いつか木を植えたい

いつか木を植えたい

遺伝の自己完結話



ご主人様には、「普通だ。差別するな。お前が過保護なせいだ。神経質過ぎるせいだ」と言われた。
初めての子で、私には男兄弟もいない。比べる対象がないから、私も確信はできない。そうまで言われるなら私の心配し過ぎなのだろうと、思う事もあった。
我が子がどこか違って思えるのは、私の育て方が悪いせいなのだと。もっとちゃんとした母親なら、この子も「普通に」育った筈だと。

公共の幼児相談にも、1歳後半から何度か行った。その度に「様子を見ましょう」と言われた。何のアドバイスも貰えなかった。
3歳半検診の時、いつまで様子を見続ければ良いのかと、やっと発達小児科を紹介して貰った。


発達小児科は、予約がいっぱいで、診断までに時間がかかった。

その間に、何冊か発達障害の本を読んだり、ネットで調べたりした。
初めに浮かんだのは「ADHD」だったが、思うそばからこれとは違う、と漠然と感じていた。

「自閉症」という言葉は知っていたし、これまで何人かの自閉症のお子さんと出会った経験もある。
知的な遅れのない自閉症もあるという事も、知識としてだけは知ってはいた。ただそれら「高機能自閉症」が、どの様な特徴を持つのかという事は何一つ知らなかった。
本を読んでいて、「アスペルガー症候群」に行き当たった。これも言葉だけは知っていた。

読み進むうちに、ドキドキしてきた。
ドキドキが、止まらなくなった。


息子の事を「ADHD」かもと疑っていた時は、ご主人様もそっち系だし、まぁっいいかっ、と思っていた。ご主人様は幸せな人だから。
息子は、絶対に幸福な人生を送るに違いないと、勝手に思っていた。息子は素直で優しくて可愛くて、だから絶対に幸せになる筈だと、信じていた。
私とは、違う、幸せな人生を送るだろうと。

息子は「アスペ」であったのか、との確信に、言い様のない切なさが込み上げてきた。
何故ならば、本を読んでいて、息子が「アスペ」だと思った以上に、私自身にもその「傾向」が、多分にある事が判ったからだ。そこには、あれ?これって私の事?と思う内容がずらり並んでいた。


赤ん坊の頃から全く手の掛からない子だった(らしい)。
幼児期は、1人でボタンに糸通しをしたりして何時間も過ごす、大人しい子だった。
おしゃべりは1歳代でしたらしいが、基本的に無口な子だと思われていた。
泣き笑いもあまりせず、感情表現が乏しい。自分では笑ったつもりが、写真には無表情で写っている。
協調性運動が苦手で、不器用。顔の表情から体の動きまで、自分のボディイメージが掴めない。
子どもの頃から、他者とのコミュニケーションが上手くとれず、目を合わせるのも困難。会話中は、目を合わせるものだと気付いた事自体も、10代の終わり頃だった。
言葉を文字通りにしか理解できず、冗談などが通じない。
幸運な事に、イジメにあう事はなく(鈍感だっただけ?)、面倒見の良い友人に恵まれたが、「仲良しグループ」などには決して入れなかった。
初めての場所、初めての人に会う前には、メモにしたり頭の中で何度も模擬会話してからでないと不安。
小学生の頃は、いつもと違う行事などがあると、何をしたら良いのか分からなかった。急な予定変更は苦手。
小学校高学年~大学の途中位まで、服や持ち物の8割強が「黒」というこだわりがあった。
同じく10代後半~20代にかけて、こだわりと言っていい強固な趣味を持っていた。
自分の中の決まり事を守るのに必死で、強迫観念がある。
視覚優位。頭の中で言葉を文字にしたり映像にして考える。その考えを言葉に戻して発するのは苦手。
2歳代からの記憶が、映像として明確に浮かぶ。本人は無言だが、周りの会話はしっかり録音されている。
勉強については、教科書を丸々写真に写すかの如く暗記できたので、成績は悪くなかった。英語だけはずば抜けて悪かった。一旦日本語に置き換えてからでないと出来なかった為。
感覚過敏。時に、TVの音や子どもの声などがガンガン頭に響く。地震の振動音が他の人より速く聴こえる。雨の降る前に匂いで分かる。偏食。人ごみが苦手。
幼児期からの、辛い嫌な思い出が突然フラッシュバックする。
何か事があっても、親や他人に相談するなどは、思いつきもしなかった。保育園の時遊んでいて手の爪を剥がしてしまい、痛くて怖かったが、先生には言わなかった。家に帰ってからやっと母親に気がついて貰えた。
自分が精神的に参っている事に気が付かず、不眠が長く続いても、まだ疲れが足りないせいだと思い込んだりしている。
自分が悪い、自分がいなければいいと、自己否定の気持ちが常にある。

これは、私の事である。


「だから私はアスペである」と、言っているのではない。
診断も受けていないし、こうして日常生活を送れているのだから、あえて「アスペ」を名乗る必要もない。この様な「傾向」を持った人は、何も私だけではない。

私が言いたいのは、私自身について言えば、正直ほっとしている、と言う事だ。
自己完結に過ぎなくても。
これまで人生を辛く感じてきたのは、このせいであったのかと。
「アスペ」であろうとなかろうと、私はずっとこれまで「生き難さ」を感じて生きてきた。
常に自分は異質な存在であると、何故人と同じ様に生きられないのかと、孤独感を抱いて生きてきた。悪いのは私であるのは間違いないと、自分自身を責め続け、でもどこが悪いのかが解らない。そう悩み続けてきた原因の答えを、やっと得られた気がしたのだ。



ただ・・・。
息子もまた、私の様に悩みながら、自分は人とは違うと苦悩しながら、「生き難い」人生を過ごしていかなければならないのかと思うと、切なくて辛くて、申し訳ない。

息子が産まれ、育ててきて、絶えず自分の幼児期を追体験している気がしていた。時々に、辛かった事や悲しかった事がフラッシュバックしてきて、動揺した。そういった事の答えを得られただけ、私自身は楽になった。

でも、息子の人生はこれからだ。フラッシュバックを起こさせる様な悲しみや恐怖を、感じないまま生きるなんて事は出来ない。



息子の発達診断は、これまでに3歳9ヶ月、4歳3ヶ月の時に2度受けている。
どちらでも診断名は付かなかった。「アスペ」疑いのみである。
数値的には、姿勢運動が最も低く、言語社会が高い。認知適応がほぼ中間。
先生から「知的に高い分、先に何か怖い事があるのではないかと考えが及んでしまい、新奇の事に不安を感じるのだろう。そして運動面で遅れている自分の限界も解るから、余計怖がるのだろう」と言われた。
続けて、「だからって、最高峰の頭の良い大学に入れるとかじゃないからね」と付け加えられた。おや顔に出ましたかね、天才かあ、と思ったの。

とにかく、療育などは受けられず、診断も今後は1年毎という事になった。


結局、誰の助けも得られず、1人で育てていかなければならないのかと思うと、私の力量を超えてしまっている様で、怖い。
申し訳なくて、息子の事が、切なくて、愛おしい。


ただただ楽しく生きていけたらいい。そう、願う。
世界一可愛い、大切な息子。
あなたが何者であれ、どんな生き方をするのであれ、私の想いは変わらない。
世界一可愛い、大切な息子。
ずっと愛している。



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