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2010.09.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
母方の祖父母は私が生まれた時には、既に他界していた。だから私の祖父母の思い出は父方の『おじいちゃん』と『おばあちゃん』である。

父は庄屋の本家の四男坊で、男ばかりの兄弟の末っ子である。若いころは、そうとうヤンチャもやった、高校の頃はその名も知れ渡った番長だった。それでも祖父の躾は厳しかったと、今は亡き父によく聞かされた。
銀行の支店長だった祖父は、父が悪さをすると、冬、裏庭の心字の池に氷が張った上に正座をさせたそうだ。その厳しかった祖父は、私にはこの上もなく、まさに目の中に入れても痛くない位に可愛がってくてた。
男ばかり四人を育て、生まれてくる孫も皆男ばかりな中で、初めて私が女の子だったせいと、祖父と父との関係も少なからず影響していたようだ。

父は半分勘当させられたような形で家付き娘の母の所へ婿にきた。と、いうのは見合いの口実で、父は足利から佐野の高校へ電車通学、母は佐野から足利へ電車通学、どうやら父は元々母に恋をしていたらしい。それが、母との縁のきっかけを作ったようだ。末っ子を勘当同然で婿に出した父親の感情の反動だったのかもしれない。

美しい白髪に整った顔立ち、長身の素敵なおじいちゃんだった。亡くなるのが少し早すぎた。

祖母は気丈な人で、三人の息子は大学を出たまま東京に所帯を構え、末っ子の父が隣の市に婿に行って、いちばん身近で、私はよく遊びに行った。東京に住み、エーザイという製薬会社の車で送り迎えの重役に出世した長男(私にとっては伯父)が何度東京に呼び寄せても、180年以上も前に建てられた大黒柱や太い鴨居が黒々とした塀に鉄砲窓ある田舎家に帰って来てしまう。
あの大きな屋敷を一人気丈に守っていた。
かつては、姑・大姑・夫・四人の息子を一手に世話した屋敷を、病気で身動きができなくなるまで離れようとしなかった。

「学校の図書館で夏目漱石を借りてきておくれ」と祖母が私に頼んだ事がある。私が通っていた女子高は祖母の母校なのだ。
私は文字の大きめな『坊っちゃん』を選び借りてきて来たことを学校に行く前に思い出し、登校前に祖母に渡したら、祖母が嬉しそうに受け取った。
その日、部活を終え七時近くに家に帰ってきたら、応接室の椅子にこじんまりと座り、むさぼるようにして『坊っちゃん』を読む祖母がいた。辺りは薄暗くなってきているのに電気を付けることも忘れて読みふけっていたらしい。「おばあちゃん、電気も付けないで」私がそう言うと、ほぼ読み終えた本を閉じ、照れくさそうに笑った。「懐かしくってねぇ」
80歳を越えた人とは思えない女性だった。

荒城の月という歌の歌詞を思い出す。
祖母も亡くなって、家主を失った家は180年以上も旧家の本家という威厳を保っていたのに、不思議なことに住む人が亡くなって、驚く速さで崩壊し始めた。冬、氷の上に父が正座させられたという心字の池も形を失い、裏山の足利市が文化財に指定したクヌギの木も、台風で倒れ、茅葺屋根を直撃した。
昔の光、今、いずこ・・・
今幕末と明治維新がブームだが、農地解放で、タダ同然で土地を分け与え、農地以外も太っ腹に職業訓練校の建設土地用にと、市に寄付した祖父の栄華も、今はない。





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Last updated  2010.09.22 14:37:16
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