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2014.01.20
平野遼 『朝』 グワッシュ 5号
カテゴリ:
カテゴリ未分類
具象と抽象のはざまを描いた作品です。
美術の窓 1986年12月号 No51 63頁
闇の中で 平野遼
『魔法使いの弟子』というゲーテの作品をもとに、作曲家デュカの同名の交響詩が有る。
私はこの音楽を聴くたびに、原発とか、核兵器を連想するのが常である。
1986年5月、ソ連のチェルノブイリ原発事故は世界中を震憾させた。
事故の重大さも、恐怖の真相も、よく知らされぬまま、時々小出しに報道される話によるとチェルノブイリが噴出した放射能は、実にヒロシマに投下された原爆の35個分に相当するものと聞いて背筋が寒くなったものだ。
『魔法使いの弟子』は、水を出すことは知っていたが、あふれる水を止める魔法を忘れてしまった。
たとえ原発の事故がないにしても、核廃棄物の処理は、ドラムカンにつめ込んで、海底か地中に埋めるという幼稚な方法しかないらしい。
いずれ地球の海と陸はこの廃棄物という化物に想像もつかぬ現象が噴き出してくるかもしれない。
偉大な魔法の大先生は、まだ当分この世界に現れそうにないようだ。
現代は多方面にわたって、魔法使いの弟子ばかりがのさばって、水を出し放しで喜んでいるようなものだ。
キリコやエルンストを超えて、われわれが生存する現実は、地獄の入口にでもいるようなものだ。
地球は45億年自転を続けているという。
45億年は永遠的だ。
ある学者の説では、今後地球は10億年は存続すると説明していた。
10億年もまた、人間にとっては永劫だ。
ある日、核戦争か、2つ3つの原発事故が発生して、生ける物すべてが死滅しても、地球はなお闇の空間で、ガガーリンの見た青い輝きを放っているであろう・・・。
ともあれ、一発閃光を発すれば、美も愛も一瞬にして吹っ飛ぶのである。
かつてベトナム戦争中、空からバラ撒かれた枯葉剤はジャングルを枯らし、戦争終結後に、人間の中に更に戦慄の様相が次々にさらされたのだ。
アルコール漬けになったガラスビンの中の異様な物体は脳のないもの、腐った狂犬のような眼、双頭の肉体など、凄惨眼を覆う、言語に絶する恐怖をつきつけられたのだ。
私が物に対して凝視しつづけた中から、悪夢のようにせりあがって出現したフォルムがそのまま現実にそこに存在したのだ。
あの奇怪な肉塊もまた。人間として生まれて来たものなのだ。
川底に埋没した廃物を、毎日の散歩のうちにくり返し見ているうちに、いつか私の内部で、新しい型体が少しずつ成長していった。
見ることは一瞥することが重要であり、また反対にじっくりとくり返し観察することも要求される。
物によっては、ちらりと見ることでより見えることもある。
更に深く凝視するという2つの見方がある。
繰り返し私が観たものは、人間の内部を表現する戦慄のフォルムであった。
人間の崩壊を私はそこに感じ取ったのである。
この展に出品した、新作の多くは、そのような廃物である。
川底に埋没した沈殿物から生まれ出たものなのである。
私の内部に襲いかかる、魔物のような生命体である。
かつて滝口修造氏が、私の個展のために書かれた14行詩の中に、われわれが、ついに見失うもの、忽ちにして見失うものが、よみがえってくる・・・という一節が有った。
私は物を前にして、ひとつは内から外へ向う眼と、外から内部に向う視覚をいつか身につけていたと考えている。
この視方は今も一貫して変ることがない。
泥道に刻み込まれた人間の足跡、自転車の軌跡、庭の雑草とそこに潜む小さな森林の昆虫たち、森の中の樹葉の重なり、同色の複雑微妙な諧調、工場の機械類、盛りあげた泥、鉄骨等々きりがない程の物と物の重複である。
眼は2つあって観る眼も、ちらりと見る眼と、ファーブルが昆虫を視るように凝視する眼があるのだ。
夏の深夜、また身も凍る冬の薄明中を凝視するうちに、かすかに聴きとれるような樹木のささやきもあるのだ。
森羅万象ことごとく闇の中で声を発している。
『幽霊の正体見たり枯尾花』とは誰の云ったことか私は知らぬが、云い得て妙である。
私も闇の中に存在するフォルムに対し魔力のような物の姿を発見する。
暗黒の只中で見たものは内なる世界であり、生命そのものを目撃したと云ってよいものだ。
廃物になった絵具のチューブや筆が小さな山をなしている。
私は足元に積みあげられたその聖なる廃物を、小さな砂ツブ1つが投げる影の中に新鮮な啓示を見るのである。
この廃物こそ、私の生活の1断片でもありホコリも美であり小宇宙となるのである。
投げ棄てた足元のボロ布も丸めて捨てた紙屑も、ふと見つめる時、そこに悪魔的表情や、時には此の世のものではない神の如き貌と思わせる不思議な表情が、私をじっと見据えていることに気附いて驚くのである。
病院の床を、何となくみつめているうちに思いがけなく、クレーが潜んでいたり、デクーニングやピカソが謎のように現れるのを発見する。
多くの人のスリッパが床を踏みつけて歩くたびに、いつかこうしたフォルムを作り出しているのである。
こうした現象は周囲の様々な中に潜んでいる。
それを発見するのは私の眼である。
物を見る時、人間の眼は写真機のレンズとは異っているのだ。
画家T氏は故人となったが、ある座談会で、人間の眼とカメラは同じようだ・・・と云ったことがあった。
当時はたいして気にもとめなかったが、今は、それは少し違うのではないか、そう思うのである。
確固とした意志をもって見ない限り、何も見えて来ないのである。
多くの人間のスリッパが偶然描き出した抽象画を眺めて、ひとり驚愕し悦に入るのである。
そこに無限の線が動き、あたかも原始人の線画と同じ絵が潜んでいるのを考えると、楽しいではないか。
実に此の世は限りなく絵画的であり、詩に充ちているといえる。
私の日常はそうしたものとも対し、独語をすることで過ぎて行く。
音楽を聴く時、突如として意識の底からもりあがってくる言葉のように、これらの対象は、私に劇的な生きものが、天から降って耳の傍でささやく秘かな声ともなるのだ。
私の眼と詩魂がこれを捕捉するのである。
それらと対峙のうちに、私が描く造型は少しずつ異相をもって成長したようである。
熱い抽象からアンフォルメル、そして具象から写真もどきのキレイ絵という激しい移行を示したのが、戦后40年間の絵画である。
ジャコメッティは、絵画は終ったと嘆息しながらも仕事を続けたのだ。
私は時流を望見する位置に身を置いて、ひたすら独自を堅持して来たのである。
地方に生活するとはそうした意味をもっている。
むしろ時代のるつぼを外れて生活することが自己確立の基本姿勢になるかも知れない。
抽象絵画は自由をほしいままにしたが、人間から離脱する結果にもなった。
何が不足したのであろうか。
要するに眼だ。
視ることを棄てた画家は自然からも見放された。
かつて伊丹万作は『機械眼の記憶力』という一文を書いた。
さすがに燗眼の映画作家は。まるで今日の絵画を見透したかのように鋭いものだ。
絵画は写真の出現によって、絵画本来の仕事に専念できる時代になった。
写真などが、知ることのできない世界が絵画なのだ。
それなのに今もまた写真のような絵を何日もかけて描いている・・・云々というのである。
この文章は敗戦の翌年発表されたことを銘記する必要がある。
ただ黙って、壁にかかった絵が、人の足を止める磁力を持つのだ。
その仕事は電流のごとき生命力を秘めていると私は考える。
古代人のように、私は物を見つづけたいと思う。
ゴーガンは未知の視覚を求めて密林に踏み込んだが、私の現実は夜に在り、仕事をする足元に転がっているのである。
此の世は闇になって生気を復活し、事物はいっきょに魔物のような表情を見せるのだ。
睡っているのは人間だけだ。
何がどうあれ、人間の行く先はみな得体の知れぬ闇の中である。
1986年
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最終更新日 2014.02.09 21:28:44
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