりか、目先が良ければ恥も外聞もなく飛びつく不面目が子孫に残る。かつて各地にはびこった○○銀座、××銀座の命名のその後を考えれば判る。本物の銀座を上回るどころか、迫った所が一ケ所でもあっただろうか。考え方を学ぶのと真似の違いである。

堀川の紫陽花トンネル
 以前、堀川の京橋付近の石垣から生じていた見事な紫陽花があった。整地の為いとも簡単に取り去られたのは残念だったが、遊覧船から左右の石垣に紫陽花を眺めながら通行するのは風情あるものと思える。時期的に日本列島梅雨の時、当然観光客は減る時期だろうが、鎌倉の紫陽花寺が喧伝されると言うことはそれなりに不可能ではないことと思える。鎌倉の紫陽花寺、箱根の紫陽花鉄道は著名だが川面のトンネルは今まで耳にしたことがない。

逆転の発想からすれば、雨の松江の風情を売り込むチャンスでは無かろうか。しかも紫陽花は意外と強い花のようである。紫陽花は枯れた後が見苦しいが、 その伐採くらいはアフター・ケアとしてやむを得ないだろう。お客がその時期に目指してくれるようになれば十分効果的だ。これに更なるプラス・アルファー、例えば多段式の花壇で他のシーズンにも花があるようにとかが欲しいところだ。 

並木千本株主の募集  街路に植える我が家の樹 
 各通りに例えば欅通り、銀杏通り等の通称が将来は生まれるように、市内を樹木と花で覆うのは将来に成長させ得る楽しみであろう。単に古びるだけのものは要らない。子孫に残すものは古道具ではなく骨董品になるか、年月と共に成長するものでなくてはならぬ。株主としていくらかの寄付(一万円前後か。)をした人の姓名を表札にして掛け、その人に以後も自分の樹に関心をもたせ、子孫にあれは我が家の樹だと伝える配慮もあって良い。勿論持ち主に交替もあり得るだろうが。

花の名所寺チェーン 
 規模的に市内に多くある寺は、スペースから言って個人宅より可能性が多くはないだろうか。葬式専門でなく生きている町の住民との交流、又は観光客に気軽に覗かれる場所として参加を要望したい。季節を変えて紫陽花、木蓮等基本的には和花がふさわしいかと思うが、大胆に洋花でも面白いかも知れない。又市役所前公園等は市の花としてからも椿苑であって良いのではないか。神魂神社付近にあると聞く、個人所有の椿苑なども補助金を出してでも発展させたいものだ。

音楽を活性化に取り入れたい。
 音楽の通り 例えば姉妹都市としてニュー・オルリーンズ通り、ジャズやゴスペルその他何でも。 殿町のカラフルストリートの道はそれしかないのでは。楽しげな音が聞こえるなら同時に、現在名目だけになっている京橋遊覧船発着場の活用にも繋がるはずだ。 若者による若者向きの一寸しゃれた屋台を、飲食系なら最低限、味の審査が必要。ファッション性を含めて評判になる程のものが欲しい。一日数千円とか月数万円で、若者に限らぬが実験店の機会を与えるのは如何か。数十店のうち一店が育てば意味があるのでは無いだろうか。実務を若者が経験するのは、仮に成功に繋がらなくともその人にとって無駄にはなるまい。彼らの屋台実行委員会連絡会でも行われて、互いに考える機会や連帯感がなにがしかでも生まれれば、それはそれで意味があるだろう。

勿論これは仮説ではあるが、一つの方法として、島根大学の各サークル、クラブと連結するのはどうだろう。例えばあるクラブが代々一つの店舗か屋台を継承する。単品勝負だからホット・ドッグならホットドッグのノウハウを先輩から後輩へ教え込む。なにがしかの利益を生めばクラブの運営費が豊かになる。食品衛生法その他問題点は幾つもあろうが、そこを何とか乗り切ってこそ若者ではないか。但し学園祭の続きのつもりでは間違いなく赤字になる。義理張りでは店は成り立たない。先輩は常に交代で店のチェックをしなければならない。

土産品
 在来の土産品は各商店その他で自家開発が当然だった。その中には勿論すぐれた物もあったに違いない。しかし独自性に乏しい類似品の多い物も結構あったであろう。独自性があって魅力ある物などそう簡単に出来はしない。プロにはプロの自負もあり、以前ある分野の専門家に素人の発想は千あれば九百九十九まで一目見ただけで駄目と判る。しかし千に一つプロの自分たちの盲点をつく、つまり専門家には想いもよらぬ物が出てくると言われたことがある。未熟な素人の発想には落とし穴も多いのは当然だが意外性の可能性もある。千に一つを拾うため例えばインターネットを利用して投書箱式に常時アイデア募集を行い、一般地元以外からも募っては如何。伝統を生かすも良し、新規な物が生まれればさらに良い。

 ( その昔全米第一の電機メーカー、ジェネラル。エレクトリックが、トースターの過剰在庫を処分するためし賞を懸けアイデアを一般から募った。膨大なそして常識的な返答の中に一つだけねずみ取りを附属させると言う突飛なものがあった。食品を扱う器具にねずみ取りとは意外に過ぎるが、不審に思って係員を派遣して問うと、当時の飛び出し型のトースターは底にパンくずが残り、そのため台所にねずみが出て困るから、いっそトースターにねずみ取りを仕掛けたらと言う回答を得た。その事自身は不可能だが、水平思考した会社側は底蓋を簡単に開閉出来るようにしてパンくず掃除を簡単にしたところ、在庫を一掃した上大増産体制が必要になったという。一見幼稚に見えるアイデアでもその中に活かせる物がないか慎重に取り扱わねばならない。取り上げる眼があるかどうかでもある。
 これと正反対の事例に、日本で電機メーカーが社内でアイデア募集した折、朝起きた時には飯が炊きあがっている器具が欲しいというのがあった。ほぼ同時期二社で同じような事例があったそうだが、一方の会社の重役は何を怠けたことを言っているかと一喝し、もう一方の会社は同様の提案を取り入れた。現在では無い家を探すのが難しい炊飯器の黎明期である。どっちが出遅れたかはあえて言う必要もない。ただ蛇足を付け加えれば最初に成功した会社は電気炊飯器の撫で売り出した。しかし二番手ねらいで有名な某社は電気釜の名前で主婦の親近感を得て爆発的に稼いだとか。上には上がある。)

 但しそのアイデアにより土産物以外でも何かが芽を吹いたときには、手を加えた部分が大きかったとしても最初のアイデアマンに、相応の報奨金と感謝状を贈るべきである。今回のノーベル賞の田中さんのケースである。これをケチったら後が続かない。             

堀川遊覧の花嫁船
 堀川遊覧船に本物の花嫁一行を乗せて周遊させる。一日何組か予約して貰う。契約料は半額かただ。しかし花嫁さんに橋の下で余り窮屈な格好はさせられないから、コースは限られるかも知れないが最高の見物ではないか。橋の上から川縁からおめでとう、お幸せにと掛けられる祝辞は地元人、観光客をも和ませる絶好のチャンスとなる。結構希望者もあると思うし、中にはその船に乗りたさに松江で結婚式を挙げてくれれば団体客誘致にも繋がる。
柳川の花嫁船は往復だけだそうだから、又趣も違ってこよう。

和服の街
 一見して和の街の印象は建築物の佇まい、街並のあり方もさることながら
各人の意識が高まれば人による事が一番大きい.
 各個の費用分担も所有物の再利用を旨とすれば、男女を問わず和服の着用率が高まれば外来者の目には最も効率的に訴える事が出来る.以前から不思議にだったのだが、和の関係者が和服系を仕事着に採用しないのだ.間違いなく仕事着に採用しているのは僧侶神官の類いだけであろう.
 街には和の関係の仕事はまだまだ生き残っている.例えば呉服店、和風小物販売関係.履物、和菓子屋、和物職人系、活動性に乏しい面もあろうが、男性を主として車使用者たちなら作務衣と言う手もある.店頭販売に携わるなら動作と楽に着れる点から言って小袖と言う方法もある.元々女も労働に励む必要があった時代の着物であり、着脱が簡単で緩やかに出来ているし固い帯で締め上げる必要もない.しかもこの地方はその時代に出雲の阿國というスーパー・モデルをもっているのだ.元々は十二単の下着だったそうだが、安土桃山、江戸初期と最も変動し外来文化迄柄などに取り入れた自由闊達な時代の物なのだ.今新しい目でその効用を見直し現代感覚をも大胆に取り入れられ、伝統を担いつつ新たな発展に寄与する意味を十分に持っていると考える.

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