メタの CEO マーク・ザッカーバーグ氏が、フェイスブックとインスタグラムで、投稿内容の正確性を調べる独立したファクトチェッカーの使用を廃止すると声明を出した。
今後は、正確性のチェックは、ユーザーに任せる「コミュニティ・ノート」なるものを採用するということだ。
たまたま「情報が世界を滅ぼす ? 」という番組を見ていると、ノア・ハラリ氏が、トランプ・ハリスのテレビ討論でトランプが発した、「スプリングフィールドでは移民が猫や犬を食べている」という件について語っていた。「移民が・・」云々については、司会者が即座に、「スプリングフィールド市に確認したが、そのような事実はない」とコメントした。トランプは、「テレビで見た」と言い張った。
その後、スプリングフィールドは全米、全世界 ( 大げさかな ) で有名になり、「移民が犬や猫を食べている」という書き込みがどんどん拡散されているとハラリ氏は指摘している。
『差別はたいてい悪意のない人がする』キム・ジへ著、の中に以下のような文章がある。
1922 年、アメリカのジャーナリストであるウォルター・リッブマンが自分の著書『世論』で「ステレオタイプ」という言葉を使って以来現在のような意味でつかわれるようになった。リップマンは、人々が頭の中に刻み込まれたイメージを用いて、現実には経験したことのない世界を描いていると考えた。人が外の世界を直接経験できる機会は少ない。それに対して、「ステレオタイプ」を用いると、効率的で何かを理解しているような感覚が得られる。人々はこのような方式で世界を理解し、世論を形成する。
問題は、このように単純化する過程の中で間違いが起きるという事である。一部の特徴を過剰に一般化した結果、すなわち偏見である。
「偏見」は、まず真実を消し去る。「いつ」「どこで」「誰が」「何をしたか」という最低限の 4 要素はどうでもよくなる。
フェイクニュースを流す人間にとって、「嘘か本当か分からないけれど、そういう事もあったかもね」というところまで持っていければ上々なのだ。
スプリングフィールドに居住する「移民は猫や犬を食べる」という書き込みは何万回も閲覧されているとハラリ氏は述べている。
特定の誰かではない。「移民」なのだ。どこの国からやってきた移民なのかは問われない。
「移民」という言葉で数万人、ひょっとすると数百万の人々が括られてしまう。
もうすぐ 1 月 17 日がやってくる。知人の在日の人が、「殺されるかと思った」とつぶやいた時に、私は、迂闊にも意味が分からなかった。彼は、関東大震災の時のデマによって在日の同胞が何人殺されたかを震災当日、瞬間的に思い浮かべ、私はそのことを想起もしなかっただけなのだ。
アメリカの移民問題について興味深いのは、移民としてアメリカにやって来て一定の成功を収めた人の中で、移民に対して激しい嫌悪感を示す人が一定数いるということだ。
芥川の「蜘蛛の糸」。下を見たカンダタが、自分の後から蜘蛛の糸を手繰りながら登ってくる亡者たちに向かって「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋て、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚いたとたんに糸がぷっつりと切れてしまうという場面を思い出す。
何のことは無い、アメリカ合衆国に居住している人々の中で、移民ではないのはヨーロッパからの移民たちが土地を奪った先住民だけではないか。
そういったファクトに関心も払わずに移民排斥を叫ぶ輩がこれ以上増えないように願うのだが、トランプ信者だけではなく民主党系にもそういった連中が多いときくと、新春早々暗い気持ちになってしまう。
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MoMo太郎009さん
つるひめ2004さんComments