GS 現代社会 ①解説プリント
まず最初に。なぜ「現代社会」を学ぶのか。
一年生 GS の皆さん、初めまして、これから一年間「現代社会」を担当する〇〇といいます。「現代社会」は、授業時間数は年間でだいたい 50 数時間だと思いますが、現在のコロナ禍のもとで、休校が続いていますから、何時間授業ができるか、それは今のところ誰にも分りません。
そういうこともあって、授業は焦点を絞ろうと思っています。始業式の日に君たちの手元にわたっていると思うのですが、教科書 P58 から始まる 「第二章 日本国憲法と民主政治」 (P58 から P99) だけを授業では扱おうと思っています。
憲法は、国の最高法規です。つまり、すべての法律の上にある法律です。つまり、憲法に違反する法律は認められないのです。
日常生活で私たちは特に憲法を意識して生活しているわけではありません。しかし、 「憲法を物差しにして考える」 ということはとても大切なことではないかと私は思っています。
「社会科」という科目は、高校では、「地歴・公民」という名称になります。この教科の特徴は、「はっきりとした「正解」があるかどうかわからない」という面を持っているというところです。幾何のように、一本補助線を引いたらホントにすっきり解ったり、代数でもちゃんと答えがあったりというわけではありません。ただ、大学へ進学して「理学部・数学科」に入学すると、「答えがあるのかないのかまだ証明されていない問題」に取り組むことになるんだそうです。
「社会科」が扱うのは「人間」です。「人間」は実に多様です。「十人十色」という言葉がありますが、人の考えること、行動は、時代によって、国によって、地域によって、性別、年齢などによって実に様々です。 そのような多様な人間の社会では、たった一つの「正解」があるわけではありません 。
数学や理科が大好きという君たちの中には、「 正解がないってところが嫌だ 」と思う人もいるかもしれません。しかし、何かの問題について「私はこう思う」という自分なりの意見を確立していくためには、「事実」を基礎にしながら考え、仮説を立て、推測を進めていく必要があります。
その時に、私たちが使うことができる「事実」、「材料」は何なのか ?
それは、私たちの先輩たちが残してくれた「思考の結果」です。おそらく、山ほどの失敗のあげくにやっとたどり着けた「思考の結果」でしょう。君たちが興味を持っている自然科学の世界は、「山ほどの失敗」の上に築かれているものです。たとえば、「天動説」とか。それは、「社会科学」の世界でも同じです。
さて、本題に入るまでに長々とお話をしてきましたが、「現代社会」、特に「憲法とは何なのか」を考えてみましょう。
では、教科書は P58 、「最新図説・現社」 ( 以下、「図説」と略します ) の P96 を開いてください。
「民主政治とは」とタイトルが出てきました。「 民主政 」という言葉は、英語では「 democracy 」です。これは、ギリシア語の「 demos 」つまり「民衆」の「 kratia 」、「支配」という言葉に由来しています。この「民主政」、「民主政治」という考え方はもともとはヨーロッパで練り上げられてきた考え方です。
世界の他の地域と同じように、ヨーロッパでもたった一人の王様が人々を支配するという政治が続いてきました。ここである疑問が出てきます。「なぜ王様は私たちを支配し、命令し、税金を取り立てるのだろうか ? 」
※たとえば、中国では、「皇帝は天の命令を受けているから」という答えが、日本でも、「天皇は神様の子孫だから」であったり、「将軍は、天皇から、政治を行うようにと命じられた」という考え方 ( 江戸時代 ) がありました。
その問いに対して王様はこう答えました。「私は、神様の命令によってお前たちを支配する権利を与えられているのだ」。つまり、「王様の権力」は、「神様から授けられたんだ」ということですから、短くして「王権神授説」。「説」というのは、王様に雇われている学者が「私はこう思う」と唱えた「考え方」という意味です。「図説」の P96 では、フィルマーとかボシュエという名前が出てきます。
このように、「王の権力は絶対なのだ ! 」という考え方を「絶対主義」、「絶対王政」と呼びます。
この「説」に対して、「なるほど」と納得する人もいれば、「それってちょっとおかしいんじゃない ? 」と疑問を持つ人も出てきます。
「おかしい !! 」と思う声は、社会の中で様々な役割を果たして人々の暮らしを支えている人たち、日用品を作ったり、流通させたりするような人たち、「市民」と呼ばれるような人たちの中からあがってきました。「私たちにも 権利 を ! 自由 を ! 」という声です。「身分の違いで権利が異なるのもおかしい。人間は平等だ ! 」
イギリスでは 1642 年の「清教徒革命」 ( 「イギリス革命」「ピューリタン革命」ともいいます ) では、国王チャールズ一世がとらえられて処刑され、さらに 1688 年の「名誉革命」では、国王ジェームズ 2 世がフランスへと逃亡、市民を中心とする議会の力が強くなります。
1776 年にはイギリスの植民地であったアメリカが「独立宣言」 ( これは、「世界史 A 」の教科書 P84 に載っていますから見てください ) を発し、イギリス軍を打ち破って 1783 年に独立を達成します。
そして 1789 年に始まるフランス革命。「自由」「平等」「友愛」の三つの理想を掲げて始まった革命は多くの血を流し、ナポレオンに引き継がれます。
イギリス、アメリカ、フランスで起こった革命は、「 自由で平等な存在である人間 」による政治の実現を目指します。
その動きの中で、一つの疑問が生じます。
「 私たちが生活している「国家」は、どのようにして生まれたのだろう ? なぜ「国家」が必要になったんだろう ? 」
P58 の下に、三人の人物がどんなことを考えたのかが整理してあります。
まずホッブズ。彼は、「もともと人間は自由で平等な存在である」という考え方から出発します。そして、「自由で平等な存在」である人間が、「とにかく私が生き残ればいい」と考え ( 「 自己保存の欲求 」 ) 、「そのためには他人からものを奪ったり、殺してもいい」と考え、行動するようになると、殺し合いが始まります ( 「 万人の万人に対する闘争 」 ) 。その結果何が起きるか ? 弱肉強食の恐ろしい社会になります。そんな結果を考えれば、だれもがそんな社会を望むはずがない。そこで人々は、個々人が持っていた「完全な自由」「完全な平等」をあきらめて、たった一人の支配者 ( 「君主」 ) にそれを譲り渡して、自分たちを支配してもらう道を選んだに違いない。
結果としてこの考え方は、「絶対王政」を支持する結果を生みますが、「もともと人間は自由で平等な存在である」という出発点は、他の思想家に引き継がれます。
ホッブズと同じイギリスの思想家ロック。この人は、「人間はホッブズの言うような本能的に互いに殺し合いを選ぶような存在ではなく もう少し理性的だ 」と考えます。もちろん、何の問題も起こらないと考えるのでなく、何か問題が起きる、紛争が起きることは十分に予想できるから、個々人は、自分の持っている「完全な自由」「完全な平等」に執着するのではなく、逆に 「自由に」「平等に」暮らすために、みんなの代表者である政府にその一部を渡し、定められた法に従う ( これは、「完全な自由」ではありませんね ) という道を選ぶのだとロックは考えます。
では、そのようにして 設立された政府が、国民の「自由」と「平等」を侵害するような行為を始めたら ?
ロックは、「そんな政府は取り換えればいい、そして国民の自由と平等を守るような政府を作ればいい」と主張します。これを、「抵抗権」、あるいは「革命権」と言います 。
少し前にみてもらったアメリカの「独立宣言」。「どんな形の政府であっても、これらの目的 ( 生命、自由そして幸福の追求 ) を破壊するものとなったら、その政府を改革し、廃止して・・新しい政府を設けることが人民の権利である」と書いてあります。もういちど、「世界史 A 」の P84 を開けて確認してください。
さて、ルソーです。かれは、人間はもともとは孤立しているけれども、思いやりの情があり、完全に自由であり、自分が必要とする物は自分で作り出す能力を持っていると考えます。そして、 個々の人々の利害を超えた「一般意志」に従うことによって真の意味での「自由」を獲得すると説いています。ルソーが考えているのは、何百万人、何億人といった構成員を持つ「国家」ではありません 。ルソーは、フランス人のように紹介されていますが ( それも正しいのですが ) 、出身はスイスです。 P59 の下の写真に載っている「直接民主制」のスイスなのです。ただ彼は身分違いの恋人たちの悲恋を描いた小説などによって時代に影響を与え、結果として「フランス革命の生みの親」という称号を奉られるようになったのです。
「絶対主義から民主政治へ」のところだけになってしまいましたが、これから後は、「学習プリント」と今回のような「解説」を郵送するか、市西のホームページに掲載することになると思います。
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