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家人に「ジュリアーノ ジェンマを見かけたときって、ひとりだった、奥さんと一緒だった?」と聞いてみた。「いつもひとりだったよ。」という。最愛の奥さんババはイタリア国営放送ライの新聞記者だそう。ふたりの娘、ジュリアーナとヴェラのうちひとりは女優をしているらしい。彼は晩年もスポーツ愛好家で、テニス、水泳をこなしていた他、美術愛好家でもあった。(彫刻家だものね)今日の新聞によれば、高速の入り口でなく、自宅近くの道で事故は起きたらしい。彼も田舎暮らしで最愛の女性たちと犬と住んでいたようだ。彼のラヴストーリーについては次のように述べていた。「ストーリーの質が、数よりも大事だ。映画セットでのストーリーは行程上の事故。共犯性を作るために生まれるけれど、映画が終わるとストーリーも終わる。心地よい短い合間の話。」有名なイタリア女優のステファニア サンドレッリやクラウデイア カルデイナーレなどとのストーリーも内容の濃いものだったと話していた。
2013.10.03
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寒いけれどよく晴れた日。ローマは最低気温マイナス2度とか。私たちが住む田舎も、車のフロントガラスが凍っていた。*最近妹に教えてもらって溶解スプレイをゲットしたので安心*そんな日、ローマのとっても素敵な場所にあるアルダフェンデイ財団の建物で現在展示されているミケランジェロ展に寄ってみた。フェンデイは、宣伝してあげるつもりはないけれど、トレヴィの泉の修復のスポンサーになったり、遺跡発掘のスポンサーになったり、またEUR(ローマの新市街地区のひとつ)にあるフェンデイビル*いわゆる四角いコロッセオと言われる建物で、建築関係に興味がある方は是非いらしたらいいと思う*では、素敵な展示会が行われたりしている。フェンデイのレストランも何年か前に仕事で行ったことがあるが、とってもお洒落だった。この場所は、ちょうどローマ発祥の地と言われるパラテイーノの丘のふもとにあり、ヴェラブロという地区*フォロロマーノとテヴェレ川の間に或るところで、古代ローマ時代には湿地だったものを、大下水道になるクロアカ マッシマが作られて市場などが作られて行った場所になる*フェンデイビルからヤヌス門を見下ろすヤヌス門の前にいるリノチェロス(サイ)*俗にヤヌス門と呼ばれているが、物事の始まりと終わりの神様ヤヌスに関係があるという訳でもなく、二つの重要な通りが交差するという意味でローマ帝政時代に作られたものらしい*フェンデイの建物は、1600年代の建物を今回外観をなるべく変えないようにと修復がされたそうだが、内部は昔のものをある程度保存しながらとってもモダンになっている。内部には展示(現在はミケランジェロの家からのデッサンやエルミタージュ美術館から来ているうずくまる若者の像)のスペースの他、高級ホテル、アパートメントおよびレストランが入っている。*ちょっと奮発して変わった場所をという方には良いかも知れない*で、問題のミケランジェロの彫刻はというと、どこにもこの彫刻については記載がないため、確かに彼の作品かは分からないらしいが、肉体美を見ると非常にミケランジェロに近い感じがすることは確か。大英博物館にこの彫刻のデッサンが保存されているという話もある。うずくまる若者Palazzo Rhinoceros di Alda Fendiアルダ フェンデイのリノチェロス館via del Velabro 9,00186 Roma或はVia dei cerchi 21,ミケランジェロの彫刻展示は毎日10時から19時まで3月10日までグループは要予約個人の方は予約なしで大丈夫連絡先はinfo@fondazionealdafendi-esperimenti.it
2019.01.16
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museo nazionale romanoはいわゆる昔、国立考古学博物館と言われていた所です。現在、ローマで4つの場所に分けられています。1.昔からの場所で、デイオクレテイアヌス帝の大浴場あと内2.その傍にあるパラッツオ マッシモ3.クリプタ バルビ*ヴェネチア広場近く*4.パラッツオ アルテンプス*ナボナ広場近く*今回私がご紹介するのは、2のパラッツオマッシモです。さて、ローマ一番の大きな駅、テルミニ駅から徒歩5分。ちょうど、デイオクレツイアヌス帝大浴場を見て、手前左側にあります。テルミニ駅の名前は、映画にあった終着駅だからそういうのではなくて、テルメ、大浴場傍ということで名付けられています。この辺は、1500年代後半法王シクストスV世が大きな庭付きのお屋敷を持っていた場所です。その場所に、1800年代新たにお屋敷が建てられたのが、今のパラッツオ マッシモとなっている訳。ここでは、古代共和制ローマ時代から、ローマ帝政時代の多くの素晴らしい芸術作品が見られます。たとえば、歴史の中で解かされてほとんど残っていない、貴重なブロンズの彫刻。これは紀元前4世紀ギリシャの有名な彫刻家だったリシッポス工房の作品で、休憩するボクサー。古代ローマ人はブロンズのギリシャ彫刻から大理石でコピーを作って行った訳ですが、これも有名なギリシャの彫刻家ミュロンの模倣で、円盤投げ。重要なところでは、シーザーが作ったシーザー暦*破片でしか残らないのですが*もあります。貴石をはめ込んで作られる象嵌細工で、これは太陽神。アレクサンダー大王死後に流行ったミトラ教が、古代ローマにも入って来ていました。細かい細かいモザイク画です。先日ヴィッラ リヴィアのフレスコ画を紹介したときに言い忘れましたが、空の色に使われたブルーはラピスラズリという石から採られていました。だから、よほどお金がある人でないとブルー系統は使えなかった。もちろん、アウグストス帝の奥さんは問題なかった訳です。ご紹介したのは、ほんの一部ですが、ローマと言えばヴァチカン美術館だけではないのです。こんな観光客があまり来ない所で、ゆっくり美術品を見るのも、いいと思うのですが。サイトもありますので、ご参考までに。国立ローマ考古学博物館
2011.12.14
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トレビの泉後ろのピラネージ展を大急ぎで見た後、実は、ヴィクス カプラリウスという場所に足を運んだ。ここは古代ローマ時代の小さな道、ヴィクス カプラリウスが通っていた場所らしいのだが、すごいのは、少し前に古い映画館トレビのある建物の地下工事をした際に発見されたのが、トレビの泉の前身ともいえる、古代ローマ時代の噴水というか、アクア ヴェルジネ(乙女の水)という水道がでる公共の泉があった場所であったところが出てきたこと。古代ローマ時代のインスラからドムスへと変身した建物跡。泉の水が奥に出てくるようになっていた。古代ローマのドムスから出てきた彫刻が沢山。もちろん、その時代からそのまま泉が地下にどんと残っていた訳ではないので、そこにインスラという貧民アパートがあった時代からドムスというお金持ちの屋敷になったり、また中世の時代に至るまでさまざまな変身を遂げて来た。発掘された際に出てきたいろんなものも、この場所に展示されていて、非常に興味深い。トレヴィの泉から徒歩3分の場所だが、現在は予約制になっているので注意。電話 *39*3397786192WhatsAppからもリクエスト、回答可能なので、興味がある方はどうぞ。www.vicuscaprariusu.comVicolo del Puttarello 2500187 Roma
2021.06.01
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イタリアのマフィアと闘い、20年前のちょうどこの時期に、彼らが仕掛けた爆弾によって亡くなった裁判官がジョヴァンニ ファルコーネ。ウイキペデイア日本語でも彼について良く書かれている。パレルモ空港から市内への道に爆弾が仕掛けられ、護衛と共にまた、彼の奥さんも一緒に亡くなった。彼は、RAI(イタリア国営テレビ)のインタヴィウで、何でも始まりと終わりがあるのだから、マフィアも始まりがあり、終わりがあるはずだと述べていた。彼が亡くなったのが、1992年5月23日であったことから、先日はイタリア中で反マフィアに対するデモが行われていた。
2012.05.25
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ローマあるいはローマ周辺の教会を回ると、こんな床模様にめぐり合うことがよくある。中世にローマの職人さんの名前からコスマと呼ばれている模様だが、実は床だけでなく、例えばキオストロなどにも使われた、もともとはビザンチンあるいはアラブからくる幾何学模様を言う。(アラブでは例えばグラナダのアルハンブラの装飾にも見るように、実際の像を作ることができないため幾何学で表現すると聞いている)コスマは、実際には大理石職人のヤコポ デイ ロレンツオの息子だったらしい。私が特に好きなのは、サンジョバンニ ラテラノ寺院のキオストロだ。使われている大変美しい色大理石は、実は皇帝の宮殿などに使われていた貴重なものがはがされて再利用ということになる話は一応書いておこう。また、皇帝たちは地中海沿岸に自分たちの素敵な石が採れる石切り場をもっていたことも。中で一番高価なものは、濃い赤色の斑岩、エジプトで採れたもので、非常に硬い石であるらしい。あまりにも硬いために彫り方がわからなくなっていた時代もあったとか。次に高価なものが、パボナゼット。紫のまだら模様のが特徴。トルコの内陸部で採れたために非常に運搬にお金がかかったそう。私は床フェチだからよく床ばかり見ているが、ローマの教会床巡りというのも楽しいかもしれない。
2024.06.27
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毎年5月半ばに行われる自転車レースのジロ デイタリア。イタリア各地を選手たちが自転車で登ったり降りたりするレースだが、知っている場所が出たりして*通常はテレヴィの中継を少し見る*かなり楽しい。今年はどういう趣向だったのか、イタリアではない、(昔古代ローマが征服した)イスラエルから出発して、シチリア、イタリアの各地を経て、最終日はローマ。ちょうどその前の週にアンチックカーのレースになる1000ミリアがローマに入っていたのだった。が、今回のジロ デイタリアのローマで使うコースを見ると、完璧に旧市街を使うことになっていたので、街中で見られるなとは思ったが、観光などはかなり難しいだろうなとは思っていた。例のごとく、開けてみないとはっきりしたことは良く分からない。でも、地下鉄コロッセオ駅は閉鎖になったり、もちろんレースが使う通りはかなりの制限があった。でも、ちょうどご一緒だった方たちが泊まっていらしたハスラー前はレースのコースになっていたので、帰りがけ選手たちがつ~!!と通るのを見た!やったね。帰宅して家のテレヴィでもまだやっていたが、ローマの中心から南北に延びる通りが使われて、11キロのコースを10周したのだ。いつも私たちが使う通りがコースになるなんて。選手側からはどうなんだろうと翌日の新聞を読んだ。やはりコロッセオの横を通過したりするのは、非常に気持ちがいいらしい。ただ、ローマの道路舗装が非常に悪く、穴が多いし、石畳も穴があるので、タイヤの空気を抜いたということだった。オーガナイズ側からは、一年前にもう分かっていたことなんだし、たった11キロなんだから、道路はきちんと直せなかったのかと言うことだったが、やはりローマ市長とその周りにブーイングはと思うな。システイーナ通りの石畳を通過するジロ デイタリアの選手たち
2018.05.30
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サッカー音痴の私がサッカーの話をすると家族に笑われるのだが、今日に限ってはどうしてもサッカーの話になってしまう。昨日は、まずモナコのGPでフェッラーリが一位になり(今年はさえているかもシュミ以来16年ぶりとか)それはいいとして、自転車のジロ デイ イタリア最終日は、シチリア出身のニバリが3位とちょっと残念だった。サッカーの試合ローマ対ジェノアではトッテイが現役最終日ということで、ローマのオリンピックスタジアムが超満員。(6万人だそう)3-2でローマの勝ち。試合後、トッテイの挨拶があった。これで25年ローマで活躍してきたわけだが、ずっと最後まで引退しない気がしていた。(彼自身、いつまでたっても引退したくないと言っていた)個人的には、ローマファンの音楽家モリコーネが先日TVでやはりトッテイはここで引退するべきだと思うと言っていたので、最近納得していたが。ファンは涙涙。トッテイも涙をこらえながらのスピーチで思わずもらい泣きをちょっぴりした夜だった。(彼のローマでのキャリアは私のイタリア暮らしにちょうど時期が重なることもあって、特別感慨深い日だった)彼はこれからが大変だと思うけど、みんなに助けてもらいたいとファンに話していた。(彼の率直さがこれほど愛される理由のひとつかも知れない)彼の有名ファンには、映画監督のカルロ ベルドーネ、女優のサブリナ フェリッリ、歌手アントネッロ べンデイッテイなどがいるが、みんな昨晩はスタジアムにいた。
2017.05.29
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自分の住む地域の再認識のひとつとして、最近古代エトルリア文化についての本をいくつか読んでいる。ちょうど、ローマにあるエトルリア博物館の館長さんが推薦本をいくつか挙げてくださったので、そこから何冊か本を注文してみた。一番気に入ったのは、子供用に書かれた本だった。絵が沢山入り、とっても分かり易くて楽しかった。今はマリオ トレッリという、近年亡くなった有名な考古学研究者のエトルリア人の歴史という本。エトルリアは、現在もエトルリアと呼ばれる地域がちょうどフィレンツエを流れるアルノ川とローマを流れるテヴェレ川に挟まれる場所だから、そこに限っていると思うイタリア人が多い。ところが、エトルリア人はいろんな場所に進出したために、例えば、北イタリアのパダナと呼ばれる、ボローニャから北のポー川の領域や、またラツイオ州南部からカンパニア州にかけても、エトルリア人が関わっている。そのため、あのポンペイも、実はエトルリア人の街であったということが分かっているし、またマントヴァは、エトルリア人の冥界の神マンスに関わる名前から来ているという。マリオ トレッリ氏の本に依れば、マントバは、ペルージャ出身の英雄、アウクヌスが創設したとか。びっくりでしょう。だから勉強はすればするほど、いろんなことがつながってきて楽しい。今の時期はそうやって自己啓発活動に励もう。追記:本は読んでもすぐに忘れてしまい、また再読しなくてはいけないのが最近は悲しい。エトルリア人の富は彼らの鉱物抽出に依るものであったことは良く知られている。ナポレオンが流されたエルバ島は、昔、エトルリア人の鉄鉱山があり、鉱物鋳造のための多くの煙突からの煙がすごかったらしい。鉄鉱山については最近まであったのだが。そこで、ギリシャ人たちが、この島のことをアイタリア、つまり煙がすごいという意味らしい、と呼んだとか。
2021.03.02
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