ある人のブログに書き込まれた文章を読んで考えた事を書いてみます。
それは、作者と作品とは別物というごく当たり前のことなのです。
エリア・カザンがアカデミー特別賞を受賞した時に、会場では大半の人が立ち上がって拍手をしていましたが、座ったままで拍手もしていない人もいました。
彼が赤狩りのときにどんなことをやったかを知る人は、或いは忘れていない、許していない人は立ち上がりもまた拍手もしないでしょう。
しかし彼が監督した『エデンの東』は、まぎれもない傑作です。
村上春樹が国内ではサイン会をしないけれど海外ではする、そんな事と彼の作品とは関係がないのです。
青島幸雄が後に都知事になって何をしたか。そんな事と彼の作品とは関係ありません。
『アマデウス』でえがかれたモーツァルトは、品行方正な人物ではなく、そのことがさらにサリエリの憎悪を掻き立てます。
しかし彼の作品は神品と呼んでいいものです。
このギャップ。
作者の手を離れた作品は社会のものです。
作品は社会に放り出されてみんなのものとなって後は様々に解釈され、一人歩きを始めます。誤解も含めて。一人一人の心に届きます。
その作品を評するのに、「団塊の世代」に結びつけ、数百万人を一くくりにして、断罪する。その粗雑さにもあきれ果てます。いつもの思考パターンですが。
私たちは「三無世代」と括られました。そのあほらしさが甦ります。
歌はたしかに時代を映しています。しかしそれだけではない。時代を超えることもあり、時代を揺り動かすこともあります。
その歌が同時代の人たちの個々の心にどのように届いたか。その人の人生とどのように絡まり、また絡まなかったか。そんなことに思いを致す事もない雑な論でした。
自分の趣味を人に押し付けるものではありません。
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