驚く事はいくつかあったのですが、核武装を真面目な顔をして主張する人たちの論拠を聞く事ができたのは、ある意味で収穫であったと思っています。
日本でも多くの人たちが参加している反核運動について、「日本の国益に反する集団」と見なしている元自衛隊の幹部の人には呆れ返るのを通り越して、「自衛隊は大丈夫なのか」と心配になりました。現役の自衛隊の方も出席していらっしゃったのですが、どう思われたのでしょうか。
この方は、ヨーロッパの反核運動が実はソ連の工作員によって仕組まれた事であり、その証拠はあるのだ!と得々と語っているのですが、ヨーロッパの反核運動は、NGOの方も語っていらっしゃったように、西ヨーロッパ各国でたくさんの人たちが参加した大運動であったのです。そのような大運動を組織する事が出来たソ連の工作員というのは、素晴らしい組織力と情報操作能力を持ったスーパーマンに違いありません。ソ連の工作員をそこまで持ち上げていいものなのか、私としては、この元幹部の方はソ連の宣伝マンなのかと疑ったくらいです。
敵の脅威を語ろうとすれば、その実態以上に敵の能力を語らねばならなくなる、というのはひとつの落とし穴であり、同時に戦略です。アメリカがソ連の核の脅威を、「ミサイルギャップ」という形で宣伝し、国民の支持を得て大核軍拡を行ったように。
この方は自分が語っていることをそっくりそのまま信じておられるようでした。そんな優秀なスーパーマンを抱えているソ連がなぜあっけなく崩壊してしまったのか。私にとっては大きな謎です。
この人の下では、優秀な情報分析力を持った自衛隊員は育たないでしょうね。
第一、「反核運動はソ連の工作員に指導された」という情報は、誰が何のために広めたのか、その政治的意図も検証せずにそのまま信じるというナイーブさを、会場にいらっしゃった現役の自衛官の方はどう思っていらっしゃったのか・・。この元幹部の方の現実認識、田母神氏も同程度なのですが、こういう方たちに早く退職していただいて自衛隊は現実を見る目を取り戻していただきたいものです。
日本が核武装すべきという論拠は、「核のバランス」「相互確証破壊」の上に成り立っています。核のおかげで、世界大戦は起こらなかった。核がなくなれば、血で血を洗うような通常兵器による戦争が多発する。だから核は必要という意見でした。
面白いなと思ったのは、そのような意見を語る方たちに共通した姿勢です。
俺たちは、戦史についてのいろんな知識を持っている。シロートが、情緒的なことをいってやがる、という相手を見下した上から目線。これはほとんど宗教的な境地にまで達していると見えました。
この信者の方たちがしきりに語るのは、「現実を見なさい」という言葉であり、「核のおかげで世界大戦は起こっていない」「インドとパキスタンも双方とも核を保有する事になったので戦わなくなった」「日本が核を落とされたのは、日本に核がなかったからだ」「北朝鮮は核を持っているからアメリカの攻撃を受けなかった。イラクは核を持っていなかったからアメリカによって攻撃された」などという事でした。
茶髪の若い女性が語っていました。極論ですが、と言いながら。
「世界中の国が核武装すればいい」と。
核武装論の行き着く先はそうなるのですから、これは極論でも何でもありません。
ただ、この論の落とし穴はどこにあるか。
国家の管理の下に置かれている、「使えない兵器」としての核が際限なく拡散した場合に、国家の管理の元におかれていない核、使用された場合に「誰が使用したかわからない」核がかなりの確率で登場するということです。
抑止力としての核を認める立場は、一つの原理に立脚しています。それは、「相互確証破壊論」を、核を保有するすべての集団が共有している、という事です。これまでは、核を保有している主体は、国家に限定されており、それを自明の事として抑止論は語られてきたわけです。
ところが、核を保有する主体の中に、国家以外の集団が登場してくる可能性が出てきたという「現実」に立脚してオバマ大統領は、プラハでの演説を行ったと私は考えています。アメリカの大統領たるもの、理想を語っていればいいというものではない。9・11以後、「新しい戦争」という概念が登場してきました。その根本は、国家以外の集団が、国家を攻撃する可能性が登場してきた、というところにあります。おそらくアメリカ政府はその危機についてかなりの情報を持っているかもしれない。私はオバマ演説は、その危機感の現われでもあると見ています。
60年以上に渡って核が使用されていなかったという状態が変わろうとしている、つまり、「抑止論」「相互確証破壊論」を共有しない集団が登場しているという事に、核武装論者は何故か目を向けようとしないようです。「軍人は常に過去の戦争を戦っている」という言葉を思い出しました。
また、面白いことに、北朝鮮の脅威を語り、日本も核武装をすべきだと主張する人たちは、北は話が通じる相手ではない、共通の話し合いの基盤がない相手だと口を極めて罵るわけですが、不思議な事に、北も同じような「抑止論」の立場に立つことを信じて疑わないのです。自分の都合がいいように相手も考えてくれると思うナイーブさ。ファンタスティックです。
1969年に、筒井康隆さんによって書かれた『アフリカの爆弾』というSFがあります。これは、アフリカの一部族がアメリカから核爆弾を購入して・・・という核拡散を扱った作品なのですが、核武装論者の方たちにはまずこの作品を読まれることをお薦めいたします。今読み返すと、不思議な現実感があります。この頃の筒井さんは天才的でした。
また、「核があるから戦後核戦争が起こらなかった」という論については、核戦争が偶発的に起こりそうになったケース(たとえば、キューバ危機)を検証してみれば、ホントにラッキーだったとしかいえない、というとても単純な事がわかるでしょう。
ある事柄を取り上げて、それを一気に全体に広げていく、この論理の三段跳びには、ホントに学ばせていただきました。核保有論者の方たちに感謝いたします。
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