「上の命令を遂行するための組織。」
司馬遼太郎さんが、『歴史と視点』(新潮文庫)の中に収録されている「石鳥居の垢」という文章の中で、大要以下のようなことを書いておられる。
敵が関東地方に上陸してくる場合、北関東にいる我々戦車部隊は、敵と戦うために南下する。ところが戦車が南下する道には北上して敵から逃れようとするものすごい数の人々がいる、交通整理はどうなっているのか?
司馬さんは、大本営からきた人にその疑問をぶつけた。
その人は言った。
「轢っ殺してゆけ。」
「同じ国民をである。われわれの戦車はアメリカの戦車にとても勝てないが、おなじ日本人の大八車にを相手になら勝つことができる。しかしその大八車を守るために軍隊があり、戦争もしているというはずのものが、戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなるのである。
私が、思想というものが、それがいかなる思想であってもこれに似たようなものだと思うようになったのはこのときからであり、ひるがえっていえば沖縄戦において県民が軍隊に虐殺されたというのも、よくいわれるようにあれが沖縄における特殊状況だったとどうにも思えないのである。米軍が沖縄を選ばず、相模湾をえらんだとしても同じ状況がおこったにちがいなかった。ある状況下におけるファナティシズムというものはそういうものであり、それが去ってしまえば、去った後の感覚では常識で考えられないようなことがおこってしまっているのである。」(p91から92)
私は上記の文章を、戦争に関する最も重要な文章の一つと考えている。
非戦闘員と戦闘員の区別なく生命を軽んじた結果が巨大な愚行につながった。そのことは繰り返し繰り返し語られ、暴かれねばならない。
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