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ほとんど更新もしていないのに、皆様にご覧いただき嬉しく思います今年も山里の我が家 牡丹や芍薬きれいに咲いてくれました。「脊髄電気刺激を体内に埋め込んで間もなく1年になります」手術後15年がたちましたが高齢ながら楽しく暮らしています神経性慢性疼痛は随分軽くなりましたが、膝痛などは高齢ゆえに訴えますが米寿が近い私達はまだまだ長生きしたいと願っています
2024.05.19
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楽天からのメールが届きました。日記の更新がないので写真館が閉鎖される期日が近づいているようです。ボツボツでも書きましょう84才を過ぎた老夫婦、よぼよぼになりました。余命をふりしぼっていきます
2022.10.19
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この山里は、電波の弱い地域で爺さんが移住してきた頃は、テレビも山頂の共同アンテナから視聴している状態でした。只移住前の情報で6か月後にはケーブルテレビが開設されると聞いていたのです。インターネットもADSLで時間をかけながら楽しんでおりました。 年月は12年が過ぎましたが、ラジオはいまだNHKの電波が、雑音まじりで何とか聞ける状態です。爺さんはパソコンのラジコで聴く事が出来ますが、ベッドに横になっている時間が長い婆さんの楽しみの為GoogleHOMEをベッドサイドに置く事にしました。 「オッケー グーグル」婆さんこの発音がうまく出来ません。「オッケー グールル」になってしまいます。「わかりません」と答られ悔しがっています。でもどうにか要領を覚え「オッケーグーグル ABCラジオをつけて」「オッケー グーグル リラックスする音楽が聴きたい」など会話が通じるようになってきました。まあ ぼつぼつ使いこなすでしょう。スマホを十分使いこなしていますから そうそう我が家のホットプレート漸く新しくなりました。たこ焼きのお試しです。無言や会話の少ない食事時間をゆっくりとる、鍋料理や焼き物は大切なツールです。
2020.01.24
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平成21年2月11日、術前に主治医から受けた説明に、「術後には膀胱直腸障害は必発」「一過性あるいは永続する障害の危険性は常に存在」と聞かされていながら、12時間の大手術に耐えて頑張って11年、当時から関わって戴いているDrからも「寝たきり生活が考えられた」とお聞きした事もあり、今の生活を考えるとペインセンターや緩和ケアセンターの先生方に感謝の毎日です。退院後に医大に「緩和ケア外来」が新設され、そこで疼痛緩和の為の薬の処方をしていただく事になりました。最初は神経因性疼痛に効果ありと「ガバペン」を中心に処方されましたが、婆さんの痛みには効き目がゼロでした。ペインセンターでは脊髄電気刺激療法(バイセストライアル)も痛みの軽減にはなりませんでした。緩和ケアのセンター長だった、T先生が次に処方して下さった写真の薬たちが婆さんの痛みにピッタリ合ってきました。21年8月でした。T先生は、現在 姫路聖マリア病院で、緩和ケアセンター長としてご活躍中で、婆さんには神様のような先生です。
2020.01.20
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昨日は新聞、テレビの報道は一日中大震災のニュースであった。爺さんはあの日、不定期で動く近鉄電車に早めに乗車、大阪環状線が停止だが鶴橋から京橋まで急ぎ歩きで30分、京阪守口までたどりついた。まだスマホが少ない頃で、どの公衆電話の前にも長蛇の列が続いていた。例え時間がかかっても、歩いてでも職場へ向う元気な57才だった。さて2年ぶりに復活させた、このブログ「かあさん激痛に負けないでがんばろうよ」の「かあさん」は2010年に「仙骨脊索腫」の大手術後10年すっかり「婆さん」になってしまったが、処方して戴いている「医療麻薬」のコントロールで激痛と闘い平穏に生活をおくっている。
2020.01.18
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この地に移住して12年が過ぎました。ふるさと元気村の仕事はじめです。段々と住民が減り空き家が増えてきました。12年前に廃校の再利用と活性化を目的に「ふるさと元気村」としてスタートしました。爺さん婆さんが中古物件で、この家を見つけた時には「ふるさと元気村」バス停から徒歩1分が魅力でした。移住後、半年でバスは廃線、たちまちアクセスのない不便な場所となりました。こうなっては過疎化の進行を止める事はできません。限界集落へと向っていますでも村人の心は暖かく、今日は正月飾りや神社の古札を燃やす、とんど焼きの日です、昨年は体調不良、病院通いの毎日で参加出来なかったのですが、婆さんとご近所皆様への新年挨拶に行ってきました。暖かい日でしたが、とんどの炎は天まで上がらず、さてこの村での1年はどうなりますのやら
2020.01.13
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2020年 82才の誕生日を6日に迎えました。今年の正月は、夫婦揃って元気で迎えることが出来ました。年末30日には、45年前から使っている、東芝製蒸す撞く1升用の餅つき機で婆さんが5升の祝餅を1日がかりで撞いてくれました。玄関の花飾りは、山から白ナンテンと赤ナンテン 松と笹裏庭の菊で、原価ゼロ円朝ドラスカーレットにちなんで信楽焼の花器を使って結構豪華になりました。
2020.01.11
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年があけて、はや二人の村人の葬儀に列席したお一人は96才のおばあちゃんだった。 この山里に移住して10年、45人の村人を見送った。親類でも14人の大切な人たちが旅立った。淋しいのはほぼ限界集落になったこの山里、10年前は70世帯以上住民も150名位だったようだが、今は55世帯人口100人くらいになっている。でも山里の皆さんは一つの家族のような絆で結ばれた穏やかに生活を営んでいる。ただ空き家も多くなって外で人に出会うことは殆どないコキンと二人きりでレンタル映画を見たり、カラオケを歌ったり、あとはテレビかパソコン相手の生活である。先に45人の村人とお別れしたと書いたが、そのうち7割以上の方から「長寿」という供養の品を会葬の際戴いて帰る。これは88才米寿をすぎてのお別れで、形では「ここまで皆さんと一緒に生きられて」とお礼の意味が込められているんだそうです。現在でも奈良県下の最高齢110才のおばあちゃんも、この山里の施設におられる。つまりこの里は空気がきれいで長寿の地でカチン、コキンはまだ80才、元気出さなきゃそれでもマジで考えると5年先この山里はどうなっているだろうか
2018.01.23
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京阪電鉄守口市駅の百貨店に勤務していたカチンはあの日、不通だった大阪環状線鶴橋駅から京橋まで、歩いて出勤を急いだ。元気な57才だった。60才の定年もすぎ、継続雇用で63才まで田原本から守口まで、病気でも休むことなく片道2時間のサラリーマン生活を終了した。退職後、自宅近くのリハビリセンターへ就職、楽な仕事をしていたのだがすっかり弱くなってしまい、「不安定狭心症」や「脊柱管狭窄症」それも再発、又入院手術と愛妻コキンの「仙骨脊索腫」大手術後ののんびりとした療養生活の為、室生の山里へ引っ越してきたのです。室生へきた時には小さな桜の木が10年後に屋根を超える高さに育ち、コキンが「切ってしまおうよ」ということでバッサリ切ってしまいました。その跡に、昨年の最も悲しい出来事、兄の急逝 その兄が生前使用していた作業台を滋賀から貰ってきて憩いのテーブルにしたのが夏の終り頃でした
2018.01.16
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昨晩積もった雪道を安全運転で出発です今日、医大病院ペインセンターの予約は11時です。積雪は15センチぐらいで、冬タイヤは12月に新品に交換していたので安心感はあるのだが、シーズン最初の雪上運転で慎重ですコキン(母さん)が9年前、仙骨脊索腫で12時間がかりで、腹部からと背部と前後アプローチの仙骨の大部分を切除したのですが、手術時からコキンに携わり診て戴いた先生が今もペインセンターで、疼痛緩和にあたってくださり、コキンが信頼第一のドクターの診察日です。画像は医大のパンフから
2018.01.11
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移住して10年、山里の空は綺麗なまま、我家を取り巻く山茶花の生垣は今ももう何年も元気をなくした生活をおくってきたが、そろそろ波乱のじんせいの整理をしていこうと考えた。 いつまで続くか頑張ってみようこんな綺麗な空の下で、夫婦揃って痛い痛いの日々だが幸せな毎日なのだから 18年1月6日 カチン80才の誕生日
2018.01.07
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久しぶりですが、かあさんの痛みが軽くなってはいません。むしろ、どうしようもない状況に耐えながら、歯をくいしばっています。主治医と意見のあわない時もありました。いろいろあった、ブログ休みの間を思い出しながら山里生活の報告です。我が家の庭、春の花たちの終わりが近づいてきました。
2013.05.30
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我が家でも波風高い平成23年でした。爺さんも12月に入って体調が低下して遂には入院となりました。10年前にも同じ症状を経験した、急性前立腺炎で高熱が続き自分が消防署へ119番、天理よろづ相談所病院へ搬送を依頼しました。かあさんは、又々痛みが激しくなった11月、腰背部に仙骨切除のため、大腸保護の危険性から神経根ブロックが出来ないかわりにペインの先生が「高周波熱凝固法」を試みてくれました。大手術からほぼ2年、ゆくりでも歩け続けられることを、幸せと考えながらいろいろ対応して戴く、ペインセンターや緩和ケアセンターの先生はじめ認定看護師さんに心から感謝しています。爺さんの病棟から、天理教本部本殿を望みながら大晦日には晦日そばを、そして元旦朝には質素ながらお雑煮や煮しめを一人でかみ締めました。そうだ今年は「質素」をテーマに生活したいものだと決意しました。天理教本部では、正月の鏡開きのお餅で「おせちえ」が全国の信者さんが参拝される行事で賑わいます。そんな日に退院です。
2012.01.13
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心療内科で処方される薬の種類と量を少しづつ減らして欲しいと、ドクターに申し入れてもあまりいい顔をされず、かといって痛みは軽減せず、悲観的な投げやりな事を言うようになって、酷な考えだが「精神病」になったのかと爺さんも不安になってきたが、できるだけ旅行にでかけるように、気分転換が図れるようにとこころがけた。 ミニ果樹園での収穫は、かあさんが痛みに耐えながらも楽しみに作業をしていた。 平成19年(2007年)5月、ボタンが盛りの頃長谷寺へ二女と3人で出かけた。法話を熱心に聴いて、気持がなごんでいるようでその日はかあさんの元気な姿を久しぶりにみた。中旬には長女の家族と伊勢鳥羽へ出かけた。式年遷宮のお柱の木曳きの行列も拝観できた。 京都大丸の南側に、江戸天保より200年の歴史を誇る、松浦長生館という鑑定所があり、爺さん達が結婚する前にも、かあさんの母が相性や結納、結婚の日取りまで鑑定して戴いた、京都いや全国でも有名な鑑定所である。 かあさんの痛みが更に強くなって、不自由になった場合にこの家で2階への昇降ができるのだろうか。2階の部屋から眺めは隣の家、道路側の窓は腰高窓と到底気分の晴れる状況を作ってやるのは難しいと考えた爺さんは、更にのんびりとした毎日が過ごせるようにと、転宅を決意して、時期や方角の鑑定を受ける事にした。家探しの方向は、東へ向かって時期は平成19年中が最も良いとの鑑定を受けて土地を買って、新築の時間はない。中古で平屋で山里で探そうと腹をきめた。
2011.12.06
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泌尿器科での生検手術において、腫瘍があることは確かめられたが診断書には病名「後腹膜腫瘍」と書かれていた。整形外科のU先生に「仙骨腫瘍の手術で患部の痛みはなくなりますか」と伺っても「それはわからない」との説明では、排便機能の消失と引き換えるのは、あまりにも母さんが可哀そうというのが当時の心境であった。 かあさんも自分で「手術はしない」の結論を出したせいか、じっと痛みに耐え、戦っているようだったが、その姿勢から元気がなくなってきて、また新しいクリニックや病院を回るようになってきた。平成17年(2005年)春、母さんが精一杯仕事にはげむ次女に代わって、4歳から育てた孫が京都産業大学を卒業した。卒業式にはかあさんも参加してうれしそうだった 就職後も、ばあちゃんのことを常に気にしてくれる優しい孫で現在タイのバンコックから心配の電話をかけてくる痛みは激痛となってきて、ミニ果樹園や家庭菜園にも疎遠になってきた。 時々二人で旅行にいくように心がけてきたが、夏に淡路島へ行ったのが遠出のおしまいで、以後は長く座る事ができないようになってきた。王寺駅前のYクリニックで、ブロック注射をして戴くと少しの期間痛みが和らぐのだが長くは続かなかった。あれだけ元気だった母さんが、病名も原因もはっきりしない状況から、段々横になっている時間が多くなってきた。2006年秋 奈良県では名医と言われている、D病院大腸肛門センターを受診していた。注腸検査、腸内視鏡と看板どうりの検査はやっていただいたが「病気が疑えない」から遂に心療内科のクリニックを紹介された。即ち「心因性疼痛 うつ状況」と診断された。藁をも掴む想いで、開業したばかりの心療内科Tクリニックへ紹介状を持参受診した。紹介状と問診だけで薬が処方された。最初は4種の薬だったが、2週に一度受診するごとに薬の種類と量が段々増えてきた。かあさんの痛みは少しも軽くならず。朝の目覚めも悪くなり毎日もうろうとして、幻想するのか精神的に変になってきた。家の中も暗くなってくる中で、一つの嬉しかった事は 孫(長女の子)が京都大学物理工学部へ合格だった。 Tクリニックの2007年8月の処方薬は、ドグマチール錠 ジエイゾロフト錠 サイレース錠 ジプレキサ錠 ガスモチン ダーゼン フスコデ であった。かあさんも、段々無気力になる事態に疑問を持ち、天理駅前の女性精神科のSクリニックへ受診した。先生が、現在Tクリニックが処方している薬の内容をみて「私のところでは診察することは出来ません。まずTクリニックで薬の量を減らしていっていただくのが先ですよ」と診察を拒否されました。 その頃爺さんは自宅の家相や方位を気にするようになってきた。
2011.12.01
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医大の泌尿器科へ受診する前にもその後にも、かあさんが受診した開業医や病院は婦人科、内科、肛門科などだったが、かあさんが恥ずかしい思いをしながら訴える肛門と会陰部の間の突き刺すような痛みを、自分の専門とする見方、例えば肛門科ならば肛門と直腸、婦人科は婦人科疾患と関連した診察で、そんな股間が激しく痛む症状に疑問をもって診察してくださる医師にはめぐり合えなかった。ましてや「しこりがあると」伝えても触診をしてくれたお医者さんは、PETをすすめてくれたO先生のみであった。むしろかあさんの痛みを「心因性」と考える医師が」多かった。かあさんはお医者さんに不信感をもつようにもなってきた。でも当時は痛いといいながらも、旅行やグランドゴルフを楽しみにするかあさんであった医大泌尿器科でもPETの画像と通院時に写したMRIにて、骨盤底部と会陰部に「軟部組織腫瘍」と「仙骨部に腫瘍」を認めたとのことで、入院して生検手術を平成16年(2004年)1月29日に受けた。しかし画像での腫瘍を認めながらも病理分析の結果では病名は特定できなかった。そして整形外科の受診を促され、受診したところ「腫瘍を切除することは可能だが、それは大手術であり、術後は人工肛門を着けなければならないでしょう」との説明に、かあさんや子供たちも「痛みをがまんしながら今回手術はやめよう」という結論を出した。その後「痛み」が「激痛」へと少しづつ進行しはじめた。しかし、かあさんは明るく楽しく毎日を過ごせるように、がんばった。
2011.11.29
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平成12年(2000年)頃までの、かあさんは病気ひとつすることなく明るい元気なかあさんであった。時々腰が痛いと訴えるようになったが、それで病院で診察をうけるほどではなく、畑やミニ果樹園へ朝早くから出かけて、地域のシニア仲間と楽しく毎日をすごしていた。平成13年(2001年)爺さんが63歳でサンデー毎日となり、二人で旅行にたびたび出かけていた。しかし腰の痛みが臀部の痛みえと変化して、泌尿器科や婦人科の診察を受けるようになった。 平成15年(2003年)秋、通院していた泌尿器科のO先生が、PET検査をするように、T病院の紹介を受け、11月末にPETとMRI検査を受診した。O先生にT病院からの所見が届けられ、所見のコピーをいただきO先生が「医大へ行くようにと」説明され、奈良県立医大泌尿器科への紹介状とPETとMRIの画像を持参して受診することにした。PETの所見には次のように書かれていた。《》内は爺さんが訳肛門部に境界不明瞭な腫瘤を認めます。T2強調像で低信号を示し、徐々に増強する濃染を示しています。線維性分を主体とする腫瘍の可能性が高いと考えます。malignant fibroushistiocytoma《悪性線維性組織球腫》等の悪性腫瘍の可能性を考えbiopsy《生検》をおすすめします。仙骨(S3)中心に腫瘤認め、転移性腫瘍を疑います。他の転移性病変の検出のため、FDG-PET(原発不明癌)を施行してはいかがでしょうか平成15年12月 医大泌尿器科の検査がはじまりました。
2011.11.27
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先月末、結婚50年いわゆる金婚を迎えました。子供たちが、ささやかな祝いの席をつくってくれました。驚いたのは、その席に今はタイのバンコックにいる孫から、お祝いの花が届いていました。かあさんと共に一瞬胸にグットくる思いで嬉しさがこみあげてきました。バンコックではマンションは大丈夫らしいが会社は洪水で大変な状況なのに孫の優しさに涙がでます。今我が家の玄関で花が全開となっています。そんな喜びも束の間、かあさんの痛みは段々と強くなってきました。11月になって、内科では胃の内視鏡検査を受けましたが、胃痛やもたれの原因などはなく、心配を和らげましたが、下腹部から足底までの広い範囲でオキシコンチンやオキノームの服用量を増やしても耐えられない位になってきました。そして医大のペインセンターヘ21日に、仙骨切除手術後8回目の入院となりました。入院しても、下半身へ向かっての神経根ブロックは、針を入れる部位に大腸が出ている関係から、名医のH先生でも用心して、脊椎の少し上部からの施術となり、効果が半減してしまうのです。我が家の隣、ふるさと元気村での「収穫祭」にも参加できない年となりました。 少し忘れかけていた、かあさんの激痛との戦いを振り返ってみようと思っています。脊索腫という稀少な病気に取り付かれ、仙骨切除を余儀なくされている人達へこの手術後の苦しみを、少しでも知って欲しいと願っています。
2011.11.24
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風の冷たさを感じる昨日今日です。庭の木々から、葉っぱが少なくなってきました。 母さんの痛みは更に強まり、全身の痛みを訴えながらも、気持ちが折れることなく、動ける最大の範囲で家事にもあたっています。室生の山里にも、新しい里つくりに退職金をはたいて、軽食喫茶が秋祭の日にオープンしました。 水分神社の祭礼も、台風12号で杉檜の神木に被害を受けましたが例年どうりの、里帰りの人々で賑わいました。かあさんは、前回5月の入院から6ヶ月、来週から病院で検査と治療に入ります。庭の椎茸もこれで今年の収穫収めです。
2011.11.15
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2月は最悪の状態だった、かあさんの激痛、ペインと緩和ケアの先生と相談し医療麻薬の量を増やして、ノイロトロピンを復活して戴きました。その効果か夜も寝られるようになり、少し落ち着き安定をしてきました。AM8時とPM8時にオキシコンチン各30ミリ ガバペン400ミリ4回各1錠 ノイロトロピン4単位2錠を朝夕 レスキューとしてオキノーム5ミリを数回他安定薬テパスや誘眠薬マイスリー、酸化マグにチラージンとこれらの薬で尿量排便量もコントロールしています。気候も良くなり庭に出てかがむ姿勢は無理ですが、手が届く範囲の草引きもやってくれます。 食事の準備も朝昼夕いろいろ工夫しながら、かあさんの味を食卓に準備をしてくれます。爺さんの日課は、洗濯掃除、食事の片付け、ゴミ出し畑や庭の手入れそして、かあさんのトイレの介助と結構忙しいのですが、辛いと思うことなく、むしろ長い人生やってこなかった事をやっている楽しみにしています。 今年も木蓮が咲き、牡丹や芍薬、石楠花がつぼみを少しずつ膨らませ桃源郷の素晴らしい季節が近づいてきました。 5月は、かあさん入院して集中治療の予定です。
2011.04.15
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雪の多い長い冬から抜け出して、漸く春の気配が感じる日々となりました。3月13日 室生川のあまごの解禁です。養殖あまごの放流後2日目の解禁で殆ど8割ほどは初日に釣り上げられます。午前6時 竿をかついで川行きです。 我が家近くのポイントは、既に釣り人が多く割り込み禁止です。少し離れて2時間で釣果 5匹です。早速塩焼きにしてお昼のおかずとなりました。 かあさんの痛みはこの冬、大変厳しく眠れない夜が度々ありました。夜半に目が覚め横のベッドの、かあさんの穏やかな寝息が聞こえれば幸せと思う毎日です。仙骨切除で腰部に5センチ程の空間があり、背中の皮膚下に横行結腸がこぶのように膨れています。それが痛みを増大させているのです。 花の春へ牡丹や芍薬の芽が育ちやすいように花壇の準備に入りました。かあさんは、バラが余り好きでないので庭の片隅に集める事にします。
2011.03.23
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3月に入っても山里では夜間に雪が降り積もり、朝雨戸を開けると「今日も雪が積もってるで」という日が続いています。かあさんは、この冬 すっかりQOLが低下して痛み、吐き気、目まいを訴えて、外へ出る機会が少なくなりました。昨年10月から痛み止めに、ファイザーのリリカ75mgの処方を受けて量を増やしながら、ガバペンから移行を始めたのですが、この薬の副作用か吐き気や目まい腹痛などの症状が現れ強くなってしまいました。2月末、主治医と相談してリリカを止めて、ガバペンに戻しました。薬の相性なのか、最近少しづつ元気を取り戻しました。暖かくなればグランドゴルフに連れ出さねばと春を待ちます。明日は、室生川のあまごの解禁日で、5000円の入漁券を買っています。はたして何匹釣れることだろうか、寒さこらえて頑張ります。
2011.03.12
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正月の大雪が、その後も雪の日が多くまだ残っています。日陰に集められた雪は春まで溶ける事は無いでしょう。山里の皆さんでさえ「こんな大雪ははじめて」と家の中で静かに篭っているのか、ひとけの無い無音の里です。かあさん、この週はオキノームの服用量は少なく落ち着いているようですが、多分痛みをこらえているのでしょう。 私は今週、年一回の胃の内視鏡検査でしたが、異常もなくてホットしています。夫婦揃って半年間 歯医者へ通いましたが昨日 治療終了となりました。今日、お米を搗きに近くの自動精米機設置場所へ行きますとめったに、目にする事のないものを見ました。わかりますか。小さなイノシシが2匹、お腹を裂かれて吊るされていました。当地では鹿 イノシシ 猿は害獣です。畑を荒らし回り被害も甚大です。ワナにかかったのでしょうか、冬のイノシシは美味しいのでこうなるのも仕方ないのですが、でもこの姿を目にすると可愛そうな思いもしますが、これも運命でしょう。
2011.01.29
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私の朝は、家中の雨戸を開けてまわる事から始まります。南 東 北側と開けて、次に玄関 門扉となります。年末から雪が解けた日がなく、段々と増えてきました。今朝もより積もっています。その上凄く寒い朝です。 家の中に閉じこもっていても、運動不足になると少し山に入っていきました。足跡も自動車の輪あともない、川水の取水地まで自分の靴音がキユッキユッと聞こえるのみの世界を上っていきました。 川も凍っています。 今日は里人の誰とも顔をあわさず、自動車も見ず、鹿やカラスにも出会わない一日となりました。かあさんは読書ざんまいです。
2011.01.16
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15日も午前9時頃から雪になりました。 今日は昔風に言えば小正月、昨日隣の奥さんが明日「あずき粥」を食べれば無病息災とあずきを煮て持って来ていただき、朝からお米1合でストーブの上でお粥の準備です。グツグツ煮えてきたので、かあさんにタッチ、塩加減とあずきを入れて仕上がりです。朝食は「あずき粥」昼前には次女が、午後には長女夫婦が雪降る中やってきました。子供たちと昼食も「あずき粥」子供たちが帰った後、親切にして下さるSさんご夫妻「うちは赤飯 炊いたのでどうぞ」と届けてくださった。本日3食オールあずきでかあさんの痛みも、吹っ飛んでしまえばいいのに……今夜も雪でしょう
2011.01.15
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1月10日 ふるさと元気村開きの大とんどです門松や正月飾りをそれぞれ持ち寄って、10m近い大とんどに卯年のひと達がたいまつで点火です。無病息災を願い、勿論私はかあさんの病状安定が常に一番の願いです。 天高く炎は燃え上がり、煙が龍のごとく冬空の晴れ間へ登っていきます。かあさんは昨年12月、6ヶ月ぶりに神経根ブロックの為、入院しましたが大腸が背中に張り出し腸に傷つければ大変なのでと、この治療は中止となりました。痛みを軽減するのは、もうオキシコンチンの量の増加きりないのでしょうか、 高齢ながらも、私たち夫婦いたわりあって春を待ちます。
2011.01.13
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2011年の元旦、大雪の山里です。この里は平和で静かです。人のいさかいも聞きません高齢者が助け合い、労わりあいながら楽しく生きる里です。 うちの夫婦も、新入りながら里の優しさにどっぷりつかって生きています。 この里から3人がブログで情報を発信しています。3人共 山里移住民です。タイトルはわっかのぱんや 和(にこ)シンプルな杉の家と自然農 そしてこのブログです。みんなこの山里にほれ込んでいます。桃源郷と感じています。 この里で激痛に苦しみながら、明るく前向きに頑張る妻と、介助を楽しみと感じながらゆったりと、年金生活をエンジョイする夫、私達夫婦の生活日記に時々、目を通して戴ける皆様に感謝しながら新年のご挨拶です。 愛妻コキンの背中が最近、腫れてきました、ドクター曰く、「大腸です、仙骨がないから肌から横行結腸に触れるんです」「おなかを膨らませたら腸も膨れますよ」そりゃ無いでしょう。やるんじゃなかった脊索腫で仙骨切除をして、大きな機能も喪失した障害者の悩みや近況、時々報告です。
2011.01.01
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山里、室生田口へ不自由なからだで明るく生きる愛妻コキンと移り住んで3年風情の違う 我が家パート2 やや盛りの過ぎた頃ですが、もみじをライトアップしました。 背後の竹やぶまで、小さいながらも3段になった庭には、西の家に無い赴きが一番下段は畑と池と石を配置した庭を、2段目は花や果樹を3段目には星や夜空を眺める手づくりデッキがつくりたいと夢膨らませています。 1段目から3段目まで高低差5メートル 石段にはモミジの落ち葉が舞い落ちてきます。 コキンも痛みにこらえて、耕運機で耕したばかりの畑にほうれんそうの種まきを20日にしてくれました。今月7日からオキシコチンの量が倍になったのですが痛みのコントロールは現在良好です。12月6日から入院予定です。23日は2軒の我が家の真ん中、ふるさと元気村の収穫祭です。室生の里でのんびりと へ是非お越しください
2010.11.21
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山里移住後、はや満3年となります。8月中旬から我が家の東100メートルふるさと元気村のグラウンドをはさんだ東側に、小さな古民家を安くわけていただいて、リフォームをしていましたが、漸く業者さんの手をはなれ、これからは自分で思うように庭や竹やぶ畑の整理をしていきます。モミジの大きな樹が2本、色づききれいです。ゆずの樹につたがからまっているのを取らねばなりません。柿の木は切ってしまいます。竹も切り池の修理もせねばなりません。当分忙しいでしょう。 我が家の仏間に新しい仏壇がおさまり、3日お寺さんに初めてお勤めしていただき床の間と仏間格好がつきました。 コキンの痛みは最近きつくなってきています。10月からリリカという新薬を処方して戴きました。夜間はよく寝られるようになりましたがその分、朝の目覚めが悪くなっています。8日緩和ケア外来で疼痛緩和策を考えてくださるようにお願いしてみます。現在コキンの痛み緩和に処方されているお薬、1日量です。
2010.11.03
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ふるさと元気村でも、夏休みには家族連れや子供グループがやってきます。普段は静かな山里に、子供たちの遊ぶ姿が見られ、かん高い声が聞こえる季節です。しかし、コキンは毎日相変わらずの痛みと泣きたい思いをこらえて明るい顔でいたいと励んでいます。手術前には、痛みの原因が仙骨の腫瘍(脊索腫)で、仙骨の腫瘍部さえ切除すれば、軽減するのではと、一縷の望みを持ったのですが、切除する事で大きな神経をドクターの説明では8本切断し、その神経の断端痛がコキンをこんなに苦しめ、排便排尿の感覚までなくして、生活を不自由にしてしまったと医師との、最初の段階での起こりえる結果に対する話し合い不足を恨めしくも思う毎日ですが、 でも山里の生活では、ハンデを背負ったコキンでものんびりと暮らせる環境人情 自然があります。車を止めて、私達からみれば可愛い鹿のファミリーに、害獣である事を忘れてシャッターをきれるのも、室生の里ゆえののどかさです。
2010.08.12
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ニコニコ動画が貼り付けできるんだって。楽天ブログは動画が貼り付けられないので、ライブドアブログに引越しを考えていたんだが、まあ一度テストしましょう
2010.08.07
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7月8日 診療所からの電話で、急ぎ駆けつけた私達に、初めてお会いした内科の先生が、先日の血液検査で、「危険と言える程の項目数値があります。それはカリュム 8.6で今夜にでも不整脈がおきて急死に至る心配だってあります。取りあえず、野菜類カリュムを絶対食べないでください。」6月26日退院後、コキンは病院では野菜が少なかったのでと、生野菜やフルーツ、とりわけバナナをたくさん食べていたが、こんな心配が発生するとは。「利尿剤を一週間分処方します。何かあればすぐ、救急車を呼んでください。来週もう一度採血しましょう」それから3日間カチンは寝られない夜となりました。週明け火曜日2回目の採血を受けました。木曜日二度目の数値「カリュウム9.1」内科の先生頭抱えています。「心電図とりましょう」結果心電図異常なし、先生「紹介状を書きますので、明日朝市立病院へ行ってください」紹介状を戴く間、待合室で待っていると、再度診察室へ呼ばれ、「採血が火曜日、検査センターが検体を取りに来るのが水曜日、検査結果が水曜日夕方、ここに気がつきましたので、今日検査センターが来ますのでもう一度採血してみます。」それで原因判明、3回目のカリュム4.2 ほぼ正常 これで一件落着です。カチンがインターネットで調べた中に、採血時細い針を使う、車で運ぶ際の振動などで検体が変化するなどの理由も見つけていました。驚き心配、最後はホットした半月間でした。 今日、午後4時すぎ、リハビリセンターからの帰途、コキンが「鹿がいるよ」そばへ寄ってカメラを向けてもポーズしています。この夫婦は優しいから逃げなくても良いと思っているのでしょうか。 よくある光景です。
2010.07.29
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室生の蛍の季節がほぼ終わりとなりました。脊髄電気刺激療法のトライアルは、ペインの橋爪先生が硬膜外空が狭く硬いにもかかわらず、リードの挿入手術に集中して戴きました。お母さんも麻酔なしでの手術、痛みをこらえて普通30分ほどの手術が90分になったのを必死に耐えました。しかし当初2本のリードを挿入予定でしたが、1本となり、期待した疼痛緩和を得ることなく2週間で退院してまいりました。後刻、橋爪先生のお話では、昨年の大手術時に硬膜外に血が入って、狭く硬くなっているのでは無かろうかとの事、お母さんの痛みに耐える限界からもこれ以上は無理との判断を、感謝しております。でも今回の同じ病室の患者さんたち、元気で前向きに病気に明るく笑顔で闘っておられて、パワーを貰ってきたようなのが救われます。また、オキノームとオキシコチンをうまく服用しながら、厳しい痛みと向かい合っていこうよと慰めています。退院後はじめて、診療所で橋爪先生の診察を受けました。その際にお母さんが最近汗を多量にかきますので、甲状腺機能検査の採血をお願いしました。それが2日後、診療所から、驚くような電話を受ける事になります。リハビリセンターから帰宅してすぐ、「先日の血液検査で異常な数値がありますので、すぐ来てください」でした。近頃、我が家の花たち、すっかり夏模様です。
2010.07.09
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コキンが心から信頼する、奈良医大の名医ペインの橋爪先生の手により昨日14日「脊髄電気刺激療法」のリードが、コキンの硬膜外腔へ埋め込まれました。当初2本のリードが入れられる予定でしたが1時間30分程たって手術室から戻ったコキンが、開口一番「凄く痛かったのをこらえたけれど、1本だけきり入らなかった」と残念そう この画像は電気刺激療法の機器メーカーのHPから借用 しばらくして先生方が病室へお見えになり「異常に硬膜外腔が硬く狭くて1本きりいれられなかった。多分仙骨切除の手術時に血が入ったと思う」と「でも1本は真ん中に入っているので効果を見ましょう」とコントローラをつないでくださいました。これでコキンの「痛い」の感覚が軽減するかのテスト開始です 足首まで心地良い感覚、ピリピリ感が伝わっているようです。体位が変われば、ピリピリ感が変化するようですので、あとは白いダイアルで患者が調整するのです。
2010.06.15
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31日朝、東側の雨戸を開けて驚きました。菜園の玉ネギが抜き取られ、とれごろになっていた、えんどう豆が袋だけになって散らばっていました。多分選んで食べていったのでしょうか大きな実の入った、美味しい豆だけお先にご馳走様されました。群れから離れた、はぐれ猿数匹の仕業でしょうか。雪や霜に耐えて冬を越した我が家の少しばかりの作物が網をサイドにも天井にも張って防衛してたのに天井の隙間からの侵入でした。今年我が家隣のおばちゃんの畑を借りて、ジャガイモを植えていました。やはりそこでも試食してまだ美味しくなかったのか食べ頃でなかったのか、少し荒らして引き揚げたようです。コキンの次の治療方法を「脊髄刺激療法」パイセストライアルと決めました。昨火曜日我が家近くの健康保険田口診療所で診察に長年来てくださっている、奈良医大のH先生にお願いして、入院は14日となりました。 H先生は疼痛治療の名医で、この治療では全国的にも奈良医大が有名です。コキンは先生を心から信頼していますので、7月には良好な結果で明るく退院できると信じています。我が家の花たち、芍薬からさつき、ばら、あじさい、桔梗へと夏に近付いていきます。室生の里でのんびりと
2010.06.02
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脊索腫による仙骨切除手術から1年がたちました。この1年間に3回入院、激痛緩和のために神経根ブロック治療を受けてきましたが、今回もコキンには効果がなく昨日退院しました。コキンの痛みは両足とも、とんがった砂利の上を素足で歩いているような痛みと、長年耐えてきた臀部の痛みを訴えます。主治医の判断は、足の痛みは神経が障害されての痛み臀部の痛みは、仙骨切除で大きな神経を切断したあとの幻視痛だとの判断です。我が家の庭も牡丹も過ぎて、芍薬の季節となりました。6月から、「脊髄電気刺激療法(パイセス)」のトライアルに移ります。難治性疼痛には、この治療で効果ありとの情報ですが、最終電極を体内に植え込んだあとには、MRIが撮れなくなるとの事で、今までためらっていたのですが、腫瘍の仙骨残部への浸潤には、CTやPETで監視できるでしょう。
2010.05.27
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姫石の湯(日帰り温泉)に、身障者専用風呂 なでしこがあります。コキンはまだ1時間以上、自動車で外出する事に無理があります。「すわる」のが不自由で、痛みがはげしくなるからです。旅行にも連れていってやりたいのですが、それは叶いません。我が家の近くににも、日帰り天然温泉もたくさんあります。コキンには腹部と背部に大きな手術痕があり、そのうえに仙骨切除の為、ポコンとへこんだお尻では、大浴場へ一人ではいるのはいやがります。 このような身障者が介助者とゆっくり利用できる専用風呂がある施設を漸く見つけることができました。それが「みつえ温泉 姫石の湯」です。「なでしこ」と名づけされ、スロープや手すりの他、専用の露天風呂やトイレも備えた、しかも1時間2,000円の貸切料金でで身障者が介助者や家族と4人位までならゆったりと温泉でくつろげます。 通常入浴料が600円ですので、割安ともいえます。従業員皆様の身障者に対する気遣いも最高で、休憩設備売店、お食事処も美味そして綺麗です。道の駅伊勢本街道・御杖に隣接し、日帰りおすすめ温泉です。 山里の我が家、梅 桜 木蓮がすぎ、ボタン つつじ 石楠花が見頃です。やがて、芍薬 あやめに変わる一年で最も気持ち良く、自然を感じる季節です。山うど わらび たらの芽 山ふき 自生や頂き物で食卓が賑います。
2010.05.10
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久しぶりに鹿のファミリー我が家裏の畑へやってきました。野良犬の姿が最近見えなくなって、鹿が安心したのか早朝にはファミリーで餌を求めて里にやってきます。一匹の鹿は周囲に注意しながら見張番をしています。鹿は水仙の花は食べないので山里の道沿いには黄色い花が咲き誇っています。我が家の桜、昨日から散り始めました。変わって花桃や木蓮が盛りを迎えています。道路凍結ももう心配なくなり、タイヤの入れ替え完了じゃがいもの植え付けも済ませました。コキンの痛みとの戦いは相変わらず続きます。5月には、神経根ブロックを集中して受ける為の入院を予定しました。自分でも歩こう、外へ出ようと積極的に行動してくれますので、今は、腹筋がかかる動作が不安な為、トイレ介助や衣服着替えのみを手伝っていれば、ほかの事は殆ど自分でやっております。お化粧や外出時の服装にも気遣うようになりました。自動車で遠出は1時間位が限度ですので、近くの温泉で介護者と一緒に利用できる貸切タイプの「身障者専用温泉」を備えている施設がないかと探しましたが、残念ながらなかなか見つかりませんでした。漸く「みつえ温泉 姫石の湯」に「身障者風呂なでしこ」が露天風呂もついて、リーズナブルな料金であることがわかりました。早速、コキンがゆったりと温泉に入れるだろうか、見せて貰ってきました。綺麗で広くて身障者トイレも中に備えたお風呂で、電話で利用予約すればOKとのこと、早速娘達に一緒に行こうよと連絡です。 みつえ温泉の帰途、曾爾高原に寄ってきました。ここにも日帰り温泉では有名な「お亀の湯」がありますが、貸切利用可の身障者風呂はありません。
2010.04.13
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蕾の固い我が家の桜に、いつもやってくる小鳥が餌をくわえて一休みしています。カメラを向けると、サヨナラーと逃げていきます。山里に我が家に暖かい空気が流れてきました。31日、コキンがグラウンドゴルフに4ゲームも参加しました。練習コースでハーフサイズですが、昼食もみんなと一緒にお弁当をいただき午後も元気でした。おまけにホールインワンもやってくれました。暖かくなったら、頑張ろうと新しいクラブを二人で購入後、使い始めの日でした。近頃はオキノームを上手に服用して、痛みが強くならないうちにコントロールをしています。決してコキンの痛みがなくなってはいません。 4月1日 コキンをリハビリセンターへ送り、近くの大野寺へ回ってみました。しだれ桜はまだ盛りとはいえませんが、NHKで放映されたせいでしょうか訪れる人が多いようです。スイングパノラマという機能がついた、コンデジを買ったのでパノラマ写真の目下練習中です。コキンを迎えにいき、大勢の皆さんと一日の整理体操をやっていた時バタンと大きな音がしました。ふと目をやるとコキンが床に倒れています。「大変なことになった。コキンがしりもちをついた」何分コキンのお尻には仙骨がないのです。坐骨で体重をささえていますので、椅子にも長時間座ることができません。一番気をつけていた転倒ですからゾッとしました。職員の皆さんも大変心配してくれましたが、帰宅して打撲から内出血でもしていないだろうかお風呂のあと、お尻をよく観察してあざなどなかったので安堵しました。 我が家、桜 もくれんの三種がさきはじめました。春です。
2010.04.02
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3月10日朝、鎌倉八幡宮の大銀杏が強風で倒れたと、テレビで報道されました。我が家の西隣に田口水分神社があり、そこにも大銀杏があります。この神社は千百有余年前の元慶年間に、宇陀水分神社から分詞されたと社伝にあります。この大銀杏も樹齢800年以上と推測されて、旧室生村史には、鎌倉八幡宮から送られたと記述されているようです。つまり弟か子孫にあたるわけで、見上げればふと淋しげな様子を感じます。秋は、天まで金色となり12月初めの落葉は音を立てながら舞い落ちるさながらショーのようです。 手術後、コキンの脊索腫は今どうなっているのか、最近のCT画像で整形外科医がちょっと首を捻り、MRI検査もやりましたが、「仙骨の切除部に小さな異常があるかなあ、でもそれが腫瘍の浸潤とは言い切れなく、とにかく私もはっきりわからないので間隔空けずに検査をしましょう。痛みに対しては、緩和ケア外来の先生、神経ブロックは麻酔科の先生と話し合っておきます」このような状況です。只今の病状と対処については次に書いてみたいと思いますが、コキンの必需品の紙おむつと尿パッド トイレ介助用品、この一年間安いものから高いものまで、30種以上購入して、機能サイズ吸収量消臭いろんな条件で、試してみましたが、現在ほぼ納得している商品です。楽天ストアとコーナンでの購入品です。室生の里でのんびりと一度お尋ねください
2010.03.15
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一雨ごとに山里でも春の息吹が見られるころです。 我が家でも東の紅梅、西の白梅がようやく硬かった蕾から花を咲かせ始めました。山茶花は花の終りとなってきました。今年、裏山から鹿が姿を見せなくなっております。この山里に野犬が増えております。夜には猪が出没しているようです。猪は田んぼの土を堀り、ミミズを探します。鹿は草木の新芽を喜んで食べるのです。その鹿を野犬がペアで襲うのです。2月27日 我が家の北側の荒地で野犬が群れから逃げ遅れた鹿を吠えながら追いかけてきました。もう一匹の野犬が鹿を挟みこんでしまったようです。鹿の叫び声に気づいて、裏庭へ出て小石を投げ付けました。でも獲物にありついた野犬は鹿を倒そうとして襲い掛かっています。カチンは小さな植木鉢を投げて漸く野犬を逃がしてしまいました。鹿は朦朧としながら立ち上がっています。急いでコンデジを取りに居間へ戻り、山へ戻って行く鹿を何とかカメラに収めました。お尻を噛まれ血を流していた鹿は元気になっているのだろうか。時々あの泣き声が聞こえます。どこかで野生の斗いがおこっているのです。コキンの痛みは、また強くなっています。オキノームの服用度数が増えてきました。右足の痛み痺れを少しでも軽減してやりたいと温ハップやつぼ膏薬を試していますが効果が見えません。胃のもたれや痛みも訴えます。でも晴間には少しでも歩きますし週一の運動リハビリには頑張ります。明日は、緩和ケア外来と整形外科で先日のMRIの結果が聞けます。
2010.03.07
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はや 1月も終りです。コキンの痛みは相変わらずです。冬場はとかく運動不足になりがちですが、出来るだけ多くの時間をかけて、筋肉の衰えを防いでいきたいと頑張っていますが、やはり神経の通っていない下半身が段々と痩せてきております。お尻も小さくなりました。トイレでの排便介助時やお風呂から出てきた時、足首やカガトを拭きながら可哀想にと声詰まらせる事があります。先日愛読していたブログの主人公が厳しい闘病の末、自宅で奥さんに看取られて、22日その生涯を閉じられました。サイト名は「馬きちおやじWOOD爺癌闘病記」です。2年間 奥さんが切々とご主人の病状や、看護介護の問題や医療に関する願いや期待を書き続けられた、素晴らしい手記で、カチンも共感する部分が多く、涙を流しながら読ませて戴いておりました。本来、家族のテーマをブログに書くならば、中途半端ではダメでもっと詳しく、伝えなければ思っているののですが、残念ながらカチンはサラットした知人宛の近況通知になっています。コキンにとっての1月は、孫たちの来宅が楽しみでした。正月に来た京大物理をこの春卒業する孫、大学院で本人志望の研究室に入れて勉強を続けるようで又2年間の成長を楽しみにします。タイ国バンコックへ出向中の孫、久しぶりの帰国で先ほど3時間ほど、山里へきてくれました。一際たくましくなっていました。又、11日には成人式を迎えた孫の晴れ姿の訪問を受けて、笑顔一杯気分爽快のようでした。気分の良い日には、グラウンドゴルフに参加します。只今、コキンの服用薬 オキノーム散とオキシコンチンで平和な効果の中にいます。介助するカチン、これが今の仕事だと思えば楽しくもあり、悩みも疲れもありません。
2010.01.31
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夜明けから雪が降降り始めた元旦です。2010年 何とか元気で年越しできました。お母さんは、30日には餅つき(と言っても餅つき機)で31日には、おせち料理と頑張りました。朝は痛みも穏やかで午前中に終了すれば、痛みをこらえられているようです。始まったばかりですが、今年の年末、お母さんは今位の元気さでおられるのだろうかと心配です。12月の緩和ケア診察日で、薬の処方を変えて戴きました。夜間に痛みが激しくなる一つの理由に、オキノームの効果が切れてしまうので、12時間ほど効果のある、オキシコチンを夜9時に服用して昼間の突発する、激しい痛みにレスキューとしてオキノームを飲むパターンとなりました。共にシオノギの疼痛緩和の強力タッグです。手術後、モルヒネ注射やMTパッチなど、医療麻薬に抵抗も大きくあったのですが、情報を集めていくほどに、身体の変化や副作用に気をつけていく限り、安全なものだと考えるようになりました。 しかし、痛みを和らげる事ができたとしても、お母さんは仙骨の大半を切除して、大きな神経を切っていますから、リハビリに努力しても筋力は徐々に衰えていきます。その程度が掴めないのです。 昨年と同じように新年を迎えると雪になります。まだ雪が降り始めない大晦日の夜、平城遷都1300年祭、「四神青龍」のオープニングイベントが室生寺で、創建以来始めての国宝五重塔のライトアップと一番下の層が四面開扉され、滅多に拝観出来ない仏像を拝み、お母さんの痛みの軽減を祈ってきました。
2010.01.01
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12月1日、この山里へ移り住んで、満2年がたちました。今年も又、神社の銀杏の葉が舞い落ちる頃となったのですが、2日には、このフォトのような色彩であと少しでピエロのように目を楽しませてくれるかなあと期待大でしたが、5日の夜の雨風で朝には葉っぱの残りは僅かとなっていました。コキンかあさんの、仙骨切除後の痛みは相変わらずですが、最近、コキンかあさんは驚くくらい気持ちが、心が強くなってきました。11月末の金曜日、『グランドゴルフの練習に行ってみようか』と、恐る恐る尋ねてみると『やれるかどうか、わからへんけど井ってみる』とその気になってくれました。この山里で、一番早く、仲良くなれた仲間の練習日です。皆さんに久しぶりのご挨拶、『しんどくなったら、おとうさんが変わるという』約束で1ラウンド、スコア21で回りました。2ラウンド目は交代した、お父さんスコアは24で悔しい思い。 手術後の最大の願いは、『グランドゴルフがしたい』だった。その願いが叶い、そばで見ていながら、涙があふれて、せめてこのひと時でも痛みを忘れてくれて1打1打に笑顔をみせてくれるならば、最高ですそして昨日7日、紺のウェアで足を少し引きずりながらも、なんと3ゲームをラウンドしました。スコアも以前のコキンのスコアに戻りつつあります。運動後のトイレでの排便時、自力での排便がややできるようになってきました。明るさが見えてきました。
2009.12.08
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11月の入院は、かあさんに大きな効果がありました。腰部神経根と腹部内蔵神経にブロックを施術して戴いたのです。先生方の今年春以来の懸命な、ご尽力により場所というか、かあさんのお腹の中を熟知してくださった故でしょうか、腰部ではビリッときたようです。それよりも担当の先生から「2月の本当に難しい仙骨摘出をして、これから先ズッと病院生活にならへんやろか。退院できるんやろか」と心配していたんですよ」と聞かされ、又「今の状況は素晴らしい、精神的にも身体的にも回復ですよ」のお話で、「痛みは一緒や、ちっともようなってない」とばかり思い考えていたかあさんが、どうやら変わって退院してきました。 金沢大学医学部整形学科のウェブサイトから、こんな記述と写真を見つけました。この手術もまた金沢大学整形外科で考案した手術方法です。仙骨にできた腫瘍を一塊として摘出する手術方法です。仙骨にできた悪性腫瘍(脊索腫、骨巨細胞腫、転移性腫瘍など)が適応になります。仙骨は脊椎の一番下に存在し、骨盤をつないでおり、脊椎の礎となるところです。そのため仙骨摘出後の再建が大きな問題となりますが、これに関しても金沢大学工学部と共同で研究を重ねて独自の再建法を考案しました。 かあさんは、何とか歩ける機能は温存しておきたいという一念から仙骨の上部は残して、脊索腫が認められる、上縁で切除をしたんだから、大きな神経を切り大切な排泄機能をなくしてでも、歩きたいと考えたのだから、これからも生きている限り痛みと妥協して、好きな時に好きなことをして、痛みを忘れる時間を作りながら、頑張っていこうよ。周囲の里のすべての人たちが、かあさんが、笑顔と大きな声でみんなの輪のなかへ戻ってくる日を待っていてくれるんだから。 もう一つの変化は複合病棟だったので、同室に上顎ガンで手術後、放射線治療中の60歳台の女性と、40歳台の舌ガンの女性から「ガンと闘う強さと明るさ」のパワーをもらって退院してきたのです。家の東西南北、こんな紅葉に包まれた日に、ニッコリ笑って元気になって退院です。そして、昨年11月27日に細胞診の為、2回目の背中の手術をしてから1年グラウンドゴルフを1ラウンド仲間の皆さんの励ましといたわりの中でゲームに参加しました。スコアは21、まだまだ力はありました。カラオケの新曲にも挑んでいます。痛みは無くなりはしませんが、忘れる時間が少しでも長くなれば、奇跡がおこるんではとやがて山里には、厳しい冬が訪れます。訪問看護師さんと笑いながら、話をする声が聞こえます。里の冬は寒さが厳しいのですが、この里には人の温もりがいつもあります。
2009.12.01
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木曜日の午後は、一週間のうち一番元気をだしてくれます。デイサービスあすか室生(リハビリセンター)へ行く日です。奈良市に本部を置く 株式会社誠和医科学 が経営されている田舎にとってはめずらしいくらいの、運動を中心にする施設で隣の三重県名張市からの利用者も多くおられます。我が家から約10キロ、室生寺前を通る県道と室生トンネルを抜けるやまなみロードと二つの違う山景色で施設へ向かいます。室生寺には紅葉の季節で観光客が多くこられています室生寺と言えば、写真家土門拳さん土門拳さんとと言えば門前橋本屋さん橋本屋さんの大女将さんも身体が少しご不自由で、木曜日にはあすかでお目にかかって、いろいろ室生寺のお話を聞かせてくださいます。コキンもいろんなご病気や障害等で、同じ痛みを持つ人達と運動しながら、おしゃべりできるひと時は、厳しい痛みを忘れられるのでしょう緩和ケア外来のコキンを担当していただいている、助教授医師も大いに病気こそ違え同じ痛みを持つ患者同志の交流には賛成してくれます。久しぶりに夕食は寄せ鍋にして、二人でスーパードライ半分づつですデイサービスあすか室生 http://www16.ocn.ne.jp/~sei-wa/murou.html
2009.11.12
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11月11日にブログのテーマを変えました。間もなくこの穏やかな山里へ移住してから2年になります。村の皆さんに、親しく優しくして戴き満足した日々です。しかし、コキンちゃんの痛みは激しくなってきました。山里は紅葉の盛りですがもうひとつ気持ちは晴れません。最近は、痛みを緩和するレスキュー薬のオキノーム2.5ミリを2~3回服用している状態です。もっとも心配なのは痛みが激しいと歩くことが少なくなりベッドで横になっている時間が多くなってきたことです。この1年間で4回目の入院ですが、最近は「入院しても結果は同じ」と言葉にする事が増えました。でも「奇跡がおこるかも」と慰めるのですが慰めながら、カチンもこの痛みはブロック治療以外にないのだろうかと悩みはじめています。でも「お母さん頑張ろうよ」と今日も言います
2009.11.11
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コキンちゃん あなたは明日病院から帰ってきますね。6日からの、入院で神経根ブロックを7回集中して施術して戴きましたが左右の足にもヒットしたようで、暫くは痛みが軽くなることでしょう。又 CT画像を3次元画像にして先生に診せていただき、コキンの仙骨がどうなっているのかよくわかりました。先生皆さんに感謝です。しかし、主治医の先生が学会にて診察休みで帰宅していた17日に、カチンの不注意で草刈機で大怪我をしてしまってごめんなさい。全く自分が足を怪我して、車に乗れない事態を考えた事がなくて、不便さを味わっています。でも親指がなくなった訳じゃなくほどなく車の運転も出来るでしょう。でも救急箱を持ってきたり、タオルを準備したり、その時コキンは素早く動いてくれました。久しぶりにコキンの元気さを見たので驚きました。手術を終えて夕方帰宅してみると夕食の準備や洗濯物の取入や片付け、スッカリ綺麗に美味しくできていました。5月、退院以来カチンが世話をやきすぎていたのかなあとも思いました。しばらくは、カチンがコキンに世話をかけるかも。どうかよろしく願います。来週から、又多くの皆さんにお世話になります。週一度給食サービスも楽しみです。訪問看護師さん 優しく親切にコキンの体調管理よろしくおねがいします。リハビリセンターにも、できるだけ早く連れて行けるように、足の怪我をなおします。でもカチンが怪我したことによって、コキンが頑張って、家事全般に積極さを増してくれれば、痛い思いもまんざらかと、痛いとこ同志のカチンとコキンにもやがて笑いと明るさの毎日が戻ってくると信じて。
2009.08.21
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昨日、コキンの緩和ケア外来と整形外科の診察日で病院へいってきた。1週間前にMRI検査を済ませていたので、その結果も気になっていた。緩和ケア外来は、病院内に新設されたばかりで、認定看護師さんが、優しくコキンの最近の痛みの状況を、時間をかけて聞きだしながら、気持ちをユッタリとさせてくれる。同伴しているカチンの悩みまで受け入れてくれる。さすが、命の末期を迎える患者やその家族に接する、難しい看護を学び、実践されている看護師さんと、頭が下がる。でもコキンは、余命何日という病気ではない。例の少ない「脊索腫」という仙骨の腫瘍の痛みに、長く耐えてきたのだが、段々と増す激痛から、逃げ出したいと排便排尿機能を喪失する事を承知の上で、仙骨切除の大手術を受けたのだった。結果論だが、この手術の選択は間違いではなかったのだろうかと、今もこれからもコキンの今のQOLを考えると悩んで苦しんでいくであろうと思う。今まで、何回も書いているが、確かに痛みの原因であった部位は切除したのでその部位に痛みは無い、というより神経の切断により、肛門は全く無神経で、冷たい熱いすら感じなくなり、排便介助でトイレでウオッシュレットでおしり洗浄やビデを使っても、お湯が当たっていることさえ感じない、本当に涙しながら介助している毎日である。勿論、正確な便意も尿意もなく時間で動作している。上のMRI画像は、昨年秋のものである。枠で囲んだ仙骨がなくなったお尻は昔、美形だった可愛いお尻を、ペコンとへこませてしまった。まあ、カチンとコキンは手術前からこの程度は覚悟もしていたのだが、仙骨上部で切断された神経が術後、大暴れしているのでこの痛みが、術前と場所こそ変われ、痛みはより激しく、腰からつま先まで、針でさすような痛みの毎日なのである。痛みを抑える為、使っていたデュロテップMTパッチは、眠り続け意識まで朦朧とさせるので、停止して辛抱させているのだが、レスキューのオキノームの副作用は頑固な便秘となり、どうしてやればと考え込む。 そんな生活の中で、介護するカチンが大分慣れてきた事で、現状の中で二人の楽しみと希望を少しづつ見出せてきた。コキンも杖で隣の元気村まで歩けるようになってきた。車に乗せれば、1時間位なら大丈夫、休憩しながらゆっくり行動すれば旅行も行けるだろう。家の中では歩行器も要らない。トイレにも浴室にも移動できる。バリアフリーの家と周囲の環境に恵まれ、ユックリ、ユッタリ生きていく術もぼつぼつ見えてきた。昨年元気だったコキンが植えたブルーベリーにも実がなり、コガネムシがデートにやってきた。朝6時半、洗濯から始まる主夫業も、夜10時コキンに「マイスリーとデパス」を飲ませて終わる介護生活を「受けるコキンの辛さ」を思えば、71歳のカチンが1歳のコキンに愛を持ち、いとおしく育てるんだと考えよう。
2009.06.30
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今日で5月が終わります。退院してから22日間が過ぎました。入院中から、ある程度ベッドの準備や部屋の模様がえはしていたのですが……病院から戻って、ベッドに横たわった直後の言葉が「お父さん、なんでこんな幅の狭いベッドを用意したの」 エッ 介護用品業者にまかせていたベッドの幅は90センチ、なるほどこれでは狭いなあ。「病院のベッドはもっと広かったよ」よく考えて見ると、このベッドは「介護ベッド」で介護者が使いやすいように、リモコンボタンも一番上が、らくらく即ち「足が上がって頭が上がる」その次に「頭」そして「足」一番下が「高さ」つまりこれは体位変換などしにくい病人用で、もっと幅の狭い寝たきりの方用には83センチ幅もあるらしい。 我が家のコキンは体位変換は十分可能、「わかった幅の広いベッド入れ替えるから、暫くこれで辛抱してや」まずは自宅での生活が始まりました。ベッドの上には、カチンコキンが仲人をした、優しい夫婦と3人の子供達が、千羽鶴を、コキンが入院中に一生懸命、折ってくれまして届けてくれました。 うれしいです。介護度の判定は、退院直前に主治医が書いてくれたようで、判定までには日数もかかるようで必要な用品の準備や、安全の為の住宅改造はやってしまうことにしました。愛用のマイカーも入れ替えです。ナンバーは55-88(いいーはは)を引き継ぎ2代目ワゴンRもやってきました。カラーもコキンを乗せる為の車なので、パープルに納車された日に、無理やりコキンを載せて、三輪大神へ祈祷を受けに行きました往復1時間以上、車の座席で座っていることが、痛みにどうだろうトイレの改造、手すりの設置等予定した、少しでも快適安全に行動ができる工事もほぼ完成しました。近くのスーパーへの買い物にも出かけ始めました。ウオッシュレットは、大きなサイズの補高便座に、バリアフリーの我が家ですが玄関に手すりを設置してコキンが上がり降りしやすいように、少し格好が悪いですがこれで住宅内は歩行補助具で行動はOKです。でも、時々オキノームを飲まなくてはならないほどの痛みが襲ってきます
2009.05.31
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