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2009年11月14日なんか不思議。遠くの施設に入居してるってかんじ。先日ハウスメーカーから15年点検のお知らせがあって、「あ。もう15年?早っっ」と思うと同時に母を亡くして15年目になるんやなぁとおもった。家が新しくなって、ひ孫のテンちゃんも生まれての2009年。現在、テンちゃんは中学3年生よ。この年の3月に踵を骨折して入院してから認知症がひどくなった。自宅に戻っても不穏が続き、デイサービス、ショートステイを利用しながらグループホーム入所の順番がくるのを待っていたっけ。母は柿が大好きで、しかもかな~り熟した柿を好んで食べていた。「ばーちゃん、柿 すっきやったな~」「うん。今日買って帰ろ。」私は熟した柿は得意じゃないので、富有柿を買ってきた。『あぁ~ おいしい ごめんね~ かわりに私がいただくよ~』ダンナとふたり、母の思い出話をしながら食べたのでした。写真の植物は「セダムミセバヤ」「か~わいい花が咲くんやで」と母がもらってきたが引っ越しのときにダンナが「いらんやろ」ってほかってしまって、庭のガラクタといっしょになっていたのを救済。花もなにも興味がなかったからだけど、捨てるこたぁなかろうに!この話をきいたブロガーさんが株分けしてくださり、新旧いっしょにこの季節を彩ってくれています葉っぱの部分が虫にかじられているので、レスキューしないと!です。
2023.11.14
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11月14日は母の命日です。享年83歳でした。2009年11月14日のブログあれから13年。テンちゃんが生まれた年に亡くなって。テンちゃんの成長とともに母の命日も重なっていく。母と過ごした日々をおもう。思い出すのは昔々のことじゃなく、母が70歳で仕事を辞めてからのこと。とくに認知症を発症した頃から介護に明け暮れていたころを思い出す。数年前からあれ?とおもうことはあった。自宅の建て替えとそれに伴う仮住まい生活。コンロに鍋をかけたことをわすれて黒焦げにしたことを忘れていた母。新居に移り1月にテンちゃんが生まれ、3月3日に踵を骨折して入院。認知症が急激に進んだのは入院してからだった。介護と仕事の両立が難しく、デイサービス、ショートステイを利用しながらホームへの入所を待っていた。6月グループホームに入所して5か月後の明け方、突然のお別れがやってきた。父が亡くなって2年後のことだった。13年前にお別れの儀式は済ませたけれど、いまでも私は母がいなくなったという感覚がない。どこかにいて会えない状態が続いている・・・という感覚です。今日は大阪府和泉市にある槇尾山へ行ってきた。西国三十三所 巡礼の旅 によるとここは第四番札所なんだそう。参道にある紅葉を眺めながら歩いて行ったが拝観時間が16時のため時間が足らず御本尊のある施福寺までたどり着けなかった。(御本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。日本唯一の大きな観音様だそう)春には桜が楽しめるらしいし、その季節に行ければいいな、とおもう。
2022.11.14
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posted by (C)yuriso きょうは母の命日です。 5年前のあの日は土砂降り でした。 葬儀もしたのに未だ亡くなったと思えない感情が続いている。 どこかにいる。 そういう感覚。 荼毘にふして骨壷にあるそれは紛れもなく母の遺骨だ。 なのに亡くなったと思えないなんて不思議な感覚。 母の死を受け入れられないとか 認めるとか認めないとか、そういうことじゃない。 肉体はなくても魂だけは、ともちがう・・・ ん~・・・ 傍にいないだけ、そういことかなー。理屈じゃないんだ。 私の心の中にいますとか、いつも空から見ていてくれます、とか そういうファンタジックな思いもない。 言葉にするって難しいな~。 『あ~・・・ 最近顔見に行ってないなぁ~・・・元気かなぁ~・・・』というのが ずっと続いている。 父もそう。兄貴もそう。 母をおもうのと同じ。 どっかにいるんだろうけど、ただずっとご無沙汰しているだけという感覚が続いてる。 天国で三人仲良くしてるだろう、とかだって思わない。何にも思わない。 それぞれ「遠い何処か」にいるんだという思いしかない。 母の居場所はそのときの自分の気持ちで変わるんだとおもう。 なんか・・・ そう思えてしかたないんだもん。
2014.11.14
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posted by (C)yuriso このセダムミセバヤは2代目。 移植したての頃はナメクジに葉っぱを食べられどうなることかとおもったが 翌年からぷっくりとした葉肉が多く残り、こんな可憐な花をつけてくれた。 初代は亡き母が知人からもらってきたもので、大きな鉢いっぱい四方八方伸びてくれ 多肉植物としても、花をつけたあとでも私たちの目を楽しませてくれていた。 なのに今の家を建てる際、引越しのどさくさに紛れて捨てられてしまったのだ。 「そういえば・・・セダムミセバヤは?」 「あれか?捨ててまったわ」 はぁ~!? なんで捨てるの。なんで聞かんの。 鉢もろとも畑に捨てられているのを見たときにホント腹が立ったわ。 ホント、意味わからん。 捨てる心理がわからんわ。 畑から戻し蘇生を試みたけど・・・ダメだった記憶がある。posted by (C)yuriso がっくりきていた私に救世主が現れたのです。 ブログがご縁で仲良くさせていただいている方が株分けしてくださったのです もう嬉しくて嬉しくて・・・咲きたて♪ posted by (C)yuriso 3年前の11月8日に撮影したもの。KISSで撮影。 「撮ること」の意気込みが感じられる一枚です(笑) この花を見るたびに母との語らいを思い出します。 5年前の11月14日。母はグループホームにて息を引き取りました。
2014.11.06
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生後7日のテンちゃんとご対面。 2009.1.29 posted by (C)yuriso posted by (C)yuriso 生後16日目のテンちゃんと母。 2009.2.7 posted by (C)yuriso posted by (C)yuriso 9ヶ月ちょっとのテンちゃん。 グループホームへ遊びにいきました。 握手は「また来るね」ってシルシだよ。 2009.10.4 posted by (C)yuriso ひいばあちゃんは11月14日お星さまになったんだね。 私は小さすぎてよくわからなかったけど、ばあちゃんは泣いてたよ。 もうすぐ5歳になるよ。おっきくなったでしょ。 こんど年長さんになるよ。 posted by (C)yuriso 妹と弟が生まれて、大きいおねえちゃんになったし。 posted by (C)yuriso ひいばあちゃんがおって、ばあちゃんが生まれておかあさんが生まれてぇ そしてぇ、私とぉ、マーとぉシューがぁ生まれたんやよね。なんか不思議。 こうして命は繋がっていくものですね。
2013.11.14
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この4年の間、1階のキッチンを使用したのはたったの2回。 当分の間使わないからと納戸兼サブの部屋にしていた。 とりあえず、とりあえず・・・としまっているうちに足の踏み場がなくなってきた。 ここらで整理整頓しとかないとサブの居場所もなくなるなぁ やりだすと止まらない性格の私。 ぐわぁ~~~とエンジン全開。寝る間も惜しんで7割まで片付けた。 寝たの5時半。眠い、眠い~。 あと3割、がんばって片付けるど~ それはそうと。 タイトルの「出てきた 出てきた」のお話にうつらないといけませんね。 財産はもちろん借金も残さず逝った母。 宵越しの金は持たないのを信条としていたのか、毎月きれ~いに使い切っていたようです。 むしろ赤字だったのではないかな。 それでも貯金を試みたのか(エライぞ、かあちゃん)、解約した通帳が数冊出てきました。 財産も借金もあればあるほど面倒なことがあるし、なくて正解だったわ 私にしたら娘孝行な人でした。 母が逝ってからそのままにしておいた箱の中を整理していると 古い写真や書簡とともに小銭入れと札入れ、お金が出てきました。posted by (C)yuriso 札入れには1万円札。 小銭入れには10円、5円、1円がぎっしり。 1円の棒金2本と、昔なつかし百円札もある。 合計10,635円。あるところにはある、遺してましたねぇ(笑)
2013.02.21
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ゾクゾク、ぞみぞみ、へぇ~っくしょぉお~んっ、の初期症状から1週間。 今回は喉の痛みも発熱もなく、軽めの風邪に罹ったもよう。 仕事休みだけど、いつでも出かけられるように化粧しといた。 たとえば、今日は資源ごみ回収日。 なのに持ってかなかった。 きのう仕事帰りに買い物したから、今要るモノないし。 サブの散歩にも行かなかったし、結局どこへも。 ずぅ~~~っと、一日中パジャマで過ごしたよ。 化粧してるのに服はパジャマ!なんじゃこりゃ!ってね。 宅急便とかきたらヤバイ恰好だね。 ジャージーがほしいと思った。もうずっと買ってないもん、ジャージ。 夏はハーフパンツとTシャツでよかったけど、さすがにこの季節、それじゃキツイって。 ジャージじゃなくてもいんだ。ホームウエアっての? パジャマじゃなけりゃいんだって。おなかを締め付けない楽~なパンツ、ほっしいなぁ。 それでいて、プチ可愛いの。 ・・・と、ここで突然 画像アップ。 柿は母の好物でした。 柔らかくて甘い柿。ワタクシが代わりにいただきやしょう。 posted by (C)yuriso
2012.11.22
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posted by (C)yuriso posted by (C)yuriso 11月14日は母の命日。 「大人の事情」により兄とは絶縁していたのだが、4年半ぶりに会った。 まーそろそろ大丈夫かな、と思ってね。 ん~・・・相変わらずストレス溜めさせるやっちゃ。 それはさておき。 兄の指先を見て驚いた。 「かあちゃんの爪の形にそっくりや!!ねー、ねー。おなじやない?」 「ほんとや。ばーちゃんとおんなじや」娘たちも口を揃えていう。 ネイルベット(爪の肉に接している部分・爪の台となる部分)の長さやカーブがそっくり。 オトコなのに。というか子供だもんね、似たっておかしくないわ。 風貌は父とそっくり。指先は母とそっくり。あの兄が。 どっちも母に似たらよかったな、私。 *兄の爪がピカピカなのは爪割れ予防のためネイルしているんだって。 ちなみにMr.マリックの爪もピカピカです。指先が注目される職業ですもんね。
2012.11.17
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そこかしこに咲いている彼岸花。 まんじゅしゃげ ともいうね。 うちの近くに咲いてる彼岸花。 駐車場なのにけっこうがんばって咲いている。 アスファルトなのよ、ここ。 ど根性まんじゅしゃげ、だわ~ こないだ、母の衣類を片付けた。 真新しいパジャマ、トップス、下着、たくさんあったが、私には着れないし他に着る者もいない。 黄色いポロシャツは母が最後に着ていたもの。 ジャージもそう。握り締めていたハンカチもここにある。 ぽろぽろ、涙がこぼれそうになるのをこらえ、袋の中に収めていく。78歳の母 posted by (C)yuriso 写真の朱色のポロシャツもよく着てた。上のベストもよく着てた。 薄くなった髪を隠すように被った帽子もたくさんあった。 オーダーメードのコートも捨てた。 全部・・・ 捨てた・・・ 楽しい思い出より、私は母にあたったことばかり思い出す。 ごめんね、ごめんね。 好きでそうなったんじゃないのに。 ほんとにごめんね。
2010.10.02
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うだうだ。 照り返しの強いベランダに洗濯物干して一息入れる。 「くぁぁぁぁぁ~、暑いなぁ~、今日も」 だんなのお母さんから電話が入った。 ナンバーディスプレイなのよね、だからすぐわかるの。 「もしもし。こんにちは~」 「は~い、こんにちは~、○島のばあちゃんです~」 「お久しぶりです~、暑いねぇ~、今日も」 「う~ん、ほんとにね~、毎日毎日暑かね~、みんな元気にしとらすの?」 「うん、元気よ。お母さんはどうなの?」 「毎日横になっとるよー、暑くて体がもたんもんねー。 だけどねー元気しとるよ。でもねー、目が見えんごとなって目医者行きよる。」 「見えないって、大丈夫なの?」 「外出ると紫外線が目にしみて目が開けられんごとなって、それで目医者行きよる。 目薬ばもろて、目薬ばさしてもうウチん中おるようにしとる」 「そのほうがいいって。外に出んほうがいいって。」 「う~ん、出んようにしとるわ。買い物でん、洗濯でん○○(ダンナの弟)に任せてウチにおる」 「家の中でも熱中症になるからさ、涼しくしとらなかんよー」 「そうそう。どうもならんかったらクーラーばかけるようしとるわ。○○がおらんでも、一人でも クーラーばつけるようしとる。暑いのかなわんもんねー」 「そうそう。そうやよ、電気代もったいないとか言っとらんと、我慢しんとクーラーつけんと」 「ほんとだねー、電気代もったいない言っとれんもんねー、こん暑さじゃーもー・・・」 「そうやよー、死んでまったらそれこそもったいないもんねー」 「ほうだわー。それはそうと、夕べはいいもん届いたんだわ、ありがとねー」 「いいえー、とんでもないデス~、いつも変わり映えしないものですケド、あははは」 と言いながら 『あれ?ダンナ、お義母さんに何贈ったんだろ?? まっ、いっか』 半強制的、いわゆるノルマ。会社の物販。 おい~、ダンナー。何送ったか教えといてよね。 ん?聞いたっけ?? はー、忘れた忘れたー 「そんな気を使わんでもいいのにー。うちからは何を送ろうかねー」 「そんなー、いいですよ、お義母さん。ほんと。何も送っていただかなくて。 お義母さんが元気でいてさえくれればそれでいいんですから。」 んふー ええヨメぶって答えちゃってます。 お義母さんはうちの母よりひとつ下。先月83歳になった。 うちのダンナが面倒みるつもりで長崎から呼び寄せたのは私と知り合う1年前。 いろいろ環境が変わり、今は義弟といっしょに、義姉の近くに住んでいる。 人に頼れない、自分がしっかりしなくちゃ!!という環境にいたからか義母は頭も 足もしっかりしている。 とはいえ、高齢者。これからはちょくちょく様子を見にいくようにしようと思う。 そんなに遠いところに居るわけじゃなし。
2010.07.22
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まだまだね、梅雨明けまで。 雨はうっとおしくて好きじゃないけど、ダイスキな紫陽花は雨の季節にぴったり。 カンカン照りの下で見る紫陽花は気の毒なくらい元気がない。 うちの紫陽花も終わってしまったよ。
2010.07.04
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もうすぐ「母の日」だから。 カーネーション買ってきたわ。 赤でもなく白でもなく、こんなの。 「まったー。こんなはっきりせん中途半端なもん買ってきて」って母ちゃん言うかしら。 いいじゃん。いいじゃん。 母ちゃんが居なくなって言葉のキャッチボールはできんけど、語りかける時間が多くなった。 一方的にしゃべって、問いかけて。もちろん返答は私にとって都合のいいこと いいじゃない。それでさー。
2010.04.29
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なんとなく。 両親のことを考えた。 私が生まれて、両親が亡くなるまでどれだけ一緒にいたか計算してみた。 父とは仕事の関係ですれ違いが多く、一緒に過ごした時間が少なかった。 ひと月30日計算で6年4ヶ月。 77歳で亡くなった父と過ごした時間はたったこれだけ。 母を100としたら12.4%だった 虫の知らせではじめて病院に泊まった翌日。 母をはじめ兄、娘、知人と一緒に父の最後を看取ることができたのに ずっとずっと一緒だった母の最後を私は看取れなかった。 施設の誰にも気づかれることなくあっけなく母は逝ってしまった。 なんて皮肉な運命なのだろう。 『人生は皆平等。帳尻合うようにできている』 これもそうなんだな、そう思った。 お正月は着物で♪ posted by (C)yuriso
2010.02.07
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いい顔して撮らせない母だった。 いつも あかんべーをしたり、ヘン顔オンパレードの写真たち。 これじゃ死んだとき遺影に使えないよって何度言ったことか 昔からまともなポーズを取らない母だということを裏付ける写真を見つけた。 ・・・やっぱり・・・ 今に始まったこっちゃない、とはこのことね お茶目といえばお茶目なんだけどね~ 今日は母の誕生日。生きてたら83歳。逝ってから50日。 今夜は家族で「お祝い」するよ。 ケーキとすき焼き。好きでしょ? ごめんね~、私がかわりにお腹いっぱい食べるからさ~
2010.01.03
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ああ、もー・・・ テンちゃん・・・ よいしょよいしょ posted by (C)yuriso おかあさんは眠いのだよ。遊ぼうでしゅ~ posted by (C)yurisoへっ♪♪ posted by (C)yuriso
2009.11.25
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婚礼も葬儀も多様化している。 しきたりを完全無視するつもりはないが 形式にとらわれず心をこめて送り出そうと決めていた。 写真と棺とお花。 それだけあればいい。 祭壇も受付も案内もいらない。 弔問に訪れた人はとまどうかもしれない。 だけどそれがベスト。私が思う母の送り方。 葬儀屋さんは決めていた。3年前父がお世話になったところだ。 柔らかい笑顔で言葉をかけてくださった奥さんに促され会場を見ると・・・ 母の遺影が花に埋もれている!! 「ありがとうございます、ありがとうございます」 何度もお礼を言い私と長女は涙がとまらなかった。母 posted by (C)yuriso母2 posted by (C)yuriso 限られた予算のなか ここまでりっぱな祭壇にしていただけるとは思わなかった。 父のときは会場が押さえられず斉室を借りた。 6畳弱の部屋なので祭壇なし(作りようがないくらい狭い)、花なし。 とりあえず神道らしきしつらえにはしたが超々シンプル。 入れ替え制でおまいりしてもらったほどの狭さには閉口した。 遠方から来ていただいた叔父さんたちの休む部屋もなかった。 そのときを知る人が「おやっさんのときよりかいいな」と話していたらしいよ(笑) 私もそう思うもん。母はラッキーだったよ。 母への葬送曲は「愛に抱かれて」「My Best Of My Life」 元気が欲しくて買ったSuperflyのアルバムからの2曲をセレクトした。 フェードイン、フェードアウトがイマイチだったけど(笑) 突然のリクエストにも快く応じてくださり感謝している。 父と母の葬儀を経験して自分の葬儀のあり方を考えた。 これでまたひとつエンディングノートに記すことが増えたyurisoです。
2009.11.18
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私が小学5年になってから「外」で働き始めた。 それまで 長距離トラックの運転手をだんなに持つ母は、時間の融通が利く内職をしていた。 刺繍が好きで子供ブラウスの襟に刺繍をする内職をしていた。 近くの衣料問屋で値札付けの仕事をしていたこともあった。 緑と白の千鳥格子のフレアースカートを社員割引で買ってくれたっけ。 3人兄弟の末っ子、私が高学年になると外へ職を求めた。 給食屋さん、スーパーのレジ係。いろいろ変わってたっけ。 そのたびに私は勤務先に通って母の仕事の手を休ませた悪い子だった 兄たちは就職して家を出、私ひとりだけになった。 父もいない母子二人だけの生活のため、今度は実入りがいい仕事を探し始めた。 収入がいいということは何かしら犠牲が伴う。 母と私は時間のすれ違いが多く、学校から帰るとこたつテーブルの上に小銭が 置いてあった。 朝ごはんもそう。今でいうコンビニに菓子パンを買いに行ったっけ。 母の服はほとんどオーダーメード。 小柄というのもあるが既製品もそれほどなかったんだとおもう。 採寸、仮縫い、本縫い。大きな鏡の前にいる母を私はうらやましく思った。 「贅沢しやがって」 父はいい顔をしなかった。 高給取りと言われていた父、高度成長期真っ只中、毎年昇給していた。 だけど、うちは裕福じゃなかった。 どんないきさつでなのか、父が買ってきたのかわからないがテープレコーダーが 家にあった。 聞いてる声と録音した声が違って聞こえてワーワー言ってたことを思い出す。 けど、それはすぐになくなってしまった。 「質草」になったからだとずいぶんあとになって聞いた。 買い戻すつもりはあったようだが、デッキの存在を忘れてしまうくらいの年月が経ち 二度とわが家に戻ってくることはなかった。 母が浪費に走る原因はあった。どっちもどっちだと、大人の事情がわかる年齢に なったときそう思った。 贅沢なことといえば、母は自宅で「美顔エステ」をやってもらっていた。 POLAさんは昔からやっていたのね。ひょっとして母はモニターだったのかな。 気持ちよさそうに施術してもらっている母の顔を飽きることなく眺めていた。 思えば母は・・・ オシャレさんだった。 シャンプー、リンスも早くから使って私にも使っていた。 友達の髪は石鹸で洗髪、バシバシだったが、私のはサラサラヘアだった。 マニュキュアもしてた。 なんだろ。母は流行の最先端とまでいかないがそれなりに情報をキャッチして 取り入れていた。見栄っぱりなとこもあったかな。 2年前くらいから眉墨を引くこともほとんどなくなっていた。 顔を洗うことさえ忘れてしまった母。 11月14日、長女と私は母に化粧を施した。 生前母は「○○さんはお肌が艶々してますね~」とスタッフさんに褒められていた。 (POLAさんのおかげ、ですかね) 筋肉が緩んだこともあるが、皺の少ない顔にファンデーションがするするのびた。 仕上がりはばっちり ホームのみなさん、参列した方々にも「きれい~」と 言っていただいて嬉しかった。 冗談でしょうが葬儀屋さんに「うちで働きませんか?」と言われちゃいました
2009.11.16
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11月13日の金曜日。 仕事中から左足親指が痛くて曲げられなかった。 歩行に差し支えるくらい 膝や腰、お尻まで痛く左足を引きずるように歩いていた。 帰宅後、湯船にゆっくり浸かり関節の曲げ伸ばしを試みたがとんでもない。 激痛が走るとはまさにこのことだ。 『明日は○○整形に行ってこよう。そうだ、久しぶりに母の顔見に行こう』 病院帰りに、ついでに母の顔見に行こう、ついでに、なんて 今は足の痛みのほうが母の面会より勝っていた。 何かあればホームから連絡がある。熱が高いとか、病院に連れて行きましたとか お薬飲んでいただいてます、とか。 何もないのは元気な証拠とばかりご無沙汰していた。 それだけ母は普段と変わりなく過ごしていた。 なのに14日未明突然逝ってしまった。 そういえば・・・ あれだけ痛かった左足。ぜんっぜん痛くないのだ。 次女が「おばあちゃんが持っていってくれたんやわ、いっしょに」 「そうかなー、そうかもしれんな」と私。 オットが言っていた。 「顔を見せにこんかーと怒っとったんちゃうか」。 うん。少しはそう思ったりしたよ。 母には前兆がなかったが、私にとってある意味それが予兆だったのかも・・・ ほっぽらかしててごめんなさい。
2009.11.16
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お正月並みにくたくたに疲れてブログ更新はできないと思った。 だけど、ほんの数行くらいは書けるもんだ。 11月14日午前3時20分、母が急逝しました。 土砂降りの中車を飛ばしホームへ向かう。 母の亡き骸を目で確かめた。 頬の冷たさが手のひらいっぱいに伝わった。 なのに心は母の死を受け入れられない。 『母はまだグループホームにいる』 ごくたまに見せる薄い笑顔でも私は嬉しいし『母はいる』そんな思いが続いている。 母と過ごした「最後の夜」と「最後の朝」。最後の朝 posted by (C)yuriso お別れの日、澄んだ空気と青空が広がっています。 母の笑顔を胸に刻んで泣きました。 参列していただいた皆さんにちゃんとご挨拶できなかった。 ごめんなさい。今日は晴れ posted by (C)yuriso
2009.11.15
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げんきです もちょっとしたら復活、いたします
2009.11.15
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お手紙と一緒にクリスマス会のお知らせが入っていましゅた ちゃんばーとじいじと伯母ちゃんとおかあしゃんと行くでしゅよ。 みちえばーちゃん、待っててくだしゃいねっひいばーちゃん、ちゅっ☆☆ posted by (C)yuriso
2009.11.09
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母がお世話になっているグループホームから封書が届いた。 ケアマネージャーが作成したケアプランと施設利用の請求書だ。 今回大きく違っているのは9月にPEGになったため、そのケアが増えたことだ。 他はほとんどかわりない。 入所したての頃に比べるとかなりレベルダウンしているのがわかる。 要介助でトイレに行けたが今はオムツで排泄。 ほとんど寝たきり。食事は流動食。 振り返ってもしようがないとはいえ3月までの母を思うと涙がとまらない。 最近の母の様子を教えてもらった。 言葉の発語はかなり減少。単語を時々言われるのみです。 脈拍、頻脈です。(110~120台多い) 便が硬めで排便困難あります。 4、5日出ないこともあり、また痔もあります。痛みあり。 ほとんど寝たきりになってしまった母。 Dr.「体動かしてる?」 私 「いいえ。ホームとしてはしていないみたいです。 私が行ったときはちょこちょこ手や足を動かしてやるんですが、 デイみたいにプログラム組んで皆でまとまって何かすることがないようですし、 母個人だけお願いすることができません。 刺激を与えるという意味でできるといいのですが、私も毎日通うことが できないんです」 Dr.「無理にしなくていいですよ。おかあさんの顔見に行ったときしてあげれば。」 私 「音楽やラジオとかどうですか」 Dr.「いいと思いますよ。よく施設で童謡とか流してるとこありますが、おかあさんの 好きな音楽をかけてあげるのもいい刺激になると思いますよ あと、スキンシップ。本人が嫌がるようならむりにしなくていいです。 手をさすってあげるとか髪をなでてあげるとか、言葉をかけてね。 よかれと思ってしても、中には触られたくないという人もいらっしゃるから、そこは おかあさんの様子を見ながら、表情を見ながらしてみてくださいね」 母のことで脳神経の先生にお会いしているが、今度は私が診てもらいたい。 そんな今日この頃である。
2009.11.08
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昨日は母の「定期受診日」だった。 15時45分受け付けして終わったのは18時40分。 およそ3時間 今回は本人不在の受診、私が今の容態を説明し薬を処方してもらうことにした。 実際、母を連れての3時間はきついって。 脳神経科の先生は「状況はわかっているから無理に連れてこなくてもいいよ。 何かあったら連れてきてください」と言ってくださった。 循環器科は心臓の頻脈のこともあるので2ヶ月に一回受診する。 来月24日がその日になる。 順番を取りに行き30分前くらいになったらホームに連絡、それから連れてきて もらうようにした。 固形の薬を粉にしてもらう時間も半端じゃないのだ。 うん、これからそうしよう。 薬はあとから届ければいいのだから。 ほんとに疲れた3時間だった。
2009.10.28
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1週間ぶりに母の顔を見た。 「かあちゃん」と呼びかけても無反応だ。 「○○さん」と呼ぶと目を大きく開いて「はい」と返事をした。 顔色もいいし髪もカットしてもらってこざっぱりした印象だ。 口腔外科、通院は今日でおしまい。 1箇所だけ治癒していないところがあるが、他は上皮もできよくなっているとのこと。 あとは口腔ケアをしてくださいと。日にち薬、かな。 「マウスピース」は万能でもなく消耗品なので破れたり変形したりしたら取り替える。 顔が腫れたり何か変わったことがあったら電話で症状を伝え 予約を取ってくださいと言われた。 とりあえずこれで終わったのでホッとしたわ。 明日は冬物パジャマとバスタオル、お手紙持ってホームへ行く。 休みだから少し長くいようと思う。 そうそう。 母の食事は毎回2時間かかる。その間音楽でもかけてもらおうと提案した。 みんなのいるデイルームで食事をさせてもらえるなら人の気配もあって刺激に なるのだが、どうも、自室で、が多いようだ。 ベッド上のほうが本人さんも楽なのでは?というのだがどうなんだろう。 ひとりぼっちの食事は寂しいと思うんだけどな。 とりあえずCDデッキでも持っていこうと思っている。 大好きな長淵剛のCDと。 「星影のワルツ」もよく歌っていたんだけど、あるかな~CD。
2009.10.15
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大学病院の口腔外科へ行く話しもあったが、地元市民病院に母を連れて行った。 担当は白髪の入り具合が鳥越俊太郎さんに似ているドクターよ (私、この人好きなんだよね、訛り具合もステキってかなんでもいいの) 2年前だったか、次女の親知らず抜歯のときにお世話になったドクターだった。 あ。このドクターがいいんじゃないからね、いっときますケド 下の歯の圧迫によって上の歯茎が損傷を受けた状態で 「褥瘡(じょくそう)ができてるね~」 褥瘡って「床ずれ」のイメージが強かったので口の中でもそういうんだ、って驚いた。 はじめ「潰瘍ができてる」と聞いたときは(開業医からね) なにかとんでもないエライ悪い、腫瘍みたいなのを想像してしまった 『わ~~~~~。今度はなに? 肺炎、胃ろうの次はなによぉ~~~』 ってもードッキドキだった。 目を覚ましているときの母はいつも歯を食いしばってるらしく、どうもそれが原因 らしいのだ。 なぜそうしているのかわからない 鼻の通りが悪く家にいるときはしょっちゅう鼻炎の薬を買いに行かされた。 ホームでも鼻づまりなのか口で息をしているが、その口を閉じて息を止めた状態が よくある。 当然苦しくなって「ぷはぁーーー」と唾液とともに吐き出している。 ひょっとしてそのとき歯を食いしばっているんだろうか。 ん~~~、わからない。 「歯がなければこんなことにならないんだけどねぇ・・・う~ん」 そうだよね、素人の私にもそれはわかる。 「抜くのはかわいそうだ・・・」ドクターもしばし考え込んで、出した結論は マウスピースのようなものを作って下の歯にかぶせる。 「これで絶対、100%OKというわけではない」とし しばらくこの方法で経過観察することにした。 抜歯も視野に入れながら受診したがとりあえずこれが結論だ。 型をとるためのそれからが大変だった 「大きく口をあけて」といっても母の口は小さくて思ったように開かない。 「がんばって はいっ、もう少しだっ そうそう」 梅ガムみたいなものを歯に当てがい乾燥するのを待つがこれまた大変。 「口を閉じないでっ あ、だめっ。もう少しがんばって くぅぅぅ~・・・・・」 母の目から涙がツーとこぼれてる 「○○さん、痛そう・・・可哀想だわ」と目を背けるホームの看護師さん。 「痛いけど、がんばろーね、もう少しだよ、はいっ、がんばろっ」 ドクター二人と歯科衛生士さん3人でわーこらわーこらてんやわんやでやってます。 「ふぅぅ・・・ んん・・・」と渋い顔のドクター。うっすら汗がにじんでます。 母の顔には「梅ガム」が飛び散ってるし口の周りには皮下出血が。 痛かっただろうなー。かわいそーに。 なんかうまく取れなかった様子だがとりあえず「作ってみます」とのこと。 装着は来週。 3日分で1週間効果のある強力な抗生剤を処方してもらったのでそれでしのぐ。 かあちゃん、おつかれさまでした。 ドクター、歯科衛生士さん、看護士さん、みなさんお疲れ様でした。 そうそう。昨日の夜ホームから電話があって。 口腔ケア中に母が歯を吐き出したそうなのだ 「歯ぁぁぁぁ~」 そういや病院で 「歯は下だけか?上にはないか?」とドクターが聞き、歯科衛生士さんが 触ってたっけ。 「・・・ぁぁ・・・奥のほうに1本、根元みたいな・・・・ あり、はい、ありますね」 たぶん、そのときの刺激で抜けちゃったんじゃないかな。 歯のお掃除してたらブワァァァァッって何かが飛び出してきたなんて ○○くん、ホラー並みにびっくりしただろうなぁ 「うわぁぁぁ~~~~。なんじゃこりゃあぁぁぁぁ」って。 彼とは最近よく話をするようになったから、キャラもわかってきたしなんだか その慌てぶりが目に浮かんだ。 笑っちゃいけないんだけど電話口で笑っちゃいましたよ。ごめんね。 でもね。 それはそうと。 その歯。飲み込まなくてよかった。起きてるときでよかった。 もし気管に入りでもしたら大変なことになってた 誤嚥性肺炎どこの騒ぎじゃない。 ああ、怖い、怖い
2009.10.01
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何があるかわからないよね。 今日は宝ープ母さん・ピロコさんと京都へ行く予定だった・・・ 母の口の中に潰瘍ができ市民病院の口腔外科へ診てもらいに行くことになった。 診察は『どうか・・・水曜以外になりますように』と正直いうと思ってた。 打たれまくったボクサーのように腫れあがった母の顔を見ていたら涙がこぼれそうに なったし、母の痛みを取り除いてほしいという気持ちが強くなって 『ううん。早いにこしたことはない』と思った。 今は個人病院から予約を取ることができ便利になったね。 紹介状と予約票をもって出かけるが少し早めに出かけよう。 広くて大きな駐車場があるが雨模様の今日。駐車場は近いところから埋まってゆく。 リクライニング式の車椅子は長さがあるし重量もある。 できるだけ近いところに置きたいから早めに出かけよう。 とりあえず、8時には初診受付を済ませに行ってくる。 京都は逃げない。 いつでも行ける。 母はひとり。 世界でたったひとりの私の母。 ダイジョウブ!! すっきり丸顔美人の母に戻れるよう治療してもらおうねっ。
2009.09.30
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役所からの定期便。紙おむつ(正確には紙パンツ=リハビリパンツ)。 「がんばらない介護」ってケースに書いてある。 さっきグループホームに持っていった。 今の母には使えないリハビリパンツだから。 今年3月、介護申請したらこういうものがもらえると聞いた。 「寝たきり」になるとは思わずリハビリパンツを選んだが、これが不要に なってしまった。 選べたのだ。フラット型紙おむつかパンツ型か。 尿意の意思表示もできたし立位もできた。 リハビリ次第でなんとか歩行もできるかも・・・と期待していた。 だけど、悪くなる一方でね。無用となってしまった。 役所に聞いてみよう。 寝たきりでリハビリパンツを使うことができなくなりました。 フラット型紙おむつに変更してもらうことはできませんかって。 紙オムツ代の軽減になりますからって。 母のために皆さんの税金でこういう補助をしてもらっているのに 有効利用できないのはもったいない。 毎月施設に払っているオムツ代が少しでも減ると助かるし 週明け役所に聞いてみよう。
2009.09.13
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あら。 そうなの。 昨日抜糸だって聞いていたけど明日になったのね。 毎日顔見にいくけど訪問時間を決めてない。まったくもってランダムに行く。 タイミングよければ主治医と顔を合わすがほとんど稀れなこと。 今日たまたまラウンドしてきた看護師さんに聞くことができた。 仮にベティさんと言おう。 彼女は患者さんにいつでも優しく温かみのある声で声がけをしている。 カーテンを開けるまで患者以外誰がいるのかわからないのに、である。 「○○さん、こんにちは~」と言ってからカーテンをシュシューと開ける。 『この声はベティさんだ』 笑みを含んだ柔らかい口調で話しかける彼女は好感度が高い。 「あ~。こんにちは。この間は貴重なお話ありがとうございました」 「いえいえ、どういたしまして。娘さん少しは落ちつかれましたか?」 「はい。まだ完全にとはいえませんが。ありがとうございます」 ベティさんも長女と同じ経験をされたそうでそのときの心情を語ってくださった。 話しているうちにお互い涙が出てきてしまった。 「わかりますよ、娘さんの気持ち。なんでなの?って思いでしたもん。 この気持ちは本人しかわからないし経験した者にしかわからないと思います。 でも、希望は持ってほしいです。」 ベティさんは母の手を握りながら 「ねー。○○さん、今日は朝の挨拶してくれましたもんね。 ○○さん、わかる? あれ? 朝は元気にお話してくれたのになー。 『誰じゃこの人』って感じで見てる?(笑)」 目をまんまるくしてベティさんを見ている母。 「お風呂は明日、だけど、どうかなぁ~。抜糸してすぐはどうかわからないし、 ん~。シール貼って入れるかもしれないし。 退院はなんともなければそのまま月曜日だと思いますよ。 明日病院へおみえになりますか?」 ええ、何時になるかわかりませんが来ます。 「でしたら私、聞いておきますね。明日お見えになったら詰め所で声をかけて ください。どういうふうかお話しますので」 どうか何事もなく無事退院できますように。 そうそう。 入院費支払ってきました。39万円 の、1割だから3万9900円。 いやーーーー、私たちだったら3割負担だから10万近いよね。 本人、1割負担のありがたみを痛感したワタクシでございます。 でも・・・ ホームの支払いと合わせると17万近い・・・ はぁ・・・うちらの老後はどうなってるやろか。ちゃんと年金もらえるやろか。
2009.09.10
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母はホームにいるときより目を開けていることが多い。 4人部屋にいるし、病院て人の出入りも多くて慌しいからそれが刺激になってる? ホームじゃ個室だからね、ほとんど一人きり。 相部屋のあるホームだとよかったな・・・ 退院はいつになるかわからないけど、ホームに戻ったらケアマネさんと相談してみよ。 できるだけデイルームに居させてと。
2009.09.05
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昨日の午前中、「胃ろう造設術」が行われた。 術中のリスクを頭に入れながら待っていたが、無事なにごともなく終了。 昨日は母と娘のオペが重なってやきもきしていたが、予定よりかなり早く終わったため 娘に付き添うことができた。 母の顔は鼻からの管がなくなりすっきりとしていたが、長い間テープで固定して いたため皮がめくれてうっすら赤くなっていた。 今日病院へ行くとオペした医師がやってきて 「うん、とてもきれいだ。今度の、来週の水曜日に抜糸だ」と言っていた。 「退院はいつになりますか?」 「それは呼吸器科の先生が決めることなので」。 ん?なんだ、その冷たい言い方は。 と思ったものの、そうだよな、そうだよ。胃ろう造設あと食べ物に代わる流動食を 入れたりして様子を見るんだもの。 最終的な判断は呼吸器科の主治医だわな。 一応手術後は1週間から10日で退院となっているから第2週くらいまでには ホームへ帰れるだろう。 胃ろうにしてから手袋をはずしてもらった。 母の右手の指は大きく伸びない。常に軽く握った状態である。 長い間手袋をしていてムレることもあったんだろう。 指同士が密着、皮膚がふやけた状態になって異臭もしていた。 私がいる間、指の間にティッシュをはさんで隙間を作り少しの間「乾燥」させた。 これが背中や腰だったら床ずれになるのかな、と思った。 ベッドで横になっている母を見ていると元気な頃を思い出し涙が出てきてしまう。 今さら、なんでこんなふうになってしまったの?なんて思わないが 『2月まではテンちゃん抱っこしてくれたのにな、あやしてくれてたのにな』と 思い返すことがたびたびある。 「早くよくなってね。また明日くるでね」と声をかけると 大きく目を開いてじっと見つめる。 「あ・し・た ね。バイバイ」 「ア・シ・タ」 母は小さくゆっくり手を振ってくれた。
2009.09.04
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PEG造設に向けて行われた血液検査の結果を聞きに行った。 母は成人T細胞性白血病(ALT)のキャリアであることが判明。 研修医を従えてやってきたドクターから面談室でこの病気の説明を受けた。 発症率はきわめて低く、今すぐどうこうという切迫したものはない。 キャリア(感染者)である、ということなのだ。 これはPEG造設に影響はないようだ。 昨日、今日と発熱もないので予定どうり明日の午後からオペがある。 長い一日となりそうだ。
2009.09.02
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「今日選挙やなぁ~」 「そやね~。ついでにモーニング行こうか」 投票帰りコメダでモーニング そしてお酒の量販店で焼酎と缶ビール購入 「あ~~~~~っ」 「なんや」 店内を歩いていたらサンダルのベルトが切れた 前々から怪しかったベルト、も少ししたら切れるんやないか思っていたらついにっ ぶ~らん、ぶ~らん、ずりずりずりぃ~歩きにくぅ~い 「これから買いに行けばいいわ」 「ええ~~ どーしよー。お金ないしぃ(Kちゃんに酒代渡しちゃって)」 「えーわ。出したるで」 急遽買ってもらったサンダル。 すまんね、すまんねー。ありがとよ。 で、 母の病院へ行ってきた。 昨日、今日と熱があるらしい。アイスノンで頭を冷やしている。 「胃ろうの手術もありますし、ちょっと様子を見ないと。この間血液検査のときに 炎症反応があったのでそれが原因かもしれないね、と医師と話していたんですが。 抗生剤を点滴させてもらいますね。栄養のほうも継続して入れさせてもらいます。 腕から(点滴)とりにくいので足から取らせていただきますのでお願いします」 明日は超音波で胃の様子を調べるが病室にいなくてもいいと言われた。 「ばあちゃん、まゆ毛描いとったのにな~」 「そやね。『まゆ毛あるか~?』っていつも気にしとったもんな、かあちゃん。」 「まゆ毛描いたれよ。若見えるで」 まゆ墨で描くとあら不思議 とっても若くみえますわ、おかあさま。 「おおーーー 若みえるがなー、よかったなー、ばーちゃん」とKちゃん。 鏡を見ることも髪をすくことも忘れてしまった母。 きれいに描いていた眉も去年辺りからうまくいかず「イモト眉気味」だった母。 指がきかなくなったせいか。 完全寝たきり老人になってしまった母。 車椅子にも座れないのだろうか。 この間「おしっこがしたい」といった時連れていってあげたかった。 「おむつしとるでね、そこでしていいよ」と看護師さんは言うが トイレなんて無理なんだろうか。 危険なんだろうか。
2009.08.30
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昨日の夕方 主治医から電話があった。 「先日はどうもすみませんでした」 お、いやに低姿勢じゃないか。 「いえ。こちらのほうこそ言いたいこと言っちゃってどうもすみません」 向こうがそう言えばこっちも、ねえ。言っちゃうわよねぇ。 『すみませんなんて謝る必要ないて』 事の顛末を知る娘が口パクで私に言っている(笑) 「胃ろう造設の同意書看護師からいただきました。それでですね・・・」 胃ろうとなると消化器科の先生が担当になる。 「一度受診をしていただきたいのですがいつがご都合よろしいでしょうか」 今ならシフト変更も可能なのでいつでもいいし、そちらの都合に合わせると言うと 「明日以降なら可能なのですが」 「そちらの都合に合わせます」 「・・・では明日はいかがでしょうか」 「わかりました。明日、ですね。 明日金曜日お昼から夕方の間に母の診察があるので行けばいいのですね。 病室で待っておればいいのですね」 ってしつこいぐらい念を押したよ(笑) 午前中は歯医者へ行くから、終わったらその足で病院へ向う。 今日もこんなんで一日が終わるんだ・・・・ 秋の気配がただよう今日この頃 素足にサンダル まだそんなん。 砂利敷きの駐車場に降りたとき さくっとすくったこまかい砂。 あ~・・・サンダルのつま先が砂で汚れた。 ペディキュアの爪先も砂でまみれた。 ぶんぶん足をふっても気休めにしかならない。 ぶつぶつ言いながら母のいる病室に向った。
2009.08.28
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先のブログに書いたけど・・・ 待ってたわよ、私。お昼からずっと。 頭痛かったけど検査があるっていうから行ったわよ病院へ。 外来が終わって落ち着いてから検査する、としか言われなかったもんで とってもアバウトな時間しか言われなくたって行ったわさ。 12時過ぎからさ。 15時すぎても音沙汰なし。 何もせず病室にいるのもなんだしデイルームで待ってたわよ。 ちゃんと書置きしてさ。 「デイルームにいます。12時~ ○○○○」って。 ATMに用事があったときも「ATMに行ってきます」と書き直して行ったわさ。 自分の所在をはっきりしといて。 なのに、なのに。 まもなく15時半になろうかというころ。 さすがにこのワタシ動き出したわさ。 「あの・・・806号室の○○ですが。検査は終わったのでしょうか」 若い看護師さんに聞いてみた。 電子カルテを見てくれた。 「少々お待ちください。 ・・・はい、終わってますが・・・」 え?終わってるって??どーいうこと? 「私、12時過ぎから待ってるんですけど、いっこうに呼ばれないもんですから。 席をはずすときもデイルームに居ますとか書置きして行ってるんですが。 外来が終わり次第、落ち着き次第かなぁと思って待ってたんですがなんにも おっしゃっていただけなくて。 母の枕元に貼ってあった検査しますって紙がなくなっていたのでお聞きしてるんです けども」 「すみません。今日の担当看護師に確認してきますので少々お待ちください」 ・・・・ 「今から30分以内ほど前に終わってますとのことです・・・」 はぁぁぁ? じゃ、何? 3時頃病室をのぞいたときはまだ終わってなくて私がデイルームに戻った直後 検査したっていうこと?? 母の胸元に置いといた私のメモは椅子においてあったよ。 ってことは「見た」わけじゃんね。 「デイルームに居ます」とだけ書いただけじゃわからなかったのか? 検査の際は呼んでくださいと書けばよかったのか? 「血液内科の先生が病室で検査をされたようなんですよ」 ええ? 勝手に? 私は「胃ろう」をすすめる意向でいろんな検査が行われると聞いていた。 なのに、どういうこと。 「・・・わかりました。では私はこれで帰らせていただきます。」 ちょっとむかつきながら600円の駐車料金を払って帰ったわさ。 夕方市民病院の主治医から電話があったときにこのことを聞いてみた。 胃ろう造設については明日のブログに書くとして・・・ 「今日検査があるっておととい先生おっしゃいましたよね」 「・・・え?どういうことですか」 「検査ですよ。水曜の12時からこちらに来てくださいって、夕方までいてくださいって」 「??」 「私、今日の12時過ぎから15時までいたんですけど何もなくて、さっき聞いたら 終わったって。どういうことなんでしょうか」 「私から検査の指示を出していませんが・・・よろず相談の件に関してお昼過ぎに 来てくださいといいましたが。」 はぁ?何言ってんの。 「今日は水曜日ですよね。私、先生の目の前で『水曜の12時から』ってメモしましたよ ね。 よろず相談は明日だし木曜の13時半ですよ。曜日も時間も違いますよ。 検査は12時から夕方の間っておっしゃってました。 立会いが必要かどうか、までは私きちんと聞いていませんでしたから何とも言えない んですけど、先生のおっしゃるよろず相談の日とは違いますよ。 こんなこと先生に言うのはどうかと思いましたけど、私は自分の所在をはっきり させていたし、もちろん、『ここにいるので検査のときは呼んでください』と書けば よかったんでしょうし、看護師さんにもそう伝えておかなかったのでいけないんだと 思うのですが、どうなのかな、って思いましてね。 こんなことなら来る必要もなかったんじゃないかと思いましたよ。 この3時間棒に振りましたわ」 主治医、不本意だろうが「どうもすみません」と謝っていたけど。 まぁぁ、母の顔見に来たんだからいいとしてもさ、3時間は待たせすぎじゃない? おおよその時間、目安ぐらいつけてもいいんじゃないかしら。 ほんとそう思ったよ、今日はさ。
2009.08.26
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久しぶりにマッサージにでも行くか~ と思っていたのだが・・・ 市民病院の担当看護師さんから「尿とりパットがなくなりましたので補充を お願いします」との電話があってその計画はチャラ。 朝の9時だもん、まだ薬局開いてないよ~ 10時開店を待って買いに行く。 で、病院に向っている途中店長から電話。 「もしもしぃ~。おはようさん。ん?朝からお出かけかね?」 「ええ、まぁ。」 多分、喫茶店でも行く途中くらい思ってんじゃないかしらん(笑) 出勤要請である。 今日は母の嚥下リハビリがあるしな、耳鼻咽喉科外来が落ち着き次第 リハビリ(検査)するといっているが時間がはっきりしない。 でもまぁ、5時出勤ならなんとか間に合うだろう。 てなことで5時出勤に。 早くて14時くらいと言われていたが14時前に検査が行われた。 結果、飲み込む際の筋肉の機能が弱い。 これから先、誤嚥性肺炎になる可能性がある。 管理のしかたの違いで、鼻から管で栄養を摂るか胃ろうで摂るかの二者択一。 とりあえず胃ろうで、と答えた。 呼吸器科の主治医は 「明日、採血などの検査をして胃ろうの手術が可能か調べます。 消化器科の先生にも結果を見てもらって結論を出したいと思います」と言われた。 母はホームにいるときより目を開けていることが多いし、自発的に話すことがある。 なんとなく元気なような気がする。 点滴のチューブを抜かないようにするためミトンをしている母。 それがイヤなのか 「すみません。はずしてください」とはっきり口にする。 「すみません。おしっこがしたいです」とも言う。 トイレでの排泄はほとんどないと聞いていたので正直言って驚いた。 どうなんだろうか。 母の両足は骨と皮だけ、筋肉などないに等しいので立位も難しいと思うのだが。 これから先どうなるのかは検査の結果次第なのだ。
2009.08.24
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18日の夕方に入院してから5日め。 このあいだ病院から連絡があった。 とりあえず順調に回復しているとのこと。 今、鼻から管を通して栄養補給している母。 ホームではとろとろのミキサー食をスタッフの介助でいただいていたが 病院ではそういうことはしない。 退院に向けてだと思うが24日の月曜日に嚥下機能のテストをするという。 その結果で管での栄養補給の仕方をとるか、胃ろうをとるかの決断を 迫られる。 どちらかの方法になるとグループホームでは無理だと思います、他の施設を 探すことになりますから病院内の『よろず相談』で今後のことを相談されてはいかが でしょうか、と言われた。 予約制なので木曜日の午後相談に行くことになった。 管か胃ろうか、となれば胃ろうのほうがいいみたいだけど。 ネット検索でメリット・デメリットを読んだけど決めかねている。 Kちゃんや娘に相談したら 「かわいそうや、おばあちゃん」 「簡単な手術かしらんけどカラダを傷つける。痛い思いさせることないんやないか」 という。 とりあえず何もせず今まで通りミキサー食で栄養を摂ってみて、どうしてもむせ込み 肺炎を繰り返しそうなら次を考える、というのはどうか。 できるだけ自然に、と思うのだが。 とりあえず 今お世話になっている施設の看護師さんに「胃ろう」をつけて施設に戻ることが できますか、と聞いた。 胃ろうの造設がうまくいき、術後も良好ですんなり退院できるのであれば大丈夫です、 これまでもそういう利用者さんをお世話したことがありますのでとの理由から 引き続きこの施設を利用できることになった。 「あ~、これで他の施設を探さずにすむ」 心底ほっとしたが、よく考えて決断しなければ、と思う。
2009.08.22
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昼からの受診を繰り上げてクリニックで診てもらった。 熱も高く心配。 ぼんやりとした陰のあるレントゲン写真。 素人の私でもなんかおかしい!と判る写真だ。 念のためのCT検査で「気管支肺炎」と診断された。 13時から市民病院に来て、気管支肺炎で2週間の予定で入院が決まりました。 1ヶ月以上の入院になるとグループホームを出なければならず、 2週間と聞いてまずは安心です。 約6時間弱、ホームの看護師さんがずっとついていてくれて、医師の説明にも きちんと答えてくれた。 帰宅したのは6時過ぎ ・・・ ちょっと疲れたな。
2009.08.18
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珊瑚の首飾り ・・・ ・・・ だったらいいなぁ~。 母につけてあげたい。 でも・・・母は赤いの苦手だった・・・ 普段はシンプルな18Kネックレスをしていたけど、 紫水晶やオニキスのネックレスをして参観日に来てくれた記憶がある 「私が死んだらお前にやるわ」 そう言ってたけど、どこにしまい込んだの? 多分、兄ちゃんのお嫁さんにあげちゃったんじゃなかったっけ。 いいの。 母ちゃんが死ぬなんて思ってもいないからさ。
2009.07.23
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月に一度、母を連れて検診に行く。 グループホームで生活しているので看護師から日ごろの健康状態を書いてもらう。 ○○クリニック 主治医 いつもお世話になっております。 ○○さまの状態について報告させていただきます。 ・ ここ最近頻脈が目立っております。 120台のことが多くご本人様は胸部不快、動悸の訴えはありません。 ・ 時々血圧も低く顔色が不良になることもあります。 そのときはベット上臥位で安静にしてしばらくすると血圧も上昇してきます。 ・ 食事は介助で食べてみえます。(ときどきご自分で食べる時もあります。) 時々ですが朝食時に入眠されており朝9~10時まで起床できないこともあります。 ・ 排尿は尿間隔が長く、日勤帯で出ないときもありますが、1回量は多めです。 ・ 喘鳴はみられていません。 ・ 手のシビレは訴えありませんが、時々震顫はみられています。 ・ 夜間は良眠されています。 ・ 下肢EDは時々みられます。 ・ 時々吸引します。(咽頭に痰あり) よろしくお願いします。 グループホーム○○○○ 看護師 ○○ (原文そのまま) アンダーラインが引いてある箇所は神経外科の先生が気になったところ。 「こんばんは、○○さん。一ヶ月ぶりだねー。覚えてる?」 こっくりとうなづく母。 「ちょっと元気がないようだねぇ。握手しようか。はい、握手。ぎゅっと握ってみて。 顔はまん丸だけど手足が細くなったね。握力も弱くなった・・・筋肉もないね」 アンダーラインを引いたところが気になるから循環器の先生に診てもらおうか。 そう言われた。 頻脈の原因は血圧の薬、頻尿の薬(バップフォー)の副作用、貧血も考えられる。 二つの薬は調整して様子を見、貧血以外の原因があるか調べるため採血した。 念のため心電図をとったが、骨と皮だけになった体に吸盤がうまくくっつかず 難儀した。 心電図の結果、とりたてて問題視するようなことがなかった。 血液検査の結果は次回受診の際聞くことになった。 母は相変わらずぼ~っとしている。 自分から言葉を発することはない。 眠いのか目をつぶっている。 「眠いの?」 知ら~ん顔している。 トントンと腕を軽くたたくと目を開ける。 「聞こえんの?」 「聞こえとるよ」かすれた声が返ってきた。 「もっと大きな目あけてみてよ。そんなシジミみたいなちっちゃな目ぇしとらんと」 そういうと、んふっと口元をほころばせながら笑った。 シジミがツボにはまったらしい。 「アサリぐらい大きな目ぇしてよ」 ムムムゥーとがんばって見開いた。
2009.07.23
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私が母に紙パンツを勧めた理由は おしっこが間に合わなかったとき慌てないように、だった。 去年まで頭もしっかりしていた(今よりも)し、自分の足で歩いていた。 トイレに行きたいという感情も持っているから自分から行っていた。 間に合ってたし。 ある冬の寒い夜、 下半身パンツだけでトイレにいく母を目撃。 用を足すとそのままベッドに入っていった。 聞くと間に合わなかったことがあったらしい。 ズボンを下ろす少しの時間ももたなかったらしい。 『失禁』『おもらし』はいくつになっても恥ずかしいこと。 「高齢者なら誰でもあり得ること。だいじょうぶですよ」って片付けられないこと。 自身のプライドにかかわること。 紙パンツの中でしてもいいよ というのではかせていたんじゃない。 もし漏れたとしても大丈夫。という「保険のつもり」だった。 「オムツの中でしたくない」と思っている人、トイレで立位がとれる人には できるだけトイレで排泄させてほしい。 認知症であろうとなかろうと。 スタッフさんもたいへんでしょうがそこのとこはよろしく、と言いたい。 昨日ホームに行ったら母はいびきかいて寝てござった。 床擦れが改善されたようで体位変換の申し送り表がなくなっていた。 申し送り posted by (C)yuriso エアーベッドはそのまんま。 痰をとる機械があった。 母はずっと眠っていたから話もできず10分ほどで帰ってきた。
2009.07.17
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6月分の請求書が届いたので支払いに行ってきた。 108,626円なり。 健康で家にいたらこんな出費ないのにな。6月分領収書 posted by (C)yuriso もうすぐ3時のおやつだし、ホールにいるかなと思ったが今日も部屋に居た。 寝ている。 「ねえ私が来たときくらい起きようよ」 ベッドに座らせたがエアーベッドなので安定しない。 ゆらぁ~りと体が傾くが自分で支えることができない。 骨と皮だけ、筋肉のない腕では支えきれないのである。 「ね。寝てばっかじゃいかんじゃないの。ちょっとは起きとかんと! 寝たきり老人になってまっとるやないの」 「そやな」といい目をつぶる。 もうほとんど口を開かなくなった母。 私が話しかけても返答がない。 あかん。 しゃきっとできないもん。起こしとってもあかんわ。 ベッドに寝かせよう。 手を付いてゆっくり横になることができず、コトンと倒れこむ。 足にも筋肉はなくよれよれピタピタのふくらはぎ。 皮膚がたるんでいる。 1ヶ月前はこんなんじゃなかったのに・・・ 普通の病院では認知症患者の受け入れは難しいらしい。 踵を骨折し入院した病院で1ヶ月の入院予定だったのに2週間ほどで退院。 療養病棟に入院してリハビリをと希望したがダメだった。 「入院の必要がないのにそれをすると社会的入院となりますから」と。 社会的入院て何。 リハビリは家でもできますから、と言われたし。 母が認知症じゃなかったらきっと1ヶ月の入院、リハビリ生活を送っていたとおもう。 術後のケア、リハビリ。 それができてたら少しはましだったんじゃないかと思うとくやしい。 自力歩行は無理。 車椅子も自走できやしないだろう。 ほんとくやしい。
2009.07.08
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母の様子を見に行ってきた。 テレビのあるホールに母の姿はなく、部屋で横になっていた。 個室にテレビの持ち込みが可能だが(電気代は別途請求される)置いてない。 置いてもたぶん見ないと思う。リモコンの扱い方も難しくなっている。 時計と写真を置くために折りたたみ机を持っていった。 だけどそれは意味がなかった。部屋で起きることがないからだ。 家にいたときのように正座してタバコをふかしたりテレビ周りの整理整頓したり 庭を眺めることもない。 正座なんて骨折して以来してないもの。車椅子とベッドの生活だもの。 カラーボックスを持っていこう。ベッドから見える場所に置こう。 「かあちゃん」 部屋の明かりをつけるとまぶしそうにまぶたが動く。 「かあちゃん。来たよ、私」 「・・・」 「○○さん、こんばんは」 「こんばんは・・・」目をつぶったまま答える。 「ねぇ、目ぇ開けてよ」 んあ?みたいな感じでゆっくり目を開ける母。 「わかる?」 いや・・・首をゆっくり傾げる。 ま、いっか。 「眠いの?」 こっくりとうなづく母。 「そっか。ごはん食べたんやろ?おなか膨れたで眠いんやな。そうかそうか。 なら電気消すわな」 部屋の様子に変わりはないがベッドがエアーベッドに代わっていた。 手で押すとふわぁんふわぁんと動く。 仙骨の褥創が治ってないのか。予防のためなのか。 担当者が不在なので今度聞いてみる。 何か足らないものがないかたんすを開けてみる。 見慣れないスラックスが入っている。 衣類を買ってくれるはずがない。利用者家族が調えるんだから。 きっと洗濯したあとだれかさんのと間違えてしまったんだな。 今日8日でホーム入所1ヶ月になる。 まだ1ヶ月なんだ・・・ 時間がゆっくり流れてる。
2009.07.08
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昨日仕事帰り母の様子を見に行ってきた。 夕飯終わってる時間だし、ひょっとして部屋に戻ってるかなと思いきや デイルームに居た。 「37℃くらいの微熱で特に問題ないですよ」 看護師のAYAさんがにこやかに答えてくれた。 母は眠そうに目をつぶっている。 おい~、起きてんか。目ぇ開けてんかー。 娘の久しぶりの訪問ですがね。 え? まーね。私の勝手な都合で「お久しぶり」なんですけど 母は自ら言葉を発することがない。 母の手を握りさすると目を開けた。 「お。久しぶりやねー。ワタシ誰かわかる?」 「おかあさん」 そっか、今日も私は『おかあさん』か。 爪伸びてるねー、切ってくれるのかな。 私が切らないかんのかな。 いや、そんなことないと思うがなー。 この間美容師さんにお願いして髪をカットしてもらったけど、それとおんなじ? いや、爪切りに料金は発生しんやろしー。 今日聞いてみよう。 今日は私の定休日。 テンちゃん連れて行って来る。保育園お休みするんだよ。次女の仕事も休みだし。 たまには1日ゆっくり過ごしたいってね。 母にもテンちゃんの顔見せたいし。「訪問の記録」? posted by (C)yuriso
2009.07.01
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「○○~」 7時半ごろ母の声がして目が覚めた。 家にいないから気のせいだ。 金曜日以来顔出してないからなぁ~、なんかあったかなぁ。 「呼んどるんやわ。そら行ってこなかんわ~」 Kちゃんに話したらそういってた。 出勤前は慌しい。行くならゆっくりしたい。 今日は17時まで仕事だから帰り寄ることにした。 何かあればかかってくるけど安心したい。 ホームに電話すると 「久しぶりに、微熱ですが熱が出まして、今様子を見ているところです」。 あらぁ~・・・ 虫の知らせ、だわ。
2009.06.30
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今日は父の日。 昼間の時間が長い夏至の今日。 日ごろの労をねぎらって一緒にお出かけなどいかがでしょうか。 「今度の土曜日、昼から行くか、ばあちゃんとこ」 Kちゃんは言っていたが夕方になっても起きてこず。 夜勤明けだしさ、ま、いいか。 昼間は次女、テンちゃん、ムコ殿、私の4人で父の日のためのお買い物。 夕方になって「晩ごはん、どーする?」ってなって。 「しゃぶしゃぶが食べた~い」ってなって最近できた食べ放題の店に行った。 「ばーちゃんとこは帰りに行ってもええな」とKちゃん。 さて、90分一本勝負 カーン 「ちょっとー。だしが沸騰するまで時間かかるやん。これもさー、90分に入るんやろ」 「あ~。おなかすいたぁ~」 牛・豚・鶏の3種類。オーダーすれば持ってきてくれる。 野菜、うどん、ラーメンはバイキング。 空腹だったし、時間制限あるしで、わさわさ、モリモリ食べた食べた。 おかげで胃が気持ち悪い~ 生ビール中ジョッキ3杯目オーダーのKちゃん。 「Kちゃん、ばーちゃんとこ行くって言ってたのに」そういうと 「・・・なら、やめとくか?」 いい、いい。もういい。2杯飲んでるし、今日はいい。 お酒のニオイさせて行かせたくないもん、私。 で、3杯飲んでご機嫌のKちゃんだった。 締めのラーメン、うどんで終了~。 気になる時間は1時間弱。そんなもんか。 それにしても妙に焦るから「食べ放題」って落ち着かない。 まー、しばらくええわ。行かんわ。 うん、行かん、行かん。
2009.06.21
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今日は夏至。 今日から小暑までの間昼長く夜が短い。 暦の上では夏だが梅雨真っ只中。 今日は雨だし、昼の時間は短く感じるだろう。フルオーダーのツーピース posted by (C)yuriso 母の衣類を整理していたら、懐かしい洋服が出てきた。 洋装店であつらえた七分丈の上着とノースリーブのワンピース。 40年以上前の洋服で、これに紫水晶の首飾りをしていたっけ。 バッグは?靴は? 覚えてないけど、ネックレスだけは覚えてる。 そのお店は今もやっているし同じ場所にある。 生地選び、デザイン決め、採寸、仮縫いそのたびにバスに乗って、 ときにはタクシーに乗って出かけた。 亡くなった父に言わせると母は贅沢だった。見栄張りだった。 だけどもう十分大人になった私はその理由がわかる。 「大人の事情でそうなった」「喧嘩両成敗、どっちもどっち」だったと母の外出着 posted by (C)yuriso ごちゃごちゃしたのは嫌いでシンプルなデザインを好んでいた。 ほかにレインコート、スプリングコート、スラックスもあつらえていた。 小柄な母には合う既製品が少なかった。買っても必ず「おなおし」していた。 もったいない、そう思って着た母のワンピース。 こそっと着たが、下にも上にも脱げなくなってしまった。 ひぇ~~~~。両手は宙ぶらりん。スリラーか、私は。 「何やっとんのぉ~、もお~」と呆れられながら脱がしてもらったことまで 思い出してしまった・・・
2009.06.21
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キレイに染まっていたネイルも2週間近く経つと褪せてみえる。 昨日次女とホームへ行ったのはオフするためだ。 10時過ぎ、母は部屋にいた。 「かあちゃん」「ばあちゃん」 声をかけるとうっすら返事をする。眠いのか。 「このまま、寝たまんまでいいよ」 次女は1本1本丁寧にネイルを落としてゆく。落とす3 posted by (C)yuriso 点滴痕が痛々しい 食欲も出てきたようで自ら食べる意欲をみせる。 「食べな元気も出ん」と言っているそうな。 んごぉ~、くぁ~、大きないびきをかいて寝ている。 「話も出来んで、今日はこれで帰ろうか」 「そうやな。 ばーちゃん、○○やけどさ、今日は帰るね。また来るでね」 「・・・あい」 いつでも行ける。 また行けばいいさ。 風邪も治ったようだし今度はテンちゃん連れてこよう。
2009.06.20
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昨日は母のところへ行く気力もなくずっと家の中にいた。 カラダがだるく頭も痛くて、顔洗う気力すらなかった。 母の体調が回復に向かっているし、食事も自分からすすんで摂っていると聞いて いたし『今日は(行かなくても)大丈夫やろな』って。 洗濯物干しかけて、ベッドに横になったらそのまんま。 起きたの2時。寝ちゃったよ。 今日は昨日より元気だから様子を見にいってこよう。申し送り posted by (C)yuriso ベッド脇の壁にこんなのがあった。 母は自分で寝返りができるとおもうが、どうなんだろう。 一昨日は「足が痛いです」「布団が重いです」と言ってたけど、自分で動くとか しないのかしらん。 「寝たきり老人」になっていってるのかなぁ。 「仙骨部に発生あり」とは床ずれではなく、かぶれ。 長い間リハビリパンツ、パットを使用しているためだろう。 トイレ排泄をうったえることができるから普通の下着でも、と思うんだけど。 やっぱ失禁とかあってはいけないし、ということで使用を続けているんだと思う。 「ここのホームはどう?」 「気を使わんでいいので気楽です」 「そう。気楽なの?」 「うっとおしいことないし」 「ふぅ~ん。ね、テレビ要る?この部屋に」 「テレビか・・・別にいいよ。見たいもんないし」 「新聞とか本は?」 「そーやな。まだ本のほうがいいな。本やと好きなときに一人で読めるし」 というけど持っていっても読まないんだよ、母は。 今の母は何が楽しみなんだろうか。 「寝ること」が楽でいいのだろうか。 トイレ、といえば連れて行ってくれる。 時間がくれば食事がでてくる。 多少の不自由さはあっても自分で動くより楽だと思う。 ひょっとして、不自由だと思ってないかもしれないな。
2009.06.18
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仕事帰りホームへ寄ると 「こんばんは~。○○さん、お部屋でおやすみになられてますよ」 リビングには2人の入居者の方がみえるだけ。 午後5時に夕飯だったから、それが終わるとみんな部屋にもどるみたいだな・・・ 部屋に行くと母は寝ていた。 まだ7時前だ。 「かあちゃん。○○やけど。来たよ~」 「ああ。○○か。来てくれたの~」 「仕事終わってからやでさ、こんな時間になってまったわ」 「そうか・・・」 「ワタシ、わかる?誰か」 「・・・」 「わからんの?(笑) ○○やて。忘れんといてーよ。○○ってさー、誰?」 「○○か?・・・ ・・・ 私のいもうと」 「いもうとぉ?ちゃうちゃう、娘やて。かあちゃんの」 「○○か」 「そうやて、子供やて」 「しらんかったなー」 って、おい 昨日よりよくしゃべった母。 少しづつ元気になっている。 だけど、昨日はなかった足の浮腫み。今日はあった。 夕方だったからかな。 明日看護師さんに聞いてみよう。手作りトイレカバー posted by (C)yuriso 母の部屋は和室仕様だがポータブルトイレを置くため一部床が見えている。 木目調の椅子のようなポータブルトイレが出回っているが、このホームにはない。 3日前だったか 「これじゃいかにもトイレってわかるのでトイレカバーを作りますね」と 言われていた。 「そうなんですか。ありがとうございます」 ん、あってもなくてもどっちでもいいけどな。なんてそんなこと言えないわ。 善意で言ってくれてるんだろうし。 あくまで個人的な感想です 洗面台、トイレがある個室って、留置場をイメージする。 部屋の中にあっても「個室」になっていれば病院やホテルの感覚だけどむきだしじゃ いいイメージじゃない。 骨折入院中、ポータブルトイレがそばにあったが、そのときは何にも思わなかった。 たぶん「病院だったから」だろう。 ホームでも違和感がなかったが、職員さんに「カバーを作りますね」と言われてから 妙に意識してしまって、留置場を連想してしまった そう思ったけど今は別にどうってことない。一過性のもん。 トイレカバー。 嬉しかったな。こういう心遣い、嬉しいです。
2009.06.16
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グループホームに入所したので「在宅介護」に関連したブログということでご勘弁を。 入所して1週間、その全て体調不良の母。37.5度の熱が続きときには39度近く 熱があがったこともあり点滴、薬で様子を見ていた。 昨日仕事前ホームに寄るとトイレ中だった 「今日が一番元気です朝食も完食しましたし。 ホームに来て初めてのトイレでの排泄ですよ」 そうかそうか。トイレに行きたいと自分で言うたか。 足の浮腫みはほとんど取れているしよかったよかった。 ホームでは好きなときに好きなだけ「寝ること」ができるからいいのだろう。 ショートではずっと車椅子に座っていたから、リクライニングの車椅子だったが 腫れがひいていることは少なかった。 夜、足を上げて寝ても浮腫んだ状態は続いていた。 風邪の症状もほとんどなく、これから快方にむかっていくと「本来の母」が見えて くることだろう。 ホームでどのように母が過ごしていくか見ていこう。 母の病気のこともあり入所して以来毎日ホームへ行っているが、そのたびに 看護師さんから母の様子を聴けて嬉しい。 今日は仕事帰りに寄る。 そろそろ時間だ。 行ってきま~す
2009.06.16
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