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2022年06月01日
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カテゴリ: カテゴリ未分類



 東北の漁師が山に樹を植えた話を聞いていた。
理にかなっていると思った。

 昭和43年ごろに与論において
第一次農業構造改善事業が立長地区で実施されたが
時期早々だったようで続かなかった。
 隣の沖永良部島や喜界島では計画的に実施され
農業の構造改善が着々とすすめられ現在に至っている。
基盤整備は区画整理で排水路と道路が整備され
人工のため池もできた。


 奄美農業の転換期が昭和40年代の半ばのころから始まったようだ。
    (資料を見てかいてないので 年代はあやふやです)
園芸農家でかぼちゃを栽培していた家に育った。
昔の暮らしを思い出しながら書いている。
 複合経営農家(サトウキビ、畜産、園芸)の父は働き者で、
数々の表彰を受けていた父の後ろ姿を見て育った。

 小学校のころは 遊びが専門で 手伝いもそこそこして
早く済ませると弟たちの年代お誘って やまぐ いて遊んだ。

 やまぐの先輩は面倒見がよくて 海での遊びなど 貴重な体験をした。
農家の父は 海の物は買って食べればいい 野菜の代わりに
 魚介類は親戚の家から返ってきた。







船乗りになる夢破れ、母は教師になってくれという。
家を継ぐなら農業部門だらうと思い農学部を目指すが二浪
桜島を眺めながら方向転換
造園学科に舵を切って いまがある。

そこで学んだことを生かそうと頑張っている。
















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最終更新日  2022年06月01日 05時36分25秒
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