よく遊び、よく学ぶ!

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2007.01.11
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カテゴリ: すべて

「鋼の錬金術師」である。今回もかなり哲学的であった。

今回の巻は「イシュヴァール殲滅作戦」の回想であり、人のために研究してきた錬金術が兵器として使われた最初のエピソードであった。(といっても知らない人にはピンとこないだろう(笑)。)

科学技術が兵器として使われた歴史は多いので、とても示唆にとんだ内容であった。
戦争はもともと悲惨なものだが、イシュヴァールの民を皆殺しにするという作戦に、兵士たちの間でもあまりの残酷さに迷いが出て議論を戦わせる。その場面には深く考えさせられる言葉が溢れていた。

「なぜ人を幸せにする錬金術が人殺しに使われるのか」と嘆く、主人公の一人、「焔の錬金術師」マスタング大佐に対し、「紅蓮の錬金術師」キンブリーが不思議そうに問いかける。
「どうして戦場という特殊な場所に正当性を求めるのか」。
「兵士になる時、一人二人なら殺す覚悟があったが、千人になると絶えられないと?」
「自らの意志で軍服に手を通した段階でわかっていたことだ、それが嫌なら最初から着なければいい、自ら選んだ道で何を被害者ぶるのか」と。


確かに一理ある。人間は弱い。自ら選んだはずなのに、結果が思ったとおりにならないと責任を他のものに転嫁し、自らを被害者にすることで心のバランスをとる。
しかし、それは間違っている。

私はこのキンブリーの考え方が好きだ。
もちろん戦争や人殺しを肯定しているのではない。自ら選んだからにはそれが自分の道だと、迷わず意志を全うすることのすごさだ。

兵士たちが、敵地で相手の民族の治療を続けている、自分たちの民族の医者に対して「自殺行為だ」とか「ばかげている」とあざ笑うのに対し、キンブリーは「人を殺すのが兵士の本分であるように、人を生かすのが医者の本分。彼らは自分の道を貫いているだけだ、私は自分の意志を貫く人が好きだ」と言って称える。

結局この医師たちは、治療したイシュヴァール人に殺される。

そうだなあ。と考える。一回の人生どの道を行くか、それは人それぞれだ。
選ぶ道をどうこう言うのではなく、問題はその道をどのように進んでいるかだろう。

この道のありのままを、受け入れ全うしよう。
自分で選んだ道だもの。






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Last updated  2007.01.12 14:19:57 コメントを書く


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