三浦しをんの作品を読んだのは、『神去なあなあ日常』が最初だったと記憶している。他に『風が強く吹いている』『まほろ駅前多田便利軒』などが印象に残っている。
『舟を編む』をいつ頃読んだのかは定かではないが、全く引き込まれてしまった。それまでおよそ「辞書を編纂する人たち」に関心を持つ事は無かったが、常にカードを携帯し、女子高生の会話に耳を澄ませて新しい用例を収集して日本語が変化していく現場に立ち会い、同時にこれまで長年使用されてきた言葉の語釈を改めて考え直す。「右」という言葉をどう定義づけるか。「愛」と「恋」とはどう違うのか。また両者が合体した「恋愛」という言葉をどう説明するか。
辞書の紙をどうするか。「ぬめり」という言葉を初めて目にした。
大槻文彦が編纂した「日本初の近代的国語辞典」とされる『言海』。「言葉の海」。ここに載っている「猫」は、猫にたいする語釈の傑作と言われている。以下に紹介する。
ねこ(名)【猫】
[「ねこま」下略。「寐高麗」ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ。上略シテ、「こ
ま」トモイヒシガ如シ。或云、「寐子」ノ義、「ま」ハ助語ナリト。或ハ如虎(ニヨ
コ)ノ音轉ナドイフハ、アラジ。]
古ク、「ネコマ」。人家ニ畜フ小サキ獸。人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能
ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ、竊盜ノ性アリ。形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡
リヲ好ミ、寒ヲ畏ル。毛色、白、黑、黄、駁等、種種ナリ。其睛、朝ハ圓ク、次第ニ縮
ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ。陰處ニテハ常
ニ圓シ。
大槻の生涯を活写したのが、高田宏の『言葉の海へ』。これも大変に面白かった。
調子に乗って、『大漢和辞典』を編纂した諸橋轍次の事も調べた。こちらも言葉にならないほどの偉業と言っていい。
さて、『舟を編む』だが、映画化された。原作にかなり忠実な作品だった。
ところが今回の NHK の作品は、ファッション雑誌の元読者モデルで、現在はその雑誌の編集部にいる女性が、玄武書房初の中型辞典を編纂するという現場に移動になる処から始まる。正しくは、彼女が大泣きしているシーンから始まる。号泣、涕泣などいった「泣く」に関する言葉が字幕で入る。
第一回目のキーワードは、彼女がなんとなく使っている「 ~ なんて」という言葉。個性の強い辞書編集部の面々と不安な日々を過ごすうちに、彼女は、辞書をひいて「 ~ なんて」という言葉の意味を知ることとなる。
第六回目は、いよいよ、「なぜ紙の辞書でなくてはならないのか」問題が浮上してくる。
岩松了演じる荒木が、中型辞書作成の企画が通った事を、彼が敬愛する松本 ( 柴田恭兵 ) に知らせに生き、喜びのあまり二人で手を取り合ってぴょんぴょん跳ね、ぐるぐる回るシーン。
しかし、本当に紙の辞書を作らねばならないのかと疑問を呈する経営者 ( 堤真一 ) とどう戦うか。
「辞書はなぜ紙でなければならないのか」という問いを私も共に考えたい。そして、書店に行って、「この一冊 ! 」という辞書を買いたい。
※「辞書はなぜ紙でなければならないのか」と打つと必ず、「神でなければならないのか」と私のパソコンは変換する。ちょっと不思議。
Comments