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〇警察権の強化警察の権限を強化すべき時期が来たならば(警察権の弱体化は官憲の権威を失墜させる最も恐るべき敵である)、我々は人工的に混乱を起こすか、または腕利きの弁舌家とその周囲に集まる仲間に騒ぎを起こさせて、国民の不満を装い、その不安を口実として家宅捜索を行ない、また新たな制限を設けてゆき、その実行にはゴイムの警察官を用いる。〇陰謀家の監視陰謀家というのは多くは弁舌ばかり好むものだから、彼らが行動に移るまでは、秘密警察の手先をその組織内部に潜入させるだけにし ておいて、彼らのなすに任せる。陰謀が摘発されると、官憲には弱点があるとか、あるいは官憲自ら何か政治に過失があるのではないかと考え込むような、なお悪い事態を生じて、官威を失墜させるものであることを忘れてはならぬ。諸君も知るように、我々の手先が企てた度重なる凶行をもって、ゴイムの支配者の権威を損したのである。これらの手先は、ある種の自由主義的言辞を弄すると、それが政治的な性質のものでありさえすれば、容易に踊り出すような盲目的な動物である。我々ユダヤの王は目に見えない護衛だけで護るから、陰謀を恐れて隠れまわるのだとは何人も想像し得ないようになる。もしゴイムの場合に於けるように、王に対する徒党があってこれには敵わないから隠れるのだというようなことであるなら、それこそ王または少なくともその王室に対する近き将来の死の宣告である。ユダヤ王はその威厳の行なわれるなかに立って、人民の権利のためだけにその機能を用い、決して自身または王朝の利益のためにはこれを用いない。 王がこの権威を高く保持する間は人民から尊敬され、守護され、真に崇敬の的となるであろう。それは、人民は皆彼らと国家の幸福および社会秩序の保たれることは王の稜威によることがわかるからである。〇ユダヤ王の護衛法公然と王者を護衛することはその政治組織の弱体を認めることになる。王が人民の中に行くときは、偶然そこに居合わせた物好きな同情者群に取り囲まれたように見せて、その群集が王の傍らにいて、知らない者は秩序維持の口実でこれを遠ざけるようにする。遠ざけられる人々は謹慎な態度を取ることに馴れてゆく。群集のなかに誰か直訴のため王に近づこうとする者があると、王に近い人々がこれを受け取って、直訴人の見る前で王に取り次がなければいけない。すると何人にも直訴状が王の手許に届き、王親ら国務を監督することが知れ渡る。官憲の権威は人民が「王様さえ知ってくださったら」とか「王様がわかってくださるだろう」とか言えるようでなければならぬ。公式の警察護衛はやがて官憲の神秘的権威を失わせる。少し大胆にやれば誰でも権力者の上を超えてゆけると思わしめ、暗殺者に自信を与え、ただ役人に対し凶行を演ずるに好都合の機会を持つだけにしてやるのである。我々はゴイムに正反対のことを教えた。そして目立った護衛がどんな結果を得たかを見せてやった。〇政治犯の検挙我々はわずかな根拠がありさえすれば、その確否を問わず犯人を逮捕する。万が一冤罪かも知れないという口実で政治犯を逃してはならぬ。政治犯に対しては残酷でなければならぬ。政治犯罪の動機を調査する役に立ちそうな特別の場合でも、職権を持った政府の役人以外の者が事件に介入する口実はあり得ない。いかなる政府も神聖な政策ばかり行ない得るものではないことを注意すべきである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.31
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〇弁護士制度の改正弁護士業というものは、人間を冷酷、残酷、頑固、無主義にし、常に人間味のない純粋な法律観に立たせる。弁護士はいかなる弁護をも引き受け、法理の小細工にこだわって極力無罪を主張する。これで法廷には道徳がなくなるのである。それであるから我々は将来小範囲を限って弁護士業は許可するが、これを役人とするのである。弁護士は裁判官同様に、弁護を受ける人と交渉は出来なくする。法廷から公訴書類を受け取り裁判所の記録を調査して、法廷における裁判官の取り調べが済んで事実が明らかになった後に弁護をする。弁護士は一定の俸給を受けるので事件の結果には関係はない。弁護士の任務は官憲が有罪を主張するに対して単に防護の位置に立って事件を論ずるのである。それで裁判は短縮されて個人的利益のためではなく、真に被告の無罪を信じてやる正直な公平な弁護が行なわれるのである。この方式にすると法曹界に行なわれる腐敗行為がなくなり、金を余計出す者でなければ勝てないという弊風が除かれる。〇宗教界の制覇我々はゴイムの宗教家の信用を落とすことに尽力して今日までその方面で大きな成功を収めた。民衆の上に及ぼす宗教家の勢力は日に日に小さくなってゆくばかりである。現今では至るところに信教の自由が宣言されたから、キリスト教の転落はここ数年間で問題に過ぎなくなった。他の宗教に至ってはこれよりもさらに容易である。しかしその問題を論ずるのはまだ尚早である。 我々は宗門や宗教家が昔持っていた勢力と比較にならないような程度に彼らの勢力を小範囲に局限してしまう。バチカン法王庁を決定的に破壊してしまう時が来たならば、隠れた手が民衆にこの法王庁を指してやる。しかし民衆が法王庁に躍りかかろうとすると、我々は法王庁の保護者のような姿で現われて、流血の惨を許さないことにする。この転換によって我々が法王庁の内部に入り込み、これを全く没落させるまでは出て来ない。ユダヤ王が全世界の法王となり、国際寺院の族長となる。しかし我々が青年層を過渡的な新しい信仰に、次いでこれをユダヤ教に育て上げるまでは、我々は表向きには現存寺院には触れないで、内部の軋礫を醸させて、これを論難することで闘争する。〇密告の奨励概して我々の近代新聞はインドのヴィシュヌ神の支配を勧奨するので、その象徴たる百本の手が一つ一つ社会機関の発條を握っているのである。表向きの警察は我々がゴイのために造り上げ、現在の政権には物が見えないようにしてあるものだが、我々にはその手を借りずに見えるのである。我々の計画では人民の三人につき一人が自発的に国家にご奉公のつもりで、他の者を義務的な心に基づいて監視するのである。その時にスパイになったり密告者になることは恥ずべきことではない。これは褒められるべきことだ。しかし根拠のないことを密告した者はこれを厳罰にして、密告権の濫用を防ぐのである。我々の手先は社会の下層からも、最上層からも採用する。それは遊び好きな連中のなかの出版業、印刷業、書店、労働者、馬車の御者、カフェのボーイなどから選び出す。この警察には職権を持たせず、自ら行動することも許さないから、機能はないので、ただ証人となり、告発をするだけである。それらの人の供述を確かめたり、逮捕を実施することは、責任ある警察の監察官のやることである。逮捕そのものは憲兵隊および都市警察が実施するのである。警察事件について見聞したことを報告しない者は隠匿罪または共謀罪、またはその二罪の両方と見なされる。今日において我々のユダヤ人兄弟は自己の責任をもって、背教者やユダヤ協会に反対しようとする者を協会に密告する義務を負わせてあると同様に、我々の世界王国においてもすべての人民は犯人を告発する義務を負わせる。このような組織にすると、権力の濫用や腐敗をなくし、ゴイムの風習のなかに我々の非凡な権利観念が植え付けたすべての事柄を破壊する。我々がゴイムの風習に種々植え付けたと言うが、彼らの政治に混乱を増させるためには他の方法があったろうか。いかなる方法で出来ただろうか。これらの方法のうち最も大切なのは、秩序の維持に任ずる高級な手先を利用することであった。彼らには破壊的悪質を示すこと、すなわち偏狭性、権力の濫用、特に賄賂を受けるのを許すことであったのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.30
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〇大学を支配する大学は我々のもの以外のすべての結束力を破壊するのを目的とした共産主義の第一段階であるが、これを廃止する。そして新しい精神で別のものを造る。その学長や教授は、秘密かつ詳細な行動計画で密かに準備せられ、彼らはその計画から少しも離れることは出来ないのである。彼らの任命には特別の慎重を要し、全部政府に従属させるのである。我々は教育のなかから市民権というものをすべての政治問題と同様に除外する。これらの事柄は優秀な能力を備えた者のなかからさらに選び抜いた数十名の者だけに教える。大学は喜劇や悲劇を書くつもりで憲法法案を書き、彼らの父祖自身すら少しも理解しなかったような政治問題にたずさわろうとする青ニ才をその門から世に出してはならぬ。政治問題について多くの人が抱く不理解は、空想家と不良市民を造るのである。〇義務教育の無力化諸君は一般義務教育がゴイムを造り上げたことについてはおわかりと思う。それは我々が彼らの教育のなかに、彼らの社会秩序を見事に弱体化させる原理を導き込まなければならなかったのである。しかし我らが権力者になったならば、騒擾を起こすようなすべての事項を教育から駆逐し、青年は官権に従順なる子供で、統治者を敬愛し、これを平和の支柱であり頼みとするようにさせるのである。〇自由教育は撤廃する我々は古典主義と古代史の研究を将来の計画研究に取り替える。古代史などの研究は善いことよりは悪い範例を示すからである。我々にとって不愉快な事実を人間の記憶のなかから消させて、ゴイムの政府の欠点を描くものだけを保存させる。実生活、自然の社会秩序、人間相互の関係、悪の種子を蒔く利己的悪例を避ける義務およびこれに類する教育事項は教育計画の第一にする。それは実行にあたっては職業によって異なるのであり、教育は決して一様になることを真似てはならぬ。このことは極めて重要である。社会の各階級の教育は特別なる職業と仕事の本質とに限定しなければならぬ。稀に出る天才的人物は上級学校に進み得たし、これから先も進み得るであろう。しかし価値のない者を他の階級に入れてやって、生まれや職業に特有であるべき位置を占めさせることは真に馬鹿なことである。諸君はこれらのことが、明らかなる不合理を許したゴイムに何をもたらしたかを承知しているであろう。人民の精神や心の中に決定的に君主を受け入れさせるためには、学校においても公開の場においても君主の行動の重要性とその企てることが善事であることを知らしめなければならぬ。我々はすべての私立学校を廃止する。生徒は学校においてもクラプ同様に親たちと会合することは許す。休日にはその会合の間に教師が、人間相互間の問題、模倣の法則、極端なる競争の弊につき中正な意義ある講演を聞かせる。なおその講演は未だ世に現われない新しい哲学原理で敷術する。我々はその原理で教理的信念を築き上げて、我々ユダヤ信仰への改宗の要素に使うのである。我々の現在及び将来における行動計画を発表してから、私は右の学説の原理を読み上げる。要するに幾世紀の経験によって人間は思想に生き、これによって導かれ、この思想は教育によって叩き込まれることを知り、方法はいくら違っても同じ成功を得たので、我々は独立した最新思想の光明を我々の有利になるように取り入れ、これに順応する。その思想というのは永い間我々が待ち望んだ目的と思想を狙ったものである。〇視覚による教育思想を屈従させる方式は視覚教育と呼ばれるもので既に行なわれている。この方法は、ゴイムの間にすべての脳の働きをなくして、物を考えないで理解するためにはひたすら見ようとする従順な動物にする。フランスでは、我々の最良の手先の一人たるブルジョア氏が既に視覚教育の新計画を広告した。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.29
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第十五議定〇泄界同時革命各国同時に革命を勃発させ、現在の各国の政府がすべて没落して(これは恐らく一世紀はかかる)、我々が決定的に主人公になった暁には、いかなる陰謀も我々に対して企てられないように、眼を見張り、我々の征服に反対してしかも武器を執る者は、何人といえども容赦なくこれを抹殺してしまうであろう。新たに秘密結社を創設する者は死刑に処する。我々の認めている現存の秘密結社は、我々のために働いたものも、我々に反対していたものも、すべて一律に解散させ、その会員はヨーロッ パから甚だ遠い大陸に追いやってしまう。あまりに詳しく真実を知っているゴイムのフリーメーソンも同様に取り扱う。何らかの理由で許してやっておくフリーメーソン結社員は いつでもこれを追い払うことにして、これを絶えず脅迫しておく。我々は法令を出して秘密結社の全部をヨーロッ パから叩き出して、ヨーロッ パは我々の政治の中心地とする。 我々の政府の発布したことは決定的でこれに対する控訴も嘆願も許さない。我々がゴイムの社会に対立、 騒擾の根を深く植え込んであったのだから、秩序を回復するのには無慈悲の方法を用いて我々には到底反抗は出来ないことを徹底して見せなければならぬ。将来の幸福のためにはどれだけ多数の犠牲者を出そうとも何ら考慮などする必要はない。真に己の政府の存続を忠実に考え、特権の存続を願うのではなく、その職責を全うすることを顧念する政府は、たとえ虐殺に訴えても善をなすことを努めなければならぬ。永続する政府を創設する最善の方法は官権の権威を増強させなければならぬ。それは政府の権限をすこぶる大きなものとし、かつこれを揺るぎなきものとしなければならぬが、その基づく論拠は神から選ばれたのだから神秘的であるとの印象を与えることにある。近年まで帝政ロシアがそれであったから、ローマ法王とともに我々の筆頭の敵であった。イタリアが血の海と化したことを思い起こされたい。しかし、このように血を流したのはシーラであったが、イタリアは彼の髪の毛一本にも触れ得なかったのだ。シーラは国民を虐げたのであるが、国民には強者と見えたのである。彼は大胆にも再びイタリアの地を踏んだが何ら虐待を受けなかった、国民というものは勇敢と沈着とによって魅了してしまうと、これに触れようとはしないのだ。〇フリーメーソンは情報収集機関前述のように秘密結社は将来潰すのであるが、我々が主人公となるまでは、かえってフリーメーソン組織を世界各国に増設してゆくのである。そのためにそれぞれの国の現に名士であり、または名士になりそうな人々をそこへ引き入れるのである。それはフリーメーソン組織は我々の主要な情報収集機関であって、我々の勢力はそこから出るからである。これらの組織はすべて我々だけが承知していて、外の者には誰にも知られない唯一の理事者の下に統一されなくてはならぬ。すなわちフリーメーソン組織はすべてユダヤ長老に支配されるのである。組織から一人ずつ代表者をその理事会議に出席させて、理事会と世間に現われているフリーメーソンとの連絡役に任じさせるのである。理事会が行動指針を与え、事業計画の編成に参加する。この組織にはすべての職能や階級の代表者を集めている。極秘に属する政策は組織を設ける日から我々が承知していて、その指導に当たるのである。国家警察、国際警察のほとんどすべての手先はその組織に加盟させるが、それは警察として攪乱者に対して予防処置を講じてくれるばかりでなく、我々の行動を世間に向かって秘匿してくれ、またあえて不平を起こさせるためなどにも役立つから、是非必要なのである。秘密結社に入る者の多くは、野心家や好奇心の強い人物など一般に軽薄な性癖で、我々の計画に対して難しいことなどは言わず、かえってこれが実行を助けてくれるのである。何か紛擾が起こったとすれば、それは彼らの結束があまりに強固になるのでこれを攪乱する必要が起こったためである。何か陰謀が起こされたとすれば、その頭目には必ずや最も我々に忠実な家来が一人立っているはずである。我々だけがフリーメーソンの事業を指導するのは極めて当然のことである。なぜならば我々だけがどこへ行くべきか、また各行動の目的は何であるかを心得ているからである。ゴイムに至っては何にも解らない。すぐ後でどういう結果が来るかすら予見できない。彼らが計画をするときには、彼らの野心の一時的満足のほかは考えない。その計画は結局彼らのためではなくて、我々が彼らに鼓吹したものであることも自分でやっていながら気がつかない。ゴイムが組織に加入するのは単なる物好きか、公共の金を預かろうという欲望からである。なかには自力では実現不可能な欲望を実現する機会を掴もうとして入って来る者もある。彼らは演説会の盛況と嵐のような拍手喝采にすっかり感激したり気を良くしているが、その拍手や成功は我々が大金を使って彼らに贈ってやるのである。かくて我々が成功させてやるのは、ついには起こる不成功で意気消沈することを大きくし、これを利用するためである。人に鼓吹された考えをも、確かに自分が考え出したものだと信じ切っているような輩には特にその士気喪失が甚だしいわけである。ゴイムの最も賢い者でも、無邪気に我々を信用させるように誘導することがどれほど容易なことであるかは諸君の想像を超えている。これとは逆にまた彼らを落胆させることも極めて容易なことである。ただ些細なしくじりや人が喝采を止めただけでも彼らは士気喪失するのである。その場合次の成功を準備してやるといえば彼らは完全に我々に服従してくるのである。我々ユダヤ民族は、計画が実行できさえすれば成功などは意に介さないのであるが、ゴイムはこれと反対に成功さえすれば目的はどうなっても構わぬという行き方である。この心理状態がすなわち彼らの誘導を容易ならしめるのである。外見は虎のようなゴイムでも、精神は羊のそれで、彼らの脳は様々な愚劣なことを苦もなく受け入れる。我々は彼らの頭の中に―つの妄想を吹き込んだ。それは人間の個人主義を単なる象徴的思想たる集産主義〔訳註五六産主義と紙一重の主義〕に没入することを夢見る妄想である。彼らはこの妄想は主要な自然法則に正面衝突をすることが今もって諒解できず、今後もまた決して諒解できないであろう。天地創造の始めから、自然は個々のものを造って、個性というものを確認させるためにその個々は他のものとは違わせてあるのである。我々の古代の長老はいかに先見の明があったことか。彼らは、重要な目的を達するためには手段にこだわったり、その目的達成のために供する犠牲などを勘定してはならぬ、と言ったのである。我々は小粒な家畜であるゴイムの犠牲は勘定しなかった。我々自身多くの犠牲を出したが、その代わり我々の民族は夢にも想わなかった地位を獲得できた。我々の犠牲の数は比較的にはあまり多くないが、これによって民族の破滅を免れ得たのである。〇秘密結社の弾圧何人も避け得られない終局は死である。であるから、新秩序の建設者たる我々自身が死ぬよりもまず、我々の仕事をごたつかせる人々の死を早めてやった方がよろしい。我々はフリーメーソン結社員を誰も気がつかないように殺そう。本人自身もそれはわからない。必要になれば彼ら全員も、自然の死のような姿で息を引き取るであろう。我々の同胞はこれを知っても抗議などはあえてしない。我々がフリーメーソンの中で僅かでも我々の言うことを聞くまいとするものを根こそぎ排除したのは、そのような方法を用いたのである。なぜならば我々はゴイムには自由主義を説くけれども、我々ユダヤ民族と我々の手先は鉄の規律をもって押さえているからである。我々の勢力によってゴイの法律を適用することは最小限に止めた。法の権威というものは我々が持ち込んだ自由主義の解釈で失墜せしめた。最も重要なる政綱や道徳の根本は、我々の思うように、かつゴイムの為政者に我々が示した方向に向かって法廷で定めてしまった。この目的はごく節単に達せられた。それは表面的には我々と何らの関係のない手先の仲介により、あるいは新聞などを利用したのである。貴族院議員や高級官僚には一も二もなく我々の忠言を聴く者すらある。ゴイムの純動物頭脳には、物を解剖したり、観察したりする能力はない。いわんや決定した事項がどのような結果を導くかという先のことなどわかりはしない。我々とゴイムの間には理屈の考え方にこんな相違があるお蔭で、ゴイムの本能的、動物的心理と比べて、我々民族が神の選民であることが判然とするのである。ゴイムは物を見るけれども、予見をすることは出来ない。そして物質上のこと以外には発明する能力はない。これによってこれを観れば天然が我々ユダヤ人を王として世界を導くように造ってくれたことがいかにも明白である。我々が天下を掌握する日には、征服の成果を収め、すべての法律を変革するであろう。我々の法律は簡潔で、明晰で、確定的であって解釈の必要はない。それであるから誰でもそれを根本的に学び得る。そのなかに明確に入れておくべき要点は官憲に対する完全な服従である。この服従によってすべての権力濫用をなくすることが出来る。それは何人も例外なく、我々の最高権威者に属する絶対権の前に責任を負うべきものであるからである。次級官吏の権力濫用もまたなくなる。もし犯した場合には、もう再犯の到底出来ないほど峻厳に処罰されるからである。我々は官憲のやることを細かに監視する。これで物事が善く運ぶのである。もし一部に腐敗があると必ず他所にもこれを惹起することになる。いかなる法律の違反も腐敗行為も処罰を免れることはなくする。役人の横領、怠慢も最初に見せしめ的に厳罰すれば後を絶つであろう。官の権威からすると、最上権の神聖を侵そうとするものは、軽微のことでも、適当なる罰則すなわち厳罰を科さなければならぬ。犯罪が私利私欲を充たさんとする場合には特に然りである。厳罰を蒙る犯罪者は主権、政綱、および法律擁護のために官界の戦場で倒れる兵士である。個人的理由や支配者側であるからといって公職を欠くことを免じ得ない。〇定年制の導入裁判官が馬鹿げた慈悲を見せようとすると、それは刑法に違反することを知らなければならぬ。もともと刑法というのは犯罪を無くそうと懲戒的見せしめのために作られたのであって、司法官の徳性を誇示するために出来たのではない。これらの徳性は私的生活では尊重すべきものであろうが、公的生活は人間生活の教養をなす基地であるから、ここではその徳性は尊重されない。我々の裁判官は五十五歳に達すれば現職を退くのである。その理由は、第一に老人はとにかく先入観にとらわれ易いのと、新秩序には容易に従いたがらないからである。第二には、我々の言うことを聴く人々の人事を刷新するのに役立つからである。現地位に止まりたいものは何でも服従しなければならぬ。概して言えば我々の裁判官は人を処罰し、法律を強制しなければならぬことを理解している人々のなかから選ぶのであって、ゴイムが現在考えているように政治の意義を無視して、自由主義の夢にまかせて歩くようなことはしない人でなければならぬ。頻繁に人事の異動を行なう方式は役人の間に堅い結束の起こるのを予防し、政府の利益に彼らの運命を結び付ける。最も若い裁判官には、我々の人民相互の間に設ける秩序を害する恐れのある弊害を看過しないように教育する必要がある。現今ゴイムの裁判官は彼らの職責に対する明瞭な認識が欠けているので、いかなる種類の犯罪にも情状酌量を加える。これは今日の政府が司法官を任命したときに、義務の観念と職責に対する信念とを吹き込まないから起こるのである。動物が子供に餌を無条件に与えるのと同様に、ゴイムは職務の性質をも説明せずに高い位置を与えるのである。そこで彼らの権威は彼ら自身の努力と自身の執務とで地に塗れる結果になる。この結果が我々の方式の利益となるさらに一つの事例である。我々の社会体制の見地から部下に与える教育を司る官憲、そのすべての重要地位から自由主義を駆逐する。彼らの椅子は行政のために我々が仕込んだ人々だけに与える。人はおそらく老朽官吏の洵汰は国費の負担増加になると論ずるであろう。これに対しては次のように答える。それらの人々を辞めさせる前に、あらかじめ民間事業に地位を捜してやって、彼らが失った所得はそちらで取り得られるようにする。世界の金は我々の手に集中されたのであるから、経費が嵩むのを恐れる必要はない。〇処罰の峻厳我々の専制はすべての点から見て一途に出ているから、我々の大権の働きはすべて尊重され、文句なしに服従される。我々は苦情にも不平にも考慮を払わない。もし不平屋が実行運動を起こしたならば、制裁を加えて他の者の見せしめにする。司法上の判決を覆さんとする控訴権は撤廃する。司法部は主権者の絶対的特権であるから、我々が任命した裁判官が誤った判決を下すことがあると人民に考えさせることは許さない。しかし万一裁判に過失があった場合には我々自身でこれを取り消す。その際には職務をわきまえない廉でその裁判官を処罰する。そして再び過失が犯せないほど重く責任を問うのである。繰り返し述べるが、我々の官憲が行なうすべての仕事を厳密に監督して、善良なる官吏による善良なる政治を要求する権利のある人民を満足させる。〇ユダヤ王は家長となる我々の主権者の人物からして、我々の政府は族長であって父のごとき保護者と見られるであろう。我々の人民はそれを父と見なし、その役目はすべての要望、すべての為さんとする所を面倒見てくれるし、民事のことやら、人民と主権者の関係やらすべてにわたって心配してくれるのである。かくして人民はこの保護者、この指導者がいなくては安寧な生活はどうしても出来ないと思い込むようになり、我々の主権者の専制に服従してこれを尊敬し、ついにはこれを神聖化するようにもなる。 人民が我々の役人は君主の言い付けを一所懸命に実行するに甘んじて、彼らの職域の最少範囲に止まることを知った場合にはなおさらそうなる。ゆえに我我の人民は、幸福に思う。 それは万事は彼らの生活問題のうちに律せられ、あたかも賢明な両親が義務と服従との法によって彼らの子供を教育しようとするようなものであることを認めるからである。我々の政策の秘密から眺めると、人民とその官僚とは小さい子供の類である。諸君の知られるように、我々の専制は権利と義務とに立脚する。義務の実行を要求する権利は人民のための父親たる政府の第一の義務である。強者は人類を、自然法則すなわち服従に立脚する社会秩序に向かって導くために、その威力を使う権利を持っている。この世界においてすべては他人の力か、環境か、または自らの本性か、要するに自己の力以上の力に従えられる。ゆえに人類の幸福を実現するためには最も強い者になろうではないか。我々は現存秩序を侵犯するものは何人でも躊躇なく犠牲にしなければならぬ。それはこの国民教育的大問題は、害悪を見せしめ的に懲罰することにあるからである。イスラエル王がヨーロッパの捧げた冠を神聖な頭に頂くときには世界の族長となる。そこへ行くまでに払わなければならない犠牲者は、ゴイムの政府どもが幾世紀かの競争時代に愚にもつかない偉大さを争うために供物として斃した犠牲とは比較にならぬほど少ない。我々の王は人民と絶えず接触してこれに演説をする。それは直ちに全世界に宣伝されるであろう。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.28
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〇非ユダヤ宗教の破壊我々が支配者となったならば、ユダヤの一神教以外のいかなる宗教の存在をも許さない。我々は神の選民であり、その神と我々の運命とは結び付いたものであるから、その運命は世界の運命と結び付いたものである。ゆえに我々はすべての信仰を破壊する。そうすると一時は無宗教時代が出現するかも知れないが、それは過渡期であって我々の目的を妨害するものではない。むしろ後世子孫にモーセの宗教を模範として残すのに役立つのである。ユダヤ教に関する我々の予言を彼らに諒解させ、ユダヤ教の堅忍性と善く考えられていることが他民族征服に至るのである。〇ユダヤ教の秘密我々はその点について神秘的な真理を見せる。その真理に一切の教訓的勢力が横たわっているのである。そこで我々はあらゆる機会において我々の有益な体制と過去のものとを比較論評した記事を公表する。数世紀にわたる動乱の後に獲得した休息の有難味で、我々ユダヤの支配がいかに恩恵の大きいものであるかがわかるのである。ゴイムの政治が誤っていたことを鮮明な色で塗って見せ、その悪政に対する嫌悪の情をそそる。すると人民どもは有名な自由の権利などよりも、むしろ奴隷的でも安泰に暮らせる方を喜ぶのである。実に自由の権利というのは彼らを大いに苦しませ、生活の法を奪い、何も知らずに山師の群れに搾取せしめたのである。我々がゴイム政権を覆す際には彼らを推し進めて幾たびか無意味な政変を起こさせたから、彼らはもうこれに飽き飽きして我々の言うことに何でも我慢する方がましだということになる。さもなければまた新たな騒動をしなければならぬのである。我々は特に何世紀の間有益なことはしないで、錯覚の社会改善を成して人類を苦しめたゴイム政権の、歴史上の過失をはっきり暴露する。実際彼らの過去の政策は、改善などなさずに、人類生活の一般関係を悪化しただけである。だがそれがわからなかったのだ。我々の御用哲学者はゴイム宗教のあらゆる害毒を指摘するのであろうが、誰も本当の立場から我々の宗教を論議などしないであろう。なぜなら、我々ユダヤ人以外の何人もこれを根本的に知っていないからであり、また我々同族は決して秘密を裏切ることはないからである。〇堕落文学の創設いわゆる先進国のなかには、我々が偽文学、醜悪な文学、厭気の差す文学を創設した。我々は天下を取ってもしばらくの間はそれらの文学を奨励するであろう。それは我々の演説、我々の計画と、この醜態とのコントラスを際立たせるためである。ゴイムを指導するために育て上げられた我々の賢者らは、演説、未来論、回想録、論説などを書いてやって、これにより人心に勢力を及ぼし、我々が押し付けようとする思想と知識との方に彼らを導く。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.27
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〇民衆の心理を惑わす法日常のパンの問題は、ゴイムを黙々として我々の従順な下僕に甘んじさせるに至った。彼らの中から我々の新聞社で使うために優秀な手先を選んだが、我々が公文書であからさまに説明するのは、都合の悪い問題が起こるたびごとに、その手先が我々が発表を命じたことを論ずるのである。彼らが盛んに論戦をしている間に我々が考えた規則を発布して、これを既成の事実として人民に示すと、それは万民の運命を改善するための処置だとして示す限り、すでに発布された法令を撤回せよと要求する者はない。新聞はすでにこの時には新しい問題を取り上げて一般の注意をその方に引きつける。我我が永い間民衆を絶えず新しい感覚を求める方へと馴らしてきたことは周知のことである。愚かな「運命の人たち」は、彼らが議論しているという問題についてどれだけ無智だかを諒解しなかったし、今なお諒解していないくせに、この新問題について喋舌することに急である。もう一度繰り返すが、政治問題はただこれを作ってこれを幾世紀来深く研究してきた人でなければ理解し得ないのである。これまでの記述から諸君にはすでに明らかであろう。人民の世論を導くためには我々の機関の働きをよくするだけで足りるのである。また諸君は我々の行為ではない、言説に賛同させるように努力していることを諒解せられるであろう。我々は常に、我々の政策は、一般の幸福に役立つことの希望と確信をもって方針としていることを声明している。常に動揺している民衆が政治問題を論じるのを防止するために、我々は別の飼料として経済の問題を与えた。この問題ならば彼らがどれだけでも騒いでもよろしい。大衆を政治問題から離れさせるには他の楽しみを与えなければならぬ。すなわち、例えばあたかも政治問題のように取り扱わせる経済問題などである。もともと我々自身がゴイム政府に対する我々の政戦において、大衆の支援を得るために経済問題を提起したのだ。彼らが独立的に何らの決議をしないように、賭博、見せ物、遊興場等の娯楽によって慰めるのである。そのうち我々は新聞の仲介によって、芸術、美術、各種のスポーツの範囲で優勝者の奨励を行なうことを始める。これらの娯楽は、我々が人民と争わなければならない政治問題から徹底的に民衆を方向転換させる。〇進歩などは迷想民衆が次第に自由に考える習慣を失ったならば、我々と結ぶことを考え始めるに違いない。なぜなら我々だけが、表面無関係な人々を仲介として、彼らに新しく考えるべき事柄を提供するからである。我々の政府が承認されると自由主義空想論者の役割は終わるのである。それまでは彼らは大変に我々のために役立つのである。我々は、彼らが進歩主義と思っている空想理論の方へ彼らの思想を導いてきた。なぜならば「進歩」という言葉を用いて、我々は馬鹿げたゴイムの頭脳を転回させることに成功したのである。ゴイムのなかには「進歩」という言葉は物質上の発明に当てはまるほかは、単に虚偽の欠陥を覆うものだということのわかる頭脳を持った人間がいないのである。もとより真理は一つしかないから、進歩の入り込む余地はないのだ。進歩は誤った構想であるから、神の選民たる我々だけが知っていなければならぬ真理を覆い隠すのに役立つのである。我々はその真理の番人だから我々だけ知らなければならぬ。我々の征服が出来上がったならば、我々の弁士は人類をごたっかせた大問題を論議し、これをついに我々の神聖なる律法の下に持ち帰るであろう。そのときになったならば、今までのすべての問題は幾世紀にわたって何人にも暴露されなかった政策に基づいて、我々が提出したのであったことを疑うものは一人もないであろう。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.26
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〇自由の定義自由という言葉は様々に解釈できるが、我々はこう定義する。自由とは「法律で許されたことをなし得る権利」である。この定義は我々だけに適用されるのである。それは、自由というのは我々がいかようにでも決められるからである。法律は我々の計画に応じてこれを作ったり、廃棄したり出来る。新聞についてはこうである、現今、新聞の役割は何であるかと言えば、党派の激情や偏狭な軋礫を起こすことで、すべては我々に利益になるのである。新聞は空虚で、不正で、嘘つきであって、読者の大部分は何の役に立つのかと疑うこともある。我々が新聞を締め上げ、これをしつかり綱に繋いでいるのである。他の印刷物につ いても同様である、なぜならば我々が新聞や雑誌の攻撃から免れても、パンフレットや書物で攻撃されては何にもならぬからである。現在では公表には大きな金がかかるが、我々は逆にこれを我々の政府の有用なる財源になるようにする。それには特別の印紙税を設け、出版業者と印刷所とに保険金を納めさせるのである、そうすると言論機関からのあらゆる攻撃に対して政府を保護することができる。もし攻撃を受けた場合には罰金を科してこれに対応する。印紙税、保険金、罰金という方法は政府の重要な収入になる。もちろん政党の機関紙などは多額の罰金を取られても平気であろうが、重ねて我々に対する重大な攻撃をした場合には今度は発行禁止にしてしまう。我々の政治的確信の権威に触れたなら何人といえども罰を免れない。発行を禁ずるには次の口実を用いる。発行禁止になった印刷物は何らの理由も根拠もなく、いたずらに世論を激発したからだと。我々を攻撃する刊行物のなかにも、特に我々の方で創刊するものがあることに注意せられたい。そういう刊行物が我々の政策を攻撃するのは、我々が修正したいと思っている点だけに向かってするのである。どのような報道も広告も、我々が眼を通してからでなければ公にされない。世界各地のニュースが若干数の通信社に集められ、その手を経て報道せられるようになってから、すでにその通りになっている。これらの通信社は早晩全部が我々の権力下に入り、我々が公表を許す以外のニュースは出 せなくなるであろう。今日すでにゴイムのほとんど全部は、我々が眼の先へかけてやる色眼鏡を通して世界の出来事を視ているほどに彼らの心を押さえているし、また今日においても愚かなゴイムが「国家機密」などと言っているものを我々に透視できない国は一つもないようになっている。〇新聞と出版物の将来ここで新聞の将来に立ち戻ろう。何人も出版社、書店、印刷業をやろうとすれば免許を得なければならぬことにし、その免許は我々の法律に違反をした場合には取り消し得ることにする。そうすれば思想を発表することは我々の政府の手による教育手段となり、人民は思い思いの道に迷い込んで、人道的進歩などを夢見る余裕がなくなる。我々の仲間には、このような空想的な親切は実行不可能なる希望として墓地に持って行き、人民と政府の間に無政府関係を栴えるに至ることを知らぬ者はないはずだ。進歩、否、正確に言えば進歩思想は何らの制限なく解放運動の種々の体系を出現させた。いわゆる自由主義者は実行においてはそうでなくても、少なくとも精神においてはすべて根本的に無政府主義者である。彼ら特有の狂的強情から、反対せんがための反対をしながら無政府主義に陥った。それでもしかし、新聞と出版の問題はゆめゆめ忘れてはならない。すべての印刷物の毎頁に印紙税をかけ、これは保険金で間違いなく徴れることにする。三百頁以下の書籍はその税を二倍にする。薄い刊行物は小冊子と名づける。こうして最も有毒である雑誌の数を減らすことにし、また一方では著作家が厚い本を書かざるを得なくする。その代わりそういう本は退屈するのと高価なので人があまり読まなくなる。だが、我々自身の出版物は我我の思う方に世論を導くのであるから廉価でたちまち売り切れる。税の圧力で思想的作家は尻込みをするだろうし、処罰の脅威で全作者が我々に降伏する。それにもかかわらず我我を攻撃しようとする者があっても出版の引き受け手がない。それは印刷に付する前に出版業、印刷業者は官憲の許可を受ける必要があるからだ。これで我々はあらかじめ我々に対する攻撃が準備されていることがわかるから、世に現われる前にこれに反駁することが出来るのである。〇雑誌と書物の検閲文学とジャーナリズムとは最も重要な二大教育機関である。それゆえに我々の政府は定期刊行物のほとんど全部の所有主となるであろう。そして独立的新聞の害毒を中和してしまって民衆の上に大きな勢力を有するに至るであろう。比較的独立した新聞と我々の息のかかった新聞との比率は一対三にする。しかし民衆はそんな事情は考えてもみないから、我々の発行する新聞は巧妙な方法で民衆に我々を信頼させながら反対意見の方を支持する。こうして我々は敵を引き付けるのである。敵は警戒をしていないから我々の陥穿に落ち、無害なものになる。主な新聞というのは機関紙的なものである。それらは絶えず我々の利益を擁護し、したがって彼らの勢力は比較的弱い。次には半官的なもので、その役割は我々の方へ無関心の人々および中立の人を引き入れるのである。第三には明白な反対新聞で、少なくとも紙面の一部において我々を攻撃する。 そこで我々の本当の敵はこの反対論を真実と思って彼らの腹を見せてしまう。我々の新聞はすべて様々な違った主張を持っている、ある新聞は貴族政治的であり、他のものは共和主義または革命的で無政府主義なものもあるが、これはもちろん今の憲法が存続する間の話である。インドのヴィシュヌ神のように、これらの諸新聞は百本の手を持っていて、その一つ一つが世論の各層に衝動を与える。煽動期間にはこれらの手は我々の意見に従って世論を導くことに役立つ。それは興奮した人々は理屈は考えないで容易に誘導されてしまうからである。馬鹿者は自分の党派の新聞の主張を反映して演説をしているつもりでいるが、何も真実を知らない。それは我々の意見か、または少なくとも我々が彼らに与えたい意見を宣伝しているのである。彼らは同志の新聞について行くと信じつつ、実際は我々が彼らのために掲げている旗についてきている。我々の新聞陣営が我々の計画を敷衍し得るためには、我々は大なる注意をもって言論機関を組織せねばならぬ。中央新聞局という名目で我々は文筆者の会合を設け、そこに我々の覆面の手先がいて合言葉と符牒を与える。我々の新聞は我々の政策を批判したり、これに反対したりする。もちろん根本には触れずに表面的なことだけである。また機関紙に対しても空砲を放ち、起こった出来事について詳報しなければならんと思っているような点を、補足出来るようにしてくれる。しかしこれらの方法は必要な場合以外には用いないのである。新聞が我々を攻撃することは、新聞がまだ自由を失っていないという印象を民衆に与えるのに役立つのである。 それはまた我々の手先が、反対党は意義のない反対説を立てている、それが証拠には政府の政策を批判する本当の根拠がないではないかと説き回る機会を与えるのである。このような手法は一般の注目を避けて民衆に政府信頼の念を増させるのに最良の方法である。この方法によって状況に応じ、政治に関する民衆の感情を激発させたり、鎮静させたり出来るのである。我々はある時は真実を、ある時は嘘を注ぎ込んで、人を説き伏せたり、逆用したり出来る。ある時は事実を根拠として立論し、またある時はこれに反対したりするが、それは民衆にどんな印象を与えようとするかによって違う。要は深い注意をもって足下の地面を探り、それから足を踏み入れるのである。我々は常に理屈では敵に勝つ。それは敵が根本的に説明することの出来る新聞をただの一紙も持たないからである。のみならず、我々が新聞界に押しつけた制度のお蔭で、我々は真面目に反駁する必要もないくらいである。また我々は半官紙を用いて、反対新聞に我我が掲げさせた世論の観測気球をも強く否定することが出来る。フランスの新聞界にはフリーメーソンの相互連帯が成立しており、合言葉もある。すべての言論機関は職業上の秘密で結ばれている。すでに過ぎ去ったものでも、前兆だったものはどんな新聞も命令がなければ秘密を暴くものはない。誰もこれをあえてしないのは、文学指導者の仲間に入るには、あらかじめ何か恥ずべきことをしたことのあるもので、その後不謹慎なることがあれば、直ちにこれを暴露することになっているからである。この不行跡は極めて少数の人にだけ知られているのであるから、新聞人としての権威は外国までも広がっている。そして民衆の間に名声を博しているのである。〇新体制我々の計画は特に地方を抱合し、首都にいる者に対する野心と反対の希望とを激発せなければならぬ。我々は政府に向かってそれらの野望が地方の主張であり見解であるとして現わさなければならぬ。これらの運動は我々自身が主となって鼓吹するのである。我々が公式に政権を獲るまでは、首府は地方の世論の下に置かなければならぬ。言い換えれば、我々の手先が組織した大多数で制圧しておくのである。大事件になったときには首都は既成事実に対して争うことは出来ない。なぜならば地方の大多数が承認しているからである。新体制とは我々が権力を獲る前の過渡期であるが、我々がその新体制の段階まで進んだときには、我々はもはや新聞に社会の腐敗記事を取り扱わせないで、新体制はここまで万人を満足させたからもはや罪を犯すものではないと信じさせなければならぬ。もし犯罪があったら、何人も被害者とたまたま通り合わせた証人だけにしか知らせないのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.25
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2021.01.24
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〇ユダヤ新憲法衆議院は政府の権力に力をつけるのが役である。それは一見立法機関の観もあるが、実は政府のために法律規則の案を整備する委員会である。今我々が準備している新憲法は次のような内容である。我々は法律を造り、次の方法で裁判所を監督してゆく。(1)立法機機関に示唆を与える(2)大統領が一般法の形式で命令するもの、元老院から出る大統領令によるもの、衆議院の決議により各大臣が実施に任ずるもの(3)時が来れば暴力政変によってするもの我々の行動計画の大綱を述べたから、これより今まで述べた方針に従って国家機関の革新を促すべき手段の細部を検討してみよう。その手段とは次のごとくである。新憲法の布告せられる翌日に「言論の自由」「集会の自由」「信教の自由」「選挙権」その他多数の事柄は人類の目録から姿を消し、または全部取り替えられねばならぬ。その際に初めて我々の勅令を発布するのである。その後に我々の法律に改正を施すことは危険である。その理由は、もしその改正が一層峻厳性の増すものであると、その先まだどこまで次々と新しい改正が来るかも知れないという失望を人々に与えるし、これに反して改正が最初に出すものを緩和するのであると、人々は我々がかつて行き過ぎていたと感じ、新政権に対する信頼を動揺させる。 また我々が恐れを懐いて譲歩しなければならなかったと言われ、この緩和によって我々は何ら感謝されずに、その譲歩は当然のことであったとされてしまう。右のような二様の印象を与えるのはどちらも新憲法の権威を害する。新憲法が発布された瞬間、民衆は生々しい革命で肝を潰し、恐怖心に駆られているから、我々は民衆の感情をよくしようなどとする何らの考慮をしておらぬほど強く、必然的な権威あるものであることを思い込ませなければならず、また我々がかつて民衆の感情とか世論とか言っていたのはもはや通用しない昔の死文となったので、我々はいつでもどこでも僅かばかりの反抗の模様でも見えれば、これを強権してしまうように準備もあり、出来るのであることを頭に浸み込ませなければならぬ。民衆には我々はすでに取るべきも のは全部取った、我々はいかなる口実の下にも彼らに我々の権力を分配するものではないことを知らせなければならぬ。そうすれば民衆は落胆と恐怖とを感じ、諦めをもって事件の成りゆきを眺めるほかはなくなる。〇ゴイムは群羊、 ユダヤは狼ゴイムは羊の群れで、我々は狼である。諸君は狼が羊の群居する牧場に入ったらどうなるかを知らないことはないであろう。羊はただ眼を閉じてしまう。民衆も同様に諦める。それは、我々が民衆に約束するのである。我々が民衆の敵を打ち負かし、国民を安定させたならば、すべての自由を返してやる、と。諸君には民衆が自由を取り戻すまで、どれだけ長く待たなければならぬかをお話しする必要はない。我々がゴイムに事の真相を看破する暇を与えずに、彼らに対するこのような政策を立てるのは、世界に離散した我々ユダヤ民族は直説法では獲得できないから、こんな廻りくどい方法を取ったにほかならない。我々がフリーメーソン秘密結社を造ったのはこれが理由で、獣類ゴイムは秘密結社のあることも知らず、知ってもその目的を疑ってもみなかったのである。彼らは目に見える数多き組織すなわちフリーメーソン組合の方へ我々の導きで引き付けられていた。それはゴイムの同宗の人々の注意を回避するためであったのだ。神の選民たる我々には、世界に散乱しても我々に害の無い能力が神から与えられた。これが他民族から見たら我々の困ることと思うだろうが、反対に我々の力であって、我々は世界征服というところに触れてきた。この基礎の上に建築すべき僅かのことが残っているだけだ。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.24
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〇現行憲法の破壊ここでは始めに、今まで述べたところを繰り返す。前に述べた通り、政府や国民は物の表面だけしか見ないことを心に留められたい。彼らの代表者たちは楽をして遊ぶことを第一に考えているのだが、そんなことでどうして物事の核心に触れた研究などが出来ようか。我々の政治研究にはこの前に述べた諸件を見逃さないことが肝要で、我々が「権力の分立」「言論の自由」「出版の自由」「信教の自由」「集会結社の自由」「法律的平等」「財産及住居の不可侵」「税制問題」等、過去に遡る法律の効力のような諸問題を討究するとき、それが役に立つのである。すべてのこれに類する諸問題は人民の面前で公然と論議するのは差し控えるべき性質のものである。しかしこれを民衆に語るべき必要が生じた場合には、これをいちいち数え上げずに、詳論に入らずに、我々が認める近代法律の原則について説明するのである。このように論じ強調することの必要な所以は、我々にあれやこれやを人の気がつかないように奪ってしまう自由が与えられるからで、もしそれを逐一数え上げてしまうと留保なく全部認めなければならなくなるからである。人民というものは政治的天オの人々に特別の愛着を持ち、大なる尊敬を払うのであって、それら天オのやる強権政治に対しても次のような言葉で答える。「ずるい奴だ、ひどいずるい奴だ、しかし何とうまくやった! 何と人を喰った奴だ!」と。我々はすべての国民を、我々の計画した新しい建造物の基礎工事に参加させたい希望を持っている。それであるから何はさておきこの果敢な、進取的、力行的精神を捉えることが必要で、これは我々の手先の尽力で、前途に横たわる障害をはねのけるのに役立つのである。我々が暴力政変を完成したときには民衆に向かって次のように述べる。「今日まで万事うまく行かなくて諸君はずいぶん苦しんできたが、今度こそ我々は諸君の苦難の種子を絶滅するのだ。すなわち、国籍、国境、国家別の貨幣制度をなくす。無論、諸君が我々を断罪するのは御勝手だが、我々が諸君のためにやろうとすることを諸君に示さないうちに宣告するのは正当と言えるであろうか?」そこで彼らは満場一致喜びに溢れ、希望に満ちて我々を激励してくれる。我々が今日まで世界支配のための道具立てとしてきた普通選挙、すなわち我々が集会を催しては人類の最も下積みの人々をも馴らしてきた普通選挙と、あらかじめ準備しておく協定が我々に最終的な役割を演じてくれ、我々を裁く前に我々をよく知ろうとする人類一致の希望を述べる役をする。ゆえに我々は階級の差別なく強制的に投票を行なわせて、多数者の独裁を造り上げなければならぬ。なぜならば、多数の専制は知識階級ばかりからは得られないからである。人人を己の自由意思だけで行動することに慣らして、ゴイムの家族主義とその家庭教育の重要性を破壊する。我々は値打ちのある人々も民衆を押し分けて通ることを許さないようにする。そして我々の指導によって民衆はその人たちを押さえ付け、計画を説明することをも拒絶する。〇天才的独裁者を利用する民衆は我々の言うことでなければ聞かないように馴れているが、それは彼らが我々に注意を払い我々に服従することには、相当の代償を払っているからだ。我々は盲目な勢力を創設する。それは我々の任命した手先の命令がなければ、彼らの首領を代えようとしても、動くことも出来ないほど盲目的であるのである。民衆は収入や賞与やその他の利益は新しい首領から出ると思うから、この方式に服従するのである。政府の計画は一人の頭脳から考えられたようにして施行されなければならぬ。もし多数の頭で各種の要素を考えたのでは実行不可能になるであろう。ゆえに我々だけが行動計画を知っていなければならぬ。だが、我々はそれを討議してはならぬ。それは最初の創意や各部の関連や実行力や、各要点の秘密な意義を壊さないために必要である。首領を選挙で選ぶのでは、物事を討論し、それを作り直して、残るところは精神の違った構想だけになって、最初の計画の深みや連繋には到達し得ない。我々の計画は強くそしてよく出来ていなければならぬ。であるから、我々の首領の天才的な仕事を民衆の足で踏みにじらせたり、制限された少数の人々にすら渡してはならない。この計画は今しばらくは近代の制度を破壊しない。ただ経済を変えるだけである。したがってその発展は我々の計画によるのである。〇自由主義の害毒各国にはほとんど同じようなものが別の名前で存在する。代表機関、官省庁、元老院、枢密院、立法機関、司法機関等であるが、これらは諸君の熟知するところであるから、諸機関の働きなど説明の必要はない。ただこれら機関のいずれも国家のある重要なる役目を担任することに注意を望む。私が今重要と言ったのは働きが重要なので、機関そのものが重要というのではないことに注意していただきたい。諸機関は政府のすべての職権を分担する。行政、立法及び司法がそれである。それであるからこれは国家の機関の内部において働いているのである。その働きは人体の種々の機関の働きに似通ってくる。もし政府機関のどの部分かが具合が悪いと、国家が病気になるのはあたかも人体の場合と同様で、死ぬこともまた同様にあり得る。我々は国家機関の中に自由主義の毒を注射したが、その政体が変わってきて、国家は敗血病という不治の病に冒された。我々は息を引き取るのを待つばかりである。立憲国家は自由主義から生まれて、ゴイムの唯一の救いであった専制国家に取って代わった。憲法は諸君の知るように政党のための闘争、論争、軋礫、煽動の道具に過ぎない。換言すれば国家の機能を弱める道具である。選挙戦は新聞の論争と同様に国家権力を無能、無力にし、無用の長物とした。それで多くの国々において国家の顛覆を可能にした。それで共和国の道を開き、我々は真の政府に替えるに、政府の漫画的手法をもってすることが出来て、それに民衆、すなわち我々の下僕、我々の奴隷から選んだ大統領を配した。これが我々がゴイムに、否、ゴイム国民に命じた我々の意思であった。近い将来、我々は大統領を責任を持つ役人にするであろう。その後はすべての責任を補佐役に負わせて、我々は表向きの役は演じないであろう。それで権力にありつこうと押し合う連中が徐々に減ってこようと、大統領の人選に行き詰まろうとも、我々にはどちらでも同じことだ。いずれにしてもその国は崩壊に向かってゆくからである。〇大統領はユダヤの代弁者我々の計画実行のためには大統領選挙に仕掛けをして、過去の身上に往年のパナマ汚職事件のような隠れた古傷を持つ人を当選させる。このような人物は旧悪の暴露を恐れるのと、大統領の地位で必然に受ける役得や繁栄を永く保ってゆきたいという成り上がり者の心理から、我々の命令を忠実に実行するのである。議会は大統領を選挙し、保護し、監視してゆくであろうが、我々は法律案を提出し、これを修正する機能を与えない。これは責任のある、そして我々の愧儡たる大統領に委任する。大統領の地位は八方から攻撃の的となるのは言うまでもない。しかし我々は人民の代表者の頭上を通り抜けて、直接民衆に呼びかけて、大統領が自らを防御し得る方法を授けるであろう。換言すれば彼もまた下層民の多数に伍して盲目の奴隷に還元するのである。そして我々は大統領に戒厳令を敷く機能を与える。この特権を与える説明としては、大統領は国軍の長であり憲法の代表者であるから、新しい共和国憲法を擁護するため、軍を使用する必要があるからというのである。こういうわけで、国内政治の鍵は我々の手にあって、我々以外の何人も立法権を指導できないであろう。新憲法を設けたならば、政府の処置に対して議会が質問を発する権利を取り上げる。それは機密保持の理由でやる。また新憲法によって議員の数を最小限に減ずる。これに比例して政治への愛着と煽動とを減少する。それにも拘わらず縮小された議会がなおも反抗するようならば、人民の多数に呼びかけて敢然と議会を潰してしまう。大統領は上下両院の議長、副議長を任命する。議会の会期は一年に数力月間だけとする。大統領は執行機関の長として議会を召集し、またはこれを解散する権能を持ち、解散した場合には次の選挙を延期することを得る。しかし我々の計画がすっかり熟さないうちに、これらの言わば非合法のことをやった責任を大統領に負わせないためには、我々は大統領の周囲の諸大臣、大官を説き伏せて、彼らが勝手に省令その他で大統領令に違った解釈を与えてその責任を自分らで取るようにさせる。しかし我々はかなりの部分を元老院、衆議院、内閣というような機関でやらして個人にやらせないように勧める。大統領は幾通りにも諒解される法律に我々の指導によって解釈を与える。また、大統領は我々が適当と認めたときに法律を撤廃し、新たなる臨時法を提案する権能を持つようにする。それには国家の繁栄のためと主張して、政体の変革に関するものすら提案できるようにする。これらの処置をすると、かつて我々の意思でなくやむを得ず国法の中に入れてしまったすべてのものを、徐々に壊してゆけるのである。そしてすべての政府を我々の独裁の下に集め得られるときには一切の憲法を廃止するが、それまでは過渡的方法として一歩一歩進むのである。〇ユダヤの世界王憲法廃止以前にでも我々の独裁は承認されることがある。それは、政府の人々があまりに不一致で、無能であるのに業を煮やし、我々に勧められて人民が次のように叫ぶときである。「こんな政治はもうやめてもらいたい。世界王を立てて我々を纏めて、争いの種子をなくしてもらいたい。国境だの、宗教だの、国債だのをやめて、我々に平和と安寧とを戻してもらいたい。これは我々の政府や議員には出来ないことだ!」しかし諸君も知るように、このような民衆の意気込みを全世界的にするのには、各国内において政府と人民との関係を絶えず攪乱していなければならぬ。そして実行まで行く不和、紛争、闘争、怨恨や、食糧不足、伝染病の蔓延をもって民衆を困り果てさせ、結局我我の金を借りて我々の支配下に入るほかに手段は無くするのである。もし我々が各国民にほっと息をつき休息する余裕を与えると、我々に都合のよい時機はついに来なくなるであろう。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.23
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〇反ユダヤ主義の必要性我々の主張を実行に移していくには、我々が現に居住し、活動している国々の民情を考慮しなければならぬ。なぜならば、すべての国々に一律に我々の原則を当てはめようとしても、それはいつでも成功するとは限らないからである。だが慎重に行動すれば、十年も経過すれば頑強な民族性もしだいに変化して、すでに我々に屈伏している仲間の一国となるであろう。我々が政権を獲ったならば、我々のフリーメーソン標語の「自由」「平等」「友愛」を改正して、自由の権利、平等の義務、友愛の思想とする。角をつかんで牡牛を押さえつけるようなものだ。実際、我々以外の諸国の政府は壊してしまったが、法律上はまだ存在している。現今では我々に反抗する政府もあるが、それは我々の希望によってまた我々の命令によって形式上やっているのである。なぜならば、反ユダヤ主義はこれによって我々が下層のユダヤ人を監視するために必要があるからである。このことについてはすでに幾多の論議が重ねられているから、これ以上述べない。実際において我々の前には障害は存在しない。我々の超政府は現に存在していて、人が通常、独裁という言葉で言い表わしているような状態にあるのである。現今において法律を造るのは我々であり、我々が裁判官で人を罰したり、赦したりしていることを私は本心から断言できる。我々は言わば各軍の上に立つ総司令官のようなものである。我々は力によって支配している。それはかつて強大だった党派の残党も我々の掌中にあるからだ。我々の野心には際限はない。我々は無慈悲の復讐に熱中し、深き怨みに燃えている。〇教育制度を支配する現今、世界的に広がりゆく恐怖は我々が生み出している。各種の意見、各様の学説を持った人々が我々の用を務めている。すなわち帝政復興を夢見る人もあれば、民衆迎合の人もあり、共産主義者やその他の空想論者もある。我々はこれらの人々をすべて働かせて、現在の秩序を破壊し、残存勢力を覆そうとしている。各国政府はこれに悩まされて、それを止めてくれと哀願して、あらゆる代償を準備している。しかし我々は彼らが公然と我々の国際的超政権を認め、これに心服しない間は平和を与えるわけにはいかない。民衆は国際協力によって社会問題を解決すべく要求しているのである。だが彼らの党派が分立しているために全部彼らは我々の手に入った。なぜならば党派が対立抗争をすると金がいるが、その金は全部我々が握っているからだ。我々はゴイム政権の利口な者が盲目的民衆と共闘することはないかと考えたが、そのような憂いについてはすでに処置を講じた。その二つの勢力の中間に壁を造って、相互に恐れを抱かせることにしたのだ。それで民衆の盲目的勢力は相変わらず我々を支援している。我々だけが彼らを導いて、我々の目的の方へ向けている。盲人の手が我々の指導から離れ去らないために、時どきはこれらの群集と密接な連絡を取る。それは我々自身でもやるが、また我々に最も忠誠な兄弟を仲介者としてもやる。我我の政権が公認となる場合には、我々自身が公開の場所で群集に呼びかけるであろう。そしてそのときには政治問題の必要な方面に論及するであろう。田舎の学校の教育をいかに点検するかというと、それは容易である。というのは政府の代表者または首班自らが言うことは直ちに全国民に知れ、そして人民の声で伝播されるからである。ゴイムの諸制度を過早に破壊しないために、我々はこれに軽く手をかけた。そしてその機械のエンジンを自由に動かすことが出来る。昔はそのエンジンによる秩序がよく利いていたが、我々は自由主義によってこれを改造して不規則なものにした。我々は訴訟手続や、選挙法や、新聞紙法や、個人自由の問題に、なおもっと大事な自由生活の基礎たる教育問題に手をつけた。我々は嘘であると知っている原理原則を教えてゴイム青年を欺き、腐敗させ、魯鈍にし、風紀を頚廃させた。〇法は解釈によって自在になる現行法の内容は変えないが、反対の解釈を行なって条文の本質を歪曲し、驚くべき成果を挙げた。その結果は我々の解釈が法律の真意を隈して、これにより政府もそんなに混乱した法典は解明することが不可能になったほどにわかりにくいものとなった。それからは、法文は文字に拘泥せず、その精神によって解釈するという学説が生まれ出てきた。諸君は我々の計画が暴露したならば、武装暴動が我々に向かって蜂起するだろうと考えるかもしれない。しかしこれに備えるために西欧においては、最も勇敢な人でも戦慄するような恐怖手段を準備した。すべての首都には地下鉄やトンネルが設けられているが、それらの各所から、世界の首都を建物や書類もろとも爆破してしまうのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.22
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第八議定〇ゴイム官僚を操縦する我々は、敵が我々に向かって使うのと同じ武器を備えなければならぬ。我々が法律用語を使うときには、法律事典の中の最も曖昧な、最も込み入った言葉を選んでおく。そして問題が起こり、極めて大胆な、かつ不正だと見える処置を取らなければならない場合でもそれが正当に解釈されるようにするのである。なぜならば、そのような決定を言いあらわすには、力強くして、人民の眼にはそれがいかにも甚だ道徳的な、公正な、間違いないものに見えることが必要であるからだ。我々の政権はその勢力範囲内のあらゆる力で取り巻かれなければならぬ。政府は新聞記者、弁護士、官僚、外交官その他、近代の専門学校で我々が養成した人々から成り立たなければならぬ。これらの人たちは社会生活の内幕を知り、政治事典に集められている言葉は何でも使いこなせる。彼らは人間の裏面と最も感じ易い心の糸を知り抜き、どの糸に触れなければ動かないかを熟知している。それらの糸というのがゴイムの脳髄を造っていて、彼らの善悪の性質、趣向、不徳義、種族や階級の特質などを指すのである。だが我々の陣営の相談役にはゴイムを選んできてはいけないことは無論である。彼らは行政をやるのにどういう結果が生ずるか、その結果は何を目的とするかも知らずにただ執務する癖がある。ゴイムの官僚は書類に眼を通さずに盲判を捺し、ただ金や名誉が欲しさに勤務している。〇経済学者と実業家我々は経済学者の陣営をもって我々の政府を包囲するのである。これはすなわち経済学がユダヤ人教育の主なる科目である所以である。我々の周りには数千の銀行家、実業家がおり、なお最も大事なことは百万長者がいることである。なぜならば実際上、金が万事を解決するからである。まだ今では目立つ政府の要職にユダヤ人兄弟を据えるのは適当でないから、その時機が来るまで我々は他の人間で国民との間に溝の出来ている人物を据える。また我々の言うことを聴かなくなれば、必然この人物を処刑し、または放逐し得る人物を持ってくる。そうすれば彼らは、最後の息を引き取るまで我々の利益を防護させ得るのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.21
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〇軍備拡張軍備を拡張し、警察力を充実することは、前にも述べた諸計画を実行するに必要なことである。各国には、我々自身の外には多数の無産者と我々ユダヤに忠実な若千の百万長者と兵卒と巡査とだけがいるようにしなければならぬ。欧州全土に、また欧州から分かれた他の大陸にも、攪乱、軋礫、相互の排斥を起こさなければならぬ。それには二重の利益がある。第一には各国は我々ユダヤが意のままに暴動を起こしたり、これを鎮圧する力のあることを知って、かえって彼らから尊敬を払わせることである。こうして各国は我々を厄介だけれども無くてはならない重荷と認めるように習慣づけられた。第二には我々が予め政府各機関の中に入れてある糸を、陰謀によって混乱させる。それには政治的方法もあるし、通商条約もあるし、債務関係もある。この目的を達成するためには交渉の際多くの欺蒔や不自然な工作を必要とする。すなわち公式用語と称する表向きの言葉を使うときには、つとめて正直に、正しく見えるようにして、不正な企てに反対するように装うのである。ゴイムやその政府には我々が見せる物事を表面からばかり眺めるように教育してあるから、我々を善人とし人類の救済者と見るのである。〇世界戦争の予言我々に反抗する国があれば、その隣の国から戦争を仕掛けさせて、その反抗を挫折させる。もしその隣国もまた一緒になって我々に抵抗することになれば世界戦争を起こして彼らに報復しなければならぬ。外交政策上で成功を収める秘訣はその企図を秘匿することである。外交官はそのやることと言うこととが一致してはいけないのである。我々の大規模な計画は今や成功を収めんとするに近いが、我々はこの計画に従ってゴイムの政府を推し進めなければならぬ。しかし表面はどこまでも彼らの政府は、世論の波に押されるような印象を世間に与えるのだけれども、実はその世論というものは言論機関と称する大きな力の助けによって、我々が密かに製造しておいたものである。その新聞はごくわずかな例外はあるが既に我々の手に入っているのである。要するに、欧州のゴイム政府征服策を一言でいえば、ある一国を暗殺し、恐怖させることで我々の力を示すことである。各国が結束して我々に対して蜂起するならば、我々は米国、支那または日本の大砲を向けて応酬するであろう。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.20
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〇ゴイムの破産我々はやがて大きな独占を始めるであろう。その独占はその中にゴイムの莫大な財産が入り込む貯水池のようなもので、政治的恐慌の起こる翌日には、その財産も政府の債権も一度に枯渇させ得るのである。ことに御列席の経済人諸君はこの計画の趣旨を慎重に考えられたい。我々はあらゆる方法を用いて、我々の超政府の人気を煽る。意識的に、我々ユダヤに従おうとするすべての人々にとって、この超政府こそ保護者であり儲けさせてくれるものだと思わせなければならぬ。政治力としてのゴイム責族はもはや存在しないから、この点で彼らを相手にする必要はない。だが、地主としての彼らは我々にとって警戒を要する存在である。それは彼らがその資産で独立していけるからである。ゆえにどうしても貴族たちの手からその土地を取り上げなければならぬ。この目的を果たすために最も良い方法は土地税を高くし、土地を抵当にさせることである。そうすると土地からの収入を最小限にさせておける。しかるに責族らは伝統的な趣味を持っていて、少しばかりの収入では満足できないから、そのうち破産してしまう。〇ユダヤ人の富裕これと同時に我々は出来るだけ商業工業を保護し、特に投機事業を奨励せねばならぬ。投機の主な目的は工業の均衡を取るのである。投機を伴わない工業は個人的資本を増大させて、農業銀行が地主にせっかく貸し付けた債務をこの方から償却する手段になるから、工業に出資した地主たちの経済力が持ち直すことになって困る。工業は土地から生まれる富を洗いざらい没収し、投機がその富を我々の手に落としてくれることが肝要である。この方法でゴイムは全部無産階級の列に落とされ、何とか生きていくために我々の前に腰を曲げてくるのである。ゴイムの工業を没落させかつ投機を盛んにするために、我々が既に広めてきた思い切った奢修を奨励するのである。我々は給料を増やしてやるが労働者はそれで楽は出来ないのだ。それは同時に農産物の収穫が良くなかったという口実で生活必需品の価格を吊り上げるからである。〇労働者階級を厖す方法我々はまた、労働者の間に無政府主義の種子を蒔いたり、アルコールの趣味を唆したりして生産の能力を悪くする。これと同時にこの地球上からゴイムの頭の良い者を追い払うことに全力をつくすのである。実際の有り様が過早にゴイムに看破されないために、表面上は労働者の経済状態を改善し、経済上の大問題を解決する希望のためと称して真相を隠すのである。我々のユダヤ経済学説がすべての点からその宣伝を容易にするのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.19
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〇ユダヤの専制政府今の社会は至るところに腐敗が広がっている。富は巧妙な誤魔化しや多分に詐欺に類する方法で獲得され、賄賂は饒舌に物を言う。徳義は厳罰主義によって保たれるのであって、心から道徳の原則を守るためではなく、国際主義への過度な信奉が国家観念と宗教とを破壊してしまった。こういう社会にはいかなる政治形態を与えるべきであろうか。これから述べようとする専制政治以外にいかなる政治形式が与えられようか。我々は極めて集権的な政府を打ち立てて社会の権力を我々の手に収めよう。我々は新しい法律をもって人民の政治生活の動きを律していく。その新法律はゴイムが許してきた寛大なことや自由なことの一切合切を奪ってしまう。我々の政治は尊厳な専制で押さえていくので、いかなる時にもいかなる場所でも我々に不平や敵意を持つものを破壊するのである。この専制は近代の進歩と相容れないと非難されるかも知れないが、私はそれが全く正反対であることを証明しよう。〇多民族の利己主義人民がその首領を神意の顕現だと思っていた時代には何ら不平なく君主の独裁に服していた。しかし我々が人民に個人の権利思想を教え込んでから、彼らは君主を普通の人間と見なすようになった。即位のときに注いだ神聖な脂は君主の額から消え失せた。我々が神の信仰を人民から取り去ってからというもの、支配者の権威は溝の中に投げ込まれて公共の場所へ移っていき、そこで我々がこれを手に収めたのである。群集や個人を弁舌や詭弁により、社会生活の指導者により、またはゴイムにわからない他の方法を用いて支配していく技術は他の能力と相並んで我々ユダヤ人の天才的政治力に属するのである。この天才政治というのは物を解剖し批判することで成立し、また比類のない巧妙な議論に基づくものである。それはあたかも我々が国家間の同盟関係を組み立てたり、政治的活動をするのに我々に肩を並べる者が無いのと同じことだ。しかしジェジュィット教徒〔訳註:イエズス会士〕だけはこの点で我々と肩を並べられるが、我々は無智な下層民の間にその信用を失墜させることが出来た。というのは、我々は秘密組織をもって蔭の中に隠れているのに、ジェジュイット派はその組織が外部から見えるようになっているからである。結局世間がカトリック教の首領に支配されようと、シオニストの血を受けた我々の独裁者に支配されようと同じことではないか。しかし、神の選民たる我々はどちらでもよいとは言ってはいけない。ゴイムが世界的に同盟すれば、一時は我々の構想を失敗させることが出来るかも知れない。だが彼らの間には古くからの軋礫が深く根を張っていて、到底これを除き得ないようになっているから、我々はそれによって保障されるのである。我々はゴイムの国民的利益も対立するようにしておいた。我々は二千年も前から宗教的、人種的反目を彼らの間に拵え、これをなくならないようにしてきた。それだからいかなる国も、どこからも助けを受けることは出来ない。なぜならばユダヤに反対する同盟を造ることは、自国の損になると各国が考えるからである。我々はあまりにも強力である。我々は自己の力を信頼しなければならない。いかなる国も、我々が切に協力を与えなければ、たとえ軽微なことでも特別な協定などを結ぶことはできない。「王は我に依って支配する。」我々の預言者のいわく、「我々は世界に君臨するために、神自身から選ばれたのである」と、神はこの問題を解決することが出来るように我々に天才を賦与してくださった。我々に反対する陣営に天才が現われたとしても、駆け出しの新参者は古くから職業的にやってきた者にかなうわけがない。我々の闘争は未だかつてなかったほどの残酷なものであろうから、先方の天才先生も登場が遅かったことになろう。政府の諸機関は我々だけが持っているエンジンで回転する。そのエンジンとは金のことである。我々ユダヤの賢者が発明した経済学が、久しい以前から金の権威を君主の威光以上に賑わしている。資本が思うように振舞うには商業と工業とを独占しなければならぬ。そのことは既に世界の至るところで、ある見えない手で行なわれている。この目的が達せられると政権は商人の手に移って人民はこれに屈従することになる。今日では各国民の武装解除をする方がこれを戦争に駆り立てるよりも必要である。さらに必要なことは我々の考えを実行しようとする人民どもの熱情を利用することであって、これを冷ましてはならぬ。なおまた他人の考えを我々の方へ取り入れて我々の方針に従って解釈することは、より必要であって、他人の意見を知らずにいるのは愚かである。我々の政治の最も重要な問題は論評によって一般の民心を弱め、物を熟考する習慣を失わせるのである。なぜかというと、考えると反対が起こってくるから、考える精神力を無益な雄弁の方へ振り向けてしまうのだ。〇世論は腐敗させて意のままにいつの時代でも民衆というものは、個人も同様だが、言論と事実とを混同し、直に自己の感覚に現われてくるもので満足し、社会生活の中 で約束されたことが実現したかどうかを検討する者は稀である。ゆえに我々は人の目に立つ制度を設け、それが進歩に向かってよく活躍していることをはっきり知らしめるであろう。我々はすべての政党の自由主義的な綱領や主張を取り入れて、これを我々陣営の弁士に教え込む。すると弁士らは民衆が聞き飽きて逃げ出すようになるほど喋り立てるのである。世論を支配するには、相反する幾つもの説を並べ立てて判断を当惑させ、あたかも迷宮に入り込んで困ったようにし、ついに結局、政治問題には何の意見を持たない方がよいと考えさせるようにしなければならぬ。政治問題などは指導者だけが理解すべきもので民衆には理解させない。これが第一の秘密である。政治に成功する第二の秘密は、人々の欠点や欲情を倍加させ、これに対する法律規則を頻発して、その混乱の中で誰もがわけがわからなくなり、人民相互の間にも理解が出来ないようにする。そうなると人心の中に軋礫の種子が蒔かれ、我々に従順でない共同体を攪乱するのに都合がよくなるし、また個人的な企てで我々の仕事を妨害する者の気勢を殺ぐようになる。個人的発意ほど危険なものはない。もしそれが天才を発揮すると、我々が紛争の種子を蒔いた民衆の百万よりも実力がある。〇国際的支配力我々がゴイム社会の教育を指導するには、ゴイムが何か個人的発意で努力をしようとするたびごとに、失望してしまうようにするのである。個人の自由を極端に発揮してやる企ては、他人の自由な企てと衝突するとき無力になる。そこで精神的に大打撃を蒙り、失望、意気消沈となる。我々はかくのごとく自由で疲労困懲させ、ついに彼らが国際的支配力を我々に提供するようにさせる。その国際政府というのはその地位からして、世界の支配力を壊さずにそのまま我々の思うようにさせ、超国家を造らせるのである。現在の支配者の代わりに、超国家管理者と称する怪物を置き、その手が八方に伸びて、いかなる国民もその言うことを聞かなければならぬようにする。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.18
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〇フリーメーソン組織の働き共和国が出来上がるまでにはいずれも二つの過程を経ている。第一に盲人の動きだした始めの馬鹿げた有り様で、右や左の壁に行き当たる。第二は民衆煽動の時代で、これは無政府状態を造り出し、国家は必然的に独裁になってくる。その独裁は合法的に公明な統治者のあるものではなくて、あくまで幽玄な、隠れたものであるが、それだからと言って弱体というわけではない。それは種々の手先の庇護の下に楽屋で地味に働く秘密組織が活躍するからである。その手先はたびたび取り替えるのでかえって秘密組織には都合がよろしい。そうでないと永い間の精勤への報酬がいろいろ面倒になる。それでは誰が、何者が、そんな「見えない政権」を樹立できるのか。これが我々の政権の特色である。外部のフリーメーソンすなわちゴイムを要員として入れてあるフリーメーソンは、本当の秘密政権を隠匿する屏風であり、目的をわからなくする仮面である。秘密政権の計画やその本当の所在は常に、人民にはわからないようにしてある。〇宗教に対する闘争自由は、それが神の信仰と人類愛の信念を説くだけに止まるならば、人民の安寧幸福に何の害も与えないから、国家の政権綱領に入れておいても差し支えない。だが、平等論は服従を要求する自然法則に反するから、これより切り離されなければならぬ。信仰があれば人民は宗教管轄の幹部に率いられた精神的指導者の下に、神の地上に打ち建てた法則に従って安穏に繁栄していけるのである。それであるから、我々はゴイムの精神からあらゆる信仰を破壊し、神の観念をも抜き取ってしまって、これに代えるに数字の計算と物質の欲求をもってしなければならぬ。〇廃墟の上に金の小牛ゴイムに物を考えたり観察したりする暇を与えないように、これを商工業の方に引き付けなければならぬ。それで各国民は自分の個人的利益に没頭してしまって、共通の敵に注意を払わなくなる。しかして自由がついにゴイムの社会に仕掛けをしてこれを滅ぼすことが出来るようにするには、投機を工業の基礎にしなければならぬ。そうすると地面から取り出す富が投機によって我々ユダヤの金庫の中へ転がり込んでくるのである。他人との競争に勝とうという闘争と、事業界における不断の投機とが道徳も人情もない社会を造り、その社会は宗教にも政治にも無関心どころではなく、むしろ厭気も差してきて、ただ金を儲けることが唯一の指針となり、これを殖やすためにあらゆる努力をする。それだけが物質上の楽しみで拝金宗教となってしまう。そこでゴイムの下層民は我々の競争相手である特権ゴイムに反対して、我々に結びついてくる。それは別に高尚な目的を主張するためではなく、また金が欲しいからでもない。ただ単に上層階級に対する敵意からである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.17
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〇象徴の蛇我々は、今日まさに目的を達せんとしているといえるまで、今少しの道しか残っていない。我々ユダヤ民族の象徴たる両頭の蛇が、輪を締め合わせるのはもうすぐだ。欧州各国はその両頭の間に締め上げられること、万力の間に挟まれたと同様になる。憲法制度の秤の両方の皿は平衡を失って顛覆するであろう。それはあらかじめ我々が秤の支配を損なうために不安定な均衡を与えて狂わせてあるからだ。ゴイムはかくの支配はよほどしつかりしていると思い込んで、平衡は取り戻せると希望をかけている。しかしこの支配たる支配者はつまらぬ家来どもに妨げられ、宮殿を風靡する勢力者たる家来ども特有の密議という絶大な力に引きずられる。かくて支配者はその意向が人民の心の中まで届かないので、人民と一緒になり力を合わせて権力の略奪者を防ぐことが出来ない。賢明なる王者の権力と、人民の盲目的な勢力とは我々がこれを切り離しているので、もはやどちらも何にもならないのだ。それはこのように離ればなれになれば、杖を失った盲人と同様、何にも出来ないからだ。〇世界征服の手段権力階級の人々に権力の濫用を勧めるために我々はすべての勢力を対立させ、その各勢力の自由主義的主張を独立まで発展させることにした。我々はこの方面に向かって様々な発案を起こさせた。そしてすべての政権に力をつけ、権力者をすべての野望の目的物とした。我々は国家をもってひとつの競技場化したので、そこには現今、反国家運動が起こっている。やがて混乱と破産が各所に起こるであろう。とめどのない法螺吹きが議場と行政の諸会議とも討論会場としてしまった。勇敢な新聞記者、恥を知らないパンフレット屋は毎日のように政府当局を攻撃する。権力者に対する誹謗はすべての政府を決定的に破壊し去る準備になるのだ。それは民衆を激怒に至らしめるからである。人民は生活の困難から、かつての奴隷や雇傭の時代よりもさらに難儀な仕事に追い込まれる。以前の奴隷的雇用からは何とかして抜け出したが、生活の困難からはなかなか脱却できない。我々が憲法に書き込んだ人民の権利というのは幻夢的なもので決して実行のできるものではない。無産者たる労働者は骨の折れる仕事に腰をかがめて働き運命に弄ばれているのに、饒舌家は饒舌する権利を与えられ、新聞記者は真面目なことも書くがとんでもないことをも書く権利を与えられているのはどういうわけか。労働者には我々の代表者を選挙してくれるお礼として我々の食卓のパン屑を受け取るだけの権利しか憲法が与えないのはどういうわけか。共和国の憲法はこれらの不幸な人々にはひど い皮肉である。というのはほとんど毎日働かなければならぬから憲法を使うことが出来ない。かくのごとき必要から親方か仲間が組織する職業に頼らざるを得なくなって、恒久かつ確実な生活の保障を捨ててしまうことになる。我々が権力を与えたので、人民たちはその本当の保護者であり、自然の保母であったところの貴族制度を破壊した。貴族らの利益は人民の安寧幸福と密接な関係があったのである。今日ではその貴族制が破壊されたので、人民はこれを利用しようとする人々や誠意なき支配者の統括の下に立っている。利用家や無誠意の支配者が人民の上に重荷となって遠慮なくのしかかっている。我々はこのような権制から労働者を救い出すための救世主として現われ出て、フリーメーソンが標榜する「友愛」の名義で常に援助している社会主義者、無政府主義者、共産主義者の陣営に加わることを勧める。貴族は人民の労働から恩恵を蒙っていたから、労働者が栄養が良く、強壮で、健康であった方が望ましかったが、我々はこれと利害が反対である。それは我々はゴイムの体位低下を祈っているからである。我々の政権は労働者の慢性栄養不良と虚弱とを必要とする。こうしておくと彼らは我々の政権を頼ってきて、我々を打ち倒すような体力も気力もなくなる。食糧が不足することは労働者に対する資本の力をいやがうえにも増すのであって、かつて君主の正統な政権が責族に与えたよりもはるかに大きい。貧困とこれから起こる嫉妬とによって、 我々は下層階級を操縦して我々の前途に立ち塞がる者を打ち砕くのである。我々の世界支配の時が来れば、これと同じ方法を用いて、我々を邪魔するあらゆるものを一掃することが出来るであろう。ゴイムは我々の学術的助言なしには物事を考える習慣を失くしてしまった。そのため我我の支配が確立する時のために、我々がどこまでも支持していこうとする事柄が、緊要欠くべからざるものであることを彼らは応じないでいる。すなわち学校において唯一の本当の学問、一番初めにまず教えるべき学問は、人類生活、社会生活の組織のことであるが、それには仕事の分業が必要となり、したがって階級と種族による人民の類別が必要になってくる。仕事の種類が様々な性質を持っているから、平等ということは存在し得ないことを何人も知っておかなければならない。法律の前には責任というものは一様ではない。一個人がその行為のため全階級を損なう場合もあり、また自身の名誉だけを傷つける場合もある。社会機構の真正の学問はゴイムには知らせないが職業と仕事とは区別されねばならず、また与える教育が職業と一致しないために人が苦しまないようにせねばならぬことを皆に示すべきである。この学問を研究すると、民衆は喜んで官憲と政府の方針に服従することになる。ただし我々が干渉して指導してきた科学の現況では、無智な群集は盲目的に印刷の文書に信用を置くから、我々が彼らに吹き込んだ通りの考えになってしまう。そして彼らが自分よりも優れていると思うすべての階級の人々に対して怨みを感じる。それは彼らが各階級には常々その重要性があることを知らないためである。〇世界的な経済恐慌この怨みは経済恐慌が来て金融を梗塞し、工業を停止させると一層激しくなる。あらゆる秘密手段を用い、幸い我々が全部押さえている金の力により、世界的経済恐慌を現出させて、欧州各国の夥しい労働者群を一時に街頭に放り出すであろう。これらの群集はその無知識のために、幼少の時から羨望の的となっていた人たちの血を流すことで痛快な気分を味わい、その財産を奪い取るであろう。しかし彼らは我々ユダヤ民族には害をなさない。それは攻撃の始まる時機は我々が知っているのだから、我々の利益を保護するための処置は事前に講じ得るからである。我々は、自由主義は道理の支配に導くものであるとゴイムに思い込ませておいた。我々の専制はそこまで進んでいるのだから、賢明な制止法をとるとすべての暴動は平定してしまい、そしてすべての制度の中から自由主義を取り除けてしまう。人民たちは自由の名の下にすべての権利を獲得できると思ったからこそ、それで主人公となり権力を得ようと争ったのである。しかるに盲人のごとくに彼らは幾多の障害物に打ち当たった。そこでもとの道へ引き返さずに彼らはその力をもって我々の足元に詭いてきた。我々がフランス革命を「大革命」と名付けたことを諸君は想い起こしてもらいたい。我我はその準備の秘密を承知している。それはあの革命は我々の仕事であったからだ。それ以来我々は諸国民を失望から失望へと導き、ついに我々にも頼らずして彼らは我々が人選した「シオンの血」をうけた専制君主を戴くことに着目するようになる。〇世界平和という撞着今日、国際関係においては我々は不敗の位置に立っている。なぜならば一国が我々を攻撃すれば、他の国から支援される仕組みになっているからだ。ゴイムたちの底知れない無気力が我々の独立不覇を都合よくしてくれるのである、すなわち彼らは権力の前にはすりよって行くが弱い者には無慈悲であり、他人の過失には峻厳であるが罪悪には寛容である。自由の矛盾を認めることを拒み、思い切った専制者の強権に対しては、殉教者のような忍耐を示してくれるからである。彼らは事実上、専制者である総理大臣を現在容認し、その下に苦しんでいるが、ちょっとした権力の濫用でもあれば、かつての王であれば二十人も殺したであろう。かくのごとき現象、かくのごとき撞着が一見同じ性質の事件として、どのように説明できるか? それは独裁者すなわち総理大臣たちが、その手先を使って声を低くして、人民たちにこう言って聞かせるからだ。「この権力濫用は国策には害があるかもしれないが、それ以上の崇高な理由からなのだ。すなわち人民の幸福、世界的博愛、社会連帯と平等とを現実しようとするためである」と。もちろんこの融合統一は我々ユダヤ人の権力下でなければ出来ないと言ってはいない。かくて人民たちは正しいものを罰し、不正なものを赦すが、これは彼らが気の向いた通りに何でも出来ると思い込んでいるからである。この有り様だから、人民がすべての安定を破壊して一歩一歩混乱を造っていきつつある。自由という言葉は、社会全体をすべての権力に向かって対抗せしめるのであって、神や天然の権力に対してさえ反抗せしめるものである。これが我々ユダヤ人が権力を掌握した暁には、この言葉は民衆を血に飢えた獣に改造する暴力の徴であるからと言って、辞書の中から抹消する所以である。さりながら、猛獣は血で満腹すると眠り込むから、その際に鎖で繋ぐのは容易にできることは本質である。そして血をやらないと眠ろうとしないで闘争をするのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.16
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〇経済戦争が国際政府を準備する我々が勝利を得るためには、戦争が交戦国に多くの領土的利益をもたらさないように仕向けることが必要である。そうすると戦争は経済に基礎を置くようになってきて、各国は我々の支配力を認めなければならなくなる。そして我々の国際的手代連中は数百万の眼を光らしていて、いかなる国境もこれを阻止しえないから、交戦国はいずれもその思うようにされるであろう。かくて我々の法律が交戦国家の法律を支配してしまうこと、ちょうど国家の法律がその国民を律するのと同じようになる。各国の統治者は我々に従順なために国民の中から我々が選んでやるので、政治上の能力などはない。容易に将棋の駒の「歩」のような役目を引き受けて、我々の賢人と賢明な顧問と、世界支配を幼少の時から馴らされている専門家の手中に握られてしまうのである。諸君も知るように、彼らの専門家は歴史を研究し、社会の出来事を観察して、我々の政策に基づいて支配するに必要な学術を獲得しているのである。ゴイムは歴史上の真の事実や客観的な観察によらずに、学理の慣習によってひたすら導かれ、なんら批判的討究をやらない。であるから我々は彼らに考慮を払う必要はない。絶好の機会が到来するまでは、彼らを遊ばせたり、新しい歓楽を考えさせたり、過去の享楽を追懐させておこう。我々が教えてやったことを科学的法則だとして、後生大事にいつまでも考えさせておこうではないか。この法則に対する彼らの盲目的信仰をなお強めるためには我々の言論機関をこの目的に使う。怜悧なゴイムは知っていることを並べ立てる。そして理論的にこれを証明してから、我々の手先が我々の思うように彼らを指導すべく集めておいた学問的情報をすべて彼らが実行することに取りかかるであろう。〇ダーウィニズム、 マルキシズムはユダヤ人の道具立てなり我々がこのように申し述べることが根拠もないことと考えないでもらいたい。ダーウィニズムやマルキシズムやニーチェイズムの諸学説は我々が仕掛けたものだが、それがいかに効を奏しているか見ていただきたい。これらの諸学説がゴイムの信念を動揺させた効果は諸君が既に十分明瞭に認められたことと思う。〇新聞は我らが手中にある我々が政治を指導するにあたってなんらの過失を犯さないためには、諸国民の近代思想や、気風や、民情の傾向を承知しなければならぬ。我々の方式が勝利を占めるにしても、その一部においては当面の民情に順応しなければならず、またその方式の適用が過去の成りゆきと現状とを暁み合わせてやらなければ成功しないであろう。近代国家は国民の間に世論を起こす大きな力をその手に持っている。新聞がそれである。新聞の使命は必要な要望を明らかにし、人民の愁訴を書き立て、不平不満を煽るのである。わかり易い饒舌に勝利を占めさせることはまた新聞の重要使命である。しかるに方々の国家ではこの力を利用することが出来なかった。それで新聞の力が我々ユダヤの手に落ちてきた。その力を利用して我々は金を我々の掌中に収めた。それを集めるのは実に、血と涙の海の中においてやったのである。しかしそれには我々の多数の同胞を犠牲にしなければならなかった。一人のユダヤ同胞の犠牲は、神の前においては一千人のゴイに相当するのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.15
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第一議定〇難しい言葉の言い回し方などに拘泥せずに、思想の本質を全部検討してみよう。そして比較と推論とを用いて事情を明らかにしようではないか。私はこういう行き方で、一面自分を我々ユダヤ人の立場に置き、他面自分をゴイム(訳註:非ユダヤ人)の立場に置いて、我々のやり方を明らかにしてみるつもりである。『シオンの議定』書 四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房〇力は権利を産む世の中には低級な考えの人が多くて、高尚な考えの人は少ないことを忘れてはならぬ。であるから政治の最も善い方法は強権と恐怖とで行くのであって、学説の論議などではいかぬ。誰もが権力が欲しい、誰もができるなら独裁者になりたいので、実に個人の利益を獲るためには公益をも犠牲にして顧みない者ばかりである。昔から、人間という名の野獣を押さえてきたのは何であったか? 人類社会の原始時代には盲目的暴力であった。その後は法律であったが、法律とて外見の違った暴力にほかならないのである。ゆえに自然の法則から推論すると、権利は力の中に存すると言えるのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房〇目標のためには手段を選ぶな今日においては金の力が自由主義の権力に代わってきた。昔は信仰がしつかり支配した時代もあった。だが、自由という考えでは物は適確にはきまらない、なぜならば、自由を適度に使うということはいかなる人もできないからである。ある期間人民に自ら支配することを許してみると、彼らは腐敗する。そのときから尖鋭な競争が起こって、やがて社会闘争にまで発展して、ついには国家は火焔に包まれ、その権威は灰儘に帰してしまう。国家が内部の欠陥のために弱められるにせよ、内乱に乗じた外敵に利せられるにせよ、もはや快復の途なき没落のほかはない。やがて我々ユダヤの権力下に入るのである。すなわち、資本がすべて我々の独裁下にあるので、これを投げてやると、溺れる者が投げられた板にしがみつくように、いや応なしにこれに飛びついて全滅を免れようとするのである。諸君のなかには自由主義的な考え方で、私のこのような提案を悪辣、不道徳と評する者があるかも知れないが、これに対しては、私は次のように答える。―国家には内敵外敵の二つの敵がある、そして外敵に対してはいかなる対敵手段を用いても、それは正当であって、不道徳とは認められない。例えば敵に我が攻撃計画を悟らしめないために夜襲をかけるし、優秀な兵力で急襲したりする。しかるに外敵よりもむしろ一層悪質の敵、すなわち秩序の紊乱者、安寧の妨害者に対して同じ方法を用いることがなぜ不道徳と認められるか―と。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房〇政治と道徳とは何の関係もない群衆の心は常に物事の表面上しかわからない。そんな群衆を吸い込むような矛盾、不理屈の穴があいているところで、本当の理屈をこねたり主張を述べてみて、彼らを指導することがどうして出来ようか。人民は下層民であると否とにかかわらず、常にただただ浮薄な感情や迷信や風習や伝統や、感傷的理論に引きずられているから、党旅の軋礫のなかに巻き込まれるのである。その軋礫というのはいかに賢明な理論から出来上がっている調停案でも、すべてその妥協の可能性を破壊するのである。下層民の決議というのはすべて偶然か表向きの多数によるのだが、それは政治の秘密を知らないために不条理な決議をし、政府のなかに無政府の芽を持ち込んでいるのである。政治は道徳とは何らの関係もない。道徳に基づいて政治をする人は練達の政治家ではない。したがって永く政権を保つことは出来ない。政治をしようとする人は欺睛と偽善とを用いなければならぬ。民間の大徳目であるところの正直と率直とは、政治においては不徳である。なぜならばこの徳目は強い政敵よりも一層確実、容易にその政府を倒してしまうからである。これらの道徳はゴイ国家の持ち前のものであって、我々は決してこれを模範としてはならぬ。我々の権利は力の中にある。権利という言葉は抽象的な概念であって何ら具体的なものでない。それはただ次のことを意味するだけだ。僕は君より強いということを証明するために僕が欲しいものをよこせ。権利は何に始まって、何に終わるか。薄弱な組織を持つ国家で法律があまり機能せず、政府が自由の権利を与えて権威を失った国には、新たな権利が発見できる。新しい権利があらゆる制度と秩序を壊し、法律を軽視し、あらゆる制度を変革して、今まで維持してきた権利を、自由意思で、我々ユダヤ人の利益のために放棄するのである。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房〇群衆は盲目なり現今すべての政治勢力が不安定であるなかに、我々の力は他のいかなる力よりも危なげがない。それは我々の力が、いかなる技術をもってしてもこれを倒せないほどに根を張ってしまうまでは表には現われないからである。我々が今用いなければならない一時的な悪政から、確固たる善政が生まれ出て、現在では自由主義によって中絶されている人民生活の機能を、普通に運用できるように回復するであろう。目的が善ければ手段は選ばないのだ。我々が計画を立てるにあたっては、善いこととか道徳的とかいうことよりも、必要であるとか有用であるとかいうことを主として考えなければならぬ。我々が眼前に持つ計画というのは、それに戦略的な線が描かれていて、それから外れることはできない。その線から外れるならば幾世紀かの仕事は一空に帰する虞れがあるからだ。我々の実行計画を研究するには、下層民の卑劣なこと、動揺性のあること、軽薄なこと、安寧幸福の条件を評価したり尊重したりすることのできないことを、考慮のうちに置かなければならぬ。また民衆の力というものは盲目的で衝動的であり、判断力がなく、一方からも他の方からも引きずられることを知らなければならぬ。盲人が盲人を導くことは、両方とも深淵に落ち込む虞れがあるからいけない。ゆえに人民から選ばれて群衆の代表となった人たちがたとえ天才的な人でも、政治に無能であって、下層民を指導するならば国民全部を滅ぼすことになるであろう。〇独裁以外には政治の方式はない幼少の時から専制政治の訓練を受けた者だけが、政治の秘訣を了解することができる。自治を委ねられた国民すなわち国民の各層から出た代表者に任じられた国民というものは、政権欲、名誉欲から起こった政党政派の争いによって凋落し、これによって国内と同様の混乱が生まれ出る。民衆が競争や個人的利害を度外視して国政を指導できるものであろうか? 彼らが競争や個人的利害を度外視して国政を指導できるものであろうか?彼らが敵に対抗する能力があるであろうか? それは不可能であるなぜならば、群集のなかに違った意見のある通りに、計画案が分裂して統一が欠け能なものになるからだ。ただ専制政治家の立てる計画だけが簡単で明瞭で、政治機能をすべて調節できるのである。であるから国家に最も有益な政府というものは、責任を負う一人の者に集中されなければならぬ。文明の安寧は絶対専制のほかにはあり得ない。なぜならば政府は大衆によって指導されるのではなくて、その首長によって指導せられるからである。野蛮な群集はいかなる機能にも野蛮性を発揮する。下層民が自由を獲得するとたちまちこれを無政府状態に変形してしまう。この無政府状態は野蛮の絶頂である。アルコールに浸ったり、酒で馬鹿になった獣類〔訳註 ごコイを指す〕を見よ。自由が彼らに無制限の飲酒を許したのだ。もちろん諸君は我々ユダヤ民族にこのような教育を与えることはできぬ。ゴイム〔訳註 泣井ユダヤ人₁₁ゴイの複数形〕は強い酒で馬鹿になった。彼らの若者は過度な古典研究をしたり、我々ユダヤの手先の手に乗って、いろいろ不良なことをやって精神欠陥をきたすのである。手先とは富豪の邸宅における家庭教師、婢僕、家政婦などで、 そのほかゴイムの歓楽場にいる女などである。これらの婦人のなかにはい わゆる社会婦人も入るので、ゴイムの相手となって不徳や贅沢に忙しいのだ。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房〇恐怖政治我らの標語は「力」と「偽善」である。政治では力だけが勝つのである。力が政界人の必要なオ智のなかに隠されている場合にはことに然りである。強権政治が根本原則であって、新政権の手先に屈伏しまいとする政権に対しては、偽善と姦計とを用いるのが通則である。そんな悪は、善事をなさんとする唯一の手段に過ぎない。それであるから、我々は我々の目的達成のために、腐敗手段や反逆が役立つ場合にはこれを用いるに躊躇してはならぬ。政治上では相手を屈伏させその権力を奪取するためには、他人の財産を奪い取ることを遠慮してはならぬ。戦争の惨禍を招かず、もっと目立たずに有効な死刑の宣告をもってこれに代えて、平和的征服の必要に応ずることも出来る。すなわちこれで恐怖を続けて人民を盲従せしめるのである。我々はそれからなお強権と偽善の政策を持続せねばならぬ。それは常にこれが我我に有利というばかりではなく、これは我々の義務であり、これによって我々は勝利を獲られるからである。打算を基礎とする主義はその用いる方法と同様に効果的である。ゆえに我々は常にこれらの手段によるばかりでなく厳正な主義によって勝利を獲て、すべての政権を我々の超政府に切り換えるであろう。古代において真っ先に「自由」「平等」「友愛」を民衆に投げ与えたのは我々ユダヤ人である。この標語はその好餌に向かって駆けつける蒙昧な魏鵡どもによっていやになるほど繰り返されて、世界の繁栄と、以前は下層民の猛威に対して善く保護されていた真の個人的自由を破壊しさった。教養あり才智ありと称するゴイムも、この三つの標語の間に隠れた矛盾のあることに気がつかなかった。彼らは自然には平等の存立しないことや自由のあり得ないことに注意しなかった。自然は人々の精神や気質や能力等を不平等にし、これをまったく自然法則に従わせているからだ。彼らは群集の力は盲目的であることを見なかったし、彼らの仲間から選んで彼らを支配することを頼んだ選良も、また彼ら同様に政治には盲目であることを知らなかった。ただ政治の奥義を授けられた者は馬鹿でも統治が出来るし、奥義を授けられない者は天才的な人物でも政治のことはまるでわからないのだが、ゴイムにはそれが一切見逃されている。しかし永いあいだ王朝政治はその原則に従って、父から子に政治変転の秘密を相伝してきたから、王室の者どもがこの秘密を知り、統治されている人民には誰にも知らされなかった。その後、真の政治原則を一子相伝する意義が次第に失われてきたので、我々の成功に都合がよくなってきた。地球上のいたるところに「自由」「平等」「友愛」の標語が、何もわからぬ旗持ち人足の熱心な努力で、莫大な人間を我々ユダヤの陣営に引き入れた。しかしこの標語はゴイムの繁栄を蝕み、いたるところで平和、安寧、協同一致を破壊し、国家の基礎を転覆しようとした害虫である。この状態がどれだけ我々の勝利に役立ったことかがわかるであろう。〇統治者は自由自在に任命するしかしこんなふうに我々に幾多の有利なこともあったが、とりわけ第一の切り札を与えたのは特権廃止、換言すれば、ゴイムの貴族政治の本質を破壊してこれによって我々に対する唯一の国家、国民の保護者をなくしたことである。自然的世襲的な貴族政治を倒した廃墟の跡へ、我々が我々の知識階級の貴族政治を打ち建てた。それが金権貴族政治である。我々はこの新貴族政治を「富」と名づけ、我々と、我々の賢者たちが説明する科学とに従属させるのである。我々の勝利を一層容易ならしめたものがある。それは我々に必要欠くべからざる人々との交際によって、人間の最も感じやすい心の琴線に触れた。すなわち貪欲、飽くなき個人主義的欲望を動かしたのだ。これら人間の耽溺はいずれも人間の独創の精神を殺してしまって、人々の意向を、彼らに金を出してやる人々の思うままにさせるようになるのである。自由という空疎な観念が民衆にこう考えさせるようになった。統治者というものは国家の所有者すなわち人民を代表する管理者に過ぎない。したがって使い古しの手袋のように自由に取り換えられるものである、と。かくのごとく人民の代表者は取り換え得るものだということが、我々の権力に引き渡したことになるので、実際我々が任命の特権を握ることになるのだ。[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.14
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本書『シオンの議定書』は四王天延孝『猶太思想及運動』(内外書房、昭和一六年七月一五日刊)に収められた『附録第三シオンの議定書』(同書四二五~五一七頁)を底本として、表記を現代風に改めたものである。翻訳の原本は「本書はその原本が佛國語であった貼に顧み、佛文三種を基準とし外に英露文各一種及邦文譯五種を必要に應じて渉撒した」(同書四二五頁)とあるのみで、具体的な書名は記されていない。四王天延孝中将は同書の「第五篇猶太の運動(前記)」中に「第七章シオン長老會議」なる一章を設け、「シオンの議定書」を採り上げたわけを述べている。それによると、「この文献の執筆者、年代、講述の場所、書き下ろした実際の日時」などいまだに明確になっていないものの、皇紀二五八〇年(大正九年)に初めて手にしてから再度にわたって読んだ結果、「その構想の非凡に驚き、世界の現状にピタリと即応するのに胸を打たれた」とまず告白している。ところが一方でユダヤ人の側からは、本書が偽書であるとしてしきりに揉み消し運動が行なわれていた。そこで四王天中将は、これがユダヤ人の『六鞘三略』(戦略指南書)であって、ユダヤ人の運動はすべてこの筋書きどおりに導き出されると演繹的に考えれば、「論旨が不確定で動揺する場合があるかも知れぬ」ので、演繹的に考えないでさまざまな現実から出発して帰納的に考えると、いかにもこの文献のようなプロトコルがあって然るべきだと思えてくる、と言っている。つまり、ユダヤ人の誰かが自分が書いたと告白しようと偽書であると宣言されようと、その内容が現実からおよそ懸け離れているならば焼却処分に付しても構わないが、世界の現実の動きを考える時にこの文献は参考にすべきであり大いに研究すべきである、と四王天中将は言うのである。ただし、『シオンの議定書』の真偽については、その後さまざまな論議も重ねられ、また、裁判において告訴したユダヤ人側が敗訴したことなども明らかになっているのではあるが、これを「ユダヤ文献」と決めつけて大前提的に扱うのではなく、あくまでも参考資料として提示し、最終的な判断は読者に委ねよう、というのが四王天中将の立場だった。実にいま本書を刊行する目的もそこにある。四王天延孝(しおうてんのぶたか、一八七九~一九六二)中将は明治一二年旧前橋藩士西村家に生まれるも、後に旧川越藩士四王天政彬の養嗣子となったことから四王天という姓を名乗る。陸軍士官学校第一一期卒業、日露戦争に従軍した後、第一次世界大戦を視察するためヨーロッパに派遣されてフランス軍に従軍し、史上初めて登場した戦闘飛行機に注目して、後に陸軍航空部隊を育成する契機となったことが、自著『四王天延孝回顧録』(みすず書房、一九六四年刊)に見える。ユダヤ問題との出逢いは大正七(一九一八)から始まったシベリア出兵に際して大正九年(一九一〇)に浦塩派遣軍司令部付にて従軍、あるいはその後のハルピン特務機関長を務めて以来のことである。シベリア出兵に従軍した際にロシア革命により国を奪われたグレゴリー・セミョーノフ将軍などロシア白軍将兵との接触を通してユダヤ問題に開眼したのは、安江仙弘(やすえのりひろ、一八八八~一九五〇、陸士第二一期卒)大佐も同じである。安江大佐は帰国後『シオン長老の議定書』の全文を『抱荒子』の筆名で刊行した『世界革命之裏面』(二酉社、一九二四年刊)の中に収録し紹介した。翌年には同本(表題が「世界革命の裏面」と変わる)を抱荒子・四王天延孝の共著で刊行している。これより先の大正八、九年ころ、久保田栄吉が日本へ最初に『シオンの議定書』を紹介したといわれるが、詳細は不明である。現在確認できるのは、久保田が昭和一三年に刊行した『ユダヤ議定書―世界顛覆の大陰謀』(破邪顕正社)である。これはセルゲイ・アレクサンドロヴィッチ・ニルスによるロシア語訳と和訳とを併記したものである。久保田栄吉(一八八八~?)は本名を寺田二三郎と言い、日露戦争後の明治四二年に、旭川第七師団の松本誠一大尉が特命を帯びてロシアに潜入した際にロシア語ができることから同行することとなり、「久保田栄吉」名義の旅券を公布されて以来、その名前を使っていたという。通訳として軍属的な立場で特務活動に従事したのだろう。大正一〇年に従来から旧知であった元社会革命党員ポポフなる人物を頼ってウラジオストックにわたるが、ポポフの斡旋によって一ヶ月五〇〇円の給料でモスクワ共産大学の日本語教授に就くためチタ経由でモスクワに向かった。ところが、ボルシェヴィキ党が権力を握ったモスクワでは高給で遇される日本語教授に就任するどころか、「共産党に共鳴しなかったため」とは本人の言であるが、日本軍の軍事探偵の容疑で拘禁され、それから大正一二年八月までほぼ二年間をモスクワ~ウラジオストック間の監獄に転々と移送拘禁された。釈放後に帰国すると、この間の事情を『赤露二年の獄中生活』(矢口書店、一九二六年刊)として刊行したほか、『ロシア共産党及び老農政府の支那赤化対策に就て』(日本新聞社、一九二六年刊)や『世界革命の実現に活躍するロシアの政治組織』(内外書房、一九二九年刊)などの著作を次々に発表した。以上いずれもわが国における先学たちが軍事的・思想的立場から、ロシア共産主義革命なるものがロシア人農民労働者大衆による国家体制の変革ではまったくなくして、ユダヤ人一派による国家纂奪と大量殺戦の惨劇であったことを喝破し、わが国体もまた赤化革命に名を借りたユダヤ人による国家纂奪の危機に晒されているとの危機感に駆られながら、改めてユダヤ人に関する研究を痛感し、本書『シオンの議定書』の翻訳・紹介に努力を傾けたことを忘れるべきではない。ロシア革命の成功により誕生したソヴィエト共産主義政権の成立を踏まえて世界中を戦争に巻きこんだ第二次世界大戦、またその後の世界戦略となった冷戦構造、そのソ連を崩壊せしめ市場原理主義に転換させた「開かれた社会」理論による謀略、そしていま現在は「グローバリゼーション」という怪物が世界中を席巻し、それぞれの風土に則った人々の伝統的な暮らしを根底から破壊している。こうした世界規模の動きは個々の国家あるいは国家プロックの利害を超えて、ごく少数のアングロ・ユダヤ連合体からなる世界権力=世界金融寡頭勢力の意志が働いていると見るほかない。しからば、彼ら世界寡頭勢力の目指すところは何か?その長期的な計画を知る上で、本書は第一級の資料でありつづけるだろう。平成二十四年二月天童竺丸(てんどうじくまる)[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房
2021.01.13
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2021.01.12
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國際經濟學會調査部譯編 昭和17年7月
2021.01.11
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國際經濟學會調査部譯編 昭和17年7月
2021.01.10
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2021.01.09
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2021.01.08
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2021.01.01
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