レヴィ・ストロース『野生の思考』 ( みすず書房 ) を読んでいる。こんな一文に目を開かされた。
「土器・織布・農耕・動物の家畜化という、文明を作る重要な諸技術を人類がものにしたのは新石器時代である。今日ではもはや、これらの偉大な成果が偶然の発見の偶然の集積であると考えたり、ある種の自然現象を受動的に見ているだけでみつかったものだとする人はあるまい。
これらの技術はいずれも、何世紀にもわたる能動的かつ組織的な観察を必要とし、また大胆な仮説を立ててその検証を行い、倦むことなく実験を反復して、その結果捨てるべきものは捨て、取るべきものは取るという作業を続けてはじめて成り立つものである。
野生植物を栽培植物に、野獣を家畜に変え、元の動植物には全く存在しないか、またはごく僅かしか認められない特性を発達させて食用にしたり技術的に利用したり、不安定で、壊れたり粉になったり割れたりしやすい粘土から、堅くて水の漏れぬ土器を作ったり、土のないところや水のないところで栽培する技術、毒性を持った種子や根を食品に変える技術、逆にその毒性を狩猟や戦闘や儀式に利用する技術、多くの場合長い時間を要するこれらの複雑な技術を作り上げたりするために必要なのは、疑いの余地なく本当に科学的な精神態度であり、根強くて常に目覚めた好奇心であり、知る悦びのために知ろうとする知識欲である。なぜならば、観察と実験のなかで、実用に役立ちすぐ使える結果を生じうるものはごく一部に過ぎなかったのであるから」 (p18~20)
『栽培植物と農耕の起源』中尾佐助 岩波新書 に記されている例を挙げれば、バナナを種なしにし、熟すと自然に脱落する穀物の種子を非脱落性に改良したのは誰であり、なぜそのようなことが可能だったのかという事になる。
それらを成し遂げた人たちとは、南アメリカ、太平洋諸島、あるいは北米大陸の原住民と言った、「文明人」からは「土人」と蔑視されていた ( あるいは、いる ) 人たちと同じような生活を送っている我々のご先祖様であり、その人たちが形成している社会、そして抱いている思考は、我々のそれとは種類や様式が異なるものであって、「科学的な精神態度」が存在していることに疑問の余地はないとレヴィ・ストロースは主張している。
彼は、我々とは異なった社会で生活している人たちがどのようにして動植物、その他のものを分類しているかを、広範な例を挙げて説明し、さらに、「トーテム」、「カースト」に言及している。彼らの神話は何を現し、象徴しているのか。それは、彼らの生活形態とどのようにリンクしているのか。面白い。
いまのところ、第四章まで読んでいる。
これからの課題は、 (1) 本の整理 ( 図書館に持ち込む ) (2) 読む本を絞る。
この二つ。あれこれ目移りがして、市の図書館に予約するのだけれど、大半はきちんと読めないまま。
また、テレビの方は、録画している番組をちゃんと見て、必要な場合はメモを取る、という事をやっているのだが、これも制限したほうがいいような形勢。消してまた録画できる DVD 中心にしているので、 DVD に落としたけれど見ないだろうなと思うのは消していっている。
時間と体力とを真剣に考えないといけない年になったという事であります。
まず、『野生の思考』を読み終えること。『 OUR REVOLUTION 』 ( サンダース氏の新著 ) を読むのは少し御預け。
現在、小論文指導している生徒の一人の志望先の過去問を見ると、英文と日本文を読んで答える問題が大半。で、彼は過去問を大半やってしまっているので、「 Japan Times 」と日本の新聞、あるいは書籍から問題を作って指導中。元・英文科志望 ( 史学科に「転向」 ) だったとはいえ、 40 年以上きちんと読んでいない英文に向かうと、己の英語力が赤さびだらけである事を自覚。
良い頭の体操 ( ボケ防止 ) になっています。
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