リデル・ハートという人は、戦略・軍事史研究家として有名な人です。戦争は様々な事柄が絡み合って推移していくわけですが、その中核をなすのは戦闘がどのように行われたか、ということです。一つの戦闘がどのように行われたのか、作戦の立て方はどうであったのか、成功と失敗の要因はどこにあったかを精密に検討していくこの本を読むと、一つ一つの作戦の成功と失敗とは実は紙一重のものであった事が分かります。
ノルマンディー上陸作戦の場合。
さらに緒戦当日の驚くべき事実として、ヒトラー自身が朝もずっと遅くなるまで上陸の報を受けていなかった事と、ロンメルが現場を離れていたことのふたつがあった。もしこれらがなければ、もっと迅速に強力な措置がとられたものと考えられる。
ヨードルは朝寝をしているヒトラーを起こすにしのびず、ルントシュテットからの予備隊の使用許可に関する申し入れを、みずからの責任において拒否したのである。
ロンメルがノルマンディーから離れていなかったら、予備隊の使用についてはもっと早く許可したものと考えられる。・・・しかしロンメルはその前日、司令部をあとにドイツへの旅に発っていた。強風と高波が一時侵攻を不可能と思わせたため、彼は妻の誕生日をウルム付近の自宅で過ごす事も兼ねて、ノルマンディー地区にもっと多くの装甲師団を配置する必要がある旨を訴えるために、ヒトラー訪問を決意したのである。(下)P242
こういったところは確かに、「イフ」「もしも」の世界です。しかし、戦争は偶然と奇跡に支配されているわけではない事も著者は私たちに教えてくれます。
そもそも日本帝国は基本的には海洋帝国であり、海外からの補給に依存する度合は大英帝国を上回っていた。日本の戦争遂行能力は海上輸送による石油、鉄鉱石、ボーキサイト、コークス用石炭、ニッケル、マンガン、アルミニュウム、錫、コバルト、鉛、燐酸鉱物、黒鉛、苛性カリ、綿、塩、ゴムなどの大々的な輸入に依存していた。のみならず食糧に関しても、砂糖と大豆の大部分、小麦の20%、米の17%は輸入に頼っていた。
にもかかわらず日本の開戦時の商船の総計はわずかに600万英トンであり、1939年(昭和14年)初頭における英国(ほぼ9500隻、総計2100万英トン以上)の三分の一よりはるかに少なかった。その上日本は二ヵ年にわたる戦争から教訓を得、勢力範囲の拡大政策をとっていたにもかかわらず、船舶防護の組織化を怠り、護衛船団も護衛空母も整備する措置をとらなかった。そしてすでに船舶数が激減してから、ようやくその手抜かりを償おうと努力し始めたのである。
(下)P462~463
この本を読んでいて、戦争というのは、結局、その国の持っている様々な要素のうちのもっとも弱い部分で勝負が決まるのだなというとても当たり前のことにあらためて気がつきました。
またもう一つ、独裁体制という一見効率のよさそうな政治体制が戦時には最終的に何処で弱点をさらす事になるかという見事な分析にもなっているという事がこの本の優れたところでもあると思いました。
一つは、「英本土防衛戦(バトル・オブ・ブリテン)」の記述から、そしてあと一つ、私が強く印象を受けたのは、ダンケルクからの撤退の項でした。少し引用します。
1940年の英遠征軍の撤退成功は、主としてヒトラーの干渉のおかげだった。フランス北部を蹂躙したドイツ軍戦車が、英軍を前線基地から遮断しダンケルクへなだれ込もうとした時、ヒトラーは自軍戦車に停止を命令した。
この停止命令が、もはや救われる望みのなかった英軍を救ったのである。ヒトラーのおかげで大陸からの撤退に成功したからこそ、英軍は英本土に結集して戦いを継続でき、侵攻の脅威に備えるべく沿岸の防備を固めることが出来たのである。
ヒトラーは何故に、またどういういきさつでこの運命的な停止命令を下したのか。これはドイツ軍将官ら自身にとっても多くの点で謎であり、ヒトラーがそう決断するに至った経過とその動機を明確に知るのは、今後においても不可能であろう。仮にヒトラーが説明を加えていたとしても、そんなものは信用できない。高い地位にあって致命的な間違いを犯した者が、後日、自らその真相を語ることはほとんどないのである。第一ヒトラーは、こよなく真実を愛するといった部類の人間ではなかった。(上)P138~139
一つの作戦が終了してからその成否を分析して今後に生かすというサイクルが機能しているのはどちらのほうか?間違いなく、ドイツ、日本よりも、英・米の方に軍配が上ります(英・米も様々なミスをしたり、もたもたしていたにしても)。このフィードバック機能が働かなかった事が結局この長期にわたる消耗戦の敗者を決定したといっていいのではないでしょうか。
このように戦争というものを様々な観点で見ていくと、「もしも」という視点を滑り込ませて、その視点でのみ戦争を語ることの夢想的であることが明らかになります。
先日NHKで放映していた核に就いての番組の中での、「もしも日本があの時核をもっていたらアメリカから核攻撃を加えられることはなかった」という珍論の馬鹿馬鹿しさが浮き彫りになります。そういう事なら、「もしもあの時、日本に宇宙戦艦ヤマトがあったら戦争に負けてなかった」ともいえることになります。そしてそのような夢想家が、しきりに「現実的」という言葉を遣うということもまたこっけいな感じがします。
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