2020末法元年                   ボンゾー(竺河原凡三)の般若月法

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2006年07月01日
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カテゴリ: 仏法
仏教は、法身説法、久遠実成など永遠の命の方便を説く一方、生者必滅、盛者必衰、会者定離等の諸行無常の科学の無視し得ない事実を表明する。ゆえに、釈迦如来であらせられても、師事した過去仏はおられ、前身であられた菩薩もおられ、未来仏についても語られるのである。ただ、サットヴァ・カルマンこそは、すべての源泉であり、宇宙意志というものがあるとするなら、それに充ててもいいだろう。応身仏として地球上の知的生物として出生された釈迦牟尼は、サットヴァ・カルマンの顕現であったことは、間違いのない事実である。彼が、修行をし、覚り、どこへ往ったかは定かではないが、それを我々は、解脱といい、大般涅槃といい、仏界というのである。サットヴァ・カルマンを統括するもの、指図するもの、この世の自然界を設計するものは、どこにも絶対に存在し得ない。しかし、釈迦牟尼仏の法身を能生させた教えが、唯一存在する。それは、何を隠そう、『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』という書物である。

ある人格神が地球や宇宙を創ったというフィクションを宗教として信ずる一神教のユダヤ・キリスト教、イスラム教などの根本聖典に書いてある物語が、全く地球46億年の年表と符合せず、カンブリア紀(約5億7500万年前-5億900万年前)に出現したピカイアという、ちっぽけな脊索動物が、人類をはじめすべての脊椎動物の祖先であり、約500万年前後から始まったサル(猿人)からホモ・サピエンスへの進化を説明出来ないのと異なり、仏典に書いてあることは、「四劫」一つを取っても、生命の起源、地学や宇宙物理学の科学を預言していたようだし、いや、むしろ科学がやっと仏教に追いつきつつあると言える。一方、「五五百歳」は、卑近な人類の歴史学ともほぼ一致するのである。蛇足になるかも知れないが、真説末法のおおよそを述べた後に、五五百歳的速疾日本史を試みるつもりである。

茫洋たる宇宙は、誰が創ったものではなく、知らずして出現し、存在してはやがては消えてゆくものである。

(以下本文は、一定期間を経過しましたので削除いたしました)





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最終更新日  2007年06月07日 22時51分39秒


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