吉村さんの個人的な思い出を記した本です。体験者しか語れない箇所はいくつもあるのですが、吉村さんが特に思い出しているのは、戦争という極限状況の中でも必死に生きている人たちのことであり、焼け跡でも、頭を使い、身体を使ってたくましく生きている人たちの姿です。
そして、歴史書が書き落としている事、目を向けようとしていないことも丹念に拾い上げています。
たとえば、三月九日の夜の東京大空襲では多くの人々が焼き殺されたのですが、その死体を誰が片付けたのか。
吉村さんは、受刑者がその作業に携わったという事実を紹介しておられます。
三月十三日、受刑者によって作られた死体整理作業隊(刑政憤激挺身隊)141名に対する正木刑政局長の訓示。
「君たちは、今から罹災市民の死体埋葬の仕事に出る。決して死体を事務的に扱わぬように。気の毒な人たちなのだ。どうか自分の親が、子が、妻が、兄弟が災害を受けたと思って死体から顔をそむけず丁重に扱ってくれ。これは人類最高の尊い仕事だ。」
敵兵の死体も埋葬しています。
「海岸の波打ち際に、一個の異様な死体も発見した。あきらかに日本機に撃墜されたアメリカ爆撃機の搭乗員の死体で、受刑者たちはそれを埋葬し、後日の目印にと土まんじゅうの上に十字架の木標を立て、『B29搭乗員の墓』と書きしるしたという」(p125)
「空襲直後に焼け跡に散乱し、川に浮かんでいた多くの死体は、またたく間に一般人の視野から消えた。それは、軍隊、警察官、消防団員に受刑者も加わった人々の必死の作業によるものであったのだ」(p125)
焼け跡で水道の鉛管をコツコツと一人で掘り出している人のこと、そして以下のような人も。
「焼け跡の電柱はすべて焼きつくされ、焦げた頭部がわずかに土の表面にのぞいているだけであった。
その個所で、しきりに作業をしている男がいた。
スコップを土に突き立て、土をすくって深い穴を掘る。穴の中央には土中に埋められた太い電柱がみえた。
作業は恐らく一日仕事だったのだろう。夕方、ロープを巻きつけ、地上に電柱を穴から引き出しているのを眼にした。これほど深く電柱の根元が埋められていたのか、と驚いた。太く長い柱だった。
焼野原になった地上の、木という木はすべて灰になっていて、それは、薪にするものが皆無になったことを意味していた。
そうした生活の中で、土中に埋れた電柱の根元に注目した男がいたのである。それを掘り出すのを眼にした他の男たちも、それにならって電柱堀りをはじめた
掘り出した柱は適当な長さに切って、割って薪にする。電柱に使っているくらいだから、木の質はきわめてよく、上質の薪になる。それらは物々交換に使ったり、かなりの金額で売られた」(p61~62)
こういう人たちに吉村さんは目を向け、記憶にとどめてきたのです。
吉村さんの小説がどのようにして生まれたのか、その秘密の小箱を覗き見したような気持になりました。
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