彫刻一途
日本膨張悲劇の最初の飴、
日露戦争に私は疎かつた。
ただ旅順口の悲惨な話と
日本海々戦の号外と、
小村大使対ウヰツテ伯の好対照と、
そのくらゐが頭に残つた。
私は二十歳をこえて研究科に居り、
夜となく昼となく心を尽くして
彫刻修業に夢中であつた。
まつたく世間を知らぬ壷中の天地に
ただ彫刻の真がつかみたかつた。
父も学校の先生も職人にしか見えなかつた。
職人以上のものが知りたかつた。
まつくらなまはりの中で手さぐりに
世界の彫刻をさがしあるいた。
いつのことだか忘れたが、
私と話すつもりで来た啄木も、
彫刻一途のお坊ちやんの世間見ずに
すつかりあきらめて帰つていつた。
日露戦争の勝敗よりも
ロヂンとかいふ人の事が知りたかつた。
註
ロヂンとある。最初に読んだ時、「ロダン」ではないかと思った。
明治43年{1910年)に発行された『白樺』の第8号は「ロダン号」と称され、ロダンの特集が組まれている。有島武郎、高村光太郎らが寄稿している。(Wiki)
ゲーテが、「ギョエテ」「ガーテ」と記されたように、ここは、「ロダン」だと考えたい。「魯迅」ではないだろう。選集6の331ページには、「ロダン」と出ている。
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