バツイチ独り身で両親も去り、身軽さと寂しさの狭間。世の中随分と変わっちまった…

バツイチ独り身で両親も去り、身軽さと寂しさの狭間。世の中随分と変わっちまった…

2010.08.29
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トラヴェール 2010.8


伊集院 静

 夏休みになるとプラットホームに子供たちの姿が多くなる。
 見ていてほほえましいのは孫を迎えに出た祖父母の表情と名前を呼んで飛びついていく子供の姿である。人間が見せる幸福の光景の中でもきわだつひとつである。
 プラットホームの少年が真剣なまなざしで一点を見つめている姿も私は好きだ。視線のむこうには電車の先頭車輌があり、運転手の勇姿がある。子供は電車が好きだ。私は大声を上げて喜ぶ少年より、他の子より少し離れて立ち、それでいてこれ以上ない感激に満ちた目をしている少年に引かれる。彼が傍らの若い父なり母なりの手をそっと握っている。その力で親は我が子の感情を知る。見ていると彼等は必ず親に短い一言、二言を伝える。親はうなずいて答える。子供が最初に発する言葉は彼らの感情が昂ぶった時の対象にむかってのものらしい。
 「あの短い言葉にも土地のアクセントなり、情感があるのだろう」

 日本の北国の言葉が、ゆたかで美しいことは、これまで多くの民俗学者、言語学者、文章にたずさわる人々が述べている。私がそのことを聞いたのは、作家としてデビューした当時、先輩作家の井上ひさしさんからだった。
「他にたとえる言語がないほど北国の言葉は、ゆたかで喜びと哀愁に満ちたものです」

 その話を聞いた時、北国を訪れたことのない新人作家には正直、よく理解できなかった。哀愁はなんとなしにわかるが、喜びをどう表現しているかがピンと来なかった。
 北の地に暮らしはじめて井上さんの言葉がようやくわかりはじめた。言葉というものは人間の幹のようなものだとあらためて思った。

 青森をねぶた祭りの時期に訪れたのは十数年前であった。夜空を染め上げそうな山車の勇壮さにも驚いたが、くり出した"はねと"と呼ばれる踊り手たちの活気に圧倒された。まるで一夜で命が燃えつきてしまいそうな勢いで、鈴の音が彼等の歓喜の叫びに聞こえた。 
--これか、井上さんのおっしゃった喜びとは・・・・・。
「はねるんでねが?」
 そう訊いて駆け出した娘さん。
 若く美しい女性たちが顔を紅潮させてはねる姿はつややかで、北の女性たちの内に秘めた情熱を垣間見た気がした。

 北国は井上さんをはじめとして日本人に恩恵を与えている多くの文学者を輩出している。彼等のあの素晴らしい作品群は、少年、少女時代に身体の中にゆっくりと育まれたゆたかな北の言語が大きく影響しているのだろう。
 帰省してきたお孫さんに北のお国訛りで話してあげることは大切な時間なのかもしれない。





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Last updated  2010.08.29 22:14:54
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