いつか木を植えたい

いつか木を植えたい

初めての育児


初めての育児、1人でないのは心強いと思っていた。その為の里帰り出産なのだし。

それにしても寝ない息子。こんなに赤ん坊って寝ないものかと、呆れるばかりに寝ない。
人から「1ヶ月経つと少し楽になる」と言われるが、一向楽になぞならん。すると「3ヶ月の辛抱だから」と。本当か?!
ある友人などは「1ヶ月過ぎてから、夜中に起こされておっぱいあげた事なんてない」と言っていた。その娘ちゃんはまた特別手が掛からなかったにしてもだ。うちの子はまた特別に手の掛かる子なのでは?・・・などと思ってしまうとやり切れないので、考えない様にする。初めての子だし、男の子はこんなもん、大変さは皆同じ、と思う事にしとく。
と言うか、睡眠不足過ぎてまともな考えなど出てこない。ずっと頭に霞がかかってるカンジ。父母が「2時間位預かるから休みなさい」と言ってくれる。ありがたく好意を受ける。
それなのに何なんだろう、にっくき不眠症。こんなに疲れてるのに、眠くて仕方ないのに、2時間も与えられているのに、眠れないなんて・・・。(不眠症が高校生の頃から断続的にある。)
折角の好意に水をさしたくなくて、「寝れた?」と言う両親に、ありがとう休めたスッキリした、と方便を。



出産から1ヶ月後、いやそのずっと以前から、私でも気付いていた。霞がかった頭でも気付いていたし、だから早めに対処する様に言ってきた。何度も言った。
だが、生来の辛抱強さ、我慢強さ、生真面目さ、完璧主義、それらによって自分自身ががんじがらめになってしまっている事すら認めたがらない頑固さにより、事は、良い方向へは向かなかった。
母の事だ。
私が何度言っても、時には怒っても、言葉を濁し曖昧な態度をとり続ける母。

お宮参りに、行きたかったのだ。初孫のお宮参りを済ませ、私と赤ん坊が自宅へ帰るまではなんとしても、と思っていたのだ。
でも、それで何になった?頑張りどころを間違えてもらっては困る。まず元気でいる事、それが一番大切。どうして無駄な頑張りをする必要があるの?

最低の底意地の悪い方の私の心が、言う。
何の為の里帰り出産だったのか、と。自覚症状は間違いなくあった筈。初めから言ってくれれば、里帰り出産など選ばなかった。そうでなくても気付いた時点で何度も私は言ったのに、何故聞き入れなかったのか。初めての育児を助けて欲しくて里帰りしたのに、何故一番大変な時期に、更に大変な思いをしなければならなかったのか、と。
・・・人非人だ。
でも・・・、本当に、私だって、辛かったのだ。
口に出して、誰にも、言えない分、本当に、辛かったのだ。

もう一方の、私の心が嘆く。
私のせいだ、と。パートも家事もしている母に、大変な育児の一端まで押しつけていた、私のせいだ。母の状態に気付いていながらも、睡眠不足でささくれだった気分を、母にぶつけてしまう事もあった、私のせいだ。こんな時に出産育児を持ち込んだ私のせいで、こうなってしまったのだ、と。
父が言う。「お前のせいじゃないから」でも、それは、私には責め言葉にしか聞こえない。


息子は生後1ヶ月を無事に迎え、お宮参りに行った。
慣わし通り、母が、赤ん坊をずっと抱っこした。

お宮参りが済んだ途端、待ち構えていたかの様に、母の状態は悪化した。
元々細い身体が、文字通り骨と皮だけになった。
夜中に、寝ない息子をあやしながら、トイレから聴こえてくる音に心肝寒からしめられる。
吐いている音。激やせ。・・・。

お宮参りの3日後、息子を出産した総合病院の消化器科へ、母を連れて行った。
翌日から、母は入院した。


癌だった。


最悪の事態を考える。・・・もう、手遅れ、かもしれない。
頭を巡る単語はたった1つ。
何故?
何故?何故?何故?何故?・・・・・。

苦労に苦労を重ねてきた母。これから、やっとこれから、ゆっくり幸せになれるところだったのに。
・・・私も、愛おしい赤ん坊を授かり、幸せの絶頂にいた筈なのに。

1ヶ月に及ぶ検査。父が病院を行き来し、私は、持ち帰られる着替えなどを洗い、必要な品を揃える。父にも仕事がある。
自虐的に、タイミングよく、息子が中耳炎に掛かってしまい(幸い軽くて済んだ)、同じ病院の耳鼻科に通院。生後1ヶ月の病気の赤ん坊を抱えて、母の病室へとハシゴ。

一度泣いてしまったら、おしまいだ。もう、決して立ち直れないだろう。
私は息子を育てなければならない。
だから、何も考えず、ひたすらやるべき事をこなそう。育児、家事、入院の世話。やる事はあり過ぎる程あるのだから。
泣いている暇など、どこにもないのだから。

手術の日取りが決まった。

私と息子の、帰る日も決まった。母自身に何度もしつこく言われたからだ。「申し訳ないから帰って」と。
母の手術を待たずに、私たちは4ヶ月ぶりに自宅へ帰った。当初の実家滞在予定を既に3週間超えていた。

新生児を抱え、遠くに暮らし、身動き取れない。母に何もしてやれないもどかしさ。付き添いにもお見舞いにも、行ってやれない。そして、それを望まれてもいない・・・。

自宅で、3人での暮らしが始まった。結果的に、母の入院は私を強い新米ママへと変えてくれた。
でも、だからと言って、全てを許せる強い心を持ったわけではない。初めて、私は弱音を吐いた。泣きながら。ご主人様の前で。
・・・お母さん、死んじゃうのかな・・・。
ご主人様は、信じられない、そして、どんな言葉で謝られても生涯許す事のできない返事をした。
「まあ、人間、いつかは皆死ぬんだし」
私の中で、大きく何かが壊れた一瞬だった。



それでも、ああでも、助かった。それだけで充分だ。

私が自宅へ帰ってから2週間後、母の手術が行われた。
母は、胃を全部とすい臓の一部を摘出した。手術は、成功だった。




5年生存率。・・・私を怯えさせる言葉。
1年、また1年と息子が成長する。喜び、幸せ。
その度に、縁起でもないが考えずにはいられない、「あと何年」の恐怖。
だが、誰もが、例え望まない人生であっても、与えられれば生きていくしかない。辛い事も、悲しい事もある。あとは、自分次第。

私は、いつか手を離れるその時まで、息子と共に、私の人生を生きる。
母とは別の人生を生きる。
今、私が息子を育てている様に、色んな想いを抱えて私を育ててくれた母に、感謝と敬意を抱いて、生きていく。



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