お隣のもっこちゃん
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5日、秋篠宮ご夫妻と 長男の悠仁様が家族旅行で 白浜の 『南方熊楠記念館』を訪問されたそうで、恐れ多くも 便乗アップです。今年(2017年)リニューアルされた南方熊楠記念館 の 屋上。(白浜)(小生の家は当時和歌山で1,2といわれた商家であったが、前年兄の妻迎えるのに父の鑑定で泉州より素性のよい旧家の娘、まことに温良の美人を兄の妻として入れたが、兄は淫靡の生まれで、浮気商売の女などを好み、父がせっかく定め選んだ女を好まず、出奔したことがある。それを引き戻して改心させたが、何しろ本心から好まないことはどこまでも好まない。そのため父と兄の間柄は常に面白くなく、このような上は小生は次男なため、父は次男の小生とともに家を別立するような気配がある。小生の妻を定めるなどという噂も聞く。このようになっては勝手に学問はできず、田舎で守銭奴となって朽ちることを遺憾に思い)、渡米することに決めました。南方熊楠(1867~1941)生物学者、博物学者、民族学者。19歳で渡米し・・・イギリスに渡り・・・日本に戻り 和歌山県 田辺市に住みながらも常に 世界とつながっていて・・・1929年(昭和4年)昭和天皇が生物の宝庫、神島にお越しになり南方熊楠がご案内。翌年、行幸記念碑建立にあたり『一枝も こころして吹け 沖つ風 わが天皇(すめらぎ)の めてましし森ぞ』と、詠んで 自ら筆をふるった。(天皇上陸地点に建てられているそうです)それから 32年後、昭和天皇が 白浜の宿舎より熊楠に案内された 雨にけぶる 神島を眺め 詠まれたのが コチラ。昭和天皇が フルネーム(南方熊楠)で詠まれたのは この歌だけ だそうです。小さな山の上に建つ 記念館。そこに残されてた 自然に人の手が入り 駐車場になったのが残念でした。以前のように 足に自信の無い方は玄関前まで 車を横づけできるシステムではダメだったのかなと。
2017.12.07
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