いつか木を植えたい

いつか木を植えたい

誕生:スポンと親孝行


まさに、クルンスポン、スルスル~~という感じ。


2002年9月10日22時54分誕生。
ちょっと小さめの2,616g。


「ふうええぇぇ~」と、産声をあげた小さな塊。
動いている。
安心した。ただただ安心した。
元気に生きて産まれてきてくれた事に、心から感謝した。
小さくて温かくて柔らかい赤ちゃんを、初めて胸に抱いた時、言葉もなかった。
愛し過ぎて。



赤ちゃんといえば、「猿顔」か「宇宙人顔」かに大半が分かれると思うのだが、息子は、頭も目も耳もデカくて、明らかに「ワレワレハ~」の方だった。
私には少しも似てなくて、誰が見ても父似だった。「優秀なコピー機」とまで言われる。妊娠中のエコーで薄々分かってはいたが、やっぱりちょっと残念。



陣痛は、そりゃ苦しくて仕方なかったし、痛かったには違いないが、でもなんか、出産はとてもとても、楽しかった。
後処理をして下さってる先生と、次は女の子が欲しいなあ、などと話して「今回が初産だよね?」と余裕ぶりに驚かれたりして。


言葉に尽くせぬ素晴らしい経験をさせて貰った。
出産は、素晴らしい!!

私のところへ来てくれて、元気に産まれてきてくれて、本当にありがとう。



・・・母となったその夜から、全身筋肉痛との戦いだった。立つのも座るのも横になってるのも、ツライ。壁を伝って、そろ~っとしか歩けない。食欲もない。ハイになっていて、眠る事も出来ない。
2日目から母乳を始めたが、なかなか出なかった。赤ちゃんも小さいから吸う力が弱いのだと、看護士から言われる。出ないし飲まないし、吐くし。
母乳マッサージは辛く、おっぱいは擦り切れて痛い。
たまたまその時、同じ新生児室にいた赤ちゃん達は皆3000g超で、うちの子だけが小さかった。


なんだか、、、出産直後の人生最高に幸福だった所から、ずずずっと後ろに引きずられたカンジがした。
これが、現実だと。
浮かれている場合ではない。
赤ん坊を、人間を、育てるのは、本当に大変なことなのだと。



息子は、誕生4日目に「黄疸」と診断された。
光線治療の為、目にガーゼを張られ、母子対面できるのは3時間毎の母乳タイムだけ。後はずっと「光のクニ」の中。

部屋に赤ちゃんを抱いてきて、親族や友人に見せている同室のママ達。
母乳ルームで、上手におっぱいを飲ませるママと、ごくごく飲む赤ちゃん達。

うちの子だけが目にガーゼをつけ、上手くおっぱいを飲めず、私も飲ませてやる事が出来ず、そして、やっと飲んだ乳を吐く。
不憫で、泣けてきてしまった。
病室に戻ってからも1人、涙が止まらなかった。

何がいけなかったのだろう。
どうして黄疸にしてしまったのだろう。
どうしてもっと大きく産んであげられなかったのだろう。
どうしてちゃんと母乳が出ないんだろう。
どうして吐かせてしまうのだろう・・・。

今思えば、ホルモンバランスが崩れて、情緒不安定になっていたのだと思う。


それから4日後、光線治療が効いて、黄疸は改善した。
母乳も溢れる程、出る様になった。


息子は、予定より2日遅れで退院した。

体重は2,480g。産まれた時より減ってしまった。
白いセレモニードレスはブカブカで、でも、とてもとても可愛かった。


入院した時は、まだ残暑厳しかったが、あれから1週間以上過ぎた退院の日、外はうっすらと秋風が吹いていて、清々しく気持ちの良い気候になっていた。


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