どちらでもない
A人間は、「悪」でもあり「善」でもある。なぜなら人間は一まとまりの塊ではなくて、みんなそれぞれの心を持って生まれてくるから。
さて、これやけれど、これは、人間みたいに数が多い集団を、「人間は○○や!」いうて括れるか・・いう問題やね。
たとえば、「男はみんな狼よ」とかって言うやん。ホンマにそうやろか?そんな風になれへんような男の子もいそうやし。
また、「女はみんな嫉妬深い」とか言うけれど、「私そんなんちゃうで」いう人もおりそうやな。
この教室に30人ちょっとおるけど、みんな顔も違うし、育ち方も違うし、趣味も違うし、違うところっていっぱいあるやんか。それが「個性」やな。
ただ、みんな違う・・というだけで話がすむか・・やな。違うところいっぱいあるけれど、それでも人間全部に共通するような性質ってないんやろか?
この問題はいろんな地域と時代で古くから考えられてきた問題なんやね。
たとえば、ギリシャのアリストテレスいう人は、「人間は社会的動物」って言ってる。
集団を作って生活しとるいうことかな。
人間はひとりでは生活でけへん。衣・食・住、考えたら分かるわな。きみ等が着てる服、きみ等が作ったものとちゃうやん。朝食べてきた食事、昼の食事、誰かが作ってくれたモンや。家も誰かに建ててもろとる。ここまでは、物質面のことやけど、心の問題はどないやろ?
生き物の中には、単独で生活してます・・いうヤツも結構おるけれど、人間のご先祖様はサルやね。サルは集団で生活しとる。
もちろん、ぼく等は生活していて一人になりたい時ってあるわな。自分の部屋持ちたいな・・とかさ。
でも、ずーっと一人でええ、友達も家族もなんもいらん!言うて、ずっといけるかどうかやわな。寂しなるんとちゃうかな。では、なんで寂しなるかや。単独で生活しとるようなヤツは寂しくなることはないやろね。でも、人間は寂しくなる。友達と、家族と心が通っていたら、わかってもらったりしたら嬉しいやんか。逆に理解してもらわれへんかったりしたら落ち込むわな。これって、人間が集団で生活する生き物やからやんか。
人間はなるほど様々や。個性がある。でも、人間すべてに共通する性質は確かにありそうやね。・・・どんなモンがある?(紙配布 回収)
ウンチやオシッコする。欲望がある。種を残そうとする。腹が減る。
なるほど。案外色々ありそうやな。
B人間が生きていくのに善も悪もない。
さて、次はこれ。「生きていくのに善も悪もない」。ちょっとカッコええやんか。
これは、「悪ってなんや?」「善ってなんや?」ということやな。これはそんなに単純に決められる事とちゃうねん。
これは、「基準」の問題になる。
たとえば、腹が減って飢え死にしそうな時に、気がついたら隣に握り飯持った子どもがいる、とする。この時にどんな基準を立てるか?
「どんな事があっても人のモノを盗んだらアカン」いう基準を立てたら、下手したら飢え死にせなあかんかもしれん。
「生きる事がすべてや」いう基準立てたら、子どもシバキ倒して握り飯盗って食うのが正しい、いうことになる。その事で子どもが死んでもそれはしゃあない・・・いうことやね。
今の日本みたいに食べるものが結構あって・・いう時代ではなくて、戦争が続いたり、食糧が無くなって餓死したり、いうのが普通、いうような時代もあったわけ。
そんな時代に、親鸞いう人がおって、生きるために人の握り飯盗ったり、人を殺したりせなあかんかった人ほど、救いを求めるもんや・・言うてんねん。
「生きてくためにはしゃあなかったんや!」と自分に言い訳して、自分がそれに納得できるか・・いうことやな。
殺さなんだら自分が死んどる、しゃあないやんか!言うたら、そらしゃあないわな・・いうてくれる人もおるかもしれん。でも、自分の気持はごまかせん、いうやんか。自分はホンマに納得できるんか・・いうことやねんな。しゃあないやんか!で突っ張れるんかいうことや。
墨子いう人がおって、こんな事言うとる。
果樹園に忍び込んで果物を盗もうとしたヤツが捕まえられて、罰を受けました。
夜道を歩いていた人を殺して荷物を奪った犯人は捕まって死刑になりました。こんな事はよく起こる事ですから皆さんご存知でしょう。
でも・・・言うて、墨子は、「人を殺しても罪にならない場合があるんです」と言い出す。
墨子がどんな事言ったかはあとで説明するとして、考えてみよか。(紙配布 回収)
戦争 精神的におかしいとき 死刑 正当防衛
色々あるね。精神的におかしくなっていて責任能力がないと判断されたら罪に問われないケースは確かにある。
死刑。死刑を執行する人の場合やね。刑務所に勤務している人。死刑に反対する人の中には、たとえ仕事であっても結果として他人を殺すことになる人が出てくる死刑には反対、と言っている人がある。
正当防衛。これは、殺さなかったら殺されとる・・という事が証明できるかどうかやな。
戦争。戦争で、敵兵を撃ち殺して一々「殺人犯や!」いうことになっとったら戦争できひんわな。戦争で敵を殺してもいい、罪には問わない、いうのを「交戦権」いうんやね。日本は憲法第九条第二項でこれを禁止している。だから、自衛隊がイラクに派遣された時に、これが問題になった。敵です、殺しました、ハイ、オッケー・・ではすまないわけ。もしも不幸にして発砲して相手が死んだ時には、本当に仕方なかったのか、正当防衛だったのか、という事が徹底的に調べられたやろね。
それに、もしも正当防衛でした、いうことになっても、人を殺してしまった・・・いう気持はその人の中に残ってしまう。ホンマにそんなことにならんでよかったな、思うわ。
墨子は、戦争では敵国の人をたくさん殺したり、敵国の人の家からいろんなものをかっぱらったら誉められる。これって、おかしくない?言うとるわけ。どこがちゃうんや、同じ人殺しやんか!いうわけやね。
戦争だけなんで特別扱いするんや、いう指摘は、今でも考えアカン事やろね。
人を殺してしまったいう事を一生抱えていく。人間をそんな目にあわせたらアカンやろ、いうことにもなるね。
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