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2018.12.24
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テーマ: 名曲の背景(32)
カテゴリ: カテゴリ未分類


毎年、この時期には「クリスマス・年末のいい話」を紹介しています。

今回は、2018年でちょうど200年になるクリスマスの名曲「きよしこの夜♪」の話と、この時期のことを書いた童話の名作「マッチ売りの少女」などを書いた童話作家アンデルセンを紹介します。





 世界的に知られる名曲「きよしこの夜♪」は、今からちょうど200年前の1818(日本では江戸時代後期)年12月24日、つまりクリスマス・イヴに、オーストリアの田舎町「オーベルンドルフ」の聖ニコラウス教会で初めて演奏されました。

 「きよしこの夜」の作詞者であるヨゼフ・モールさんは、1817年から1819年まで聖ニコラウス教会の司祭を務めていました。
 ところが、1818年のクリスマスの2日前(12月23日)に、教会のオルガンがネズミにかじられて演奏できないことがわかりました。

 大切なクリスマスに聖歌が演奏できないとわかったモール司祭は、とても困って教会のオルガン奏者で教師のフランツ・クサーヴァ・グルーバーさんに相談しました。

 二人はいろいろ相談した結果、モール司祭が作った「 Stille Nacht (ドイツ語)」という詩に、クルーバーさんが作曲し、オルガンがないので、ギターで演奏することに決めました。

 こうして、イブイブの12月23日の夜に、一晩でクルーバーさんが作曲したのがあの名曲「きよしこの夜」でした。

 1818年12月24日に、オーストラリアの田舎町オーベルンドルフの教会で、初めて発表された「きよしこの夜♪」は、当時、ナポレオン戦争で疲弊していた人々の心に、癒しと希望を与え、やがて国境を越えて世界中で歌われるようになりました。

 それでは、200年後の2018年にも、すべての大陸で300以上の言語で歌われている「きよし この夜」(英語名「 Silent night 」)の歌詞を、紹介します。


♪「きよし この夜」<カトリック聖歌>♪
(作詞:ヨゼフ・モール、作曲:フランツ・クサーヴァ・グルーバー、訳詞 由木 康)

♪
きよし この夜
(しずけき 真夜中)
星はひかり
(まずし うまや)
救いのみこは
(神のひとり子は)
まぶねの中に
(御母の胸に)
眠りたもう
(眠りたもう)
いとやすく(夢やすく)
(やすらかに)♪


<オーストリア・オーベルンドルフの聖ニコラウス教会(200年前に「きよしこの夜」を初披露)>







 ここからは、童話作家のアンデルセンの名言と作品のお話をします。

 ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、「きよしこの夜」が発表されたのと同じ頃、19世紀はじめ、1805年4月2日に、デンマークにあるフュン島のオーデンセで生まれました。

 アンデルセンの家は貧しく、父ハンスは最下層の靴修理職人、母アンナは洗濯女でのちにアルコール中毒になりました。
 さらに精神病の祖父、虚言壁の祖母と、アンデルセンは、病的な家族に囲まれてと貧乏アパートで住んでいました。

 そんな中で、父親はアンデルセン少年に、「千夜一夜物語」をよく読んでくれました。このことが、のちに童話作家「アンデルセン」を生むことになりました。


 しかし、その父もアンデルセンが11歳の時に亡くなりました。

 小学校ではクラスメイトに、「貧乏人の子供」とからかわれましたが、アンデルセンはこう言い返しました。
「僕は取り換えられた貴族の子供なんだ」と。

 14歳の時に家を出たアンデルセンは、貧乏ながらもデンマークの首都コペンハーゲンに出て暮らし、人との出会いにも恵まれ、声楽家や文学を勉強することができました。

 次第に頭角を現したアンデルセンは、「人魚姫」「裸の王様」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」など、童話史上に残る名作を書きます。


 中でも、「マッチ売りの少女」は、クリスマスから年末にかけての時期になると名作として、世界中で愛されています。

 この童話のあらすじを紹介します。

 大晦日の雪の夜、一人の貧しい少女がマッチを売っていました。
「マッチはいかがですか。」
 少女は一生懸命に、大晦日の町でマッチを売り歩きましたが、1本も売れませんでした。

 そのうち、体が寒さで震えてきました。少女は自分のマッチを1本着けました。
 すると、ほのおの中から「ストーブ」が現れて一瞬だけ暖かくなりました。
 でも、マッチの火が消えると、また雪の中で一人で震える自分がいました。

 もう1本、マッチに火を着けると、今度は「ごちそう」が現れました。
 でも、すぐに消えてしまいます。

 3本目のマッチに火を着けると、「クリスマス・ツリー」が現れて、やがてツリーのロウソクは空に昇って、流れ星になり消えました。

 最後のマッチに火を着けると、「亡くなったはずのおばあさん」が現れて、少女をやさしく抱きしめてくれました。少女はおばあさんの胸の中で、幸せな気持ちで眠りました。

 翌朝、雪の止んだ元旦の町の通りの片隅には、眠るような顔をしたマッチ売りの少女の死体がありました。


<絵本「マッチ売りの少女」の表紙>






 アンデルセンの話は、この「マッチ売りの少女」や「人魚姫」など、悲しいお話が多いです。
 これは、幼いころの貧乏な経験と、何度もプロポーズしたのにすべて断られて、生涯独身であったことなどが関係していると言われています。


 でも、一方で「裸の王様」のようなコミカルな風刺話や、「みにくいアヒルの子」のように、みんなに嫌われいじめられたみにくいアヒルの子供がやがて美しい白鳥になるという、あの小学生のアンデルセンがクラスメートに言ったとおりの「夢のあるストーリー」も、書いています。


 そんなアンデルセンの名言を、いくつか紹介します。


・「自分がみにくいアヒルだと思っていた頃は、(成功して)こんなにたくさんの幸せがあるとは、思ってもいなかった。」


・「目は目を見ることができない。指は指を指すことができない。誰でも自分のことは案外わからないものだ。」


・「人はどんな高いところでも登ることができる。しかし、それには決意と自信がなければならない。」


・「私が書いたものは、ほとんどが私自身の姿であり、登場人物はすべて私の人生から生まれたものです。」



 アンデルセンは、多くのすてきな童話を子供たちをはじめとするすべての人に残し、1875年8月4日、70歳で肝臓がんのため、デンマークのコペンハーゲンで亡くなりました。

 アンデルセンは生涯独身でしたが、彼が亡くなると、王族や各国大使、子供から老人、そして浮浪者まで多くの人が葬儀に参列したそうです。

 そして、アンデルセン自身や彼の作品「人魚姫」までが銅像になり、1956年には「国際アンデルセン賞」が創設され、児童文学のノーベル賞と呼ばれるようになりました。


<アンデルセンの銅像(デンマーク・コペンハーゲン)>






 「すべての人の一生は、神様の手によって書かれたおとぎ話だ」と、アンデルセンは言いましたが、まさに彼の一生そのものが、「おとぎ話」であったのかも知れませんね。



<追伸>
 実は、今日、本屋に行って、久々に「アンデルセン童話」を買いました。
 中を見てみると、今回、紹介できなかった名作童話も、たくさんあります。
 そんな作品も、またの機会に、紹介したいと思います。

 それでは、
 メリークリスマス&よいお年を!



​
アンデルセンどうわ15話 名作よんでよんで [ ハンス・クリスチャン・アンデルセン ] ​







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Last updated  2018.12.24 23:14:32
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