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うちのクラスのAちゃんのこと書きます。彼女のことを怖がっている子はたくさんいます。とにかく言葉がキツく、攻撃的な感情をあらわにし、いつも怒ったような表情をしているからです。くりくりした目の、とっても愛らしい顔立ちをしているのに、なにしろその言葉遣いと態度のおかげでなおのことキツく見えます。だけど、それは彼女の不安の裏返しに違いない、と私は思っていました。そういう目で彼女を観察していたら、彼女がキツい言葉をはくほどに、キツい態度をとるほどに、彼女が愛おしく、また不憫でした。だいじょうぶ。私はあなたを傷つけない。Aちゃんが大好き。こわがらなくていい。そういって髪の毛を撫でたら、彼女はぽろぽろ泣きました。愛されている自信がなくて、傷つけられるのがこわくて、だから鎧をまとって先手必勝で攻撃をしかけていました。みんなが自分のことを悪く言ったって嫌ったって別に関係ない!っていう自分を一生懸命演出していました。ほんとうは仲良くなりたい。優しい自分を出したい。笑顔で楽しく過ごしたい。彼女が泣きながらそう言葉にしてくれた時に、もう彼女は変われていたんだと思います。先日の学年集会で、100人のフルーツバスケットをやりました。みんなで楽しむことが大好きなこの学年の子たちは、寒い体育館を歓声を上げて走り回っていました。ひとりずつの防災ずきんを椅子代わりに使ってのゲーム。クラスも男女も入り乱れて、誰かの席に移動するゲームです。大盛り上がりのゲームが終わって自分の場所に戻ったとき。私はAちゃんを観察していました。どうかな。どうするかな。Aちゃんは、他の人が入れ替わり座った自分の防災ずきんを、これ見よがしにはたき始めました。もちろん、眉根を寄せ、怒ったような表情です。放課後、私はAちゃんを呼びました。今日、楽しかった?「・・・楽しくない」そっか。防災ずきんはたいてたの、見てたよ。楽しくなかったね。そう私が言うとまた、Aちゃんはぽろぽろと涙をこぼしました。Aちゃん。楽しんでいいんだよ。笑っていいんだよ。なりたい自分になっていいんだよ。今日のAちゃんは、今まで作ってきた自分にしばられてたように見えたんだ。違うかな。私がぜんぜん見当違いのことを、勝手に言ってたら教えて。そうしたら、しばらくだまって涙をこぼしていたAちゃんが、意外なことを言いました。「今日ね、先生」うん。「○○ちゃんに、ふつうに鍵をわたせた」・・・!ああ。そうだったの。そんなことがあったの。すごいよ。Aちゃん。嬉しいよ。私は思わずAちゃんを抱きしめました。○○ちゃんは、彼女が特に攻撃的な態度をとっていた相手でした。あからさまな言葉と態度で、嫌悪感をあらわにしていました。人を好きになるのも嫌いになるのも、当たり前のこと。そんなのはただの生理現象なんだ。だけどね、自分の感情をふりかざして、一方的にいやな態度を取るのはね、相手を傷つける以上に、自分の心を傷つける行為なんだよ。無理矢理好きになる必要はない。だけど、今の態度を取ることで、自分の心がいやな気持ちになることに気づいて。笑顔と優しさを外に出して。そのほうがずっとらくちんで気持ちがいいってことに気づいて。そんな話を、秋から年末にかけて、Aちゃんとはしていたのでした。「○○ちゃんに、ふつうに鍵をわたせた。」この言葉が、どれほどの大きさを持っているか、私にはようくわかりました。どれほどの勇気を持って、「ふつうに」したのか。Aちゃんを抱きしめて、どうだった、気持ちが楽になった?と聞いたら、うん、と泣きながらうなずいてくれました。なりたい自分に近づこうとしているAちゃん。それを、私に教えてくれたAちゃん。その記念すべき日を分かち合えてほんとうに嬉しいよ。私も思わず泣きながら言いました。次のフルーツバスケットは、きっと楽しくできるね。「うん。」もう防災ずきんをはたかなくていいね。「うん。」また、すてきなできごとがあったら教えてくれる?「うん。」そして、涙をふいて、ちょっと照れくさそうににっこりして、Aちゃんは部活に行きました。私はしばらく、5年後に柔らかな笑顔の似合う女の子に成長したAちゃんを想像して、ひとりで教室に座っていました。寒かったけど、ぽかぽかでした。
2012.01.27
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今年の生き方目標。好きな人に好きと伝えること。これは昨年からの継続課題。友情でも恋愛感情でも尊敬でも憧れでもひらめきでもいい。自分が感じている好意を、相手にわかるように伝えていこう。もうひとつは、女であること。女であることを意識すること。女であることを意識させること。ただそこにいれば女でいられた時代はきっともう過ぎた。今年の行動目標。映画を20本観ること。ひとりでラーメン屋に入ること。昨年2回だったから今年は3回。言葉遣いをなおすこと。お前ら!とか言わない。佐渡裕さんに一歩近づく。美しさに敏感でありつづける。夕焼けのあかに。ぴんと伸びたせすじに。今年は39歳になります。サンキューのとしだぜ。
2012.01.01
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私の働く学校は、私服なのですよ。あさっての合唱コンクールに向けて猛練習中の我がクラス。今日は、当日の衣装についての話し合い。さてどうするか~。「え、他のクラスはなに着るの??」いや~わからん。でもまあ、過去の写真を見ると、みんなが入学式で着たようなかっちりした服でそろえるパターンだね、ほとんど。「えええ~それじゃつまんないでしょ」あらそう。じゃどうすんのよ。急激にテンションが上がってくる教室内。「海パン!!」「さみ~よ~」わはは~そこ?ツッコミどころ、そこ?「女子着れないし~」水着着たらいいじゃん。「さむいよ~」わはは~やっぱりそこなんだ。あ~楽しいね。こういう話し合い、あたし大好き~~~。「ふんどし!」いいかわかってるかお前ら、私はぜったいに止めないからな。「まじすか。いや、じゃ、ふんどし!」ほうほう。ほかには。「パジャマ~」いいね。かわいいんじゃないの。「朝起きてそのまま来ればいいから便利だし!」「登校時もパジャマかい!」この時点で笑い声いっぱい、大盛り上がりの教室。ここで担任は釘をさす。もう一回言うけどね、私は何を着ることになろうが止めないし、それに関して職員室で何か言われようが、きっちり受け止めてやる。しかしねあんたたち。その後の歌がスバラシイことで初めて、衣装でウケを狙っても価値があるんだからな。覚悟はあるんだろうね。「当たり前!」「いややっぱ正装にしよう」「何弱気になってんだよ!」ああ~かわいい。ああ~タノシイ。この子たち大好きだ~私「柔道着は?」(こないだ体育で使うために柔道着を購入したばかりなのです。)「いいじゃん!」「いいねえ!」「気合い入るよ!」「オレ、黒帯してくるし!」俄然柔道着に傾く教室内。よし、じゃあそろそろ決めようか。さすがに海パンとふんどしはやめとくか。寒いから。「うん、寒いから。」じゃあ一人一回手を挙げよう。そして、決まったら全員、本気で着て本気で歌うこと。「やだ~ドキドキするう~~」「おし!自分の意見で手を挙げろよ!」パジャマ。柔道着。正装。どれかだぞ。静まり返る教室。ああ~~~~カワイイ。たまらん。さて結果は?パジャマ・・・ 4票柔道着 ・・・ 3票正 装 ・・・23票結局ビビりな我がクラスでした。あ~タノシカタ
2011.10.04
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父方の祖母は若い頃から身体が弱く、肺を煩ってもう10年も病院暮らしをしています。昭和2年生まれの若いばあちゃんです。もとバスケの選手、すらっと背が高く、ユーモアのセンスにあふれ、油絵やら粘土細工やらまあ多趣味で、自慢のばあちゃんでありました。ここ1年くらいはアルツハイマーの症状が出始め、会いに行くと、看護婦さんに私のことを姪っ子だと紹介したり、誰かしらという怪訝な顔をしながらかしこまってあいさつをしたりすることも多くなりました。じいちゃんは、今日7月10日が誕生日。91歳になります。退職したときは校長先生。とても頭が良い人です。靴下がどこにしまってあるのかも知らなかった日本男児でしたが、80にして家事を覚え、ひとりで洗濯も料理もして暮らしています。最近はほとんど耳が聞こえなくなったみたいです。週に3日、片道40分の道のりを運転して、ばあちゃんと過ごしています。昨日久しぶりに私がばあちゃんを尋ねると、ベッドの傍らにじいちゃんが腰掛け、静かに会話をしていました。めずらしくばあちゃんはクリアーで、私を見て「みかちゃん!よく来てくれたねえ!うれしいです」と言ってくれました。あんまり喜ぶから、悲しくなっちゃったくらいでした。「今日は車の場所忘れないでよ」とばあちゃん。「いや~こないだは停めたと思ってた場所に車がなくて参ったな。」とじいちゃん。「頭の中に、空白ができるんだよ。これが91歳の現実だな。しかしここまでこうしていられることが奇跡だ。」めずらしく私たち三姉妹の小さい頃の思い出を静かに話すじいちゃん。「みかちゃんは、生まれたてを○○(父の名前です)が抱いて空港に来た、そのときの絵がいつも思い浮かぶんだ。」「そうね。みんな大きくなったね。今日はほんとによく来てくれたね、みかちゃん。」ふたりの会話は耳慣れているはずなのに、なんだか少しだけいつもよりせつなくて、涙が出そうになるのを懸命に笑顔で押さえました。16時。じいちゃんが帰る時刻です。じいちゃんは時計通りに毎日を送ります。「じゃあ、またな。」「車の場所はわかる?」「うん、今日はだいじょぶだ。」私が、「ばあちゃん、じいちゃんが帰るときはさみしいね」と言うと、「うん、さみしいよう」と、ばあちゃんはほんとにさみしそうに答えました。「じゃあまた来るから」じいちゃんがばあちゃんに手を差し出して、ばあちゃんがその手を両手でぎゅっと握り返しました。その瞬間に、わかったことがありました。ああ、この人たちは、これが今生の別れになるかもしれないと、いつもいつも思いながら別れるんだ。「死ぬときは一緒に死にたい」というふたり。だけど今日も、一緒にいる時間にはそれが叶わなかったから、次に会うときまでの時間をお互いに祈るように、手の感触を通じて感謝と愛を伝え合っているんだ。帰り道の階段を一緒に降りながら、「男きょうだいの中では、オレが一番長生きだな。女は97まで生きたのがいたけどな」と笑って言うじいちゃん。91歳のじいちゃんがそれを言う意味を、私は心の中で噛み締めました。じいちゃん、誕生日おめでとう。どうか1人の夕食が孤独でありませんように。
2011.07.10
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15日は誕生日でした。38歳になりました。20年前はもう高校生だったと思うと自分でもびっくりします。38歳の決意。一、年齢なりの経験をきっちり積んだ、年齢なりの輝きと魅力を持つ人間あるいは女であること一、自らの可能性を広げる努力をしないでおいて、年齢のせいにしないこと一、好きな人には好きということ一、お金をゆたかに遣うこと一、相手に伝わってこそ自己表現であること一、自分のアンテナを信じること一、自分のアンテナだけを信じないこと一、自分のアンテナをみがくこと一、教員としてのスキルをみがくこと「三十路の道」ていうブログテーマもリミット間近だわ~
2011.05.16
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ヨヨチュウさんて誰だか全然知らなかった。だけどなんだか気になって、観なくちゃいけないような気にさせられて、平日だけど、仕事が終わってから車で横浜まで出かけてきました。 AVの世界ではその名を知らぬものはいない(らしい)、女優の名でなく監督の名でAVが飛ぶように売れる(らしい)、70代にして現役AV監督代々木忠さんのドキュメンタリー映画です。いやはや。観てよかった。10年ほど前にテレビで耳にした「料理も人間性ですよ」という言葉が、以来私のテーマになっていました。料理と人間性。道路工事と人間性。コンピュータプログラミングと人間性。それらの関係を明確につかみたかった。どんな職業だって、どんな仕事だって、そこには「人間性」ありきなんだということを、はっきりと納得したかった。そして、求めていた答えに少しずつ近づけている気がしていました。そんなときの、「YOYOCHU」。信じられないかもしれない。だけど、教員という仕事と、AV監督の仕事が、こんなにも近い動機と目的で存在しているんだ、し得るんだということに私は感激を押さえられませんでした。塚本の飲み屋のおっちゃんに、「からだを開くというのは、こころを開くということやろ」と言われたことを思い出しました。ヨヨチュウさんが突き詰めようとしているのは人間だ。物理的なつながりは、精神のつながりによってより深まって、その深さは計り知れない可能性を持っているのだ。さらけ出させたいと思ったら、自らを開くことだ。ヨヨチュウさんの生き様。ヨヨチュウさんのカメラの前で、文字通り何も隠せなくなっていく人たち。まったく知らない世界の話であるはずなのに、自分の中にものすごいシンパシーがわき上がってくるのを感じました。ヨヨチュウさんが性を通して究めようとしているものがあるとしたら、私は教員の仕事を通してそれを究めたい。強く強くそれを感じました。18歳以上のみなさん。必見です。
2011.04.27
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自分に何ができるのかを考え続けた週末。何もできないことを受け入れなくちゃいけない。何もできないことを認めなくちゃいけない。自分の無力さを嘆くことそのものがおこがましいとわかっていても、心が沈んでいくのを止められなかった週末。でも、友達の一言が救ってくれた。今年度最後の授業、私の話にじいっと耳を傾けてくれた子どもたち。「おれらは未来に希望を残さなくちゃな。」その言葉を、中学生は、「かっこいい。」と言った。冷やかしでなく、不意をつかれたように、小さな声で、「かっこいい。」とつぶやいた子が、どのクラスにもいた。どうか、きれいごとと受け止めないでほしい。今、私たちができることは小さい。現地の人々の人生を背負うことはできない。だけど、これからのこの国をつくっていくのは私であり、あなただから。みんなは中学生だから、社会的には限りなく無力だ。だけど、阪神大震災のときに、人々を励まし、笑顔を振りまき、文句一つ言わずに運動場に簡易トイレを掘ったのは中学生たちだったんだよ。岩手の体育館で、「ガンバロー。命あることに感謝しよう」というポスターを貼ったのも、中学生なんだよ。自分にできることはないなんて、思わないでほしい。今何が起きているのかを、あなたの心の目で見ておいて。歯を食いしばって励まし合っている人々の姿を見ておいて。からっぽのスーパーの棚が何を意味しているのかを考えて。こんな状況でも畑に出て、海に出て、私たちに新鮮な食材を送ってくれる人々がいて、しかし野菜や肉や魚が有り余って、カップラーメンが売り切れる現状を、見ておいて。何が正しいかはあなたが決める。いい、あなたが決めるんだよ。中学2年生は、もうそれができる。あなたはどんな日本をのぞむのか。どんな未来をのぞむのか。どんな生き方をのぞむのか。大人や周りに流されず、しっかり見て、しっかり考えて、あなたの価値観を育てて。命をかけて、それを教えてくれようとしている人たちが今いるとするなら、私たちは学ばなくちゃ。「不謹慎だ」と、ある大人は言うかもしれない。だけど、それを真に受けちゃいけないよ。私たちは、大いに笑って、大いに歌っていいんだ。空気を元気にするんだ。そしていざというときにタフネスを発揮できるように、心とからだを健康に保っておくんだ。朝、教室にくれば、好きなヤツも嫌いなヤツも、おなじメンツと顔を合わせることができる幸せ。それをわかっていればいい。感謝して生きることを、心に刻みたいと思うんだ。じいっと聞いている彼らの、でも心の中が絶えずぐるぐると動いているのが伝わってくる。言葉にできないなにかを、彼らなりに自分の中で形作ろうとして、ぐるぐると。ぐるぐると。自分に何ができるんだろう。もし、いまここに地震が来たら? 津波が来たら? 自分はどう生きる?ストレートに、てらいなく、自分に問いかけている。私はほんの少しでも、彼らの心を揺さぶることができただろうか。お掃除の時間、さっきのクラスの子どもたちとすれ違った。「先生、今日の授業、楽しかった。ありがとう。」「うん。よかった。泣きそうになった。」なんつうか、今日も私は彼らによって生かされている。
2011.03.18
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「おれらは未来への希望を作らなくちゃな。」って、友達が言った。あったかいとこにいることや、おいしいものを食べること。家族や友達がそばにいること。お酒を飲むこと、笑うこと、歌うこと。それができる私たちは、「不謹慎だ」とそれに自重という名のフタをしているべきなのか。違うよ、違う。現場にいる人間にしかできないことがある。その道のプロにしかできない仕事がある。私には、じゃあ何ができる?それは、祈ることだ。笑うことだ。もりもり食べて、ぐっすり眠ることだ。感謝して、助け合うことだ。愛することだ。手を握ることだ。希望を持つことだ。夢を持つことだ。信じることだ。歌うことだ。今日、子どもたちと歌った。いつもの授業と同じ歌たち。だけど、歌う前に祈りをこめた。歌よ、届け。私たちの幸せよ、届け。私たちの祈りよ、届け。歌うことの喜びをかみしめて歌うから。仲間が隣にいることの喜びをかみしめて歌うから。明日を探そう。すばらしい僕らの夢の世界を。駆ける想いは、果てしなく広がる。僕はゆく、なによりも君の夢守りたい。ひとりきりじゃないこと、君が教えてくれた。いつも何気なく歌っていた曲に、こんなにもあふれるメッセージがあった。子どもたちの歌声があんまりすてきで、子どもたちの歌う笑顔があんまりすてきで、涙がでた。彼らの歌には、いのちがあふれてた。私たちは、未来への希望をつくらなくちゃ。
2011.03.14
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「せんせ~見て見て」クラスの女の子が数名で寄ってきた。わははは~~~~なんじゃこりゃ。こわ。「ドラえもんだから~」どこがじゃ。「見ないで描いた! 見ないで!」わはははは~~~~目をつぶって描いたってこと?こりゃ傑作だわ。今日のブログに載せることにした!「わ~~~い」というわけで傑作を写真に撮ってきました。 キョ~レツ~ゥ
2010.05.11
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よ~く目を凝らさないと見えない世界がある。思い切って近づかないと見えない世界がある。全体の一部としてのそれと、それ自体を全体としたときと、まるで違う姿になる。どれだけ目を凝らしても近づけても見えない世界もあるけど、努力はしよう。見えない世界に近づくように。
2010.05.09
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昨日も書きましたが、写真て被写体をうつすんじゃなく、被写体を見る、あるいは撮りたいと思う、撮る側の視点とか心とかをうつすんじゃないかと、今回の旅で思いました。もちろんいっぱしの写真家気取りのつもりじゃ全然ないけど、帰ってきてマックちゃんに読み込んだ写真を見て、そう思いました。自分を客観的に見られる気がした。写真を通して。「かげ」に、私は心ひかれたのだな。光あるところにある「かげ」に、私は反応したのだな。ごめんなさい。少し感傷的です。
2010.05.06
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GW、石川県に行ってきました。4月から怒濤の日々を過ごし、ご褒美のような5連休。仕事しないぞ~オオ~ブログともだちのなおころちゃんと金沢駅で待ち合わせしての、女フタリタビでございました。今回はね、4月に買ったばかりのデジカメちゃんが大活躍。リコーのCX2です。写真って、どんな景色がそこにあったかをうつすのでなく、何に自分が心惹かれたかをうつすのね、きっと。5月の石川は、色とりどりの緑であふれていました。兼六園の松もみ。兼六園の苔。山中温泉遊歩道の新芽。川の水もみどり。一面の花。そして緑。新緑のもみじ。みずみずしくてやわらかい。今、写真を見ながらまた心が洗われる気持ちです。次回は私の視点、その2。お楽しみに~(って、ほんとにアップするんかい。)
2010.05.05
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こないだ卒業式だったと思ったら、もう始業式。今年は3年担任です。わくわくわくわくしながら準備に明け暮れた1週間。今日は、子どもたちの嬉しいすがたをたっくさん見る事ができました。しあわせ。担任1日目にして、もうしあわせ。あまりに多忙でいろいろ放置中ですが、今日の嬉しかった1日については書いとこうと思って。あしたも忙しいから、早く寝よう~っと。
2010.04.05
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今日は、卒業式前最後の練習でした。私は学年所属じゃないけど、音楽科だから参加。というか、指導者。前々回の練習はひどかった。並ぶまでに15分。並び終わってから話し声がやむまでに15分。私の空き時間は45分だけだから、もうなんだかんだで残り10分。前任校の卒業式ですっかり免疫がついて、ちいとも驚かないけど、やっぱこりゃ悲しいよねえ。結局やっとこ通しておしまい。前回の練習はもっとひどかった。私が体育館に入って行ったら、学年の先生が、壇上で最後のお話ちゅう。しかも、涙ながらに思い出を語っている。それを聞く生徒たちも、涙ながら・・・・じゃなあ~~~~~~い!横を向き、後ろを向き、おしゃべりしたりげらげら笑ったり、それぞれ好き勝手に時間を過ごす170人(!)。さすがにあっっったまきた。誰にって、職員に。ああ前任校の悪夢を思い出すわ。何だって、誰も聴いてないのに話すのかしら。泣きながら語りかけてるそのメッセージを、何が何でも届けてやろう、こっち向かせてやろう、このやろう!っていう闘志が湧かないのかしら。でも、私も大人になりました(笑)。きいいい~とならず、静かに作戦を練る。大騒ぎの涙の語りが終わり、私の出番です。歌の練習しなかった。ただ静かに語った。涙ながらに、一生懸命話している先生の話を、お行儀よくきけってわけじゃない。相手のハートを自分のハートで受け止められないのかってことだよ。楽譜通りに正しく歌ったって歌じゃないんだよ。そこにハートが、伝えたいメッセージがこもるからこそ、歌なんだよ。ハートのないあんたたちに、私は歌を教えられないよ。3年の先生たちが、それでもさじを投げないのはなぜだとおもう。あきらめたくないから。逃げたくないから。自分に負けたくないから。信じることをやめたくないからだよ。あんたたちのためなんかじゃない。自分自身のために、あんたたちとの最後の数日を、戦ってる。あんたたちは、どうする。このままいくのか。ハートを受け止めず、ただ証書だけもらって、感謝の気持ちのこもらない歌を歌って、卒業していくのか。私はかまわないよ。自分で選びな。こんなことを、20分話した(告白:途中から泣きました)。でもね。誰も横向いたり後ろ向いたりしなかった。まあ3人くらい、意地でもって感じでおしゃべりやめないのいたけど、でもさっきの騒然とした空気はどっかにいっちゃった。ほら。できるんだよ。この子たち。まだハートをなくしてないよ。それを、3年職員にわかってほしかった。そして、今日の最後の練習。今日は、ほめてほめて、持ち上げて持ち上げて、とにかく笑顔で、音楽室での授業みたいに彼らに向かった。時の旅人。大地讃頌。今日の歌にはハートがあった。旅立ちの日に、を始めようと指揮者が手をあげたとき、「3年の先生方、どうぞ客席へ。この子たちは、今日は、先生たちのためだけに、心をこめて歌います」と、勝手に私が言った。ええ~なんて最初は笑って、ざわざわしてた子どもたち。だけどいざ歌いだしたら、さいこうにあったかい歌声になった。女の子たちが泣き出して、涙が伝染していくもんだから、「泣いてもいいから歌え~!」って途中で言わなきゃならなかった。だけど、ああよかった。今度は、3年前を繰り返さなくてすんだみたい。当日は、親や友達や、いろんな人に向けて歌う彼らの姿を、楽しみにしようと思います。
2010.03.08
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「教員は、100%演技者になれるならそれでもいい」と、新採用のときに指導教官から言われたことがある。公と私とを完全に切り離して、子どもに見抜かれることのない完璧な演技をするなら、それもテクニックだと。本心から納得した。100%の演技者に、あこがれもした。でも、私にはできん。子どもの前で、自分でない自分でいることはできない。自分の思いを伝えることが、経験主義的で稚拙なやりかたと言われようと、私には、私という人間で勝負するしかできない。伝えることと、一方的に押し付けることとはまるで違う。伝えたいことは同じでも、受け入れる相手が私と違う人間である限り、目に見えない壁はいつでも存在するし、伝わったと信じたことですら、独りよがりであることもざらにある。けれども、「仕方ないよね、人間だから」というのは、プロではない。やったろうじゃないの。
2010.03.01
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今日は、お友達が出演するコンサートに行ってきました。→東京交響楽団 川崎定期演奏会すごくよかったな~。数十年、数百年前に生まれた音楽が、今日の私の心を揺さぶることの不思議。生の音楽を通じて、指揮者の、演奏者の、熱意や思いや生き様までもが伝わってくることの不思議。学生の頃は、精一杯背伸びをして、演奏会に行けば斜に構えて批評家を気取っていたけど、今はもう、ただただ音楽に身を浸して、感謝して、心をフラットにして感じることができるようになりました。その道に文字通り身を捧げて邁進してきた人が生み出す瞬間芸術は、胸を打ちます。オーケストラもそう。オリンピックもそう。ストラヴィンスキーの「火の鳥 全曲版」を初めて生で聴き、そのオーケストレーションの見事さに舌を巻きました。すべての楽器に、その音色と場面とに、必然性を感じました。緻密に計算された不安定。鷲見くん、お誘いありがとう。さて、明日から3月です。
2010.02.28
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雲一つない晴天のもと、待ちに待った地鎮祭でした。そうです。やっちゃいます。家、建てちゃいます。「こんな日当りのいい場所での地鎮祭、私は初めてです」と、きれいな神主さんが言ってくださった通り、お陽さまぴっかぴかの50坪。両親、妹ふたりに甥っ子姪っ子、不動産屋さんに建築会社のみなさん。みんなで、心をこめて、神様に土地と家の安全をお祈りしました。これは2番目の甥っ子。ありがとこうちゃん今月中には着工です。
2010.02.07
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あけましておめでとうございま~~~~~~す。これだけは、1月中に言っておかないと。と思って。またまたサボってすんまそん。一、今年は、人生最大のプロジェクト。ようやく具体的にスタートラインです。二、ツイッターを始めました。そもそも無精なもので、ごくごくたまにつぶやいてるだけですが、言葉について考えることが多くなりました。もっと多くの言葉を知りたい。言葉が持つ世界を知り、可能性を知って、言葉を上手に使えるようになりたい。ツイッター仲間募集中です。三、ルルドの泉にまつわる伝説が、嘘かほんとかには、あまり興味はありません。でも、修道女ベルナデッタの伝記で読んだ彼女の言葉は、小学生だった私の心に、衝撃的に刺さりました。病による肉体的な苦痛にうめくベルナデッタのために、誰かが「その痛みが少しでも和らぎますように」と祈りました。それに対してベルナデッタは、「いいえ、私がこの痛みに耐えられるように祈ってください」と言ったのです。苦痛から逃れるのではなく、それに耐え、乗り越えられることを目指そう。今の私は、とても強くそれを思っています。今年もよろしくお願いします
2010.01.30
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中学生のときに、バービーボーイズのKONTAさんが言っていた。「時間が経つと忘れちゃうもんだよ」って。いやいやいやいや。そんなわけねえだろ。そういうのは、絶対に忘れられないもんだろ。いっくらKONTAさんがかっこよくたって、その台詞は信じないよ。そう心の中でつぶやいた15歳の日。今日気づいた。忘れちゃってるよアタシ。・・・。あっちだっけ。それともこっちだっけ。(チーン。) ←モモちゃんのパクリ。36歳以上のあなた。ファーストキス、憶えてます?
2009.12.14
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「風のかたち」また、すばらしい映画に出会いました。「風のかたち」というドキュメンタリー映画です。この映画にちょびっとだけ(だけどとっても大事な役割で)出演している方から教えていただきました。その方に送った感想メールを、そのまま今日は載せます。 こんばんは。 「風のかたち」、教えてくださってありがとうございました。 重いとは思わなかった。ちっとも思わなかった。 何に涙が出たのかな。 言葉にするのは難しいけど、子どもたちの輝きかな。 生命の輝き。 「死ね」なんて言葉をいとも簡単に吐き、何もかもを親や教師や環境のせいにして、 甘ったれてだらだらと過ごしている私の学校の中学生と。 今日の生命に感謝して、笑顔の大切さを知り、夢を描き、思いやりと優しさにあふれて生きている彼らと。 どちらが深く生きている? どちらの生命が輝いている? それは、あまりにも歴然としていました。 「子どもは、死んじゃいけない人たちだから」と細谷先生は言っていたけど、 その言葉の意味はよくわかるけど、 私は違う考え方を持っています。 生きて死ぬまでが、その人の寿命だと。 若くして生命を失う人は、もはやその人生での学びを終え、むしろ自分の死によって 周りの人間に学びを与える人たちだと。 小児がんに負けて死ぬんじゃない。彼らの人生は、十分に輝いたのです。 この生命の輝きを、私の生徒たちにも伝えたい。 感謝して生きることの尊さを教えたい。 自分の生命を輝かせるのは自分自身だということを。笑顔が何よりの宝だということを。 人を傷つけたり、恨んだり、卑下したり、そんなもったいない人生の過ごし方はやめようよと言ってあげたい。 映画の中の彼らが、病気を通じて学び取った、生きることの意味。 それは、病気にならないとわからないことなのだろうか。 違う。それはきっと違う。 誰にだって気づくチャンスはある。与えられた、自分自身の人生の中で。 だから、私は輝かせなくっちゃ。 映画の中の彼らが教えてくれたことを、自分の生き方に投影させなくちゃ。 健康に恵まれ、家族に恵まれ、生活にも出会いにも恵まれて来たのは、きっと私が、彼らより卑小な魂の持ち主だから。 だから、このちっぽけな魂を、精一杯輝かせなくちゃ。 映画を観ている間じゅうそう思って、そう思ったら、自然と涙が出てきたんです。 すばらしい映画でした。出会わせてくれたSさんに、むしろSさんに出会えたことに、 本当に感謝しています。ありがとうございました。長文ごめんなさい。 ここのところ、運命を強く感じる出会いが続いています。いま、私に何かが起ころうとしているのだろうか。静謐なこころで、見極めていこうと思います。
2009.12.09
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クリック!3月、あの人たちがやってきます!ぜったいぜったいぜったい行かなきゃ!!音楽のすごさ、生きることのすばらしさ、日々を感謝し、笑い、楽しみ、夢を描き、生きることのすばらしさ、ああもうなんて言えばぴったりなのかわからないけど、人生を輝かせることに必要なのは、若さなどではないということを教えてくれた、あの人たちがやってきます!!8人しかいない映画館で、スタンディングオベーションをしたかったあの心の震え。あの歌声に、あのソウルに、あのグルーヴに、生で触れられるんだわ~
2009.12.07
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40を目の前にして(あと3年半)、不惑どころか迷い路くねくねだ。正しくありたいと思えば思うほど、自分に誠実でありたいと願えば願うほど、なにが正しくて、どうあれば誠実なのかがわからなくなり、混乱して、神様に電話をかけたくなる。だけど、聞きたい答えは「お前は間違ってない」という答えだけだから、それ以外の答えを聞くことがこわくて、通話ボタンを押せないでいる。最近2次元の世界に依存している。このページもそうだけど、ツイッターやらアメーバピグやらニコットやらハコニワやら、我ながらあほかと思うほど、時間さえあれば携帯やパソコンに向かっている。私の救いは、ヴァーチャルの世界にヴァーチャルの自分を生みだすほど、器用じゃないことかもしれない。2次元の世界は、3次元につながっている。画面の向こうで、みんなリアルな自分とリアルな生活を抱えてる。あたりまえだ、そんなこと。だけど、自分だけがリアルであるような錯覚におちいることがある。みんなアバターみたいにかわいくて、おしゃれで、にこやかで、楽しくて、平和で。だけど、2次元に束の間の安らぎを求める人の多くは、相反する自分を抱えてる。きっと。今日、ヴァーチャルな私に話しかけてくれた人がいた。たまたま画面上で隣り合って、たまたま同い年だったということがきっかけで、私に話しかけてくれた。ヴァーチャルな私と、ヴァーチャルな彼女。なんだか楽しくて、意外なほど親近感がわいた。チャットだから声はきこえないけど、画面のこちら側で私はほんとに何度も声に出して、笑ったり相づちをうったりしてた。いつの間にかヴァーチャルを忘れて、リアルな自分を語り出したとき、可愛いアバターじゃない、等身大の、シルエットの彼女が見え始めてた。気がついたらぼろぼろ泣いていて、それを彼女に伝えたら、「私も」という返事が返って来て、見えてないのに、聞こえてないのに、ふたりで一緒に泣いた。神様は、必要なときに必要な出会いをくれる。2次元でも3次元でも、それが必要なら必要なように、神様は出会いをくれる。さっきまでの2次元が、すとんと3次元の存在感で自分に届いたとき、それは4次元を通過してるのだろうか。このブログで知り合った大切な人たち。私の姿は、3次元で届いているでしょうか。
2009.12.05
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中学生のときに、仲良しだったまことくんがプレゼントしてくれた、"BAD"。かっこよくてかっこよくて、カセットテープがのびるくらい聴きました。あれから、なんだか悪い話ばかりが先行して、私の中では過去の存在になりかけていたマイケル。今日のスクリーンの中のマイケルは、文句なく、SUPER DUPERでした。超人モンスターでした。最近の私は、自分に課せられた命題について、考えます。私は何を学ぶために生まれ、今を生きているんだろう。全ての魂が、その人生で学ぶべき課題を背負って生まれて来ているとしたら、私とマイケルとに課せられた課題は、何と大きく違うことだろう。同じ時代に同じ地球に生まれた魂同士なのに、こんなにも違う人生ってあるんだろうか。それは、自分の人生は自分しか生きられないんだということじゃないかな。そんなふうに感じながら、観ました。"God bless you!" マイケルは、口癖のようにこの言葉を口にしていました。「神の祝福がありますように」とでも訳すのでしょうか。きっと彼は、その信仰心を支えに、人並みはずれた人生を、強く生き抜いて来たんだろうな。スタッフにダメ出しをした後、すかさず「怒ってないよ、愛だよ、L,O,V,E 」とフォローを入れたマイケル。そのさりげない一言が、痛烈に響きました。彼は、自分の一言が絶対的な影響力を持つことを知っていたのでしょう。自分の一言に、もはや命令と同じ圧力があるのだとしたら、それは、何という孤独だろうか。誰も、逆らわない。何でも、思い通り。世界が自分にひれ伏し、畏れを持って接するとき。それは、何という孤独だろうか。神様だけが、本当に心を開ける、自分を導いてくれる存在であったんじゃなかろうか。彼は、想像を絶する孤独と向き合うことと引き換えに、世界に、音楽を、情熱を、愛を伝えるパワーを手にしていたんじゃないだろうか。映画の中のマイケルは、まるでオーケストラの指揮者でした。あらゆるパートを熟知し、それぞれの役割とバランスを整え、全体像をイメージしている人。微に入り細に入り指示を出しながら、自分の思い描く音楽に近づけていく人。何も始まってないうちから、彼の中では青写真が完成しているのです。「この人の音楽は間違いない」。「この人についていけば大丈夫」。そう思わせる、圧倒的な実力とカリスマ性。映画が終わっても、エンドロールが終了して、会場の照明がつくまで、誰一人として立ち上がる人はいませんでした。天国のマイケルが、今は安らかに、愛に満ちてほほえんでいることを信じます。
2009.11.23
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誰も見ていない山奥で、ひっそりと咲いている花は、美しくないのです。全ての美しいものは、そこに「美しい」と感じるこころがあって、初めて美しいのです。「美しい」と感じるこころが美しいのです。人間のこころに触れて、それは初めて美しくなるのです。
2009.11.16
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ホラー映画って、そもそもじぇんじぇん興味がないんです。しかし、ここのところ邦画が元気で、最近洋画観てないな~と思ってたときに、新聞かなにかで、おすぎさんのべた褒めコメント発見(おすぎさんの映画評には弱い)。昨日も一日テスト作りで出勤したあと、なんだかまっすぐ帰りたくないな~と思って、「あ、『スペル』観よ~」ってことで、観て来ました。言っていいですか。ちょ~~~~~面白かった。何と言うか、爽快! ホラーなのに、爽快。というか大笑い。いや、めっちゃ怖いですよ。しょっぱなからビクぅ!としちゃって、ちょっと恥ずかしかったりして。ホラー慣れしてない身としては、途中まではいつ来るかいつ来るかと緊張しまくり。身構えてるのに、さすが監督、タイミングを心得てらっしゃる。ビクぅ! としてまた隣の人に気づかれてないか盗み見ちゃったりして。しかし、途中から、おもしろくなってきちゃった。きた~。またきた~。ありえ~ん。ばあちゃんこわ~。ねえちゃんつよ~。わはははは~。と、笑っちゃいました。「リング」観ましたでしょ、みなさん。しばらく、テレビの画面が怖かったでしょ。あんなふうに、心理的に迫り来る怖さ、身につまされる怖さってのがないんだな。エンターテインメントです。お化け屋敷的。怖~い、でももっと観た~い。って感じ。スッキリした~(笑)。しかし、伏線があって、これな~このままで終わるわけないんだよな~、と思わせておいて、それもやっぱり定番の流れなんだろうけど、どんでん返しがラスト10秒とはね~。口空いたまま終わっちゃいました。ごめんで済みゃ、警察はいらないってことです。人には優しく。
2009.11.15
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言いた~い。でも、まだ言わな~い。むふふふ~う。
2009.11.12
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本日、出張の帰りに観てきました。杉本彩さんはこう言っていました。「私がこの映画を撮ったら、もっと攻撃的でアグレッシブで、ひどい映像になったかもしれない」。ペットブームの裏で、日本では毎日1000匹の犬や猫が処分され続けているといいます。処分ーつまり、殺されているということ。手のひらにすっぽりと収まる、生まれたばかりの子猫たちが、次々と「箱」に入れられる映像からは、正直目を背けたくなりました。否応なくつきつけられる、無数の小さな生命たちの現実。しかし、この映画は、ペット社会の闇を声高に訴える映画ではありません。人。これは、むしろ、犬や猫じゃない、人の映画だと思いました。この映画に登場する人は、それぞれの思いで、小さな生命と向き合い、自分にできる最前を尽くそうとしていました。自分の生活さえおぼつかないのに、捨てられた犬や猫の世話を続ける人。処分される生命を少しでも減らすために、去勢手術を施す民間の人(監督は、摘出された、赤ちゃんのつまったまま摘出された子宮を、両手で包むように触れていました)。「処分される生命なら、自分がやればいい」ときっぱりとした口調で言う行政の人。批判するのはたやすい。けれど、ジレンマを抱えて、時に自分を責めて、それでも歯をくいしばって、私が目を背けようとする世界に踏みとどまって、目の前の生命の生と死に関わる多くの人々。不思議なあたたかさに包まれた映画でした。お近くで上映される際には、ぜひ足を運んでみてください。hpはこちら→「犬と猫と人間と」
2009.11.05
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雨ニモ負ケズ。宮沢賢治のこの詩。意味がわからん。変人だ。何度読んでも共感できなかった10代。いつかわかるのだろうかと何度も読み直した20代。感謝されずに人を想い、人に優しくあることが、どれほど難しいことなのか。でくのぼうと呼ばれ、自分を勘定に入れず、褒められも苦にもされずに人を助けることが、どれほど難しいことなのか。それが、ほんの少しだけ理解できた気がするいま。こんなにも胸に痛い詩を、宮沢賢治は、こころ静かに綴ったのだろうか。それとも、自分の卑小さを感じて胸をかきむしりながら、絞り出すように書いたのだろうか。
2009.11.03
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生まれたての、耳たぶ(小)。と、つめ(極小)。じ~~~~~~ん。
2009.10.26
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昨日の早朝、また新たな家族がこの世にやってきました。7つ下の、2番目の妹の、ふたりめの子どもです。私にとっては初の姪っ子。3人の娘を持ち、男の子を切望していた両親は、3人の甥っ子誕生を経て、女の子誕生をめちゃめちゃ喜んでいます。初産のときには、病院中に響くような泣き叫びっぷりで、つきそいの家族を恐縮させた妹。今回は、陣痛が始まってから、落ち着いて洗濯をし、料理のつくり置きを準備し、長男を実家に預け、病院に向かったそうです。分娩台に乗ってから1時間だったそうで、あわや先生が間に合わない!(夜中だったのでね)という騒ぎの中、「我慢しようと思っても、赤ちゃんどんどん自分から出て来ちゃって~」と、幸せそうな笑顔で教えてくれました。両親はもちろんのこと、じじばばやおじおばや、なんたって3人の従兄弟ボーイズに、くっちゃくちゃに可愛がられるんだろうなあ。箱根もだいぶ色づいてきました。
2009.10.24
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なぜか、私はそこそこモテる。便秘だし下半身デブだし、超くせ毛だし、どうひいき目に見ても10人並み以下の顔立ちだし、どっちかというとがさつだし、気が強いし偉そうだし、花はすぐ枯らすし物はすぐなくすし、ファンデーションも持ってないし眉毛を整えることもしないし、貯金もないし自分の面倒自分で見られるし、おまけにそういった自分が割と好きだし。だけど、20歳過ぎたあたりから自覚し出したこととして、私はそこそこモテる。ダーリン以外には目もくれないのに、現在3人の男性が私のことを好きだという。不思議だなあ。ダーリンに先日、「俺を看取ってほしい」と言われました。これはプロポーズなのかなあ? と思ったけど、聞き直さなかった。プロポーズの言葉としては、最上級だと思った。私がそこそこモテるってことを知らないダーリン。ダーリンが私のことをとっても好きなことが、やっぱり不思議です。今年は花火を見逃したよ。
2009.10.21
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昨日は六本木のビルボード東京で、ソルト&シュガー。一人で行くのがつまらないからと、私に連れ出された仲良しの楽器屋さんも、たいへん喜んでくれました。ほんと、言っちゃなんですけどしょーもない音楽としょーもない音楽家が世にはばかる中、プロってなんだ?ってことを教えてくれたおふたりです。かっちょよかったっす。22日、オーチャードも追っかけます。一日あけて、今日は高校大学の同級生、近藤和花ちゃんのピアノ・ソロリサイタル。3度目の浜離宮朝日ホールです。正直、ここまで彼女がピアノがんばると思ってなかったな。感慨深いです。プログラムは、ショパン、ドビュッシー、リスト。1曲目のノクターンで泣けました。一音一音に、彼女の思いがこもってた。ひとつひとつのペダルさばきに。ハーモニーに。余韻に。ドビュッシーも、美しかった。冷ややかなのにあたたかい月の光で、会場が満たされた気がした。リストには、演奏家としての彼女の成長っぷりが現れてた。でも、やっぱりショパンがよかったよ。よかった。和花。4時半に築地を出て、5時半に小田原に到着。新幹線ってすごいわ~。締めくくりには、お友達に誘われた宮武弘さんのライブ。生声で、ウクレレ1本で、こころがあったかくなる歌を聞かせてくれました。小田原の、ちっちゃな通りの、ちっちゃなお店で、ちっちゃなライブだったけど、いい声だったなあ。なんか、明日からの現実にシフトチェンジできてないわ~。とりあえず寝ようっと。
2009.10.18
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六本木に来ています。 ビルボード東京です。 お酒のんで、お食事しながらのゴージャスなひとときが、もうすぐ?
2009.10.17
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ちょっとばかり不便でもいいから、日当りのいい土地を選びたい。できたらちょっと高台で、隣近所を気にしないで済む、閑静なとこ。猫の額ばかりの庭があって、そこにトマトとなすを植えます。ほんとは鳥が来る木を植えたいけど、庭が狭かったらバードフィーダーで我慢しよう。家は、平屋がいいなあ。リビングダイニングを広めにとって、あとは寝室とバスルームがあればいい。猫を飼うから、猫用の階段を壁際に、猫用の廊下を天井に。モダンなデザインよりも、ずっとずっと愛着を持って住めるように、まるでながいことそこに建ってたような佇まいの、日本の家がいい。つくり付けの書棚があって、そこに本とCDを並べよう。テレビはいらない。でも、まあちっちゃいの一つあってもいっか。実家からピアノを運んで、疲れたときに適当に弾こう。明かり取りの天窓をつけて、晴れた夜には月や星が見えたらすてきだな。女独身36歳。そろそろ決意のしどきか。小坂明子さんのすてきな歌。http://www.youtube.com/watch?v=7Ol88mNObEI
2009.10.12
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どうしよっかな~。修理すると9万。新しいの買ったら12万。9万イタイなあ~~~~。でも、まだ2年使ってないのに買うもの癪に障るなあ~。がまんしたら見えないわけじゃないし。もうちょっとがまんしよ。もうちょっと。もうちょっと。・・・。と思っているうちに、とうとうこんなんなっちゃいました。部屋の中を膝で歩いていたら(なんで?)、3歩目にふんずけて、液晶パネル割っちゃったんです。それ以来、少しずつしかし着実に液晶漏れは広がって、このありさま。もはや、どこに「ファイル」があって「挿入」があって「ツール」があるんだか、さぐりさぐりのパソコン操作。職員室では、「呪いのパソコン」と呼ばれ、「ミッティさんそれマジでこわい…」と、目をそらす人も出て来ております。もうちょっとがんばろっと。
2009.10.08
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これ、ハマりにハマってるんです。「ハコニワ」っていう携帯ゲームなんですけど。ひたすらネジを巻いて、植物を育てるっていうなんてことないゲームなんですけど。鬼のようにハマっています。暇さえあれば、ネジ巻いてます。めったに咲かないレア植物ってのがあって、しかも昼にしか咲かないとか夜にしか咲かないとかしばりがあって、そらもうたいへん。今は、黄金イチゴと星形スイカを目指してマキマキ中。これが、咲かないんだ。何枚畑を買っても(また畑を買うために、いっぱい育ててポイント貯めなくちゃなんない)。「ってったって、一日何時間も携帯にぎりしめてるわけじゃないでしょ~?」・・・。auのパケ放題プランに加入しておりまして、定額以上のパケット料金は全額タダになります。これにハマり出してからというもの、毎月の請求書が面白いことになってます。割引前のパケ料金。いくらと思う?「546,726円でした。」とか。・・・。ビバパケ放題。自分のポイントのため無理矢理登録させた妹二人も既にハマってます。これ、休み中、お出かけの予定なくても寂しくないよ~なおころりん。(←そんな私が寂しい。)
2009.09.23
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私のひどいくせ毛を自在にカットしてくれる、美容師のFさんにこないだ聞きました。どうして自分でやると言うこときかないのに、Fさんがやるとこんなにくるりんと内巻きになるの?「ああ、それはね、『内巻きになあれ、内巻きになあれ』って思いながらブロウしてるからです。」考えるでもなく、茶化すでもなく、さらっと答えてくれたFさん、あなたはほんとうにステキです。天気になあれ。元気になあれ。素直になあれ。優しくなあれ。笑顔になあれ。なんて単純で、美しい作戦。お気に入りからも削除していた自分の日記を、今日ランダムに読み返してみた。まんまだなあ。私。まんまにしか書けないから、ずっと空いちゃった。また、みんな来てくれるかな。
2009.09.22
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クラスのさくらちゃんが、日記に書いていました。「今日、オーラをみました。」なので、返事に「オーラってどんなの?」と書いたら、翌日図解つきで「さゆみちゃんと、先生の。ミッティ先生、すごかったー!」だって。さゆみちゃんのオーラはほわほわと、私のオーラはゴウゴウと、擬音語つきの絵でした。なんかすげー嬉しいんですけど。
2009.02.07
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私が大好きで大好きで、でも結局自分の未熟さと弱さのために卒業まで見届けることのできなかった子どもたちが成人式を迎えました。2年間しか担任しなかった私を、それでも彼らは今日の式に招待してくれました。退職の離任式以来、ほぼ6年ぶりの再会です。もう1週間前からわくわくどきどきしていました。ほかに3人の職員が来ていました。私の知らない1年間を知っている人たち。でも、私はこれっぽっちも疎外感を味わうことがありませんでした。この子たちを、私がどんなに好きだったか。この子たちとの想い出や、この子たちとの日々が、今もって私にどれほど大きく影響しているか。この子たちが、私との想い出をどれだけ大切にあたためてくれていたか。この子たちが、私という人間を、どれほど信じて受け入れてくれたか。今日の数時間で、私はじゅうぶんに感じることができました。高校留年しちゃったけど、その余分の一年間が自分を成長させてくれたと教えてくれた子。「部活をやめたい」と顧問だった私に言ってきたまま話し合いを逃げてしまい、そのまま私が退職してしまったため、それがずっと心残りだったと言ってくれた子。「でも、結局ドラムやってるんです。専門学校に行ってます。」学年一の悪ガキで、今日も眉毛なし、金髪で登場、でも「今日が俺のカブキおさめだから!」と笑いながら、何度も何度も私にお礼を言ってくれた子。あんなに反抗したお母さんとそっくりのしゃべり方になっていて思わず大笑いしちゃったけど、「4月から、夢を叶えて保育士として働きます!」と報告してくれた子。ひとりの子は、駆け寄ってきて私に抱きついて、「先生、結婚しよう」だって。幸せです。明日から、またがんばろう。
2009.01.12
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久々に、久々に、自分のページを開きました。恐ろしい数の迷惑トラックバックと迷惑コメントを一掃しました。前回の日記で植えたきゅうり、もう7本食べました。トマトはまだ赤くなりません。明日は、吹奏楽コンクール地区大会です。5年ぶりの吹奏楽部顧問、今夜は少し緊張しています。「自分を、自分の器以上に大きく見せようとするから緊張するんだよ。今まで通りでいい。楽しもうね。」と今日こどもたちに話した自分が、緊張しています。はは。学級崩壊寸前だったクラスが、ようやく立ち直ってきたような兆しが見えてきたところで、夏休みに入りました。夏休みが私に元気をくれたのではなく、「立ち直ってきた兆し」を見せてくれた子どもたちが私に元気をくれました。コンクールが終わったら、土日でなおころちゃんが遊びにきてくれます。楽しみです。
2008.07.24
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外は大雨です。ざざざーと、雨が駆け抜けるような音がしています。運動会代休の今日は、ダーリンと一緒にプチトマトときゅうりの苗を買って、ベランダに植えました。自分の中でいろいろなことがうまく回っていないなあという、漠然とした思いを抱えています。意欲とか負けん気とかプライドとか、今まで自分の活力になっていた諸々が、力を失っている気がする。ダーリンと抱き合っているときだけ満たされる気がするというのは、ほんとうはちょっと違うんだろう。だけどそれも今の自分。昨日、家の近くを散歩したときに、一面の白つめ草に出会いました。おいおい、しっかりしろよとつぶやいて、花や鳥に癒される自分を叱咤激励しています。
2008.05.19
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連休最終日は、とってもさわやかないい天気です。私は一日たまった仕事を片付けなくちゃいけません。2年前にもらったサボテンに、花が咲きました。「サボテンに花が咲くのは、最後のあがきだから、よくない兆候だ」って誰かが言っていたけどほんとかな。直径1cmほどの、ちっちゃな花です。
2008.05.06
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午前中の部活から帰ったら、水槽に異変が。水草にも石にも、果てはイシマキ貝の背中にまで、見たことないつぶつぶがいっぱい。これはもしや、もしかしてもしかすると・・・たまご?! どどどどうしましょ。金魚飼うときに産卵することなんて想定してなかったし ←あさはか。てかまじめにどうしたらいいのこれ~~~。
2008.04.29
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月に二本、映画を観よう。週に一冊、本を読もう。仕事のあとは寄り道をして帰ろう。部屋に友達を呼ぼう。おいしい店を開拓して、食事に行こう。3連休には旅行に出よう。さみしい夜は、携帯を切ろう。月に一度は、実家に帰ろう。貯金をしよう。さぼらず掃除をしよう。水族館に行って、大きな水槽の前で立ち止まろう。立ち止まって、静かに呼吸をして、魚を目で追おう。魚たちと一緒に、ふわふわと柔らかく漂えるように。
2008.03.22
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猫が飼いたい。天国にいる、スーちゃんモモちゃんチャッピーちゃんトラちゃんミケちゃん。あなたたちを想って、時に幸せに、時にさみしくなります。猫は気まぐれだなんて言うけど、あいつらほんとに可愛くて優しくて甘えん坊であったかくてやわらかくて、まあ確かに気まぐれだけど、それは恩知らずとか情に薄いとかそういうことじゃ全然ないんです。ああ。猫が飼いたい。でもね、一人暮らしだからダメなのね。かわいそうだもんね。そんな私の、猫飼いたい病を癒してくれるのが、まこちゃんです。前にも本を紹介しましたが、私のブログに遊びに来てくれる全てのひとと、まこちゃんを共有したい!そんなわけで、再登場です。まこ写真集。表紙で一発ノックアウト。まこという名の不思議顔の猫そしてこちらも。まこ絵はがき帖。でももったいなくて一枚も出せていません。まこ便りそして本日一番のおすすめは、まこちゃんのブログです。何が何でもクリックしてちょうだい。そしてブックマークしてちょうだい。悩殺ですから。まこちゃん他3匹の猫たちに、悩殺ですから。まこという名の不思議顔の猫ああ~。猫飼いたい。猫飼いたいから、結婚しようかな。嘘です。
2008.02.25
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先日献血をした際の、検査成績がおくられてきました。基本的には健康優良児。職場の健康診断でも、「ミッティさんがただ一人のオールAだよ」と教頭に言われ、鼻高々でございました。今回の結果だけを見ると、全ての値が標準値におさまっています。しかし、たいへん親切な赤十字さん。過去数回の検査結果を並べて表示してくださっているのです。ほとんどの数値に、これと言った変化が見られない中、明らかに数値が上昇している項目発見。 前々々々回・・・182 前々々回・・・186 前々回・・・192 前回・・・170 今回・・・232あら? なにこの大幅な伸び率は?標準値は110~250ですって。あらやだ標準ギリギリじゃございませんこと?その項目とは、そうです、コレステロールです。やばああああい。歳のせいなの? どうしたらいいの? 数値を下げるには?あわててインターネットを調べると、やはり食生活から変えるのが手っ取り早いらしい。先日、「冷え性にはタンパク質」と知って、毎日肉や卵を摂り始めたばかりだというのに、それがもっともコレステロールを多く含むそうな。コレステロール減と、タンパク質摂取を両立させるためには、ズバリ大豆がよろしい!よし。明日は納豆を買いだめしに行くわよ。(←単純ですから。)
2008.02.22
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わずか1年間のアメリカ滞在中に、私は実に身軽にあちこち飛んで歩きました。一人でちゃっちゃとホステルを予約して、飛行機にのって、現地でレンタカーして、地図を片手に。日本にいたら、一生かかってもできないくらいの旅行を、1年間でしたかもしれない。それなのに、アメリカ国内外で山のように撮りためた写真を、パソコンの故障にともなってほとんど失ってしまいました。いま、手元に残るわずかな写真は、サン・フランシスコのだけ。だからでしょうか。サン・フランシスコの写真を見ると、ミネソタの想い出も、シアトルやシカゴやニューヨークやベルギーやカナダやイギリスの想い出も、いっぺんによみがえってくるのです。私の笑顔を、「スペシャルだ」と言って褒めてくれた、広場で出会った絵描きのおばちゃん。この、底抜けにハッピーなハートの絵は、「日本のキティちゃんがお手本なのよ」と言っていました。「あんなふうに、ただただハッピーなのって素敵じゃない?」って。とにかく、呆れるほどに坂だらけのサン・フランシスコ。基本的にアメリカ人はオートマ車に乗りますが、サン・フランシスコはマニュアル車率が高いんですって。坂道で、車が動きだしたりしないように、「直角に駐車せよ」という看板があちこちに立っています。有名な、ゴールデンゲイトブリッジ。全長は2700mに及ぶ吊り橋です。この街には、代々この橋の色を塗ることを生業にしている人たちがいるとか。「俺の職業? オヤジの代から、橋を塗ってるよ」な~んて、粋だね~と現地で出会った人と話した想い出があります。フィッシャーマンズ・ワーフで、たまらない匂いで旅人を誘っていた、クラムチャウダーを食べ損ねたことが、心残りです。今度、またアメリカを訪ねることができるのはいつになるかな。
2008.02.20
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ひと昔前、好きで好きでたまらなかった人に言われたことがある。「ミカは、じゃあ俺のために仕事やめられるか?」何を言ってるんだろう。そんなこと、簡単なのに。それであなたが私との人生を選んでくれるのなら、仕事なんていつでも辞められるのに。結局その恋は実らずに終わったけれど、私にはそういうところがある。その瞬間に一番大切なものを見極めて、そのためになら他を全てあきらめてもいいと思ってしまう、見境のない潔さ。今の私にとって大切なことは、あなたがいること。どこかにあなたがいること。あなたが元気で、呼吸をしていること。あなたの健康。あなたの笑顔。あなたの安らぎ。私がそれをもし邪魔することになるのなら、それは一緒にいられないことよりも、なおつらい。あなたにとって、一番たいせつなことはなんですか。それを見極めて、迷わず選んでください。私にとって大切なあなたが選ぶ道が、私の望む道です。大切な人へ。
2008.02.18
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今日は朝から晩までずうっと一緒でした朝は7時半に待ち合わせて、車で映画館へ。映画にあまり出かけたがらないダーリンと、「がばいばあちゃん」以来の映画です(笑)。観たのは、「earth」。映画の感想を書き始めると、ちょっとやそっとでまとめられない気がするので今日は割愛。地球の環境を考えたい人も、ただ動物や自然が好きな人も、観ていい映画だと思います。ひとつ挙げるなら、タイガの話。するどい葉を持ち、地球の最北端に位置する針葉樹林。動物たちを寄せ付けないその厳しい姿は、実は同時に地球規模で酸素量を左右する森であること。生命を拒むことで、生命を養っているというその絶妙な関係は、私の心を不思議なメッセージ性をもって揺さぶりました。映画の後は、来週結婚する私の友人へのプレゼント選び。しかし朝イチの映画だったため、見終わってもまだデパートの開店時刻までには間がありました。どうする? とりあえずお散歩して、時間をつぶそうか。そんな私たちの目に入ったのが、これ。献血車です。しかも「O型が不足しています!」と(私たちはふたりともO型)。実は献血好きの私。と、注射針恐怖症のダーリン。いつもは誘っても断固として断るのに、今日は珍しく「よし、やるか」と。ふたりで仲良く400mlの献血をしてきました。血圧を測っても、採血前101-56、採血後105-56と、さっぱり変化のない私。と、採血前緊張のあまり、170-102という高血圧をたたき出したダーリン(笑)。でもふたりとも、「いい血ですね」とほめられました。そして、献血後のかる~い目眩を楽しみつつ、友達へのプレゼントを買い、お好み焼きランチを食べ、部屋に戻ってきました。トイレに行く以外は、いつでもどこか接触している私たちですが、だから仲良くいられるのかなあと思います。一緒に寝るまではあっと言う間だったのに、手をつないで歩くまでは3ヶ月もかかったんだよな~なんて思い出しました。明日は会えない日曜です。何しようかな。
2008.02.16
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「俺もついに商業主義に加担したか」と言いながら、私にケーキと生チョコを買ってきてくれました。チョコをこっそり口に入れたままキスをしたら、笑うほどびっくりして、うええ~~~と言いながら口直しの紅茶を飲んでいました。次からのキスは、警戒してすごく軽いのでまた笑いました。でもやっぱり深いのが欲しくて、私も紅茶で口を直してまたキスしました。甘いものが苦手なダーリンのために、ペアのストラップをプレゼントしました。ふたつ違う形をしているけど、実はぴったりはまるストラップです。ふふん。ベタですけど? いいのバレンタインだから。今日は早く帰らなくちゃいけないと言われて泣きそうになったけどこらえました。「よくこらえたね」というメールがきたのでバレていたのでしょうけど憎たらしいね。ね。チョコちゃん。「んん?」
2008.02.14
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