以前から匈奴は漢の絹や綿、食物を愛好していたのですが、それに対して中行説は言いました。
「匈奴の人口は漢の一割にしか当たりません。それにもかかわらず強いのは、漢とは衣食を異にし、その供給を漢に仰がないからです。単于がその習俗を変えて漢の産物を愛好されるようになれば、漢は自国で消費する物資の二割ほどを使うだけで匈奴を従える事ができるようになるでしょう。
漢の絹や綿で作った衣服で棘の中を駆け巡れば衣服はすべて裂けてしまいましょう。漢の衣服が匈奴の皮製の衣服の丈夫さに及ばない事をお示し下さい。
また漢の食糧が手に入りましてもすべて捨ててしまい、匈奴の牛乳・チーズの便利さとうまさには及ばない事をお示し下さい。」
ある時、漢の使者が、「匈奴の風俗では老人が粗末に扱われている」と言った。
中行説は使者に言った。
「漢の風俗でも、若者が従軍して出発する時に、年老いた親は自分の着ていた暖かい服や栄養のある食べ物を息子に与えようとするだろう。」
使者は、「そうだ」と答えた。
中行説は言った。
「匈奴は、公然と戦争を本務としている。老弱者は戦争が出来ないので元気な若者に美味しいものを食べさせ、それで自らも国を守っていると思っているのだ。それでこそ老人たちも安全に生活が出来る。
匈奴が老人を大切にしていないなどと言えないだろう。」
漢の使者は言った。
「しかし、匈奴は父と子が同じテントで眠り、父が死ねば継母を自分の妻とし、兄弟が死ねばその妻を自分の妻とし、衣冠束帯の礼儀も、朝廷の礼式もないではないか。」
中行説は答えた。
「匈奴の習俗では人は家畜の肉を食い、その乳を飲み、その皮を着る。家畜は草を食い、水を飲み、季節によって移動する。それゆえ、人々は戦時には騎射を練習し、平時には泰平を楽しむ。その法制は簡易で分かりやすく、実行しやすい。君臣の間も気軽である。
父や兄弟が死ぬとその妻をめとるのは家系の絶える事を怖れるからだ。したがって匈奴は国が乱れてもかならず同宗・同祖のものを立てて王とする。然るに中国ではうわべを飾って父兄の妻をめとることをしないけれど、親族はどんどん疎遠になり、はては互いに殺し合い革命騒ぎとなるではないか。
その上、礼儀を強制するものだから恨みが生じ、見掛けを飾るから競って大きな家をつくり財産を使い果たしてしまう。
人民は戦時にも訓練を行う事はなく、平時は農業で疲れきっている。
泥の家に住む漢人よ、冠をつけていたとて何の利益があると言うのだ。」
漢と匈奴という二つの世界の価値観と習俗を相対化して語る中行説の言を紹介する司馬遷の筆致は、ローマ人にゲルマン人の習俗を紹介して、安逸に流れがちであった彼らを戒めようとしたタキトゥスの『ゲルマーニア』を思い出させます。
絶対的な価値を設定することなく世界の各地域を序列化せずに研究する文化人類学の手法を見るようでもあります。
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