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2年前・・・猫が死んだ。
「あぁ、これは助からない」と感じたとき、家族の反対を押し切り、看病の為、会社を辞めた。実際、看病をしているのは母だが、残りの時間をなるべく長く猫と一緒にいたかった。
思えば、猫は異常なくらい水を欲しがっていた。それも、水道の蛇口から直接飲むのが好きで、母が台所に立つ度に、シンクに飛び乗り、水をねだった。母が水道の水を細く出してやると、美味しそうに、いつまでも飲んでいる。
前にはそんなに水を欲しがらない猫だったので、どうしたものかと不思議に思っていた。
猫が水を飲む様子は可愛く、猫の嗜好の変化に、そう疑問も持っていなかった。思えばあれが予兆だったと後悔する。もっと早く気付いてやれなかったものかと悔やむ。
突然、食べなくなった。水ばかり飲む。始めはキャットフードの味に飽きたのかと思い、母はマグロからカツオに変えたり、ささみを自分で薄味に煮てやったりもしてみた。それでも食べない。
そしてやっと異変に気付いた。慌てて動物病院へ行った。
薬と言っても黒い粉の活性炭を「餌に混ぜて与えてください」と渡されただけで、混ぜるも何も、ごはんを食べてくれないのだから・・・と、母と二人、考えあぐねていた時、嫁に行った妹が買ってきた猫の好物の『とろーりプリン』に薬を混ぜてスプーンに乗せ、猫の鼻先に持っていくと、猫はやっと舐めてくれた。
猫は息絶え絶えに、日増しに弱っていった。水も飲まなくなった。
かろうじてプリンに混ぜた薬だけは、スプーンに一杯だけ舐めてくれる。
私と母と妹は「薬だって、解かっているのかなぁ」と口々に言った。
猫が食べなくなってもう、3週間になる。私と母と妹は、顔を会わせる度に「いつまでもつだろうか」と話した。
私はだんだん怖くなった。
こんなに飲まず食わずで、生き物が行き続けられる筈はない。猫が死期を悟って断食しているように感じてきた。猫の強固な意志の強さを感じた。
猫はうちの物置にある棚で生まれたらしい。
10年前、まだ父が生きていて、妹も嫁に行く前の頃の、家族四人の幸せな五月の事だった。五月は猫の誕生月だ。
その父も、もう、いない。前立腺癌が再発し、癌は腸にまで達し、他界してしまった。私は病室で父の最期を受け入れられず「まだ、早い!」と叫んで泣いた。
猫は父の死を理解していたのだろうか。
父がいない為か、ストレスが溜まっていたらしい猫には、噛み癖が付いた。きっと、やり場のない寂しさを、残された家族にぶつけていたのだろう。
私は、明日いなくなるかも知れない猫を、携帯の画面に残そうと思った。
私が携帯を構えて猫の名前を呼ぶと、猫は苦しそうな体で、それでも毅然とした顔で、じっとこちらを見た。
哀しい目だった。自分の死を悟った目だった。
その晩、私は浅い眠りから母の声で起こされた。
「**ちゃん、今、逝ったよ」
母は泣いていた。
「最後に小さく鳴いて、体中の息を吐き出したように逝ったよ」
私は立ちすくんだ。最期に猫が鳴いたのは、きっとその時、傍にいなかった私を呼んだのだ。
明日はなかったんだ・・・そう思って、「おはようしようね」と言ったあの時に、猫が怒ったように泣いた訳を理解した。
猫の体は、まだ温かかった。名前を呼んでみた。涙が熱く流れて胸が苦しくなった。
妹が、猫を抱いた。首が、だらんとしたのを見て、いきなり気丈な妹が、大きな声を上げて泣いた。
翌朝、日曜日、猫を、猫のお気に入りだった椅子に一日寝かせ、動物霊園でなく、一番身近な家の庭に埋葬してあげようと話し合った。
私は、猫の肉体は死んでも、猫のいた証は残って欲しいと思い、買ってあった手付かずのノートパソコンに、何故か、猫の魂を移したいと願った。
どうしてか、パソコンに猫の魂が宿ってくれるような気がしていた。できると思った。
儀式は、プロバイダーに連絡してパソコンを起動し、光通信に連絡し、ノートパソコンのアドレスに猫の名前を付ける事。
メール開設後の、プロバイダーのウェルカムメール着信日が、猫の命日になった。
メールアドレスは、猫の名前の後にtogeter‐happyと続く。一緒で幸せと付けたのは、猫の魂が肉体から抜け出た時、いつまでも私と共にある事を願ったからだ。
それ程、愛着のある猫だった。
大急ぎで猫の魂をパソコンに送らなくてはならない。
そして自分の携帯からパソコンに、あの最期に取った写真を送った。
母と妹が私の思いを知らず「お姉ちゃん、こんな時に何してるの!」と私を責めたが、どうしても猫を土に埋める前にパソコンに猫の名前を付け、写真を壁紙に貼る必要があった。
私にとっては、猫と過ごした家族との日々が最後の幸せだったように感じる。
2008年1月2日。
妹と庭をシャベルで掘り、タオルケットで包んで、冷たくなった猫を横たわらせた。
私と母と妹と三人で猫の名前を呼び、泣いた。
「**ちゃん!****、さよなら」
母と妹はさよならと言ったが、私は言わなかった。
母がホームセンターの初売りから買ってきた黄色いパンジーを植え、墓石代わりに置いた石の上に『とろーりプリン』と水をたむけた。
夜になって自分の部屋でパソコンを起動した。パソコンの画面の壁紙に貼った、拡大された猫の写真の、大きな潤んだ瞳が映し出された。
初めてはっきりと見た猫の瞳には、私が携帯を向けている姿が写っていた。
あぁ、私は何て残酷な宣告を、猫にしてしまったのだろう。
写真を残したいと思ったのは、私のエゴだった。
覚悟と別離。猫の目は全てを語っていた。
きっと「いつまでもつだろうか」と話していた、私と母と妹の会話も、理解していたに違いない。
45歳にもなるのに、独身で子供も産まず、将来は途方もなく孤独な、取り返しのつかない女の人生を選んでしまった。
昔は、それがかっこいいと思っていた。仕事に打ち込める女は自立していると感じ、突進し続けた人生のはずなのに、辞めた仕事とて、社会的に何のスキルにもならない。
この10年、猫だけが、私を和ませてくれていたような気さえしてくる。