バツイチ独り身で両親も去り、身軽さと寂しさの狭間。世の中随分と変わっちまった…

バツイチ独り身で両親も去り、身軽さと寂しさの狭間。世の中随分と変わっちまった…

2010.10.27
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岩盤を穿つ 湯浅誠 09.11.10

 新自由主義路線と言われていた今までの路線が、非効率だったということを今こそ認めなければならないと思います。「新自由主義は効率一辺倒だからよくない」と言われていましたが、そうではない。あのときに言われた効率というのは、企業の効率です。「使えないやつをいつまでも抱えているのは非効率だから捨ててしまえ」と言っても、捨てられた人は社会で生きています。その人が生きていけなくなったときに生活を支える社会的な負担が生じますから、むしろ社会的に見れば非効率なんです。そこがうやむやのままにされ、社会という次元が認識されなかったことが、市民社会の問題だと思います。これからは、社会にとって本当の効率性とは何かを考える経済学が出てきても良いはずです。

 新自由主義のメッセージは、弱肉強食の中、自己責任で生き残れという自己責任論でした。そうすると、うまく行かなくなった時、それは自分の努力が足りなかった結果として処理するしか説明のツールが社会的に存在しないので、どんどんモノが言えなくなります。何を言っても結局「おまえのせいだ」と言い返されますから。新自由主義が良くないということと、モノを言っていいんだということは自然にはつながらないので、そこをつなげていくのは活動家の役割です。

 自己責任論の最大の効用は、結局相手を黙らせることだったと思います。今、私たちが行っている生活相談には、相談日のたびに四〇人くらいの人が訪れます。パンク状態になると気が焦って、早く終わらせたくなるものです。待つ人がどんどん増えて行きますから。早く終わらせたかったら簡単で、自己責任論を持ち出せばいい。悩みを打ち明けはじめても「それはあなたにも問題があったんじゃないの」と言えば黙ってしまいます。つまり、自己責任論を使いたい誘惑というのは、自分が忙しくなればなるほど強まっていく。

 この誘惑には、相当意識しないと勝てません。そういう意味では自己責任論は、みんなの余裕がなくなる事を餌に大きくなっています。ですから、今回の経済危機で新自由主義的な経済路線が良くないという論調が主流になっても、このままどんどん雇用環境が悪くなってみんなに余裕がなくなっていけば、再び自己責任論は元気になる可能性があります。

 自己責任論は人を黙らせるもの。活動家は人をしゃべらせるもの。そういうふうに問題をつなげてゆきたいと思っています。





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Last updated  2010.10.27 23:34:53
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