『シビリアンの戦争』三浦瑠麗 岩波書店 2012 年
たしか、フランスの首相を務めたこともあるクレマンソーの言葉であったと思うが、「戦争のような重大な事を軍人にまかせるわけにはいかない」という言葉がある。太平洋戦争に至る経過を振り返ると、「軍の暴走によって日本が戦争に引きずり込まれた」というイメージが作り出され、「シビリアン・コントロール」こそが戦争を防ぐ重要な要素であると思い込まされる。
この本は、「必ずしもそうではない」という事を、イギリスのクリミア戦争、イスラエルの第一次・第二次レバノン戦争、フォークランド戦争、イラク戦争といういくつかの戦争を分析することによって明らかにしている。
フォークランド戦争の時は、サッチャーが他の閣僚たちを説得して始めた戦争であったという事は知っていたが、軍が反対であるという事は知らなかった。
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章にわたって詳述されているイラク戦争がもっとも参考になった。以下、イラク戦争を中心にしてこの本を紹介したい。
「イラク戦争は本当に必要であったのか ? 」という問いがまず立てられる。「大量破壊兵器」については、フセイン政権が査察を受け入れたので、戦争の必要はなくなった。では、「サダム・フセインを」取り除く、という目的はどうか ? これについては、エジプトを通じてサダムの亡命案が伝えられているから、戦争に訴えるまでもない。
開戦直前の状況について著者は以下のように記している。
「開戦前、軍の戦争反対は公に明らかになっていたが、メディアや議会、国民は戦争支持が多数を占め、イラク戦争を押しとどめる結果にはならなかった」 p137 。
では、イラク戦争の背景は何か。
「イラク戦争は、湾岸戦争とその後の封じ込め政策が失敗であったという認識のもとに推進された」 (p139)
「議会の多数が、サダム打倒とイラク民主化に原則として賛同していた」ことが前提条件となり、「 2001 年に、父親と異なり民主化や正義、使命に対する強い選好を持つブッシュ ( 子 ) が大統領として就任した」 (p141) ことが事態を大きく動かした。
2001 年 9 月 11 日に同時多発テロが起きる。この直後、「各省庁や軍の内部で全世界を対象にしたテロ対策の検討がボトム・アップで試みられたが、そこにイラク戦争という選択肢はなかった。対照的に、 9 ・ 11 直後に主流となった大統領主導の政策形成では、すぐにイラクが標的に設定された」 p145
「 9 ・ 11 は、歴史的な使命感を新たにしたブッシュや、イラクを脅威と見るチェイニー、中東民主化を目指すウォルフォウィッツなどの世界観や予断を強化することにつながり、金槌を持つことですべてが釘に見えるような状況が生じていた」 p145~6
CIA の立場がどうであったかが取り上げられる。 CIA は、アルカイダとビンラディン対策を強化するように働きかけていたが、ライスもチェイニーも、ブッシュも聞き入れなかった。そのくせ、 9 ・ 11 以降は「テロを防げなかった」とやり玉に挙げられた。 CIA は追い詰められ、「根拠が薄弱であるにもかかわらず、イラクの大量破壊兵器の脅威を過大に見積もるようになった」 (p151)
「イラクはアメリカにとって現実的な脅威であるのか ? 」という点について、「抑制的であったのはパウエルであり、攻撃的であったのはチェイニーであった」 (p154)
チェイニーは、「イラクは大量破壊兵器を持ち、真珠湾攻撃のようにすぐに行動を起こさなけれれば間違いなく攻撃される」と煽っている。
そして、それまで「統合参謀本部をはじめ軍幹部をイラク戦争計画の策定段階から締め出していたブッシュとラムズフェルドは、四軍のトップをホワイトハウスに呼んで、作戦案を見せた。シンセキ陸軍参謀総長は兵力が不足していると訴えたが改善はされなかった。軍をひたすら抑え込んだままでブッシュは計画を進めた。
「ところが、メディアを通じて一般国民も退役将軍らの反対意見を知り得たにもかかわらず、世論のイラク戦争支持は、 60% 台の高水準で推移する」 (p160)
国民の間の、そして軍の中のイラク戦争反対の声は抑え込まれ、「ブッシュは 3 月 19 日に国民に向け作戦開始を告げた」 (p165)
それからのちの経過については、よく知られている。大量破壊兵器は見つからず、戦争目的は「フセイン政権の排除とイラクの民主化」にすり替えられ、泥沼化し、イラクの治安はどん底まで落ちた。それに乗じて、イラク北部で「 IS 」が台頭してきた。
「これら反対意見があったにも拘わらず、イラク戦争の計画段階から初期段階まで、軍に対するシビリアン・コントロールはかつてないほど完全だった」 (p192) と著者は記している。
2003 年から 2009 年の間に脱走兵の数は 1 万 5000 人に達し、 PTSD を発症し、日常生活が満足に送れなくなった帰還兵も多いが、国民の関心は低い。
終章で著者は概略以下のように述べている。
デモクラシーを「共和国」像に近づけることが必要である。政策決定に対する自由な参加、その結果に対する応分の負担、多元的自由主義、ある程度の所得の再分配、安全保障コストの応分負担。
具体的な共和国への道は、緩やかな徴兵制度の復活、予備兵役制度の拡充により、国防にかかわる軍の経験や価値観を一人でも多くの国民が体験することを意味している。現状は、国防の任務の軽視と無関心が、大勢を占める一方で、他方では国民全体に自らのコスト意識なしに専門的な軍を用いて戦争をやらせようという発想がある。この発想がある限り、戦争はなくならない。
「「シビリアンの戦争」は政府の、国民の攻撃的な戦争である。この問題を解決することなしには、平和を目指す国際政治学の試みは成就しえない」 p231
著者のこのような提言については、様々な異論が予想されるが、まず私はこの提言をじっくりと考えてみたいと思っている。
個人的な思い出。イラク戦争の開戦と、地上軍の侵攻が報じられたときの授業で、私は「イラクには大量破壊兵器はない」と生徒たちに言った。その根拠は、大量破壊兵器が実戦配備の状態にあるとすれば、侵攻した米軍はその餌食となっている。その場合、使用したフセインに対する憎悪と、みすみす大量の死者を出したブッシュ大統領の責任を問う声が上がってくる。現在のところ、侵攻軍が壊滅したという情報は入っていない。だから、アメリカは、「イラクに大量破壊兵器はない」という確信のもとに侵攻したと言える、と。
あの戦争を世界に先んじて支持したのが日本の小泉政権であった。そして、本家本元のアメリカが、いくつかの失敗点と反省点を挙げているにもかかわらず、依然として「支持したのは正しかった」と言いぬけている。
こんな政権のもとで戦争という選択は、壮大な愚行に終わる。これだけは確信がある。
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