今日は、ほんとは、Two is Oneの日記だけで、いっぱいいっぱいだったのだけど、たまに鬱病についても、ここで書いてたんだけど、なんせ消してしまったし
なんで書こうかと思ったのかは、西村議員の息子さんの自殺の記事を読んでから。
ここからは、私の個人的な考えがめっちゃ入るので、あくまでも私個人の考え方ってことでご理解ください。
私も、鬱病の診断を受けて、もう7年かな?もうって言うけど、長く苦しんでいる人は、10年15年、もっと長くずっと苦しみ続けてる人もいるから、私なんて、まだまだ。今は、2週間に1回の受診と投薬治療中。
だけど、私のことを鬱病だってわかる人は殆どいない。普通、鬱病を患ってる人が見たら、鬱病の人はわかるらしいんだけど、私だけは全然わからないって言われる。
そのぐらい、傍目には元気で明るく行動的に見えるらしい。っていうか、見えると思う。
実のところ、結構無理してる(笑)
だけど、実際は、全く午前中は動けない。不眠はもう日常に変わった。薬飲んでも眠れない。一時期は眠るのが怖くて、明日が来ないような気がして眠れなかったけど、今は、それはなくなったかな。
一日に1つのことをするのが精一杯の時期があって、そだな、たとえば受診に行くだけで、一日が終わってた。動けなくなって。それまでが、多分、人の何倍も仕事してたと思うから(自分がそう思ってるだけだけどね)自分の生産能力の低下に愕然とした。家から一歩も出られなくなったし、人と話すのが怖くて誰の顔も見られなくなった。死にたいなんて、いつも思ってて、リスカも何度もやった。アルコール依存症にもなった。一昨年は、死に損なって病院で目が覚めた。
死にたいんじゃなくて、苦しみから逃れたい、居なくなってしまいたいって感情なんだよな。死にたいっていう欲求のうちは、まだ何とかなる方法があると思う。でも、欲求じゃなくなって、決めたら行動は、とっても早い。だから、周りに苦しんでる人がいたら、気をつけてあげてなくちゃならない。
だけど、それも、難しい。本人が決めてしまったら、決めるっていうのは心がすっきりする行為で、だから、誰にも邪魔されたくないし、気付かれたくないって思うから、逆に直ぐ傍に居ても気がつかないことのほうが多いと思う。
よく、
「何で、気がついてあげられなかったんだろう・・・」
とか、
「あの時、ああしていれば・・・」
とか、残された人は、とても自分を責めるけど、責めなくていい。
私の場合は、なにかをして欲しいって思ってなかった。気がついて欲しいとも思ってなかった。ただ、自分が楽になりたかった。孤独で、生きる価値もない人間だって思ってた。
だけど、目が覚めて、そして自分の日常に戻ったとき、一人じゃないって思った。愛してる人がいて、愛してくれる人がいる。頼りにしてくれる子達がいて、自分がしなきゃならないことがあることに気がつく。
私は、死にたいっていう願望を否定はしない。自分がそうだったから、否定する資格はない。だけど、やっぱり、死んじゃダメだ。どんなに苦しくても、もう、死ぬ以外に方法はないと思っても、でも、死んじゃうのはダメ。
よくね、死ぬ勇気があったら何でも出来るとか言う人いるけど、それも違う。勇気なんかじゃない。ただ決めただけのこと。
私と同じように鬱病で苦しんでる人へ
周りはわかってくれないって思うでしょ?そう、わからないの。だから、わかって欲しいって思い続けるときっつい。何でわかってくれないの?こんなに苦しいのにって思っても、でもね、わからないの。それは、その人が悪いわけでもなんでもなくて、本当にわからないの。だから、相手を責めちゃダメだし、自分を責めてもダメ。
簡単に出来てたことが、全く出来なくなるでしょ?それで苦しんじゃうでしょ?
自分の中で思ってる最小限が最大限だったりするでしょ?で、絶望しちゃうでしょ?自分に。でも、それでいいの。きっと少しずつ出来るようになる。
焦って、昔の動けてた自分に戻りたいって思うよね?でも、急に鬱病になったわけじゃない。きっと、何年も何ヶ月も我慢して頑張ってきたんだよ。だから、同じ時間か、倍の時間かけてあげたらいい。それぐらいの人生は、きっとあなたには残ってる。出来ない自分を最初に自分が許してあげなきゃ、誰も一番には許してくれない。許してあげたらね、少し楽になるよ。そこからはじめなきゃなんだ。多分・・・。